101.世田米城 ・山城 | ||||||
世田米城(せたまいじょう)は、 岩手県気仙郡住田町世田米字火石61番地1ほかに所在した戦国時代の日本の城[3]。 | ||||||
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102.千徳城 ・平山城 | ||||||
千徳城(せんとくじょう)は、岩手県宮古市千徳町に存在した日本の城。一戸千徳氏の居城として知られる。 | ||||||
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103.平館城 ・山城 | ||||||
平館城(たいらだてじょう)は、岩手県八幡平市平舘に所在した日本の城。 | ||||||
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104.田鎖城 ・平山城 | ||||||
田鎖城(たくさりじょう)は、岩手県宮古市にあった日本の城(平山城)。 | ||||||
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105.種市城 ・居館・山城 | ||||||
種市城(たねいちじょう)は、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)に所在した戦国時代の種市氏の居城。同町字城内(じょうない)のほぼ中心部に位置し、平時の居館とみられる平城(へいじょう)と[2]、そこから約1キロメートル南西にあり戦時に使用したとみられる山城(やましろ)の2城が存在した[3][4]。 | ||||||
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106.寺林城 ・城館 | ||||||
寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城。 | ||||||
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107.徳丹城 ・古代城柵 | ||||||
徳丹城(とくたんじょう/とくたんのき)は、現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田にあった日本の古代城柵。1969年(昭和44年)8月5日に国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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108.鳥海柵 ・古代城柵 | ||||||
鳥海柵(とのみのさく)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町西根縦街道南・原添下・鳥海・二ノ宮後にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵(日本の城)。指定名称「鳥海柵跡」(とのみのさくあと)として、2013年(平成25年)10月17日に国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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109.長岡館 ・山城 | ||||||
長岡館(ながおかだて)は岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城である。「長岡城跡」の名で1975年(昭和50年)3月25日付で紫波町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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110.中野館 (陸奥国) ・城館 | ||||||
中野館(なかのたて)は、岩手県盛岡市茶畑に所在した日本の城。別称・飛鳥川館。 | ||||||
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111.鍋倉城 (陸奥国) | ||||||
鍋倉城(なべくらじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称・遠野城。城跡は国の史跡への指定が答申され(官報告示を経て正式指定となる)[4]、遠野市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。 | ||||||
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112.新堀城 (陸奥国) ・山城 | ||||||
新堀城(にいぼりじょう)は、岩手県花巻市石鳥谷町に存在した日本の城。花巻市指定史跡[1]。 | ||||||
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113.野田城 (陸奥国) ・丘城 | ||||||
野田城(のだじょう)は、岩手県九戸郡野田村に所在した日本の城。 | ||||||
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114.花巻城 ・平山城 | ||||||
花巻城(はなまきじょう)は、岩手県花巻市花城町に所在した日本の城。古くは鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれた。花巻市指定史跡(本丸跡)[1]。盛岡藩の花巻郡代歴代の居城であり、関ヶ原の戦いの際にこの城で行われた花巻城の夜討ちは地元民や岩手県民の語り草となっている。 | ||||||
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115.払川館 ・平山城 | ||||||
払川館(はらいかわだて)は、岩手県宮古市に所在した日本の城。別称・津軽石館。城跡を津軽石川が巡り、丘陵上の頂上平坦部は東西190メートル×南北195メートルで主郭、二郭、三郭、大手門跡、空堀が造られ、麓には城下町も従えていたが、いまは川原になって跡形も残っていない。 | ||||||
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116.晴山館 ・平山城 | ||||||
晴山館(はれやまたて)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。 | ||||||
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117.樋爪館 ・城館 | ||||||
樋爪館(ひづめだて/ひづめのたち)または比爪館は、陸奥国(現・岩手県紫波郡紫波町日詰字箱清水)に所在した日本の城。紫波町指定史跡[1]。「ひづめ」の表記は樋爪のほかに、「比爪」「火爪」など複数見られる[2][3]。 | ||||||
