1201.木津城 (山城国) ・山城 | ||||||
木津城(きづじょう)は、京都府に存在した中世の日本の城(山城)。木津川市の木津川左岸の城山に位置する。 | ||||||
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1202.京都新城 ・平城 | ||||||
京都新城(きょうとしんじょう)は、太閤豊臣秀吉が関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後、豊臣関白家の正式な邸宅として京都御所(禁裏)東南に構えた豊臣秀頼のための城郭風邸宅である。ただしその後は豊臣家から関白に任命された者はなく、秀頼が短期間利用した後は、秀吉の正室である高台院(北政所)が隠居屋敷として用いたのみであった。 | ||||||
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1203.指月城 | ||||||
指月城は、日本の城である。 | ||||||
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1204.周山城 ・山城 | ||||||
周山城(しゅうざんじょう)は、京都府京都市右京区京北周山町(かつての丹波国桑田郡)にあった日本の城。明智光秀の築城で、明智光忠が入ったとされる。 | ||||||
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1205.将軍山城 ・山城 | ||||||
将軍山城(しょうぐんやまじょう)は、現在の京都市左京区北白川清沢口町(当時は山城国愛宕郡)にある瓜生山(標高301メートル)に築かれた戦国時代の日本の城(山城)である。別名北白川城(きたしらかわじょう)、瓜生山城(うりょうさんじょう)、勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうやまじょう)とも呼ばれている。 | ||||||
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1206.勝竜寺城 ・梯郭式平城 | ||||||
勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市勝竜寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価される[1]。 | ||||||
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1207.園部城 ・平山城 | ||||||
園部城(そのべじょう)・園部陣屋(そのべじんや)は、京都府南丹市園部町小桜町周辺にあった陣屋または日本の城である。園部城が日本の城郭史で最後の建築物となる。建造物群の一部は府の「暫定登録文化財」に登録されている[1]。 | ||||||
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1208.建部山城 ・山城 | ||||||
建部山城(たけべやまじょう)は丹後国加佐郡(現在の京都府舞鶴市下福井)に室町時代から戦国時代に存在していた日本の城。室町幕府の重鎮として栄えた有力守護大名・一色氏の根拠地である八田守護所の背後にあった詰城。八田城、田辺城ともいう。 | ||||||
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1209.田辺城 (丹後国) ・輪郭式平城 | ||||||
田辺城(たなべじょう)は、京都府舞鶴市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城。別名は舞鶴城(ぶがくじょう)。鎌倉幕府・室町幕府の八田守護所(丹後守護所)の後身ともされる。舞鶴市指定史跡[1]。 | ||||||
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1210.二条城 ・輪郭式平城 | ||||||
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の平城であり近代においては離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である[1]。 | ||||||
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1211.東山霊山城 ・山城 | ||||||
東山霊山城(ひがしやまりょうぜんじょう)あるいは霊山城(りょうぜんじょう)とは、現在の京都市東山区清閑寺霊山町(当時は山城国愛宕郡)にある霊山(標高176m)に築かれた戦国時代の日本の城(山城)跡である。 | ||||||
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1212.福知山城 ・連郭式平山城 | ||||||
福知山城(ふくちやまじょう)は、丹波国天田郡福知山[1](現・京都府福知山市字内記内記一丁目周辺)にあった日本の城(平山城)跡。江戸時代には福知山藩の居城であった。1965年10月14日、市の史跡に指定[2]。2017年には、「続日本100名城」(158番)に選定された。 | ||||||
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1213.伏見城 ・梯郭式平山城 | ||||||
伏見城(ふしみじょう)は、現在の京都市伏見区の桃山丘陵にあった日本の城。 | ||||||
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1214.船岡山城 ・山城 | ||||||
船岡山城(ふなおかやまじょう)は京都市北区にある中世の日本の城(山城)跡。別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。 | ||||||
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1215.槇島城 | ||||||
槇島城(まきしまじょう)は、京都府宇治市槇島町にかつて存在した日本の城。「槙島城」とも表記される。 | ||||||
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1216.宮津城 ・平城 | ||||||
宮津城(みやづじょう)は、丹後国与謝郡[1]宮津(現・京都府宮津市鶴賀)にあった日本の城跡。現存していれば日本の海城を代表する城であった[2]。 | ||||||
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1217.八木城 (丹波国) ・複合梯郭式山城 | ||||||
