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沖縄県の麺料理の一覧| オーサムサーチジャパン

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沖縄県の麺料理

1.安国寺 (那覇市)  ・沖縄県那覇市首里寒川町1-2
安国寺(あんこくじ)は、沖縄県那覇市寒川町2丁目に鎮座する、臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は太平山、開山は熙山周雍。創建年・景泰年間(1450〜57)。本尊は不動明王。敷地内には、立派なガジュマルの木が植えられている。
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2.喜宝院  ・沖縄県八重山郡竹富町字竹富109
喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ)は、沖縄県八重山郡竹富町(竹富島)にある浄土真宗本願寺派の寺院。日本最南端に位置する寺院である。1957年創建[1]。
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3.金武観音寺  ・沖縄県国頭郡金武町字金武222番地
金武観音寺(きんかんのんじ)は、沖縄県国頭郡金武町にある高野山真言宗の寺院。山号は「金峯山」。本尊は聖観音。寺社建造物の多くが太平洋戦争で消失した沖縄県下で、戦前の古い建築様式が残る貴重な木造建造物である。
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4.源空寺 (宜野湾市)  ・沖縄県宜野湾市嘉数一丁目4番17号
源空寺(げんくうじ)は沖縄県宜野湾市嘉数にある浄土宗の寺院。山号は高台山。所在地は宜野湾市嘉数1-4-17。
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5.護国寺 (那覇市)  ・沖縄県那覇市若狭1-25-5
護国寺(ごこくじ)は、沖縄県那覇市にある高野山真言宗の寺院。山号は波上山、院号は三光院。本尊は聖観世音菩薩。琉球の真言宗総本山であり[2]、現存する沖縄の寺院では、最も古い寺院である[3]。創建以来、波上宮の神宮寺で、琉球国王の勅願寺でもあった[4]。
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6.慈眼院 (那覇市)  ・沖縄県那覇市首里山川町3-1
慈眼院(じげんいん)は、沖縄県那覇市にある臨済宗妙心寺派の寺院。本尊は千手観音菩薩。通称、首里観音堂とも呼ばれている。1618年、萬歳嶺という丘に創建された。[1]
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7.祥雲寺 (宮古島市)  ・沖縄県宮古島市平良西里4
祥雲寺(しょううんじ)は、沖縄県宮古島市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
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8.真教寺 (那覇市)  ・沖縄県那覇市西2-5−21
真教寺(しんきょうじ)は、沖縄県那覇市にある真宗大谷派の寺院。
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9.神宮寺 (宜野湾市)  ・沖縄県宜野湾市普天間1-27-11
神宮寺(じんぐうじ)は、沖縄県宜野湾市普天間[1]にある東寺真言宗の寺院。院号は普天満山(ふてんまざん)。本尊は聖観世音菩薩。神仏分離以前は隣接する普天満宮の別当寺であった。
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10.神徳寺 (那覇市)  ・沖縄県那覇市安里38
神徳寺(しんとくじ)は、沖縄県那覇市にある東寺真言宗の寺院。
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11.聖現寺  ・沖縄県那覇市上之屋392
聖現寺(せいげんじ)は、沖縄県那覇市にある東寺真言宗の寺院。
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12.袋中寺  ・沖縄県那覇市小禄692
袋中寺(たいちゅうじ)は、沖縄県那覇市にある浄土宗の寺院。
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13.大典寺  ・沖縄県那覇市松山1-9-1
大典寺(だいてんじ)は、沖縄県那覇市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
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14.桃林寺 (石垣市)  ・沖縄県石垣市石垣285
桃林寺(とうりんじ)は、沖縄県石垣市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は南海山。本尊は観音菩薩。八重山列島で最古の仏教寺院である[1]。本項では、隣接する権現堂(ごんげんどう)についても併せて説明する。
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15.万松院 (那覇市)  ・沖縄県那覇市首里当蔵町3-4-1
万松院(ばんしょういん)は、沖縄県那覇市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
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16.遍照寺 (沖縄市)  ・沖縄県沖縄市久保田1丁目2−5
遍照寺(へんしょうじ)は、沖縄県沖縄市にある東寺真言宗の寺院。本尊は大日如来。山号は金剛山(こんごうざん)。
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17.本願寺沖縄別院  ・〒901-2132沖縄県浦添市伊祖5-10-1
本願寺沖縄別院(ほんがんじおきなわべついん)は、沖縄県浦添市にある浄土真宗本願寺派の直属寺院。 住職は浄土真宗本願寺派門主が兼ねるが、輪番が置かれて平時の実務を主管している。
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18.臨海寺  ・沖縄県那覇市曙1-18-19
臨海寺(りんかいじ)は、沖縄県那覇市にある東寺真言宗の寺院。
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19.崇元寺
崇元寺(そうげんじ、琉球語:スーギージ)は、沖縄県那覇市泊にあった臨済宗の仏教寺院。山号は霊徳山。琉球王国の国廟とされ、歴代琉球国王の神霊位を祀っていた。円覚寺とともに琉球双璧の名刹であったが、1945年、沖縄戦により焼失した[1]。
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20.円覚寺 (那覇市)
円覚寺(えんかくじ、琉球語:ウフティラ[1])は、沖縄県那覇市首里当蔵町(首里城北面)にかつて存在した臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は天徳山。本尊は釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩の釈迦三尊。琉球王国における臨済宗の総本山であり、第二尚氏の香華院(菩提寺)とされた。
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21.琉球八社
琉球八社(りゅうきゅうはっしゃ)とは、琉球王国(琉球國)において「琉球八社(官社)の制」により王府から特別の扱いを受けた8つの神社である。
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22.安里八幡宮  ・沖縄県那覇市安里124
安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は、沖縄県那覇市安里にある神社。琉球八社の一つで、明治の近代社格制度では無格社。
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23.天久宮  ・沖縄県那覇市泊3丁目19-3
天久宮(あめくぐう)は、沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つで、明治の近代社格制度では無格社。
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24.出雲大社沖縄分社  ・沖縄県那覇市古島1丁目16-13
出雲大社沖縄分社(いずもたいしゃおきなわぶんしゃ)は沖縄県那覇市古島に鎮座している神社である。出雲大社の正式な分社であり、国内最南・西端の出雲大社の分社である。出雲大社教では、「分祠」「大教会(分院)」「教会」「支教会」以外の名称は認められていないが、第二次世界大戦後の特殊事情から沖縄分社のみ「分社」の名称が認められている[1]。
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25.恵比須神社 (那覇市)  ・沖縄県那覇市安謝251
恵比須神社(えびすじんじゃ)は沖縄県那覇市に鎮座する神社である。
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26.沖縄県護国神社  ・沖縄県那覇市奥武山町44
沖縄県護国神社(おきなわけんごこくじんじゃ)は、沖縄県那覇市の奥武山公園内にある神社(護国神社)である。神社本庁などの包括宗教法人に属さない単立神社である。
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27.沖縄神社  ・沖縄県那覇市首里鳥堀町5
沖縄神社(おきなわじんじゃ)は、沖縄県那覇市首里鳥堀町にある神社。現在は波上宮が管理している。
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28.沖宮  ・沖縄県那覇市奥武山町44
沖宮(おきのぐう)は沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つであるが、近代社格制度では社格を与えられておらず、神社本庁に属さない単立の神社である。(無格社)。奥武山公園の東部に位置する。
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29.金武宮  ・沖縄県国頭郡金武町金武222
金武宮(きんぐう)は、沖縄県国頭郡金武町にある神社。琉球八社の一つで、明治の近代社格制度では無格社。
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30.桃林寺 (石垣市)  ・沖縄県石垣市石垣285
桃林寺(とうりんじ)は、沖縄県石垣市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は南海山。本尊は観音菩薩。八重山列島で最古の仏教寺院である[1]。本項では、隣接する権現堂(ごんげんどう)についても併せて説明する。
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31.識名宮  ・沖縄県那覇市繁多川4-1-43[1]
識名宮(しきなぐう)は、沖縄県那覇市にある神社。琉球八社の一つで[2]、明治の近代社格制度では無格社。
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32.末吉宮  ・沖縄県那覇市首里末吉町1-8
末吉宮(すえよしぐう)は、沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある神社で琉球八社のひとつ。旧社格は無格社。
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33.尖閣神社  ・沖縄県石垣市桴海大田273-170[1]
尖閣神社(せんかくじんじゃ)は、沖縄県石垣市桴海にある神社である。2000年に尖閣諸島の魚釣島に創建され、2019年に現在地に遷座した。祭神は伊勢神宮から勧請した天照大御神及び日本武命[1]。
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34.大東宮  ・沖縄県島尻郡北大東村字中野
大東宮(だいとうぐう)は北大東島(沖縄県島尻郡北大東村)にある神社である。境内の森は夜間、天然記念物のダイトウオオコウモリが飛び回るため生態観察に適している。
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35.大東神社 (南大東村)  ・沖縄県島尻郡南大東村字池之沢
大東神社(だいとうじんじゃ)は、沖縄県島尻郡南大東村にある神社である。境内の森は夜間、フクロウ科のダイトウコノハズクや国の天然記念物に指定されているダイトウオオコウモリ等が飛び回るため生態観察に適しているとされるが、これは北大東村の大東宮と共通である。この他、境内には環境省レッドリストに絶滅危惧IA類で掲載されているダイトウシロダモの群生地がある。
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36.十山神社  ・沖縄県八重山郡与那国町与那国
十山神社(とおやまじんじゃ)は、沖縄県八重山郡与那国町与那国祖納地区にある神社。
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37.波上宮  ・沖縄県那覇市若狭一丁目25番11号
波上宮(なみのうえぐう)は、沖縄県那覇市にある神社。近代社格制度では官幣小社に列格され、現在では神社本庁の別表神社に指定されている。
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38.普天満宮  ・沖縄県宜野湾市普天間1-27-10
普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間にある神社。宜野湾市で唯一の神社でもある。
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39.宮古神社  ・沖縄県宮古島市平良字西里5-1
宮古神社(みやこじんじゃ)は、沖縄県宮古島市に鎮座する神社である。
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40.世持神社  ・沖縄県那覇市奥武山町(社殿)沖縄県那覇市若狭1-25-11(神体)
世持神社(よもちじんじゃ)は、沖縄県那覇市奥武山公園内に鎮座する神社(神社本庁に包括)。ただし、神体は社殿と分かれて波上宮境内に置かれている(後述)。
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41.グスク
グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、沖縄地方領域である奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)の沖縄弧とも呼ばれる地域にかけて、多数存在するグスク時代の遺跡。本土の戦国時代の城とは異なり、戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域、時期、により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。
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42.安慶名城  ・輪郭式山城
安慶名城(あげなじょう、琉球語: あげなグスク、あげなグシク)は、沖縄県うるま市安慶名にあったグスク(御城)の城趾である。
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43.伊是名城  ・山城
伊是名城(いぜなぐすく)は、伊是名島(沖縄県伊是名村)の東南にそびえるグスクである。沖縄県指定史跡[1]。
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44.糸数城
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。
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45.伊波城  ・単郭式山城
伊波城(伊覇城、いはぐすく、いはじょう)は、沖縄県うるま市石川にあったグスク(御城)の趾である。
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46.宇江城城
宇江城城(うえぐすくじょう、うえぐすくぐすく)は、沖縄県島尻郡久米島町仲里宇江城にあるグスク(御城)である。城跡は2009年(平成21年)7月23日に国の史跡に指定されている。
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47.浦添城
浦添城(うらそえじょう、浦添城跡)は、沖縄県浦添市にある城(グスク)跡。1989年(平成元年)8月11日、国の史跡に指定されている(浦添大公園)。
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48.垣花城  ・不明
垣花城(かきのはなぐすく・かきのはなじょう)は、沖縄県島尻郡南城市玉城垣花にあったグスク(御城)である。
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49.勝連城  ・山城
勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあったグスク(御城)の城趾である。阿麻和利の城として有名。
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50.喜屋武城  ・山城
喜屋武城(きゃんぐすく)は、沖縄県うるま市喜仲四丁目にある琉球王国時代の城跡(グスク)である。
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51.具志川城 (久米島町)
具志川城(ぐしかわじょう)は、沖縄県久米島にかつて存在した城(グスク)。現在は具志川城跡(ぐしかわじょうせき)となっている。所在地は久米島町仲村渠432および477-1[1][4]。久米島北西の仲村渠集落の北方、東シナ海へ飛び出した丘の上にあり、三方が崖となっている[1]。1975年(昭和50年)に国の史跡に指定された[1][4]。1999年(平成11年)度から2007年(平成19年)度にかけて、史跡具志川城保存修理事業に伴い、遺構確認の発掘調査が行われた[5][6][7]。
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52.具志川城 (糸満市)
具志川城(ぐしかわぐすく、ぐしかわじょう)は、沖縄県糸満市喜屋武具志川原[5]にあった城(グスク)。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定された[4]。
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53.越来城  ・山城
越来城(ごえくじょう、琉球語: ごえくグスク、ごえくグシク)は、沖縄県沖縄市城前町周辺の丘陵地にあった城(グスク)。沖縄戦などで破壊され、遺跡はほとんど残されていない[1]。
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54.座喜味城  ・山城
座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあったグスク(御城)の城趾。日本軍が高射砲陣地を構築していたため、十・十空襲と沖縄戦で壊滅的な被害をうけ、瓦礫の丘陵地となり、また1974年まで米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となっていた。沖縄返還を機に返還の機運が高まり、1974年に米軍から返還された。調査と復旧が進められ、通信基地に駐屯していた退役軍人も驚嘆するほどの美しいグスクとしてよみがえった。2000年、世界遺産に登録された。
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55.佐敷城 (琉球国)
佐敷城(さしきぐすく)は沖縄本島南部のグスク。国の史跡に指定されている[1]。
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56.島添大里城
島添大里城(しましーうふざとぐすく)、史跡名:島添大里城跡(しましーおおざとじょうせき)は、現在の沖縄県南部にあった城(グスク)である。別名を大里城。
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57.下田原城
下田原城(しもたばるじょう)は、八重 山諸島の波照間島(沖縄県八重山郡竹富町)にある城(グスク)。2003年(平成15年)3月25日に国の史跡に指定されている。琉球王国統一の歴史を示す重要な遺跡[1]。沖縄の日本復帰直後「ぶりぶち公園」として、地元老人会により寄付で整備されたが、現在は公園としては荒れ、亜熱帯の自然の侵食のままとなっている[2]。
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58.首里城  ・山城
首里城(しゅりじょう、沖縄方言: スイグシク[1])は、琉球王国中山首里(現:沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。
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59.玉城城  ・山城
玉城城(たまぐすくぐすく、たまぐすくじょう)は、沖縄県南城市(旧玉城村)にある城(グスク)跡。1987年(昭和62年)8月21日に、国の史跡に指定された。
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60.知念城  ・連郭式山城
知念城(ちねんじょう、琉球語: ちねんグスク)は、沖縄県南城市知念にある12世紀末から13世紀にかけて築城されたグスク(御城)の城趾である。代々同地の領主である知念按司が統治し、城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定されている。
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61.北谷城
北谷城(ちゃたんじょう)あるいは 北谷グスク(ちゃたんグスク)は沖縄県北谷町にあるグスク。13世紀後半から16世紀前半にかけて中山の拠点になった。1945年の沖縄戦から米軍基地キャンプ瑞慶覧の敷地内にあったが、2013年の合意後、沖縄戦から75年目の2020年3月31日に日本に返還された。北側にはキャンプ桑江、南側にキャンプ瑞慶覧がある細長い区域に位置する。国の史跡に指定されている[1]。
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62.天願城  ・不明
天願城(てんがんじょう、琉球語: ティングヮングスク)は、沖縄県うるま市天願にあったグスク(御城)の城趾。15世紀に安慶名城を拠点に中部一帯を支配した安慶名大川按司一世の三男・後天願按司一世などが貿易の拠点であった具志川城と共に統治した。
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63.中城城  ・山城
中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。築城された時期は不明。ユネスコ世界遺産。
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64.今帰仁城  ・山城
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。
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65.名護城
名護城(なんぐすく)は、沖縄県名護市字城にある城跡(グスク)である。城跡一帯は「名護中央公園」として整備されており、日本さくら名所100選の1つとして「名護城公園」が選ばれている[1]。名護按司の居城だったと伝えられる。
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66.南山城 (琉球国)  ・山城
南山城(なんざんじょう)は、現沖縄県糸満市大里にあったグスク。同市の文化財。
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67.フルスト原遺跡
フルスト原遺跡(フルストばるいせき)は、沖縄県石垣市大浜にある遺跡。1978年(昭和53年)3月3日に国の史跡に指定されている[1]。
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68.三重城  ・平城
三重城(みえぐすく、沖縄語:みーぐしく)は、沖縄県那覇市にある琉球のグスクである。那覇港の国場川北側の河口に位置している。
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69.山田城 (琉球国)
山田城(やまだグスク)は、沖縄県国頭郡恩納村字山田小字城原にあった14世紀から15世紀頃のグスク(御城)[1]。
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70.屋良座森城
屋良座森城(やらざもりぐすく、沖縄語:やらざむいぐしく)は、沖縄県那覇市にあった琉球のグスクである。那覇港の国場川河口南にあった。
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71.浦添前田駅  ・沖縄県浦添市前田二丁目3
浦添前田駅(うらそえまえだえき)は、沖縄県浦添市前田二丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は18。浦添市中心部の最も近くに位置する。沖縄県では最北端に位置する駅である。
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72.経塚駅  ・沖縄県浦添市前田字1140
経塚駅(きょうづかえき)は、沖縄県浦添市前田にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である[3]。駅番号は17。
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73.てだこ浦西駅  ・沖縄県浦添市前田三丁目22
てだこ浦西駅(てだこうらにしえき)は、沖縄県浦添市前田三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅[3]。同線の終点である。駅番号は19。
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74.赤嶺駅  ・沖縄県那覇市赤嶺二丁目1000-11
赤嶺駅(あかみねえき)は、沖縄県那覇市赤嶺二丁目にある沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は2。
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75.安里駅  ・沖縄県那覇市字安里389-7
安里駅(あさとえき)は、沖縄県那覇市字安里にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である[2]。駅番号は10。
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76.旭橋駅  ・沖縄県那覇市泉崎一丁目105
旭橋駅(あさひばしえき)は、沖縄県那覇市泉崎一丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は6。
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77.石嶺駅  ・沖縄県那覇市首里石嶺町二丁目90
石嶺駅(いしみねえき)は、沖縄県那覇市首里石嶺町二丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である[3]。駅番号は16。那覇市の駅では最も東に位置する。
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78.奥武山公園駅  ・沖縄県那覇市奥武山町316-2地先
奥武山公園駅(おうのやまこうえんえき)は、沖縄県那覇市奥武山町にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は4。
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79.おもろまち駅  ・沖縄県那覇市おもろまち四丁目1
おもろまち駅(おもろまちえき)は、沖縄県那覇市おもろまち四丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は11。
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80.小禄駅  ・沖縄県那覇市田原三丁目1000-1
