奈良県ƒeƒXƒg‚O‚P隠れ寺霊場縁日巡礼    
霊場(れいじょう)とは神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などの宗教施設やゆかりの地など、神聖視される場所をいう。古くから信仰の対象になっており、現在でもお遍路や修験者などの往来の多いところがある。 恐山、比叡山、高野山など数多くの霊場が存在する。その多くは山岳信仰に根ざしたものであるが、全ての霊場が山にあるとは限らない。志度寺(四国八十八箇所)のように海沿いの霊場や、弁天洞窟(東京都稲城市)のような地下霊場も存在する。 また、日本では西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所を合わせて日本百観音と呼ぶ。「百観音」という言葉そのものは平安時代からあり、その内容は時代と共に移り変わってきたが、現在では上記の霊場を百観音とする定義が一般的である。

関西花の寺二十五霊場    
関西花の寺二十五霊場(かんさいはなのてらにじゅうごれいじょう)は、季節の花で名高い、大阪府、兵庫県、京都府、滋賀県、奈良県、和歌山県、の六府県六宗派二十五ヶ寺の霊場。1993年(平成5年)創設。 創設意義は境内の美しい花や紅葉を通じ、信徒と寺院とのつながりを強め、人生や社会を明るく豊かにすることである。

西国三十三所    
西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ、さいこくさんじゅうさんしょ)は、観音巡礼の一つ。観音菩薩を祀る近畿地方2府4県と岐阜県の三十三箇所の札所寺院と三箇所の番外寺院からなる観音霊場。日本で最も歴史がある巡礼であり、現在も多くの参拝者が訪れている。 「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。 文化庁の令和元年度「日本遺産」の16件(累計83件)の一つに、『1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜』が認定された。

西国薬師四十九霊場    
西国四十九薬師霊場(さいごくしじゅうくやくしれいじょう)は、薬師瑠璃光如来をまつる大阪、兵庫、京都、滋賀、奈良、和歌山、三重の七府県四十九ヶ寺の西国薬師霊場。1989年(平成元年)結成。 河内長野市助役を務めた下休場由晴が手がけた新設巡礼地のひとつで、下休場由晴が同様に手がけた近畿三十六不動尊霊場(1979年)・西国愛染十七霊場(1993年)・役行者霊蹟札所(2001年)なとど同様に、事務局は以前は河内長野市の同一事務所内にあった。 現在の事務局は、(一般社団法人)全国寺社観光協会が行っている。

南都七大寺    
南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの大寺を指す。

ぼけよけ二十四地蔵尊霊場    
霊場(れいじょう)とは神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣などの宗教施設やゆかりの地など、神聖視される場所をいう。古くから信仰の対象になっており、現在でもお遍路や修験者などの往来の多いところがある。 恐山、比叡山、高野山など数多くの霊場が存在する。その多くは山岳信仰に根ざしたものであるが、全ての霊場が山にあるとは限らない。志度寺(四国八十八箇所)のように海沿いの霊場や、弁天洞窟(東京都稲城市)のような地下霊場も存在する。 また、日本では西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所を合わせて日本百観音と呼ぶ。「百観音」という言葉そのものは平安時代からあり、その内容は時代と共に移り変わってきたが、現在では上記の霊場を百観音とする定義が一般的である。

大和五ヶ所御坊    
大和五ヶ所御坊(やまとごかしょごぼう)は、奈良県(大和国)にある浄土真宗本願寺派の寺で、以下の5つの寺を指す。

大和七福八宝めぐり    
大和七福八宝めぐり(やまとしちふくはっぽうめぐり)は、奈良県の7箇所の社寺と大和信仰の原点である三輪山から構成される七福神巡りの霊場。

大和十三仏霊場    
大和十三仏霊場(やまとじゅうさんぶつれいじょう)は、奈良県にある13の仏菩薩を祀る寺院からなる霊場。

大和北部八十八ヶ所霊場    
大和北部八十八ヶ所霊場(やまとほくぶはちじゅうはちかしょれいじょう)は、奈良県にある八十八箇所の霊場。江戸時代中期(明和年間・1764年~1772年)に開かれた巡礼地で、一部の寺院は廃寺や無住寺となっている。

飛鳥寺 奈良県高市郡明日香村飛鳥682   真言宗豊山派  
飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺院。山号は鳥形山(とりがたやま)。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来。現在は正式には安居院という。開基(創立者)は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音である。

安倍文殊院 奈良県桜井市阿部645   華厳宗  
安倍文殊院(あべもんじゅいん)は、奈良県桜井市阿部にある華厳宗の寺院。山号は安倍山。本尊は文殊菩薩。開基は安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)とされる。切戸文殊(京都府)・亀岡文殊(山形県)とともに日本三文殊に数えられる。宗教法人名は文殊院。

安生寺 奈良県五條市今井4丁目6番15号   高野山真言宗  
安生寺(あんじょうじ)は、奈良県五條市にある高野山真言宗の寺院。山号を神光山(しんこうさん)と称し、開山は役小角(えんのおづね)。本尊は十一面観世音菩薩。聖武天皇の勅願寺で、かつては七堂伽藍の山容を誇り、今も残る三本線の筋塀に当時の隆盛が偲ばれる。

永慶寺 奈良県大和郡山市永慶寺町5-76   黄檗宗  
永慶寺(えいけいじ)は、奈良県大和郡山市永慶寺町にある寺院。黄檗宗寺院で、山号は龍華山。本尊は釈迦三尊。

栄山寺 奈良県五條市小島町503   真言宗豊山派  
栄山寺(えいさんじ、旧字体:榮山寺)は、奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺院。藤原武智麻呂により創建された。山号は学晶山(がくしょうさん)。本尊は薬師如来。奈良時代の建築である八角堂(国宝)があることで知られる。

圓照寺 (御所市) 奈良県御所市大橋通り2丁目1490   浄土真宗本願寺派  
圓照寺(円照寺・えんしょうじ)は、奈良県御所市にある浄土真宗本願寺派の寺院。市内を流れる葛城川の東部(東御所)に位置する。山号は東向山、本尊は阿弥陀如来。大和五ヶ所御坊の1つで御所御坊とも言われる。

圓證寺 奈良県生駒市上町4713   真言律宗  
圓證寺(えんしょうじ)は、奈良県生駒市にある真言律宗の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。戦国大名筒井氏ゆかりの寺院である。

円福寺 (生駒市) 奈良県生駒市有里町390   真言律宗  
円福寺(えんぷくじ)は、奈良県生駒市にある真言律宗の寺院。生駒谷を見下ろす山腹に位置する。山号は龍華山(りゅうげさん)。

大蔵寺 (宇陀市)    
大蔵寺 (おおくらじ)は、奈良県宇陀市大宇陀栗野(おおうだくりの)にある龍門真言宗の寺院である。山号は雲管山(うんかんざん)。院号は医王院。本尊は薬師如来。

大野寺 奈良県宇陀市室生大野1680   真言宗室生寺派(もと法相宗興福寺別院宀一山室生寺末)  
大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。開基は役小角と伝える。役行者霊蹟札所。 室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。

大峯山寺 奈良県吉野郡天川村洞川(大峯山頂)   修験道  
大峯山寺(おおみねさんじ)は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院である。大峯山山上ヶ岳の山頂に建つ。平安時代初期から現在に至るまで女人禁制で、毎年5月3日に戸開式(とあけしき)、9月23日に戸閉式(とじめしき)が行われる。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。役行者霊蹟札所。

岡寺 奈良県高市郡明日香村岡806   真言宗豊山派  
岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村岡にある真言宗豊山派の寺院。山号は東光山。院号は真珠院。本尊は日本最大の塑像である如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称し(後述)、詳しくは東光山真珠院龍蓋寺という。西国三十三所第7番札所。 本尊真言:おん はんどめい しんだまに じんばら うん ご詠歌:けさみれば露(つゆ)岡寺の庭の苔 さながら瑠璃(るり)の光なりけり

おふさ観音 奈良県橿原市小房町6-22   高野山真言宗  
おふさ観音(おふさかんのん)は、奈良県橿原市小房町にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は十無量山。本尊は十一面観世音菩薩。正式名称は十無量山観音寺。イングリッシュローズが境内に所狭しとあふれる「花まんだらの寺」として知られる。大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する。

戒長寺 宇陀市榛原戒場386    真言宗御室派  
戒長寺(かいちょうじ)は、奈良県宇陀市榛原戒場にある真言宗御室派の寺院である。山号は戒場山(かいばさん)。境内に大イチョウがあり11月中頃から12月初旬頃に、紅葉した葉が落葉し境内を黄色に染めることで知られている。

額安寺 奈良県大和郡山市額田部寺町36   真言律宗  
額安寺(かくあんじ)は、奈良県大和郡山市額田部寺町(ぬかたべてらまち)にある真言律宗の寺院。山号は熊凝山(くまごりさん)。本尊は十一面観音。寺名は「がくあんじ」ではなく「かくあんじ」と呼ばれている。

願行寺 奈良県吉野郡下市町大字下市小字寺内   浄土真宗本願寺派  
願行寺(がんぎょうじ)は、奈良県吉野郡下市町、秋野川左岸の御坊山麓にある寺。浄土真宗本願寺派、山号は至心山。下市御坊という。

観音寺 (桜井市南音羽) 奈良県桜井市南音羽832    
観音寺(かんのんじ)は、奈良県桜井市南音羽、音羽山の中腹標高600メートルに位置する融通念仏宗の寺院で山号は音羽山。音羽山観音寺と称される。 寺号はたびたび変わり善法寺(ぜんぽう-)、興法寺(こうほう-)または香法寺、音石寺(おとわ-)または音羽寺とも称し、俗に「音羽の観音」といわれた。古くは法相宗、その後は天台宗の寺院であった。 石畳参道の傍らには十三重石塔(鎌倉時代後期)、宝篋印塔(鎌倉時代末期)、永禄5年(1562年)銘の九品町石のうち4基などがあり、また参道の入口から石畳下まで十七町石が揃って残っている。境内の「お葉つきイチョウ」は奈良県指定天然記念物。本堂東方の経ヶ塚山への登山路下に「音羽の滝」がある。滝水は眼病に霊験があることで古くから知られる。

喜蔵院 奈良県吉野郡吉野町吉野山1254   本山修験宗別格本山  
喜蔵院(きぞういん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の護持院。本山修験宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は吉野山。開山は円珍(智証大師)。

吉田寺 (奈良県斑鳩町) 奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1丁目1-23   浄土宗  
吉田寺(きちでんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町小吉田にある浄土宗の寺院。山号は清水山。本尊は阿弥陀如来。俗にぽっくり寺の名で親しまれ、年配の参拝者が多い。

吉祥草寺 奈良県御所市茅原279    
吉祥草寺(きっしょうそうじ)は、奈良県御所市茅原にある本山修験宗の寺院。山号は茅原山、院号は金剛寿院。別称は役行者御誕生所。世界で初めて萌えキャラクターを信仰対象として祀る試みが行われている。

久松寺 (大和郡山市) 奈良県大和郡山市城町1470    
久松寺(きゅうしょうじ)は、奈良県大和郡山市にある曹洞宗の寺院。山号は妙光山。1987年の段階では廃寺であった。

教行寺 (奈良県広陵町) 奈良県北葛城郡広陵町萱野652-1   真宗大谷派  
教行寺(きょうぎょうじ)は、奈良県北葛城郡広陵町にある真宗大谷派の寺院。山号は安静山。本尊は阿弥陀如来。別名「箸尾御坊」として知られる。

金勝寺 (奈良県平群町) 奈良県平群町椣原53   真言宗室生寺派  
金勝寺(きんしょうじ)は、奈良県平群町椣原にある真言宗室生寺派の寺院。山号は、椣原(しではら若しくは、ひではら)山。本尊は藤原時代の作である薬師如来座像。

金峯山寺 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498   金峯山修験本宗  
金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院。山号は国軸山。開基(創立者)は役小角と伝える。かつては「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれていた。本尊は蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯。本尊は巨像として著名で中尊は約7mもあり、普段は非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」とも称される。現存の蔵王堂は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の寄進によって再建されたもので、蔵王権現立像3躯の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手掛けたことが、胎内の銘から知られる。 金峯山寺の所在する吉野山は、古来より桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロメートルの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称である。 吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として多くの参詣人を集めてきた。吉野・大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、およびこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている。

百済寺 (奈良県広陵町) 奈良県北葛城郡広陵町大字百済1168    
百済寺(くだらじ)は、奈良県北葛城郡広陵町にある高野山真言宗の寺院である。山号はなし。本尊は十一面観音。

弘福寺 (奈良県明日香村) 奈良県高市郡明日香村川原1109   真言宗豊山派  
弘福寺(ぐふくじ)は、奈良県高市郡明日香村川原にある真言宗豊山派の寺院。山号は仏陀山。本尊は十一面観音。かつて飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院であった川原寺の法燈を継ぐ寺院である。

九品寺 (御所市) 奈良県御所市楢原1188   浄土宗  
九品寺(くほんじ)は、奈良県御所市楢原にある浄土宗の寺院。山号は戒那山(かいなさん)。本尊は阿弥陀如来。境内や裏山には「千体石仏」と称される多数の石仏がある。

久米寺 奈良県橿原市久米町502   真言宗御室派  
久米寺(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院。山号は霊禅山。本尊は薬師如来。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)ともいうが未詳。『扶桑略記』や『今昔物語集』においては娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという久米仙人により創建されたと伝えられる。また、空海ゆかりの寺であり、「真言宗発祥の地」とされる。

慶恩寺 奈良県宇陀市大宇陀春日262番地   浄土宗鎮西派  
慶恩寺(けいおんじ)は、奈良県宇陀市大宇陀春日(うだかすが)にある浄土宗鎮西派の寺院である。山号は松谷山。本尊は阿弥陀如来。

玄賓庵 奈良県桜井市茅原377   真言宗醍醐派  
玄賓庵(げんぴあん)は奈良県桜井市茅原にあり、三輪山麓に建つ真言宗醍醐派の寺院である。

光慶寺 (大和郡山市) 奈良県大和郡山市今井町35   浄土真宗本願寺派  
光慶寺(こうけいじ)は、奈良県大和郡山市今井町にある、浄土真宗本願寺派の寺院である。

向原寺 奈良県高市郡明日香村大字豊浦630番地   浄土真宗本願寺派  
向原寺(こうげんじ)は、奈良県高市郡明日香村にある浄土真宗本願寺派の寺院。別名広厳寺。本尊は阿弥陀如来。境内地は百済から日本へ献上された仏像を蘇我稲目が祀った「向原の家(むくはらのいへ)」の故地とされ、7世紀には推古天皇の豊浦宮や日本最古の尼寺である豊浦寺が営まれた。

神野寺 (奈良県山添村) 奈良県山辺郡山添村大字伏拝750   真言宗豊山派  
神野寺(こうのじ)は、奈良県山辺郡山添村にある真言宗豊山派の寺院。山号は法性山。本尊は薬師如来。

講御堂寺 五條市五條1-1-14   律宗  
講御堂寺(こうみどうじ)は奈良県五條市五條1-1-14にある律宗の寺院である。

光明寺 (宇陀市) 奈良県宇陀市大宇陀西山121   融通念仏宗  
光明寺 (こうみょうじ)は、奈良県宇陀市大宇陀西山121にある融通念仏宗の寺院。山号は遍照山。本尊は阿弥陀如来坐像。

光林寺 (奈良県川西町) 奈良県磯城郡川西町保田43-1   真宗佛光寺派  
光林寺(こうりんじ)は、奈良県磯城郡川西町大字保田にある真宗佛光寺派の寺院。

国分寺 (橿原市) 奈良県橿原市北八木町2-6-15   浄土宗  
国分寺(こくぶんじ)は、奈良県橿原市北八木町二丁目にある浄土宗の寺院。山号は勝満山、別名は満法院(まんぽういん)。

極楽寺 (奈良県安堵町) 奈良県生駒郡安堵町東安堵1453番地   真言宗国分寺派  
極楽寺(ごくらくじ)は、奈良県生駒郡安堵町東安堵にある真言宗国分寺派の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。

極楽寺 (奈良県田原本町) 奈良県磯城郡田原本町千代180番地    
極楽寺(ごくらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町にある浄土宗の仏教寺院。

子嶋寺 奈良県高市郡高取町観覚寺544   高野山真言宗真言宗子嶋流  
子嶋寺(こじまでら)は、奈良県高市郡高取町観覚寺にある高野山真言宗の寺院。山号は子嶋山(報恩山とも)。本尊は大日如来。開山は寺伝では僧・報恩と伝える。 平安時代中期作の国宝・両界曼荼羅図(子島曼荼羅)を伝えることで知られる。「清水の舞台」で知られる京都東山の清水寺は子嶋寺の僧・延鎮によって開かれたとされ、平安時代中期以降は真言宗子嶋流の道場として栄えるなど、歴史的に重要な寺院である。 なお、以前は大和七福神(三輪明神、大黒天(子嶋寺)、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)のひとつであったが、現在は経営上の理由から大黒天の朱印は子嶋寺から長谷寺に移管されている。

金剛寺 (五條市) 奈良県五條市野原西3丁目2−14   高野山真言宗  
金剛寺(こんごうじ)は、奈良県五條市野原にある高野山真言宗の寺院である。ボタン寺として知られている。関西花の寺二十五霊場23番、西国薬師四十九霊場第9番札所である。

金輪院 日本 奈良県大和郡山市小泉町834   天台宗  
金輪院(こんりんいん)は、奈良県大和郡山市小泉町にある天台宗の寺院。 小泉庚申堂と呼称される方が多い。 山号は尭然山(ぎょうねんざん)、本尊は青面金剛。 大和国の庚申信仰の総道場として知られる。

西光寺 (御所市) 奈良県御所市柏原146   浄土真宗本願寺派  
西光寺(さいこうじ)は、奈良県御所市にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は嗛間山。本尊は阿弥陀如来。

桜井寺 (五條市) 奈良県五條市須恵1-3-26    
桜井寺(さくらいじ)は、奈良県五條市にある浄土宗の寺院。山号は潤生山。本尊は阿弥陀如来。「櫻井寺」とも表記する。 寺伝によると天暦年間(947年 - 957年)、桜井康成の創建と伝える。現在の本堂は1967年(昭和42年)の再建。 文久3年(1863年)8月に五條代官所を襲撃した天誅組はこの寺に本陣を置き五條仮政府を称した。本堂前に代官鈴木正信(源内)ら5人の首を洗ったという石の手水鉢がある。また五條で病没した五條代官蓑正路と嫡子の墓もある。 また境内には人形浄瑠璃、歌舞伎の演目『艶容女舞衣』でも知られる三勝・半七の比翼塚がある。