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118.火渡館 ・山城 | ||||||
火渡館(ひわたりだて)は、岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛字火渡に所在した戦国時代の日本の城。 | ||||||
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119.二子城 ・平山城 | ||||||
二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名・飛勢城(とばせじょう)。 | ||||||
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120.北条館 ・城館 | ||||||
北条館(ほうじょうだて)[1]は岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内に存在した日本の城。 | ||||||
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121.鱒沢館 | ||||||
鱒沢館(ますざわやかた)は、岩手県遠野市(旧宮守村)に所在した日本の城。別名・上町館[2]。 | ||||||
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122.水沢城 ・平城 | ||||||
水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢に存在していた日本の城である。北上川西岸の胆沢平野中心部にある平城である。一国一城制導入後は要害として扱われた。別名:臥牛城・大休城。 | ||||||
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123.見前館 ・平城 | ||||||
見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。 | ||||||
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124.盛岡城 ・連郭式平山城 | ||||||
盛岡城(もりおかじょう)は、岩手県盛岡市(陸奥国岩手郡)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方城(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり、両者は別の城郭である。 | ||||||
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125.柳田館 ・城館 | ||||||
柳田館(やなぎだたて)は、岩手県紫波郡紫波町片寄に所在した日本の城。別称は片寄城・吉兵衛館・中野館。「片寄城跡」として紫波町指定史跡[1]。 | ||||||
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126.横田城 (陸奥国) | ||||||
横田城(よこたじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称、護摩堂城。城跡は市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。 | ||||||
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127.高清水城 ・平城 | ||||||
高清水城(たかしみずじょう)は、宮城県栗原市字東館(旧・高清水町)にある日本の城跡。戦国大名・大崎氏の居城。 | ||||||
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128.多賀城 ・古代城柵 | ||||||
多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。 | ||||||
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129.築館城 ・丘城(比15m) | ||||||
築館城(つきだてじょう)は、宮城県黒川郡大郷町羽生にあった日本の城(丘城)。別名葦が城。 | ||||||
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130.津久毛橋城 ・平山城 | ||||||
津久毛橋城(つくもはしじょう)または津久裳橋城[2]は、現在の宮城県栗原市金成津久毛にあたる陸奥国栗原郡内にあった南北朝時代の日本の城である。1341年(北朝:暦応4年/南朝:興国2年)に南朝方の北畠顕信が築いた。 | ||||||
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131.寺池城 ・山城 | ||||||
寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代は伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。 | ||||||
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132.根添城 ・山城 | ||||||
根添城(ねぞえじょう)、または根添館(ねぞえたて)は、宮城県仙台市太白区坪沼地区にある日本の城(山城)跡である。陸奥国の豪族安倍氏の支城として用いられた。 | ||||||
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133.船岡城 ・山城 | ||||||
船岡城(ふなおかじょう)、または四保館(しほたて)は、宮城県柴田郡柴田町大字船岡字舘山(四保山)にあった日本の城(山城)。「四保館跡(船岡城址)」として柴田町指定史跡[1]。別名を芝田(柴田)城、舟岡(船岡)要害ともいう。本丸にある二等三角点「船岡」(北緯38度03分12.9616秒 東経140度45分17.9958秒 / 北緯38.053600444度 東経140.754998833度 / 38.053600444; 140.754998833 (二等三角点「船岡」(標高135.86m)))の標高は135.86メートル[2]。 | ||||||
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134.松森城 ・山城 | ||||||
松森城(まつもりじょう)は宮城県仙台市泉区松森にあった日本の城(山城[1][2])。本丸と二の丸の位置が鶴翼の陣形に似ていることから別名、鶴ヶ城(つるがじょう)とも言う[2][3]。国分盛顕が移り住み、国分盛重が出奔した後は伊達家の所領となり、毎年、仙台藩の野初の舞台となった。 | ||||||
