岐阜県ƒeƒXƒg‚O‚P恵那三十三観音霊場    
恵那三十三観音霊場(えなさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、旧恵那郡(現在の恵那市及び中津川市)一帯に広がる巡礼地。 江戸時代に流行した霊場巡りの一つで、宝暦8年(1758年)に開場。江戸末期から明治時代にかけて恵那郡北部を支配していた苗木藩において徹底的な廃仏毀釈が行われたため、霊場寺院のいくつかが廃寺となる。その後明治時代にいくつかの寺院を加えて霊場が再興され、昭和60年(1985年)に再整備が行われる。春秋の2回開帳が行われていたが、秋の開帳は平成30年(2018年)が最後となった。

西国三十三所    
西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ、さいこくさんじゅうさんしょ)は、観音巡礼の一つ。観音菩薩を祀る近畿地方2府4県と岐阜県の三十三箇所の札所寺院と三箇所の番外寺院からなる観音霊場。日本で最も歴史がある巡礼であり、現在も多くの参拝者が訪れている。 「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。 文化庁の令和元年度「日本遺産」の16件(累計83件)の一つに、『1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜』が認定された。

中部四十九薬師霊場    
中部四十九薬師霊場(ちゅうぶしじゅうくやくしれいじょう)は、中部地方(長野県、岐阜県、愛知県、山梨県)に広がる巡礼地。 名前のとおり、薬師如来を巡る巡礼である。1988年(昭和63年)開創。

東海三十六不動尊霊場    
東海三十六不動尊霊場(とうかいさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、愛知県、三重県、岐阜県の東海三県に広がる巡礼地。不動明王の霊場である。単に東海三十六不動ともいう。 1989年(平成元年)に制定された、比較的新しい霊場である。

東海四十九薬師霊場    
東海四十九薬師霊場(とうかいしじゅうくやくしれいじょう)は、三重県を振り出しに愛知県、岐阜県、静岡県の4県に広がる、薬師如来巡礼の霊場である。

東海白寿三十三観音霊場    
東海白寿三十三観音霊場(とうかいはくじゅさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、東海地方にあるぼけ封じのご利益がある寺院。 和歌山県の2寺、愛知県の4寺、岐阜県の11寺、三重県の17寺からなる。

東海百観音    
東海百観音(とうかいひゃくかんのん)は、三河三十三観音・尾張三十三観音・美濃三十三観音を総合した、東海地方を代表する100の観音巡礼である。結願寺は愛知県豊川市にある豊川稲荷となる。

西美濃三十三霊場    
西美濃三十三霊場(にしみのさんじゅうさんれいじょう)は、大垣市を中心とする美濃国西美濃一帯に広がる巡礼地。 江戸時代に開場され、多くの札所が大垣藩内寺院から選ばれた。明治時代初めに札所寺院の一部が廃寺になるなどして一時衰退する。近年は見直され、多くの参拝者が巡礼する。 各霊場で参拝者は願を護摩木に書き入れ、法燈でたかれる柴火(さいか)の中に護摩木が入れられ、願望が成就されるという(護摩供)。

飛騨三十三観音霊場    
飛騨三十三観音霊場(ひださんじゅうさんかんのんれいじょう)は、高山市を中心とする飛騨国旧大野郡、旧吉城郡一帯に広がる巡礼地。 名前のとおり、観音菩薩を巡る巡礼である。平成2年(1990年)開場。円空ゆかりの寺院が多い。

美濃三十三観音霊場    
美濃三十三観音霊場(みのさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、岐阜県岐阜市と周辺一帯に広がる観世音菩薩巡礼地。「美濃西国三十三観音霊場」ともいう。 美濃三十三観音霊場、尾張三十三観音霊場、三河三十三観音霊場、豊川稲荷をあわせて、「東海百観音」ともいう。

美濃四国    
美濃四国(みのしこく)は、岐阜市とその周辺一帯に広がる巡礼地。空海ゆかりの寺院で構成される。 美濃新四国、美濃四国霊場、美濃四国八十八箇所、美濃四国八十八札場とも呼ばれる。 江戸時代後期に開かれたと考えられるが、開創に当たっての資料がなく正確な年次は不詳。文久4年(1864年)の霊場一覧と地図が残されており、それ以前であることは分かっている。巡礼地は、明治期の廃仏毀釈を経て再編されたものの太平洋戦争の影響などで戦後荒廃した。昭和48年(1973年)に弘法大師生誕1200年を機に真言宗の若手僧侶が復興に着手、同50年(1975年)に復興した。この際、巡礼しやすいように、一部の寺院が変更されている。

美濃七福神    
美濃七福神(みのしちふくじん)は、岐阜県美濃地方に広がる七福神巡礼地。1979年(昭和54年)に開創。

阿弥陀寺 (下呂市) 岐阜県下呂市御厩野1200   臨済宗妙心寺派  
阿弥陀寺(あみだじ)は、岐阜県下呂市御厩野にある臨済宗妙心寺派の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。山号は岩屋山。

安国寺 (岐阜県池田町) 岐阜県揖斐郡池田町小寺304-1   臨済宗妙心寺派  
安国寺(あんこくじ)は、岐阜県揖斐郡池田町小寺にある臨済宗妙心寺派の寺院。足利尊氏が全国に建立した安国寺のうち、美濃国に設けられたものである。西美濃三十三霊場15番札所。 鎌倉円覚寺の此山妙在を開基として、1345年(康永4年 / 興国6年)に開かれた。美濃国守護の土岐氏や有力武将の稲葉氏所縁の寺院で、1495年(明応4年)に船田合戦に敗北した土岐成頼が同寺で出家したほか、斎藤道三に土岐氏が滅ぼされた際、稲葉光朝が斎藤家に復讐するため千人斬りの願を立て、安国寺に潜んで夜な夜な岐阜へ人斬りに出向いたという伝承がある。 寺内には稲葉光朝の墓と伝えられる五輪塔のほか、西国三十三番観音供養塔がある。また、織田信雄の制札(池田町指定有形文化財)を所蔵している。

安養寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町柳町217   浄土真宗大谷派  
安養寺(あんにょうじ)は、岐阜県郡上市八幡町柳町にある浄土真宗大谷派の寺院。

安養寺 (多治見市) 岐阜県多治見市白山町2-44   曹洞宗  
安養寺(あんようじ)は岐阜県多治見市白山町にある阿弥陀如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は寂光山。

医王寺 (中津川市) 岐阜県中津川市落合1423-2   浄土宗  
醫王寺(いおうじ)は岐阜県中津川市落合にある薬師如来を本尊とする浄土宗知恩院末の寺院で、山号は瑠璃山。中部四十九薬師霊場24番札所。

一乗寺 (羽島市) 岐阜県羽島市西小熊4292   臨済宗妙心寺派  
羽島市(はしまし)は、岐阜県の南部に位置する市。岐阜地区に含まれる。 東海道新幹線の駅、名神高速道路のインターチェンジ、店舗名・支店名などで岐阜羽島という名称が用いられることが多く、当市を岐阜羽島と呼ぶことも多い。

一心寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪2924-1-2   浄土宗鎮西派  
一心寺(いっしんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪の城台山山中にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗鎮西派の寺院で、山号はなく院号を播隆院と称する。西美濃三十三霊場7番札所。 天保元年(1830年)に揖斐領主岡田氏家臣の芝山長兵衛が開基となり、伊吹山で念仏行を行っていた播隆のために一宇を建立したのが始まりである。創建時は阿弥陀堂と称していた。播隆は中山道太田宿で没し、葬られているが住持を務めていた当寺にも墓が設けられている。明治12年(1879年)に一心寺と改称。明治24年(1891年)には濃尾地震で倒壊するが、同26年に再建された。平成29年(2017年)現在無住となっているが、春秋の2回寺宝の地獄絵図が開帳されている。

淡墨観音    
根尾谷・淡墨公園(ねおだに・うすずみこうえん)は岐阜県本巣市根尾板所にある樹齢千五百年以上の淡墨桜を中心に整備された公園である。日本さくら名所100選に選定されている。 広々とした芝生広場(4,500m2)や、遊具、野外ステージなどがあり、各種イベントが開催されることがある。 桜のシーズンには全国各地から大勢の観光客が訪れ大変賑わう。以前は公園へのアクセスの中心となる国道157号の道幅が狭いところが多く激しい渋滞が起こっていたが、近年道路整備が進み渋滞もかなり緩和されてきている。

栄春院 岐阜県安八郡神戸町北一色935   曹洞宗  
栄春院(えいしゅんいん)は岐阜県安八郡神戸町にある十一面観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は広大山。大垣藩戸田氏ゆかりの寺。 大垣藩初代戸田氏鉄の息女にして本多正勝の正室栄春院は夫の配流に伴い生家に戻っていたが、眼病を患い苦悶していたが、ある日霊夢を見て春日郷観音寺を信仰したところ眼病が平癒するという霊験を得た。その故をもって万治3年(1660年)、栄春院の兄戸田氏信は戸田本田両家の菩提を弔うため、安八郡平野村に観音寺の十一面観世音菩薩を迎えて当寺を建立した。大正年間に火災に遭い伽藍を焼失するが、再建されて現在に至っている。

永松寺 岐阜県土岐市肥田町885   臨済宗妙心寺派  
永松寺(えいしょうじ)は岐阜県土岐市肥田町にある十一面観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は吟鶴山。土岐光行菩提寺と伝わる。 文治元年(1185年)に土岐判官光行が肥田町の寺屋敷、堂前と呼ばれている場所に建立したと伝わる。創建時の山号は竜雲山である。その後しばらくは記録がないが、戦国時代の天文21年の高山城の戦いないし元禄元年の武田氏の侵攻による戦火で荒廃した。万治元年(1659年)、東香寺中興金峰祖牛が師の雲居希膺を開山に勧請して現在地に再興した。幕末に至り土岐市泉町の嶋香寺と山号を交換し、吟鶴山と改める。江戸時代に行われていた土岐巡礼三十三所の13番札所であった。本堂、庫裡は元文年間、山門は嘉永5年(1852年)で、庫裡は2002年(平成14年)再建されたものである。

永照寺 (羽島市) 岐阜県羽島市福寿町平方1372   浄土真宗大谷派  
永照寺(えいしょうじ)は岐阜県羽島市福寿町平方にある浄土真宗大谷派の寺院で、山号は光明山。本堂が岐阜県の文化財に指定されている。 天文2年(1533年)伊勢国桑名郡長島郷杉江村に照光が光照寺として開いた。長島一向一揆により兵火に罹ったのを契機として門徒と共に現在地に移転し、永照寺と寺号を改めた。江戸時代前期に6世住持の等乗が発案して平方勢獅子が始まる。これは伊勢神楽の系譜が受け継がれる貴重なものとして岐阜県の無形文化財に指定されている。ただし、現在はこの芸能は平方の八幡神社に奉納されている。 明治6年(1873年)に尾張藩の藩校明倫館の聖堂を買い取り本堂として移築した。これは天明7年(1787年)に儒教の聖堂として建立されたもので、現在まで聖堂として残る貴重なものであるとして岐阜県の文化財に指定されている。

永泉寺 (多治見市) 岐阜県多治見市池田町7-3   曹洞宗  
永泉寺(えいせんじ)は岐阜県多治見市池田町にある聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は石堂山。本尊は重要文化財に指定されている。 伝承では奈良時代に行基が華厳宗の寺院として開いたと伝わる。その後、当寺は地蔵院を筆頭として蓮華院、仏光院、明円寺及び観音院の5つの寺院が立ち並び池田五山と称して寺運は隆盛していたが、やがて庇護者を失い衰微した。鎌倉時代には真言宗に改宗している。 江戸時代に入って後も寺は次第に衰退していったが、その中で蓮華寺は江戸時代の寛文年間に名古屋善篤寺の雲山によって中興され曹洞宗の寺院となった。その後廃絶した池田五山の仏像は永泉寺に移され現在に伝えられている。天保14年(1843年)、総門が建立されている。 それらの仏像の中で永泉寺の本尊である聖観音像は室町時代初期の作で、大正3年(1915年)に国の重要文化財に指定されている。また、十一面観音坐像(鎌倉時代)、千手千眼観世音菩薩立像(鎌倉時代)及び愛染明王坐像(室町時代)は昭和33年(1958年)多治見市の文化財に指定された。これらの仏像は廃絶した池田五山の本尊として祀られていたと伝わる。境内のイチョウの木は雲山和尚が植えたものといわれる巨木で多治見市の天然記念物に指定されている。

永保寺 岐阜県多治見市虎渓山町1-40   南禅寺派  
永保寺(えいほうじ)は、岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は虎渓山(こけいざん)。 雲水の修行道場(僧堂)である虎渓山専門道場を併設している。

円覚寺 (羽島市) 岐阜県羽島市竹鼻町狐穴3293-1   浄土真宗本願寺派  
円覚寺(えんがくじ)は岐阜県羽島市竹鼻町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は宝林山。羽島市内唯一の本願寺派寺院である。 明治9年(1876)に至り、河野御坊専福寺が竹鼻別院と改称され歴代住職を担っていた河野氏が大谷派本山により住職の座から外ずされたのがその端緒である。明治27年(1894年)河野氏は本願寺派に転派し、同30年(1897年)7月、三重県朝日村にあった円覚寺を当地に移してその住職となった。本尊の阿弥陀如来像は平安後期の作で、岐阜県の文化財に指定されている。これは住職一族の祖先である河野通勝が親鸞聖人から与えられたものと伝わる。また羽島市指定の文化財として伝教大師像を所蔵する。

円鏡寺 岐阜県本巣郡北方町北方1345   高野山真言宗  
円鏡寺(えんきょうじ)は、岐阜県本巣郡北方町にある高野山真言宗別格本山の寺院である。

円勝寺 (本巣市) 岐阜県本巣市金原350   浄土真宗本願寺派  
円勝寺(えんしょうじ)は岐阜県本巣市金原にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は大谷山と称する。 建仁元年に大野郡及び本巣郡の領主であった関谷六郎正善が法然上人に帰依して上洛し、九条家の旧屋敷を大谷庵として住したのが起源である。在京時に同家伝来の阿弥陀如来像及び法然上人真筆の輪光の阿弥陀如来画像を得たのち、本巣へと戻り建仁元年(1201年)数屋村にて小庵を設けて大谷山円勝寺と称した。その後法然上人より親鸞聖人の下に就くよう指示があったため、浄土真宗の寺院となった。3代善徳は覚如上人より阿弥陀如来像を、8代常趣は蓮如上人より六字名号と十字名号を賜っている。天正年間、9世善勝は石山合戦に参加したため法敵織田信長に追われる身となり、天正10年(1582年)に根尾右京之介に日当で首をとられた。この争乱にあたって善勝の妻は輪光の阿弥陀如来画像を高野山に預ける。翌年寺を身延村一色へ移した。さらに元和2年(1616年)に現在地へと移転した。正保年間に阿弥陀如来画像を預けた高野山の松の坊が失火により焼失したが、他の寺宝が焼亡した中で例外的に預けた画像が焼け残る。元禄8年(1695年)14世善空は高野山へ預けた阿弥陀如来画像を寺へ戻し、爾来火中輪光の弥陀如来として一層珍重されるようになった。

延命寺 (土岐市) 岐阜県土岐市泉東窯町1-6   臨済宗妙心寺派  
延命寺(えんめいじ)は岐阜県土岐市泉東窯町にある如意輪観音を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派慈雲院下)の寺院。山号は応身山。 寛文8年(1668年)に熱田龍珠寺4世の密堂紹空が横枕山延命寺として開いた。元禄8年(1695年)に土岐郡三十三所巡礼が創められた際にはその1番札所に選ばれている。後に山号を応身山に改めた。山門は宝暦4年(1754年)のものである。 堂内には本尊や開山像の他に地蔵菩薩、韋駄天ならびに十六善神を祀る。

延命寺 (本巣市) 岐阜県本巣市石原107   高野山真言宗  
延命寺(えんめいじ)は、岐阜県本巣市石原にある延命地蔵菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺院で、山号は鳳凰山。美濃四国52番札所となっている。 平安時代に席田郡定額尼寺に定められた創建不詳の法応寺という大寺が前身とされ、仁和3年(887年)に火災に遭った美濃国分尼寺の避難先となったという。その後戦国時代に織田信長によって滅ぼされ、再建されたものが当寺であると伝わる。寺域周辺には席田廃寺と呼ばれる7世紀後半に創建されたとみられる古代寺院の遺跡があり、法応寺跡の可能性がある。本尊の地蔵菩薩の他に弘法大師を祀っており、美濃四国の札所寺院となっている。

円立寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲深坂692-2   浄土真宗本願寺派  
岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県。県庁所在地は岐阜市。

応徳寺 岐阜県郡上市大和町栗巣367-4   浄土真宗大谷派  
応徳寺(おうとくじ)は岐阜県郡上市大和町栗巣にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院で、山号は月光山と称する。 創建不詳、開基不明。もとは白山本宮長滝寺の末寺であったと伝わる。明徳3年(1392年)に蓮西が綽如上人に帰依してより浄土真宗に改める。文明5年(1473年)蓮如上人より山号及び六字名号、十字名号を付与された。宝暦9年(1759年)に郡上郡牧村の地主、彦右衛門が夢告により発掘した郡上郡の旧主ゆかりの寺、東林寺の出土物が預けられた。昭和58年にこれらの出土物及びその記録が岐阜県の文化財に指定されている。その他に大永2年(1522年)の方便法身尊形と寛永6年(1639年)に制作された蓮如上人画像を所蔵する。

温泉寺 (下呂市) 岐阜県下呂市湯之島680   臨済宗妙心寺派  
温泉寺(おんせんじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は醫王霊山。本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場第37番霊場。 一羽の白鷺が下呂温泉の源泉を知らせたという「白鷺伝説」に由来する寺である。 境内の本堂の前にある薬師如来像の下からは温泉がわきあがっており、霊泉とされている。

開元院 岐阜県瑞浪市日吉町8846   曹洞宗  
開元院(かいげんいん)は岐阜県瑞浪市日吉町にある聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は鷹巣山。土岐氏ゆかりの寺であり、東濃地方における曹洞宗の本寺として栄えた。 永享11年(1439年)、鶴ヶ城の城主土岐頼元が備中洞松寺の月泉性印を開山として建立した。2世住持の盛禅洞奭は尾張福厳寺や恵那郡藤洞禅院を開いている。戦国時代の天正年間に焼失したため、現在地に移転し再建されたと伝えられる。戦国時代は武田氏の東濃侵攻により、土岐氏所縁の光善寺や定林寺も焼かれて廃寺の憂き目に遭っており、その際に土岐頼貞の位牌などが当寺に移されている。8世住持の体岩雲恕は慶長元年(1596年)に大井長国寺の中興となった。 本尊の聖観世音菩薩は文和5年(1356年)の銘がある古仏で岐阜県の文化財に指定されている。また、享和元年(1801年)に建立された山門は銅板葺きの巨大なもので、瑞浪市の文化財となっている。ほかに土岐頼元の筆による鷹絵が伝わっている。

開白寺 岐阜県羽島市須賀小松276   高野山真言宗  
開白寺(かいはくじ)は岐阜県羽島市須賀小松にある弘法大師を本尊とする高野山真言宗派の寺院で、山号を瑞雲山とする。美濃新四国26番札所で、羽島大師を標榜する。 大正末年に当地の篤心家、今井田きぬ方で祀られていた弘法大師を本尊として建立された。昭和38年(1963年)、同市竹鼻町にあった法泉寺を境内に移築した。法泉寺は昭和27年に洛北志明院より移された不動明王を本尊とする寺院である。 行事として節分の星まつりや弘法大師の縁日や不動明王の縁日がある。また、寺宝として岐阜県の文化財に指定されている戦国時代以前の絹本著色両界曼荼羅や羽島市指定の有形文化財である弘法大師画像、両界曼荼羅、金剛界大日如来座像を蔵する。

花王院 岐阜県瑞穂市生津滝坪町2-49   高野山真言宗  
花王院(かおういん)は岐阜県瑞穂市生津滝坪にある薬師如来を本尊とする高野山真言宗の寺院で、山号は慈徳山。美濃新四国48番札所。 和銅2年(709年)に泰澄が開いたと伝わる。その後天台宗を経て平安時代に実恵の弟子と伝わる慶祐により真言宗に改められる。そのころは七堂伽藍を備え、80以上の末社を従えていたと伝わる。その後の詳しい歴史はあまり知られていないが、文政3年(1820年)に遷化した重遍和尚は大覚寺で祈祷を行ったという傑僧であった。 寺宝として阿育王寺という文字を刻んだ磬を所蔵する。また境内には永正12年(1515年)及び天文22年の年号を記した五輪塔がある。

可成寺 岐阜県可児市兼山596   臨済宗妙心寺派  
可成寺(かじょうじ)は、岐阜県可児市兼山にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大龍山、本尊は釈迦如来である。森氏の菩提寺として知られる。 元亀2年(1571年)、美濃金山城主で森氏当主の森可成が宇佐山城の戦いで死去したため、嫡子の森長可が菩提寺として栄巌を開山に招いて美濃金山城の東にある寺が峰に創建した。 その後、長可が天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いで戦死するとその墓が寺内に建立されている。森氏が慶長5年(1600年)に信濃国川中島(現在の長野県長野市)へ移封された際に現在地に移転した。江戸時代には大名であった森氏により堂宇が整備されるなど保護されている。昭和42年(1967年)に岐阜県八百津町に所在していた森成利、森長隆及び森長氏の墓が境内に移されている。 寺宝として岐阜県の文化財に指定されている森長可所用の脛当や、可児市の文化財に指定されている森長可の画像を所蔵している。

柏尾廃寺 岐阜県養老郡養老町柏尾表山283-1   法相宗  
柏尾廃寺(かしわおはいじ)は、岐阜県養老郡養老町柏尾にある寺院跡。1962年(昭和37年)2月12日に「柏尾廃寺跡」の名称で岐阜県の史跡に指定されている。

河野円城寺 岐阜県羽島郡笠松町円城寺917番地   真宗大谷派  
河野円城寺(かわのえんじょうじ)は、岐阜県羽島郡笠松町にある真宗大谷派の寺院である。

河野西入坊 岐阜県各務原市下中屋2丁目117-1   真宗大谷派  
河野西入坊(かわのさいにゅうぼう)は、岐阜県各務原市にある真宗大谷派の寺院である。同派岐阜教区第三組に所属する。 地元の人々には「蓮如さま」(れんにょさま)の愛称で親しまれている。河野西入坊に伝わる「蓮如上人寿像」は各務原市の有形文化財に指定されている。また上人の杖にしていた銀杏の木が根付いたといわれる樹高30m以上、幹周り4m以上、樹齢500年を越すといわれる「西入坊境内大銀杏」は各務原市の天然記念物に指定されている。 河野九門徒の寺院の一つである。

勧学院 (岐阜県神戸町) 岐阜県安八郡神戸町下宮1844-1   天台宗  
勧学院(かんがくいん)は岐阜県安八郡神戸町にある釈迦如来を本尊とする天台宗の寺院で、山号は持法山。神戸町日吉神社ゆかりの寺。 弘仁8年(817年)、安八郡の長者安八太夫安次がその娘の病気平癒のため、伝教大師最澄を招請して千手観世音菩薩を置き、日吉神社下宮別当寺として建立したのが始まりである。大永4年(1524年)火災に遭い、伽藍が焼け落ちた。また、慶長15年(1600年)に起きた関ケ原の戦いでも被害を受けている。江戸時代は領主の保護の許、32石の寺領を有していた。寺宝として岐阜県の文化財に指定されている菅原道真真筆と伝わる彩箋墨書法華経や鎌倉時代の仏器、天文7年(1538年)の沈金彫経箱を所蔵する。

願興寺 (岐阜県御嵩町) 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1377-1   天台宗  
願興寺(がんこうじ)は、岐阜県可児郡御嵩町にある天台宗の寺院。

願證寺 (岐阜県垂井町) 岐阜県不破郡垂井町平尾1   浄土真宗東本願寺派  
願證寺(がんしょうじ、願証寺)は、岐阜県不破郡垂井町平尾にある浄土真宗東本願寺派の寺院。「平尾御坊 願證寺」と称される。

寒窓寺 岐阜県海津市南濃町上野河戸207   臨済宗妙心寺派  
寒窓寺(かんそうじ)は、岐阜県海津市南濃町上野河戸にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は菩提山。高須藩主小笠原氏ゆかりの寺。 奈良時代に行基が開いたという伝説がある。臥龍山菩提寺と呼ばれたこの寺は中世に廃絶したという。江戸時代に入り、高須藩主となった小笠原貞信が承応3年(1654年)に没した息女の寒窓寺殿霜山月清大姉を追福するために再興した。 寺宝として市指定の文化財となっている平安時代の武装半跏像と小笠原氏の菩提であり大正時代に廃寺となった禅海寺から移された阿弥陀如来の頭部、鎌倉時代の釈迦如来立像を所蔵する。また、小笠原貞信より下された安堵状も文化財に指定されている。

甘南美寺 岐阜県山県市長滝27-11   臨済宗妙心寺派  
甘南美寺(かんなみじ)は、岐阜県山県市長滝にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は白華山。本尊は千手観世音菩薩(秘仏)。美濃三十三観音霊場第十三番札所。美濃四国八十八札場第六十五番。美濃七福神(恵比寿)。 伊自良湖湖畔にある。境内のエドヒガンザクラは、幹回り3.3m、樹高23m、樹齢は約350年といわれ、県指定天然記念物である(甘南美寺のサクラ)。旧本堂は戦国時代の建立といわれ、馬頭観音の信仰でも知られており、公営競馬の関係者なども多数参詣している。

観音院 (瑞穂市) 岐阜県瑞穂市穂積278   浄土宗西山派  
観音院は岐阜県瑞穂市穂積にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山派の寺院で、山号は弘応山。美濃三十三観音霊場30番札所。 度重なる水害により資料を失い創建不詳であるがもとは天台宗寺院で、織田信長が足利義昭を立政寺に招いた際にその末寺となり改宗したという。その後寺運が衰微し、観音菩薩を祀る一宇が残る。村内の井上定次が延宝4年(1676年)再興を志し、名古屋極楽寺の空室を招いて貞享3年(1686年)10月に落慶した。濃尾地震で大きな被害を受けるが再建を果たして現在に至っている。令和2年(2020年)より十一面観世音菩薩を札所本尊として美濃三十三観音霊場の30番札所となった。 著名な行事として十一面観世音菩薩をまつる千日参りが8月10日に行われ、高さ8.7メートルの巨大提灯が使用される。

観音寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山2725   曹洞宗  
観音寺(かんのんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山にある曹洞宗の寺院。山号は施無畏山。大垣戸田家ゆかりの寺院。

願蓮寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町島谷829   浄土真宗大谷派  
願蓮寺(がんれんじ)は岐阜県郡上市八幡町島谷にある阿弥陀如来を本尊とする真宗大谷派の寺院。山号は竹林山。 明応3年(1494年)に正円が細越村(現在の郡上市八幡町相生)に草庵を結び、正専坊と称したのが始まりである。永禄12年(1569年)に三木自綱が郡上へ侵攻した際に2世正専が郷土防衛のため畑佐で敵軍と交戦し、落命したと伝わる。4世の慈超は俗名を石神兵庫と称し、東氏の家臣であったという。天正年間の石山合戦では本山側に立って参戦し、大杯と十字名号、法名を授かった。また、領主の遠藤慶隆より現在の敷地を賜り、天正13年(1585年)に移転している。元和9年(1623年)、本山より寺号を名乗る許可を得て名を願連寺と改め、慶安2年(1649年)に宣如上人から本尊の阿弥陀如来像を下付された。現在の本堂は明治28年(1895年)に建てられたものである。 盂蘭盆会に吉田川において八幡仏教会の主催で行われる灯篭流しでは、法要が営まれる会場となっている。また、2018年に行われた”輝け!お寺の掲示板大賞”において、当寺の掲示した「おまえも死ぬぞ 釈尊」という言葉が仏教伝道協会大賞に選ばれている。

吉祥寺 (山県市) 岐阜県山県市岩佐240   黄檗宗  
吉祥寺(きっしょうじ)は岐阜県山県市岩佐にある釈迦如来を本尊とする黄檗宗の寺院で、山号は水上山。美濃新四国75番札所。なお、山県市西深瀬には臨済宗妙心寺派(東海派雑華院下)の同名寺院がある。 寛文12年春(1672年)に富岡村の元真善士が黄檗宗の高僧潮音道海に帰依して一宇を建立、三哲覚照を開山に迎えたという。その後無住の時期を経て弘化年間(1845年-1848年)に小屋名臨川寺より天桂和尚を迎えて中興となし、現在に至る。

来振寺 岐阜県揖斐郡大野町稲富398   真言宗智山派  
来振寺(きぶりじ)は、岐阜県揖斐郡大野町稲富にある真言宗智山派の寺院である。山号は宝雲山。 本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。 西美濃三十三霊場第二札所。

行基寺 岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1    
行基寺(ぎょうきじ)は、岐阜県海津市にある浄土宗の寺院である。山号は臥龍山。 別名「月見寺」、「隠れ城」、「お月見の寺」。行基入定の地の伝承がある。美濃高須藩藩主松平氏菩提寺である。本尊は阿弥陀如来。西美濃三十三霊場27札所。

玉龍寺 岐阜県下呂市金山町中切1545番地   臨済宗妙心寺派  
玉龍寺(ぎょくりゅうじ)は岐阜県下呂市金山町中切にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は要仲山。益田西国三十三霊場1番札所である。境内には多くのモミジやドウダンツツジが植えられ、もみじ寺の別称で知られる紅葉の名所となっている。

清水寺 (岐阜県富加町)    
清水寺(きよみずでら)は岐阜県加茂郡富加町にある臨済宗妙心寺派の寺院。加治田城城下町の加治田山山麓に位置する。山号は白華山(はっかさん)。本尊は十一面観音。美濃三十三観音霊場第二十六番札所である。日本全国でも京都音羽山清水寺と同じ縁起であり、唯一の兄弟姉妹富加町加治田白華山清水寺だけが歴史・霊地として存在している。1200年鎮座する古刹として歴史価値が深い貴重な清水寺である。

金山寺 (各務原市) 岐阜県各務原市各務西町4-131   臨済宗妙心寺派  
金山寺(きんざんじ)は、岐阜県各務原市各務西町にある臨済宗妙心寺派の寺院。

金宝寺 (羽島市) 岐阜県羽島市桑原町八神2221   臨済宗妙心寺派  
金宝寺(きんぽうじ)は、岐阜県羽島市にある臨済宗妙心寺派の寺院。

金蓮寺 (岐阜県垂井町) 岐阜県不破郡垂井町1609-1   時宗  
神護山金蓮寺(きんれんじ)は、岐阜県垂井町にある時宗の寺院である。本尊は阿弥陀如来。かつては御所野道場とも呼ばれた。足利春王丸、足利安王丸終焉の地として知られる。 延暦年間に伝教大師最澄によって、天台宗の寺院として御所野の地に開かれたと伝わり、創建当初は南宮大社の神宮寺であった。応永17年(1410年)に遊行上人11世自空により中興され、時宗の寺院となる。嘉吉元年(1441年)には、結城合戦に敗れた足利持氏の子、足利春王丸と足利安王丸の2人が京都へ護送される途中、当地で斬殺されている。その際に遊行上人17世睴幽により弔われ、その木像が作られている。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにより兵火を受けて焼け落ちたため、現在地に再建された。また、成立した江戸幕府により、350石有していた寺領の大半を没収されて寺領は35石となっている。 旧境内地には足利春王丸、足利安王丸兄弟の墓があり、岐阜県指定の史跡となっている。また、寺内に祀られている同兄弟の木像は垂井町の文化財に指定されている。

宮処寺跡 岐阜県不破郡垂井町御所野1499-2(史跡標識所在地)    不明  
宮処寺跡(ぐうしょじあと)は岐阜県不破郡垂井町御所野にある白鳳期の寺院跡。岐阜県によって史跡に指定されている。宮処寺の読み方には『きゅうしょじ』、『みやしろじ』が挙げられているが、史跡の名称としては『ぐうしょじ』となっている。

愚渓寺 岐阜県可児郡御嵩町中2635-1   臨済宗妙心寺派  
愚渓寺(ぐけいじ)は、岐阜県可児郡御嵩町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大智山。石庭は竜安寺の石庭の原型となったといわれる。2007年に、本堂、位牌堂の新築工事を行った。

弘誓寺 岐阜県山県市椎倉289   臨済宗妙心寺派  
弘誓寺(ぐせいじ)は、岐阜県山県市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は椎倉山。本尊の聖観音菩薩は美濃西国三十三観音霊場20番札所で、美濃四国71番札所でもある。 もと方県郡安食村椎倉堂にあった聖徳太子作と伝わる聖観音菩薩を、土岐成頼が文安2年(1445年)に現在地へ移し、天台宗寺院として開かれた。天文年間に斎藤道三により焼かれたものの、本尊の聖観音菩薩は無事に逃れ、観音像を祀るための草庵が結ばれた。江戸時代に入り、寛文2年(1649年)に月庭和尚により再興され、臨済宗妙心寺派の寺院となり現在に至る。 境内には弁天堂、十王堂、薬師堂などがある。

渓雲寺 岐阜県多治見市笠原町719   臨済宗妙心寺派  
渓雲寺(けいうんじ)は岐阜県多治見市笠原町にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を龍吟山と称する。東海四十九薬師霊場24番札所。 字深山にあったという鳳来寺所縁の薬師堂がその濫觴とされる。薬師堂には妻木崇禅寺3世末伝和尚が隠居していたと伝わる。承応2年(1653年)7月に字元竃に移転し、龍吟山と称する様になる。元禄6年(1693年)諸像の傷みが激しくなっていたことから修復を施している。文化12年(1815年)に火災に見舞われ、伽藍とともに古文書の多くを失った。明治に至り本尊を釈迦如来にあらため、薬師如来は新たに設けられた薬師堂に移された。

桂昌寺 (郡上市) 岐阜県郡上市美並町大原579    
桂昌寺(けいしょうじ)は岐阜県郡上市美並町にある寺。境内に咲くぼたんの花が有名。なお副住職の清水宗元はブラジリアン柔術団体の代表。

華厳寺 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23   天台宗  
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩。脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。西国三十三所第33番札所。満願結願の寺院で、桜や紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。西国三十三所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。 本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか ご詠歌(現世「本堂」):世を照らす仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり ご詠歌(過去世「満願堂」):万世(よろずよ)の願いをここに納めおく 水は苔より出る谷汲 ご詠歌(未来世「笈摺堂」):今までは親と頼みし笈摺を 脱ぎて納むる美濃の谷汲

月桂院 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72   曹洞宗  
月桂院(げっけいいん)は山号を清光山と称する岐阜県揖斐川町にある曹洞宗の寺院。西美濃三十三霊場4番札所で、稲葉良通(稲葉一鉄)の菩提寺として知られる。

元昌寺 岐阜県多治見市根本町9丁目[1]   臨済宗妙心寺派[2]  
元昌寺(げんしょうじ)は、岐阜県多治見市根本町にある寺。臨済宗妙心寺派(聖沢派)。号は高社山。本尊は聖観音菩薩。

源長寺 (中津川市) 岐阜県中津川市茄子川1314   曹洞宗  
中津川市(なかつがわし)は、岐阜県の東濃地域にある市。長野県に隣接しており、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深いが、近年は愛知県名古屋市などとの関係が強まっている。

廣恵寺 岐阜県中津川市福岡植苗木   臨済宗妙心寺派  
廣恵寺(こうえじ)は、岐阜県中津川市福岡植苗木の城ケ根山にかつて存在した臨済宗妙心寺派の寺院。山号は智源山。

高家寺 岐阜県各務原市那加北洞町一丁目390番地   高野山真言宗  
高家寺(こうけじ)は、岐阜県各務原市那加北洞町にある高野山真言宗の密教寺院。

江月寺 岐阜県羽島郡岐南町徳田6-153   臨済宗妙心寺派  
江月寺(こうげつじ)は岐阜県羽島郡岐南町徳田にある如意輪観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派天球院下)の寺院で、山号は大猷山。美濃郡代ゆかりの寺で、美濃四国30番札所となっている。 元和4年(1618年)に月庭宗徹により開かれる。創建時は大祐庵と称していたが、徳川家光の法号と読みが同じであったため、それを憚り現在の寺号に改めたと伝わる。 宝暦年間に大般若経を納める経堂が建立され、美濃郡代の青木安清より経典の転読を行うことを指図されている。寛政4年(1792年)、大敬和尚代に地蔵堂を建立。更に7世住持要明代に弘法堂を建立した。 歴代美濃郡代と関係が深い。 美濃郡代13代、千種清右衛門直豊が寺の藤の見物に訪れている。 美濃郡代21代、松下内匠堅徳の五男、松下照国の墓がある。 美濃郡代24代、岩田鍬三郎より金100疋の寄進を受けその次男、岩田通久の墓が建立された。 ほかに、美濃郡代より下された書状を所蔵する。

広厳寺 (山県市) 岐阜県山県市高富69   臨済宗妙心寺派  
広厳寺(こうごんじ)は、岐阜県山県市にある臨済宗妙心寺派の寺院。

光得寺 (岐阜県笠松町) 岐阜県羽島郡笠松町無動寺221   浄土真宗大谷派  
光得寺(こうとくじ)は岐阜県羽島郡笠松町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院で、山号は安養山。無動寺の戦いがあった地として知られる。 延元元年(1336年)に本願寺3世覚如上人の法子、喜法和尚により創建される。天文13年(1544年)に起きた無動寺の戦いで斎藤方の拠点となって砦に改宗され、無動寺城と名付けられる。織田方に攻撃を受けている最中に守備していた土岐頼香が斎藤道三の命を受けた刺客により攻撃を受けて自害し、境内に葬られた。設けられた塚を土岐塚と称する。寺の梵鐘は手力雄神社で用いられるために文明7年(1475年)に鋳られたものを明治9年(1876年)に移したもので、岐阜県の文化財に指定されている。

高徳寺 (中津川市) 岐阜県中津川市蛭川5349   臨済宗妙心寺派  
高徳寺(こうとくじ)は岐阜県中津川市蛭川にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。本尊の十一面観音菩薩は恵那三十三観音30番、境内の蛙薬師は中部四十九薬師35番の札所本尊となっている。 伝説によれば元中3年/至徳3年(1387年)南朝の尹良親王が当地の巨岩の下に薬師如来を奉安したと伝わる。この巨岩が蛙の形をしていたため、蛙薬師と呼ばれるようになった。その後、天正13年(1544年)に木曽川で洪水が起きた際に木曽義仲の紋章のある厨子が流れ着いたため、別に堂を設けて祀った。延宝2年(1674年)に苗木藩主遠山友春が宗雲を開山として堂宇を整備し、普門院と名付けた。明治時代に至って苗木藩の廃仏毀釈運動により廃寺となるが、苗木雲林寺最後の住職の剛宗宗載が岐阜県山県郡の高徳寺を移転させる形で再興を果たした。

