1.相内館 ・平城 | ||||||
相内館(あいないだて)は、青森県三戸郡南部町相内に所在した城館跡。別称・一夜堀館。南部町指定史跡[1]。 | ||||||
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2.新屋城 ・平城 | ||||||
新屋城(あらやじょう)は青森県平川市新屋にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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3.大浦城 ・平城 | ||||||
大浦城(おおうらじょう)は、青森県弘前市賀田・五代にあった日本の城。平城。 | ||||||
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4.尾崎城 ・平城 | ||||||
尾崎城(おさきじょう)は青森県平川市尾崎[3]にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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5.櫛引城 ・平城 | ||||||
櫛引城(くしびきじょう)は、日本の青森県八戸市に所在した日本の城。 | ||||||
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6.聖寿寺館 ・平城 | ||||||
聖寿寺館(しょうじゅじだて)は、青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺に所在した日本の城。別称、本三戸城(もとさんのへじょう)。国の史跡[1]。 | ||||||
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7.大光寺城 ・平城 | ||||||
大光寺城(だいこうじじょう)は、青森県平川市大光寺にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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8.高田城 (陸奥国) ・平城 | ||||||
高田城(たかだじょう)は青森県青森市大字高田字日野にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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9.高畑城 (陸奥国) ・平城 | ||||||
高畑城(たかばたけじょう)は、青森県平川市高畑・吹上にあった戦国時代の日本の城(平城)。 | ||||||
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10.浪岡城 ・平城 | ||||||
浪岡城(なみおかじょう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)。1460年代に浪岡北畠氏によって築城され、1578年に大浦為信に攻められ落城した[1]。1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された[2][3]。現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。 | ||||||
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11.八戸城 ・平城 | ||||||
八戸城(はちのへじょう)は、青森県八戸市にかつて存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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12.原子城 ・平城 | ||||||
原子城(はらこじょう)は青森県五所川原市大字原子字山元にあった平城。 | ||||||
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13.平良ヶ崎館 ・平城 | ||||||
座標: 北緯40度24分46秒 東経141度16分38秒 / 北緯40.41282028164度 東経141.277155928度 / 40.41282028164; 141.277155928 | ||||||
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14.福島城 (陸奥国鼻和郡) ・平城 | ||||||
福島城(ふくしまじょう)は、青森県五所川原市相内にあった日本の城である。平城。 | ||||||
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15.藤崎城 ・平城 | ||||||
藤崎城(ふじさきじょう)は、青森県南津軽郡藤崎町藤崎にあった日本の城(平城)。安東氏発祥の地と伝えられている[2]。 | ||||||
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16.堀越城 ・平城 | ||||||
堀越城(ほりこしじょう)は、青森県弘前市堀越字川合・柏田にかつてあった日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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17.横内城 ・平城 | ||||||
横内城(よこうちじょう)は、日本の城。現在は跡地に常福院が建てられている。所在地は青森県青森市横内字亀井。別名として鏡城、堤城とも言われる。 | ||||||
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18.横浜館 ・平城 | ||||||
横浜館(よこはまだて)は、青森県上北郡横浜町舘ノ後に所在した日本の城跡。 | ||||||
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19.蓬田城 ・平城 | ||||||
蓬田城(よもぎたじょう)は青森県東津軽郡蓬田村大字蓬田字汐越にあった日本の城(平城)。中世の豪族・蓬田氏等が拠った城館で、大きく大館(おおだて)と小館(こだて)に分けられる。 | ||||||
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20.乙部館 ・平城 | ||||||
乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した日本の城。現在は、宅地や畑地になっている。 | ||||||
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21.久慈城 ・平城 | ||||||
久慈城(くじじょう)は、岩手県久慈市に所在した日本の城。別称、新町館・八日館。岩手県指定史跡[1]。 | ||||||
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22.厨川城 ・平城 | ||||||
厨川城(くりやがわじょう)は、現在の岩手県盛岡市安倍館町にあたる陸奥国岩手郡厨川村字館にあった日本の城である。別名・栗谷川城(くりやがわじょう)。遺跡(埋蔵文化財包蔵地)名では「安倍館遺跡(あべたていせき)」と呼ばれる[1]。平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城館である。 | ||||||
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23.十二丁目城 ・平城 | ||||||
十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)は、 岩手県花巻市十二丁目に所在する日本の城跡。別称 獅子ヶ鼻城。北上川中流域の獅子ヶ鼻の台上にあり古館、上館とも称し、台地の後背地(西側)に濠があったといわれるが、いまは水田のため確認はできない。 | ||||||
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24.水沢城 ・平城 | ||||||
水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢に存在していた日本の城である。北上川西岸の胆沢平野中心部にある平城である。一国一城制導入後は要害として扱われた。別名:臥牛城・大休城。 | ||||||
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25.見前館 ・平城 | ||||||
見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。 | ||||||
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26.高清水城 ・平城 | ||||||
高清水城(たかしみずじょう)は、宮城県栗原市字東館(旧・高清水町)にある日本の城跡。戦国大名・大崎氏の居城。 | ||||||
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27.今泉城 (陸奥国) ・平城 | ||||||
今泉城(いまいずみじょう)は、南北朝時代から江戸時代の初めまで陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市若林区にあった城館(日本の城)である。仙台平野の低湿地にある平城で、水濠と土塁をめぐらせていた。弥生時代から続く集落に作られ、遺跡としては今泉遺跡[1]の一時代とされる。数次の発掘調査で外堀・内堀の一部と城内の建物多数が確認された。城主は須田玄蕃と伝えられる。現在では20世紀後半の急速な宅地化で、かつてあった地面の凹みはなくなり、地上に城の痕跡は残っていない。 | ||||||
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28.沖野城 ・平城 | ||||||
沖野城(おきのじょう)は、陸奥国名取郡、現在の宮城県仙台市若林区沖野7丁目にあった中世の日本の城である。不明の点が多いが、16世紀末に廃止された。東西約400メートル、南北約300メートルの範囲で、二重の土塁と二重の水濠を巡らせていた。 | ||||||
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29.本堂城 ・平城 | ||||||
本堂城(ほんどうじょう)は、秋田県仙北郡美郷町に所在していた中世日本の城。城跡は県指定史跡となっている。 | ||||||
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30.湊城 ・平城 | ||||||
湊城(みなとじょう)は、出羽国秋田郡土崎湊、現在の秋田県秋田市にあった城郭(平城)である[2][3]。 | ||||||
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31.小国城 (出羽国置賜郡) ・平城 | ||||||
小国城(おぐにじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡小国町小国小坂町に所在する戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平城)跡。1692年(元禄5年)以降は「御役屋」と呼ばれた。 | ||||||
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32.高畠城 (出羽国) ・平城 | ||||||
高畠城(たかはたじょう)、または高畑城は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県東置賜郡高畠町高畠大字古城ノ内に存在した日本の城(平城)。別名「鐘ヶ城」。堀の一部が高畠町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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33.中野城 (出羽国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は、山形県山形市中野にあった日本の城。 | ||||||
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34.小田城 ・平城 | ||||||
小田城(おだじょう)は、現在の茨城県つくば市に存在した日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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35.栗橋城 ・平城 | ||||||
栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。五霞町指定史跡[1]。 | ||||||
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36.古河公方館 ・平城 | ||||||
古河公方館(こがくぼうやかた)は茨城県古河市鴻巣にあった中世の城館。鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれる。古河御所と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。 | ||||||
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37.逆井城 ・平城 | ||||||
逆井城(さかさいじょう)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の日本の城(平城)。落城後、後北条氏によって大規模に築城しなおされたため、それ以前の遺構と後北条氏時代の遺構が重なっている。はじめの逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいう。 | ||||||