小禄駅(おろくえき)は、沖縄県那覇市田原三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は3。
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81.儀保駅  ・沖縄県那覇市首里儀保町三丁目14-3
儀保駅(ぎぼえき)は、沖縄県那覇市首里儀保町三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は14。
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82.県庁前駅 (沖縄県)  ・沖縄県那覇市久茂地一丁目103
県庁前駅(けんちょうまええき)は、沖縄県那覇市久茂地一丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は7。
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83.首里駅  ・沖縄県那覇市首里汀良町三丁目19
首里駅(しゅりえき)は、沖縄県那覇市首里汀良町三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は15。
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84.市立病院前駅  ・沖縄県那覇市字古島172-2
市立病院前駅(しりつびょういんまええき)は、沖縄県那覇市古島にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は13。
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85.壺川駅  ・沖縄県那覇市壺川三丁目106
壺川駅(つぼがわえき)は、沖縄県那覇市壺川三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は5。
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86.那覇空港駅  ・沖縄県那覇市字鏡水938-5
那覇空港駅(なはくうこうえき)は、沖縄県那覇市字鏡水にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅。同線の起点である。駅番号は1。
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87.古島駅  ・沖縄県那覇市字古島93-1
古島駅(ふるじまえき)は、沖縄県那覇市古島にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は12。
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88.牧志駅  ・沖縄県那覇市牧志三丁目272-5
牧志駅(まきしえき)は、沖縄県那覇市牧志三丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は9。
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89.美栄橋駅  ・沖縄県那覇市牧志一丁目965
美栄橋駅(みえばしえき)は、沖縄県那覇市牧志一丁目にある、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は8。
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90.国場駅  ・沖縄県那覇市国場
国場駅(こくばえき)は、1914年(大正3年)から1945年(昭和20年)までの間、沖縄県那覇市国場にあった沖縄県営鉄道与那原線・糸満線の駅(廃駅)である。
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91.那覇駅  ・沖縄県那覇市旭町
那覇駅(なはえき、琉球方言:ナーファー)は、1914年(大正3年)12月1日から1945年(昭和20年)3月までの間、沖縄県那覇市にあった沖縄県営鉄道与那原線、海陸連絡線の駅(廃駅)である。
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92.与儀駅  ・沖縄県那覇市
与儀駅(よぎえき、琉球方言:ユーヂ)は、1923年(大正12年)2月26日から1945年(昭和20年)3月23日ごろまでの間、沖縄県那覇市にあった沖縄県営鉄道嘉手納線の駅(廃駅)である。
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93.沖縄美ら島財団
一般財団法人沖縄美ら島財団(おきなわちゅらしまざいだん)は、日本の沖縄県にある一般財団法人。
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94.イムギャーマリンガーデン
イムギャーマリンガーデンは、宮古島市にある海浜公園。地元では「インギャー」と呼び親しまれている。
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95.西表石垣国立公園
西表石垣国立公園(いりおもていしがき こくりつこうえん)は、沖縄県西表島、石垣島とその周辺の島々および海域にまたがる国立公園である。
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96.浦添運動公園  ・沖縄県浦添市仲間1丁目13
浦添運動公園(うらそえうんどうこうえん)は、沖縄県浦添市にある浦添市立の都市公園(運動公園)である[1]。公園内には、屋内運動場、プール、陸上競技場や市民球場などが設置されている。また、各種催し物の会場としても使われる。ここ数年は、東京ヤクルトスワローズのキャンプ地としても利用されている。
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97.浦添大公園
浦添大公園(うらぞえだいこうえん)は、沖縄県浦添市にある公園である。総面積は37.4ヘクタール。日本の歴史公園100選に選ばれている[1]。「歴史学習ゾーン」「ふれあい広場ゾーン」「憩いの広場ゾーン」などがある。また、公園内には、国の重要史跡の「浦添城跡」及び県の特別重要文化財の「浦添ようどれ」、県指定史跡の「浦添貝塚」「伊祖の高御墓」がある[2]。
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98.沖縄県営奥武山公園  ・ 日本沖縄県那覇市奥武山町
沖縄県営奥武山公園(おきなわけんえいおうのやまこうえん)は、沖縄県那覇市に位置する運動公園である。
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99.沖縄海岸国定公園
沖縄海岸国定公園(おきなわかいがんこくていこうえん)は、沖縄県の沖縄本島の中部読谷村の残波岬から北部国頭村の西海岸一帯及び本部半島にまたがる国定公園である[1]。慶良間諸島周辺は1978年に当公園に追加指定されたが、2014年3月に当公園の区域からは削除されるとともに新たに慶良間諸島国立公園に指定された[2]。また、2016年9月15日に新規指定されたやんばる国立公園に、沖縄本島北部(山原)の一部が編入され、区域縮小された[3]。
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100.沖縄県総合運動公園  ・ 日本沖縄県沖縄市、中頭郡北中城村
沖縄県総合運動公園(おきなわけんそうごううんどうこうえん)は、沖縄県沖縄市と中頭郡北中城村に位置する運動公園。都市公園法第2条第2項第5号に基づく公園施設である[1]。
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101.沖縄戦跡国定公園
沖縄戦跡国定公園(おきなわせんせきこくていこうえん)は、沖縄県の沖縄本島南端部、糸満市と島尻郡八重瀬町にまたがる、第二次世界大戦(沖縄戦)の戦跡と自然景観を有する国定公園である。
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102.宜野湾海浜公園  ・ 日本沖縄県宜野湾市真志喜
宜野湾海浜公園(ぎのわんかいひんこうえん、英: Ginowan Seaside Park)は、沖縄県宜野湾市真志喜にある都市公園(運動公園)である[1]。
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103.慶良間諸島国立公園
慶良間諸島国立公園(けらましょとう こくりつこうえん)は、沖縄県慶良間諸島及び周辺海域を区域とする国立公園である。
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104.国営沖縄記念公園  ・ 日本沖縄県国頭郡本部町(海洋博覧会地区)沖縄県那覇市(首里城地区)
国営沖縄記念公園(こくえいおきなわきねんこうえん)は、沖縄県の沖縄本島にある国営公園。大きく沖縄県本部町にある海洋博覧会地区と、那覇市にある首里城地区の二つの地区に分けられる。海洋博覧会地区は日本の都市公園100選、首里城地区は日本の歴史公園100選にそれぞれ選ばれている。
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105.新都心公園  ・ 日本沖縄県那覇市おもろまち3丁目2番
新都心公園(しんとしんこうえん)は、沖縄県那覇市おもろまちにある都市公園(総合公園)である[1]。
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106.末吉公園  ・ 日本沖縄県那覇市首里末吉町1-3-1
末吉公園(すえよしこうえん)は沖縄県那覇市にある都市公園(総合公園)である[1]。国の史跡の末吉宮跡と日本一早咲きの桜(ヒカンザクラ)の標本木のある公園として知られる。公園内を流れる安謝川周辺および南側は人工的に整備された緑地公園であるのに対し、末吉宮跡のある北側の山地は多くの自然が残されている。心霊スポットとしても有名である。
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107.北谷町運動公園
北谷町運動公園(ちゃたんちょううんどうこうえん)は、沖縄県北谷町美浜にある公園。東シナ海に面した埋め立て地を利用し、1988年(昭和63年)10月11日に開設され、財団法人北谷町公共施設管理公社によって管理されている。約20ヘクタールの面積がある。
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108.東南植物楽園
東南植物楽園(とうなんしょくぶつらくえん)は、沖縄県沖縄市知花に所在する日本の植物園、博物館相当施設である。年間を通して南国の景色が広がり、約1,300種5万株以上の植物を有する日本最大級の屋外植物園。
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109.渡具知ビーチ
渡具知ビーチ(とぐちビーチ)は沖縄県中頭郡読谷村の南西に位置する浜辺である。
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110.730シィーシィーパーク
730シィーシィーパーク(ナナサンマルシィーシィーパーク)は、沖縄県石垣市にある公園。公園名の由来となっている730交差点は国道390号の起点となる交差点であり、日本の国道網における最西端に当たる。
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111.西原マリンパーク
西原マリンパーク(にしはらマリンパーク、英文:Nishihara Marine Park )は、沖縄県中頭郡西原町字東崎地内の中城湾埋立地に設置された海浜公園である。西原町が指定管理者となっている。
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112.ネオパークオキナワ
ネオパークオキナワは、沖縄県名護市にある名護市立の動植物公園。1992年(平成4年)12月1日に開園。管理・運営は指定管理者制度により、名護自然動植物公園株式会社が行なっている。
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113.パイナガマビーチ  ・沖縄県宮古島市平良下里337番地2[10]
パイナガマビーチは、沖縄県宮古島市字南西里にある砂浜海岸である[1]。
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114.ひめゆりパーク
ひめゆりパークは、沖縄県糸満市真栄平にあったサボテン公園である。1983年に開園した。2003年に経営不振に伴い一旦閉園し、2004年に再度開園したが、2005年9月30日に薬師堂製薬化工に明け渡しの成立が和解し、同年10月19日で正式に閉園した。
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115.ブセナ海中公園
ブセナ海中公園(ブセナかいちゅうこうえん)は沖縄県名護市の部瀬名岬にある海中公園。沖縄観光開発事業団(現・沖縄観光コンベンションビューロー)により建設され、本土復帰以前の1970年にオープンした。海中公園がある岬の先端と西岸はブセナリゾートとして整備されている。
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116.八重岳
八重岳(やえだけ[1])は、標高453.4メートルの山で、沖縄本島北部に位置する本部半島の最高峰である。
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117.やんばる国立公園
やんばる国立公園(やんばる こくりつこうえん、英称:Yambaru National Park [1])は、沖縄県国頭郡国頭村、大宜味村および東村ならびにこれら3村の周辺海域を区域とする国立公園である。
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118.与儀公園  ・ 日本沖縄県那覇市与儀1-1
与儀公園(よぎこうえん)は沖縄県那覇市にある都市公園(近隣公園)である[1]。那覇を代表する桜(カンヒザクラ)の名所である。
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119.若狭海浜公園  ・ 日本沖縄県那覇市
若狭海浜公園(わかさかいひんこうえん)は沖縄県那覇市若狭にある海浜公園。 若狭緑地とも。
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120.メキシコサボテン公園
メキシコサボテン公園・サラバンダ(メキシコサボテンこうえん―)は、沖縄県糸満市にかつて存在したレジャーランドである。岩崎産業が経営した。
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121.沖縄県
沖縄県(おきなわけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は那覇市。
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122.那覇市  ・313,998人
那覇市(なはし、沖縄語: ナーファ、ナファ)は、沖縄県の沖縄本島南部に位置する市。沖縄県の県庁所在地及び最大の都市であり、中核市、中枢中核都市に指定されている。
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123.宜野湾市  ・100,164人
宜野湾市(ぎのわんし、沖縄方言: ジノーン)は、沖縄本島中南部の中央に位置する沖縄県第5の都市。 キャッチフレーズは「ねたての都市(まち)ぎのわん」で、本市の広報紙の題名にもなっている。「ねたて」とは「おもろさうし」にも表された言葉で、「物事の根元」、「共同体の中心」を意味する。
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124.石垣市  ・47,509人
石垣市(いしがきし)は、八重山列島の石垣島及び尖閣諸島を市域とする沖縄県の市である。
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125.浦添市  ・115,971人
浦添市(うらそえし、沖縄方言: ウラシー)は、沖縄本島の南部地域と中部地域の境目にある市で、琉球王国の古都。那覇市、沖縄市、うるま市に次ぐ沖縄県第4の都市である。
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126.名護市  ・64,257人
名護市(なごし、沖縄北部方言: ナグー)は、沖縄本島北部に位置する沖縄県第7の都市。
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127.糸満市  ・61,406人
糸満市(いとまんし、沖縄方言: イチュマン)は、沖縄本島の最南端に位置する沖縄県第8の都市である。また、沖縄戦の終戦地であり、本島最南端には平和記念資料館が設置されている。
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128.沖縄市  ・142,418人
沖縄市(おきなわし)は、沖縄本島中部に位置する沖縄県第2の都市。
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129.豊見城市  ・65,085人
豊見城市(とみぐすくし、沖縄方言: ティミグシク、トゥミグシク)は、沖縄本島南部に位置する沖縄県第6の都市。2002年に島尻郡豊見城村から町とならずに、市制を施行した。
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130.うるま市  ・126,249人
うるま市(うるまし)は、沖縄本島中部に位置する沖縄県第3の都市。
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131.宮古島市  ・52,920人
宮古島市(みやこじまし)は、宮古列島に位置する沖縄県の市である。
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132.南城市  ・45,154人
南城市(なんじょうし)は、沖縄本島南部の市で、2006年(平成18年)1月1日、島尻郡の佐敷町、知念村、玉城村、大里村が対等合併して誕生した。 当初は佐敷町・玉城村・知念村と与那原町の4町村で法定協議会を設けて協議し、新市名も「東方市」(あがりかたし)に決定していたが、新市庁舎の位置で、合併前に与那原町に決めるべきだと主張する与那原町、合併後に決めるべきだと主張する3町村との間で折り合いがつかずに協議が決裂し、与那原町を除く3町村と、南風原町・東風平町・具志頭村との合併協議が破談となった大里村で新たに法定協議会を設置、合併に漕ぎ着けた。 沖縄県内11市の中でもっとも人口が少なく、かつ唯一警察署と高校がない。 警察署は与那原町の与那原警察署管轄地域、高校は公立の場合、与那原町にある県立知念高校に通う生徒が多い。
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133.国頭村  ・4,397人
国頭村(くにがみそん)は、沖縄県の沖縄本島北端にある村である。国頭郡に属す。
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134.大宜味村  ・3,055人
大宜味村(おおぎみそん)は、沖縄県の沖縄本島北部に位置する村。国頭郡に属している。 「長寿の里」とされ、「長寿日本一宣言」をしている。
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135.東村  ・1,624人
東村(ひがしそん)は、沖縄県の沖縄本島北部に位置し、太平洋に面する村である。 ツツジが村の花とされており、毎年3月にはツツジ祭りが開かれる。山原の自然などで知られ、県内におけるエコツーリズムの草分け的な地域である。2021年7月に国頭村、大宜味村と共に国内5か所目の世界自然遺産に登録された。
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136.今帰仁村  ・8,942人
今帰仁村(なきじんそん)は、沖縄県国頭郡の村。
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137.本部町  ・12,352人
本部町(もとぶちょう)は、沖縄県国頭郡に属する町である。
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138.恩納村  ・11,237人
恩納村(おんなそん)は、沖縄県内、沖縄本島の中央部に位置する村である。 日本屈指のリゾート地であり、東シナ海の海岸に沿って走る国道58号線沿いには多くの大型リゾートホテルが立ち並ぶ。アメリカ合衆国のビル・クリントン大統領(当時)やロシアのプーチン大統領などの世界の首脳も、2000年の九州・沖縄サミットの際には当村のホテルに滞在した。 恩納村漁業協同組合により1989年からサンゴ移植活動、1998年からの養殖植え付けが行なわれ、恩納村コープサンゴの森連絡会やチーム美らサンゴなど、サンゴの保全再生活動が活発になり、サンゴ礁は漁業や観光業の重要な資源であり恩納村の大切な宝として、自然環境に優しい地域づくりを目指し2018年7月21日「サンゴの村」を宣言。 2016年現在、恩納村の総面積50.83 km2のうち約3割(5,080ha:29.4%)を米軍基地が占めている。
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139.宜野座村  ・5,967人
宜野座村(ぎのざそん)は、沖縄県国頭郡にある太平洋に面した村である。阪神タイガース一軍のキャンプ地となっている。
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140.金武町  ・10,785人
金武町(きんちょう)は、沖縄県国頭郡にある町である。
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141.伊江村  ・3,994人
伊江村(いえそん)は、沖縄県国頭郡の村。沖縄本島の本部半島から北西9kmの場所に位置する周囲22.4kmの伊江島(いえじま)から成る。
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142.読谷村  ・41,615人
読谷村(よみたんそん)は、沖縄県の沖縄本島中部、中頭郡に属する村。日本の村としては最も人口が多く、人口密度は同郡の北中城村、中城村に次いで3番目に高い。2015年の国勢調査では村として人口増加数は2位(1位は同郡の中城村)。
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143.嘉手納町  ・13,234人
嘉手納町(かでなちょう、沖縄方言: カディナー)は、沖縄県中頭郡の町。 戦前、県営鉄道嘉手納線の終着駅嘉手納駅が置かれ、県立二中や県立農林学校もあった。比謝川河口の港は山原船による物資の集積地となり中部の交通の要所として栄えた。もともとは北谷村の一つの字であったが、戦後、米空軍嘉手納基地によって大きく地理的に分断されたため、1948年12月4日、北谷村から分村し嘉手納村となった。現在も嘉手納町の面積82%が米軍基地に占有されている。
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144.北谷町  ・28,399人
北谷町(ちゃたんちょう)は、沖縄県中頭郡に属する町である。
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145.北中城村  ・18,177人
北中城村(きたなかぐすくそん)は、沖縄県中頭郡の村。日本で最も人口密度が高い村である。また中頭郡読谷村、茨城県那珂郡東海村、中頭郡中城村、福島県西白河郡西郷村に次ぎ、全国で5番目に人口の多い村である。
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146.中城村  ・22,622人
中城村(なかぐすくそん)は、沖縄県中頭郡の村。村の人口密度は、同郡北中城村に次いで全国で2番目に高い。また同郡読谷村、茨城県那珂郡東海村に次ぎ、全国で3番目に人口の多い村である。2015年の国勢調査では、人口増加数は全村中1位、増加率も10.0パーセントと十島村に次ぎ2番目に高い。 村の南部に琉球大学の千原(せんばる)キャンパスがあり(本部は西原町だが、法文学部と理学部は同村内に入る)、周辺は学生アパートが建ちならび、活気がある。
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147.西原町  ・35,307人
西原町(にしはらちょう)は、沖縄本島の中部を占める中頭郡の町。那覇市の北東約10kmほどの位置にある。
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148.与那原町  ・19,638人
与那原町(よなばるちょう)は、沖縄県本島南部、島尻郡に属する町である。
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149.南風原町  ・40,778人
南風原町(はえばるちょう、沖縄方言: ふぇーばる)は、沖縄本島南部に位置する町である。沖縄県の町では最も人口が多く、近年人口増加が目立っている。那覇市を含む6市町に囲まれており、現在沖縄県では唯一、海に面していない自治体である。かつて東風平町・具志頭村(現在の八重瀬町)・大里村(現在の南城市)との合併を協議していたが意見一致を見ず、2004年9月30日に合併協議会が解散となった。
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150.渡嘉敷村  ・680人
渡嘉敷村(とかしきそん)は、沖縄本島那覇市の西方約40kmに点在する慶良間諸島のうち渡嘉敷島を始め10余りの島からなる村。 慶良間諸島のほぼ東半分を占め、島尻郡に属する。
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151.座間味村  ・872人
座間味村(ざまみそん)は、沖縄本島那覇市の西方約40kmに点在する慶良間諸島のうち座間味島を始め20余りの島からなる村。 慶良間諸島のほぼ西半分を占め、島尻郡に属する。
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152.粟国村  ・652人
粟国村(あぐにそん)は、沖縄県島尻郡の村の一つ。
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153.渡名喜村  ・321人
渡名喜村(となきそん)は、沖縄県の島尻郡に属する村で、面積は沖縄県最小、かつ日本で二番目に小さい自治体である。
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154.南大東村  ・1,253人
南大東村(みなみだいとうそん)は、沖縄本島の約400km東方に位置する南大東島を行政区画とする沖縄県の村。島尻郡に属する。 開村以来サトウキビの生産が村の中心的産業である。近年航空機の大型化などで観光客が容易に訪れることが可能になり、豊かな自然を生かした観光地としても注目されてきている。
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155.北大東村  ・565人
北大東村(きただいとうそん)は、北大東島と沖大東島を行政区画とする沖縄県の村。島尻郡に属する。
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156.伊平屋村  ・1,127人
伊平屋村(いへやそん)は、沖縄県の村である。島尻郡に属す。沖縄県の有人島としては最北端である伊平屋島を主島とする。
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157.伊是名村  ・1,268人
伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の村である。島尻郡に属す。
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158.久米島町  ・6,909人
久米島町(くめじまちょう)は、沖縄県島尻郡の町。沖縄県で5番目に大きい島である久米島及びその周辺にある奥武島、オーハ島、鳥島と、沖縄県最北の島である硫黄鳥島とを行政区画とする。 2002年4月1日に具志川村と仲里村が合併して発足。サトウキビ農業やダイビングスポットとしての観光産業が盛んであるほか、海洋深層水を利用した保養施設の建設、食品の開発などを進めている。2005年からは久米島町営仲里野球場、2006年からは久米島野球場が2球場とも日本プロ野球の球団である東北楽天ゴールデンイーグルスのキャンプ地となった。
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159.八重瀬町  ・31,803人
八重瀬町(やえせちょう)は、沖縄本島南部に位置する町である。2006年1月1日、島尻郡東風平町と具志頭村が合併して誕生した。 当初は南風原町、大里村(現在は南城市の一部)を含む4町村で法定協議会を設けて協議していたが、南風原町の離脱により協議会が解散となり、2町村のみで合併することとなった。町内には現存する最古のシーサーといわれる富盛のシーサーがあり、沖縄県指定有形文化財に指定されている(最古のシーサーを参照)。
