1801.山鹿城 (筑前国) ・山城 | ||||||
山鹿城(やまがじょう)は福岡県に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1802.山下城 (筑後国) | ||||||
山下城(やましたじょう)は、福岡県八女市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1803.吉見岳城 | ||||||
吉見岳城(よしみだけじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1804.雷山神籠石 ・古代山城(神籠石系山城) | ||||||
雷山神籠石(らいざんこうごいし)は、筑前国怡土郡の雷山中腹(現在の福岡県糸島市雷山・飯原)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1805.若松城 (筑前国) ・不明 | ||||||
若松城(わかまつじょう)は、日本の城。別名、中ノ島城。所在地は福岡県北九州市戸畑区で、洞海湾の入口にかつて存在した中ノ島に築かれた日本の城である[1]。現在の若戸大橋中央部のほぼ真下あたりに相当する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1806.島村城 ・平山城 | ||||||
島村城(しまむらじょう)または田中城(たなかじょう)は、佐賀県唐津市北波多田中字島に存在した平山城。上松浦党の一族・波多氏の城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1807.陣の森城 ・平城 | ||||||
陣の森城(じんのもりじょう)は佐賀県に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1808.須古城 ・平山城 | ||||||
須古城(すこじょう)は、戦国時代における佐賀県杵島郡白石町にある城跡。平井氏の須古城、杵島城、男島城の3城での連携した防衛体制により難攻不落を誇り、佐賀県下でも最大規模の城郭群を成している。高城、隆城とも。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1809.勢福寺城 ・山城 | ||||||
勢福寺城(せいふくじじょう)は、現在の佐賀県神埼市神埼町城原字北外[1]にあった城である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1810.高木城 ・平城 | ||||||
高木城(たかぎじょう)は、佐賀県に存在した平城。佐賀市の佐賀平野に位置する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1811.高田城 (肥前国) ・平城 | ||||||
高田城(たかだじょう)は佐賀県に存在した平城。小城市三日月町金田遠江の佐賀平野に位置する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1812.常広城 ・平城 | ||||||
常広城(つねひろじょう)は佐賀県鹿島市常広に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1813.直鳥城 ・不明 | ||||||
直鳥城(なおとりじょう)は、戦国時代に佐賀県神埼市に存在した日本の城(平城)。中世にこの地方で独自に発展を遂げた低平地城の典型である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1814.名護屋城 ・梯郭式平山城 | ||||||
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。現在、国の特別史跡に指定されている。平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定された。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1815.仁比山城 ・連郭式山城 | ||||||
仁比山城(にいやまじょう)は佐賀県神埼市に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1816.西島城 (肥前国) ・平城、 | ||||||
西島城(にしじまじょう、旧字体:西嶋城)は佐賀県三養基郡みやき町西島にかつて存在した城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1817.蓮池城 (肥前国) | ||||||
蓮池城(はすいけじょう)は、日本の城。現在の佐賀県佐賀市蓮池町に所在した。応永年間に完成し、肥前国の国人領主小田氏、戦国時代後期は龍造寺氏・江上氏の支配となり、近世は鍋島氏、石井氏の在城を経て、佐賀藩の支藩・蓮池藩の陣屋が置かれた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1818.松岡城 (肥前国) ・山城 | ||||||
松岡城(まつおかじょう)は佐賀県鹿島市浜町付近に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1819.水ヶ江城 | ||||||
水ヶ江城(みずがえじょう)は、肥前国に存在した城郭。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1820.三瀬城 ・山城 | ||||||
三瀬城(みつせじょう)は佐賀県佐賀市三瀬村に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1821.牟田城 ・平城 | ||||||
牟田城(むたじょう)、または本告城(もとおいじょう)は佐賀県神埼市本告牟田に存在した平城。本折城とも。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1822.湯野田城 ・山城 | ||||||
湯野田城(ゆのだじょう)は佐賀県嬉野市嬉野町に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1823.与賀城 ・平城 | ||||||
