1001.花倉城 ・山城 | ||||||
花倉城(はなくらじょう)、または葉梨城(はなしじょう)は、静岡県藤枝市花倉字勝谷(すぐりや)に所在する戦国時代の山城。花蔵城とも。1536年(天文5年)に勃発した花倉の乱において最終決戦の舞台となったことで知られる。藤枝市指定史跡[1]。 | ||||||
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1002.花沢城 ・山城 | ||||||
花沢城(はなざわじょう)は、静岡県焼津市高崎にある日本の城跡。駿河の守護・今川氏の西の守りとして造られた山城で、1568年(永禄11年)から始まった甲斐の武田信玄による駿河侵攻では、最終盤に激戦地となった[1]。 | ||||||
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1003.浜松城 ・梯郭式平山城[1] | ||||||
浜松城(はままつじょう。旧字体表記は「濱松城」)は、静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわれた。 | ||||||
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1004.東浦城 ・山城 | ||||||
東浦城(ひがしうらじょう)は、静岡県藤枝市下藪田字東浦に所在する中世の城跡である。 | ||||||
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1005.火ヶ峰砦 ・平山城 | ||||||
火ヶ峰砦(ひがみねとりで、英語: Fort Higamine)は、現在の静岡県掛川市中方・下土方・岩滑・中地区付近にあたる遠江国城東郡毛森村にあった日本の城である[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。 | ||||||
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1006.深沢城 | ||||||
深沢城(ふかさわじょう)は静岡県御殿場市にかつて存在した日本の城。一部の遺構は現存する[2]。 馬伏川と抜川の合流地点の丘に配された、地形を生かした要害であった[1]。静岡県指定史跡。 | ||||||
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1007.二俣城 ・連郭式山城 | ||||||
二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城。山城。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「二俣城跡及び鳥羽山城跡」)[1][2]。 | ||||||
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1008.堀江城 | ||||||
堀江城(ほりえじょう)は、遠江国敷知郡(現在の静岡県浜松市西区舘山寺町堀江)にあった城。江戸時代には堀江陣屋(ほりえじんや)と称されて高家旗本大沢家の陣屋となった。 | ||||||
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1009.堀川城 | ||||||
堀川城(ほりかわじょう)は、静岡県浜松市北区細江町気賀(遠江国引佐郡)にあった日本の城。 | ||||||
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1010.丸子城 (駿河国) ・山城 | ||||||
丸子城(まりこじょう)は駿河国(現在の静岡県静岡市駿河区丸子)にかつてあった日本の城(山城)である。北城と南城があり、北城を指すと見られる宇津谷城、鞠子城、南城を指すと見られる三角城(みかど - )、赤目ヶ谷砦の別名がある[1]。 | ||||||
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1011.三岳城 ・山城 | ||||||
三岳城(みたけじょう)、または三嶽城は、静岡県浜松市北区引佐町三岳にあった日本の城跡(山城)。標高467メートルの三岳山の山頂にあり、井伊氏の戦時における本城であった。城跡は1944年(昭和19年)3月7日に国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1012.三井山砦 ・平山城 | ||||||
三井山砦(みついさんとりで、英語: Fort Mitsuisan)は、現在の静岡県掛川市大坂にあたる遠江国城東郡西大坂村にあった日本の城である。別名・大坂砦(おおさかとりで、英語: Fort Ōsaka)[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2][3]。 | ||||||
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1013.宮島城 ・山城 | ||||||
宮島城(みやじまじょう)、または宮島の城山(みやじまのしろやま)は、静岡県藤枝市岡部町宮島に所在する、中世の山城である。 | ||||||
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1014.持船城 ・山城 | ||||||
持船城(もちぶねじょう)は、現在の静岡県静岡市駿河区用宗城山町の、JR東海道本線用宗駅裏の標高70mほどの小高い丘陵(城山)にあった日本の城。眼下に駿河湾を見下ろし、駿府の町も一望できることもあり、東海道の山越え側丸子城と並んで、海側の街道の要衝であった。 | ||||||
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1015.八幡城 (駿河国) ・平山城 | ||||||
八幡城(やはたじょう)、または八幡山城(やはたやまじょう)は、静岡県静岡市駿河区八幡山に所在する、今川氏に関わる戦国時代の日本の城跡。現在は八幡山公園となっている。 | ||||||
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1016.八幡山砦 (藤枝市) ・砦 | ||||||
八幡山砦(やはたやまとりで)は、静岡県藤枝市八幡(やわた)[注釈 1]に所在する中世の砦である。 | ||||||
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1017.山中城 ・山城 | ||||||
山中城(やまなかじょう)は、静岡県三島市山中新田(伊豆国田方郡山中)にある中世の日本の城(山城跡)で、国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1018.横須賀城 ・平城 | ||||||
横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市西大渕)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城。平城。国の史跡。 | ||||||
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1019.横地城 | ||||||
