201.楯岡城 | ||||||
楯岡城(たておかじょう)は、山形県村山市楯岡楯(旧・北村山郡楯岡町)にあった日本の城(中世の山城跡)。 | ||||||
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202.館山城 (出羽国) ・平山城 | ||||||
館山城(たてやまじょう)は、山形県米沢市館山(出羽国置賜郡)にあった日本の城(中世の城跡)。「舘山城」と表記されることもある[1]。発掘調査により戦国時代の伊達氏の本拠地との説が出され注目されている。城跡は国の史跡に指定されている[2]。 | ||||||
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203.鶴ヶ岡城 ・輪郭式平城 | ||||||
鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)は、山形県鶴岡市馬場町にあった日本の城(平城)である。 | ||||||
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204.天童城 ・山城 | ||||||
天童城(てんどうじょう)は、山形県天童市天童にあった日本の城(山城)。 | ||||||
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205.長瀞城 | ||||||
長瀞城(ながとろじょう)は、戦国時代から江戸時代にかけて存在した城。現在の山形県東根市長瀞地区に城跡が残る。別名、雁城(かりがねじょう)ともいう。 | ||||||
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206.長瀞陣屋 | ||||||
長瀞陣屋(ながとろじんや)は出羽国村山郡(現在の山形県東根市)に置かれた長瀞藩の陣屋。 | ||||||
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207.中野城 (出羽国) ・平城 | ||||||
中野城(なかのじょう)は、山形県山形市中野にあった日本の城。 | ||||||
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208.中山城 (出羽国) ・山城 | ||||||
中山城(なかやまじょう)は、出羽国置賜郡および村山郡、現在の山形県上山市中山[1]に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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209.延沢城 ・山城 | ||||||
延沢城(のべさわじょう)は、日本の城。所在地は山形県尾花沢市。霧山城や野辺沢城とも呼ばれた。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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210.長谷堂城 ・連郭式山城 | ||||||
長谷堂城(はせどうじょう)は、出羽国(羽前国)最上郡[1](現在の山形県山形市長谷堂)[2]にある中世の日本の城(山城)跡。山の形から「亀ヶ城」とも呼ばれていた。 | ||||||
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211.畑谷城 | ||||||
畑谷城(はたやじょう)は、山形県東村山郡山辺町畑谷にあった戦国時代の日本の城。形式は山城である。 | ||||||
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212.藤島城 ・輪郭式平城 | ||||||
藤島城(ふじしまじょう)は山形県鶴岡市藤島にあった日本の城で、市指定史跡[1]。 | ||||||
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213.松山城 (出羽国) | ||||||
松山城(まつやまじょう)は、出羽国遊佐郡(のち羽後国[1]飽海郡)松山(現在の山形県酒田市松山地区)にあった日本の城である。江戸時代には、庄内藩の支藩松山藩の藩庁が置かれた。出羽松山城とも称した[2]。明治以降は松嶺城(まつみねじょう)とも呼ばれるようになった。 | ||||||
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214.丸岡城 (出羽国) ・連郭式平山城 | ||||||
丸岡城(まるおかじょう)は山形県鶴岡市丸岡にあった日本の城で、県指定史跡[1]。 | ||||||
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215.溝延城 ・連郭式平城 | ||||||
溝延城(みぞのべじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘溝延(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。 | ||||||
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216.谷地城 ・連郭式平城 | ||||||
谷地城(やちじょう)は、出羽国村山郡谷地(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。町指定史跡[1]。 | ||||||
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217.山形城 ・輪郭式平城 | ||||||
山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた[1]。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている[2]。 | ||||||
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218.山辺城 | ||||||
山辺城(やまのべじょう)は、山形県東村山郡山辺町山辺にあった戦国時代の日本の城。形式は平山城である。山野辺城と記されることもある。 | ||||||
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219.米沢城 ・輪郭式平城 | ||||||
米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平城)である。長井氏および伊達氏の本拠地であり、江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。2017年には続日本100名城に選定された。 | ||||||
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220.大田原城 ・平山城 | ||||||
大田原城(おおたわらじょう)は、1543年に大田原資清によって下野国大田原の蛇尾川西岸、比高約25メートルの龍体山に築かれた日本の城(平山城)。 | ||||||
