1701.永納山城 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
永納山城(えいのうさんじょう)は、伊予国桑村郡の永納山・医王山(現在の愛媛県西条市河原津・楠、今治市孫兵衛作(まごべえさく))[1]にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1702.大洲城 ・梯郭式平山城 | ||||||
大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。 | ||||||
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1703.大森城 (伊予国) ・山城 | ||||||
大森城(おおもりじょう)は、愛媛県宇和島市三間町に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1704.大森城 (伊予国南宇和郡) ・山城 | ||||||
大森城(おおもりじょう)は、愛媛県南宇和郡愛南町城辺町にある日本の城跡。町の史跡[1]。 | ||||||
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1705.岡崎城 (伊予国) ・山城 | ||||||
岡崎城(おかざきじょう)は、愛媛県新居浜市にあった日本の城。新居浜市指定史跡[1]。 | ||||||
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1706.河後森城 ・山城 | ||||||
河後森城(かごもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城(山城)。国の史跡[2]。 | ||||||
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1707.金山城 (伊予国) | ||||||
金山城(かなやまじょう)は、愛媛県宇和島市三間町戸雁・成家に所在する日本の城(山城)跡。 | ||||||
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1708.金子城 ・山城 | ||||||
金子城(かねこじょう)、または金子山城(かねこやまじょう)は、現在の愛媛県新居浜市にあたる伊予国新居郡金子山に存在した戦国時代の日本の城である。別名・橘江城。新居浜市指定史跡[1]。 | ||||||
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1709.甲之森城 | ||||||
甲之森城(かぶとのもりじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)。標高451mの山頂にあり、周囲は平地となっている。 | ||||||
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1710.川之江城 ・山城 | ||||||
川之江城(かわのえじょう)は、愛媛県四国中央市川之江町の鷲尾山(城山)にある日本の城である。別名の仏殿城の名でも著名である。 | ||||||
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1711.来島城 ・島城 | ||||||
来島城(くるしまじょう)は、愛媛県今治市波止浜沖の来島にある日本の城(島城)である。村上水軍の根拠地の一つ。2016年(平成28年)4月、日本遺産「日本最大の海賊の本拠地」の構成文化財に認定された[1][2]。 | ||||||
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1712.黒瀬城 ・山城 | ||||||
黒瀬城(くろせじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1713.鷺ノ森城 ・平城 | ||||||
鷺ノ森城(さぎのもりじょう)は、愛媛県西条市壬生川(にゅうがわ)にかつて存在した日本の城である。鷺森城・鷺の森城とも書く。 | ||||||
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1714.生子山城 ・山城 | ||||||
生子山城(しょうじやまじょう)は、愛媛県新居浜市立川町にあった日本の城。 | ||||||
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1715.白木城 ・山城 | ||||||
白木城(しらきじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1716.石城 (伊予国) | ||||||
石城(せきじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町にあった日本の城。宇和島市指定史跡[1]。 | ||||||
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1717.高森城 (伊予国喜多郡) ・山城 | ||||||
高森城(たかもりじょう)は、愛媛県大洲市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1718.高森城 (伊予国宇和郡) ・山城 | ||||||
高森城(たかもりじょう)は、愛媛県宇和島市三間町と北宇和郡鬼北町の境に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1719.天ヶ森城 ・山城 | ||||||
天ヶ森城(てんがもりじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1720.常盤城 ・山城 | ||||||
常盤城(ときわじょう)は、愛媛県南宇和郡愛南町に存在した日本の城(山城)。町の史跡[1]。 | ||||||
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1721.能島 ・水軍城 | ||||||
能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属する。属島として鯛崎島が南にある。 | ||||||
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1722.萩森城 | ||||||
萩森城(はぎもりじょう)は、愛媛県八幡浜市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1723.法華津本城 | ||||||
法華津本城(ほけづほんじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。宇和島市指定史跡[1]。 | ||||||