横地城(よこちじょう/よこじじょう)[1][注 1]は、静岡県菊川市東横地にある日本の城跡。別名金寿城。城跡は2004年(平成16年)9月30日に「菊川城館遺跡群」の一部として国の史跡に指定されている[2](菊川城館遺跡群は高田大屋敷遺跡と横地氏城館群で構成されており、横地城跡は後者に属する)。 | ||||||
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1020.横山城 (駿河国) ・山城 | ||||||
横山城(よこやまじょう)は駿河国庵原郡(現在の静岡県静岡市清水区谷津町付近)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。 | ||||||
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1021.光明城 | ||||||
光明城(こうみょうじょう)は、遠江国にかつて存在した戦国時代の山城。 | ||||||
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1022.平田城 (尾張国) | ||||||
平田城(ひらたじょう)は尾張国春日井郡平田村、現在の愛知県名古屋市西区城町に所在した日本の城である。 | ||||||
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1023.深溝城 | ||||||
深溝城(ふこうずじょう)は、現在の愛知県額田郡幸田町深溝にあった、戦国時代から江戸時代初期の日本の城である。 | ||||||
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1024.武節城 ・山城 | ||||||
武節城(ぶせつじょう)は三河国設楽郡、現在の愛知県豊田市武節町にあった山城。別名・地伏城。豊田市指定史跡[1]。 | ||||||
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1025.古宮城 ・平山城 | ||||||
古宮城(ふるみやじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった戦国時代の日本の城。平山城。戦国時代の武田氏による城郭と考えられ、現在も同氏の築城術の多くが理解できる遺構が残っている。新城市指定史跡[1]。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(150番)に選定された。 | ||||||
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1026.本證寺 (安城市) | ||||||
本證寺(ほんしょうじ)は、愛知県安城市野寺町にある真宗大谷派の寺院。山号は雲龍山。野寺御本坊とも呼ばれる。 | ||||||
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1027.本地城 ・平城 | ||||||
本地城(ほんじじょう)は、尾張国春日井郡、現在の愛知県瀬戸市西本地町に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1028.牧野城 (三河国) ・単郭式掻揚城 | ||||||
牧野城(まきのじょう)は、愛知県豊川市牧野町丁畑付近に15世紀頃に牧野氏により築城された中世の日本の城。四国から移り住んだと云われる田蔵系の牧野氏が最初に築いた城とされる。豊川市指定文化財。 | ||||||
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1029.真弓山城 ・山城 | ||||||
真弓山城(まゆみやまじょう)は三河国加茂郡足助庄(現・愛知県豊田市足助町)の真弓山(標高301メートル)にあった日本の城。現在では「城跡公園足助城」として整備・公開されている。 | ||||||
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1030.溝口城 ・平城 | ||||||
溝口城(みぞぐちじょう)は現在の愛知県豊山町に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1031.南山城 (尾張国) ・山城 | ||||||
南山城(みなみやまじょう)は現在の愛知県瀬戸市に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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1032.宮後城 ・平城 | ||||||
宮後城(みやうしろじょう)は、尾張国丹羽郡宮後村、現在の愛知県江南市にあった日本の城。「蜂須賀屋敷」、「小六屋敷」などとも呼ばれる。 | ||||||
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1033.矢合城 ・平城 | ||||||
矢合城(やわせじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1034.横山城 (尾張国) ・平城 | ||||||
横山城(よこやまじょう)は、現在の愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1035.吉川城 ・平城 | ||||||
吉川城(よしかわじょう)は尾張国知多郡(現・愛知県大府市吉川町1丁目)にあった日本の城。 | ||||||
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1036.吉田城 (三河国) ・半輪郭式平城 | ||||||
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。 | ||||||
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1037.吉田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
吉田城(よしだじょう)は現在の愛知県春日井市にあった室町時代に築城された日本の城(平城)。 | ||||||
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1038.吉野城 (尾張国) ・平城 | ||||||
吉野城(よしのじょう)は現在の愛知県名古屋市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1039.鷲塚城 ・平城 | ||||||
鷲塚城(わしづかじょう)は、三河国碧海郡鷲塚村(現在の愛知県碧南市)にあった日本の城。「三河鷲塚城」とも呼ばれる。 | ||||||
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1040.月ヶ谷城 ・山城 | ||||||
月ヶ谷城(わちがやじょう)とは、戦国時代、愛知県豊橋市嵩山町にあった日本の城(山城)である。五本松城へ移転するまで、三河西郷氏の本城であった。 | ||||||