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38.下妻城 ・平城 | ||||||
下妻城(しもつまじょう)は、常陸国関郡下妻荘(現在の茨城県下妻市)にあった日本の城。多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城(たがやじょう)とも称し、地元では一般にこの名称を用いている[1]。 | ||||||
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39.上条城 (常陸国) ・平城 | ||||||
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の茨城県稲敷郡阿見町上条字城ノ内に存在した日本の城(平城)である。史跡指定はされていないが「阿見町名所百選(No.20)」に選定されている[1]。 | ||||||
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40.関城 (常陸国) ・平城 | ||||||
関城(せきじょう)は、常陸国真壁郡(現在の茨城県筑西市関館)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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41.大宝城 ・平城 | ||||||
大宝城(だいほうじょう)は、現在の茨城県筑西市・下妻市大宝に所在した、平安時代末期から南北朝時代にかけての平城。1934年(昭和9年)5月1日、「大宝城跡」として国史跡に指定された[1]。茨城百景にも選定されている[2]。 | ||||||
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42.馴馬城 ・平城 | ||||||
馴馬城(なれうまじょう)は、茨城県龍ケ崎市にあった日本の城。 | ||||||
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43.真壁城 ・平城 | ||||||
真壁城(まかべじょう)は、常陸国真壁郡、現在の茨城県桜川市真壁町古城にあった戦国時代の日本の城(平城)。大掾氏の一族である真壁氏が代々支配した。国の史跡[1]。 | ||||||
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44.水海城 ・平城 | ||||||
水海城(みずうみじょう、みずみじょう)は、下総国葛飾郡水海(現在の茨城県古河市)にあった中世日本の城。古河公方重臣・簗田氏の居城のひとつ。 | ||||||
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45.榎本城 ・平城 | ||||||
榎本城(えのもとじょう)は、下野国都賀郡榎本(現在の栃木市大平町榎本)にあった日本の城。 | ||||||
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46.小山城 (下野国) ・平城 | ||||||
小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった日本の城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」の1つ祇園城跡の名称で国の史跡に指定されている[1]。また、関東の富士見百景の一つに選ばれている。 | ||||||
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47.神田城 ・平城 | ||||||
神田城(かんだじょう)は、栃木県那須郡那珂川町にあった日本の城(平城)。国の史跡に指定されている。別名那須城、那須神田城。 | ||||||
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48.御前城 ・平城 | ||||||
御前城(ごぜんじょう)は、下野国(現在の栃木県さくら市氏家町)にあった中世の日本の城である。別名馬場城、増渕城。 | ||||||
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49.御前原城 ・平城 | ||||||
御前原城(ごぜんぱらじょう)は、栃木県矢板市早川町[1][2]にあった日本の城(平城)。栃木県指定史跡。塩谷城、塩谷故城、中村城などとも言う。正和4年(1315年)築城、正保元年(1644年)9月19日廃城。 | ||||||
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50.玉生城 ・平城 | ||||||
玉生城(たまにゅうじょう)は、下野国塩谷郡(現・栃木県塩谷郡塩谷町大字玉生)にあった日本の城(山城)。建長6年(1254年)築城。慶長2年(1597年)10月13日廃城。 | ||||||
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51.徳次郎城 ・平城 | ||||||
徳次郎城(とくじらじょう)は、現在の栃木県宇都宮市徳次郎町にあった中世の日本の城である。 | ||||||
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52.栃木城 ・平城 | ||||||
栃木城(とちぎじょう)は、下野国都賀郡栃木、現在の栃木県栃木市城内町にあった日本の城(平城)である。皆川広照が築城し、栃木町を繁栄させる基盤となった。栃木市指定史跡[4]。 | ||||||
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53.中久喜城 ・平城 | ||||||
中久喜城(なかくきじょう)は現在の栃木県小山市中久喜にあたる下野国寒川郡にあった平安時代末期から戦国時代にかけての日本の城。別名:亀城、栃井城、中岫城、岩壺城。城跡は祇園城(小山城)跡・鷲城跡とともに「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」として、国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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54.長沼城 (下野国) ・平城 | ||||||
長沼城(ながぬまじょう)は、栃木県真岡市長沼にあった城郭。平安時代末期から戦国時代まで存在した城である。 | ||||||
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55.中村城 (下野国) ・平城 | ||||||
中村城(なかむらじょう)は、栃木県真岡市にあった中村氏の鎌倉、室町期の居館(または日本の城)。県指定史跡。現在は真言宗智山派の如意山寶珠院遍照寺の境内。この境内には、伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(吉永小百合、平幹二朗等出演)のモデルになった古木がある。 | ||||||
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56.羽生田城 ・平城 | ||||||
羽生田城(はにゅうだじょう)は、栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城。 | ||||||
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57.福原城 ・平城 | ||||||
福原城(ふくはらじょう)は、栃木県大田原市福原に存在した日本の城。別名を北岡城、福原北岡館[1]。 | ||||||
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58.壬生城 ・平城 | ||||||
壬生城(みぶじょう)は、栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城。江戸時代には下野国都賀郡、壬生藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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59.八木岡城 ・平城 | ||||||
八木岡城(やぎおかじょう)は栃木県真岡市大字八木岡字東館にあった日本の城。 | ||||||
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60.鷲城 ・平城 | ||||||
鷲城(わしじょう)は現在の栃木県小山市外城にあたる下野国小山荘にあった日本の城。城跡は中久喜城跡、祇園城(小山城)跡とともに「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」として、国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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61.中野城 (上野国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は、群馬県邑楽郡邑楽町にあった日本の城。 | ||||||
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62.安中城 ・平城 | ||||||
安中城(あんなかじょう)は、現在の群馬県安中市安中にある戦国時代に築かれた日本の城である。 | ||||||
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63.榎下城 (上野国) ・平城 | ||||||
榎下城(えげじょう)は、現在の群馬県安中市原市字榎下にあたる上野国碓氷郡榎下にあった日本の城。国衆・安中氏の居城。 | ||||||
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64.小泉城 ・平城 | ||||||
小泉城(こいずみじょう)、または富岡城(とみおかじょう)は、現在の群馬県邑楽郡大泉町にあった日本の城。築城は、延徳元年(1489年)。現在は城跡に曲輪と内堀、外堀の一部および土塁が残っており、城之内公園(しろのうちこうえん)として整備されている。大泉町指定史跡[1]。 | ||||||
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65.五十子陣 ・平城 | ||||||
五十子陣(いかっこじん/いかっこのじん)とは、室町時代中期に武蔵国児玉郡五十子、現在の埼玉県本庄市大字東五十子及び大字西五十子の一部に所在していた平城。「いらこのじん」「いかごのじん」などと読まれることもある。 | ||||||
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66.忍城 ・平城 | ||||||
忍城(おしじょう)は、武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市)に存在した日本の城である。埼玉県指定旧跡。 | ||||||
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67.河越館 ・平城 | ||||||
河越館(かわごえかん/かわごえやかた)は、埼玉県川越市上戸(うわど)に所在した日本の城。川越市の北西部、入間川右岸に位置し、約二町(218m)四方の占地規模を持つ館跡遺跡。国の史跡。 | ||||||
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68.雉岡城 ・平城 | ||||||
雉岡城(きじがおかじょう)は、武蔵国児玉郡八幡山、現在の埼玉県本庄市児玉町八幡山446他に所在していた日本の城。埼玉県指定史跡[1]。別名を八幡山城(はちまんやまじょう)と言う。 | ||||||
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69.菅谷館 ・平城 | ||||||
菅谷館(すがややかた)とは、武蔵国男衾郡(現在の埼玉県比企郡嵐山町)にあった日本の城である。菅谷城(すがやじょう)とも呼ばれる。昭和48年(1973年)、国の史跡に指定された。館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられている。 | ||||||
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70.伝源経基館跡 ・平城 | ||||||
伝源経基館跡(でんみなもとのつねもとやかたあと)は、埼玉県鴻巣市に築かれていた武家館。通称・城山(箕田城、大間城と呼ばれる事もある)。平安時代中期に源経基が武蔵介として坂東に赴いた時に館としたと伝えられる。 埼玉県指定史跡・1941年(昭和16年)3月31日指定。 | ||||||
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71.難波田城 ・平城 | ||||||
難波田城(なんばたじょう)は、埼玉県富士見市南畑にあった日本の城。埼玉県旧跡。難波田城公園として整備されている。 | ||||||
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72.羽生城 ・平城 | ||||||
羽生城(はにゅうじょう)は、埼玉県羽生市に存在した日本の城。16世紀初頭の築城とされ、永禄3年(1560年)の長尾景虎(後の上杉謙信)による関東出兵以降、上杉方の関東攻略の拠点となったが、後北条氏の度重なる攻撃を受け天正2年(1574年)閏11月に自落した。その後、城は後北条氏から成田氏に与えられ、天正18年(1590年)の徳川家康の関東入封後は大久保氏に与えられ、慶長19年(1614年)1月に廃城となった[1]。羽生市の指定文化財(史跡)に指定されている[2]。 | ||||||