桜本坊 奈良県吉野郡吉野町吉野山1269   金峯山修験本宗  
桜本坊(さくらもとぼう)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗の別格本山の寺院。本尊は神変大菩薩(役行者)倚像。大峯山寺の護持院5箇院の1つでもある。山伏文化の殿堂といえるほど多くの文化財が残されている。役行者霊蹟札所。正式な表記は櫻本坊。

信貴山玉蔵院 奈良県生駒郡平群町信貴山2280   信貴山真言宗  
玉蔵院(ぎょくぞういん)とは、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の大本山で朝護孫子寺の塔頭寺院。宿坊も営んでいる。

慈光院 奈良県大和郡山市小泉町865番地   大徳寺派  
慈光院(じこういん)は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。

地蔵寺 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町福貴237   融通念仏宗  
地蔵寺(じぞうじ)は、奈良県平群町福貴にある融通念仏宗の寺院。山号は、延命山。本尊は、阿弥陀如来座像。

地福寺 (五條市) 奈良県五條市久留野町1161   高野山真言宗  
地福寺(じふくじ)は、奈良県五條市久留野町にある高野山真言宗の寺院。山号は牛滝山。かつては金剛山行者坊という名であった。

地福寺 (大和郡山市) 奈良県大和郡山市上三橋町264[1][2]    
地福寺(じふくじ)は、奈良県大和郡山市上三橋町にある融通念仏宗の寺院。重要文化財(国指定)の木造十一面観音立像を所有する。

慈明寺 (橿原市) 奈良県橿原市慈明寺町380   曹洞宗  
慈明寺(じみょうじ)は、奈良県橿原市の畝傍山(慈明寺山)にある曹洞宗の仏教寺院。山号は雲飛山。 この付近は安土桃山時代の奈良大和郡山藩主・慈明寺順国(筒井順国とも。筒井氏の祖)の出身地でもある。

常覚寺 奈良県五條市西吉野町黒渕1321    
常覚寺(じょうかくじ)は、奈良県五條市にある高野山真言宗の寺院。山号は寿命山または延命山。本尊は普賢延命菩薩。(黒渕の・賀名生の)普賢さんの名で親しまれる。

常照寺 (奈良県高取町) 奈良県高市郡高取町清水谷1793    
常照寺(じょうしょうじ)は、奈良県高市郡高取町清水谷にある日蓮宗の寺院。山号は寂而山。境内には高取城の石垣の一部が残る。旧本山は奈良常徳寺、莚師法縁(隆源会)。

浄照寺 奈良県磯城郡田原本町茶町584   浄土真宗本願寺派  
浄照寺(じょうしょうじ)は、奈良県磯城郡田原本町にある浄土真宗本願寺派の寺院。 山号は松慶山。本尊は阿弥陀如来。田原本御坊とも称される。

称念寺 (橿原市) 奈良県橿原市今井町335   浄土真宗本願寺派  
称念寺(稱念寺・しょうねんじ)は、奈良県橿原市今井町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は今井山。本尊は阿弥陀如来。今井御坊とも称される。大和五ヶ所御坊、十六大坊の1つで中本山に列する。

成福院 奈良県生駒郡平群町信貴山2280   信貴山真言宗  
成福院(じょうふくいん)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の大本山で朝護孫子寺の塔頭寺院。宿坊も営んでいる。

聖林寺 奈良県桜井市下692   真言宗室生寺派  
聖林寺(しょうりんじ)は、奈良県桜井市にある真言宗室生寺派の寺院。山号は霊園山(りょうおんざん)。本尊は地蔵菩薩。開山は定慧(じょうえ)とされる。国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。

生蓮寺 (五條市) 奈良県五條市二見7-4-7   高野山真言宗  
生蓮寺(しょうれんじ)は、奈良県五條市にある高野山真言宗の寺院。古くから安産、雨乞い、晴れ乞い祈祷の請願所であった。現在は蓮の名所として知られる。

信光寺 (橿原市) 奈良県橿原市御坊町   浄土真宗本願寺派  
信光寺(しんこうじ)は、奈良県橿原市にある浄土真宗本願寺派の寺院。

秦楽寺 奈良県磯城郡田原本町秦庄267   真言律宗  
秦楽寺(じんらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町秦庄(はたのしょう)にある真言律宗の寺。号は高日山浄土院。

菅生寺 奈良県吉野郡吉野町平尾150   高野山真言宗  
菅生寺(すぎょうじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある高野山真言宗の寺院。山号は大師山(だいしざん)。本尊は阿弥陀如来。菅生寺の由来として菅原道真が誕生した地との伝承がある。

世尊寺 (奈良県大淀町) 奈良県吉野郡大淀町比曽762   曹洞宗  
世尊寺(せそんじ)は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗の寺院。山号は霊鷲山。本尊は阿弥陀如来(放光樟像)。聖徳太子霊跡第7番札所である。 古くは「比曽寺(ひそでら、比蘇寺)」と呼ばれ大規模な伽藍を構えていたが、現在の世尊寺は江戸時代に整備縮小して再興されたものである。かつての寺域は、1927年(昭和2年)4月8日に「比曽寺跡」として、国の史跡に指定されている。

石光寺 奈良県葛城市染野字枇杷ヶ辻387番地   ? → 浄土宗興律派 →浄土宗鎮西派  
石光寺(せっこうじ)は、奈良県葛城市染野にある浄土宗の寺院。出土遺物等から飛鳥時代後期(白鳳期)の創建とみられる古寺で、中将姫伝説ゆかりの寺院である。境内には中将姫が蓮糸曼荼羅を織成する際に蓮糸を染めたという井戸「染めの井」と、糸を干したという「糸掛桜」があり、「染寺」と通称されている。観光的にはボタンの寺として知られ、境内にはボタン、シャクヤク、アジサイ、サクラ、サルスベリなどが植えられている。関西花の寺二十五霊場20番札所。

千光寺 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町鳴川188   真言宗醍醐派  
千光寺(せんこうじ)は、奈良県生駒郡平群町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は鳴川山。通称は元山上千光寺。ユースホステルの運営も行っている。

千手院 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町信貴山2280   信貴山真言宗  
千手院(せんじゅいん)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の大本山で朝護孫子寺の塔頭寺院。朝護孫子寺の最古の塔頭であり、同時に最古の建造物・書院を有する。本尊は毘沙門天。境内には十一面観音を本尊とする観音堂や金運招福の銭亀善神を祀る堂がある。院内庭園には滝行場があり滝行が可能。写経、座禅、写仏などの修行ができる。宿坊も営んでいる。

船宿寺 奈良県御所市五百家484   高野山真言宗  
船宿寺(せんしゅくじ)は、奈良県御所市五百家にある高野山真言宗の寺院である。山号は醫王山。ツツジの名所として知られている。

善照寺 (奈良県安堵町) 奈良県生駒郡安堵町東安堵342   浄土真宗本願寺派  
善照寺(ぜんしょうじ)は、奈良県生駒郡安堵町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は龍華山。本尊は阿弥陀如来。

専立寺 (大和高田市) 奈良県大和高田市内本町10-19   浄土真宗本願寺派  
専立寺(せんりゅうじ)は、奈良県大和高田市内本町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は如意山、本尊は阿弥陀如来立像。大和五ヶ所御坊の1つで高田御坊とも言われる。

大師山寺 奈良県吉野郡吉野町上市2103   醍醐派  
大師山寺(だいしさんじ)は、奈良県吉野郡吉野町上市にある寺院。正式名称は大師山妙法寺。 開創は奈良時代。聖武天皇勅願寺の法楽寺の塔中の一院にして開基は行基菩薩。観世音菩薩の一宇を設けた。桜町天皇が御宇再興し、延享2年(1745年)に新四国八十八ヶ所霊場(写し霊場)を開眼供養し、金毘羅大権現、奉祀四国八十八ヶ所霊場、弘法大師、不動明王等を勧請した霊刹である。 平安時代修験道の中興の祖聖寳理源大師の縁の地として、柳の渡し、桜の渡しの中間にあり昔より吉野川の禊の更褌(かえふんどし)『力褌』の授与のお大師山として行者や山伏また伊勢、熊野詣での参拝者に親しまれてきた。 ここ吉野より南に1日、西に2日歩き高野山の聖地を見つけた弘法大師空海も歩いた、お山を越えると芋峠を抜け、明日香に続く街道がある。 東西には伊勢街道があり南北に熊野街道と分岐点になり栄えた。 近世には辯天宗第一世管長(大森智祥 - おおもりちしょう)の御寺(大師堂)としても名高く、住職のほとんどが、ここで遷化する事無く、他の寺で活躍し出世の寺とも言われ、良縁に恵まれる人も多い。 南向きのお山で眺望も良く、紅葉の名所として秋には人が多い。お山に四国八十八ヶ所の御社を配置し一ヶ寺ごと地元の人々が責任を持ち守られている、1時間ほどでまわる事が出来る。 奈良県中南部の大師信仰の聖地。 身代わり大師堂(首無し大師)は頭の上からのお願い事が良くきくと頭の病気治癒、合格祈願、就職祈願に訪れる人が多い。 大和上市のお大師さんとして全国各地よりお参りがある。 吉野町まちじゅう図書館の一つに指定される。

大親寺 奈良県天理市滝本町693番地   報親教  
大親寺(だいしんじ)は奈良県天理市滝本町にある仏教寺院である。山号は大和桃尾山。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。 明治の廃仏毀釈令まで、真言宗の桃尾山蓮華王院龍福寺(ももおさんれんげおういんりゅうふくじ)であった。

大澤寺   高野山真言宗  
大澤寺(だいたくじ)は奈良県五條市大沢町581にある寺である。

當麻寺 奈良県葛城市當麻1263   真言宗、浄土宗  
當麻寺(たいまでら、常用漢字体:当麻寺)は、奈良県葛城市當麻にある真言宗・浄土宗二宗の寺院。法号は禅林寺。山号は二上山。本尊は当麻曼荼羅。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)である。宗派は真言宗と浄土宗の並立となっている。開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。 西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。毎年4月14日(2019年より、明治期 - 2018年までは5月14日)に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。 本項では寺号と行政地名については現地における表記を尊重して「當麻」とし、人名、作品名等については「当麻」の表記を用いる。

橘寺 奈良県高市郡明日香村大字橘   天台宗  
橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺院。山号は仏頭山。本尊は聖徳太子。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、橘寺という名は垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。観音堂は新西国三十三箇所第10番札所で本尊は如意輪観音である。

多聞院 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町信貴畑1474   信貴山真言宗  
多聞院(たもんいん)は、奈良県平群町信貴畑にある、信貴山真言宗の寺院。山号は、米尾山(よねおさん)。本尊は、毘沙門天像(「汗かき毘沙門天王」)。信貴山朝護孫子寺の奥之院である。

達磨寺 (奈良県王寺町) 奈良県北葛城郡王寺町本町2-1   臨済宗南禅寺派  
達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は片岡山。本尊は千手観音、達磨大師像、聖徳太子像。

竹林院 (奈良県吉野町) 奈良県吉野郡吉野町吉野山2142   単立  
竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。本尊は不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師。大峯山寺の護持院の1つである。宿坊竹林院群芳園で知られる。

竹林寺 (生駒市) 奈良県生駒市有里町211-1   律宗  
竹林寺(ちくりんじ)は、奈良県生駒市有里町にある律宗の寺院。奈良時代の僧・行基の墓があることで知られる。山号は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。

中宮寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目1-2   聖徳宗  
中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北にある聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は如意輪観音。法隆寺に隣接し、聖徳太子が母后のために創建した尼寺である。開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされる。現存で日本最古の刺繍「天寿国繡帳」(天寿国曼荼羅、国宝)を所蔵する。

長岳寺 奈良県天理市柳本町508   高野山真言宗  
長岳寺(ちょうがくじ)は、奈良県天理市にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)。本尊は阿弥陀如来。開山は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。

長弓寺 奈良県生駒市上町4443   真言律宗  
長弓寺(ちょうきゅうじ)は、奈良県生駒市にある真言律宗の寺院。山号は真弓山。本尊は十一面観音。開山は行基と伝える。国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作として知られる。

朝護孫子寺 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1   信貴山真言宗 ← 高野山真言宗(高野山普門院末) ← 法相宗(一乗院門跡末)  
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山の寺院。山号は信貴山。本尊は毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる。

長福寺 (生駒市) 奈良県生駒市俵口町841   真言律宗  
長福寺(ちょうふくじ)は、奈良県生駒市俵口町にある真言律宗の寺院。山号は金龍山。開基は行基、本尊は阿弥陀如来坐像。

長楽寺 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町吉新2-1-8   真言宗豊山派  
長楽寺(ちょうらくじ)は、奈良県平群町吉新にある、真言宗豊山派の寺院。山号は、勝出(かちで)山。本尊は、聖観音立像。

転法輪寺 (五條市) 奈良県五條市犬飼町124   高野山真言宗  
転法輪寺(てんぽうりんじ)は、奈良県五條市犬飼町にある高野山真言宗の寺院。

転法輪寺 (御所市) 奈良県御所市高天   真言宗醍醐派  
転法輪寺(てんぽうりんじ)は奈良県御所市高天にある真言宗醍醐派の大本山の寺院。葛城修験道の根本道場でもある。寺紋は三つ紅葉。

東南院 (奈良県吉野町) 奈良県吉野郡吉野町吉野山2416   金峯山修験本宗  
東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗の別格本山の寺院。山号は大峯山。本尊は役行者像。大峰山の持護院である。開基は役行者で役行者霊蹟札所でもある。

東明寺 (大和郡山市) 奈良県大和郡山市矢田町2230   高野山真言宗  
東明寺(とうみょうじ)は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院である。山号は鍋蔵山。

如意寺 (五條市)    
如意寺(にょいじ)は、奈良県五條市にある寺院。宗教法人辯天宗の総本山である。山号は宇賀山、院号は妙音院。1954年に宗祖の伴侶が住職を務める十輪寺の隣接地に建立された。

如意輪寺 奈良県吉野郡吉野町吉野山1024   浄土宗  
如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺院。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある。

長谷寺 奈良県桜井市初瀬731-1   真言宗豊山派  
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は豊山(ぶさん)。院号は神楽院(かぐらいん)。本尊は十一面観音(十一面観世音菩薩)。開山は道明とされる。西国三十三所第8番札所。寺紋は輪違い紋。 本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか ご詠歌:いくたびも参る心ははつせ寺 山もちかいも深き谷川

長谷本寺 奈良県大和高田市南本町7-17   豊山派  
長谷本寺(はせほんじ)は、奈良県大和高田市にある真言宗の豊山派、市内最古の寺院。山号を妙音山と称する。本尊は長谷寺型十一面観音菩薩(奈良県指定文化財)。

平等寺 (桜井市) 奈良県桜井市三輪38   曹洞宗  
平等寺(びょうどうじ)は、奈良県桜井市三輪にある曹洞宗の寺院。山号は三輪山。本尊は十一面観音。かつては大御輪寺、浄願寺と共に三輪明神(現・大神神社)の神宮寺であった。三輪別所ともいう。

富貴寺 (奈良県川西町) 奈良県磯城郡川西町保田33   真言宗豊山派  
富貴寺(ふきじ)は奈良県磯城郡川西町にある真言宗豊山派の寺院である。平安初期に法隆寺夢殿を再興し、法隆寺の学問振興に力を注いだ道詮(どうせん)が晩年に開いたとされる。今は壺阪寺の末寺となっているが、無住の寺となっている。

仏隆寺 奈良県宇陀市榛原赤埴1684   真言宗室生寺派  
仏隆寺(ぶつりゅうじ)は、奈良県宇陀市榛原赤埴(はいばらあかばね)にある真言宗室生寺派の寺院である。山号は摩尼山。本尊は十一面観音。

不動院 (奈良県山添村) 奈良県山辺郡山添村春日362   高野山真言宗  
不動院(ふどういん)は、奈良県山辺郡山添村春日にある高野山真言宗寺院。正式名称は中央山龍巌寺不動院。 「やまぞえ不動院」ともいう。 隠れ寺霊場縁日巡礼の霊場札所。

普門院 (奈良県平群町) 奈良県生駒郡平群町福貴1504   聖徳宗  
普門院(ふもんいん)は、平安時代の僧侶である道詮が法隆寺の再興に尽力した後、現在の奈良県生駒郡平群町福貴に、三論宗(昭和25年以降は聖徳宗)の隠居寺として建立した(聖徳太子の建立説もある)慈尊山福貴寺の塔頭の一つ(盛時には七町四方の寺域があり、普門院の他、中ノ坊・西ノ坊・本坊・三明院など六十坊を数えた)。重要文化財である木造聖観音立像は、現在、法隆寺に保管されている。 現在は、朽ちて門と石碑(「六十坊ありしを虫の坊一つ」の句碑)が残る以外は、跡地から徒歩2分(細い山道)の場所に弥勒堂が残る他、神宮寺(神仏分離令以後は鎮守社)の白山神社(祭神:伊弉諾命 伊弉冉命、境内摂社:若宮社、境内末社:淡嶋社)がある。 弥勒堂は、白山神社の境内にあり、その裏を10数メートル登ると、近世の道詮律師の供養墓(貞観十八年十月二日寂)がある。 なお、同地区(白山神社から徒歩7分)にある地蔵寺(大和北部八十八ヶ所霊場第44番札所、本尊:阿弥陀如来座像)も、もと福貴寺の一塔頭であったが、元禄九年頃に融通念仏宗になった。

平隆寺 (奈良県三郷町) 奈良県生駒郡三郷町勢野東   融通念仏宗  
平隆寺(へいりゅうじ)は、奈良県生駒郡三郷町勢野東にある寺院。別名として「平群寺」(へぐりでら)、「施鹿薗寺」(せろくおんじ)がある。 飛鳥時代に創建された同名の寺院遺跡である平隆寺跡についても本記事内で説明する。

鳳閣寺 奈良県吉野郡黒滝村大字鳥住90   真言宗鳳閣寺派  
鳳閣寺(ほうかくじ)は、奈良県吉野郡黒滝村にある寺院で、真言宗鳳閣寺派の本山である。山号は百螺山。本尊は如意輪観音。

法起院 奈良県桜井市初瀬776   真言宗豊山派  
法起院(ほうきいん)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派の寺院。総本山長谷寺の塔頭。本尊は徳道上人像。西国三十三所番外札所。 御詠歌:極楽は よそにはあらじ わがこころ おなじ蓮(はちす)の へだてやはある

法起寺 奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873   聖徳宗  
法起寺(ほっきじ、ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。山号は岡本山。本尊は十一面観音。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。