興徳寺 (瑞浪市) 岐阜県瑞浪市稲津町小里2600-1   臨済宗妙心寺派  
興徳寺(こうとくじ)は岐阜県瑞浪市稲津町小里にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派)の寺院で、山号は全源山。美濃瑞浪三十三霊場13番札所である。当地を支配した小里氏の菩提寺であった。 慶長6年(1601年)に小里城主であった小里光親がその父である小里光明の菩提を弔うために当林和尚を招いて創建した。その後、元和9年(1623年)に小里氏が滅亡したため、檀越を失い寺運が傾いた。寛永11年(1634年)に全源宗耽が当寺の住持となり中興している。元禄9年(1696年)に伽藍が焼失したが、宝永元年(1704年)に再建を果たしている。また、江戸時代には市原の禅躰寺、須之宮の陽光寺(現在は廃寺)及び小里の永泉寺(現在は廃寺)を末寺としていた。 寺宝として岐阜県の文化財に指定されている延文2年(1357年)制作の木造菅公像を所蔵する。

広福寺 (土岐市) 岐阜県土岐市土岐津町土岐口974-1   臨済宗妙心寺派  
広福寺(こうふくじ)は岐阜県土岐市土岐津町にある十一面観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は寿門山。中部四十九薬師霊場32番札所。前身の一つ、慈門山広徳寺はかつて行われていた土岐郡三十三所観音霊場で15番札所であった。 寛永2年(1625年)に三河国挙母村の雲外霄公が崇禅寺中興清巌に開山を請い、領主の妻木頼利に願い七石二斗の寺領を得て堂宇を建立。寛永13年(1636年)に崇禅寺中興2世の見龍和尚が住持となり、慈門山広徳寺として開かれた。万治2年(1659年)、妻木氏が無嗣のため大幅減禄となり寺領を失った。創建当初は山間部にあったが、元禄年間のころ土岐口辛沢へ移転したとみられる。明治24年(1891年)に同地の寿陽山保福院と合併し、寿門山広福寺と改める。同34年(1901年)本堂と庫裏が火災で失われたため薬師堂のある現在地に移ることを決め、大正7年(1920年)に現在地に移転した。 本尊十一面観音のほか、左右に吒枳尼天と薬師如来を祀る。

国恩寺 岐阜県本巣市春近436-1   真言宗醍醐派  
国恩寺(こくおんじ)は岐阜県本巣市春近にある大日如来を本尊とする真言宗醍醐派の寺院で、山号は浄妙山。美濃四国52番札所。 創建不詳。伝承によれば弘法大師空海により開かれたと伝わる。当寺で弘法大師が門を閉め切って修法を行ったという伝説から、山門は常に閉じ潜り戸から境内に入るという慣習がある。また境内には弘法大師のお手植えまたは錫杖から根を張り育ったと伝わる樹齢1000年を超える柊の古樹がある。この柊は岐阜県により天然記念物に指定されている。また、この柊の由緒をもって柊寺とも呼ばれている。

金剛寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町市場1395-2   高野山真言宗  
金剛寺(こんごうじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町市場にある観音菩薩を本尊とする真言宗の寺院で、山号は春日山。西美濃三十三霊場3番札所。近隣では市場の弘法さんと呼ばれる。 弘法大師に崇敬の念を抱く立木多満が瑞巌寺で祀られていた市場出身の内藤才兵が彫刻した弘法大師像を納める寺の建立を発願し、昭和22年(1947年)に開創した。寺が開かれた際に高野山真言宗の美濃国分寺から十一面観音菩薩を貰い受けている。 昭和55年(1980年)に西美濃三十三霊場の一部札所が変更となった際に円鏡寺に代わって3番札所となった。

西光寺 (本巣市) 岐阜県本巣市根尾水鳥212   浄土真宗本願寺派  
西光寺(さいこうじ)は岐阜県本巣市根尾水鳥にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は水鳥山と称する。 文明6年(1474年)に栃川中将蓮実により、越前国丹生郡栃川村(福井県越前町)に建立される。その後、天文3年(1575年)8月に6世の正悟が織田信長の越前攻めで越前一向一揆に参加し、木ノ芽峠で敗北を喫した。その子7世明順が根尾水鳥にて慶長5年(1600年)に准如上人より本尊を下付され、栃川西光寺として再興を果たした。明治24年(1891年)に寺の南約500mの根尾谷断層を震源として発生した濃尾地震により倒壊したが、鐘楼の材木は破損をまぬかれたため再建の際にそのまま用いられている。

最勝寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町島谷672   浄土真宗本願寺派  
最勝寺(さいしょうじ)は岐阜県郡上市八幡町島谷にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は妙高山。 貞永2年(1233年)に親鸞に帰依した源宗政が摂津国多田庄に寺を設けたことに始まる。延徳元年(1489年)に郡上郡市島村(現在の郡上市八幡町市島)に最勝寺の道場が建立されるか、永禄9年(1566年)に戦火により焼失、川佐村(同町旭)に移転した。さらに越前国大野郡に移転した後、寛永元年(1624年)に3つに寺が分かれ、その一つが八幡町に建てられる。寛文5年(1665年)遠藤常友が城下に寺院を集めて町を整備するのに伴い、現在地に移転した。 境内には妙高保育園、妙高幼稚園がある。

西方寺 (羽島市) 岐阜県羽島市足近町直道601-2   真宗大谷派  
西方寺(さいほうじ)は岐阜県羽島市足近町直道(あじかちょうすぐみち)にある真宗大谷派の寺院。山号は寺田山で院号は渋谷院。羽島市最古の寺院。

西明寺 (岐阜県笠松町) 岐阜県羽島郡笠松町円城寺1631   臨済宗妙心寺派  
西明寺(さいみょうじ)は岐阜県羽島郡笠松町円城寺にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派光国院下)の寺院で、山号は臨在山。美濃四国29番札所。 もと神明神社の神宮寺であったと伝わる。創建年、開基、開山不詳。寺地が木曽川にほど近く洪水により大きな被害を受けていたものを、總見寺5世、光国寺4世であった桐峯和尚が再興して西明寺とした。幕末にも水難に遭い存立を脅かされるが光国寺並びに江月寺の住持が瑞龍寺の禅外老師を招いて中興した。本尊の阿弥陀如来はもと宇治平等院にあったと伝わる。また、明治時代に起きた廃仏毀釈運動で度会郡星坂一行寺に祀られていた室町時代作の日切地蔵が移されている。境内には大師堂があり、美濃四国の霊場札所となっているほか、観音堂ならびに弁天堂がある。

桜堂薬師 岐阜県瑞浪市土岐町5728   臨済宗妙心寺派  
桜堂薬師(さくらどうやくし)は岐阜県瑞浪市土岐町字桜堂にある寺院で、山号は瑞櫻山。本来の寺号は法妙寺であるが、通称の桜堂薬師の名で広く知られている東濃地方屈指の古刹。 開創以前、奈良時代に元正天皇の皇女の病を癒したという伝説があり、境内には皇女の病を癒したと伝わる疣岩という霊石がある。その後弘仁3年(812年)、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師円仁の法嗣である三諦上人覚祐が天台宗の寺院として開いたと伝わる。上人が当地を訪れた際、桜の葉の虫食い跡が経文となる奇瑞があったとされる。三諦上人はこの地で没したとされて、その供養塔が寺の東の山中にある。供養塔には元慶3年(879年)と記銘されていたといわれ、岐阜県最古の記銘石造建造物として県指定の史跡となっている。そのころの桜堂薬師は高野山、比叡山に並び三山と呼ばれていたとされている。 その後、沙石集に桜の名所として紹介されるなど、鎌倉時代にも崇敬を集めていた。鎌倉幕府からも保護され比叡山の末寺として24坊とも36坊とも言われる坊院を有していた。24の坊院の名前と場所は現在に伝わっている。 元亀2年(1571年)に武田氏の東濃侵攻の際に森長可によって焼かれるが、戦乱が収まった後に森長可と土岐信友によって再興される。その後江戸時代に入ると岩村藩主松平氏によって保護されるが、松平氏が国替えによって岩村を離れると外護者を失い衰退した。天台僧永秀が衰退した桜堂薬師を訪れて再興を志したものの、老齢のため法嗣の賢秀にその希望を託した。寛文7年(1667年)に松平氏に代わって岩村藩主となった丹羽氏純の助力を得て再建が成る。その後、無住となり臨済宗妙心寺派の信光寺が管理している。 寺宝として陵王、抜頭、納曽利の舞楽面や松平氏や丹羽氏、名古屋の商人によって慶長年間から享保年間にかけて奉納された絵馬があり、これらは岐阜県の文化財に指定されている。このうち、絵馬は所蔵していた掛け軸などと共に平成14年(2002年)に盗難に遭い失われた。寺院境内の観音堂にある観音菩薩は大悲山で峰山観音として祀られていたものを当寺に移したものである。寺の周りに鶴池、亀池と呼ばれる池があって蓮花の名所となっている。

三光寺 (山県市) 岐阜県山県市富永671-1   真言宗醍醐派  
三光寺(さんこうじ)は、岐阜県山県市富永にある真言宗醍醐派の寺院。通称、山あじさいの寺、あじさい寺。境内には140余品種9千株の山あじさいが植えられ、この地方では最大規模という。6月初旬から7月初旬が見ごろである。この時期には毎年「あじさい祭り」が開催される。

山田寺 (各務原市) 岐阜県各務原市蘇原寺島町1-100   臨済宗妙心寺派  
各務原市(かかみがはらし)は、岐阜県の南部に位置する市。

山王坊 岐阜県下呂市森2318-3   高野山真言宗  
山王坊(さんのうぼう)は岐阜県下呂市森にある毘沙門天を本尊とする高野山真言宗の寺院。山号は弘法山。東海白寿三十三観音霊場27番札所。飛騨信貴山の異名を持つ。 昭和12年(1937年)に下呂水明館創業者の滝多賀男が建立を志し、中呂の大前家旧家を下呂に移して昭和14年(1939年)に本堂、庫裡が完成した。寺格は美濃市上有知村向山にあった貞享2年(1685年)建立の寺より移し、八王子市金剛院の田和諦観師を開山に招いて開かれた。

慈雲院 (下呂市) 岐阜県下呂市乗政852   臨済宗妙心寺派  
慈雲院(じうんいん)は岐阜県下呂市乗政にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を光明山と称する。 創建不詳。もとは大威徳寺の子院であったと伝わるが、その廃絶とともに禅昌寺の末寺となったという。中興は慶長5年(1603年)で禅昌寺5世功叔宗輔を中興開山とする。明治の神仏分離以前は乗政八幡神社の別当を務めており、現在でも隣り合って敷地がある。 益田西国三十三霊場のうち乗政の真観堂(14番、聖観世音菩薩)を受け持っている。また、令和3年(2021年)から始まった下呂温泉周遊七福神めぐりでは大黒天を祀る霊場となっている。

慈恩寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町島谷399   臨済宗妙心寺派  
慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県郡上市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は鐘山。寺号は正しくは慈恩護国禅寺と称する。本尊は釈迦如来。

地蔵寺 (下呂市) 岐阜県下呂市宮地939   臨済宗妙心寺派  
地蔵寺(じぞうじ)は岐阜県下呂市宮地にある地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は金錫山。 永禄2年(1559年)、領主の三木良頼により、禅昌寺3世の仁谷智腆を開山として建立される。本尊の延命地蔵菩薩は年代不明であるが胎内仏を有する珍しいもので、祖中という人物がその子息の菩提のために背負って行脚していたものがこの地で重たくなったため安置したものと伝わる。別名を孕み地蔵、子育て地蔵と称する。寺院の堂宇は貞享2年(1685年)と文政3年(1820年)に改築されている。明治時代に至り廃仏毀釈運動により廃寺となった中津川の雲林寺の本尊が福岡法界寺を経て当寺に至り祀られている。これら二つの地蔵菩薩は岐阜県指定の文化財に指定されている。 地蔵菩薩には内臓の病に利益があるとされ、境内には奉納されたものを含め多くの地蔵菩薩の石像があり、癌封じの寺として知られている。寺が管理している宮地観音堂は別称清浄堂と称し、益田三十三観音霊場の12番札所となっている。また、同じく管理下の野尻にある具足堂は同13番札所である。

慈徳院 (土岐市) 岐阜県土岐市土岐津町427-1   臨済宗妙心寺派  
慈徳院(じとくいん)は岐阜県土岐市土岐津町にある十一面観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は妙光山。 崇禅寺の境内に妻木城主の妻木広美の菩提を弔うために建立されたと伝わる。妻木広美の没年から建立は天文11年(1542年)以降と考えられる。 常照寺や極善寺が高山の外へ移転したため、村内から寺が無くなったことを憂えた住人が崇禅寺住持で広徳寺2世の松嶺和尚を開創に招き、広徳寺4世の黙叟宗宣を開山として迎えた。領主の妻木氏より供養料として2石1斗が与えられたが、万治元年(1658年)に妻木氏が無嗣改易となった際に、寺領を失っている。元禄8年(1695年)に土岐郡三十三所巡礼が開かれた際は、その14番札所となっている。8世の高庵恵丘は明治時代に伽藍の改修を行い、中興とされる。

修学院 (瑞穂市) 岐阜県瑞穂市本田1523-1   真言宗智山派  
修学院(しゅうがくいん)は岐阜県瑞穂市にある大日如来を本尊とする真言宗智山派大須宝生院末の寺院。山号は金鏡山、寺号は宝積寺という。美濃四国49番札所。 康治年間、養道大和尚による創建と伝わる。寺の記録によれば康永元年(1342年)に関谷光正が1町5反を寄進したという、それ以来関谷氏により維持されてきたが、万治2年(1659年)に関谷忠兵衛が寺を再興するため大須宝生院の下に入った。19世の関谷瑞応が遷化した明治20年以降無住となり、明治24年(1891年)濃尾地震により倒壊した。檀家が再興を発願し、大垣明星輪寺より尭栄を招き明治38年に再建された。

常栄寺 (海津市) 岐阜県海津市平田町今尾3118   日蓮宗  
常栄寺(常榮寺、じょうえいじ)は岐阜県海津市平田町今尾にある宝塔両尊仏を本尊とする日蓮宗の寺院で、山号は翠光山。今尾藩領主竹腰氏の領内菩提寺である。

浄栄寺 岐阜県羽島市竹鼻町2959   真宗大谷派  
浄栄寺(じょうえいじ)は、岐阜県羽島市竹鼻町にある真宗大谷派の寺院で、山号は龍登山。

正眼寺 岐阜県美濃加茂市伊深町872-2   臨済宗妙心寺派  
正眼寺(しょうげんじ)は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。

承国寺 岐阜県各務原市古市場町4-87(常国寺紀念堂)   臨済宗  
承国寺(じょうこくじ)は岐阜県各務原市古市場の大安寺川と木曽川の合流点東岸付近にあった臨済宗の諸山に列せられていた寺院で、山号は南豊山。現在は廃寺となっている。土岐持益菩提寺。 土岐家10代当主、土岐持益が太岳周崇の法嗣、鈍仲全鋭を開山として建立した。正確な創建された年は知られていないが、文献には長禄2年(1458年)に現れていることから1450年頃に建立されたとみられる。文明年間に詩僧の万里集九が近隣に居を構えて承国寺の僧侶と交流があったため、その著書『梅花無尽蔵』に当寺に関する記載が多数みられる。 塔頭としては興禅院、対松院、興雲院、衆善軒や春沢軒などが知られており、住持には南渓全曹、梅心瑞庸や子薦梵鶚などが就いた。承国寺の名は1520年代には記録から消えており、間もなく廃寺となったと考えられている。 土塁の残っていた土地を各務原市が平成8年(1997年)に発掘調査を行い、溝や土坑、柱穴等の遺構や、土師器などの遺物が発見されている。跡地には常国寺紀念堂が建立されている。

小山寺 (美濃加茂市) 岐阜県美濃加茂市下米田町小山104   臨済宗妙心寺派  
美濃加茂市(みのかもし)は、岐阜県の南部に位置する市である。

乗性寺 岐阜県郡上市美並町白山697-3   浄土真宗大谷派  
乗性寺(じょうしょうじ)は岐阜県郡上市美並町にある浄土真宗大谷派の寺院で、山号は戸谷山。郡上領主東氏ゆかりの寺院で、浄土真宗寺院としては郡上市(郡上郡)最古である。郡上藩主遠藤氏の菩提寺。 正嘉元年(1257年)、郡上郡山田庄の地頭、東胤行が出家して素暹を名乗り戸谷道場として開いた。その後東氏及びその支流である遠藤氏の菩提寺として保護された。寛永8年(1631年)、郡上藩初代藩主遠藤慶隆の戒名に因み、寺名を乗性寺とする。戦国時代の郡上領主東常縁の墓とされるものがある他、郡上八幡城初代城主遠藤盛数の墓及び郡上藩初代藩主遠藤慶隆から四代遠藤常春にいたる藩主の墓及びその肖像画、系図などを有している。

正伝寺 (岐阜県八百津町) 岐阜県加茂郡八百津町野上1298-1   臨済宗妙心寺派  
正伝寺(しょうでんじ)は、岐阜県加茂郡八百津町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は法雲山。

乗福寺 (山県市) 岐阜県山県市東深瀬1135   高野山真言宗  
乗福寺(じょうふくじ)は岐阜県山県市東深瀬にある毘沙門天を本尊とする高野山真言宗の寺院で、山号は南赫山。美濃新四国78番札所。 創建不詳、開基不明。ただし、寛文13年(1673年)寂と記した権大僧都秀遍の位牌があることから、それ以前の創建であると思われる。栄遍法印による中興が行われたが、明治2年4月28日に火災により焼失。同4年に再建された。 本尊のの他、弘法大師や地蔵菩薩、十王像が祀られている。

正福寺 (土岐市) 岐阜県土岐市鶴里町細野783   曹洞宗  
正福寺(しょうふくじ)は岐阜県土岐市鶴里町にある薬師如来と聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は東岳山。中部四十九薬師霊場29番札所。 福岡庄蔵が永禄年間に隠居した庵がその始まりである。慶長18年(1613年)に庵主が没した後、寛永10年(1633年)に盛久寺4世白峯林太が名を繁岳山福昌寺と改めて開山となった。天保3年(1832年)に盛久寺12世自回巌道を勧請して法地に昇格している。本堂は寛保4年(1744年)、庫裡は元治元年(1864年)のものである。 昭和36年(1961年)に東谷山正宗寺と合併し、現寺号に改めている。 東谷山正宗寺は寛永16年(1639年)に当寺と同じく白峯林太を開山に迎えて建立され、元禄5年(1692年)に一外泰円が中興を果たした。安政5年(1776年)、10世連灯禅芳和尚のときに法地に昇格し、翌年三河国白川村(現在の愛知県豊田市白川町)より蔵円寺の本堂を移した。東谷山正宗寺には聖徳太子作という伝説がある薬師如来と阿弥陀如来が伝わっており、中部四十九薬師の札所本尊となっている。

荘福寺 岐阜県養老郡養老町押越728-16   臨済宗南禅寺派  
荘福寺(しょうふくじ)は岐阜県養老郡養老町にある薬師如来を本尊とする臨済宗南禅寺派の寺院で、山号は久昌山。戦国時代に多芸郡の領主であった丸毛氏の菩提寺。 正確な創建年は不詳であるが、鎌倉時代の武将小笠原長清が鎌倉幕府の許可を得て建立したと伝わる。創建時の宗派及び開山は不明。創建当初は多岐枯木の地にあったという。その後、貞治2年(1363年)に小笠原長清の子孫の丸毛兼頼により中興されている。応仁2年(1468年)、小笠原長清の墓所があった京長清寺が焼失した際に、丸毛長照が小笠原長清の遺骨を当寺に分骨して葬っている。元禄12年(1699)正月に回禄の災いに遭い、一部を焼失するが元文2年(1637年)に再興を果たした。昭和9年(1934年)に牧田川改修工事に伴い現在地に移転する。 丸毛兼頼から丸毛三郎兵衛に至る21代の墓の他、丸毛氏歴代の位牌を祀っている。また、前述の小笠原長清の骨器を蔵し、漆骨蔵器として岐阜県の文化財に指定されている。境内には怨霊が宿り微温を保ち夜毎奇声を上げていた姥石という奇石があったが、寺に滞在していた清巌正徹が歌を詠んで刀を当てたところ以後怪異は止んだと伝わる。

松本寺 岐阜県各務原市山脇町5-138   臨済宗妙心寺派  
松本寺(しょうほんじ)は岐阜県各務原市山脇町にある威徳観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(聖澤派長慶院下)の寺院で、山号を不動山とする。美濃新四国26番札所。

称名寺 (岐阜県笠松町) 岐阜県羽島郡笠松町円城寺1023   浄土真宗大谷派  
称名寺(しょうみょうじ)は、岐阜県羽島郡笠松町円城寺にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院。濃尾地方における浄土真宗弘通の濫觴となった河野九門徒の一つ。 延暦3年(784年)、伝教大師により天台宗の円融寺として建立されたという。嘉禎元年(1235年)に伊東祐親の孫、善海が親鸞聖人に帰依して称名寺と改名した。濃尾地方の浄土真宗寺院の始まりとして後にほかの寺院と合わせて河野九門徒と呼ばれた。宝暦8年(1758年)に寺号に河野を冠する。安政2年(1855年)には御坊となり、明治9年(1876年)に至って管刹になった。明治13年(1880年)に本堂を再建するが、明治24年(1891年)に濃尾地震の被害を受けている。

少林寺 (各務原市) 岐阜県各務原市那加新加納町2104-1   臨済宗妙心寺派  
少林寺(しょうりんじ)は、岐阜県各務原市那加新加納町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。

松林寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1323-1   臨済宗妙心寺派  
松林寺(しょうりんじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慧照山。揖斐藩主西尾光教、揖斐領主岡田氏ゆかりの寺である。 長禄2年(1458年)、妙心寺五祖の義天玄詔が開く。その後は外護者を欠き焼失して廃れたが、慶長年間に揖斐藩主となった西尾光教が自らの菩提寺として再建し、天台宗の寺院に改めるが揖斐藩はわずか2代で無嗣改易となったため、再び外護者を失ってしまう。その後揖斐領主として入部した岡田善政が再び臨済宗妙心寺派の寺院に改めて菩提寺に定めた。 西尾光教および一族の墓が揖斐川町の史跡に指定されているほか、岡田善政が上有知藩収公の際に接収した金森長近の銘がある古梵鐘を有している。

定林寺 (土岐市) 岐阜県土岐市泉町定林寺422   臨済宗  
土岐市(ときし)は、岐阜県の南東部に位置する市である。 美濃焼の産地であり、「陶磁器生産量日本一のまち」として知られる。また、織部焼発祥の地でもある。

白川寺 岐阜県加茂郡白川町河岐1628   高野山古義真言宗  
白川寺(しらかわじ)は、岐阜県加茂郡白川町河岐にある弘法大師を本尊とする高野山古義真言宗の寺院。山号は小原山。東海白寿三十三観音霊場26番札所。 天明年間に愛宕神社が勧請されていた山に昭和15年(1940年)に藤井諄鳳が開いた。本尊の弘法大師の他に脇侍として大日如来と不動明王を祀る。愛宕神社が祀られていた故事から愛宕山の異名を持つ。

信光寺 (瑞浪市) 岐阜県瑞浪市土岐町2325   臨済宗妙心寺派  
信光寺(しんこうじ)は岐阜県瑞浪市土岐町にある十一面観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派光國院下)の寺院で、山号は瑞巌山。美濃瑞浪三十三霊場2番札所。

真光寺 (岐阜県七宗町) 岐阜県加茂郡七宗町上麻生2056   臨済宗妙心寺派  
真光寺(しんこうじ)は岐阜県加茂郡七宗町上麻生にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派春浦院下)の寺院。山号は寺平山。中部四十九薬師霊場47番札所である。 創建不詳であるが、開山の没年から延宝3年(1675年)以前とみられる。行基作と伝わる薬師如来を祀る小堂を寺に改めたのが始まりと伝わる。開山は加治田龍福寺3世陽南玄忠である。明和5年(1768年)火難に遭って堂宇を焼失する。その後再建を果たし、明治時代に至って玄関と土蔵を設え、鐘楼を建立した。本堂はもと茅葺きであったが、昭和27年(1952年)に瓦葺に改めている。また、現在の梵鐘は昭和に至り梵鐘を戦時供出した後、昭和28年(1953年)に再び鋳たものである。

真宗大谷派笠松別院 岐阜県羽島郡笠松町西宮町42   真宗大谷派  
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。 阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする。 2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。

神照寺 (可児市) 日本 岐阜県可児市兼山1164番地   高野山真言宗  
神照寺(じんしょうじ)は、岐阜県可児市兼山にある高野山真言宗の寺。本尊は鬼門封じ不動明王。

真禅院 岐阜県不破郡垂井町宮代2006    
真禅院(しんぜんいん)は、岐阜県不破郡垂井町にある天台宗の寺院である。山号は朝倉山(あさくらさん)。山号にちなみ朝倉山真禅院、朝倉寺、または単に朝倉山とも呼ばれている。 かつての南宮大社の僧坊であった。 本尊は無量寿如来(阿弥陀如来)、十一面観世音菩薩。無量寿如来は南宮大社本地仏。 古くから霊験があると言われ、平安時代の承平天慶の乱の際、朱雀天皇の勅令により平将門調伏祈願が行なわれている。また、前九年の役の際、後冷泉天皇の命により安倍貞任追討祈願がおこなわれている。 境内には干支の守り本尊(守護仏)がある。 西美濃三十三霊場第十七札所。美濃七福神(大黒天)

真禅寺 (可児市) 岐阜県可児市西帷子490-1   臨済宗妙心寺派  
真禅寺(しんぜんじ)は、岐阜県可児市西帷子にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は普傳山。可児新四国71番札所。 伝説によると行基が修行を行った由緒のある土地であるという。文永年間、備中国の井山宝福寺の鈍庵禅師が開山として寺を建てた。永正8年(1511年)に土田城主の生駒道寿により生駒氏の菩提寺となる。その後生駒氏が当地を離れてから外護者を失い一時無住となったが、天正11年(1583年)に森長可が菩提寺に定める。翌年に近隣で起きた小牧長久手の戦いで長可は戦死し、その首が葬られた。慶長14年(1609年)に寺領10石9斗の寺領が与えられている。慶長17年(1612年)と天明2年(1782年)に火災に遭うがその都度再興を果たしている。

真福寺 (羽島市) 岐阜県羽島市桑原町大須2759-131   真言宗  
真福寺(しんふくじ)は、岐阜県羽島市桑原町大須にある真言宗の寺院。

瑞應寺 (岐阜県笠松町) 岐阜県羽島郡笠松町奈良町65   臨済宗妙心寺派  
瑞應寺(ずいおうじ)は、岐阜県羽島郡笠松町奈良町にある臨済宗妙心寺派(東海派天球院)の寺院。本尊は聖観世音菩薩。山号は麟祥山で、鐘楼門が鮮やかな赤色に塗られていることから赤門寺の別称がある。美濃四国31番札所。

瑞巌寺 (各務原市) 岐阜県各務原市那加北洞町1-325   曹洞宗  
瑞巌寺(ずいがんじ)は、岐阜県各務原市那加北洞町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号を北洞山とする。美濃新四国8番札所、ぎふ七福神大黒天。 平安時代に伝教大師最澄が開創したと伝わるが、その後寺運が傾き古記録を失ったため中興までの歴史は定かではない。寛永16年(1639年)に加納藩主となった松平光重により、曹洞宗加納全久院下の寺院として中興される。北洞村庄屋の記録によれば、伽藍の建立は承応3年(1654年)となっている。2012年に岐阜市とその近郊の曹洞宗寺院で始まったぎふ七福神においては大黒天を祀っている。

瑞巌寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町瑞岩寺192   臨済宗  
揖斐川町(いびがわちょう)は、岐阜県揖斐郡に属する町。

瑞林寺 (美濃加茂市) 岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋9-1   妙心寺派  
瑞林寺(ずいりんじ)は、岐阜県美濃加茂市蜂屋町にある臨済宗妙心寺派の寺である。

清安寺 (土岐市) 岐阜県土岐市泉町久尻1287-1   曹洞宗  
清安寺(せいあんじ)は岐阜県土岐市泉町にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は高光山。美濃陶祖菩提寺として知られる。 天文年間に瀬戸の陶工加藤景光が天台宗の廃刹を庵に改めたのがその濫觴といわれ、その子で美濃陶祖と仰がれる加藤景延が瀬戸雲興寺14世の居雲宗準を開山に招いて寺とした。寺の立つ丘の斜面には元屋敷窯が築かれ、立地としても美濃焼と密接に結びついていた。3世の高巌禅英は土岐郡三十三所巡礼の開創に携わったほか、当寺由来記および陶祖系図ならびに大窯取立由来書を著した。これらの著書は美濃焼の歴史を調べるうえで貴重な資料となっている。 所蔵する特筆すべき陶器として、岡田新右衛門作花瓶と東利藤作の香立がある。

清昌寺 岐阜県多治見市笠原町3546   臨済宗妙心寺派  
清昌寺(せいしょうじ)は、岐阜県多治見市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は白雲山(はくうんさん)と称する。 元和2年(1616年)の創建。

清泰寺 (美濃市) 岐阜県美濃市殿町1439-1   臨済宗妙心寺派  
清泰寺(せいたいじ)は、岐阜県美濃市殿町にある臨済宗妙心寺派(東海派)の特例地寺院。山号は安住山。釈迦如来を本尊とする。武儀郡における臨済宗妙心寺派の巨刹で、40以上の末寺がある。仙厓義梵が出家した寺でもある。中濃八十八ヶ所39番札所。

善南寺 岐阜県揖斐郡池田町片山2663-5   浄土宗  
善南寺(ぜんあんじ)は岐阜県池田町にある浄土宗の寺院。伝教大師最澄が開いたと伝わる。西美濃三十三霊場8番札所。 弘仁2年(811年)に伝教大師最澄が池田山山腹に開いたと伝わる。開創当初は天台宗の寺院として伽藍を備え、寺領350石末寺18ヵ寺があった。平安末期平治の乱に敗れて落ち延びた源義平を寺に匿ったために罪を問われ、寺を焼き討ちされた。その後、堂ヶ谷に草庵として再興。文和2年(1353年)には南北朝の戦乱を避け揖斐川町の小島頓宮へ逃れてきていた後光厳天皇が行幸している。寛文6年(1666年)東光谷に伽藍を再興し、元禄12年(1699年)には玄誉上人を勧請開祖として浄土宗に改宗した。江戸時代は周辺十三ヵ村によって護持され、寺領410町を有していた。大正8年(1919年)火災により焼失し、昭和18年(1943年)に現在地に再興された。

善学院 岐阜県安八郡神戸町神戸978-1   天台宗  
善学院(ぜんがくいん)は、岐阜県安八郡神戸町にある天台宗の寺院である。

善久寺 岐阜県高山市丹生川町日面285   曹洞宗  
善久寺(ぜんきゅうじ)は岐阜県高山市丹生川町日面にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は普門山。両面宿儺の伝説がある飛騨三十三観音31番札所である。 伝説によると仁徳天皇治世、癸酉の年に日面の岩壁が崩れ落ち、その内側から両面宿儺が出現したという。両面宿儺は十一面観音の顕現であると名乗り、当寺を建立したという。伝説に依らない創建年代は不詳であるが、元は真言宗の寺院であり、宝物として弘法大師伝来の袈裟を所蔵している。 天正15年(1587年)、飛騨国主の金森長近が中興開基となり、素玄寺3世の楽翁秀村を中興開山として曹洞宗の寺院として中興された。境内には六地蔵堂が建てられているほか、両面宿儺に因んで両面宿儺像や十一面観音が祀られており、それぞれ高山市の指定文化財となっている。さらに両面宿儺が食事をとったという両面宿儺の御前石が残されている。また、円空作の迦楼羅像と箪笥も高山市の文化財に指定されている。

善教寺 (海津市) 岐阜県海津市南濃町志津1729   浄土宗  
善教寺(ぜんきょうじ)は岐阜県海津市南濃町志津にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院で、山号は志津山。西美濃三十三霊場26番札所である。

専光寺 (岐阜県岐南町) 岐阜県羽島郡岐南町八剣3-11   浄土真宗大谷派?  
専光寺(せんこうじ)は岐阜県羽島郡岐南町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗の寺院。濃尾地方の浄土真宗布教の濫觴となった河野九門徒と呼ばれる寺院の一つ。 創建不詳。もとは天台宗の寺院であったと伝わる。嘉禎2年(1236年)に円信が浄土真宗に改宗した。天正10年(1582年)10月、織田信孝から専光坊宛で禁制を下されている。享保年間の下印食村指出諸色様子書上帳には西本願寺末専光寺とあり、このころまでに寺号を得たことが分かる。濃尾地震で伽藍が焼けたが、大正元年(1921年)に再建を果たしている。 寺内には磐城平藩の切通陣屋役人の墓があるほか、村上彦四郎義光と妻岩根その他一族の供養塔があり、町によって文化財に指定されている。

善光寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町柳町370   鞍馬弘教  
善光寺(ぜんこうじ)は岐阜県郡上市八幡町柳町にある毘沙門天を本尊とする鞍馬弘教の寺院。 天台宗白山長滝寺の寺坊、持善坊として建立される。創建年寺は不詳。元徳2年(1330年)に退転したという。永禄年間に意清和尚が再興したものの衰退したとみられ、天保13年(1842年)に良憲が再興している。明治25年(1892年)に郡上八幡城跡の現在地に移転した。明治34年(1901年)に善光寺から阿弥陀如来像を招いて善光寺と改名する。昭和24年(1949年)に仏教会館を建立する。翌年鞍馬寺から毘沙門天の分霊を迎えて鞍馬弘教に改宗し、郡上別院となった。現在は境内で善光寺会館という民宿が営まれている。 寺内には釈迦三尊を祀る臍の堂のほか、郡上八幡城の人柱を祀るおよし観音がある。

善光寺 (岐阜県笠松町) 岐阜県羽島郡笠松町下新町42   浄土宗西山禅林寺派  
善光寺(ぜんこうじ)は岐阜県羽島郡笠松町下新町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は恵能山。 元文元年(1736年)に恵澄居士、恵教尼の夫妻が処刑場の亡魂を弔うために建立した。明和6年7月13日(1769年8月14日)に夭折した両者の子冷山智暁童子の名から智暁庵と名付ける。明治3年(1870年)に木曽川河畔にあった淫祠邪教崇拝者の供養塚である大臼塚を境内に移した。明治17年(1884年)には本尊に善光寺如来を迎えた。明治24年(1891年)に濃尾地震の震災に遭い大きな被害を受ける。再建後、昭和14年(1939年)に新本堂を建立し、寺号を善光寺に改めた。

禅昌寺 (下呂市) 岐阜県下呂市萩原町中呂1089   臨済宗妙心寺派  
禅昌寺(ぜんしょうじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の別格寺班で、寺格は十刹。山号は龍澤山(りょうたくざん)。本尊は釈迦如来、観世音菩薩、薬師如来。飛騨の戦国大名・三木(みつき)氏の菩提寺。

禅蔵寺 岐阜県揖斐郡池田町願成寺380-1   臨済宗妙心寺派  
禅蔵寺(ぜんぞうじ)は、岐阜県揖斐郡池田町の池田山西側にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は佛厳山。開基の土岐頼忠ほかの土岐一族の墓がある土岐氏ゆかりの寺である。 延文元年(1356年)に美濃国守護の土岐頼忠が土岐氏の菩提寺として覚源禅師平心処斉を開山に招いて開いた。頼忠以降の歴代の土岐氏当主が保護し、最盛期には寺領500石を有し、玉洞院、知足院、松月庵や甚野坊など16の塔頭寺院を抱えていた大寺院であったが、土岐氏の没落と共に衰退した。また、慶安年間に寺が土砂崩れに巻き込まれて多くの資料を失ったと伝わる。江戸時代には大垣藩主としてこの地域の領主となった戸田氏の保護を受けた。 岐阜県指定の史跡として、土岐頼忠やその子の土岐頼益など土岐一族の墓があるほか、寺内にある坂本積の石垣や本尊の地蔵菩薩が池田町指定の文化財に指定されている。

禅台寺 岐阜県可児市下恵土2838   臨済宗妙心寺派  
禅台寺(ぜんだいじ)は岐阜県可児市下恵土にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は平岡山。徳野藩主平岡頼勝の墓がある。 鎌倉時代の末に西帷子真禅寺開山の鈍庵和尚が結んだ草庵が起源とされる。慶長13年(1608年)に徳野藩領主として平岡頼勝が当地に移った際に菩提寺とされ、山号を平岡山と改めた。平岡頼勝が没するとその墓が築かれた。現在この墓は可児市指定史跡となっている。その後、徳野藩が改易されると外護者を失い衰退するが、元禄2年(1689年)西帷子真禅寺10世南栄梵薫により中興された。 寺の東ある薬師堂には室町時代の薬師如来と脇侍の日光菩薩、月光菩薩が祀られており、可児市の有形文化財に指定されている。

禅幢寺 岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1   曹洞宗  
禅幢寺(ぜんとうじ)は岐阜県不破郡垂井町岩手の菩提山山麓にある曹洞宗の寺院。この地方の領主であった竹中重治の菩提寺として知られる。また、西美濃三十三霊場16番札所としても知られる。 室町時代の明応3年(1494年)に岩手の領主であった岩手典長が薩摩国金幢寺の住職であった盛庵正蹟を招聘して開いた。永禄元年(1558年)に岩手忠誠を竹中重元が滅ぼすと新たに領主となった竹中氏の保護を受けるようになる。天正15年(1587年)に竹中重門が父の竹中重治の墓を病没した播磨国三木から改葬した。寛文3年(1663年)、竹中重門の子である竹中重常により本堂が建立された。本堂及び所蔵する竹中重治画像が垂井町の文化財に指定されている。

善導寺 (山県市) 岐阜県山県市谷合1451   西山浄土宗  
善導寺(ぜんどうじ)は、岐阜県山県市谷合にある阿弥陀如来を本尊とする西山浄土宗の寺院で、山号は隠住山を称する。 嘉暦3年(1328年)に臼井庄司郎兼牧が草庵を設けたのをその濫觴とする。立政寺開山智通光居上人が文和5年(正平11年、1356年)に当寺に留錫した際、夢告により寺の近傍に善導大師の石像が埋まっていることを知り、石像を掘り出すと霊水が湧き出た。この石像を寺に納め、寺名を善導寺とし、智通上人を開山とした。この時湧き出た水は桂水と呼ばれ、岐阜県の名水50に選ばれている。その後智通上人は立政寺に戻るも、康暦年間に再び当寺を訪れている。至徳元年(1386年)には後小松天皇より智通光居の旧跡にして善導大師有縁の寺院として宸翰を受け、勅願道場となっている。

禅徳寺 (美濃加茂市) 岐阜県美濃加茂市伊深町887   臨済宗妙心寺派  
禅徳寺(ぜんとくじ)は、岐阜県美濃加茂市伊深町にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院である。

善恵寺 岐阜県加茂郡八百津町八百津3163   西山浄土宗  
善恵寺(ぜんねじ)は、岐阜県八百津町にある西山浄土宗の寺院。宗祖西山国師証空による開創で、その房号善恵に因んでいる。西山国師遺跡霊場第5番札所。

