1.松前城 ・平山城 | ||||||
松前城(まつまえじょう)は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡[1])福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)。江戸時代、公式には福山城(ふくやまじょう)と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた[2]。 | ||||||
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2.浅水城 ・平山城 | ||||||
浅水城(あさみずじょう)は、青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。四戸城の候補地。浅水川左岸の丘陵に位置し[3]、曲輪は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪からなる。浅水川を挟んだ対岸には浅水館、工藤屋敷と呼ばれる城館があった[2]。 | ||||||
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3.浅瀬石城 ・平山城 | ||||||
浅瀬石城(あせいしじょう)は、青森県黒石市大字浅瀬石字龍ノ口および大字浅瀬石字山辺[2]にあった日本の城(平山城)である。別名・汗石城。 | ||||||
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4.油川城 ・平山城 | ||||||
油川城(あぶらかわじょう)は、青森県青森市大字西田沢字浜田・字山辺(旧陸奥国)に所在した日本の城。 | ||||||
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5.飯詰城 ・平山城 | ||||||
飯詰城(いいづめじょう)は青森県五所川原市飯詰にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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6.沖館城 ・平山城 | ||||||
沖館城(おきだてじょう)は青森県平川市沖館宮崎[2]にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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7.奥瀬館 ・平山城 | ||||||
奥瀬館(おくせだて)は、青森県十和田市奥瀬に所在した日本の城。奥入瀬川の支流・片淵川右岸の台地を利用した東西50メートル、南北100メートル規模の平山城で、曲輪内には井戸跡・馬場跡が残されている。 | ||||||
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8.上名久井館 ・平山城 | ||||||
上名久井館(かみなくいだて)は、青森県三戸郡南部町上名久井に所在した城館跡。別称「名久井館」。 | ||||||
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9.剣吉館 ・平山城 | ||||||
剣吉館(けんよしたて)は、青森県三戸郡南部町剣吉に所在した日本の城。 | ||||||
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10.小栗山館 ・平山城 | ||||||
小栗山館(こぐりやまやかた)は青森県弘前市小栗山にあった館(日本の城)。 | ||||||
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11.沢田館 ・平山城 | ||||||
沢田館(さわだだて)は、青森県十和田市沢田に所在した日本の城。 | ||||||
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12.野辺地城 ・平山城 | ||||||
野辺地城(のへじじょう)は、青森県上北郡野辺地町字野辺地に所在した日本の城。別名・金鶏城(きんけいじょう)。城跡は「野辺地代官所跡」として野辺地川右岸沿いの同町中央公民館敷地内に位置し、「城内」の字名が残る[1][4]。 | ||||||
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13.洞内城 ・平山城 | ||||||
洞内城(ほらないじょう)は、青森県十和田市洞内に所在した日本の城。 | ||||||
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14.和徳城 ・平山城 | ||||||
和徳城(わとくじょう)は、青森県弘前市和徳町(わとくまち/わっとくまち)にあったとされる日本の城である。郷土料理「けの汁」発祥の地とする伝承がある[4]。 | ||||||
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15.岩崎城 (陸奥国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、岩手県北上市和賀町岩崎にある日本の城。領主・和賀氏一族の居城。 | ||||||
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16.鹿島館 ・平山城 | ||||||
鹿島館(かしまだて)は、 岩手県北上市上鬼柳5地割に所在した日本の城。別称は鬼柳鹿島館[2]・鬼柳城。 | ||||||
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17.軽米城 ・平山城 | ||||||
軽米城(かるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。軽米町中心街を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯を城跡とした。 | ||||||
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18.郡山城 (陸奥国紫波郡) ・平山城 | ||||||
郡山城(こおりやまじょう)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。別称 高水寺城(こうすいじじょう)。紫波町指定史跡[1]。 | ||||||
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19.雫石城 ・平山城 | ||||||
雫石城(しずくいしじょう)は、岩手県岩手郡雫石町字古館に所在した日本の城。別称・雫石御所、滴石城。 | ||||||
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20.千徳城 ・平山城 | ||||||
千徳城(せんとくじょう)は、岩手県宮古市千徳町に存在した日本の城。一戸千徳氏の居城として知られる。 | ||||||
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21.田鎖城 ・平山城 | ||||||
田鎖城(たくさりじょう)は、岩手県宮古市にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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22.花巻城 ・平山城 | ||||||
花巻城(はなまきじょう)は、岩手県花巻市花城町に所在した日本の城。古くは鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれた。花巻市指定史跡(本丸跡)[1]。盛岡藩の花巻郡代歴代の居城であり、関ヶ原の戦いの際にこの城で行われた花巻城の夜討ちは地元民や岩手県民の語り草となっている。 | ||||||
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23.払川館 ・平山城 | ||||||
払川館(はらいかわだて)は、岩手県宮古市に所在した日本の城。別称・津軽石館。城跡を津軽石川が巡り、丘陵上の頂上平坦部は東西190メートル×南北195メートルで主郭、二郭、三郭、大手門跡、空堀が造られ、麓には城下町も従えていたが、いまは川原になって跡形も残っていない。 | ||||||
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24.晴山館 ・平山城 | ||||||
晴山館(はれやまたて)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。 | ||||||
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25.二子城 ・平山城 | ||||||
二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名・飛勢城(とばせじょう)。 | ||||||
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26.津久毛橋城 ・平山城 | ||||||
津久毛橋城(つくもはしじょう)または津久裳橋城[2]は、現在の宮城県栗原市金成津久毛にあたる陸奥国栗原郡内にあった南北朝時代の日本の城である。1341年(北朝:暦応4年/南朝:興国2年)に南朝方の北畠顕信が築いた。 | ||||||
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27.涌谷城 ・平山城 | ||||||
涌谷城(わくやじょう)は、宮城県遠田郡涌谷町にあった日本の城(平山城)。別名涌谷要害。 | ||||||
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28.亘理城 ・平山城 | ||||||
亘理城(わたりじょう)は、陸奥国亘理郡(宮城県亘理郡亘理町)にあった日本の城。地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた。 | ||||||
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29.大衡城 ・平山城 | ||||||
大衡城(おおひらじょう)は、宮城県黒川郡大衡村塩浪にある日本の城跡(平山城)。別名・越路舘。城跡は大衡城跡公園として整備されている[2]。 | ||||||
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30.角田城 ・平山城 | ||||||
角田城(かくだじょう)は宮城県角田市角田(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、以後は角田要害と称した。金鶏館とも称した[2]。 | ||||||
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31.坂元城 ・平山城 | ||||||
坂元城(さかもとじょう)、または蓑首城(みのくびじょう)は、宮城県亘理郡山元町(陸奥国亘理郡)にあった城。町指定史跡[1]。 | ||||||
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32.佐沼城 ・平山城 | ||||||
佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市迫町佐沼字内町にあった日本の城。別名・鹿ヶ城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。登米市指定史跡[1]。 | ||||||
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33.岩崎城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、出羽国雄勝郡、現在の秋田県湯沢市に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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34.大館城 ・平山城 | ||||||
大館城(おおだてじょう)は、かつて秋田県大館市にあった日本の城。桂城(かつらじょう)とも呼ばれる。城跡は桂城公園(けいじょうこうえん)として整備されている。 | ||||||
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35.柏崎館 ・平山城 | ||||||
柏崎館(かしわざきたて)は、秋田県鹿角市十和田毛馬内に所在した日本の城。別称・毛馬内城(けうまないじょう)。 | ||||||
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36.久保田城 ・平山城 | ||||||
