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全国の城

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北海道の城

1.大館跡
大館跡(おおだてあと)は、北海道松前郡松前町神明にある館跡であり、道南十二館の一つ。1977年4月5日、国史跡に指定された。
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2.勝山館  ・山城
勝山館(かつやまだて)は、北海道檜山郡上ノ国町にあった中世の日本の城(山城)。昭和52年(1977年)4月12日、「上之国館跡」のうちの一つ「勝山館跡」として国の史跡に指定された[1]。
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3.五稜郭  ・稜堡式
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である[注釈 1]。
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4.志苔館  ・山城
志苔館(しのりたて)は、北海道函館市に所在する中世城館跡(日本の城)。小林氏によって築かれたとされる道南十二館のひとつ。国の史跡に指定されている。
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5.白老仙台藩陣屋跡
白老仙台藩陣屋跡(しらおいせんだいはんじんやあと)は、北海道白老郡白老町にある、幕末期に蝦夷地警備を命じられた仙台藩が置いた陣屋があった場所[2]。国指定の史跡[1]で、約6万6000平方メートルの史跡公園として整備されている[2]。この項目では、博物館の仙台藩白老元陣屋資料館(せんだいはんしらおいもとじんやしりょうかん)についても記述している。
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6.四稜郭  ・稜堡式
四稜郭(しりょうかく)は、箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が、1869年(明治2年)に現在の北海道函館市陣川町に築城した堡塁。新台場、神山台場、新五稜郭などとも呼ばれる。国の史跡[1]。
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7.館城
館城(たて じょう)は、明治元年(1868年)、箱館戦争の直前に松前藩により渡島国檜山郡の館(現在の厚沢部町)に建造された日本の城である。従来の本拠である松前城に対し、新城とも言う。完成直後に旧幕府軍の攻撃を受け、落城した。国の史跡に指定されている[1]。 
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8.千代ヶ岱陣屋
千代ヶ岱陣屋(ちよがだいじんや)は、幕末の亀田村(現・函館市)に築かれた陣屋である。「千代ヶ岡陣屋」「津軽陣屋」とも呼ばれた。明治2年(1869年)5月16日、中島三郎助が率いる旧幕府軍と新政府軍との間に、戊辰戦争・箱館戦争最後の戦闘が行われた場所である。
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9.道南十二館
道南十二館(どうなんじゅうにたて)は、蝦夷地(後の渡島国、現北海道)渡島半島にあった和人領主層の館の総称。松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が記されていることから、この名がついた。東は函館市に所在する志苔館から西の上ノ国町の花沢館まで、渡島半島南端の海岸線に分布する。安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の重要拠点とした。
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10.南部陣屋  ・陣屋
南部陣屋(なんぶじんや)は北海道函館市元町に所在した南部藩の陣屋跡。函館山山麓の南部坂の名前は、南部陣屋が坂上の函館山ロープウェイ「山麓駅」専用駐車場の辺り[2]に置かれた事に由来している。
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11.根室半島チャシ跡群
根室半島チャシ跡群(ねむろはんとうチャシあとぐん)は、北海道根室市にある24か所のチャシ跡(チャシコツ)の総称。国の史跡に指定されている。
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12.戸切地陣屋
座標: 北緯41度51分15.2秒 東経140度37分9.8秒 / 北緯41.854222度 東経140.619389度 / 41.854222; 140.619389戸切地陣屋(へきりちじんや)は、北海道北斗市にあった陣屋。この項目では戸切地陣屋跡史跡公園についても記載している。
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13.弁天台場
弁天台場(べんてんだいば)は、江戸時代末期(幕末)に北海道函館市に設営された台場。弁天岬台場、弁天砲台とも。設計者は武田斐三郎。
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14.松前城  ・平山城
松前城(まつまえじょう)は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡[1])福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)。江戸時代、公式には福山城(ふくやまじょう)と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた[2]。
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15.茂別館跡
茂別館跡(もべつたてあと)は、北海道北斗市矢不来にある安東氏の館跡。茂別館は、道南十二館の1つである。1982年7月3日、国史跡に指定された。
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青森県の城

16.相内館  ・平城
相内館(あいないだて)は、青森県三戸郡南部町相内に所在した城館跡。別称・一夜堀館。南部町指定史跡[1]。
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17.赤石館  ・平城(居館)
赤石館(あかいしだて)、または赤石城(あかいしじょう)は、青森県三戸郡南部町赤石字舘に所在する中世の城館跡。南部町指定史跡[1]。
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18.浅水城  ・平山城
浅水城(あさみずじょう)は、青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。四戸城の候補地。浅水川左岸の丘陵に位置し[3]、曲輪は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪からなる。浅水川を挟んだ対岸には浅水館、工藤屋敷と呼ばれる城館があった[2]。
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19.浅瀬石城  ・平山城
浅瀬石城(あせいしじょう)は、青森県黒石市大字浅瀬石字龍ノ口および大字浅瀬石字山辺[2]にあった日本の城(平山城)である。別名・汗石城。
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20.油川城  ・平山城
油川城(あぶらかわじょう)は、青森県青森市大字西田沢字浜田・字山辺(旧陸奥国)に所在した日本の城。
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21.新屋城  ・平城
新屋城(あらやじょう)は青森県平川市新屋にあった日本の城(平城)。
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22.飯詰城  ・平山城
飯詰城(いいづめじょう)は青森県五所川原市飯詰にあった日本の城(平山城)。
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23.石川城  ・山城
石川城(いしかわじょう)は、青森県弘前市に築かれていた日本の城。 別名、大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。
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24.石名坂館  ・単郭式平城
石名坂館(いしなざかだて)は青森県黒石市石名坂字舘にあった日本の城(山城)。
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25.大浦城  ・平城
大浦城(おおうらじょう)は、青森県弘前市賀田・五代にあった日本の城。平城。
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26.大向館  ・平城(居館)
大向館(おおむかいだて)は青森県三戸郡南部町大向字下比良に所在する、中世の南部氏に関連する城館群。別称・鎧神館(よろいがみだて)。南部町指定史跡[1]。
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27.沖館城  ・平山城
沖館城(おきだてじょう)は青森県平川市沖館宮崎[2]にあった日本の城(平山城)。
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28.奥瀬館  ・平山城
奥瀬館(おくせだて)は、青森県十和田市奥瀬に所在した日本の城。奥入瀬川の支流・片淵川右岸の台地を利用した東西50メートル、南北100メートル規模の平山城で、曲輪内には井戸跡・馬場跡が残されている。
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29.小国城 (陸奥国)  ・山城
小国城(おぐにじょう)は青森県平川市小国にあった日本の城(山城)。
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30.尾崎城  ・平城
尾崎城(おさきじょう)は青森県平川市尾崎[3]にあった日本の城(平城)。
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31.蠣崎城
座標: 北緯41度10分14秒 東経140度53分26秒 / 北緯41.170540026879度 東経140.89048883193度 / 41.170540026879; 140.89048883193
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32.上名久井館  ・平山城
上名久井館(かみなくいだて)は、青森県三戸郡南部町上名久井に所在した城館跡。別称「名久井館」。
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33.櫛引城  ・平城
櫛引城(くしびきじょう)は、日本の青森県八戸市に所在した日本の城。
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34.剣吉館  ・平山城
剣吉館(けんよしたて)は、青森県三戸郡南部町剣吉に所在した日本の城。
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35.小栗山館  ・平山城
小栗山館(こぐりやまやかた)は青森県弘前市小栗山にあった館(日本の城)。
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36.沢田館  ・平山城
沢田館(さわだだて)は、青森県十和田市沢田に所在した日本の城。
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37.三戸城  ・連郭式山城
三戸城(さんのへじょう)は日本の城の一つ。青森県三戸郡三戸町梅内にある。通称・留ヶ崎城。城跡は国の史跡に指定されている。
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38.七戸城
七戸城(しちのへじょう)は、青森県上北郡七戸町に所在した日本の城。別名・柏葉城。国の史跡[1]。中世から近世にかけての平山城で、七戸川支流の作田川左岸に位置し、標高40メートルの丘陵に置かれた。
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39.聖寿寺館  ・平城
聖寿寺館(しょうじゅじだて)は、青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺に所在した日本の城。別称、本三戸城(もとさんのへじょう)。国の史跡[1]。
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40.大光寺城  ・平城
大光寺城(だいこうじじょう)は、青森県平川市大光寺にあった日本の城(平城)。
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41.高田城 (陸奥国)  ・平城
高田城(たかだじょう)は青森県青森市大字高田字日野にあった日本の城(平城)。
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42.高畑城 (陸奥国)  ・平城
高畑城(たかばたけじょう)は、青森県平川市高畑・吹上にあった戦国時代の日本の城(平城)。
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43.田子館  ・平山城(居館)
田子館(たっこだて)は、青森県三戸郡田子町田子字風張・相米字相米向に所在する日本の城跡で、南部氏の田子前館(たっこまえたて、別名・牛尾館)と佐々木(笹木)氏の田子館(たっこたて、別名・佐々木館)の2館の総称。2館は別々に町の史跡に指定されているが[1]、埋蔵文化財包蔵地としては「田子館(たっこだて)」として同一遺跡となっている[2][注釈 1]。
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44.田名部館  ・平城(居館)
田名部館(たなぶだて)は、青森県むつ市小川町に所在した日本の城[1]。中世から近世の平城で、二重の空堀が遺構として残っている。館跡は代官山公園として整備されている[3]。
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45.種里城  ・山城
種里城(たねさとじょう)は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町種里町にあった日本の城(山城)で、国の史跡に指定されている(史跡「津軽氏城跡」のうち)[1][2]。
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46.超城合体タメノブーンV
超城合体タメノブーンV(ちょうじょうがったいタメノブーンふぁいぶ)は、2016年(平成28年)に青森県弘前市が制作した城郭をコンセプトとする市民参加型プロジェクト。およびそれに登場する巨大ロボットキャラクターである。市内5ヶ所の城(城跡を含む)が合体して「タメノブーンV」となり、敵キャラクターの「冬将軍」と戦う。
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47.中市館  ・居館
中市館(なかいちだて)は、 青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。五戸町指定史跡[1]。
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48.浪岡城  ・平城
浪岡城(なみおかじょう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)。1460年代に浪岡北畠氏によって築城され、1578年に大浦為信に攻められ落城した[1]。1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された[2][3]。現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。
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49.新井田城  ・平城(居館)
新井田城(にいだじょう)は、青森県八戸市新井田にあった日本の城。別名・新田城(にいだじょう)。
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50.根城  ・連郭式平山城
根城(ねじょう)は、日本の城。所在地は青森県八戸市根城。国の史跡に指定。日本100名城の一つ。
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51.野辺地城  ・平山城
野辺地城(のへじじょう)は、青森県上北郡野辺地町字野辺地に所在した日本の城。別名・金鶏城(きんけいじょう)。城跡は「野辺地代官所跡」として野辺地川右岸沿いの同町中央公民館敷地内に位置し、「城内」の字名が残る[1][4]。
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52.八戸城  ・平城
八戸城(はちのへじょう)は、青森県八戸市にかつて存在した日本の城(平城)である。
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53.馬場館 (陸奥国糠部郡)  ・なし
馬場館(ばばだて)は青森県三戸郡南部町小向字馬場に所在した城館跡。南部町指定史跡[1]。
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54.原子城  ・平城
原子城(はらこじょう)は青森県五所川原市大字原子字山元にあった平城。
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55.平良ヶ崎館  ・平城
座標: 北緯40度24分46秒 東経141度16分38秒 / 北緯40.41282028164度 東経141.277155928度 / 40.41282028164; 141.277155928