善能寺 (岐阜県大野町) 岐阜県揖斐郡大野町寺内243-3   浄土真宗本願寺派  
善能寺(ぜんのうじ)は岐阜県揖斐郡大野町寺内にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院。山号は勝慶山。石田三成ゆかりの寺として知られる。 永延元年(987年)に源信僧都の法弟、源賢僧都が天台宗の寺院、勝慶寺として建立したと伝わる。承久3年(1221年)に兵火により焼失して衰頽。慶長5年(1600年)には草庵のみが残る状態であったというが、慶長8年(1603年)に石田三成の弟が覚信を名乗り、寺号を勝慶山善能寺と改めて浄土真宗に改宗したと伝わる。明治時代に至り、石田三成との縁から通称として石田善能寺を名乗るようになった。 大野町指定の文化財である太閤検地帳を所蔵する。

善明寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町房島844-1   真宗大谷派  
善明寺(ぜんみょうじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町房島字南屋敷にある阿弥陀如来を本尊とする真宗大谷派の寺院。山号は光耀山。房島御坊とも呼ばれた名刹である。房島字東屋敷にも本願寺派の善明寺があるため、区別するために上善明寺と呼ばれる。 弘仁3年(812年)に伝教大師最澄が天台宗寺院の天上寺として北方村に創建する。文明12年(1480年)に住職の空道和尚が蓮如上人に帰依して浄土真宗に改めた。永正14年(1517年)に千人斬りで知られる稲葉白雲によって寺が焼かれるが、大永4年(1524年)に房島村大町で再興を果たし善明寺と寺号を改めた。天正年間、時の揖斐城主の姉が善明寺に嫁ぎ男子を得た際に歌われた歌が、おばばとして知られる民謡の始まりであるとの説がある。慶長9年(1604年)、更に現在地に移転。山門が嘉永元年(1848年)に建てられ、明治3年(1858年)房島御坊の称号を得た。大正3年(1914年)に笠松町にあった旗本津田氏の代官屋敷が庫裏として移築される。昭和52年(1977年)に火災に遭い本堂を失う。現在のものは昭和59年(1984年)に再建されたものである。 寺宝として揖斐川町の文化財に指定されている梵鐘、七高僧画像、聖徳太子画像、親鸞聖人縁起図、善明寺之古文、今昔物語、光耀山古記及び光耀山由来記を所蔵する。

禅林寺 (中津川市) 岐阜県中津川市飯沼505-1-2   曹洞宗  
禅林寺(ぜんりんじ)は岐阜県中津川市飯沼にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は瑞雲山。恵那三十三観音霊場8番。 寛永11年(1634年)に岩村藩主丹羽氏の菩提寺である妙仙寺の6世住持の斧峯牛鈯によりら開かれる。享保5年(1720年)に本堂を改築、宝暦3年(1753年)に鐘楼門を建立し、宝暦7年(1757年)には庫裡の再建が行われる。宝暦8年(1758年)に恵那三十三観音霊場が開かれた際には10番札所となった。明和4年(1767年)に禅堂と客殿の建立が行われて寺観が整うものの、天保9年(1838年)に回禄の災いに遭いそのほとんどが失われた。その翌年に庫裡が再建されて以降順次復興が進み、嘉永6年(1853年)に伽藍の再建が成った。平成27年(2015年)本堂が改築される。 近隣にある縄文時代遺跡であるの大日向遺跡で発掘された甕形土器は中津川市の文化財に指定されており、本堂において公開されている。また、本尊の他に子育て延命地蔵菩薩が祀られている。

崇禅寺 (土岐市) 岐阜県土岐市妻木町上郷55-1   妙心寺派  
崇禅寺(そうぜんじ)は、岐阜県土岐市妻木町にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院である。山号は「光雲山」。

大安寺 (各務原市) 岐阜県各務原市鵜沼大安寺町1-11   臨済宗妙心寺派  
各務原市(かかみがはらし)は、岐阜県の南部に位置する市。

大恵寺 岐阜県羽島市足近町北宿333−1   臨済宗妙心寺派  
大恵寺(だいえいじ)は、岐阜県羽島市足近町にある臨済宗の寺院。山号は妙喜山。

大覚寺 (下呂市) 岐阜県下呂市萩原町上村1544   臨済宗妙心寺派  
大覚寺(だいがくじ)は岐阜県下呂市萩原町にある馬頭観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を諏訪山と称する。 明応8年(1499年)に常山迎禅師が開いたと伝わり、神仏分離までは萩原諏訪神社の別当であった。その後一時衰退するが、寛永年間に禅昌寺の玉雲宗麟禅師が中興した。境内には吒枳尼天を祀る鎮守堂がある。 益田三十三観音霊場のうち、萩原の福聚堂(31番札所、本尊閻魔大王)と上村の示現堂(32番札所、本尊聖観世音菩薩)を管理している。また、令和3年から始まった下呂温泉周遊七福神めぐりでは恵比寿天を祀る霊場となっている。

大亀寺 岐阜県本巣市文殊1242   曹洞宗  
大亀寺(たいきじ)は、岐阜県本巣市文殊にある曹洞宗の寺院。山号は五台山。本尊は文殊菩薩。文殊の地名の由来となった文殊山文殊院跡地に建立された。智勝院末寺。

大興寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町大光寺120   臨済宗妙心寺派  
大興寺(たいこうじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町の城台山東麓にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は雲龍山。 揖斐城の築城主、揖斐氏の始祖、大興寺の開基である土岐頼雄の墓があることで知られる。 応安元年(1368年)に揖斐城主であった土岐頼雄が、天龍寺・夢窓疎石の高弟、龍湫周澤を開山として創建する。創建当初は夢窓派(天龍寺)であったが、永徳2年(1382年)に南禅寺・慈聖院(院主・龍湫周澤)の管轄となる。土岐頼雄により多くの寺領の寄進を受けたことが大興寺文書により知られ、室町時代から戦国時代にかけて寺運は盛んであったが、土岐氏の没落と共に衰えた。 戦雲が去った江戸時代の万治元年(1658年)に揖斐領主岡田善政が開基となり、天鱗瑞老和尚を招いて臨済宗妙心寺派の寺院として再興される。その際に寺号を林渓院とするが、宝永6年(1709年)に大興寺に改めている。 戦後、各宗各派の仏教僧侶を招いて多くの法話会を催している。 本堂裏手にある大興寺開基・土岐頼雄(大興寺殿前羽州太守定厳祐禅大居士)の墓は、岐阜県の史跡に指定されている。

大慈寺 (岐阜県垂井町) 岐阜県不破郡垂井町1689   臨済宗妙心寺派  
大慈寺(だいじじ)は、岐阜県不破郡垂井町宮代にある臨済宗妙心寺派(龍泉派春浦院下)の寺院。山号は白華山。南宮大社ゆかりの寺院である。

大乗寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町向山389    
大乗寺(たいじょうじ)は、岐阜県郡上市八幡町にある日蓮宗の寺院。山号は清水山。旧本山は妙覚寺。

泰心寺 岐阜県下呂市森743   臨済宗妙心寺派  
泰心寺(たいしんじ)は岐阜県下呂市森にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は瑞泉山。かつては森水無八幡神社の別当寺であった。

大仙寺 岐阜県加茂郡八百津町八百津4345-1   臨済宗妙心寺派  
大仙寺(だいせんじ)は岐阜県加茂郡八百津町八百津にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は臨滹山(りんこざん)。永保寺、正眼寺とともに美濃三道場と呼ばれた古刹。

大通寺 (可児市) 岐阜県可児市兼山1228   臨済宗妙心寺派  
大通寺(だいつうじ)は岐阜県可児市兼山にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は補陀山。美濃三十三観音旧30番札所であり、可児新四国14番札所である。 八百津大仙寺2世大雅耑匡により、永正10年(1505年)に開かれたと伝わる兼山最古の寺院である。室町時代に疫病の流行を鎮めるために観音堂が建立され、戸谷観音堂として信仰を集めた。江戸時代に美濃西国霊場としてその観音堂が30番札所となった。観音堂は寛永19年(1642年)に再建され、明治22年(1889年)の瓦葺き替えや平成5年(1993年)の修理を経て今日に至る。 寺宝として岐阜県の文化財に指定された天文9年(1540年)と弘治元年(1555年)の青銅製燭台と弘治元年の花瓶を所蔵する。また、可児市の文化財に指定されている享保14年(1729年)に編まれた兼山の歴史書である金山記全集大成、江戸時代初期の木造如意輪観音半跏像ならびに戸谷観音堂も当寺に属している。

大洞院 (中津川市) 岐阜県中津川市蛭川若山5735-9   曹洞宗  
中津川市(なかつがわし)は、岐阜県の東濃地域にある市。長野県に隣接しており、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深いが、近年は愛知県名古屋市などとの関係が強まっている。

大徳院 岐阜県美濃加茂市森山町3-5-7   天台寺門宗  
大徳院(だいとくいん)は岐阜県美濃加茂市森山町にある不動明王を本尊とする天台寺門宗の寺院で、山号を清開山と称する。東海三十六不動尊霊場34番霊場である。 延宝8年(1680年)に甲斐国八代郡定栖村の岩本坊が、越後国魚沼郡中の島村吉山新田(現在の新潟県南魚沼市)で本山修験宗吉祥院として開いたのが始まりで、4世宗證法印が大徳院に改称した。明治5年(1872年)、承賢和尚代に修験宗廃止により天台寺門宗に改めている。大正3年(1914年)4月15日に現在地に移った。

大梅寺 岐阜県加茂郡富加町羽生1280   黄檗宗  
大梅寺(たいばいじ)は岐阜県加茂郡富加町羽生にある聖観世音菩薩を本尊とする黄檗宗の寺院で、山号は慈雲山。 平安時代に兵乱に対して功績のあった当地の住民に、後一条天皇から下賜された聖観世音菩薩を祀る堂が建立される。元禄8年(1695年)、この聖観世音菩薩を本尊とし、可児郡今渡円通寺から鉄面和尚を迎えて黄檗宗の寺院が建立された。享保9年(1724年)に羽生の領主であった前田数馬が自家に伝わっていた徳川徳松の位牌を寺に移している。また、江戸時代には僧堂が設けられ雲水が修業しており、その頃の雲板が遺物として寺に残っている。 本尊の聖観世音菩薩木造は平安時代に制作されたもので、岐阜県の文化財に指定されている。この像には火事の際に自ら火を逃れて梅の木のそばまで移動したという伝説と信仰心の篤い使用人が主人に斬られそうになった際、その身代わりとなったという伝説がある。その他、寺宝として黄檗宗に関係する文書や画像を多く所蔵し、富加町の文化財に指定されている。

大福寺 (本巣市) 岐阜県本巣市上高屋343-1   真言宗智山派  
大福寺(だいふくじ)は、岐阜県本巣市高屋字梅塚にある真言宗智山派の寺院。山号は三谷山。薬師如来を本尊とする。大垣遮那院の旧末寺。美濃四国54番札所。

大仏寺 (羽島市) 岐阜県羽島市竹鼻町209   単立  
大仏寺(だいぶつじ)は岐阜県羽島市竹鼻町にある釈迦如来を本尊とする単立寺院。本尊は佐吉仏(佐吉大仏)として知られる。 宝暦9年(1759年)に竹鼻の商人で篤志家の永田佐吉が大仏を建立したのが始まりである。総欅造りの大仏殿のほか、観音堂、太子堂ならびに地蔵堂が設けられたが濃尾地震で堂宇がすべて焼け落ち、大仏は野ざらしとなった。昭和35年(1950年)に永田佐吉の末裔永田稔が再興を志し、翌年に岐阜県の認可を得た。昭和37年(1952年)に新たな大仏殿が建立された。寺は単立寺院として様々な宗派の信者を受け入れている。大仏殿では県の史跡に指定されている佐吉仏を祀っているほか、永田佐吉の生涯を顕彰している。境内には宝暦7年の地蔵を祀る地蔵堂や寛延元年の銘がある灯篭がある。

大菩提寺 岐阜県養老郡養老町養老1193   臨済宗妙心寺派  
ブッダガヤの大菩提寺(ブッダガヤのだいぼだいじ)またはマハーボーディ寺院(ヒンディー語: महाबोधी मंदिर Mahābōdhi Vihāra、英語: Mahabodhi Temple)はインド、ブッダガヤにある寺院。古い煉瓦構造建築様式の1つである。9層からなり、52メートルの高さをもつ。ユネスコにより世界遺産に登録されている。 釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。 紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。 長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名(ヒンドゥー教)による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、ブッダガヤ大菩提寺管理委員会の仏教徒のみによる管理を訴え、インド最高裁判所で係争中である。 2013年7月7日、爆弾テロ事件が発生し2名のビルマ人、チベット人仏教僧侶をふくむ5名が負傷した。

大林寺 (中津川市) 岐阜県中津川市千旦林1346-14   曹洞宗  
大林寺(だいりんじ)は、岐阜県中津川市千旦林にある曹洞宗の寺院。山号は嶺松山。恵那郡における曹洞宗の法源地のひとつで、恵那三十三観音霊場5番札所である。

真宗大谷派高須別院二恩寺 岐阜県海津市海津町高須町932   真宗大谷派  
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。 阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする。 2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。

真宗大谷派竹鼻別院 岐阜県羽島市竹鼻町2808   真宗大谷派  
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。 阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする。 2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。

智勝院 (本巣市) 岐阜県本巣市郡府452   曹洞宗  
智勝院(ちしょういん)は岐阜県本巣市郡府にある聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は大慈山。加納藩主戸田松平氏の菩提寺である。 正保3年6月(1647年)6月に松平光重が、その祖母智勝院(徳川家康の異父妹松姫)を弔うために、鉄心道印を開山として建立した。寛文元年(1661年)に現在地に移転し、寺領52石3斗3合が付与されている。寺の墓地には永正7年(1510年)と記されたものがあり、前身となる寺があったとみられている。本巣郡に悟春院、薬師寺、吉祥寺や大亀寺などの末寺があった。 寺には開基となった松平光重及び松平光煕、松平光慈、松平光雄、松平光徳及び松平光和ら戸田氏歴代を含む一族の墓並びに家臣の墓のほか、裏山には北方領主戸田氏累代の墓が建てられている。狩野重頼筆の阿弥陀三尊の各軸三幅、蘭州月渓の十六羅漢像四幅、智勝院の肖像が伝わっている。境内には桜が多く植えられており、見ごろになるとライトアップが行われる。鎮守社として豊川稲荷が祀られているほか、地蔵堂や観音堂、明治14年に建立された三十三観音堂がある。

長久寺 (土岐市) 岐阜県土岐市駄知町1602   臨済宗妙心寺派  
長久寺(ちょうきゅうじ)は岐阜県土岐市駄知町にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派桂春院下)の寺院。山号は天堂山。中部四十九薬師霊場33番札所である。 寛正2年(1461年)、三州長興寺2世蘭室を開山に迎えて真光が建立した。創建時は臨済宗東福寺派に属していた。寛文4年(1664年)に火災に見舞われ堂宇を焼失。寛文6年(1666年)に6世の黙叟和尚が中興を果たす。宝永年間(1704年-1711年)に臨済宗妙心寺派に転派。天保5年(1834年)に再び焼失し、安政元年(1854年)に13世黙岳和尚の手により再中興を遂げた。 境外のにある駄知町2100-1にある駄知薬師堂は当寺の管理でもとは大峰山の山頂にあり、火災に遭った際に本尊の薬師如来が光を放ち熱田の海を照らして魚が獲れなくなったという。そのため熱田の漁民が光をたよりに薬師如来を見出し、現在の薬師堂に改めて祀ったという伝説がある。薬師堂の棟札には元禄16年(1703年)の建立とある。寺には別の薬師如来を勧請して本堂の脇間に祀り、中部四十九薬師霊場の33番札所となっている。

長敬寺 岐阜県郡上市   大谷派  
長敬寺(ちょうきょうじ)は、岐阜県郡上市にある浄土真宗大谷派の寺院。

長谷寺 (下呂市) 岐阜県下呂市小坂町   臨済宗妙心寺派  
長谷寺(ちょうこくじ)は岐阜県下呂市小坂町にある観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を吉田山と称する。益田西国三十三霊場28番札所。 伝説では行基菩薩が天平年間に開創と伝わる。康永元年(1342年)に源誠が再興したと伝わるが、後に荒廃し、寛永年間に禅昌寺7世の香道三興が中興した。寛政10年(1798年)に火災で本尊を除き焼失した。現在の堂宇は天保11年(1840年)に再建されたものという。 山門の楼上には寛政10年の火災で燃え残った仁王像が祀られているほか、当地に伝わる力持小太郎が修練に用いたという石が残されている。また文化財としていずれも年代不詳の紙本着色仏涅槃図、紙本着色六道図ならびに胎内仏、貞和元年(1345年)の銘のある墓碑、天保11年の懸魚および楼門、天保14年(1843年)の金剛力士像、幕末から明治初頭にかけて制作された絵天井がある。

長山寺 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲長瀬2640   臨済宗妙心寺派  
長山寺(ちょうさんじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲にある臨済宗妙心寺派の寺院。長瀬城主鷹司氏菩提寺。 創建年代は不詳。鷹司冬基が開基である。長瀬城主鷹司氏の菩提寺として繁栄し、寺家が三十六院あったと伝えられる。天文17年(1548年)に長瀬城が落城した際、兵火を受けて衰頽する。正保4年(1647年)山県郡霊松院開山の石翁玄需により中興された。弘化4年(1848年)寺観を改める。大正10年(1921年)、15世華岳の代に字東坊所から現在地に移転した。

長蔵寺 (岐阜県坂祝町) 岐阜県加茂郡坂祝町酒倉一色169   臨済宗妙心寺派  
長蔵寺(ちょうぞうじ)は、岐阜県加茂郡坂祝町酒倉にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(聖澤派)の寺院で、山号は大蓬山。猿啄城主河尻氏菩提寺。 天文6年6月に大仙寺住持の先照瑞初が一色東嶋にあった釈迦堂を寺に改め、長蔵寺としたのを端緒とする。その後、寺にほど近い猿啄城の城主となった河尻秀隆が先照瑞初に帰依していたため、自らの菩提寺と定めて開山の法弟傳芳慈賢を迎えて寺領を寄進した。享保17年2月3日、祝融の災いにより伽藍を焼失し、古文書も多く失われた。その後再建を果たしたものの天保8年8月14日に暴風により倒壊。同13年9月に本堂の新築が成った。さらに老朽化に伴い平成24年(2012年)に寺観を改めている。 河尻氏の菩提寺として、河尻秀隆、河尻秀長や河尻鎮行など河尻氏歴代の墓がある他、坂祝町の文化財に指定されている河尻肥前守(河尻秀隆)肖像の軸を有する。

長福寺 (下呂市) 岐阜県下呂市金山町金山2164-1   曹洞宗  
長福寺(ちょうふくじ)は岐阜県下呂市金山町金山にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は金山。

長福寺 (多治見市) 岐阜県多治見市弁天町1-16   真言宗智山派  
多治見市(たじみし)は、岐阜県の東濃地方にある市。人口は岐阜県で岐阜市、大垣市、各務原市についで4番目であり、美濃焼の集散地として知られる。

長保寺 (可児市) 岐阜県可児市久々利1708-1   臨済宗妙心寺派  
長保寺(ちょうほうじ)は、岐阜県可児市久々利に所在する臨済宗妙心寺派(龍泉派光國院下)の寺院で、山号は桂昌山。久々利領主久々利土岐氏菩提寺である。 長保年間の創建と伝わり、寺号はそれにちなんでいる。創建時の開山、開基および宗派については詳らかでない。久々利領主となった土岐三河守が再興したと伝わり、寺に伝わる過去帳には久々利頼興ら土岐三河守三代の法名が記されている。その後、回禄に遭ったため、永禄年間に可成寺から栄岩を招き、中興を果たした。 寺宝として天正年間に購入したと伝わる室町時代の作とみられる三千仏図を所蔵し、可児市の文化財に指定されている。そのほか、宝永2年から正徳9年に写された大般若経、年代不詳の十界図、涅槃図や達磨図を有する。

長楽寺 (中津川市) 岐阜県中津川市阿木5866   天台宗  
長楽寺(ちょうらくじ)は岐阜県中津川市阿木にある十一面観音菩薩を本尊とする天台宗の寺院で、山号は大通山、院号は普門院。岐阜県指定天然記念物のイチョウの木が所在する。 桜堂薬師の開山である三諦上人覚祐が同寺と同時期の弘仁年間に建立したと伝わる古刹。本尊の十一面観音菩薩は行基による作と伝わる。当地における有力な寺院として大規模な伽藍を構え、梅本坊や左大坊などの十二の坊院があったといわれる。 天正2年(1574年)2月、恵那地方に侵攻した武田勝頼により火を掛けられて焼失。梵鐘も持ち去られた。爾来鐘のない寺となり現在に至っている。伝説によると、武田氏に襲撃された際に本尊の観音菩薩は川に投げ込まれたものの、自ら川を遡ってそれに抗ったという。焼失後の慶長年間に真海によって中興を果たすが、明治時代に入って廃仏毀釈運動により廃寺となる。その後、昭和17年(1932年)になり再興されている。 寺内にあるイチョウの木は樹齢800年を超える巨樹で、岐阜県の天然記念物に指定されている。ただし、中興前の長楽寺は現在とは別の位置に建てられていたため、寺史と直接の関連はない。

長瀧寺 日本岐阜県郡上市白鳥町長滝大門92    
長瀧寺(ちょうりゅうじ、往時はながたきでらと呼ばれた)は、岐阜県郡上市にある天台宗の寺院。本尊は釈迦如来。

貞照寺 岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189   真言宗智山派  
貞照寺(ていしょうじ)は、岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある真言宗智山派の寺院である。

天猷寺 岐阜県瑞浪市釜戸町1517-1   臨済宗妙心寺派  
天猷寺(てんにゅうじ)は、岐阜県瑞浪市釜戸町にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派)の寺院である。山号は龍吟山。旗本釜戸馬場氏の菩提寺であり、美濃瑞浪三十三霊場3番札所である。

天福寺 (土岐市) 岐阜県土岐市肥田町肥田1547-1   臨済宗妙心寺派  
天福寺(てんぷくじ)は、岐阜県土岐市肥田にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は正覚山(しょうがくさん)。土岐肥田氏の菩提寺。

天龍寺 (可児市) 岐阜県可児市瀬田1242   曹洞宗  
天龍寺(てんりゅうじ)は、岐阜県可児市にある曹洞宗の寺院である。山号は青雲山(せいうんざん)。本尊は聖観世音菩薩。境内の宝筺印塔は明智光秀一族の墓とされる。明智光秀公の日本一大きい(6尺1寸3分)位牌が祀られており、戒名は「長存寺殿明窓玄智禅定門」。

洞雲寺 (岐阜県白川町) 岐阜県加茂郡白川町和泉1166    
洞雲寺(とううんじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある曹洞宗の寺院。山号は大龍山。本尊は聖観音菩薩。中部四十九薬師霊場第46番札所でもある。

東圓寺 (中津川市) 岐阜県中津川市東宮町8-12   曹洞宗  
東圓寺(とうえんじ)は中津川市東宮町にある薬師如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は寿福山。本尊の薬師如来の別称から後ろ向き薬師とも呼ばれる。中部四十九薬師霊場第25番。 寛文5年(1665年)に中津川宗泉寺3世陽外秀幡が開山となり開かれる。貞享元年(1684年)に中山道の神坂峠にあった薬師堂で祀られていた薬師如来を寺に移している。この薬師如来は乗馬して仏前を通ると必ず落馬するという謂れがあり、それを避けるために後ろ向きで堂に安置されていたため後ろ向き薬師の異名を持っていた。また、出世の願いを叶える霊験を持つとされ、出世如来とも呼ばれる。伝説によれば弘仁5年(814年)、木曽路の守りとして伝教大師(最澄)が彫刻したと伝わる。伝説の真偽は別として、薬師如来像は平安時代の作であり、大正14年(1925年)、当時の古社寺保存法に基づく旧国宝(文化財保護法施行後は国の重要文化財)に指定された。

東香寺 岐阜県加茂郡富加町大平賀1335   臨済宗妙心寺派  
東香寺(とうこうじ)は岐阜県加茂郡富加町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、釈迦如来を本尊としており、山号は老梅山。夢窓疎石を開山とする古禅刹である。中濃八十八ヶ所56番札所。

東光寺 (岐阜県揖斐川町小野) 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野135   臨済宗妙心寺派  
岐阜県揖斐川町小野に所在する医王山東光寺(とうこうじ)は臨済宗妙心寺派に属する寺院で、西美濃三十三霊場の6番札所である。揖斐川町には本稿で述べる寺院の他に揖斐川町若松にも天台宗の東光寺がある。 平安時代前期に伝教大師最澄が自刻の薬師如来を祀ったのが始まりと伝えられ、寺号は本尊の薬師如来の東方瑠璃光浄土に因んでいる。 その後時を経て荒廃するが、戦国時代の永正年間に本巣郡慈雲寺住持の大宗宗弘が師の天縦宗受を勧請開山に迎え、臨済宗妙心寺派の寺院として再興した。 大宗宗弘の後はその法嗣、岐秀元伯が住持となり耕月庵、圓珠庵、獨笑庵及び梅林庵の4つの塔頭を建立した。 戦国時代を経て慶長6年(1600年)には初代揖斐藩主西尾光教から黒印状と制札をもって保護されている。 元和9年(1623年)に揖斐藩が廃藩となり庇護を失うが、快伝宗薫和尚が再興を果たす。 現在の本堂及び鐘楼は天保年間に霊海玄妙和尚により建立されたものである。 本尊の薬師如来は乳薬師として母乳を授ける霊験があるとして信仰されているほか、所蔵する千手観音像が西美濃三十三霊場の本尊として祀られている。その他の寺宝として大宗宗弘和尚と岐秀元伯和尚の肖像がある。

東光寺 (山県市) 岐阜県山県市小倉618-41   臨済宗妙心寺派  
東光寺(とうこうじ)は、岐阜県山県市小倉にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は富士山。本尊は聖観音菩薩。美濃三十三観音霊場第9番札所、美濃四国第64番札所である。

洞泉寺 (郡上市) 岐阜県郡上市八幡町尾崎417   浄土宗  
松峰山洞泉寺(とうせんじ)は岐阜県郡上市八幡町の小駄良川河畔にある浄土宗の寺院である。郡上おどりゆかりの寺として知られる。

東泉寺 (下呂市) 岐阜県下呂市火打1883   臨済宗妙心寺派  
東泉寺(とうせんじ)は岐阜県下呂市火打にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は光明山。 天文年間(1532年-1555年)に桜洞城主三木良頼が禅昌寺4世希菴玄密を開山に招いて開いた。その際に寺領として五畝十五歩を附している。境内地が開けていたことから山号を切明山と称していたが、後に現寺号に改めている。 境内には本堂の他に青面金剛童子を祀る庚申堂がある。寺宝として江戸時代の木造薬師如来坐像、東嶺和尚筆紙本墨書出山釈迦図、白隠筆書跡、印版大般若経および駕籠を所蔵し、下呂市の文化財に指定されている。境外仏堂のうち焼石の囲繞堂(本尊:観世音菩薩)、火打の真如堂(本尊:観世音菩薩)および門和佐の説現堂(本尊:地蔵菩薩)がそれぞれ益田三十三観音霊場の5番、7番および8番札所になっている。

洞泉寺 (山県市) 岐阜県山県市高富南688   臨済宗妙心寺派  
洞泉寺(とうせんじ)は岐阜県山県市高富南にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は宝林山。高富藩本庄氏の領内菩提寺。美濃四国58番札所。 延元4年(1339年)に根尾城で戦死した南朝の武将杉山義祐の菩提を弔うため、その室である妙智尼が字寺洞に玉洞庵として創建された草庵が始まりである。外護者を欠いた寺はその後衰退し、天文年間に洪水により流亡した。慶長5年(1600年)に当地の代官、山田六兵衛が淳岩禅師を招いて寺を字日洞に移して洞泉寺と名を改めた。その後、本庄氏が高富藩主となるとその菩提寺になっており初代藩主の本庄道章の位牌が祀られている。 寺の境内には江戸期の庄屋で俳人であった杉山藤兵衛が建立した俳諧美濃派歴代の句碑が、藤兵衛ゆかりの和合庵から移されている。

東禅寺 (可児市) 岐阜県可児市久々利1655   臨済宗妙心寺派  
東禅寺(とうぜんじ)は岐阜県可児市久々利にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は久昌山。久々利領主にして尾張藩重臣であった千村氏の菩提寺である。

東禅寺 (岐阜県七宗町) 岐阜県加茂郡七宗町神渕15012   曹洞宗  
東禅寺(とうぜんじ)は岐阜県加茂郡七宗町神渕にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は扶桑山。東海白寿三十三観音霊場28番札所。 延宝2年(1674年)、龍泰寺18世の長霊正鎮が開く。ただし、本尊の釈迦如来は寛文5年(1665年)に可児宗右衛門により寄進されたと伝わり、創建の子細は不明である。天保10年(1839年)に15世柏岩隆苗が本堂を改築し、本尊も一新する。 宝物として寛文4年(1664年)に描かれた釈迦八相図と元禄5年(1692年)の涅槃図を所蔵する。

東禅寺 (下呂市) 岐阜県下呂市東上田1595   臨済宗妙心寺派  
東禅寺(とうぜんじ)は岐阜県下呂市東上田にある馬頭観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号を諏訪山と称する。 かつては西方寺と称していたと伝わるが、詳細不明。慶長3年(1598年)に荒廃していた寺を禅昌寺6世玉雲宗麟が中興した後に現在の寺号に改めている。 境内にある白雲堂は益田三十三観音霊場の19番札所である。

洞泉寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町小津687   臨済宗  
洞泉寺(どうせんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町小津にある臨済宗妙心寺派の寺院。西美濃三十三霊場13番札所。

東林寺 (郡上市) 岐阜県郡上市大和村大字牧字元兼   臨済宗  
東林寺(とうりんじ)は岐阜県郡上市大和村大字牧に所在した臨済宗の寺院で、郡上郡の領主であった東氏ゆかりの尼寺である。 東氏によって創建される。正確な創建年は不明であるが、初代住持の素順尼が東益之の娘で、永享12年(1440年)に父に連座して周防に流罪となっていることから、それ以前である。2世の宗雲尼も東益之の娘であったが、早世したため素順尼が再び住持となった。東林寺には東常縁の兄弟の墓が複数基あったと伝えられている。天文10年(1540年)の篠脇城の戦いに伴う兵火で焼亡したが、それ以降は知られていない。宝暦9年(1759年)に牧村元兼の地主彦右衛門により寺跡から遺物が発掘され、懸仏6体と和鏡2面が応徳寺へ預けられた。この遺物は発掘年次及び発掘場所の明らかな歴史資料として『東林寺跡出土品及び出土記録』の名称で岐阜県指定重要文化財となっている。また、寺跡には五輪塔や宝篋印塔が残り、東林寺跡古墓群として郡上市の史跡に指定されている。

徳雲寺 (美濃加茂市) 岐阜県美濃加茂市加茂野町市橋688   曹洞宗  
徳雲寺(とくうんじ)は岐阜県美濃加茂市加茂野町市橋にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は金剛山。美濃三十三観音霊場31番札所であり、中濃八十八ヶ所の第77番札所でもある。 本尊の白衣観音菩薩は武蔵の海岸に流れ着いたものを印牛禅師が拾い、その後金華山山麓の黙山庵で祀られていたものを天明3年(1783年)、加茂野市橋に移して寺を建立したと伝わる。本堂は白山神社の神宮寺として創建されたものと伝わるが、いずれの白山神社であるかは不詳。 往時は寺内にハタゴ池と称する池があり、弁財天が祀られていたと伝わる。ハタゴ池は竜宮に通じていたという伝説がある。本尊の子安観音は子授け、安産の現世利益があるとして信仰の対象となっている。

徳林寺 (羽島市) 岐阜県羽島市桑原町大須2759-131   真言宗智山派  
徳林寺(とくりんじ)は、岐阜県羽島市桑原町大須にある真言宗智山派の寺院。 美濃四国札所第三十三札所。なお隣接地に第三十四札所の真福寺(大須観音)がある。

中観音堂    
中観音堂(なかかんのんどう)は、岐阜県羽島市上中町中にある寺院で、隣接する羽島市円空資料館と共に円空作の仏像を展示している。

長間薬師寺 岐阜県羽島市上中町長間893   浄土宗  
長間薬師寺(ながまやくしじ)は、岐阜県羽島市にある浄土宗の寺院。

南泉寺 岐阜県山県市大桑2358-2   臨済宗妙心寺派  
瑞応山南泉寺(なんせんじ)は岐阜県山県市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は瑞応山。美濃四国69番札所である。

二福寺 岐阜県多治見市平和町6-142   臨済宗南禅寺派  
二福寺(にふくじ)は岐阜県多治見市平和町にある聖観音菩薩を本尊とする臨済宗南禅寺派の寺院。山号は大慈山。 貞享2年(1685年)に虎渓山永保寺の塔頭である保寿院11世観節祖保が脇之島村の住人の求めに応じて開いた。元禄8年(1695年)に土岐郡三十三所巡礼が開かれた際は23番札所に選ばれている。6世の玉泉楚琳(寛政3年(1791年)示寂)は本堂を改築したほか、遂翁元盧に依頼して白隠慧鶴の頂相を寺に齎した。 所蔵品のうち、前述の遂翁元盧筆絹本着色白隠禅師像と海北友松筆紙本墨画はは鳥図が多治見市の文化財に指定されている。

念興寺 岐阜県郡上市和良町沢897   浄土真宗大谷派  
念興寺(ねんこうじ)は岐阜県郡上市和良町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院で、山号は松沢山。高賀山の鬼の首とされるものが伝わっている。 もと長滝寺の末寺で正安3年(1301年)天台宗の寺院として建立されたが、2世祐晃が覚如上人に帰依して浄土真宗に改宗する。さらに明応7年(1497年)には11世住持の無我が蓮如上人に帰依している。元禄7年(1694年)に粥川太郎右衛門より藤原高光が退治したという高賀山の鬼の首と伝わる角の生えた頭蓋骨を譲り受けた。これは現在まで伝わっており、予約をすれば拝観することができる。現在の鐘楼は天保7年(1836年)、本堂は明治11年(1878年)建築のものである。

野口廃寺 岐阜県各務原市蘇原新栄町2丁目   不明  
野口廃寺(のぐちはいじ)は岐阜県各務原市蘇原新栄町2丁目にある飛鳥時代から奈良時代にかけて存在した寺院の遺跡。本来の名称や本尊、宗派等は知られていない。 平成3年(1991年)にマンション建設に伴い遺跡が発見され、同年、平成7年(1995年)及び平成8年(1996年)に各務原市により発掘調査が行われた。野口廃寺の名称は旧村名にちなむ。 出土品から7世紀末から8世紀半ばにかけて存在したと考えられ、遺構としては掘立柱建物跡や周溝らしき跡、鋳造施設跡など6つの建物あとが確認されているが、寺院跡全域に及ぶ発掘は行われていないため伽藍配置は不明である。遺物には須恵器の他、丸瓦、平瓦及び鴟尾瓦の破片が発見されている。廃寺に至る詳しい経緯は不明であるが火災跡などが見られないことから、近隣の寺院と統合された可能性が指摘されている。 2021年現在遺構はは宅地あるいは商業地として利用されており、いちょう通りに史跡を示す看板が立っている。

梅英寺 岐阜県本巣市曽井中島663-1   臨済宗妙心寺派  
梅英寺(ばいえいじ)は、岐阜県本巣市曽井中島にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は江南山。釈迦如来を本尊とする。美濃四国9番札所。

萬嶽寺 岐阜県中津川市阿木101-1   曹洞宗  
萬嶽寺(ばんがくじ)は岐阜県中津川市阿木にある聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は賀雲山。恵那三十三観音霊場9番札所。 元和年間に観室察公により賀雲院として建立される。その後慶安3年(1650年)に岩村盛巌寺6世、在天三龍により中興され、寺名を賀雲山萬嶽寺に改めた。本堂は元禄2年(1689年)に火災に遭い伽藍を焼失し、元禄5年(1692年)に再建。中津川市の文化財に指定されている本尊の聖観音菩薩は慈覚大師作と伝わるが、実際には江戸時代の作とみられる。 観音堂に祀られている馬頭観音菩薩は中津川市手賀野根の上に所在し、武田氏によって滅ぼされた龍泉寺の本尊を移したものと伝わる。室町時代作とみられ、岐阜県の文化財に指定されている。また、境内では蓮の鉢植えが多く栽培されており見どころの一つとなっている。

般若寺 (山県市) 岐阜県山県市大桑2962   臨済宗妙心寺派  
般若寺(はんにゃじ)は岐阜県山県市大桑字雉洞(じぼら)にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派大雄院下)の寺院で、山号を金剛山とする。美濃新四国70番札所。 貞享年間に太郎丸城城主深尾重家が實道和尚を招いて金剛山真沢寺と称する古刹を再興して現寺号に改めたのがその始まりである。寺に祀られている延命地蔵菩薩の石像はかつて刑場にあって首切石と呼ばれ、処刑された罪人の魂が入り込み曇りの夜に音を発していたという。その後、当寺の住職が地蔵にあらためて供養をしてからは怪異がやんだと伝わり、盗人除けの地蔵として信仰されている。

日之出不動 岐阜県各務原市    
日之出不動(ひのでふどう)は、岐阜県各務原市にある寺院である。日之出不動尊ともいう。大安寺の奥の院にあたる。 本尊は不動明王。美濃三不動(迫間不動・日之出不動・山中不動)のひとつである。

福寿寺 (多治見市) 岐阜県多治見市山下町26   曹洞宗  
福寿寺(ふくじゅじ)は、岐阜県多治見市山下町にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は万年山。中部四十九薬師霊場31番札所である。 寛文年間に開元院12世嶺外秀存により土岐郡日吉村半原(現在の瑞浪市日吉町)の地に開かれる。明治5年(1874年)に廃仏毀釈により存続が危ぶまれたため、永泉寺の大応玄道和尚に協力を仰ぎ、明治6年(1873年)現在地に移転した。 本尊の他に弘法大師、荼枳尼天及び薬師如来を祀る。

普賢寺 (多治見市) 岐阜県多治見市大原町9-32   曹洞宗  
普賢寺(ふげんじ)は岐阜県多治見市大原町にある普賢菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は象王山。 寛文12年(1672年)に松本全久院13世了然玄超により、瑞光院という古寺の跡に建立された。この瑞光院については宗派など詳しい内容は知られていない。天和3年(1683年)には土地の寄進を受けて現在地に移転し、裏山の形状から象王山という山号がつけられた。その所在地が旗本林丹波守の領地であったことからその菩提所となり、林丹波守歴代の墓地が寺内に建立されている。所蔵する木造釈迦如来坐像、円空作観音菩薩坐像、長谷川等節筆涅槃図および弘化3年(1864年)に建立された鐘楼門が多治見市の文化財に指定を受けている。また、裏山の象王山には三十三観音の石仏が配されており、散策できるように山道が整備されている。

仏眼院 (各務原市) 岐阜県各務原市前渡東町6-1975   醍醐派  
仏眼院(佛眼院、ぶつがんいん)は、岐阜県各務原市前渡東町にある真言宗醍醐派の寺院である。山号は矢熊山。 通称「前渡不動尊(まえどふどうそん)」。正式名称より通称で呼ばれる事が多い。眼病治癒にご利益があるという。 本尊は不動明王は千葉県成田山の分身。 美濃四国札所第二十五札所。

