10.於茂登岳 |
於茂登岳(おもとだけ)は、沖縄県石垣市にある標高526メートルの山である。地元ではウムトゥダギと呼ぶ。『球陽』では宇本嶽、宇茂登嶽と記されている[1]。 |
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11.カラ岳 |
カラ岳(カラだけ)は、八重山諸島石垣島(行政区分は沖縄県石垣市)の白保地区北方に位置する山である。標高135.9m。カーラ岳とも呼ばれる。石垣島東部の白保地区北側の海岸近くに孤立して位置する山である。山肌は、木が生えておらず、全面が草地で覆われている。 海からの風がぶつかって上昇気流が起きやすいことと、草地であることから、パラグライダーの絶好のポイントとなっている。 石垣市では、滑走路が1,500mと短いため、大型機の離着陸ができない石垣空港に代わる新石垣空港の建設がかねてから構想されていた。 新石垣空港は、当初、白保地区沖合に計画されていた(白保海上案)が、世界的に貴重な白保サンゴ礁への影響が懸念されることから、代替案としてカラ岳東側の海上に建設するカラ岳東側案が発表された。しかし、これも白保サンゴ礁の北側に連なるサンゴ礁の海域の埋め立てを伴うものであったため反対が続き、最終的にはカラ岳南側の陸上に建設するカラ岳陸上案に決定された。カラ岳陸上案においては、カラ岳が一部(27万m3)切削されることとなっており、赤土流出による白保サンゴ礁への影響を懸念する声もある。 |
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12.信天山 |
信天山(しんてんやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。 島の中央からやや北寄りに位置する。標高は105メートルで、同島最高峰の千歳山(標高117メートル)に次ぐ。 山名は、1900年(明治33年)にこの島を訪れた動物学者の宮島幹之助によって、島に棲息するアホウドリ(信天翁)に因んで名づけられた[1]。 |
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13.千歳山 (沖縄県) |
千歳山(ちとせやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。標高は117メートルで、同島における最高峰である[1]。 動物学者の宮島幹之助がこの島に上陸した1900年(明治33年)5月10日が、ちょうど皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)成婚の日にあたったことから、宮島により祝賀の意を表して命名された[1]。 |
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14.奈良原岳 |
奈良原岳(ならはらだけ)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島にある山。標高は362メートルで、魚釣島の最高峰である[1]。 島の南岸近くのやや西寄りに位置する[2]。山名は、1900年(明治33年)にこの島を地質調査に訪れた黒岩恒によって、当時の沖縄県知事奈良原繁に因んで名づけられた[1]。 2012年8月19日に日本人10名が魚釣島に上陸し、この山の山頂付近に日章旗を掲揚した[3]。 |
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15.野底岳 |
野底岳(のそこだけ、ぬすくだぎ[2])、又は、野底マーペー(のそこマーペー、ぬすくマーペー[3])は、沖縄県石垣市にある山である。しま山100選に選定されている[3]。 |
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16.屏風岳 (沖縄県) |
屏風岳(びょうぶだけ)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島にある山である。 島の南岸近くの東寄りに位置する[1]。標高は320メートルで、最高峰の奈良原岳(標高362メートル)に次いで、同島で2番目に高い山である。山名は、1900年(明治33年)にこの島を地質調査に訪れた黒岩恒によって名づけられた[2]。 |
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17.桴海於茂登岳 |
桴海於茂登岳(ふかいおもとだけ)は、沖縄県石垣市桴海にある標高477mの山である。 |
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18.ぶざま岳 |
ぶざま岳(ぶざまだけ)は、沖縄県石垣市にある標高322mの山である。 於茂登山系の西端に位置し、地質的には花崗岩とその風化土壌からなる[1]。この山から南東に流れる白水川は豊富な水量を有し、名蔵アンパルに流れ込む名蔵川の水源となっている。白水川の流域一帯には、ケナガエサカキやスダジイの群落が形成されている[2]。 地元では、ブザーマダキ、又は、プサーマダキと呼ぶ。「ブザーマ」は方言で「尾」を意味し、於茂登山系の西端に位置することから名づけられたとされる[1]。 この山の中腹にはテラス状になった巨石があり、川平湾を一望することができる。この場所は「川平湾絶景テラス」と名づけられて、石垣市の「島人ぬ宝さがしプロジェクト」で新名所のひとつに選定されている[3][4][5][6]。 |
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19.安良岳 (沖縄県) |
安良岳(やすらだけ)は、沖縄県石垣市の石垣島の平久保半島北部に位置する標高336mの山である。 平久保半島の最高峰である[2]。 東の太平洋側に流れる安良川(ヤッサカーラ)、西の東シナ海側に流れるジーバ川の水源である。安良川の河口から約1km南にある小安良川(ヤッサマカーラ)の河口にかけてはハスノハギリが自生しており、2013年(平成25年)に「平久保安良のハスノハギリ群落」として国の天然記念物に指定されている[3]。 山の東斜面は、トムル層変成岩の礫岩層で農耕には不適で、第二次世界大戦前から平久保牧場の一部として利用されているため、樹木はほとんどない。一方、西斜面には樹木が繁茂している[4]。 |
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26.登野城 |
登野城(とのしろ[1][2])は、日本の沖縄県石垣市の地名。郵便番号は907-0004[2]。 |
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27.登野城尖閣 |
登野城尖閣(とのしろせんかく[1])は、日本の沖縄県石垣市の字[2]。尖閣諸島全域を字域とする。郵便番号907-0031[1]。 |
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28.魚釣島 |
魚釣島(うおつりしま、うおつりじま[11])は、琉球列島の一部である尖閣諸島にあり、尖閣諸島の中では最大の島である。日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城尖閣(2020年10月1日に登野城より分離)に属する。中華人民共和国と中華民国も同島の領有権を主張している。中国側は同島について釣魚島(ちょうぎょとう、ディァオユーダオ, Diàoyúdǎo) という名称を使用している[12]。 |