久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田、現在の秋田県秋田市千秋公園近辺にあった城郭。史跡指定はされていないが、「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されている[1]。また日本100名城の第9番に選定されている[2]。 | ||||||
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37.花輪館 ・平山城 | ||||||
花輪館(はなわたて)は、秋田県鹿角市花輪町に所在した日本の城。 | ||||||
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38.本荘城 ・平山城 | ||||||
本荘城(ほんじょうじょう)は、秋田県由利本荘市にある中世からの平山城跡。江戸時代には本荘藩の藩庁が置かれた。別名は鶴舞城。尾崎城とも。 | ||||||
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39.鮎貝城 ・平山城 | ||||||
鮎貝城(あゆかいじょう)は、出羽国置賜郡鮎貝(現在の山形県西置賜郡白鷹町鮎貝)[2]に存在した日本の城(平山城)。本丸跡は白鷹町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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40.荒砥城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
荒砥城(あらとじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲に存在した日本の城(平山城)。城跡は1989年(平成元年)4月5日付で白鷹町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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41.上山城 ・平山城 | ||||||
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。上山市指定史跡[1]。 | ||||||
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42.清水城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
清水城(しみずじょう)は、山形県最上郡大蔵村清水、比良にあった日本の城。形式は平山城である。山形県指定史跡[1]。 | ||||||
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43.館山城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
館山城(たてやまじょう)は、山形県米沢市館山(出羽国置賜郡)にあった日本の城(中世の城跡)。「舘山城」と表記されることもある[1]。発掘調査により戦国時代の伊達氏の本拠地との説が出され注目されている。城跡は国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
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44.大田原城 ・平山城 | ||||||
大田原城(おおたわらじょう)は、1543年に大田原資清によって下野国大田原の蛇尾川西岸、比高約25メートルの龍体山に築かれた日本の城(平山城)。 | ||||||
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45.牛久城 ・平山城 | ||||||
牛久城(うしくじょう)は、茨城県牛久市城中にあった日本の城。 | ||||||
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46.海老ヶ島城 ・平山城 | ||||||
海老ヶ島城(えびがしまじょう)とは日本の城で茨城県筑西市(旧・真壁郡明野町)松原にあった。 | ||||||
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47.太田城 (常陸国) ・平山城 | ||||||
太田城(おおたじょう)は、常陸国にあった日本の城。現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。 | ||||||
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48.岡見城 ・平山城 | ||||||
岡見城(おかみじょう)は茨城県牛久市岡見町にあった日本の城。 | ||||||
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49.小坂城 ・平山城 | ||||||
小坂城(おさかじょう)は茨城県牛久市小坂町にあった戦国時代の日本の城。牛久市指定史跡。 | ||||||
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50.久野城 ・平山城 | ||||||
久野城(くのじょう)は茨城県牛久市久野町にあった日本の城。 | ||||||
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51.高井城 (下総国) ・平山城 | ||||||
高井城(たかいじょう)は、現在の茨城県取手市下高井に存在した日本の城である。 | ||||||
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52.東林寺城 ・平山城 | ||||||
東林寺城(とうりんじじょう)は茨城県牛久市新地町にあった日本の城。 | ||||||
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53.野口城 (常陸国) ・平山城 | ||||||
野口城(のぐちじょう)は、常陸国那珂郡野口にあった日本の城。現在の茨城県常陸大宮市野口にあたる。常陸大宮市指定史跡。 | ||||||
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54.見川城 ・平山城 | ||||||
見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城。 | ||||||
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55.結城城 ・平山城 | ||||||
結城城(ゆうきじょう)は茨城県結城市結城にあった日本の城。室町時代には結城合戦の舞台となった事で知られる。江戸時代には結城藩の藩庁が置かれた。結城市指定史跡[1]。 | ||||||
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56.岡城 (下野国) ・平山城 | ||||||
岡城(おかじょう)は、栃木県矢板市大字片岡小字梶ヶ沢にあった日本の城。平安時代末期、または戦国時代の築城とされる[2]。文禄4年(1595年)2月8日廃城。 | ||||||
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57.勝山城 (下野国) ・平山城 | ||||||
勝山城(かつやまじょう)は、現在の栃木県さくら市にあった中世の日本の城である。 | ||||||
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58.鹿沼城 ・平山城 | ||||||
鹿沼城(かぬまじょう)は、下野国都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)にあった日本の城である。 | ||||||
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59.勧農城 ・平山城 | ||||||
勧農城(かんのうじょう)または岩井山城(いわいやまじょう)は、栃木県足利市岩井町の岩井山にあった中世の日本の城(平山城)。足利市指定史跡[2]。 | ||||||
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60.籠谷城 ・平山城 | ||||||
籠谷城(こもりやじょう)は栃木県真岡市大字下籠谷字山前にあった日本の城。篭谷城とも書く | ||||||
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61.佐野城 ・平山城 | ||||||
佐野城(さのじょう)は、下野国安蘇郡佐野、現在の栃木県佐野市若松町に築かれた日本の城(平山城)である。別名春日岡城・春日城・姥城(うばがじょう)。佐野市指定史跡[1]。 | ||||||
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62.飛山城 ・平山城 | ||||||
飛山城(とびやまじょう)は、下野国(現在の栃木県宇都宮市竹下町)にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣・芳賀氏の居城であった。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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63.生田目城 ・平山城 | ||||||
生田目城(なばためじょう)は、現在の栃木県芳賀郡益子町大字生田目字館山にあった日本の城。県道41号線の東側の山麓地帯にある平山城であった。城主ははっきりとは解っていないが同地を治めていた益子氏の家臣に生田目氏がいることから、その居城ではなかったかと思われている。 | ||||||
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64.成田城 (下野国) ・平山城 | ||||||
成田城(なりたじょう)は、栃木県矢板市大字沢村小字大久保に存在した日本の城(陣城)。別称として大久保城(おおくぼじょう)。 | ||||||
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65.真岡城 ・平山城 | ||||||
真岡城(もおかじょう)は、現在の栃木県真岡市台町にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城であった。別称、芳賀城ともいう。 | ||||||
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66.箱田城 ・平山城 | ||||||
箱田城(はこだじょう)は、群馬県渋川市北橘町下箱田(旧勢多郡北橘村箱田)にあった室町時代から戦国時代にかけての日本の城(平山城)。渋川市指定史跡[1]。 | ||||||
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67.平井城 ・平山城 | ||||||
平井城(ひらいじょう)は、現在の群馬県藤岡市にあった日本の城である。群馬県指定史跡[1]。 | ||||||
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68.大胡城 ・平山城 | ||||||
大胡城(おおごじょう)は、群馬県前橋市河原浜町にあった中世の日本の城(平山城跡)で、大胡氏・上泉氏の居城であった。後の近世初頭に徳川氏家臣・牧野氏が入り城主になった。群馬県指定史跡[1]。天文年間(1532年 - 1555年)に築城されたとされ、元和2年(1616年)廃城となった。 | ||||||
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69.膳城 ・平山城 | ||||||
膳城(ぜんじょう)は、群馬県前橋市粕川町膳にあった室町時代から戦国時代にかけての日本の城(平山城)。群馬県指定史跡[1]。 | ||||||
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70.川越城 ・平山城 | ||||||
川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にある日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。 | ||||||
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71.北秋津城 ・平山城 | ||||||