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221.伊佐城 | ||||||
伊佐城(いさじょう)は、常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)にあった伊佐氏の日本の城。その城域は、東側に勤行川をのぞむ台地上の施無畏山延命院観音寺境内とその周辺で、「伊佐城跡」の名称で茨城県の史跡に指定されている。 | ||||||
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222.今城 (下総国) ・連郭式 | ||||||
今城(いまんじょ)は、現在の茨城県守谷市けやき台に存在した日本の城である。高野(こうや)館とも[1]。 | ||||||
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223.牛久城 ・平山城 | ||||||
牛久城(うしくじょう)は、茨城県牛久市城中にあった日本の城。 | ||||||
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224.海老ヶ島城 ・平山城 | ||||||
海老ヶ島城(えびがしまじょう)とは日本の城で茨城県筑西市(旧・真壁郡明野町)松原にあった。 | ||||||
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225.太田城 (常陸国) ・平山城 | ||||||
太田城(おおたじょう)は、常陸国にあった日本の城。現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。 | ||||||
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226.岡見城 ・平山城 | ||||||
岡見城(おかみじょう)は茨城県牛久市岡見町にあった日本の城。 | ||||||
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227.小栗城 ・山城 | ||||||
小栗城(おぐりじょう)は、茨城県筑西市小栗(かつての常陸国)にあった日本の城(山城)。小栗判官で有名な小栗氏の居城。戦国時代には宇都宮氏家臣小宅氏の居城にもなっている。 | ||||||
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228.小坂城 ・平山城 | ||||||
小坂城(おさかじょう)は茨城県牛久市小坂町にあった戦国時代の日本の城。牛久市指定史跡。 | ||||||
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229.小田城 ・平城 | ||||||
小田城(おだじょう)は、現在の茨城県つくば市に存在した日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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230.笠間城 ・山城 | ||||||
笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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231.鹿島城 (常陸国) ・連郭式平山城 | ||||||
鹿島城(かしまじょう)は茨城県鹿嶋市城山1丁目にあった中世の日本の城郭である。 | ||||||
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232.木原城 (常陸国) ・山城 | ||||||
木原城(きはらじょう)または神越城(かみこしじょう)は、現在の茨城県稲敷郡美浦村に存在した日本の城(平山城)である。 | ||||||
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233.久下田城 | ||||||
久下田城(くげたじょう)は、茨城県筑西市樋口にあった日本の城。茨城県指定文化財(史跡)。 | ||||||
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234.久野城 ・平山城 | ||||||
久野城(くのじょう)は茨城県牛久市久野町にあった日本の城。 | ||||||
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235.栗橋城 ・平城 | ||||||
栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。五霞町指定史跡[1]。 | ||||||
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236.古河公方館 ・平城 | ||||||
古河公方館(こがくぼうやかた)は茨城県古河市鴻巣にあった中世の城館。鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれる。古河御所と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。 | ||||||
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237.古河城 ・平城(平山城) | ||||||
古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市(下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城。 | ||||||
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238.頃藤城 | ||||||
頃藤城(ころふじじょう)は、常陸国に隣接していた陸奥国南端部(現在の茨城県久慈郡大子町頃藤)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。 | ||||||
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239.逆井城 ・平城 | ||||||
逆井城(さかさいじょう)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の日本の城(平城)。落城後、後北条氏によって大規模に築城しなおされたため、それ以前の遺構と後北条氏時代の遺構が重なっている。はじめの逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいう。 | ||||||
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240.坂戸城 (常陸国) ・山城 | ||||||
坂戸城(さかどじょう)は、茨城県桜川市西飯岡字伊勢代(かつての常陸国)にある日本の城跡(山城)。宇都宮氏家臣小宅氏・小田氏家臣信太氏などの居城。 | ||||||
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241.宍戸陣屋 | ||||||