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1724.松前城 (伊予国) ・平城 | ||||||
松前城(まさきじょう)は伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。 | ||||||
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1725.松山城 (伊予国) ・連郭式平山城 | ||||||
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名 金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地に松山城と呼ばれる城が多数存在するため「伊予松山城」と呼ばれることもあるが、一般的に「松山城」は本城を指すことが多い。同じ現存12天守の一つ、岡山県高梁市にある備中松山城と比較すると、本城が優勢となっている。 | ||||||
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1726.三滝城 ・山城 | ||||||
三滝城(みたきじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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1727.港山城 ・階郭式山城 | ||||||
港山城(みなとやまじょう)は、伊予国(現在の愛媛県松山市港山)の、海に面する西側の小丘陵に築かれた河野氏の河野水軍が拠点にした日本の城(山城)。湊山城とも書かれた。 | ||||||
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1728.元城 (伊予国) ・丘城 | ||||||
元城(もとじょう)は、愛媛県八幡浜市に存在した日本の城(丘城)。 | ||||||
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1729.湯築城 ・梯郭式平山城 | ||||||
湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後公園にある城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1730.竜ヶ森城 ・山城 | ||||||
竜ヶ森城(りゅうがもりじょう)、または龍ヶ森城、隆ヶ森城は、愛媛県西予市城川町魚成に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1731.安芸城 ・梯郭式平山城 | ||||||
安芸城(あきじょう)は、高知県安芸市土居に存在した日本の城(平山城)。江戸時代には土佐藩山内家家老の五藤家が居住し、安芸(安喜)土居として存続した。安芸市指定史跡[1]。 | ||||||
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1732.朝倉城 (土佐国) ・山城 | ||||||
朝倉城(あさくらじょう)は、高知県高知市朝倉にあった日本の城。高知県指定史跡[1]。 | ||||||
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1733.浦戸城 ・平山城 | ||||||
浦戸城(うらどじょう、Urado Castle, Urado-jo)は、高知県高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった日本の城。 | ||||||
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1734.大津城 (土佐国) ・平山城 | ||||||
大津城(おおつじょう)は、高知県高知市大津にある中世から近世にかけての日本の城(平山城)。天竺城や大津御所の別名を持つ。 | ||||||
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1735.岡豊城 ・連郭式山城 | ||||||
岡豊城(おこうじょう)は、高知県南国市にある中世の日本の城(山城)跡。戦国時代に四国の覇者となった長宗我部氏の居城であった。城跡は国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1736.柏井城 (土佐国) ・山城 | ||||||
柏井城(かしわいじょう)は現在の高知県高岡郡日高村に存在した日本の城(山城)である。 | ||||||
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1737.吉良城 ・平山城 | ||||||
吉良城(きらじょう)は、土佐国(現高知県高知市春野町弘岡上)にあった中世の日本の城。 別名・吉良峰城。高知市指定史跡[1]。 | ||||||
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1738.楠目城 ・平山城 | ||||||
楠目城(くずめじょう)は、土佐国、現在の高知県香美市土佐山田町楠目字楠目にあった中世の日本の城。別名・山田城。「楠目城跡」として香美市指定史跡[1]。 | ||||||
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1739.介良城 ・(平)山城 | ||||||
介良城(けらじょう)は、高知県高知市介良(けら)にあった日本の城である。 | ||||||
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1740.高知城 ・梯郭式平山城 | ||||||
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市にある日本の城。瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)とも呼ばれる[1]。 | ||||||
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1741.下田城 (土佐国) ・平城 | ||||||
下田城(しもだじょう)は高知県に存在した中世の日本の城(平城)。 | ||||||
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1742.宿毛城 ・平山城 | ||||||
宿毛城(すくもじょう)は、現在の高知県宿毛市にあった日本の城(平山城)。「松田城」とも。城跡は宿毛市指定史跡に指定されている。 | ||||||
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1743.中村城 (土佐国) ・連郭式平山城 | ||||||