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160.多良間村  ・1,065人
多良間村(たらまそん)は、沖縄県宮古郡の村である。宮古島と石垣島の中間に位置する多良間島及び水納島の2島を行政区画とする。
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161.竹富町  ・3,910人
竹富町(たけとみちょう)は、沖縄県八重山郡の町。日本最南端の町で、9つの有人島とその周辺の無人島からなる。
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162.与那国町  ・1,703人
与那国町(よなぐにちょう)は、沖縄県八重山郡の町。与那国島の全部からなる。日本最西端の市町村であり、カジキ釣りやダイビングのスポットとなっている。
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163.仲本海岸
仲本海岸(なかもとかいがん)は、沖縄県竹富町の黒島西部にある海岸である。
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164.アーラ浜
アーラ浜(アーラはま)は、沖縄本島から西に約100km、沖縄諸島に属する久米島南西部にある砂浜。海岸には、湧き水の淡水が流れ込み、このため魚介類が豊富な浜としても知られ、大潮の干潮時には約1kmほど沖合いの珊瑚礁のリーフへ徒歩で渡ることができる。この時期には、海人が貝やタコなどを捕獲する光景が見られ、多くの人でにぎわうが、普段は人家の少ない海岸である。海岸の左手の岩場の先付近の珊瑚礁と夕日の美しさでも知られるが、場所的に分かりにくく不便であるため、人は少ない
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165.新城海岸
新城海岸(あらぐすくかいがん)は、宮古島東部の沖縄県宮古島市城辺字新城にある砂浜である。
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166.石垣島東海岸の津波石群
石垣島東海岸の津波石群(いしがきじまひがしかいがんのつなみいしぐん)は、沖縄県石垣市の石垣島の東海岸に点在する津波石である。
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167.帯岩
帯岩(おぴいわ)は、沖縄県宮古島市の下地島の西岸にある巨岩である。
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168.川平湾
川平湾(かびらわん)は、沖縄県石垣市の石垣島北西部にある湾である。
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169.茅打バンタ
茅打バンタ (かやうちばんた)は、沖縄県国頭郡国頭村宜名真に位置する観光地で、高さ約100mの断崖絶壁。ハンタとは方言で端や崖のことを指し、束ねた茅を崖から投げ落とすと強風でバラバラになったことからこの名がついたといわれている。やんばる国立公園(2016年までは沖縄海岸国定公園)に含まれる。
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170.コンドイ浜
コンドイ浜(コンドイはま)は、沖縄県八重山郡竹富町の竹富島西部にある海岸である[1][2][3][4]。
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171.佐和田の浜
佐和田の浜(さわだのはま)は、沖縄県宮古島市の伊良部島北西部から下地島北東部にかけての海岸。日本の渚百選に選定されている[1]。
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172.白保サンゴ礁
白保サンゴ礁(しらほサンゴしょう)は、沖縄県石垣市の白保地区を中心とする石垣島東岸に位置するサンゴ礁である。
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173.砂山ビーチ
砂山ビーチ(すなやまビーチ)は、沖縄県宮古島市の宮古島にある砂浜である。
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174.石西礁湖
石西礁湖(せきせいしょうこ[1])は、石垣島と西表島の間に広がる日本国内最大のサンゴ礁[1]海域である。
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175.竹富島  ・ 日本 沖縄県八重山郡竹富町
竹富島(たけとみじま)は、沖縄県の八重山列島にある島である。全島が沖縄県八重山郡竹富町に属している。
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176.トゥドゥマリの浜
トゥドゥマリの浜(トゥドゥマリのはま)は、南西諸島西表島の宇那利崎の付け根にある砂浜である。通称は月ヶ浜。
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177.渡口の浜
渡口の浜(とぐちのはま)は、沖縄県宮古島市の伊良部島南西部にある砂浜海岸である。
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178.名蔵アンパル
名蔵アンパル(なぐらアンパル、名蔵網張)は、日本の沖縄県石垣市西部に位置する干潟およびマングローブ林を含む地域である。地元では単にアンパルと呼ばれている。アンパルには網張という漢字があてられ、真栄里マニカという賊を捕らえるため、名蔵川周囲を村民総出で網を張るがごとく包囲したことに由来すると言われているが[1]、「網を張って漁をする」あるいは「人頭税からの逃亡者を捕える」との説もある[2]。
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179.ニシ浜
ニシ浜(ニシはま、北浜[1])は、沖縄県八重山郡竹富町の波照間島北部にある海岸である。
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180.はての浜
はての浜(はてのはま)は、沖縄本島から西に約100キロメートル(km)、久米島沖東5kmに浮かぶ砂だけからなる3つの無人島の総称である[1]。
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181.東平安名岬
東平安名岬(ひがしへんなざき)は、沖縄県宮古島市城辺字保良に位置し、太平洋及び東シナ海に面する岬である。宮古島の南東端で、同島を代表する観光地のひとつとなっている。東平安名崎とも書く。
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182.ペムチ浜
ペムチ浜(ペムチはま)は、沖縄県八重山郡竹富町の波照間島南部にある海岸である[1]。日本最南端の有人島である波照間島の南側に位置する砂浜であり、日本最南端の浜とも呼ばれる[2][3]。
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183.保良泉ビーチ
保良泉ビーチ(ボラガービーチ[1])は、宮古島南東部の沖縄県宮古島市城辺字保良にある砂浜。
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184.真栄田岬
真栄田岬(まえだみさき)は、沖縄県恩納村真栄田区にある岬である。万座毛と同じく琉球石灰岩で形成される断崖が連なり[1]、隆起サンゴ礁が三角に突き出し、崖下には入り江と岬、深い青色の海が広がっている。岬にある洞窟は、青の洞窟 (恩納村)としてよばれダイビングスポットとなっている。[2]悪天候の場合は遊泳禁止となる。*真栄田岬の公式ホームページでは本日の海の状況を確認でき入水の可、不可が分かる。冬にはクジラを見ることもできる。[3]
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185.万座毛
万座毛(まんざもう)は、沖縄県国頭郡恩納村にある名勝地。恩納村のほぼ中央、東シナ海に面した標高約20メートルの琉球石灰岩からなる絶壁で、象の鼻に似た奇岩がある。崖上は芝生台地となっている。沖縄海岸国定公園である[1][2][3]。
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186.吉野海岸
吉野海岸(よしのかいがん)は、宮古島東部の沖縄県宮古島市城辺字吉野にある砂浜・海水浴場[1]である。
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187.与那覇前浜
与那覇前浜(よなはまえはま)は、沖縄県宮古島市の宮古島にある砂浜・海水浴場である。
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188.与那覇湾
与那覇湾(よなはわん)は、沖縄県宮古島市の宮古島の南西部にある湾である。2012年7月3日にラムサール条約の登録湿地となった[1][2]。
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189.安和岳  ・ 日本・沖縄県名護市
安和岳(あわだけ[1])は、沖縄本島北部の本部半島に位置する、標高432メートルの山。
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190.石川岳  ・ 日本沖縄県うるま市、国頭郡恩納村・金武町
石川岳(いしかわだけ[1])は、沖縄県うるま市、国頭郡恩納村と金武町にまたがる、標高204メートルの山。
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191.伊湯岳  ・ 日本沖縄県国頭郡国頭村・東村
伊湯岳(いゆだけ[1])は、沖縄県国頭郡国頭村と東村にまたがる、標高446メートルの山。
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192.於茂登岳  ・ 日本・沖縄県石垣市
於茂登岳(おもとだけ)は、沖縄県石垣市にある標高526メートルの山である。地元ではウムトゥダギと呼ぶ。『球陽』では宇本嶽、宇茂登嶽と記されている[1]。
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193.恩納岳  ・ 日本沖縄県国頭郡恩納村・金武町
恩納岳(おんなだけ[1])は、沖縄県国頭郡恩納村と金武町にまたがる、標高363メートルの山。 沖縄本島のほぼ中央部に位置する。沖縄の名山として知られ、琉球王国時代から文学の題材とされてきた。沖縄戦終結後に米軍基地として接収され、一般人の立ち入りは制限されている。
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194.嘉津宇岳  ・ 日本・沖縄県名護市
嘉津宇岳(かつうだけ[1])は、沖縄本島北部の本部半島に位置する、標高452メートルの山。 古来より沖縄の名山として知られ、大正時代まで沖縄本島最高峰と思われていた。山頂は円錐状をなすカルスト地形で、八重岳と安和岳とともに沖縄県の自然保護区域に指定されている。頂上まで登山道が設定されている。
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195.カラ岳  ・ 日本沖縄県石垣市
カラ岳(カラだけ)は、八重山諸島石垣島(行政区分は沖縄県石垣市)の白保地区北方に位置する山である。標高135.9m。カーラ岳とも呼ばれる。石垣島東部の白保地区北側の海岸近くに孤立して位置する山である。山肌は、木が生えておらず、全面が草地で覆われている。 海からの風がぶつかって上昇気流が起きやすいことと、草地であることから、パラグライダーの絶好のポイントとなっている。 石垣市では、滑走路が1,500mと短いため、大型機の離着陸ができない石垣空港に代わる新石垣空港の建設がかねてから構想されていた。 新石垣空港は、当初、白保地区沖合に計画されていた(白保海上案)が、世界的に貴重な白保サンゴ礁への影響が懸念されることから、代替案としてカラ岳東側の海上に建設するカラ岳東側案が発表された。しかし、これも白保サンゴ礁の北側に連なるサンゴ礁の海域の埋め立てを伴うものであったため反対が続き、最終的にはカラ岳南側の陸上に建設するカラ岳陸上案に決定された。カラ岳陸上案においては、カラ岳が一部(27万m3)切削されることとなっており、赤土流出による白保サンゴ礁への影響を懸念する声もある。
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196.城山 (沖縄県)  ・ 日本沖縄県国頭郡伊江村
城山(ぐすくやま)は、沖縄県国頭郡伊江村にある山である。伊江島の中央にそびえる島のシンボルである。標高は172.2メートル。
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197.古見岳  ・沖縄県八重山郡竹富町
古見岳(こみだけ)は、沖縄県八重山郡竹富町に位置する山である。 標高は469.5メートルで、西表島における最高峰であり、沖縄県では於茂登岳(石垣島)、与那覇岳(沖縄本島)、桴海於茂登岳(石垣島)に次いで4番目に高い山である[1]。 山頂には三等三角点「高那岳」が設置され469.48mとなっている[2]。西表島は、古見岳をはじめ300-400メートル級の山が連なり、壮年期地形を形成している[3]。山頂付近にはリュウキュウチクが群生する[4]。 方言ではクンダギと呼び、古見岳という山名は古見村(現在の竹富町古見の一部)の背後に位置することに由来する。地元では神が降り立つ山として信仰の対象となっている[4]。
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198.信天山  ・ 日本 沖縄県石垣市
信天山(しんてんやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。 島の中央からやや北寄りに位置する。標高は105メートルで、同島最高峰の千歳山(標高117メートル)に次ぐ。 山名は、1900年(明治33年)にこの島を訪れた動物学者の宮島幹之助によって、島に棲息するアホウドリ(信天翁)に因んで名づけられた[1]。
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199.千歳山 (沖縄県)  ・ 日本 沖縄県石垣市
千歳山(ちとせやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。標高は117メートルで、同島における最高峰である[1]。 動物学者の宮島幹之助がこの島に上陸した1900年(明治33年)5月10日が、ちょうど皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)成婚の日にあたったことから、宮島により祝賀の意を表して命名された[1]。
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200.名護岳  ・ 日本・沖縄県名護市
名護岳(なごだけ[1])は、沖縄本島北部に位置する、標高345.2メートルの山。 沖縄県名護市にあり、市街地の背後にそびえる。一帯は沖縄海岸国定公園や鳥獣保護区に指定されている。中腹の名護城にカンヒザクラが植えられ、毎年1月下旬ごろに桜祭りが開催されている。
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201.奈良原岳  ・ 日本 沖縄県石垣市
奈良原岳(ならはらだけ)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島にある山。標高は362メートルで、魚釣島の最高峰である[1]。 島の南岸近くのやや西寄りに位置する[2]。山名は、1900年(明治33年)にこの島を地質調査に訪れた黒岩恒によって、当時の沖縄県知事奈良原繁に因んで名づけられた[1]。 2012年8月19日に日本人10名が魚釣島に上陸し、この山の山頂付近に日章旗を掲揚した[3]。
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202.野底岳  ・ 日本沖縄県石垣市
野底岳(のそこだけ、ぬすくだぎ[2])、又は、野底マーペー(のそこマーペー、ぬすくマーペー[3])は、沖縄県石垣市にある山である。しま山100選に選定されている[3]。
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203.屏風岳 (沖縄県)  ・ 日本 沖縄県石垣市
屏風岳(びょうぶだけ)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島にある山である。 島の南岸近くの東寄りに位置する[1]。標高は320メートルで、最高峰の奈良原岳(標高362メートル)に次いで、同島で2番目に高い山である。山名は、1900年(明治33年)にこの島を地質調査に訪れた黒岩恒によって名づけられた[2]。
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204.桴海於茂登岳  ・ 日本沖縄県石垣市
桴海於茂登岳(ふかいおもとだけ)は、沖縄県石垣市桴海にある標高477mの山である。
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205.ぶざま岳  ・ 日本沖縄県石垣市
ぶざま岳(ぶざまだけ)は、沖縄県石垣市にある標高322mの山である。 於茂登山系の西端に位置し、地質的には花崗岩とその風化土壌からなる[1]。この山から南東に流れる白水川は豊富な水量を有し、名蔵アンパルに流れ込む名蔵川の水源となっている。白水川の流域一帯には、ケナガエサカキやスダジイの群落が形成されている[2]。 地元では、ブザーマダキ、又は、プサーマダキと呼ぶ。「ブザーマ」は方言で「尾」を意味し、於茂登山系の西端に位置することから名づけられたとされる[1]。 この山の中腹にはテラス状になった巨石があり、川平湾を一望することができる。この場所は「川平湾絶景テラス」と名づけられて、石垣市の「島人ぬ宝さがしプロジェクト」で新名所のひとつに選定されている[3][4][5][6]。
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206.辺戸岳  ・ 日本・沖縄県国頭郡国頭村
辺戸岳(へどだけ[1])は、沖縄本島最北部に位置する、標高248.3メートルの山。 安須森(あすむい)や辺戸御嶽(へどうたき)ともいわれ、琉球開闢神話に現れる霊山である。やんばる国立公園に指定されている。
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207.八重瀬岳  ・ 日本・沖縄県島尻郡八重瀬町
八重瀬岳(やえせだけ[1])は、沖縄県島尻郡八重瀬町に位置する、標高163メートルの山。 同町の最高峰で、町名の由来となった地で、北側は急崖をなす。沖縄戦では日本軍最後の防衛線が設定され、またアメリカ軍は八重瀬岳を「ビッグアップル (Big Apple)」と呼んだ。頂上に自衛隊基地が置かれ、中腹に整備された公園は桜の名所として知られる。
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208.八重岳  ・ 日本沖縄県国頭郡本部町・名護市
八重岳(やえだけ[1])は、標高453.4メートルの山で、沖縄本島北部に位置する本部半島の最高峰である。 沖縄本島では与那覇岳に次ぐ第2位の標高で、南方に位置する嘉津宇岳と安和岳と共に連山をなす。山頂までの沿道にカンヒザクラが植えられ、日本で最も早く桜が見られることで知られる。沖縄戦では、沖縄本島北部の主要な戦闘地であった。頂上部にアメリカ軍が管理する「八重岳通信所」が置かれている。
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209.安良岳 (沖縄県)  ・ 日本沖縄県石垣市
安良岳(やすらだけ)は、沖縄県石垣市の石垣島の平久保半島北部に位置する標高336mの山である。 平久保半島の最高峰である[2]。 東の太平洋側に流れる安良川(ヤッサカーラ)、西の東シナ海側に流れるジーバ川の水源である。安良川の河口から約1km南にある小安良川(ヤッサマカーラ)の河口にかけてはハスノハギリが自生しており、2013年(平成25年)に「平久保安良のハスノハギリ群落」として国の天然記念物に指定されている[3]。 山の東斜面は、トムル層変成岩の礫岩層で農耕には不適で、第二次世界大戦前から平久保牧場の一部として利用されているため、樹木はほとんどない。一方、西斜面には樹木が繁茂している[4]。
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210.与座岳  ・ 日本・沖縄県糸満市
与座岳(よざだけ[1])は、沖縄県糸満市に位置する、標高168.4メートルの山で、同市の最高峰である。
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211.与那覇岳  ・ 日本・沖縄県国頭郡国頭村
与那覇岳(よなはだけ[1])は、沖縄県国頭郡国頭村に位置する、標高503メートルの山で、沖縄本島の最高峰である。 山頂部は日本国の天然記念物「与那覇岳天然保護区域」に指定され、ノグチゲラやヤンバルクイナなどの動物が生息している。やんばる国立公園へ指定され、また世界自然遺産「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の登録地に含まれている。
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212.西表島温泉  ・沖縄県八重山郡竹富町高那
西表島温泉(いりおもてじまおんせん)は、かつて西表島北東部の沖縄県八重山郡竹富町高那にあった温泉である。西表温泉と呼ばれることもあった[2]。
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213.カンパネルラの湯  ・沖縄県八重山郡竹富町南風見
カンパネルラの湯(カンパネルラのゆ)は、西表島の南東部の沖縄県八重山郡竹富町南風見にある温泉である。 源泉名は西表島温泉であるが、2012年まで存在した旧・西表島温泉とは別の源泉である。日本最西端、かつ最南端に位置する温泉となっている。
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214.シギラ温泉  ・沖縄県宮古島市上野新里
シギラ黄金温泉(シギラおうごんおんせん)は、沖縄県宮古島市シギラリゾート内にある温泉。
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215.ちゃたん恵み温泉  ・沖縄県中頭郡北谷町字美浜2番地
ちゃたん恵み温泉(ちゃたんめぐみおんせん)は、沖縄県北谷町美浜の北谷町運動公園内にある温泉。別名、美浜の湯(みはまのゆ)。共立メンテナンスが運営するTerme VILLA ちゅらーゆという日帰り入浴施設があり、サンセットビーチと呼ばれる海水浴場に隣接した屋外温泉プールを併設する。
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216.天然温泉アロマ  ・沖縄県宜野湾市大山7丁目7番1号
天然温泉アロマ(てんねんおんせんアロマ)は、沖縄県宜野湾市にある日帰り温泉施設。 1997年に、JAおきなわの子会社が運営する複合施設「エデンぎのわん」内に「JA天然温泉アロマ」として開業した。2009年に経営破綻により閉鎖。その後株式会社エナジックインターナショナルに売却され、2010年6月より同社によって運営されている。 含よう素-ナトリウム-塩化物泉 地下1300メートルから汲み上げている。温泉水が使用されているのは露天風呂と大浴槽のみ。循環式だが、源泉も投入されるオーバーフロー方式。
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217.中乃湯温泉  ・沖縄県沖縄市安慶田1丁目5番2号
中乃湯(なかのゆ)は沖縄県沖縄市にある温泉公衆浴場。県内に現存する唯一の「ゆーふるやー(湯風呂屋)」である。
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218.宮古島温泉  ・沖縄県宮古島市平良東仲宗根添
宮古島温泉(みやこじまおんせん)は、沖縄県宮古島市にある温泉。現在は休業中。
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219.山田温泉 (沖縄県)  ・沖縄県国頭郡恩納村[1]
山田温泉(やまだおんせん)は、沖縄県国頭郡恩納村にある温泉。
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220.琉球温泉  ・沖縄県豊見城市瀬長
琉球温泉(りゅうきゅうおんせん)は、沖縄県豊見城市瀬長にある温泉。
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221.ロワジールホテル那覇  ・〒441-8061沖縄県那覇市西3-1-2
ロワジールホテル那覇(ロワジールホテルなは、Loisir Hotel Naha)は、沖縄県那覇市の三重城跡付近にあるリゾートホテル。本館、イースト館など二つの建物から成る。イースト館は東洋建設が建築を行った[1]。
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222.浦添市美術館  ・〒901-2103沖縄県浦添市仲間1丁目9番2号
浦添市美術館(うらそえしびじゅつかん)は沖縄県浦添市にある美術館である。日本初の漆芸専門美術館、沖縄初の公立美術館として1990年(平成2年)に設立され、琉球漆器をコレクションとしている。1991年(平成3年)に開館した石川県輪島漆芸美術館とは、互いに漆芸専門美術館ということで友好提携を結んでいる。また設計には建築家の内井昭蔵があたった。
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223.沖縄県立博物館・美術館  ・〒900-0006沖縄県那覇市おもろまち3丁目1番1号
沖縄県立博物館・美術館(おきなわけんりつはくぶつかん・びじゅつかん)は、沖縄県那覇市おもろまちにある県立文化施設。愛称は「OkiMu(おきみゅー)」[3]。
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224.佐喜眞美術館  ・〒901-2204沖縄県宜野湾市上原1丁目22(上原児童公園 内)
佐喜眞美術館(さきま びじゅつかん、SAKIMA ART MUSEUM)は、沖縄県宜野湾市にある私立美術館。
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225.ボクネン美術館
ボクネン美術館(ボクネンびじゅつかん)は、沖縄県北谷町美浜にある版画家の名嘉睦稔の作品を展示する美術館。2024年(令和6年)6月2日で閉館し、ギャラリーとして移転する[1]。
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226.沖縄こどもの国  ・〒904-0021沖縄県沖縄市胡屋5丁目7番1号
沖縄こどもの国(おきなわこどものくに)は、沖縄県沖縄市(敷地の一部は北中城村にまたがる)にあるこどもの国である。動物園を中心とした3つの施設があり、県内でも有数の教育普及施設である。 以前は、県内唯一の遊園地も併設されていたが、経営悪化のため1999年8月31日に閉館。その後、動物園なども改装工事のため一時閉館。2004年4月15日に財団法人沖縄こども未来ゾーン運営財団が、沖縄子ども未来ゾーンとしてリニューアルオープン。県内唯一のチルドレンズミュージアムである「ワンダーミュージアム」を併設する。 ホワイトライオンやアミメキリンなど人気の動物と共に、琉球列島独自の生態系の魅力に触れる「アークおきまる」では沖縄県の豊かな生態系について感じ学ぶことができる。
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227.ダチョウらんど
ダチョウらんどは、沖縄県国頭郡今帰仁村にあるダチョウの動物園。 ダチョウに直接餌を与えることが可能。ダチョウの卵にも触れることができる。ダチョウの背中に乗る体験も可能。隣接の食事コーナーでは、ソーキそばやダチョウの肉が食べられる。
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228.ネオパークオキナワ  ・〒905-0012沖縄県名護市名護4607-41
ネオパークオキナワは、沖縄県名護市にある名護市立の動植物公園。1992年(平成4年)12月1日に開園。管理・運営は指定管理者制度により、名護自然動植物公園株式会社が行なっている。 園内にある広大なフライングケージでは、鳥類が放し飼いにて飼育されており、ケージ内を自由に飛び回る姿は、亜熱帯気候の開放感さながらである。 1998年にヤンバルクイナの人工孵化に世界で初めて成功した。また、ヤンバルクイナの保護個体の長期飼育に成功しており、環境省の保護増殖事業における飼育下繁殖施設にも指定されている。
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229.池田矼  ・沖縄県宮古島市
池田矼(いけだばし)は、沖縄県宮古島市(旧下地町)の崎田川に架かるアーチ橋である。1977年7月1日に沖縄県の史跡に指定されており[1]、日本百名橋の番外のひとつでもある。池田橋とも表記される[2]。
