1401.秋月城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
秋月城(あきづきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市にあった日本の城。 | ||||||
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1402.太田城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
太田城(おおたじょう)は、戦国時代に和歌山県和歌山市太田に存在した日本の城。来迎寺が太田城の本丸跡と伝えられる。 | ||||||
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1403.岡山城 (紀伊国) ・山城 | ||||||
岡山城(おかやまじょう)は、紀伊国(和歌山県和歌山市岡山丁)にあった日本の城。岡城とも呼ばれる。 | ||||||
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1404.勝山城 (紀伊国) ・山城 | ||||||
勝山城(かつやまじょう)は、現在の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮に所在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1405.衣笠城 (紀伊国) ・山城 | ||||||
衣笠城(きぬかさじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市中三栖)にあった日本の城。 | ||||||
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1406.木本城 ・山城 | ||||||
木本城(きもとじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市木ノ本)にあった日本の城。 | ||||||
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1407.虎城山城 ・山城 | ||||||
虎城山城(こじょうやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県東牟婁郡串本町古座)にあった日本の城。別名は古座浦城。 | ||||||
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1408.雑賀崎城 ・山城 | ||||||
雑賀崎城(さいかざきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市雑賀崎にあった日本の城。 | ||||||
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1409.雑賀崎台場 ・台場 | ||||||
雑賀崎台場(さいかざきだいば)は和歌山県和歌山市雑賀崎字長尾西原にある紀州藩が設置した砲台跡。和歌山県指定史跡[2]。 | ||||||
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1410.雑賀城 ・平山城、丘城 | ||||||
雑賀城(さいかじょう)は、戦国時代に現在の和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目付近に存在した日本の城(丘城)。妙見山城とも呼ばれた。 | ||||||
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1411.猿岡山城 ・山城 | ||||||
猿岡山城(さるおかやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県紀の川市粉河)にあった日本の城。別名、粉河城。 | ||||||
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1412.新宮城 ・平山城 | ||||||
新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城である。別名は丹鶴城(たんかくじょう)。また、沖見城(おきみじょう)とも称された[1]。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
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1413.田辺城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
田辺城(たなべじょう)は、和歌山県田辺市にかつて存在した日本の城。別名は錦水城(きんすいじょう)、湊村城、湊城など。現在の田辺市街の西南端に位置し、会津川の河口左岸と海に隣接していた。遺構として石垣と水門が残る。水門は田辺市指定史跡[1]。 | ||||||
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1414.玉津島砦 ・山城 | ||||||
玉津島砦(たまつしまとりで)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市和歌浦)にあったとされる砦である。 | ||||||
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1415.鶴ヶ城 (紀伊国) ・山城 | ||||||
鶴ヶ城(つるがじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市龍神村東)にあった日本の城。別名は増賀城。 | ||||||
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1416.手取城 ・山城 | ||||||
手取城(てどりじょう)は、紀伊国(現・和歌山県日高郡日高川町和佐)にあった日本の城。城は山城で、遺構としては石垣、堀の跡が残されている[1]。 | ||||||
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1417.中津城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
中津城(なかつじょう)は、紀伊国(現、和歌山県和歌山市)にあった日本の城である。 | ||||||
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1418.中野城 (紀伊国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市中野にあった日本の城。 | ||||||
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1419.長藪城 ・一城別郭式山城 | ||||||
長藪城(ながやぶじょう)は、和歌山県橋本市細川と慶賀野にまたがる城跡。現在の城山台住宅地北側の「城山」に位置する[1]。 | ||||||
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1420.広保山城 ・山城 | ||||||
