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琴鳴山の概要

琴鳴山(ことなきやま)は、兵庫県西宮市にある標高376mの山。六甲山地の山の一つだが、有馬街道が通る大多田川により東縦走路と分断されている。山頂に至るまで採石による破壊が進み、急激に変貌している。 平安時代の京都に、浅茅という琴の名手がおり、左大臣の子息の通麿という若者に見初められるが、身分の違いで仲は許されず、駆け落ちする。二人は有馬温泉で幸せに暮らし子供も生まれるが、通麿が病死してしまう。 悲しみに暮れた浅茅は、致し方なく両親の許へ帰るため、赤子を胸に有馬街道を降ったが、蓬萊峡あたりで赤子までもが急死。全ての希望を失った浅茅はこの山に登り、生者必滅の曲を奏でながら死んでいった。 それから、夜になると山からは悲しげな琴の音が、谷からは赤子の泣き声が聞こえるようになり、人々は山を「琴鳴山」、谷を「赤子谷」と呼ぶようになったという。
所在地 :  兵庫県西宮市塩瀬町生瀬
標高 :  376 m  
山系 :  六甲山地  

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