宝山寺 奈良県生駒市門前町1-1   真言律宗  
寳山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗の大本山の寺院。山号は生駒山。本尊は不動明王。鎮守神として大聖歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っていることから生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。聖天信仰で有名な寺院である。

宝寿院 (奈良県川上村) 奈良県吉野郡川上村迫409   高野山真言宗  
宝寿院(ほうじゅいん)は、奈良県吉野郡川上村にある高野山真言宗の寺院。正確には「寳壽院」が正式の名称。

宝幢寺 (生駒市) 奈良県生駒市小平尾町271    
宝幢寺(ほうどうじ)は、奈良県生駒市にある融通念仏宗の寺院。山号は龍護山。本尊は地蔵菩薩。

法然寺 (橿原市) 奈良県橿原市南浦町908    
少林院法然寺(ほうねんじ)は、奈良県橿原市の香久山(大和三山)の麓にある浄土宗の寺院。法然上人二十五霊場の第十番。御詠歌は「極楽へつとめて早く出でたたば身の終わりには参りつきなん」。

法隆寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1   聖徳宗  
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

法輪寺 (奈良県斑鳩町) 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570   聖徳宗  
法輪寺(ほうりんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町三井にある聖徳宗の寺院。山号は妙見山。本尊は薬師如来。三井寺(みいでら)とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも表記する。 法隆寺東院の北方に位置する。現存する三重塔は1975年(昭和50年)の再建であるため、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていない。法輪寺は寺史に関わる史料が乏しいため、創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、7世紀中頃には存在していたことは間違いない。本尊薬師如来像と虚空蔵菩薩像も飛鳥時代末期にさかのぼる古像である。三井寺という別名は、当寺のある三井の地名に由来し、付近に聖徳太子ゆかりといわれている3つの井戸があった所から来ている(3つの井戸のうちの1つが現存し、国の史跡に指定されている)。

本善寺 (奈良県吉野町) 奈良県吉野郡吉野町   浄土真宗本願寺派  
本善寺(ほんぜんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土真宗本願寺派の寺院。別称飯貝御坊、山号は六雄山(むつおざん)。

松尾寺 (大和郡山市) 奈良県大和郡山市山田町683   真言宗醍醐派  
松尾寺(まつおでら)は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院。山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。本尊は千手千眼観世音菩薩。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。「日本最古の厄除け寺」と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。

万法寺 (宇陀市) 奈良県宇陀市大宇陀小出口2284   浄土真宗本願寺派  
万法寺 (まんぽうじ)は、奈良県宇陀市大宇陀小出口2284にある真宗本願寺派の寺院。山号は竹林山。本尊は阿弥陀如来。

南法華寺 奈良県高市郡高取町壺阪3   単立  
南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。 本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか    ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん

妙覚寺 (宇陀市) 奈良県宇陀市菟田野岩崎607   真宗大谷派  
妙覚寺(みょうかくじ)は、奈良県宇陀市にある真宗大谷派の寺院。山号は究竟山。本尊は阿弥陀如来。

無量寺 (香芝市) 奈良県香芝市下田東4丁目4-10   浄土真宗本願寺派  
無量寺 (むりょうじ)は、奈良県香芝市下田東にある浄土真宗本願寺派の寺院。正徳山無量寺。

室生寺 奈良県宇陀市室生78   真言宗室生寺派  
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山の寺院。山号は宀一山(べんいちさん)または檉生山(むろうさん)。本尊は如意輪観音。「女人高野」の別称がある。

矢田寺 奈良県大和郡山市矢田町3506   高野山真言宗  
矢田寺(やたでら)は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。本尊は地蔵菩薩。正式名称を金剛山寺(こんごうせんじ)という。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。 なお、京都市中京区寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。

影現寺 (葛城市) 奈良県葛城市柿本161    
影現寺(ようげんじ)は奈良県葛城市にある高野山真言宗の寺院。山号は柿本山(しほんざん)。本尊は木造十一面観音菩薩立像。 隠れ寺霊場縁日巡礼の霊場札所。

龍泉寺 (奈良県天川村) 奈良県吉野郡天川村洞川494   真言宗醍醐派  
龍泉寺(りゅうせんじ)は奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院で、旧当山派の大本山である。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に山上ヶ岳にある大峯山寺の護持院の1つ。本尊は弥勒菩薩。近畿三十六不動尊霊場第31番札所。

石上寺 (天理市)    
石上寺(いそのかみでら)は、現在の奈良県天理市付近にあった仏教寺院。場所について諸説ある。 天理市北部の字石上にあった在原業平の居所に建立された在原寺(不退寺)とする説がある。 石上神宮がある布留にあった遍昭僧正(816年―890年)建立の寺院石上布留村の良因寺(現在は廃寺で跡に厳島神社が建つ。)とする説がある。 「続日本後紀」の承和元年(834年)の項、「護命卒伝」ですでに石上寺の名が見え矛盾がある。

内山永久寺    
内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、大和国でも有数の大寺院であったが、廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、かつての浄土式庭園の跡である池が残る。

大窪寺跡    
大窪寺跡(おおくぼでらあと/おおくぼてらあと)は、奈良県橿原市大久保町にある古代から中世の寺院跡。史跡指定はされていない。 跡地付近に所在する浄土宗の国源寺観音堂(こくげんじ かんのんどう、位置)が法燈を継承するとされ、同寺の境内に伝世される塔心礎は大窪寺のものと推定される。

粟原寺跡    
粟原寺跡(おおばらでらあと/おうばらでらあと/おばらでらあと)は、奈良県桜井市粟原にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。

葛木寺    
葛木寺または、葛木尼寺(かつらぎじ、かつらぎにじ)は、聖徳太子が存命中に建立したとされている七つの大寺の一つ。

川原寺 奈良県高市郡明日香村川原1109   真言宗豊山派  
川原寺(かわらでら)は、飛鳥(現・奈良県高市郡明日香村川原)にあった仏教寺院。跡地は国の史跡に指定されている。 飛鳥寺(法興寺)・薬師寺・大官大寺(大安寺)と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院であったが、中世以降衰微し廃寺となった。現在は跡地にある真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)が法燈を継承する。

吉備池廃寺跡    
吉備池廃寺跡(きびいけはいじあと)は、奈良県桜井市吉備にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。 第34代舒明天皇によって建立された百済大寺(くだらのおおでら:大安寺前身寺院)に比定する説が確実視される。

巨勢寺塔跡    
巨勢寺塔跡(こせでらとうあと)は奈良県御所市古瀬にある仏教遺跡。国の史跡。

駒帰廃寺跡    
駒帰廃寺跡(こまがえりはいじあと)は、奈良県宇陀市菟田野駒帰にある古代寺院跡。元々の寺名は「安楽寺」と推定される。奈良県指定史跡に指定されている。

定林寺跡    
定林寺跡(じょうりんじあと)は、奈良県高市郡明日香村立部にある寺院跡。現在無住の小堂が建つ。別名に立部寺、常林寺など。寺伝などによると聖徳太子建立四十六ヶ寺(または七ヶ寺)の一つとされるが、その詳細は判明していない。小堂の西側の春日神社境内に塔跡をはじめ基壇、礎石等の遺構が残る。

世尊寺跡    
世尊寺跡(せそんじあと)は、かつて奈良県吉野町吉野山子守に存在した寺院の跡。寺院は吉野水分神社の北に位置し、現在の花矢倉展望台付近にあったとされる。 世尊寺は吉野山金峯山寺の塔頭で、釈迦如来を本尊とし、山号を鷲尾山と号した。寺跡には僅かに梵鐘(重要文化財)と人丸塚と呼ばれる石造物が残る。和州芳野山勝景図によれば、境内には「子守塔」と呼ばれる宝塔があったようである。明治の神仏分離により荒廃して廃寺となったが、本尊の釈迦如来立像は、金峯山寺の蔵王堂に安置され、本尊の脇侍であった阿難、迦葉尊者像は同寺の観音堂に安置されている。また、世尊寺旧蔵の天照大神像、戎神像は大阪今宮戎神社、童形神坐像(伝・聖徳太子像)は吉野山内の竹林院に保管されている。以上の仏像・神像はいずれも鎌倉時代の作である。

尼寺廃寺跡    
尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)は、奈良県香芝市尼寺にある古代寺院跡。北廃寺・南廃寺の2伽藍から構成されており、北廃寺跡は国の史跡に指定され、北廃寺塔跡心礎出土品は奈良県指定有形文化財に指定されている。

檜隈寺    
檜隈寺(ひのくまでら)は、奈良県高市郡明日香村にあった渡来系氏族、東漢氏の氏寺とされる古代寺院。7世紀後半の創建で、中世には道興寺(どうこうじ)とも称した。

本薬師寺 奈良県橿原市城殿町279    
本薬師寺(もとやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになった。本薬師寺は元薬師寺とも記されるほか、平城京に造営された薬師寺(平城京薬師寺)に対して、「藤原京薬師寺」などとも呼ばれる。これまでの発掘調査により、およそ11世紀初頭まで存続していたことが認められている。 現在は、橿原市城殿町(きどのちょう)の医王院(白鳳山醫王院)の境内に、伽藍の遺構のうち金堂の礎石の一部が残る。また、東塔や西塔の土壇および心礎などの礎石が周囲の水田に残存しており、本薬師寺跡として特別史跡に指定されている。

山田寺 奈良県桜井市山田1258   法相宗  
山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にある法相宗の寺院。山号は大化山。本尊は十一面観音。一般的には、かつてここにあった古代寺院を指す。蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。法号を浄土寺または華厳寺と称する。中世以降は衰微して明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。その後、1892年(明治25年)に小寺院として再興されている。 1921年(大正10年)3月3日史跡に指定され、1952年(昭和27年)3月29日「山田寺跡」として国の特別史跡に指定されている。1982年(昭和57年)12月4日に追加指定されている。

龍門寺跡    
龍門寺跡(りゅうもんじあと)とは、奈良県吉野郡吉野町に存在した龍門寺の寺院跡。

大和北部八十八ヶ所霊場    
大和北部八十八ヶ所霊場(やまとほくぶはちじゅうはちかしょれいじょう)は、奈良県にある八十八箇所の霊場。江戸時代中期(明和年間・1764年~1772年)に開かれた巡礼地で、一部の寺院は廃寺や無住寺となっている。

安倍文殊院   華厳宗  
安倍文殊院(あべもんじゅいん)は、奈良県桜井市阿部にある華厳宗の寺院。山号は安倍山。本尊は文殊菩薩。開基は安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)とされる。切戸文殊(京都府)・亀岡文殊(山形県)とともに日本三文殊に数えられる。宗教法人名は文殊院。

圓照寺   臨済宗妙心寺派  
圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。文智女王が創立。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。 三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている。非公開寺院のため拝観は不可となっているが、2010年11月15日から19日までの間に平城遷都1300年記念事業の一環として特別拝観が実施され、抽選で選ばれた1000人を対象に本堂と奥御殿庭園、本尊の木造如意輪観音像が公開された。

圓證寺   真言律宗  
圓證寺(えんしょうじ)は、奈良県生駒市にある真言律宗の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。戦国大名筒井氏ゆかりの寺院である。

円福寺 (生駒市)   真言律宗  
円福寺(えんぷくじ)は、奈良県生駒市にある真言律宗の寺院。生駒谷を見下ろす山腹に位置する。山号は龍華山(りゅうげさん)。

円満寺 (奈良市)    
圓満寺(えんまんじ)は、奈良県奈良市山町にある寺院である。本尊は青面金剛。大和北部八十八ヶ所霊場第69番札所。寺務所は下山町公民館としても利用されている。

大野寺   真言宗室生寺派(もと法相宗興福寺別院宀一山室生寺末)  
大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。開基は役小角と伝える。役行者霊蹟札所。 室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。

帯解寺   華厳宗  
帯解寺(おびとけでら)は、奈良県奈良市にある華厳宗の寺院。山号は子安山。本尊は地蔵菩薩。安産祈願の寺として知られる。

おふさ観音   高野山真言宗  
おふさ観音(おふさかんのん)は、奈良県橿原市小房町にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は十無量山。本尊は十一面観世音菩薩。正式名称は十無量山観音寺。イングリッシュローズが境内に所狭しとあふれる「花まんだらの寺」として知られる。大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する。

海龍王寺   真言律宗  
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称がある。

額安寺   真言律宗  
額安寺(かくあんじ)は、奈良県大和郡山市額田部寺町(ぬかたべてらまち)にある真言律宗の寺院。山号は熊凝山(くまごりさん)。本尊は十一面観音。寺名は「がくあんじ」ではなく「かくあんじ」と呼ばれている。

元興寺   華厳宗  
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。

喜光寺   法相宗  
喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗の別格本山の寺院。山号は清涼山。本尊は阿弥陀如来。この一帯は菅原といい、菅原氏の治領であったことから「菅原寺」とも呼ばれる。奈良時代の僧・行基が没した地とされている。蓮のお寺とも呼ばれている。

金勝寺 (奈良県平群町)   真言宗室生寺派  
金勝寺(きんしょうじ)は、奈良県平群町椣原にある真言宗室生寺派の寺院。山号は、椣原(しではら若しくは、ひではら)山。本尊は藤原時代の作である薬師如来座像。

百済寺 (奈良県広陵町)    
百済寺(くだらじ)は、奈良県北葛城郡広陵町にある高野山真言宗の寺院である。山号はなし。本尊は十一面観音。

久米寺   真言宗御室派  
久米寺(くめでら)は、奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺院。山号は霊禅山。本尊は薬師如来。開基(創立者)は聖徳太子の弟の来目皇子(くめのみこ)ともいうが未詳。『扶桑略記』や『今昔物語集』においては娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという久米仙人により創建されたと伝えられる。また、空海ゆかりの寺であり、「真言宗発祥の地」とされる。

弘仁寺   高野山真言宗  
弘仁寺(こうにんじ)は、奈良県奈良市虚空蔵町にある高野山真言宗の寺院。山号は虚空蔵山。本尊は虚空蔵菩薩。奈良市の南部、天理市寄りの山の辺北道の中ほどの小高い山、虚空蔵山の山腹にある寺院である。毎年4月13日の十三詣りで有名。通称「高樋の虚空蔵さん」と呼ばれる。

高林寺 (奈良市)   融通念仏宗  
高林寺(こうりんじ)は、奈良県奈良市井上町にある、融通念仏宗の寺院(尼寺)である。檀家を持たないが、多くの信徒の信仰を集める。

西光院 (奈良市)    
西光院(さいこういん)は、奈良県奈良市高御門町21にある華厳宗の仏教寺院。山号は紫雲山。

西大寺 (奈良市)   真言律宗  
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山の寺院。山号は勝宝山。本尊は釈迦如来。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。

西方院 (奈良市)   律宗  
西方院(さいほういん)は、奈良県奈良市にある律宗の寺院。唐招提寺の塔頭の一つで、奥の院である。大和北部八十八ヶ所霊場第27番札所。

慈光院   大徳寺派  
慈光院(じこういん)は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。

地蔵寺 (奈良県平群町)   融通念仏宗  
地蔵寺(じぞうじ)は、奈良県平群町福貴にある融通念仏宗の寺院。山号は、延命山。本尊は、阿弥陀如来座像。

十輪院   真言宗醍醐派  
十輪院(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は雨宝山。本尊は石造の地蔵菩薩。江戸・明治期の町並みが残る奈良町の一角に位置する。

常光寺 (奈良市)   単立  
常光寺(じょうこうじ)は、奈良県奈良市にある真言律宗系単立の寺院。山号は篠尾山、本尊は不動明王。

正暦寺   菩提山真言宗  
正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良県奈良市菩提山町にある菩提山真言宗の大本山の寺院。山号は菩提山。本尊は薬師如来。菩提山龍華寿院と号し、奈良市と天理市の間の山あいに位置する。 「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。また、境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、菩提泉という銘柄の清酒が日本で初めて醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。山号の菩提山は奈良の東山一帯を釈迦修行の聖地に見立て、鹿野園(ろくやおん)・誓多林(せたりん)・大慈山(だいじせん)・忍辱山(にんにくせん)・菩提山と名付けた五大山の一つである、菩提山に由来する。

聖林寺   真言宗室生寺派  
聖林寺(しょうりんじ)は、奈良県桜井市にある真言宗室生寺派の寺院。山号は霊園山(りょうおんざん)。本尊は地蔵菩薩。開山は定慧(じょうえ)とされる。国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。

新薬師寺   華厳宗  
新薬師寺(しんやくしじ)は、奈良県奈良市高畑町にある華厳宗の寺院。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。本尊は薬師如来。開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている。

秦楽寺   真言律宗  
秦楽寺(じんらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町秦庄(はたのしょう)にある真言律宗の寺。号は高日山浄土院。

千光寺 (奈良県平群町)   真言宗醍醐派  
千光寺(せんこうじ)は、奈良県生駒郡平群町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は鳴川山。通称は元山上千光寺。ユースホステルの運営も行っている。

大安寺   高野山真言宗  
大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市大安寺二丁目にある高野山真言宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。開基は舒明天皇と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である。

多聞院 (奈良県平群町)   信貴山真言宗  
多聞院(たもんいん)は、奈良県平群町信貴畑にある、信貴山真言宗の寺院。山号は、米尾山(よねおさん)。本尊は、毘沙門天像(「汗かき毘沙門天王」)。信貴山朝護孫子寺の奥之院である。

誕生寺 (奈良市)   浄土宗  
誕生寺(たんじょうじ)は、奈良県奈良市三棟町にある浄土宗の寺院(尼寺)。誕生堂・三棟殿ともいう。

竹林寺 (生駒市)   律宗  
竹林寺(ちくりんじ)は、奈良県生駒市有里町にある律宗の寺院。奈良時代の僧・行基の墓があることで知られる。山号は生馬山。本尊は文殊菩薩騎獅像。

中宮寺   聖徳宗  
中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北にある聖徳宗の寺院。山号は法興山。本尊は如意輪観音。法隆寺に隣接し、聖徳太子が母后のために創建した尼寺である。開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされる。現存で日本最古の刺繍「天寿国繡帳」(天寿国曼荼羅、国宝)を所蔵する。

長岳寺   高野山真言宗  
長岳寺(ちょうがくじ)は、奈良県天理市にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)。本尊は阿弥陀如来。開山は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。

朝護孫子寺   信貴山真言宗 ← 高野山真言宗(高野山普門院末) ← 法相宗(一乗院門跡末)  
朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗の総本山の寺院。山号は信貴山。本尊は毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる。