広保山城(ひろほやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県有田郡湯浅町)にあった日本の城。 | ||||||
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1421.湯浅城 ・山城 | ||||||
湯浅城(ゆあさじょう)は、紀伊国有田郡(現在の和歌山県有田郡湯浅町青木)にあった日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1422.和歌山城 ・梯郭式平山城 | ||||||
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)である。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1423.和佐山城 ・山城 | ||||||
和佐山城(わさやまじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市禰宜に所在する日本の城跡。別名は城ヶ峯。 | ||||||
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1424.石井垣城 ・複郭式平山城 | ||||||
石井垣城(いわいがきじょう)は鳥取県西伯郡大山町石井垣に存在した日本の城。この地方では珍しい複郭式の遺構が確認される。 | ||||||
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1425.市場城 ・連郭式山城 | ||||||
市場城(いちばじょう)は鳥取県八頭郡八頭町市場(旧・因幡国)に存在した日本の城。私部城(きさいちじょう)とも呼ばれる。 | ||||||
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1426.今倉城 ・平城 | ||||||
今倉城(いまくらじょう)はかつて鳥取県倉吉市福光に存在した日本の城。島田城ともいわれる。 | ||||||
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1427.岩倉城 (伯耆国) | ||||||
岩倉城(いわくらじょう)は、鳥取県倉吉市岩倉にある中世の日本の城(山城跡)跡。標高247メートルの岩倉山に所在し、岩倉山城(いわくらやまじょう)とも記される。 | ||||||
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1428.羽衣石城 ・連郭式山城 | ||||||
羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にある中世の日本の城(山城)跡である。鳥取県指定史跡[1]。 | ||||||
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1429.打吹城 ・梯郭式山城 | ||||||
打吹城(うつぶきじょう)は、鳥取県倉吉市仲ノ町の打吹山(標高204メートル)に存在した日本の城。室町時代に伯耆国の守護・山名氏により守護所とされた。 | ||||||
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1430.江美城 ・山城 | ||||||
江美城(えびじょう)は、鳥取県日野郡江府町にあった戦国時代の日本の城。江尾城、江尾要害とも記される。江府町指定史跡[1]。 | ||||||
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1431.大崎城 ・連郭式山城 | ||||||
大崎城(おおさきじょう)は、鳥取県鳥取市気高町奥沢見に存在した日本の城。 | ||||||
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1432.尾高城 ・連郭式平山城 | ||||||
尾高城(おだかじょう)は、鳥取県米子市尾高にある中世の日本の城(平山城跡)で、泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。米子市指定史跡[1]。 | ||||||
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1433.鏡山城 (伯耆国) ・山城、居館 | ||||||
鏡山城(かがみやまじょう)、または黒坂城(くろさかじょう)は、鳥取県日野郡日野町黒坂に存在した江戸時代初期の日本の城。旧日野産業高校校舎とその裏山が城跡である。 | ||||||
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1434.景石城 ・連郭式山城 | ||||||
景石城(かげいしじょう)は鳥取県鳥取市用瀬町用瀬にかつて存在した日本の城。鳥取市指定史跡[1]。 | ||||||
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1435.雁金山城 ・平山城 | ||||||
雁金山城(かりがねやまじょう)は、鳥取市湯所町に存在した日本の城である。久松山から尾根続きの丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。 | ||||||
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1436.河口城 ・山城 | ||||||
河口城(かわぐちじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町泊に存在した日本の城。湯梨浜町指定史跡[1]。JR山陰本線・泊駅のすぐそばの小山がそれである。 | ||||||
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1437.河原城 ・平山城 | ||||||
河原城(かわはらじょう)は、鳥取県鳥取市河原町谷一木にかつて存在した日本の城。この城の正式名称は「丸山城」であるが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、旧邑美郡に限ってもこの城を含めて2つある。河原城は、後述する天守風建造物が建てられて以後の名称であるが、他2城との混同を避けるため、ここでは河原城と呼称する。 | ||||||
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1438.桐山城 | ||||||
桐山城(きりやまじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町浦富に存在した日本の城である。浦富海岸の背後にそびえる標高203mの木山に築城された。但馬から因幡にかけての海岸線に多く存在する海賊城の一つで、但馬・因幡の海上交通路を扼する要衝だった。 | ||||||
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1439.小浪城 | ||||||
小浪城(こなみじょう)は、南北朝時代の城館(日本の城)で、鎌倉幕府方と後醍醐天皇方の争乱の舞台となった。 | ||||||
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1440.鹿野城 ・平山城 | ||||||