北秋津城(きたあきつじょう)は、埼玉県所沢市北秋津にあった日本の城。歴史的な背景が殆ど伝わっていない城であり、『柳瀬川流域の歴史と文化』の著者の栗原仲道は大石遠江守信重の館とし、所沢市史では鎌倉時代以降の豪族(一説には久米郷が近い事から村山党の久米氏)の館と推測している。[1]また、滝山、八王子領の交通網や滝の城との繋がりを考慮すると後北条氏が何らかの拠点として使用していた可能性も考えられる。[2]付近にある日月神社の案内板に書かれている民間伝承によると『この土地の殿様がいつも領民に無理難題ばかりを吹きかけて困らせており、ある時に無理な願いを叶えた代わりに神罰によって声を失った』と伝わっているが、この殿様が北秋津城主の事だと言われている。 | ||||||
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72.滝の城 ・平山城 | ||||||
滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市 城に所在した日本の城である。同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。 今日では本丸跡に「城山神社」が祀られ、その南側を中心に滝の城址公園(たきのじょうしこうえん)として整備され、梅・桜の木や運動施設などが揃う公園となっている。 | ||||||
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73.山口城 (武蔵国) ・平山城 | ||||||
山口城(やまぐちじょう)は、埼玉県所沢市山口にあった日本の城。1962年(昭和37年)10月1日付で埼玉県指定旧跡[1]。狭山丘陵の標高79-90メートルの南斜面に所在し、南麓部は柳瀬川が流れている。 | ||||||
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74.我孫子城 ・平山城 | ||||||
我孫子城(あびこじょう)は、下総国相馬郡(現在の千葉県我孫子市我孫子)にあった日本の城である。 | ||||||
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75.有吉城 ・平山城 | ||||||
有吉城(ありよしじょう)は、千葉市緑区おゆみ野有吉にあった日本の城。 | ||||||
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76.一宮城 (上総国) ・平山城 | ||||||
一宮城(いちのみやじょう)は、千葉県(上総国)長生郡一宮町城ノ内に存在した日本の城。一宮町指定史跡[1]。通称「城山」。中世末期に一旦廃城となったが、江戸時代後期に一宮藩の陣屋として再建され、一宮陣屋(いちのみやじんや)と称した。 | ||||||
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77.亥鼻城 ・平山城 | ||||||
亥鼻城(いのはなじょう)は、千葉県千葉市中央区亥鼻(旧:下総国)にあった日本の城(平山城)。通称は千葉城。周辺は亥鼻公園(歴史公園)として整備され、土塁、堀切などが現存する城跡は市の文化財に指定されている[1]。 | ||||||
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78.岩富城 ・平山城 | ||||||
岩富城(いわとみじょう)は、千葉県佐倉市岩富町にあった日本の城である。 | ||||||
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79.大網城 ・平山城 | ||||||
大網城(おおあみじょう)は、現在の千葉県大網白里市にあった戦国時代に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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80.大友城 ・平山城 | ||||||
大友城(おおともじょう)は、千葉県東庄町大友にあった日本の城。 | ||||||
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81.小弓城 ・平山城 | ||||||
小弓城(おゆみじょう)は、現在の千葉県千葉市中央区南生実町に存在した日本の城。南生実城(みなみおゆみじょう)とも呼ばれる。 | ||||||
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82.生実城 ・平山城 | ||||||
生実城(おゆみじょう)は、千葉市中央区生実町にあった日本の城。北生実城・北小弓城(きたおゆみじょう)とも言われる。近世以降は生実藩の陣屋(生実陣屋)がおかれた。 | ||||||
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83.久寺家城 ・平山城 | ||||||
久寺家城(くじけじょう)は、下総国(現在の千葉県我孫子市久寺家)にあった日本の城である。同城についての記録は全くなく、詳細は不明である。 | ||||||
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84.久保田城 (上総国) ・平山城 | ||||||
久保田城(くぼたじょう)は、上総国望陀郡(現在の千葉県袖ケ浦市久保田字浜宿)にあった日本の城。 | ||||||
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85.蔵波城 ・平山城 | ||||||
蔵波城(くらなみじょう)は、かつて千葉県袖ケ浦市蔵波にあった日本の城。 | ||||||
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86.栗ケ沢城 ・平山城 | ||||||
栗ケ沢城(くりがさわじょう)は、現在の千葉県松戸市栗ケ沢字北之内及び同市根木内字殿内、同市小金原にかけてあった日本の城。室町時代後期から、戦国・安土桃山時代にかけて存在したとされている。 | ||||||
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87.小金城 ・平山城 | ||||||
小金城(こがねじょう)は下総国葛飾郡(現在の千葉県松戸市大谷口付近)にあった日本の城である。 | ||||||
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88.小西城 ・平山城 | ||||||
小西城(こにしじょう)は、現在の千葉県大網白里市にあった戦国時代に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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89.椎津城 ・平山城 | ||||||
椎津城(しいづじょう)は、千葉県市原市椎津にあった日本の城。千葉県指定史跡。 | ||||||
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90.志摩城 ・平山城 | ||||||
志摩城(しまじょう)は、千葉県香取郡多古町島にあった日本の城。 | ||||||
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91.城城 ・平山城 | ||||||
城城(じょうじょう/しろのじょう)は現在の千葉県佐倉市城(じょう)に存在した日本の城(平山城)である。 | ||||||
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92.城ノ腰城 (下総国) ・平山城 | ||||||
城ノ腰城(じょうのこしじょう)は、千葉市若葉区大宮町にあった日本の城である。 | ||||||
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93.城山城 (下総国) ・平山城 | ||||||
城山城(しろやまじょう)は、千葉市若葉区大宮町にあった日本の城である。 | ||||||
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94.高品城 ・平山城 | ||||||
高品城(たかしなじょう)は、現在の千葉県千葉市若葉区高品町にあった日本の城。 | ||||||
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95.高根城 ・平山城 | ||||||
高根城(たかねじょう)は現在の千葉県船橋市高根町字城高山にあった中世の日本の城である。 | ||||||
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96.武石館 ・平山城 | ||||||
武石館(たけいしやかた、たけしやかた)は、千葉市花見川区武石町にあった日本の城。 | ||||||
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97.多古城 ・平山城 | ||||||
多古城(たこじょう)は、千葉県香取郡多古町にあった日本の城。 | ||||||
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98.津辺城 ・平山城 | ||||||
津辺城(つべじょう)は千葉県山武市(旧成東町)にあった日本の城。 | ||||||
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99.手賀城 ・平山城 | ||||||
手賀城(てがじょう)は、下総国にあたる現在の千葉県柏市手賀字城内にあった日本の城[3]。 | ||||||
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100.東金城 ・平山城 | ||||||
東金城(とうがねじょう)は、千葉県東金市東金の八鶴湖畔の本漸寺後方の台地上にあった日本の城である。1521年(大永元年)に戦国武将である酒井定隆と酒井隆敏が土気城から田間城を経て東金へ移り、築いたといわれる。別名:鴇ケ根城(ときがねじょう)。東金市指定史跡[1]。 | ||||||
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101.長沼城 (下総国) ・平山城 | ||||||
長沼城(ながぬまじょう)は、千葉県成田市長沼にあった日本の城。結城氏の一族長沼氏の居城であった。 | ||||||
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102.中峠城 ・平山城 | ||||||
中峠城(なかびょうじょう)は、現在の千葉県我孫子市中峠にあたる下総国相馬郡にあった日本の城である。芝原城(しばはらじょう)ともいう[2]。 | ||||||
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103.名古屋城 (下総国) ・平山城 | ||||||
名古屋城(なごやじょう)は現在の千葉県成田市に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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104.夏見城 ・平山城 | ||||||
夏見城(なつみじょう)は現在の千葉県船橋市夏見にあった中世の日本の城である。 | ||||||
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105.成東城 ・平山城 | ||||||
成東城(なるとうじょう)は、千葉県山武市成東町にあった日本の城。 | ||||||
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106.根木内城 ・平山城 | ||||||
根木内城(ねぎうちじょう)は、現在の千葉県松戸市根木内字城ノ内にあった日本の城。 | ||||||
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107.布佐城 ・平山城 | ||||||
布佐城(ふさじょう)は、下総国相馬郡にあたる現在の千葉県我孫子市布佐にあった日本の城。和田城という別名をもつ。 | ||||||
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108.松戸城 ・平山城 | ||||||
松戸城(まつどじょう)は、戦国時代に現在の千葉県松戸市松戸に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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109.森山城 ・平山城 | ||||||
森山城(もりやまじょう)は、下総国香取郡(現在の千葉県香取市岡飯田)にあった日本の城。 | ||||||
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110.米本城 ・平山城 | ||||||