八木城(やぎじょう)は、京都府南丹市八木町八木および亀岡市宮前町神前周辺にあった日本の城。丹波国三大城郭のひとつで、黒井城、八上城とともに数えられている。キリシタン武将・内藤如安ゆかりの城としても知られる。 | ||||||
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1218.山崎城 (山城国) ・山城 | ||||||
山崎城(やまざきじょう)は、京都府乙訓郡大山崎町字大山崎にあった日本の城(山城)。山崎の戦い後、大坂城を築城するまで豊臣秀吉が本拠地としていた。別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれている。 | ||||||
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1219.山科本願寺 ・平城 | ||||||
山科本願寺(やましなほんがんじ)は、京都市山科区にあった浄土真宗の寺院。本願寺第8世法主蓮如により、文明15年8月22日(1483年9月23日)に完成・建立。 | ||||||
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1220.弓木城 ・山城 | ||||||
弓木城(ゆみのきじょう)は、丹後国(現京都府与謝野町岩滝)にあった日本の城。 | ||||||
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1221.淀古城 ・平城 | ||||||
淀古城(よどこじょう)は、京都府京都市伏見区納所(のうそ)北城堀にあった日本の城。納所は木津・桂・宇治の三川が合流するポイントの北岸にあたりに築城され、3面を川に囲まれた天然の要害で、古くからの商業地「淀」の中核都市であった。 | ||||||
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1222.淀城 ・梯郭式平城 | ||||||
淀城(よどじょう)は、山城国久世郡淀(現・京都府京都市伏見区淀本町)にあった日本の城である。現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。 | ||||||
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1223.神泉苑 | ||||||
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区門前町にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音。そもそもは平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)。古代から中世にかけては東寺が管掌する雨乞いの道場となり、江戸時代に寺院となった。 | ||||||
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1224.仙洞御所 | ||||||
仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所。 | ||||||
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1225.二条御所 | ||||||
二条御所(にじょうごしょ)は、京都府京都市上京区武衛陣町に存在した御所。 | ||||||
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1226.二条城会見 | ||||||
二条城会見(にじょうじょうかいけん)は、1611年(慶長16年)3月28日に、山城国京都二条城において、徳川家康と豊臣秀頼が行った会見である。 | ||||||
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1227.二条城前駅 | ||||||
二条城前駅(にじょうじょうまええき)は、京都府京都市中京区二条城町にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT14。 | ||||||
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1228.二条新御所 | ||||||
二条新御所(にじょうしんごしょ)は、京都府京都市中京区二条殿町に存在した御所。 | ||||||
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1229.安威城 ・山城、丘城 | ||||||
安威城(あいじょう)は、大阪府茨木市安威にあった日本の城。 | ||||||
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1230.安威砦 ・連郭式山城 | ||||||
安威砦(あいとりで)は、大阪府茨木市安威にあった砦。安威城の背後の丘陵上に位置し、安威城が平時の居館であったのに対して、安威砦は詰の砦ではなかったかと考えられている[1]。 | ||||||
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1231.芥川城 ・平城 | ||||||
芥川城(あくたがわじょう)は大阪府高槻市にある日本の城跡。同じ高槻市にある能勢頼則が築城した山城も芥川城と呼称されている。現在では便宜上、殿町周辺にあった城を「芥川城」、三好山にあった城を「芥川山城」と区別している。 | ||||||
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1232.芥川山城 ・連郭式山城 | ||||||
芥川山城(あくたがわやまじょう/あくたがわさんじょう)は、大阪府高槻市の三好山にあった日本の城。国の史跡に指定されている(指定名称は「芥川城」)[1][2]。 | ||||||
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1233.雨山城 (和泉国) ・山城 | ||||||
雨山城(あめやまじょう)は、大阪府泉南郡熊取町野田の雨山に所在する南北朝時代の日本の城跡(山城)。泉州における南朝方の拠点として南朝・北朝間で激しい争奪の舞台となった。1996年(平成8年)3月13日に熊取町指定史跡となっていたが[1]、2013年(平成25年)10月17日、隣接する泉佐野市の土丸城と共に「土丸・雨山城」として国の史跡・日根荘遺跡の一部に加えられた[2]。 | ||||||
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1234.飯盛山城 ・山城 | ||||||