鹿野城(しかのじょう)は、鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(旧・因幡国気多郡)にある日本の城(平山城跡)跡。鳥取市指定史跡[1]。 | ||||||
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1441.生山城 ・山城 | ||||||
生山城(しょうやまじょう)は、鳥取県日野郡日南町生山に存在した日本の城。日野川とその支流の石見川が合流する地点の東、標高470メートル、比高180メートル程の山上に存在していた。別名・亀井山城、日野本城。 | ||||||
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1442.白石城 (伯耆国) ・連郭式山城 | ||||||
白石城(しらいしじょう)はかつて鳥取県東伯郡湯梨浜町白石・方地(ほうじ)に存在した日本の城。 | ||||||
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1443.船上山城 | ||||||
船上山城(せんじょうさんじょう)は鳥取県東伯郡琴浦町にあった日本の城。船上山の険しい断崖を利用した典型的な山城である。 | ||||||
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1444.太閤ヶ平 ・付城 | ||||||
太閤ヶ平(たいこうがなる)は、鳥取県鳥取市百谷字太閤ヶ平にある戦国時代の付城である(前線基地)。天正9年(1581年)に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による第二次鳥取城攻撃の際に造営された。秀吉の陣城跡は「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」として、1957年(昭和32年)に鳥取城と並び国の史跡に指定されている[1][2]。 | ||||||
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1445.田内城 ・山城 | ||||||
田内城(たうちじょう)は鳥取県倉吉市巌城にある仏石山(標高58メートル)に存在した日本の城。巌城(がんじょう)とも呼ぶ。南北朝時代の伯耆国の守護所だった。 | ||||||
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1446.高城城 ・連郭式山城 | ||||||
高城城(たかしろじょう)はかつて鳥取県倉吉市福積、沢谷に存在していた日本の城。 | ||||||
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1447.槻下豪族館 ・平城 | ||||||
槻下豪族館(つきのしたごうぞくかん)は鳥取県東伯郡琴浦町槻下にかつて存在した館跡。琴浦町指定史跡。 | ||||||
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1448.堤城 | ||||||
堤城(つつみじょう)は、鳥取県東伯郡北栄町に所在した日本の城。島(現・北条島)集落内に所在したと伝えられ、付近に「堤城」「城の内」などの地名が残る。 | ||||||
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1449.防己尾城 | ||||||
防己尾城(つづらおじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市金沢)にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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1450.手間要害 ・連郭式山城 | ||||||
手間要害(てま ようがい)は鳥取県西伯郡南部町寺内に存在した城郭。「天満山城」、「天万要害」などとも呼ばれる。 | ||||||
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1451.道竹城 | ||||||
道竹城(どうちくじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町新井に存在した日本の城。JR岩美駅前の標高150mの山が城跡である。 | ||||||
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1452.鳥取城 ・梯郭式平山城および山城 | ||||||
鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡)に築かれた戦国時代から江戸時代の日本の城である。国の史跡に指定[1]され、別名は久松城(ひさまつのしろ)・久松山城(ひさまつやまのしろ)という。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ[2]。織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された[2]。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残っている。 | ||||||
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1453.鳥取藩台場跡 | ||||||
鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)は、鳥取藩が江戸時代の幕末期に領内8か所に築いた台場跡の総称である。1988年7月27日うち5か所が国によって史跡に指定[1]、2016年3月1日赤崎台場跡が追加指定[1]されている。 | ||||||
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1454.新山城 (因幡国) ・平山城 | ||||||
新山城(にいやまじょう)は、かつて鳥取県鳥取市徳尾に存在した日本の城。国体道路交差点横の小山が城跡であるが、道路建設や開発などで破壊されており、保存状態は悪い。 | ||||||
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1455.橋本城 (因幡国) | ||||||
橋本城(はしもとじょう)は、現在の鳥取県鳥取市橋本にあった城。橋本山に位置している。 | ||||||
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1456.番城 ・連郭式山城 | ||||||
番城(ばんじろ)は、かつて鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石(うえし)に存在した日本の城。羽衣石城の出城と言われる[3]。 | ||||||
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1457.鵯尾城 ・連郭式山城 | ||||||
鵯尾城(ひよどりおじょう)は鳥取県鳥取市玉津に存在した日本の城。因幡武田氏の拠点の城のひとつ。 | ||||||