米本城(よなもとじょう)は千葉県八千代市にあった日本の城である。米本城跡。地元では「龍牙城(りゅうげじょう)」などと呼ばれている。 | ||||||
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111.赤塚城 ・平山城 | ||||||
赤塚城(あかつかじょう)は、現在の東京都板橋区赤塚五丁目にあった日本の城。城跡は東京都立赤塚公園の一部として整備され、広場、梅林、桜並木などがある[3]。 | ||||||
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112.小野路城 ・平山城 | ||||||
小野路城(おのじじょう)は、東京都町田市小野路町にあった日本の城である。 | ||||||
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113.勝沼城 ・平山城 | ||||||
勝沼城(かつぬまじょう)は、東京都青梅市にあった日本の城。別名は師岡城(もろおかじょう)。東京都指定史跡[1]。 | ||||||
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114.渋谷城 ・平山城 | ||||||
渋谷城(しぶやじょう)は現在の東京都渋谷区に存在した日本の城(平山城)である。 | ||||||
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115.志村城 ・平山城 | ||||||
志村城(しむらじょう)は東京都板橋区志村2丁目にあった日本の城。 | ||||||
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116.練馬城 ・平山城 | ||||||
練馬城(ねりまじょう)は、現在の東京都練馬区向山にあった室町時代の日本の城である。 | ||||||
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117.平塚城 ・平山城 | ||||||
平塚城(ひらつかじょう)は、武蔵国豊嶋郡(東京都北区)にあった日本の城。別名は豊島城。 | ||||||
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118.青木城 (武蔵国) ・平山城 | ||||||
青木城(あおきじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区高島台にあった16世紀の日本の城。現在の本覚寺付近とされ、小田原の後北条氏被官・多米氏の居城とされる。 | ||||||
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119.新井城 ・平山城 | ||||||
新井城(あらいじょう)は、神奈川県三浦市三崎町小網代(こあじろ)に所在する日本の城跡。荒井城・小網代城・三崎城とも。相模三浦氏の本拠地とされる。 | ||||||
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120.泉小次郎親衡館 ・平山城 | ||||||
泉小次郎親衡館(いずみこじろうちかひらやかた)、または中和田城(なかわだじょう)は神奈川県横浜市泉区和泉中央南の泉中央公園にある日本の城跡。1213年(建暦3年)に起きた北条義時打倒未遂事件(泉親衡の乱)の首謀者・泉親衡の居館とする伝承がある。横浜市地域史跡[1]。 | ||||||
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121.大庭城 ・平山城 | ||||||
大庭城(おおばじょう)は、神奈川県藤沢市大庭にあった日本の城。城跡には現在も多くの遺構が残り、大庭城址公園として整備されている。2021年(令和3年)に「大庭城跡」として藤沢市指定史跡に指定された[1]。 | ||||||
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122.岡津城 ・平山城 | ||||||
岡津城(おかづじょう)は神奈川県横浜市泉区岡津町(相模国鎌倉郡)にあったとされる室町時代から戦国時代にかけての山城。 | ||||||
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123.小田原城 ・平山城 | ||||||
小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての城(平山城)。北条氏の本拠地として有名である。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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124.権現山城 ・平山城 | ||||||
権現山城(ごんげんやまじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷にあった日本の城である。 | ||||||
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125.玉縄城 ・平山城 | ||||||
玉縄城(たまなわじょう)は、旧相模国鎌倉郡玉縄村、現在の神奈川県鎌倉市玉縄地域城廻にあった日本の城(平山城)。甘縄城ともいう。最寄の鉄道駅はJR大船駅。 | ||||||
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126.三崎城 ・平山城 | ||||||
三崎城(みさきじょう)は、現在の神奈川県三浦市城山町に存在した日本の城。または三浦城。相模三浦氏の本拠地で後に後北条氏が領する。 | ||||||
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127.蒲原津城 ・平山城 | ||||||
蒲原津城(かんばらのつじょう)は、現在の新潟県新潟市中央区万代島にあったと推定される日本の城。 | ||||||
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128.雑太城 ・平山城 | ||||||
雑太城(さわだじょう)は、佐渡国雑太郡、現在の新潟県佐渡市佐和田大字竹田字内新川に存在した日本の城(平山城)。別名は檀風城・新川城。中世に佐渡を支配した本間氏の居城であった。跡地は妙宣寺となっている。 | ||||||
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129.津川城 ・平山城 | ||||||
津川城(つがわじょう)は、新潟県東蒲原郡阿賀町(越後国蒲原郡)にあった日本の城。阿賀野川と常浪川に囲まれた麒麟山に築かれた。 | ||||||
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130.村上城 ・平山城 | ||||||
村上城(むらかみじょう)は、かつて新潟県村上市に存在した日本の城(平山城)。別名・舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)。村上市街地東端にそびえる臥牛山(標高135メートル)の頂に築城され、歴代の村上藩主の居城であった。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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131.安田城 (越後国刈羽郡) ・平山城 | ||||||
安田城(やすだじょう)は、新潟県柏崎市(かつての越後国刈羽郡)にあった日本の城。 | ||||||
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132.五十公野城 ・平山城 | ||||||
五十公野城(いじみのじょう)は、現在の新潟県新発田市五十公野(越後国蒲原郡)にあった日本の城。 | ||||||
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133.河原田城 ・平山城 | ||||||
河原田城(かわはらだじょう)は、佐渡国雑太郡石田[1](現在の新潟県佐渡市石田)にあった日本の城である。 | ||||||
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134.井波城 ・平山城 | ||||||
井波城(いなみじょう)は、富山県南砺市井波に在った日本の城。礪波城、瑞泉寺城ともいう。南砺市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.48[2][3]。 | ||||||
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135.小丸山城 ・平山城 | ||||||
小丸山城(こまるやまじょう)は、かつて能登国能登郡(のち鹿島郡)小丸山(現在の石川県七尾市馬出町子部)に存在した日本の城である。七尾城の北、七尾南湾に面した平山城。七尾港に近く、海城に分類される場合もある。 | ||||||
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136.崎山城 (能登国) ・平山城 | ||||||
崎山城(さきやまじょう)は、石川県鳳珠郡能登町に存在した日本の城。 | ||||||
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137.松波城 ・平山城 | ||||||
松波城(まつなみじょう)は、能登国珠洲郡松波(現・石川県鳳珠郡[1]能登町)に存在した日本の城。 | ||||||
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138.大黒丸城 ・平山城 | ||||||
大黒丸城(だいくろまるじょう)は、福井県福井市三宅町・黒丸城町にあった日本の城跡。別名三宅黒丸城。南東の支城小黒丸城と合わせて「黒丸城」と総称される[2]。 | ||||||
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139.三国湊城 ・平山城 | ||||||
三国湊城(みくにみなとじょう)は、越前国三国湊、現在の福井県坂井市三国町にあった日本の城。湊ノ城、千手寺城とも呼ばれる。 | ||||||
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140.勝山城 (甲斐国八代郡) ・平山城 | ||||||
勝山城(かつやまじょう)は、山梨県甲府市上曾根に存在した日本の城。 | ||||||
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141.飯田城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
飯田城(いいだじょう)は、長野県飯田市にあった日本の城。江戸時代には飯田藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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142.飯山城 ・平山城 | ||||||
飯山城(いいやまじょう)は、信濃国水内郡(のち下水内郡[2])飯山(現・長野県飯山市飯山)にあった日本の城。 | ||||||
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143.岩尾城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
岩尾城(いわおじょう)は、長野県佐久市鳴瀬岩尾にあった日本の城。長野県指定の史跡[1]。 | ||||||
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144.上ノ平城 ・平山城 | ||||||
上ノ平城(うえのたいらじょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県上伊那郡箕輪町東箕輪)にあった日本の城。長野県指定史跡。 | ||||||
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145.大井城 ・平山城 | ||||||
大井城(おおいじょう)は、長野県佐久市岩村田にあった日本の城。長野県指定史跡。信濃守護代も勤めた大井氏の居城。別名は岩村田館。 | ||||||
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146.大草城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
大草城(おおくさじょう)は、長野県上伊那郡中川村にあった日本の城。跡地は大草城址公園(おおくさじょうしこうえん)として整備されている。 | ||||||