中村城(なかむらじょう)は、高知県四万十市(旧中村市)丸の内に、中世から近世にかけて存在した日本の城(平山城跡)である。為松城の別名を持つ。四万十市指定史跡[1]。 | ||||||
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1744.蓮池城 (土佐国) ・平山城 | ||||||
蓮池城(はすいけじょう)は、高知県土佐市にある日本の城。土佐市指定史跡[1]。嘉応2年(1170年)に成立し、鎌倉時代-戦国時代は大平氏の支配となり、山内氏入国の頃には廃城となった。 | ||||||
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1745.姫野々城 ・山城 | ||||||
姫野々城(ひめののじょう)は、高知県高岡郡津野町姫野々にあった日本の城。別名、半月城。津野氏代々の居城。津野町指定史跡[1]。 | ||||||
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1746.本山城 (土佐国) ・山城 | ||||||
本山城(もとやまじょう)は、高知県長岡郡本山町本山にあった日本の城。本山氏の居城。現在、町の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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1747.森城 (土佐国) ・山城 | ||||||
森城(もりじょう)は、高知県土佐郡土佐町にあった日本の城(山城)である。 | ||||||
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1748.秋月城 ・平城 | ||||||
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった江戸時代の日本の城(平城・陣屋)である。秋月陣屋(あきづきじんや)ともいう[3]。城跡は福岡県指定史跡に指定され[1]、本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定されている[2]。 | ||||||
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1749.怡土城 ・古代山城(中国式山城) | ||||||
怡土城(いとじょう / いとのき)は、筑前国怡土郡の高祖山(現在の福岡県糸島市高来寺・大門・高祖)にあった日本の古代山城(分類は中国式山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1750.犬尾城 ・山城 | ||||||
犬尾城(いぬおじょう)は、福岡県八女市にかつて存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1751.犬鳴御別館 | ||||||
犬鳴御別館(いぬなきごべっかん)とは、現在の福岡県宮若市犬鳴に所在した城(館)である。建築当時の地名は犬鳴谷村。 | ||||||
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1752.岩門城 ・山城 | ||||||
岩門城(いわとじょう)は、福岡県那珂川市山田にあった城。 | ||||||
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1753.岩屋城 ・山城 | ||||||
岩屋城(いわやじょう)は筑前国御笠郡(福岡県太宰府市浦城)にあった日本の城(山城)。戦国時代末期の天正14年(1586年)、島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)で知られる。 | ||||||
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1754.有智山城 ・山城 | ||||||
有智山城(うちやまじょう)は、現在の福岡県大宰府市内山にあった日本の城。 | ||||||
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1755.馬ヶ岳城 ・連郭式山城 | ||||||
馬ヶ岳城(うまがだけじょう)は、豊前国京都(みやこ)郡(現・福岡県行橋市津積馬ヶ岳)にあった日本の城。行橋市指定史跡。 | ||||||
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1756.浦ノ城 ・不明 | ||||||
浦ノ城(うらのじょう)は、現在の福岡県大宰府市大宰府にあった日本の城。 | ||||||
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1757.大野城 (筑前国) ・古代山城 | ||||||
大野城(おおのじょう/おおののき)は、福岡県の太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる大城山(おおきやま)[1]に築かれた、日本の古代山城である。城跡は、1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡「大野城跡」に指定されている[2]。 | ||||||
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1758.鹿毛馬神籠石 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
鹿毛馬神籠石(かけのうまこうごいし[1][2][3]、かけのうまこうごういし[4][5]、かげのうまこうごいし[6])は、福岡県飯塚市鹿毛馬にある鹿毛馬川沿いの馬蹄型丘陵地に築かれた日本の古代山城(神籠石系山城)である[3][7]。1945年(昭和20年)2月22日付で国の史跡に指定され、2002年(平成14年)3月19日に追加指定されている[6]。 | ||||||
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1759.蒲池城 | ||||||
蒲池城(かまちじょう)は、筑後国三潴郡蒲池村(現在の福岡県柳川市)にあった日本の城。 | ||||||
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1760.香春岳城 ・山城 | ||||||
香春岳城(かわらだけじょう)とは、福岡県田川郡香春町大字香春にあった山城である。香春岳にあり、天然の要害に守られ、難攻不落の城として知られていた。交通の要衝でもあり、度々争奪戦の的となっていたが、江戸時代に一国一城令により取り壊され廃城となった。 | ||||||