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73.深谷城 ・平城 | ||||||
深谷城(ふかやじょう)は、現在の埼玉県深谷市本住町にあたる武蔵国榛沢郡深谷にあった日本の城である。形態は平城[4]。城跡は埼玉県指定旧跡[2]、また外堀(外濠)の一部が深谷市指定史跡[3]。 | ||||||
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74.領ヶ谷城 ・平城 | ||||||
領ヶ谷城(りょうがやじょう)は、埼玉県さいたま市南区太田窪にある城跡。 | ||||||
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75.関宿城 ・平城 | ||||||
関宿城(せきやどじょう)は、千葉県野田市関宿三軒家にあった日本の城である。室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降簗田氏嫡流の関宿簗田家の居城になったと伝わる。江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれた。廃藩置県後は天皇家の物となった(大正宮内庁管轄)。 | ||||||
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76.中野城 (下総国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は下総国、現在の千葉県千葉市若葉区にあった日本の城。 | ||||||
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77.奥沢城 ・平城 | ||||||
奥沢城(おくさわじょう)は武蔵国荏原郡世田谷[1](現・東京都世田谷区奥沢)にあった日本の城。現在は九品仏浄真寺となっている。 | ||||||
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78.葛西城 ・平城 | ||||||
葛西城(かさいじょう)は、現在の東京都葛飾区青戸にあった中世の日本の城(平城)である[注釈 1]。「葛西城跡」として1998年(平成10年)3月13日に東京都指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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79.世田谷城 ・平城 | ||||||
世田谷城(せたがやじょう)は、武蔵国荏原郡世田谷[1](現・東京都世田谷区豪徳寺)にあった日本の城。 | ||||||
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80.元木山城 ・平城 | ||||||
元木山城(もときやまじょう)は、東京都町田市能ヶ谷にあった日本の城である。 | ||||||
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81.淵野辺城 ・平城 | ||||||
淵野辺城(ふちのべじょう)は、現在の神奈川県相模原市中央区にあった日本の城。南北朝時代に淵野辺村の地頭だった淵辺義博の館である。 | ||||||
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82.矢部城 ・平城 | ||||||
矢部城(やべじょう または矢部氏館 やべしやかた とも言う)は、鎌倉時代に横山党の一員であった矢部義兼がつくったものとされる日本の城。現在の神奈川県相模原市中央区上矢部にあたる。 | ||||||
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83.木場城 ・平城 | ||||||
木場城(きばじょう)は、現在の新潟県新潟市西区木場にあった日本の城。 | ||||||
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84.清崎城 ・平城 | ||||||
清崎城(きよさきじょう)は、越後国頚城郡(現・新潟県糸魚川市清崎)[1] に存在した日本の城(平城)。糸魚川城とも記される。桃山時代まで存続した勝山城(落水城)の東に位置する。のちの糸魚川陣屋はより海に近い。 | ||||||
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85.蔵王堂城 ・平城 | ||||||
蔵王堂城(ざおうどうじょう)は、現新潟県長岡市西蔵王の金峯神社及び安禅寺の位置にあった日本の城。長岡市指定史跡[1]。 | ||||||
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86.新発田城 ・平城 | ||||||
新発田城(しばたじょう)は、越後国蒲原郡新発田[1](現在の新潟県新発田市大手町)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。 | ||||||
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87.長岡城 ・平城 | ||||||
長岡城(ながおかじょう)は、越後国古志郡長岡[1] (現:新潟県長岡市)にあった日本の城である。 | ||||||
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88.新潟城 ・平城 | ||||||
新潟城(にいがたじょう)は、戦国時代の一時期に存在したとされる日本の城。現在の新潟県新潟市中央区にあったと比定される。 | ||||||
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89.新穂城 ・平城 | ||||||
新穂城(にいぼじょう)は、佐渡国賀茂郡[2]新穂、のちの新潟県加茂郡下新穂村[3](現・新潟県佐渡市下新穂字郷内)に存在した日本の城(平城)。1973年(昭和48年)3月29日、新潟県指定史跡に指定された[4]。 | ||||||
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90.琵琶島城 ・平城 | ||||||
琵琶島城(びわじまじょう)は、新潟県柏崎市にあった日本の城。1973年(昭和48年)8月1日に柏崎市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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91.福島城 (越後国) ・平城 | ||||||
福島城(ふくしまじょう)は越後国頸城郡にあった近世の日本の城(平城)。福嶋城とも記される。新潟県上越市港町二丁目の上越市立古城小学校付近が本丸跡と考えられている。北は日本海、東は当時の保倉川、南には堀(現在の保倉川)、西は関川をはさんで中世以来の都市府中と向き合う場所に立地している。 | ||||||
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92.村松城 ・平城 | ||||||
村松城(むらまつじょう)は、かつて新潟県五泉市村松にあった日本の城。村松藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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93.三条城 ・平城 | ||||||
三条城(さんじょうじょう)は、現在の新潟県三条市にあった日本の城。 | ||||||
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94.小国城 (越後国) ・平城 | ||||||
小国城(おぐにじょう)は、新潟県長岡市小国町小国沢・太郎丸に所在する日本の城(平城・居館)跡。越後国刈羽郡小国保を拠点とした小国氏発祥の地とされる。行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては同町太郎丸の小国氏居館推定地を指すが[2]、同町楢沢の小国沢城(小松入城・菅沼城)単体を「小国城」と呼ぶ場合や[4]、あるいは小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群を一括して「小国城」とする意見がある[5]。 | ||||||
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95.安養寺城 ・平城 | ||||||
安養寺城(あんようじじょう)、または安養寺御坊(あんようじごぼう)は、富山県小矢部市末友にあった日本の城および勝興寺旧伽藍跡。城跡としては史跡未指定だが、一向衆の拠点「勝興寺安養寺御坊跡」として小矢部市指定史跡となっている[1]。とやま城郭カードNo.46[2][3]。 | ||||||
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96.井口城 ・平城 | ||||||
井口城(いのくちじょう)は、富山県南砺市池尻にあった日本の城(平城)。南砺市指定史跡[1]。なお同県下新川郡朝日町大家庄にあった井口城も同じく井口氏の居城である。 | ||||||
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97.今泉城 (越中国) ・平城 | ||||||
今泉城(いまいずみじょう)は富山県富山市今泉に在った日本の城。 | ||||||
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98.魚津城 ・平城 | ||||||
魚津城(うおづじょう)は、富山県魚津市にあった日本の城(平城)。別名、小津城、または小戸城。松倉城の支城のひとつ。天正10年(1582年)6月の本能寺の変直前の魚津城の戦いの際、柴田勝家率いる織田軍が攻囲していた城として有名。魚津市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.4[2][3]。 | ||||||
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99.大峪城 ・平城 | ||||||
大峪城(おおがけじょう)は、越中国婦負郡五福[1](現在の富山県富山市五福)にあった日本の城。伊賀城、大掛城、大懸城ともいう。なお伊賀城の呼称はこの城の守将であった片山「伊賀守」延高にちなむ。 | ||||||
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100.太田本郷城 ・平城 | ||||||
太田本郷城(おおたほんごうじょう)は富山県富山市太田南町にあった日本の城。 | ||||||
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101.大村城 (越中国) ・平城 | ||||||
大村城(おおむらじょう)は、富山県富山市海岸通に在った日本の城。 | ||||||
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102.願海寺城 ・平城 | ||||||
願海寺城(がんかいじじょう)は、富山県富山市願海寺に存在した日本の城。 | ||||||
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103.木舟城 ・平城 | ||||||
木舟城(きふねじょう)は、富山県高岡市福岡町木舟にあった日本の城(平城)。木船城、貴船城とも書く。富山県指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.31[2][3]。 | ||||||
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104.小出城 ・平城 | ||||||
小出城(こいでじょう)は、越中国新川郡小出(現在の富山県富山市水橋小出[1])[2]にあった日本の城。(平城)。 | ||||||
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105.寺家新屋敷館 ・平城 | ||||||
寺家新屋敷館(じけあらやしきやかた)は富山県南砺市やかたにあった城。田中氏第、寺家新屋敷城ともいう。市史跡。 | ||||||
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106.柴田屋館 ・平城 | ||||||
柴田屋館(しばたややかた)は、富山県南砺市柴田屋[1]にあった城館である。市史跡。 | ||||||
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107.城端城 ・平城 | ||||||
城端城(じょうはなじょう)は、富山県南砺市にあった日本の城。荒木館、城ヶ鼻城とも呼ばれる。 | ||||||
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108.名畑城 ・平城 | ||||||
名畑城(なばたじょう)は富山県小矢部市東蟹谷(ひがしかんだ)地区の名畑地内に在った日本の城(平城)。 | ||||||
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109.布市城 ・平城 | ||||||
布市城(ぬのいちじょう)は、富山県富山市布市に在った日本の城。 | ||||||
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110.野尻城 (越中国) ・平城 | ||||||
野尻城(のじりじょう)は、富山県南砺市野尻にあった日本の城(平城)。南砺市指定史跡[1]。 | ||||||
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111.蓮沼城 ・平城 | ||||||
蓮沼城(はすぬまじょう)は、越中国砺波郡蓮沼[1](現・富山県小矢部市蓮沼)に在った日本の城(平城)。 | ||||||