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147.春日城 (信濃国伊那郡) ・平山城 | ||||||
春日城(かすがじょう)は、長野県伊那市にあった日本の城。 | ||||||
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148.春日城 (信濃国佐久郡) ・平山城 | ||||||
春日城(かすがじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。 | ||||||
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149.神之峰城 ・平山城 | ||||||
神之峰城(かんのみねじょう)は、長野県飯田市上久堅あった日本の城。標高771メートルにある。飯田市指定史跡。 | ||||||
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150.小諸城 ・平山城 | ||||||
小諸城(こもろじょう)は、 長野県小諸市(旧・信濃国佐久郡(のち北佐久郡)小諸[注 1])にある日本の城跡。別名、酔月城、穴城、白鶴城。 | ||||||
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151.鈴岡城 ・平山城 | ||||||
鈴岡城(すずおかじょう)は、長野県飯田市にあった日本の城。 | ||||||
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152.高遠城 ・平山城 | ||||||
高遠城(たかとおじょう)は、長野県伊那市高遠町(旧・信濃国伊那郡(のち上伊那郡)[1]高遠)にある日本の城跡。兜山城の別名をもつ。サクラの名所としても有名であり、特に珍しい品種であるタカトオコヒガン1,500本の樹林が名高い。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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153.知久平城 ・平山城 | ||||||
知久平城(ちくだいらじょう)は、長野県飯田市下久堅知久平にあった日本の城。標高438メートルにある。飯田市指定史跡。 | ||||||
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154.福与城 ・平山城 | ||||||
福与城(ふくよじょう)は、長野県上伊那郡箕輪町にあった日本の城。県指定史跡[1]。別名、箕輪城。同町には別に箕輪城が存在するが、史料上の「箕輪城」は本項の城跡ではないかとする意見がある[2]。また同県下伊那郡松川町にも別の福与城(松川町指定史跡)が存在する[3]。 | ||||||
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155.松岡城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
松岡城(まつおかじょう)は、信濃国(現在の長野県下伊那郡高森町)にあった日本の城。 | ||||||
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156.松尾城 (信濃国伊那郡) ・平山城 | ||||||
松尾城(まつおじょう)は、長野県飯田市(信濃国伊那郡)にあった日本の城。小笠原氏の居城であった。 | ||||||
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157.箕輪城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
箕輪城(みのわじょう)は、長野県上伊那郡箕輪町にあった日本の城。町指定史跡[1][2]。 | ||||||
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158.吉岡城 (信濃国) ・平山城 | ||||||
吉岡城(よしおかじょう)は長野県下伊那郡下條村にあった日本の城。 | ||||||
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159.明知城 ・平山城 | ||||||
明知城(あけちじょう)は、美濃国明知、現在の岐阜県恵那市明智町にあった戦国時代の日本の城(山城)。別名白鷹城(しらたかじょう)。岐阜県指定史跡[1]。なお、美濃国には、可児郡明智荘にも明智城(長山城)が存在していたので、混同への注意が必要である。 | ||||||
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160.小倉山城 (美濃国) ・平山城 | ||||||
小倉山城(おぐらやまじょう)は岐阜県美濃市泉町小倉山にある日本の城跡(平山城)。美濃市指定史跡。 | ||||||
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161.神岡城 ・平山城 | ||||||
神岡城(かみおかじょう)または東町城(ひがしまちじょう)は、飛騨国吉城郡神岡[1](現・岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘1)に所在した日本の城(平山城)。「東町城跡」として飛騨市指定史跡[2]。歴史上の名称は「東町城」で、「神岡城」は通称である[3]。 | ||||||
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162.郡上八幡城 ・平山城 | ||||||
郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は、岐阜県郡上市八幡町柳町にある城。城跡は岐阜県指定史跡。復元天守は郡上市指定有形文化財。また続日本100名城第141番に選ばれている。 | ||||||
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163.桜洞城 ・平山城 | ||||||
桜洞城(さくらぼらじょう)は、飛騨国益田郡下呂郷桜洞[1](現在の岐阜県下呂市萩原町)にかつて存在した日本の城である。下呂市指定史跡。 | ||||||
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164.十九条城 ・平山城 | ||||||
十九条城(じゅうくじょうじょう)は、現在の岐阜県瑞穂市にあった戦国時代の日本の城(平城)。 | ||||||
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165.十七条城 ・平山城 | ||||||
十七条城(じゅうしちじょうじょう)は岐阜県瑞穂市にかつて存在した日本の城(平山城)。瑞穂市指定史跡[1]。西浦の城山と呼ばれる低い丘にあった。 | ||||||
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166.高山城 (飛騨国) ・平山城 | ||||||
高山城(たかやまじょう)は、飛騨国大野郡高山[1](現・岐阜県高山市)にあった戦国時代から江戸時代前期の日本の城である。岐阜県指定史跡。 | ||||||
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167.垂井城 ・平山城 | ||||||
垂井城(たるいじょう)は、美濃国不破郡(現・岐阜県不破郡垂井町)にあった日本の城。明確な遺構がないため正確な位置は不明だが、文献や地形などから専精寺境内が所在地に比定されており、案内板と石碑が建っている[1]。 | ||||||
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168.堂洞城 ・平山城 | ||||||
堂洞城(どうほらじょう)は美濃国中濃、現在の岐阜県加茂郡富加町夕田にあった日本の城(平山城)。別名・堂洞山城、堂洞掻上城。濃尾平野の北で、加治田城から目と鼻の先にある。 | ||||||
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169.古川城 (飛騨国) ・平山城 | ||||||
古川城(ふるかわじょう)は、岐阜県飛騨市にかつて存在した城で、平山城であった。岐阜県指定史跡[1]。 | ||||||
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170.百足城 ・平山城 | ||||||
百足城(むかでじょう)は、岐阜県飛騨市古川町高野に所在する日本の城跡(平山城)。姉小路家一門の城と考えられている。別名・垣内山城[1]。 | ||||||
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171.石脇城 ・平山城 | ||||||
石脇城(いしわきじょう)は、現在の静岡県焼津市石脇下字山崎にあった日本の城。1476年(文明8年)頃から1487年(長享元年)にかけて伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が滞在した城とされる[1]。 | ||||||
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172.掛川城 ・平山城 | ||||||
掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった日本の城である。 | ||||||
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173.獅子ヶ鼻砦 ・平山城 | ||||||
獅子ヶ鼻砦(ししがはなとりで、英語: Fort Shishigahana)は、現在の静岡県菊川市大石にあたる遠江国城東郡大石村にあった日本の城である[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。 | ||||||
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174.中村砦 ・平山城 | ||||||
中村砦(なかむらとりで、英語: Fort Nakamura)は、現在の静岡県掛川市中(なか)にあたる遠江国城東郡下方村にあった日本の城である。別名・中村城山砦(なかむらしろやまとりで、英語: Fort Nakamurashiroyama)[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。 | ||||||
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175.韮山城 ・平山城 | ||||||
韮山城(にらやまじょう)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から戦国時代にかけての日本の城。平山城。 | ||||||
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176.能ヶ坂砦 ・平山城 | ||||||
能ヶ坂砦(のがさかとりで、英語: Fort Nogasaka)は、現在の静岡県掛川市小貫にあたる遠江国城東郡小貫村にあった日本の城である[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。 | ||||||
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177.火ヶ峰砦 ・平山城 | ||||||
火ヶ峰砦(ひがみねとりで、英語: Fort Higamine)は、現在の静岡県掛川市中方・下土方・岩滑・中地区付近にあたる遠江国城東郡毛森村にあった日本の城である[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。 | ||||||
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178.三井山砦 ・平山城 | ||||||
三井山砦(みついさんとりで、英語: Fort Mitsuisan)は、現在の静岡県掛川市大坂にあたる遠江国城東郡西大坂村にあった日本の城である。別名・大坂砦(おおさかとりで、英語: Fort Ōsaka)[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2][3]。 | ||||||
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179.八幡城 (駿河国) ・平山城 | ||||||
八幡城(やはたじょう)、または八幡山城(やはたやまじょう)は、静岡県静岡市駿河区八幡山に所在する、今川氏に関わる戦国時代の日本の城跡。現在は八幡山公園となっている。 | ||||||
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180.古宮城 ・平山城 | ||||||
