1.愛藤寺城 ・山城 | ||||||
愛藤寺城(あいとうじじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した城郭である。別名、矢部城ともいう。阿蘇氏は、阿蘇の南郷谷より浜町に居館「浜の館」を移し、川の対岸・小高い丘に詰めの城として岩尾城を築いた(現在の通潤橋が架かっている左岸側)が、地形的な制約から、防御力の更に強い城が別に必要であった。緑川と千滝川に挟まれ、津留の緑川海運とつながる白糸の道は、有明海の緑川河口近くにある重要な港湾「川尻」とつながるもので、当時は重要であった。この城は、津留と浜町と結ぶその延長線上にあり、南の守りと、北から攻められた時に逃げ込む城としての役目もあったと考えられる。近くには「津留が淵道」と呼ぶ「古道」があり、江戸時代には、河川を改修して、山間部で採れた米を川尻経由で大阪まで運んでいたという。 | ||||||
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2.岩尾城 (肥後国) ・山城 | ||||||
岩尾城(いわおじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した中世の日本の城(山城)。山都町指定史跡。 | ||||||
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3.堅志田城 ・山城 | ||||||
堅志田城(かたしだじょう)は熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
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4.佐敷城 (肥後国) ・山城 | ||||||
佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。 | ||||||
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5.鍋城 ・山城 | ||||||
鍋城(なべじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
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6.南郷城 (肥後国) ・山城 | ||||||
南郷城(なんごうじょう)は、熊本県に存在した日本の城(中世の山城)。 | ||||||
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7.古麓城 ・山城 | ||||||
古麓城(ふるふもとじょう)は、熊本県八代市古麓町(旧 肥後国八代郡)にあった諸城の総称、近世に名付けられた城塞群である[2]。古麓町の東側の山中に7城(曲輪)が存在したと一般に言われている[3]。 | ||||||
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8.本渡城 ・山城 | ||||||
本渡城(ほんどじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
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