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112.日方江城 ・平城 | ||||||
日方江城(ひかたえじょう)は富山県富山市日方江に在った日本の城。 | ||||||
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113.福光城 (越中国) ・平城 | ||||||
福光城(ふくみつじょう)、または福光館(ふくみつやかた)は、富山県南砺市福光に所在する平安時代末から戦国時代にかけての日本の城跡。「福満城」とも書く。後世城跡に造られた「福光城址栖霞園」は、南砺市指定史跡[1]。 | ||||||
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114.古国府城 ・平城 | ||||||
古国府城(ふるこくふじょう)は、富山県高岡市伏木古国府に在った日本の城。如意城(にょいじょう)とも言う。とやま城郭カードNo.30[1][2]。 | ||||||
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115.宗守館 ・平城 | ||||||
宗守館(むねもりやかた)は、富山県南砺市宗守にあった城館(日本の城)。 | ||||||
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116.松任城 ・平城 | ||||||
松任城(まっとうじょう)は、加賀国石川郡松任(現・石川県白山市(旧松任市)古城町)にあった日本の城。能美郡との境になる手取川の北、尾山御坊(金沢城)と川南の小松城の中間付近に位置する。 | ||||||
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117.越前府中城 ・平城 | ||||||
越前府中城(えちぜんふちゅうじょう)は、現在の福井県越前市にあたる越前国南仲条郡(後の南条郡)に所在する日本の城跡。別名は越府城(えつふじょう)。 | ||||||
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118.小黒丸城 ・平城 | ||||||
小黒丸城(おくろまるじょう/おぐろまるじょう)は、福井県福井市黒丸町にあった南北朝時代の日本の城跡。足羽七城の一つで、別名郡黒丸城。本城にあたる北西の大黒丸城と合わせて「黒丸城」と総称される[1][3]。 | ||||||
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119.小丸城 ・平城 | ||||||
小丸城(こまるじょう)は、福井県越前市にあった日本の城である。城跡は県の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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120.新善光寺城 ・平城 | ||||||
新善光寺城(しんぜんこうじじょう)は福井県越前市京町に所在した南北朝時代の日本の城跡。現在は浄土宗寺院の正覚寺となっている。越前市指定史跡[2]。 | ||||||
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121.敦賀城 ・平城 | ||||||
敦賀城(つるがじょう)は、越前国敦賀郡天筒山(現・福井県敦賀市天筒町)にあった日本の城。 | ||||||
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122.藤島城 (越前国) ・平城 | ||||||
藤島城(ふじしまじょう)は、福井県福井市藤島町にあった南北朝時代の日本の城跡。足羽七城の一つ[2]。南朝方の武将・新田義貞がこの城に向かう途上に戦没したエピソードで知られる。 | ||||||
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123.小山城 (甲斐国) ・平城 | ||||||
小山城(こやまじょう)は甲斐国、現在の山梨県笛吹市八代町高家(こうか)にかつてあった日本の城である。笛吹市指定史跡[1]。高家小山城公園として整備されている[2]。 | ||||||
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124.島崎城 (甲斐国) ・平城 | ||||||
島崎城(しまざきじょう、しまさきじょう)は、甲斐国北巨摩郡大豆生田村(山梨県北杜市須玉町大豆生田)にあった戦国時代の日本の城。城郭形式は平城。一般的には大豆生田砦(まみょうだとりで)という名で知られる。 | ||||||
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125.谷村城 ・平城 | ||||||
谷村城(やむらじょう)は、山梨県都留市上谷一丁目にあった日本の城(城郭)。甲斐国東部の郡内地方を領した国衆である小山田氏の居館または近世の大名居館。谷村館。 | ||||||
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126.真田氏館 ・平城 | ||||||
真田氏館(さなだしやかた)は、長野県上田市にあった日本の城(平城)もしくは居館。 | ||||||
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127.須田城 ・平城 | ||||||
須田城(すだじょう)は、長野県須坂市にあった日本の城。跡地は臥竜公園として整備されている。須坂市指定史跡。 | ||||||
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128.高梨氏館 ・平城 | ||||||
高梨氏館(たかなししやかた)は信濃国高井郡中野[1](現・長野県中野市)にあった高梨氏一族の居館(日本の城)。国の史跡。高梨城、高梨小館、中野小館、中野御館、中野城などと呼ばれることもある。 | ||||||
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129.村井城 (信濃国) ・平城 | ||||||
村井城(むらいじょう)は、長野県松本市にあった日本の城。別名、小屋城。 | ||||||
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130.森城 (信濃国) ・平城 | ||||||
森城(もりじょう)は、長野県大町市に存在した日本の城(平城)[1]。 | ||||||
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131.相羽城 ・平城 | ||||||
相羽城(あいばじょう)は、中世の美濃国大野郡(現・岐阜県揖斐郡)に存在した日本の城(平城)。根尾川と三水川の間、旧・名鉄揖斐線相羽駅の近くに位置する。遺構はほとんどないが、本丸跡には神社があり、堀跡とみられる北東の池付近から遺物が出土している。 | ||||||
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132.池尻城 ・平城 | ||||||
座標: 北緯35度23分1.6秒 東経136度35分56.8秒 / 北緯35.383778度 東経136.599111度 / 35.383778; 136.599111 | ||||||
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133.今尾城 ・平城 | ||||||
今尾城(いまおじょう)は岐阜県海津市の中世の日本の城(平城)。揖斐川左岸に位置する。遺構はほとんど残っておらず、敷地の一部は海津市立今尾小学校になっている。 | ||||||
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134.江馬氏下館 ・平城 | ||||||
江馬氏下館(えまししもやかた)は、岐阜県飛騨市神岡町殿に所在する城館。国の史跡「江馬氏城館跡」を構成する城館群の1つ[1]。 | ||||||
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135.加納城 ・平城 | ||||||
加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった日本の城である。 | ||||||
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136.軽海西城 ・平城 | ||||||
軽海西城(かるみにしじょう)は岐阜県本巣市に存在した日本の城(平城)。城跡には円長寺が建立されている。1970年(昭和50年)4月15日付で本巣市指定史跡[1]。 | ||||||
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137.川手城 ・平城 | ||||||
川手城(かわてじょう)は、現在の岐阜県岐阜市正法寺町にあった、南北朝時代から戦国時代の日本の城である。別名革手城。 | ||||||
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138.北方城 ・平城 | ||||||
北方城(きたがたじょう)は、岐阜県本巣郡北方町(美濃国席田郡)にあった戦国時代の日本の城(平城)である。岐阜県指定史跡[1]。現在の大井神社南東一帯に所在した。 | ||||||
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139.黒野城 ・平城 | ||||||
黒野城(くろのじょう)は、現在の日本の岐阜県岐阜市に、戦国時代から江戸時代にかけて存在した日本の城である。 | ||||||
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140.墨俣城 ・平城 | ||||||
墨俣城(すのまたじょう)は、現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあった戦国時代の日本の城である。 | ||||||
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141.曽根城 ・平城 | ||||||
曽根城(そねじょう)は、現在の岐阜県大垣市にあった戦国時代の日本の城である。大垣市指定史跡。 | ||||||
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142.竹ヶ鼻城 ・平城 | ||||||
竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)は、尾張国葉栗郡、のち美濃国羽栗郡、現在の岐阜県羽島市竹鼻町にあった日本の城(平城)。1586年(天正14年)の木曽川大氾濫によりその流路が南遷したことに伴い尾張国より美濃国に遷った。それ以前の流路は現在の境川筋を流れ墨俣付近で長良川と合流していたと考えられている。竹鼻城と表記されることもあり、竹鼻城跡として1955年(昭和30年)に羽島市の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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143.田代城 ・平城 | ||||||
田代城(でんだいじょう)は、現在の岐阜県羽島郡笠松町田代にあった、戦国時代の日本の城である。この城がある地域は、当時尾張国葉栗郡である。 | ||||||
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144.長森城 ・平城 | ||||||
長森城(ながもりじょう)は、美濃国長森庄、現在の岐阜県岐阜市切通6丁目付近にあった平安・鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城である。廃城後には同地に切通陣屋が築かれ、「切通陣屋跡」として岐阜市指定史跡となっている[1]。 | ||||||
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145.萩原諏訪城 ・平城 | ||||||
萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は、岐阜県下呂市萩原町萩原にある日本の城(平城)。岐阜県指定史跡[1]。 | ||||||
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146.増島城 ・平城 | ||||||
増島城(ますしまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町片原町にかつて存在した日本の城で、北飛騨唯一の平城。古川国府盆地の中央、荒城川沿いに位置する。岐阜県指定史跡[1]。 | ||||||
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147.松倉城 (尾張国) ・平城 | ||||||
松倉城(まつくらじょう)は、尾張国葉栗郡→美濃国羽栗郡(現・岐阜県各務原市)にあった戦国時代の日本の城である。 | ||||||
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148.小川城 (駿河国) ・平城 | ||||||
小川城(こがわじょう)は、静岡県焼津市西小川5丁目付近にあった日本の城(平城)。駿河国志太郡小川に勢力を張り、法永長者と呼ばれた長谷川氏の居館。 | ||||||
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149.相良城 ・平城 | ||||||
相良城(さがらじょう)は、遠江国榛原郡(現在:静岡県牧之原市)にあった日本の城。江戸時代の一時期には相良藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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150.横須賀城 ・平城 | ||||||
