上総ノリ(かずさノリ)は、江戸時代末期に江戸近郊の海で生産された江戸前ノリに対して、上総周辺の海で生産されたノリにつけられた呼称である。現在では、千葉県におけるノリ生産の多くが、旧上総国に集中するため、転じて千葉県産のノリの呼称として用いられることがあるが、かつては江戸に近い下総方面で生産されるものを江戸前ノリ、上総方面で生産されるものを上総ノリと呼称されていた。 上総ノリのはじまりは、1822年(文政4年)に望陀郡人見村(現在の君津市)の名主源左衛門と八右衛門、ほか4名の長百姓が江戸ノリ商人の近江屋甚兵衛の指導を受け、1年の失敗期を経て生産に成功したことに始まる。 上総ノリの生産は、当初は小規模で多くは地元で消費されていたが、漸次隣接する大堀村、さらには青木村、西川村、新井村、坂田村などの近郊の村々に拡大すると、販路を江戸市中にも拡大した。それにともない、脅威を感じた大森御膳ノリ場仲間に1863年(文久3年)妨害のため、訴訟を起こされ、御膳海苔上納以前に江戸市中向けノリの販売を停止させられた。以後、停滞期に入るが、移植法の確立・普及もあって、1897年(明治30年)前後から南北の浦々へ産地が拡大し、1907年(明治40年)代には市原郡下(現在の市原市)も生産として加わった。特に市原郡から君津郡の北部(現在の袖ケ浦市)は他県への種付け場としても繁栄した。 |