宍戸陣屋(ししどじんや)は、常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。 | ||||||
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242.下館城 | ||||||
下館城(しもだてじょう)は、現在の茨城県筑西市甲(本城町)にあった日本の城。筑西市指定文化財(史跡)。 | ||||||
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243.下妻城 ・平城 | ||||||
下妻城(しもつまじょう)は、常陸国関郡下妻荘(現在の茨城県下妻市)にあった日本の城。多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城(たがやじょう)とも称し、地元では一般にこの名称を用いている[1]。 | ||||||
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244.上条城 (常陸国) ・平城 | ||||||
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の茨城県稲敷郡阿見町上条字城ノ内に存在した日本の城(平城)である。史跡指定はされていないが「阿見町名所百選(No.20)」に選定されている[1]。 | ||||||
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245.助川海防城 ・連郭式山城 | ||||||
助川海防城(すけがわかいぼうじょう)は、常陸国多賀郡助川(介川)(現在の茨城県日立市助川町)に、江戸時代後期に築かれた日本の城である。 | ||||||
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246.関城 (常陸国) ・平城 | ||||||
関城(せきじょう)は、常陸国真壁郡(現在の茨城県筑西市関館)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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247.大宝城 ・平城 | ||||||
大宝城(だいほうじょう)は、現在の茨城県筑西市・下妻市大宝に所在した、平安時代末期から南北朝時代にかけての平城。1934年(昭和9年)5月1日、「大宝城跡」として国史跡に指定された[1]。茨城百景にも選定されている[2]。 | ||||||
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248.高井城 (下総国) ・平山城 | ||||||
高井城(たかいじょう)は、現在の茨城県取手市下高井に存在した日本の城である。 | ||||||
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249.高井城 (常陸国) | ||||||
高井城(たかいじょう)とは、茨城県土浦市上高津にあった南北朝時代の日本の城である。 | ||||||
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250.多気城 (常陸国) ・山城 | ||||||
多気城(たきじょう[1]・たけじょう[2])は、常陸国筑波郡多気(現在の茨城県つくば市北条小字多気)にあった日本の城。多気山城(たきさんじょう)・城山城(じょうやまじょう)とも称する[3]。現存する史料や遺物が少なく、謎の城とされてきた。 | ||||||
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251.多良崎城 ・居館 | ||||||
多良崎城(たらざきじょう、たらさきじょう[1])とは、茨城県ひたちなか市足崎にあった、鎌倉末期から南北朝時代にかけて築城されたとされる中世の居館(日本の城)である。ひたちなか市指定史跡[2]。 | ||||||
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252.茅根城 | ||||||
茅根城(ちのねじょう)は、茨城県常陸太田市茅根町にある城。常陸守護 佐竹氏の家臣 茅根氏が築城し、代々城主の座を世襲した。 | ||||||
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253.月居城 ・山城 | ||||||
月居城(つきおれじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町袋田)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。 | ||||||
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254.土浦城 ・輪郭式平城 | ||||||
土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。 | ||||||
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255.筒戸城 ・梯郭式平城 | ||||||
筒戸城(つつどじょう)は、現在の茨城県つくばみらい市に存在した日本の城である。 | ||||||
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256.東林寺城 ・平山城 | ||||||
東林寺城(とうりんじじょう)は茨城県牛久市新地町にあった日本の城。 | ||||||
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257.徳宿城 | ||||||
徳宿城(とくしゅくじょう)は、常陸国(現:茨城県)鉾田市に存在した城。 | ||||||
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258.馴馬城 ・平城 | ||||||
馴馬城(なれうまじょう)は、茨城県龍ケ崎市にあった日本の城。 | ||||||
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259.野口城 (常陸国) ・平山城 | ||||||
野口城(のぐちじょう)は、常陸国那珂郡野口にあった日本の城。現在の茨城県常陸大宮市野口にあたる。常陸大宮市指定史跡。 | ||||||
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260.真壁城 ・平城 | ||||||
真壁城(まかべじょう)は、常陸国真壁郡、現在の茨城県桜川市真壁町古城にあった戦国時代の日本の城(平城)。大掾氏の一族である真壁氏が代々支配した。国の史跡[1]。 | ||||||
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261.松岡城 (常陸国) ・山城・平山城 | ||||||
松岡城(まつおかじょう)は、常陸国多賀郡(現在の茨城県高萩市下手綱)にあった日本の城。龍子山城(たつごやまじょう)・手綱城(たづなじょう)とも呼ばれる。明治時代初期には常陸松岡藩の藩庁が置かれた。 | ||||||