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1761.岩石城 ・山城 | ||||||
岩石城(がんじゃくじょう)とは、福岡県田川郡添田町添田1788番地の2にあった日本の城である。標高454mの岩石山山頂を主郭とした山城であった。 | ||||||
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1762.城井谷城 ・山城 | ||||||
城井谷城(きいだにじょう)は、現在の福岡県築上郡築上町寒田にある城跡。萱切城などの別名がある。 | ||||||
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1763.基肄城 ・古代山城 | ||||||
基肄城(きいじょう / きいのき、椽城)は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた[1]、日本の古代山城である。城跡は、1954年(昭和29年)3月20日、国の特別史跡「基肄(椽)城跡」に指定されている[2]。 | ||||||
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1764.久留米城 ・連郭式平山城 | ||||||
久留米城(くるめじょう)は、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市篠山町)にあった日本の城である[2]。 | ||||||
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1765.高良山神籠石 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
高良山神籠石(こうらさんこうごいし)は、筑後国御井郡の高良山(現在の福岡県久留米市御井町)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1766.小倉城 ・輪郭式平城(海城) | ||||||
小倉城(こくらじょう)は、福岡県北九州市小倉北区にある日本の城である。勝山城[3]、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城など[要出典]の別名がある。 | ||||||
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1767.御所ヶ谷神籠石 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、福岡県行橋市・京都郡みやこ町にまたがる御所ヶ岳(ホトギ山)[1]に築かれた、日本の古代山城(神籠石系山城)である。城跡は1953年(昭和28年)11月14日、「御所ヶ谷神籠石」の名称で国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
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1768.古処山城 ・山城 | ||||||
古処山城(こしょさんじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった日本の城(山城)である。秋月氏の本拠地であった。 | ||||||
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1769.城島城 ・平城 | ||||||
城島城(じょうじまじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1770.住厭城 ・山城 | ||||||
住厭城(すみあきじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1771.女山神籠石 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
女山神籠石(ぞやまこうごいし)は、筑後国山門郡(現在の福岡県みやま市瀬高町大草)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1772.鷹尾城 (筑後国) ・平城 | ||||||
鷹尾城(たかおじょう)は福岡県柳川市大和町鷹ノ尾に存在した日本の城(平城)。柳川市指定史跡[1]。矢部川と塩塚川によって形成された平野の西方、矢部川右岸の自然堤防上に位置する。城の範囲は東西100メートル、南北80メートルほどであったという。 | ||||||
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1773.高祖城 ・山城 | ||||||
高祖城(たかすじょう)は、筑前国怡土郡の高祖山(現在の福岡県糸島市高祖)にあった日本の城。 | ||||||
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1774.鷹取城 ・連郭式山城 | ||||||
鷹取城(たかとりじょう)は、福岡県直方市永満寺に所在する日本の城。別名、鷹取山城。 | ||||||
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1775.田尻城 ・山城 | ||||||
田尻城(たじりじょう)は福岡県みやま市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1776.立花山城 ・平山城 | ||||||
立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、現在の福岡市東区、糟屋郡新宮町および久山町にまたがる標高367mの立花山の山頂に存在した日本の城。立花城(たちばなじょう、りっかじょう)と呼称される場合もある。 | ||||||
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1777.蔦ヶ嶽城 ・山城 | ||||||
蔦ヶ嶽城(つたがたけじょう)は、福岡県宗像市と遠賀郡岡垣町との境にある日本の城跡。宗像氏の居城。別名・蔦ヶ岳城、赤間山城、岳山城。 | ||||||
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1778.東光寺城 ・山城 | ||||||
東光寺城(とうこうじじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1779.長岩城 (筑後国) ・山城 | ||||||
長岩城(ながいわじょう)は福岡県うきは市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1780.長野城 (豊前国) ・山城 | ||||||
長野城(ながのじょう)は福岡県に存在した中世の日本の城(山城)。 | ||||||
