1.仙台領内古城・館 | ||||||
『仙台領内古城・館』(せんだいりょうないこじょう・やかた)は、仙台藩領内の城館に関し、紫桃正隆が1972年から1974年にかけて著した研究書である。古代から近世まで知られる限りの城・館1350を実地調査に基づいて紹介し、考察を加えた。全4巻。 | ||||||
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2.姉帯城 ・山城 | ||||||
姉帯城(あねたいじょう)は、岩手県二戸郡一戸町姉帯字館に所在した日本の城。一戸町指定史跡[1]。 | ||||||
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3.猪去館 ・城館 | ||||||
猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にかつて存在した日本の城。別称・猪去御所。 | ||||||
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4.胆沢城 ・古代城柵 | ||||||
胆沢城(いさわじょう/いさわのき)は、陸奥国胆沢郡(現在の岩手県奥州市水沢)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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5.石峠館 ・山城 | ||||||
石峠館(いしとうげだて)は、岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割に所在した日本の城。 | ||||||
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6.板沢館 ・山城 | ||||||
板沢館(いたさわたて)は岩手県遠野市上郷町板沢に所在した城館跡(日本の城)。別称 大洞館。 | ||||||
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7.一戸城 ・山城 | ||||||
一戸城(いちのへじょう)は、岩手県二戸郡一戸町に所在した日本の城。 | ||||||
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8.一方井城 ・城館 | ||||||
一方井城(いっかたいじょう)は、岩手県岩手郡岩手町に所在した日本の城。古館と新館があり、古館は別名を一本杉館・イチョウ館、新館は輪台城ともいう[2]。また新館は南部信直の出生地と伝えられている。 | ||||||
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9.岩崎城 (陸奥国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、岩手県北上市和賀町岩崎にある日本の城。領主・和賀氏一族の居城。 | ||||||
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10.薄衣城 ・山城 | ||||||
薄衣城(うすぎぬじょう)は、現在の岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣にあたる陸奥国磐井郡薄衣荘に所在した中世の日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡[1]。 | ||||||
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11.嫗戸柵 ・城柵 | ||||||
嫗戸柵(うばとのさく/うばこのさく/おばこのさく)は、岩手県盛岡市内にあり蝦夷俘囚の長を名乗った安倍氏の勢力範囲最北の古代城柵である。厨川柵と連立した造りと考えられ、安倍氏の重要拠点であった。盛岡市安倍館町の「安倍館遺跡[2]」が擬定地とされていたが、現在残っている遺構は中世工藤氏の厨川城跡と考えられている[3][4]。 | ||||||
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12.江釣子城 ・不明 | ||||||
江釣子城(えずりこじょう)は、岩手県北上市に所在した日本の城。 | ||||||
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13.大槌城 ・山城 | ||||||
大槌城(おおつちじょう)は、岩手県上閉伊郡大槌町大槌城山に所在する日本の城跡(山城)。室町時代に大槌次郎が築城して以後、代々大槌氏の居城と伝わる[2]。別名は浜崎館、または古館[3]。岩手県指定史跡[1]。 | ||||||
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14.大迫城 ・山城 | ||||||
大迫城(おおはさまじょう)は、岩手県花巻市大迫町内川目第48地割に所在した日本の城。 | ||||||
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15.乙部館 ・平城 | ||||||
乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した日本の城。現在は、宅地や畑地になっている。 | ||||||
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16.鹿島館 ・平山城 | ||||||
鹿島館(かしまだて)は、 岩手県北上市上鬼柳5地割に所在した日本の城。別称は鬼柳鹿島館[2]・鬼柳城。 | ||||||
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17.軽米城 ・平山城 | ||||||
軽米城(かるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。軽米町中心街を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯を城跡とした。 | ||||||
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18.金田一城 ・山城 | ||||||
金田一城(きんだいちじょう)は、岩手県二戸市に所在した日本の城。別称「四戸城」。 | ||||||
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19.久慈城 ・平城 | ||||||
久慈城(くじじょう)は、岩手県久慈市に所在した日本の城。別称、新町館・八日館。岩手県指定史跡[1]。 | ||||||
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20.くず館 ・山城 | ||||||
くず館(くずだて)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第1地割に所在した日本の城。 | ||||||
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21.葛巻城 ・山城 | ||||||
葛巻城(くずまきじょう)は、岩手県岩手郡葛巻町田子に所在した日本の城。 | ||||||
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22.九戸城 ・梯郭式平山城 | ||||||