仏徳寺 (土岐市) 岐阜県土岐市曽木町346   曹洞宗  
仏徳寺(ぶっとくじ)は岐阜県土岐市曽木町にある阿弥陀如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は瑞光山。中部四十九薬師霊場28番札所。 明治35年(1902年)に火災に遭って古記録を失い、それ以前の歴史は不詳。現在の伽藍は大正2年(1913年)に再建されたものである。寺の薬師堂に祀られている薬師如来は瑠璃光山林泉寺という廃寺から伝わったもので、中部薬師霊場の札所本尊となっている。

中部四十九薬師霊場    
中部四十九薬師霊場(ちゅうぶしじゅうくやくしれいじょう)は、中部地方(長野県、岐阜県、愛知県、山梨県)に広がる巡礼地。 名前のとおり、薬師如来を巡る巡礼である。1988年(昭和63年)開創。

温泉寺 (下呂市) 岐阜県下呂市湯之島680   臨済宗妙心寺派  
温泉寺(おんせんじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は醫王霊山。本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場第37番霊場。 一羽の白鷺が下呂温泉の源泉を知らせたという「白鷺伝説」に由来する寺である。 境内の本堂の前にある薬師如来像の下からは温泉がわきあがっており、霊泉とされている。

温泉寺 (諏訪市) 長野県諏訪市湯の脇1-21-1   臨済宗妙心寺派  
温泉寺(おんせんじ)は、長野県諏訪市湯の脇にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は臨江山、本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場7番札所。

願興寺 (岐阜県御嵩町) 岐阜県可児郡御嵩町御嵩1377-1   天台宗  
願興寺(がんこうじ)は、岐阜県可児郡御嵩町にある天台宗の寺院。

江音寺 (諏訪市) 長野県諏訪市豊田4565   臨済宗妙心寺派  
江音寺(こういんじ)は長野県諏訪市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞雲山。

広福寺 (土岐市) 岐阜県土岐市土岐津町土岐口974-1   臨済宗妙心寺派  
広福寺(こうふくじ)は岐阜県土岐市土岐津町にある十一面観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は寿門山。中部四十九薬師霊場32番札所。前身の一つ、慈門山広徳寺はかつて行われていた土岐郡三十三所観音霊場で15番札所であった。 寛永2年(1625年)に三河国挙母村の雲外霄公が崇禅寺中興清巌に開山を請い、領主の妻木頼利に願い七石二斗の寺領を得て堂宇を建立。寛永13年(1636年)に崇禅寺中興2世の見龍和尚が住持となり、慈門山広徳寺として開かれた。万治2年(1659年)、妻木氏が無嗣のため大幅減禄となり寺領を失った。創建当初は山間部にあったが、元禄年間のころ土岐口辛沢へ移転したとみられる。明治24年(1891年)に同地の寿陽山保福院と合併し、寿門山広福寺と改める。同34年(1901年)本堂と庫裏が火災で失われたため薬師堂のある現在地に移ることを決め、大正7年(1920年)に現在地に移転した。 本尊十一面観音のほか、左右に吒枳尼天と薬師如来を祀る。

信濃国分寺 長野県上田市大字国分1049   天台宗  
信濃国分寺(しなのこくぶんじ)は、長野県上田市国分(こくぶ)にある天台宗の寺院。本尊は薬師如来。現在山号・院号はないが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と号した。また本堂の薬師堂には「八日堂(ようかどう)」の別称がある。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である信濃国分寺跡・信濃国分尼寺跡(合わせて「信濃国分寺跡」として国の史跡)についても解説する。

照光寺 (岡谷市) 長野県岡谷市本町2-6-43   真言宗智山派  
照光寺(しょうこうじ)は、長野県岡谷市本町にある真言宗智山派の寺院。山号は城向山。院号は瑠璃院。中部四十九薬師霊場11番札所。

常楽寺 (上田市) 長野県上田市別所温泉2347   天台宗  
常楽寺(じょうらくじ)は長野県上田市別所温泉に存在する天台宗の寺院で、同宗の別格本山である。本尊は妙観察智如来。山号は金剛山。北向観音の本坊にあたる。

真光寺 (岐阜県七宗町) 岐阜県加茂郡七宗町上麻生2056   臨済宗妙心寺派  
真光寺(しんこうじ)は岐阜県加茂郡七宗町上麻生にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派春浦院下)の寺院。山号は寺平山。中部四十九薬師霊場47番札所である。 創建不詳であるが、開山の没年から延宝3年(1675年)以前とみられる。行基作と伝わる薬師如来を祀る小堂を寺に改めたのが始まりと伝わる。開山は加治田龍福寺3世陽南玄忠である。明和5年(1768年)火難に遭って堂宇を焼失する。その後再建を果たし、明治時代に至って玄関と土蔵を設え、鐘楼を建立した。本堂はもと茅葺きであったが、昭和27年(1952年)に瓦葺に改めている。また、現在の梵鐘は昭和に至り梵鐘を戦時供出した後、昭和28年(1953年)に再び鋳たものである。

清傳寺 岐阜県高山市江名子町561-1   高野山真言宗  
清傳寺(清伝寺、せいでんじ)は、岐阜県高山市江名子町にある高野山真言宗の寺院で、山号は神護山。飛騨三十三観音霊場7番札所であり、中部四十九薬師霊場39番札所でもある。

禅昌寺 (下呂市) 岐阜県下呂市萩原町中呂1089   臨済宗妙心寺派  
禅昌寺(ぜんしょうじ)は、岐阜県下呂市にある臨済宗妙心寺派の別格寺班で、寺格は十刹。山号は龍澤山(りょうたくざん)。本尊は釈迦如来、観世音菩薩、薬師如来。飛騨の戦国大名・三木(みつき)氏の菩提寺。

相應院 岐阜県高山市桜町149   高野山真言宗  
相應院(そうおういん)は岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院。前身は桜山八幡宮の別当寺長久寺である。飛騨三十三観音霊場2番札所であり、中部四十九薬師霊場40番札所でもある。 創建は不明であるが、明治維新後に神仏分離令が発せられるまで桜山八幡宮の別当寺の長久寺として栄えていた。神仏分離令が出てから廃寺の憂き目を見るが、当時の住職桜山識雄が高野山で廃院になっていた金森氏ゆかりの相応院の名跡をうけて明治25年に再興した。本尊の不動明王は長久寺の本尊であったが、相応院で祀られていた金森長近奉納と伝わる阿弥陀三尊像も受け継いでいる。また円空作の薬師如来も所蔵する。

仲仙寺 (伊那市) 長野県伊那市西箕輪羽広3052    
仲仙寺(ちゅうせんじ)は、長野県伊那市にある天台宗の寺院。山号は羽広山。本尊は十一面観世音菩薩。

中禅寺 (上田市) 長野県上田市前山1721   延命院  
中禅寺(ちゅうぜんじ)は、長野県上田市前山にある真言宗智山派の寺院。山号は竜王山、院号は延命院。平安時代末期から鎌倉時代初期頃の建立とされる薬師堂は重要文化財に指定されている。本尊は延命地蔵菩薩。  

長岳寺 (長野県阿智村) 長野県下伊那郡阿智村駒場569   天台宗  
阿智村(あちむら)は、長野県下伊那郡の西部に位置する村。

長久寺 (土岐市) 岐阜県土岐市駄知町1602   臨済宗妙心寺派  
長久寺(ちょうきゅうじ)は岐阜県土岐市駄知町にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派桂春院下)の寺院。山号は天堂山。中部四十九薬師霊場33番札所である。 寛正2年(1461年)、三州長興寺2世蘭室を開山に迎えて真光が建立した。創建時は臨済宗東福寺派に属していた。寛文4年(1664年)に火災に見舞われ堂宇を焼失。寛文6年(1666年)に6世の黙叟和尚が中興を果たす。宝永年間(1704年-1711年)に臨済宗妙心寺派に転派。天保5年(1834年)に再び焼失し、安政元年(1854年)に13世黙岳和尚の手により再中興を遂げた。 境外のにある駄知町2100-1にある駄知薬師堂は当寺の管理でもとは大峰山の山頂にあり、火災に遭った際に本尊の薬師如来が光を放ち熱田の海を照らして魚が獲れなくなったという。そのため熱田の漁民が光をたよりに薬師如来を見出し、現在の薬師堂に改めて祀ったという伝説がある。薬師堂の棟札には元禄16年(1703年)の建立とある。寺には別の薬師如来を勧請して本堂の脇間に祀り、中部四十九薬師霊場の33番札所となっている。

長国寺 (恵那市)    
長國寺(ちょうこくじ)は、岐阜県恵那市大井町にある曹洞宗の寺院。山号は稲荷山。本尊は、釈迦牟尼仏。恵那三十三観音の四番寺院であり、中部四十九薬師霊場の番外寺院。

洞雲寺 (岐阜県白川町) 岐阜県加茂郡白川町和泉1166    
洞雲寺(とううんじ)は、岐阜県加茂郡白川町にある曹洞宗の寺院。山号は大龍山。本尊は聖観音菩薩。中部四十九薬師霊場第46番札所でもある。

東圓寺 (中津川市) 岐阜県中津川市東宮町8-12   曹洞宗  
東圓寺(とうえんじ)は中津川市東宮町にある薬師如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は寿福山。本尊の薬師如来の別称から後ろ向き薬師とも呼ばれる。中部四十九薬師霊場第25番。 寛文5年(1665年)に中津川宗泉寺3世陽外秀幡が開山となり開かれる。貞享元年(1684年)に中山道の神坂峠にあった薬師堂で祀られていた薬師如来を寺に移している。この薬師如来は乗馬して仏前を通ると必ず落馬するという謂れがあり、それを避けるために後ろ向きで堂に安置されていたため後ろ向き薬師の異名を持っていた。また、出世の願いを叶える霊験を持つとされ、出世如来とも呼ばれる。伝説によれば弘仁5年(814年)、木曽路の守りとして伝教大師(最澄)が彫刻したと伝わる。伝説の真偽は別として、薬師如来像は平安時代の作であり、大正14年(1925年)、当時の古社寺保存法に基づく旧国宝(文化財保護法施行後は国の重要文化財)に指定された。

徳音寺 長野県木曽郡木曽町日義124   臨済宗妙心寺派  
徳音寺(とくおんじ)は、長野県木曽郡木曽町日義にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は日照山。本尊は聖観世音菩薩。

飛騨国分寺 岐阜県高山市総和町1-83   高野山真言宗  
飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院である。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。

福寿寺 (多治見市) 岐阜県多治見市山下町26   曹洞宗  
福寿寺(ふくじゅじ)は、岐阜県多治見市山下町にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は万年山。中部四十九薬師霊場31番札所である。 寛文年間に開元院12世嶺外秀存により土岐郡日吉村半原(現在の瑞浪市日吉町)の地に開かれる。明治5年(1874年)に廃仏毀釈により存続が危ぶまれたため、永泉寺の大応玄道和尚に協力を仰ぎ、明治6年(1873年)現在地に移転した。 本尊の他に弘法大師、荼枳尼天及び薬師如来を祀る。

宝蔵寺 (上田市) 長野県上田市御嶽堂84    
宝蔵寺(ほうぞうじ)は、長野県上田市にある浄土宗の寺院。山号は瀧洞山。

北辰寺 (郡上市) 岐阜県郡上市美並町上田668   曹洞宗  
北辰寺(ほくしんじ)は岐阜県郡上市美並町上田北辰寺山東麓にある曹洞宗の寺院。山号は萬方山。薬師堂に祀られている薬師如来像は下田薬師と呼ばれ、中部四十九薬師霊場の44番札所である。

万尺寺 岐阜県美濃加茂市太田本町3502   臨済宗妙心寺派  
恵昌山萬尺寺(まんしゃくじ)は岐阜県美濃加茂市にある聖観音如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。美濃三十三観音22番札所及び中部四十九薬師霊場48番札所、中濃八十八ヶ所60番札所である。 正治年間に畠山重忠が天台宗の七堂伽藍を備えた大寺として字城房の地に創建されたと伝わる。兵火によって焼かれたため、文明3年(1473年)に現在地に移転し、規模を縮小して再建された。寛文8年(1668年)に実性和尚により、妙心寺派の寺院となっている。 伽藍は元禄5年(1692年)に火災に遭い焼失したが、その2年後に再建された。現在の建物は昭和50年に建てられたものである。 萬尺寺には阿弥陀如来や薬師如来のほか、子胎地蔵や福寿稲荷、荼枳尼天などが祀られている。なかでも観音菩薩は子育て観音として尊崇を集めている。

密蔵院 (春日井市) 愛知県春日井市熊野町    
密蔵院(みつぞういん)は、愛知県春日井市熊野町にある天台宗の寺院。山号は醫王山。本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場第30番札所。

無量寺 (長野県箕輪町) 長野県上伊那郡箕輪町東箕輪4307   高野山真言宗  
箕輪町(みのわまち)は長野県南部の上伊那郡の町。長野県において最も人口の多い町である。

瑠璃寺 (長野県高森町) 長野県下伊那郡高森町大島山812   天台宗  
高森町(たかもりまち)は、長野県下伊那郡にある町。

東海三十六不動尊霊場    
東海三十六不動尊霊場(とうかいさんじゅうろくふどうそんれいじょう)は、愛知県、三重県、岐阜県の東海三県に広がる巡礼地。不動明王の霊場である。単に東海三十六不動ともいう。 1989年(平成元年)に制定された、比較的新しい霊場である。

円鏡寺 岐阜県本巣郡北方町北方1345   高野山真言宗  
円鏡寺(えんきょうじ)は、岐阜県本巣郡北方町にある高野山真言宗別格本山の寺院である。

大須観音 愛知県名古屋市中区大須2丁目21-47   真言宗智山派  
大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山の寺院。山号は北野山。本尊は聖観音。寺号は北野山真福寺宝生院である。宗教法人としての公称は「宝生院」(ほうしょういん)だが、一般には「大須観音」の名で知られる。日本三大観音の1つともいわれる観音霊場。なごや七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。

乙津寺 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号   臨済宗妙心寺派  
乙津寺(おっしんじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は瑞甲山(ずいこうさん)。

継松寺 三重県松阪市中町1952番地   高野山真言宗  
継松寺(けいしょうじ)は、三重県松阪市中町にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は岡寺山であり、通称・岡寺と呼ばれている。本尊は如意輪観世音菩薩。厄除け観音として知られ、毎年3月の初午大祭は多くの参拝客で賑わう。

華厳寺 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23   天台宗  
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩。脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。西国三十三所第33番札所。満願結願の寺院で、桜や紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。西国三十三所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。 本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか ご詠歌(現世「本堂」):世を照らす仏のしるしありければ まだともしびも消えぬなりけり ご詠歌(過去世「満願堂」):万世(よろずよ)の願いをここに納めおく 水は苔より出る谷汲 ご詠歌(未来世「笈摺堂」):今までは親と頼みし笈摺を 脱ぎて納むる美濃の谷汲

建中寺 愛知県名古屋市東区筒井1丁目7-57   浄土宗  
建中寺(けんちゅうじ)は、愛知県名古屋市東区筒井にある浄土宗の寺院。山号は徳興山。本尊は阿弥陀如来。江戸時代を通じて代々の尾張藩主の廟が置かれていた。

興正寺 (名古屋市) 愛知県名古屋市昭和区八事本町78   高野山真言宗  
興正寺(こうしょうじ)は、愛知県名古屋市昭和区八事本町78にある真言宗系の寺院。

金蓮寺 (西尾市) 愛知県西尾市吉良町饗庭七度ヶ入1   曹洞宗  
金蓮寺(こんれんじ)は、愛知県西尾市にある曹洞宗の寺院。山号は青龍山。本尊は不動明王。弥陀堂は国宝。

甚目寺 愛知県あま市甚目寺東門前24番地   真言宗智山派  
甚目寺(じもくじ)は、愛知県あま市(旧・海部郡甚目寺町)にある真言宗智山派の寺院である。山号は鳳凰山。鎮守として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)があったが、神仏分離令の後、境内を分けた。所在していた甚目寺町の名は、当寺によっている。

寂光院 (犬山市) 愛知県犬山市大字継鹿尾字杉ノ段121   真言宗智山派  
寂光院(じゃっこういん)は、愛知県犬山市にある真言宗智山派の寺院。山号は継鹿尾山(つがおざん)。継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院(つがおざんはちようれんだいじじゃっこういん)と号する。通称継鹿尾観音(つがおかんのん)。紅葉で有名なことから「もみじでら」ともよばれる。 本尊は千手観音、随求堂の本尊は大随求菩薩である。

正福寺 (鳥羽市) 三重県鳥羽市松尾町519番地   高野山真言宗  
正福寺(しょうふくじ)は、三重県鳥羽市松尾町にある、高野山真言宗の仏教寺院。山号は青峯山(あおのみねさん)で、同名の山の頂上付近にある。別名は嵯峨御所。 海上守護の霊峰として漁業関係者の篤い信仰を集め、信者は北海道小平町から鹿児島県鹿児島市まで日本中に分布する。

新大仏寺 三重県伊賀市富永1238番地   真言宗智山派  
新大仏寺(しんだいぶつじ)は、三重県伊賀市富永にある真言宗智山派の寺院。山号は五宝山。本尊は盧舎那仏。

大聖院 (四日市市) 三重県四日市市日永2丁目-11-7   真言宗醍醐派  
大聖院(だいしょういん)は、三重県四日市市にある真言宗醍醐派の仏教寺院。山号は無動山(むどうさん)。松井寺(まついでら)の寺号を有する。本尊は不動明王。

大智院 (知多市) 愛知県知多市南粕谷本町1-196   真言宗智山派  
大智院(だいちいん)は、愛知県知多市にある真言宗智山派の寺院。

大徳院 岐阜県美濃加茂市森山町3-5-7   天台寺門宗  
大徳院(だいとくいん)は岐阜県美濃加茂市森山町にある不動明王を本尊とする天台寺門宗の寺院で、山号を清開山と称する。東海三十六不動尊霊場34番霊場である。 延宝8年(1680年)に甲斐国八代郡定栖村の岩本坊が、越後国魚沼郡中の島村吉山新田(現在の新潟県南魚沼市)で本山修験宗吉祥院として開いたのが始まりで、4世宗證法印が大徳院に改称した。明治5年(1872年)、承賢和尚代に修験宗廃止により天台寺門宗に改めている。大正3年(1914年)4月15日に現在地に移った。

長久寺 (名古屋市) 愛知県名古屋市東区白壁三丁目24番47号   真言宗智山派  
長久寺(ちょうきゅうじ)は、愛知県名古屋市東区白壁三丁目にある真言宗智山派の寺院。山号は東岳山。院号は一乗院。本尊は不動明王。

長福寺 (名古屋市中区) 愛知県名古屋市中区大須2丁目28-5   真言宗智山派  
長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の準別格本山の寺院。山号は稲園山(とうえんざん)。本尊は観音菩薩・勢至菩薩。七寺(ななつでら)とも称される。

貞照寺 岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189   真言宗智山派  
貞照寺(ていしょうじ)は、岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある真言宗智山派の寺院である。

天永寺 (名古屋市) 愛知県名古屋市北区楠味鋺2-732   真言宗智山派  
天永寺は、愛知県名古屋市北区楠味鋺の寺院。護国院とも称す。山号は味鏡山(みょうきょうざん)。本尊は薬師如来。

豊川稲荷 愛知県豊川市豊川町1番地   曹洞宗[1]  
豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市豊川町にある曹洞宗の寺院。

成田山名古屋別院大聖寺 愛知県犬山市犬山北白山平5番地   真言宗智山派  
成田山名古屋別院大聖寺(なりたさんなごやべついんだいしょうじ)とは、愛知県犬山市にある、真言宗智山派の寺院である。通称「犬山成田山」。千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院である。

野間大坊 愛知県知多郡美浜町野間東畠ケ50番地   真言宗豊山派  
野間大坊(のまだいぼう)は、愛知県知多郡美浜町にある真言宗豊山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号は鶴林山。正式には鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称し、宗教法人としての公称は「大御堂寺」である。寺がある美浜町野間は源義朝の最期の地であり、境内には義朝の墓がある。

福生院 愛知県名古屋市中区錦二丁目5-22   真言宗智山派  
福生院(ふくしょういん)は愛知県名古屋市中区錦二丁目にある真言宗智山派の寺院。

遍照院 (知立市) 愛知県知立市弘法町弘法山19   真言宗豊山派  
遍照院(へんじょういん)は、愛知県知立市弘法町にある真言宗豊山派の寺院。

寶珠院 (名古屋市) 愛知県名古屋市中川区中郷1-11   真言宗智山派  
寶珠院(ほうじゅいん)とは名古屋市中川区中郷にある真言宗智山派の寺院。なごや七福神の大黒天をまつる。

萬福院 愛知県名古屋市中区栄五丁目26番24号   智山派  
萬福院(まんぷくいん)は、愛知県名古屋市中区栄五丁目にある真言宗智山派の仏教寺院。

無量寺 (蒲郡市) 愛知県蒲郡市西浦町日中30番地   真言宗醍醐派  
無量寺(むりょうじ)は 愛知県蒲郡市にある真言宗醍醐派の寺院。別称は「西浦不動」。「ガン封じの寺」として知られ、ガン予防の法話や祈祷などが行なわれている。創建は平安時代。本堂の奥に、中国の石窟寺院をモデルにした「千仏洞めぐり」がある。

笠覆寺 愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83番地   真言宗智山派  
笠覆寺(りゅうふくじ)は、愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83番地にある十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院。山号は天林山。一般には笠寺観音(かさでらかんのん)の通称で知られる。尾張四観音の一つで、その他尾張三十三観音、名古屋二十一大師やなごや七福神などの霊場の札所である。[1]

東海四十九薬師霊場    
東海四十九薬師霊場(とうかいしじゅうくやくしれいじょう)は、三重県を振り出しに愛知県、岐阜県、静岡県の4県に広がる、薬師如来巡礼の霊場である。

延暦寺 滋賀県大津市坂本本町4220   天台宗  
延暦寺(えんりゃくじ、正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にある、標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と号する。比叡山、または叡山(えいざん)とも呼ばれる。平安京(京都)の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)と称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。横川中堂は新西国三十三箇所第18番札所で本尊は聖観音である。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、(1,200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。

願王寺 愛知県名古屋市西区中小田井1丁目377番地   天台宗[1]  
願王寺(がんおうじ)は、愛知県名古屋市西区中小田井にある天台宗の寺院。

玉林寺 (小牧市村中) 愛知県小牧市村中691番地   曹洞宗  
玉林寺(ぎょくりんじ)は、愛知県小牧市村中にある曹洞宗の寺院。

高田寺 (北名古屋市) 愛知県北名古屋市高田寺383   天台宗  
高田寺(こうでんじ)は、愛知県北名古屋市にある天台宗の寺院。山号は医王山。本尊は薬師如来。

神宮寺 (鈴鹿市) 三重県鈴鹿市稲生西2丁目-8-16   高野山真言宗  
神宮寺(じんぐうじ)は、三重県鈴鹿市稲生西にある、高野山真言宗の仏教寺院。山号は福満山(ふくまんざん)、院号は慈心院(じしんいん)。本尊は薬師如来。

全久院 (豊橋市) 愛知県豊橋市東郷町177番地   曹洞宗  
全久院(ぜんきゅういん)は、愛知県豊橋市にある曹洞宗の寺院である。

徳楽寺 (伊賀市) 三重県伊賀市西高倉3543   真言宗御室派  
徳楽寺(とくらくじ)は、三重県伊賀市にある、真言宗御室派の仏教寺院。山号は塩岡山(しおおかざん)、院号は薬師院(やくしいん)。本尊は薬師如来。 本尊は秘仏で厨子に入り、33年ごとに開帳される。

妙應寺 (岐阜県関ケ原町) 岐阜県不破郡関ケ原町今須2591-1   曹洞宗  
妙應寺(みょうおうじ)は、岐阜県不破郡関ケ原町今須にある曹洞宗の寺院。山号は青坂山。岐阜県最古の曹洞宗の寺院であり、江戸時代には伏見宮の祈願所として栄えた。

薬師寺 (各務原市) 岐阜県各務原市那加雄飛ヶ丘町129   法相宗  
薬師寺 (やくしじ)は、岐阜県各務原市那加雄飛ヶ丘町にある法相宗の寺院。本尊は薬師如来。開山(創立者)は橋本凝胤大僧正。山号は川崎山。東海四十九薬師霊場第16番札所。 昭和13年、川崎航空機(現在の川崎重工業)の社宅街を新設するにあたり現在の寺地に集会所が建てられた。そこに精神修養の道場を設けるという目的で当時の奈良・薬師寺の管主である橋本凝胤大僧正に寺院の開基が依頼され、薬師如来座像が安置された。 戦後間もなく境内の一角に保育所が設けられ(現・社会福祉法人雄飛ヶ丘保育園)、混乱期にあった時代の子どもたちの教育には住職自らがあたった。その功績から3代目住職の村上冲胤中僧正は勲五等旭日小綬章と藍綬褒章を授与されている。

永弘院 愛知県名古屋市千種区上野1丁目4−18   臨済宗妙心寺派  
永弘院(ようこういん/えいこういん)は、名古屋市千種区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号を上野山と称する。本尊は薬師如来。開基(創立者)は下方貞清。開山(初代住職)は義雲祖嚴禅師(ぎうんそげんぜんじ)。

西美濃三十三霊場    
西美濃三十三霊場(にしみのさんじゅうさんれいじょう)は、大垣市を中心とする美濃国西美濃一帯に広がる巡礼地。 江戸時代に開場され、多くの札所が大垣藩内寺院から選ばれた。明治時代初めに札所寺院の一部が廃寺になるなどして一時衰退する。近年は見直され、多くの参拝者が巡礼する。 各霊場で参拝者は願を護摩木に書き入れ、法燈でたかれる柴火(さいか)の中に護摩木が入れられ、願望が成就されるという(護摩供)。

一心寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪2924-1-2   浄土宗鎮西派  
一心寺(いっしんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪の城台山山中にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗鎮西派の寺院で、山号はなく院号を播隆院と称する。西美濃三十三霊場7番札所。 天保元年(1830年)に揖斐領主岡田氏家臣の芝山長兵衛が開基となり、伊吹山で念仏行を行っていた播隆のために一宇を建立したのが始まりである。創建時は阿弥陀堂と称していた。播隆は中山道太田宿で没し、葬られているが住持を務めていた当寺にも墓が設けられている。明治12年(1879年)に一心寺と改称。明治24年(1891年)には濃尾地震で倒壊するが、同26年に再建された。平成29年(2017年)現在無住となっているが、春秋の2回寺宝の地獄絵図が開帳されている。

円鏡寺 岐阜県本巣郡北方町北方1345   高野山真言宗  
円鏡寺(えんきょうじ)は、岐阜県本巣郡北方町にある高野山真言宗別格本山の寺院である。

観音寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山2725   曹洞宗  
観音寺(かんのんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山にある曹洞宗の寺院。山号は施無畏山。大垣戸田家ゆかりの寺院。

来振寺 岐阜県揖斐郡大野町稲富398   真言宗智山派  
来振寺(きぶりじ)は、岐阜県揖斐郡大野町稲富にある真言宗智山派の寺院である。山号は宝雲山。 本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)。 西美濃三十三霊場第二札所。

月桂院 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町長良72   曹洞宗  
月桂院(げっけいいん)は山号を清光山と称する岐阜県揖斐川町にある曹洞宗の寺院。西美濃三十三霊場4番札所で、稲葉良通(稲葉一鉄)の菩提寺として知られる。

金剛寺 (岐阜県揖斐川町) 岐阜県揖斐郡揖斐川町市場1395-2   高野山真言宗  
金剛寺(こんごうじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町市場にある観音菩薩を本尊とする真言宗の寺院で、山号は春日山。西美濃三十三霊場3番札所。近隣では市場の弘法さんと呼ばれる。 弘法大師に崇敬の念を抱く立木多満が瑞巌寺で祀られていた市場出身の内藤才兵が彫刻した弘法大師像を納める寺の建立を発願し、昭和22年(1947年)に開創した。寺が開かれた際に高野山真言宗の美濃国分寺から十一面観音菩薩を貰い受けている。 昭和55年(1980年)に西美濃三十三霊場の一部札所が変更となった際に円鏡寺に代わって3番札所となった。

大菩提寺 岐阜県養老郡養老町養老1193   臨済宗妙心寺派  
ブッダガヤの大菩提寺(ブッダガヤのだいぼだいじ)またはマハーボーディ寺院(ヒンディー語: महाबोधी मंदिर Mahābōdhi Vihāra、英語: Mahabodhi Temple)はインド、ブッダガヤにある寺院。古い煉瓦構造建築様式の1つである。9層からなり、52メートルの高さをもつ。ユネスコにより世界遺産に登録されている。 釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。 紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。 長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名(ヒンドゥー教)による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、ブッダガヤ大菩提寺管理委員会の仏教徒のみによる管理を訴え、インド最高裁判所で係争中である。 2013年7月7日、爆弾テロ事件が発生し2名のビルマ人、チベット人仏教僧侶をふくむ5名が負傷した。

東光寺 (岐阜県揖斐川町小野) 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野135   臨済宗妙心寺派  
岐阜県揖斐川町小野に所在する医王山東光寺(とうこうじ)は臨済宗妙心寺派に属する寺院で、西美濃三十三霊場の6番札所である。揖斐川町には本稿で述べる寺院の他に揖斐川町若松にも天台宗の東光寺がある。 平安時代前期に伝教大師最澄が自刻の薬師如来を祀ったのが始まりと伝えられ、寺号は本尊の薬師如来の東方瑠璃光浄土に因んでいる。 その後時を経て荒廃するが、戦国時代の永正年間に本巣郡慈雲寺住持の大宗宗弘が師の天縦宗受を勧請開山に迎え、臨済宗妙心寺派の寺院として再興した。 大宗宗弘の後はその法嗣、岐秀元伯が住持となり耕月庵、圓珠庵、獨笑庵及び梅林庵の4つの塔頭を建立した。 戦国時代を経て慶長6年(1600年)には初代揖斐藩主西尾光教から黒印状と制札をもって保護されている。 元和9年(1623年)に揖斐藩が廃藩となり庇護を失うが、快伝宗薫和尚が再興を果たす。 現在の本堂及び鐘楼は天保年間に霊海玄妙和尚により建立されたものである。 本尊の薬師如来は乳薬師として母乳を授ける霊験があるとして信仰されているほか、所蔵する千手観音像が西美濃三十三霊場の本尊として祀られている。その他の寺宝として大宗宗弘和尚と岐秀元伯和尚の肖像がある。

飛騨三十三観音霊場    
飛騨三十三観音霊場(ひださんじゅうさんかんのんれいじょう)は、高山市を中心とする飛騨国旧大野郡、旧吉城郡一帯に広がる巡礼地。 名前のとおり、観音菩薩を巡る巡礼である。平成2年(1990年)開場。円空ゆかりの寺院が多い。

安国寺 (高山市) 岐阜県高山市国府町西門前474   臨済宗妙心寺派  
安国寺(あんこくじ)は、岐阜県高山市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は太平山。本尊は釈迦牟尼仏(釈迦如来)。飛騨三十三観音霊場11番札所。経蔵は国宝に指定されている。同じく経蔵が2016年に日本遺産「飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群」の一つとして認定された。

雲龍寺 (高山市) 岐阜県高山市若達町1-86   曹洞宗 ← 飛鳥・奈良仏教/修験  
海蔵山雲龍寺(うんりゅうじ)は岐阜県高山市若達町にある曹洞宗の寺院で、高山市街地の東にある東山寺院群の寺の一つ。曹洞宗寺院としては飛騨国で最も古い歴史を持つ。金森長則菩提寺であり、飛騨三十三観音霊場3番札所としても知られる。 養老4年(720年)、泰澄によって白山神社の別当妙観寺として創建される。その後衰微したが、応永2年(1395年)に總持寺22世竹窓智厳和尚が飛騨巡錫の際に師の了堂真覚を勧請開山として再興した。その後飛騨国最古の曹洞宗寺院として隆盛した。応永9年(1402年)に塔頭の久昌寺が創建され、宝徳2年(1450年)に同じく塔頭の栄鏡院が開かれた。天正16年(1588年)に飛騨国の領主となった金森長近がその長男金森長則の菩提寺に定め、檀越として保護を加える。金森氏が高山城を去り、後にその破却が決まるとその城内にあった黄雲閣を譲り受け、鐘楼門とした。現在その鐘楼門は高山市の文化財に指定されている。

永昌寺 (高山市) 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷田頃家386   臨済宗妙心寺派  
永昌寺(えいしょうじ)は岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は冨渓山。飛騨三十三観音霊場25番札所。

円城寺 (飛騨市神岡町船津) 岐阜県飛騨市神岡町船津1129   曹洞宗  
飛騨市(ひだし、飛驒市、英: Hida City)は、岐阜県の最北端に位置する市。

恩林寺 (高山市) 岐阜県高山市下岡本町2779   黄檗宗  
恩林寺(おんりんじ)は岐阜県高山市下岡本町にある黄檗宗の寺院。山号は華岳山。本尊は聖観音菩薩。飛騨三十三観音霊場18番札所となっている。

汲月院 岐阜県飛騨市神岡町船津392   曹洞宗  
汲月院(きゅうげついん)は岐阜県飛騨市神岡町にある曹洞宗の寺院。山号は幽洞山。本尊は釈迦如来。飛騨三十三観音霊場の12番札所である。 吉城郡の名士、牛丸氏の牛丸当義が父の菩提を弔うために梨ケ根の地蔵堂のあった故地を寺に改めて幽祠庵としたのがその濫觴と伝わる。その後修善寺の大潤宗潭を開山として、駿河国志太郡にあり廃れていた汲月院の寺名を受け継いだ。現在地へは昭和11年(1936年)に移転し、昭和61年(1986年)に本堂と庫裏を新造した。 寺には銅製の金勢大明神が祀られていることで著名である。神岡町史は鉱山関係者により奉納されたのではないかとしている。

久昌寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市宮川町巣納谷115   曹洞宗  
久昌寺(きゅうしょうじ)は岐阜県飛騨市宮川町巣納谷にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は瑞龍山。本尊とは別に聖観音菩薩が祀られており、飛騨三十三観音霊場20番札所となっている。 創建については不詳であるが、巣納谷白山神社の神宮寺として真言宗の寺院であったものが、江戸時代に入って無住となり衰微した。高山の素玄寺4世柏峰対庭が教化のために明暦2年(1656年)に再興したものと伝わる。享和年間に住持の玉渕大龍が伽藍を整備した。 明治12年(1879年)、火難に遭って焼亡した。現在の伽藍は明治22年(1889年)に23世住持の大円研考により再建されたものである。 開帳が7年ごとに行われる秘仏の阿弥陀如来は火難や盗難を自ら免れたと伝わり、信仰を集めている。

金龍寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町東茂住469   曹洞宗  
白雲山金龍寺(きんりゅうじ)は岐阜県飛騨市神岡町東茂住にある曹洞宗の寺院。飛騨三十三観音霊場21番札所である。 寺伝によれば大永年間(1521年から1528年)に開創されたとされるが、開基や開祖については不明である。 江戸時代に入るころには衰退したが、金森氏の下で神岡鉱山の開発に携わった茂住宗貞こと金森宗貞が越前国東郷村(現在の福井市)の永昌寺より通山隣達を招いて中興した。寛延3年(1750年)、火災により伽藍を焼失するが、本尊の釈迦牟尼仏と千手観音像、薬師如来像は難を逃れた。寺を再建する際に中興開基である金森宗貞の屋敷跡に移転する。寺域は金森宗貞屋敷跡として岐阜県の史跡に指定されている。 寺宝として円空作の阿弥陀如来像を所蔵する。また、飛騨市指定無形民俗文化財となっている東茂住の左義長で神体が渡御される場所の一つとなっている。

玄昌寺 岐阜県飛騨市宮川町杉原542-1 36°24'53.7"N 137°11'23.9"E   曹洞宗  
玄昌寺(げんしょうじ)は岐阜県飛騨市宮川町杉原にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は久雲山。飛騨三十三観音霊場19番札所である。 創建不詳であるが、江戸時代の元和6年(1620年)に高山の素玄寺2世格翁門越により中興されている。江戸時代の文政4年(1821年)に火災に遭い焼失。文政6年(1823年)に10世住持の巨峯臨山により再建したものの、明治29年(1896年)にも火災に見舞われて焼亡、多くの文書や寺宝が失われた。現在の堂宇は明治35年(1902年)に19世住持、秀山巨峰によって整備されたものである。 飛騨市の文化財に指定されている円空作の韋駄天像や霊場の札所の子安観音像は焼損を免れており、信仰を集めている。特に子安観音は安産に験があるとされている。

光円寺 岐阜県飛騨市和佐保1027   曹洞宗  
光円寺(こうえんじ)は岐阜県飛騨市和佐保にある曹洞宗の寺院。山号は宝福山で本尊は釈迦如来である。飛騨三十三観音霊場17番札所となっている。 江戸時代初め頃、高山の素玄寺3世楽翁秀村により和佐保の小糸洞に創建される。正確な創建年代は伝わっていないが、楽翁秀村は寛永20年(1643年)に遷化しているためそれ以前の創建である。 貞享年間ないし元禄の初め頃、当寺を訪れた円空が二十五菩薩像を彫像して納めた。それまで当地は濃霧による不作に悩まされていたが、以降作柄に恵まれるようになったと伝わる。 宝暦年間に和佐保銀山が土砂崩れにより飲み込まれて多くの人命を失った。また、亡霊が出没すると噂されたため当寺を鎮魂のために現在地に移した。 その後文政4年(1821年)に8世住持の謙翁大如が伽藍の再建を果たしている。現在の伽藍は昭和33年(1958年)に再建されたものである。 円空作の二十五菩薩像は岐阜県の文化財に指定されており、平成21年(2009年)に菩薩堂が再建されている。この二十五菩薩の祭礼は毎年7月25日に行われ、豊作祈願等が行われている。

慈眼寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町袈裟丸2269   曹洞宗  
慈眼寺(じげんじ)は岐阜県飛騨市古川町袈裟丸にある曹洞宗の寺院。馬頭観音を本尊として祀り、飛騨三十三観音霊場14番札所として知られる。 かつて飛騨国にあった大寺、宮谷寺跡にあった観音堂を素玄寺の6世住持、竹翁融存が曹洞宗の寺として再興した。本尊の馬頭観音はもと平泉寺にあったと伝わる由緒のあるもので、後に宮谷寺に移されてから同寺が廃寺になった際に慈眼寺に納められたと伝わる。 5世住持の題柱和尚が祈願の旅で西国を訪れた際に大和国の寺から持ち帰ったという桜の木が境内に植えられており、鎮護桜と呼ばれて岐阜県の天然記念物に指定されている。

寿楽寺 岐阜県飛騨市古川町太江2872   曹洞宗  
寿楽寺(じゅらくじ)は岐阜県飛騨市古川町にある曹洞宗の寺院。山号は南光山。本尊は鎌倉時代作の薬師如来で中部四十九薬師霊場38番札所。また、如意輪観音が奉祀されており、飛騨三十三観音霊場13番札所となっている。