与賀城(よかじょう)は、現在の佐賀県佐賀市与賀町にあった日本の城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1824.横造城 ・平城 | ||||||
横造城(よこぞうじょう)は佐賀県鹿島市に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1825.鷲巣城 ・山城 | ||||||
鷲巣城(わしのすじょう)、または鷲ノ巣城は佐賀県鹿島市高津原字鷲ノ巣に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1826.青山城 (肥前国) ・山城 | ||||||
青山城(あおやまじょう)は佐賀県唐津市山本に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1827.朝日山城 (肥前国) ・山城 | ||||||
朝日山城(あさひやまじょう)は佐賀県鳥栖市村田町に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1828.姉川城 ・平城 | ||||||
姉川城(あねがわじょう)は佐賀県神埼市に存在した平城。国の史跡。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1829.綾部城 (肥前国) ・山城 | ||||||
綾部城(あやべじょう)は佐賀県三養基郡みやき町原古賀に存在した山城。足利一門の渋川氏が、九州探題府兼肥前守護所の拠点としていた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1830.池田城 (肥前国) ・山城 | ||||||
池田城(いけだじょう)は佐賀県唐津市相知町字横枕に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1831.小城城 ・平城 | ||||||
小城城(おぎじょう)は佐賀県小城市に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1832.男島城 ・丘城 | ||||||
男島城(小島城、おじまじょう)は東側役400メートルの位置にある丘陵を活かした須古城の支城。杵島城と並び、須古城の東西を監視する機能があった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1833.白虎山城 ・山城 | ||||||
白虎山城(びゃっこざんじょう)は佐賀県三養基郡みやき町に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1834.臥牛城 (肥前国) ・山城 | ||||||
臥牛城(がぎゅうじょう)は佐賀県三養基郡みやき町原古賀に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1835.鹿島城 (肥前国) ・平城 | ||||||
鹿島城(かしまじょう)は、佐賀県鹿島市高津原城内に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1836.梶峰城 ・山城 | ||||||
梶峰城(かじみねじょう)は佐賀県に存在した山城。別名、多久城(たくのじょう)[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1837.勝尾城 ・山城 | ||||||
勝尾城(かつのおじょう)は、佐賀県鳥栖市河内町に存在した山城。本城の勝尾城、鬼ヶ城、高取城、葛籠城、鏡城、若山砦等の支城群と当主の居館跡、家臣団屋敷跡、寺社跡、町屋跡で構成されたエリアは「勝尾城筑紫氏遺跡」として国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1838.蒲田江城 ・平城 | ||||||
蒲田江城(かまたえじょう)は佐賀県に存在した平城。佐賀平野に築かれ、現在の佐賀市に位置する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1839.唐津城 ・連郭式平山城(海城[1]) | ||||||
唐津城(からつじょう)は、佐賀県唐津市東城内にあった日本の城である。別名は、舞鶴城(まいづるじょう)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1840.岸岳城 ・連郭式山城 | ||||||
岸岳城(きしたけじょう)は、肥前国、現在の佐賀県唐津市相知町佐里・北波多岸山に存在した日本の城(山城)。もともとは鬼子岳城と書いた。佐賀県指定史跡[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1841.杵島城 ・丘城 | ||||||
杵島城(きしまじょう)は須古城の西にある独立丘陵にある支城。男島城と並び、須古城の東西を監視する機能があった。現存する杵島神社は、須古三代邑主・鍋島茂周が始祖を祀り建立したという。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1842.熊ノ川城 ・山城 | ||||||
熊ノ川城(くまのかわじょう)は佐賀県に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1843.佐嘉飯盛城 ・連郭式平城 | ||||||
佐嘉飯盛城(さがいさがいじょう)は佐賀県に存在した日本の城(平城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1844.佐賀城 ・輪郭梯郭複合式平城 | ||||||
佐賀城(さがじょう)は、肥前国佐賀郡佐賀(現在の佐賀県佐賀市城内)にあった日本の城。佐賀城の前身は肥前の戦国大名の龍造寺隆信をはじめ龍造寺宗家代々の居城佐賀龍造寺城であり、慶長期に鍋島氏による改修により、現在の佐賀城の姿になった。古名は佐嘉城[1]。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し以降、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1845.崎村城 ・平城 | ||||||