飯盛山城(いいもりやまじょう)は、河内国讃良郡[1]飯盛山(現・大阪府大東市及び四條畷市)にある日本の城跡。別名「飯盛城」[2]。標高315.9mの飯盛山に築かれた日本の城(山城)である。 | ||||||
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1235.池田城 (摂津国) ・平山城、丘城 | ||||||
池田城(いけだじょう)は、大阪府池田市にあった日本の城。建武元年(1334年)前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた。現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されている。 | ||||||
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1236.茨木城 ・平城 | ||||||
茨木城(いばらきじょう)は大阪府茨木市にあった日本の城である。現在の城跡は宅地化され、茨木神社に移築されたと言われている搦手門と茨木小学校に復元された櫓門がある程度で、城をしのばせるものはほとんど残っていない。 | ||||||
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1237.江口城 ・平城 | ||||||
江口城(えぐちじょう)は大阪府大阪市東淀川区の旧江口村周辺にあったと言われている日本の城。 | ||||||
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1238.榎並城 ・平城 | ||||||
榎並城(えなみじょう)は、摂津国東生郡榎並荘、現在の大阪府大阪市城東区野江付近にあった日本の城。ここの東側に存在した室町幕府料所河内十七箇所に因み、別名を十七箇所城(じゅうななかしょじょう)とも言った。 | ||||||
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1239.烏帽子形城 ・山城 | ||||||
烏帽子形城(えぼしがたじょう)は、大阪府河内長野市喜多町の烏帽子形山にあった日本の城。別名「押子形城」。奥河内の名所である高野街道の沿線にあり、城跡は国の史跡に指定されている。また日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつでもある。 | ||||||
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1240.大坂城 ・輪郭式平城または平山城 | ||||||
大坂城/大阪城(おおさかじょう[注釈 1])は、戦国時代に上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた。現在の大阪城は1930年代に再築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。「大阪城跡」として国の特別史跡に指定されている。なお、城址を含む一帯は大阪城公園(おおさかじょうこうえん)として整備されている。天守は博物館「大阪城天守閣」となっている。 | ||||||
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1241.太田城 (摂津国) ・平城、館城 | ||||||
太田城(おおだじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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1242.大塚城 ・平山城 | ||||||
大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われている。 | ||||||
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1243.大和田城 ・平城 | ||||||
大和田城(おおわだじょう)は、大阪市西淀川区大和田4丁目から5丁目付近にあった日本の城(平城)である。正確な位置や城郭、築城や廃城などの歴史については不明な点が多い。もともと戦国時代に砦があった場所に、石山合戦の時に織田信長の命に本格的な城郭として築城かれたのではないかと考えられている。 | ||||||
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1244.岡ミサンザイ古墳 | ||||||
岡ミサンザイ古墳(おかみさんざいこふん)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。 | ||||||
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1245.忍陵神社 | ||||||
忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)は、大阪府四條畷市岡山にある神社。式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。 | ||||||
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1246.貝吹山城 ・平山城、丘城 | ||||||
貝吹山城(かいぶきやまじょう)は、和泉南郡八木郷(現・大阪府岸和田市池尻町)にあった日本の城(平山城、丘城)。 | ||||||
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1247.交野城 ・連郭式平城 | ||||||
交野城(かたのじょう)は、河内国交野郡[注釈 1]交野庄私部[2](現在の大阪府交野市私部)に築かれた日本の城(平城)。別名を私部城(きさべじょう)。交野市指定史跡に指定されている[3]。 | ||||||
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1248.上赤坂城 ・山城 | ||||||
上赤坂城(かみあかさかじょう)は、日本の城。所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村上赤阪。「上赤阪城」と書くこともある。別名、楠木城。小根田城、桐山城とも言う。楠木七城の一つ。「楠木城跡(上赤阪城跡)」として国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1249.岸和田城 ・輪郭式平城 | ||||||