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230.池間大橋
池間大橋(いけまおおはし)は、沖縄県宮古島市北西部に位置し宮古島と池間島とを結ぶ全長1,425mの橋である。1992年2月14日に開通した[1][2]。1995年3月に来間大橋が開通するまでは、沖縄県内最長の橋であった[3]。
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231.伊良部大橋  ・沖縄県宮古島市
伊良部大橋(いらぶおおはし)は、日本の沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ橋である。 2006年(平成18年)3月18日に着工し、2015年(平成27年)1月31日16時に供用が開始された[2]。全長3,540メートル (m) で、新北九州空港連絡橋(福岡県道245号新北九州空港線)(全長2,100 m)を上回り、通行料金を徴収しない橋としては日本最長である[3][4][5]。総事業費は399億円[6]。
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232.来間大橋
来間大橋(くりまおおはし)は、沖縄県宮古島市南西部に位置し宮古島と来間島とを結ぶ全長1,690mの橋。1995年3月13日に開通した[1]。 もともとは農道の一部として整備された橋で、開通時には農道橋として日本最長であった[2][3]。その後、2001年に下地町の町道の一部となり、2005年の市町村合併に伴い宮古島市の市道来間大橋線の一部となっている[4]。 また、2005年に古宇利大橋に抜かれるまでは、1992年2月開通の池間大橋を抜いて沖縄県内最長の橋であった。現在では、宮古列島では伊良部大橋に次ぐ2番目の長さとなっている[5]。 宮古島側の宮古島市下地字与那覇と来間島側の宮古島市下地字来間とを結ぶ橋で、1988年7月に着工し、1995年3月に開通。構造は、航路部が3径間連続箱桁橋、一般部が3径間連結T桁橋および中空床版橋から成っている。全長1,690mで、50トン級の船舶が航行できるように、中央部が盛り上がった形状をしており、中央部の海面(既往最高潮位)から桁下までの高さは13.5mとされている[1]。
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233.サザンゲートブリッジ  ・石垣市
サザンゲートブリッジは、沖縄県石垣市の八島町と南ぬ浜町(新港地区)を結ぶ[5]石垣港に架かる橋である。
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234.瀬底大橋  ・沖縄県国頭郡本部町
瀬底大橋(せそこおおはし)は、沖縄県国頭郡本部町の沖縄本島と瀬底島とを結ぶ橋。1979年(昭和54年)11月に着手し、5年3ヶ月の月日を経て1985年(昭和60年)2月に開通した。橋長は762mあり総事業費は約57億円。
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235.長虹堤
長虹堤(ちょうこうてい)は、1451年、琉球王国によって建設された全長約1キロメートルの堤防と橋からなる道路であり、崇元寺付近(那覇市泊)と伊辺嘉麻(いべがま、那覇市松山付近)を結んでいた。
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236.天女橋  ・沖縄県那覇市
天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市の首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。
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237.泊大橋
泊大橋(とまりおおはし)は沖縄県那覇市若狭と曙を結ぶ、那覇港泊ふ頭上にある全長1,118mの橋である。 1986年4月11日、那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭(安謝新港)を結ぶ那覇臨港道路の一部として開通した。橋の長さは開通当時は本部町の瀬底大橋 (762m) を抜いて沖縄県で最も長い橋だったが、現在は5番目に長い橋である。泊ふ頭を定期航路にしている船舶の航行の妨げにならないように、かなりの高さで起終点部は急勾配であり、概ね風速が20m以上になると通行止めの措置が取られる。 開通前は那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭へ行くには国道58号や県道43号を通らねばならず、泊高橋交差点や泊ふ頭入口交差点を中心にかなり渋滞していたが、開通後はこれらの交差点や国道58号や県道43号の渋滞が幾分緩和された。
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238.泊高橋
泊高橋(とまりたかはし)は、沖縄県を流れる安里川河口に架かる橋であり、那覇市泊と前島に跨る。国道58号那覇市内の要所で、交差点やバス停の名称にもなっている。 泊村と兼久(前島)を結ぶ橋は古くは木製であったが、1699年(尚貞王31年)から翌年にかけて延べ2万5千人が動員され石橋に架け替えられた。船が往来できるように3段の階段を設けアーチ部分を高くしたことから高橋の名が付いた。特に夕日に映える橋の姿は名勝とされ、1854年(尚泰王7年)にロシア艦隊提督秘書官として沖縄を訪れた作家イワン・ゴンチャロフも賞賛している。 1909年(明治42年)、那覇と嘉手納を結ぶ客馬車を通すために両岸から盛り土をして傾斜を緩やかにする工事が行われ、1912年(明治45年)頃には河川改修に伴って前島側に木造橋が増設されている。1914年(大正3年)、橋の東側に沖縄電気軌道の電車を通すための鉄橋が増設された。1934年(昭和9年)には路面の石の一部を取り除いてコンクリート橋にする改装が行われたが、石組みが精緻であったため工事は困難を極めたといわれる。沖縄戦が始まると、敵方に利用されることを恐れた日本軍によって破壊された。戦後しばらくの間はアメリカ軍が設置した仮橋が使われていたが、1952年に新たに架け替えられた。
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239.泊橋
泊橋(とまりばし)は沖縄県那覇市の泊と前島の間にある橋の名前。 泊の沖縄県道29号那覇北中城線から前島の国道58号方面のみの一方通行である。730以前は現在とは逆向きの一方通行だった。
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240.泊みなと橋
泊みなと橋(とまりみなとばし)は、沖縄県那覇市の泊ふ頭内にある橋である。 ほぼ平行して国道58号が通っており、泊高橋交差点の渋滞を回避するため、交通量が比較的多い道路である。しかし、深夜から早朝にかけては泊ふ頭の北岸ゲート(泊3丁目側)が閉鎖されるため通り抜けできない。 また泊みなと橋が正式名称だが「リュウ橋」と呼ばれることもある。
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241.名蔵橋
名蔵橋(なぐらばし)は、沖縄県石垣市の石垣島西部を流れる名蔵川の河口に架かる橋である。
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242.野甫大橋  ・沖縄県島尻郡伊平屋村字野尻 - 字野甫
野甫大橋(のほおおはし)は、沖縄県島尻郡伊平屋村の伊平屋島と野甫島の間に架かる沖縄県道179号田名野甫線の橋長320 m(メートル)の橋。
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243.辺野喜橋  ・沖縄県国頭郡国頭村
辺野喜橋(べのきばし)は、かつて沖縄県国頭郡国頭村の辺野喜川に架かっていた橋。 沖縄県により建設され、1981年に供用開始。後に国頭村に移管され、村道として使われていた[1]。 塗装不要の耐候性鋼[2]を採用していたが、海岸に近かったため、桁内部から塩害による腐食が進んだ[1]。 2004年11月、崩落の危険があるとして通行止めにした[3]が、撤去の予算がつかず[1]そのままになっていた。 2009年6月25日の集中豪雨で橋桁が傾くなどの変化が生じたため緊急に撤去の準備を進めていた[2]が、同年7月15日午後5時37分に左岸寄り[3]で橋桁が折れ曲がり崩落した。通行止めとなっていたため、人的被害は生じなかった。崩落当時は琉球大学と土木研究所構造物メンテナンス研究センターによるモニタリング調査が行われており、橋梁管理者への崩落過程の映像配信などが行われた[4]。
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244.真玉橋  ・沖縄県那覇市、豊見城市
真玉橋(まだんばし)は、沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋の名称。また、豊見城市側の地名にもなっている。
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245.明治橋 (那覇市)  ・沖縄県那覇市
明治橋(めいじばし)は、沖縄県那覇市にある長さ128 m、片側3車線の橋で、北側に通堂町と東町、南側に奥武山町と垣花町がそれぞれ接している。那覇空港・沖縄本島南部と那覇市街地・沖縄本島中北部とを結ぶ沖縄県の大動脈といえる道路橋で、橋の南端部は国道58号と国道332号の終点(後者は国道331号と重複)、国道331号の起点(1993年3月までは終点)となっており、道路中央にはそれを示すモニュメントがある。明治時代の1883年(明治16年)に最初の橋が完成、現在の橋は4代目(戦後2代目)で1987年(昭和62年)3月に完成した。 また2003年には沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通にあわせて、明治橋より東側に位置し壺川駅のある同市壺川の国道329号那覇東バイパスと奥武山町の奥武山公園との間に北明治橋(歩行者専用道路橋)が完成した。
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246.屋我地大橋
屋我地大橋(やがじおおはし)は、沖縄県名護市真喜屋の奥武島(無人島)と同市屋我地島とを結ぶ全長約300メートルの沖縄県道110号線の橋である。1993年3月に完成した。 初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波で橋の上部が流失。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段を果たした。 しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なことなどから、1990年代には3代目(現状)を建設、1993年に完成した。3代目の橋は幅員が12メートルで先代(2代目)の倍以上である歩道も設置されており、景観に合った現代的なデザインとなっている。
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247.ワルミ大橋
ワルミ大橋(ワルミおおはし)は、沖縄県の屋我地島(名護市我部)と本部半島(国頭郡今帰仁村天底)との間のワルミ海峡に架かる橋である[1]。 橋長315.0メートル、アーチ支間210.0メートルの上路式RC固定アーチ橋で、沖縄県道248号屋我地仲宗根線の一部を構成する[1]。2010年(平成22年)12月18日に開通した。合成鋼管アーチ巻立工法によるアーチ橋としては日本国内で最長、アーチ橋としても日本国内で5番目の長さの橋梁である[2]。 ワルミ海峡(ワルミ水路)は、屋我地島の西側で東シナ海と羽地内海とを隔てる海峡で、本部半島と屋我地島に挟まれている。この海峡は運天港の一部で、荒天時の避難泊地である羽地内海に出入りする船舶が通過する。ワルミ大橋の下に2,000トン級の船舶を通すために、橋の構造としては上路式アーチが採用された[3]。クリアランス高さは37.2メートルである[1]。
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248.大濱信泉記念館  ・〒907-0004沖縄県石垣市登野城2-70
大濱信泉記念館(おおはまのぶもときねんかん)は、大濱信泉を記念して開設された沖縄県石垣市にある博物館である。
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249.具志堅用高記念館  ・沖縄県石垣市新川2376番地
具志堅用高記念館(ぐしけんようこうきねんかん)は、沖縄県石垣市にある元プロボクサー・具志堅用高を記念する博物館である。玄関上部には、具志堅をシンボライズするカンムリワシが描かれる[1]。
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250.石垣市立八重山博物館  ・〒907-0004沖縄県石垣市字登野城4-1
石垣市立八重山博物館(いしがきしりつやえやまはくぶつかん)は、沖縄県石垣市にある市立博物館である。
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251.石垣やいま村  ・〒907-0021 日本 沖縄県石垣市名蔵967-1
石垣やいま村(いしがきやいまむら)は、沖縄県石垣市にある古民家を中心とした野外博物館。日本最南端かつ最西端のテーマパークでもある。
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252.海の文化資料館  ・〒904-2427沖縄県うるま市与那城屋平4番地(2階)
うるま市立海の文化資料館(うるましりつうみのぶんかしりょうかん)は沖縄県うるま市にある公立博物館で、うるま市教育委員会が管理・運営する。略称・海文(うみぶん)。
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253.沖縄県平和祈念資料館  ・〒901-0333 日本 沖縄県糸満市字摩文仁614-1番地(沖縄県営平和祈念公園内)
沖縄県立平和祈念資料館(おきなわけんりつへいわきねんしりょうかん)は2000年4月に糸満市の沖縄戦跡国定公園の平和祈念公園内に開設された博物館。
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254.沖縄美ら海水族館  ・〒905-0206沖縄県国頭郡本部町石川424番地
沖縄美ら海水族館(おきなわちゅらうみすいぞくかん、英: Okinawa Churaumi Aquarium)は、沖縄本島北西部の本部半島備瀬崎近くにある国営沖縄記念公園・海洋博覧会地区(海洋博公園内)の水族館。一般財団法人沖縄美ら島財団が管理・運営している。「チュらうみ」とは沖縄の方言で「清〔きよ〕ら(しい)海」という意味。 完成当初世界最大だった大水槽「黒潮の海」[2]を泳ぐジンベエザメ、ナンヨウマンタなどが人気で、沖縄県の著名な観光地となっている。2005年(平成17年)にアメリカ合衆国のジョージア水族館が開館されるまでは世界最大の水槽を持つ水族館であった。 水族館の周辺には、オキちゃん劇場(イルカショー)など、無料で見学できる施設も整備されている。
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255.宜野湾市立博物館  ・〒901-2224沖縄県宜野湾市真志喜1丁目25番1号
宜野湾市立博物館(ぎのわんしりつはくぶつかん)は沖縄県宜野湾市にある公立博物館。1999年6月1日に開館した。宜野湾市を中心とする沖縄の歴史・考古・民俗・自然を専門分野とする。博物館のイメージキャラクターは天女ちゃん[1]。
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256.名護博物館
名護博物館(なごはくぶつかん)は、沖縄県名護市にある総合博物館[1]。「名護・やんばるの生活と自然」をテーマとして、1984年3月1日に名護市東江の旧名護市役所の旧庁舎を改装して開館した[2]。2023年に名護市大中に新築移転し、3月にプレオープン、5月にグランドオープンした。
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257.ヌチドゥタカラの家  ・〒905-0502 日本 沖縄県国頭郡伊江村東江前2300-4
ヌチドゥタカラの家は、沖縄県国頭郡伊江村東江前にある資料館。平和運動家阿波根昌鴻が収集した沖縄戦やその後の米軍による土地の強制収用、基地問題などに関する資料を展示している[1]。 阿波根昌鴻が自宅の敷地内に開設した私設の資料館で、阿波根が収集した沖縄戦における伊江島での戦闘やその後の米軍による土地の強制収用、伊江島補助飛行場による被害、その他平和運動に関する資料を展示していて、沖縄戦時に住民が着ていた衣服や持ち物、米軍が訓練中に落とした原爆の模擬弾や薬莢、パラシュートといった貴重な資料を間近に見ることができる[2]。当時としてはまだ珍しかったカメラを阿波根は持っていたため歴史的瞬間を捉えた貴重な写真も残されていて、伊江島における抵抗運動の経過を詳細に知ることができる。また、国内外からの支援や連帯を示す寄せ書き等も多く展示されている。資料館の建物外壁にはヌチドゥタカラの家の設立理由やヌチドゥタカラ(命ど宝)の初出とされる尚泰王が詠んだとされる琉歌(詳しくは命どぅ宝の項目を参照)、聖書の警句などが記されている。
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258.ヒストリート  ・〒904-0004沖縄県沖縄市中央1丁目2番2号
沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート(おきなわしせんごぶんかしりょうてんじしつヒストリート)は沖縄県沖縄市にある資料館。沖縄市が運営している。2005年の開館以来「パルミラ通り」沿いの空き店舗を利用して本館の「ヒストリート」と分館の「ヒストリートII」として運営していたが、2018年4月に閉館[1]。2018年8月8日にコザゲート通り沿いのビルに移転して再オープンした[2][3]。
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259.ひめゆり平和祈念資料館  ・〒901-0344沖縄県糸満市字伊原671-1
ひめゆり平和祈念資料館(ひめゆりへいわきねんしりょうかん)は、沖縄県糸満市にある博物館。1989年6月23日開館。1992年に菊池寛賞を受賞した。 資料館内には、第三外科壕を底から見上げた形で原寸大のジオラマが作られている。また、同じく館内には南風原陸軍病院壕の一部を再現した原寸大模型があり、そこで以前は語り部の証言を直接聴くことができたが、語り部の高齢化により2004年4月のリニューアル以後は証言映像の上映に切り替えられた。第四展示室は学徒隊の戦没した生徒や教員の写真が壁中に貼られており、また、生前の人柄や死亡時の状況が文章で解説されている。BGMとして「ふるさと」が流れている。
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260.宮古島海宝館  ・〒906-0101沖縄県宮古島市城辺字保良591-1
宮古島海宝館(みやこじまかいほうかん)は、沖縄県宮古島市城辺字保良にある貝類の専門博物館である。
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261.宮古島市総合博物館  ・〒906-0011沖縄県宮古島市平良字東仲宗根添1166-287
宮古島市総合博物館(みやこじましそうごうはくぶつかん)は、沖縄県宮古島市にある市立博物館である。
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262.琉球大学博物館(風樹館)
琉球大学博物館(風樹館)[1][2](りゅうきゅうだいがくはくぶつかん〈ふうじゅかん〉、英:Ryukyu University Museum(Fujukan))は、沖縄県中頭郡西原町にある琉球大学附属の大学博物館[3]。 首里城の日時計の遺跡や藁算(ワラザン)の標本などの自然系標本や文化的遺物を含む約160,000点のコレクションのうち、主に沖縄の自然や文化を代表する1500点余りの標本や資料が常設展示されている[3]。
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263.一中学徒隊資料展示室  ・〒903-0815沖縄県那覇市首里金城町1-7
一中学徒隊資料展示室(いちちゅうがくとたいしりょうてんじしつ)は、沖縄県那覇市にある資料展示室。
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264.沖縄郵政資料センター  ・〒900-8799沖縄県那覇市壺川3-3-8
沖縄郵政資料センター(おきなわゆうせいしりょうセンター)は、沖縄県那覇市にある、通信文化協会が運営する企業博物館である[1]。那覇中央郵便局の2階にあり、愛称は「OKICOMM(オキコム)」。 琉球藩から始まる沖縄の郵政事業に関する各種資料を展示している。沖縄切手や琉球政府時代の「郵政庁」の看板などもある。
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265.対馬丸記念館  ・〒900-0031沖縄県那覇市若狭1丁目25
対馬丸記念館(つしままるきねんかん)は、沖縄県那覇市若狭にある、1944年の対馬丸事件についての資料が保存された施設[1]。この記事では対馬丸事件(つしままるじけん)についても記述する。詳細は「対馬丸#対馬丸事件」も参照。
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266.那覇市歴史博物館  ・沖縄県那覇市久茂地1丁目1番1号パレットくもじ4階
那覇市歴史博物館(なはしれきしはくぶつかん、英語: Naha City Museum of History)は、沖縄県那覇市久茂地1丁目のパレットくもじ内にある博物館。2006年(平成18年)に開館した。琉球国王尚家に関する国宝資料を所蔵する[2][3]。 2014年(平成26年)には、公式ウェブサイト上に「デジタルミュージアム」を開設した[4]。
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267.不屈館  ・〒900-0031沖縄県那覇市若狭2丁目21-5
不屈館(ふくつかん)は、政治家瀬長亀次郎がのこした資料をもとにして、2013年3月、沖縄県那覇市に開設された[1]沖縄の戦後史に関する民間の資料館。 米軍占領下の沖縄で沖縄人民党を組織、圧制に対する抵抗運動の先頭に立ち、立法院議員・那覇市長・日本共産党衆議院議員などを歴任した政治家瀬長亀次郎がのこした膨大な資料を中心に、沖縄の民衆のたたかいを後世に伝える目的でつくられた。今後県民からの資料提供も受け、特に米軍統治下の民衆の歩みなど沖縄の戦後が学べる、民衆の支えによる民衆のための資料館を目指す、としている[2]。
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268.沖縄県立博物館  ・〒903-0823沖縄県那覇市首里大中町1丁目1番地
沖縄県立博物館(おきなわけんりつはくぶつかん)は、かつて沖縄県那覇市首里にあった県立博物館。 2006年3月に沖縄県立博物館・美術館に移転するため閉館した。
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269.波照間島星空観測タワー
波照間島星空観測タワー(はてるまじまほしぞらかんそくタワー)は、沖縄県・八重山諸島の波照間島(八重山郡竹富町)にある天文台である。 日本最南端の公開天文台であり、4月下旬から6月中旬までは開館時間内に南十字星を観測することができる[1][注 1]。また、プラネタリウムを併設しているが、故障中である[4]。
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270.DMMかりゆし水族館  ・〒901-0225沖縄県豊見城市豊崎3-35
DMMかりゆし水族館 (ディーエムエムかりゆしすいぞくかん)は、沖縄県豊見城市豊崎にある水族館。2020年5月25日に開業した[1][2][3]。運営会社は株式会社DMM RESORTS。メインテーマは「最新の映像表現と空間演出を駆使した新しいカタチのエンタテイメント水族館」[3]。
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271.おもろ植物園  ・〒905-0206沖縄県国頭郡本部町字石川424番地[1]
おもろ植物園(Omoro Botanical Garden[2])は、沖縄県国頭郡の海洋博公園内にある植物園である。園内には沖縄の歌謡集『おもろさうし』にうたわれている植物が展示栽培されている。
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272.東南植物楽園
東南植物楽園(とうなんしょくぶつらくえん)は、沖縄県沖縄市知花に所在する日本の植物園、博物館相当施設である。年間を通して南国の景色が広がり、約1,300種5万株以上の植物を有する日本最大級の屋外植物園。
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273.熱帯・亜熱帯都市緑化植物園  ・〒905-0206沖縄県国頭郡本部町字石川424番地[1]
熱帯・亜熱帯都市緑化植物園(ねったい・あねったいとしりょっかしょくぶつえん、英語: Tropical & Subtropical Arboretum[2])は、沖縄県国頭郡の海洋博公園内にある植物園である。沖縄の気候を生かした日本唯一の熱帯・亜熱帯都市緑化植物園として開園した[3]。9ヘクタールの敷地に400種類以上の植物を植栽・展示している[4]。
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274.宮古島市熱帯植物園  ・沖縄県宮古島市平良東仲宗根添968-1
宮古島市熱帯植物園(みやこじましねったいしょくぶつえん)は、沖縄県宮古島市平良東仲宗根添にある植物園である。
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275.由布島  ・ 日本(沖縄県八重山郡竹富町)
由布島(ゆぶじま)は、西表島の東約0.5 kmに位置する八重山諸島の島である[1]。行政区域は、全島が沖縄県八重山郡竹富町字古見に属する。
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276.国営沖縄記念公園  ・ 日本沖縄県国頭郡本部町(海洋博覧会地区)沖縄県那覇市(首里城地区)
国営沖縄記念公園(こくえいおきなわきねんこうえん)は、沖縄県の沖縄本島にある国営公園。大きく沖縄県本部町にある海洋博覧会地区と、那覇市にある首里城地区の二つの地区に分けられる。海洋博覧会地区は日本の都市公園100選、首里城地区は日本の歴史公園100選にそれぞれ選ばれている。 事業主体は内閣府沖縄総合事務局であり、計画・整備は同局が実施しているが、管理は一般財団法人沖縄美ら島財団に委託されている。
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277.安里川
安里川(あさとがわ)は、南西諸島の沖縄島南部を流れる二級河川である。上流部は金城川(きんじょうがわ、かなぐしくがーら)とも呼ばれる。
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278.石川川 (沖縄県)
石川川(いしかわがわ)は、沖縄県うるま市を流れる二級河川[1]。河川延長2.9キロメートル、流域面積10.31平方キロメートル[1]。
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279.浦内川
浦内川(うらうちがわ)は、沖縄県八重山郡の西表島中央部を流れる二級河川[3]。沖縄県内で最長の河川である[4]。
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280.大井川 (沖縄県)
大井川(おおいがわ)は、沖縄県北部の本部半島を流れる大井川水系の本流で、二級河川である。 沖縄本島の本部半島、嘉津宇岳中腹の名護市と今帰仁村の市村境付近を源流とし、乙羽岳の麓を北上し東シナ海に注ぐ。河口はラッパ状に開き、河口沿岸ではサンゴ礁(裾礁)が発達している。 中下流部では、沖縄県道72号線と並行して流れる。 上流から
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281.億首川
億首川(おくくびがわ)は、沖縄本島中部を流れる全長8.0kmの川(二級河川)[1]。国頭郡恩納村を源流とし、金武町で太平洋に注いでいる[1]。流域面積は16.4平方キロである[1]。 当河川唯一のダムとして金武ダムがある。このダムは同じ名称で、新旧2つのダムが建設された。  沖縄自動車道が、金武ダムの上を通る。国道329号が、下流域で交わる。
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282.ガーブ川
ガーブ川(ガーブがわ、我部川)は、沖縄県那覇市の中心市街地を流れる川である。暗渠となっている部分が多く、行政上は河川ではなく公共下水道雨水施設(排水路)として扱われることもある。
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283.漢那福地川