崎村城(さきむらじょう)は佐賀県に存在した平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1846.塩吹城 ・山城 | ||||||
塩吹城(しおふきじょう)は佐賀県嬉野市塩田町に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1847.獅子ケ城 ・山城 | ||||||
獅子ケ城(ししがじょう)、または鹿家城・獅子城は、佐賀県唐津市厳木町岩屋・浪瀬に存在した日本の城(山城)。佐賀県指定史跡[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1848.飯盛城 (肥前国) | ||||||
飯盛城(いいもりじょう)は、長崎県佐世保市(旧肥前国松浦郡)相浦の愛宕山(別称飯盛山)にかつてあった城である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1849.石田城 ・海城 | ||||||
石田城(いしだじょう)は長崎県五島市池田町にあった日本の城。城跡は長崎県指定史跡。城内に残る五島氏庭園は国の名勝に指定されている。福江城とも記される。続日本100名城の1つ。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1850.梶谷城 ・山城 | ||||||
梶谷城(かじやじょう)は、かつて肥前国松浦郡今福(現長崎県松浦市今福町東免)にあった城である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1851.勝本城 ・山城 | ||||||
勝本城(かつもとじょう)は、安土桃山時代に壱岐国壱岐郡勝本(現在の長崎県壱岐市勝本町坂本触)[1] に築かれた城である。別称風本(かざもと)城・武末城・雨瀬包(あませかね)城。国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1852.金石城 ・平城 | ||||||
金石城(かねいしじょう)は、長崎県対馬市厳原町にあった城である。市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1853.金田城 ・古代山城(朝鮮式山城) | ||||||
金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)は、対馬国下県郡の城山(じょうやま、現在の長崎県対馬市美津島町黒瀬)にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1854.釜蓋城 ・平山城 | ||||||
釜蓋城(かまぶたじょう)は、長崎県雲仙市に所在する、有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた日本の城。標高154メートルの山城である。雲仙市指定史跡[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1855.玖島城 ・連郭式平山城(海城[注釈 1]) | ||||||
玖島城(くしまじょう)は、日本の城。所在地は長崎県大村市玖島。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1856.桟原城 ・平城 | ||||||
桟原城(さじきはらじょう)または桟原屋形(さじきばるやかた)は、長崎県対馬市厳原町桟原にあった城郭で、対馬府中藩3代藩主宗義真が金石城を拡張整備したのと同時期に新築された藩主の屋形。金石城からは市街をはさんで北東隣に位置する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1857.三城城 | ||||||
三城城(さんじょうじょう)は、戦国時代から江戸時代初期に肥前国彼杵郡大村武部郷(現長崎県大村市三城町)にあった日本の城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1858.島原城 ・連郭式平城 | ||||||
島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市城内にあった日本の城。別名は「森岳城」や「高来城」。城跡は長崎県指定史跡に指定されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1859.清水山城 (対馬国) ・山城 | ||||||
清水山城(しみずやまじょう)は、安土桃山時代に現在の長崎県対馬市厳原町西里の清水山(標高206メートル)に築かれた城である。国の史跡に指定されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1860.鶴亀城 ・山城 | ||||||
鶴亀城(つるかめじょう)は、長崎県雲仙市国見町にある東西350メートル×南北450メートルの大きな山城跡である。別名、神代城、蓑鶴城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1861.原城 ・梯郭式平山城(海城[注釈 1]) | ||||||
原城(はらじょう・はるのじょう[注釈 3])は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である[1][2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1862.日野江城 ・連郭式平山城 | ||||||
日野江城(ひのえじょう)は、肥前国高来郡有間庄(長崎県南島原市北有馬町戊谷川名)にあった城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1863.平戸城 ・梯郭式平山城 | ||||||
平戸城(ひらどじょう)は、肥前国松浦郡平戸[注釈 1](現・長崎県平戸市)にあった城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1864.本城 (肥前国) ・山城 | ||||||
本城(ほんじょう)は、長崎県北松浦郡小値賀町に存在した山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1865.丸木館 ・居館 | ||||||
