1801.大野山 (兵庫県) ・兵庫県川辺郡猪名川町・丹波篠山市 | ||||||
大野山(おおやさん)は、兵庫県川辺郡猪名川町にある標高753.5mの山である。山頂部は猪名川町にあり、北摂山系・丹波高地に属する。ふるさと兵庫50山のひとつ。 | ||||||
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1802.雄鷹台山 (相生市・たつの市) ・ 日本 兵庫県たつの市・相生市 | ||||||
雄鷹台山(おたかだいやま)は、兵庫県たつの市と相生市の境界にある山。 | ||||||
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1803.雄鷹台山 (赤穂市) ・ 日本 兵庫県赤穂市 | ||||||
雄鷹台山(おたかだいやま)は兵庫県赤穂市にある山。 標高253m。ふるさと兵庫100山の一つ[1][2]。赤穂市街地にある播州赤穂駅から北北東へ約1kmの所に位置する。山裾を東から南へJR赤穂線、国道250号が通り、千種川が流れる。北西には当山より標高が約50m高い高山がある。市街地に近く登山道は整備されていて比較的容易に登れる山である。 | ||||||
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1804.雄岡山 ・ 日本兵庫県神戸市西区 | ||||||
雄岡山(おっこさん・おっこうさん)は、兵庫県神戸市西区神出町にある標高241.2mの山である。東播台地上の独立峰。西に2km離れた雌岡山と対峙し、共にふるさと兵庫100山に選定されている。加古川水系と明石川水系の分水嶺となっている。 | ||||||
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1805.男山 (兵庫県) ・ 日本兵庫県姫路市 | ||||||
男山(おとこやま)は兵庫県姫路市にある標高57.5mの山。登山道は、北側から・南側の水尾神社の横から・南側の男山八幡宮と千姫天満宮への参道からの3箇所があり、200段あまりの階段で整備されている。姫路城の北西に位置しており、姫路城や姫路市街が展望できる。その眺めから姫路城十景や船場八景に選ばれている。 | ||||||
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1806.馳渡山 ・ 日本 兵庫県宝塚市 | ||||||
馳渡山(かけわたりやま)は、兵庫県宝塚市にある標高289.4mの山である。武庫川の対岸にある武田尾温泉から全景が見渡せる。 一般的にJR福知山線武田尾駅から武田尾温泉を経て、阪急田園バスのバス停近くにある登山口を目指す。だが登山口といったものは無く、古井戸があるのみ。自己責任で登山を始めなければならない。山頂には298.4mの三角点があり、景色の眺めは無い。登山客は少なく、中山から十万辻、大峰山を経て縦走してきた客のみである。山麓の北西から南東へは武庫川が反時計回りに流れる。山を福知山線の第一武田尾トンネルと神戸水道が貫く。 | ||||||
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1807.笠形山 ・兵庫県神崎郡神河町神崎郡市川町多可郡多可町 | ||||||
笠形山(かさがたやま)は、兵庫県神崎郡神河町と多可郡多可町との境に位置する山である。標高は939.4メートルで、山頂からは播磨平野を望むことができ、一等三角点も置かれている[1]。関西百名山、近畿百名山、ふるさと兵庫50山の一つに数えられる。千ヶ峰と共に、笠形山千ヶ峰県立自然公園を形成している[2]。 | ||||||
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1808.笠松山 (兵庫県) ・兵庫県加西市 | ||||||
笠松山(かさまつやま)は兵庫県加西市にある標高243mの山。加古川水系と法華寺谷川水系の分水嶺。 笠松山付近は古法華自然公園に指定されている。山頂には展望台があり、善防山や、千ヶ峰、六甲山地、明石海峡大橋などが見え、展望がよい[1]。現在やや南に位置する一乗寺は創建当時には笠松山周辺にあったと推定されており、笠松山の山麓の古法華寺には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。ふるさと兵庫50山ならびにふるさと兵庫100山のひとつ。 | ||||||
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1809.柏原山 ・ 日本兵庫県洲本市 | ||||||
柏原山(かしわらやま)は兵庫県の淡路島南東部、諭鶴羽山地東部にある標高568.9mの山である。洲本市千草丙に位置する。諭鶴羽山、先山とともに「淡路三山」の一峰。 | ||||||
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1810.加東神山 ・兵庫県加東市、西脇市、丹波篠山市 | ||||||
加東神山(かとうこやま)は、兵庫県加東市と西脇市と丹波篠山市の市境に位置する標高648mの山である。2014年11月から加東市の最高峰として愛称が公募され、2015年4月に「加東神山」と命名された[1]。 加東市、西脇市、 丹波篠山市の市境に位置し、山頂周辺は木々に覆われ、緑豊かな原生林が広がっている。登山道は未整備だが、踏み跡がついており経験者であれば登山可能。登山ルート沿いには海岸でみられるウバメガシが群生している。 | ||||||
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1811.甲山 ・兵庫県西宮市 | ||||||
甲山(かぶとやま)は、兵庫県西宮市西北部に位置する、古い火山の痕跡である。 | ||||||
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1812.神鍋火山群 | ||||||
神鍋火山群(かんなべかざんぐん)は、兵庫県豊岡市の西端部にある火山群である。稲葉川沿いに並ぶ7つの単成火山から構成され[1]、北但馬単成火山群の一部でもある[1]。 玄武岩質であり[1]、活動時期は、西気火山のみが約70万年前で、それ以外は約20万年前以降[1]。最新の神鍋山は2万ないし1万年前[1]。 | ||||||
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1813.菊水山 ・ 日本兵庫県神戸市 北区 | ||||||
菊水山(きくすいやま)は、兵庫県神戸市北区に位置する山。瀬戸内海国立公園の区域に指定されている六甲山地に属する。ふるさと兵庫100山に選定。 | ||||||
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1814.奈良百遊山 | ||||||
奈良百遊山(ならひゃくゆうざん)とは、奈良県が「健康づくり奈良百遊山」として選定した100の山。 | ||||||