漢那福地川(かんなふくじがわ)は、沖縄島中部を流れる二級水系に指定された河川である。福地川、あるいは漢那川とも呼ばれる。 沖縄島北部の脊梁を構成する漢那岳からガラマン岳にかけての南東斜面に発し、南あるいは南東へ流れ漢那ダム貯水池のかんな湖に至る。かんな湖南西端の漢那ダム(本ダム)から流出し南西あるいは南へ流れ、漢那集落の西端部にて漢那湾(太平洋)に注ぐ。 上流部は支流が樹枝状に細かく分かれており、谷が深くV字谷の様相を呈している[3]。また、流域の大部分は在日米軍基地キャンプハンセンの敷地となっており、一般市民の立ち入りが制限されている。 中流部の、現在かんな湖の湖底となっている地域は福地原(ふくじばる)と呼ばれ、17世紀以前に水田が拓かれたと考えられており、沖縄戦直後まで苗代として利用されていたが、地域農業のサトウキビへの転換や在日米軍用地の土地収用のため使われなくなった。ダム建設以前においては河口から1.6キロメートルの地点で支流の一番ガーラが合流していた[1]。
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284.久茂地川
久茂地川(くもじがわ)は、沖縄県那覇市の中心市街地を横断する川であり二級河川に指定されている。 仲良橋付近で安里川から分岐し、牧志と前島の境を西流する。美栄橋付近で潮渡川を分岐し、南西方向へ向きを変え、十貫瀬橋付近でガーブ川と合流する。久茂地橋で県道222号と交差して久茂地に入り、御成橋で県道42号と交差する。蛇行して泉崎橋付近から南へ向きを変え泉崎と東町の境を流れる。旭橋で国道330号と交差、新旭橋で国道329号と交差し、明治橋付近で国場川(漫湖)に合流する。全域で海水の進入があり、潮の満ち干によって水位の変動がある。 流路のほぼ全行程において沖縄都市モノレール線が並行し、途中に美栄橋駅、県庁前駅、旭橋駅がある。
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285.源河川
源河川(げんかがわ、じんかがー)は、沖縄島北部の名護市源河地区内を流れる二級河川である。源河走川(じんかはいかー)、源河大川[1] とも呼ばれる。
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286.国場川
国場川(こくばがわ)は、沖縄本島南部を西流する国場川水系の本流で、二級河川。下流部の漫湖は沖縄最大の干潟であり、1999年(平成11年)、ラムサール条約に基づく湿地保全区域として登録された。
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287.小波津川
小波津川(こはつがわ)は、沖縄県の西原町を流れる流路延長3.8kmの二級河川である。
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288.塩川 (沖縄県)
塩川(しおかわ)は、沖縄県国頭郡本部町字崎本部塩川原にある全長約300メートル、川幅4メートルほどの小規模な河川である。日本国内では唯一塩分濃度の高い河川として、沖縄返還当日の1972年(昭和47年)5月15日に、国の天然記念物に指定された[1]。2011年(平成23年)に静岡県清水町にある柿田川が指定されるまで、国指定天然記念物の中で、河川それ自体を指定したものはこれだけであった[2]。 また準絶滅危惧の紅藻類「シオカワモッカ」の唯一の生育地として環境省から「重要湿地」に指定されているが[3]、近年は大雨のたびに赤土で濁り、また開発の影響で生物群系が変化したため、藻場の生育阻害が危惧されている[4]。
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289.田原川 (沖縄県)
田原川(たばるがわ)は、沖縄県八重山郡与那国町を流れる河川である。 沖縄県八重山郡与那国町の中心地域となる北部を流れる。宇良部山から随分離れた場所に源を発し、町役場などがある市街地の南側を流れ東シナ海に注ぐ。 年々、生活排水や土地改良で川が汚れ、一部ヘドロや悪臭が発生している。下水処理場を建設し、住民などで、清流を取り戻すための活動が続けられている。
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290.天願川
天願川(てんがんがわ)は、沖縄島中部を流れる二級河川である。別名大川。
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291.仲間川
仲間川(なかまがわ)は、沖縄県の西表島を流れる二級河川である。流域は西表石垣国立公園に含まれる。
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292.名蔵川
名蔵川(なぐらがわ、のーらがー)は、沖縄県の石垣島を流れる二級河川。島の西部にある於茂登岳南麓から西流し、名蔵湾に注ぐ。島内では宮良川に次ぐ長さで、かつてはノーラフーカーラ(名蔵大川)とよばれた[1]。 上流域には1999年(平成11年)に名蔵ダムが完成し、農業用水として利用されている。流域は島内屈指の水田地帯で古くから開発が進み、下流の神田橋近くには下田原式土器が出土した大田原遺跡や、神田貝塚、名蔵貝塚群などがある。しかし大雨のたびに被害が出て放置される田も多かったため、乾隆5年(1740年)に初めて河川整備が行われた[2]。また、流域では近年ウナギの養殖も行われている。河口部では1km以上の細長い砂洲が河口をふさぐように南北に形成されており、両端の切れ目から名蔵湾に水が流入する。その近くには名蔵橋が架かっている。
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293.饒波川
饒波川(のはがわ)は、沖縄本島南部を西流する国場川水系の支流で、二級河川(二級河川指定区域は下流の5.2km)。河口の漫湖は沖縄最大の干潟で、ラムサール条約による湿地保全区域にも登録されている。
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294.羽地大川
羽地大川(はねじおおかわ)は、沖縄本島北部の沖縄県名護市内を流れる二級河川である。
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295.比謝川
比謝川(ひじゃがわ)は、沖縄県の沖縄本島中部を流れる二級河川。沖縄本島で最大の流域面積を持ち、沖縄本島南部の水源として利用されている。
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296.福地川
福地川(ふくじがわ)は、南西諸島の沖縄島北部を流れる二級河川である。
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297.普天間川
普天間川(ふてんまがわ)は、沖縄県の沖縄本島中部を流れる二級河川。 沖縄県中城村(なかぐすくそん)南西部にある南上原(みなみうえばる)の丘陵地付近に発し、谷底の狭い平地を緩やかに蛇行しながらおおむね北東へ流れる。北中城村安谷屋(きたなかぐすくそん あだにや)付近で流れを西方向に変えて狭い谷に入り、キャンプ・フォスター(アメリカ軍施設)内を通過し、平地に出て北谷町北前(ちゃたんちょう きたまえ)付近で東シナ海に注ぐ。 かつては9.3kmの長さがあったが、キャンプ瑞慶覧の拡張に伴って流路を変えられ約1km短くなった。流域に住宅地が多く生活排水による汚染が進んでいる。
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298.辺野喜川
辺野喜川(べのきがわ)は、沖縄県国頭郡国頭村を流れる二級水系辺野喜川の本流である[2] 。
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299.宮良川
宮良川(みやらがわ、めーらかーら、めーらがー)は、沖縄県の石垣島南部を流れる二級河川。島内で最大の河川である[1]。
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300.粟国諸島
粟国諸島(あぐにしょとう)は、日本の沖縄諸島を構成する島嶼群の一つ。沖縄本島から約60km西、久米島と慶良間諸島のほぼ中間に位置する。
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301.粟国島  ・ 日本 沖縄県島尻郡粟国村
粟国島(あぐにじま)は、沖縄諸島に属する島である。沖縄本島の北西にあり、フェリー航路がある那覇港と約60キロメートル離れている[1]。 周囲に島はなく、沖縄県島尻郡粟国村の一島一村である。
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302.フェリー粟国
フェリー粟国(フェリーあぐに)は、粟国村が運航していたフェリー。現在は神戸市にある和幸船舶により同じ船名にて運用されている。
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303.与勝諸島
与勝諸島(よかつしょとう[2])は、日本の南西諸島のうち、沖縄諸島の一部をなす島嶼群。沖縄本島中部の勝連半島(与勝半島)の沖合に位置する。沖縄県うるま市に属する。
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304.安田ヶ島  ・ 日本・沖縄県国頭郡国頭村
安田ヶ島(あだかじま[3][4]、あだがしま[5])は、沖縄県国頭郡国頭村に属する無人島である[4]。
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305.安部オール島  ・ 日本 沖縄県名護市安部
安部オール島(あぶオールしま)は沖縄本島東部、沖縄県名護市南東部の安部崎の南東約100メートルにあるサンゴ石灰岩でできた無人島。 住所は沖縄県名護市安部に所在する。 対岸の沖縄本島の一帯は「安部」という集落となっているが、これは勝連町の安部大主が移り住んでつくられたといわれ、安部大主はその後この島に葬られた。今でも、勝連から墓参りに訪れる人がいる[1]。 旧暦の4月には、害虫を捕らえ、バショウの葉で作った船に載せて、島へ流す行事(アブシバレー)の祭事が地元住民により行われている[1]。 戦後の一時期、アメリカ人の宣教師がヤギの放牧を試みた[1]。 オール島の「オー」は奥武島の「おう」と同じ意味とする味方がある。また、害虫などを払うための「オー」(扇ぐの意味)だという説もある[1]。
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306.伊江島  ・ 日本 沖縄県国頭郡伊江村
伊江島(いえじま)は、沖縄県の島。国頭郡伊江村を形成する。
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307.硫黄鳥島  ・ 日本・沖縄県島尻郡久米島町
硫黄鳥島(いおうとりしま[1])は、沖縄県における最北端の島で[2]、県内唯一の活火山島である[3][注 1]。 14世紀後半から明王朝へ進貢する硫黄の産地として知られ、琉球王国が終了する19世紀中頃まで、琉球と明・清朝の朝貢関係を繋ぐ重要な島であった。1903年(明治36年)の久米島移住後も硫黄採掘が行われたが、1959年(昭和34年)の噴火により住民は島外へ移住、1967年(昭和42年)には採掘従事者も撤退し、これ以降は完全な無人島となった。
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308.伊計島  ・ 日本・沖縄県うるま市
伊計島(いけいじま)は、沖縄県うるま市に属する島で[1]、沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約10kmに位置する[2]。
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309.伊保島  ・ 日本・沖縄県糸満市
伊保島(いほじま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在した無人島で、仲伊保島(なかいほじま)とも呼ばれていた[2]。1980年(昭和55年)より周囲が埋め立てられ、島は消滅した。
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310.入砂島  ・ 日本・沖縄県島尻郡渡名喜村
入砂島(いりすなじま)は、沖縄県島尻郡渡名喜村に属する無人島で、出砂島(いですなじま)ともいわれる[1][2][3]。
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311.いんぶビーチ
いんぶビーチ(伊武部ビーチ)とは、沖縄県恩納村(沖縄本島)字名嘉真2173に所在するビーチである。沖縄海岸国定公園[2]に指定されている。再開発のため、2017年現在、閉鎖中。
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312.浮原島  ・ 日本・沖縄県うるま市
浮原島(うきばるじま[1]、うきばるしま[2])は、沖縄諸島の一部をなす与勝諸島の無人島で、沖縄県うるま市に属する。
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313.エージナ島  ・ 日本・沖縄県糸満市
エージナ島(エージナじま)は、沖縄県糸満市に属する無人島で、沖縄本島南部の西約200メートルの海上に位置する[1]。
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314.奥武島
奥武島(おうじま) いずれも沖縄県にある島である。かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められている。 かつての沖縄では、人が死ぬと海岸のすぐ沖の小さな島に船で遺体を運んで、洞窟へと安置する葬送の習慣があった。洞窟の中が黄色い光に満たされていたことから、この島を「青(オウ)の島」(黄色のことを「青」とよぶ場合があった)とよんでいたとされ、そこから「奥武(オウ)の島」と書かれるようになったとされる[1]。
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315.奥武島 (沖縄県久米島町)  ・ 日本・沖縄県島尻郡久米島町
奥武島(おうじま)は、久米島の東500m沖合にある島。沖縄県島尻郡久米島町に属する。周囲約2km[1][2]。
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316.奥武島 (沖縄県名護市)  ・ 日本・沖縄県名護市
奥武島(おうじま)は、沖縄県名護市に属する無人島である。名護市街地から約8km北西にあり、沖縄本島と屋我地島の間に位置している。
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317.奥武島 (沖縄県南城市)  ・ 日本・沖縄県南城市
奥武島(おうじま)は、沖縄本島南部にある島。沖縄県南城市玉城(旧島尻郡玉城村)に属する。
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318.沖縄海岸国定公園
沖縄海岸国定公園(おきなわかいがんこくていこうえん)は、沖縄県の沖縄本島の中部読谷村の残波岬から北部国頭村の西海岸一帯及び本部半島にまたがる国定公園である[1]。慶良間諸島周辺は1978年に当公園に追加指定されたが、2014年3月に当公園の区域からは削除されるとともに新たに慶良間諸島国立公園に指定された[2]。また、2016年9月15日に新規指定されたやんばる国立公園に、沖縄本島北部(山原)の一部が編入され、区域縮小された[3]。
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319.沖之島 (沖縄県)  ・ 日本・沖縄県糸満市
沖之島(おきのしま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在した島で、1960年代に周囲が埋め立てられ消滅した。
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320.オーハ島  ・ 日本・沖縄県島尻郡久米島町
オーハ島(オーハじま)は、沖縄県島尻郡久米島町に属する無人島。東奥武(あがりおう)島とも呼ばれる[1][2]。
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321.久高島  ・ 日本・沖縄県南城市知念
久高島(くだかじま)は、沖縄本島東南端に位置する知念岬の東海上5.3kmにある、周囲8.0km[1]の細長い島である。全域が沖縄県南城市知念に属する。人口は238人、世帯数は153世帯(2020年4月末現在)[2]。
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322.国頭
国頭(くにがみ、くんじゃん)は、沖縄本島(および周辺島嶼)の北東地域である。国頭地方、国頭地区、国頭方、カミ。 沖縄本島は北東から南西に国頭・中頭・島尻に三分され、国頭はその1つである。中心都市は名護市。 沖縄本島に関しては、比較的山の多い森林地帯である山原(やんばる)にほぼ一致する。この他、本島周辺離島として、伊江島、伊平屋島、伊是名島の諸島群を地理的区分として含む(行政区分としては後述の通り、伊江村だけが国頭に含まれる)。 沖縄本島北部(国頭)が、奄美群島の奄美大島と徳之島、西表島と共に、2021年(令和3年)7月に世界自然遺産に登録されている[1][2]。
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323.久米島  ・ 日本(沖縄県島尻郡久米島町)
久米島(くめじま)は、沖縄本島から西に約100 km、沖縄諸島に属する島で、最も西に位置する島である。人口は7000人程度で、行政上は島全域が久米島町に含まれる。面積は59.53 km2[1]で、沖縄県内では、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島である。スクーバダイビング地として有名で、3つのリゾートホテルが存在する。長く広がるイーフビーチ周辺には民宿なども多く点在する。また、東北楽天ゴールデンイーグルスが発足年度からこの地にキャンプを構えたことで、プロ野球ファンにも広く知られるようにもなった。
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324.古宇利島  ・ 日本・沖縄県国頭郡今帰仁村
古宇利島(こうりじま)は、沖縄県国頭郡今帰仁村に属する島で、沖縄本島北部にある屋我地島の北に位置する。
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325.島尻
島尻(しまじり)は、沖縄本島の南西部地域である。島尻地方、島尻地区、島尻方。 沖縄本島は北東から南西に国頭・中頭・島尻に3分され、島尻はその1つである。中心都市は那覇市。 島尻とは元来は「島の尻」の意味ではなく、島の南を意味する(沖永良部島、久米島、伊平屋島でも同様の呼び方が残る)。近現代に語源俗解により「島の尻」と解釈され、さらに「本島南部」に転意している。
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326.瀬底島  ・ 日本・沖縄県国頭郡本部町
瀬底島(せそこじま)は、沖縄県国頭郡本部町に属する島で[1]、本部半島の西方沖約600メートルの東シナ海に位置する[2]。
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327.瀬長島  ・ 日本・沖縄県豊見城市
瀬長島(せながじま)は、沖縄県豊見城市に属する島である。沖縄本島南部の西岸約600m[1]、那覇空港の南側約1.5kmに位置する[2][3]。瀬長グスクをはじめとして多くの拝所や井泉が存在し、米軍基地「那覇空軍・海軍補助施設」として接収される以前は「神の島」として信仰の島となっていた。1977年に返還され、現在は瀬長島ウミカジテラスとしてリゾート開発されている。
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328.津堅島  ・ 日本・沖縄県うるま市
津堅島(つけんじま)は、沖縄県うるま市に属する島である。
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329.渡名喜島  ・ 日本 沖縄県島尻郡渡名喜村
渡名喜島(となきじま)は、沖縄県の島。島尻郡渡名喜村に属する。
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330.鳥島 (沖縄県)  ・ 日本・沖縄県島尻郡久米島町[1]
鳥島(とりしま)は、東シナ海に浮かぶ島(無人島)。別名、久米鳥島(くめとりしま)[1]。行政区画は沖縄県島尻郡久米島町に属し、島全体を含めた周囲が軍事施設「鳥島射爆撃場」となっていることでも知られる。 なお、久米島町内には、沖縄県最北端の島である硫黄鳥島があるが、別の島である(両島は200km以上離れている)[1]。
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331.中頭
中頭(なかがみ)は、沖縄本島の中部地域である。中頭地方、中頭地区、中頭方(なかがみほう)。 沖縄本島は北東から南西に国頭・中頭・島尻に3分され、中頭はその1つである。中心都市は沖縄市。
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332.浜比嘉島  ・ 日本・沖縄県うるま市
浜比嘉島(はまひがしま[1][2][3]、はまひがじま[4][5][6])は、沖縄県うるま市に属する島で[7]、沖縄諸島のうち、与勝諸島を構成する太平洋の有人島である[8]。沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の東約3kmに位置する[5]。
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333.平安座島  ・ 日本・沖縄県うるま市
平安座島(へんざじま)は、沖縄県うるま市に属する島で[1]、沖縄諸島のうち、与勝諸島を構成する太平洋の有人島である[2]。沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約4 kmに位置する[3]。
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334.南浮原島  ・ 日本・沖縄県うるま市
南浮原島(みなみうきばるじま[1]、みなみうきばるしま[2])は、沖縄諸島の一部をなす与勝諸島の無人島で、沖縄県うるま市に属する。
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335.宮城島 (沖縄県うるま市)  ・ 日本・沖縄県うるま市
宮城島(みやぎじま)は、沖縄県うるま市に属する島で[1]、沖縄諸島のうち、与勝諸島を構成する太平洋の有人島である[2]。沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島北東約7kmに位置する[3]。
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336.宮城島 (沖縄県大宜味村)  ・ 日本(沖縄県国頭郡大宜味村)
宮城島(みやぎじま、みやぐすくじま)は沖縄県の沖縄本島北部に入り込む塩屋湾上にある島で、沖縄県国頭郡大宜味村に属する。
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337.水納島 (沖縄県本部町)  ・ 日本(沖縄県国頭郡本部町)
水納島(みんなしま[1]、みんなじま)は、沖縄県国頭郡本部町に属する島である。
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338.屋我地島  ・ 日本・沖縄県名護市
屋我地島(やがじしま)は、沖縄本島北部にある島。1946年から1970年には島一円で屋我地村という村だった。
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339.藪地島  ・ 日本・沖縄県うるま市
藪地島(やぶちじま)は、沖縄県うるま市に属する無人島である。
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340.慶良間諸島
慶良間諸島(けらましょとう)は、沖縄本島南部の那覇市から西に約40kmの東シナ海に点在する、大小20余りの島からなる島嶼群である。沖縄県に属する。沖縄諸島に含まれる。
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341.阿嘉島  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
阿嘉島(あかじま)は、慶良間諸島に属する島で、沖縄県島尻郡座間味村に属する。人口は264人、世帯数は163世帯(2019年4月1日現在)[4]。 座間味村の有人島の中で2番目に大きな島で、座間味島の座間味港から南西約3kmに位置する。1998年6月に慶留間島との間に阿嘉大橋が完成し、慶留間島・外地島と一続きになっている。
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342.奥武島 (沖縄県座間味村)  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
奥武島(おうじま)は、慶良間諸島にある無人島群である。沖縄県島尻郡座間味村に属する。
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343.久場島 (沖縄県座間味村)  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
久場島(くばしま)は、沖縄県島尻郡座間味村に属し[1]、座間味島の南西約7kmの海上に位置する慶良間諸島最西端の無人島である[2]。
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344.慶伊瀬島  ・ 日本(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)
慶伊瀬島(けいせしま)は、沖縄本島の那覇港から西に約12kmの東シナ海に位置する島嶼で、3つの環礁と3つの島から成る。慶良間諸島に属し、行政区域は沖縄県島尻郡渡嘉敷村である[1][2]。 現地の方言に由来する別名は、チービシ(慶伊干瀬)[1]、チービシ環礁(チービシかんしょう)と呼ばれている。
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345.慶留間島  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
慶留間島(げるまじま)は、慶良間諸島に所属する島。沖縄県島尻郡座間味村に属する。人口は62人、世帯数は38世帯(2019年4月1日現在)[1]。
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346.座間味島  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
座間味島(ざまみじま)は、沖縄県の慶良間諸島の島。同県島尻郡座間味村に属する。人口は597人、世帯数は358世帯(2019年4月1日現在)[2]。
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347.渡嘉敷島  ・ 日本(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)
渡嘉敷島(とかしきじま)は、沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属する島である。那覇の西方約30kmに位置し、慶良間諸島の東端にある。渡嘉敷村の役場が設置されるなど、慶良間諸島を構成する主たる島の一つとなっている。
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348.離島 (沖縄県)  ・ 日本(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)
離島(はなりじま[1]、はなれじま[2])は、沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属する慶良間諸島の無人島である。
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349.外地島  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
外地島(ふかじしま)は、阿嘉島の南東約2kmに位置する慶良間諸島の無人島である。行政上は沖縄県島尻郡座間味村に属し、面積0.83km2[1]、周囲4.6km[2]の島である。
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350.前島 (沖縄県)  ・ 日本(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)
前島(まえしま[1]、まえじま[2][3])は、沖縄県島尻郡渡嘉敷村に属する慶良間諸島の島である。
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351.屋嘉比島  ・ 日本(沖縄県島尻郡座間味村)