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1781.名島城 ・連郭式平山城(海城) | ||||||
名島城(なじまじょう)は、筑前国名島(現:福岡県福岡市東区名島)にあった日本の城。 | ||||||
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1782.生津城 | ||||||
生津城(なまつじょう)は福岡県久留米市三潴町生岩に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1783.西牟田城 ・平城 | ||||||
西牟田城(にしむたじょう)は、福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。鹿児島県薩摩川内市の西牟田にも西牟田城があったが、これは別のもの。 | ||||||
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1784.猫尾城 | ||||||
猫尾城(ねこおじょう)は、福岡県八女市に存在した山城。福岡県指定史跡[1]。 | ||||||
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1785.猫城 ・山城 | ||||||
猫城(ねこじょう)は、福岡県中間市に存在した城である。 | ||||||
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1786.白山城 (筑前国) ・山城 | ||||||
白山城(はくざんじょう)は、福岡県宗像市山田にある日本の城跡。宗像氏の居城。山田白山城とも。 | ||||||
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1787.花尾城 ・連郭式山城 | ||||||
花尾城(はなおじょう)は、福岡県北九州市八幡西区にあった日本の城である。本丸は標高351メートルの花尾山山頂に位置する。 | ||||||
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1788.福岡城 ・梯郭式平山城 | ||||||
福岡城(ふくおかじょう)は、筑前国那珂郡[1]警固村福崎のち福岡[2](現在の福岡県福岡市中央区城内)に築かれた江戸時代の日本の城。別名、舞鶴城、石城。国の史跡に指定されている。現在、城跡は舞鶴公園と大濠公園となっている。 | ||||||
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1789.別所城 ・山城 | ||||||
別所城(べっしょじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1790.房州堀 | ||||||
房州堀(ぼうしゅうぼり)とは、近世博多(筑前国・那珂郡)の南縁を画していた堀の名称として最もよく知られるものである。なお、「房州」とは「安房国」の意で、臼杵鑑続(後述)の受領名「安房守」にちなむとされる。 | ||||||
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1791.発心城 ・山城 | ||||||
発心城(ほっしんじょう)は、福岡県の久留米市から八女市、うきは市にまたがり存在した日本の城(山城)。福岡県指定史跡。 | ||||||
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1792.益富城 ・山城 | ||||||
益富城(ますとみじょう)とは、福岡県嘉麻市中益にあった日本の城である。 | ||||||
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1793.松崎陣屋 ・陣屋 | ||||||
松崎陣屋(まつざきじんや)は、福岡県小郡市松崎(筑後国御原郡松崎)に存在した陣屋。江戸時代前期、久留米藩の支藩・松崎藩が藩庁として建設した。 | ||||||
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1794.松山城 (豊前国) | ||||||
松山城(まつやまじょう)は、豊前国京都郡松山(現・福岡県京都郡苅田町)にあった日本の城(山城)。苅田町指定史跡[1]。 | ||||||
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1795.水城 ・古代の城 | ||||||
水城(みずき)は、福岡県太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた日本の古代の城である。城跡は、1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡「水城跡」に指定されている[1]。 | ||||||
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1796.溝口城 (筑後国) ・平城 | ||||||
溝口城(みぞぐちじょう)は福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
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1797.妙見城 ・山城 | ||||||
妙見城(みょうけんじょう)は福岡県うきは市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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1798.門司城 ・山城 | ||||||
門司城(もじじょう)は、豊前国企救郡門司(現福岡県北九州市門司区大字門司字古城山)に存在した日本の城(山城)。城跡は和布刈公園として整備されている。 | ||||||
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1799.柳川城 ・平城 | ||||||
柳川城(柳河城とも。やながわじょう)は福岡県柳川市本城町にあった日本の城。江戸時代には柳川藩の藩庁が置かれた。別名、舞鶴城(まいづるじょう)。本丸は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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1800.矢部山城 ・山城 | ||||||
矢部山城(やべやまじょう)は、福岡県八女市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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