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1041.赤目城 ・平城 | ||||||
赤目城(あかめじょう)は現在の愛知県愛西市赤目町に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1042.安城古城 | ||||||
安城古城(あんじょうこじょう)は、現在の愛知県安城市安城町社口堂に所在した城。安祥古城の表記もある。 | ||||||
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1043.安祥城 ・平山城 | ||||||
安祥城(あんじょうじょう、あんしょうじょう)は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった日本の城。城跡は安祥城址公園として整備されており、安城市指定史跡[1]。跡地には安城市歴史博物館・安城市民ギャラリーなどがある。 | ||||||
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1044.一宮城 (尾張国) ・平城 | ||||||
一宮城(いちのみやじょう)は、現在の愛知県一宮市本町3丁目・大江にかつて存在した戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)である。 | ||||||
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1045.伊奈城 ・平城 | ||||||
伊奈城(いなじょう)は、三河国宝飯郡伊奈町深田、現在の愛知県豊川市伊奈町にあった日本の城(平城)。豊川市指定史跡[1]。 | ||||||
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1046.犬山城 ・平山城 | ||||||
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」にあった日本の城である。現在の場所で言えば愛知県犬山市にあり、天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。 | ||||||
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1047.井上城 (尾張国) ・平城 | ||||||
井上城(いのうえじょう)は現在の愛知県岩倉市井上町井出北に存在した日本の城(平城)である。岩倉市指定史跡[1]。 | ||||||
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1048.今村城 (尾張国) ・平城 | ||||||
今村城(いまむらじょう)は尾張国春日井郡(現在の愛知県瀬戸市)に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1049.入尾城 ・平城 | ||||||
入尾城(いりおじょう)は愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1050.岩倉城 (尾張国) ・平城 | ||||||
岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉、現在の愛知県岩倉市下本町にあった日本の城。岩倉市指定史跡[1]。 | ||||||
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1051.岩崎城 (尾張国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、尾張国山田郡[注 1](のち愛知郡)岩崎(現在の愛知県日進市岩崎町)に存在した戦国時代の日本の城(平山城)である。 | ||||||
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1052.鯏浦城 ・平城 | ||||||
鯏浦城(うぐいうらじょう)は、現在の愛知県弥富市鯏浦町上六49(現在の薬師寺)に存在していた日本の城である。弥富市指定史跡[1]。 | ||||||
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1053.牛久保城 | ||||||
牛久保城(うしくぼじょう)は、三河国宝飯郡牛久保(はじめ牛窪、後に牛久保に改称)、現在の愛知県豊川市牛久保町にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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1054.大赤見城 ・平城 | ||||||
大赤見城(おおあかみじょう)は現在の愛知県一宮市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1055.大草城 (尾張国春日井郡) | ||||||
大草城(おおくさじょう)は、愛知県小牧市にかつて存在した日本の城である。16世紀中頃に廃城となった。西尾式部道永と言う人物によって築城されたとされているため、「西尾城」とも呼ばれる。現在城のあった場所は竹藪となっており、曲輪や土塁の跡はあるが、建物はまったく残っていない。本丸跡に小さな神社がある他、大正時代に作られた石灯籠や、近年設置された城についての説明が記載された立て札などがある。 | ||||||
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1056.大草城 (尾張国知多郡) | ||||||
大草城(おおくさじょう)は、尾張国知多郡大草(現在の愛知県知多市大草)にあった日本の城(未完)。 | ||||||
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1057.大津城 (三河国) | ||||||
大津城(おおつじょう)とは、戦国時代、愛知県豊橋市老津町にあった日本の城である。高縄城(たかなわじょう)とも言う。現在の地名に合わせて「老津城」という表記もある。 | ||||||
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1058.大留城 ・平城 | ||||||
大留城 (おおどめじょう) は、愛知県春日井市に存在した室町時代の平城である。 | ||||||
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1059.大野城 (尾張国知多郡) ・平山城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、尾張国知多郡矢田村金山(現在の愛知県常滑市金山)の伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあった日本の城。織田氏が新たに築いた大草城とは矢田川を挟んで南に位置する。 常滑市指定史跡[1]。「宮山城(みややまじょう)」とも呼称される。 | ||||||
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1060.大野城 (尾張国海部郡) ・平城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、かつて尾張国海部郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城である。愛西市指定史跡。 | ||||||