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262.見川城 ・平山城 | ||||||
見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城。 | ||||||
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263.水海城 ・平城 | ||||||
水海城(みずうみじょう、みずみじょう)は、下総国葛飾郡水海(現在の茨城県古河市)にあった中世日本の城。古河公方重臣・簗田氏の居城のひとつ。 | ||||||
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264.水戸城 ・連郭式平山城 | ||||||
水戸城(みとじょう)は、常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市三の丸)にあった日本の城である。 | ||||||
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265.結城城 ・平山城 | ||||||
結城城(ゆうきじょう)は茨城県結城市結城にあった日本の城。室町時代には結城合戦の舞台となった事で知られる。江戸時代には結城藩の藩庁が置かれた。結城市指定史跡[1]。 | ||||||
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266.吉田城 (常陸国) | ||||||
吉田城(よしだじょう)とは、茨城県水戸市元吉田町に江戸時代以前にあった中世の居館(日本の城)である。 | ||||||
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267.依上城 ・山城 | ||||||
依上城(よりがみじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町)に築かれた日本の城(山城)のひとつである。 | ||||||
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268.足利城 ・山城 | ||||||
足利城(あしかがじょう)は栃木県足利市の標高250メートルの両崖山に平安時代後期に築城された日本の城(山城)で、両崖山城、飯塚山城、小屋城、栗崎城などとも呼称される。足利市指定史跡[3]。 | ||||||
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269.伊佐野城 | ||||||
伊佐野城(いさのじょう)は、栃木県矢板市大字下伊佐野小字堀之内にあった日本の城(山城)。築城者、築城年代は不詳。天正18年(1590年)廃城。別称として「堀之内館・堀内館」(ほんのうちやかた)。 | ||||||
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270.泉城 ・連郭式平山城 | ||||||
泉城(いずみじょう)は栃木県矢板市大字東泉小字高城にあった日本の城。平安末期の築城。正保元年(1644年)9月19日廃城。 | ||||||
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271.犬飼城 ・平山城[2] | ||||||
犬飼城(いぬかいじょう)は、栃木県宇都宮市上欠町にあった城。根古屋城(ねごやじょう)とも称する[1][3]。城に関する伝承はほとんど残っていないが、城跡としての保存状態は良い[1]。 | ||||||
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272.宇都宮城 ・輪郭梯郭複合式平城 | ||||||
宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。別名、亀ヶ岡城(かめがおかじょう)。 | ||||||
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273.榎本城 ・平城 | ||||||
榎本城(えのもとじょう)は、下野国都賀郡榎本(現在の栃木市大平町榎本)にあった日本の城。 | ||||||
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274.大宮城 (下野国) ・山城 | ||||||
大宮城(おおみやじょう)は、栃木県塩谷郡塩谷町大字大宮に存在した日本の城。14世紀前期頃築城、慶長2年10月13日(1597年11月22日)廃城。 | ||||||
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275.岡城 (下野国) ・平山城 | ||||||
岡城(おかじょう)は、栃木県矢板市大字片岡小字梶ヶ沢にあった日本の城。平安時代末期、または戦国時代の築城とされる[2]。文禄4年(1595年)2月8日廃城。 | ||||||
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276.岡本城 (下野国) ・平山城[2] | ||||||
岡本城(おかもとじょう)は、栃木県宇都宮市大字中岡本小字根古屋にあった日本の城。14世紀前期(1337年2月以降)[4]築城、慶長2年(1597年)10月13日廃城。別称として岡本根小屋城[1]。 | ||||||
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277.乙畑城 | ||||||
乙畑城(おつはたじょう)は、栃木県矢板市大字乙畑にある日本の城(山城)。平安末期築城、天正18年(1590年)8月30日廃城。乙幡城、小幡城などとも言う。 | ||||||
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278.小山城 (下野国) ・平城 | ||||||
小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった日本の城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」の1つ祇園城跡の名称で国の史跡に指定されている[1]。また、関東の富士見百景の一つに選ばれている。 | ||||||
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279.風見城 (下野国) ・単郭式山城 | ||||||
風見城(かざみじょう)は、下野国塩谷郡(現・栃木県塩谷郡塩谷町風見)にあった日本の城(山城)。 | ||||||
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280.勝山城 (下野国) ・平山城 | ||||||
勝山城(かつやまじょう)は、現在の栃木県さくら市にあった中世の日本の城である。 | ||||||
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281.鹿沼城 ・平山城 | ||||||
