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国広山の概要

国広山(くにひろやま)は、広島県三次市和知町に位置する山。標高316.8メートルである。 山頂には二つの瘤を有し、戦国時代の山城跡及び三等三角点がある。 鎌倉時代に国広石見の住居地、その後(1324年~1326年頃)、鎌倉幕府から代官職を任じられ下ってきた広沢実村(後に地名をとって和智氏と名乗る)、またはその2男和智(広沢)実成の住居地ではないかと『芸藩通志』に記述がみられるが、中国縦貫自動車道の建設途上で、それから東約1.5キロメートルの古城山城址で居住地跡が発見され、山頂の山城は時代が新しく戦国時代の築城と判定された。 この国広山城址は,陣山城址,天城山城址,岩倉山城址,龍王山城址及び国広山城址とが一体となった大規模な城址である[1]。国広山城は,山陰の尼子経久が安芸・備後両国への進出の拠点として築いたものと見られる[2]。
所在地 :  広島県三次市和知町
標高 :  316.8 m  

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