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56.弘前城  ・梯郭式平山城
弘前城(ひろさきじょう)は、陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にあった日本の城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
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57.福島城 (陸奥国鼻和郡)  ・平城
福島城(ふくしまじょう)は、青森県五所川原市相内にあった日本の城である。平城。
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58.藤崎城  ・平城
藤崎城(ふじさきじょう)は、青森県南津軽郡藤崎町藤崎にあった日本の城(平城)。安東氏発祥の地と伝えられている[2]。
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59.法師岡館  ・平山城(居館)
法師岡館(ほうしおかだて)は青森県三戸郡南部町法師岡に所在した日本の日本の城。
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60.洞内城  ・平山城
洞内城(ほらないじょう)は、青森県十和田市洞内に所在した日本の城。
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61.堀越城  ・平城
堀越城(ほりこしじょう)は、青森県弘前市堀越字川合・柏田にかつてあった日本の城。国の史跡に指定されている。
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62.元城 (陸奥国)  ・山城
元城(もとじろ)は、青森県西津軽郡深浦町に存在した日本の城(山城)。深浦町指定史跡[1]。
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63.森山館
森山館(もりやまだて)は、青森県西津軽郡深浦町森山にあった日本の城である。
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64.横内城  ・平城
横内城(よこうちじょう)は、日本の城。現在は跡地に常福院が建てられている。所在地は青森県青森市横内字亀井。別名として鏡城、堤城とも言われる。
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65.横浜館  ・平城
横浜館(よこはまだて)は、青森県上北郡横浜町舘ノ後に所在した日本の城跡。
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66.蓬田城  ・平城
蓬田城(よもぎたじょう)は青森県東津軽郡蓬田村大字蓬田字汐越にあった日本の城(平城)。中世の豪族・蓬田氏等が拠った城館で、大きく大館(おおだて)と小館(こだて)に分けられる。
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67.和徳城  ・平山城
和徳城(わとくじょう)は、青森県弘前市和徳町(わとくまち/わっとくまち)にあったとされる日本の城である。郷土料理「けの汁」発祥の地とする伝承がある[4]。
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岩手県の城

68.仙台領内古城・館
『仙台領内古城・館』(せんだいりょうないこじょう・やかた)は、仙台藩領内の城館に関し、紫桃正隆が1972年から1974年にかけて著した研究書である。古代から近世まで知られる限りの城・館1350を実地調査に基づいて紹介し、考察を加えた。全4巻。
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69.姉帯城  ・山城
姉帯城(あねたいじょう)は、岩手県二戸郡一戸町姉帯字館に所在した日本の城。一戸町指定史跡[1]。
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70.猪去館  ・城館
猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にかつて存在した日本の城。別称・猪去御所。
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71.胆沢城  ・古代城柵
胆沢城(いさわじょう/いさわのき)は、陸奥国胆沢郡(現在の岩手県奥州市水沢)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されている。
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72.石峠館  ・山城
石峠館(いしとうげだて)は、岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割に所在した日本の城。
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73.板沢館  ・山城
板沢館(いたさわたて)は岩手県遠野市上郷町板沢に所在した城館跡(日本の城)。別称 大洞館。
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74.一戸城  ・山城
一戸城(いちのへじょう)は、岩手県二戸郡一戸町に所在した日本の城。
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75.一方井城  ・城館
一方井城(いっかたいじょう)は、岩手県岩手郡岩手町に所在した日本の城。古館と新館があり、古館は別名を一本杉館・イチョウ館、新館は輪台城ともいう[2]。また新館は南部信直の出生地と伝えられている。
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76.岩崎城 (陸奥国)  ・平山城
岩崎城(いわさきじょう)は、岩手県北上市和賀町岩崎にある日本の城。領主・和賀氏一族の居城。
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77.薄衣城  ・山城
薄衣城(うすぎぬじょう)は、現在の岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣にあたる陸奥国磐井郡薄衣荘に所在した中世の日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡[1]。
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78.嫗戸柵  ・城柵
嫗戸柵(うばとのさく/うばこのさく/おばこのさく)は、岩手県盛岡市内にあり蝦夷俘囚の長を名乗った安倍氏の勢力範囲最北の古代城柵である。厨川柵と連立した造りと考えられ、安倍氏の重要拠点であった。盛岡市安倍館町の「安倍館遺跡[2]」が擬定地とされていたが、現在残っている遺構は中世工藤氏の厨川城跡と考えられている[3][4]。
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79.江釣子城  ・不明
江釣子城(えずりこじょう)は、岩手県北上市に所在した日本の城。
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80.大槌城  ・山城
大槌城(おおつちじょう)は、岩手県上閉伊郡大槌町大槌城山に所在する日本の城跡(山城)。室町時代に大槌次郎が築城して以後、代々大槌氏の居城と伝わる[2]。別名は浜崎館、または古館[3]。岩手県指定史跡[1]。
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81.大迫城  ・山城
大迫城(おおはさまじょう)は、岩手県花巻市大迫町内川目第48地割に所在した日本の城。
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82.乙部館  ・平城
乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した日本の城。現在は、宅地や畑地になっている。
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83.鹿島館  ・平山城
鹿島館(かしまだて)は、 岩手県北上市上鬼柳5地割に所在した日本の城。別称は鬼柳鹿島館[2]・鬼柳城。
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84.軽米城  ・平山城
軽米城(かるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。軽米町中心街を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯を城跡とした。
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85.金田一城  ・山城
金田一城(きんだいちじょう)は、岩手県二戸市に所在した日本の城。別称「四戸城」。
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86.久慈城  ・平城
久慈城(くじじょう)は、岩手県久慈市に所在した日本の城。別称、新町館・八日館。岩手県指定史跡[1]。
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87.くず館  ・山城
くず館(くずだて)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第1地割に所在した日本の城。
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88.葛巻城  ・山城
葛巻城(くずまきじょう)は、岩手県岩手郡葛巻町田子に所在した日本の城。
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89.九戸城  ・梯郭式平山城
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内[2]にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である[注 2]。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている[注 1]。
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90.厨川城  ・平城
厨川城(くりやがわじょう)は、現在の岩手県盛岡市安倍館町にあたる陸奥国岩手郡厨川村字館にあった日本の城である。別名・栗谷川城(くりやがわじょう)。遺跡(埋蔵文化財包蔵地)名では「安倍館遺跡(あべたていせき)」と呼ばれる[1]。平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城館である。
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91.厨川柵  ・城柵
厨川柵(くりやがわのさく)は、岩手県盛岡市内にあったとされる、俘囚の豪族安倍氏の勢力範囲最北の居館(城柵)である。中世から近世には栗谷川・栗屋河とも記される。衣川柵・嫗戸柵と並び安倍氏の重要拠点であった。同市天昌寺町付近にあったとされるが、所在地は広範囲にわたるとも見られ確実な遺構は発見されていない[2]。
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92.郡山城 (陸奥国紫波郡)  ・平山城
郡山城(こおりやまじょう)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。別称 高水寺城(こうすいじじょう)。紫波町指定史跡[1]。
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93.小軽米城  ・山城
小軽米城(こがるまいじょう)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第10地割に所在した日本の城。
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94.十八ヶ城  ・山城
十八ヶ城(さかりがじょう)は岩手県花巻市宮ノ目字本館に存在した日本の城。別称・本館[2]。
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95.雫石城  ・平山城
雫石城(しずくいしじょう)は、岩手県岩手郡雫石町字古館に所在した日本の城。別称・雫石御所、滴石城。
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96.下田館  ・城館
下田館(しもたたて)は、岩手県盛岡市下田生出袋に所在した日本の城。
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97.十二丁目城  ・平城
十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)は、 岩手県花巻市十二丁目に所在する日本の城跡。別称 獅子ヶ鼻城。北上川中流域の獅子ヶ鼻の台上にあり古館、上館とも称し、台地の後背地(西側)に濠があったといわれるが、いまは水田のため確認はできない。
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98.浄法寺城  ・山城
浄法寺城(じょうほうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館に所在した日本の城。別称・小幡館。
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99.白鳥舘遺跡  ・中世城館
白鳥舘遺跡(しろとりたていせき)は、岩手県奥州市前沢白鳥舘地内71にある城館跡の遺跡。国の史跡に指定されている[1]。
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100.志波城  ・古代城柵
志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。
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101.世田米城  ・山城
世田米城(せたまいじょう)は、 岩手県気仙郡住田町世田米字火石61番地1ほかに所在した戦国時代の日本の城[3]。
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102.千徳城  ・平山城
千徳城(せんとくじょう)は、岩手県宮古市千徳町に存在した日本の城。一戸千徳氏の居城として知られる。
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103.平館城  ・山城
平館城(たいらだてじょう)は、岩手県八幡平市平舘に所在した日本の城。
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104.田鎖城  ・平山城
田鎖城(たくさりじょう)は、岩手県宮古市にあった日本の城(平山城)。
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105.種市城  ・居館・山城
種市城(たねいちじょう)は、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)に所在した戦国時代の種市氏の居城。同町字城内(じょうない)のほぼ中心部に位置し、平時の居館とみられる平城(へいじょう)と[2]、そこから約1キロメートル南西にあり戦時に使用したとみられる山城(やましろ)の2城が存在した[3][4]。
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106.寺林城  ・城館
寺林城(てらばやしじょう)は、岩手県花巻市中寺林に存在した日本の城。
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107.徳丹城  ・古代城柵
徳丹城(とくたんじょう/とくたんのき)は、現在の岩手県紫波郡矢巾町徳田にあった日本の古代城柵。1969年(昭和44年)8月5日に国の史跡に指定されている[1]。
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108.鳥海柵  ・古代城柵
鳥海柵(とのみのさく)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町西根縦街道南・原添下・鳥海・二ノ宮後にあった平安時代の豪族安倍氏の城柵(日本の城)。指定名称「鳥海柵跡」(とのみのさくあと)として、2013年(平成25年)10月17日に国の史跡に指定されている[1]。
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109.長岡館  ・山城
長岡館(ながおかだて)は岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城である。「長岡城跡」の名で1975年(昭和50年)3月25日付で紫波町指定史跡に指定されている[1]。
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110.中野館 (陸奥国)  ・城館
中野館(なかのたて)は、岩手県盛岡市茶畑に所在した日本の城。別称・飛鳥川館。
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111.鍋倉城 (陸奥国)
鍋倉城(なべくらじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称・遠野城。城跡は国の史跡への指定が答申され(官報告示を経て正式指定となる)[4]、遠野市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。
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112.新堀城 (陸奥国)  ・山城
新堀城(にいぼりじょう)は、岩手県花巻市石鳥谷町に存在した日本の城。花巻市指定史跡[1]。
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113.野田城 (陸奥国)  ・丘城