長楽寺 (奈良県平群町)   真言宗豊山派  
長楽寺(ちょうらくじ)は、奈良県平群町吉新にある、真言宗豊山派の寺院。山号は、勝出(かちで)山。本尊は、聖観音立像。

伝香寺   律宗  
伝香寺(でんこうじ)は、奈良県奈良市にある律宗の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。花びらが一枚ずつ散ってゆく「散り椿」は、東大寺開山堂の「糊こぼし」・白毫寺の「五色椿」と並び「奈良三名椿」に数えられる。

唐招提寺   律宗  
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。開基(創立者)は唐出身の僧鑑真である。鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

東大寺   華厳宗  
東大寺(とうだいじ、英: Todaiji Temple)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立されたが、先発して造立された東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた(後述)。 江戸時代には、東大寺大仏 (像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていた。 東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

徳融寺 (奈良市)    
徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市鳴川町25にある融通念仏宗の寺院。山号は豊成山。

般若寺   真言律宗  
般若寺(はんにゃじ)は、奈良県奈良市般若寺町にある真言律宗の寺院。山号は法性山。本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。

白毫寺   真言律宗  
白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。山号は高円山。本尊は阿弥陀如来。開山は勤操と伝える。奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ。 なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。

平等寺 (桜井市)   曹洞宗  
平等寺(びょうどうじ)は、奈良県桜井市三輪にある曹洞宗の寺院。山号は三輪山。本尊は十一面観音。かつては大御輪寺、浄願寺と共に三輪明神(現・大神神社)の神宮寺であった。三輪別所ともいう。

不空院   真言律宗  
不空院(ふくういん)は、奈良県奈良市高畑町(字福井町)にある真言律宗の寺院。山号は春日山(しゅんにちさん)。本尊は不空羂索観音。かつては「かけこみ寺」であった歴史から縁切り寺として知られる。

福智院   真言律宗  
福智院(ふくちいん)は、奈良県奈良市のならまちにある福智院町に所在する真言律宗の寺院。

不退寺   真言律宗  
不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。山号は金龍山。本尊は聖観音(業平観音とも呼ばれる)。寺号は詳しくは不退転法輪寺と称する。

法起寺   聖徳宗  
法起寺(ほっきじ、ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。山号は岡本山。本尊は十一面観音。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。

宝山寺   真言律宗  
寳山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗の大本山の寺院。山号は生駒山。本尊は不動明王。鎮守神として大聖歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っていることから生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。聖天信仰で有名な寺院である。

宝幢寺 (生駒市)    
宝幢寺(ほうどうじ)は、奈良県生駒市にある融通念仏宗の寺院。山号は龍護山。本尊は地蔵菩薩。

法隆寺   聖徳宗  
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

法輪寺 (奈良県斑鳩町)   聖徳宗  
法輪寺(ほうりんじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町三井にある聖徳宗の寺院。山号は妙見山。本尊は薬師如来。三井寺(みいでら)とも呼ばれ、「法林寺」「法琳寺」とも表記する。 法隆寺東院の北方に位置する。現存する三重塔は1975年(昭和50年)の再建であるため、世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていない。法輪寺は寺史に関わる史料が乏しいため、創建事情の詳細は不明であるが、発掘調査の結果等から、7世紀中頃には存在していたことは間違いない。本尊薬師如来像と虚空蔵菩薩像も飛鳥時代末期にさかのぼる古像である。三井寺という別名は、当寺のある三井の地名に由来し、付近に聖徳太子ゆかりといわれている3つの井戸があった所から来ている(3つの井戸のうちの1つが現存し、国の史跡に指定されている)。

菩提院大御堂   法相宗  
菩提院(ぼだいいん)は、奈良県奈良市にある法相宗の寺院。大本山興福寺の子院。本尊は阿弥陀如来。通称は十三鐘(じゅうさんかね)という。興福寺から見て五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ。

法華寺   光明宗  
法華寺(ほっけじ)は、奈良県奈良市法華寺町にある光明宗の本山の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。開基は光明皇后である。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。元は真言律宗に属したが、1999年(平成11年)に同宗を離脱し、光明宗と称する。

松尾寺 (大和郡山市)   真言宗醍醐派  
松尾寺(まつおでら)は、奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院。山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。本尊は千手千眼観世音菩薩。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。「日本最古の厄除け寺」と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。

室生寺   真言宗室生寺派  
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山の寺院。山号は宀一山(べんいちさん)または檉生山(むろうさん)。本尊は如意輪観音。「女人高野」の別称がある。

薬師寺   法相宗  
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。

矢田寺   高野山真言宗  
矢田寺(やたでら)は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。本尊は地蔵菩薩。正式名称を金剛山寺(こんごうせんじ)という。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。 なお、京都市中京区寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。

龍象寺   高野山真言宗  
龍象寺(りゅうぞうじ)は、奈良県奈良市にある高野山真言宗の寺院。山号は宝寿山、本尊は地蔵菩薩。

霊山寺 (奈良市)   霊山寺真言宗 ← 高野山真言宗 ← 法相宗  
霊山寺(りょうせんじ)は、奈良県奈良市中町(もと添上郡中村、下狭川村中村、狭川村中村)にある霊山寺真言宗の大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)。本尊は薬師如来。開山(創立者)は行基と菩提僊那である。寺名の読みは「りょうせんじ」が正式であるが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」と呼ばれることもあり、地元ではいずれの呼称でも通じる。 奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。ばら庭園があり、世界のバラの花を集めていることで有名である。

大野寺   真言宗室生寺派(もと法相宗興福寺別院宀一山室生寺末)  
大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。開基は役小角と伝える。役行者霊蹟札所。 室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。

帯解寺   華厳宗  
帯解寺(おびとけでら)は、奈良県奈良市にある華厳宗の寺院。山号は子安山。本尊は地蔵菩薩。安産祈願の寺として知られる。

元興寺   華厳宗  
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。

聖林寺   真言宗室生寺派  
聖林寺(しょうりんじ)は、奈良県桜井市にある真言宗室生寺派の寺院。山号は霊園山(りょうおんざん)。本尊は地蔵菩薩。開山は定慧(じょうえ)とされる。国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。

伝香寺   律宗  
伝香寺(でんこうじ)は、奈良県奈良市にある律宗の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。花びらが一枚ずつ散ってゆく「散り椿」は、東大寺開山堂の「糊こぼし」・白毫寺の「五色椿」と並び「奈良三名椿」に数えられる。

室生寺   真言宗室生寺派  
室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山の寺院。山号は宀一山(べんいちさん)または檉生山(むろうさん)。本尊は如意輪観音。「女人高野」の別称がある。

矢田寺   高野山真言宗  
矢田寺(やたでら)は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。本尊は地蔵菩薩。正式名称を金剛山寺(こんごうせんじ)という。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている。 なお、京都市中京区寺町通三条にある金剛山矢田寺は、現在は宗派が異なるが、京都矢田寺の寺伝によると奈良時代初期に当寺の別院として開かれたとされている。

霊山寺 (奈良市)   霊山寺真言宗 ← 高野山真言宗 ← 法相宗  
霊山寺(りょうせんじ)は、奈良県奈良市中町(もと添上郡中村、下狭川村中村、狭川村中村)にある霊山寺真言宗の大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)。本尊は薬師如来。開山(創立者)は行基と菩提僊那である。寺名の読みは「りょうせんじ」が正式であるが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」と呼ばれることもあり、地元ではいずれの呼称でも通じる。 奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。ばら庭園があり、世界のバラの花を集めていることで有名である。

南都七大寺    
南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)およびその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの大寺を指す。

閼伽井庵   浄土宗鎮西派  
閼伽井庵(あかいあん)は、奈良市高畑町にある浄土宗鎮西派の寺院。閼伽井坊(あかんぼう)とも呼ばれる。寺の周辺はかつて閼伽井町と言い、1883年(明治16年)に高畠村に併合されたが、今も高畑町内の通称町名に残る。 元真言宗であったが、4代前の住職の際に浄土宗になったという。

秋篠寺   単立  
秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市秋篠町にある単立の寺院。山号はなし。本尊は薬師如来。伎芸天像と国宝の本堂で知られる。

円成寺 (奈良市)   真言宗御室派  
円成寺(えんじょうじ)は、奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)。本尊は阿弥陀如来。奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古寺で、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する。紅葉の名所としても知られる。

圓照寺   臨済宗妙心寺派  
圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。文智女王が創立。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。 三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている。非公開寺院のため拝観は不可となっているが、2010年11月15日から19日までの間に平城遷都1300年記念事業の一環として特別拝観が実施され、抽選で選ばれた1000人を対象に本堂と奥御殿庭園、本尊の木造如意輪観音像が公開された。

円満寺 (奈良市)    
圓満寺(えんまんじ)は、奈良県奈良市山町にある寺院である。本尊は青面金剛。大和北部八十八ヶ所霊場第69番札所。寺務所は下山町公民館としても利用されている。

帯解寺   華厳宗  
帯解寺(おびとけでら)は、奈良県奈良市にある華厳宗の寺院。山号は子安山。本尊は地蔵菩薩。安産祈願の寺として知られる。

海龍王寺   真言律宗  
海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称がある。

隔夜寺   華厳宗  
隔夜寺(かくやでら、かくやじ)は、奈良市高畑町にある華厳宗の寺院。興福寺末から1875年(明治8年)に東大寺末。

元興寺   華厳宗  
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。

喜光寺   法相宗  
喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗の別格本山の寺院。山号は清涼山。本尊は阿弥陀如来。この一帯は菅原といい、菅原氏の治領であったことから「菅原寺」とも呼ばれる。奈良時代の僧・行基が没した地とされている。蓮のお寺とも呼ばれている。

京終地蔵院    
京終地蔵院(きょうばてじぞういん)は、奈良県奈良市にある寺院。

興善寺 (奈良市十輪院畑町)   浄土宗  
興善寺(こうぜんじ)は、奈良市十輪院畑町にある、浄土宗の寺院。山号は法輪山。

弘仁寺   高野山真言宗  
弘仁寺(こうにんじ)は、奈良県奈良市虚空蔵町にある高野山真言宗の寺院。山号は虚空蔵山。本尊は虚空蔵菩薩。奈良市の南部、天理市寄りの山の辺北道の中ほどの小高い山、虚空蔵山の山腹にある寺院である。毎年4月13日の十三詣りで有名。通称「高樋の虚空蔵さん」と呼ばれる。

興福寺   法相宗  
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所となっている。また、境内にある一言観音堂は南都七観音巡拝所の一つである。

高林寺 (奈良市)   融通念仏宗  
高林寺(こうりんじ)は、奈良県奈良市井上町にある、融通念仏宗の寺院(尼寺)である。檀家を持たないが、多くの信徒の信仰を集める。

五劫院    
五劫院(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある華厳宗の寺院。東大寺末。山号は思惟山。拝観は予約制。

金躰寺   浄土宗  
金躰寺(こんたいじ)は、奈良県奈良市十輪院町にある浄土宗の寺院である。山号は道昭山、院号は南光院。本尊は阿弥陀如来立像。

興福院    
興福院(こんぶいん)は、奈良県奈良市法蓮町にある浄土宗の尼寺。山号を法蓮山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は和気清麻呂ともいい、藤原百川ともいう。

西光院 (奈良市)    
西光院(さいこういん)は、奈良県奈良市高御門町21にある華厳宗の仏教寺院。山号は紫雲山。

西勝寺 (奈良市)   浄土真宗本願寺派  
奈良市(ならし)は、奈良県の北部に位置する市。奈良県の県庁所在地及び最大の都市であり、中核市に指定されている。 奈良時代に都が置かれたことから古都と呼ばれる。また京都に対して南都とも呼ばれた。

西照寺   単立  
西照寺(さいしょうじ)は、奈良県奈良市今辻子町にある単立寺院。元は浄土宗の寺院であった。山号は紫雲山、院号は家康院。本尊は腹帯阿弥陀如来。

西大寺 (奈良市)   真言律宗  
西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山の寺院。山号は勝宝山。本尊は釈迦如来。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。

西福寺 (奈良市)    
西福寺(さいふくじ)は、奈良県奈良市奈良阪町にある浄土宗の仏教寺院。山号は迎接山。

西方院 (奈良市)   律宗  
西方院(さいほういん)は、奈良県奈良市にある律宗の寺院。唐招提寺の塔頭の一つで、奥の院である。大和北部八十八ヶ所霊場第27番札所。

慈眼寺 (奈良市)   西山浄土宗  
慈眼寺(じげんじ)は、奈良県奈良市北小路町にある西山浄土宗の仏教寺院。山号は大悲山(だいひざん)、本尊は聖観世音菩薩。聖武天皇の勅願によって観音堂が創建されたのがはじまりとされる。「やくよけ観音」の名で知られる。南都西国第二十一番札所。また境内には樹齢400年を越える奈良市指定の天然記念物の柿の木が繁茂する。

地福寺 (奈良市)    
地福寺(じふくじ)は、奈良県奈良市北椿尾町にある融通念仏宗の寺院。山号は医王山。本尊は十一面観音立像。 由緒は不詳。津藩の藩政史料である『宗国史』には、寛永12年(1635年)の寺院明細帳によると、北椿尾の融通念仏宗地福寺の檀徒が304人であったとの記録が残されている。

十念寺 (奈良市)    
十念寺(じゅうねんじ)は、奈良県奈良市にある浄土宗の仏教寺院。山号は忍性山、正式名称は忍性山愛染院金毘羅十念寺。花園天皇勅願所。本尊は阿弥陀如来である。

十輪院   真言宗醍醐派  
十輪院(じゅうりんいん)は、奈良県奈良市十輪院町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は雨宝山。本尊は石造の地蔵菩薩。江戸・明治期の町並みが残る奈良町の一角に位置する。

正覚寺 (奈良市南中町)   浄土真宗本願寺派  
正覚寺(しょうがくじ)は、奈良県奈良市南中町にある、浄土真宗本願寺派の寺院である。閣号 暁光閣、山号 暁光山 正覺寺である。

正覚寺 (奈良市西紀寺町)   浄土真宗遣迎院派  
正覚寺(しょうがくじ)は、奈良県奈良市西紀寺町にある、浄土真宗遣迎院派の寺院である。通称十王堂。周辺はかつて十王堂町と呼ばれた。

淨教寺 (奈良市)   浄土真宗本願寺派  
淨教寺(じょうきょうじ)は、奈良県奈良市上三條町にある浄土真宗本願寺派の寺院である。山号は九条山。本尊は阿弥陀如来立像。

常光寺 (奈良市)   単立  
常光寺(じょうこうじ)は、奈良県奈良市にある真言律宗系単立の寺院。山号は篠尾山、本尊は不動明王。

常徳寺 (奈良市)   日蓮宗  
常徳寺(じょうとくじ)は、奈良県奈良市北向町にある日蓮宗の寺院。山号は 法性山。本堂は貞享3年(1686年)建立で奈良県指定文化財。享保年間(1716年-1737年)に柳生藩家老小山田主鈴が奉納した朝日妙見大菩薩を祀る。旧本山は京都頂妙寺、親師法縁。

小塔院   真言律宗  
小塔院(しょうとういん)は、奈良県奈良市にある真言律宗の寺院。本尊は虚空蔵菩薩。元は元興寺の伽藍の一部であった。

称念寺 (奈良市)   浄土宗  
称念寺(しょうねんじ)は、奈良市にある浄土宗の寺院。

浄福寺 (奈良市)    
浄福寺(じょうふくじ)は、奈良県奈良市興善院町にある浄土宗の仏教寺院。山号は光明山、院号は興善院、坊号は賢故坊。

称名寺 (奈良市)   浄土宗西山派  
称名寺(しょうみょうじ)は奈良県奈良市菖蒲池町にある浄土宗西山派の寺院である。山号は日輪山。

正暦寺   菩提山真言宗  
正暦寺(しょうりゃくじ)は、奈良県奈良市菩提山町にある菩提山真言宗の大本山の寺院。山号は菩提山。本尊は薬師如来。菩提山龍華寿院と号し、奈良市と天理市の間の山あいに位置する。 「錦の里」と呼ばれ、紅葉の名所として知られる。また、境内を流れる菩提仙川の清流の清水を用いて、菩提泉という銘柄の清酒が日本で初めて醸造されたという伝承があり、「日本清酒発祥之地」の碑が建つ。山号の菩提山は奈良の東山一帯を釈迦修行の聖地に見立て、鹿野園(ろくやおん)・誓多林(せたりん)・大慈山(だいじせん)・忍辱山(にんにくせん)・菩提山と名付けた五大山の一つである、菩提山に由来する。

真福寺 (奈良市)   高野山真言宗  
真福寺(しんぷくじ)は、奈良県奈良市にある高野山真言宗の寺院。山号は尾勝山。本尊は地蔵菩薩。

新薬師寺   華厳宗  
新薬師寺(しんやくしじ)は、奈良県奈良市高畑町にある華厳宗の寺院。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。本尊は薬師如来。開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている。

大安寺   高野山真言宗  
大安寺(だいあんじ)は、奈良県奈良市大安寺二丁目にある高野山真言宗の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。開基は舒明天皇と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺であった。現在は癌封じの寺として有名である。

誕生寺 (奈良市)   浄土宗  
誕生寺(たんじょうじ)は、奈良県奈良市三棟町にある浄土宗の寺院(尼寺)。誕生堂・三棟殿ともいう。

知足院   華厳宗  
知足院(ちそくいん)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の寺院。東大寺の塔頭。

伝香寺   律宗  
伝香寺(でんこうじ)は、奈良県奈良市にある律宗の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。花びらが一枚ずつ散ってゆく「散り椿」は、東大寺開山堂の「糊こぼし」・白毫寺の「五色椿」と並び「奈良三名椿」に数えられる。

唐招提寺   律宗  
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。開基(創立者)は唐出身の僧鑑真である。鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

東大寺   華厳宗  
東大寺(とうだいじ、英: Todaiji Temple)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立されたが、先発して造立された東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた(後述)。 江戸時代には、東大寺大仏 (像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていた。 東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

徳融寺 (奈良市)    
徳融寺(とくゆうじ)は、奈良県奈良市鳴川町25にある融通念仏宗の寺院。山号は豊成山。

南明寺   真言宗御室派  
南明寺(なんみょうじ)は、奈良県奈良市阪原町にある真言宗御室派の寺院。山号は医王山。 奈良市の中心部から柳生の里へ通じる柳生街道沿いに位置する。

念仏寺 (奈良市)    
念佛寺(ねんぶつじ)は、奈良県奈良市漢国町7番地にある浄土宗の寺院である。山号は降魔山。院号は善光院。

般若寺   真言律宗  
般若寺(はんにゃじ)は、奈良県奈良市般若寺町にある真言律宗の寺院。山号は法性山。本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。