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135.丸森城 ・山城 | ||||||
丸森城(まるもりじょう)は、宮城県伊具郡丸森町渕ノ上(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。現地の案内板などでは「丸山城」として紹介されているが、仙台藩の公式記録である『性山公治家記録』には「丸森城」とある。城は阿武隈川南岸の渕ノ上に在し、阿武隈川支流の五福谷川が城の西側を回り込む。 | ||||||
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136.桃生城 ・古代城柵 | ||||||
桃生城(ものうじょう)は、古代の朝廷が陸奥国桃生郡(現・宮城県石巻市)に築いた城柵。 | ||||||
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137.利府城 ・山城 | ||||||
利府城(りふじょう)は、現在の宮城県宮城郡利府町に存在した日本の城である。 | ||||||
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138.若林城 ・単郭式平城 | ||||||
若林城(わかばやしじょう)は、17世紀前半に日本の仙台藩領・陸奥国宮城郡若林城下町の小泉にあった日本の城(平城)である。西側に隣接する仙台城下町には本城である仙台城があったが、同城とは別に寛永5年(1628年)に伊達政宗のために造られ、寛永13年(1636年)に彼の死とともに廃された。江戸時代には若林薬園となり、薬草が栽培された。現在の仙台市若林区古城にあり、堀跡と土塁を残したまま、土塁の上に高い塀をめぐらせ宮城刑務所として用いられている。 | ||||||
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139.涌谷城 ・平山城 | ||||||
涌谷城(わくやじょう)は、宮城県遠田郡涌谷町にあった日本の城(平山城)。別名涌谷要害。 | ||||||
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140.亘理城 ・平山城 | ||||||
亘理城(わたりじょう)は、陸奥国亘理郡(宮城県亘理郡亘理町)にあった日本の城。地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた。 | ||||||
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141.伊治城 ・城柵 | ||||||
伊治城(いじじょう/これはりじょう/これはるじょう[1])は、宮城県栗原市にあった城柵。城跡は2003年(平成15年)8月27日に国の史跡に指定され、2005年(平成17年)7月14日に追加指定された[2]。 | ||||||
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142.今泉城 (陸奥国) ・平城 | ||||||
今泉城(いまいずみじょう)は、南北朝時代から江戸時代の初めまで陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市若林区にあった城館(日本の城)である。仙台平野の低湿地にある平城で、水濠と土塁をめぐらせていた。弥生時代から続く集落に作られ、遺跡としては今泉遺跡[1]の一時代とされる。数次の発掘調査で外堀・内堀の一部と城内の建物多数が確認された。城主は須田玄蕃と伝えられる。現在では20世紀後半の急速な宅地化で、かつてあった地面の凹みはなくなり、地上に城の痕跡は残っていない。 | ||||||
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143.岩切城 ・山城 | ||||||
岩切城(いわきりじょう)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にあった峻険な日本の城(山城)である。高森山にあることから、別名を高森城(たかもりじょう)という。 | ||||||
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144.岩出山城 ・山城 | ||||||
岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城(一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。 | ||||||
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145.大衡城 ・平山城 | ||||||
大衡城(おおひらじょう)は、宮城県黒川郡大衡村塩浪にある日本の城跡(平山城)。別名・越路舘。城跡は大衡城跡公園として整備されている[2]。 | ||||||
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146.沖野城 ・平城 | ||||||
沖野城(おきのじょう)は、陸奥国名取郡、現在の宮城県仙台市若林区沖野7丁目にあった中世の日本の城である。不明の点が多いが、16世紀末に廃止された。東西約400メートル、南北約300メートルの範囲で、二重の土塁と二重の水濠を巡らせていた。 | ||||||
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147.角田城 ・平山城 | ||||||
角田城(かくだじょう)は宮城県角田市角田(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、以後は角田要害と称した。金鶏館とも称した[2]。 | ||||||
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148.金山城 (陸奥国) ・山城 | ||||||
金山城(かねやまじょう)、または寝牛城、臥牛城[3]は、かつての陸奥国伊具郡にあたる宮城県伊具郡丸森町金山にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、後に金山要害と称した。丸森町指定史跡[2]。 | ||||||
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149.郡山遺跡 ・古代城柵 | ||||||
郡山遺跡(こおりやまいせき)は、宮城県仙台市太白区郡山にある古代の官衙(役所)跡。国の史跡に指定されている(指定名称は「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺跡」)。 | ||||||
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150.坂元城 ・平山城 | ||||||