野田城(のだじょう)は、岩手県九戸郡野田村に所在した日本の城。
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114.花巻城  ・平山城
花巻城(はなまきじょう)は、岩手県花巻市花城町に所在した日本の城。古くは鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれた。花巻市指定史跡(本丸跡)[1]。盛岡藩の花巻郡代歴代の居城であり、関ヶ原の戦いの際にこの城で行われた花巻城の夜討ちは地元民や岩手県民の語り草となっている。
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115.払川館  ・平山城
払川館(はらいかわだて)は、岩手県宮古市に所在した日本の城。別称・津軽石館。城跡を津軽石川が巡り、丘陵上の頂上平坦部は東西190メートル×南北195メートルで主郭、二郭、三郭、大手門跡、空堀が造られ、麓には城下町も従えていたが、いまは川原になって跡形も残っていない。
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116.晴山館  ・平山城
晴山館(はれやまたて)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。
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117.樋爪館  ・城館
樋爪館(ひづめだて/ひづめのたち)または比爪館は、陸奥国(現・岩手県紫波郡紫波町日詰字箱清水)に所在した日本の城。紫波町指定史跡[1]。「ひづめ」の表記は樋爪のほかに、「比爪」「火爪」など複数見られる[2][3]。
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118.火渡館  ・山城
火渡館(ひわたりだて)は、岩手県遠野市附馬牛町(つきもうしちょう)上附馬牛字火渡に所在した戦国時代の日本の城。
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119.二子城  ・平山城
二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名・飛勢城(とばせじょう)。
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120.北条館  ・城館
北条館(ほうじょうだて)[1]は岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内に存在した日本の城。
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121.鱒沢館
鱒沢館(ますざわやかた)は、岩手県遠野市(旧宮守村)に所在した日本の城。別名・上町館[2]。
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122.水沢城  ・平城
水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢に存在していた日本の城である。北上川西岸の胆沢平野中心部にある平城である。一国一城制導入後は要害として扱われた。別名:臥牛城・大休城。
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123.見前館  ・平城
見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。
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124.盛岡城  ・連郭式平山城
盛岡城(もりおかじょう)は、岩手県盛岡市(陸奥国岩手郡)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方城(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり、両者は別の城郭である。
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125.柳田館  ・城館
柳田館(やなぎだたて)は、岩手県紫波郡紫波町片寄に所在した日本の城。別称は片寄城・吉兵衛館・中野館。「片寄城跡」として紫波町指定史跡[1]。
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126.横田城 (陸奥国)
横田城(よこたじょう)は岩手県遠野市に存在した日本の城。別称、護摩堂城。城跡は市認定「遠野遺産」に認定されている[3]。
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宮城県の城

127.高清水城  ・平城
高清水城(たかしみずじょう)は、宮城県栗原市字東館(旧・高清水町)にある日本の城跡。戦国大名・大崎氏の居城。
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128.多賀城  ・古代城柵
多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。
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129.築館城  ・丘城(比15m)
築館城(つきだてじょう)は、宮城県黒川郡大郷町羽生にあった日本の城(丘城)。別名葦が城。
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130.津久毛橋城  ・平山城
津久毛橋城(つくもはしじょう)または津久裳橋城[2]は、現在の宮城県栗原市金成津久毛にあたる陸奥国栗原郡内にあった南北朝時代の日本の城である。1341年(北朝:暦応4年/南朝:興国2年)に南朝方の北畠顕信が築いた。
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131.寺池城  ・山城
寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代は伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。
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132.根添城  ・山城
根添城(ねぞえじょう)、または根添館(ねぞえたて)は、宮城県仙台市太白区坪沼地区にある日本の城(山城)跡である。陸奥国の豪族安倍氏の支城として用いられた。
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133.船岡城  ・山城
船岡城(ふなおかじょう)、または四保館(しほたて)は、宮城県柴田郡柴田町大字船岡字舘山(四保山)にあった日本の城(山城)。「四保館跡(船岡城址)」として柴田町指定史跡[1]。別名を芝田(柴田)城、舟岡(船岡)要害ともいう。本丸にある二等三角点「船岡」(北緯38度03分12.9616秒 東経140度45分17.9958秒 / 北緯38.053600444度 東経140.754998833度 / 38.053600444; 140.754998833 (二等三角点「船岡」(標高135.86m)))の標高は135.86メートル[2]。
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134.松森城  ・山城
松森城(まつもりじょう)は宮城県仙台市泉区松森にあった日本の城(山城[1][2])。本丸と二の丸の位置が鶴翼の陣形に似ていることから別名、鶴ヶ城(つるがじょう)とも言う[2][3]。国分盛顕が移り住み、国分盛重が出奔した後は伊達家の所領となり、毎年、仙台藩の野初の舞台となった。
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135.丸森城  ・山城
丸森城(まるもりじょう)は、宮城県伊具郡丸森町渕ノ上(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。現地の案内板などでは「丸山城」として紹介されているが、仙台藩の公式記録である『性山公治家記録』には「丸森城」とある。城は阿武隈川南岸の渕ノ上に在し、阿武隈川支流の五福谷川が城の西側を回り込む。
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136.桃生城  ・古代城柵
桃生城(ものうじょう)は、古代の朝廷が陸奥国桃生郡(現・宮城県石巻市)に築いた城柵。
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137.利府城  ・山城
利府城(りふじょう)は、現在の宮城県宮城郡利府町に存在した日本の城である。
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138.若林城  ・単郭式平城
若林城(わかばやしじょう)は、17世紀前半に日本の仙台藩領・陸奥国宮城郡若林城下町の小泉にあった日本の城(平城)である。西側に隣接する仙台城下町には本城である仙台城があったが、同城とは別に寛永5年(1628年)に伊達政宗のために造られ、寛永13年(1636年)に彼の死とともに廃された。江戸時代には若林薬園となり、薬草が栽培された。現在の仙台市若林区古城にあり、堀跡と土塁を残したまま、土塁の上に高い塀をめぐらせ宮城刑務所として用いられている。
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139.涌谷城  ・平山城
涌谷城(わくやじょう)は、宮城県遠田郡涌谷町にあった日本の城(平山城)。別名涌谷要害。
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140.亘理城  ・平山城
亘理城(わたりじょう)は、陸奥国亘理郡(宮城県亘理郡亘理町)にあった日本の城。地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた。
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141.仙台領内古城・館
『仙台領内古城・館』(せんだいりょうないこじょう・やかた)は、仙台藩領内の城館に関し、紫桃正隆が1972年から1974年にかけて著した研究書である。古代から近世まで知られる限りの城・館1350を実地調査に基づいて紹介し、考察を加えた。全4巻。
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142.伊治城  ・城柵
伊治城(いじじょう/これはりじょう/これはるじょう[1])は、宮城県栗原市にあった城柵。城跡は2003年(平成15年)8月27日に国の史跡に指定され、2005年(平成17年)7月14日に追加指定された[2]。
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143.今泉城 (陸奥国)  ・平城
今泉城(いまいずみじょう)は、南北朝時代から江戸時代の初めまで陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市若林区にあった城館(日本の城)である。仙台平野の低湿地にある平城で、水濠と土塁をめぐらせていた。弥生時代から続く集落に作られ、遺跡としては今泉遺跡[1]の一時代とされる。数次の発掘調査で外堀・内堀の一部と城内の建物多数が確認された。城主は須田玄蕃と伝えられる。現在では20世紀後半の急速な宅地化で、かつてあった地面の凹みはなくなり、地上に城の痕跡は残っていない。
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144.岩切城  ・山城
岩切城(いわきりじょう)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にあった峻険な日本の城(山城)である。高森山にあることから、別名を高森城(たかもりじょう)という。
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145.岩出山城  ・山城
岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城(一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。
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146.大衡城  ・平山城
大衡城(おおひらじょう)は、宮城県黒川郡大衡村塩浪にある日本の城跡(平山城)。別名・越路舘。城跡は大衡城跡公園として整備されている[2]。
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147.沖野城  ・平城
沖野城(おきのじょう)は、陸奥国名取郡、現在の宮城県仙台市若林区沖野7丁目にあった中世の日本の城である。不明の点が多いが、16世紀末に廃止された。東西約400メートル、南北約300メートルの範囲で、二重の土塁と二重の水濠を巡らせていた。
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148.角田城  ・平山城
角田城(かくだじょう)は宮城県角田市角田(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、以後は角田要害と称した。金鶏館とも称した[2]。
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149.金山城 (陸奥国)  ・山城
金山城(かねやまじょう)、または寝牛城、臥牛城[3]は、かつての陸奥国伊具郡にあたる宮城県伊具郡丸森町金山にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、後に金山要害と称した。丸森町指定史跡[2]。
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150.郡山遺跡  ・古代城柵
郡山遺跡(こおりやまいせき)は、宮城県仙台市太白区郡山にある古代の官衙(役所)跡。国の史跡に指定されている(指定名称は「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺跡」)。
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151.坂元城  ・平山城
坂元城(さかもとじょう)、または蓑首城(みのくびじょう)は、宮城県亘理郡山元町(陸奥国亘理郡)にあった城。町指定史跡[1]。
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152.笹森城  ・山城
笹森城(ささもりじょう)は、16世紀に日本の陸奥国宮城郡にあった日本の城(山城)である。現在の宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷の丘陵上にあたる。戦国時代に宮城郡を争奪した留守氏・国分氏の家臣、鶴谷氏の居城であった。城跡からは縄文土器の欠片が多数と、弥生時代以降の遺物も見つかっている。
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153.佐沼城  ・平山城
佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市迫町佐沼字内町にあった日本の城。別名・鹿ヶ城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。登米市指定史跡[1]。
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154.城生柵跡  ・古代城柵
城生柵跡(じょうのさくあと)は、宮城県加美郡加美町城生にある奈良時代の城柵遺跡。「城生」は現在の地名によるもので、かつてのどの施設に比定するかについては諸説ある。国の史跡に指定されている[1]。
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155.白石城  ・梯郭式平山城
白石城(しろいしじょう)は、陸奥国刈田郡白石にあった日本の城である(平山城)。別名益岡城(枡岡とも)。この場所は現在の宮城県白石市に当たり、城は白石市指定史跡となっている[1]。中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だったと伝わる。戦国時代末期に城主が何度か変遷し、江戸時代には仙台藩家臣の片倉氏の城となった。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した[2][3]。現在ある三階櫓や門は1995年(平成7年)に復元されたものである[4]。続日本100名城(105番)に選ばれている[5]。
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156.仙台城  ・連郭式平山城
仙台城(せんだいじょう)は、宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)。雅称は「青葉城」で「五城楼」の別名もある(→仙台参照)。国の史跡[1]。
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秋田県の城

157.赤石館 (出羽国)  ・平城(居館)
赤石館(あかいしだて)は、秋田県にかほ市金浦字館ヶ森に所在する中世の城館跡。
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158.秋田城  ・古代城柵
秋田城(あきたじょう/あきたのき)は、出羽国秋田(現在の秋田県秋田市)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されており、かつての城域の一部は現在高清水公園(旧称土崎公園)となっている。また、秋田県護国神社も秋田城の城址に遷座したものである。
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159.岩崎城 (出羽国)  ・平山城
岩崎城(いわさきじょう)は、出羽国雄勝郡、現在の秋田県湯沢市に存在した日本の城(平山城)。
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160.浦城  ・山城
浦城(うらじょう)は、秋田県南秋田郡八郎潟町にあった日本の城である。