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1815.青根ヶ峰 ・ 日本奈良県吉野郡吉野町・川上村 | ||||||
青根ヶ峰(あおねがみね)は大峰山脈北部、奈良県吉野郡吉野町の吉野山最南端にある標高858mの山。山頂に三等三角点がある[1]。 | ||||||
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1816.薊岳 ・ 日本奈良県吉野郡川上村・東吉野村 | ||||||
薊岳(あざみだけ)は、奈良県川上村と東吉野村に跨る標高1,406 mの山。台高山脈を構成する。近畿百名山・奈良百遊山に選定されている。 明神平との間で縦走が可能。南側には木ノ実矢塚登山口があるが、東吉野村の村道麦谷地蔵線は2011年の平成23年紀伊半島大水害による大規模崩壊の復旧工事により立入禁止となっており徒歩での通行もできない(期間未定)[1]。 周辺には薊岳鳥獣保護区(124ha)が設定されている[2]。 | ||||||
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1817.甘樫丘 ・奈良県高市郡明日香村 | ||||||
甘樫丘(あまかしのおか)は、高市郡明日香村の豊浦と川原にまたがる、標高140メートルの丘陵[1]。乙巳の変(645年)で滅ぼされた蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅があった場所に比定されるなど古代の遺跡が発掘されており[2]、『万葉集』にもその名が見える[1]。 | ||||||
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1818.天香久山 ・奈良県橿原市南浦町 | ||||||
天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる[1]。 歴史的風土特別保存地区[2]と国の名勝に指定されている。 | ||||||
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1819.雷丘 ・奈良県高市郡明日香村大字雷 | ||||||
雷丘(いかづちのおか)は、奈良県高市郡明日香村大字雷にある標高110mほどの丘。「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも」という柿本人麻呂の句が残っている。 | ||||||
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1820.稲村ヶ岳 ・奈良県吉野郡天川村洞川 | ||||||
稲村ヶ岳(いなむらがたけ)は、奈良県吉野郡天川村にある大峰山脈の山。標高1,726.1m、関西百名山の一座。女人大峯、稲邑ヶ岳とも記される[1]。 | ||||||
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1821.妹背山 (奈良県) | ||||||
妹背山(いもせやま)とは、奈良県中部の吉野郡吉野町上市の東方にある2つの山の総称。吉野川を挟んで相対する孤立丘陵で、北岸の山は妹山(260m)、南岸の山は背山(272m)である。浄瑠璃・歌舞伎の『妹背山婦女庭訓』で知られている[1]。 妹山は黒雲母・絹雲母千枚岩・石英片岩などの石からなる山で、全山が照葉樹の原生林に覆われる。山麓には大名持神社が鎮座するため、859年(貞観元年)以前から信仰の対象の「忌み山」として入山を禁止された。これにより妹山での人工林の開発が不可能となったため、原始林的な樹叢は残っている。樹林の中に0.5m以上の厚さの腐植土が堆積しており、ツルマンリョウ(奈良県、山口県と鹿児島県の屋久島に隔離分布する稀有な種)、ルリミノキ、テンダイウヤク、ナガバジュズネノキ、ホンゴウソウ、ホングウシダなどの暖地性植物からなる植物群落があるため、西日本の特殊暖帯林として、1928年(昭和3年)3月24日に国の天然記念物の「妹山樹叢」に指定されている[2][3][4]。 | ||||||
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1822.畝傍山 ・ 日本奈良県橿原市山本町 | ||||||
畝傍山(うねびやま)は、奈良盆地南部に位置する山である。かつては「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれることもあった[1]。万葉集の中では「瑞山」(みずやま)とも詠まれた。天香久山、耳成山とともに大和三山と呼ばれ、2005年(平成17年)7月14日には他の2山とともに国の名勝に指定された。標高は198.8メートルと三山の中では最も高い[1]。ただし、山頂にある三等三角点の標高は198.49メートルである。歴史的風土特別保存地区[2]にも指定されている。 | ||||||
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1823.大峰山 | ||||||
大峰山(おおみねさん)は、奈良県の南部にある山。大峯山とも。 現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指す。歴史的には「大峰山」は、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であった。対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。歴史的に使われてきた呼称および修験道の信仰では、青根ヶ峰より南を「大峯」、以北を吉野としてきた[1]。 この一帯は1936年(昭和11年)に吉野熊野国立公園に指定され、1980年(昭和55年)にはユネスコの生物圏保護区(ユネスコエコパーク)に登録(登録名:大台ケ原・大峯山・大杉谷)[2]、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として、史跡「大峯山寺」「大峯奥駈道」ほかが登録された。女性の入山を禁止する女人禁制を採っている。 | ||||||
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1824.大天井ヶ岳 ・奈良県天川村・黒滝村・川上村 | ||||||
大天井ヶ岳(おおてんじょうがたけ)は、奈良県天川村・黒滝村・川上村に跨る標高1,439 mの山。大峰山脈の北部に位置する。奈良百遊山に選定されている。 山体は大峰山脈の主稜線を構成し、大峯奥駈道のルート上にある。山頂には展望はあるが視界は広くない。北稜に二蔵宿小屋がある。山体の東には標高1,000m前後まで舗装された林道が通る(林道吉野大峯線・林道高原洞川線[2])。西麓には洞川スキー場(スノーパーク洞川)がある。 | ||||||
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1825.伯母子岳 ・奈良県野迫川村・十津川村 | ||||||
伯母子岳(おばこだけ)は、紀伊山地西部に属する奥高野の山である。日本二百名山の一つに数えられる。 | ||||||