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町にあった日本の城である。別名千亀利城(ちきりじょう)。江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた。本丸庭園は国の名勝[1][2]、城跡は大阪府の史跡に指定されている。本丸および二の丸一帯の4.9haは千亀利公園として岸和田市が管理している。 | ||||||
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1250.楠木七城 | ||||||
楠木七城(くすのきしちじょう)は、後醍醐天皇の呼び掛けに応じた楠木正成が鎌倉幕府への抵抗の拠点とするために築城した城砦群である。現在の大阪府南河内郡千早赤阪村・富田林市・河内長野市にかけて城跡が残る。 | ||||||
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1251.柴島城 ・平城 | ||||||
柴島城(くにじまじょう)は、大阪府大阪市東淀川区にあった日本の城。 | ||||||
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1252.郡山城 (摂津国) ・平山城、丘城 | ||||||
郡山城(こおりやまじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城。 | ||||||
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1253.金胎寺城 (富田林市) ・連郭式山城 | ||||||
金胎寺城(こんたいじじょう)は、大阪府富田林市に存在した中世城郭である。 | ||||||
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1254.佐保来栖山砦 ・山城 | ||||||
佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)は、大阪府茨木市大字佐保にあった砦、山城。史料に記載がなく、平成になり発掘調査で存在が確認できた城郭である。 | ||||||
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1255.三箇城 ・平城 | ||||||
三箇城(さんがじょう)は、大阪府大東市にあった城。 | ||||||
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1256.地黄城 ・平城、単郭式近世陣屋城 | ||||||
地黄城(じおうじょう)は、大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平城)。別名、地黄陣屋(じおうじんや)とも呼ばれている。 | ||||||
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1257.下赤坂城 ・山城 | ||||||
下赤坂城(しもあかさかじょう)は、日本の城。所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村森屋。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1258.積善寺城 ・平城 | ||||||
積善寺城(しゃくぜんじじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城(平城)。 | ||||||
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1259.吹田城 ・平山城、居城 | ||||||
吹田城(すいたじょう)は大阪府吹田市の吹田駅付近にあった日本の城。 | ||||||
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1260.千石堀城 ・山城 | ||||||
千石堀城(せんごくぼりじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城(山城)。 | ||||||
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1261.高槻城 ・平城 | ||||||
高槻城(たかつきじょう)は、摂津国島上郡[1]高槻村(現・大阪府高槻市城内町)にあった日本の城(明治7年(1874年)まで存在)。入江城(いりえじょう)とも呼ばれる。大阪府指定史跡[2]。 | ||||||
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1262.高屋城 ・連郭式平山城、台地城 | ||||||
高屋城(たかやじょう)は、大阪府羽曳野市古市にかつてあった日本の城。三管領の畠山氏の本拠地である。本丸は宮内庁によって安閑天皇陵に治定されている古墳(高屋築山古墳)があり、立ち入りが禁止されている。二の丸、三の丸は住宅地となっている。 | ||||||
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1263.高安城 ・古代山城 | ||||||
高安城(たかやすじょう/たかやすのき)は、奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市にまたがる、高安山[1]の山頂部に所在するとされる、日本の古代山城である。 | ||||||
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1264.嶽山城 ・山城 | ||||||
嶽山城(だけやまじょう)は、元弘2年(1332年)に楠木正成が築城した南河内の日本の城。大阪府富田林市彼方の嶽山山頂にあった。中腹に龍泉寺があることから龍泉寺城とも呼ばれる。楠木七城の一つ。 | ||||||
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1265.田原城 (河内国) ・山城 | ||||||
田原城(たわらじょう)は河内国(現在の大阪府四條畷市上田原)の大和国との境界付近に建てられた戦国時代の日本の城(山城)である。 | ||||||
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1266.千早城 ・連郭式山城 | ||||||
千早城(ちはやじょう)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早にある日本の城。国の史跡に指定されている。鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成・築城の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城である。金剛山城。楠木七城の一つ。 | ||||||
