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京都府の菓子

1.走り井餅
走り井餅(はしりいもち)は滋賀県大津市、京都府八幡市の餅菓子。八幡市では「走井餅」と表記される[1][2][3][4][5]。
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2.京菓子
京菓子(きょうがし)は、近世に京都で成立した京都風の菓子[1]。江戸で成立した江戸風の菓子「上菓子」に対する語である[1]。ただし、京菓子のことを京都では上菓子とよぶ。なお、京都で作られる菓子のすべてが京菓子(上菓子)というわけではない[2]。上菓子は献上菓子の意で、禁裡御用の菓子であり、上菓子(京菓子)は駄菓子とは明確に分かれている[3]。京菓子は「有職故実にもとづく儀式典礼に用いる菓子、または茶道に用いる菓子」と定義されることもある[4]。
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3.足立音衛門
株式会社足立音衛門(あだちおとえもん)は、京都府福知山市に本店を置く洋菓子店。焼き菓子の製造・販売を手掛けている。
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4.いがもち
いがもちは、粳米などの生地で餡を包み、上面にもち米を数粒付けて蒸した和菓子[1]。毬もち、伊賀餅、稲花餅、いがまんじゅう、いが饅頭などと表記される。
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5.一文字屋和輔
一文字屋和輔(いちもんじやわすけ)は、京都府京都市北区にある和菓子店。今宮神社の旧参道にあり、あぶり餅だけを提供している。創業は平安時代中期の長保2年(西暦1000年)。2020年現在、飲食店としては日本最古の老舗であり、いわゆる「1000年企業」の一つである[1]。 店名の看板表記は「一文字屋和助」あるいは「あぶり餅 一和」とも表記され、通称は「一和」。「一文字屋和輔」とも「一文字屋和助」とも書き、正式表記は不明である[2]。
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6.井筒八ッ橋本舗
株式会社井筒八ッ橋本舗(いづつやつはしほんぽ)は、京都府京都市右京区に本社を置く、八ツ橋などを製造・販売する企業である。
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7.おせき餅
おせき餅(おせきもち)は京都市伏見区の和菓子、あんころ餅の一種。白餅、よもぎ餅の上に餡をのせているのが特徴。提供の仕方としては、編笠の上に並べた、編笠の形をした餅の上に餡を載せた、といった記述がある[1][2]。餅の上に無雑作に載せた餡には手形が残っていて野趣を感じると、竹村俊則が『昭和京都名所圖會』で評している[2]。 店舗は国道1号(京阪国道)西側に位置する[3][4]。 江戸時代、城南宮付近の鳥羽街道(現・千本通)に「せき女(せきじょ)」という女性が茶店を開き、旅人に餅に餡をのせて出したのが始まりで、やがて評判を呼び彼女の名をちなみ「おせき餅」と呼ぶようになった[3][5][6]。 時が下り慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで鳥羽一帯は戦災に遭い、おせき餅の店舗も被害を受けた[3][6][7]。
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8.踊せんべい
踊せんべい(おどりせんべい)は、京都府福知山市岡ノ一町の菓子製造業「合同会社ちきり屋」が大正時代に製造販売を開始し、福知山市を代表する名物菓子とされる干菓子 [1]。
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9.鍵善良房
株式会社鍵善良房(かぎぜんよしふさ)は、京都市東山区祇園商店街にある菓舗。
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10.川端道喜
川端道喜(かわばたどうき)は、京都の老舗和菓子店で[4]、16世紀初頭の文亀、永正年間の創業と伝えられている[3][4]。正式名称「御粽司 川端道喜」[注釈 1][1]。川端道喜は初代から16代までこれまで暖簾を絶やすことなく[6]、戦国時代から江戸時代にかけては宮中に餅を納める餅屋として知られており[7]、またちまきの製造販売でも有名となり、江戸時代初期の四代川端道喜の頃から粽司[要読み仮名]と呼ばれるようになった[8]。 明治維新時の東京奠都後、京都に留まり、宮廷との縁が切れた形となった。以後は主として茶道関係者にちまき、和菓子を納入する形で商いを続けている[9][10]。
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11.葛切り
葛切り(くずきり)は、葛粉を水で溶かし、型に入れてから加熱し板状に固めたものをうどんのように細長く切った麺状の食べ物[2]。 ゼラチンや寒天は加熱してから冷却する事でゲル化するが、葛きりは澱粉なので加熱する事でゲル化する。 冷して蜜をかけて食べたり、乾燥したものを鍋料理の具として用いたりする[2]。 葛粉は体を温め血行をよくするとして、風邪の対症療法として葛根湯や胃腸不良の時の民間治療薬として古くから利用されてきた[2]。一方、葛粉は供給量が少ないため、葛ではなくジャガイモ澱粉などを原料にして葛切りを模した食材が一般に使われるようになっている。
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12.好事福櫨
好事福櫨(こうずぶくろ)は、明治時代に京都の和菓子職人が考案したと云われる珍菓。晩秋から春までの期間限定品である。 大振の紀州みかんの果肉を刳り貫き、ジュース状にして砂糖・リキュール等で調整して寒天で固めたもので、和風の涼菓であるが今日のフルーツゼリーの原型と考えてよいだろう。
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13.鼓月