屋嘉比島(やかびじま)は、沖縄県島尻郡座間味村に属する無人島で[1]、座間味島の西約4km[2]、慶良間諸島最南西端である久場島の北約2kmの海上に位置する[3]。
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352.登野城
登野城(とのしろ[1][2])は、日本の沖縄県石垣市の地名。郵便番号は907-0004[2]。
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353.登野城尖閣
登野城尖閣(とのしろせんかく[1])は、日本の沖縄県石垣市の字[2]。尖閣諸島全域を字域とする。郵便番号907-0031[1]。
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354.魚釣島  ・東シナ海
魚釣島(うおつりしま、うおつりじま[11])は、琉球列島の一部である尖閣諸島にあり、尖閣諸島の中では最大の島である。日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城尖閣(2020年10月1日に登野城より分離)に属する。中華人民共和国と中華民国も同島の領有権を主張している。中国側は同島について釣魚島(ちょうぎょとう、ディァオユーダオ, Diàoyúdǎo) という名称を使用している[12]。
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355.沖の北岩  ・東シナ海
沖の北岩(おきのきたいわ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。沖ノ北岩とも表記する。
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356.沖の南岩  ・東シナ海
沖の南岩(おきのみなみいわ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。沖ノ南岩とも表記する。
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357.北小島  ・東シナ海
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。
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358.北小島 (沖縄県石垣市久場島付近)  ・東シナ海
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の久場島の北にある無人島である。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。
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359.北小島 (沖縄県石垣市大正島付近)  ・東シナ海
北小島(きたこじま)は、尖閣諸島の大正島の北にある無人島である。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。
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360.久場島 (沖縄県石垣市)  ・東シナ海
久場島(くばしま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が領有・実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。先島諸島の島民によってクバシマと呼ばれる。別名は黄尾嶼(こうびしょ)[2]。 日本名の「久場島」について日本政府は地元で呼ばれている名称を地方公共団体が調査し使用しているとしている[3]。「クバ」は沖縄方言で蒲葵を指し、八重山列島では「チールージマ(黄色い島)」とも呼ばれた。琉球王国の文書には黄尾嶼の記載がある[4]。日本政府は「黄尾嶼」という名称についても「我が国において従来から使用されてきているもの」としている[3]。中国名では「黄尾嶼」という名称を使用している。
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361.黒岩恒
黒岩 恒(くろいわ ひさし、1858年8月8日 - 1930年5月25日)は、日本の教育者、博物学者。沖縄の生物研究で功績を残しており、尖閣諸島の命名者としても知られている。 高知県高岡郡佐川町に生まれた。1892年沖縄尋常師範学校に赴任した。沖縄の動植物を研究し、『琉球教育』誌に『沖縄の博物界』を連載した。クロイワランやクロイワザサ、クロイワトカゲモドキ、クロイワゼミなどの動植物を発見し、和名は黒岩に因んで命名された[1]。1897年に尖閣列島に渡り、『地学雑誌』に『尖閣諸島探検記』を発表した[1]。実業家の古賀辰四郎の依頼により、魚釣島など周辺の島々を調査し、「尖閣諸島」を命名したほか、山や渓流にも名前を付けていた。1902年から名護市の国頭農学校の校長を務めた。1915年に沖縄を離れ和歌山に移った[1]。
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362.大正島  ・東シナ海
大正島(たいしょうとう[3]、たいしょうじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本国が実効支配し、中華人民共和国と中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。別名は赤尾嶼(せきびしょ)[1]。 日本名の「大正島」について日本政府は地元で呼ばれている名称を地方公共団体が調査し使用しているとしている[4]。久米島に近いことから先島諸島の島民には久米赤島と呼ばれており、琉球王国の文書には赤尾嶼との記載がある[5]。日本政府は「赤尾嶼」という名称についても「我が国において従来から使用されてきているもの」としている[4]。中国名では「赤尾嶼」という名称を使用している。
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363.千歳山 (沖縄県)  ・ 日本 沖縄県石垣市
千歳山(ちとせやま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島にある山。標高は117メートルで、同島における最高峰である[1]。 動物学者の宮島幹之助がこの島に上陸した1900年(明治33年)5月10日が、ちょうど皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)成婚の日にあたったことから、宮島により祝賀の意を表して命名された[1]。
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364.飛瀬  ・東シナ海
飛瀬(とびせ)は、尖閣諸島の岩礁のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。
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365.北西小島  ・ 日本・沖縄県石垣市登野城尖閣
北西小島(ほくせいこじま)は、沖縄県石垣市登野城尖閣の尖閣諸島の久場島の北西にある無人島である。 日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となる島である。EEZの基点となるにもかかわらず名称が不明であったが、2012年1月16日、日本政府は本島を含む39のEEZの基点となる無名の無人島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示した[1]。 同年1月30日には、そのうち本島の名称が北小島に内定したと報じられ[2][3]、3月2日には内定通りに名称が決定したことが発表された[4]。また、本島と同時に、久場島付近の他の2島も北小島、北東小島と命名されるとともに、大正島付近にある無名島のひとつも北小島と命名された[4]。電子国土ポータルにおいては決定した名称が記載されており、紙ベースの地図については版の更新に合わせて順次名称を掲載していく予定[4]。
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366.北東小島  ・ 日本・沖縄県石垣市登野城尖閣
北東小島(ほくとうこじま)は、沖縄県石垣市登野城尖閣の尖閣諸島の久場島の北東にある無人島である。 日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となる島である。EEZの基点となるにもかかわらず名称が不明であったが、2012年1月16日、日本政府は本島を含む39のEEZの基点となる無名の無人島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示した[1]。 同年1月30日には、そのうち本島の名称が北小島に内定したと報じられ[2][3]、3月2日には内定通りに名称が決定したことが発表された[4]。また、本島と同時に、久場島付近の他の2島も北小島、北西小島と命名されるとともに、大正島付近にある無名島のひとつも北小島と名付けられた[4]。電子国土ポータルにおいては決定した名称が記載されており、紙ベースの地図については版の更新に合わせて順次名称を掲載していく予定[4]。
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367.南小島  ・東シナ海
南小島(みなみこじま)は、尖閣諸島の無人島のひとつ。日本が実効支配し、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。別称は鳥島[3]。
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368.大東諸島
大東諸島(だいとうしょとう)は、沖縄諸島の東部にある島嶼群。北大東島、南大東島および無人島の沖大東島とその付近の西南西小島、南西小島から成る。行政区分は、北大東島及び沖大東島が沖縄県島尻郡北大東村、南大東島が同郡南大東村である。 明治時代に八丈島からの開拓団が入植するまでは、全島が無人島であった。即ち、現在沖縄県に属す島でありながら、琉球王国には属していたことはなく、明治以前に琉球文化が伝えられることもなかった。そのため、大東諸島の住民は沖縄県民ではあるものの琉球民族には属していない。歴史については、上記各島及び両村の記事を参照。
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369.沖大東島
沖大東島()は、大東諸島に所属する島である。別名ラサ島(、英: Rasa Island)[注釈 1]。行政区画は全島が沖縄県島尻郡北大東村に属する。
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370.北大東島  ・ 日本(沖縄県島尻郡北大東村)
北大東島(きただいとうじま)は、大東諸島に属する島で、沖縄県北大東村の村域[1]。沖縄本島から東へ約360kmに位置する[1]。北大東島の真黒岬は沖縄県最東端である[2]。人口は約650人[1]。
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371.バクダンおにぎり
バクダンおにぎりは、球形で大型のおにぎりを意味する俗称。バクダンむすびなどとも呼ばれる。一般的には、中にたっぷりと具材を入れ、全体を海苔で包んだものを指す。具材は一種類でなく、複数のおかずが組み合わされることも多い。 語源については、真っ黒で丸い外見が爆弾や砲弾を連想させる、大きくて食べごたえがあるため破壊力が強い、食べ進むうちに中から具材が弾けるなど諸説ある。 沖縄県糸満市発祥のご当地グルメ。「バクダンかまぼこ」や単に「バクダン」とも呼ばれている[1]。ご飯を魚のすり身で包んで揚げたもので、通常とは逆に外がかまぼこで中がご飯となっている[2]。中身のご飯にはジューシーなどが使用されることが多い[2]。
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372.タイモ
タイモ(田芋)は、浅い水を張った畑(水田)で栽培されるサトイモ。「ミズイモ(水芋)」とも呼ばれる。 主に日本の南西諸島の各地で栽培されており、地域によって呼び名が異なる。沖縄島では「ターンム」(金武町では「ターム」または「ターマーム」)、与論島では「ターヌウン」、沖永良部島では「ターニウム」、奄美大島では「ターウム」、喜界島では「ウム」などと呼ばれている。
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373.沖縄料理
沖縄料理(おきなわ りょうり)は、沖縄県の郷土料理のこと。琉球料理(りゅうきゅう りょうり)とも呼ばれるが、この場合は琉球王朝時代の宮廷料理を指すことが多い。「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な『琉球料理』」は、2019年に日本遺産として認定された。
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374.アーサ汁
アーサ汁(アーサじる[1])は、沖縄県の郷土料理。ヒトエグサと島豆腐を使った汁物のこと。アーサー汁[2][3]、アーサ(アーサー)スープ[4][5][6]とも呼ばれる。
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375.アダン
アダン(阿檀[9]・亜壇[9]、学名: Pandanus odoratissimus)は、タコノキ科タコノキ属の常緑小高木。亜熱帯から熱帯の海岸近くに生育し、非常に密集した群落を作る。時にマングローブに混生して成育する。
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376.アヒル
アヒル(鶩、家鴨、鴨[1])は、水鳥であるカモ科のマガモを原種とする家禽。生物学的にはマガモと同種である。ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている。
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377.油味噌かつサンド
油味噌かつサンド(あぶらみそかつサンド)は、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の那覇空港駅で「日本最西端の駅弁」として販売されているカツサンド。 2012年(平成24年)8月10日に販売を開始した[1]。 島尻郡八重瀬町に本社を置き、那覇空港駅構内に「35コーヒー」を出店しているコーヒー販売事業者の宗英道が製造・販売しており、駅構内で売られている「駅弁」としては日本最西端である。材料は全て沖縄県産品で、トンカツは沖縄ハム総合食品(中頭郡読谷村)、油味噌(アンダンスー)は赤マルソウ(糸満市)、パンはオキコ(中頭郡西原町)製のものが使用されている。 なお、沖縄県内では同じゆいレール沿線の壺川駅近郊において那覇市沿岸漁業協同組合が経営する壺川直売店さかなが「日本最南端の駅弁」を称する『海人がつくる壺川駅前弁当』を販売していたが、壺川駅前弁当は壺川駅構内では売られたことがない。そのため、厳密な意味での「駅弁」に含まれないとする解釈を採る場合は沖縄都市モノレールの企業公認により那覇空港駅構内で売られている油味噌かつサンドの方が最西端かつ最南端の駅弁と言うことになり、地元メディアの報道でも油味噌かつサンドの方を「沖縄初の駅弁」としている[1]。
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378.アンダンスー
アンダンスーは、沖縄料理の一つで、味噌を豚の脂肪(ラード)で炒めたもの。食用の舐め味噌の一種。油味噌(あぶらみそ)、アンランスー、アンダンス、アンダミスーとも呼ばれ、ご飯に乗せて食べる他、おにぎりの具として中に入れられることが多い。アンダは油、ミスーは味噌の意味[1]。 味噌と細かく切った豚の脂身を炒め、砂糖や酒(泡盛)などで調味して作られる。味噌も豚の脂肪も、高温多湿の沖縄の環境下では重要な保存食であり、その二つを結びつけた一種の常備菜としての性格を持っていたのがアンダンスーであった。 もともとは各家庭で作られる保存食だが、現在は市販品も多く販売されている。また、地域によっては豚肉でなく、魚や貝、タコなどの海産物を加えたアンダンスーも生産されている。
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379.石垣牛
石垣牛(いしがきぎゅう、いしがきうし)は、沖縄県石垣市及び八重山郡(竹富町、与那国町)で生産・育成され、一定の条件を満たす黒毛和種の牛肉である。
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380.石垣島ジンジャーエール
石垣島ジンジャーエール(いしがきじまジンジャーエール)とは、石垣島にある日本最南端の清涼飲料水製造所「石垣島ジンジャーエール工房」において生産されているジンジャーエールである。 2008年に石垣市内のメキシカンレストランにて製造を開始し、翌2009年春から販売を開始した。同年12月からは石垣島ジンジャーエール工房にて製造および販売を行っている。 原材料に、秋ウコン、島唐辛子、島胡椒、月桃の実など、島特産の香辛料や黒糖が使用されている。また、生姜やその他原材料も国産のものが使用され、酸化防止剤や香料は添加していない。カクテルの材料としても使用されている。
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381.石垣島ラー油
石垣島ラー油(いしがきじまラーゆ、愛称:石ラー(いしラー))は、沖縄県石垣市石垣島のみで製造されている具材を食べるタイプのラー油(辣油)である。2000年(平成12年)に販売が開始された。
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382.イナムドゥチ
イナムドゥチは、沖縄県の郷土料理。具沢山の味噌汁で、お祝い料理のひとつである。語源は「猪もどき」で、イナムルチと表記されることもある。その名の示すように豚肉を使用した汁物で、細い短冊切りにした豚の三枚肉、こんにゃく、かまぼこ、しいたけ、油揚げなどを、九州地方特有の甘い白味噌仕立てにしたもの。盆や正月に多くの家庭で作られるほか、食堂のメニューに加えられていることもある。また、味噌ではなく醤油味の澄まし汁仕立てにしたものはシカムドゥチ(鹿もどき)と呼ばれる。
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383.イリチー
イリチーとは細かく切った素材にだし汁を加えて炒り付けた沖縄料理。「炒り付け(イリチキ)」の転訛であり、イリチャーともいう。 主に豚肉の茹で汁を使用するが、素材によっては昆布や鰹のだしを使用したり、手軽に即席だしの素などで代用する場合もある。強火で短時間で炒めあげるチャンプルーと比べ、もともとは手のかかる料理として御馳走であった。 その他、豚の血(チー)を使用したチーイリチー、豚の内臓(ナカミ)を使用したナカミイリチー、マコモダケを使用したマクムイリチャーなど、多くの種類がある。 なお、にんじんを細く突いて鶏卵と共に炒りつけた料理は、イリチーではなく「にんじんシリシリー」と呼ばれる。
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384.御冠船料理
御冠船料理(うかんしんりょうり[1][2]、おかんせんりょうり[3])とは、中国の皇帝の命を受け、琉球国王の冊封の儀式を行うために琉球に派遣された冊封使を歓待するために、冊封使一行が琉球に滞在する間に行われた七回の「大宴」で振る舞われた料理である。中国の宴会料理を基本とし、福建料理からの影響が色濃いが、沖縄料理、 日本料理と融合している面も見られる。
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385.海人がつくる壺川駅前弁当
海人がつくる壺川駅前弁当(うみんちゅがつくるつぼがわえきまえべんとう)は、沖縄県の那覇市沿岸漁業協同組合が経営する壺川直売店さかなが販売していた弁当である。2003年8月10日の沖縄都市モノレール線(ゆいレール)開業を記念し、壺川駅を最寄り駅とする直売店さかなが同年1月に京王百貨店新宿店で開催された元祖有名駅弁と全国うまいもの大会で先行販売され、8月のゆいレール開業と同時に正式販売を開始した。 戦前に沖縄本島で営業していた沖縄県営鉄道で駅弁が販売されていたことを示す記録が残っていないこともあり「沖縄初の駅弁」ないし「日本最南端の駅弁」をキャッチフレーズにしているが、通常の駅弁と異なり駅構内で販売されている訳ではないため厳密には「駅弁」とは言えないとする意見もあり、あくまで「駅前」弁当を称している。なお、駅弁大会ではこうした定義に関わり無く他の弁当と同様の「駅弁」として扱われている。
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386.A&Wルートビア
A&Wルートビア(英: A&W Root Beer)は、1919年にロイ・アレンによって始められたアメリカ合衆国の清涼飲料水ブランドである。 元はファーストフードチェーンA&Wレストランの事業だったが、ドクターペッパー/セブンアップ(Dr Pepper/Seven Up, Inc.、ドクターペッパー、セブンアップ等を生産)の手に移り、その後の合併により、現在のオーナーはドクターペッパー・スナップル・グループ (Dr Pepper Snapple Group Inc.) である。 日本でも沖縄県限定に近い形で輸入品が355mlの缶入りを中心に販売されており、沖縄県外でも輸入食材を扱う店等で販売されている。同県に展開するA&W沖縄(A&Wレストランの現地法人)の店舗ではメニューを注文している客は無料でルートビアを飲める。
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387.A&Wレストラン
A&Wレストラン(エイアンドダブリュレストラン、英: A&W Restaurants, Inc.)は、アメリカ合衆国、インドネシア、日本の沖縄県などに展開するハンバーガー、ルートビアなどを主力商品とするファストフードチェーンの本社企業である。 かつては「A&Wルートビア」ブランドも保有していたが、現在はドクターペッパー・スナップル・グループ(Dr Pepper Snapple Group)の手に渡っている。
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388.沖縄のラーメン文化
沖縄のラーメン文化(おきなわのラーメンぶんか)では主に沖縄県、特に沖縄本島中南部の飲食店で出されるラーメン文化やラーメン事情について解説する。 後述するように2014年現在では、沖縄ラーメンを謳った店舗はあるものの、「沖縄ラーメン」の定義についても確立しておらず、また歴史としても浅いものである。
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389.オニササ
オニササは、沖縄県石垣市発祥のB級グルメ。おにぎりとウスターソースやマヨネーズ等で味付けした鶏ササミフライとをビニール袋に入れ、一体になるよう握って形を整えたものである[1][2][3][4][5]。 1981年5月に営業を開始した石垣市登野城の知念商会が元祖とされる。同店は営業開始からしばらくして鶏ササミフライの販売を始めたが、オニササがいつ誕生したかの記録はない。店内の食品ケースで別々に販売されていた鶏ササミフライとおにぎりを、近くの中学生や高校生が工夫するうちに自然と考案され、八重山農林高等学校の生徒がオニササと呼ぶようになった[6][7]。知念商会によれば、ある大会で優秀な成績を収めた同校の郷土芸能部が沖縄のテレビ局の取材を受け、パワーの源を尋ねられて「オニササ! オニポー! オニコロ」と答えたことから広まったという。「オニササ」および「おにささ」は知念商会の登録商標である[1][2]。
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390.オヤビッチャ
オヤビッチャ (親美姫、学名:Abudefduf vaigiensis) は、スズキ目スズメダイ科に属する魚の一種。
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391.カーブチー
カーブチー(学名:Citrus keraji var.kabuchii hort.ex Tanaka)は、沖縄県原産で、ミカン科ミカン属の柑橘。名称は「皮(が)分厚い」の意。 直径4-5cmほどの小型のみかんで、ごつごつしてあまり見栄えはよくないが、特有の香りと爽やかな甘みがある。その名のとおり果皮が厚く浮皮となるため剥きやすいが、可食部が小さく歩留まりが悪いため商業的価値は高くない。また野生種のため種が多く食べづらいの難点である。早生で減酸が早いため、10月から11月上旬に青切りで収穫される。生産量は60トン程度で、そのほとんどが県内で消費される。
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392.角煮
角煮(かくに)とは、角切りにした食材を調味料で煮た料理。 現代の日本語においては、中華料理の東坡肉に起源を持つ豚肉の醤油煮込みを指すことが多いが、豚や醤油だけではなく、ほかの食材や調味料で作った角煮はアジア各国で普遍的に存在している。
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393.カステラかまぼこ
カステラかまぼこは、日本の水産加工食品。地方によって同名の食品がある。
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394.カチューユー
カチューユー(鰹湯、かちゅー湯)とは、鰹節を使った沖縄県地方の汁物料理である[1][2]。その名前の通り、どんぶりなどにたっぷりの削り節を入れてお湯をかけるというきわめてシンプルな料理である。風邪や二日酔いのときに飲む人が多く[3]、沖縄以外の地方でも民間療法としてしばしば用いられる。違いは鰹節の種類にあり、沖縄では裸節という一般的な枯れ節とは異なる鰹節が用いられる。別名、ヤカン汁[4]、湯かけ汁[5]、湯かきみそ汁[6]など。 味噌汁と同様に家庭によって様々なバリエーションがある[3]。味噌味の場合は、味噌を大さじ1または1/2(約9g)ほど入れて熱湯を注ぐ[6][7]。味噌を焼いてから使う家庭もある[5]。醤油味の場合は熱湯を注いだ後に醤油を入れる。好みによりニンニク、刻み青ねぎ[5]、梅干し[2]などを入れる。削り節と一緒に生卵を入れておく人もいる。卵を入れる場合は、ふたをして半熟になるのを待つ。
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395.我部祖河食堂
我部祖河食堂(がぶそかしょくどう)は沖縄そばを提供する飲食店。「元祖・ソーキそば」ソーキそば発祥の地として現在に至る。本店は名護市我部祖河にあり、沖縄本島各地に支店がある。 通常の大衆食堂としてのメニューもあるが、その数は多くなく、もっぱら沖縄そば専門店に近い位置づけである。麺は自家工場で作られたやや細めの中太麺で、名物メニューのソーキそばではその上にソーキが大きく盛りつけられる。スープは豚骨と鰹節で取られており、極めてスッキリとした濃厚な味である。創業者の親族を中心にチェーン展開している。
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396.カラカラ (器)
カラカラ(カラカラーとも)とは、主に琉球文化圏で使用される陶製酒器の一種。通常は泡盛用。
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397.ぐしけん (製パン)
株式会社ぐしけん[1]は、沖縄県うるま市に本社を置く日本の製パン業者である。1951年(昭和26年)に創業した老舗企業であり[3]、沖縄県中頭郡西原町のオキコと並ぶ沖縄県の2大パンメーカーの一つとされる[4][5]。愛称は「ぐしけんパン」[6]。 創業者の具志堅秀一が1951年に、沖縄県宜野湾市で具志堅製菓として創業したのが始まりである[7]。具志堅秀一は戦後にアメリカ軍の食堂で働いた経験を持ち、そこで身につけたパン製造の技術をいかして、製菓所を創業した[8]。戦後まもなく、栄養の高いものがない時代に、「栄養のあるものを作ってみんな元気になって欲しい」という想いがあったそうである[7]。 当初は西原や屋宜原の工場で作った物を宜野湾市から出荷するという形をとっていたが[7]、2005年には工場を統廃合し、高度衛生管理が行える最新の本社工場をうるま市に建設したことで、旧工場に比べて生産性は1.5倍に向上し、品質も向上した[2]。
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398.クネンボ
クネンボ(九年母、学名:C. reticulata 'Kunenbo' )は、柑橘類の一種。沖縄県ではクニブ[1]、クニブー[要出典]と呼ばれる。
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399.クビレズタ
クビレズタ(括れ蔦,括岩蔦、学名: Caulerpa lentillifera)とはイワズタ科イワズタ属に属する海藻。 和名はもと、くびれのあるツタの意味で「クビレヅタ」であったが、2000年に改定された日本産海藻目録より「クビレズタ」に改められた[1]。最新である2005年改訂版でも「クビレズタ」となっている[2]。
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400.グルクマ