白毫寺   真言律宗  
白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。山号は高円山。本尊は阿弥陀如来。開山は勤操と伝える。奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ。 なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。

不空院   真言律宗  
不空院(ふくういん)は、奈良県奈良市高畑町(字福井町)にある真言律宗の寺院。山号は春日山(しゅんにちさん)。本尊は不空羂索観音。かつては「かけこみ寺」であった歴史から縁切り寺として知られる。

福智院   真言律宗  
福智院(ふくちいん)は、奈良県奈良市のならまちにある福智院町に所在する真言律宗の寺院。

不退寺   真言律宗  
不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある真言律宗の寺院。山号は金龍山。本尊は聖観音(業平観音とも呼ばれる)。寺号は詳しくは不退転法輪寺と称する。

宝珠寺 (奈良市)   浄土真宗本願寺派  
奈良市(ならし)は、奈良県の北部に位置する市。奈良県の県庁所在地及び最大の都市であり、中核市に指定されている。 奈良時代に都が置かれたことから古都と呼ばれる。また京都に対して南都とも呼ばれた。

法徳寺 (奈良市)   融通念仏宗  
法徳寺(ほうとくじ)は、奈良県奈良市十輪院町にある融通念仏宗の寺院である。山号は光明山、院号は倍巌院。本尊は阿弥陀如来立像。

芳徳寺   臨済宗大徳寺派  
芳徳寺(ほうとくじ)は、奈良県奈良市柳生下町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は神護山(じんごさん)で、本尊は釈迦如来。芳徳禅寺とも称される。

菩提院大御堂   法相宗  
菩提院(ぼだいいん)は、奈良県奈良市にある法相宗の寺院。大本山興福寺の子院。本尊は阿弥陀如来。通称は十三鐘(じゅうさんかね)という。興福寺から見て五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ。

法華寺   光明宗  
法華寺(ほっけじ)は、奈良県奈良市法華寺町にある光明宗の本山の寺院。山号はなし。本尊は十一面観音。開基は光明皇后である。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。元は真言律宗に属したが、1999年(平成11年)に同宗を離脱し、光明宗と称する。

薬師寺   法相宗  
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。

鎧地蔵堂    
鎧地蔵堂(よろいじぞうどう)は、奈良県奈良市紀寺町にある地蔵堂である。紀寺町中においても通称「笠屋町」と呼ばれる一帯の角にあり、道を隔てて南側は通称「地蔵町」と呼ばれる。本尊として鎧地蔵石像をまつる。

龍象寺   高野山真言宗  
龍象寺(りゅうぞうじ)は、奈良県奈良市にある高野山真言宗の寺院。山号は宝寿山、本尊は地蔵菩薩。

霊山寺 (奈良市)   霊山寺真言宗 ← 高野山真言宗 ← 法相宗  
霊山寺(りょうせんじ)は、奈良県奈良市中町(もと添上郡中村、下狭川村中村、狭川村中村)にある霊山寺真言宗の大本山の寺院。山号は登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)。本尊は薬師如来。開山(創立者)は行基と菩提僊那である。寺名の読みは「りょうせんじ」が正式であるが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」と呼ばれることもあり、地元ではいずれの呼称でも通じる。 奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。ばら庭園があり、世界のバラの花を集めていることで有名である。

璉珹寺   浄土真宗遣迎院派  
璉珹寺(れんじょうじ)は、奈良市西紀寺町にある浄土真宗遣迎院派の寺院。

蓮長寺 (奈良市)    
蓮長寺(れんちょうじ)は、奈良県奈良市油阪町にある日蓮宗の寺院。日蓮宗宗門史跡。山号は光映山。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)、莚師法縁(隆源会)。

一乗院    
一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つ。天禄元年 (970年) 、興福寺別当定昭によって建立される。

西隆寺    
西隆寺(さいりゅうじ)は、奈良県奈良市西大寺東町付近にあった古代寺院(尼寺)。跡地の史跡指定はされていない。

勝願院    
勝願院(しょうがんいん)は、奈良市高畑町付近にかつてあった寺院。現在は新薬師寺にある景清地蔵がかつて安置されていたため、景清地蔵堂とも呼ばれた。

大乗院 (門跡寺院)    
大乗院(だいじょういん)は奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つ。

東南院 (奈良市)    
東南院(とうなんいん)は、奈良県奈良市にあった東大寺の子院(院家)。東大寺大仏殿の東南方向(現在の東大寺本坊の地)にあった。尊勝院とともに東大寺の二大院家とされ、真言宗の拠点寺院であった。旧地は「東大寺東南院旧境内」として国の史跡に指定されている。

福寺    
福寺(ふくでら)は、奈良県奈良市南京終町にあった寺院。跡地には1970年(昭和45年)に埋め立てられるまで福寺池が存在した。文献上の初出は室町期以降であるが、江戸期の資料において、奈良時代創建と伝わり所在不明の幻の寺である服寺(ふくでら、はとりでら)と同一視されており、また近年奈良期に遡り得る瓦が福寺池跡で発見されたことによりその可能性も高まった。本項ではその同一視されている『服寺』についても述べる。

法隆寺   聖徳宗  
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

斑鳩神社    
斑鳩神社(いかるがじんじゃ)は奈良県生駒郡の神社。法隆寺の北東の天満山に位置し、菅原道真を祀る。法隆寺鎮守4社の1つで寺の鬼門の守護神とされ、現在も関係が深い。

斑鳩宮    
斑鳩宮(いかるがのみや)は、厩戸皇子(聖徳太子)が現在の奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿。 日本書紀によると厩戸皇子は、推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、推古天皇13年(605年)に移り住んだ。また、皇子の手により、斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)が建立された。 皇子の薨去後は、山背大兄王一族が住んでいたが、皇極天皇2年(643年)に蘇我入鹿の兵によって宮は焼き払われ、山背大兄王以下の上宮王家の人々は、法隆寺で自決に追い込まれたとされる。なお現在の法隆寺は蘇我氏滅亡後に再建されたとされ、明治期から法隆寺再建・非再建論争が行われた。今日でも法隆寺再建をめぐり論議がなされている。 発掘調査で判明したことは、まず宮は現在の東院伽藍の場所に建っていたこと、宮の範囲は二町四方であること、などである。しかし、宮全体構造はまだ分かっていない。また、厩戸皇子が建立したと伝えられる斑鳩寺は、西院伽藍の裏手の若草伽藍であり、金堂や塔が火災にあい焼失した痕跡が残っていた。伽藍中心部の広さは東西や139メートル、南北172.5メートルの四天王寺式伽藍配置であった。斑鳩宮と斑鳩寺(若草伽藍)は、方位がほぼ同じで同時期の造営であることがわかる。また、西院伽藍の東大門や西大門に沿う築地も同方向であるので、斑鳩宮造営と同時に築造され、道路や水路を広範囲に敷設したことと推測できる。さらに、飛鳥と斑鳩を結ぶ太子道も同方位である。太子道は、筋違い道とも呼ばれ、磯城郡田原本町保津と生駒郡斑鳩町高安を結ぶ道であった。1998年の発掘で田原本町保津の起点の東南から側溝20メートル(溝幅3メートル、深さ0.5メートル)の道が検出されている。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)は、正岡子規の俳句。生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている 。初出は『海南新聞』1895年11月8日号。 季語は柿(秋)。「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある。法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、というのが句意である。「くへば」は単に「食べていると」という事実を述べて下に続けているもので「鐘が鳴るなり」と因果関係があるわけではない。柿は大和名産の御所柿と思われる。

隠された十字架    
『隠された十字架』(かくされたじゅうじか)は、哲学者・梅原猛が著した評論。副題に「法隆寺論」とあるように、法隆寺に関して論じている。雑誌『すばる』(当時は季刊誌)に3回にわたって連載され、1972年(昭和47年)5月に新潮社から単行本が出版された。

法隆寺五重塔初層天井組木落書    
法隆寺五重塔初層天井組木落書(ほうりゅうじ ごじゅうのとう しょそうてんじょうくみき らくがき)とは、法隆寺五重塔の初層(1階)天井の組み木に残る墨で書かれた万葉仮名の落書である。通称は法隆寺五重塔落書。

佐伯定胤    
佐伯 定胤(さえき じょういん、慶応3年6月25日(1867年7月26日) - 昭和27年(1952年)11月23日)は、日本の法相宗・聖徳宗の僧侶、仏教学者。法相宗管長。のちに聖徳宗を興す。大僧正。学士院会員。

聖徳宗    
聖徳宗(しょうとくしゅう)は、日本の仏教宗派の一つであり、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺を総本山とする。小本山に法起寺・法輪寺、門跡寺院の中宮寺など末寺は、29ヵ寺。 昭和25年(1950年)に、法相宗からの独立を果たす(宗教法人として認可されたのは、昭和27年(1952年))。聖徳太子を宗祖とする。所依の経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏」である。

聖徳太子のお会式    
聖徳太子(しょうとくたいし)は、飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子で、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。 「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)など本名は厩戸と言われることも多いが、あくまでも第二次世界大戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見られない。 叔母の推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋や朝鮮半島から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自体が日本の仏教で尊崇の対象となった(太子信仰)。

鈴木空如    
鈴木 空如(すずき くうにょ、1873年 - 1946年)は、日本の仏画師、日本画家。世界文化遺産である法隆寺の金堂壁画を模写したことで世に知られる。

千円紙幣    
千円紙幣(せんえんしへい)は、日本銀行券(日本銀行兌換券を含む)の1つ。千円券(せんえんけん)、千円札(せんえんさつ)とも呼ばれる額面1,000円の紙幣。1994年(平成6年)4月以降、発行されている日本銀行券の中で最小額面である。 発行中の千円紙幣は、2004年(平成16年)から発行されている野口英世の肖像のE号券である。 この他にかつて発行された甲号券、B号券、C号券、D号券があり、これまでに発行された千円紙幣は全5種類存在する。このうち甲号券以外の4種類は現在法律上有効である。

高田良信    
高田 良信(たかだ りょうしん、1941年2月22日 - 2017年4月26日)は、聖徳宗の僧侶(法隆寺長老)・仏教学者・歴史学者、奈良県出身。 「法隆寺学」の確立をライフワークとしていた。

道賀    
道賀(どうが、生没年不詳)は、飛鳥時代の日本の僧侶。道昭の弟子。

東光院 (綾部市)   高野山真言宗  
法隆寺東光院(ほうりゅうじとうこういん)は京都府綾部市上延町にある高野山真言宗の寺院。山号は菅谷山。本尊は薬師瑠璃光如来。開祖は三河鳳来寺と同じ理趣仙人(利修仙人)である。

唐本御影    
唐本御影(とうほん みえい)は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画。聖徳太子及び二王子像(しょうとくたいし および におうじ ぞう)とも称される。百済の阿佐太子の前に現れた姿を描いたとの伝説により阿佐太子御影 (あさ たいし の みえい)とも呼ばれる。 法隆寺が所蔵していたが、1878年、「法隆寺献納宝物」の1つとして皇室に献納し、現在は御物。

曇徴    
曇徴(どんちょう、生没年不詳)は、610年3月に高句麗の嬰陽王が法定とともに日本の朝廷に貢上し、来日した僧である。

百円紙幣    
百円紙幣(ひゃくえんしへい)は、額面100円の日本銀行券(日本銀行兌換銀券、日本銀行兌換券を含む)。百円券、百円札とも呼ばれる。

法定 (僧侶)    
法定(ほうてい/ほうじょう、生没年不詳)は、飛鳥時代の610年3月に高句麗の嬰陽王が日本の朝廷に貢上し(貢上=「貢物を差し上げる」)、来朝した僧侶。

法隆寺地域の仏教建造物    
法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)。法隆寺および法起寺の建造物から構成される。姫路城とともに日本初の世界遺産として登録された。 この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれる。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である。

若草伽藍    
若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。

東大寺 奈良県奈良市雑司町406-1   華厳宗  
東大寺(とうだいじ、英: Todaiji Temple)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立されたが、先発して造立された東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた(後述)。 江戸時代には、東大寺大仏 (像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていた。 東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

東大寺の仏像    
本項東大寺の仏像(とうだいじのぶつぞう)では、奈良県奈良市にある聖武天皇ゆかりの寺院・東大寺に伝来する仏像について説明する。 8世紀に日本の首都であった奈良を代表する寺院である東大寺は、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。東大寺には、「奈良の大仏」として知られる、高さ約15メートルの盧舎那仏(るしゃなぶつ)像をはじめ、日本仏教美術史を代表する著名作品が多く所蔵されている。 本項では東大寺に所在する仏像彫刻について概観する。なお、東大寺の概要については「東大寺」の項を、大仏については「東大寺盧舎那仏像」の項を参照のこと。

東大寺の歴史    
この項目では東大寺の歴史(とうだいじのれきし)について解説する。東大寺は、奈良県奈良市にあり、現在では華厳宗の大本山の、奈良時代から続く歴史ある大寺院である。奈良の大仏(盧舎那仏、るしゃなぶつ)があることで有名である。

The Great Music Experience    
The Great Music Experience(ザ・グレート・ミュージック・エクスペリエンス)は、1994年に日本と世界のミュージシャンが出演した、奈良東大寺仏殿前庭で開催されたコンサート。日程は5月20日・21日・22日の3日間。国連UNESCOの呼びかけにより催され、世界最大の大仏を安置する世界最大の木造建築物をバックにステージが組まれた。 UNESCOはこのイベントを7年間に渡って各世界遺産を含めた場所で行うコンサートの第一弾として考えていたが、これ以降の予定は実現に至らなかった。予定では他にピラミッドや中国の紫禁城、タージ・マハルなどが含まれていた。メキシコのピラミッドでの開催はペソの暴落により取りやめとなった。 唯一開催された日本でのコンサートは『GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』と銘打たれた。

EARTH×HEART LIVE    
EARTH×HEART LIVE(アース・バイ・ハート・ライブ)は、毎年4月22日のアースデー前後に行われている、エフエム東京(TOKYO FM)と全国FM放送協議会(JFN)が主催するコンサート。本稿では、TOKYO FM主催のアースデー・コンサートの歴史も含めて記述する。

伊行末    
伊 行末(い ぎょうまつ、い の ゆきすえ、? - 文応元年7月11日(1260年8月19日))は、鎌倉時代の石工。南宋時代に明州付近で生まれ、鎌倉時代初頭に来日し南都焼討後の東大寺復興にあたった。我が国の石工集団「伊派」の創始者であり、彼の子孫は「伊」「猪」「井」を冠する苗字を名乗り(例えば伊野、猪野、井野)、日本各地にその足跡を残している。

上野道善    
上野道善(うえの どうぜん、1939年(昭和14年) - )は華厳宗の僧侶。2007年から2010年まで第219世東大寺別当・華厳宗管長を務めた。現在は東大寺長老で、学校法人東大寺学園理事長。

円照 (鎌倉時代)    
円照(えんしょう、承久3年(1221年) - 建治3年10月22日(1277年11月18日))は、鎌倉時代中期の律宗の僧。父は東大寺厳寛で、戒壇院中道聖守の弟。号は実相。 叡尊・円爾・良忠・覚盛・良遍などに師事して仏教教学を学び、三論・法相・天台・真言密教・禅など8宗を修学した。1251年(建長3年)東大寺戒壇院の院主に任じられ、1258年(正嘉2年)造東大寺大勧進に就任し、堂塔の復興に尽力し戒壇院の中興開山となった。1269年(文永6年)には後嵯峨上皇に戒師として戒を授けている。弟子には凝然・真照などがいる。

円智 (東大寺)    
円智(えんち、生没年不明)は、奈良時代の東大寺僧。

大井荘 (美濃国)    
大井荘(おおいのしょう)は、奈良時代~室町時代にかけて美濃国にあった荘園。東大寺領。

お水取り    
お水取り(おみずとり)は東大寺二月堂で行われる、修二会という法会の中の一行事。目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、2020年現在は3月1日から14日までおこなわれている。その間、心身を清めた僧(練行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願する。 「お水取り」はあくまで行中の一部であり、旧暦2月に行われていたため「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるが、正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)である。 二月堂本尊の十一面観音を祀る懺悔祈祷の厳行であり、752年(天平勝宝4年)、良弁(ろうべん)の高弟実忠(じっちゅう)によってはじめられたと伝えられている。お水取りの通称は、東大寺領であった若狭の荘園から水を運搬して来たことに由来する。 古代には、天災や反乱などの国家的な災いは「国家の病気」によるものと考えられ、その病気を取り除く十一面悔過は国家的な宗教行事であり、「不退の行法」として引き継がれている。 この行のハイライトは達陀(だったん)の行法であり、練行僧が松明を持って走る姿は奈良の風物詩となっている。 近畿地方では、「お水取りが終わると春が来る」という。

上司海雲    
上司 海雲(かみつかさ かいうん 1906年(明治39年)2月15日 - 1975年(昭和50年)1月25日)は昭和の華厳宗の僧侶。第206世東大寺別当(住職)。文化人サロンを形成し「観音院さん」の名で親しまれた。

北河原公敬    
北河原 公敬 (きたかわら こうけい/きみひろ、1943年(昭和18年)5月9日 - )は、日本の華厳宗の僧侶。華厳宗管長・第220世東大寺別当。2022年現在は東大寺長老、学校法人東大寺学園理事長、印度山日本寺(インド・ブッダガヤ)第6世竺主などを務める。

行基   法相宗  
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。当初、朝廷から度々弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。

凝然    
凝然(ぎょうねん、仁治元年3月6日(1240年3月30日) - 元亨元年9月5日(1321年9月26日))は、鎌倉時代後期の東大寺の学僧。インド・中国・日本にまたがる仏教史を研究してその編述をおこない、日本仏教の包括的理解を追究して多くの著作をのこした。

公慶    
公慶(こうけい、慶安元年11月15日(1648年12月29日) - 宝永2年7月12日(1705年8月30日))は、江戸時代前期の日本における、三論宗の僧の一人である。東大寺の大仏および大仏殿の再建に尽力した人物。丹後国宮津(現・京都府北部宮津市)の生まれである。

五月一日経    
五月一日経(ごがつついたちきょう)とは、藤原安宿媛(光明子、光明皇后)が父藤原不比等、母県犬養橘三千代の菩提供養のために発願した一切経のことである。光明皇后願経とも呼ばれる。名称は天平12年(740年)5月1日の願文の日付によるものである。現在に伝わっている経巻が多く、奈良時代の写経の代表作である。