坂元城(さかもとじょう)、または蓑首城(みのくびじょう)は、宮城県亘理郡山元町(陸奥国亘理郡)にあった城。町指定史跡[1]。 | ||||||
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151.笹森城 ・山城 | ||||||
笹森城(ささもりじょう)は、16世紀に日本の陸奥国宮城郡にあった日本の城(山城)である。現在の宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷の丘陵上にあたる。戦国時代に宮城郡を争奪した留守氏・国分氏の家臣、鶴谷氏の居城であった。城跡からは縄文土器の欠片が多数と、弥生時代以降の遺物も見つかっている。 | ||||||
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152.佐沼城 ・平山城 | ||||||
佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市迫町佐沼字内町にあった日本の城。別名・鹿ヶ城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。登米市指定史跡[1]。 | ||||||
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153.城生柵跡 ・古代城柵 | ||||||
城生柵跡(じょうのさくあと)は、宮城県加美郡加美町城生にある奈良時代の城柵遺跡。「城生」は現在の地名によるもので、かつてのどの施設に比定するかについては諸説ある。国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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154.白石城 ・梯郭式平山城 | ||||||
白石城(しろいしじょう)は、陸奥国刈田郡白石にあった日本の城である(平山城)。別名益岡城(枡岡とも)。この場所は現在の宮城県白石市に当たり、城は白石市指定史跡となっている[1]。中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だったと伝わる。戦国時代末期に城主が何度か変遷し、江戸時代には仙台藩家臣の片倉氏の城となった。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した[2][3]。現在ある三階櫓や門は1995年(平成7年)に復元されたものである[4]。続日本100名城(105番)に選ばれている[5]。 | ||||||
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155.仙台城 ・連郭式平山城 | ||||||
仙台城(せんだいじょう)は、宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)。雅称は「青葉城」で「五城楼」の別名もある(→仙台参照)。国の史跡[1]。 | ||||||
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156.赤石館 (出羽国) ・平城(居館) | ||||||
赤石館(あかいしだて)は、秋田県にかほ市金浦字館ヶ森に所在する中世の城館跡。 | ||||||
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157.秋田城 ・古代城柵 | ||||||
秋田城(あきたじょう/あきたのき)は、出羽国秋田(現在の秋田県秋田市)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されており、かつての城域の一部は現在高清水公園(旧称土崎公園)となっている。また、秋田県護国神社も秋田城の城址に遷座したものである。 | ||||||
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158.岩崎城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
岩崎城(いわさきじょう)は、出羽国雄勝郡、現在の秋田県湯沢市に存在した日本の城(平山城)。 | ||||||
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159.浦城 ・山城 | ||||||
浦城(うらじょう)は、秋田県南秋田郡八郎潟町にあった日本の城である。 | ||||||
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160.大館城 ・平山城 | ||||||
大館城(おおだてじょう)は、かつて秋田県大館市にあった日本の城。桂城(かつらじょう)とも呼ばれる。城跡は桂城公園(けいじょうこうえん)として整備されている。 | ||||||
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161.大鳥井山遺跡 ・古代城柵 | ||||||
大鳥井山遺跡(おおとりいやまいせき)または大鳥井柵跡(おおとりいさくあと)[1]は、出羽国北部(現、秋田県域に相当)の横手盆地中部、現在の秋田県横手市新坂町・大鳥町にある平安時代の遺跡(居館跡)。2010年(平成22年)2月、国の史跡に指定された[2][3]。 | ||||||
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162.雄勝城 ・古代城柵 | ||||||
雄勝城(おかちじょう/おかちのき)は、出羽国雄勝郡(現在の秋田県雄物川流域地方)にあった日本の古代城柵。藤原朝狩が天平宝字3年(759年)に築造したとされる。 | ||||||
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163.小野城 (出羽国) ・山城 | ||||||
小野城(おのじょう)は出羽国、現在の秋田県湯沢市雄勝泉沢字古館に存在した日本の城(山城)。湯沢市指定史跡[1]。 | ||||||
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164.角館城 ・山城 | ||||||
角館城(かくのだてじょう)は、秋田県仙北市の角館地域にある日本の城(山城)跡。別名、小松山城。戦国時代に戸沢氏の本拠地があったことで知られている。 | ||||||
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165.柏崎館 ・平山城 | ||||||
柏崎館(かしわざきたて)は、秋田県鹿角市十和田毛馬内に所在した日本の城。別称・毛馬内城(けうまないじょう)。 | ||||||
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166.金沢柵 ・古代城柵 | ||||||
金沢柵(かねざわさく、かねざわのき)は、出羽国に置かれた古代日本の城柵の1つ。後三年の役の舞台となった。 | ||||||