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1458.布勢天神山城 ・連郭式平山城 | ||||||
布勢天神山城(ふせてんじんやまじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市湖山町南、布勢)にあった日本の城(丘城)で、戦国期の因幡国守護所とされる。布勢は布施とも表記される。鳥取県指定史跡(史跡名は「天神山城跡」)[1]。 | ||||||
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1459.二上山城 ・山城 | ||||||
二上山城(ふたがみやまじょう)は鳥取県岩美郡岩美町岩常に存在した日本の城。南北朝時代から室町時代中期にかけての因幡国の守護所だった。鳥取県指定史跡[1]。 | ||||||
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1460.不動ガ嶽城 | ||||||
不動ガ嶽城(ふどうがだけじょう)は、鳥取県日野郡日野町に所在した日本の城。黒坂から滝山神社に向かう途中、左手の山上、岩壁が露出する場所が城跡である。 | ||||||
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1461.蛇山城 (因幡国巨濃郡) ・単郭式山城 | ||||||
蛇山城(へびやまじょう)は鳥取市福部町箭溪(やだに)にかつて存在した日本の城。 | ||||||
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1462.法勝寺城 ・山城 | ||||||
法勝寺城(ほっしょうじじょう)は鳥取県西伯郡南部町法勝寺に存在した日本の城。 | ||||||
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1463.俣野の土居城 ・平城 | ||||||
俣野の土居城(またののどいじょう)は、鳥取県日野郡江府町俣野に存在した館跡(日本の城)。標高348m、比高30m程の丘の上に存在していた。 | ||||||
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1464.丸山城 (因幡国邑美郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は、鳥取市丸山に存在した日本の城。久松山の北西に位置する独立丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の豊臣秀吉の鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。 | ||||||
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1465.丸山城 (因幡国高草郡) ・平山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は鳥取市六反田に存在した日本の城。現在では山林となっているが保存状態は良い。 | ||||||
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1466.八橋城 ・平山城 | ||||||
八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町大字八橋に所在した日本の城。琴浦町指定史跡[1]。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。 | ||||||
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1467.山崎城 ・連郭式山城 | ||||||
山崎城(やまさきじょう)は鳥取県鳥取市国府町山崎に存在した日本の城。 | ||||||
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1468.山名氏豊館 ・平城 | ||||||
山名氏豊館(やまなうじとよやかた)はかつて鳥取県倉吉市東町に存在していた城郭。 | ||||||
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1469.淀江城 ・平城 | ||||||
淀江城(よどえじょう)は、鳥取県米子市淀江町淀江に所在した日本の城。JR淀江駅前付近が城跡である。 | ||||||
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1470.米子城 ・梯郭式平山城(海城[1]) | ||||||
米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城。久米城、湊山城ともいう。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁であった。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1471.若桜鬼ヶ城 ・連郭式山城 | ||||||
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は鳥取県八頭郡若桜町若桜に存在した日本の城。城跡は国の史跡に指定[1]されている。 | ||||||
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1472.青杉城 ・階郭式山城 | ||||||
青杉城(あおすぎがじょう)は、石見国邑智郡佐波荘、現在の島根県邑智郡美郷町高山にあった日本の城(山城)。戦国期の佐波氏の居城。 | ||||||
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1473.赤穴城 ・連郭式山城 | ||||||
赤穴城(あかなじょう)、または瀬戸山城(せとやまじょう)は、島根県飯石郡飯南町下赤名にあった日本の城。赤穴瀬戸山城・衣掛城(きぬかけじょう)・藤釣城(ふじつるじょう)ともいう[1]。 | ||||||
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1474.荒隈城 ・連郭式山城 | ||||||
荒隈城(あらわいじょう)は、島根県松江市国屋町にあった日本の城。 | ||||||
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1475.牛尾城 ・連郭式山城 | ||||||
牛尾城(うしおじょう)は島根県雲南市大東町南村にあった日本の城。 | ||||||
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1476.月山富田城 ・複郭式山城 | ||||||
月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した日本の城。月山(標高183.9m[1][2][3])に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1477.熊野城 ・連郭式山城 | ||||||
熊野城(くまのじょう)は島根県松江市八雲町にあった日本の城。 | ||||||
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1478.国府尾城 ・山城 | ||||||