狹川普文    
狹川 普文(さがわ ふもん、1951年 - )は、華厳宗の僧侶。東大寺別当(第222世・第223世)、華厳宗管長を務める。

ザ・グレイトブッダ・シンポジウム    
ザ・グレイトブッダ・シンポジウム(略称:GBS)は、毎年1度、奈良市の東大寺にて行われるシンポジウムである。 2002年(平成14年)の第1回は、東大寺の本尊である盧舎那仏像(奈良の大仏)の開眼1250年を記念して開催された。その後、定期開催に至った。シンポジウムでは、幾人もの研究者が集まり、東大寺やその周辺分野(華厳思想、歴史学、考古学、美術史学、建築史学など)に関わる研究発表をしたり、討論会を開いたりしている。このシンポジウムの模様は、1年後に発売される論集にまとめられる。

佐藤道子    
佐藤 道子(さとう みちこ、1930年(昭和5年) - 2022年1月17日 )は、東京国立文化財研究所元・芸能部長、文学博士、仏教芸能専攻、芸能研究者で東大寺二月堂修二会研究で著名である。東京文化財研究所名誉研究員。台湾台中州生まれ。

寺社連続油被害事件    
寺社連続油被害事件(じしゃれんぞくあぶらひがいじけん)は、2015年春から2017年にかけて近畿地方を中心とした全国地域で、相次いで寺社の国宝や重要文化財などに油などの液体が撒かれ汚損された事件。 各地の警察は文化財保護法違反、器物損壊、建造物損壊 などの疑いで捜査を行っており、2015年6月1日に米国在住の韓国のキリスト教系宗教団体の韓国系日本人教祖の容疑者に対し逮捕状が発付され、同年9月10日には日本の外務省から旅券返納命令が下され、10月14日付でパスポートが失効となったことが判明している。 また2016年にも奈良の三ヶ所の寺社で同様の事件が発生し、2017年には京都・奈良・沖縄・大阪・東京で発生しており、4月13日の東京・明治神宮の事件では油のような液体を散布した容疑で既に日本から出国していた朝鮮族の中国籍の女2人に逮捕状が発布された。

実忠    
実忠(じっちゅう、神亀3年(726年) - ?)は、奈良時代の僧。 良弁に師事して華厳を学んだ。実忠は東大寺の十一面悔過(けかえ、通称お水取り)の創始者とされ、二月堂を創建して752年(天平勝宝4年)2月1日から14日間開始したとされる。760年(天平宝字4年)目代となり、東大寺を始め奈良西大寺・西隆寺の造営に参画し、東大寺大仏光背の造作や大仏殿歩廊の修理と寺観整備、百万塔を収める小塔殿や頭塔の造営を行い、767年(神護景雲元年)には御所より光明皇后の一切経をもらい受け如意法堂を建てて納め、春秋2回の一切経悔過を開始し、それともに財政の整備に貢献した。その後、東大寺少鎮・三綱のうちの寺主及び上座・造寺所知事などを歴任し、東大寺の実務面で大いに活躍した。晩年には790年(延暦9年)から815年(弘仁6年)の間に2回、華厳経の大学頭に就任し華厳教学の充実に尽くした。809年(大同4年)に修二会参籠を終了した。 著書には、815年(弘仁6年)一生のうちに自らがたずさわった事業を列記した『東大寺権別当実忠二十九ヶ条』がある。

清水公照    
清水 公照(しみず こうしょう、本名:清水 睦治(しみず むつじ)、1911年1月3日 - 1999年5月6日)は、華厳宗の僧侶。兵庫県飾磨郡曽左村(現・姫路市)出身。 第207世、第208世東大寺別当、華厳宗管長となり、大仏殿昭和大修理を行った。独特の味わいのある書画、陶芸で知られる。1963年頃から「泥仏(どろぼとけ)」と称するユニークな小さな仏像を制作した。泥仏庵と号す。また、「今良寛」の異名がある。

東大寺写経所    
東大寺写経所(とうだいじしゃきょうじょ)は、奈良時代に、東大寺に設置された写経機構(写経所)で、造東大寺司が管轄した。金光明寺写経所から改称した。

修二会    
修二会(しゅにえ)は、毎年2月に日本の仏教寺院で行われる法会のひとつで、修二月会ともいう。なお、修正会(しゅしょうえ)は正月に行われる法会なので異なる。

俊恵    
俊恵(しゅんえ、永久元年(1113年) - 建久2年(1191年)頃?)は、平安時代末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。 十七歳のときに父と死別してから、約二十年もの間、作歌活動から遠ざかっていた。現在、俊恵作と伝えられている歌は千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師で、その歌論は『無名抄』などにもみえる。 風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を確立したといえる。 「詞花和歌集」以下の勅撰集に入集。「歌苑抄」「歌林抄」などの選集を編集し、家集には「林葉和歌集」がある。 なお、無名抄の俊成自讃歌事によると、自らの自讃歌は、 み吉野の 山かき曇り 雪ふれば ふもとの里は うちしぐれつつ(新古今和歌集 冬) で「もし世の末におぼつかなく云ふ人もあらば、かくこそいひしかと語り給へ」とある。

勝賢    
勝賢(しょうけん、保延4年2月18日(1138年3月30日)- 建久7年6月22日(1196年7月19日))は、平安時代後期の真言宗の僧。東大寺87世、醍醐寺18・20・22世座主。父は藤原通憲(信西)。初名は勝憲。通り名を侍従僧正、覚洞院権僧正。

浄実    
浄実(じょうじつ、大永2年(1522年) - 天正18年(1590年))は、戦国時代から安土桃山時代の東大寺の僧。同寺上生院住持。 房号は了識房。大法師法印、得業。天文年間より東大寺僧としての活動を始め、天正初年ころには東大寺衆徒を統括する年預五師として東大寺の代表的な僧侶として名が見られ、衰退期にあった東大寺の教学復興に尽力した。著書に織田信長の蘭奢待拝見について記した「天正二年戴香記」がある。

聖守    
聖守(しょうしゅ、建保3年(1215年) - 正応4年11月27日(1291年12月19日))は、鎌倉時代中期の東大寺の僧。父は東大寺厳寛で、戒壇院円照の兄。中道上人とも称される。 東大寺東南院の樹慶に三論を、醍醐寺報恩院憲深に真言密教を学んだ。東大寺に新禅院を創建して三論講学の道場とし、真言院・真言院灌頂堂・西南院を創建して真言密教の復興を図った。その後、新禅院は後深草上皇の、西南院は後嵯峨上皇の勅願所となり、真言院も鎮護国家の道場とされた。造東大寺大勧進に任じられている。

聖武天皇    
聖武天皇(しょうむてんのう、701年〈大宝元年〉 - 756年6月4日〈天平勝宝8年5月2日〉)は、日本の第45代天皇(在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉- 749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉)。 諱は首(おびと)であるが、これは伊勢大鹿首が養育したことに由来するとする説が存在する。尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇、勝宝感神聖武皇帝、沙弥勝満とも言う。文武天皇の第一皇子。母は藤原不比等の娘・宮子。

新藤晋海    
新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう あきひこ)、1927年 - 2001年3月17日)は華厳宗の僧侶。 第216世東大寺別当(住職)、華厳宗管長。大仏開眼千二百五十年慶讃大法要、奈良国立博物館特別展「東大寺のすべて」などに道筋をつけた。

千手院派    
千手院派(せんじゅいんは)は、平安時代の後期、あるいはさらに以前に興ったと考えられる大和国の日本刀刀工の一派で五箇伝のうち大和伝に属する。

全浅香    
全浅香(ぜんせんこう)は正倉院北倉に収蔵される香木。『国家珍宝帳』に記される帳内御物で、聖武天皇所縁の品とされる。雅称は紅塵(こうじん)で、宝物番号は北倉135。

東大寺造寺所    
東大寺造寺所(とうだいじぞうじしょ)とは、東大寺の造寺司であった造東大寺司の廃止後、造寺・造仏・造営の業務を引き継いだ機関。修理所とも呼ばれた。

宗性    
宗性(そうしょう、建仁2年(1202年)- 弘安元年6月8日(1278年6月29日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての東大寺の僧。父は藤原隆兼。

造東大寺司    
造東大寺司(ぞうとうだいじし)は、奈良時代(8世紀後半)に置かれた造寺司の一つ。東大寺の造営とその付属物の製作や写経事業を担当した令外官で、天平20年(748年)に設置され、延暦8年(789年)に停廃された。政所・木工所・造瓦所・鋳所・写経所・造物所・造仏所・甲賀・田上山作所・泉津木屋所など、多くの所からなる現業官司の巨大な集合体で、最盛期には「省」に匹敵する規模を誇った。管下の東大寺写経所が残した文書群である正倉院文書により、活動の一端が窺われる。

大仏開眼 (テレビドラマ)    
『大仏開眼』(だいぶつかいげん)は、NHK大阪放送局制作の「古代史ドラマスペシャル」第3弾として、NHK総合で2010年4月3日と4月10日の19時30分から20時59分に前後編で放送された日本のテレビドラマ。奈良時代の大仏建立を巡る人間模様を、遣唐使・吉備真備を中心に阿倍内親王と藤原仲麻呂の3人を軸に描く。池端俊策作、吉岡秀隆主演。平成22年度文化庁芸術祭参加作品。

大佛開眼    
『大佛開眼』(だいぶつかいげん)は、1952年(昭和27年)11月13日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は衣笠貞之助、主演は長谷川一夫。モノクロ、スタンダード、129分。昭和27年度文化庁芸術祭参加作品。

東大寺大仏殿の戦い    
東大寺大仏殿の戦い(とうだいじだいぶつでんのたたかい)は、永禄10年(1567年)4月18日から10月11日のおよそ半年間にわたり松永久秀、三好義継と三好三人衆、筒井順慶、池田勝正らが大和東大寺周辺で繰り広げた市街戦。松永久秀の居城であった多聞山城の周辺でも戦闘があったため「多聞山城の戦い」とも呼ばれている。

手向山八幡宮 奈良県奈良市雑司町434    
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、奈良県奈良市にある神社。旧社格は県社。手向山神社とも。奈良市街東部の手向山麓に位置。東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)がある。手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。

知足院 奈良県奈良市雑司町   華厳宗  
知足院(ちそくいん)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の寺院。東大寺の塔頭。

重源    
重源(ちょうげん、保安2年(1121年) - 建永元年6月5日(1206年7月12日))は、中世初期(平安時代末期から鎌倉時代)の日本の僧。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう、俊乗坊とも記す)。 東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした。

奝然    
奝然(ちょうねん、天慶元年1月24日(938年2月25日) - 長和5年3月16日(1016年4月25日))は、平安時代中期の東大寺の三論宗の僧。俗姓は藤原氏。藤原真連の子(雍熙元年,日本國僧奝然與其徒五六人浮海而至,獻銅器十餘事,并本國職員今、王年代紀各一卷。奝然衣綠,自云姓藤原氏,父為真連;真連,其國五品品官也)。京都の出身。法済大師とも号される。 東大寺の観理に三論教学を、近江国石山寺の元杲(げんごう)に真言密教を学んだ。早い時期から入宋を志し、永観元年(983年)、宋に渡った。天台山を巡礼した後、汴京(べんけい)を経て五台山を巡礼している。太宗から大師号や新印大蔵経などを賜って日本への帰途についた。途中でインドの優填王(うでんおう)が造立したと言う釈迦如来立像を模刻し、胎内にその由来記などを納めて、寛和2年(986年)に帰国した。翌寛和3年(987年)、請来した釈迦像は京都上品蓮台寺に安置された。同じ年法橋に任じられ、永祚元年(989年)から3年間東大寺別当をつとめた。 奝然が請来した釈迦如来立像は、奝然が宋にわたる前に伽藍の建立を誓った愛宕山麓の地に清凉寺が建立され、奝然の没後に完成してそこに安置された。 奝然が宋の太宗に献上した『王年代紀』が『宋史』日本伝に収録されている。また『新唐書』日本伝も、史料名は示されていないが『王年代紀』を参照したと考えられている。

陳和卿    
陳 和卿(ちん わけい / ちん なけい、生没年不詳)は、鎌倉時代の日本で活動した中国・南宋出身の工人。

東大寺学園中学校・高等学校 〒631-0803    
東大寺学園中学校・高等学校(とうだいじがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、奈良県奈良市山陵町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。学校法人東大寺学園が運営している。 高等学校においては、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間では第2学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校。東大寺が経営母体である。

東大寺学園幼稚園 〒630-8211    
東大寺学園幼稚園(とうだいじがくえんようちえん)は奈良県奈良市に所在する私立幼稚園。学校法人東大寺学園が運営し、東大寺大仏殿の西隣に位置する。

東大寺続要録    
東大寺続要録(とうだいじぞくようろく)は、鎌倉時代中期に編纂された東大寺の寺誌である。

東大寺諷誦文    
東大寺諷誦文(とうだいじふじゅもん)とは、東大寺由来とされる巻子本『華厳文義要決』1巻の紙背文書。原本は無題で「東大寺諷誦文」「東大寺諷誦文稿」「昔世殖善之文」などの仮題が付けられている。また、医学者佐藤達次郎の元にあった原本は第二次世界大戦で焼失し、複製のみが残されている。

東大寺別当次第    
東大寺別当次第(とうだいじべっとうしだい)とは、東大寺の歴代の別当に関して、その補任年月日・任期・師資関係・事績などが列記された記録。

東大寺法華堂要録    
東大寺(とうだいじ、英: Todaiji Temple)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。 正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・224世)は橋村公英。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 聖武天皇による東大寺大仏造立後に、国内では鎌倉大仏(現存)、雲居寺大仏(現存せず)、東福寺大仏(現存せず)、方広寺の京の大仏(現存せず)などの大仏も造立されたが、先発して造立された東大寺大仏・大仏殿の造形、建築意匠・構造は、それらの大仏・大仏殿に対し多かれ少なかれ影響を与えた。ただし江戸時代の東大寺大仏殿再建の際には、上記とは逆に、同時代に京都に存在していた方広寺大仏殿を手本として、東大寺大仏殿の設計がなされた(後述)。 江戸時代には、東大寺大仏 (像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏)(像高約19m) の三尊が、日本三大仏と称されていた。 東大寺は1998年(平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

東大寺万灯会    
東大寺万灯会(とうだいじまんとうえ)は、東大寺で行われていた万灯会。

東南院 (奈良市)    
東南院(とうなんいん)は、奈良県奈良市にあった東大寺の子院(院家)。東大寺大仏殿の東南方向(現在の東大寺本坊の地)にあった。尊勝院とともに東大寺の二大院家とされ、真言宗の拠点寺院であった。旧地は「東大寺東南院旧境内」として国の史跡に指定されている。

砺波志留志    
砺波 志留志(となみ の しるし)は、奈良時代の地方豪族。氏は利波とも表記する。姓は臣。官位は従五位上・伊賀守。

長登銅山美祢郡美東町長登(現:美祢市)    
長登銅山(ながのぼりどうざん)は山口県美祢市の秋吉台南東に隣接する銅鉱山である。長登銅山では7世紀末ないし8世紀初頭から銅を中心とした鉱物の採掘が始まり、特に奈良時代には東大寺の大仏に使われた銅の産地であった可能性が高いことで名高い。その後も1960年(昭和35年)の閉山まで、断続的に操業が続けられた。 また秋吉台の周辺を中心に、長登銅山の近隣には地質学的に良く似た銅などの鉱山が分布しており、それらの鉱山と鉱山に付属する製錬・加工施設についても、必要に応じて説明を加える。

奈良公園 日本奈良市     
奈良公園(ならこうえん)は、奈良県奈良市にある都市公園である。国の名勝であり、また名所。

橋本聖円    
橋本 聖圓(はしもと しょうえん、1935年 - )は華厳宗の僧侶。華厳宗管長、217代東大寺別当を歴任。

平岡定海    
平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - 2011年11月26日)は、華厳宗の僧侶で歴史学者。第213世東大寺別当。書家。

奉写一切経司    
奉写一切経司(ほうしゃいっさいきょうし)は、律令制における官職。写経所を管理する組織で、称徳天皇発願の一切経書写にあたった。

菩提僊那    
菩提僊那(ぼだいせんな、704年 - 天平宝字4年2月25日〈760年3月16日〉)は、奈良時代の渡来僧。ボーディセーナ(サンスクリット語: बोधिसेन', Bodhisena)、菩提僧正、菩提仙那とも称される。 唐に滞在中に日本僧の招請を受けて開元24年 / 天平8年(736年)に訪日。天平勝宝4年(752年)に東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として導師を務めた。弟子の修栄が撰した『南天竺婆羅門僧正碑』・『東大寺要録』中の「大安寺菩提伝来記」に伝記が残されている。

堀池春峰    
堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)、1918年(大正7年)12月8日 - 2001年(平成13年)8月31日)は、東大寺の僧、職員、仏教学者、古文書研究者、大学講師・教授。東大寺史研究所長。

万富東大寺瓦窯跡    
万富東大寺瓦窯跡(まんとみとうだいじがようあと/まんとみとうだいじかわらがまあと)は、岡山県岡山市東区瀬戸町にある東大寺の瓦を製造した窯の跡である。国の史跡。

森本公誠    
森本 公誠(もりもと こうせい、1934年 - )は華厳宗の僧侶・イスラム学者。文学博士。 2004年から2007年まで第218世東大寺別当・華厳宗管長を務める。現在は東大寺長老。長年にわたり仏教者の立場から国内外でイスラム教との交流を重ねてきた。

守屋弘斎    
守屋 弘斎(もりや こうさい、本名:守屋 隆夫(もりや たかお)、1928年1月3日 - )は、華厳宗の僧侶。東大寺第214世別当、華厳宗管長を務め、現在は東大寺長老。

八阪神社 (奈良市) 奈良県奈良市押上町26    
八阪神社(やさかじんじゃ)は、奈良県奈良市押上町(おしあげちょう)にある神社。押上町祇園社とも呼ばれ、拝殿の扁額には『祇園社』と記されている。

横江荘    
横江荘(よこえのしょう)は、平安時代から戦国時代にかけて加賀国にあった荘園である。東大寺領。

東大寺盧舎那仏像    
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)。一般に東大寺大仏、奈良の大仏として知られる。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。後世に複数回焼損したため、現存する大部分が再建であり、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。「銅造盧舎那仏坐像」として国宝に指定されている。

良弁   華厳宗  
良辨(ろうべん、りょうべん、持統天皇3年(689年) - 宝亀4年閏11月24日(774年1月10日))は、奈良時代の華厳宗の僧。東大寺の開山。通称を金鐘行者といった。

正倉院    
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(高床式倉庫)。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