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161.大館城  ・平山城
大館城(おおだてじょう)は、かつて秋田県大館市にあった日本の城。桂城(かつらじょう)とも呼ばれる。城跡は桂城公園(けいじょうこうえん)として整備されている。
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162.大鳥井山遺跡  ・古代城柵
大鳥井山遺跡(おおとりいやまいせき)または大鳥井柵跡(おおとりいさくあと)[1]は、出羽国北部(現、秋田県域に相当)の横手盆地中部、現在の秋田県横手市新坂町・大鳥町にある平安時代の遺跡(居館跡)。2010年(平成22年)2月、国の史跡に指定された[2][3]。
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163.雄勝城  ・古代城柵
雄勝城(おかちじょう/おかちのき)は、出羽国雄勝郡(現在の秋田県雄物川流域地方)にあった日本の古代城柵。藤原朝狩が天平宝字3年(759年)に築造したとされる。
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164.小野城 (出羽国)  ・山城                   
小野城(おのじょう)は出羽国、現在の秋田県湯沢市雄勝泉沢字古館に存在した日本の城(山城)。湯沢市指定史跡[1]。
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165.角館城  ・山城
角館城(かくのだてじょう)は、秋田県仙北市の角館地域にある日本の城(山城)跡。別名、小松山城。戦国時代に戸沢氏の本拠地があったことで知られている。
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166.柏崎館  ・平山城
柏崎館(かしわざきたて)は、秋田県鹿角市十和田毛馬内に所在した日本の城。別称・毛馬内城(けうまないじょう)。
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167.金沢柵  ・古代城柵
金沢柵(かねざわさく、かねざわのき)は、出羽国に置かれた古代日本の城柵の1つ。後三年の役の舞台となった。
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168.久保田城  ・平山城
久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田、現在の秋田県秋田市千秋公園近辺にあった城郭。史跡指定はされていないが、「千秋公園(久保田城跡)」として秋田市指定名勝に指定されている[1]。また日本100名城の第9番に選定されている[2]。
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169.昌斎館  ・単郭式山城
昌斎館(しょうさいだて)は、出羽国鹿角郡、現在の秋田県鹿角市十和田大湯字上折戸に所在した中世の城館である。
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170.出羽柵  ・古代城柵
出羽柵(でわのき/いではのき/でわのさく)は、現在の山形県庄内地方(城輪柵跡か)、のち秋田県秋田市付近(=秋田城)にあった日本の古代城柵。
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171.花輪城
花輪城(はなわじょう)は、日本に複数ある城。
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172.花輪館  ・平山城
花輪館(はなわたて)は、秋田県鹿角市花輪町に所在した日本の城。
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173.百騎館
百騎館(ひゃっきだて)は出羽国山本郡(現・秋田県山本郡三種町下岩川)にあった日本の城。
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174.檜山安東氏城館跡  ・山城
檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)は、秋田県能代市檜山集落の東側丘陵にある山城および城館遺跡群。1980年(昭和55年)と1986年(昭和61年)に、檜山城跡とその近くにある大館跡・茶臼館跡・国清寺跡とを併せて、国の史跡に指定された[1]。また、秋田魁新報社が主催した1952年(昭和27年)6月20日の第1回「秋田県観光三十景」(有効投票約195万票)で第10位(53172票)に選出されている。
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175.払田柵跡  ・古代城柵
払田柵跡(ほったのさくあと)は、秋田県大仙市払田・仙北郡美郷町本堂城廻にある日本の古代城柵遺跡。国の史跡に指定されている。
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176.本荘城  ・平山城
本荘城(ほんじょうじょう)は、秋田県由利本荘市にある中世からの平山城跡。江戸時代には本荘藩の藩庁が置かれた。別名は鶴舞城。尾崎城とも。
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177.本堂城  ・平城
本堂城(ほんどうじょう)は、秋田県仙北郡美郷町に所在していた中世日本の城。城跡は県指定史跡となっている。
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178.湊城  ・平城
湊城(みなとじょう)は、出羽国秋田郡土崎湊、現在の秋田県秋田市にあった城郭(平城)である[2][3]。
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179.紫島城
紫島城(むらさきしまじょう)は、秋田県大仙市長野(旧、中仙町)にあった日本の城である。形式は平城。
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180.本館城 (出羽国)
本館城(もとだてじょう)は、かつて秋田県山本郡八峰町八森字倉の沢にあった日本の城である。日本海に面した海岸段丘上に根小屋(現在は本館地区)と本館地区東側の丘陵上に築かれた要害からなる城館である。
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181.湯沢城  ・山城
湯沢城(ゆざわじょう)は、出羽国雄勝郡、現在の秋田県湯沢市の古館山(湯沢中央公園)にあった城である。湯沢市指定史跡[1]。
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182.横手城  ・山城
横手城(よこてじょう)は、出羽国[1] 平鹿郡横手町(現・秋田県横手市城山町)にかつて存在した日本の城である。構造は山城。朝倉城(あさくらじょう)や阿櫻城(あざくらじょう)とも呼ばれる。廃城後に城跡は横手公園として整備されており、模擬天守が建てられている。
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183.淀川城
淀川城(よどかわじょう)は、戦国時代、羽後国(出羽国北部; 現在の秋田県)にあった中世城館。現在の秋田県大仙市協和中淀川千着に所在する。
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184.脇本城  ・階郭式山城
脇本城(わきもとじょう)は、秋田県男鹿市にある中世の日本の城(山城)跡。国の史跡。中世に安東氏の居城となった。
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山形県の城

185.朝日山城 (出羽国)  ・山城
朝日山城(あさひやまじょう)は、出羽国遊佐郡(のち羽後国[1]飽海郡)朝日山、現在の山形県酒田市北沢字楯山にあった日本の城(中世の山城)跡。
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186.左沢楯山城  ・山城
左沢楯山城(あてらざわたてやまじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘左沢、現在の山形県西村山郡大江町にあった日本の城である。城跡は国の史跡である[1]。
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187.鮎貝城  ・平山城
鮎貝城(あゆかいじょう)は、出羽国置賜郡鮎貝(現在の山形県西置賜郡白鷹町鮎貝)[2]に存在した日本の城(平山城)。本丸跡は白鷹町指定史跡に指定されている[1]。
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188.荒砥城 (出羽国)  ・平山城
荒砥城(あらとじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲に存在した日本の城(平山城)。城跡は1989年(平成元年)4月5日付で白鷹町指定史跡に指定されている[1]。
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189.小国城 (出羽国最上郡)  ・山城
小国城(おぐにじょう)は、山形県最上郡最上町本城に所在する日本の城(山城)跡。岩部楯(館)(いわべのたて)または本城館(ほんじょうたて)と呼ばれた最上細川氏の居館跡地に最上氏の家臣・小国氏(蔵増氏)が築城したとされる[3]。
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190.小国城 (出羽国田川郡)  ・山城
小国城(おぐにじょう)は山形県鶴岡市小国町尻(旧・田川郡温海町)にある日本の城跡。小国川(庄内小国川)左岸の、同市小国集落南西に聳える標高348.5メートルの「楯山」山頂に位置する山城で、2002年(平成14年)12月19日に国の史跡に指定された[1]。
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191.小国城 (出羽国置賜郡)  ・平城
小国城(おぐにじょう)は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡小国町小国小坂町に所在する戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平城)跡。1692年(元禄5年)以降は「御役屋」と呼ばれた。
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192.小国山城  ・山城
小国山城(おぐにやまじょう/おぐにやまじろ[3])は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県西置賜郡小国町小国小坂町地内に所在する日本の城(山城)跡。
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193.金山城 (出羽国)  ・山城
金山城(かねやまじょう)は、山形県最上郡金山町金山にあった日本の城(山城)。別名の楯山城(たてやまじょう)で呼ばれることが多い。
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194.上山城  ・平山城
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。上山市指定史跡[1]。
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195.城輪柵  ・古代城柵
城輪柵(きのわのき/きのわのさく)は、現在の山形県酒田市城輪にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されている(指定名称は「城輪柵跡」)。
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196.寒河江城  ・連郭式平城
寒河江城(さがえじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘(山形県寒河江市)にあった日本の城である。
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197.鮭延城  ・山城
鮭延城(さけのべじょう)は、山形県最上郡真室川町内町に所在する戦国時代から江戸時代初期の日本の城(山城)跡。別名は真室城(まむろじょう)。真室川町指定史跡[1]。
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198.清水城 (出羽国)  ・平山城
清水城(しみずじょう)は、山形県最上郡大蔵村清水、比良にあった日本の城。形式は平山城である。山形県指定史跡[1]。
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199.白岩城  ・山城
白岩城(しらいわじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘白岩(山形県寒河江市白岩)にあった城である。
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200.新庄城  ・輪郭式平城
新庄城(しんじょうじょう)は、現在の山形県新庄市堀端町にあたる出羽国(羽前国)最上郡[2]新庄[3]にあった日本の城(中世の平城)である。別名沼田城(ぬまたじょう)、鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれる。新庄市指定史跡[1]。
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201.高畠城 (出羽国)  ・平城
高畠城(たかはたじょう)、または高畑城は、出羽国置賜郡にあたる現在の山形県東置賜郡高畠町高畠大字古城ノ内に存在した日本の城(平城)。別名「鐘ヶ城」。堀の一部が高畠町指定史跡に指定されている[1]。
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202.楯岡城
楯岡城(たておかじょう)は、山形県村山市楯岡楯(旧・北村山郡楯岡町)にあった日本の城(中世の山城跡)。
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203.館山城 (出羽国)  ・平山城
館山城(たてやまじょう)は、山形県米沢市館山(出羽国置賜郡)にあった日本の城(中世の城跡)。「舘山城」と表記されることもある[1]。発掘調査により戦国時代の伊達氏の本拠地との説が出され注目されている。城跡は国の史跡に指定されている[2]。
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204.鶴ヶ岡城  ・輪郭式平城
鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)は、山形県鶴岡市馬場町にあった日本の城(平城)である。
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205.出羽柵  ・古代城柵
出羽柵(でわのき/いではのき/でわのさく)は、現在の山形県庄内地方(城輪柵跡か)、のち秋田県秋田市付近(=秋田城)にあった日本の古代城柵。
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206.天童城  ・山城
天童城(てんどうじょう)は、山形県天童市天童にあった日本の城(山城)。
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207.長瀞城
長瀞城(ながとろじょう)は、戦国時代から江戸時代にかけて存在した城。現在の山形県東根市長瀞地区に城跡が残る。別名、雁城(かりがねじょう)ともいう。
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208.長瀞陣屋
長瀞陣屋(ながとろじんや)は出羽国村山郡(現在の山形県東根市)に置かれた長瀞藩の陣屋。
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209.中野城 (出羽国)  ・平城
中野城(なかのじょう)は、山形県山形市中野にあった日本の城。
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210.中山城 (出羽国)  ・山城
中山城(なかやまじょう)は、出羽国置賜郡および村山郡、現在の山形県上山市中山[1]に存在した日本の城(山城)。
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211.延沢城  ・山城
延沢城(のべさわじょう)は、日本の城。所在地は山形県尾花沢市。霧山城や野辺沢城とも呼ばれた。国の史跡に指定されている。
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212.長谷堂城  ・連郭式山城
長谷堂城(はせどうじょう)は、出羽国(羽前国)最上郡[1](現在の山形県山形市長谷堂)[2]にある中世の日本の城(山城)跡。山の形から「亀ヶ城」とも呼ばれていた。
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213.畑谷城
畑谷城(はたやじょう)は、山形県東村山郡山辺町畑谷にあった戦国時代の日本の城。形式は山城である。
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214.藤島城  ・輪郭式平城
藤島城(ふじしまじょう)は山形県鶴岡市藤島にあった日本の城で、市指定史跡[1]。
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215.松山城 (出羽国)
松山城(まつやまじょう)は、出羽国遊佐郡(のち羽後国[1]飽海郡)松山(現在の山形県酒田市松山地区)にあった日本の城である。江戸時代には、庄内藩の支藩松山藩の藩庁が置かれた。出羽松山城とも称した[2]。明治以降は松嶺城(まつみねじょう)とも呼ばれるようになった。
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216.丸岡城 (出羽国)  ・連郭式平山城
丸岡城(まるおかじょう)は山形県鶴岡市丸岡にあった日本の城で、県指定史跡[1]。