正宗寺 岐阜県高山市丹生川町北方1004   曹洞宗  
正宗寺(しょうそうじ)は岐阜県高山市丹生川町北方にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は大貴山。飛騨三十三観音32番札所である。 創建及び開基不詳。元は袈裟山千光寺の末寺で真言宗に属していたが、後、寺勢が衰えた。安土桃山時代、天川良尭が再興を志し、慶長元年(1596年)に高山素玄寺2世格応門越を勧請開山として素玄寺末寺の曹洞宗寺院として中興を果たした。本堂、庫裏及び山門は享保年間に再建されたものが現在まで残っている。本堂のほかに地蔵堂、薬師堂及び観音堂がある。

瑞岸寺 岐阜県飛騨市神岡町殿495   臨済宗妙心寺派  
瑞岸寺(ずいがんじ)は、岐阜県飛騨市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は殿秀山。本尊は聖観音坐像。飛騨三十三観音霊場第二十七番札所。 国の重要文化財に指定されている小萱薬師堂は、瑞岸寺の飛び地仏堂であり、同寺が管理している。

千光寺 (高山市) 岐阜県高山市丹生川町下保1553   高野山真言宗  
千光寺(せんこうじ)は、岐阜県高山市丹生川町下保にある高野山真言宗の寺院である。山号は袈裟山。飛騨千光寺ともいう。 本尊は千手観世音菩薩。 両面宿儺像など、円空の手になる仏像が63体あり、円空仏の寺としても知られている。 飛騨三十三観音霊場第三十三札所。

相應院 岐阜県高山市桜町149   高野山真言宗  
相應院(そうおういん)は岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院。前身は桜山八幡宮の別当寺長久寺である。飛騨三十三観音霊場2番札所であり、中部四十九薬師霊場40番札所でもある。 創建は不明であるが、明治維新後に神仏分離令が発せられるまで桜山八幡宮の別当寺の長久寺として栄えていた。神仏分離令が出てから廃寺の憂き目を見るが、当時の住職桜山識雄が高野山で廃院になっていた金森氏ゆかりの相応院の名跡をうけて明治25年に再興した。本尊の不動明王は長久寺の本尊であったが、相応院で祀られていた金森長近奉納と伝わる阿弥陀三尊像も受け継いでいる。また円空作の薬師如来も所蔵する。

洞雲寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町船津570    
洞雲寺(とううんじ)は、岐阜県飛騨市にある曹洞宗の寺院。山号は補陀山。本尊は釈迦如来。この寺にある十一面観音は、飛騨三十三観音霊場第26番札所である。

洞泉寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市宮川町林184   曹洞宗  
玉皐山 洞泉寺(ぎょっこうざん どうせんじ)は岐阜県飛騨市宮川町林にある曹洞宗の寺院で、飛騨三十三観音霊場15番札所として知られる。

飛騨国分寺 岐阜県高山市総和町1-83   高野山真言宗  
飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院である。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。

本覚寺 (高山市) 岐阜県高山市上宝町本郷1425   臨済宗妙心寺派(妙心寺末)  
本覚寺(ほんがくじ)は、岐阜県高山市上宝町本郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。飛騨地方の名族である江馬氏所縁の寺であり、播隆上人の笠ヶ岳再興に所縁のある寺でもある。飛騨三十三観音霊場24番札所。

両全寺 岐阜県飛騨市神岡町麻生野291   臨済宗妙心寺派  
両全寺(りょうぜんじ)は岐阜県飛騨市神岡町麻生野にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慶雲山。飛騨三十三観音霊場23番札所。 享禄2年(1529年)に江馬時盛の子、麻生野直盛が城を構えた際に城の守りとして発願し、野田の地に桃源周岳和尚を開山として建立された。創建当初の山号は日月山。中国の書、周処傳の日月両全の語に因んで名づけられた。創建当初は天台宗の寺院であったと伝わる。麻生野直盛は伽藍を整備中に没したため、子の麻生野慶盛と江馬宗久が後ろ盾となり完成させた。その後、5世住持直伝宗全により臨済宗妙心寺派となり、高山の宗猷寺の末寺となった。10世住持を祥隠鹿苑が務めていた際に焼失したため、11世住持、文溟廣扶の代に現在地に移転して再興された。その後、明治23年(1890年)に妙心寺の末寺となっている。 寺宝として円空作の薬師如来を所蔵しているほか、本堂には龍の襖絵が描かれている。

林昌寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町片原町2-27   曹洞宗  
林昌寺(りんしょうじ)は岐阜県飛騨市古川町にある曹洞宗の寺院。山号は五峰山。飛騨国司姉小路氏の菩提寺として建立された。 建立時の正確な年代は知られていないが、姉小路氏の菩提寺として古川町沼町に建立されたと伝わる。創建時の寺名は知られていない。寺地は国府町宇津江、古川町上気多へ移り、檀越の姉小路氏の没落と共に寺勢も衰えるに至った。 戦国時代、飛騨国の領主(嗣子)であった金森可重が天翁秀梅を開山に招き、可重の実父長屋景重の隠居所として、天正17年(1589年)に再興した。その没後、法名に因み寺号を林昌寺と改められたとみられる。その後、元和年間の一国一城令にて金森氏が居城のひとつとしていた増島城が廃城となった際、その門が林昌寺に移築されている。 岐阜県指定の文化財として絹本著色天翁秀梅画像や絹本著色十二尊像、絹本著色金森可重画像を所蔵する他、金森氏所縁の品を数多く有する。

安住寺 (恵那市) 岐阜県恵那市明智町杉野1060   臨済宗妙心寺派  
安住寺(あんじゅうじ)は、岐阜県恵那市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は久昌山(きゅうしょうざん)、本尊は釈迦如来。

威代寺 岐阜県恵那市三郷町野井1886   臨済宗妙心寺派  
威代寺(いだいじ)は、岐阜県恵那市三郷町にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は白峰山。龍護寺末寺で恵那三十三観音霊場25番札所。 慶長4年(1599年)10月に安室養公により開かれ、龍護寺に属したと伝わる。明暦2年(1656年)檀徒不和により一部が天長寺を建立してその檀徒となった。その後、寺院の老朽化により天保7年(1836年)、孝山玄谸が再建を行っている。明治9年(1876年)に伝法法地となった。 尾関重之助画の百花曼荼羅格天井絵があるほか、恵那市の文化財に指定されている元和2年(1616年)に2世住持の三公が本寺に迎えた平安時代の十一面観音像を所蔵する。これは戦国時代に武田氏の東濃侵攻により失われた法仙寺由来の品であるといわれ、伝説では行基作とされる。

雲祥寺 (恵那市) 岐阜県恵那市明智町吉良見925-1   臨済宗妙心寺派  
雲祥寺(うんしょうじ)は、岐阜県恵那市明智町吉良見にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は松林山。本尊は十一面観世音菩薩。

恵那三十三観音霊場    
恵那三十三観音霊場(えなさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、旧恵那郡(現在の恵那市及び中津川市)一帯に広がる巡礼地。 江戸時代に流行した霊場巡りの一つで、宝暦8年(1758年)に開場。江戸末期から明治時代にかけて恵那郡北部を支配していた苗木藩において徹底的な廃仏毀釈が行われたため、霊場寺院のいくつかが廃寺となる。その後明治時代にいくつかの寺院を加えて霊場が再興され、昭和60年(1985年)に再整備が行われる。春秋の2回開帳が行われていたが、秋の開帳は平成30年(2018年)が最後となった。

円頂寺 岐阜県恵那市上矢作町本郷2959   曹洞宗  
円頂寺(圓頂寺、えんちょうじ)は、岐阜県恵那市上矢作町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は寶林山。岩村盛巌寺末寺で、恵那三十三観音霊場15番札所となっている。 寛永年間に徳翁禅師が開基となり建立された。2世住持は快信。寛文8年に火災により伽藍が焼失した際には龍門寺の満州和尚の指揮の下檀家が協力して再建されたと伝わり、貞享3年に再建を達成した。 寺の開山堂にある江戸時代作の龍の天井絵はもとは岩村城にあったもので、廃城の際に円頂寺に移されたものである。このほかに、いずれも江戸時代作の木造観音菩薩坐像、木造聖観音菩薩坐像2躯、木造薬師如来立像、木造飯綱権現立像及び木造三十三応現神立像が恵那市の文化財に指定されている。

圓通寺 (恵那市) 岐阜県恵那市長島町正家265-1   曹洞宗  
圓通寺(えんつうじ)は、岐阜県恵那市正家にある曹洞宗の寺院。山号は長昌山。聖観世音菩薩を本尊とする。恵那三十三観音霊場33番札所である。

黄梅院 (恵那市) 岐阜県恵那市串原木根3110   曹洞宗  
香林山 黄梅院(おうばいいん)は、岐阜県恵那市串原にある十一面観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は香林山。恵那三十三観音霊場17番。恵那市岩村町の盛巌寺の末寺。 創建不詳、開基不明。串原唯一の寺院で串原遠山氏の位牌が祀られていたと伝わる。岩村藩主松平乗寿の帰依を受け、寛永9年(1632年)に盛巌寺の宝山文鐘により中興を果たす。 寺宝として恵那市の文化財に指定されている涅槃図を所蔵する。

観音寺 (恵那市) 岐阜県恵那市明智町625-1   臨済宗妙心寺派  
観音寺(かんのんじ)は、岐阜県恵那市明智町字滝坂にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は滝坂山。滝坂観音と通称される。恵那三十三観音霊場18番。 慶長17年(1612年)、明智領主遠山利景が崇敬していた萬勝寺で祀られていた聖観世音菩薩を本尊として龍護寺の覚巌和尚を開山として明知城の西に開かれる。遠山利景が没して後はその位牌所の一つとなった。宝暦8年(1758年)に恵那三十三観音霊場が創設されるとその10番札所となる。その後、恵那三十三観音霊場が改組されるにあたって18番札所となる。 本堂は創建以来のもので、恵那市の文化財に指定されている。また、境内の枝垂れ桜は恵那市により天然記念物に指定されている。このほか、弘法大師堂や無縁仏の供養塔が境内にあり、本尊の滝坂観音は中風封じ、癌封じの霊験があるとして信仰されている。

玉泉寺 (恵那市) 岐阜県恵那市上矢作町下62   曹洞宗  
玉泉寺(ぎょくせんじ)は、岐阜県恵那市上矢作町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は龍洞山。岩村町の盛巌寺の末寺。恵那三十三観音霊場16番札所。 慶長12年(1607年)に岩村藩主の松平家乗が開基となり、宗薫和尚を開山として谷下の地に開かれる。創建時は蟠龍山 長松寺と称した。慶長15年(1610年)には龍波和尚が2世住持となった。同19年(1614年)に澄ヶ瀬射去の地に移り、山号寺号を現在の龍洞山玉泉寺に改めた。正保3年(1646年)、玄悦が住持となっている。延宝3年(1679年)に祝融の災いに遭うが玄悦の法嗣の求峰が再建に尽力し、盛巌寺6世在天三龍を中興開山に招き、自らは中興2世となった。 本尊の他、恵那三十三観音霊場16番札所の本尊として如意輪観音菩薩が祀られている。また、境内の桜は火災による焼失を免れたことから不死身の桜と称されている。

高安寺 (恵那市) 岐阜県恵那市長島町永田2557-2   曹洞宗  
高安寺(こうあんじ)は、岐阜県恵那市長島町にある千手観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は泰養山。瑞現寺末寺で、恵那三十三観音霊場3番である。 慶長19年(1614年)に長島村の住人により建立されたと伝わる。その後、寛永20年(1643年)大林寺3世徳外玄隆により正式に寺として開かれた。その後一時廃れるが3世の瞻岩存尭により中興される。文政2年(1819年)の瑞巌台橋が住持であったときに平僧地から法地となった。

自法寺 岐阜県恵那市飯地町919   曹洞宗  
自法寺(じほうじ)は、岐阜県恵那市飯地町にある阿弥陀如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は祖広山。恵那三十三観音霊場28番である。 飯地には寛政年間に雲林寺(臨済宗妙心寺派)の末寺として開かれた洞泉寺があったが、廃仏毀釈により廃寺となったため暫く仏教寺院のない状態が続いた。それを憂えた高安寺5世の絶学祖廣が洞泉寺の跡地に遠江国磐田郡大円寺末寺の自法庵(静岡県磐田郡富岡村)の寺号を移して曹洞宗の寺院として開いた。高安寺は恵那郡大林寺につらなる寺院であったため、自法寺も大林寺の末寺となった。大正2年(1913年)3月12日に法地に昇格し、總持寺管主大円玄致より山号の親額を付与されている。令和元年現在で6世を数える。本尊の他、恵那三十三観音霊場の札所本尊として聖観世音菩薩を祀る。

常久寺 岐阜県恵那市三郷町佐々良木366-1   臨済宗妙心寺派  
常久寺(じょうきゅうじ)は、岐阜県恵那市三郷町佐々良木にある観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派光國院)の寺院。山号は龍遊山。恵那三十三観音23番札所である。瑞浪信光寺の末寺であった。 文亀元年(1501年)に月光源公が杉が洞の地に景川宗隆を開山として勧請し、建立される。元和元年(1615年)、4世漸岳東光の時に佐々良木の地に土地の寄進を受けて移転した。寛文9年(1669年)に十王堂を建立し、その翌年には薬師堂が建てられ伽藍の整備が進んだ。元禄15年(1703年)に山号を昌澤山に改め、9世住持棟岩梁公の代に方丈を再建した。明治時代より苗木藩の苛烈な廃仏毀釈により菩提寺を失った中野方村で法事をとり行っている。昭和7年(1932年)に本堂と開山堂を再建し、昭和52年(1977年)に鐘楼を再建。平成12年(2000年)に山号を旧称の龍遊山に復している。 寺宝として室町時代の木造達磨大師座像や室町時代末期から江戸時代初期にかけての木造地蔵菩薩半跏像、享保元年(1716年)の釈迦十六善神像及び享保11年(1726年)の仏涅槃図を有し、それぞれ恵那市の文化財に指定されている。

正家廃寺    
正家廃寺(しょうげはいじ)は、美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)にかつて存在した古代仏教寺院。奈良時代に創建され平安時代中期には廃絶したと考えられ、法隆寺式伽藍配置の堂塔の遺構が残る。寺名が不明のため、正家廃寺と呼ばれている。寺跡は昭和34年(1959年)に岐阜県史跡に、平成13年(2001年)に国の史跡に指定されている。

浄光寺 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町本町336   真宗大谷派  
遍照山 浄光寺(じょうこうじ)は、岐阜県恵那市岩村町本町336にある真宗大谷派の寺院。

瑞現寺 岐阜県恵那市武並町竹折1064   曹洞宗  
瑞現寺(ずいげんじ)は、岐阜県恵那市武並町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は銀松山。恵那三十三観音霊場26番。大林寺末寺。 嘉吉2年(1442年)に真道達源禅師によって開かれたと伝わる。寛永3年(1626年)に失火により焼失したが、同18年(1641年)に大林寺徳外玄隆の下で復興を果たしている。明治9年(1876年)にも火災に遭っているが、こちらは同13年(1880年)に再興している。かつて、元禄14年(1701年)に鋳られた鐘を蔵していたが、戦時供出により失われた。

盛巌寺 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町殿町147−1 35°21'59.3"N 137°26'35.7"E   曹洞宗  
久昌山 盛巌寺(せいがんじ)は、岐阜県恵那市岩村町殿町にある曹洞宗の寺院。かつては岩村藩主大給松平氏宗家の菩提寺であった。恵那三十三観音霊場の11番札所である。

清楽寺 岐阜県恵那市岩村町日の出町142-1   曹洞宗  
興国山 清楽寺(せいらくじ)は、岐阜県恵那市岩村町にある十一面観音を本尊とする曹洞宗の寺院。恵那三十三観音霊場12番札所。かつて岩村にあったが、現在は兵庫県加東市山国にある妙仙寺の末寺。

宗久寺 (恵那市) 岐阜県恵那市東野1282   曹洞宗  
宗久寺(そうきゅうじ)は、岐阜県恵那市東野にある観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は萬松山。恵那三十三観音霊場7番札所、中部四十九薬師霊場26番札所である。 元和2年(1616年)に岩村藩主松平乗寿の家臣、鈴木宗久が領民の求めに従って大井長国寺2世の葉山嫩奕を開山に招いて建立した。寺地は松浦屋敷、庄次坊、寺上と変遷し、現在地に移っている。嘉永6年(1853年)、天嶺秀暁が住持をしていた際に伽藍が焼失するが、安政6年(1859年)に長栄寺の金端俊猊により再建された。 本堂の聖観音菩薩が恵那三十三観音霊場7番札所の本尊となっているほか、明治18年(1885年)に東野にあった小堂から移された薬師如来は別名をはだか薬師如来と称する石仏で、中部四十九薬師霊場26番札所の本尊となっている。また、応仁の乱の折に奥州の武士で当地まで転戦してきた太田氏が臨終の際に発願したとされ、寛文10年(1670年)に建立された石造地蔵立像は通称みずかけ地蔵と呼ばれ病気平癒に験があるとして信仰されている。寺宝として、恵那市の文化財に指定されている蓮如上人が文明3年(1471年)に自ら筆を執った六字名号を所蔵する。

大圓寺 (恵那市) 美濃国恵那郡遠山荘 (現・岐阜県恵那市岩村町富田大円寺)   妙心寺派  
大圓寺(だいえんじ、大円寺)は、美濃国遠山荘の地頭遠山氏の菩提寺で、南北朝時代の建武2年(1335年)から戦国時代の末期の元亀3年(1572年)まで美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市岩村町)に存在した臨済宗妙心寺派の大寺院。 武田信玄家臣の秋山虎繁(信友)が織田信長の叔母が城主となっていた岩村城を包囲して降伏させた後に、焼討し破壊したため滅亡した。現在は大円寺跡として恵那市指定史跡となっている。。

長栄寺 (恵那市) 岐阜県恵那市長島町中野568   曹洞宗  
長栄寺(ちょうえいじ)は、岐阜県恵那市長島町にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は法昌山。恵那三十三観音霊場2番。瑞現寺末寺。 慶長5年(1600年)に大智山愚渓寺住の正峯祖全が大崎の地に結んだ宝福庵をその嚆矢とする。寛文元年(1661年)に現寺号に改められ、竹折にある瑞現寺の末寺となった。天和元年(1681年)に中尾山威徳院の跡地である現在地に移転した。文政12年(1829年)瑞現寺10世霊一如童により法地となった。 現在の庫裡は昭和11年(1936年)に再建されたものである。嘉永2年(1849年)には竜宮門の形式で鐘楼門が建てられた。平成30年(2018年)には本堂の改築が行われている。寺の背後にある山には岐阜県の史跡に指定されている7世紀後半頃の能万寺古墳群がある。

長国寺 (恵那市)    
長國寺(ちょうこくじ)は、岐阜県恵那市大井町にある曹洞宗の寺院。山号は稲荷山。本尊は、釈迦牟尼仏。恵那三十三観音の四番寺院であり、中部四十九薬師霊場の番外寺院。

長徳寺 (恵那市) 岐阜県恵那市長島町久須見590   曹洞宗  


長楽寺 (恵那市) 岐阜県恵那市笠置町姫栗1119-3   臨済宗妙心寺派  
長楽寺(ちょうらくじ)は、岐阜県恵那市笠置町姫栗にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は雲嶽山。恵那三十三観音霊場29番。 寛文2年(1662年)に遠山景久が開基となり、龍護寺2世楚山により明智の地に開かれたがその後、衰微して廃寺となった。 明治17年(1884年)、雲林寺4世玄外宗三により開かれた長増寺の再興を志す同寺8世珉宗宗琢により寺号をその跡地へ移され再興された。明治34年(1901年)、鐘堂が設けられ梵鐘が据えられている。 本尊の他、恵那三十三観音霊場29番札所の本尊として聖観音菩薩が祀られている。 なお、長増寺は寛文2年(1662年)に開かれ、明治3年(1872年)に庫裡と開山の木像及び数体の石仏を残し廃寺となった。現在でも寺号を記した石柱が残っている。

天長寺 (恵那市) 岐阜県恵那市三郷町野井303   曹洞宗  
天長寺(てんちょうじ)は、岐阜県恵那市三郷町野井にある曹洞宗の寺院。釈迦如来を本尊とする。山号は地久山。兵庫県加東市妙仙寺末寺で、恵那三十三観音霊場24番。

手向廃寺 岐阜県恵那市山岡町上手向   不明  
手向廃寺(とうげはいじ)は岐阜県恵那市山岡町上手向にある奈良時代の寺院址。山岡廃寺、長楽廃寺とも。本尊や宗派等は知られていない。 昭和40年(1965年)、道路の拡張工事に伴い古代の瓦が発見されたため、発掘調査が行われて見出された。正確な創建は不詳であるが、出土遺物から8世紀前半に遡る寺院であるとみられる。遠山荘の手向郷(淡気郷)の中心である古市場の台地上に所在することや、寺院の形式が恵那市正家にある正家廃寺と異なることから、この寺院を建立した勢力は、正家廃寺を建てた勢力と恵那郡を二分していたと考えられている。廃絶時期は不明。昭和52年(1977年)に恵那市の文化財に指定された。 昭和61年(1986年)に追加の発掘調査が行われている。2020年現在寺院跡は主に畑となっている。 出土遺物は平瓦、軒丸瓦などがある。礎石はわずかしか見つかっておらず、基壇や掘立柱建物状、溝などがあったことが分かっているが、遺跡全体が発掘されておらず、伽藍配置は不明である。

東光院 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町富田2546   臨済宗妙心寺派  
東光院(とうこういん)は、岐阜県恵那市岩村町富田にある不見日観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天徳山。恵那三十三観音霊場25番札所。

洞禅院 岐阜県恵那市武並町藤1813-1   曹洞宗  
洞禅院(とうぜんいん)は、岐阜県恵那市武並町にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は不老峰。愛知県小牧市の福厳寺の末寺。恵那三十三観音霊場27番。 文明年間(1469年-1487年)に尾張国大草城主の西尾道永が開基し、福厳寺3世の盛禅洞奭を開山に招き建立した。2世住持の養拙自牧が委息して後は暫く無住となっていたが、延宝3年(1676年)に陽山泰春が中興の祖となり再建された。元禄13年(1700年)に祝融の災いに遭うもその3年後に寺観を復している。かつては宝永5年(1708年)の銘を持つ寺鐘があったものの、戦時供出により失われた。

東禅寺 (恵那市) 岐阜県恵那市大井町354   黄檗宗  
東禅寺(とうぜんじ)は岐阜県恵那市大井町にある十一面千手観音菩薩を本尊とする黄檗宗の寺院。山号は慧日山。恵那三十三観音の1番札所である。 延宝元年(1673年)に開基の通源禅徳が尾張国志段見村(現在の名古屋市守山区)にあった廃寺を武並神社に移す形で建立した。延宝3年(1675年)、通源禅徳は弘法大師像を抱いて寺内に設けられた石室に入定したと伝えられる。その後、江戸時代を通じて2回焼失の憂き目にあったが廃絶することなく法灯を伝え、明治時代に恵那三十三観音が改組した際には2番札所となっている。大正3年(1914年)に現在地に移転し、開基入定の石室も移されて現在でも法要が行われている。寺宝として武並神社の本地仏であったと伝わる室町時代の作とみられる十一面観音座像を所蔵しており、恵那市の有形文化財に指定されている。

徳祥寺 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町飯羽間188-1   臨済宗妙心寺派  
徳祥寺(とくしょうじ)は、岐阜県恵那市岩村町飯羽間にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞鳳山。十一面観世音菩薩を本尊とする。恵那三十三観音霊場21番。

萬光寺 (恵那市) 岐阜県恵那市上矢作町横道1506   曹洞宗  
萬光寺(万光寺、ばんこうじ)は、岐阜県恵那市上矢作町にある十一面観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院。山号は清水山。恵那三十三観音霊場14番。 寛永年間に盛巌寺5世全龍が開山した。開基は徳翁と伝わる。天明年間に至り、尾張春日井郡の淳豊が盛巌寺11世海盤を中興開山に招き再興を果たしている。 恵那市指定の文化財として木造烏枢沙摩明王立像、木造馬頭観音立像、木造蚕霊神立像、木造聖観音坐像、木造飯綱権現立像及び木造三十三応現神立像を有する。

普門寺 (恵那市) 岐阜県恵那市山岡町下手向1636   曹洞宗  
普門寺(ふもんじ)は、岐阜県恵那市山岡町下手向にある曹洞宗の寺院。山号は龍雲山。恵那三十三観音霊場20番札所。

萬勝寺 (恵那市) 岐阜県恵那市山岡町馬場山田飯高   妙心寺派  
萬勝寺(まんしょうじ)は、岐阜県恵那市山岡町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は妙法山(通称 飯高山)。厄除けの飯高観音として知られている。

妙法寺 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町911-2   日蓮宗  
妙法寺(みょうほうじ)は、岐阜県恵那市岩村町911-2にある日蓮宗の寺院。

隆崇院 (恵那市) 岐阜県恵那市岩村町1450   浄土宗  
晴雲山 隆祟院(りゅうそういん)は、岐阜県恵那市岩村町1450にある浄土宗の寺院。恵那市指定史跡の石室千体仏は隆祟院が管理している。

龍護寺 (恵那市) 岐阜県恵那市明智町東山町1389-1   臨済宗妙心寺派  
龍護寺(りょうごじ、りゅうごじ)は、岐阜県恵那市明智町にある臨済宗妙心寺派(竜泉派)の寺院。山号は大明山。釈迦如来を本尊とする。旗本の明知遠山氏の菩提寺として知られる。

林昌寺 (恵那市) 岐阜県恵那市山岡町久保原388   曹洞宗  
醫王山 林昌寺(りんしょうじ)は、岐阜県恵那市山岡町にある薬師如来を本尊とする曹洞宗の寺院。恵那三十三観音霊場22番札所であり、中部四十九薬師霊場27番である。 かつて林昌寺の敷地には、天台宗の醫王山 瑠璃光寺が存在していたが、天文年間に、兵火にかかり滅亡した。その後、瑠璃光寺の本尊は中西城主遠山左京之進の母の宗貞尼により恵月庵で祀られていたが、寛永2年(1625年)、山岡町馬場山田にある盛久寺3世の龍山長雲が、瑠璃光寺の跡地に林昌寺を建立して恵月庵にあった仏像を林昌寺の本尊とした。初代住持は龍山長雲の法嗣である天暁。その後、盛久寺12世の自回厳道により法地に昇格し、堂宇が整備され梵鐘が鋳られている。寺の創建時に建てられた鐘楼門と鎌倉時代の薬師如来座像が恵那市の文化財に指定されている。

安楽寺 (大垣市) 岐阜県大垣市赤坂町756-1   浄土宗  
安楽寺(あんらくじ)は、岐阜県大垣市赤坂町にある浄土宗の寺院。釈迦如来を本尊とする。山号は紫雲山、院号は永明院。西美濃三十三霊場21番札所である。聖徳太子や関ヶ原の戦いにゆかりの寺である。

円興寺 岐阜県大垣市青墓町880   天台宗  
円興寺(えんこうじ)は、岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。山号は篠尾山。本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。西美濃三十三霊場第三十二札場。 かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。

円通寺 (大垣市) 岐阜県大垣市西外側町1-32-1   浄土宗  
円通寺(えんつうじ)は、岐阜県大垣市西外側町にある浄土宗の寺院。山号は旭光山。大垣藩主戸田氏歴代の菩提寺である。

華渓寺 岐阜県大垣市曽根町一丁目772-1   臨済宗妙心寺派  
華渓寺(かけいじ)は、大垣市曽根町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は曹源山(そうげんざん)。

求浄庵 岐阜県大垣市久瀬川町5-62   浄土宗  
求浄庵(ぐじょうあん)は、岐阜県大垣市杭瀬川町にある寺院で、山号は紫雲山。金戒光明寺末の浄土宗寺院で、西美濃三十三霊場22番札所である。 戦国時代の天文2年(1533年)、土岐氏の家臣であった大垣領主・宮川安定が、祖母の清浄庵心照が彫刻した観世音菩薩像を本尊として、帰依していた学全法師を招いて開いた。 天正4年(1576年)に寺は火災のため灰燼に帰したが、宮川氏に代わって城主となった氏家卜全の発願により、天正7年(1569年)に復興された。しかし、天正12年(1584年)に今度は大風により倒壊し、再興の目途も立たなかったために本尊や什器は庄屋の下で保管されることとなった。年月を経るうちに寺ゆかりの品々は失われてたが、文政7年(1824年)に河毛儀左衛門が再興を志して本尊を得て堂宇を整え、その娘を尼僧として住まわせた。 その後、尼寺として地域の信仰を集めていたが、2017年現在は無住となり、近隣の住民により護持されている。 本尊の如意輪観音像は文化9年(1812年)に杭瀬川に流れ着いた首に体躯を補ったものとされ、首から上の病に験を示すと伝わる。境内には地蔵菩薩や聖観音像が立っている。また、樹齢170年を超える銀杏の大木があり、大垣市の特別保護樹に指定されている。

西圓寺 (大垣市) 岐阜県大垣市草道島685   大谷派  
西圓寺(さいえんじ)は岐阜県大垣市にある浄土真宗の寺院で、山号は得生山。教如ゆかりの寺で、戦国時代から江戸時代初期にかけて西濃地域における浄土真宗の触頭として重きをなした。 伝教大師最澄により弘仁2年(811年)に天台宗の寺院として開かれたと伝わるが、永仁3年(1295年)に住職の如信が覚如に帰依し、嘉暦2年(1327年)に住職の真海が浄土真宗寺院に改めた。 文明2年(1470年)に蓮如が逗留し、教化を行ったとされる。その際の遺跡として上人お手植えの菩提樹と腰かけ石が伝わっている。 戦国時代には美濃国の浄土真宗を統括し、大きな勢力を誇っていた。現在寺の周りを取り巻いている堀はその折に斎藤道三により築かれたもので道三掘と呼ばれている。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には帰洛を目指す教如を助け、住職であった賢秀が身代わりとなり落命している。 浄土真宗の東西分裂に際しては東本願寺について、その触頭として島御坊と呼ばれていたが、その任を平尾御坊願證寺に譲った。 寛政12年(1800年)に火災に遭い伽藍を焼失。現在の堂宇はその後再建されたものである。

遮那院 岐阜県大垣市中町柳原   真言宗智山派  
遮那院(しゃないん)は岐阜県大垣市中町にあった大日如来を本尊とする真言宗智山派の寺院で、山号は牛屋山、寺号は大日寺で大須宝生院の末寺であった。江戸時代の観音巡礼、大垣近郷三十三観音巡礼12番札所。 白鳳時代に天武天皇が百済の王子であったという金珠上人を開山として建立したと伝わる。建立地が牛屋川の西であったため、牛屋山と称したという。その後天長年間に弘法大師が大日如来、不動明王および愛染明王を安置して大日寺遮那院と名付けたとされる。宝徳3年(1451年)に大垣八幡神社が遷座されて以来、その別当職を務めた。天文16年(1547年)に斎藤道三が大垣城を攻撃した際に兵火を被り焼失した。永禄年間に行われた大垣城の整備に伴い寺地が収用されたため、中町柳原に移転する。宝生院の末寺になったのは慶安3年の宗門改め以前のことである。明治時代の神仏分離令により廃寺となり、仏像や法具は慈応寺に移された。

真宗大谷派大垣別院開闡寺 岐阜県大垣市伝馬町11   真宗大谷派  
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。 阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする。 2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。

新善光寺 (大垣市) 岐阜県大垣市緑園31    
西額山新善光寺(しんぜんこうじ)は岐阜県大垣市にある天台宗の寺院。西美濃三十三霊場17番札所である。

正林寺 (大垣市) 岐阜県大垣市上石津町三ツ里221    
正林寺(せいりんじ)は岐阜県大垣市上石津町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は済正山。多良領主高木氏の内、西高木家の菩提寺である。 もと文治4年に多良村大字奥に真言宗の正林坊として建立されたものと伝わる。しかし、その後廃れてしまったため詳細は不詳である。 江戸時代となり、西高木家の5代目当主高木貞衛が江戸に出仕した際に麻布光林寺の浄明禅師に帰依し、正林坊跡に寺を構える約定を交わした。その後、高木貞衛が病により没したため西高木家6代目高木貞輝がその遺志を継いで享保13年(1728年)に寺を建立し、浄明禅師を開山として招いた。現在の本尊はその際に浄明禅師がもたらした太宰府天満宮の前にあった梅の木で造作されたとされる観世音菩薩である。 寺宝として大垣市重要文化財に指定されている高木貞廣筆の十六善神図を所蔵する。

全昌寺 (大垣市) 岐阜県大垣市船町2-21   曹洞宗  
全昌寺は岐阜県大垣市船町にある曹洞宗の寺院。戸田氏ゆかりの寺院として知られる。西美濃三十三霊場30番札所。

天喜寺 岐阜県大垣市上石津町一之瀬1316-1   臨済宗妙心寺派  
天喜寺(てんきじ)は、岐阜県大垣市上石津町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は瑞巖山。 本尊は観世音菩薩 西美濃三十三霊場第五札場。

天清院 岐阜県大垣市赤坂町3334   浄土宗  
天清院(てんせいいん)は、岐阜県大垣市赤坂町にある、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院である。山号は青蓮山。西美濃三十三霊場20番札所である。呑龍大士を祀っていることで知られる。 寛文12年(1612年)に大垣藩主戸田氏信が、三男の戸田氏親を弔うために大垣円通寺から伝誉牛澤上人を招いて開いた。戸田家ゆかりの寺として、それ以降も大垣藩より保護を受けている。明治15年(1882年) に金戒光明寺の梁誉上人から呑龍像を寄進された。以降は呑竜を祀る呑竜閣を設け、子育てに霊験のある寺院として崇敬されている。毎年4月には呑龍像が開帳され、呑龍大士御会式として法要が営まれる。 「子育て呑龍さん」として、県内外から親子連れが多く訪れる。 https://tenseiindonryukaku.localinfo.jp/

徳円寺 (大垣市) 岐阜県大垣市久瀬川町5-49   真宗大谷派  
徳円寺(とくえんじ)は、岐阜県大垣市にある真宗大谷派の寺院。山号は郡境山。本尊は阿弥陀如来。

徳勝寺 (大垣市) 岐阜県大垣市青柳町1-40   真宗大谷派  
徳勝寺(とくしょうじ)は岐阜県大垣市青柳町(もと不破郡青柳村)にある阿弥陀如来を本尊とする真宗大谷派の寺院。国の重要文化財の梵鐘を所有する。 創建年及び開山は詳らかでない。もとは浄土真宗の寺院ではなかったが、応永32年(1425年)、勝円により浄土真宗に改宗し、現在に至っている。 寺宝として弘安3年(1280年)に元寇を調伏するために南宮大社で鋳造された梵鐘、通称弘安祈願の鐘を所蔵する。この梵鐘は南宮大社からその神宮寺である朝倉山真禅院へ伝わり、その後大垣八幡神社へ移されている。明治6年(1873年)、神仏分離運動により神社では所蔵できなくなったため、当寺へ譲られている。岐阜県最古の有銘梵鐘として昭和39年(1964年)に重要文化財に指定された。

報恩寺 (大垣市) 岐阜県大垣市綾野1丁目2720   曹洞宗  
報恩寺(ほうおんじ)は、岐阜県大垣市にある曹洞宗の寺院。山号は補陀山。

宝光院 (大垣市) 岐阜県大垣市野口1-39-1   天台宗  
宝光院(ほうこういん)は岐阜県大垣市にある天台宗の寺院。山号は仏道山。本尊は釈迦如来。ひだりめ不動とも。伝教大師の開基と伝えられる。関ケ原の戦いに際して桃を徳川家康に献上した由緒から、桃寺の別称がある。 毎年2月3日に行われる節分の裸祭り「節分会はだか祭り」で有名。

満福寺 (大垣市) 岐阜県大垣市墨俣町墨俣212   浄土真宗大谷派  
満福寺(まんぷくじ)は岐阜県大垣市墨俣町にある真宗大谷派の寺院で、山号を金足山、院号を熊谷院を称する。「墨俣御坊」として周辺の真宗大谷派寺院を末寺としていた。

美濃国分寺 岐阜県大垣市青野町419   高野山真言宗  
美濃国分寺(みのこくぶんじ)は、岐阜県大垣市青野町にある寺院。高野山真言宗の準別格本山、西美濃三十三霊場満願札所。山号は金銀山。本尊は薬師如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、美濃国国分僧寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、古代寺院跡である美濃国分寺跡(国の史跡)と、美濃国分尼寺跡(史跡指定なし)についても解説する。

明星輪寺 岐阜県大垣市赤坂4610   真言宗  
明星輪寺(みょうじょうりんじ)は、岐阜県大垣市にある真言宗の寺院である。山号は金生山(きんしょうざん)。

明台寺 岐阜県大垣市墨俣町墨俣225   浄土宗西山禅林寺派(禅林寺末)  
明台寺(みょうだいじ)は、岐阜県大垣市墨俣町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は清光山。西美濃三十三霊場第十九番札所。

文殊寺 (大垣市) 岐阜県大垣市錦町53   高野山真言宗  
文殊寺(もんじゅじ)は、岐阜県大垣市錦町にある高野山真言宗の寺院である。山号は白光山。大垣藩ゆかりの寺院であり、大垣城の鬼門の位置に立っている。西美濃三十三霊場29番札所。 大垣藩の藩祖戸田一西が武蔵国鯨井の領主であったときに懇意となった瀧澤小源太という武士が、その後出家して僧となり、近江国大津に移って弥勒院という寺で秀賢を名乗っていた。戸田氏西が近江国膳所に移封された際に再会し、以降住職一族と戸田家の関係が続いていくこととなる。元和3年(1617年)に戸田氏鉄が膳所藩から尼崎藩へ移封されると、秀賢の子で弥勒院2世の秀尊も尼崎へ移り、そこにあって廃れていた般若寺の住持となって戸田家に仕えた。さらに寛永12年(1635年)、戸田家が尼崎藩から大垣藩へ転封すると秀尊もそれに従って移り住んだ。その後、秀尊の長男の正盛は岐阜町に文殊院を構え、大垣藩の修験道の総取締に任ぜられた。宝暦6年(1756年)には火伏のための愛宕社を境内に勧請している。文化9年(1812年)、岐阜町周辺が火災により焼失、当寺も焼け落ちるが、翌年復興を遂げている。明治3年(1870年)、神仏分離令により境内の愛宕社を分離して愛宕神社とし、寺号を文殊院から文殊寺に改めた。明治24年(1891年)に濃尾地震により大きな被害を受ける。再建の際に道路を境内地の真ん中に通す計画が持ち上がったため、現在地に移転している。

安楽寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市伊奈波通1-16   浄土宗西山禅林寺派  
安楽寺(あんらくじ、安樂寺)は岐阜県岐阜市伊奈波通りにある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山禅林寺派の寺院で、山号は歓喜山。美濃新四国2番札所である。 永禄6年(1563年)に音海舜把により立政寺の末寺として開かれる。本誓寺、誓安寺や善澄寺などとともに伊奈波八ヶ寺と称された。天正10年(1582年)には本能寺の変の際に斎藤利堯から他の伊奈波八ヶ寺とともに禁制を受けている。 本尊の阿弥陀如来の他、薬師如来、豊川荼枳尼天、成田不動や子安地蔵尊を祀り、豊川閣とも称する。