横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市西大渕)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城。平城。国の史跡。 | ||||||
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151.本地城 ・平城 | ||||||
本地城(ほんじじょう)は、尾張国春日井郡、現在の愛知県瀬戸市西本地町に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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152.溝口城 ・平城 | ||||||
溝口城(みぞぐちじょう)は現在の愛知県豊山町に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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153.宮後城 ・平城 | ||||||
宮後城(みやうしろじょう)は、尾張国丹羽郡宮後村、現在の愛知県江南市にあった日本の城。「蜂須賀屋敷」、「小六屋敷」などとも呼ばれる。 | ||||||
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154.矢合城 ・平城 | ||||||
矢合城(やわせじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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155.横山城 (尾張国) ・平城 | ||||||
横山城(よこやまじょう)は、現在の愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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156.吉川城 ・平城 | ||||||
吉川城(よしかわじょう)は尾張国知多郡(現・愛知県大府市吉川町1丁目)にあった日本の城。 | ||||||
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157.吉田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
吉田城(よしだじょう)は現在の愛知県春日井市にあった室町時代に築城された日本の城(平城)。 | ||||||
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158.吉野城 (尾張国) ・平城 | ||||||
吉野城(よしのじょう)は現在の愛知県名古屋市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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159.鷲塚城 ・平城 | ||||||
鷲塚城(わしづかじょう)は、三河国碧海郡鷲塚村(現在の愛知県碧南市)にあった日本の城。「三河鷲塚城」とも呼ばれる。 | ||||||
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160.赤目城 ・平城 | ||||||
赤目城(あかめじょう)は現在の愛知県愛西市赤目町に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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161.一宮城 (尾張国) ・平城 | ||||||
一宮城(いちのみやじょう)は、現在の愛知県一宮市本町3丁目・大江にかつて存在した戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)である。 | ||||||
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162.伊奈城 ・平城 | ||||||
伊奈城(いなじょう)は、三河国宝飯郡伊奈町深田、現在の愛知県豊川市伊奈町にあった日本の城(平城)。豊川市指定史跡[1]。 | ||||||
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163.井上城 (尾張国) ・平城 | ||||||
井上城(いのうえじょう)は現在の愛知県岩倉市井上町井出北に存在した日本の城(平城)である。岩倉市指定史跡[1]。 | ||||||
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164.今村城 (尾張国) ・平城 | ||||||
今村城(いまむらじょう)は尾張国春日井郡(現在の愛知県瀬戸市)に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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165.入尾城 ・平城 | ||||||
入尾城(いりおじょう)は愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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166.岩倉城 (尾張国) ・平城 | ||||||
岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉、現在の愛知県岩倉市下本町にあった日本の城。岩倉市指定史跡[1]。 | ||||||
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167.鯏浦城 ・平城 | ||||||
鯏浦城(うぐいうらじょう)は、現在の愛知県弥富市鯏浦町上六49(現在の薬師寺)に存在していた日本の城である。弥富市指定史跡[1]。 | ||||||
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168.大赤見城 ・平城 | ||||||
大赤見城(おおあかみじょう)は現在の愛知県一宮市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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169.大留城 ・平城 | ||||||
大留城 (おおどめじょう) は、愛知県春日井市に存在した室町時代の平城である。 | ||||||
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170.大野城 (尾張国海部郡) ・平城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、かつて尾張国海部郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城である。愛西市指定史跡。 | ||||||
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171.大野城 (尾張国葉栗郡) ・平城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、かつての尾張国葉栗郡(現在の愛知県一宮市浅井町)にあった日本の城である。 | ||||||
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172.奥城 (尾張国) ・平城 | ||||||
奥城(おくじょう)は、現在の愛知県一宮市奥町字下口西に存在した日本の城(平城)である。別名は江並城(えなみじょう)・梶川屋敷(かじかわやしき)[1]。 | ||||||
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173.小口城 ・平城 | ||||||
小口城(おぐちじょう)は尾張国丹羽郡小口、現在の愛知県丹羽郡大口町小口に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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174.小田井城 ・平城 | ||||||
小田井城(おたいじょう)は、現在の愛知県清須市西枇杷島町の古城交差点にあった、室町時代中期の日本の城(平城)である。 | ||||||
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175.下津城 ・平城 | ||||||
下津城(おりづじょう)は尾張国中島郡下津(現在の愛知県稲沢市下津高戸町)にあった日本の城。種類は平城。「下津城址」の碑がある。一部土塁も残る。 | ||||||
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176.楽田城 ・平城 | ||||||
楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった日本の城である。 | ||||||
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177.片原一色城 ・平城 | ||||||
片原一色城(かたはらいっしきじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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178.蟹江城 ・平城 | ||||||
蟹江城(かにえじょう)は、尾張国海部郡蟹江(現在の愛知県海部郡蟹江町)にあった中世の日本の城(平城)。 | ||||||
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179.上菱野城 ・平城 | ||||||
上菱野城(かみひしのじょう)、または山口城(やまぐちじょう)は[2]、現在の愛知県瀬戸市矢形町に所在した日本の城(平城)である。屋形の城(やかたのしろ)とも呼ばれる。 | ||||||
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180.刈谷城 ・平城 | ||||||
刈谷城(かりやじょう)は、三河国碧海郡刈谷、現在の愛知県刈谷市にあった日本の城。正しくは「刈屋城」であるが、刈谷市が1950年(昭和25年)4月以降に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになった。 | ||||||
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181.北島城 ・平城 | ||||||
北島城(きたじまじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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182.北外山城 ・平城 | ||||||
北外山城(きたとやまじょう)は現在の愛知県小牧市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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183.儀長城 ・平城 | ||||||
儀長城(ぎちょうじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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184.木ノ下城 ・平城 | ||||||
木ノ下城(きのしたじょう)は、現在の愛知県犬山市にあたる尾張国丹羽郡にあった日本の城である。犬山市指定史跡[1]。 | ||||||
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185.清洲城 ・平城 | ||||||
清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった日本の城である。尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視された。 | ||||||
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186.沓掛城 ・平城 | ||||||
沓掛城(くつかけじょう)は、尾張国愛知郡沓掛、現在の愛知県豊明市沓掛町にあった日本の城。旧記には沓懸城とも書かれている。豊明市指定史跡[1]。 | ||||||
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187.九之坪城 ・平城 | ||||||
九之坪城(くのつぼじょう)は現在の愛知県北名古屋市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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188.黒田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
黒田城(くろだじょう)は、現在の愛知県一宮市木曽川町黒田字古城にあたる尾張国葉栗郡黒田に戦国時代から安土桃山時代にかけてあった日本の城。1973年(昭和48年)10月1日付け一宮市指定史跡[1]。 | ||||||
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189.高田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
高田城(こうだじょう)は、現在の愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代の日本の城である。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である[2]。 | ||||||