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217.溝延城  ・連郭式平城
溝延城(みぞのべじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘溝延(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。
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218.谷地城  ・連郭式平城
谷地城(やちじょう)は、出羽国村山郡谷地(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。町指定史跡[1]。
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219.山形城  ・輪郭式平城
山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた[1]。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている[2]。
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220.山辺城
山辺城(やまのべじょう)は、山形県東村山郡山辺町山辺にあった戦国時代の日本の城。形式は平山城である。山野辺城と記されることもある。
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221.米沢城  ・輪郭式平城
米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平城)である。長井氏および伊達氏の本拠地であり、江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。2017年には続日本100名城に選定された。
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福島県の城

222.足利城  ・山城
足利城(あしかがじょう)は栃木県足利市の標高250メートルの両崖山に平安時代後期に築城された日本の城(山城)で、両崖山城、飯塚山城、小屋城、栗崎城などとも呼称される。足利市指定史跡[3]。
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223.伊佐野城
伊佐野城(いさのじょう)は、栃木県矢板市大字下伊佐野小字堀之内にあった日本の城(山城)。築城者、築城年代は不詳。天正18年(1590年)廃城。別称として「堀之内館・堀内館」(ほんのうちやかた)。
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224.泉城  ・連郭式平山城
泉城(いずみじょう)は栃木県矢板市大字東泉小字高城にあった日本の城。平安末期の築城。正保元年(1644年)9月19日廃城。
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225.犬飼城  ・平山城[2]
犬飼城(いぬかいじょう)は、栃木県宇都宮市上欠町にあった城。根古屋城(ねごやじょう)とも称する[1][3]。城に関する伝承はほとんど残っていないが、城跡としての保存状態は良い[1]。
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226.宇都宮城  ・輪郭梯郭複合式平城
宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。別名、亀ヶ岡城(かめがおかじょう)。
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227.榎本城  ・平城
榎本城(えのもとじょう)は、下野国都賀郡榎本(現在の栃木市大平町榎本)にあった日本の城。
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228.大田原城  ・平山城
大田原城(おおたわらじょう)は、1543年に大田原資清によって下野国大田原の蛇尾川西岸、比高約25メートルの龍体山に築かれた日本の城(平山城)。
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229.大宮城 (下野国)  ・山城
大宮城(おおみやじょう)は、栃木県塩谷郡塩谷町大字大宮に存在した日本の城。14世紀前期頃築城、慶長2年10月13日(1597年11月22日)廃城。
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230.岡城 (下野国)  ・平山城
岡城(おかじょう)は、栃木県矢板市大字片岡小字梶ヶ沢にあった日本の城。平安時代末期、または戦国時代の築城とされる[2]。文禄4年(1595年)2月8日廃城。
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231.岡本城 (下野国)  ・平山城[2]
岡本城(おかもとじょう)は、栃木県宇都宮市大字中岡本小字根古屋にあった日本の城。14世紀前期(1337年2月以降)[4]築城、慶長2年(1597年)10月13日廃城。別称として岡本根小屋城[1]。
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232.乙畑城
乙畑城(おつはたじょう)は、栃木県矢板市大字乙畑にある日本の城(山城)。平安末期築城、天正18年(1590年)8月30日廃城。乙幡城、小幡城などとも言う。
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233.小山城 (下野国)  ・平城
小山城(おやまじょう)は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった日本の城。別名は祇園城(ぎおんじょう)。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」の1つ祇園城跡の名称で国の史跡に指定されている[1]。また、関東の富士見百景の一つに選ばれている。
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234.風見城 (下野国)  ・単郭式山城
風見城(かざみじょう)は、下野国塩谷郡(現・栃木県塩谷郡塩谷町風見)にあった日本の城(山城)。
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235.勝山城 (下野国)  ・平山城
勝山城(かつやまじょう)は、現在の栃木県さくら市にあった中世の日本の城である。
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236.鹿沼城  ・平山城
鹿沼城(かぬまじょう)は、下野国都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)にあった日本の城である。
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237.唐沢山城  ・連郭式山城
唐沢山城(からさわやまじょう)は、日本の城。所在地は栃木県佐野市富士町、栃本町。別名は栃本城、根古屋城、牛ヶ城。 「関東一の山城」と称される。城跡は国の史跡に指定されている。2017年には続日本100名城(114番)に選定された。
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238.烏山城  ・山城
烏山城(からすやまじょう)は、下野国那須郡(現:栃木県那須烏山市)[2]にあった日本の城(山城)。国の史跡への指定が答申されている(官報告示を経て正式指定となる)[3]。
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239.川崎城 (下野国)  ・山城
川崎城(かわさきじょう)は、栃木県矢板市大字川崎反町小字中島(かつての下野国塩谷郡)にあった日本の城(山城)。塩谷氏の居城。正治建仁年間(1199年~1203年)の頃築城。文禄4年(1595年)2月8日廃城。塩谷城、塩谷故城、蝸牛城などとも呼ばれる。矢板市指定史跡[1]。
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240.川連城
川連城(かわつれじょう/かわつらじょう)は現在の栃木県栃木市大平町川連から片柳町にまたがって築かれた戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の城。
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241.神田城  ・平城
神田城(かんだじょう)は、栃木県那須郡那珂川町にあった日本の城(平城)。国の史跡に指定されている。別名那須城、那須神田城。
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242.勧農城  ・平山城
勧農城(かんのうじょう)または岩井山城(いわいやまじょう)は、栃木県足利市岩井町の岩井山にあった中世の日本の城(平山城)。足利市指定史跡[2]。
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243.喜連川城  ・山城
大蔵ヶ崎城(おおくらがさきじょう)または喜連川城(きつれがわじょう)は、現在の栃木県さくら市喜連川にあった日本の城である。蔵ヶ崎城(倉ヶ崎城)とも。
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244.黒羽城  ・山城
黒羽城(くろばねじょう)は、現在の栃木県大田原市にあった日本の城である。別名は九鶴城[1]。
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245.幸岡城
幸岡城(こうかじょう)は、栃木県矢板市大字幸岡にあったとされる日本の城。13世紀中頃の築城と伝わる。15世紀前半頃廃城。幸賀城とも書く。
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246.御前城  ・平城
御前城(ごぜんじょう)は、下野国(現在の栃木県さくら市氏家町)にあった中世の日本の城である。別名馬場城、増渕城。
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247.御前原城  ・平城
御前原城(ごぜんぱらじょう)は、栃木県矢板市早川町[1][2]にあった日本の城(平城)。栃木県指定史跡。塩谷城、塩谷故城、中村城などとも言う。正和4年(1315年)築城、正保元年(1644年)9月19日廃城。
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248.籠谷城  ・平山城
籠谷城(こもりやじょう)は栃木県真岡市大字下籠谷字山前にあった日本の城。篭谷城とも書く
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249.児山城  ・平城[1][2]
児山城(こやまじょう)は、下野国都賀郡児山郷(現・栃木県下野市下古山)にあった城。本丸跡の堀と土塁が残り[2][4][5]、栃木県の史跡に指定されている[2]。児山氏がおよそ10代にわたって拠った城である[6]が、文献記録に乏しく、謎の城とされてきた[7]。
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250.古山城 (下野国)  ・山城
古山城(こやまじょう)は、栃木県日光市小林[1]にあった日本の城。
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251.西明寺城  ・山城[1]
西明寺城(さいみょうじじょう)は、現在の栃木県芳賀郡益子町にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣益子氏の居城だった。別名を高館城。
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252.境林城
境林城(さかいばやしじょう)は、栃木県矢板市大字境林小字滝原台に存在した日本の城(山城)。
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253.佐野城  ・平山城
佐野城(さのじょう)は、下野国安蘇郡佐野、現在の栃木県佐野市若松町に築かれた日本の城(平山城)である。別名春日岡城・春日城・姥城(うばがじょう)。佐野市指定史跡[1]。
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254.沢村城
沢村城(さわむらじょう)は、栃木県矢板市大字沢村にあった日本の城(山城)。文治3年(1187年)築城、天正18年(1590年)廃城。
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255.白旗城 (下野国)  ・山城
白旗城(しらはたじょう)は、栃木県大田原市に所在した日本の城。市の史跡に指定されている[1]。
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256.千本城 (下野国)  ・山城
千本城(せんぼんじょう)は、栃木県芳賀郡茂木町町田にあった日本の城。
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257.多気城 (下野国)  ・山城
多気城(たげじょう)は、現在の栃木県宇都宮市田下町にあった中世の日本の城(山城)である。宇都宮氏の城だった。別名は多気山城[1]。
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258.多功城  ・平城[1]
多功城(たこうじょう)は、下野国(現在の栃木県河内郡上三川町)にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の一門・多功氏の居城であった。
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259.玉生城  ・平城
玉生城(たまにゅうじょう)は、下野国塩谷郡(現・栃木県塩谷郡塩谷町大字玉生)にあった日本の城(山城)。建長6年(1254年)築城。慶長2年(1597年)10月13日廃城。
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260.寺山城
寺山城(てらやまじょう)は、栃木県矢板市大字長井小字武者嶽にある古代のチャシ。
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261.徳次郎城  ・平城
徳次郎城(とくじらじょう)は、現在の栃木県宇都宮市徳次郎町にあった中世の日本の城である。
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262.栃木城  ・平城
栃木城(とちぎじょう)は、下野国都賀郡栃木、現在の栃木県栃木市城内町にあった日本の城(平城)である。皆川広照が築城し、栃木町を繁栄させる基盤となった。栃木市指定史跡[4]。
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263.飛山城  ・平山城
飛山城(とびやまじょう)は、下野国(現在の栃木県宇都宮市竹下町)にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣・芳賀氏の居城であった。城跡は国の史跡に指定されている。
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264.長井館  ・単郭式平城
長井館(ながいやかた)は、栃木県矢板市大字長井小字堀之内にあった日本の城(館城(平城))。
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265.中久喜城  ・平城
中久喜城(なかくきじょう)は現在の栃木県小山市中久喜にあたる下野国寒川郡にあった平安時代末期から戦国時代にかけての日本の城。別名:亀城、栃井城、中岫城、岩壺城。城跡は祇園城(小山城)跡・鷲城跡とともに「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」として、国の史跡に指定されている[1]。
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266.長沼城 (下野国)  ・平城
長沼城(ながぬまじょう)は、栃木県真岡市長沼にあった城郭。平安時代末期から戦国時代まで存在した城である。
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267.中村城 (下野国)  ・平城
中村城(なかむらじょう)は、栃木県真岡市にあった中村氏の鎌倉、室町期の居館(または日本の城)。県指定史跡。現在は真言宗智山派の如意山寶珠院遍照寺の境内。この境内には、伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(吉永小百合、平幹二朗等出演)のモデルになった古木がある。
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268.生田目城  ・平山城
生田目城(なばためじょう)は、現在の栃木県芳賀郡益子町大字生田目字館山にあった日本の城。県道41号線の東側の山麓地帯にある平山城であった。城主ははっきりとは解っていないが同地を治めていた益子氏の家臣に生田目氏がいることから、その居城ではなかったかと思われている。
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269.成田城 (下野国)  ・平山城
成田城(なりたじょう)は、栃木県矢板市大字沢村小字大久保に存在した日本の城(陣城)。別称として大久保城(おおくぼじょう)。
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270.西方城 (下野国)
西方城(にしかたじょう)は、下野国都賀郡(現在の栃木県栃木市西方町本城)にあった城。
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271.羽生田城  ・平城
羽生田城(はにゅうだじょう)は、栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城。
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272.鑁阿寺