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内[2]にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である[注 2]。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている[注 1]。 | ||||||
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23.厨川城 ・平城 | ||||||
厨川城(くりやがわじょう)は、現在の岩手県盛岡市安倍館町にあたる陸奥国岩手郡厨川村字館にあった日本の城である。別名・栗谷川城(くりやがわじょう)。遺跡(埋蔵文化財包蔵地)名では「安倍館遺跡(あべたていせき)」と呼ばれる[1]。平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城館である。 | ||||||
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24.厨川柵 ・城柵 | ||||||
厨川柵(くりやがわのさく)は、岩手県盛岡市内にあったとされる、俘囚の豪族安倍氏の勢力範囲最北の居館(城柵)である。中世から近世には栗谷川・栗屋河とも記される。衣川柵・嫗戸柵と並び安倍氏の重要拠点であった。同市天昌寺町付近にあったとされるが、所在地は広範囲にわたるとも見られ確実な遺構は発見されていない[2]。 | ||||||
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25.郡山城 (陸奥国紫波郡) ・平山城 | ||||||
郡山城(こおりやまじょう)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。別称 高水寺城(こうすいじじょう)。紫波町指定史跡[1]。 | ||||||
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26.小軽米城 ・山城 | ||||||
小軽米城(こがるまいじょう)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第10地割に所在した日本の城。 | ||||||
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27.十八ヶ城 ・山城 | ||||||
十八ヶ城(さかりがじょう)は岩手県花巻市宮ノ目字本館に存在した日本の城。別称・本館[2]。 | ||||||
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28.雫石城 ・平山城 | ||||||
雫石城(しずくいしじょう)は、岩手県岩手郡雫石町字古館に所在した日本の城。別称・雫石御所、滴石城。 | ||||||
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29.下田館 ・城館 | ||||||
下田館(しもたたて)は、岩手県盛岡市下田生出袋に所在した日本の城。 | ||||||
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30.十二丁目城 ・平城 | ||||||
十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)は、 岩手県花巻市十二丁目に所在する日本の城跡。別称 獅子ヶ鼻城。北上川中流域の獅子ヶ鼻の台上にあり古館、上館とも称し、台地の後背地(西側)に濠があったといわれるが、いまは水田のため確認はできない。 | ||||||
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31.浄法寺城 ・山城 | ||||||
浄法寺城(じょうほうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館に所在した日本の城。別称・小幡館。 | ||||||
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32.白鳥舘遺跡 ・中世城館 | ||||||
白鳥舘遺跡(しろとりたていせき)は、岩手県奥州市前沢白鳥舘地内71にある城館跡の遺跡。国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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33.志波城 ・古代城柵 | ||||||
志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。 | ||||||
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34.世田米城 ・山城 | ||||||
世田米城(せたまいじょう)は、 岩手県気仙郡住田町世田米字火石61番地1ほかに所在した戦国時代の日本の城[3]。 | ||||||
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35.千徳城 ・平山城 | ||||||
千徳城(せんとくじょう)は、岩手県宮古市千徳町に存在した日本の城。一戸千徳氏の居城として知られる。 | ||||||
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36.平館城 ・山城 | ||||||
平館城(たいらだてじょう)は、岩手県八幡平市平舘に所在した日本の城。 | ||||||
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37.田鎖城 ・平山城 | ||||||
田鎖城(たくさりじょう)は、岩手県宮古市にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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38.種市城 ・居館・山城 | ||||||
種市城(たねいちじょう)は、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)に所在した戦国時代の種市氏の居城。同町字城内(じょうない)のほぼ中心部に位置し、平時の居館とみられる平城(へいじょう)と[2]、そこから約1キロメートル南西にあり戦時に使用したとみられる山城(やましろ)の2城が存在した[3][4]。 | ||||||
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39.寺林城 ・城館 | ||||||
寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城。 | ||||||
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40.徳丹城 ・古代城柵 | ||||||
徳丹城(とくたんじょう/とくたんのき)は、現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田にあった日本の古代城柵。1969年(昭和44年)8月5日に国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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41.鳥海柵 ・古代城柵 | ||||||