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1826.春日山 (奈良県) | ||||||
春日山(かすがやま)は、奈良県奈良市、春日大社の東側にある標高497メートルの花山(はなやま)もしくは西隣の標高283メートルの御蓋山(三笠山・みかさやま)の通称。御蓋山を「(春日)前山」・花山を「(春日)奥山」と区別する場合もある。また、両山および芳山(518m)などの連峰の総称としても用いられる。 | ||||||
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1827.行者還岳 ・奈良県吉野郡天川村・上北山村 | ||||||
行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)は、奈良県の天川村と上北山村にまたがる標高1,546mの山。 その険しい山容により、役行者をして一度は引き返させたという伝承からこの名が与えられている。 | ||||||
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1828.金峰山 | ||||||
金峰山(きんぷせん)とは、奈良県の大峰山脈のうち吉野山から山上ヶ岳までの連峰の総称である。金峯山とも表記し、「金の御岳(かねのみたけ)」とも呼ばれる[1]。 吉野山の金峯山寺は修験道の中心地の一つであり、現在は金峯山修験本宗の総本山である。 | ||||||
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1829.護摩壇山 ・ 日本和歌山県田辺市龍神村奈良県吉野郡十津川村 | ||||||
護摩壇山(ごまだんざん、ごまだんやま)は、和歌山県田辺市と奈良県吉野郡十津川村との県境にある山である。標高は1,372m。紀伊山地に属する。 | ||||||
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1830.佐保山 | ||||||
佐保山(さほやま)は、奈良市佐保山町にあった山。また、阿保山・奈保山(法蓮町・奈保町一帯)を含む佐保川北方に広がる丘陵地帯の総称[1]。西部の佐紀山と合わせて平城山丘陵を形成する。 周囲には聖武天皇ら皇族の陵墓が点在する。古くから桜の名所としられる地域であり、特に南部を流れる佐保川沿いの桜並木が有名である。この事から、佐保山には春を司る神霊が宿っていると考えられ、佐保姫と呼ばれる女神が信仰されている。戦国時代、松永久秀によって佐保山に多聞城が築かれていた[2]。 現在では開発が進み、運動公園や学校、住宅地などになっている。 この他、南西部には平城京跡・法華寺・海龍王寺、北部の丘陵には佐紀盾列古墳群がある。 | ||||||
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1831.信貴山 ・奈良県生駒郡平群町 | ||||||
信貴山(しぎさん)は、奈良県生駒郡平群町に位置する山である。 奈良百遊山の一つに選定されている[1]。 名称は聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れた逸話で、太子が信ずべし、貴ぶべしといったことに由来すると伝わる[2]。 外観は雄岳と呼ばれる北峰 (437 m) 、および雌岳と呼ばれる南峰 (400.5 m) の二峰からなり、花崗岩を基盤とする安山岩質の岩石から構成される。 生駒山地は西側(大阪府側)が断層により急傾斜しているのに対し、東側(奈良県側)は比較的傾斜もゆるく、侵食の進んだ樹枝状の谷が稜線近くまで発達している。このような特徴から信貴山の東側は中腹まで住宅地や樹園地・水田が分布している[3]。 | ||||||
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1832.四寸岩山 ・奈良県黒滝村・川上村 | ||||||
四寸岩山(しすんいわやま)は、奈良県黒滝村・川上村に跨る標高1,235.9 mの山。大峰山脈の北部に位置する。奈良百遊山に選定されている。 山体は大峰山脈の主稜線を構成し、大峯奥駈道のルート上にある。山頂の展望は南側が開けていて大天井ヶ岳や山上ヶ岳などが見える。山体の西側には1,100m程度まで林道が通っている。 | ||||||
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1833.釈迦ヶ岳 (奈良県) ・奈良県吉野郡十津川村、下北山村 | ||||||
釈迦ヶ岳(しゃかがたけ)は、奈良県南部の吉野郡十津川村と下北山村の境界にある大峰山系の山。日本二百名山に選定されている。標高は1,800 mで、近畿地方の最高峰である八経ヶ岳(八剣山)より南では代表的な山。 | ||||||
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1834.大普賢岳 ・ 日本奈良県吉野郡 | ||||||
大普賢岳(だいふげんだけ)は、奈良県の大峰山脈を形成する山の一つ。標高1779.9m[1]。大天井ヶ岳から八経ヶ岳へ至る山脈の中間あたりに位置している。吉野から熊野三山への大峯奥駈道上にあり、南には国見岳、七曜岳、行者還岳と続く[1]。 | ||||||
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1835.玉置山 ・ 日本奈良県吉野郡十津川村 | ||||||
玉置山(たまきさん)は、奈良県吉野郡十津川村にある山。大峰山系の最南端で標高1,076.4メートル、主に石英斑岩で形成される[1]。 1986年に森林浴の森100選に[2]、2007年には日本の地質百選に選定された[3]。 | ||||||
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1836.栃原岳 ・ 日本奈良県吉野郡下市町 | ||||||
栃原岳(とちはらだけ)は、奈良県吉野郡下市町にある標高531mの山である。 | ||||||
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1837.鳥見山 ・ 日本奈良県宇陀市・桜井市 | ||||||
鳥見山(とりみやま[1]/とみやま[2])は奈良県宇陀市と桜井市の境に位置する山。標高734.6メートル。 | ||||||
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1838.額井岳 ・ 日本奈良県宇陀市・奈良市 | ||||||
額井岳(ぬかいだけ)は、奈良県宇陀市と奈良市の境に位置する山である。標高812.3m。別名は大和富士。関西百名山の一つである。 南東山麓に奈良時代の歌人・山部赤人の墓がある。 | ||||||
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1839.八経ヶ岳 ・ 日本奈良県吉野郡天川村・上北山村 | ||||||