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190.小折城 ・平城 | ||||||
小折城(こおりじょう)は、現在の愛知県江南市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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191.古木江城 ・平城 | ||||||
古木江城(こきえじょう)は、尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城(平城)[2][3]。小木江城とも書かれる。 | ||||||
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192.坂部城 ・平城 | ||||||
坂部城(さかべじょう)は、尾張国知多郡阿久比(現在の愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字栗之木谷32番地)にあった城。現在は阿久比町指定文化財(史跡)[1]「坂部城跡」として残されている。 | ||||||
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193.桜城 ・平城 | ||||||
桜城(さくらじょう)は、現在の愛知県豊田市元城町に存在した日本の城である。名称の由来は、周囲に桜が多かったことによる。正式には「佐久良城」。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(桜城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(七州城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡[1]。 | ||||||
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194.下大留城 ・平城 | ||||||
下大留城(しもおおどめじょう)は愛知県春日井市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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195.下奈良城 ・平城 | ||||||
下奈良城(しもならじょう)は現在の愛知県一宮市春明南本郷1丁目に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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196.上条城 (三河国) ・平城 | ||||||
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の愛知県安城市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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197.白山城 (尾張国) ・平城 | ||||||
白山城(しらやまじょう)は、現在の愛知県春日井市にあった、室町時代後期の日本の城(平城)である。 | ||||||
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198.竹腰城 ・平城 | ||||||
竹腰城(たけのこしじょう)は現在の愛知県稲沢市竹腰西町に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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199.寺部城 ・平城 | ||||||
寺部城(てらべじょう)は、現在の愛知県豊田市寺部町にあった日本の城(平城)。2008年(平成20年)6月2日付けで豊田市指定史跡[1]。 | ||||||
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200.長篠城 ・平城 | ||||||
長篠城(ながしのじょう)は、三河設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった日本の城。特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。 | ||||||
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201.西溝口城 ・平城 | ||||||
西溝口城(にしみぞぐちじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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202.野府城 ・平城 | ||||||
野府城(のぶじょう)は、室町時代から江戸時代初期にかけて、現在の愛知県一宮市開明にあたる尾張国中島郡野府村にあった日本の城。野武城とも書く。1975年(昭和50年)2月11日付けで一宮市指定史跡[1]。 | ||||||
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203.早尾東城 ・平城 | ||||||
早尾東城(はやおひがしじょう)は現在の愛知県愛西市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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204.半田城 ・平城 | ||||||
半田城(はんだじょう)は現在の愛知県半田市に存在した日本の城(平城)である。坂田城とも呼ばれる[1]。 | ||||||
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205.日置城 ・平城 | ||||||
日置城(ひおきじょう)は、尾張国愛知郡日置村、現在の愛知県名古屋市中区松原にあった日本の城。 | ||||||
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206.日比野六大夫館 ・平城 | ||||||
日比野六大夫館(ひびのろくだゆうかん)は愛知県春日井市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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207.関山砦 ・平城 | ||||||
関山砦(せきやまとりで)は現在の三重県尾鷲市に存在した砦である。 | ||||||
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208.富田城 (伊勢国) ・平城 | ||||||
富田城(とみだじょう)は、かつて伊勢国北勢地方の朝明郡に存在した日本の城。現在の三重県四日市市富田1丁目24番地~26番地付近。北勢四十八家の1つ南部氏の居城。 | ||||||
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209.長島城 ・平城 | ||||||
長島城(ながしまじょう)は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)にあった日本の城。長島藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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210.浜田城 (伊勢国) ・平城 | ||||||
浜田城(はまだじょう)は、伊勢国三重郡(現三重県四日市市鵜の森一丁目)にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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211.松ヶ島城 ・平城 | ||||||
松ヶ島城(まつがしまじょう)は三重県松阪市にかつて存在した日本の城(平城)。1580年(天正8年)に付近の田丸城が焼失したため、織田信雄が新たに城を築き、松ヶ島城と命名した。県の指定文化財[1]。 | ||||||
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212.三木城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
三木城(みきじょう)は志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)北輪内三木(現・三重県尾鷲市三木浦町)に存在した日本の城(平山城)である。別名「三鬼城」。 | ||||||
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213.茂福城 ・平城 | ||||||
茂福城(もちぶくじょう[1])は、かつて伊勢国朝明郡(北勢地方)に存在した日本の城。北勢四十八家・朝倉氏の居城。三重県四日市市富田地区茂福町里ノ内所在。四日市市市指定史跡[2]。 | ||||||
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214.大津城 ・平城 | ||||||
大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった日本の城。 | ||||||
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215.寺村城 ・平城 | ||||||
寺村城(てらむらじょう)は寺村氏によって築かれた日本の城(平城)である。寺村館(てらむらやかた)ともいわれる。 | ||||||
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216.長浜城 (近江国) ・平城 | ||||||
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町の豊公園内にある羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した日本の城跡。 | ||||||
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217.矢守城 ・平城 | ||||||
矢守城(やもりじょう)は滋賀県愛知郡愛荘町矢守にあった日本の城である。矢守氏によって築かれた平城であるとされている。 | ||||||
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218.京都新城 ・平城 | ||||||
京都新城(きょうとしんじょう)は、太閤豊臣秀吉が関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後、豊臣関白家の正式な邸宅として京都御所(禁裏)東南に構えた豊臣秀頼のための城郭風邸宅である。ただしその後は豊臣家から関白に任命された者はなく、秀頼が短期間利用した後は、秀吉の正室である高台院(北政所)が隠居屋敷として用いたのみであった。 | ||||||
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219.宮津城 ・平城 | ||||||
宮津城(みやづじょう)は、丹後国与謝郡[1]宮津(現・京都府宮津市鶴賀)にあった日本の城跡。現存していれば日本の海城を代表する城であった[2]。 | ||||||
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220.山科本願寺 ・平城 | ||||||
山科本願寺(やましなほんがんじ)は、京都市山科区にあった浄土真宗の寺院。本願寺第8世法主蓮如により、文明15年8月22日(1483年9月23日)に完成・建立。 | ||||||
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221.淀古城 ・平城 | ||||||
淀古城(よどこじょう)は、京都府京都市伏見区納所(のうそ)北城堀にあった日本の城。納所は木津・桂・宇治の三川が合流するポイントの北岸にあたりに築城され、3面を川に囲まれた天然の要害で、古くからの商業地「淀」の中核都市であった。 | ||||||
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222.芥川城 ・平城 | ||||||
芥川城(あくたがわじょう)は大阪府高槻市にある日本の城跡。同じ高槻市にある能勢頼則が築城した山城も芥川城と呼称されている。現在では便宜上、殿町周辺にあった城を「芥川城」、三好山にあった城を「芥川山城」と区別している。 | ||||||
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223.茨木城 ・平城 | ||||||
茨木城(いばらきじょう)は大阪府茨木市にあった日本の城である。現在の城跡は宅地化され、茨木神社に移築されたと言われている搦手門と茨木小学校に復元された櫓門がある程度で、城をしのばせるものはほとんど残っていない。 | ||||||
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224.江口城 ・平城 | ||||||
江口城(えぐちじょう)は大阪府大阪市東淀川区の旧江口村周辺にあったと言われている日本の城。 | ||||||
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225.榎並城 ・平城 | ||||||
榎並城(えなみじょう)は、摂津国東生郡榎並荘、現在の大阪府大阪市城東区野江付近にあった日本の城。ここの東側に存在した室町幕府料所河内十七箇所に因み、別名を十七箇所城(じゅうななかしょじょう)とも言った。 | ||||||
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226.大和田城 ・平城 | ||||||