丸木館(まるきやかた)は現在の長崎県長崎市に存在した館。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1866.愛藤寺城 ・山城 | ||||||
愛藤寺城(あいとうじじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した城郭である。別名、矢部城ともいう。阿蘇氏は、阿蘇の南郷谷より浜町に居館「浜の館」を移し、川の対岸・小高い丘に詰めの城として岩尾城を築いた(現在の通潤橋が架かっている左岸側)が、地形的な制約から、防御力の更に強い城が別に必要であった。緑川と千滝川に挟まれ、津留の緑川海運とつながる白糸の道は、有明海の緑川河口近くにある重要な港湾「川尻」とつながるもので、当時は重要であった。この城は、津留と浜町と結ぶその延長線上にあり、南の守りと、北から攻められた時に逃げ込む城としての役目もあったと考えられる。近くには「津留が淵道」と呼ぶ「古道」があり、江戸時代には、河川を改修して、山間部で採れた米を川尻経由で大阪まで運んでいたという。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1867.赤井城 ・平山城 | ||||||
赤井城(あかいじょう)は、熊本県上益城郡益城町赤井字本丸に存在した中世の平山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1868.岩尾城 (肥後国) ・山城 | ||||||
岩尾城(いわおじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した中世の日本の城(山城)。山都町指定史跡。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1869.内牧城 ・平城 | ||||||
内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1870.宇土城 ・平山城 | ||||||
宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市に存在した城郭である。別名、城山、鶴城ともいう。同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城についても併記する。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1871.堅志田城 ・山城 | ||||||
堅志田城(かたしだじょう)は熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1872.菊池十八外城 | ||||||
菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)とは、肥後国菊池氏の居城であった菊池城(現在の菊池神社)を取り囲むように形成された城塞群[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1873.菊池城 ・梯郭式平山城 | ||||||
菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。別名、隈府城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1874.木山城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
木山城(きやまじょう)は、熊本県上益城郡益城町寺迫にある日本の城跡。阿蘇氏の一族である木山氏の拠った城として知られる。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1875.木原城 (肥後国) | ||||||
木原城(きわらじょう)は、熊本県熊本市南区富合町に存在した城郭である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1876.鞠智城 ・古代山城 | ||||||
鞠智城(きくちじょう[1]/くくちのき[注 1])は、熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる[注 2]台地状の丘陵に築かれた[2]、日本の古代山城である。城跡は、2004年(平成16年)2月27日、国指定の史跡「鞠智城跡」に指定されている[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1877.隈庄城 ・平山城 | ||||||
隈庄城(くまのしょうじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1878.隈部館 ・居館 | ||||||
隈部館(くまべやかた)は、熊本県山鹿市菊鹿町上永野に所在する戦国時代の城館跡。永野城(ながのじょう)とも称される。肥後の有力国人・隈部氏の居館で、館跡は「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1879.熊本城 ・梯郭式平山城 | ||||||
熊本城(くまもとじょう)は、肥後国飽田郡熊本[1](現在の熊本県熊本市中央区)に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」[2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1880.佐敷城 (肥後国) ・山城 | ||||||
佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1881.城村城 ・平山城 | ||||||
城村城(じょうむらじょう)は熊本県山鹿市城字城に存在した中世の丘城。山鹿市指定史跡[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1882.竹迫城 ・連郭式平山城 | ||||||