八経ヶ岳(はっきょうがたけ)は紀伊山地の一角として奈良県吉野郡天川村と上北山村の境に位置する山である。標高1,915 mで、奈良県および近畿地方の最高峰である。八剣山(はちけんざん)とも呼ばれるほか、役行者が法華経八巻を埋納したと伝わることから仏経ヶ岳(ぶっきょうがたけ)とも呼ばれる[1]。 | ||||||
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1840.百貝岳 ・ 日本奈良県吉野郡黒滝村 | ||||||
百貝岳(ひゃっかいだけ)は、大峰山脈に属する奈良県吉野郡黒滝村の山。百螺岳とも。古くは鳥栖(とりすみ)山と呼ばれた。 | ||||||
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1841.松尾山 (奈良県) ・ 日本奈良県大和郡山市・生駒郡斑鳩町 | ||||||
松尾山(まつおさん)は、奈良県大和郡山市と斑鳩町との境にある標高315mの山である。天武天皇の皇子舎人親王が、養老2年(718年)に厄除けと『日本書紀』編纂の完成を祈願して建立したと伝わる日本最古の厄除け寺の松尾寺が付近にある。 また、松尾山にはテレビの送信所がある。詳細は松尾山テレビ・FM送信所を参照のこと。 | ||||||
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1842.弥山 (奈良県) ・奈良県吉野郡天川村北角 | ||||||
弥山(みせん)は、奈良県吉野郡天川村にある大峰山脈の山。標高1895m。 | ||||||
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1843.耳成山 ・ 日本奈良県橿原市木原町 | ||||||
耳成山(みみなしやま)は、奈良盆地の南部に位置する奈良県橿原市にある山[1]。山の標高は139.6メートルだが、山頂にある三角点の標高は139.2メートルである。天香久山、畝傍山とならんで大和三山の一つをなし、最も北に位置する。歴史的風土特別保存地区[2]と国の名勝に指定されている。 山の南部には耳成山公園(5,222平方メートル)が整備され、市民の憩いの場であり春には桜の名所となっている[3]。 | ||||||
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1844.三室山 (斑鳩町) ・ 日本奈良県生駒郡斑鳩町神南4丁目 | ||||||
三室山(みむろやま)とは、奈良県生駒郡斑鳩町神南4丁目にある標高82メートルの小さな山である。 古歌に詠まれた地であるが、明治期まで正式には三室山と呼ばれず、1957年(昭和32年)頃に斑鳩町が公園化して桜の名所として知られるようになった[1]。 | ||||||
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1845.明神山 (奈良県) ・ 日本 奈良県北葛城郡王寺町 | ||||||
明神山(みょうじんやま)は、奈良県北葛城郡王寺町にある標高274mの山である。 | ||||||
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1846.三輪山 ・ 日本奈良県桜井市 | ||||||
三輪山(みわやま)は、奈良県桜井市にあるなだらかな円錐形の山。奈良県北部奈良盆地の南東部に位置し、標高は467.1m、周囲は16kmである。三諸山(みもろやま)ともいう。そのほか記紀においては「美和山」、「御諸岳」などとも記される。 | ||||||
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1847.大和三山 | ||||||
大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定[1]、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。 2007年(平成19年)1月、世界遺産の暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つとして登録された。 | ||||||
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1848.吉野三山 | ||||||
吉野三山(よしのさんざん)とは奈良県下の五條市と吉野郡下市町にまたがる3つの神奈備山の総称。古くから大峰山の前衛峰として知られる。 なお、吉野の金峰山(金峯山)は吉野山から山上ヶ岳に至る山々の総称であり、吉野三山とは別の山である。 | ||||||
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1849.吉野山 ・ 日本奈良県吉野郡吉野町 | ||||||
吉野山(よしのやま)は、奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名である。 古くから花の名所として知られており、その中でも特に桜は有名で、かつては豊臣秀吉が花見に来た事がある(後述)。現代でも桜が咲く季節になると花見の観光客で賑わう。地域ごとに、下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれている。 1924年(大正13年)12月には国の名勝・史跡に指定され、1936年(昭和11年)2月 には吉野熊野国立公園に指定された。また2004年(平成16年)7月には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道が『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。1990年(平成2年)には日本さくら名所100選に選定された。 | ||||||
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1850.龍神岳 ・ 日本和歌山県田辺市龍神村奈良県吉野郡十津川村 | ||||||
龍神岳(りゅうじんだけ)は、和歌山県田辺市龍神村と奈良県吉野郡十津川村との境にある標高1,382mの山。和歌山県最高峰で山名は2009年に命名された[1]。 | ||||||
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1851.竜門岳 ・奈良県吉野町 | ||||||
竜門岳(りゅうもんがだけ)は、奈良県の宇陀市と吉野郡吉野町の市町境にある山で、竜門山地[1]に属している。龍門岳あるいは龍門ガ岳(龍門ヶ岳)と表記されることもある[2]。日本三百名山の一つに数えられる[3]。 | ||||||
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1852.若草山 ・奈良県奈良市 | ||||||
若草山(わかくさやま)は、奈良県奈良市の奈良公園の東端に位置する標高342 m、面積33 haの山である。毎年1月に山焼きをすることで知られる。 | ||||||