医王寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市此花町6-25   曹洞宗  
医王寺(いおうじ)は岐阜県岐阜市此花町にある薬師如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号を神農山と称する。美濃新四国43番札所。 寛文8年(1668年)に加納全久院(現在の松本全久院。当時は壇越の戸田松平氏の移封に伴い当地にあった。)の了然玄超を招いて建立された。2世の無明太興は当時の加納藩主、松平光永の帰依を受けて住職となった。昭和16年(1941年)に貰い火で焼失。現在の構えはその後再建されたものである。医王寺は中山道に近く、その道中安全のために祀られた馬頭観音の石像が現在では境内に祀られている。また、弘法大師も祀られ、美濃新四国の札所本尊となっている。

延算寺 岐阜県岐阜市岩井2-1-25   高野山真言宗  
延算寺(えんさんじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。山号は岩井山。本坊と東院とは500m程離れている。ここでは本坊と東院の双方について記述する。 本坊の本尊は薬師如来。別名を「たらい薬師」という。東院の本尊は薬師如来。別名を瘡神薬師(かさかみやくし)という。美濃四国札所であり、延算寺東院は八十番札所。延算寺本坊は八十五番札所。皮膚病に利益があるといわれ、東院には皮膚病に効果があるという霊水がある。

円徳寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市神田町6-24   真宗本願寺派  
円徳寺(えんとくじ)は岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院。織田氏ゆかりの寺として知られる。

乙津寺 岐阜県岐阜市鏡島中2丁目8番1号   臨済宗妙心寺派  
乙津寺(おっしんじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は瑞甲山(ずいこうさん)。

願成寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市大洞1-21-2   真言宗智山派  
願成寺(がんじょうじ)は、岐阜県岐阜市大洞にある真言宗智山派の寺院である。山号は如意山。 本尊は十一面観音。 美濃三十三観音霊場第十六番札所。美濃四国札所十九番。天然記念物の中将姫誓願桜がある。

玉性院 岐阜県岐阜市加納天神町3-8   真言宗醍醐派  
玉性院(ぎょくしょういん)は岐阜県岐阜市加納天神町にある不動明王を本尊とする真言宗醍醐派の寺院で、山号は東光山。美濃四国40番札所。 慶長年間に理源法脈37世義演法海により開かれる。文化年間の地図には修験玉性院と記されている。現在の構えは濃尾地震による震災と岐阜空襲による戦災を経て再興されたものである。 昭和27年(1952年)より、当時の住職の発案で節分の時期に鬼に扮した厄男を御輿に担ぐつりこみ祭りが行われるようになり、岐阜の節分における風物詩となっている。このつり込み祭りは後におかめに扮した厄女も担ぐようになった。平成30年(2018年)以降、金の御朱印を拝受することができるようになった。 本尊不動明王のほか、庚申青面金剛、秋葉三尺坊大権現、弘法大師及び歓喜天が祀られている。

光国寺 岐阜県岐阜市加納西広江町2-28   臨済宗妙心寺派  
光国寺(こうこくじ)は岐阜県岐阜市加納西広江町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大応山。岐葉二十一大師一番札所。徳川家康の長女亀姫の菩提寺である。

護国之寺 岐阜県岐阜市長良雄総194-1   高野山真言宗  
護国之寺(ごこくしじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。山号は雄総山(ゆうそうさん)。 本尊は十一面千手観世音菩薩。 美濃三十三観音霊場第十七番札所。美濃四国札所八十八番。美濃七福神(布袋尊)。国宝の金銅獅子唐草文鉢をはじめ、数多くの岐阜県、岐阜市指定重要文化財がある。

西光寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市加野862   高野山真言宗  
西光寺(さいこうじ)は岐阜県岐阜市向加野にある阿弥陀如来を本尊とする高野山真言宗の寺院で、山号は密乗山。美濃四国86番札所。 創建年及び開基、開山不詳。かつては斉光寺と称していたが、天正年間に兵火により本尊を残して焼失したという。享保年間に延算寺の栄淳法印がその跡地に草庵を設けて西光寺と名を改めた後、その法嗣の耕節が中興を成し遂げた。黙住禅師の代に、大和郡山城主の柳沢甲斐守により鐘楼、山門と田畑が寄進され、伽藍も修築された。 本尊の阿弥陀如来は伝説によると恵心僧都の作であるという。ほかに厄除け不動明王を祀るほか、寺宝として柳沢保光筆による護伽藍天王の額を所蔵する。

裁松寺 岐阜県岐阜市伊奈波通り1-27   臨済宗妙心寺派  
栽松寺(さいしょうじ)は岐阜県岐阜市伊奈波通りにある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は凌雲山。美濃新四国4番札所。 慶長元年(1596年)に是三法師が天台宗の寺院として開いた。その後、承応2年(1653年)に加納光国寺より維納上座を迎えて臨済宗妙心寺派に改宗した。この時の寺号は片岡庵と称した。その後、元禄14年(1701年)に現在の寺号に改めたものの法系が途絶えたため、安永2年(1773年)洞戸興徳寺より鉄厓円伊を招き現在に至っている。寺宝として文化年間の十六善神像、文化5年(1808年)の十六羅漢像を祀る。

済法寺 岐阜県岐阜市粟野西8-17   臨済宗妙心寺派  
済法寺(さいほうじ)は岐阜県岐阜市粟野にある十一面観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は興国山である。 貞観3年(861年)に慈覚大師円仁により、如来ヶ岳の山頂に天台宗の寺院として創建されたと伝わる。その後、保元年間(1156年-1158年)に現在地に移転したが、天正の頃に兵火にかかって荒廃する。元和8年(1622年)春に唯道恵定和尚が南化玄興を開山に招いて臨済宗妙心寺派の寺院として再興した。 本尊の十一面観世音菩薩立像は平安時代末の檜材による一木造の彫像であり、鎌倉末期に制作されたとみられる檜材寄木造の四天王像、地蔵菩薩立像、不動明王立像と共に岐阜県の重要文化財に指定されている。

西方寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市加納新本町1-2   浄土宗知恩院派  
西方寺(さいほうじ)は、岐阜県岐阜市加納新本町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。山号は寂静山。美濃新四国42番札所。川端康成の小説『篝火』に登場する「澄願寺」のモデルである。 慶長6年(1601年)に関ヶ原の戦いの功績により加納藩主となった奥平信昌の乳兄弟である釈誉達無上人により建立された。本尊の阿弥陀如来の他、観世音菩薩、大勢至菩薩、善導大師、円光大師(法然)を祀る。明治24年(1891年)、濃尾地震による震災を被り、更に岐阜空襲による戦災を受けた後に復興を果たした。現在の本堂は昭和30年(1955年)に再建されたものである。 大正10年(1921年)頃、川端康成はその初恋相手の伊藤初代が当時身を寄せていた同寺を度々訪れている。西方寺は、その経験に基づいた『篝火』に「澄願寺」として登場している。

慈恩寺 (岐阜市溝口中) 岐阜県岐阜市溝口中138-1   西山浄土宗  
慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市溝口中にある西山浄土宗の寺院で、山号は玉保山。重要文化財の千手観音像を本尊としている。なお、岐阜市には同じ寺号の高桑山慈恩寺が柳津町高桑に、景徳山慈恩寺が大門町に存在する。

慈恩寺 (岐阜市大門町) 岐阜県岐阜市大門町   臨済宗妙心寺派  
慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市大門町にある、地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派天球院下)の寺院。山号は景徳山。織田信長が岐阜の街を守護するために招いた寺の一つ。 なお、岐阜市には同じ寺号の玉保山慈恩寺が溝口中に、高桑山慈恩寺が柳津町高桑に存在する。

慈恩寺 (岐阜市柳津町) 岐阜県岐阜市柳津町高桑3-174   臨済宗妙心寺派  
慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市柳津町高桑にある臨済宗妙心寺派の寺院で、永禄元年(1558年)開基。山号は高桑山。美濃新四国八十八ヶ所の第三十六番札所。本尊の十一面観音菩薩は岐阜市の指定文化財。 文政5年(1822年)に雪関紹珠により再興された。現在の扁額は雪関のものと伝わる。 なお、岐阜市には同じ寺号の玉保山慈恩寺が溝口中に、景徳山慈恩寺が大門町に存在する。

地蔵寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市木挽町15   臨済宗妙心寺派  
地蔵寺(じぞうじ)は岐阜県岐阜市木挽町にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は教圓山。美濃新四国6番札所。 月江理清禅尼の発願により、盤珪永琢を開山として竹屋町にあった庚申堂を移したのが濫觴である。享保19年(1734年)に美江寺町の天台宗観昌院塔頭の瑞応院を譲り受けて寺号を現在のものに改めている。行事として8月24日に船体地蔵祭、庚申の日には庚申待が行われる。

舎衛寺 岐阜県岐阜市城田寺1821   真言宗御室派  
舎衛寺(しゃえいじ)は岐阜県岐阜市城田寺にある真言宗御室派の寺院。船田合戦終焉の地の碑がある。 平安時代前期の天慶5年(942年)に天から舎衛国と書かれた旗が降り落ちてきたため、その奇瑞により寺を建立し舎衛寺と命名した。また、旗が堕ちてきたことに因み別名を旗堕寺と称した。所在地の地名である城田寺は旗堕寺の転訛したものである。本尊の釈迦如来坐像はそのころのもので、岐阜県指定の重要文化財となっている。保元元年(1156年)には後白河天皇の発願により阿弥陀如来と薬師如来が納められたと伝わる。戦国時代の明応4年(1495年)に起きた船田合戦で土岐成頼は当寺で出家し隠棲を余儀なくされた。また、その翌年に船田合戦の決戦である城田寺城の戦いで焼失して現在地に再建される。 文化財として上述の木像釈迦如来坐像の他に絹本著色妙観察智弥陀像、舎衛寺縁起及び両界念誦次第を岐阜市指定の文化財として所有している。

珠泉院 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1   臨済宗妙心寺派  
珠泉院(しゅせんいん)は岐阜県岐阜市三田洞にある十一面観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派)の寺院で、山号は紫雲山と称する。美濃四国39番札所。 慶長年間に淳岩が小堂を設け、その法嗣徳公が住持となり粟野の地に開かれる。江戸時代後期に禅志和尚の代で伽藍が修繕され、昭和48年(1973年)に現在地に移転した。 泰澄作と伝わる本尊十一面観世音菩薩の他、弘法大師像、釈迦如来などが祀られている。

浄音寺 岐阜県岐阜市三輪宮西240   浄土宗西山禅林寺派  
浄音寺(じょういんじ)は、岐阜県岐阜市三輪にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は西谷山。本尊は阿弥陀如来。落語の祖と呼ばれる安楽庵策伝ゆかりの寺。

定恵寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市山県岩688   臨済宗妙心寺派  
定恵寺(じょうえじ)は岐阜県岐阜市山県岩にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(聖澤派)の寺院で、山号は法雲山。美濃新四国81番札所。 明応2年(1493年)に土岐政房が家臣の大野親秀に命じ、東陽英朝を開山として廃寺跡を再興して創建された。このとき、保護のため近隣に福田庵、知足庵など7つの庵室も設けている。天文元年(1532年)には斎藤氏による兵火を被り廃絶の危機に瀕したが、明暦3年(1657年)に愚堂東寔が大智寺の了堂和尚と共に、大野頼直からの寄進を得て復興を成し遂げた。その後天明8年(1788年)3月に火災により焼失したが、玄州和尚の手により再建されている。

正覚院 (岐阜市) 岐阜県岐阜市北八ツ寺町3   天台寺門宗  
正覚院(しょうがくいん)は岐阜県岐阜市八ツ寺町にある不動明王ならびに歓喜天を本尊とする天台寺門宗の寺院で、山号を長久山と称する。美濃新四国12番札所。 養老3年(719年)に光明天皇の勅願によって勤操を開山として本巣郡に建立されたと伝わる。その後、土岐氏の帰依を受け、青野ヶ原の戦いの前に土岐頼遠が祈願を行ったことが記録に残っている。永禄年間、織田信長の求めに応じて岐阜町に移り、明治20年より現在地に境内を移した。 節分の星まつりでは門前に赤鬼の人形が据えられ、豆まきの他甘酒の振る舞いや護摩祈祷が行われる。

常在寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市梶川町9    
常在寺(じょうざいじ)は、岐阜県岐阜市にある日蓮宗京都妙覚寺の旧末寺である。正式名は、鷲林山常在寺(しゅうりんざんじょうざいじ)。斎藤道三以後の斎藤氏3代の菩提寺として知られ、重要文化財に指定されている斎藤道三肖像画と斎藤義龍肖像画が所蔵されている。本尊は文殊菩薩。 1450年(宝徳2年)、美濃国守護代斎藤宗円の子で、土岐家守護代として事実上美濃国を支配していた斎藤妙椿が妙覚寺から世尊院日範を招き建立した。 その後、戦国時代に入ると、斎藤道三が妙覚寺の僧だった長井新左衛門尉の美濃国に築いた地位を基盤として、美濃国主となりこの寺に寺領を与え保護し、発展させた。斎藤道三と長井新左衛門尉が2代にわたり、美濃国を制する拠点とした寺である。

浄土寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市福富647-1   西山浄土宗  
浄土寺(じょうどじ)は岐阜県岐阜市福富にある阿弥陀如来を本尊とする西山浄土宗の寺院。山号は大澤山(だいたくさん)である。 弘安3年(1280年)に東福寺の僧、大空澤山(だいくうたくさん)により阿弥陀如来を祀る如来堂が設けられたことをその濫觴とする。正応年間に天空和尚が中興する。長享2年(1488年)12月10日に火災により伽藍が焼失したが、本尊は守られた。延徳元年(1489年)には再興を遂げ、寛永13年(1636年)吟庵により中興される。 本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代末の檜材による寄木造の彫像であり、比叡山延暦寺東堂西谷浄土院よりもたらされた平安時代制作とみられる檜材寄木造の聖観世音菩薩立像と共に岐阜県の重要文化財に指定されている。聖観世音菩薩立像は岐阜県博物館に複製が常設展示されている。 所在地名の福富は、本尊がもたらされた東福寺の「福」と、開祖大空澤山の出身地の伊勢富之郷の「富」により命名されたと伝わっている。

正法寺 (岐阜市大仏町) 岐阜県岐阜市大仏町8    
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市大仏町にある黄檗宗の寺院である。山号は金凰山。萬福寺の末寺。 本尊の釈迦如来は、岐阜大仏として知られている。 黄檗宗の寺院の特徴であるが、建物、作法などは中国風であり、一般的な日本の寺院とは大きく異なる。

正法寺 (岐阜市小野) 岐阜県岐阜市小野598-1   高野山真言宗  
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市小野(この)にある真言宗古義派の寺院で、山号は五光山。古くは奈良時代に始まるとされるが、幾度か兵火に罹りその歴史は途絶えている。美濃四国56番札所。岐阜大仏で知られる正法寺とは異なる。また、岐阜市には土岐頼康により建立された正法寺が薬師町に史跡として存在する。 天平17年(745年)に光明皇后の発願により大慈山花光院観音洗寺として建立されたと伝わるが、年月を経て小堂のみ残して廃絶同然の状態になったと伝わる。寛正6年(1465年)、美濃国守護土岐成頼が妙心寺六祖雪江宗深和尚を開山とし、医王山正法寺として臨済宗妙心寺派の寺院に改めている。その後、妙心寺派が四派によって管理されるようになると、そのうち東海派の寺院となった。天文11年(1542年)、永禄5年(1562年)の2度にわたって戦禍を被り、再び廃寺寸前となるが、黒野城主として入部した加藤貞泰により文禄3年(1594年)に古義真言宗の五光山蓮華王院正法寺として復興を遂げた。 境内には本堂のほか、観音堂、地蔵堂、三尺坊堂や弥陀堂がある。所蔵している涅槃図は優品として岐阜県の文化財に指定されている。

正法寺 (岐阜市薬師町) 岐阜県岐阜市薬師町24   臨済宗妙心寺派  
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市薬師町にあった、薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院である。山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在、その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。なお、同市黒田(正法寺)、同市大仏町(正法寺)、同市向加野にある正法寺は、ここで述べる霊薬山正法寺とは縁起の異なる別の寺院である。 美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。その後は開山の法嗣、信中自敬が2世として襲いでいる。土岐氏の外護のもと、七堂伽藍を備え塔頭も多数建てられた。塔頭の名としては雲門庵、石門庵、法喜庵、三世庵、常春庵、慈光院、利名院、大亀院、陽徳院、南陽院および細香軒が伝わっているが、それぞれの歴史については未詳である。信中自敬の下には惟成親王が法嗣として入るなど、美濃屈指の禅刹であり、諸山に列せられた。応仁元年(1467年)以降、京都が応仁の乱により荒廃した際には、土岐氏の招きにより足利義視、一条兼良が訪れた。その他にも雪舟等楊や万里集九、宗祇など、文人墨客も正法寺で活動をしていたことが知られる。明応4年(1495年)に船田合戦で戦場となり、焼失し廃寺となった。跡地に残った土塁も、慶長7年(1602年)の加納城築城の際に取り去られたという。 昭和47年(1972年)に岐阜市により史跡に指定される。2019年現在、跡地には薬師堂が建てられている。

勝林寺 岐阜県岐阜市木造町6-1   曹洞宗  
勝林寺(しょうりんじ)は岐阜県岐阜市木造町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は青巌山。美濃新四国10番札所で、織田信長ゆかりの寺の一つ。

真長寺 岐阜県岐阜市三輪   高野山真言宗  
真長寺(しんちょうじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。山号は三輪山。通称「三輪釈迦」。正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は釈迦如来。 石庭は江戸時代初期に造られた枯山水様式の庭であり、龍安寺の石庭と同じ様式という。毎年観月会が開かれ、一般開放されている。

瑞龍寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市寺町19   臨済宗妙心寺派  
瑞龍寺(ずいりょうじ)は、岐阜県岐阜市寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金寶山。 臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(禅の修行僧)の修行の場である。 総門を入ると参道の右に瑞雲院、鶴棲院、臥雲院。左に、天澤院、開善院、雲龍院の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。 境内には、斎藤妙椿(斎藤利藤とは別人が有力)、土岐成頼、悟渓国師の墓がある。

清閑寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市世保80   西山浄土宗  
清閑寺(せいかんじ)は岐阜県岐阜市世保にある阿弥陀如来を本尊とする西山浄土宗の寺院で、山号は長立山。美濃新四国77番札所。 元は建久2年(1191年)に源空が建立した念仏三昧堂が起源という。延文5年(1357年)に足利義詮が足利尊氏崇敬の仏像を安置して清浄閑院と改めたがその後失火などのため荒廃して無住となり廃絶したと伝わる。寛永5年(1628年)に長空立讃がその古刹の址に一宇を建立して清閑寺とした。宝暦12年(1762年)、天空格全の代に長良川の洪水により流失したため、翌年現在地に移転して再建された。関市戸田の阿弥陀寺は末寺であった。

誓願寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市伊奈波通1-43   浄土宗西山派  
誓願寺(せいがんじ)は岐阜県岐阜市伊奈波通りにある、浄土宗西山派の寺院で、本尊は阿弥陀如来。岐阜立政寺の末寺である。重要文化財に指定された鎌倉時代の絹本著色兜率天曼荼羅図を所蔵する。

盛徳寺 岐阜県岐阜市加納奥平町1-22   臨済宗妙心寺派  
盛徳寺(せいとくじ)は岐阜県岐阜市加納奥平町にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は香林山。加納藩主奥平氏所縁の寺である。 創建不詳。慶長6年(1601年)に加納藩主に封じられた奥平信昌が三河国にあった奥平氏菩提寺を加納に移し、久昌山増端寺とした。その後奥平信昌が没すると住持の月船により荼毘に付されて葬られた。遺骨の一部は高野山に納められたという。更に奥平信昌の正室亀姫が没した際にその墓所を奥平信正の墓の隣に設けた。その際、寺号を亀姫の戒名、盛徳院殿香林慈雲大姉に因み現在の寺号に改めた。奥平氏が改易されると外護者を失い衰微するが、延宝7年(1679年)に卍元師蛮により再興される。卍元師蛮は『延宝伝灯録』や『本朝高僧伝』といった僧侶の伝記を著したことで知られる当代の碩学であった。

善光寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市伊奈波通一丁目8番地   真言宗醍醐派  
善光寺(ぜんこうじ)は、岐阜県岐阜市にある真言宗醍醐派の寺院。山号は愛護山。本尊は善光寺如来。善光寺安乗院ともいう。通称は「岐阜善光寺」、「伊奈波善光寺」。美濃四国第1番札所。 2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。

善澄寺 岐阜県岐阜市伊奈波通り1-65   浄土宗西山禅林寺派  
善澄寺(ぜんちょうじ)は岐阜県岐阜市伊奈波通りにある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山禅林寺派の寺院で、山号は普照山。美濃新四国5番札所。 天正3年(1575年)に織田信長の家臣を開基として、光空智普により創められた。立政寺の末寺として誓願寺や安楽寺などとともに伊奈波八ヶ寺と称され、天正10年6月4日に斎藤利堯より禁制を受けている。本尊の阿弥陀如来と地蔵菩薩は天正年間に比叡山延暦寺より移されたと伝わる。享和2年(1802年)と明治45年(1912年)に本堂の改築、平成4年(1992年)に庫裡の建て替えを行っている。

全超寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市野一色8-7-10   曹洞宗  
全超寺(ぜんちょうじ)は岐阜県岐阜市野一色にある聖観世音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は補陀山。美濃新四国18番札所。 伝聖徳太子作という観世音菩薩像を祀る善長寺を元禄10年(1697年)に加納藩主松平光永が菩提寺の天桂永澤を開山を招いて現在の寺号に改称して再興したのが始まりである。寛政12年(1800年)に回禄の禍に遭い焼失後、再建された。本堂の他に弘法大師を祀る弘法堂が所在し、美濃新四国の札所となっている。

善福寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市千手堂北町2-1   浄土真宗本願寺派  
松涛山善福寺(ぜんぷくじ)は岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院。開創時の本尊であった十一面千手観音に因み千手堂とも呼ばれる。所在地の千手堂はそれに因むものである。 天暦9年(955年)に天台宗の僧侶浄観が十一面千手観音を本尊に据えて天台宗寺院、専浄寺として開創した。嘉禎元年(1235年)に住職の覚信が親鸞聖人に帰依して了道と名乗る。永禄10年(1567年)に織田信長が岐阜に入城すると、当寺に禁制を下している。慶長5年(1600年)、岐阜城の戦いの際に金華山山麓の御手洗池から出現した阿弥陀如来を寺内に安置する。その翌年に浄土真宗西本願寺派に改宗。本山より善福寺の寺号を得る。昭和20年の岐阜空襲により伽藍が焼失した。現在の本堂はその後再建されたものである。

禅林寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市槻谷13-3   臨済宗妙心寺派  
禅林寺(ぜんりんじ)は岐阜県岐阜市の金華山中腹にある十一面観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は白華山。美濃新四国7番札所。 山県市伊自良の白華山甘南美寺住職の隠居所として建立された白華庵がその濫觴で、明治22年(1889年)に甘南美寺より山口禅梁が本尊を譲り受け、白華山禅林寺を称するようになる。本堂には本尊の他に弘法大師を祀り、美濃新四国の札所としている。寺への参道はあじさいが多く植えられていることから、あじさい寺の異称がある。また、昆虫研究学者名和靖の位牌が寺に祀られていることでも知られる。

崇福寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市長良福光2403-1   臨済宗妙心寺派  
崇福寺(そうふくじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は神護山。織田信長、有栖川宮家ゆかりの寺院である。 本尊は延命地蔵菩薩、聖観音。 美濃三十三観音霊場第十四番札所。

大智寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市山県北野   臨済宗妙心寺派  
大智寺(だいちじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派別格地寺院である。山号は雲黄山。本尊は釈迦如来。

大日寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市西川手4-10   曹洞宗  
大日寺(だいにちじ)は岐阜県岐阜市西川手にある大日如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は光照山。美濃新四国37番札所。 文政12年(1829年)に小牧正眼寺の末寺であった霊松山久雲寺16世の鉄山本牛が光国寺より大日庵を譲り受けたのがその始まりで、翌年に小屋名円通寺10世の祖雲が開いたという。その後大法慧心尼以降は尼寺であったが、その後改められている。

大宝寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市大宝町2-1   臨済宗妙心寺派  
大宝寺(だいほうじ)は岐阜県岐阜市大宝町にある臨済宗妙心寺派の寺院。岐阜市の大宝町の名称は当寺が所在することに因んでいる。

大龍寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市粟野2339   臨済宗妙心寺派  
大龍寺(だいりゅうじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金粟山(きんぞくさん)。 ※本来は、こんぞくさん だいりょうじ と読む 通称「だるま観音」。岐阜市の北端にあり山県市高富と隣接することから「高富大龍寺」とも呼ばれる。 本尊は腹帯子安観世音菩薩、達磨大師。子授け、安産、虫封じにご利益があるという。 美濃三十三観音霊場第十一番札所。美濃七福神(福禄寿)。土岐氏、稲葉一鉄ゆかりの寺である。

智照院 (岐阜市) 岐阜県岐阜市岩田西3-476   曹洞宗  
智照院(ちしょういん)は岐阜県岐阜市岩田西にある白衣観音を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は普門山。美濃新四国72番札所、ぎふ七福神恵比寿天札所。 正徳元年(1711年)に矢島孫治郎の娘、智照元明尼が智照庵として開いた。元文4年(1739年)に智照元明尼が示寂すると、伊勢松阪朝見薬師寺の誓道が入寺した。さらに幕末となり、道隠が再興を果たしている。平成24年(2012年)に岐阜七福神の霊場巡りが開場すると恵比寿天の札所となっている。 境内には本尊の他に前述の恵比寿天の他、延命地蔵が祀られている。また、岐阜市の史跡に指定されている7世紀の智照院古墳が墓域にある。

天衣寺 岐阜県岐阜市野一色1-10-16   臨済宗妙心寺派  
天衣寺(てんねいじ)は岐阜県岐阜市野一色にある白衣観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は祥雲山。美濃新四国17番札所。 永正年間に悟渓宗頓八哲の一人、瑞翁宗縉により開かれる。その後衰微するが宝暦元年(1751年)に中興される。天保8年に焼失。同12年に再建された。明治23年(1890年)に尼衆学林が設置されている。これは2020年現在における唯一の臨済宗及び黄檗宗における尼僧の修行道場である。平成6年(1994年)に本堂と庫裏が全焼したが、同10年(1998年)11月に再建を果たしている。

洞泉寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市向加野3-5-12   曹洞宗  
洞泉寺(とうせんじ)は岐阜県岐阜市向加野にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は龍徳山。美濃四国87番札所である。 延徳年間(1489年から1492年)に麟巌(麟岸)和尚により、洞川寺として創建される。その後は住持を欠き寺も荒廃するが、文禄年間(1593年から1596年)に東田全久院道院の法嗣、水岸本滴が再興した。慶安元年(1648年)、寺号を洞泉寺に改める。文政5年(1822年)に失火により焼失したが、本尊他寺宝の一部は難を逃れている。鐘楼門は嘉永6年(1853年)、本堂は平成18年(2006年)の建立である。

本願寺岐阜別院 岐阜県岐阜市西野町3-1   浄土真宗本願寺派  
本願寺岐阜別院(ほんがんじぎふべついん)は、岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院(別院)である。開基は准如上人。 岐阜市には、東西両別院がある。真宗大谷派(東本願寺)の別院は、真宗大谷派岐阜別院。

真宗大谷派岐阜別院 岐阜県岐阜市大門町1番地   真宗大谷派  
真宗大谷派(しんしゅうおおたには)は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による宗教法人(包括宗教法人)である。 阿弥陀如来一佛を本尊とし、親鸞を宗祖とする。大谷派の根本道場である東本願寺を、所属するすべての寺院および教会の本山とする。 2018年12月31日現在の被包括宗教団体数は8,638。大派(だいは)、お東(おひがし)の通称がある。

法円寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市伊奈波通1-20   浄土宗鎮西派  
法円寺(ほうえんじ、法圓寺)は岐阜県岐阜市伊奈波通りにある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗鎮西派の寺院で、山号は遍照山。美濃四国3番札所。 応永6年(1399年)3月に山県郡大桑の地に廣蓮社大誉が創建したと伝わる。天文3年(1534年)、斎藤山城守により檀家と共に岐阜に移転した。貞享3年(1686年)近隣の火災に巻き込まれて焼失したが、9世の念誉龍無の手により再興した。明治24年(1873年)には濃尾地震により倒壊し全焼している。その後、瑞巌和尚により再興した。境内には清庵少玉禅尼の文明15年銘五輪塔がある。

法華寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市   高野山真言宗  
法華寺(ほっけじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。山号は霊鷺山(りょうじゅさん)。 通称、三田洞弘法。正式名より通称のほうで知られている。山号は景観がインド(天竺)の霊鷺山に似ていたためといわれる。 本尊は木造聖観音菩薩立像。他に愛染明王を祀る。この愛染明王は、頭を2つ、腕を8つもつ両頭愛染明王坐像である。共に岐阜市指定文化財となっている。 岐阜市で一番高い山である百々ヶ峰(標高417.9m)の山麓にある。本堂は池の中島にある。 美濃三十三観音霊場第十五札場。美濃四国札所第六十一札場。東海白寿三十三観音第三十二番札場。美濃三弘法第二札場(乙津寺、法華寺、円鏡寺)。

法華寺 (岐阜市矢島町) 岐阜県岐阜市矢島町1-55   日蓮宗  
法華寺(ほっけじ)は岐阜県岐阜市矢島町にある日蓮宗の寺院で、山号は啓運山。本圀寺の旧末寺で、織田氏所縁の古刹である。三田洞弘法の別称で知られる霊鷲山法華寺とは異なる。日本遺産「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜の構成文化財である。 延徳3年(1491年)、尾張国清洲(現在の清洲市)に織田家当主の織田常勝が日授を開山して建立した。戦国時代に5世日陽が織田信長の帰依を受けて岐阜に寺地と伽藍を授かって移転した。また、信長が岐阜城主であったころには岐阜を訪問した山科言継が当寺を訪問している。安土宗論の際によって日蓮宗が窮地に陥った際には信長に抗弁して救ったため、信長より朱柄の傘を与えられ、本山からは感状を得ている。 寺宝として兆殿司の出山釈迦図と土佐光信筆の三十番神図を所蔵するほか、織田信長、織田信孝、織田秀信三代に渡り発給された寺院保護の書状を有している。

本覚寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市緑町3   曹洞宗  
本覚寺(ほんがくじ)は岐阜県岐阜市芥見にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は光照山。美濃新四国11番札所。 天正2年(1574年)、織田信長が帰依していた元沢祖栄を開山として下竹屋町に建立された。その後、5世の霊山喜祐が現在地に移している。昭和20年(1945年)には岐阜空襲により焼失し、現在の伽藍はその後再建されたものである。 寺の行事として1月8日の大般若会、7月8日の施食会及び10月28日の宗祖忌がある。

本誓寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市矢島町2-46   浄土宗知恩院派  
本誓寺(ほんせいじ)は岐阜県岐阜市矢島町にある浄土宗の寺院で、山号は瑞華山。江戸時代は美濃における浄土宗の触頭であった。岐阜における織田信長所縁の寺の一つ。 松阪樹敬寺3世縁誉上人の法嗣、演誉吟暢上人により葉栗郡三宅村(現在の岐南町三宅)に誓願寺として建立される。創建年は演誉吟暢上人の没年から天文2年(1533年)以前である。享禄年間に岐阜へと移り、天正9年(1581年)に本誓寺と寺号を改めている。寺には織田信長が尾張国甚目寺から取り寄せて与えた長禄2年(1458年)銘の古梵鐘がある。その他、岐阜領主であった織田秀信の感状、福島正則の制札等の品が伝わっている。 江戸時代に入り、加納藩主奥平信昌の乳母の子である釈誉達無上人により再興される。藩主との縁により美濃国における触頭の地位を得て繁栄した。貞享年間と大正年間に火災に遭ったものの再建されて現在に至っている。戦国時代以降の膨大な古文書を現在に伝えている。

美江寺 岐阜県岐阜市美江寺町2-3   天台宗  
美江寺(みえじ)は、岐阜県岐阜市美江寺町にある天台宗の寺院である。山号は大日山。院号は観昌院。通称「美江寺観音」。正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は十一面観音。 美濃三十三観音霊場第十八番札所。岐阜観音霊場第三番札所。東海白寿三十三観音第三十一番札所。

水薬師寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市加納南広江町49   臨済宗妙心寺派  
水薬師寺(みずやくしじ)は岐阜県岐阜市加納にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派光國院下)の寺院で、山号を水上殿と称する。美濃四国38番札所、東海四十九薬師霊場15番札所。 慶長17年(1613年)清水伊三郎が広江川(清水川)を遊泳していた際に川底で発見し、加納城主奥平忠政とその母亀姫が薬師如来を拾い上げた付近に光国寺の守護として浮御堂を設けたのが始まりである。元禄16年に堂を再建し、宝永2年(1705年)堂宇を河岸に移した。明治16年(1883年)に伽藍の立て直しを行うが、8年後の濃尾地震により倒壊して再建され、さらに岐阜空襲でも焼け落ちて再建されている。 本尊の薬師如来の他は日光菩薩や十二神将が祀られている。 7月20日と21日には清水川に灯篭を浮かべる水薬師祭りが行われる。

妙照寺 (岐阜市) 妙照寺(岐阜市)-本堂   日蓮宗  
妙照寺(みょうしょうじ)は、岐阜県岐阜市の金華山の麓にある、日蓮宗の寺院。山号は三光山。旧本山は京都立本寺、生師法縁。 2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。

薬師寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市中屋西76   西山浄土宗  
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の一つ。開基は天武天皇。 1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)により世界文化遺産に登録されている。

龍雲寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市芥見大船1-151   曹洞宗  
龍雲寺(りゅううんじ)は岐阜県岐阜市芥見にある大日如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は護国山。美濃新四国57番札所、ぎふ七福神毘沙門天札所。 もと創建不詳の真言宗高野山末の寺院として芥見北山に所在したが、天正年間に織田信長が美濃に侵攻した際兵火に曝され荒廃したと伝わる。その後江戸時代に入って外室祖教が龍泰寺18世長霊正鎮を開山として招き、曹洞宗の寺院となった。再建時期が龍泰寺と重なったため、生じた余剰の資材を受け取っている。2世清岩禅師より現在地に移転した。濃尾地震で被害を受けたが復興を果たす。また、梵鐘は戦時供出によりいったん失われており、戦後新たに入手したものを用いている。

立江寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市江崎685   浄土宗西山派  
立江寺(りゅうこうじ)は岐阜県岐阜市江崎にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山派の寺院で、山号は洗蒙山。美濃新四国46番札所。 応永のはじめに永空念長が開いたと伝わる。創建時の宗派は不明。その後延宝年間に立政寺の通岸賢徹が入寺し、浄土宗に改められた。本尊の阿弥陀如来は室町時代初期の作で江戸時代に立政寺の秘仏が当寺の本尊として移されたものと伝わり、岐阜県の文化財に指定されている。また、同じく寺に祀られている絹本着色阿弥陀如来像は鎌倉末から室町初期のもので、美濃派の俳人村瀬五雲により明治時代末に奉納され、岐阜市の文化財に指定されている。

龍興寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市梅林6   臨済宗妙心寺派  
龍興寺(りゅうこうじ)は岐阜県岐阜市梅林にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派大法院下)の寺院で、山号は大雲山。美濃新四国15番札所。 創建不詳。戦国時代に斎藤龍興がその念持仏を本尊とし、卍元を開山として下加納の地に建立したと伝わる。斎藤氏の没落後無檀となり寺運が衰えたが、明治14年(1881年)に瑞龍寺の綾州和尚により梅林の地に移され再興された。本尊の知恵観世音菩薩の他に弘法大師を祀り、美濃四国の札所となっている。

立政寺 岐阜県岐阜市西荘3丁目7-11   浄土宗西山禅林寺派  
立政寺(りゅうしょうじ)は、岐阜県岐阜市西荘三丁目7番11にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は亀甲山。寺号は正しくは護国院立政寺。

龍峯寺 (岐阜市) 岐阜県岐阜市奥225-1   臨済宗妙心寺派  
龍峰寺(りゅうぶじ、龍峯寺)は岐阜県岐阜市奥にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は廣徳山。北方城主安藤守就の菩提寺である。 戦国時代に北方城主の安藤守就が、弟の湖淑を開山として一族の菩提寺として北方に建立した。正確な創建年は不明で、湖淑の法系も伝わっていない。その後、天正10年(1582年)に北方城が稲葉良通により攻められた際に城と共に兵火により焼亡した。湖淑は本巣郡の奥村まで逃れ、安藤守就の菩提を弔い寺院を再興した。湖淑和尚の没後は住持を欠くが、明暦年間に越前国報恩寺の別川和尚が住持となる。その法嗣、蜜外和尚は人里離れた山上から麓に寺を移した。天和3年(1683年)に乙津寺の鉄錐和尚を住持に招いたのちその法が受け継がれた。寺宝として湖淑和尚の肖像を所蔵し、安藤守就の墓が本堂裏手の山に建っている。

林陽寺 岐阜県岐阜市岩田西3-402   曹洞宗  
林陽寺(りんようじ)は岐阜県岐阜市岩にある薬師如来を本尊とする高野山真言宗の寺院で、山号は慈徳山。美濃新四国59番、ぎふ七福神布袋尊札所。 延暦15年(796年)に弘法大師空海が薬師如来像を自刻し、一宇を設けたのが始まりと伝わる。その後の詳しい歴史は伝わらないが、岩田春日神社の別当寺となる。永禄元年(1558年)に春日神社が鍋坂へ移り、寺は北山鵜飼屋へ移転する。その後寺勢が衰微したが、寛文5年(1665年)に監窓宜公が松本全久院の了然玄超を開山に招き、曹洞宗寺院として再興された。慶応元年(1865年)に正宗寺より天洲薩道が入り現在に至っている。明治24年(1891年)に濃尾地震で倒壊。大正9年(1920年)に復興を果たした。

霊松院 (岐阜市) 岐阜県岐阜市岩崎3-15-1   臨済宗妙心寺派  
霊松院(れいしょういん)は岐阜県岐阜市岩崎にある臨済宗妙心寺派(東海派雑華院下)の寺院で、山号は瑞巌山。美濃四国60番札所である。 寺伝によれば応永4年(1396年)に無文元選が開いた故地であると伝わるが、寺伝の他に証するものがなく不明である。寛永17年(1624年)に松江天倫寺の石翁玄需が当地の深貝平左衛門と共に創建を行った。宝永3年(1706年)に岩崎陣屋の代官であった南條金左衛門が葬られた。その後、宝暦年間に岐阜の柴田与一郎が田畑を寄進し、伽藍が改められている。また、宝暦4年(1754年)に宝暦治水で自害した高木家の家臣の内藤十左衛門が埋葬されている。この内藤十左衛門の墓は宝暦治水工事義没者墓として昭和41年(1966年)に岐阜県の史跡に指定されている。明治9年(1877年)に当時の住持であった万休慧長の下で僧侶の育成を行う育成所を設けている。これは後に普通学林と改称され、竜安寺の普通学林と合併して現在の花園大学に繋がっている。