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1061.大野城 (尾張国葉栗郡) ・平城 | ||||||
大野城(おおのじょう)は、かつての尾張国葉栗郡(現在の愛知県一宮市浅井町)にあった日本の城である。 | ||||||
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1062.緒川城 ・平山城 | ||||||
緒川城(おがわじょう)は、現在の愛知県知多郡東浦町緒川にあたる尾張国知多郡小河に所在する城。城跡は「緒川城址」として東浦町指定の史跡となっている[1]。 | ||||||
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1063.大給城 ・山城 | ||||||
大給城(おぎゅうじょう)は、現在の愛知県豊田市大内町にあった日本の城(山城)。2000年(平成12年)2月4日付で「松平氏遺跡」の1つとして国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1064.奥城 (尾張国) ・平城 | ||||||
奥城(おくじょう)は、現在の愛知県一宮市奥町字下口西に存在した日本の城(平城)である。別名は江並城(えなみじょう)・梶川屋敷(かじかわやしき)[1]。 | ||||||
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1065.小口城 ・平城 | ||||||
小口城(おぐちじょう)は尾張国丹羽郡小口、現在の愛知県丹羽郡大口町小口に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1066.小田井城 ・平城 | ||||||
小田井城(おたいじょう)は、現在の愛知県清須市西枇杷島町の古城交差点にあった、室町時代中期の日本の城(平城)である。 | ||||||
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1067.下津城 ・平城 | ||||||
下津城(おりづじょう)は尾張国中島郡下津(現在の愛知県稲沢市下津高戸町)にあった日本の城。種類は平城。「下津城址」の碑がある。一部土塁も残る。 | ||||||
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1068.楽田城 ・平城 | ||||||
楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった日本の城である。 | ||||||
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1069.片原一色城 ・平城 | ||||||
片原一色城(かたはらいっしきじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1070.形原城 ・平山城 | ||||||
形原城(かたはらじょう)は、三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町東古城・北古城・南古城)にあった日本の城。蒲郡市指定史跡[1]。 | ||||||
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1071.蟹江城 ・平城 | ||||||
蟹江城(かにえじょう)は、尾張国海部郡蟹江(現在の愛知県海部郡蟹江町)にあった中世の日本の城(平城)。 | ||||||
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1072.上末城 | ||||||
上末城(かみずえじょう)は、愛知県小牧市の上末(かみすえ)地区にかつて存在した日本の城である。16世紀末頃に廃城となった。現在は、竹藪の中に土塁と空堀跡などが残るのみである。隣接する国道155号沿いには城跡碑や、城の歴史などが記された説明板がある。 | ||||||
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1073.上ノ郷城 | ||||||
上ノ郷城(かみのごうじょう)は、かつて愛知県蒲郡市神ノ郷町にあった日本の城である。別名は西之郡之城・宇土城・鵜殿城・神ノ郷城。1957年(昭和32年)1月10日に蒲郡市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1074.上菱野城 ・平城 | ||||||
上菱野城(かみひしのじょう)、または山口城(やまぐちじょう)は[2]、現在の愛知県瀬戸市矢形町に所在した日本の城(平城)である。屋形の城(やかたのしろ)とも呼ばれる。 | ||||||
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1075.亀山城 (三河国) ・山城 | ||||||
亀山城(かめやまじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった日本の城。作手城と表記されることもある。 | ||||||
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1076.刈谷城 ・平城 | ||||||
刈谷城(かりやじょう)は、三河国碧海郡刈谷、現在の愛知県刈谷市にあった日本の城。正しくは「刈屋城」であるが、刈谷市が1950年(昭和25年)4月以降に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになった。 | ||||||
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1077.苅安賀城 | ||||||
苅安賀城(かりやすかじょう)は、現在の愛知県一宮市苅安賀にかつて存在した、戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)である。東西42間、南北32間の規模で内外二重堀の構えであった。 | ||||||
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1078.川口城 (三河国) ・山城 | ||||||
川口城(かわぐちじょう)は現在の愛知県豊田市に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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1079.北島城 ・平城 | ||||||
北島城(きたじまじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1080.北外山城 ・平城 | ||||||
北外山城(きたとやまじょう)は現在の愛知県小牧市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1081.儀長城 ・平城 | ||||||