東大寺大仏殿    
東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、奈良県奈良市の東大寺にある仏堂。東大寺の本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置している。 正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。この記事でも、以下「大仏殿」と表記する。 大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、日本の国宝に指定されている。

東大寺大仏殿虹梁    
東大寺の大仏殿の屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は、それぞれ長さ23.5メートルのアカマツが使われており、1704年(宝永元年)、日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運搬された。

東大寺二月堂    
東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。 本項ではおもに二月堂の建築と本尊について述べる。修二会の行事の詳細については、別項「修二会」を参照。東大寺全般については「東大寺」「東大寺の歴史」の項を参照。

東大寺法華堂    
東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作である。

華厳五十五所絵巻    
華厳五十五所絵巻 (けごんごじゅうごしょえまき) は、平安時代 (12世紀後半) の作といわれる絵巻物。1巻。国宝。奈良・東大寺蔵。『華厳経』入法界品を描いたもの。紙本着色。『善財童子絵巻』『善財童子歴参図』とも呼ばれる。

東大寺要録    
東大寺要録(とうだいじようろく)は、平安時代後期に作成された東大寺の寺誌。10巻10章。

東大寺不空羂索観音立像    
東大寺不空羂索観音立像(とうだいじふくうけんさくかんのんりゅうぞう)は奈良県奈良市の東大寺法華堂(三月堂)にある不空羂索観音像で、同法華堂の本尊である。奈良時代(天平期)を代表する脱活乾漆造の仏像として、1952年(昭和27年)3月に国宝に指定された(指定名称は「乾漆不空羂索観音立像(法華堂安置)」)。頭上の宝冠は約1万1千個におよぶヒスイなどの玉類で飾られている。

正倉院    
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(高床式倉庫)。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

東大寺大仏殿    
東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、奈良県奈良市の東大寺にある仏堂。東大寺の本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置している。 正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。この記事でも、以下「大仏殿」と表記する。 大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、日本の国宝に指定されている。

東大寺大仏殿虹梁    
東大寺の大仏殿の屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は、それぞれ長さ23.5メートルのアカマツが使われており、1704年(宝永元年)、日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運搬された。

東大寺二月堂    
東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。 本項ではおもに二月堂の建築と本尊について述べる。修二会の行事の詳細については、別項「修二会」を参照。東大寺全般については「東大寺」「東大寺の歴史」の項を参照。

東大寺法華堂    
東大寺法華堂(とうだいじほっけどう)は、奈良県奈良市の東大寺にある奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する10体の仏像も奈良時代の作である。

正倉院    
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(高床式倉庫)。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

安房国義倉帳    
安房国義倉帳(あわのくにぎそうちょう)は東大寺正倉院に残存する古文書である。

下総国葛飾郡大嶋郷戸籍    
下総国葛飾郡大嶋郷戸籍 (しもうさのくにかつしかぐんおおしまごうこせき)は、721年(養老5年)に作成された、下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍である。奈良・東大寺の正倉院に保存されていた文書(正倉院文書)のひとつであり、残存する古代律令制下の戸籍のひとつ。 約1200人が居住していたと推測される大嶋郷の人々の記録であり、当時の村落や家族、社会の様子をうかがう上で貴重な史料である。

正倉院文書    
正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、奈良県の東大寺正倉院宝庫(中倉)に保管されてきた文書群である。文書の数は1万数千点とされる。 正倉院中倉には東大寺写経所が作成した文書群が保管されていた。この写経所文書を狭義の正倉院文書と呼ぶ。今日に残る奈良時代の古文書のほとんどを占めている。紙背文書に戸籍など当時の社会を知る史料を含み、古代史の研究に欠かせない史料群として重要視されている。 正倉院には中倉の写経所文書の他に、北倉文書などがあり、これらを含めて(広義の)正倉院文書と呼ぶことがある。以下、写経所文書を中心に説明する。

赤漆文欟木御厨子    
厨子(ずし)は、収納具の一種であり、次のような用途で用いられるものである。龕(がん)ともいう。 (もともとは)厨房で調理道具や食材等を納めるために使った収納具(「厨子」の「厨」は「厨房(ちゅうぼう、つまり台所、キッチン)」の「厨」と同じ字であり、料理・調理関連のことを指す字である)。 (上から派生して)身の回りの品を納めるために使った収納具。室内装飾の役割も果たした調度品(家具)であった(つまり現代で言う「インテリア家具」でもあった。) (上から派生したものだが)仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置するための収納具(これは仏龕(ぶつがん)ともいう)。仏具の一種という位置づけになる。仏壇も厨子の一種と分類することもできる。

東大寺献物帳    
東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)は聖武天皇の菩提を弔うなどの目的で光明皇后(当時は皇太后)が東大寺に奉献した宝物の目録である。東大寺献物帳は5通あり、それぞれ『国家珍宝帳』『種々薬帳』『屏風花氈等帳』『大小王真跡帳』『藤原公真跡屏風帳』と通称される。東大寺献物帳は単なる目録に留まらず、正倉院宝物の来歴や用いられた技法などを記した貴重な記録であり、またそれ自体が宝物である。

蘭奢待    
蘭奢待/蘭麝待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。 正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅称である。 その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権力者にとって重宝された。宝物番号は中倉135。

正倉院    
正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉(高床式倉庫)。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

安房国義倉帳    
安房国義倉帳(あわのくにぎそうちょう)は東大寺正倉院に残存する古文書である。

下総国葛飾郡大嶋郷戸籍    
下総国葛飾郡大嶋郷戸籍 (しもうさのくにかつしかぐんおおしまごうこせき)は、721年(養老5年)に作成された、下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍である。奈良・東大寺の正倉院に保存されていた文書(正倉院文書)のひとつであり、残存する古代律令制下の戸籍のひとつ。 約1200人が居住していたと推測される大嶋郷の人々の記録であり、当時の村落や家族、社会の様子をうかがう上で貴重な史料である。

正倉院文書    
正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、奈良県の東大寺正倉院宝庫(中倉)に保管されてきた文書群である。文書の数は1万数千点とされる。 正倉院中倉には東大寺写経所が作成した文書群が保管されていた。この写経所文書を狭義の正倉院文書と呼ぶ。今日に残る奈良時代の古文書のほとんどを占めている。紙背文書に戸籍など当時の社会を知る史料を含み、古代史の研究に欠かせない史料群として重要視されている。 正倉院には中倉の写経所文書の他に、北倉文書などがあり、これらを含めて(広義の)正倉院文書と呼ぶことがある。以下、写経所文書を中心に説明する。

赤漆文欟木御厨子    
厨子(ずし)は、収納具の一種であり、次のような用途で用いられるものである。龕(がん)ともいう。 (もともとは)厨房で調理道具や食材等を納めるために使った収納具(「厨子」の「厨」は「厨房(ちゅうぼう、つまり台所、キッチン)」の「厨」と同じ字であり、料理・調理関連のことを指す字である)。 (上から派生して)身の回りの品を納めるために使った収納具。室内装飾の役割も果たした調度品(家具)であった(つまり現代で言う「インテリア家具」でもあった。) (上から派生したものだが)仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置するための収納具(これは仏龕(ぶつがん)ともいう)。仏具の一種という位置づけになる。仏壇も厨子の一種と分類することもできる。

東大寺献物帳    
東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)は聖武天皇の菩提を弔うなどの目的で光明皇后(当時は皇太后)が東大寺に奉献した宝物の目録である。東大寺献物帳は5通あり、それぞれ『国家珍宝帳』『種々薬帳』『屏風花氈等帳』『大小王真跡帳』『藤原公真跡屏風帳』と通称される。東大寺献物帳は単なる目録に留まらず、正倉院宝物の来歴や用いられた技法などを記した貴重な記録であり、またそれ自体が宝物である。

蘭奢待    
蘭奢待/蘭麝待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木。天下第一の名香と謳われる。 正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅称である。 その香は「古めきしずか」と言われる。紅沈香と並び、権力者にとって重宝された。宝物番号は中倉135。

元興寺 奈良県奈良市芝新屋町12   華厳宗  
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。

飛鳥神社 奈良県奈良市北京終町45    
飛鳥神社(あすかじんじゃ)は、奈良県奈良市北京終町にある神社。一般に京終天神社、他に紅梅殿神社、平城坐飛鳥神社とも呼ばれる。

飛鳥寺 奈良県高市郡明日香村飛鳥682   真言宗豊山派  
飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺院。山号は鳥形山(とりがたやま)。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来。現在は正式には安居院という。開基(創立者)は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音である。

率川神社 (奈良市西新屋町) 奈良県奈良市西新屋町    
率川神社(いさがわじんじゃ)は、奈良県奈良市西新屋町にある神社。飛鳥神並神社、率川阿波神社との呼称で記録されたこともある。宮司は御霊神社宮司の兼務。

元興寺 (妖怪)    
元興寺(がごぜ、がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご)または元興寺の鬼(がんごうじのおに)は、飛鳥時代に奈良県の元興寺に現れたといわれる妖怪。平安時代の『日本霊異記』(「雷の憙を得て生ま令めし子の強き力在る縁」)・『本朝文粋』などの文献に話がみられ、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」などの古典の妖怪画では、僧の姿をした鬼の姿で描かれている。

元興寺文化財研究所    
公益財団法人元興寺文化財研究所(がんごうじぶんかざいけんきゅうしょ)は、文化人類学に関する研究事業、助成事業などを実施している公益財団法人。元文部科学省所管。

庚申堂 (奈良市)    
庚申堂(こうしんどう)は、奈良市のならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰の奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠であり、西新屋町の会所を兼用する。幕末か明治頃の堂建物がかつてあったが老朽化して、平成時代に建て替えられた。間口2間、奥行2間半、切妻造平入、本瓦葺で、敷地建ぺい率100パーセントで建つ。正面は全面格子戸で、8畳の座敷に須弥壇を置き、中央に青面金剛像、左右に吉祥天女像と地蔵菩薩像を祀る。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子供とされ、家族構成に合わせて吊るされている。また、町内から転出した家族の分の猿は、庚申堂に預けられて、転出者と町との精神的な絆を保っている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれ、また、帯の背中部分に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれ、赤い小さい座布団の四隅を折り曲げて結びつけ、1つの間に丸い頭を付けたもので、手足をくくられた猿が頭を垂れて体を屈曲させた姿を表す形で、帯以外は大和小泉庚申堂や八坂庚申堂のくくり猿の形状と同様である。 毎年3月の第2日曜と11月23日に、「庚申まつり」が行なわれ、過去には三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて虫封じをする習わしから、参拝者に大根とこんにゃくの田楽がふるまわれてきたが、現在は食品衛生法上の理由から中止されている。

興善寺 (奈良市十輪院畑町) 奈良県奈良市十輪院畑町12   浄土宗  
興善寺(こうぜんじ)は、奈良市十輪院畑町にある、浄土宗の寺院。山号は法輪山。

小塔院 奈良県奈良市西新屋町45   真言律宗  
小塔院(しょうとういん)は、奈良県奈良市にある真言律宗の寺院。本尊は虚空蔵菩薩。元は元興寺の伽藍の一部であった。

奈良町資料館    
奈良町資料館(ならまちしりょうかん)は、奈良県奈良市西新屋町に所在する、奈良市の近世から近代にかけて建てられた町屋がならぶ地区、奈良町の一角にある私設資料館。

白山神社 (奈良市元興寺町) 奈良県奈良市元興寺町    
白山神社(はくさんじんじゃ)は、奈良県奈良市元興寺町にある神社。治田神社(はるたじんじゃ)との呼称で記録されたこともある。宮司は御霊神社宮司の兼務。

興福寺 奈良県奈良市登大路町48   法相宗  
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 南円堂(本尊・不空羂索観音)は西国三十三所第9番札所、東金堂(本尊・薬師如来)は西国薬師四十九霊場第4番札所、菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所となっている。また、境内にある一言観音堂は南都七観音巡拝所の一つである。

興福寺の仏像    
本項目興福寺の仏像(こうふくじのぶつぞう)では、奈良県奈良市にある、藤原氏の氏寺・興福寺に伝来した仏像について説明する。 興福寺の概要、歴史等については「興福寺」の項を参照のこと。

率川神社 奈良県奈良市本子守町18    
率川神社(いさがわじんじゃ)は、奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。

一乗院    
一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つ。天禄元年 (970年) 、興福寺別当定昭によって建立される。

今西家書院 〒630-8381奈良県奈良市福智院町24番地    
今西家書院(いまにしけしょいん)は、奈良県奈良市福智院町にある歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。

岩船寺 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43   真言律宗  
岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗の寺院。山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。開山は行基と伝える。アジサイの名所として知られる。

旧大乗院庭園    
旧大乗院庭園(きゅうだいじょういんていえん)は奈良県奈良市高畑町にある日本庭園。国の名勝。

康俊 (興福寺大仏師)    
康俊(こうしゅん、? - 建武元年(1334年)以前)は、鎌倉時代末期に活躍した興福寺大仏師。興福寺の通称を「南都」と言うため、「南都大仏師」とも称した。同世代の代表的な仏師で、2020年時点で4件の作品が重要文化財に指定されている。弟子・子息に康成。

興福寺奏状    
興福寺奏状(こうふくじそうじょう)は、鎌倉時代の元久2年(1205年)に、興福寺の衆徒が法然の提唱する専修念仏の禁止を求めて朝廷に提出した文書。法然弾劾の上奏文というべき性格を有していた。全1巻。『大日本仏教全書』に収載されている。

御霊神社 (奈良市) 奈良県奈良市薬師堂町24    
御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町にある神社。旧社格は村社。南都御霊神社・木比御霊とも呼ばれる。 延暦19年(800年)に桓武天皇の命で創建された。元興寺五重塔跡の南西に鎮座し、井上皇后・他戸親王等八所大神を祀っている。西紀寺町の崇道天皇社とともに南都二大御霊社とされる。

猿沢池    
猿沢池(さるさわいけ、さるさわのいけ)は、奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、「猿沢池月」 は南都八景のひとつとなっている。

慈訓    
慈訓(じくん / じきん、持統天皇5年(691年)- 宝亀8年(777年))は、奈良時代の奈良興福寺の僧。俗姓は船氏。河内国出身。

大乗院寺社雑事記    
大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)は、興福寺大乗院で室町時代に門跡を務めた、尋尊・政覚・経尋が三代に渡って記した日記。約190冊。原本は1450年(宝徳2年)から1527年(大永7年)までが現存しており、国立公文書館が所蔵し、重要文化財に指定されている。尋尊の書いた部分は特に「尋尊大僧正記」「尋尊大僧正記補遺」などとも呼ばれ、応仁の乱前後の根本史料とされている。またほとんどの項に紙背文書があり、あわせて貴重な資料となっている。

大乗院日記目録    
『大乗院日記目録』(だいじょういんにっきもくろく)は、奈良興福寺の門跡寺院である大乗院に伝来した日記類を、第27代門跡尋尊が編集した書物。全4巻。記録された範囲は1065年(康平3年/治暦元年)から1504年(文亀3年/永正元年)までにおよぶ。原本は国立公文書館内閣文庫蔵。1428年(正長元年)に起こった正長の土一揆などの大事件に関する記述がある。

大乗院 (門跡寺院)    
大乗院(だいじょういん)は奈良県奈良市の興福寺にあった塔頭の一つ。

多聞院日記    
『多聞院日記』(たもんいんにっき)は、奈良興福寺の塔頭多聞院において、文明10年(1478年)から元和4年(1618年)にかけて140年もの間、僧の英俊を始め、三代の筆者によって延々と書き継がれた日記。当時の近畿一円の記録が僧侶達の日記から分る一級資料である。

筒井順覚    
筒井 順覚(つつい じゅんかく)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。大和国の国人で、興福寺衆徒。史料上確認できる最初の筒井家当主。

天正4年興福寺別当相論    
天正4年興福寺別当相論(てんしょう4ねんこうふくじべっとうそうろん)とは、天正4年(1576年)に発生した興福寺の別当職を巡る相論。

宝蔵院流槍術    
宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)とは、奈良の興福寺宝蔵院主胤栄が創始した十文字槍を使った槍術である。薙刀術も伝承していた。初代胤栄のあと、2代目胤舜、3代目胤清、4代目胤風とつづいた。 初代胤栄は、柳生とも親交があったと云われる。また、福島正則の家臣で勇猛な武将として知られる笹の才蔵こと可児吉長が初代胤栄に教えを請うた、とも云われる。 現在はほとんどの形などが失伝しており、宝蔵院流高田派の江戸に伝えられた系統のみが現存している。だが、この系統も全伝は現存せず、辛うじて残っていた「槍合わせの形」のみが伝えられ、薙刀術の形などは失伝している。 2017年から女性にも入門が許可され、2018年には初級の審査に合格者が出ている。

菩提院大御堂 奈良県奈良市高畑町1126   法相宗  
菩提院(ぼだいいん)は、奈良県奈良市にある法相宗の寺院。大本山興福寺の子院。本尊は阿弥陀如来。通称は十三鐘(じゅうさんかね)という。興福寺から見て五重塔の南、三条通りを渡ったところに建つ。

藻原荘    
藻原荘(もばらのしょう)は、奈良時代に成立した日本の初期荘園のひとつ。上総国埴生郡、現在の千葉県茂原市を中心とする一宮川流域に存在したと推定される。 『朝野群載』所収の、寛平2年8月5日付藤原菅根等連署施入帳にみえ、興福寺領であった。 宝亀5年(774年)上総介に任ぜられ現地に赴任した藤原黒麻呂は、入手した牧を開墾し藻原荘が成立した。黒麻呂の子春継は常陸大目坂上盛の女をめとって藻原荘に住み生涯を終えたが、子の良尚に自分の死後は当荘中に葬り墓所として保全するため興福寺に施入するよう遺言した。しかし、良尚は遺言を果たさぬうちに貞観19年(877年)に急死したため、寛平2年(890年)良尚の子菅根らが田代荘とともに興福寺に施入した。 一宮川中流の藻原寺付近にあったとされ、荘園の存在した奈良・平安時代は埴生郡の郡域内であった。その後郡域に変更があり、江戸時代には古代の埴生郡の太平洋側が長柄郡に併合されたので、長生郡発足以前の長柄郡にあたる所である。

大和永享の乱    
大和永享の乱(やまとえいきょうのらん)は、室町時代の正長2年(1429年)に大和で発生した戦乱。興福寺大乗院衆徒の豊田氏と興福寺一乗院衆徒の井戸氏の対立に端を発し、大和一国に広がった。

薬師寺 奈良県奈良市西ノ京町457   法相宗  
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。

Absolute 薬師寺LIVE KAI BAND SWEET TEMPLE MOON LIVE 2012.8.12    
Absolute 薬師寺LIVE KAI BAND SWEET TEMPLE MOON LIVE 2012.8.12は、2013年5月7日に発売された甲斐バンドの映像作品。LIVE DVD1枚とLIVE CD2枚の3枚組。