永昌寺 (関市武芸川町) 岐阜県関市武芸川町高野643-1   臨済宗妙心寺派  
永昌寺(えいしょうじ)は、岐阜県関市武芸川町高野にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は景久山(けいきゅうざん)。本尊は十一面観世音菩薩。寺内には本堂や庫裡の他、乾達婆王を祀る護童堂や十王堂の他、知淵山浄水寺と称する観音堂があり、美濃三十三観音霊場第五番札所となっている。また、仙厓の出身地に所在しその両親の墓と顕彰碑が建つ。十七世の東海宜誠は台湾での布教活動を行い、台湾三十三観音霊場の発起寺となった。

恵利寺 岐阜県関市武芸川町跡部705   臨済宗妙心寺派  
恵利寺(えりじ)は岐阜県関市武芸川町跡部にある十一面観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は尾崎山。美濃三十三観音霊場6番札所。

大杉廃寺 岐阜県関市大杉590-1    
大杉廃寺は岐阜県関市大杉に所在した奈良時代から平安時代の寺院跡である。 寺院の活動期間は8世紀から9世紀と考えられている。寺院跡は香林寺の境内地他に所在しており、遺構として基壇跡が見つかっているが、伽藍配置の全容は解明されていない。遺物としては素弁蓮華文軒丸瓦や平瓦が見つかっている。寺を建立した勢力については未詳。 昭和30年(1955年)に関市立旭ヶ丘中学校の生徒が布目瓦を発見したことで見いだされ、翌年と昭和50年(1975年)に関市教育委員会が発掘を行った。なお、瓦を発見した中学生は弥勒寺跡の発掘に携わっていたことから発見につながったという。

吉祥寺 (関市) 岐阜県関市志津野2817   臨済宗妙心寺派  
吉祥寺(きちじょうじ)は岐阜県関市志津野にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は神宮山。美濃三十三観音霊場23番札所である。 暦応元年(1338年)に美濃に招かれた峰翁祖一が臨済宗建長寺派の寺院として開き、興国4年(1343年)には住山したという。吉祥寺は外護者を持たなかったためその後衰微した。承応元年(1652年)関梅龍寺の善仲が再興を発起し、元禄7年(1694年)に梅龍寺7世の大徹法源が妙心寺派の寺院として中興を果たす。その後、元禄14年(1701年)に火災に遭って伽藍を失うが、延享2年(1745年)に堂宇の再建を果たしている。昭和56年(1981年)に老朽化のため、建物を再建している。

香積寺 (関市) 岐阜県関市東日吉町31   曹洞宗  
香積寺(こうじゃくじ)は岐阜県関市にある白衣観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は宝林山。中濃八十八ヶ所12番札所である。安桜山城主村山氏の菩提寺。 嘉慶元年(1387年)に土岐氏の家臣、村山若狭守宗重が安桜山城主となった際に菩提寺の智勝寺として建立した。開山は不詳であったが臨済宗に属していた。元和年間迫間領主の大嶋光重が中興開基となり、龍泰寺20世の鰲山正雪を中興開山として曹洞宗の寺院、香積寺に改めている。文化元年(1804年)に祝融の災いに遭うがその後再建されている。境内には関の鍛冶師兼永の墓や村山氏の宝篋印塔が残る。また、寺の玄関は城主の菩提寺としての格式を遺している。

香林寺 (関市) 岐阜県関市西神野1419   真言宗智山派  
香林寺(こうりんじ)は岐阜県関市西神野にある不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺院。山号は花木山。東海白寿三十三観音霊場29番である。別称は八神不動。なお、関市大杉には同名の臨済宗寺院、耕雲山香林寺がある。 天正4年(1576年)に新長谷寺の運性が隣接する八剱神社の別当寺として建立したのが始まりである。本堂の他に観世音菩薩を祀り、東海白寿三十三観音霊場の札所寺院となっている。

香林寺 (関市大杉) 岐阜県関市大杉590-1   臨済宗妙心寺派  
香林寺(こうりんじ)は岐阜県関市大杉にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は耕雲山。中濃八十八ヶ所83番霊場。なお、関市西神野には同名の花木山香林寺がある。 天正11年(1583年)8月に伝芳慈賢が耕雲庵として開く。元文2年(1737年)に晦翁智覚が現在の寺号に改めている。本堂の他に大師堂があり、中濃八十八ヶ所の83番札所となっている。昭和30年に寺院の境内から古代瓦が発見され、発掘の結果、かつてこの地に古代寺院が存在したことが分かった。寺院跡は大杉廃寺と名付けられ関市の史跡となっている。

小松寺 (関市) 岐阜県関市西田原1489   黄檗宗  
小松寺(こまつじ)は岐阜県関市西田原にある十一面観世音菩薩を本尊とする黄檗宗の寺院で、山号を大慈山と称する。 治承2年(1178年)に平重盛が護国寺として全国各地で建立されたものの一つがその濫觴であると伝わる。開山は不明。創建当時は天台宗であったが、江戸時代には寺運が傾き観音堂と大師堂が残るのみとなっていたが、寛政14年(1637年)に稲葉伊勢守が潮音道海を開山に招き黄檗宗の寺院として建立した。江戸時代には美濃三十三観音霊場の32番札所の霊場となっていた。現在は中濃八十八ヶ所霊場の81番札所となっている。

正武寺 岐阜県関市志津野667   曹洞宗  
正武寺(しょうぶじ)は岐阜県関市志津野にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は経常山。 延享元年(1744年)、菖蒲谷と呼ばれていた当地に名主の佐藤林八郎が永平寺42世円月江寂を招いて菖蒲庵という草庵を開いたのが始まりである。宝暦9年(1759年)、今尾領主の竹腰正武が自らの菩提寺と経常山正武寺と改める。正室正子の墓に植えられたサザンカ2樹が現在でも残り、サザンカの寺として知られる。このサザンカは関市指定天然記念物となっている。また、竹腰正武本廟が関市指定史跡に指定されている。

常楽寺 (関市) 岐阜県関市一ツ山町58-1   黄檗宗  
常楽寺(じょうらくじ)は岐阜県関市の一ツ山西麓にある釈迦如来を本尊とする黄檗宗緑樹派の寺院で、山号は清水山。 関の孫六こと、孫六兼元の一族の金子八郎兵衛が関小松寺の潮音道海に帰依して出家し徳雲浄祥を名乗って元禄2年(1689年)に清水庵を結んだのが始まりで、元禄7年(1694年)に仏殿を建立して庵号を常楽庵と改める。元禄末までに小松寺の覚照和尚の協力により寺号を得て清水山常楽寺となった。元禄20年(1707年)に徳雲浄祥の弟である金子宗三郎、法名浄閑より釈迦如来坐像と脇侍の文殊菩薩及び普賢菩薩を譲り受けて本尊とした。その後、寺勢が衰えたこともあり、これらの仏像は関市小屋名の臨川寺に移された。 脇侍の2躯の菩薩像は平安時代初期の貴重な仏像であるとして、平成22年(2010年)に「木造菩薩坐像2躯」の名称で国の重要文化財に指定されている。「木造菩薩坐像2躯」は、重要文化財指定時には常楽寺の所有であったが、その後、前述の臨川寺の所有となり、岐阜県博物館に寄託されている。また、本尊であった木造釈迦如来坐像(臨川寺蔵)は平成29年(2017年)に岐阜県の文化財に指定されている。

白谷観音 岐阜県関市板取247   天台宗  
白谷観音(しらたにかんのん)は、岐阜県関市板取白谷にある天台宗の寺院で、正式には大悲山円教寺と称する。旧美濃三十三観音霊場1番札所。 伝説では奈良時代に泰澄が当地を訪れて行基作の十一面観音菩薩を本尊として開いたとされ、谷あいから白砂が湧き出るという奇瑞があったことからこの地を白谷と名付けたといわれている。しかし、実際は本尊が平安末期の様式を持つことから平安時代に白山信仰の修験者が開いたと考えられている。その後、鎌倉時代以降周辺では虚空蔵菩薩を崇拝する高賀山信仰が隆盛したが当寺は白山信仰を維持し、高賀山の観音菩薩と共に霊験のある観音菩薩として信仰された。享保年間に八事興正寺の温泉良円上人により中興され、本堂で三十三観音が祀られるようになる。さらに美濃西国三十三観音の巡礼が開場された際にはその1番札所となった。文政11年(1828年)本堂が再建される。美濃三十三観音がいったん廃れて再開された際に札所から外されている。2018年現在は無住であり、近隣の浄念寺により管理されている。 境内には本堂の他、十王堂がある。本尊は7年に1度開帳される。近年は高賀六社と共に六社一観音めぐりとする巡礼が行われている。

神光寺 岐阜県関市下有知6329-1   高野山真言宗  
神光寺(じんこうじ)は岐阜県関市下有知の今宮山山麓にある高野山真言宗の寺院で、山号を今宮山とする。美濃三十三観音霊場24番札所であり、美濃四国20番札所かつ中濃八十八ヶ所43番札所でもある。本尊は平安時代作の十一面観世音菩薩像である。

新長谷寺 岐阜県関市長谷寺町1   真言宗智山派  
新長谷寺(しんちょうこくじ)は、岐阜県関市にある真言宗智山派の寺院である。山号は吉田山。 山号より通称「吉田観音(きったかんのん)」という。正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、美濃の法隆寺の別名がある。 美濃四国第二十二番。美濃三十三観音霊場第三十三番札所。美濃七福神(毘沙門天)

宗休寺 岐阜県関市西日吉町35   天台宗  
宗休寺(そうきゅうじ)は、岐阜県関市にある天台宗の寺院である。通称を「関善光寺」といい、正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は阿弥陀如来(善光寺如来)。美濃四国第二十一番。安桜山の麓に位置し、桜、紅葉(サザンカ、ツツジ)の名所である。

大雲寺 (関市) 岐阜県関市伊勢町45   日蓮本宗  
大雲寺(だいうんじ)は岐阜県関市伊勢町の安桜山東南麓にある日蓮宗の寺院で、山号は妙興山。関藩主大島光義の菩提寺である。なお、関市下迫間には大島雲八の三男大島光俊が建立したと伝わる臨済宗妙心寺派の白華山大雲寺が別に存在する。 慶長6年(1601年)、大島光義が元家臣で日蓮宗の僧侶となった真如山日昌(俗名矢島定昌)を開山として建立した。建立時は妙興庵という名の小庵であったが、後に現在地に移されて現在の山号寺号となった。 寺宝として大島光義の肖像やその所用の甲冑、書状などゆかりの品を所蔵している。また、大島家歴代の墓が所在する。

大通寺 (関市) 岐阜県関市東田原541-1    
大通寺(だいつうじ)は、岐阜県関市東田原541-1にある臨済宗妙心寺派の寺院である。中濃八十八ヶ所80番札所。

長水寺 岐阜県関市板取3415-1   臨済宗妙心寺派  
長水寺(ちょうすいじ)は岐阜県関市板取にある地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は青龍山。板取長屋氏の菩提寺であった。

天徳寺 (関市) 岐阜県関市天徳町1-3-48   曹洞宗  
天徳寺(てんとくじ)は岐阜県関市天徳町にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号を瑞雲山と称する。総持寺直末。 貞治元年(1362年)に六角氏頼が在中宗宥を開山に招いて建立したと伝わる。その後戦国時代に戦火に見舞われ荒廃するが、寛文6年(1668年)に鋳物師の伊佐善信が中興を果たしている。寺宝として円空仏を所蔵するほか、弘法堂があり中濃八十八ヶ所霊場の84番札所となっている。

日龍峰寺 岐阜県関市下之保4585   高野山真言宗  
日龍峰寺(にちりゅうぶじ)は、岐阜県関市下之保にある標高434メートルの高澤山中腹にある高野山真言宗の寺院である。山号は大日山。高澤観音とも呼ばれる。また本堂が京都の清水寺本堂に似た舞台造り(懸崖造)であることから「美濃清水」との異名がある。本尊は千手観世音菩薩。美濃三十三観音霊場第一番札所(かつては第二十五番札所)。中濃八十八ヶ所第六十一番札所。

梅龍寺 岐阜県関市梅龍寺2   臨済宗妙心寺派  
梅龍寺(ばいりゅうじ)は岐阜県関市の梅龍寺山西麓にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大雲山。中濃八十八ヶ所霊場の一番札所である。 文明11年に妙心寺龍泉派の開祖である景川宗隆を開山として勧請し、その法嗣である春江紹蓓が開いた。5世の秀材玄俊は妙心寺28世、7世の蘭晼玄秀は妙心寺47世となっている。天文年間に戦禍を被り伽藍が焼失したが、永禄元年(1558年)に天猷玄晃により中興された。中興に当たっては孫六兼元ら関の有力者の尽力があったとされる。また、天猷玄晃は妙心寺64世に出世し、斎藤義龍が美濃国の妙心寺派寺院を自らの帰依する別伝によって統制しようとした別伝の乱(伝灯寺事件)において快川紹喜らとともに抵抗を行っている。また、9世夬雲玄孚は妙心寺109世で、苗木藩主の菩提寺の雲林寺開山でもある。以降は武儀郡、加茂郡の妙心寺派の寺院において高い位置を占め、多くの末寺を有した。 寺宝として多くの古文書を有するほか、孫六兼元を始めとする一門の墓や曽代用水の開発に当たった喜田吉右衛門の墓がある。

迫間不動 岐阜県関市迫間891   単立  
迫間不動(はさまふどう)は、岐阜県関市迫間891にある寺院である。正式な名称は迫間不動尊。迫間山の山腹にある。 本尊は不動明王。美濃三不動(迫間不動・日之出不動・山中不動)のひとつである。

汾陽寺 岐阜県関市武芸川町谷口1811   臨済宗妙心寺派  
汾陽寺(ふんようじ)は、岐阜県関市武芸川町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は乾徳山、本尊は釈迦牟尼如来である。寺の名前を冠した汾陽寺山の谷合にある。

保福寺 (関市) 岐阜県関市洞戸菅谷393   臨済宗妙心寺派  
保福寺(ほふくじ)は岐阜県関市洞戸菅谷にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派隣華院下)の寺院で、山号を長泉山と称する。洞戸地域最古の寺院。 明徳元年(1390年)に釈能源が開いたとされる。開創時の宗旨や山号寺号は不明。その後、道樹寺開山景聰興勗の法嗣の東華慧光が臨済宗妙心寺派の寺院として中興し、長泉山保福寺と称するようになった。中興の詳しい年次は不明であるが、その没年から文禄3年(1594年)以前と考えられる。その後一時衰微したが、5世住持の南禅化龍(-宝永7年(1710年))により再興を果たした。南禅化龍の晩年には白隠慧鶴が当寺に掛錫している。記録より宝暦10年(1760年)の時点で8石余りの寺領を有し、洞戸の他の寺と比較して繁栄していたとみられる。その後、明和4年(1767年)と安永7年(1778年)と立て続けに火災に見舞われるものの、復興を果たしている。

弥勒寺 (関市) 岐阜県関市池尻10-1   天台寺門宗  
弥勒寺(みろくじ)は、岐阜県関市池尻にある天台寺門宗の寺院である。山号は龍華山。本尊は弥勒菩薩。

立蔵寺 岐阜県関市西日吉町49   曹洞宗  
立蔵寺(りゅうぞうじ)は岐阜県関市西日吉町にある、聖観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は玉樹山。美濃三十三観音32番札所、中濃八十八ヶ所8番札所である。

龍泰寺 (関市) 岐阜県関市下有知5055-1 35°30'23.2"N 136°55'09.6"E   曹洞宗  
龍泰寺(りゅうたいじ)は、岐阜県関市下有知にある曹洞宗の寺院である。山号は祥雲山。

龍福寺 (関市) 岐阜県関市武芸川町平462   臨済宗妙心寺派  
臨済山龍福寺(りょうふくじ)は岐阜県関市武芸川町にある臨済宗の禅刹。美濃三十三観音7番札所。なお、加茂郡富加町にも臨済山龍福寺が存在し、そちらは美濃三十三観音28番札所である。 土岐氏家臣、佐藤公輝の庶子である恩田吉久が関市広見の長春寺の住持であった高安和尚を開山に招いて永禄7年(1564年)に創建した。2世住持無伝和尚の後に衰微したものの、正保元年(1644年)に秀國和尚が中興開祖となって再興する。江戸時代には尾張藩より汾陽寺の管理を任されている。本堂は明治36年(1903年)の建立、聖観音菩薩を祀る観音堂は承応元年(1652年)の建立で、千体地蔵や恩田吉久が納めた三十三観音もともに祀られている。また、春日局の戒名が彫られた碑がある春日局ゆかりの寺である。

臨川寺 (関市) 岐阜県関市小屋名957-1   黄檗宗  
臨川寺(りんせんじ)は岐阜県関市小屋名にある聖観音菩薩を本尊とする黄檗宗の寺院。山号は万亀山。岐阜県最古の黄檗宗寺院で中濃八十八ヶ所霊場17番札所である。 元和3年(1617年)に亀山雅利が臨済宗の寺院として設けた。万治3年(1617年)に亀山雅親と今井宇左衛門が潮音道海を招き、黄檗宗の寺院に改めた。この際開山として隠元を勧請している。弘化元年(1844年)祝融の災いに遭い堂宇を焼失するが、安政元年(1854年)に15世の指月和尚が再建を果たしている。末寺の常楽寺が無住となり管理者がいないため、所蔵していた重要文化財の木造菩薩像や地蔵菩薩像、阿弥陀如来像が移されている。

蓮華寺 (関市) 岐阜県関市植野810   真言宗智山派  
金光山蓮華寺(れんげじ)は、岐阜県関市植野にある真言宗智山派の寺院。美濃四国84番札所で、尾張藩家老石河家香華所となっている。

蓮華峯寺 岐阜県関市洞戸高賀1217   天台宗  
蓮華峯寺(れんげぶじ、蓮華峰寺)は岐阜県関市洞戸高賀にある大日如来を本尊とする天台宗の寺院で、山号は高賀山。廃仏毀釈までは高賀神社と一体の存在であった。旧美濃三十三ヶ所2番札所、中濃八十八ヶ所46番札所。

安国寺 (高山市) 岐阜県高山市国府町西門前474   臨済宗妙心寺派  
安国寺(あんこくじ)は、岐阜県高山市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は太平山。本尊は釈迦牟尼仏(釈迦如来)。飛騨三十三観音霊場11番札所。経蔵は国宝に指定されている。同じく経蔵が2016年に日本遺産「飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群」の一つとして認定された。

飯山寺 岐阜県高山市千島町494   真言宗  
飯山寺(いいざんじ)は岐阜県高山市千島町にある観世音菩薩を本尊とする真言宗の寺院。山号は東向山。江戸時代には飛騨七観音の筆頭として信仰されていた。 平治の乱で敗北した朝比奈三郎保重が霊松院という堂を建てたのが始まりと伝わる。歴応2年(1339年)に寺に改められた。文安2年(1445年)に中興するが、三木自綱により滅ぼされる。慶長9年(1604年)に真言宗の善行が再興した際に東向山飯山寺と改めた。万治3年(1660年)金森頼直により観音堂が再建された。江戸時代は高山近郊の観音菩薩巡礼である飛騨七観音の1番札所となり信仰された。明治維新で寺号を廃され、本尊も飛騨国分寺に移されたが現在ではもとに戻されている。2021年は無住となっている。

石橋廃寺 岐阜県高山市国府町広瀬町100付近   不明  
石橋廃寺(いしばしはいじ)は、岐阜県高山市国府町広瀬町字石橋にある寺院跡。2016年に日本遺産『飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群』の構成遺産の一つとして認定されている。

雲龍寺 (高山市) 岐阜県高山市若達町1-86   曹洞宗 ← 飛鳥・奈良仏教/修験  
海蔵山雲龍寺(うんりゅうじ)は岐阜県高山市若達町にある曹洞宗の寺院で、高山市街地の東にある東山寺院群の寺の一つ。曹洞宗寺院としては飛騨国で最も古い歴史を持つ。金森長則菩提寺であり、飛騨三十三観音霊場3番札所としても知られる。 養老4年(720年)、泰澄によって白山神社の別当妙観寺として創建される。その後衰微したが、応永2年(1395年)に總持寺22世竹窓智厳和尚が飛騨巡錫の際に師の了堂真覚を勧請開山として再興した。その後飛騨国最古の曹洞宗寺院として隆盛した。応永9年(1402年)に塔頭の久昌寺が創建され、宝徳2年(1450年)に同じく塔頭の栄鏡院が開かれた。天正16年(1588年)に飛騨国の領主となった金森長近がその長男金森長則の菩提寺に定め、檀越として保護を加える。金森氏が高山城を去り、後にその破却が決まるとその城内にあった黄雲閣を譲り受け、鐘楼門とした。現在その鐘楼門は高山市の文化財に指定されている。

永昌寺 (高山市) 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷田頃家386   臨済宗妙心寺派  
永昌寺(えいしょうじ)は岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は冨渓山。飛騨三十三観音霊場25番札所。

恩林寺 (高山市) 岐阜県高山市下岡本町2779   黄檗宗  
恩林寺(おんりんじ)は岐阜県高山市下岡本町にある黄檗宗の寺院。山号は華岳山。本尊は聖観音菩薩。飛騨三十三観音霊場18番札所となっている。

桂峯寺 岐阜県高山市上宝町長倉588   臨済宗妙心寺派  
桂峯寺(けいほうじ)は岐阜県高山市上宝町長倉にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派)の寺院で、山号は仁月山。飛騨三十三観音霊場28番札所である。 江馬氏2代当主の江馬朝方が鎌倉建長寺の夢窓疎石を招いて鎌倉時代の弘安年間に上宝町本郷の地に桂月庵として建立した。建立時は建長寺派であったが、室町時代の永承年間に江馬時直が越中国泰寺の正雲和尚を中興開山として寺基を現在の長倉の地に移した。正雲和尚は国泰寺からインド伝来の聖観音像をもたらした。その後は国泰寺派となるが、江戸時代になって更に妙心寺派となった。 寺宝として江戸時代に高山宗猷寺から当寺に渡った仏師竹内右門作の子安観音像のほか、幕末に高倉在靖により描かれた本堂の天井の龍の墨絵がある。他に竜頭観音など、いくつかの円空仏も所蔵する。また、正雲和尚のもたらした聖観音像は毎年9月3日に開帳され、その際には観音像を手に取って拝む百観音奉戴手請式が行われる。

光寿庵跡 岐阜県高山市上広瀬1007   不明  
光寿庵跡(こうじゅあんあと)は岐阜県高山市国府町上広瀬の諏訪神社後背地にある白鳳期の寺院跡。出土瓦は岐阜県の重要文化財に指定されている。また日本遺産『飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群』の構成遺産の一つとして認定されている。

慈雲寺 (高山市) 岐阜県高山市丹生川町旗鉾285   曹洞宗  
慈雲寺(じうんじ)は岐阜県高山市丹生川町旗鉾にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は旗鉾山。飛騨三十三観音30番札所である。 創建不詳。江戸時代に飛騨国主であった金森頼直が高山素玄寺の末寺として同寺5世の清懶徽猷を中興開山として再興し、以降その末寺となっている。正確な中興の年は知られていないが、清懶徽猷の没年から延宝7年(1679年)以前と考えられている。境内には本堂のほか、庚申堂と地蔵堂がある。 寺の前を通る道は往時に丹生川街道と呼ばれて多くの客で賑わい、当寺へも多数休憩のために立ち寄ったと伝わっている。あまりの客の多さに寺では茶をふるまうことができず湯を呈してしまったことにより、湯沢山茶呉寺と呼ばれた。江戸時代は除地として2斗9升余りの寺領を有していた。

正雲寺 岐阜県高山市神明町3-112   曹洞宗  
正雲寺(しょううんじ)は岐阜県高山市の城山西麓にある曹洞宗の寺院で、山号は慈恩山。飛騨三十三観音霊場8番札所である。 慶長12年(1607年)に縁室良淳和尚により岩手県岩崎村(現在の岩手県北上市和賀町岩崎)に永徳寺として建立された。 明治時代に至って寺運が傾き存亡の危機に陥ったために寺基の移転を模索していたところ、飛騨市古川町の林昌寺住持の松下器外和尚のとりなしにより高山の名士永田道敏が中興開基となって現在地に移転した。 移転に当たって永平寺64世森田悟由を勧請開山とし、寺号を正雲寺と改めて永平寺の直末寺となった。 本尊の釈迦牟尼如来の他、森田悟由がもたらした観音菩薩を飛騨三十三観音霊場の札所の本尊として祀っている。

正宗寺 岐阜県高山市丹生川町北方1004   曹洞宗  
正宗寺(しょうそうじ)は岐阜県高山市丹生川町北方にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は大貴山。飛騨三十三観音32番札所である。 創建及び開基不詳。元は袈裟山千光寺の末寺で真言宗に属していたが、後、寺勢が衰えた。安土桃山時代、天川良尭が再興を志し、慶長元年(1596年)に高山素玄寺2世格応門越を勧請開山として素玄寺末寺の曹洞宗寺院として中興を果たした。本堂、庫裏及び山門は享保年間に再建されたものが現在まで残っている。本堂のほかに地蔵堂、薬師堂及び観音堂がある。

照蓮寺 岐阜県高山市堀端町8   真宗大谷派  
照蓮寺(しょうれんじ)は、岐阜県高山市堀端町にある真宗大谷派の寺院である。同派高山教区高山一組に属する。通称は、「中野照蓮寺」。 高山市には「照蓮寺」は2か寺存在し、鉄砲町にある「真宗大谷派高山別院照蓮寺」とは直線距離で約800m離れている。

清傳寺 岐阜県高山市江名子町561-1   高野山真言宗  
清傳寺(清伝寺、せいでんじ)は、岐阜県高山市江名子町にある高野山真言宗の寺院で、山号は神護山。飛騨三十三観音霊場7番札所であり、中部四十九薬師霊場39番札所でもある。

善応寺 (高山市) 岐阜県高山市宗猷寺町177   曹洞宗  
宝樹山善応寺(ぜんのうじ)は岐阜県高山市にある曹洞宗の寺院。高山市市街地の東側にある東山寺院群に含まれる寺院の一つで、飛騨三十三観音霊場の5番札所である。

善久寺 岐阜県高山市丹生川町日面285   曹洞宗  
善久寺(ぜんきゅうじ)は岐阜県高山市丹生川町日面にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は普門山。両面宿儺の伝説がある飛騨三十三観音31番札所である。 伝説によると仁徳天皇治世、癸酉の年に日面の岩壁が崩れ落ち、その内側から両面宿儺が出現したという。両面宿儺は十一面観音の顕現であると名乗り、当寺を建立したという。伝説に依らない創建年代は不詳であるが、元は真言宗の寺院であり、宝物として弘法大師伝来の袈裟を所蔵している。 天正15年(1587年)、飛騨国主の金森長近が中興開基となり、素玄寺3世の楽翁秀村を中興開山として曹洞宗の寺院として中興された。境内には六地蔵堂が建てられているほか、両面宿儺に因んで両面宿儺像や十一面観音が祀られており、それぞれ高山市の指定文化財となっている。さらに両面宿儺が食事をとったという両面宿儺の御前石が残されている。また、円空作の迦楼羅像と箪笥も高山市の文化財に指定されている。

千光寺 (高山市) 岐阜県高山市丹生川町下保1553   高野山真言宗  
千光寺(せんこうじ)は、岐阜県高山市丹生川町下保にある高野山真言宗の寺院である。山号は袈裟山。飛騨千光寺ともいう。 本尊は千手観世音菩薩。 両面宿儺像など、円空の手になる仏像が63体あり、円空仏の寺としても知られている。 飛騨三十三観音霊場第三十三札所。

善光寺 (高山市) 岐阜県高山市天満町4-3   浄土宗  
善光寺(ぜんこうじ)は岐阜県高山市天満町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。山号は常照山。 明暦4年に大雄寺4世的道の弟子、玄貞が林香院として建立した。寛政年間に焼失した後、永らく阿弥陀三尊を祀る小堂がそのあとに残されていたが、明治27年(1894年)に善光寺大本願117世誓円尼公を開基として善光寺大本願飛騨別院善光寺の名で再興された。 境内には徳本上人が揮毫した阿弥陀如来名号碑のほか、戦没者慰霊碑が建立されていた。また、高山二十一ヶ所霊場の2番札所となっていた弘法堂がある。本堂には戒壇巡りが設置されているほか、廃仏毀釈の際に廃寺となった苗木藩の東林寺由来の涅槃図を所蔵する。2022年現在、宿坊が経営されている。

禅通寺 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷一重ヶ根1133   臨済宗妙心寺派  
禅通寺(ぜんつうじ)は岐阜県高山市奥飛騨温泉郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(龍泉派)の寺院で、山号は法円山。飛騨三十三観音霊場29番札所である。 中興以前の寺史は資料が残されておらず、宗派、開創共に不詳である。当地にあった古寺を永享2年(1430年)に江馬時直が開基となり、国泰寺の久岳祖参を招いて中興したと伝わる。以降、国泰寺派の寺院であったが、寛永年間に高山宗猷寺の末寺となって臨済宗妙心寺派に転派した。元禄3年(1690年)に円空が訪れて翌年まで滞在して多くの円空仏を遺し、禅通寺のほか近隣の住民にも与えられて現在に伝わっている。 現在の本堂は天保5年(1834年)に建てられたものである。新平湯温泉の中心部に位置することから、国民宿舎円空庵を営業しており宿泊することが可能である。また、平湯温泉の中心部にある薬師堂の管理を行っている。当地が焼岳の麓にあることから噴火の際の避難所にも指定されている。

相應院 岐阜県高山市桜町149   高野山真言宗  
相應院(そうおういん)は岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院。前身は桜山八幡宮の別当寺長久寺である。飛騨三十三観音霊場2番札所であり、中部四十九薬師霊場40番札所でもある。 創建は不明であるが、明治維新後に神仏分離令が発せられるまで桜山八幡宮の別当寺の長久寺として栄えていた。神仏分離令が出てから廃寺の憂き目を見るが、当時の住職桜山識雄が高野山で廃院になっていた金森氏ゆかりの相応院の名跡をうけて明治25年に再興した。本尊の不動明王は長久寺の本尊であったが、相応院で祀られていた金森長近奉納と伝わる阿弥陀三尊像も受け継いでいる。また円空作の薬師如来も所蔵する。

宗猷寺 岐阜県高山市宗猷寺町218   臨済宗妙心寺派  
宗猷寺(そうゆうじ)は岐阜県高山市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は真龍山。金森可重の菩提寺であり、山岡鉄舟ゆかりの寺院としても知られる。聖観音菩薩が祀られており、飛騨三十三観音霊場6番札所となっている。 寛永9年(1632年)に飛騨高山城主金森可重の菩提寺としてその嗣子の金森重頼と弟の金森重勝を開基とし、安国寺から妙心寺92世南叟宗安禅師を招いて建立された。創建時は大平山新安国寺と称していたが、後に山号を金森重頼の法名、寺号を金森重勝の法名に因んで真龍山宗猷寺と改めた。飛騨国は臨済宗の寺院が少なく、高山の市街地においては時代による若干の変遷はあるもののほぼ唯一の臨済宗の寺院であった。江戸時代後期には山岡鉄舟の実父である小野高福が飛騨郡代として高山陣屋に赴任しており、山岡鉄舟は宗猷寺で禅を学んだと伝えられている。 高山市指定の文化財として、文政7年(1824年)建造の本堂と享保年間建立の鐘楼があるほか、史跡として山岡鉄舟父母の墓がある。庭園は高山市の名勝に指定されており、寺の裏山にある木地師の集団墓地は高山市指定の民俗文化財となっている。

素玄寺 岐阜県高山市天性寺町39   曹洞宗  
素玄寺(そげんじ)は岐阜県高山市にある曹洞宗の寺院。山号は高隆山。東山景観保存地区の中に位置する。飛騨高山藩主金森氏ゆかりの寺として知られ、金森氏所縁の品を多く所蔵する。飛騨三十三観音霊場4番札所。

大雄寺 (高山市) 岐阜県高山市愛宕町67   浄土宗  
大雄寺(だいおうじ)は岐阜県高山市愛宕町にある浄土宗の寺院で、山号は東林山。飛騨国の触頭として高い地位を占め、飛騨匠による優れた建築が残る。

大幢寺 岐阜県高山市一之宮町288   曹洞宗  
大幢寺(だいとうじ)は、岐阜県高山市一之宮町にある曹洞宗の寺院。山号は神護山。三木氏所縁の寺であり、飛騨三十三観音霊場9番札所である。境内にある臥龍桜は樹齢1100年を超える古木で、国の天然記念物に指定されている。

大隆寺 (高山市) 岐阜県高山市春日町228   曹洞宗  
大隆寺(だいりゅうじ)は岐阜県高山市春日町の城山東麓にある曹洞宗の寺院で山号は妙高山。金森氏ゆかりの寺院である。 飛騨高山藩第4代の金森頼直が、承応2年(1652年)に大徳寺金龍院住職で大徳寺180世の禅海宗俊を開山として建立した。寺号は金森頼直の戒名から採っている。創建当初は臨済宗大徳寺派の寺院であったが、金森氏が高山から去ると外護者を失い衰退した。 その後、金沢市天徳院の大而宗龍が安永5年(1776年)に曹洞宗の寺院として中興し現在に至っている。 享和元年(1801年)に中興三世の竺翁恵林により山麓のため池に弁天堂が建立され、扁額、棟札と共に高山市の文化財に指定されている。 寺内には金森頼直とその妻の墓がある。また、所蔵する正応2年(1289年)の銘がある鍔口が岐阜県の重要文化財に指定されている。

真宗大谷派高山別院照蓮寺 岐阜県高山市鉄砲町6番地   真宗大谷派  
真宗大谷派高山別院照蓮寺(しんしゅうおおたにはたかやまべついんしょうれんじ)は、岐阜県高山市鉄砲町にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。山号は、「光曜山」(こうようざん)。高山市における観光案内においては高山別院と記載されることが多い。 「高山別院照蓮寺」は、戦国時代、飛騨国白川郷中野の「照蓮寺」が、金森長近の命で移転した寺院である。 高山市には「照蓮寺」は2ヶ寺存在し、堀端町にある「照蓮寺」(「中野照蓮寺」)とは直線距離で約800m離れている。

飛騨国分寺 岐阜県高山市総和町1-83   高野山真言宗  
飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院である。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。

不遠寺 岐阜県高山市総和町2-47   浄土真宗大谷派  
不遠寺(ふおんじ)は岐阜県高山市総和町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院。山号は究竟山。飛騨郡代菩提寺の一つ。 寛永9年(1632年)に照蓮寺13世の明了が宣如上人から一字を賜り宣明を名乗り、境内の西南に嘉念坊を設けたのが始まりである。承応2年(1653年)に寺号を得て不遠寺となった。文化12年(1815年)に飛騨郡代の榊原長義が没した際に葬られている。昭和に至り現在地に移転した。

法華寺 (高山市) 岐阜県高山市天性寺町62   法華宗陣門流  
法華寺(ほっけじ)は、岐阜県高山市にある法華宗陣門流の寺院。山号は常栄山。本尊は十界曼荼羅。

本覚寺 (高山市) 岐阜県高山市上宝町本郷1425   臨済宗妙心寺派(妙心寺末)  
本覚寺(ほんがくじ)は、岐阜県高山市上宝町本郷にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。飛騨地方の名族である江馬氏所縁の寺であり、播隆上人の笠ヶ岳再興に所縁のある寺でもある。飛騨三十三観音霊場24番札所。

霊泉寺 (高山市) 岐阜県高山市千島町616   真言宗泉涌寺派  
霊泉寺(れいせんじ)は、岐阜県高山市にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は集雲山。飛騨三十三観音霊場10番札所である。

円光寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町殿町11-11   浄土真宗本願寺派  
円光寺(えんこうじ)は岐阜県飛騨市古川町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は照耀山。近隣の真宗寺や本光寺とともに1月9日から16日まで開かれる報恩講は三寺まいりとして知られている。 永正11年に江馬氏家臣、岩佐氏の正祐が吉城郡宇津江村(高山市国府町宇津江)に開いた念仏道場が起源で、戦国時代に金森氏が飛騨に移ってきた際に古川町に移る。寺運が次第に盛んになり慶長8年(1603年)には寺号を許可されて正覚寺と名乗った。元和7年に(1621年)は古川町殿町の現在地に落ち着いた。正徳2年(1712年)に現在の寺号に改める。明治37年(1904年)に古川大火により町中の多くの建物が焼け落ちるなか焼け残った。その際に寺の本堂の亀の彫刻が火災から寺を守ったとしてそれ以来その彫刻は水呼びの亀と呼ばれている。 山門は廃城となった増島城から移築されたもので、飛騨市の文化財に指定されている。

円城寺 (飛騨市神岡町殿) 岐阜県飛騨市神岡町殿425   臨済宗妙心寺派  
飛騨市(ひだし、飛驒市、英: Hida City)は、岐阜県の最北端に位置する市。

円城寺 (飛騨市神岡町船津) 岐阜県飛騨市神岡町船津1129   曹洞宗  
飛騨市(ひだし、飛驒市、英: Hida City)は、岐阜県の最北端に位置する市。

汲月院 岐阜県飛騨市神岡町船津392   曹洞宗  
汲月院(きゅうげついん)は岐阜県飛騨市神岡町にある曹洞宗の寺院。山号は幽洞山。本尊は釈迦如来。飛騨三十三観音霊場の12番札所である。 吉城郡の名士、牛丸氏の牛丸当義が父の菩提を弔うために梨ケ根の地蔵堂のあった故地を寺に改めて幽祠庵としたのがその濫觴と伝わる。その後修善寺の大潤宗潭を開山として、駿河国志太郡にあり廃れていた汲月院の寺名を受け継いだ。現在地へは昭和11年(1936年)に移転し、昭和61年(1986年)に本堂と庫裏を新造した。 寺には銅製の金勢大明神が祀られていることで著名である。神岡町史は鉱山関係者により奉納されたのではないかとしている。

久昌寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市宮川町巣納谷115   曹洞宗  
久昌寺(きゅうしょうじ)は岐阜県飛騨市宮川町巣納谷にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は瑞龍山。本尊とは別に聖観音菩薩が祀られており、飛騨三十三観音霊場20番札所となっている。 創建については不詳であるが、巣納谷白山神社の神宮寺として真言宗の寺院であったものが、江戸時代に入って無住となり衰微した。高山の素玄寺4世柏峰対庭が教化のために明暦2年(1656年)に再興したものと伝わる。享和年間に住持の玉渕大龍が伽藍を整備した。 明治12年(1879年)、火難に遭って焼亡した。現在の伽藍は明治22年(1889年)に23世住持の大円研考により再建されたものである。 開帳が7年ごとに行われる秘仏の阿弥陀如来は火難や盗難を自ら免れたと伝わり、信仰を集めている。

金龍寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町東茂住469   曹洞宗  
白雲山金龍寺(きんりゅうじ)は岐阜県飛騨市神岡町東茂住にある曹洞宗の寺院。飛騨三十三観音霊場21番札所である。 寺伝によれば大永年間(1521年から1528年)に開創されたとされるが、開基や開祖については不明である。 江戸時代に入るころには衰退したが、金森氏の下で神岡鉱山の開発に携わった茂住宗貞こと金森宗貞が越前国東郷村(現在の福井市)の永昌寺より通山隣達を招いて中興した。寛延3年(1750年)、火災により伽藍を焼失するが、本尊の釈迦牟尼仏と千手観音像、薬師如来像は難を逃れた。寺を再建する際に中興開基である金森宗貞の屋敷跡に移転する。寺域は金森宗貞屋敷跡として岐阜県の史跡に指定されている。 寺宝として円空作の阿弥陀如来像を所蔵する。また、飛騨市指定無形民俗文化財となっている東茂住の左義長で神体が渡御される場所の一つとなっている。

