二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城。山城。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「二俣城跡及び鳥羽山城跡」)[1][2]。 | ||||||
城郭構造: 連郭式山城 | ||||||
築城主 : 二俣昌長 | ||||||
築城年 : 不明(16世紀前半から半ば) | ||||||
主な城主: 二俣氏、松井氏、中根氏、依田氏大久保氏、堀尾氏 | ||||||