古宮城(ふるみやじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった戦国時代の日本の城。平山城。戦国時代の武田氏による城郭と考えられ、現在も同氏の築城術の多くが理解できる遺構が残っている。新城市指定史跡[1]。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(150番)に選定された。 | ||||||
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181.安祥城 ・平山城 | ||||||
安祥城(あんじょうじょう、あんしょうじょう)は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった日本の城。城跡は安祥城址公園として整備されており、安城市指定史跡[1]。跡地には安城市歴史博物館・安城市民ギャラリーなどがある。 | ||||||
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182.犬山城 ・平山城 | ||||||
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」にあった日本の城である。現在の場所で言えば愛知県犬山市にあり、天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。 | ||||||
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183.岩崎城 (尾張国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、尾張国山田郡[注 1](のち愛知郡)岩崎(現在の愛知県日進市岩崎町)に存在した戦国時代の日本の城(平山城)である。 | ||||||
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184.大野城 (尾張国知多郡) ・平山城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、尾張国知多郡矢田村金山(現在の愛知県常滑市金山)の伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあった日本の城。織田氏が新たに築いた大草城とは矢田川を挟んで南に位置する。 常滑市指定史跡[1]。「宮山城(みややまじょう)」とも呼称される。 | ||||||
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185.緒川城 ・平山城 | ||||||
緒川城(おがわじょう)は、現在の愛知県知多郡東浦町緒川にあたる尾張国知多郡小河に所在する城。城跡は「緒川城址」として東浦町指定の史跡となっている[1]。 | ||||||
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186.形原城 ・平山城 | ||||||
形原城(かたはらじょう)は、三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町東古城・北古城・南古城)にあった日本の城。蒲郡市指定史跡[1]。 | ||||||
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187.小牧山 ・平山城 | ||||||
小牧山(こまきやま)は、愛知県小牧市にある標高86mの山。 | ||||||
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188.七州城 ・平山城 | ||||||
七州城(しちしゅうじょう)は、現在の愛知県豊田市小坂本町付近にあった日本の城である。「七州城」の呼称は通称であり、正式には「挙母城」(ころもじょう)という。1782年(天明2年)に築城され、挙母藩の藩庁が置かれた。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(七州城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(桜城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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189.東条城 ・平山城 | ||||||
東条城(とうじょうじょう)は、三河国幡豆郡横須賀村東条[1](現・愛知県西尾市吉良町駮馬字城山)にあった、中世の日本の城(平山城)。東条吉良氏・東条松平氏の居城[2]。桜が植えられており、花見スポットになっている[3]。 | ||||||
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190.二連木城 ・平山城 | ||||||
二連木城(にれんぎじょう)は、愛知県豊橋市仁連木町、かつての三河国渥美郡北端の朝倉川南岸に有った戦国時代の日本の城。「楡(にれ)の木」から名が付いたと言われ、仁連木城とも書く。 | ||||||
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191.赤木城 ・平山城 | ||||||
赤木城(あかぎじょう)は、三重県熊野市にあった日本の城である。城跡は1989年(平成元年)10月9日に「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」の名称で国の史跡に指定されている[3][4]。また、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された[5]。 | ||||||
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192.上野城 (伊勢国) ・平山城 | ||||||
上野城(うえのじょう)は、現在の三重県津市河芸町上野に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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193.田丸城 ・平山城 | ||||||
田丸城(たまるじょう)は中世から近世をとおして現在の三重県度会郡玉城町田丸字城郭にあった日本の城。南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である[1]。 | ||||||
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194.中村山城 (紀伊国) ・平山城 | ||||||
中村山城(なかむらやまじょう)は紀伊国牟婁郡(現在の三重県尾鷲市)に存在した日本の城(平山城)。尾鷲市中心部に位置する標高約50m、比高差約40mの中村山丘陵全体に築かれた平山城。この地域一帯を治めていた仲氏の本拠の城である。 | ||||||
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195.戸木城 ・平山城 | ||||||
戸木城(へきじょう)は、三重県津市戸木町にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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196.峯城 ・平山城 | ||||||
峯城(みねじょう)は、三重県亀山市川崎町森字殿町にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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197.山口城 (伊勢国) ・平山城 | ||||||
山口城(やまぐちじょう)は現在の三重県いなべ市藤原町山口にあたる伊勢国員弁郡山口に存在した日本の城(平山城)である。玉垣城(たまがきじょう)とも呼ばれる。 | ||||||
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198.鯰江城 ・平山城 | ||||||
鯰江城(なまずえじょう)は、近江国愛知郡鯰江荘(現・滋賀県東近江市鯰江町)にあった日本の城(平山城)。同地を本拠とした鯰江氏の居城であった。 | ||||||
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199.日野城 ・平山城 | ||||||
日野城(ひのじょう)は、滋賀県蒲生郡日野町にあった日本の城。 | ||||||
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200.亀山城 (丹波国) ・平山城 | ||||||
亀山城(かめやまじょう)は、京都府亀岡市荒塚町周辺(旧丹波国桑田郡亀岡)にあった日本の城。亀岡城とも。明智光秀によって丹波統治の拠点として機能した城郭である[1]。江戸時代初頭には近世城郭として整備された。大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却された。戦後再建され、大本の本部が置かれている。 | ||||||
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201.園部城 ・平山城 | ||||||
園部城(そのべじょう)・園部陣屋(そのべじんや)は、京都府南丹市園部町小桜町周辺にあった陣屋または日本の城である。園部城が日本の城郭史で最後の建築物となる。建造物群の一部は府の「暫定登録文化財」に登録されている[1]。 | ||||||
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202.大塚城 ・平山城 | ||||||
大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われている。 | ||||||
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203.丸山城 (摂津国能勢郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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204.越水城 ・平山城 | ||||||
越水城(こしみずじょう)は摂津武庫郡(兵庫県西宮市)にあった日本の城。現在は西宮市立大社小学校に案内看板・石碑が建っている。 | ||||||
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205.佐用城 ・平山城 | ||||||
佐用城(さようじょう)、または福原城(ふくはらじょう)は現在の兵庫県佐用郡佐用町に存在した日本の城(平山城)である。 | ||||||
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206.龍野城 ・平山城 | ||||||
龍野城(たつのじょう)は、現在の兵庫県たつの市龍野町上霞城にあたる播磨国揖保郡(のち揖西郡)[2]龍野にあった日本の城である。別名、霞城。 | ||||||
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207.豊岡城 ・平山城 | ||||||
豊岡城(とよおかじょう)は、但馬国城崎郡[注 1]豊岡(現・兵庫県豊岡市京町)にあった日本の城。別名・亀城[2][1]。 | ||||||
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208.花隈城 ・平山城 | ||||||
花隈城(はなくまじょう)は、摂津国八部郡花熊村(現・兵庫県神戸市中央区花隈町)の元町駅西方にあった日本の城。別名は花熊城。 | ||||||
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209.平野城 ・平山城 | ||||||
平野城(ひらのじょう)は神戸市東灘区の御影山手にあった日本の城。別名、御影村城。 | ||||||
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210.宅原城 ・平山城 | ||||||
宅原城(えいばらじょう)は、摂津国有馬郡、現在の兵庫県神戸市北区長尾町宅原(鹿の子台北町)にあった日本の城である。 | ||||||
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211.淡河城 ・平山城 | ||||||
淡河城(おうごじょう)は、兵庫県神戸市北区にあった日本の城。現在は丘の上に田畑となっている本丸址と櫓があり公園になっている。 | ||||||
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212.多聞山城 ・平山城 | ||||||