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1267.津田城 ・山城 | ||||||
津田城(つだじょう)は、大阪府枚方市津田にあった日本の城である。別名・国見山城(くにみやまじょう)ともいう[2]。 | ||||||
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1268.土丸城 ・山城 | ||||||
土丸城(つちまるじょう)、または槌丸城は、大阪府泉佐野市土丸の城ノ山(じょうのやま)に所在する。南北朝時代の日本の城跡(山城)。南朝・北朝間での激しい争奪の舞台となった。2013年(平成25年)10月17日、隣接する泉南郡熊取町の雨山城と共に「土丸・雨山城」として国の史跡・日根荘遺跡の一部に加えられた[1]。 | ||||||
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1269.天臨閣 | ||||||
天臨閣(てんりんかく)は、大坂城本丸にあった桃山様式の書院建築。紀州御殿(きしゅうごてん)の通称で知られた。 | ||||||
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1270.野崎城 (河内国) ・山城 | ||||||
野崎城(のざきじょう)は、大阪府大東市にあった日本の城。 | ||||||
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1271.野田城 (河内国) ・平城 | ||||||
野田城(のだじょう)とは、河内国丹比郡野田荘(現在の大阪府堺市東区)に存在していた城。 | ||||||
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1272.野田城 (摂津国) ・平城 | ||||||
野田城 (のだじょう)は、戦国時代の城郭。今の大阪府大阪市福島区玉川付近にあった日本の城(平城)である。 | ||||||
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1273.野間城 (摂津国) ・山城 | ||||||
野間城(のまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町野間中にあった日本の城(山城)。 | ||||||
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1274.畠中城 | ||||||
畠中城(はたけなかじょう)は、大阪府貝塚市畠中にかつてあった日本の城。 | ||||||
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1275.原田城 ・平山城、丘陵城郭 | ||||||
原田城(はらだじょう)は、大阪府豊中市曽根西町及び原田元町付近にあった日本の城(平山城、丘城)。豊中市指定史跡[1]。 | ||||||
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1276.深井城 ・丘城 | ||||||
深井城(ふかいじょう)は、大阪府堺市にあった日本の城。遺構などは存在せず、推定地として中区深井中町にあった観音山古墳が城跡として有力である。 | ||||||
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1277.福井城 (摂津国) ・山城、丘城 | ||||||
福井城(ふくいじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城。 | ||||||
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1278.二田城 | ||||||
二田城(ふったじょう)は、和泉国二田(現・大阪府泉大津市二田町)にあった日本の城。 | ||||||
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1279.堀城 ・平城 | ||||||
堀城(ほりじょう)は、大阪市淀川区にあった日本の城で、別名は中嶋城(なかじまじょう)とも言われている。 | ||||||
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1280.丸山城 (摂津国能勢郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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1281.三宅城 ・平城 | ||||||
三宅城(みやけじょう/みあけじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城である。宅地化、農地化がすすんで遺構などは地表上には存在せず、推定地として蔵垣内3丁目および丑寅2丁目が有力である[1]。 | ||||||
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1282.八尾城 | ||||||
八尾城(やおじょう)は、かつて河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあった日本の城。南北朝時代から安土桃山時代にかけて存在したが正確な所在はわかっていない(後述)。 | ||||||
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1283.若江城 ・平城 | ||||||
若江城(わかえじょう)は、南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に所在した日本の城(平城)。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。 | ||||||
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1284.大阪城公園 | ||||||
大阪城公園(おおさかじょうこうえん)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある都市公園(歴史公園)である[1]。 | ||||||
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1285.石山本願寺 | ||||||
石山本願寺(いしやまほんがんじ)は、戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡生玉荘大坂[注釈 1]にあった浄土真宗の寺院である[1]。なお、名称に関しては、大坂本願寺、大坂城など、様々な説がある。 | ||||||