鳥海柵(とのみのさく)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町西根縦街道南・原添下・鳥海・二ノ宮後にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵(日本の城)。指定名称「鳥海柵跡」(とのみのさくあと)として、2013年(平成25年)10月17日に国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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42.長岡館 ・山城 | ||||||
長岡館(ながおかだて)は岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城である。「長岡城跡」の名で1975年(昭和50年)3月25日付で紫波町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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43.中野館 (陸奥国) ・城館 | ||||||
中野館(なかのたて)は、岩手県盛岡市茶畑に所在した日本の城。別称・飛鳥川館。 | ||||||
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44.鍋倉城 (陸奥国) | ||||||
鍋倉城(なべくらじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称・遠野城。城跡は国の史跡への指定が答申され(官報告示を経て正式指定となる)[4]、遠野市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。 | ||||||
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45.新堀城 (陸奥国) ・山城 | ||||||
新堀城(にいぼりじょう)は、岩手県花巻市石鳥谷町に存在した日本の城。花巻市指定史跡[1]。 | ||||||
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46.野田城 (陸奥国) ・丘城 | ||||||
野田城(のだじょう)は、岩手県九戸郡野田村に所在した日本の城。 | ||||||
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47.花巻城 ・平山城 | ||||||
花巻城(はなまきじょう)は、岩手県花巻市花城町に所在した日本の城。古くは鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれた。花巻市指定史跡(本丸跡)[1]。盛岡藩の花巻郡代歴代の居城であり、関ヶ原の戦いの際にこの城で行われた花巻城の夜討ちは地元民や岩手県民の語り草となっている。 | ||||||
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48.払川館 ・平山城 | ||||||
払川館(はらいかわだて)は、岩手県宮古市に所在した日本の城。別称・津軽石館。城跡を津軽石川が巡り、丘陵上の頂上平坦部は東西190メートル×南北195メートルで主郭、二郭、三郭、大手門跡、空堀が造られ、麓には城下町も従えていたが、いまは川原になって跡形も残っていない。 | ||||||
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49.晴山館 ・平山城 | ||||||
晴山館(はれやまたて)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。 | ||||||
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50.樋爪館 ・城館 | ||||||
樋爪館(ひづめだて/ひづめのたち)または比爪館は、陸奥国(現・岩手県紫波郡紫波町日詰字箱清水)に所在した日本の城。紫波町指定史跡[1]。「ひづめ」の表記は樋爪のほかに、「比爪」「火爪」など複数見られる[2][3]。 | ||||||
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51.火渡館 ・山城 | ||||||
火渡館(ひわたりだて)は、岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛字火渡に所在した戦国時代の日本の城。 | ||||||
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52.二子城 ・平山城 | ||||||
二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名・飛勢城(とばせじょう)。 | ||||||
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53.北条館 ・城館 | ||||||
北条館(ほうじょうだて)[1]は岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内に存在した日本の城。 | ||||||
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54.鱒沢館 | ||||||
鱒沢館(ますざわやかた)は、岩手県遠野市(旧宮守村)に所在した日本の城。別名・上町館[2]。 | ||||||
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55.水沢城 ・平城 | ||||||
水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢に存在していた日本の城である。北上川西岸の胆沢平野中心部にある平城である。一国一城制導入後は要害として扱われた。別名:臥牛城・大休城。 | ||||||
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56.見前館 ・平城 | ||||||
見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。 | ||||||
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57.盛岡城 ・連郭式平山城 | ||||||
盛岡城(もりおかじょう)は、岩手県盛岡市(陸奥国岩手郡)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方城(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり、両者は別の城郭である。 | ||||||
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58.柳田館 ・城館 | ||||||
柳田館(やなぎだたて)は、岩手県紫波郡紫波町片寄に所在した日本の城。別称は片寄城・吉兵衛館・中野館。「片寄城跡」として紫波町指定史跡[1]。 | ||||||
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59.横田城 (陸奥国) | ||||||
横田城(よこたじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称、護摩堂城。城跡は市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。 | ||||||
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