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167.久保田城 ・平山城 | ||||||
久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田、現在の秋田県秋田市千秋公園近辺にあった城郭。史跡指定はされていないが、「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されている[1]。また日本100名城の第9番に選定されている[2]。 | ||||||
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168.昌斎館 ・単郭式山城 | ||||||
昌斎館(しょうさいだて)は、出羽国鹿角郡、現在の秋田県鹿角市十和田大湯字上折戸に所在した中世の城館である。 | ||||||
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169.出羽柵 ・古代城柵 | ||||||
出羽柵(でわのき/いではのき/でわのさく)は、現在の山形県庄内地方(城輪柵跡か)、のち秋田県秋田市付近(=秋田城)にあった日本の古代城柵。 | ||||||
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170.花輪城 | ||||||
花輪城(はなわじょう)は、日本に複数ある城。 | ||||||
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171.花輪館 ・平山城 | ||||||
花輪館(はなわたて)は、秋田県鹿角市花輪町に所在した日本の城。 | ||||||
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172.百騎館 | ||||||
百騎館(ひゃっきだて)は出羽国山本郡(現・秋田県山本郡三種町下岩川)にあった日本の城。 | ||||||
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173.檜山安東氏城館跡 ・山城 | ||||||
檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)は、秋田県能代市檜山集落の東側丘陵にある山城および城館遺跡群。1980年(昭和55年)と1986年(昭和61年)に、檜山城跡とその近くにある大館跡・茶臼館跡・国清寺跡とを併せて、国の史跡に指定された[1]。また、秋田魁新報社が主催した1952年(昭和27年)6月20日の第1回「秋田県観光三十景」(有効投票約195万票)で第10位(53172票)に選出されている。 | ||||||
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174.払田柵跡 ・古代城柵 | ||||||
払田柵跡(ほったのさくあと)は、秋田県大仙市払田・仙北郡美郷町本堂城廻にある日本の古代城柵遺跡。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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175.本荘城 ・平山城 | ||||||
本荘城(ほんじょうじょう)は、秋田県由利本荘市にある中世からの平山城跡。江戸時代には本荘藩の藩庁が置かれた。別名は鶴舞城。尾崎城とも。 | ||||||
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176.本堂城 ・平城 | ||||||
本堂城(ほんどうじょう)は、秋田県仙北郡美郷町に所在していた中世日本の城。城跡は県指定史跡となっている。 | ||||||
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177.湊城 ・平城 | ||||||
湊城(みなとじょう)は、出羽国秋田郡土崎湊、現在の秋田県秋田市にあった城郭(平城)である[2][3]。 | ||||||
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178.紫島城 | ||||||
紫島城(むらさきしまじょう)は、秋田県大仙市長野(旧、中仙町)にあった日本の城である。形式は平城。 | ||||||
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179.本館城 (出羽国) | ||||||
本館城(もとだてじょう)は、かつて秋田県山本郡八峰町八森字倉の沢にあった日本の城である。日本海に面した海岸段丘上に根小屋(現在は本館地区)と本館地区東側の丘陵上に築かれた要害からなる城館である。 | ||||||
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180.湯沢城 ・山城 | ||||||
湯沢城(ゆざわじょう)は、出羽国雄勝郡、現在の秋田県湯沢市の古館山(湯沢中央公園)にあった城である。湯沢市指定史跡[1]。 | ||||||
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181.横手城 ・山城 | ||||||
横手城(よこてじょう)は、出羽国[1] 平鹿郡横手町(現・秋田県横手市城山町)にかつて存在した日本の城である。構造は山城。朝倉城(あさくらじょう)や阿櫻城(あざくらじょう)とも呼ばれる。廃城後に城跡は横手公園として整備されており、模擬天守が建てられている。 | ||||||
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182.淀川城 | ||||||
淀川城(よどかわじょう)は、戦国時代、羽後国(出羽国北部; 現在の秋田県)にあった中世城館。現在の秋田県大仙市協和中淀川千着に所在する。 | ||||||
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183.脇本城 ・階郭式山城 | ||||||
脇本城(わきもとじょう)は、秋田県男鹿市にある中世の日本の城(山城)跡。国の史跡。中世に安東氏の居城となった。 | ||||||
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184.朝日山城 (出羽国) ・山城 | ||||||
朝日山城(あさひやまじょう)は、出羽国遊佐郡(のち羽後国[1]飽海郡)朝日山、現在の山形県酒田市北沢字楯山にあった日本の城(中世の山城)跡。 | ||||||
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185.左沢楯山城 ・山城 | ||||||
左沢楯山城(あてらざわたてやまじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘左沢、現在の山形県西村山郡大江町にあった日本の城である。城跡は国の史跡である[1]。 | ||||||