多聞山城(たもんやまじょう)は、奈良県奈良市法蓮町の現・奈良市立若草中学校の敷地にあった松永久秀、松永久通、塙直政の居城となった日本の城(平山城)。多聞城とも呼ばれる。 | ||||||
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213.古市城 ・平山城 | ||||||
古市城(ふるいちじょう)は奈良県に存在した中世の日本の城(平山城)。 | ||||||
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214.新宮城 ・平山城 | ||||||
新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城である。別名は丹鶴城(たんかくじょう)。また、沖見城(おきみじょう)とも称された[1]。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
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215.雁金山城 ・平山城 | ||||||
雁金山城(かりがねやまじょう)は、鳥取市湯所町に存在した日本の城である。久松山から尾根続きの丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。 | ||||||
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216.河原城 ・平山城 | ||||||
河原城(かわはらじょう)は、鳥取県鳥取市河原町谷一木にかつて存在した日本の城。この城の正式名称は「丸山城」であるが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、旧邑美郡に限ってもこの城を含めて2つある。河原城は、後述する天守風建造物が建てられて以後の名称であるが、他2城との混同を避けるため、ここでは河原城と呼称する。 | ||||||
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217.鹿野城 ・平山城 | ||||||
鹿野城(しかのじょう)は、鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(旧・因幡国気多郡)にある日本の城(平山城跡)跡。鳥取市指定史跡[1]。 | ||||||
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218.新山城 (因幡国) ・平山城 | ||||||
新山城(にいやまじょう)は、かつて鳥取県鳥取市徳尾に存在した日本の城。国体道路交差点横の小山が城跡であるが、道路建設や開発などで破壊されており、保存状態は悪い。 | ||||||
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219.丸山城 (因幡国邑美郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は、鳥取市丸山に存在した日本の城。久松山の北西に位置する独立丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の豊臣秀吉の鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。 | ||||||
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220.丸山城 (因幡国高草郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は鳥取市六反田に存在した日本の城。現在では山林となっているが保存状態は良い。 | ||||||
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221.八橋城 ・平山城 | ||||||
八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町大字八橋に所在した日本の城。琴浦町指定史跡[1]。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。 | ||||||
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222.亀山城 (備前国) ・平山城 | ||||||
亀山城(かめやまじょう)は、岡山県に存在した日本の城(平山城)。沼城とも呼ばれる。岡山市指定史跡[1]。 | ||||||
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223.茶臼山城 (備中国) ・平山城 | ||||||
茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、備中国(現代の岡山県小田郡矢掛町矢掛)にあった日本の城である。 | ||||||
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224.鞆城 ・平山城 | ||||||
鞆城(ともじょう)は、備後国鞆(現在の広島県福山市鞆町後地)にあった日本の城。福山市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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225.二ッ山城 ・平山城 | ||||||
二ッ山城(ふたつやまじょう)は、備後国、現在の広島県三次市和知町字尾越(おごえ)及び庄原市山内(やまのうち)町字尾引(おびき)の二ッ山(標高382メートル)にあった日本の城。 | ||||||
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226.宮尾城 ・平山城 | ||||||
宮尾城(みやおじょう)は、広島県廿日市市宮島町(かつての安芸国佐西郡厳島)にあった日本の城。別名宮ノ尾城(みやのおじょう)とも呼ばれる。城を含む島全体が、国の特別史跡及び特別名勝に指定され[1]、瀬戸内海国立公園の一部でもある(詳細は厳島を参照)。 | ||||||
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227.亀居城 ・平山城 | ||||||
亀居城(かめいじょう)は広島県大竹市小方にある日本の城跡。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に安芸国に入った福島正則が、長門国・周防国の毛利氏への押さえとして築城した平山城である。大竹市指定史跡[1]。 | ||||||
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228.亀山城 (長門国) ・平山城 | ||||||
亀山城(かめやまじょう)は、長門国大津郡(現在の山口県長門市)に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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229.櫛崎城 ・平山城 | ||||||
櫛崎城(くしざきじょう)は、山口県下関市長府宮崎町(長門国豊浦郡)にあった日本の城。串崎城とも表記され、雄山城(かつやまじょう[1])、長府城、長府陣屋とも称する。 | ||||||
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230.佐加利山城 ・平山城 | ||||||
佐加利山城(さかりやまじょう/さがりやまじょう[1]、盛山城・下山城)は、長門国豊浦郡(現在の山口県下関市長府江下町付近)にあった日本の城。 | ||||||
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231.牛岐城 ・平山城 | ||||||
牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町にある日本の城跡。阿南駅から北西500メートル。周辺は牛岐城址公園として整備されている。別名は富岡城、浮亀城。海部郡牟岐町にある「牟岐城(むぎじょう)」とは異なる。 | ||||||
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232.夷山城 ・平山城 | ||||||
夷山城(えびすやまじょう)は、徳島県徳島市八万町夷山にあった日本の城。 | ||||||
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233.大西城 (阿波国) ・平山城 | ||||||
大西城(おおにしじょう)は、徳島県三好市池田町ウエノにあった日本の城。この地域は阿波国の最西端に位置したため大西と呼ばれていた。別名は池田城。 | ||||||
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234.海部城 ・平山城 | ||||||
海部城(かいふじょう)は、徳島県海部郡海陽町にあった日本の城。別名は鞆城。海陽町指定史跡[1][2]。 | ||||||
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235.川島城 ・平山城 | ||||||
川島城(かわしまじょう)は、日本の城。阿波九城の一つ。所在地は徳島県吉野川市川島町川島。吉野川市指定史跡。 | ||||||
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236.木津城 ・平山城 | ||||||
木津城(きづじょう)は、徳島県鳴門市撫養町木津にあった日本の城。鳴門市指定史跡。 | ||||||
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237.桑野城 ・平山城 | ||||||
桑野城(くわのじょう)は、徳島県阿南市桑野町船岡山にあった日本の城。現在の萬福寺にあった。 | ||||||
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238.重清城 ・平山城 | ||||||
重清城(しげきよじょう)は、徳島県美馬市美馬町にあった日本の城。 | ||||||
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239.芝原城 ・平山城 | ||||||
芝原城(しばはらじょう)は、徳島県徳島市国府町芝原にあった日本の城。 | ||||||
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240.芝生城 ・平山城 | ||||||
芝生城(しぼうじょう)は、徳島県三好市三野町芝生にある日本の城跡。 | ||||||
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241.立江城 ・平山城 | ||||||
立江城(たつえじょう)は、徳島県小松島市立江町清水にあった日本の城。 | ||||||
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242.土佐泊城 ・平山城 | ||||||
土佐泊城(とさどまりじょう)は、徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦、大毛島にあった日本の城。鳴門市指定史跡。 | ||||||
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243.姫田城 ・平山城 | ||||||
姫田城(ひめだじょう)は、徳島県鳴門市大麻町姫田にあった16世紀頃の日本の城。 | ||||||
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244.名東城 ・平山城 | ||||||
名東城(みょうどうじょう)は、徳島県徳島市名東町にあった日本の城。別名は経ヶ丸城・川越城。 | ||||||
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245.撫養城 ・平山城 | ||||||
撫養城(むやじょう)は、徳島県鳴門市撫養町林崎にある日本の城跡。別名は岡崎城、林崎城。「岡崎城跡」として市指定史跡に指定されている。 | ||||||
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246.矢野城 (阿波国) ・平山城 | ||||||
矢野城(やのじょう)は、徳島県徳島市国府町矢野にあった日本の城。 | ||||||
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247.引田城 ・平山城 | ||||||