玄昌寺 岐阜県飛騨市宮川町杉原542-1 36°24'53.7"N 137°11'23.9"E   曹洞宗  
玄昌寺(げんしょうじ)は岐阜県飛騨市宮川町杉原にある釈迦如来を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は久雲山。飛騨三十三観音霊場19番札所である。 創建不詳であるが、江戸時代の元和6年(1620年)に高山の素玄寺2世格翁門越により中興されている。江戸時代の文政4年(1821年)に火災に遭い焼失。文政6年(1823年)に10世住持の巨峯臨山により再建したものの、明治29年(1896年)にも火災に見舞われて焼亡、多くの文書や寺宝が失われた。現在の堂宇は明治35年(1902年)に19世住持、秀山巨峰によって整備されたものである。 飛騨市の文化財に指定されている円空作の韋駄天像や霊場の札所の子安観音像は焼損を免れており、信仰を集めている。特に子安観音は安産に験があるとされている。

光円寺 岐阜県飛騨市和佐保1027   曹洞宗  
光円寺(こうえんじ)は岐阜県飛騨市和佐保にある曹洞宗の寺院。山号は宝福山で本尊は釈迦如来である。飛騨三十三観音霊場17番札所となっている。 江戸時代初め頃、高山の素玄寺3世楽翁秀村により和佐保の小糸洞に創建される。正確な創建年代は伝わっていないが、楽翁秀村は寛永20年(1643年)に遷化しているためそれ以前の創建である。 貞享年間ないし元禄の初め頃、当寺を訪れた円空が二十五菩薩像を彫像して納めた。それまで当地は濃霧による不作に悩まされていたが、以降作柄に恵まれるようになったと伝わる。 宝暦年間に和佐保銀山が土砂崩れにより飲み込まれて多くの人命を失った。また、亡霊が出没すると噂されたため当寺を鎮魂のために現在地に移した。 その後文政4年(1821年)に8世住持の謙翁大如が伽藍の再建を果たしている。現在の伽藍は昭和33年(1958年)に再建されたものである。 円空作の二十五菩薩像は岐阜県の文化財に指定されており、平成21年(2009年)に菩薩堂が再建されている。この二十五菩薩の祭礼は毎年7月25日に行われ、豊作祈願等が行われている。

慈眼寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町袈裟丸2269   曹洞宗  
慈眼寺(じげんじ)は岐阜県飛騨市古川町袈裟丸にある曹洞宗の寺院。馬頭観音を本尊として祀り、飛騨三十三観音霊場14番札所として知られる。 かつて飛騨国にあった大寺、宮谷寺跡にあった観音堂を素玄寺の6世住持、竹翁融存が曹洞宗の寺として再興した。本尊の馬頭観音はもと平泉寺にあったと伝わる由緒のあるもので、後に宮谷寺に移されてから同寺が廃寺になった際に慈眼寺に納められたと伝わる。 5世住持の題柱和尚が祈願の旅で西国を訪れた際に大和国の寺から持ち帰ったという桜の木が境内に植えられており、鎮護桜と呼ばれて岐阜県の天然記念物に指定されている。

寿楽寺 岐阜県飛騨市古川町太江2872   曹洞宗  
寿楽寺(じゅらくじ)は岐阜県飛騨市古川町にある曹洞宗の寺院。山号は南光山。本尊は鎌倉時代作の薬師如来で中部四十九薬師霊場38番札所。また、如意輪観音が奉祀されており、飛騨三十三観音霊場13番札所となっている。

常蓮寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町吉田1788   浄土真宗本願寺派  
常蓮寺(じょうれんじ)は岐阜県飛騨市神岡町吉田にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は龍洞山。大国寺とともに飛騨国で最も古い浄土真宗の寺院である。 元亨3年(1323年)に覚如上人の直弟の願智房覚淳が飛騨国教化のために派遣され、竹林山華蔵寺という天台宗の寺院跡に草庵を構えたのがその濫觴である。その後布教に功績があったため、嘉暦元年(1326年)に覚如上人より執事鈔を賜っている。覚淳の長男覚照も教団の拡大に功績があったため、聞名寺の寺号を授かり越中八尾に移って新たに寺院を開いている。寛正元年(1460年)には浄蓮寺と寺号を定める。寺のあった北飛騨の領主であった江馬氏と昵懇であったため、江馬氏所蔵の聖徳太子の自作と伝わる木像を所蔵していた。江馬氏が三木氏に滅ぼされた際に攻撃を受けて伽藍が焼失している。天正16年(1588年)に復興を遂げ、寛永元年(1624年)には常蓮寺と改めた。寛永3年(1626年)には聖徳太子像が聞名寺に移されるが間もなく焼岳が噴火した。原因が聖徳太子像の祟りであるとの噂が立ったため、像は常蓮寺に戻された。その際に住民が歓喜して夜を徹して踊ったと伝わる。この踊りが毎年行われるようになり、太子踊りと呼ばれるようになった。現在ではこの踊りは岐阜県の文化財となっている。寺の本堂は享保19年(1734年)と慶応2年(1866年)に再建されており、現在に至っている。岐阜県指定の文化財として、鉦鼓や絹本著色釈迦三尊像を所蔵する。

真宗寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町三之町3-10   浄土真宗本願寺派  
真宗寺(しんしゅうじ)は岐阜県飛騨市古川町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は朝光山。近隣の円光寺や本光寺とともに1月9日から16日まで開かれる報恩講は三寺まいりとして知られている。 文亀2年(1502年)に照蓮寺8世明誓の法嗣祐念により、白川郷萩町に開かれる。天文11年(1542年)には古川町に移転したが、金森氏が飛騨の領主になると新しく作られた町である現在地に移転した。浄土真宗の東西分立において大谷派に属していたが、宝永3年(1706年)転派して本願寺派となった。明治37年(1904年)に起きた古川大火によって輪転蔵を遺して伽藍が焼失する。現在の本堂は明治45年(1912年)に再建、山門は平成17年(2005年)に飛騨の名工(宮大工)山脇八尋氏によって再建された。

瑞岸寺 岐阜県飛騨市神岡町殿495   臨済宗妙心寺派  
瑞岸寺(ずいがんじ)は、岐阜県飛騨市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は殿秀山。本尊は聖観音坐像。飛騨三十三観音霊場第二十七番札所。 国の重要文化財に指定されている小萱薬師堂は、瑞岸寺の飛び地仏堂であり、同寺が管理している。

大国寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町西94   浄土真宗本願寺派  
大国寺(たいこくじ)は岐阜県飛騨市神岡町西にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は宝野山。常蓮寺と共に飛騨国最古の浄土真宗寺院である。 大国寺の前身は天山を開山とする宝林山円通寺と呼ばれる天台宗の寺院で、5世住持の寛山の代に兵火により堂宇を失った。寛山は京の比叡山に上り経典を管理する蔵主となったが、覚如上人に帰依して明通を名乗った。正和元年(1312年)に明通和尚は飛騨国教化の任を与えられ、円通寺跡に草庵を結んだ。嘉暦元年(1326年)に教化の功績が認められて覚如上人より方便法身尊像と明智房の号を授けられている。江戸時代に入り、慶長18年(1613年)に本山から本尊と大国寺の寺号を付与された。さらに、元禄7年に現在地へ寺基を移している。享保19年(1734年)に11世明甫が示寂して一時無住となり荒廃するが、寛保2年(1742年)に12世明秀が本堂を再建して中興開祖と崇敬された。安政5年(1858年)、16世住持大慶の許に二条家から奇姫が輿入れし、その際に久隅守景の農耕図屏風がもたらされた。これは江戸時代前期の優品で、岐阜県の文化財に指定されている。

洞雲寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市神岡町船津570    
洞雲寺(とううんじ)は、岐阜県飛騨市にある曹洞宗の寺院。山号は補陀山。本尊は釈迦如来。この寺にある十一面観音は、飛騨三十三観音霊場第26番札所である。

洞泉寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市宮川町林184   曹洞宗  
玉皐山 洞泉寺(ぎょっこうざん どうせんじ)は岐阜県飛騨市宮川町林にある曹洞宗の寺院で、飛騨三十三観音霊場15番札所として知られる。

本光寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町弐之町1-17   浄土真宗本願寺派  
本光寺(ほんこうじ)は岐阜県飛騨市古川町にある浄土真宗本願寺派の寺院。近隣の真宗寺や円光寺とともに1月9日から16日まで開かれる報恩講は三寺まいりとして知られている。 天文年間に照蓮寺11世了教の法嗣、教了が結んだ草庵が起源。慶長8年(1603年)3世住持、了賢の代に現在の寺号を定める。浄土真宗の東西分立においては大谷派についたが、宝永3年(1706年)に本願寺派に転派した。明治37年(1904年)の古川大火で焼失し、本堂は大正2年(1913年)に再建、山門は平成7年(1995年)に飛騨の名工(宮大工)山脇八尋氏によって再建された。

両全寺 岐阜県飛騨市神岡町麻生野291   臨済宗妙心寺派  
両全寺(りょうぜんじ)は岐阜県飛騨市神岡町麻生野にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慶雲山。飛騨三十三観音霊場23番札所。 享禄2年(1529年)に江馬時盛の子、麻生野直盛が城を構えた際に城の守りとして発願し、野田の地に桃源周岳和尚を開山として建立された。創建当初の山号は日月山。中国の書、周処傳の日月両全の語に因んで名づけられた。創建当初は天台宗の寺院であったと伝わる。麻生野直盛は伽藍を整備中に没したため、子の麻生野慶盛と江馬宗久が後ろ盾となり完成させた。その後、5世住持直伝宗全により臨済宗妙心寺派となり、高山の宗猷寺の末寺となった。10世住持を祥隠鹿苑が務めていた際に焼失したため、11世住持、文溟廣扶の代に現在地に移転して再興された。その後、明治23年(1890年)に妙心寺の末寺となっている。 寺宝として円空作の薬師如来を所蔵しているほか、本堂には龍の襖絵が描かれている。

林昌寺 (飛騨市) 岐阜県飛騨市古川町片原町2-27   曹洞宗  
林昌寺(りんしょうじ)は岐阜県飛騨市古川町にある曹洞宗の寺院。山号は五峰山。飛騨国司姉小路氏の菩提寺として建立された。 建立時の正確な年代は知られていないが、姉小路氏の菩提寺として古川町沼町に建立されたと伝わる。創建時の寺名は知られていない。寺地は国府町宇津江、古川町上気多へ移り、檀越の姉小路氏の没落と共に寺勢も衰えるに至った。 戦国時代、飛騨国の領主(嗣子)であった金森可重が天翁秀梅を開山に招き、可重の実父長屋景重の隠居所として、天正17年(1589年)に再興した。その没後、法名に因み寺号を林昌寺と改められたとみられる。その後、元和年間の一国一城令にて金森氏が居城のひとつとしていた増島城が廃城となった際、その門が林昌寺に移築されている。 岐阜県指定の文化財として絹本著色天翁秀梅画像や絹本著色十二尊像、絹本著色金森可重画像を所蔵する他、金森氏所縁の品を数多く有する。

杉崎廃寺 岐阜県飛騨市古川町杉崎2059   不明  
杉崎廃寺(すぎさきはいじ)は、岐阜県飛騨市古川町杉崎にある寺院跡。1959年(昭和34年)に岐阜県の史跡に指定されている 。

永昌院 (美濃市) 岐阜県美濃市安毛711   曹洞宗  
永昌院(えいしょういん)は、岐阜県美濃市安毛にある曹洞宗の寺院。山号は太平山。中濃八十八ヶ所35番札所。

円通寺 (美濃市) 岐阜県美濃市俵町2641-1   臨済宗妙心寺派  
円通寺(えんつうじ)は、岐阜県美濃市にある臨済宗妙心寺派(東海派大雄院下)の寺院。山号は臥竜山。聖観世音菩薩を本尊とする。清泰寺塔頭として建立された。中濃八十八ヶ所38番札所。

願念寺 (美濃市) 岐阜県美濃市鍛冶屋町2033-1   浄土真宗大谷派  
願念寺(がんねんじ)は岐阜県美濃市にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗大谷派の寺院で、山号は竹林山。 文永9年(1272年)に三河国矢作に伊東唯円が建立したのが始まりで、創建当初は影澄寺と称していた。文明5年(1473年)、影澄寺5世専了房唯法の代に上有知(現在の美濃市)の地頭であった浅野長吉が唯法和尚に帰依し、寺院を三河から上有知に移してより願念寺と称するようになった。その後慶長5年(1600年)に上有知藩を開いた金森長近が、浅野氏所縁の竹林庵という寺院跡に移した。さらに享保8年(1723年)に上有知で大火が発生した後に現在地へ移転している。寺宝として美濃市の文化財に指定されている円空作の聖観世音菩薩像を所蔵している。

教泉寺 (美濃市) 岐阜県美濃市東市場町2625-1-1   浄土真宗本願寺派  
教泉寺(きょうせんじ)は岐阜県美濃市東市場町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は青龍山。

金谷寺 岐阜県美濃市乙狩945   臨済宗妙心寺派  
金谷寺(きんこくじ)は岐阜県美濃市乙狩にある十一面観音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は大洞山。中濃八十八ヶ所26番札所である。 文明年間に高賀山蓮華峯寺(高賀神社)の一坊、大洞山竜王寺として創建されたと伝わる。開山及び開基は不詳。寺号は寺のあった谷から金が取れたことに因むという。室町時代の末に蓮華峯寺が洪水により流されたため移転。その後、万治元年(1658年)に清泰寺2世の住持鉄松玄固を招いて臨済宗妙心寺派の寺院として再興された。明治6年(1873年)には牧谷小学校の仮校舎が置かれている。歴史的な経緯から高賀と乙狩の住民を檀家としている。 境内には大師堂があり、中濃八十八ヶ所の26番札所となっている。

金龍寺 (美濃市) 岐阜県美濃市長瀬222   臨済宗妙心寺派  
金龍寺(きんりゅうじ)は岐阜県美濃市長瀬にある聖観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派大雄院下)の寺院で、山号は南陽山。中濃八十八ヶ所の31番札所である。 創建年次及び開山不詳の天台宗寺院、東林庵が前身とされる。寛永2年(1625年)に清泰寺3世の北州祖秀が臨済宗妙心寺派の寺院として中興している。本堂はその後文政6年(1823年)に改築している。寺内には三十三観音堂や文化年間に村内にあったものを移したと伝わる十王堂のほか、7月24日に百灯祭りが行われる地蔵堂や3月21日に大師祭りが行われる弘法堂があり、中濃八十八ヶ所の31番札所となっている。

江昌寺 岐阜県美濃市神洞610   臨済宗妙心寺派  
江昌寺(こうしょうじ)は岐阜県美濃市神洞にある観世音菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は水月山。中濃八十八ヶ所62番札所である。 元和元年(1615年)に上有知(現在の美濃市市街地)の清泰寺4世、梁屋祖陳によって開かれる。開基は後藤又六と伝わる。その後江戸時代は小寺であったが、明治元年(1868年)に清泰寺17世魚州恵孔の法を継ぐ藻凕義泰により中興され、寺地に昇格している。大正5年(1916年)に観音堂を建立。ほかに弘法堂があり、口神洞にあった薬師堂で祀られていた仏像を移して祀っている。この仏像は平安時代中期の作とみられ、美濃市最古の仏像であると考えられている。寺内には神洞出身で妙心寺派の管長を数度にわたって務めた無学文奕の顕彰碑が建てられている。

江龍寺 岐阜県美濃市横越   臨済宗妙心寺派  
江龍寺(こうりゅうじ)は岐阜県美濃市横越にある薬師如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海派大雄院下)の寺院で、山号は慈雲山。横越に所在した寺院に伝わる古仏を多く受け継いでいる。 尾張の武士、山田明長が戦で深手を負った際に横倉の住人を名乗る村人に救われた。これを機縁として横蔵寺から薬師如来を譲り受け、僧侶として行脚していたところ当地で瑞雲が現れたため清泰寺開山の大圭紹琢を招いて寺を建立したと伝わる。そのころの横越には多くの寺があったが明治初年までに廃絶したため、そこで祀られていた仏像を貰い受けて現在も祀っている。 そのうち、平安時代の木造金剛界大日如来坐像と鎌倉時代の木造阿弥陀如来坐像は妙心寺派の建良寺または徳祥寺から移されたと伝わる。また、観音堂で祀られている平安時代の木造聖観音立像は観音寺から移されたものである。これらは所蔵する平安時代の木造薬師如来とともに岐阜県の重要文化財に指定されている。他に、平安時代の木造天部像と室町時代の仏頭2つ及び釈迦如来坐像がそれぞれ美濃市の有形文化財に指定されている。

清泰寺 (美濃市) 岐阜県美濃市殿町1439-1   臨済宗妙心寺派  
清泰寺(せいたいじ)は、岐阜県美濃市殿町にある臨済宗妙心寺派(東海派)の特例地寺院。山号は安住山。釈迦如来を本尊とする。武儀郡における臨済宗妙心寺派の巨刹で、40以上の末寺がある。仙厓義梵が出家した寺でもある。中濃八十八ヶ所39番札所。

善光寺 (美濃市) 岐阜県美濃市泉町1599   浄土宗西山禅林寺派  
善光寺(ぜんこうじ)は岐阜県美濃市泉町にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山禅林寺派の寺院で、山号は小倉山。中濃八十八ヶ所33番札所である。 嘉慶元年(1387年)に受転により現在の広島県尾道市に建立されたと伝わる。その後の経緯は不明であるが、明治34年(1901年)に現在地へ移転した。その際に来昌寺より素真が一光三尊の阿弥陀如来をもたらしている。明治40年(1907年)、日露戦争の際に武儀郡で戦没した兵士の木像170体が名古屋の人形師により制作され、寺内に建てられた忠魂堂で祀られた。同時に戦没者の戦歴簿も治められている。昭和20年(1945年)に太平洋戦争が終結すると忠魂堂は連合軍総司令部により破却が命じられ、木像は遺族に譲渡されることになった。遺族に引き取られなかった木像は倉庫に保管されていたが、昭和52年(1977年)に建立された英霊堂に移されている。

善応寺 (美濃市) 岐阜県美濃市吉川町1765   曹洞宗  
善応寺(ぜんのうじ)は岐阜県美濃市吉川町にある寺院で山号は慈雲山。釈迦牟尼如来を本尊とする曹洞宗の寺院である。境内に弘法堂があり、中濃八十八ヶ所36番札所となっている。 元和2年(1616年)、豊臣方について滅亡した佐藤氏の菩提を弔うために築かれ、寛文8年(1668年)、関龍泰寺18世長霊正鎮を招き曹洞宗の寺院となった。江戸時代中期、11世住持となった玄透即中は後に永平寺50世となり、その再建に尽くしたことにより永平寺中興の祖と称えられた。寺内にはその墓が設けられている。文政12年(1829年)、火災に見舞われ一部を除き焼け落ちたため、その後建て直された。 先に挙げた玄透禅師の墓の他、円空作誕生仏と阿弥陀来迎図が美濃市の文化財に指定されている。

長蔵寺 (美濃市) 岐阜県美濃市上野961   臨済宗妙心寺派  
長蔵寺(ちょうぞうじ)は、岐阜県美濃市上野にある、地蔵菩薩を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は洞雲山。美濃市最古の臨済宗の寺院で、国の重要文化財の「長蔵寺舎利塔及び須弥壇」を所蔵する。

道樹寺 岐阜県美濃市大矢田870-1   臨済宗妙心寺派  
道樹寺(どうじゅじ)は岐阜県美濃市にある臨済宗妙心寺派に属する別格地の寺院である。山号は大仙山。本尊は宝冠釈迦如来。 境内は地方の寺院には珍しく、約1万坪ほどの平地にあり、約3000本のヤマモミジの原生林がある「もみじ谷」のある天王山を背景に散策地として特に春秋の大矢田神社の「ひんここ祭り」の頃はにぎわう。

萬休寺 岐阜県美濃市保木脇434   臨済宗妙心寺派  
萬休寺(ばんきゅうじ)は岐阜県美濃市保木脇の長良川河畔にある臨済宗妙心寺派の寺院で山号は天澤山。本尊は聖観音菩薩である。中部四十九薬師霊場45番霊場、中濃八十八ヶ所25番霊場でもある。 宝永4年(1707年)に清泰寺3世北州祖秀によって開かれる。江戸時代当地に逗留した円空が彫刻した薬師如来像が薬師堂で祀られ、中部四十九薬師霊場の45番札所となっている。薬師堂にはこの他に弘法大師と庚申像が祀られ、中濃八十八ヶ所の25番札所ともなっている。大正15年(1926年)に国鉄越美南線(現、長良川鉄道)が開通した際に敷地が一部収用されたため、堂宇を移築している。当寺は長良川を隔てた湯の洞温泉の奥に祀られている宝生観音を管理しているが、この観音堂はかつて宝生山曹渓寺として美濃三十三観音霊場の25番札所であった。 薬師堂に祀られている円空作薬師如来像は美濃市の文化財に指定されている優品である。

福満寺 (美濃市) 岐阜県美濃市笠神586   真言宗醍醐派  
福満寺(ふくまんじ)は、岐阜県美濃市笠神にある真言宗醍醐派の寺院。山号は下照山。大日如来を本尊とする大矢田周辺に点在する喪山信仰に関連する神社の一つ、上神神社の神宮寺である。

宝勝院 岐阜県美濃市泉町1864   真言宗醍醐派  
金毘羅山宝勝院(ほうしょういん)は岐阜県美濃市にある不動明王を本尊とする真言宗醍醐派の寺院。美濃三十三観音4番札所である。 創建は平安時代に遡るとみられ、当寺は伊勢舎と称していたが正確な年次等は火災等により資料が失われ不詳である。 天正18年(1590年)に南渡快俊僧都により再興され、現在の本尊となる不動明王が安置される。 江戸時代に入り金森長近が当院のある上有知を領地とすると、長良川の水運を利用した川湊を設置した。 慶長年間その川湊の水運の加護として金毘羅大権現を讃岐より勧請したと伝わる。 天明年間に火災により焼失したが文化4年(1807年)に再興した。

本玄寺 岐阜県美濃市泉町1584-3    
本玄寺(ほんげんじ)は、岐阜県美濃市に所在する日蓮正宗の寺院。山号は金仏山(こんぶつざん)。

来昌寺 岐阜県美濃市吉川町1824   浄土宗西山禅林寺派  
来昌寺(らいしょうじ)は、岐阜県美濃市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。

靈泉寺 (美濃市) 岐阜県美濃市上河和619   曹洞宗  
霊泉寺(れいせんじ)は岐阜県美濃市上河和にある釈迦牟尼仏を本尊とする曹洞宗の寺院で、山号は神應山。平安時代の古仏を所蔵することで知られる。 天正5年(1577) 、上河和の住人により鐘秀山妙光庵として建立される。、明暦元年(1655)に関の龍泰寺20世の鰲山正雪を開山として招いていき、元禄5年(1692)に現在の寺号に改めている。明治元年(1868)に神仏分離運動により、近隣の佐羅早松神社で祀られていた古仏を移される。このうち鎌倉時代の木像増長天像と平安時代の十一面観音像は岐阜県の有形文化財、平安時代の阿弥陀如来坐像は美濃市の有形文化財に指定されている。これらの仏像は神仏習合が行われていた白山信仰に関わるものであると考えられ、特に十一面観音像は佐羅早松神社の本地仏とみられている。

鹿苑寺 (美濃市) 岐阜県美濃市立花955   臨済宗妙心寺派  
鹿苑寺(ろくおんじ)は岐阜県美濃市立花にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は廬山。美濃三十三観音2番札所である。

石橋廃寺 岐阜県高山市国府町広瀬町100付近   不明  
石橋廃寺(いしばしはいじ)は、岐阜県高山市国府町広瀬町字石橋にある寺院跡。2016年に日本遺産『飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群』の構成遺産の一つとして認定されている。

雲林寺 (中津川市) 岐阜県中津川市苗木2875   臨済宗妙心寺派  
雲林寺(うんりんじ)は、岐阜県中津川市苗木にかつて存在した臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天龍山。苗木藩主歴代の菩提寺であったが、廃仏毀釈により廃寺となった。 慶長19年(1614年)に苗木藩初代藩主の遠山友政が、天正2年(1574年)の武田勝頼の侵攻時に焼亡させられた苗木遠山氏の菩提寺の廣恵寺の代わりとして、新たに菩提寺を建立することを発願し、帰依していた八百津町の大仙寺(正傳寺という説もある)の維天継縦を開山として招請したが、維天は高齢であったため関市にある梅龍寺8世(加治田龍福寺2世)の夬雲玄孚を推挙した。 そこで、元和元年(1615年)に夬雲玄孚を開山として開かれている。寺号は遠山友政の法名にちなんでいる。その後、苗木藩から寺領を与えられるなど篤く保護され、塔頭として正岳院と寿昌院があったほか、苗木藩領内に18の末寺を持って繁栄していた。 江戸時代末から明治初頭にかけて苗木藩では、藩士で復古神道主義者の青山景通・直通親子が主導する先鋭化した廃仏毀釈運動が起きた。藩主菩提寺の雲林寺も廃寺となることが決まり、17世の剛宗宗載に雲林寺を廃寺とし、教諭として雇用するとの方針が藩から伝えられた。剛宗宗載はこれに反対したものの、 明治3年(1870年)に廃寺となり、寺の本尊や什器などは幕府領であったため苗木藩の廃仏毀釈が及ばなかった下野村の法界寺に移された。その後、雲林寺の本尊である地蔵菩薩は下呂市の金錫山地蔵寺に伝わり、岐阜県の文化財に指定されている。 雲林寺跡地には苗木遠山氏歴代の墓が残されており、『苗木遠山家廟所』として中津川市の史跡に指定されている。

大杉廃寺 岐阜県関市大杉590-1    
大杉廃寺は岐阜県関市大杉に所在した奈良時代から平安時代の寺院跡である。 寺院の活動期間は8世紀から9世紀と考えられている。寺院跡は香林寺の境内地他に所在しており、遺構として基壇跡が見つかっているが、伽藍配置の全容は解明されていない。遺物としては素弁蓮華文軒丸瓦や平瓦が見つかっている。寺を建立した勢力については未詳。 昭和30年(1955年)に関市立旭ヶ丘中学校の生徒が布目瓦を発見したことで見いだされ、翌年と昭和50年(1975年)に関市教育委員会が発掘を行った。なお、瓦を発見した中学生は弥勒寺跡の発掘に携わっていたことから発見につながったという。

柏尾廃寺 岐阜県養老郡養老町柏尾表山283-1   法相宗  
柏尾廃寺(かしわおはいじ)は、岐阜県養老郡養老町柏尾にある寺院跡。1962年(昭和37年)2月12日に「柏尾廃寺跡」の名称で岐阜県の史跡に指定されている。

宮処寺跡 岐阜県不破郡垂井町御所野1499-2(史跡標識所在地)    不明  
宮処寺跡(ぐうしょじあと)は岐阜県不破郡垂井町御所野にある白鳳期の寺院跡。岐阜県によって史跡に指定されている。宮処寺の読み方には『きゅうしょじ』、『みやしろじ』が挙げられているが、史跡の名称としては『ぐうしょじ』となっている。

廣恵寺 岐阜県中津川市福岡植苗木   臨済宗妙心寺派  
廣恵寺(こうえじ)は、岐阜県中津川市福岡植苗木の城ケ根山にかつて存在した臨済宗妙心寺派の寺院。山号は智源山。

光寿庵跡 岐阜県高山市上広瀬1007   不明  
光寿庵跡(こうじゅあんあと)は岐阜県高山市国府町上広瀬の諏訪神社後背地にある白鳳期の寺院跡。出土瓦は岐阜県の重要文化財に指定されている。また日本遺産『飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群』の構成遺産の一つとして認定されている。

遮那院 岐阜県大垣市中町柳原   真言宗智山派  
遮那院(しゃないん)は岐阜県大垣市中町にあった大日如来を本尊とする真言宗智山派の寺院で、山号は牛屋山、寺号は大日寺で大須宝生院の末寺であった。江戸時代の観音巡礼、大垣近郷三十三観音巡礼12番札所。 白鳳時代に天武天皇が百済の王子であったという金珠上人を開山として建立したと伝わる。建立地が牛屋川の西であったため、牛屋山と称したという。その後天長年間に弘法大師が大日如来、不動明王および愛染明王を安置して大日寺遮那院と名付けたとされる。宝徳3年(1451年)に大垣八幡神社が遷座されて以来、その別当職を務めた。天文16年(1547年)に斎藤道三が大垣城を攻撃した際に兵火を被り焼失した。永禄年間に行われた大垣城の整備に伴い寺地が収用されたため、中町柳原に移転する。宝生院の末寺になったのは慶安3年の宗門改め以前のことである。明治時代の神仏分離令により廃寺となり、仏像や法具は慈応寺に移された。

正家廃寺    
正家廃寺(しょうげはいじ)は、美濃国恵那郡(現在の岐阜県恵那市)にかつて存在した古代仏教寺院。奈良時代に創建され平安時代中期には廃絶したと考えられ、法隆寺式伽藍配置の堂塔の遺構が残る。寺名が不明のため、正家廃寺と呼ばれている。寺跡は昭和34年(1959年)に岐阜県史跡に、平成13年(2001年)に国の史跡に指定されている。

承国寺 岐阜県各務原市古市場町4-87(常国寺紀念堂)   臨済宗  
承国寺(じょうこくじ)は岐阜県各務原市古市場の大安寺川と木曽川の合流点東岸付近にあった臨済宗の諸山に列せられていた寺院で、山号は南豊山。現在は廃寺となっている。土岐持益菩提寺。 土岐家10代当主、土岐持益が太岳周崇の法嗣、鈍仲全鋭を開山として建立した。正確な創建された年は知られていないが、文献には長禄2年(1458年)に現れていることから1450年頃に建立されたとみられる。文明年間に詩僧の万里集九が近隣に居を構えて承国寺の僧侶と交流があったため、その著書『梅花無尽蔵』に当寺に関する記載が多数みられる。 塔頭としては興禅院、対松院、興雲院、衆善軒や春沢軒などが知られており、住持には南渓全曹、梅心瑞庸や子薦梵鶚などが就いた。承国寺の名は1520年代には記録から消えており、間もなく廃寺となったと考えられている。 土塁の残っていた土地を各務原市が平成8年(1997年)に発掘調査を行い、溝や土坑、柱穴等の遺構や、土師器などの遺物が発見されている。跡地には常国寺紀念堂が建立されている。

正法寺 (岐阜市薬師町) 岐阜県岐阜市薬師町24   臨済宗妙心寺派  
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市薬師町にあった、薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院である。山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在、その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。なお、同市黒田(正法寺)、同市大仏町(正法寺)、同市向加野にある正法寺は、ここで述べる霊薬山正法寺とは縁起の異なる別の寺院である。 美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。その後は開山の法嗣、信中自敬が2世として襲いでいる。土岐氏の外護のもと、七堂伽藍を備え塔頭も多数建てられた。塔頭の名としては雲門庵、石門庵、法喜庵、三世庵、常春庵、慈光院、利名院、大亀院、陽徳院、南陽院および細香軒が伝わっているが、それぞれの歴史については未詳である。信中自敬の下には惟成親王が法嗣として入るなど、美濃屈指の禅刹であり、諸山に列せられた。応仁元年(1467年)以降、京都が応仁の乱により荒廃した際には、土岐氏の招きにより足利義視、一条兼良が訪れた。その他にも雪舟等楊や万里集九、宗祇など、文人墨客も正法寺で活動をしていたことが知られる。明応4年(1495年)に船田合戦で戦場となり、焼失し廃寺となった。跡地に残った土塁も、慶長7年(1602年)の加納城築城の際に取り去られたという。 昭和47年(1972年)に岐阜市により史跡に指定される。2019年現在、跡地には薬師堂が建てられている。

杉崎廃寺 岐阜県飛騨市古川町杉崎2059   不明  
杉崎廃寺(すぎさきはいじ)は、岐阜県飛騨市古川町杉崎にある寺院跡。1959年(昭和34年)に岐阜県の史跡に指定されている 。

大威徳寺跡    
大威徳寺跡(だいいとくじあと)は、飛騨国益田郡竹原郷御厩野(現在の岐阜県下呂市御厩野)と、美濃国恵那郡加子母(現在の岐阜県中津川市加子母)との国境に存在した寺院の跡。岐阜県史跡指定第67号。

手向廃寺 岐阜県恵那市山岡町上手向   不明  
手向廃寺(とうげはいじ)は岐阜県恵那市山岡町上手向にある奈良時代の寺院址。山岡廃寺、長楽廃寺とも。本尊や宗派等は知られていない。 昭和40年(1965年)、道路の拡張工事に伴い古代の瓦が発見されたため、発掘調査が行われて見出された。正確な創建は不詳であるが、出土遺物から8世紀前半に遡る寺院であるとみられる。遠山荘の手向郷(淡気郷)の中心である古市場の台地上に所在することや、寺院の形式が恵那市正家にある正家廃寺と異なることから、この寺院を建立した勢力は、正家廃寺を建てた勢力と恵那郡を二分していたと考えられている。廃絶時期は不明。昭和52年(1977年)に恵那市の文化財に指定された。 昭和61年(1986年)に追加の発掘調査が行われている。2020年現在寺院跡は主に畑となっている。 出土遺物は平瓦、軒丸瓦などがある。礎石はわずかしか見つかっておらず、基壇や掘立柱建物状、溝などがあったことが分かっているが、遺跡全体が発掘されておらず、伽藍配置は不明である。

東林寺 (郡上市) 岐阜県郡上市大和村大字牧字元兼   臨済宗  
東林寺(とうりんじ)は岐阜県郡上市大和村大字牧に所在した臨済宗の寺院で、郡上郡の領主であった東氏ゆかりの尼寺である。 東氏によって創建される。正確な創建年は不明であるが、初代住持の素順尼が東益之の娘で、永享12年(1440年)に父に連座して周防に流罪となっていることから、それ以前である。2世の宗雲尼も東益之の娘であったが、早世したため素順尼が再び住持となった。東林寺には東常縁の兄弟の墓が複数基あったと伝えられている。天文10年(1540年)の篠脇城の戦いに伴う兵火で焼亡したが、それ以降は知られていない。宝暦9年(1759年)に牧村元兼の地主彦右衛門により寺跡から遺物が発掘され、懸仏6体と和鏡2面が応徳寺へ預けられた。この遺物は発掘年次及び発掘場所の明らかな歴史資料として『東林寺跡出土品及び出土記録』の名称で岐阜県指定重要文化財となっている。また、寺跡には五輪塔や宝篋印塔が残り、東林寺跡古墓群として郡上市の史跡に指定されている。

野口廃寺 岐阜県各務原市蘇原新栄町2丁目   不明  
野口廃寺(のぐちはいじ)は岐阜県各務原市蘇原新栄町2丁目にある飛鳥時代から奈良時代にかけて存在した寺院の遺跡。本来の名称や本尊、宗派等は知られていない。 平成3年(1991年)にマンション建設に伴い遺跡が発見され、同年、平成7年(1995年)及び平成8年(1996年)に各務原市により発掘調査が行われた。野口廃寺の名称は旧村名にちなむ。 出土品から7世紀末から8世紀半ばにかけて存在したと考えられ、遺構としては掘立柱建物跡や周溝らしき跡、鋳造施設跡など6つの建物あとが確認されているが、寺院跡全域に及ぶ発掘は行われていないため伽藍配置は不明である。遺物には須恵器の他、丸瓦、平瓦及び鴟尾瓦の破片が発見されている。廃寺に至る詳しい経緯は不明であるが火災跡などが見られないことから、近隣の寺院と統合された可能性が指摘されている。 2021年現在遺構はは宅地あるいは商業地として利用されており、いちょう通りに史跡を示す看板が立っている。

宝蔵庵塔心礎    
宝蔵庵塔心礎(ほうぞうあんとうしんそ)とは、岐阜県各務原市鵜沼大安寺町にある室町時代に造られた古代寺院宝蔵庵の塔心礎。 市指定文化財(昭和42年2月)。 宝蔵庵は室町時代初めの記録によると濃州鵜沼庄に所在した揖斐郡谷汲村横蔵寺の末寺である。 現在、礎石は大安寺(各務原)に所在するが、この地より北東約500mの丘陵から移されたもので、その地が宝蔵庵の跡とされている。

宮代廃寺 岐阜県不破郡垂井町宮代808-1   不明  
宮代廃寺(みやしろはいじ)は、岐阜県不破郡垂井町宮代にある白鳳期(飛鳥時代後期)の寺院跡。1968年(昭和43年)8月6日、岐阜県の史跡に指定されている。 南宮山の麓にあり、白鳳期に創建されたとみられる古代寺院の跡で、近隣には不破郡大領の宮勝木実を祭神とする大領神社があることから、その氏寺である可能性が指摘されている。また、『続日本紀』にある聖武天皇が行幸したと伝わる宮処寺に比定する説もあるが、宮代廃寺の北西には宮処寺跡とされる白鳳期の寺院跡が別に存在する。 1967年(昭和42年)および1972年(昭和47年)に発掘調査が行われており、寺域は150m四方あったと推定されている。また、宮代廃寺の塔心礎が藤樹寺の境内に宮代廃寺の碑と共に遺されており、12m四方の基壇を持つ三重塔が建っていたことが判明している。

木蛇寺 岐阜県郡上市大和町牧442   臨済宗  
木蛇寺(もくじゃじ)は岐阜県郡上市大和町にあった臨済宗の寺院。郡上郡の領主東氏の菩提寺であった。 鎌倉時代後期に郡上郡山田庄の領主、東行氏が一族の菩提寺として蘭渓道隆の法嗣で東氏の本家筋にあたる千葉氏出身の僧侶である林叟徳瓊(覚照禅師)を招いて居城である阿千葉城の南(現在の郡上市大和町剣)に開いた。2世住持は東氏所縁の龍山徳見が務めている。その後、東氏が篠脇城へ移ると木蛇寺もその東(現在の郡上市大和町牧)に移転している。東氏一族から木蛇寺で出家した人物には江西龍派(建仁寺154世、南禅寺144世)、正宗龍統(建仁寺217世)や常庵龍崇(建仁寺262世)などがいる。木蛇寺は檀越の東氏と盛衰を共にし、文明5年(1473年)に斎藤妙椿の郡上攻略の際に焼亡。一旦は東氏の手により復興を遂げるものの、赤谷山の戦いで東氏が滅亡すると外護者を失って滅びた。 木蛇寺の遺物としてその本尊と伝えられる木像が郡上市指定の文化財となっている。ただし、損傷が激しいために仏像の種類は立像であるほかは判別できない状態となっている。また、東氏ゆかりの乗性寺には木蛇寺から伝来したと伝わる欄間の彫刻がある。木蛇寺跡には木蛇寺歴代の墓のほか、東氏一族の慈永大姉の墓があり、こちらは郡上市の史跡に指定されている。