鹿沼城(かぬまじょう)は、下野国都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)にあった日本の城である。 | ||||||
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282.唐沢山城 ・連郭式山城 | ||||||
唐沢山城(からさわやまじょう)は、日本の城。所在地は栃木県佐野市富士町、栃本町。別名は栃本城、根古屋城、牛ヶ城。 「関東一の山城」と称される。城跡は国の史跡に指定されている。2017年には続日本100名城(114番)に選定された。 | ||||||
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283.烏山城 ・山城 | ||||||
烏山城(からすやまじょう)は、下野国那須郡(現:栃木県那須烏山市)[2]にあった日本の城(山城)。国の史跡への指定が答申されている(官報告示を経て正式指定となる)[3]。 | ||||||
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284.川崎城 (下野国) ・山城 | ||||||
川崎城(かわさきじょう)は、栃木県矢板市大字川崎反町小字中島(かつての下野国塩谷郡)にあった日本の城(山城)。塩谷氏の居城。正治建仁年間(1199年~1203年)の頃築城。文禄4年(1595年)2月8日廃城。塩谷城、塩谷故城、蝸牛城などとも呼ばれる。矢板市指定史跡[1]。 | ||||||
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285.川連城 | ||||||
川連城(かわつれじょう/かわつらじょう)は現在の栃木県栃木市大平町川連から片柳町にまたがって築かれた戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の城。 | ||||||
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286.神田城 ・平城 | ||||||
神田城(かんだじょう)は、栃木県那須郡那珂川町にあった日本の城(平城)。国の史跡に指定されている。別名那須城、那須神田城。 | ||||||
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287.勧農城 ・平山城 | ||||||
勧農城(かんのうじょう)または岩井山城(いわいやまじょう)は、栃木県足利市岩井町の岩井山にあった中世の日本の城(平山城)。足利市指定史跡[2]。 | ||||||
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288.喜連川城 ・山城 | ||||||
大蔵ヶ崎城(おおくらがさきじょう)または喜連川城(きつれがわじょう)は、現在の栃木県さくら市喜連川にあった日本の城である。蔵ヶ崎城(倉ヶ崎城)とも。 | ||||||
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289.黒羽城 ・山城 | ||||||
黒羽城(くろばねじょう)は、現在の栃木県大田原市にあった日本の城である。別名は九鶴城[1]。 | ||||||
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290.幸岡城 | ||||||
幸岡城(こうかじょう)は、栃木県矢板市大字幸岡にあったとされる日本の城。13世紀中頃の築城と伝わる。15世紀前半頃廃城。幸賀城とも書く。 | ||||||
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291.御前城 ・平城 | ||||||
御前城(ごぜんじょう)は、下野国(現在の栃木県さくら市氏家町)にあった中世の日本の城である。別名馬場城、増渕城。 | ||||||
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292.御前原城 ・平城 | ||||||
御前原城(ごぜんぱらじょう)は、栃木県矢板市早川町[1][2]にあった日本の城(平城)。栃木県指定史跡。塩谷城、塩谷故城、中村城などとも言う。正和4年(1315年)築城、正保元年(1644年)9月19日廃城。 | ||||||
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293.籠谷城 ・平山城 | ||||||
籠谷城(こもりやじょう)は栃木県真岡市大字下籠谷字山前にあった日本の城。篭谷城とも書く | ||||||
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294.児山城 ・平城[1][2] | ||||||
児山城(こやまじょう)は、下野国都賀郡児山郷(現・栃木県下野市下古山)にあった城。本丸跡の堀と土塁が残り[2][4][5]、栃木県の史跡に指定されている[2]。児山氏がおよそ10代にわたって拠った城である[6]が、文献記録に乏しく、謎の城とされてきた[7]。 | ||||||
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295.古山城 (下野国) ・山城 | ||||||
古山城(こやまじょう)は、栃木県日光市小林[1]にあった日本の城。 | ||||||
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296.西明寺城 ・山城[1] | ||||||
西明寺城(さいみょうじじょう)は、現在の栃木県芳賀郡益子町にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣益子氏の居城だった。別名を高館城。 | ||||||
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297.境林城 | ||||||
境林城(さかいばやしじょう)は、栃木県矢板市大字境林小字滝原台に存在した日本の城(山城)。 | ||||||
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298.佐野城 ・平山城 | ||||||
佐野城(さのじょう)は、下野国安蘇郡佐野、現在の栃木県佐野市若松町に築かれた日本の城(平山城)である。別名春日岡城・春日城・姥城(うばがじょう)。佐野市指定史跡[1]。 | ||||||
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299.沢村城 | ||||||
沢村城(さわむらじょう)は、栃木県矢板市大字沢村にあった日本の城(山城)。文治3年(1187年)築城、天正18年(1590年)廃城。 | ||||||
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300.白旗城 (下野国) ・山城 | ||||||
白旗城(しらはたじょう)は、栃木県大田原市に所在した日本の城。市の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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