薬師寺吉祥天像    
薬師寺吉祥天像(やくしじ きちじょうてんぞう)は、奈良時代の吉祥天の画像で、奈良県薬師寺に所蔵されている。1951年、日本の国宝に指定された。「吉祥天女画像」とも称する。

高田好胤    
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。

橋本凝胤    
橋本 凝胤(はしもと ぎょういん、1897年4月28日 - 1978年3月25日)は、法相宗の僧侶で仏教学者。奈良・薬師寺元管主、法相宗管長。「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」の異名を持つ。

仏足石歌    
仏足石歌(ぶっそくせきか)は、仏足石(仏足跡)の歌とも呼び、薬師寺の仏足跡歌碑に刻まれた21首の歌、およびそれと同じ歌体を持つ和歌を言う。

仏足跡歌碑    
仏足跡歌碑(ぶっそくせきかひ)は、奈良県奈良市の薬師寺に伝わる奈良時代の歌碑。仏(釈迦)の足跡を礼拝する功徳などを詠んだ和歌21首から成る。その歌を仏足跡歌(仏足石歌)といい、そのすべてが仏足跡歌体と呼ばれる特殊な形式で作られている。文字は、平易な漢字に統一された一字一音式の万葉仮名で表現され、上下2段に刻まれている。 仏足跡を石に刻んだものを仏足石というが、753年(天平勝宝5年)の年紀を有する仏足石が本歌碑とともに薬師寺の大講堂に安置されている。その仏足石と歌碑が、もと一具のものであったとする文献はないが、本歌は、仏足石の周囲を回りながら謡われた歌と推定されている。歌碑の製作年代は不明であるが、その歌の内容や用字法などから770年(宝亀元年)ごろと見なされている。 本歌碑は金石文であるため、書写によって生じる誤りや錯乱がなく、当時の字体・用字をそのまま今日に伝える貴重な存在である。1952年(昭和27年)に国宝に指定されている。仏足石歌碑とも書くが、本項は国宝の指定名称に従った。

松久保秀胤    
松久保 秀胤(まつくぼ しゅういん 1928年 - )は、法相宗の僧侶。薬師寺管主、法相宗管長を経て、2003年8月より、薬師寺長老。

本薬師寺 奈良県橿原市城殿町279    
本薬師寺(もとやくしじ)は、奈良県橿原市の東南に位置する藤原京の薬師寺と呼ばれた寺院。後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺である。平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになった。本薬師寺は元薬師寺とも記されるほか、平城京に造営された薬師寺(平城京薬師寺)に対して、「藤原京薬師寺」などとも呼ばれる。これまでの発掘調査により、およそ11世紀初頭まで存続していたことが認められている。 現在は、橿原市城殿町(きどのちょう)の医王院(白鳳山醫王院)の境内に、伽藍の遺構のうち金堂の礎石の一部が残る。また、東塔や西塔の土壇および心礎などの礎石が周囲の水田に残存しており、本薬師寺跡として特別史跡に指定されている。

安田暎胤    
安田 暎胤(やすだ えいいん、昭和13年(1938年)2月9日 - )は現代の法相宗の僧。岐阜県岐阜市生まれ。12歳で薬師寺に入寺。龍谷大学大学院修了。法相宗大本山薬師寺執事長、副住職、管主を経て、2009年8月より薬師寺長老。

山田法胤    
山田 法胤(やまだ ほういん、1940年12月5日 - )は、日本の僧侶、法相宗管長・薬師寺管主。岐阜県本巣郡根尾村生まれ。 1956年薬師寺に入山、橋本凝胤に師事。1964年龍谷大学文学部仏教学科卒業、同年厚生省慰霊団団員として、アッツ島ほか戦跡各地を巡拝。1971年薬師寺執事、1990年奈良喜光寺住職、1998年薬師寺執事長、2003年薬師寺副住職、2009年薬師寺管主、法相宗管長。2016年8月より、薬師寺長老。

法隆寺 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1   聖徳宗  
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

斑鳩神社 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目11番    
斑鳩神社(いかるがじんじゃ)は奈良県生駒郡の神社。法隆寺の北東の天満山に位置し、菅原道真を祀る。法隆寺鎮守4社の1つで寺の鬼門の守護神とされ、現在も関係が深い。

斑鳩宮    
斑鳩宮(いかるがのみや)は、厩戸皇子(聖徳太子)が現在の奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿。 日本書紀によると厩戸皇子は、推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、推古天皇13年(605年)に移り住んだ。また、皇子の手により、斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)が建立された。 皇子の薨去後は、山背大兄王一族が住んでいたが、皇極天皇2年(643年)に蘇我入鹿の兵によって宮は焼き払われ、山背大兄王以下の上宮王家の人々は、法隆寺で自決に追い込まれたとされる。なお現在の法隆寺は蘇我氏滅亡後に再建されたとされ、明治期から法隆寺再建・非再建論争が行われた。今日でも法隆寺再建をめぐり論議がなされている。 発掘調査で判明したことは、まず宮は現在の東院伽藍の場所に建っていたこと、宮の範囲は二町四方であること、などである。しかし、宮全体構造はまだ分かっていない。また、厩戸皇子が建立したと伝えられる斑鳩寺は、西院伽藍の裏手の若草伽藍であり、金堂や塔が火災にあい焼失した痕跡が残っていた。伽藍中心部の広さは東西や139メートル、南北172.5メートルの四天王寺式伽藍配置であった。斑鳩宮と斑鳩寺(若草伽藍)は、方位がほぼ同じで同時期の造営であることがわかる。また、西院伽藍の東大門や西大門に沿う築地も同方向であるので、斑鳩宮造営と同時に築造され、道路や水路を広範囲に敷設したことと推測できる。さらに、飛鳥と斑鳩を結ぶ太子道も同方位である。太子道は、筋違い道とも呼ばれ、磯城郡田原本町保津と生駒郡斑鳩町高安を結ぶ道であった。1998年の発掘で田原本町保津の起点の東南から側溝20メートル(溝幅3メートル、深さ0.5メートル)の道が検出されている。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺    
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(かきくえばかねがなるなりほうりゅうじ)は、正岡子規の俳句。生涯に20万を超える句を詠んだ子規の作品のうち最も有名な句であり、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」と並んで俳句の代名詞として知られている 。初出は『海南新聞』1895年11月8日号。 季語は柿(秋)。「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある。法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、というのが句意である。「くへば」は単に「食べていると」という事実を述べて下に続けているもので「鐘が鳴るなり」と因果関係があるわけではない。柿は大和名産の御所柿と思われる。

隠された十字架    
『隠された十字架』(かくされたじゅうじか)は、哲学者・梅原猛が著した評論。副題に「法隆寺論」とあるように、法隆寺に関して論じている。雑誌『すばる』(当時は季刊誌)に3回にわたって連載され、1972年(昭和47年)5月に新潮社から単行本が出版された。

法隆寺五重塔初層天井組木落書    
法隆寺五重塔初層天井組木落書(ほうりゅうじ ごじゅうのとう しょそうてんじょうくみき らくがき)とは、法隆寺五重塔の初層(1階)天井の組み木に残る墨で書かれた万葉仮名の落書である。通称は法隆寺五重塔落書。

佐伯定胤    
佐伯 定胤(さえき じょういん、慶応3年6月25日(1867年7月26日) - 昭和27年(1952年)11月23日)は、日本の法相宗・聖徳宗の僧侶、仏教学者。法相宗管長。のちに聖徳宗を興す。大僧正。学士院会員。

聖徳宗    
聖徳宗(しょうとくしゅう)は、日本の仏教宗派の一つであり、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺を総本山とする。小本山に法起寺・法輪寺、門跡寺院の中宮寺など末寺は、29ヵ寺。 昭和25年(1950年)に、法相宗からの独立を果たす(宗教法人として認可されたのは、昭和27年(1952年))。聖徳太子を宗祖とする。所依の経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏」である。

聖徳太子のお会式    
聖徳太子(しょうとくたいし)は、飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子で、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。 「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号。また、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)など本名は厩戸と言われることも多いが、あくまでも第二次世界大戦後に推定された名が広まったものであり、古代の文献には見られない。 叔母の推古天皇の下、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していた隋や朝鮮半島から進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自体が日本の仏教で尊崇の対象となった(太子信仰)。

鈴木空如    
鈴木 空如(すずき くうにょ、1873年 - 1946年)は、日本の仏画師、日本画家。世界文化遺産である法隆寺の金堂壁画を模写したことで世に知られる。

千円紙幣    
千円紙幣(せんえんしへい)は、日本銀行券(日本銀行兌換券を含む)の1つ。千円券(せんえんけん)、千円札(せんえんさつ)とも呼ばれる額面1,000円の紙幣。1994年(平成6年)4月以降、発行されている日本銀行券の中で最小額面である。 発行中の千円紙幣は、2004年(平成16年)から発行されている野口英世の肖像のE号券である。 この他にかつて発行された甲号券、B号券、C号券、D号券があり、これまでに発行された千円紙幣は全5種類存在する。このうち甲号券以外の4種類は現在法律上有効である。

高田良信    
高田 良信(たかだ りょうしん、1941年2月22日 - 2017年4月26日)は、聖徳宗の僧侶(法隆寺長老)・仏教学者・歴史学者、奈良県出身。 「法隆寺学」の確立をライフワークとしていた。

道賀    
道賀(どうが、生没年不詳)は、飛鳥時代の日本の僧侶。道昭の弟子。

東光院 (綾部市) 京都府綾部市上延町堂ノ奥7   高野山真言宗  
法隆寺東光院(ほうりゅうじとうこういん)は京都府綾部市上延町にある高野山真言宗の寺院。山号は菅谷山。本尊は薬師瑠璃光如来。開祖は三河鳳来寺と同じ理趣仙人(利修仙人)である。

唐本御影    
唐本御影(とうほん みえい)は、聖徳太子を描いた最古のものと伝えられる肖像画。聖徳太子及び二王子像(しょうとくたいし および におうじ ぞう)とも称される。百済の阿佐太子の前に現れた姿を描いたとの伝説により阿佐太子御影 (あさ たいし の みえい)とも呼ばれる。 法隆寺が所蔵していたが、1878年、「法隆寺献納宝物」の1つとして皇室に献納し、現在は御物。

曇徴    
曇徴(どんちょう、生没年不詳)は、610年3月に高句麗の嬰陽王が法定とともに日本の朝廷に貢上し、来日した僧である。

百円紙幣    
百円紙幣(ひゃくえんしへい)は、額面100円の日本銀行券(日本銀行兌換銀券、日本銀行兌換券を含む)。百円券、百円札とも呼ばれる。

法定 (僧侶)    
法定(ほうてい/ほうじょう、生没年不詳)は、飛鳥時代の610年3月に高句麗の嬰陽王が日本の朝廷に貢上し(貢上=「貢物を差し上げる」)、来朝した僧侶。

法隆寺地域の仏教建造物    
法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)。法隆寺および法起寺の建造物から構成される。姫路城とともに日本初の世界遺産として登録された。 この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれる。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である。

若草伽藍    
若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。

法隆寺の仏像    
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。

百済観音    
百済観音(くだらかんのん)は、奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀前半 - 中期)作の仏像(木造観音菩薩像)である。日本の国宝に指定されている(指定名称は「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」)。日本における木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、大正時代以降、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』などの書物で紹介され著名になった。

法隆寺金堂釈迦三尊像    


法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘    
法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘(ほうりゅうじ こんどう しゃかさんぞんぞう こうはいめい)は、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂に安置される釈迦三尊像の光背裏面に刻された銘文である。 題号の「釈迦三尊像」を釈迦三尊・釈迦如来・釈迦仏・釈迦像・釈迦などとも称し、銘文の内容が造像の由来であることから「光背銘」を造像銘・造像記とも称す。ゆえに法隆寺金堂釈迦造像銘などと称す文献も少なくない。

法隆寺金堂薬師如来像光背銘    
法隆寺金堂薬師如来像光背銘(ほうりゅうじ こんどう やくしにょらいぞう こうはいめい)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺金堂に安置される薬師如来像の光背裏面に刻された銘文である。 題号の「金堂薬師如来像」を薬師如来・薬師仏・薬師像・薬師などとも称し、銘文の内容が造像の由来であることから「光背銘」を造像銘・造像記とも称す。ゆえに法隆寺薬師造像銘などと称す文献も少なくない。

海獣葡萄鏡    
海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)は、唐代に製作された銅鏡の一種。名称は鏡背の葡萄唐草文と禽獣の文様に因むが、海獣はいわゆる海獣類ではない。唐鏡の典型とされる鏡式で、日本には飛鳥時代から奈良時代に輸入されて正倉院などに伝世するほか、法隆寺五重塔や高松塚古墳からの埋納品・出土品などが著名である。また輸入だけでなく、日本国内でも仿製鏡が制作された。日本では禽獣葡萄鏡・円鏡鳥獣花背・鳥獣葡萄鏡などの別表記もみられるほか、中国では瑞獣葡萄鏡の名称が一般的である。

百済観音    
百済観音(くだらかんのん)は、奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀前半 - 中期)作の仏像(木造観音菩薩像)である。日本の国宝に指定されている(指定名称は「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」)。日本における木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、大正時代以降、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』などの書物で紹介され著名になった。

法隆寺献納宝物    
法隆寺献納宝物(ほうりゅうじけんのうほうもつ)は、奈良県斑鳩町にある法隆寺に伝来し、1878年(明治11年)、当時の皇室に献納された、300余件の宝物(文化財)の総称である。第二次大戦後は大部分が東京国立博物館の所蔵となっている。正倉院宝物よりも一時代古い、飛鳥時代から奈良時代前期を中心とする工芸品、仏像等を多数含み、歴史的・文化的に価値が高い。

古今目録抄    
古今目録抄(ここんもくろくしょう)は、鎌倉時代前半期に法隆寺の僧侶顕真が著述した法隆寺の寺誌と聖徳太子伝に関する秘事口伝を記載した書物である。中世の太子信仰、法隆寺に関する史料として重要である。「聖徳太子伝私記」(しょうとくたいしでんしき)の別名もある。顕真自筆の草稿本は国の重要文化財に指定されている。

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘    
法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘(ほうりゅうじ こんどう しゃかさんぞんぞう こうはいめい)は、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂に安置される釈迦三尊像の光背裏面に刻された銘文である。 題号の「釈迦三尊像」を釈迦三尊・釈迦如来・釈迦仏・釈迦像・釈迦などとも称し、銘文の内容が造像の由来であることから「光背銘」を造像銘・造像記とも称す。ゆえに法隆寺金堂釈迦造像銘などと称す文献も少なくない。

法隆寺金堂壁画    
法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)は、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂の壁面に描かれていた仏教壁画である。制作年代は7世紀後半~8世紀初めと推定される。確実な歴史的史料がないことから作者は不明とされている。インドのアジャンター石窟群壁画、中国の敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品の一つであったが、1949年(昭和24年)の火災で焼損した。焼け残った壁画の現物は法隆寺境内の収蔵庫で保管されているほか、火災前に模写が制作されていた。火災後の1967年に壁画再現事業が発願され、翌年完成した。 壁画の画像は外部リンクも参照のこと。

法隆寺金堂薬師如来像光背銘    
法隆寺金堂薬師如来像光背銘(ほうりゅうじ こんどう やくしにょらいぞう こうはいめい)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺金堂に安置される薬師如来像の光背裏面に刻された銘文である。 題号の「金堂薬師如来像」を薬師如来・薬師仏・薬師像・薬師などとも称し、銘文の内容が造像の由来であることから「光背銘」を造像銘・造像記とも称す。ゆえに法隆寺薬師造像銘などと称す文献も少なくない。

四十八体仏    
四十八体仏(しじゅうはったいぶつ)は、東京都台東区の東京国立博物館が所蔵する、飛鳥時代から奈良時代にかけての49件(57体)の金銅仏(こんどうぶつ)の総称である(金銅仏とは、銅製鍍金の仏像の意)。その伝来から、法隆寺献納金銅仏、御物金銅仏などとも呼ばれる。これらの金銅仏は、もとは奈良県の法隆寺に伝来したもので、いずれも像高20センチから50センチ内外の小像であるが、飛鳥 - 奈良時代の仏像彫刻のまとまったコレクションとして他に類例がない。日本仏教彫刻史の貴重な資料であるとともに、中国大陸や朝鮮半島の仏像製作の技術や様式の日本への伝播を知るうえでも重要な作品群である。

七種宝物    
七種宝物(しちしゅのほうもつ)は、法隆寺に伝わった聖徳太子にまつわるとされる7つの宝物のこと。ただし、実際にはいずれも聖徳太子の時代より後世に製作されたものである。具体的には糞掃衣・梵網経・五大明王鈴・八臣瓢壺・御足印・梓弓・六目鏑箭の7つで、これらは「我朝、仏儒神の三道繁興」を願い、男女の難を防ぐ宝物と称された。明治期に法隆寺献納宝物の一部として皇室に献納され、現在は八臣瓢壺のみを三の丸尚蔵館(宮内庁)が、残る6種を東京国立博物館(国立文化財機構)が所蔵している。

玉虫厨子    
玉虫厨子(たまむしのずし)は、奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代の厨子。装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある。国宝に指定されている。

鋸 (重要文化財工第922号)    
本項で解説する鋸(のこぎり)は、奈良県の法隆寺に伝来した、奈良時代・8世紀頃のものとされる大工道具。東京都台東区にある東京国立博物館に保管される(独立行政法人国立文化財機構の所有)。同博物館に保管される法隆寺献納宝物の一つであり(列品番号N-141)、伝世品としては日本最古の鋸である。1959年に国の重要文化財に指定されている(台帳・指定書番号は工第922号)。

法隆寺金堂釈迦三尊像    


法隆寺地域の仏教建造物    
法隆寺地域の仏教建造物(ほうりゅうじちいきのぶっきょうけんぞうぶつ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)。法隆寺および法起寺の建造物から構成される。姫路城とともに日本初の世界遺産として登録された。 この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれる。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である。

法起寺   聖徳宗  
法起寺(ほっきじ、ほうきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。山号は岡本山。本尊は十一面観音。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。

法隆寺   聖徳宗  
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。斑鳩寺(いかるがでら、鵤寺とも)、法隆学問寺としても知られる。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から推古15年(607年)とされる。金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートル。西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年(平成5年)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建造物以外にも、飛鳥・奈良時代の仏像、仏教工芸品など多数の文化財を有する。