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1853.岩橋山 ・奈良県葛城市、大阪府南河内郡河南町 | ||||||
岩橋山(いわはしやま)は、大阪府と奈良県の府県境上に峰を連ね大阪平野と奈良盆地を隔てる、金剛山地の一角を構成する、標高658.8mの山であり、大阪府山岳連盟からは大阪50山、奈良県からは奈良百遊山として、ノミネートされている。山頂には三等三角点「葛城山1」が設置されている。山域は、近接する二上山や大和葛城山などの山々とともに金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。あまり有名ではない山であるが、大阪の中心部から近くハイキング感覚で来られることや、古代のロマンを感じさせる巨岩群を巡れる事などもあって、金剛山地を歩くハイカーには人気がある[1]。 | ||||||
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1854.三室山 (三郷町) ・ 日本奈良県生駒郡三郷町立野 | ||||||
三室山(みむろやま)とは、奈良県生駒郡三郷町立野にある標高137.1mの小さな山である。 「三室」とは「神の居られる」という意味で、三郷町龍田大社(本宮)の神域を指す。斑鳩町の三室山とは異なる場所にある。 飛鳥時代には四天王寺と斑鳩の法隆寺とを結ぶ街道として整備され聖徳太子自身も通っていた日本最古の官道「龍田道(龍田古道)」がある。その山越えの道が三室山には通っていたとされている。 登山道が整備されており、山頂には展望台がある。また山頂からは竜田古道の里山公園へと続く山道が伸びており道中には龍田大社本宮跡がある。 平成28年11月、三郷町制施行50周年を記念して登山道に大伴家持の歌碑が建立された。[1] | ||||||
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1855.耳取山 ・ 日本和歌山県田辺市龍神村奈良県吉野郡十津川村 | ||||||
耳取山(みみとりやま)は、紀伊山地の和歌山県と奈良県との県境付近、龍神岳の東にある標高1,363mの山である。または、龍神岳の正式名称決定以前に呼ばれていた名称[1]。 国土地理院が2000年に和歌山県の最高峰と言われてきた護摩壇山(1,372m)より10m高い山があるということを発表したが、混同されて耳取山とされることがあった。しかし、耳取山は1,363mの山なので最高峰ではなく、実際の最高峰(護摩壇山の約700m東にある標高1,382mの山)には名称がなかったため、田辺市が最高峰の名称を公募した結果、2009年3月に「龍神岳」と命名された[2]。周囲は和歌山県で最も標高の高い一帯であり、四方八方同じような1,000m級の山々に囲まれている。 | ||||||
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1856.秋葉山 (和歌山県) ・ 日本和歌山県和歌山市 | ||||||
秋葉山(あきばさん)は、和歌山県和歌山市秋葉町にある山である。別名は御坊山、弥勒寺山。公園としての名称は「秋葉山公園」、愛称は「市民の丘」である。標高73m。 | ||||||
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1857.妹背山 (和歌山県) | ||||||
妹背山(いもせやま)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある2つの丘の総称である。 紀の川中流部沿岸にある2つの丘の総称で、南岸の丘を妹山(124m)、北岸の丘を背山(兄山、168m)と言う。川に沿って旧南海道(現国道24号線)が通り、古くから旅人に親しまれ、大化2年(646年)に背山が畿内の南限と定められた[1][2]。また、通説では歌枕としての「妹背山」がこの妹背山を指すものだと見なされる[3]。 | ||||||
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1858.大塔山 ・和歌山県東牟婁郡古座川町/田辺市 | ||||||
大塔山(おおとうざん)は、和歌山県田辺市と古座川町の境界にある標高1122メートルの山である[1]。熊野川水系、古座川水系、日置川水系の水源となっている。 本州南限[1]のブナ林植生地であるが、1998年、古座川町がハイキングコースを整備する際に見晴らしのために山頂の自然林を誤って伐採。その後周囲の木々の枯死が広がった[2]。このため周囲を金属フェンスで囲むなどして植生の回復に取り組んでいる[1]。 | ||||||
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1859.重山 ・ 日本和歌山県日高郡由良町 | ||||||
重山(かさねやま)は標高262.6メートル、和歌山県日高郡由良町の白崎にある山である。白崎海岸県立自然公園の一部である。山頂から紀伊水道を望む。 三角にとがった形をしている。 | ||||||
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1860.高野山 | ||||||
高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある地域の名称である[1]。周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地に町並みが広がる。 「高野"山"」という名ではあるものの、地理学上の山ではない。高野山内は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、境内の中に発展した町であり、元来は高野山全体と金剛峯寺は同義である[2]。そのため高野山内の歴史、伽藍、文化財関連については、金剛峯寺で詳述している。 平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。 現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている[3]。 | ||||||
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1861.千穂ヶ峯 ・ 日本和歌山県新宮市 | ||||||
千穂ヶ峯(ちほがみね)は、和歌山県新宮市の山。最高地点のある北のピークにちなんで権現山(ごんげんやま)とも。 | ||||||
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1862.奠供山 ・ 日本和歌山県和歌山市 | ||||||