引田城(ひけたじょう)は香川県東かがわ市に所在する日本の城。国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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248.浦戸城 ・平山城 | ||||||
浦戸城(うらどじょう、Urado Castle, Urado-jo)は、高知県高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった日本の城。 | ||||||
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249.大津城 (土佐国) ・平山城 | ||||||
大津城(おおつじょう)は、高知県高知市大津にある中世から近世にかけての日本の城(平山城)。天竺城や大津御所の別名を持つ。 | ||||||
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250.吉良城 ・平山城 | ||||||
吉良城(きらじょう)は、土佐国(現高知県高知市春野町弘岡上)にあった中世の日本の城。 別名・吉良峰城。高知市指定史跡[1]。 | ||||||
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251.楠目城 ・平山城 | ||||||
楠目城(くずめじょう)は、土佐国、現在の高知県香美市土佐山田町楠目字楠目にあった中世の日本の城。別名・山田城。「楠目城跡」として香美市指定史跡[1]。 | ||||||
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252.宿毛城 ・平山城 | ||||||
宿毛城(すくもじょう)は、現在の高知県宿毛市にあった日本の城(平山城)。「松田城」とも。城跡は宿毛市指定史跡に指定されている。 | ||||||
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253.蓮池城 (土佐国) ・平山城 | ||||||
蓮池城(はすいけじょう)は、高知県土佐市にある日本の城。土佐市指定史跡[1]。嘉応2年(1170年)に成立し、鎌倉時代-戦国時代は大平氏の支配となり、山内氏入国の頃には廃城となった。 | ||||||
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254.立花山城 ・平山城 | ||||||
立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、現在の福岡市東区、糟屋郡新宮町および久山町にまたがる標高367mの立花山の山頂に存在した日本の城。立花城(たちばなじょう、りっかじょう)と呼称される場合もある。 | ||||||
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255.島村城 ・平山城 | ||||||
島村城(しまむらじょう)または田中城(たなかじょう)は、佐賀県唐津市北波多田中字島に存在した平山城。上松浦党の一族・波多氏の城。 | ||||||
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256.須古城 ・平山城 | ||||||
須古城(すこじょう)は、戦国時代における佐賀県杵島郡白石町にある城跡。平井氏の須古城、杵島城、男島城の3城での連携した防衛体制により難攻不落を誇り、佐賀県下でも最大規模の城郭群を成している。高城、隆城とも。 | ||||||
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257.釜蓋城 ・平山城 | ||||||
釜蓋城(かまぶたじょう)は、長崎県雲仙市に所在する、有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた日本の城。標高154メートルの山城である。雲仙市指定史跡[1]。 | ||||||
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258.赤井城 ・平山城 | ||||||
赤井城(あかいじょう)は、熊本県上益城郡益城町赤井字本丸に存在した中世の平山城。 | ||||||
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259.宇土城 ・平山城 | ||||||
宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市に存在した城郭である。別名、城山、鶴城ともいう。同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城についても併記する。 | ||||||
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260.木山城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
木山城(きやまじょう)は、熊本県上益城郡益城町寺迫にある日本の城跡。阿蘇氏の一族である木山氏の拠った城として知られる。 | ||||||
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261.隈庄城 ・平山城 | ||||||
隈庄城(くまのしょうじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。 | ||||||
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262.城村城 ・平山城 | ||||||
城村城(じょうむらじょう)は熊本県山鹿市城字城に存在した中世の丘城。山鹿市指定史跡[1]。 | ||||||
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263.長野城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
長野城(ながのじょう)は熊本県に存在した中世の平山城。現在の熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野にあった。 | ||||||
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264.日渡城 ・平山城 | ||||||
日渡城(ひわたしじょう)は、現在の熊本県山鹿市菊鹿町下内田日渡にあった築城年代不明の丘城。江戸時代の柳川藩士・内田氏の系図では、豊後の戦国大名・大友氏の下に亡命した相良氏庶流・内田氏の肥後国での居城とされているが、『肥後国誌』あるいは『日本歴史地名大系』では隈部館または猿返城である永野城と混同されている。 | ||||||
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265.水俣城 ・平山城 | ||||||
水俣城(みなまたじょう)は、熊本県水俣市古城に存在した中世の丘城。 | ||||||
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266.御船城 ・平山城 | ||||||
御船城(みふねじょう)は、熊本県上益城郡御船町に存在した中世の平山城。現在の御船町立御船小学校の南側、東西40m・南北150mの丘陵に立地していた。 | ||||||
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267.山鹿城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
山鹿城(やまがじょう)は肥後国山鹿郡(現・熊本県山鹿市)に存在した中世の丘城。 | ||||||
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268.桶平城 ・平山城 | ||||||
桶平城(おけひらじょう/おけがひらじょう)、または田原陣(たばるじん)・桶平塁(おけひらるい)は、宮崎県えびの市大字原田字田原陣の丘陵「田原山」にあった砦・日本の城[3]。 | ||||||
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269.加久藤城 ・平山城 | ||||||
加久藤城(かくとうじょう)は現在の宮崎県えびの市加久藤にあった平山城。伊東氏の史料には「覚頭城」と記されている。えびの市指定史跡。 | ||||||
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270.櫛間城 ・平山城 | ||||||
櫛間城(くしまじょう)は日向国那珂郡櫛間院(現在の宮崎県串間市西方)にあった城。平山城。 | ||||||
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271.小林城 ・平山城 | ||||||
小林城(こばやしじょう)は現在の宮崎県小林市真方にあった日本の城(平山城)。別名を三ツ山城、あるいは三ノ山城。現在は城山公園。 | ||||||
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272.須木城 ・平山城 | ||||||
須木城(すきじょう)は現在の宮崎県小林市須木下田にあった平山城。別名を鶴丸城。伊東四十八城の一つ。現在は城山公園(「すきむらんど」の傍)。 | ||||||
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273.園田城 ・平山城 | ||||||
園田城(そのだじょう)は現在の宮崎県えびの市榎田の園田にあった平山城。 | ||||||
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274.大明神城 ・平山城 | ||||||
大明神城(だいみょうじんじょう)は、宮崎県えびの市大明司にあった砦。別名は小城、或いは大明司塁で、『飯野古事記』には山城ともある。 | ||||||
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275.高城 (新納院) ・平山城 | ||||||
高城(たかじょう)は、現在の宮崎県児湯郡木城町にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城である。木城町指定文化財(史跡)[1]。 | ||||||
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276.都於郡城 ・平山城 | ||||||
都於郡城(とのこおりじょう)は現在の宮崎県西都市にある山城。国の史跡[1]。建武4年(1337年)に伊東祐持によって築城された。伊東四十八城の一つ。別名、浮船城。 | ||||||
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277.延岡城 ・平山城 | ||||||
延岡城(のべおかじょう)は、宮崎県延岡市本小路に築かれた城である。もとは縣城(あがたじょう)といい、別名に亀井城(かめいじょう)という。 | ||||||
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278.馬関田城 ・平山城 | ||||||
馬関田城(まんがたじょう)は現在の宮崎県えびの市西川北の宮ノ馬場にあった平山城。別名を東福城(とうふくじょう)。築城年は不明ながら、真幸院の領主・北原氏の庶流馬関田氏の居城であった。 | ||||||
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279.三ツ山城 ・平山城 | ||||||
三ツ山城(みつやまじょう)は、現在の宮崎県小林市細野にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を三ノ山城(みのやまじょう、さんのやまじょう)、あるいは吉富城。現在は城山団地。 | ||||||
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280.穆佐城 ・平山城 | ||||||
穆佐城(むかさじょう)は、現在の宮崎県宮崎市高岡町小山田にあった平山城。伊東四十八城の一つ。 | ||||||
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281.鹿児島城 ・平山城 | ||||||
鹿児島城(かごしまじょう)は、薩摩国鹿児島郡城山麓[1](現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた江戸時代の日本の城である。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」。鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。 | ||||||
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