国府尾城(こうのじょう)は、戦国時代に隠岐国島後周吉郡国府尾城山、現在の島根県隠岐郡隠岐の島町下西[1]に築かれた城である。別称甲尾城、甲ノ尾城。 | ||||||
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1479.郡山城 (石見国) | ||||||
石見国にあった 郡山城(こおりやまじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町にあった日本の城。 | ||||||
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1480.佐世城 ・山城 | ||||||
佐世城(させじょう)は、島根県雲南市大東町佐世に所在する戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏による日本の城。 | ||||||
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1481.白鹿城 ・連郭式山城 | ||||||
白鹿城(しらがじょう)は島根県松江市法吉町にあった日本の城である。 | ||||||
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1482.神西城 ・山城 | ||||||
神西城(じんざいじょう)は、現在の島根県出雲市東神西町にあった日本の城。 | ||||||
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1483.新山城 ・連郭式山城 | ||||||
新山城(しんやまじょう)、または真山城は、島根県松江市法吉町にあった日本の城。 | ||||||
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1484.大西城 ・連郭式山城 | ||||||
大西城(だいさいじょう)は、島根県雲南市加茂町にあった日本の城。 | ||||||
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1485.高瀬城 ・連郭式山城 | ||||||
高瀬城(たかせじょう)は島根県出雲市斐川町神庭にあった日本の城。 | ||||||
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1486.玉造要害山城 ・山城 | ||||||
玉造要害山城(たまつくりようがいさんじょう)は、島根県松江市玉湯町にあった日本の城。湯秀貞によって築かれた山城で、尼子氏の重臣として活躍した湯氏の一族が拠った。 | ||||||
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1487.津和野城 ・連郭式山城 | ||||||
津和野城(つわのじょう)は、石見国鹿足郡[1]津和野霊亀山(現・島根県鹿足郡津和野町後田)[2]にある日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1488.十神山城 ・連郭式山城 | ||||||
十神山城(とかみやまじょう)は島根県安来市新十神町にあった日本の城。 | ||||||
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1489.鳶ヶ巣城 ・連郭式山城 | ||||||
鳶ヶ巣城(とびがすじょう)は島根県出雲市西林木町にあった日本の城。出雲市指定史跡[1][2]。 | ||||||
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1490.七尾城 (石見国) ・連郭式山城 | ||||||
七尾城(ななおじょう)は島根県益田市七尾町にあった日本の城。城跡は、同市三宅町にある三宅御土居跡とともに国の史跡「益田氏城館跡」に指定されている[1]。 | ||||||
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1491.温湯城 ・山城 | ||||||
温湯城(ぬくゆじょう)は、石見国邑智郡、現在の島根県邑智郡川本町にあった日本の城。石見小笠原氏の居城。 | ||||||
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1492.浜田城 ・梯郭式平山城 | ||||||
浜田城(はまだじょう)は、石見国浜田(現:島根県浜田市殿町)に存在した日本の城。江戸時代には浜田藩の藩庁が置かれていた。 | ||||||
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1493.檜ヶ山城 ・連郭式山城 | ||||||
檜ヶ山城(ひがせんじょう / ひのきがせんじょう)は、島根県出雲市多久町にあった日本の城。 | ||||||
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1494.平田城 ・連郭式山城 | ||||||
平田城(ひらたじょう)は、島根県出雲市平田町にあった日本の城。 | ||||||
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1495.日和城 ・階郭式山城 | ||||||
日和城(ひわじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町にあった日本の城。 | ||||||
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1496.二ツ山城 ・連郭式山城 | ||||||
二ツ山城(ふたつやまじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町鱒渕にあった日本の城。石見国の中では益田市の七尾城に次いで古い山城である。邑南町指定史跡[1]。 | ||||||
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1497.本城 (石見国) ・山城 | ||||||
本城(ほんじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町下田所にあった日本の城。自治体による史跡指定は受けていない[1][2]。 | ||||||
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1498.松江城 ・輪郭連郭複合式平山城 | ||||||
松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1499.丸山城 (石見国) ・輪郭式山城 | ||||||
丸山城(まるやまじょう)は、石見国邑智郡(現・島根県邑智郡川本町三原)にあった日本の城。島根県指定史跡[1]。 | ||||||
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1500.満願寺城 ・連郭式平山城 | ||||||
満願寺城(まんがんじじょう)は、島根県松江市西浜佐陀町にあった日本の城。 | ||||||
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