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。本堂は国宝に指定されている。日本100名城の一つ。
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273.稗田城
稗田城(ひえたじょう)は、栃木県矢板市大字豊田小字寄居にあった日本の城(平城)。文治3年(1187年)築城。別称として豊田城(豊田館)、寄居城。
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274.樋口城 (下野国)
樋口城(ひぐちじょう)は、栃木県宇都宮市大字幕田小字御城(旧下野国河内郡)にあった館城(平城)。
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275.平野館
平野館(ひらのやかた)は、栃木県矢板市大字平野中坪にあった平城(城館)。平安末期築城。文禄4年(1595年)2月8日廃城。別称として平野城。
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276.福原城  ・平城
福原城(ふくはらじょう)は、栃木県大田原市福原に存在した日本の城。別名を北岡城、福原北岡館[1]。
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277.藤倉山城
藤倉山城(ふじくらやまじょう)は、栃木県矢板市大字大槻小字藤倉山にあった日本の城(山城)。大槻城(おおつきじょう)とも呼ばれる。
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278.堀江山城
堀江山城(ほりえやまじょう)は、栃木県矢板市大字館の川小字北久保にある日本の城(山城)。平安末期築城、文禄4年(1595年)2月8日廃城。別称として堀江城、根小屋城。
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279.松ヶ嶺城
松ヶ嶺城(まつがねじょう、まつがみねじょう)は、栃木県矢板市大字上太田小字古城にあった戦国時代の日本の城(山城)。岡本氏の居城。15世紀末期の築城、慶長2年(1597年)廃城。城下町の名をとり松小屋城、あるいは上太田城などとも呼ばれる。
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280.真名子城
真名子城(まなごじょう)は、下野国都賀郡(現在の栃木県栃木市西方町真名子)にあった城。別名は赤壁城。
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281.狸穴城 (下野国)
狸穴城(まみあなじょう)は、下野国芳賀郡にあった板戸の南方の地である柏木(現・栃木県宇都宮市大字板戸小字柏木)の御殿山にあった詰城(山城)と、満美穴(現・栃木県宇都宮市大字満美穴町)の北方にあった館城(平城)の大谷氏が居城とした二つの城の総称。別名として板戸城。
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282.皆川城  ・山城
皆川城(みながわじょう)は、下野国都賀郡皆川、現在の栃木県栃木市皆川城内町にあった中世の日本の城である。栃木市指定史跡[1]。
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283.壬生城  ・平城
壬生城(みぶじょう)は、栃木県下都賀郡壬生町にあった日本の城。江戸時代には下野国都賀郡、壬生藩の藩庁が置かれた。
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284.真岡城  ・平山城
真岡城(もおかじょう)は、現在の栃木県真岡市台町にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城であった。別称、芳賀城ともいう。
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285.茂木城  ・山城
茂木城(もてぎじょう)は、現在の栃木県芳賀郡茂木町にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の支族であった茂木氏の居城であった。
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286.矢板城
矢板城(やいたじょう)は、栃木県矢板市大字矢板にある平安末期に矢板重郎盛兼によって築かれた日本の城(平城)。天正18年(1590年)、あるいは、正保元年(1644年)9月19日廃城。矢板館とも呼ばれる。
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287.八木岡城  ・平城
八木岡城(やぎおかじょう)は栃木県真岡市大字八木岡字東館にあった日本の城。
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288.山田城  ・山城
山田城(やまだじょう)は、栃木県矢板市大字山田小字城山にある日本の城(山城)。根小屋(根古屋)城とも呼ばれる。
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289.鷲城  ・平城
鷲城(わしじょう)は現在の栃木県小山市外城にあたる下野国小山荘にあった日本の城。城跡は中久喜城跡、祇園城(小山城)跡とともに「小山氏城跡(鷲城跡・祇園城跡・中久喜城跡)」として、国の史跡に指定されている[1]。
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茨城県の城

290.伊佐城
伊佐城(いさじょう)は、常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)にあった伊佐氏の日本の城。その城域は、東側に勤行川をのぞむ台地上の施無畏山延命院観音寺境内とその周辺で、「伊佐城跡」の名称で茨城県の史跡に指定されている。
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291.今城 (下総国)  ・連郭式
今城(いまんじょ)は、現在の茨城県守谷市けやき台に存在した日本の城である。高野(こうや)館とも[1]。
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292.牛久城  ・平山城
牛久城(うしくじょう)は、茨城県牛久市城中にあった日本の城。
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293.海老ヶ島城  ・平山城
海老ヶ島城(えびがしまじょう)とは日本の城で茨城県筑西市(旧・真壁郡明野町)松原にあった。
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294.太田城 (常陸国)  ・平山城
太田城(おおたじょう)は、常陸国にあった日本の城。現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。
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295.岡見城  ・平山城
岡見城(おかみじょう)は茨城県牛久市岡見町にあった日本の城。
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296.小栗城  ・山城
小栗城(おぐりじょう)は、茨城県筑西市小栗(かつての常陸国)にあった日本の城(山城)。小栗判官で有名な小栗氏の居城。戦国時代には宇都宮氏家臣小宅氏の居城にもなっている。
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297.小坂城  ・平山城
小坂城(おさかじょう)は茨城県牛久市小坂町にあった戦国時代の日本の城。牛久市指定史跡。
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298.小田城  ・平城
小田城(おだじょう)は、現在の茨城県つくば市に存在した日本の城。国の史跡に指定されている。
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299.笠間城  ・山城
笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。
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300.鹿島城 (常陸国)  ・連郭式平山城
鹿島城(かしまじょう)は茨城県鹿嶋市城山1丁目にあった中世の日本の城郭である。
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301.木原城 (常陸国)  ・山城
木原城(きはらじょう)または神越城(かみこしじょう)は、現在の茨城県稲敷郡美浦村に存在した日本の城(平山城)である。
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302.久下田城
久下田城(くげたじょう)は、茨城県筑西市樋口にあった日本の城。茨城県指定文化財(史跡)。
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303.久野城  ・平山城
久野城(くのじょう)は茨城県牛久市久野町にあった日本の城。
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304.栗橋城  ・平城
栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。五霞町指定史跡[1]。
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305.古河公方館  ・平城
古河公方館(こがくぼうやかた)は茨城県古河市鴻巣にあった中世の城館。鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれる。古河御所と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。
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306.古河城  ・平城(平山城)
古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市(下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城。
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307.頃藤城
頃藤城(ころふじじょう)は、常陸国に隣接していた陸奥国南端部(現在の茨城県久慈郡大子町頃藤)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。
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308.逆井城  ・平城
逆井城(さかさいじょう)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の日本の城(平城)。落城後、後北条氏によって大規模に築城しなおされたため、それ以前の遺構と後北条氏時代の遺構が重なっている。はじめの逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいう。
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309.坂戸城 (常陸国)  ・山城
坂戸城(さかどじょう)は、茨城県桜川市西飯岡字伊勢代(かつての常陸国)にある日本の城跡(山城)。宇都宮氏家臣小宅氏・小田氏家臣信太氏などの居城。
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310.宍戸陣屋
宍戸陣屋(ししどじんや)は、常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。
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311.下館城
下館城(しもだてじょう)は、現在の茨城県筑西市甲(本城町)にあった日本の城。筑西市指定文化財(史跡)。
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312.下妻城  ・平城
下妻城(しもつまじょう)は、常陸国関郡下妻荘(現在の茨城県下妻市)にあった日本の城。多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城(たがやじょう)とも称し、地元では一般にこの名称を用いている[1]。
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313.上条城 (常陸国)  ・平城
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の茨城県稲敷郡阿見町上条字城ノ内に存在した日本の城(平城)である。史跡指定はされていないが「阿見町名所百選(No.20)」に選定されている[1]。
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314.助川海防城  ・連郭式山城
助川海防城(すけがわかいぼうじょう)は、常陸国多賀郡助川(介川)(現在の茨城県日立市助川町)に、江戸時代後期に築かれた日本の城である。
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315.関城 (常陸国)  ・平城
関城(せきじょう)は、常陸国真壁郡(現在の茨城県筑西市関館)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。
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316.大宝城  ・平城
大宝城(だいほうじょう)は、現在の茨城県筑西市・下妻市大宝に所在した、平安時代末期から南北朝時代にかけての平城。1934年(昭和9年)5月1日、「大宝城跡」として国史跡に指定された[1]。茨城百景にも選定されている[2]。
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317.高井城 (下総国)  ・平山城
高井城(たかいじょう)は、現在の茨城県取手市下高井に存在した日本の城である。
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318.高井城 (常陸国)
高井城(たかいじょう)とは、茨城県土浦市上高津にあった南北朝時代の日本の城である。
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319.多気城 (常陸国)  ・山城
多気城(たきじょう[1]・たけじょう[2])は、常陸国筑波郡多気(現在の茨城県つくば市北条小字多気)にあった日本の城。多気山城(たきさんじょう)・城山城(じょうやまじょう)とも称する[3]。現存する史料や遺物が少なく、謎の城とされてきた。
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320.多良崎城  ・居館
多良崎城(たらざきじょう、たらさきじょう[1])とは、茨城県ひたちなか市足崎にあった、鎌倉末期から南北朝時代にかけて築城されたとされる中世の居館(日本の城)である。ひたちなか市指定史跡[2]。
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321.茅根城
茅根城(ちのねじょう)は、茨城県常陸太田市茅根町にある城。常陸守護 佐竹氏の家臣 茅根氏が築城し、代々城主の座を世襲した。
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322.月居城  ・山城
月居城(つきおれじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町袋田)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。
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323.土浦城  ・輪郭式平城
土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。
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324.筒戸城  ・梯郭式平城
筒戸城(つつどじょう)は、現在の茨城県つくばみらい市に存在した日本の城である。
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325.東林寺城  ・平山城
東林寺城(とうりんじじょう)は茨城県牛久市新地町にあった日本の城。
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326.徳宿城
徳宿城(とくしゅくじょう)は、常陸国(現:茨城県)鉾田市に存在した城。
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327.馴馬城  ・平城
馴馬城(なれうまじょう)は、茨城県龍ケ崎市にあった日本の城。
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328.野口城 (常陸国)  ・平山城
野口城(のぐちじょう)は、常陸国那珂郡野口にあった日本の城。現在の茨城県常陸大宮市野口にあたる。常陸大宮市指定史跡。
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329.真壁城  ・平城
真壁城(まかべじょう)は、常陸国真壁郡、現在の茨城県桜川市真壁町古城にあった戦国時代の日本の城(平城)。大掾氏の一族である真壁氏が代々支配した。国の史跡[1]。
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330.松岡城 (常陸国)  ・山城・平山城
松岡城(まつおかじょう)は、常陸国多賀郡(現在の茨城県高萩市下手綱)にあった日本の城。龍子山城(たつごやまじょう)・手綱城(たづなじょう)とも呼ばれる。明治時代初期には常陸松岡藩の藩庁が置かれた。