大和田城(おおわだじょう)は、大阪市西淀川区大和田4丁目から5丁目付近にあった日本の城(平城)である。正確な位置や城郭、築城や廃城などの歴史については不明な点が多い。もともと戦国時代に砦があった場所に、石山合戦の時に織田信長の命に本格的な城郭として築城かれたのではないかと考えられている。 | ||||||
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227.柴島城 ・平城 | ||||||
柴島城(くにじまじょう)は、大阪府大阪市東淀川区にあった日本の城。 | ||||||
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228.三箇城 ・平城 | ||||||
三箇城(さんがじょう)は、大阪府大東市にあった城。 | ||||||
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229.積善寺城 ・平城 | ||||||
積善寺城(しゃくぜんじじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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230.高槻城 ・平城 | ||||||
高槻城(たかつきじょう)は、摂津国島上郡[1]高槻村(現・大阪府高槻市城内町)にあった日本の城(明治7年(1874年)まで存在)。入江城(いりえじょう)とも呼ばれる。大阪府指定史跡[2]。 | ||||||
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231.野田城 (河内国) ・平城 | ||||||
野田城(のだじょう)とは、河内国丹比郡野田荘(現在の大阪府堺市東区)に存在していた城。 | ||||||
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232.野田城 (摂津国) ・平城 | ||||||
野田城 (のだじょう)は、戦国時代の城郭。今の大阪府大阪市福島区玉川付近にあった日本の城(平城)である。 | ||||||
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233.堀城 ・平城 | ||||||
堀城(ほりじょう)は、大阪市淀川区にあった日本の城で、別名は中嶋城(なかじまじょう)とも言われている。 | ||||||
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234.三宅城 ・平城 | ||||||
三宅城(みやけじょう/みあけじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城である。宅地化、農地化がすすんで遺構などは地表上には存在せず、推定地として蔵垣内3丁目および丑寅2丁目が有力である[1]。 | ||||||
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235.若江城 ・平城 | ||||||
若江城(わかえじょう)は、南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に所在した日本の城(平城)。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。 | ||||||
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236.御着城 ・平城 | ||||||
御着城(ごちゃくじょう)は、播磨国飾磨郡(のち飾東郡)御着[1](現・兵庫県姫路市御国野町御着)にあった城郭である。茶臼山の上に築かれた城なので茶臼山城の別名を持ち、さらに、天川を堀の一部として利用していたことから天川城の別名も持つ。 | ||||||
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237.坂本城 (播磨国) ・平城 | ||||||
坂本城(さかもとじょう)は、現在の兵庫県姫路市書写にあった日本の城である[3]。別名は堀之城、または御構御所[4]。土塁の遺構が「坂本城跡土塁」として姫路市の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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238.志方城 ・平城 | ||||||
志方城(しかたじょう)は播磨国印南郡(兵庫県加古川市)にあった日本の城(平城)である。現在、本丸跡は宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校になっている。また西の丸跡は旧志方町役場であった。 | ||||||
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239.堀井城 ・平城 | ||||||
堀井城(ほりいじょう)は、兵庫県小野市河合西町字構46に所在する日本の城跡。城跡は、2020年(令和2年)4月1日に「堀井城跡ふれあい公園」として整備・公開されている[2]。 | ||||||
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240.山崎城 (播磨国) ・平城 | ||||||
山崎城(やまさきじょう)、または鹿沢城(しかさわじょう)は、現在の兵庫県宍粟市山崎町鹿沢にあたる播磨国宍粟郡山崎にあった日本の城(平城)。1679年(延宝7年)以降は山崎陣屋(やまさきじんや)となった。城跡は市街地化しているが、旧城門の「山崎藩陣屋門」(別名・紙屋門)が宍粟市指定有形文化財に指定されている[1][2]。 | ||||||
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241.英賀城 ・平城 | ||||||
英賀城(あがじょう)は、播磨国飾磨郡英賀[1](現・兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)にあった日本の城。別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と称された。 | ||||||
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242.尼崎城 ・平城 | ||||||
尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城である。江戸時代初期に築城された平城。 | ||||||
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243.伊丹城 ・平城 | ||||||
伊丹城(いたみじょう)は、摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)に存在した日本の城跡。有岡城(在岡城)(ありおかじょう)[1]とも言う。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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244.魚住城 ・平城 | ||||||
魚住城(うおずみじょう)は、兵庫県明石市大久保町西島(西嶋)にあった日本の城。現在は小さな公園に城址の碑が建つのみとなっている。 | ||||||
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245.加古川城 ・平城 | ||||||
加古川城(かこがわじょう)は播磨国印南郡[2]加古川村、現在の兵庫県加古川市加古川町本町にあった日本の城(平城)である。城跡は称名寺となっている。 | ||||||
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246.河合城 ・平城 | ||||||
河合城(かわいじょう)は兵庫県小野市新部町字構85-7に所在する日本の城跡。堀殿城・新部上月城とも言われる。 | ||||||
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247.窪之庄城 ・平城 | ||||||
窪之庄城(くぼのしょうじょう)は、奈良県奈良市に存在した中世の日本の城(平城)。 | ||||||
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248.小泉城 (大和国) ・平城 | ||||||
小泉城(こいずみじょう)は、奈良県大和郡山市小泉町(大和国添下郡)にあった日本の城(平城)。別名、片桐城、小泉陣屋とも呼ばれている。小泉陣屋時代は小泉藩の藩庁でもあった。 | ||||||
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249.辰市城 ・平城 | ||||||
辰市城(たついちじょう)は、奈良県奈良市東九条町に存在していた日本の城(平城)で短期間で築城した。また、大和最大の合戦である辰市城の合戦の舞台となった城である。 | ||||||
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250.筒井城 ・平城 | ||||||
筒井城(つついじょう)は奈良県大和郡山市筒井町にあった日本の城で、室町時代、戦国時代を通じて大和国の政治史の中心的存在であった興福寺衆徒筒井氏の居城であった。 | ||||||
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251.秋月城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
秋月城(あきづきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市にあった日本の城。 | ||||||
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252.太田城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
太田城(おおたじょう)は、戦国時代に和歌山県和歌山市太田に存在した日本の城。来迎寺が太田城の本丸跡と伝えられる。 | ||||||
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253.田辺城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
田辺城(たなべじょう)は、和歌山県田辺市にかつて存在した日本の城。別名は錦水城(きんすいじょう)、湊村城、湊城など。現在の田辺市街の西南端に位置し、会津川の河口左岸と海に隣接していた。遺構として石垣と水門が残る。水門は田辺市指定史跡[1]。 | ||||||
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254.中津城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
中津城(なかつじょう)は、紀伊国(現、和歌山県和歌山市)にあった日本の城である。 | ||||||
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255.中野城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市中野にあった日本の城。 | ||||||
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256.今倉城 ・平城 | ||||||
今倉城(いまくらじょう)はかつて鳥取県倉吉市福光に存在した日本の城。島田城ともいわれる。 | ||||||
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257.槻下豪族館 ・平城 | ||||||
槻下豪族館(つきのしたごうぞくかん)は鳥取県東伯郡琴浦町槻下にかつて存在した館跡。琴浦町指定史跡。 | ||||||
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258.俣野の土居城 ・平城 | ||||||
俣野の土居城(またののどいじょう)は、鳥取県日野郡江府町俣野に存在した館跡(日本の城)。標高348m、比高30m程の丘の上に存在していた。 | ||||||
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259.山名氏豊館 ・平城 | ||||||
山名氏豊館(やまなうじとよやかた)はかつて鳥取県倉吉市東町に存在していた城郭。 | ||||||
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260.淀江城 ・平城 | ||||||
淀江城(よどえじょう)は、鳥取県米子市淀江町淀江に所在した日本の城。JR淀江駅前付近が城跡である。 | ||||||
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261.三宅御土居跡 ・平城 | ||||||
三宅御土居跡(みやけおどいあと)は、島根県益田市三宅町にある城館跡。同市七尾町・大谷町にある七尾城(益田城)とともに国の史跡「益田氏城館跡」に指定されている。 | ||||||
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262.冠山城 ・平城 | ||||||
冠山城(かんむりやまじょう)は、岡山県岡山市下足守にあった日本の城。 | ||||||
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263.倉敷城 ・平城 | ||||||
倉敷城(くらしきじょう)は、かつて岡山県倉敷市本町(備中国窪屋郡倉敷村)にあった日本の城である。倉敷山城(くらしきやまじょう)、小野城(おのじょう)、小野ヶ城(おのがじょう)とも呼ばれる[1]。 | ||||||