奠供山(てんぐやま)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社の背後の山である。 神亀元年(724年)2月4日に即位した聖武天皇は、同年10月8日に和歌浦へ行幸して14日間滞在した際、「山に登り海を望むに、この間最も好し。遠行を労せずして、以て遊覧するに足る、故に弱浜(わかはま)の名を改めて明光浦(あかのうら)と為せ、宜しくし守戸を置きて荒穢(こうわい)せしむことなかれ、春秋二時官人を差遣し、玉津島の神・明光浦の霊を奠祀せよ」という詔を発した。聖武天皇は和歌浦の景観に感動し、明光浦(あかのうら)と名付け、さらにこの地の景観を守るため守戸を置くことを命じたのである。『紀伊国名所図会』では奠供山を伽羅山とし、東に続く現在の雲蓋山を天狗山としているが、『紀伊続風土記』では「神亀元年御幸の時、登山望海此間最好と、詔し給ふは即此山なり」として、奠供山を詔が発せられた場所であるとしている。 | ||||||
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1863.名草山 ・ 日本 和歌山県和歌山市 | ||||||
名草山(なぐさやま)は、和歌山県和歌山市にある山である。標高228.7m。 | ||||||
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1864.那智山 (山) | ||||||
那智山(なちさん)は和歌山県那智勝浦町北東部の内陸一帯にそびえる山々の総称。 名称の由来は、難地の義とも、熊野本宮大社や熊野速玉大社よりもノチ(後)に山が開かれたからともいわれるが定かではない。世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道の登録物件が所在する。 | ||||||
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1865.真妻山 ・ 日本和歌山県日高郡日高川町・印南町 | ||||||
真妻山(まづまやま)は、和歌山県日高郡日高川町と印南町の境にある山。標高523.4m。 伊都の丹生に降臨した丹生都比売大神が遷座の地を探し求め、再び降臨したのが真妻山と伝えられる。「真妻」は丹生都比売大神の美称とされ、この地方の産土神として崇められたという。 低山ながら山容が美しく日高富士の別名がある。周辺では最も高いため山頂からの眺望も素晴らしく、登山者に人気がある。 | ||||||
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1866.三谷坂 (高野参詣道) | ||||||
三谷坂(みたにざか)は、和歌山県かつらぎ町三谷の丹生酒殿神社を起点とし、笠松峠を通り町石道へ合流する高野参詣道の一つである。 高野参詣道の一つ「三谷坂(※丹生酒殿神社含む)」として、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に登録されている[1]。 | ||||||
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1867.龍門山 ・ 日本和歌山県紀の川市 | ||||||
龍門山(りゅうもんざん)は、和歌山県紀の川市にある標高755.9mの山である。龍門山脈の主峰。 古くから和歌山平野に位置する名峰として知られ、紀州富士と呼ばれている。『紀伊国名所図会』に「府下より是を望むに、その形あたかも富嶽に似たり」と記されている。 正平14年/延文4年(1359年)、山頂に南朝方・四条隆俊が3,000余騎を率いて集結し、北朝方の畠山義深率いる30,000余騎と激闘が繰り広げられた龍門山の戦いの古戦場として知られている。 また、日本固有の蝶であるギフチョウの最南端生息地である事や、和歌山県指定の植物キイシモツケも自生しており、豊かな自然が残っている[1]。 | ||||||
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1868.和泉葛城山 ・ 日本大阪府岸和田市塔原町・貝塚市蕎原和歌山県紀の川市切畑 | ||||||
和泉葛城山(いずみかつらぎさん)は、大阪府と和歌山県の境にある標高858m[1]の山。和泉山脈を構成する一峰。葛城連峰の中心として昔から親しまれている山である。1996年(平成8年)10月2日に和泉山脈一帯が金剛生駒紀泉国定公園に編入された。 | ||||||
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1869.因幡三山 | ||||||
因幡三山(いなばさんざん)は鳥取平野の南部、鳥取県鳥取市国府町周辺にある甑山、今木山、面影山の3つの山の通称で、因幡国庁を中心に三方に位置する。形の美しい山が3つ並び立つ様が大和三山を思わせるため、鳥取市国府町高岡出身の川上貞夫が『因幡のふるさと - 国府町の歴史と文化』(1968年)に「因幡三山 国府町には、大和三山を彷彿とさせる三つの山があります。面影(俤)山・今木山・甑(こしき)山がそれであります」(P159)と書いたことに由来する[1][2]。 | ||||||
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1870.打吹山 ・ 日本鳥取県倉吉市 | ||||||
打吹山(うつぶきやま)は、鳥取県倉吉市にある山である。標高204m。天女伝説のある山で、残された天女の子どもが、この山の頂で太鼓や笛を吹いて天に帰った母親を思い偲んだと伝えられている。「箱庭富士」「伯耆の小富士」の別名がある。 | ||||||
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1871.馬ノ山 ・ 日本鳥取県東伯郡湯梨浜町 | ||||||
馬ノ山(うまのやま)は鳥取県湯梨浜町にある標高106.9mの山である。山陰最古最大級の馬ノ山4号墳がある[1]。ハワイ風土記館、馬ノ山公園などが整備されている観光スポットでもある。展望台からの見晴らしは抜群である。吉川元春が陣を構えた戦の舞台としても有名である[2]。 | ||||||
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1872.大倉山 (鳥取県) ・鳥取県日南町 | ||||||
大倉山(おおくらやま)は鳥取県日南町の山で、標高は1112.13メートルである。 | ||||||
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1873.金ヶ谷山 ・ 日本 鳥取県江府町・岡山県新庄村 | ||||||
金ヶ谷山(かながやせん、かねがたにやま[1]、かながたにやま[2]、かながたにさん[3])は鳥取県と岡山県にまたがる標高1164メートルの山。中国百名山の一峰である。 | ||||||
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1874.甲ヶ山 ・ 日本鳥取県東伯郡琴浦町西伯郡大山町 | ||||||
甲ヶ山(かぶとがせん)は、鳥取県東伯郡琴浦町と西伯郡大山町との境にある山である。大山山系の一つ。標高は1,338m。 | ||||||
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1875.烏ヶ山 ・ 日本鳥取県東伯郡琴浦町・日野郡江府町 | ||||||