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331.見川城  ・平山城
見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城。
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332.水海城  ・平城
水海城(みずうみじょう、みずみじょう)は、下総国葛飾郡水海(現在の茨城県古河市)にあった中世日本の城。古河公方重臣・簗田氏の居城のひとつ。
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333.水戸城  ・連郭式平山城
水戸城(みとじょう)は、常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市三の丸)にあった日本の城である。
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334.結城城  ・平山城
結城城(ゆうきじょう)は茨城県結城市結城にあった日本の城。室町時代には結城合戦の舞台となった事で知られる。江戸時代には結城藩の藩庁が置かれた。結城市指定史跡[1]。
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335.吉田城 (常陸国)
吉田城(よしだじょう)とは、茨城県水戸市元吉田町に江戸時代以前にあった中世の居館(日本の城)である。
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336.依上城  ・山城
依上城(よりがみじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町)に築かれた日本の城(山城)のひとつである。
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栃木県の城

337.伊佐城
伊佐城(いさじょう)は、常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)にあった伊佐氏の日本の城。その城域は、東側に勤行川をのぞむ台地上の施無畏山延命院観音寺境内とその周辺で、「伊佐城跡」の名称で茨城県の史跡に指定されている。
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338.今城 (下総国)  ・連郭式
今城(いまんじょ)は、現在の茨城県守谷市けやき台に存在した日本の城である。高野(こうや)館とも[1]。
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339.牛久城  ・平山城
牛久城(うしくじょう)は、茨城県牛久市城中にあった日本の城。
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340.海老ヶ島城  ・平山城
海老ヶ島城(えびがしまじょう)とは日本の城で茨城県筑西市(旧・真壁郡明野町)松原にあった。
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341.太田城 (常陸国)  ・平山城
太田城(おおたじょう)は、常陸国にあった日本の城。現在の茨城県常陸太田市に位置し、JR常陸太田駅から北方へ約1.7kmの高台(現在の太田小学校)に本郭が存在したとみられる。関東七名城の一つ。別名:佐竹城、舞鶴城、青龍城。
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342.岡見城  ・平山城
岡見城(おかみじょう)は茨城県牛久市岡見町にあった日本の城。
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343.小栗城  ・山城
小栗城(おぐりじょう)は、茨城県筑西市小栗(かつての常陸国)にあった日本の城(山城)。小栗判官で有名な小栗氏の居城。戦国時代には宇都宮氏家臣小宅氏の居城にもなっている。
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344.小坂城  ・平山城
小坂城(おさかじょう)は茨城県牛久市小坂町にあった戦国時代の日本の城。牛久市指定史跡。
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345.小田城  ・平城
小田城(おだじょう)は、現在の茨城県つくば市に存在した日本の城。国の史跡に指定されている。
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346.笠間城  ・山城
笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。
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347.鹿島城 (常陸国)  ・連郭式平山城
鹿島城(かしまじょう)は茨城県鹿嶋市城山1丁目にあった中世の日本の城郭である。
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348.木原城 (常陸国)  ・山城
木原城(きはらじょう)または神越城(かみこしじょう)は、現在の茨城県稲敷郡美浦村に存在した日本の城(平山城)である。
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349.久下田城
久下田城(くげたじょう)は、茨城県筑西市樋口にあった日本の城。茨城県指定文化財(史跡)。
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350.久野城  ・平山城
久野城(くのじょう)は茨城県牛久市久野町にあった日本の城。
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351.栗橋城  ・平城
栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。五霞町指定史跡[1]。
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352.古河公方館  ・平城
古河公方館(こがくぼうやかた)は茨城県古河市鴻巣にあった中世の城館。鴻巣御所・鴻巣館とも呼ばれる。古河御所と呼ばれる場合もある。現在、古河公方館跡地の大半は古河総合公園にある。
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353.古河城  ・平城(平山城)
古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市(下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城。
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354.頃藤城
頃藤城(ころふじじょう)は、常陸国に隣接していた陸奥国南端部(現在の茨城県久慈郡大子町頃藤)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。
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355.逆井城  ・平城
逆井城(さかさいじょう)は、下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の日本の城(平城)。落城後、後北条氏によって大規模に築城しなおされたため、それ以前の遺構と後北条氏時代の遺構が重なっている。はじめの逆井氏の城を逆井古城、後北条時代の城を飯沼城ともいう。
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356.坂戸城 (常陸国)  ・山城
坂戸城(さかどじょう)は、茨城県桜川市西飯岡字伊勢代(かつての常陸国)にある日本の城跡(山城)。宇都宮氏家臣小宅氏・小田氏家臣信太氏などの居城。
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357.宍戸陣屋
宍戸陣屋(ししどじんや)は、常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。
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358.下館城
下館城(しもだてじょう)は、現在の茨城県筑西市甲(本城町)にあった日本の城。筑西市指定文化財(史跡)。
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359.下妻城  ・平城
下妻城(しもつまじょう)は、常陸国関郡下妻荘(現在の茨城県下妻市)にあった日本の城。多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城(たがやじょう)とも称し、地元では一般にこの名称を用いている[1]。
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360.上条城 (常陸国)  ・平城
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の茨城県稲敷郡阿見町上条字城ノ内に存在した日本の城(平城)である。史跡指定はされていないが「阿見町名所百選(No.20)」に選定されている[1]。
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361.助川海防城  ・連郭式山城
助川海防城(すけがわかいぼうじょう)は、常陸国多賀郡助川(介川)(現在の茨城県日立市助川町)に、江戸時代後期に築かれた日本の城である。
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362.関城 (常陸国)  ・平城
関城(せきじょう)は、常陸国真壁郡(現在の茨城県筑西市関館)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。
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363.大宝城  ・平城
大宝城(だいほうじょう)は、現在の茨城県筑西市・下妻市大宝に所在した、平安時代末期から南北朝時代にかけての平城。1934年(昭和9年)5月1日、「大宝城跡」として国史跡に指定された[1]。茨城百景にも選定されている[2]。
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364.高井城 (下総国)  ・平山城
高井城(たかいじょう)は、現在の茨城県取手市下高井に存在した日本の城である。
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365.高井城 (常陸国)
高井城(たかいじょう)とは、茨城県土浦市上高津にあった南北朝時代の日本の城である。
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366.多気城 (常陸国)  ・山城
多気城(たきじょう[1]・たけじょう[2])は、常陸国筑波郡多気(現在の茨城県つくば市北条小字多気)にあった日本の城。多気山城(たきさんじょう)・城山城(じょうやまじょう)とも称する[3]。現存する史料や遺物が少なく、謎の城とされてきた。
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367.多良崎城  ・居館
多良崎城(たらざきじょう、たらさきじょう[1])とは、茨城県ひたちなか市足崎にあった、鎌倉末期から南北朝時代にかけて築城されたとされる中世の居館(日本の城)である。ひたちなか市指定史跡[2]。
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368.茅根城
茅根城(ちのねじょう)は、茨城県常陸太田市茅根町にある城。常陸守護 佐竹氏の家臣 茅根氏が築城し、代々城主の座を世襲した。
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369.月居城  ・山城
月居城(つきおれじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町袋田)に築かれた日本の城(山城)のひとつ。
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370.土浦城  ・輪郭式平城
土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。
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371.筒戸城  ・梯郭式平城
筒戸城(つつどじょう)は、現在の茨城県つくばみらい市に存在した日本の城である。
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372.東林寺城  ・平山城
東林寺城(とうりんじじょう)は茨城県牛久市新地町にあった日本の城。
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373.徳宿城
徳宿城(とくしゅくじょう)は、常陸国(現:茨城県)鉾田市に存在した城。
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374.馴馬城  ・平城
馴馬城(なれうまじょう)は、茨城県龍ケ崎市にあった日本の城。
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375.野口城 (常陸国)  ・平山城
野口城(のぐちじょう)は、常陸国那珂郡野口にあった日本の城。現在の茨城県常陸大宮市野口にあたる。常陸大宮市指定史跡。
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376.真壁城  ・平城
真壁城(まかべじょう)は、常陸国真壁郡、現在の茨城県桜川市真壁町古城にあった戦国時代の日本の城(平城)。大掾氏の一族である真壁氏が代々支配した。国の史跡[1]。
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377.松岡城 (常陸国)  ・山城・平山城
松岡城(まつおかじょう)は、常陸国多賀郡(現在の茨城県高萩市下手綱)にあった日本の城。龍子山城(たつごやまじょう)・手綱城(たづなじょう)とも呼ばれる。明治時代初期には常陸松岡藩の藩庁が置かれた。
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378.見川城  ・平山城
見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城。
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379.水海城  ・平城
水海城(みずうみじょう、みずみじょう)は、下総国葛飾郡水海(現在の茨城県古河市)にあった中世日本の城。古河公方重臣・簗田氏の居城のひとつ。
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380.水戸城  ・連郭式平山城
水戸城(みとじょう)は、常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市三の丸)にあった日本の城である。
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381.結城城  ・平山城
結城城(ゆうきじょう)は茨城県結城市結城にあった日本の城。室町時代には結城合戦の舞台となった事で知られる。江戸時代には結城藩の藩庁が置かれた。結城市指定史跡[1]。
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382.吉田城 (常陸国)
吉田城(よしだじょう)とは、茨城県水戸市元吉田町に江戸時代以前にあった中世の居館(日本の城)である。
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383.依上城  ・山城
依上城(よりがみじょう)は、常陸国久慈郡大子村(茨城県久慈郡大子町)に築かれた日本の城(山城)のひとつである。
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群馬県の城

384.高津戸城  ・山城
高津戸城(たかつどじょう)は、群馬県みどり市高津戸地区にあった日本の城(山城)である。高津戸渓谷東岸の崖上に築かれた城。本丸は要害山の山頂にあり今では本丸跡に要害神社がある。
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385.鷹留城  ・山城
鷹留城(たかとめじょう)は、群馬県高崎市下室田町にある中規模な日本の城(山城跡)の典型で、箕輪城の西方5キロにある箕輪城の支城の一つ。各種の遺構が原形に近く残っている点で、群馬県内でも稀な城跡である。高崎市指定史跡に指定されている[1]。
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386.嶽山城 (上野国)  ・連郭式山城
嶽山城(たけやまじょう)は、上野国吾妻郡(群馬県中之条町五反田字嵩山)にあった日本の城。戦国時代に国衆・吾妻斎藤氏の居城として利用され、江戸時代には山伏の修行場となった。
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387.館林城  ・梯郭連郭複合式平城
館林城(たてばやしじょう)は上野国邑楽郡館林(現在の群馬県館林市城町3)[1]にある戦国時代から江戸時代の日本の城である。館林市指定史跡[2]。
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388.手子丸城  ・山城
手子丸城(てこまるじょう)は、上野国吾妻郡にあった日本の城(山城)。草津街道や越後街道が分岐する要衝に位置し、岩櫃城と並ぶ吾妻郡の重要拠点であった。
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389.中野城 (上野国)  ・平城
中野城(なかのじょう)は、群馬県邑楽郡邑楽町にあった日本の城。
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390.長野原城  ・不明