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29.沖の北岩 |
沖の北岩(おきのきたいわ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。沖ノ北岩とも表記する。 |
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30.沖の南岩 |
沖の南岩(おきのみなみいわ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。沖ノ南岩とも表記する。 |
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31.北小島 |
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。 |
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32.北小島 (沖縄県石垣市久場島付近) |
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の久場島の北にある無人島である。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。 |
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33.北小島 (沖縄県石垣市大正島付近) |
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の大正島の北にある無人島である。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。 |
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34.久場島 (沖縄県石垣市) |
久場島(くばしま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が領有・実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。先島諸島の島民によってクバシマと呼ばれる。別名は黄尾嶼(こうびしょ)[2]。 日本名の「久場島」について日本政府は地元で呼ばれている名称を地方公共団体が調査し使用しているとしている[3]。「クバ」は沖縄方言で蒲葵を指し、八重山列島では「チールージマ(黄色い島)」とも呼ばれた。琉球王国の文書には黄尾嶼の記載がある[4]。日本政府は「黄尾嶼」という名称についても「我が国において従来から使用されてきているもの」としている[3]。中国名では「黄尾嶼」という名称を使用している。 |
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35.大正島 |
大正島(たいしょうとう[3]、たいしょうじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。別名は赤尾嶼(せきびしょ)[1]。 日本名の「大正島」について日本政府は地元で呼ばれている名称を地方公共団体が調査し使用しているとしている[4]。久米島に近いことから先島諸島の島民には久米赤島と呼ばれており、琉球王国の文書には赤尾嶼との記載がある[5]。日本政府は「赤尾嶼」という名称についても「我が国において従来から使用されてきているもの」としている[4]。中国名では「赤尾嶼」という名称を使用している。 |
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36.千歳山 (沖縄県) |
千歳山(ちとせやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。標高は117メートルで、同島における最高峰である[1]。 動物学者の宮島幹之助がこの島に上陸した1900年(明治33年)5月10日が、ちょうど皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)成婚の日にあたったことから、宮島により祝賀の意を表して命名された[1]。 |
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37.飛瀬 |
飛瀬(とびせ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。 |
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38.北西小島 |
北西小島(ほくせいこじま)は、沖縄県石垣市登野城尖閣の尖閣諸島の久場島の北西にある無人島である。 日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となる島である。EEZの基点となるにもかかわらず名称が不明であったが、2012年1月16日、日本政府は本島を含む39のEEZの基点となる無名の無人島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示した[1]。 同年1月30日には、そのうち本島の名称が北小島に内定したと報じられ[2][3]、3月2日には内定通りに名称が決定したことが発表された[4]。また、本島と同時に、久場島付近の他の2島も北小島、北東小島と命名されるとともに、大正島付近にある無名島のひとつも北小島と命名された[4]。電子国土ポータルにおいては決定した名称が記載されており、紙ベースの地図については版の更新に合わせて順次名称を掲載していく予定[4]。 |
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39.北東小島 |
北東小島(ほくとうこじま)は、沖縄県石垣市登野城尖閣の尖閣諸島の久場島の北東にある無人島である。 日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となる島である。EEZの基点となるにもかかわらず名称が不明であったが、2012年1月16日、日本政府は本島を含む39のEEZの基点となる無名の無人島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示した[1]。 同年1月30日には、そのうち本島の名称が北小島に内定したと報じられ[2][3]、3月2日には内定通りに名称が決定したことが発表された[4]。また、本島と同時に、久場島付近の他の2島も北小島、北西小島と命名されるとともに、大正島付近にある無名島のひとつも北小島と名付けられた[4]。電子国土ポータルにおいては決定した名称が記載されており、紙ベースの地図については版の更新に合わせて順次名称を掲載していく予定[4]。 |
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40.南小島 |
南小島(みなみこじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。別称は鳥島[3]。 |
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