グルクマ(英:Indian mackerel、学名:Rastrelliger kanagurta )は、スズキ目・サバ科に属する魚の一種。インド太平洋の熱帯域に広く分布する海水魚で、食用に漁獲される。和名は沖縄方言に由来するが、沖縄県では「グルクマー」と語尾を伸ばして発音・表記される。
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401.黒砂糖
黒砂糖(くろざとう)または黒糖(こくとう)とは、砂糖(含蜜糖)の一種。見た目は黒褐色の固形又は粉末状。原料はサトウキビで、茎の搾り汁に中和・沈殿等による不純物の除去を行い、煮沸による濃縮を行った後、糖みつ分の分離等の加工を行わずに冷却して製造したものを指す[1]。 英語ではスペイン語またはポルトガル語に由来するmuscovadoで[2] 、brown sugarの一種である。日本語でのブラウン・シュガー(茶色の砂糖の総称)とは異なる。
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402.ゲットウ
ゲットウ(月桃、学名:Alpinia zerumbet)は、ショウガ科ハナミョウガ属(アルピニア属)(Alpinia)の常緑性多年草。沖縄の地方名で、サンニン、サニンなどともよばれる[6]。
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403.コーレーグス
コーレーグスは、
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404.コリアンダー
コリアンダー(英: coriander; 学名: Coriandrum sativum)は、セリ科コエンドロ属の一年草である。日本には10世紀ごろに渡来した。日本においては、英語由来のコリアンダーのほか、和名のコエンドロ(胡荽[2])、タイ語由来のパクチー、中国語由来のシャンツァイ(香菜[2])などと呼ばれる。癖のある香りと風味があり、古くからタイや中国など世界各地で広く食用(野菜および香辛料)とされている。エスニック料理には欠かせないハーブの一種に数えられ、葉だけではなく結実した種子もスパイスに使う。 リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである[3]。
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405.サトウキビ
サトウキビ(砂糖黍、甘蔗、学名:Saccharum officinarum)は、イネ科サトウキビ属の植物。砂糖の原料になる。
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406.サメバーガー
サメバーガーは小笠原諸島[1]、上越市[2]、宮古島[3]などのご当地バーガーである。バンズにミートパティの代わりにサメ肉が挟み込まれている。
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407.シークヮーサー
シークヮーサー(和名:ヒラミレモン(平実檸檬)、学名:Citrus × depressa、台湾語:酸桔仔 sng-kiat-á ) は、ミカン科の常緑低木、柑橘類。日本語の沖縄方言で「シー」は「酢」[1]、「クヮースン」は「食わせる」の意味で[2]、「シークヮーサー」という名称は「酸食わし」「酢食わし」という意味になる[3]。果実は小粒で、酸味が強い未熟果の果汁は調味料やジュースとして利用される。
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408.ジーマーミ豆腐
ジーマーミ豆腐(じーまーみどうふ)は、落花生(ピーナッツ)を使った沖縄県や鹿児島県の郷土料理。ジーマーミ(漢字では「地豆」)は琉球語で落花生を意味し[1]、地域によってジーマミー(ヂーマミー)などとも言う。南西諸島以外ではピーナッツ豆腐、落花生豆腐、だっきしょ豆腐とも呼ばれる。
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409.シカクマメ
シカクマメ(四角豆[3]、学名: Psophocarpus tetragonolobus)は、マメ科シカクマメ属の多年草(日本では冬季に枯れるので一年草扱い[4])。熱帯アジア原産[3]、またはマダガスカル原産といわれる[4]。さやの断面は四角形で、4枚の翼状のひだがついた形状が特徴的なマメで、食用にされる。 ビルマやインド、インドネシア、パプアニューギニアなどの東南アジア、日本では沖縄県や小笠原諸島など、熱帯から亜熱帯地域で広く商業栽培されており[4][3]、日本本土でも家庭菜園や緑のカーテン向けに栽培が広まっている。
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410.島寿司
島寿司(しまずし)は東京都の伊豆諸島にある八丈島の郷土料理[1]で、握り寿司の一種である。 寿司種を薄く切り醤油主体のたれに軽く漬けて醤油漬とし、砂糖でやや甘味を強くした酢飯で握る[1]。この際、ワサビの代わりに練りがらし(粉がらしを練ったもの)を使うのが特徴である[1]。なお、伊豆大島では練りがらしではなく、醤油主体のタレに青唐辛子を加えており、その寿司種の色から「べっこうずし」とも呼ばれる。 島で水揚げされるカジキ、シイラ、イサキ、カンパチ、メダイ、オナガダイ、アオゼ、キンメダイ、マグロ、カツオ、トビウオ等が使用される。伊豆諸島南部及び八丈島からの移住者が多い小笠原諸島でも作られており、小笠原ではサワラを使うのが一般的である。また、戦前には硫黄島でも作られていた(酢の代わりに島で栽培されていたレモンを用いる事もあったという)[2]。島のりと呼ばれるイワノリの佃煮の握りを一人前に一つか二つ添えることも多い。
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411.島豆腐
島豆腐(しまどうふ)は沖縄県の豆腐。沖縄豆腐ともいう[1]。かつては大豆からおからを分離し、豆乳だけを煮て温かい状態で販売されるという特徴があった[2]。 近年は日本の他地域と同様に大豆を先に煮てから分離し、冷たい状態で販売する事業者が沖縄でも増えているため、2014年の時点で島豆腐の明確な基準はない[2]。
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412.島らっきょう
島らっきょう(しまらっきょう)は、沖縄県独自のラッキョウの品種。本土で栽培される一般のラッキョウに比べると、小型で香味が強い。天ぷらや甘酢漬け、塩漬けなどにして食べられるほか、チャンプルーの具材にも使われる[1][2]。
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413.ジャーマンケーキ
ジャーマンケーキ (German chocolate cake、もともとはGerman's chocolate cake) は、生クリームを挟んだ2層のチョコスポンジケーキの上にココナッツフィリングを塗って作られたケーキ[1]。チョコレートケーキの一種。 アメリカ合衆国では6月11日が「ジャーマン(チョコレート)ケーキの日」として記念されている[2][3][4]ほどポピュラーな料理である。 日本国内では、太平洋戦争後にアメリカによる統治の影響を受けた沖縄県で祝い事の定番となり、洋菓子店やスーパーマーケットで広く売られているが、本土ではほとんど知られていない[1]。 1852年、アメリカのベーカーズチョコレート社(Baker's Chocolate Company)のサミュエル・ジャーマン(Samuel German)が開発したケーキ用チョコレート "Baker's German's Sweet Chocolate" に由来する。それから100年以上を経た1957年になって、同チョコレートを用いるこのケーキのレシピが一人の主婦によりテキサス州ダラスの新聞に投稿され、当時ベーカーズの商標を所有していたゼネラルフーヅ社がアメリカ各地に広めたため、ジャーマン考案のチョコレートの知名度をも一気に押し上げることになった。それゆえ「ジャーマンケーキ」の名称は「ジャーマン氏のチョコレートを用いたケーキ」という意味であり、「ドイツ風(チョコレート)ケーキ」というのは誤りである。
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414.ジャスミン茶
ジャスミン茶(ジャスミンちゃ、英語: jasmine tea)、中国語では茉莉花茶(モーリーフアチャー、拼音: mòlìhuāchá[1])とは、中国茶のひとつ。中国においてもっとも有名な茶の香りである[2]。 いわゆる六大茶とは別の花茶(フアチャー、拼音: huāchá[1])に分類され、ジャスミン茶はその代表的なものといえる。花茶を含めて中国茶を七大茶と分類する場合もある。フレーバーティーの一種。 茶葉にモクセイ科ソケイ属のマツリカ(茉莉花、アラビアジャスミン)の花の香りを吸着させたもので、もっとも有名な花茶である。強い花の香りを持つが茶の味を妨げることはない。一般的には緑茶が用いられるが、白茶や烏龍茶、プーアル茶が用いられているものもある。
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415.ジュウロクササゲ
ジュウロクササゲ(十六大角豆、学名: Vigna unguiculata ver. sesquipedalis)はササゲの一亜種(品種とする説もある)。アフリカ原産のササゲには蔓(つる)が長い蔓性と、蔓なしの矮性の2種類があるが、十六ささげは蔓性である。地域によっては「長ささげ」、「十八ささげ」、「十八豆」、「三尺ささげ」、「ふろう豆」、「ほろ豆」などとも呼ばれ、主に若い莢を食用にする。
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416.スイゼンジナ
スイゼンジナ(水前寺菜[3]、学名:Gynura bicolor)は、東南アジア原産のキク科サンシチソウ属の多年草である。別名キンジソウ(金時草)ともよばれ、加賀野菜の一つとして知られる。
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417.スクガラス
スクガラスは沖縄県と奄美群島の塩辛。奄美大島ではスクガラショと言う。アイゴの稚魚を原料とする[1]。沖縄や奄美の方言でスクはアイゴの稚魚、カラスは塩辛を意味する[1]。
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418.ステーキソース
ステーキソース(Steak sauce)は、主にイギリスおよびアメリカ合衆国でステーキ用の調味料として使用される濃茶色の濃厚ソースである。用途や色調、稠度などは日本のトンカツソースに似ているが、成分や風味は大きく異る。 色は通常茶色か橙色で、野菜、果物、モルトビネガー、香辛料等さまざまな材料から作られる。強い酸味と甘味があり、ウスターソースに似たコショウの風味も持つ。強い塩味と酸味のためソース単体の味わいは荒々しく、日本のソースのような感覚で大量にかけると味を損ねやすい。 ステーキソースの2大ブランドはいずれもイギリス発祥である。イギリスではHPソース(英語版)、アメリカではA1ソース(英語版)が最も人気が高く定番となっている。それ以外にも多くのメーカーからさまざまな製品が販売されているが、大半はHPソースやA1ソースに類似した風味である。ただし、ハインツ社の作る57ソースは他のステーキソースと異なり、暗い黄橙色で、マスタードシードで味付けしたトマトケチャップの味に近い。日本で製造販売されている英米風のステーキソースとしては、沖縄の有名ステーキハウスのオーダーによって製品化された木戸食品(兵庫県明石市)のドリームNo.1ステーキソースがある。
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419.スパム
スパム(英語: SPAM)は、アメリカ合衆国のホーメル・フーズが販売するランチョンミート(香辛料などを加えた挽肉を型に入れて熱して固めたもの、ソーセージミート)の缶詰。ポークランチョンミート(ポーク缶)の一種である[1]。
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420.スパムむすび
スパムむすび(英語:spam musubi)は、日本の伝統的な料理であるおにぎり・海苔巻きとアメリカ軍糧食として太平洋の島々に普及した「スパム」を基に作られた、ハワイ州で一般的に食される軽食である。
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421.スラブ打ち
スラブ打ち(スラブうち)、ないし、スラブ打つ(スラブうつ)は、おもに鉄筋コンクリート造の家を建てる際の、上棟式に相当する沖縄県の風習[1][2][3]。 沖縄県ではコンクリート造の建物の天井スラブを打つ、すなわち、天井部分にコンクリートを流し込む作業のことを指して「スラブ打ち」とよぶ[3][4][5]。これが終わると建物の外観が整うため、建設途中の区切りとされる[3][5][6]。このため、これを祝って、施主が職人たちに慰労の振る舞いをする習慣が、鉄筋コンクリート造の家屋が多い沖縄県に成立したものである。 振る舞われる料理としてはヒージャー汁(山羊汁)が伝統的とされるが[1]、人によって好き嫌いがあることを配慮し、ソーキ汁、牛汁などの肉汁もよく用いられる[2][7]。また、簡単にお茶やお弁当だけの用意で済ます場合や、特に何もしない場合もある[2]。いずれの料理にせよ、現代ではケータリングなどによることが一般的である[7][8]。
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422.ソテツ
ソテツ(蘇鉄[6]、蘓鉄[7]、学名: Cycas revoluta)は、裸子植物のソテツ目、ソテツ科、ソテツ属に属する常緑樹の1種である。幹の頂端に大きな葉が多数密生する(図1)。外観はヤシや木生シダに似ているが、系統的には全く遠縁であり、この類似性は他人のそら似である[8]。幹は、枯れ落ちた葉の基部が残ってうろこ状に覆われている。雌雄異株であり、雄株は細長い円柱状の小胞子嚢穂("雄花")を、雌株は大胞子葉が密生したドーム状の構造("雌花")を、それぞれ茎頂に形成する(図1)。大胞子葉について成熟した種子("実")は赤朱色になる。根には窒素固定能をもつシアノバクテリア(藍藻)が共生しており、貧栄養地でも生育できる。九州南部から南西諸島、台湾、中国南部に分布する。ソテツを含めてソテツ類は、中生代から形態的にあまり変わっていないため、「生きている化石」ともよばれる[8]。
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423.蘇鉄味噌
蘇鉄味噌(そてつみそ、英語 Cycad miso)は、鹿児島県奄美群島や沖縄県の粟国島で生産されている、ソテツの実から取ったデンプンと玄米と大豆を原料にした味噌[1]。奄美方言でソテツの種子を「ナリ」といい、なり味噌(なりみそ、なりみす)ともいう[2][3]。主に味噌汁用の調味料として用いるものと、主に嘗味噌(なめみそ)として食用にするものに分かれる[3]。
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424.ダイジョ
ダイジョ(大薯、ダイショ)は、ヤムイモ(ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属の食用種)の1種の芋類。学名 Dioscorea alata。シンショ(参薯)、デンショ(田薯)、コウシャイモ(拳薯)、オキナワヤマイモ(沖縄山芋)、タイワンヤマイモ(台湾山芋)、ウベ (フィリピン語:ube)、パープルヤム (purple yam)、ウォーターヤム (water yam) とも。奄美方言ではこうしゃまんという。 ときおり同属のヤマイモの1種と誤解されるが、ヤマイモ(ヤマノイモ、D. japonica)は同属別種である。ショヨ(薯蕷)とも混同されるが、ショヨはナガイモ(D. polystachya)のことで、これも同属別種である。
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425.闘鶏餃
闘鶏餃(たうちぃちょう)は琉球王朝時代より沖縄県で作られている[1]揚げ菓子である。本来の読みは「とうちいちょう」だが、方言による訛りと旧仮名遣いの誤読や誤記により、今日では「たうちいちょう」「たうちいちゃう」「たわちいちょう」などと表記・発音されることが多い。
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426.タコライス
タコライス(英語:Taco Rice)は、タコスの具材を米飯の上に乗せた沖縄県の料理である。トマトベースのサルサ(スペイン語で「ソース」の意味)をかけて食べる。1984年に沖縄県金武町の新開地で誕生した[1][2]。 沖縄県内では1990年代から学校給食に採用される。
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427.タンカン
タンカン(桶柑、短柑、学名:Citrus tankan)は、ミカン科の常緑樹。ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種のタンゴール (tangor) の一種である。
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428.チャップステーキ
チャップステーキ、チャプステーキは、一口大に切った牛肉のステーキと野菜を炒め合わせた料理。日本では沖縄県のステーキハウス、大衆食堂、居酒屋などにみられるメニューである。 甘酸っぱくとろみのあるステーキソースがからめられる[1]ことが多いが、店によってオリジナルの味付けを施す場合もある。沖縄には第二次大戦後の占領期に米軍から伝わったとされており、同時期に米軍が駐屯した韓国でも人気料理として定着している[2][3]他、ハワイにおいてもドライブインレストランやプレートランチにおける一般的なメニューとなっている[4][5][6]。 英語のChop Steak、あるいはChopped Steak(小さく切ったステーキ)に由来するウチナー英語のひとつであるが、ケチャップステーキが語源であるとか箸(Chopstick:チャップスティーク)で食べられるからなどといった独自の解釈をする者もあり[7]、実際にトマトケチャップを用いるレシピや、みそ汁などを添えた定食として箸で食べさせる飲食店も散見される。
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429.チャプスイ
チャプスイ(李鴻章雑砕、繁体字: 李鴻章雜碎、簡体字: 李鸿章杂碎、英語: chop suey)は、アメリカ式中華料理の一種である[1]。広東省台山式の広東料理、炒雑砕(チャーウチャプスイ、繁: 炒雜碎、簡: 炒杂碎)がもとになった料理[2]で、モツまたは豚肉や鶏肉、タマネギ、シイタケ、モヤシなどを炒めてスープを加え煮た後に水溶き片栗粉でとろみをつけ、主菜としてそのままあるいは白飯や中華麺に掛けて食す。苦力として渡米した台山県周辺出身者が食べていた、モツ野菜炒めが変化したものと考えられる。広東語の「雑」(繁: 雜、簡: 杂)にはモツの意味がある。例えば「牛雑」(繁: 牛雜、簡: 牛杂)は牛モツ。
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430.チャンプルー
チャンプルーは、豆腐と野菜などを炒めた沖縄料理。
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431.美らキャロット
美らキャロット(ちゅらキャロット)は沖縄県糸満市で生産されるニンジンの総称である。主に糸満市南部の喜屋武地区で生産されている。沖縄県内のニンジン生産量第1位を誇る糸満市では、1995年(平成7年)度に国から「野菜指定産地」としての認定を受け、ニンジンの供給基地として定着し、消費者のニーズに応える産地ブランドの確立・生産農家の意識高揚を図ると同時に、消費者の拡大・販売促進活動を積極的に取り組んできた。 こうした生産農家、JA、行政機関の一体となった取り組みにより、2006年(平成18年)1月24日に沖縄県から「にんじん拠点産地」としての認定を受け、美らキャロットがおきなわブランドとして商標登録された。
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432.ツルナ
ツルナ(蔓菜[3]、蕃杏[4]、学名: Tetragonia tetragonioides)はハマミズナ科[注 1]ツルナ属のつる性多年草。別名ハマヂシャ。多肉で海岸の砂地に生え、若い茎を摘んで食用にもされる[5]。
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433.ツルムラサキ
ツルムラサキ(蔓紫[2]、学名: Basella alba)は、ツルムラサキ科ツルムラサキ属のつる性一年生草本である。東南アジア原産の野菜で、現在は東南アジアから中国南部に分布する。生育旺盛で栄養を豊富に含む緑黄色野菜で、つやがある茎葉と独特のぬめりがある。
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434.ツルレイシ
ツルレイシ(蔓茘枝、蔓荔枝、学名: Momordica charantia var. pavel)は、ウリ科の植物の一種、およびその果実である。原産地は熱帯アジア。おもに未熟な緑色の果実を野菜として利用する。一般的には、ニガウリ(苦瓜)[4] もしくはゴーヤーと呼ばれる。
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435.ツワブキ
ツワブキ(石蕗[11]・艶蕗[12]・橐吾[13]、学名: Farfugium japonicum)は、キク科ツワブキ属に属する常緑多年草である。海岸近くの岩場などに生え、初冬に黄色い花を咲かせる。昔から民間薬や食用野草として知られ、若い葉柄が食べられる。観賞用に庭園に植えられることもある。
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436.豆腐よう
豆腐よう(とうふよう、豆腐餻)は、豆腐を使った沖縄独自の発酵食品である[1][2]。
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437.ドゥル天
ドゥル天(どぅるてん)は、タイモを使った沖縄県の揚げ物料理。ドゥルワカシーに衣を付けて揚げることで作る[1][2]。ひらがなで「どぅる天」とも書く。沖縄県の郷土料理だが、その歴史は新しい。
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438.東道盆
東道盆(とぅんだーぶん)は、琉球王国の宮廷料理「五段のお取持」(ぐだんぬぅうとぅいむち)の料理の一つ。また、それを盛りつける漆塗の蓋付きの盆のこと。 琉球漆器製の、上から見た形は六角形の盆状の器で、料理の乾燥を防ぐための共蓋が付いている。中は中心に盆をそのまま小さくした六角形(或いは丸形)のスペースがあり、周囲に器の辺に応じた6つの仕切があり、合計7区画に分かれている。 宴会料理の器であるため豪華な装飾が施されるのが通例であり、螺鈿や堆錦などの細工が施された。 「五段のお取持」は中国(明や清)からの答礼使である「御冠船」(うかんしん)の接待料理、御冠船料理に、薩摩藩の影響下で導入された本膳料理の影響を受けて発達した料理であるが、東道盆は「五段のお取持」の二の膳と三の膳の間に酒(泡盛)のつまみとして出された料理で、オードブルに相当する。
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439.トカドヘチマ
トカドヘチマ(十角糸瓜)は、ウリ科の植物。ヘチマの近縁種である。表面がなめらかなヘチマと違い、10本の稜線(角)があることからこの名がついた。インド原産で、南アジアから東南アジア、東アジアにかけての広い範囲で栽培があり、日本でも沖縄県や鹿児島県、熊本県で栽培が行われている。ヘチマと同じように観葉植物や食器洗いのスポンジとしての利用もあるが、もっとも大きな利用は未熟果を野菜として食べることである[1]。炒め物や煮物などに使用される。
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440.豚足
豚足(とんそく)とは、食用とされる豚肉の部位で、通常は趾骨周囲の部分を指す。中国、台湾、韓国、東南アジアなどでは一般的な食材であり、日本では沖縄県や鹿児島県奄美群島(旧琉球国文化圏)でよく食べられている。
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441.なかよしパン
なかよしパンは、沖縄県の製パン業者である株式会社ぐしけん(うるま市)で製造されている菓子パン[1]。沖縄の本土復帰前から販売されているロングセラー商品である[2]。ぐしけんで販売されているパンの中でも、売れ筋の上位を占める定番であり[3]、ぐしけんの看板商品の一つである[4]。タコライスやサーターアンダギーに並ぶ沖縄のソウルフードとの声もある[5]。
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442.にんじんしりしり
にんじんしりしりは、沖縄県の郷土料理である。「しりしり」という言葉は「千切り」という意味の沖縄の方言。にんじんしりしりは日常的な家庭料理として沖縄県全域で食されている。スライサー(千切り器)で細くおろした人参と卵を炒めて調味料で味付けした料理。沖縄の家庭で手軽に作られている。「しりしり」というのは繊切りという意味の沖縄方言である。また、スライサーを使う時の「すりすり」という音から名前がついたという説もある。 沖縄では専用の「しりしり器」を用いることが一般的で、沖縄の家庭では「一家に一台」レベルで普及しているとも言われる[1]。一般的なスライサーとの違いは「刃がやや甘め」になっていることで、出来上がりの切り口がギザギザになり油や調味料がなじみやすくなる[2]。
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443.ノコギリガザミ
ノコギリガザミ(鋸蝤蛑)は、十脚目(エビ目)ワタリガニ科ノコギリガザミ属 Scylla に分類されるカニの総称。日本南部を含むインド太平洋の熱帯・亜熱帯域に分布する大型・沿岸性のカニであり、重要な食用種でもある。
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444.ハスイモ
ハスイモ(蓮芋、学名:Colocasia gigantea[1][2])は、サトイモ科サトイモ属の常緑性多年草である。サトイモの近縁種で、分類上は別種であるが、栽培上はサトイモの同類として扱われる[3]。塊根は小さくて食用にならないが、長い葉柄の芋茎、茎長80センチメートル (cm) が食用になる[4]。
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445.ハタ (魚類)
ハタ(羽太、英名:Grouper)は、スズキ目ハタ科ハタ亜科[1] Epinephelinae に属する魚の総称。ハタ亜科はマハタ亜科とよぶ場合もある。英語ではgrouperというが、香港やシンガポールではポルトガル語風にガルーパgarrupaと呼ばれる事も少なくない。
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446.パパイヤ漬け
パパイヤ漬け(パパイヤづけ)は、パパイアの未熟な果肉を塩漬けした後、味噌や醤油等の調味料で味付けした漬物である。主に鹿児島県の奄美群島で作られている他、沖縄県でも作られている。パリパリした食感があり、みやげ物としても広く販売されており、鶏飯(けいはん)の薬味にもする。
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447.ヒカゲヘゴ
ヒカゲヘゴ(日陰杪欏、学名:Cyathea lepifera)は、ヘゴ科の多年生のシダ植物である。
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448.ヒトエグサ
ヒトエグサ(一重草、学名:Monostroma nitidum)はアオサ藻綱ヒビミドロ目ヒトエグサ科ヒトエグサ属の海藻の一種[2]。 食用とされる「あおさ」「あおのり」の多くは本種であり、食品として広く活用されている海藻である[3]。
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449.ヒハツモドキ
ヒハツモドキ (学名: Piper retrofractum) は、コショウ科コショウ属に属するつる性木本 (藤本) の1種である(図1)。果実は香辛料や生薬に利用される。別名としてジャワナガコショウ、サキシマフウトウカズラなどがある (右和名欄参照)。ヒハツとよばれることもあるが[2]、2020年現在ふつうこの名は同属別種の Piper longum (この種はインドナガコショウともよばれる[5]) に充てられる。東南アジアに分布し、八重山諸島では香辛料用に栽培され、この香辛料は島胡椒 (島こしょう)、ヒバーチ、ピパーツ、ピパーチ、ピーヤシ、フィファチなどとよばれる[6]。
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450.ヒラミ8
ヒラミ8(ヒラミエイト)はJAおきなわが製造・販売する清涼飲料[1]。沖縄県のご当地ドリンクでもある。水で4倍に薄めて飲む希釈用ドリンクである[2]。
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451.ヒラヤーチー