儀長城(ぎちょうじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1082.木ノ下城 ・平城 | ||||||
木ノ下城(きのしたじょう)は、現在の愛知県犬山市にあたる尾張国丹羽郡にあった日本の城である。犬山市指定史跡[1]。 | ||||||
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1083.清洲城 ・平城 | ||||||
清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった日本の城である。尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視された。 | ||||||
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1084.沓掛城 ・平城 | ||||||
沓掛城(くつかけじょう)は、尾張国愛知郡沓掛、現在の愛知県豊明市沓掛町にあった日本の城。旧記には沓懸城とも書かれている。豊明市指定史跡[1]。 | ||||||
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1085.九之坪城 ・平城 | ||||||
九之坪城(くのつぼじょう)は現在の愛知県北名古屋市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1086.黒田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
黒田城(くろだじょう)は、現在の愛知県一宮市木曽川町黒田字古城にあたる尾張国葉栗郡黒田に戦国時代から安土桃山時代にかけてあった日本の城。1973年(昭和48年)10月1日付け一宮市指定史跡[1]。 | ||||||
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1087.鶏足城 ・山城 | ||||||
鶏足城(けっそくじょう)は現在の愛知県豊田市に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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1088.高田城 (尾張国) ・平城 | ||||||
高田城(こうだじょう)は、現在の愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代の日本の城である。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である[2]。 | ||||||
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1089.光明寺城 (尾張国) | ||||||
光明寺城(こうみょうじじょう)は、現在の愛知県一宮市光明寺字本郷屋敷にあった日本の城である。 | ||||||
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1090.小折城 ・平城 | ||||||
小折城(こおりじょう)は、現在の愛知県江南市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1091.古木江城 ・平城 | ||||||
古木江城(こきえじょう)は、尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城(平城)[2][3]。小木江城とも書かれる。 | ||||||
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1092.小牧山 ・平山城 | ||||||
小牧山(こまきやま)は、愛知県小牧市にある標高86mの山。 | ||||||
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1093.坂部城 ・平城 | ||||||
坂部城(さかべじょう)は、尾張国知多郡阿久比(現在の愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字栗之木谷32番地)にあった城。現在は阿久比町指定文化財(史跡)[1]「坂部城跡」として残されている。 | ||||||
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1094.桜城 ・平城 | ||||||
桜城(さくらじょう)は、現在の愛知県豊田市元城町に存在した日本の城である。名称の由来は、周囲に桜が多かったことによる。正式には「佐久良城」。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(桜城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(七州城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡[1]。 | ||||||
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1095.七州城 ・平山城 | ||||||
七州城(しちしゅうじょう)は、現在の愛知県豊田市小坂本町付近にあった日本の城である。「七州城」の呼称は通称であり、正式には「挙母城」(ころもじょう)という。1782年(天明2年)に築城され、挙母藩の藩庁が置かれた。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(七州城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(桜城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1096.下大留城 ・平城 | ||||||
下大留城(しもおおどめじょう)は愛知県春日井市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1097.下奈良城 ・平城 | ||||||
下奈良城(しもならじょう)は現在の愛知県一宮市春明南本郷1丁目に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1098.上条城 (三河国) ・平城 | ||||||
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の愛知県安城市に存在した日本の城(平城)である。 | ||||||
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1099.上条城 (尾張国) ・輪郭式平城 | ||||||
上条城(じょうじょうじょう)は、尾張国春日井郡上条、現在の愛知県春日井市上条町に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1100.勝幡城 ・ 平城 | ||||||
勝幡城(しょばたじょう)は、尾張国の海東郡と中島郡に跨る地域にあった日本の城。 | ||||||
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