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264.撫川城 ・平城 | ||||||
撫川城(なつかわじょう)は、岡山県岡山市北区撫川に築かれた江戸時代の日本の城、または徳川政権下の旗本の知行所・旗本陣屋。別名・芝場城。県の指定史跡第1号である[1]。江戸時代に、戦国時代以前の庭瀬城跡に旗本戸川氏の知行所「撫川陣屋」が置かれた。 | ||||||
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265.庭瀬城 ・平城 | ||||||
庭瀬城(にわせじょう)は、岡山県岡山市北区にある城跡である。戦国時代に築城されたが、江戸時代初頭に廃城となり、同地の二之丸に庭瀬藩庁を設け、庭瀬陣屋(にわせじんや)となった。別名芝場城(しばのじょう)。現在でも庭瀬地区には堀が張り巡らされており、城下町の名残りが色濃く残っている。 | ||||||
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266.山口城 ・平城 | ||||||
山口城(やまぐちじょう)は、現在の山口県山口市滝町にあたる周防国山口にあった日本の城である。山口屋形・山口政庁・山口政事堂などとも呼ばれていた[1][2]。表門(旧山口藩庁門)など一部が現存する。 | ||||||
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267.秋月城 (阿波国) ・平城 | ||||||
秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄、現在の徳島県阿波市土成町秋月にあった日本の城。阿波市指定史跡[1]。 | ||||||
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268.今切城 ・平城 | ||||||
今切城(いまぎれじょう)は、徳島県徳島市春日にあった日本の城。 | ||||||
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269.蔵本城 ・平城 | ||||||
蔵本城(くらもとじょう)は、徳島県徳島市蔵本元町にあった日本の城。 | ||||||
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270.小仁宇城 ・平城 | ||||||
小仁宇城(こにうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町小仁宇字船津の上にあった日本の城跡。 | ||||||
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271.西条城 (阿波国) ・平城 | ||||||
西条城(さいじょうじょう)は、徳島県阿波市吉野町西条にあった日本の城。別名は西条東城、戎城、西城。 | ||||||
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272.貞光城 ・平城 | ||||||
貞光城(さだみつじょう)は、徳島県美馬郡つるぎ町にあった日本の城。別名は野口城。 | ||||||
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273.七条城 ・平城 | ||||||
七条城(しちじょうじょう)は、徳島県板野郡上板町七條にあった日本の城。 | ||||||
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274.松鶴城 ・平城 | ||||||
松鶴城(しょうかくじょう)は、徳島県阿南市椿泊町にあった日本の城。別名は椿泊城。 | ||||||
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275.仁宇城 ・平城 | ||||||
仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇・和食(わじき)にあった日本の城。別名は和食城、仁宇山城。 | ||||||
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276.板西城 ・平城 | ||||||
板西城(ばんざいじょう)は、現在の徳島県板野郡板野町古城にあった日本の城。板野町指定史跡。 | ||||||
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277.作山城 ・平城 | ||||||
作山城(つくりやまじょう)は、香川県高松市香西南町にあった日本の城である。 | ||||||
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278.仲村城 ・平城 | ||||||
仲村城(なかむらじょう)は、香川県善通寺市にある日本の城跡。 | ||||||
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279.鷺ノ森城 ・平城 | ||||||
鷺ノ森城(さぎのもりじょう)は、愛媛県西条市壬生川(にゅうがわ)にかつて存在した日本の城である。鷺森城・鷺の森城とも書く。 | ||||||
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280.松前城 (伊予国) ・平城 | ||||||
松前城(まさきじょう)は伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。 | ||||||
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281.下田城 (土佐国) ・平城 | ||||||
下田城(しもだじょう)は高知県に存在した中世の日本の城(平城)。 | ||||||
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282.秋月城 ・平城 | ||||||
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった江戸時代の日本の城(平城・陣屋)である。秋月陣屋(あきづきじんや)ともいう[3]。城跡は福岡県指定史跡に指定され[1]、本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定されている[2]。 | ||||||
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283.城島城 ・平城 | ||||||
城島城(じょうじまじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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284.鷹尾城 (筑後国) ・平城 | ||||||
鷹尾城(たかおじょう)は福岡県柳川市大和町鷹ノ尾に存在した日本の城(平城)。柳川市指定史跡[1]。矢部川と塩塚川によって形成された平野の西方、矢部川右岸の自然堤防上に位置する。城の範囲は東西100メートル、南北80メートルほどであったという。 | ||||||
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285.西牟田城 ・平城 | ||||||
西牟田城(にしむたじょう)は、福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。鹿児島県薩摩川内市の西牟田にも西牟田城があったが、これは別のもの。 | ||||||
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286.溝口城 (筑後国) ・平城 | ||||||
溝口城(みぞぐちじょう)は福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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287.柳川城 ・平城 | ||||||
柳川城(柳河城とも。やながわじょう)は福岡県柳川市本城町にあった日本の城。江戸時代には柳川藩の藩庁が置かれた。別名、舞鶴城(まいづるじょう)。本丸は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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288.陣の森城 ・平城 | ||||||
陣の森城(じんのもりじょう)は佐賀県に存在した平城。 | ||||||
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289.高木城 ・平城 | ||||||
高木城(たかぎじょう)は、佐賀県に存在した平城。佐賀市の佐賀平野に位置する。 | ||||||
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290.高田城 (肥前国) ・平城 | ||||||
高田城(たかだじょう)は佐賀県に存在した平城。小城市三日月町金田遠江の佐賀平野に位置する。 | ||||||
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291.常広城 ・平城 | ||||||
常広城(つねひろじょう)は佐賀県鹿島市常広に存在した平城。 | ||||||
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292.牟田城 ・平城 | ||||||
牟田城(むたじょう)、または本告城(もとおいじょう)は佐賀県神埼市本告牟田に存在した平城。本折城とも。 | ||||||
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293.与賀城 ・平城 | ||||||
与賀城(よかじょう)は、現在の佐賀県佐賀市与賀町にあった日本の城。 | ||||||
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294.横造城 ・平城 | ||||||
横造城(よこぞうじょう)は佐賀県鹿島市に存在した平城。 | ||||||
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295.姉川城 ・平城 | ||||||
姉川城(あねがわじょう)は佐賀県神埼市に存在した平城。国の史跡。 | ||||||
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296.小城城 ・平城 | ||||||
小城城(おぎじょう)は佐賀県小城市に存在した平城。 | ||||||
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297.鹿島城 (肥前国) ・平城 | ||||||
鹿島城(かしまじょう)は、佐賀県鹿島市高津原城内に存在した平城。 | ||||||
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298.蒲田江城 ・平城 | ||||||
蒲田江城(かまたえじょう)は佐賀県に存在した平城。佐賀平野に築かれ、現在の佐賀市に位置する。 | ||||||
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299.崎村城 ・平城 | ||||||
崎村城(さきむらじょう)は佐賀県に存在した平城。 | ||||||
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300.金石城 ・平城 | ||||||
金石城(かねいしじょう)は、長崎県対馬市厳原町にあった城である。市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう[1]。 | ||||||
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301.桟原城 ・平城 | ||||||
桟原城(さじきはらじょう)または桟原屋形(さじきばるやかた)は、長崎県対馬市厳原町桟原にあった城郭で、対馬府中藩3代藩主宗義真が金石城を拡張整備したのと同時期に新築された藩主の屋形。金石城からは市街をはさんで北東隣に位置する。 | ||||||
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302.内牧城 ・平城 | ||||||
内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。 | ||||||
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303.時枝城 ・平城 | ||||||
時枝城(ときえだじょう)は、かつて大分県宇佐市下時枝に存在した城。宇佐神宮弥勒寺の寺務方であった時枝氏の居城。 | ||||||
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304.内城 ・平城 | ||||||
内城(うちじょう)は、鹿児島県鹿児島市大竜町にあった島津氏の日本の城。 | ||||||
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305.加治木城 ・平城 | ||||||
加治木城(かじきじょう)は鹿児島県姶良市加治木町反土にあった日本の城(中世城郭)。1607年(慶長12年)、島津義弘がこの地に移ったときに麓に加治木館を作り、加治木城はその「後詰めの城」となった。 | ||||||
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306.三重城 ・平城 | ||||||
三重城(みえぐすく、沖縄語:みーぐしく)は、沖縄県那覇市にある琉球のグスクである。那覇港の国場川北側の河口に位置している。 | ||||||
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