烏ヶ山(からすがせん)は、鳥取県東伯郡琴浦町と日野郡江府町との境にある山である。大山山系の一つ。標高1,448m。 | ||||||
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1876.久松山 ・ 日本鳥取県鳥取市 | ||||||
久松山(きゅうしょうざん)は、鳥取県鳥取市にある山である。標高263m。 | ||||||
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1877.金峯山 (鳥取県) ・ 日本鳥取県岩美町 | ||||||
金峯山(金峰山[1]、きんぶさん[1])は、鳥取県岩美町にある孤立峰で、山頂には三等三角点「滝ノ肩」(標高328.71m[注 1])が設置されている[1]。 山頂近くには金峯神社(金峰神社)があり、狭い山頂にTVアンテナが林立している。桜並木の舗装道路が山頂まで整備されていて自動車の通行も可能だが、道中の柱状節理などの見所があり、徒歩での人気がある。山麓から山頂までは徒歩で片道1時間程度[2][1][3]。 山体は鳥取花崗岩で風化が進み、斜面では土砂の崩壊がみられる。山頂部は流紋岩や石英安山岩質凝灰岩である。1945(昭和20)年頃から、山中で石炭が発見された。埋蔵量50万トン、良質の無煙炭と見込まれて炭砿がつくられ、関西・北陸へ出荷された。しかし想定よりも質が劣り、数年で放棄された[4][5]。 | ||||||
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1878.毛無山 (鳥取県・岡山県) ・ 日本 鳥取県江府町・岡山県新庄村 | ||||||
毛無山(けなしがせん、けなしやま)は、鳥取県と岡山県にまたがる標高1218メートルの山[1]。大山隠岐国立公園の一部を成す。山と溪谷社による中国百名山のひとつに挙げられているほか、山頂付近のカタクリ群落が環境省によるかおり風景100選(毛無山ブナとカタクリの花)に選出されている。 山頂付近には三等三角点「田浪」(標高1218.51メートル)が設置されている。 | ||||||
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1879.毛無山 (鳥取市) ・ 日本鳥取県鳥取市 | ||||||
毛無山(けなしやま)は、鳥取県鳥取市にある標高570.5mの山である。 | ||||||
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1880.孝霊山 ・鳥取県西伯郡大山町・米子市 | ||||||
孝霊山(こうれいさん)は、鳥取県西伯郡大山町と米子市との境界にある山である。標高751.4m。瓦山(からやま)、韓山(からやま)との別名がある。 | ||||||
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1881.三鈷峰 ・ 日本鳥取県西伯郡大山町 | ||||||
三鈷峰(さんこほう)は、鳥取県西伯郡大山町にある大山山系に属する山である。標高1,516m。 | ||||||
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1882.駟馳山 ・ 日本鳥取県鳥取市・岩美町 | ||||||
駟馳山(しちやま)は、鳥取県の鳥取市(旧福部村)と岩美町にまたがる山である。標高314m。 | ||||||
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1883.鷲峰山 (鳥取県) ・鳥取県鳥取市 | ||||||
鷲峰山(じゅうぼうやま)[1]は、鳥取県鳥取市鹿野町にある山である。標高920.6m[2]。「じゅうほうざん」とも呼ばれ[3]、鷲峯山とも書かれる[要出典]。 | ||||||
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1884.陣鉢山 ・ 日本 鳥取県八頭郡若桜町 | ||||||
陣鉢山(じんばちやま)は、鳥取県八頭郡若桜町にある山である。 鳥取県南東部、兵庫県との県境に聳える氷ノ山の舂米の谷を隔てた北西に位置する。姿の良い山とされ、氷ノ山山麓の高原わかさ氷ノ山自然ふれあいの里からはその全景を望むことができる。 県境尾根の南側に東因幡林道(車両通行禁止)が整備されており、登山は比較的容易である。しかし周囲に氷ノ山や扇ノ山など人気の高い山々があるため登山者は少ない。氷ノ山後山那岐山国定公園の指定区域外である。 | ||||||
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1885.船上山 ・ 日本鳥取県東伯郡琴浦町 | ||||||
船上山(せんじょうさん)は、鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山である。 | ||||||
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1886.船通山 ・ 日本鳥取県日野郡日南町・島根県仁多郡奥出雲町 | ||||||
船通山(せんつうざん)は、鳥取県日南町と島根県奥出雲町との県境にある標高1,142mの山である。出雲地方では古来「鳥上山(鳥髪山)」あるいは「鳥上峰(鳥髪峰)」とも呼ばれる。『古事記』によれば船通山の麓へ降ったスサノオは八岐大蛇を退治し、八岐大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献上したという。比婆道後帝釈国定公園の一部。 この山から斐伊川が流れ下る。 山頂では、5月初め頃カタクリの花が開花し、毎年7月28日には天叢雲剣を発見した神話にちなんだ宣揚祭が執り行われる。 6合目あたりに「鳥上の滝」があり、ヤマタノオロチの住処とも言われる[1]。高さ約10m、幅約5mの滝で、斐伊川の源流といわれ、島根名水100選に選ばれている[1]。 | ||||||
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1887.大山 (鳥取県) ・ 日本鳥取県大山町・琴浦町・江府町など | ||||||
大山(だいせん)は、日本の鳥取県にある標高1,729mの山。成層火山であるが、活火山としては扱われていない[1]。鳥取県および中国地方の最高峰でもある。角盤山(かくばんざん)とも呼ばれるほか、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山(ほうきだいせん)、見る方角によっては富士形に見えるその山容から、郷土富士として伯耆富士や出雲富士とも呼ばれる[2]。日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされている[3]。 | ||||||
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1888.日南町 ・ 日本鳥取県日野郡日南町・広島県庄原市 | ||||||