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186.鮎貝城 ・平山城 | ||||||
鮎貝城(あゆかいじょう)は、出羽国置賜郡鮎貝(現在の山形県西置賜郡白鷹町鮎貝)[2]に存在した日本の城(平山城)。本丸跡は白鷹町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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187.荒砥城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
荒砥城(あらとじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲に存在した日本の城(平山城)。城跡は1989年(平成元年)4月5日付で白鷹町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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188.小国城 (出羽国最上郡) ・山城 | ||||||
小国城(おぐにじょう)は、山形県最上郡最上町本城に所在する日本の城(山城)跡。岩部楯(館)(いわべのたて)または本城館(ほんじょうたて)と呼ばれた最上細川氏の居館跡地に最上氏の家臣・小国氏(蔵増氏)が築城したとされる[3]。 | ||||||
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189.小国城 (出羽国田川郡) ・山城 | ||||||
小国城(おぐにじょう)は山形県鶴岡市小国町尻(旧・田川郡温海町)にある日本の城跡。小国川(庄内小国川)左岸の、同市小国集落南西に聳える標高348.5メートルの「楯山」山頂に位置する山城で、2002年(平成14年)12月19日に国の史跡に指定された[1]。 | ||||||
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190.小国城 (出羽国置賜郡) ・平城 | ||||||
小国城(おぐにじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡小国町小国小坂町に所在する戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平城)跡。1692年(元禄5年)以降は「御役屋」と呼ばれた。 | ||||||
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191.小国山城 ・山城 | ||||||
小国山城(おぐにやまじょう/おぐにやまじろ[3])は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡小国町小国小坂町地内に所在する日本の城(山城)跡。 | ||||||
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192.金山城 (出羽国) ・山城 | ||||||
金山城(かねやまじょう)は、山形県最上郡金山町金山にあった日本の城(山城)。別名の楯山城(たてやまじょう)で呼ばれることが多い。 | ||||||
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193.上山城 ・平山城 | ||||||
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。上山市指定史跡[1]。 | ||||||
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194.城輪柵 ・古代城柵 | ||||||
城輪柵(きのわのき/きのわのさく)は、現在の山形県酒田市城輪にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されている(指定名称は「城輪柵跡」)。 | ||||||
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195.寒河江城 ・連郭式平城 | ||||||
寒河江城(さがえじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘(山形県寒河江市)にあった日本の城である。 | ||||||
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196.鮭延城 ・山城 | ||||||
鮭延城(さけのべじょう)は、山形県最上郡真室川町内町に所在する戦国時代から江戸時代初期の日本の城(山城)跡。別名は真室城(まむろじょう)。真室川町指定史跡[1]。 | ||||||
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197.清水城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
清水城(しみずじょう)は、山形県最上郡大蔵村清水、比良にあった日本の城。形式は平山城である。山形県指定史跡[1]。 | ||||||
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198.白岩城 ・山城 | ||||||
白岩城(しらいわじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘白岩(山形県寒河江市白岩)にあった城である。 | ||||||
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199.新庄城 ・輪郭式平城 | ||||||
新庄城(しんじょうじょう)は、現在の山形県新庄市堀端町にあたる出羽国(羽前国)最上郡[2]新庄[3]にあった日本の城(中世の平城)である。別名沼田城(ぬまたじょう)、鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれる。新庄市指定史跡[1]。 | ||||||
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200.高畠城 (出羽国) ・平城 | ||||||
高畠城(たかはたじょう)、または高畑城は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県東置賜郡高畠町高畠大字古城ノ内に存在した日本の城(平城)。別名「鐘ヶ城」。堀の一部が高畠町指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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