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1286.越中井 | ||||||
越中井(えっちゅうい)は、大阪市中央区森ノ宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、細川ガラシャ最期の地として知られる。越中井戸(えっちゅういど)とも呼称される[1][2]。 | ||||||
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1287.真田丸 | ||||||
真田丸(さなだまる)は、1614年(慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城(北緯34度41分15.4秒 東経135度31分36.6秒 / 北緯34.687611度 東経135.526833度 / 34.687611; 135.526833 (豊臣時代の天主のおおよその所在地))平野口の南に構築した出城・曲輪(出丸)である。 | ||||||
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1288.三名城 | ||||||
三名城(さんめいじょう)とは、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、日本国内において名城とされる城の上位3つを挙げたものである。ただし、どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説がある。 | ||||||
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1289.新鴫野橋 | ||||||
新鴫野橋(しんしぎのばし)は、大阪府大阪市中央区大阪城と城見1丁目を結ぶ、第二寝屋川に架かる橋である。南詰に大阪城公園、北詰に大阪ビジネスパークが広がる[1][2]。 | ||||||
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1290.太閤下水 | ||||||
太閤下水(たいこうげすい)は大阪市に存在する下水溝である[1]。背割下水(せわりげすい)ともいう。築造時期は豊臣時代ではなく、江戸時代だと考えられている[2]。 | ||||||
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1291.手伝普請 | ||||||
手伝普請(てつだいふしん)は、豊臣政権や江戸幕府が諸大名に命じて行わせた大規模な土木建築工事のことである。近世の統一政権の成立が前提となる。 | ||||||
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1292.天下普請 | ||||||
天下普請(てんかぶしん)とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。なかでも城郭普請が有名であるが、道路整備や河川工事などインフラストラクチャー整備などの工事も含んでいる。 | ||||||
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1293.豊臣秀吉 | ||||||
豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)は戦国時代~安土桃山時代の日本の武将、戦国大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人[3][4]。織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた[5]。 | ||||||
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1294.豊臣秀頼 | ||||||
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより / とよとみ の ひでより、旧字体: 豐臣秀賴)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 | ||||||
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1295.豊國神社 (大阪市) | ||||||
豊國神社(ほうこくじんじゃ、新字体:豊国神社、旧字体:豐國神社)は、大阪市中央区にある神社。大阪城二の丸南側に鎮座する。旧社格は府社。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊臣秀長も配祀する。 | ||||||
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1296.淀殿 | ||||||
淀殿(よどどの、永禄12年(1569年)?[注釈 1][注釈 2] - 慶長20年5月8日(1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初頭の人物。豊臣秀吉の側室[注釈 3]。位階は従五位下とされるが、諸説あり。本名は 浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)および浅井 菊子(あざい きくこ)。浅井三姉妹の一人。 | ||||||
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1297.上月城 ・連郭式山城 | ||||||
上月城(こうづきじょう)は、兵庫県佐用郡佐用町(旧上月町)にある日本の城(山城)跡である。 | ||||||
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1298.光明寺城 (播磨国) ・山城 | ||||||
光明寺城(こうみょうじじょう)は、兵庫県加東市光明寺山内にあった日本の城(山城)。 | ||||||
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1299.越水城 ・平山城 | ||||||
越水城(こしみずじょう)は摂津武庫郡(兵庫県西宮市)にあった日本の城。現在は西宮市立大社小学校に案内看板・石碑が建っている。 | ||||||
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1300.小谷城 (播磨国) | ||||||
小谷城(こだにじょう)は、兵庫県加西市北条町小谷にあった日本の城。 | ||||||
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