鼓月(こげつ)は、京都市伏見区に本社、中京区に本店を置く京菓子の製造と販売をする会社。京菓子處 鼓月として全国の直営店や百貨店に展開している。戦後1945年10月に京都にて創業した。 「千寿せんべい」が有名。ヴァッフェル生地にシュガークリーム(バニラクリーム)が入っている、波型のお菓子である。 ひとまわり小さい「姫千寿せんべい」には基本のシュガークリーム味と有機ほうじ茶味の他、季節に合わせた限定味が発売されている。 夏季にはアイスクリームをサンドした「千寿せんべい アイスクリーム」も登場する。 最近では「千寿せんべい」の類似商品があちこちで販売されているのを見かけるようになった。 鼓月の和菓子を提供する甘味処として、現在下記の3店舗を展開していた。
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14.聖護院八ツ橋総本店
株式会社聖護院八ツ橋総本店(しょうごいんやつはしそうほんてん)は、京都府京都市左京区に本社を置く、八ツ橋などを製造・販売する企業である。
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15.長五郎餅
長五郎餅(ちょうごろうもち)は、餡を羽二重餅でくるんだ菓子で、北野天満宮の名物。餡入り餅の祖とされている。
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16.鶴屋吉信
株式会社鶴屋吉信(つるや よしのぶ、英: Tsuruya Yoshinobu Co.,Ltd.)は京都の和菓子店。1803年(享和3年)創業の老舗である。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[1]。
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17.バイカル (洋菓子店)
バイカル (BAIKAL) は、1955年に京都市左京区下鴨で創業した洋菓子店である[1]。 1963年に株式会社バイカルとして登記し[2]、京都府下および近隣に複数店舗を経営していたが、2016年9月にハトヤ観光グループ傘下となり[3]、株式会社ハトヤ瑞鳳閣バイカル事業部となった[2][4]。
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18.花供曽
花供曽(はなくそ)は、釈迦の入滅の日に行われる涅槃会において供物にされる和菓子[1][2][3]。花供僧[2]、花供祖[3]表記もある。鏡餅などを用いたあられ、煎り豆に黒砂糖の蜜をまぶした甘い菓子である[2][4]。主に京都に残る風習である[3]。 江戸時代前期の1676年に刊行された年中行事を解説する書籍『日次紀事』でも既に「俗に誤て釈迦の鼻屎(ハナクソ)という」と記述されているように古くから「お釈迦さまのハナクソ」と呼ばれて親しまれている[1][2]。 真正極楽寺(京都市)で開催されている涅槃会では花供曽が配られている[4]。 釈迦に献花を行う意味の「花供御(はなくご、はなくぎょ)」が転訛したものだと言われている[4][5]。
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19.菱葩餅
菱葩餅(ひしはなびらもち)は、ごぼうとみそあんと菱形で紅色の餅を、円形の白い餅もしくは求肥を二つ折りにして包んだ和菓子である[1][2]。通称花びら餅。 平安時代の宮中での新年行事「歯固め」の際に食べた食物に由来し、江戸時代には今日の形になっていたといわれる。
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20.麩饅頭
麩饅頭(ふまんじゅう)は、饅頭の一種。一般的な小麦粉を蒸して作る皮ではなく、生麸の皮でこし餡を主に包んでいる。小麦粉のグルテンから由来するもちもちとした触感の皮を楽しむ。笹の葉や塩漬けされたサルトリイバラなどで包装される場合もあり、それらの香りや塩気がアクセントとなっている。賞味期限は約2、3日である。
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21.本家西尾八ッ橋
本家西尾八ッ橋(ほんけにしおやつはし)は、本家八ッ橋西尾株式会社の店名で、京都市左京区聖護院聖護院西町に本社を置く、八ツ橋などを製造・販売する企業である。 直営店ではほとんどの種類の八ッ橋を試食できる。
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22.みたらし団子
みたらし団子(みたらしだんご、御手洗団子)は、砂糖醤油の葛餡をかけた串団子(焼き団子)である。 醤油だれ団子、あるいは、焼き団子ともいう。単にみたらしとも言い、丁寧語ではおみたという。甘辛いみたらし団子を指して醤油だんごと言う地域も多い。 一般的な醤油味の焼き団子は「醤油だんご」を、岐阜県飛騨地方の醤油だんごについては「みだらしだんご」(濁点に注意)参照。
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23.水無月 (和菓子)
水無月(みなづき)は、和菓子の一つ。京都市の発祥。 白いういろうの上面に甘く煮た小豆をのせ、三角形に切り分けたもので、京都では夏越の祓が行われる6月30日に、1年の残り半分の無病息災を祈念してこれを食べる風習がある[1]。 藤本如泉『日本の菓子』(1968年)によれば、現在の形の水無月は昭和に入って京都の和菓子屋で作られるようになり、行事食に取り入れられたと言う[2]。 三角形に切った白いういろうは「氷室の節句」の氷をかたどったものとも[3]、四角を半分にしたことで1年の半分を示しているとも言われており、また小豆の赤い色にも厄除けの意味があるとされている[1]。 「氷室の節句」は江戸時代の武家の行事で、氷室から氷を切り出して旧暦6月1日に献上や贈答をした[4]。
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24.幽霊子育飴
幽霊子育飴(ゆうれいこそだてあめ)は、京都市で売られている飴である。
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25.和生菓子特殊銘柄品
和生菓子特殊銘柄品(わなまがしとくしゅめいがらひん)は、1942年(昭和17年)12月に京都府が指定した銘菓[1]。
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