竹迫城(たかばじょう)は、現在の熊本県合志市上庄にある日本の城跡。合志城とも呼ばれ、その他に蛇尾城・穴の城・上庄城の別名もある。合志市指定史跡[1]。また、城絵図が合志市指定有形文化財に指定されている[2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1883.高森城 (肥後国) ・中世館 | ||||||
高森城(たかもりじょう)は、熊本県阿蘇郡高森町に存在した中世の城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1884.田中城 (肥後国) ・輪郭式平山城 | ||||||
田中城(たなかじょう)は、別名を和仁城とも呼ばれ、中世に熊本県旧三加和町一帯を支配した肥後国の国人和仁氏が本拠とした城。現在の熊本県玉名郡和水町和仁に位置する。天正15年(1587年)に発生した肥後国人一揆において、最後まで抗戦を続けた城のひとつである。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1885.津森城 | ||||||
津森城(つもりじょう)とは、阿蘇合戦で、島津勢に徹底抗戦した、光永宗甫の居城。一回は、島津に降伏するがその後、反旗を翻して再び抗った。しかし、島津の逆襲により、陥落してしまう。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1886.富岡城 ・梯郭式平山城 | ||||||
富岡城(とみおかじょう)は、肥後国天草郡(熊本県天草郡苓北町富岡)にあった城。本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターが整備され、櫓・高麗門なども復元整備されている[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1887.長野城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
長野城(ながのじょう)は熊本県に存在した中世の平山城。現在の熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野にあった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1888.鍋城 ・山城 | ||||||
鍋城(なべじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1889.南郷城 (肥後国) ・山城 | ||||||
南郷城(なんごうじょう)は、熊本県に存在した日本の城(中世の山城)。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1890.花の山城 | ||||||
花の山城(はなのやまじょう)は熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1891.浜の館 ・城館 | ||||||
浜の館(はまのやかた)は熊本県上益城郡山都町に存在した中世の城館で、阿蘇氏の最盛期の中心部である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1892.人吉城 ・梯郭式平山城 | ||||||
人吉城(ひとよしじょう)は、熊本県人吉市麓町(旧・肥後国球磨郡人吉村)[1]にある日本の城(平山城跡)。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1893.日渡城 ・平山城 | ||||||
日渡城(ひわたしじょう)は、現在の熊本県山鹿市菊鹿町下内田日渡にあった築城年代不明の丘城。江戸時代の柳川藩士・内田氏の系図では、豊後の戦国大名・大友氏の下に亡命した相良氏庶流・内田氏の肥後国での居城とされているが、『肥後国誌』あるいは『日本歴史地名大系』では隈部館または猿返城である永野城と混同されている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1894.古麓城 ・山城 | ||||||
古麓城(ふるふもとじょう)は、熊本県八代市古麓町(旧 肥後国八代郡)にあった諸城の総称、近世に名付けられた城塞群である[2]。古麓町の東側の山中に7城(曲輪)が存在したと一般に言われている[3]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1895.本渡城 ・山城 | ||||||
本渡城(ほんどじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1896.水俣城 ・平山城 | ||||||
水俣城(みなまたじょう)は、熊本県水俣市古城に存在した中世の丘城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1897.御船城 ・平山城 | ||||||
御船城(みふねじょう)は、熊本県上益城郡御船町に存在した中世の平山城。現在の御船町立御船小学校の南側、東西40m・南北150mの丘陵に立地していた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1898.麦島城 ・輪郭式平城 | ||||||
麦島城(むぎしまじょう)は、熊本県八代市国郡にあった安土桃山時代から江戸時代の城。2014年(平成26年)3月18日、本城跡と古麓城跡・八代城跡とを併せ、「八代城跡群」の名称で国の史跡に指定された[1][2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1899.八代城 ・輪郭式平城 | ||||||
八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)にある日本の城である。江戸時代初期に球磨川河口の松江[5]に幕府の許可を得て建築されたことから松江城(現八代城趾)とも言う。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
1900.山鹿城 (肥後国) ・平山城 | ||||||
山鹿城(やまがじょう)は肥後国山鹿郡(現・熊本県山鹿市)に存在した中世の丘城。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 |