奠供山(てんぐやま)は、和歌山県和歌山市和歌浦にある玉津島神社の背後の山である。 神亀元年(724年)2月4日に即位した聖武天皇は、同年10月8日に和歌浦へ行幸して14日間滞在した際、「山に登り海を望むに、この間最も好し。遠行を労せずして、以て遊覧するに足る、故に弱浜(わかはま)の名を改めて明光浦(あかのうら)と為せ、宜しくし守戸を置きて荒穢(こうわい)せしむことなかれ、春秋二時官人を差遣し、玉津島の神・明光浦の霊を奠祀せよ」という詔を発した。聖武天皇は和歌浦の景観に感動し、明光浦(あかのうら)と名付け、さらにこの地の景観を守るため守戸を置くことを命じたのである。『紀伊国名所図会』では奠供山を伽羅山とし、東に続く現在の雲蓋山を天狗山としているが、『紀伊続風土記』では「神亀元年御幸の時、登山望海此間最好と、詔し給ふは即此山なり」として、奠供山を詔が発せられた場所であるとしている。 | ||||||
所在地 : 日本和歌山県和歌山市 | ||||||
標高 : 35 m | ||||||