ヒラヤーチーは、沖縄県の家庭料理。「ヒラヤーチー」とは「平焼き」の沖縄方言読みである。宮古島では「ナビパンビン」八重山地方では「ピシャハンビル」と呼ばれる。 小麦粉を水または出汁で溶き、ニラあるいは小ねぎ、その他あり合わせの材料を混ぜ、油を引いたフライパンに流しこんで焼く。いわば、沖縄式のお好み焼きである。好みでソースや醤油をかける。常備している食材と庭で簡単に栽培できる野菜だけで作れる簡単な家庭料理として、台風などで外出できないときによく作られる[1]。
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452.ブクブク茶
ブクブク茶(ブクブクちゃ)は、沖縄県で飲まれる振り茶。煎り米を煮だした湯と茶湯を混ぜて泡立て、その泡を茶湯と赤飯の上に盛って飲む[1]。特徴的な泡が、名称の由来である。
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453.フダンソウ
フダンソウ(不断草[2]、恭菜[3]、学名: Beta vulgaris var. cicla)は、ヒユ科フダンソウ属の一年草 - 二年草。葉菜として改良されたビートの一系統(リーフビート)。別名トウヂサ(唐萵苣)、フダンナ、イツモナ(何時菜)、スイスチャード(英: Swiss chard)。栽培品種スイスチャードに対しては、セイヨウフダンソウ(西洋不断草)の和名があてられる[4]。甜菜やテーブルビートとは同種。
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454.ヘチマ
ヘチマ(糸瓜、天糸瓜、学名: Luffa aegyptiaca)は、インド原産のウリ科の一年草。また、その果実のこと。日本には室町時代に中国から渡来した。別名、イトウリ[3]、トウリ[3]。
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455.ポーク玉子
ポーク玉子(ポークたまご)とは、缶詰のポークランチョンミートと鶏卵を使った料理。沖縄県の大衆食堂の定食メニューの一つである。
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456.ポークたまごおにぎり
ポークたまごおにぎりは、ポーク玉子(ポークランチョンミートと薄焼き卵)を具材にしたおにぎりである[1]。沖縄県発祥の料理とされる[1]。「おにポー」の略称でも親しまれている。
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457.ホソバワダン
ホソバワダン(細葉海菜、Crepidiastrum lanceolatum)は、キク科の多年草である。近縁種のワダン C. platyphyllum より葉が細いことから命名された。 分布は島根県・山口県の日本海側から沖縄、朝鮮半島南部・中国の海岸の岩場から山裾にかけて生育する。高さ約20~30cmで、地表面にロゼット状の葉を広げ、長さは20〜30cmに達する。長楕円形のものと羽状に深裂した葉の2形がある。基部から多くの茎を出し、太く木化する。花は10〜11月に、黄色の舌状花を約12個もつ頭花を散状に開く。2〜3.5cmほどの痩果になる(冠毛は3〜5mm)。 近縁種のアゼトウナ C. keiskeanum に酷似しているが、ホソバワダンは葉が茎の基部を抱くことから区別できる。
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458.ボンカレー
ボンカレー(Bon Curry)は、大塚食品が発売するレトルトカレーの商品名で、同社の登録商標(日本第961090号)。世界初の市販レトルト食品[1]であり、温色で描かれた同心円のパッケージで知られている。2022年現在の主流はフルーツベースのボンカレーゴールドで、甘口、中辛、辛口、大辛の四種類がある。 商品名の由来はフランス語の形容詞 "bon" からきていて、「良い(優れた)、おいしい」という意味である。 一人暮らしの男性(独身)でも温めるだけで簡単に食べられることから「チョンガーカレー」という案もあった[2]。 2024年現在で発売から56年になる。
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459.マガキガイ
マガキガイ(籬貝、学名: Strombus luhuanus)は、盤足目ソデボラ科(スイショウガイ科)に分類される巻貝である。
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460.みき (飲料水)
みきは、鹿児島県奄美群島および沖縄県で伝統的に作られる飲料である。奄美群島のものは乳酸菌[1]発酵飲料で、うるち米を主原料に、千切りや摺り下ろしにした生のサツマイモ、砂糖を原料として用いる。近代沖縄県糸満市等で作られていたものは乳酸発酵スターターのサツマイモではなく、麦芽を加えて、酵素のアミラーゼで米のデンプンを一部糖化したものであったが、現在沖縄県で販売されているものは、米・麦に砂糖を加えて煮た甘い汁粉に近いものである[2]。
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461.味噌汁
味噌汁(みそしる)は、日本料理における汁物の一つで、だしを味噌で調味した汁に、野菜や豆腐、麸や魚介類などの食品を実としたスープ様の料理である[1]。御味御付(御御御付、おみおつけ)ともいう[1]。
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462.森永ヨーゴ
森永ヨーゴ(もりながヨーゴ)は、森永乳業の乳酸菌飲料。主に沖縄県の沖縄森永乳業が製造・販売している。紙パックで販売されており、180 ml - 946 mlの製品がある(沖縄県では牛乳も含め1,000 ml紙パックはほとんど存在せず、1クォート(1/4ガロン)に相当する946 mlが一般的)。パッケージのデザインはマッターホルンと牧場、グラスに入ったヨーゴである。 通常商品のほか、レモン味も存在する[1]。 2008年10月から11月にかけて、地元紙『琉球新報』のマスコットキャラクター「りゅうちゃん」とのコラボ商品として「りゅうちゃんヨーゴ」が沖縄県内のローソンで販売された。容量は473 mlのみで味の変更はなかったが、マッターホルンの右からりゅうちゃんが顔を出している独自のパッケージであった。
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463.ヤギ
ヤギ(山羊、野羊、英: Goat)は、ウシ科ヤギ属(Capra)の動物の総称である[1]。 狭義には家畜種 Capra hircus(分類によっては C. aegagrus の亜種 Capra aegagrus hircus)を指す[1]。
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464.ヤギカレー
ヤギカレーは山羊肉を使ったカレーの一種。カリーゴート、ゴートカリーなどの呼び名もある。 予め香辛料で山羊肉に下味をつけ鍋で煮込んだもの。 おもにジャマイカなどのカリブ海地域や東南アジアに伝わる料理。 日本では沖縄[1]など一部を除いて山羊肉を食べる習慣がない為、メニューが存在する料理店は少ない。
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465.ヤコウガイ
ヤコウガイ(夜光貝)、学名:Turbo marmoratus は、古腹足目リュウテン科に分類される巻貝の一種。インド太平洋のサンゴ礁域に生息する大型の巻貝である。重厚な殻の裏側に真珠層があり、古くから螺鈿細工の材料として利用されてきた。その名前から、夜に光ると思われることがあるが、貝自体は発光しない。産地では食用にも利用される。
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466.ヨウサイ
ヨウサイ(蕹菜[3]〈台湾語白話字:èng-chhài、拼音: wèng cài ウォンツァイ〉、学名: Ipomoea aquatica)は、ヒルガオ科サツマイモ属の野菜。クウシンサイ(空心菜)、エンサイの呼称でも知られる。栽培の中心は中国南部や東南アジアなどの熱帯アジア地域で、ニンニク炒めなどにしてよく食べられている。
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467.ラッキョウ
ラッキョウ(辣韮[4]、学名: Allium chinense)はヒガンバナ科[注釈 1]ネギ属の多年草・野菜。別名は「オオニラ」、「サトニラ」。鱗茎を食用とし、独特の匂いと辛味、歯ごたえがある。
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468.ランチョンミート
ランチョンミート(英: luncheon meat)は、食肉を原料とした料理の一つ。日本では缶詰のものがポピュラーである。別名はソーセージミート[1]。
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469.リングィーサ
リングィーサ(ポルトガル語: Linguiça)とは、豚肉を主原料とし、唐辛子などのスパイスを加えたポルトガル風のソーセージ。 ポルトガル以外では、ブラジル、アメリカ合衆国のハワイ州、カリフォルニア州、ロードアイランド州、マサチューセッツ州南東部、日本の沖縄県などで人気がある。英語圏ではポーチュギーズ・ソーセージ(Portuguese sausage)という名称が一般的である。 沖縄県では以下の3ブランドが販売されているが、英語の発音に倣ってポチギという通称で呼ばれることが多い。県内では非常にポピュラーな商品であるが、本土ではほとんど知られておらず、都市部の輸入食料品店や沖縄食材店、ホームメイドのソーセージ専門店を除いて見かけることはない。
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470.ルートビア
ルートビア(英: root beer)は、アルコールを含まない炭酸飲料の一種。 商品としてのルートビアは、アメリカ合衆国において19世紀中頃に生まれたとされる。バニラや、桜などの樹皮、リコリス(甘草の一種)の根(root; ルート)、サルサパリラ(ユリ科の植物)の根、サッサフラス、ナツメグ、アニス、糖蜜などのブレンドによって作られる。使用原料やその配分は厳密に決まっておらず、銘柄によってさまざまなアレンジが施されている。
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471.六條豆腐
六條豆腐(ろくじょうどうふ)は、豆腐を天日干しにして乾燥させた保存食品。六条、鹿茸、六浄などの文字が当てられることもある。
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472.ンブシー
ンブシーは、水分の多い野菜等の食材を蒸し煮する沖縄料理の調理方法、及び、その調理方法で作った料理。チャンプルー、イリチーと並び、沖縄料理の3大調理法のひとつとされる[1]。ウブシー、ウブサー、ンブサーなどとも呼ばれ、表記は一定しない[2][3]。 元来は、水分を多く含む食材を、水を加えずに食材の水分で蒸し煮する調理法で、豚肉又はランチョンミート(方言名:ポーク)と豆腐を加えて、味噌で味付けすることが多い。また、近年はだし汁を加えることも一般に行われている[4][5][6][7]。代表的なものは、ヘチマ(方言名:ナーベラー)の未熟果を使ったナーベラーンブシーである[5]。 沖縄方言(首里方言)では、「蒸す」を「ンブシュン」といい[8][9]、「ンブシー」には「蒸したもの」という意味がある。つまり、「ンブシー」という語自体には味噌煮という意味合いはなく、醤油味や塩味のンブシーもある[2]。なお、沸騰させた湯の上にセイロを載せて蒸す調理法は、沖縄では「アガラス」(蒸し上げるの意)と表現され、この製法で作られる蒸しパンは「アガラサー」と呼ばれる[10]。
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473.ちむどんどん
『ちむどんどん』は日本のテレビドラマ。2022年度前期放送のNHK「連続テレビ小説」第106作で、2022年4月11日から9月30日まで放送された[1]。沖縄の本土復帰50年を記念し、沖縄本島北部のやんばるを舞台としている[3]。番組制作発表時の公式リリースによると、沖縄料理に夢を懸けるヒロインと強い絆で結ばれた4兄妹の「家族」と「ふるさと」の物語だとされ[3][4]、公式ホームページなどでの記述でも「本土復帰からの歩みを描く笑って泣ける朗らかな、50年の物語」だと謳っている。 タイトルの「ちむどんどん」とは、沖縄方言で「胸がわくわくする気持ち」を表す[3]。
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474.泡盛
泡盛(あわもり)は、日本の琉球諸島で造られる蒸留酒である。 米を原料として、黒麹菌(アワモリコウジカビ)を用いた米麹である黒麹によってデンプンを糖化し、酵母でアルコール発酵させたもろみを単式蒸留器で蒸留して製造する[1]。酒税法上は、単式蒸留焼酎(旧焼酎乙類)または原料用アルコール(「花酒」参照)に分類される。3年以上貯蔵したものは古酒(クース)と呼ばれる。
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475.イムゲー
イムゲー(IMUGE.)は、沖縄県で製造される蒸留酒の商標。語源は芋を原料とした安酒を意味する「芋下」で、琉球王朝時代から大正期にかけて沖縄地域で製造された自家醸造酒である芋酒[1]を現代に復活させた酒である。
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476.芋酒
芋酒(いもさけ、沖縄読み:んむざき)は、日本の沖縄地方で琉球王朝時代から大正期にかけて、サツマイモと黒糖を使用して自家醸造されていた蒸留酒。「芋下(沖縄読み:イムゲー)」とも。本記事では、21世紀に沖縄県内の複数酒造メーカーによって復刻された「イムゲー」についても扱う。
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477.オリオンビール
オリオンビール株式会社(英語: Orion Breweries, Ltd.)は、沖縄県に本拠を置く、日本の大手ビールメーカー。主力商品のブランドである「オリオンドラフト」を指して「オリオンビール」と称することもある。 創業は第二次世界大戦後、アメリカ合衆国による沖縄統治時代の1957年。全国シェアは大手4社(アサヒ、キリン、サントリー、サッポロ)に次ぐ第5位だが、沖縄県内シェアは第1位で、約5割を占める[1]。 このほか、グループ企業によりホテルや泡盛醸造を営んでいる[2](「関連会社」参照)。
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478.泰石酒造
泰石酒造株式会社(たいこくしゅぞう)は、沖縄県うるま市字平良川で清酒を製造・販売している酒造所。日本最南端の清酒酒造所として知られたが[1][2][3]、2024年(令和6年)に酒類卸の南島酒販(沖縄県西原町)と泡盛メーカーの請福酒造(石垣市)に事業承継することになった(日本酒造りの拠点も石垣島となる)[4]。
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479.アイスクリン
アイスクリンは、アイスクリームの過去の呼称であり、牛乳を使わないアイスクリーム風の氷菓のこと[1]。
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480.あまがし
あまがしは沖縄県に伝わる伝統的な菓子。大麦と緑豆、黒砂糖を用いた粥状の食品であり、通常は冷した状態で供される。中国の八寶粥や緑豆湯とほぼ同じ食品であり、大陸あるいは台湾から伝わったと考えられる。 元来はユッカヌヒー(旧暦5月4日)、グングヮチグニチ(旧暦5月5日)に子供の健康を祈る意味で、沖縄の家々で作られたが、現在は缶詰やレトルトパックで販売されており、いつでも気軽に味わうことができる。日本のぜんざいが小豆を使い甘味を強調するのに対し、あまがしは乳酸発酵による麦のとろみと緑豆の爽やかな喉ごしを味わう清涼飲料水のような役割を持っていた。箸やスプーンを用いて食べるが、5月には菖蒲の葉を使って食べる。葉の香が染み込んで旨さが倍増する。なお、菖蒲は端午の節句では、子供の無事息災を祈る呪術的な役割を持っており、本土の端午の節句で食される「ちまき」「柏餅」のような役割である。
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481.石垣島プリン本舗
石垣島プリン本舗(いしがきじまプリンほんぽ、Ishigakijima Pudding Honpo)は、沖縄県石垣市にある石垣島の島プリン、きじむんのがじゅまるバウムを製造、販売する店舗である。 石垣島のお土産、人気スイーツとしてメディアに取り上げられている。人気の石垣島の島プリンはプレーン、紅いも、はちみつ、黒蜜、濃厚、塩、キャラメルと7種類のプリンがあり、この原料として、全て石垣島の厳選された素材を使用していることが特徴である。 TV番組やメディアでも注目され、石垣島観光スポット、石垣島のお土産として有名である。 また、台湾、香港、中国などのメディアでも紹介されたことがきっかけで、外国人観光客からの人気も高い。
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482.御冠船料理
御冠船料理(うかんしんりょうり[1][2]、おかんせんりょうり[3])とは、中国の皇帝の命を受け、琉球国王の冊封の儀式を行うために琉球に派遣された冊封使を歓待するために、冊封使一行が琉球に滞在する間に行われた七回の「大宴」で振る舞われた料理である。中国の宴会料理を基本とし、福建料理からの影響が色濃いが、沖縄料理、 日本料理と融合している面も見られる。
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483.カタハランブー
カタハランブーは、天ぷらの生地のみを油で揚げた沖縄県の食品。 カタハランブーとは「片腹が重(んむ)い」という意味の沖縄方言で、沖縄風てんぷらの生地を鍋肌から垂らし、片側を厚く、もう片方をせんべい状に薄く揚げる[1]。白アンダギー[1][2]またはタラシアギー[1]とも呼ばれている。 甘味はなく、淡い塩味で中身のない衣だけの天ぷらである[2]。 沖縄では「男性」を象徴する食べ物とされており、結納では女性を象徴するサーターアンダギーと対になって出され[1][3]、子孫繁栄などの願いを込めて食べられている[2]。
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484.桔餅
桔餅(橘餅[1]、きっぱん[2])は、沖縄県の菓子の名称。「ちっぱん」ともいう[2]。読み方は「きっぱん」の方が古くからある読み方とされる[2]。 クニブ(九年母 クネンボ[3])やカーブチーなどの柑橘類の実を砂糖でじっくりと煮詰め[2]、砂糖の衣で覆ったものである[1]。琉球王朝期の1731年ごろに中国から伝来したものとされ、王家でしか伝承されていなかった[2]。後に、謝花家が伝統を受け継ぎ、戦前から製造を始めた[2]。 闘鶏餃や鶏卵糕の材料にも用いられている。王朝期は実の形を残して種と果汁を捨てて砂糖の衣を使用していなかったが、いつしか用いられるようになった。サーターアンダーギー、ちんすこう、鶏卵糕とおなじ中国の影響の濃い菓子である。[要出典]
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485.クンペン
クンペンは沖縄の菓子。琉球王国時代から伝わる代表的な琉球菓子の一つ。コンペンとも呼ばれる。 中国菓子の光餅に由来すると考えられているが、近年では薫餅という字が当てられることもある。 材料は小麦粉、砂糖、卵黄、胡麻、落花生、桔餅(九年母の砂糖漬)。小麦粉と砂糖をもとに衣を作り、残りの3つで餡を作る。餡を衣に包んで扁平な円盤状の形が出来たら火で焼く。王朝期は米粉を皮に用いていた。また卵黄のみで衣を作ることもあり、昔は冊封使の歓待料理などで食べられる高級菓子であった。また、法事や祭礼の供え物にも用いられ、聞得大君(最高位の巫女)は黒胡麻餡のクンペンを供えていた。現在でも法事用のお供え物として有名である。
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486.ぜんざい
ぜんざい(善哉)は、豆(主に小豆)を砂糖で甘く煮た日本の食べ物である。 餅や白玉団子、栗の甘露煮などと共に供されることが多い。一般的には豆の原形が存在するものを指して用いられるが、例外もある。
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487.闘鶏餃
闘鶏餃(たうちぃちょう)は琉球王朝時代より沖縄県で作られている[1]揚げ菓子である。本来の読みは「とうちいちょう」だが、方言による訛りと旧仮名遣いの誤読や誤記により、今日では「たうちいちょう」「たうちいちゃう」「たわちいちょう」などと表記・発音されることが多い。
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488.タンナファクルー
タンナファクルーは沖縄県の郷土菓子。 明治時代に、首里で菓子商を営む玉那覇二郎(タンナファ・ジルー)によって考案された。溶かした黒糖に小麦粉と重曹[1]を混ぜてこね、丸く型抜きして焼いた安価で素朴な焼菓子である。元来、琉球王家にはクンペンという胡麻餡入りの高級菓子があったが、庶民には高嶺の花で手が届かなかった。タンナファクルーは、クンペンの代用品で餡を用いていない。 「タンナファクルー」という名称は二郎のあだ名に由来する。「クルー」は「黒(い人)」の意で、二郎が色黒であったためについたあだ名であったという[2]。
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489.ちいるんこう
ちいるんこう(鶏卵糕)は沖縄県の蒸し菓子である。
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490.ちんびん
ちんびん(煎餅)は、琉球(沖縄県)の菓子。水で溶いた小麦粉に黒糖を加えたものを鉄板などで薄く焼き、細長い棒状に巻いたもの。家庭で手軽につくるためにあらかじめ配合したちんびんミックスも市販されている。食感や見た目はクレープに近い。沖縄製粉のちんびんミックスのパッケージには「沖縄風黒糖入りクレープ」と表示してある。 名前の由来は中国語の煎餅 (中国)(中国語版)によると思われ、北京語の「チエンビン、jiānbǐng」もしくは他の方言音に基づくものと考えられる。中国の「煎餅」は必ずしも小麦粉で作られないが、華北、西北部では小麦粉を使った料理が発達しており、そこから琉球に伝わったとも推測される。沖縄では旧暦5月4日は「ユッカヌヒー」(四日の日)と呼ばれる、日本本土の端午の節句にあたる節句である。当日は那覇や糸満でハーリーが開催され、家庭では子供たちの健やかな成長を祈って神々や仏壇にちんびんを供える。ハレの日の特別な食だったちんびんは、現在では日常的に親しまれている。
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491.天妃前饅頭
天妃前饅頭(てんぴぬめーまんじゅう)は、沖縄県の菓子。
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492.ナントゥ
ナントゥは、沖縄県で食される菓子の一種。「年頭」の沖縄方言から「ナントゥ」[1]、またはナントゥー[2]とも呼ばれる。味噌味のものは、「年頭味噌」の沖縄方言からナントゥースー[2]、ナットゥンス[3][4]、ナントゥンス[5]とも呼ばれる。
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493.のー饅頭
のー饅頭(のーまんじゅう)は、沖縄県内のスーパーや菓子店で広く売られている菓子である。「のまんじゅう」などと呼ばれる場合もある。 中華まんの一種「あんまん」であり、その名の通り、饅頭の真ん中に赤く「の」と大書されている。主に冠婚葬祭用に用いられ、干菓子(こーぐゎーし)、松風(まちかじ)と並ぶ沖縄の儀式、祝事用の菓子の一つである。名前は「熨斗」の「の」の字に由来すると言われる[1]。 小麦粉をイースト菌を用いて発酵させ、粒あんを入れて月桃(サンニン)の葉で約一時間蒸し、仕上げに食紅で「の」の字を書くと、のー饅頭が完成する。店が多忙でない場合は、注文に応じて「の」の代わりに「寿」「祝」などのめでたい字のほか、ハートマークなどを書いてくれる。なお、食紅で文字などを入れない白いものは不祝儀用とされるので注意が必要である。
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494.ふちゃぎ
ふちゃぎ(吹上餅)は、沖縄県で食される餅の一種。餅粉に水を加え、こねて蒸したものに、塩茹でした小豆をまぶしつけたものである。形は小判型、もしくは俵型をしている。北陸地方でささげ餅と呼ばれるものと同種の食品である。 旧暦の8月15日(十五夜)に、豊作を祈願してヒヌカン(火の神)と仏壇、神棚に供えた後に食べる縁起物である。小豆には魔除けの意味合いがあり、小豆をつぶさずにまぶすことで当年の災難避けを祈願する。餅には沖縄の通例に従い、搗き餅ではなく練り餅(他府県では一般に団子と呼ばれるもの)が用いられる。 近年は餅や小豆に砂糖で甘味をつけた「甘ふちゃぎ」や、紅芋の粉を混ぜて芋の風味を持たせた「紅芋ふちゃぎ」なども市販されている。
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495.ぽーぽー
ぽーぽーは、小麦粉を適量の水で溶き、フライパン等の平たい鍋で焼き、油味噌を塗って棒状に巻いた沖縄県の菓子[1]。名称は中国の餑餑に由来するとの説もあるが[1]、真偽の程は定かでない。外間守善は「包子」が「ポーズ」と転じ、それが「ぽーぽー」になったと聞かされたという[1]。一般的にはカタカナ表記の「ポーポー」が多い。
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496.ムーチー
ムーチー(餅、鬼餅)は、沖縄県の行事、およびそこで食される菓子の一種。「餅」の一種を意味する沖縄方言であり、カーサ(食物を包む葉、この場合は月桃(サンニン)の葉)で巻くことから「カーサムーチー」と呼ばれることもある[1]。餅粉をこね、白糖や黒糖、紅芋などで味付けを行い、月桃の葉で巻き、蒸して作る。旧暦の12月8日(グレゴリオ暦では概ね1月)に、健康・長寿の祈願のため縁起物として食される[1]。ムーチーを食べる旧暦の12月8日(新暦の1月下旬から2月上旬)は沖縄では最も寒い時期であり、この時期の寒さを沖縄方言でムーチービーサ(鬼餅寒)と呼んでいる[1]。
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497.琉球菓子
琉球菓子(りゅうきゅうがし)は、琉球王国で王家の祭事や接待に用いられていた菓子[1]。中国と日本の影響を強く受けたとされ、100種類以上の菓子があった[1]。亜熱帯の気候のため、保存性の高い揚げ菓子や焼き菓子が多い[2]。
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498.沖縄そば
沖縄そば(おきなわそば)は、中華麺に由来する製法の麺を使用した、沖縄県の郷土料理(沖縄料理)である。
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499.首里そば
首里そば(しゅりそば)は、沖縄県那覇市首里赤田町にある沖縄そばの専門店。人気店として知られる[1][2]。 1951年から1993年まで首里当蔵町にあった「さくら屋」の味を継承し、1994年に美術ギャラリーを間借りする形で開業。1999年に専業店の形態に改装した[3]。 鰹の一番だしによる[4]澄んだあっさり味のスープと硬めの麺が特徴となっている[5]。 麺は手打ちであり、1日に60食[6]から70食程度しか提供できない[4]ため、午後2時ころまでの早い時間で売り切れ次第、営業が終わる[5]。 座標: 北緯26度13分3.2秒 東経127度43分22.1秒 / 北緯26.217556度 東経127.722806度 / 26.217556; 127.722806
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500.大東そば
大東そば(だいとうそば)は、沖縄県の南大東島に由来する沖縄そばである。「元祖大東そば いさ食堂」(現在は閉店)が発祥で、以前は島内で手打ちされていた。現在は那覇市内の製麺所で製造され、直営店である「元祖大東そば」で提供されている。この麺は南大東島にも空輸されており、いさ食堂の跡地に所在する食堂でも味わうことができる。 麺は太く不揃いで、縮れが強い。茹で置きや油処理を行わないため、生めん独特のコシがある。
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501.ちゃんぽん
ちゃんぽんは、「さまざまな物を混ぜること、または混ぜたもの」を意味する言葉であり、そのような料理の名称。特に長崎のものが有名だが、同名の郷土料理が各地に存在する。
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502.宮古そば
宮古そば(みやこそば)は、沖縄県の宮古島発祥の沖縄そばである。
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503.八重山そば
八重山そば(やえやまそば)は、沖縄県の八重山地方で食されている沖縄そばである。
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