道後山(どうごやま)は、中国山地中部にある山である。日本三百名山の一つに数えられる[1]。 | ||||||
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1889.那岐山 ・ 日本岡山県勝田郡奈義町鳥取県八頭郡智頭町 | ||||||
那岐山(なぎさん)は鳥取県八頭郡智頭町と岡山県勝田郡奈義町の境界にある山。「なぎせん」とも呼ばれる。氷ノ山、後山などと並んで、氷ノ山後山那岐山国定公園の区域に指定されている。中国百名山、日本三百名山に選ばれている。 | ||||||
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1890.人形仙 ・ 日本 鳥取県三朝町[2] | ||||||
人形仙(にんぎょうせん[2][3])は鳥取県と岡山県にまたがる山である。 山頂には三等三角点「人形仙」(標高1003.81メートル)が設置されている[1]。 | ||||||
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1891.伯州山 ・ 日本 鳥取県三朝町[1]・岡山県鏡野町 | ||||||
伯州山(はくしゅうざん[1])は鳥取県と岡山県にまたがり、山頂は人形峠の約5km東にある[2]。 山頂には三等三角点「伯作山」(標高1044メートル)が設置されている[3][1]。 | ||||||
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1892.鉢伏山 (鳥取県) ・ 日本鳥取県鳥取市・東伯郡湯梨浜町 | ||||||
鉢伏山(はちぶせやま)は、鳥取県鳥取市と東伯郡湯梨浜町との境にある標高513.9mの山である。 | ||||||
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1893.蒜山 ・岡山県真庭市鳥取県倉吉市 | ||||||
蒜山(ひるぜん)は、岡山県の真庭市北部、鳥取県の倉吉市南部および日野郡江府町北東部に跨って位置する火山。中心となる中蒜山、上蒜山、下蒜山の3つの峰を蒜山三座という[1]。蒜山地域の一部は大山隠岐国立公園の国立公園地域となっている[2]。 | ||||||
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1894.二上山 (鳥取県) ・ 日本鳥取県岩美郡岩美町 | ||||||
二上山(ふたがみやま[1]、ふたかみやま[2])は、鳥取県岩美郡岩美町にある山。標高330m[注 1]。中国百名山の一つ。 かつて式内社の「二上神社」があったとされる。中世には二上山城が築かれ、因幡国守護の山名氏の本拠地だった[3][5]。 山頂付近は「一の平(なる)」と称する平地になっているが、これは築城の際に山頂が削られたためである。一の平の周囲を囲む石垣が遺されているほか、山中には曲輪や「壇」「二の平」など城の遺構が散在し、「二上山城跡」として鳥取県が史跡に指定している[4][5][6]。 山裾からは30件余りの古墳が見つかっており、このうち「高野坂古墳」が保存のため移設されて公園になっている。中腹を走る広域農道から登山道が整備されており、往路1時間弱で山頂に至る[4][1]。 | ||||||
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1895.宝仏山 ・鳥取県日野町・江府町 | ||||||
宝仏山(ほうぶつせん)は鳥取県日野町・江府町に跨る標高1,005 mの山。中国百名山に選定されている。山体のおおよそ西半分が大山隠岐国立公園の普通地域、東半分が特別地域に指定されている[2]。 根雨駅の至近にある歴史民俗資料館が一般的な登山口で、登り2時間30分から3時間程度[3]で登頂できる。頂上からは大山や美保湾などが一望できる。 | ||||||
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1896.仏ヶ仙 ・ 日本 鳥取県倉吉市・岡山県真庭市 | ||||||
仏ヶ仙(ほとけがせん[1])(別名、半甲山[1])は、鳥取県と岡山県にまたがる山。岡山県側では湯原奥津自然公園に属している[1]。 頂は3つ並んでおり、そのうち最東の山頂は両県の県境であり、一等三角点が設けられていて、日本海と瀬戸内海との中央分水嶺になっている。一つの山頂がこの3条件を備えている山としては、日本に8箇所しかない山の一つである[2]。 | ||||||
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1897.三国山 (鳥取県・岡山県) ・ 日本 鳥取県鳥取市[1] | ||||||
三国山(みくにがせん、みくにやま)は、鳥取県と岡山県の県境をなす山である。山と溪谷社による中国百名山の一つ。 鳥取県側の「北嶺」と岡山県側の「南嶺」の2つの頂がある[1][2][3]。旧因幡国と旧伯耆国からなる鳥取県を東西に分ける三国山塊の主峰である[4]。 | ||||||
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1898.三角山 (鳥取県) ・ 日本 鳥取県鳥取市(旧用瀬町) | ||||||
三角山(三隅山[2]、みすみやま[1])(別名「頭巾山[3]・襟巾山[2](ときんやま[4]、とっきんざん[1])」)は、鳥取県鳥取市(旧用瀬町)にある山で、中国百名山の一つ。標高516メートルの山頂には三角山神社があり、その本殿は鳥取市の指定文化財になっている[5]。 | ||||||
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1899.三徳山 ・ 日本鳥取県東伯郡三朝町 | ||||||
三徳山(みとくさん)は、鳥取県東伯郡三朝町にある山である。標高899.6メートル。706年に役行者により修験の霊地と定められたと伝わる。山名は蔵王・子守・勝手の三所権現を山内に祀り「福徳」「智徳」「寿徳」の3つの徳が授かる山の由来と、「法身(美しい)」「般若(にごりのない)」「解脱(働きのある心)」の3つの徳に由来する。麓には国宝投入堂を有する三徳山三佛寺が存在する。 三徳山全域が三徳山三仏寺(天台宗)の境内となっており、投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、中腹の断崖に浮かぶように建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。全山が国の名勝・史跡に指定されている。世界遺産に推薦を申請したが、継続審議となった。 | ||||||
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1900.矢筈ヶ山 ・ 日本鳥取県西伯郡大山町・東伯郡琴浦町 | ||||||
矢筈ヶ山(やはずがせん)は、鳥取県西伯郡大山町と東伯郡琴浦町との境にある大山山系に属する山の一つである。標高1,358.4m。 | ||||||
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