長野原城(ながのはらじょう)は、現在の群馬県吾妻郡長野原町にあたる上野国吾妻郡長野原にあった日本の城。別名・箱岩城。戦国期では在地の国衆・羽尾氏であり、羽尾氏の没落後は武田氏・真田氏の持城となった。1990年(平成2年)3月27日付で長野原町指定史跡[1]。
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391.名胡桃城  ・山城
名胡桃城(なぐるみじょう)は、現在の群馬県利根郡みなかみ町下津にあった日本の城。1949年(昭和24年)に「名胡桃城址」として群馬県指定史跡に指定された[1]。利根川上流の右岸断崖部に位置し、川を挟んで北東に位置する明徳寺城と対峙する。
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392.新田金山城  ・連郭式山城
新田金山城(にったかなやまじょう)は、群馬県太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8メートルの独立峰、全山アカマツに覆われた金山に築かれた日本の城(山城)である。別名「金山城」、「太田金山城」。
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393.沼田城  ・丘城
沼田城(ぬまたじょう)は、上野国利根郡(現:群馬県沼田市)にあった日本の城(丘城)。1976年(昭和51年)3月30日、沼田市指定史跡[1]。幾つかの守護城に囲まれた堅城である。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。沼田藩の藩庁。はじめは倉内城と称した。2017年(平成29年)には、続日本100名城(116番)に選定された。
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394.根小屋城  ・山城
根小屋城(ねごやじょう)は、群馬県高崎市山名町城山に存在した戦国時代の日本の城。形式は山城。
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395.箱田城  ・平山城
箱田城(はこだじょう)は、群馬県渋川市北橘町下箱田(旧勢多郡北橘村箱田)にあった室町時代から戦国時代にかけての日本の城(平山城)。渋川市指定史跡[1]。
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396.羽根尾城  ・不明
羽根尾城(はねおじょう)は、群馬県吾妻郡長野原町にあたる上野国吾妻郡羽根尾にあった日本の城。かつては国衆・羽尾氏の本拠であり、後に武田氏・真田氏の持城となった。1974年(昭和49年)9月21日付で長野原町指定史跡[1]。
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397.柄杓山城  ・山城
柄杓山城(ひしゃくやまじょう)、または桧杓山城は、群馬県桐生市北部の梅田町にあった桐生氏の城である。桐生城ともいう。「桐生桧杓山城跡」として桐生市指定史跡[1]。
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398.平井城  ・平山城
平井城(ひらいじょう)は、現在の群馬県藤岡市にあった日本の城である。群馬県指定史跡[1]。
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399.前橋城  ・輪郭式平城
前橋城(まえばしじょう)は、上野国群馬郡、現在の群馬県前橋市にあった日本の城。前橋台地北東縁に築かれた平城で、古くは厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれ、また関東七名城の一つに数えられた。車橋門の跡が前橋市の史跡に指定され、酒井氏に伝わる城絵図が市指定重要文化財に指定されている[1]。
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400.松井田城  ・山城
松井田城(まついだじょう)は、上野国碓氷郡にあたる現在の群馬県安中市松井田町高梨子にあった戦国時代の日本の城(山城)である。諏訪城・小屋城・霞ヶ城・堅田城ともいわれる。「安中郭」が安中市指定史跡に指定されている。
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401.丸岩城  ・不明
丸岩城(まるいわじょう)は、群馬県吾妻郡長野原町にあたる上野国吾妻郡横壁にあった日本の城(山城)。
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402.箕輪城  ・梯郭式平山城
箕輪城(みのわじょう)は、群馬県高崎市箕郷町にあった日本の城(平山城跡)で、国の史跡に指定されている[1]。日本100名城の一つ。
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403.山名城  ・山城
山名城(やまなじょう)は、上野国多胡郡にあたる現在の群馬県高崎市山名町前城にあった戦国時代の日本の城(山城)である。別称として前城、寺尾下城ともいわれる。高崎市指定史跡[1]。
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404.安中城  ・平城
安中城(あんなかじょう)は、現在の群馬県安中市安中にある戦国時代に築かれた日本の城である。
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405.岩下城  ・山城
岩下城(いわしたじょう)は、上野国吾妻郡にあった日本の城(山城)。戦国期に吾妻郡に拠った吾妻斎藤氏の拠点とされる。吾妻斎藤氏が没落した後は武田氏家臣や周辺の武田方国衆が在城した。
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406.岩櫃城  ・山城
岩櫃城(いわびつじょう)は、上野国吾妻郡(現在の群馬県吾妻郡東吾妻町)にあった日本の城(山城)[1]。築年代は不明[1]。吾妻川北岸の岩櫃山中腹に位置し、戦国期に、上杉謙信に従う斉藤氏と、武田信玄に従う真田氏が当地をめぐり争った。最終的には真田信之の支配下に収まり、慶長19年(1614年)に廃城となった[1]。国の史跡に指定されている。
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407.榎下城 (上野国)  ・平城
榎下城(えげじょう)は、現在の群馬県安中市原市字榎下にあたる上野国碓氷郡榎下にあった日本の城。国衆・安中氏の居城。
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408.大胡城  ・平山城
大胡城(おおごじょう)は、群馬県前橋市河原浜町にあった中世の日本の城(平山城跡)で、大胡氏・上泉氏の居城であった。後の近世初頭に徳川氏家臣・牧野氏が入り城主になった。群馬県指定史跡[1]。天文年間(1532年 - 1555年)に築城されたとされ、元和2年(1616年)廃城となった。
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409.大戸平城  ・連郭式平城
大戸平城(おおどひらじょう)は、上野国吾妻郡(群馬県東吾妻町大戸字平城)にあった日本の城。戦国時代の国衆・大戸浦野氏の居城。
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410.神成城  ・山城
神成城(かんなりじょう)は、上野国甘楽郡(現在の群馬県富岡市吉田神成)にあった城。戦国時代に甘楽郡に勢力を誇った国衆・小幡氏の城。
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411.倉賀野城
倉賀野城(くらがのじょう)は、群馬県高崎市倉賀野町にあった日本の城。
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412.小泉城  ・平城
小泉城(こいずみじょう)、または富岡城(とみおかじょう)は、現在の群馬県邑楽郡大泉町にあった日本の城。築城は、延徳元年(1489年)。現在は城跡に曲輪と内堀、外堀の一部および土塁が残っており、城之内公園(しろのうちこうえん)として整備されている。大泉町指定史跡[1]。
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413.白井城  ・崖端城
白井城(しろいじょう)は、現在の群馬県渋川市白井にある室町時代から江戸時代初期の崖端城(日本の城)。「しらいじょう」と言われることもあるが、地元の読み方は「しろいじょう」である。渋川市指定史跡[1]。
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414.膳城  ・平山城
膳城(ぜんじょう)は、群馬県前橋市粕川町膳にあった室町時代から戦国時代にかけての日本の城(平山城)。群馬県指定史跡[1]。
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415.高崎城  ・輪郭梯郭複合式平城
高崎城(たかさきじょう)は、上野国群馬郡、現在の群馬県高崎市高松町に所在する日本の城跡(平城)。旧名・和田城(わだじょう)。江戸時代には高崎藩の藩庁となった。城跡の一部が高崎市の史跡に指定されているほか、現存建造物や関係史料が県または市指定の重要文化財に指定されている[6][7]。
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埼玉県の城

416.赤山城
赤山城(あかやまじょう)は、埼玉県川口市にあった城。赤山陣屋とも呼ばれる。埼玉県指定文化財(旧跡)。
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417.五十子陣  ・平城
五十子陣(いかっこじん/いかっこのじん)とは、室町時代中期に武蔵国児玉郡五十子、現在の埼玉県本庄市大字東五十子及び大字西五十子の一部に所在していた平城。「いらこのじん」「いかごのじん」などと読まれることもある。
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418.岩槻城  ・総曲輪式平城
岩槻城(いわつきじょう)は、鎌倉時代以前に築かれた平山城。大宮台地岩槻支台上に立地。武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁(日本の城)。別称に岩付城、岩附城、浮城、白鶴城がある。県指定史跡[1]。また周囲の大構(おおがまえ)は市指定史跡となっている[2]。
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419.青鳥城
青鳥城(おおどりじょう)とは、武蔵国比企郡石橋村(現在の埼玉県東松山市大字石橋)にあった日本の城。県指定史跡。
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420.小倉城 (武蔵国)  ・連郭式山城
小倉城(おぐらじょう)は、埼玉県比企郡ときがわ町にあった日本の城(山城)。戦国時代の関東の城では珍しい石塁を随所に用いている。
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421.忍城  ・平城
忍城(おしじょう)は、武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市)に存在した日本の城である。埼玉県指定旧跡。
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422.川越城  ・平山城
川越城(かわごえじょう)は、埼玉県川越市にある日本の城。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれた。別名、初雁城、霧隠城。関東七名城・日本100名城。通常、川越城の名称を表記する場合、中世については河越城、近世以降は川越城と表記されることが多い。
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423.河越館  ・平城
河越館(かわごえかん/かわごえやかた)は、埼玉県川越市上戸(うわど)に所在した日本の城。川越市の北西部、入間川右岸に位置し、約二町(218m)四方の占地規模を持つ館跡遺跡。国の史跡。
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424.騎西城  ・平城(沼城)
騎西城(きさいじょう)とは、現在の埼玉県加須市(騎西地域)にあった日本の城である。
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425.雉岡城  ・平城
雉岡城(きじがおかじょう)は、武蔵国児玉郡八幡山、現在の埼玉県本庄市児玉町八幡山446他に所在していた日本の城。埼玉県指定史跡[1]。別名を八幡山城(はちまんやまじょう)と言う。
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426.北秋津城  ・平山城
北秋津城(きたあきつじょう)は、埼玉県所沢市北秋津にあった日本の城。歴史的な背景が殆ど伝わっていない城であり、『柳瀬川流域の歴史と文化』の著者の栗原仲道は大石遠江守信重の館とし、所沢市史では鎌倉時代以降の豪族(一説には久米郷が近い事から村山党の久米氏)の館と推測している。[1]また、滝山、八王子領の交通網や滝の城との繋がりを考慮すると後北条氏が何らかの拠点として使用していた可能性も考えられる。[2]付近にある日月神社の案内板に書かれている民間伝承によると『この土地の殿様がいつも領民に無理難題ばかりを吹きかけて困らせており、ある時に無理な願いを叶えた代わりに神罰によって声を失った』と伝わっているが、この殿様が北秋津城主の事だと言われている。
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427.熊倉城
熊倉城(くまくらじょう)は、武蔵国秩父郡日野村(埼玉県秩父市荒川日野)の城山にあった日本の城。別名・日野城(ひのじょう)。
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428.栗崎館
栗崎館(くりさき やかた)は、平安時代末期に武蔵国児玉郡大寄郷若泉庄の栗崎村(現在の埼玉県本庄市栗崎)に築かれた武家館。地理的には武蔵国北西部の国境付近に位置し、北には利根川、南には大久保山(浅見山)がある(本庄台地南部にあたる)。児玉党本宗家4代目である庄太夫家弘が築いたと考えられる。
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429.栗橋城  ・平城
栗橋城(くりはしじょう)は、下総国葛飾郡にあった古河公方ゆかりの日本の城。現在は茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の西から南西に位置する。五霞町指定史跡[1]。
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430.寿能城
寿能城(じゅのうじょう)は、現在の埼玉県さいたま市大宮区にあった日本の城である。県指定旧跡。
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431.菖蒲城
菖蒲城(しょうぶじょう)は、武蔵国埼玉郡新堀村(現在の埼玉県久喜市菖蒲町新堀)にあった日本の城。古河公方足利成氏が、康正2年(1456年)に金田式部則綱に命じて築城させた。城の竣工が5月5日の菖蒲の節句にであったために命名された。天正18年(1590年)小田原征伐ののち廃城となり、以降は徳川家康に仕えた内藤正成が栢間陣屋(現在の久喜市菖蒲町下栢間)を構えて5700石を知行し、上級旗本として14代、幕末まで同地を治めた。
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432.菅谷館  ・平城
菅谷館(すがややかた)とは、武蔵国男衾郡(現在の埼玉県比企郡嵐山町)にあった日本の城である。菅谷城(すがやじょう)とも呼ばれる。昭和48年(1973年)、国の史跡に指定された。館跡には埼玉県立嵐山史跡の博物館が設けられている。
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433.杉山城  ・山城
杉山城(すぎやまじょう)は、埼玉県比企郡嵐山町にあった日本の城。別名は初雁城。
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434.代山城
代山城(だいやまじょう)は、埼玉県さいたま市緑区代山にある城郭遺構。
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435.高坂館
高坂館(たかさかやかた)とは、武蔵国高坂宿(現在の埼玉県東松山市)にあった日本の城。高坂城とも言う。現在は高済寺となっており、埼玉県選定重要遺跡。
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436.高見城  ・山城
高見城(たかみじょう)は、武蔵国比企郡(現・埼玉県比企郡小川町高見)に存在した中世の日本の城(山城)。四津山城ともいわれる。
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437.滝の城  ・平山城
滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市 城に所在した日本の城である。同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。 今日では本丸跡に「城山神社」が祀られ、その南側を中心に滝の城址公園(たきのじょうしこうえん)として整備され、梅・桜の木や運動施設などが揃う公園となっている。
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438.秩父氏館  ・山城
秩父氏館(ちちぶしやかた)は、武蔵国秩父郡吉田郷(現在の埼玉県秩父市吉田町内)にあった秩父氏の居城である。吉田城、鶴ヶ窪城とも。蛇行する吉田川近くの高台に位置し、現在は秩父市所有。
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439.天神山城 (武蔵国)  ・山城
天神山城(てんじんやまじょう)とは、現在の埼玉県秩父郡長瀞町岩田にあった日本の城である。
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440.伝源経基館跡  ・平城
伝源経基館跡(でんみなもとのつねもとやかたあと)は、埼玉県鴻巣市に築かれていた武家館。通称・城山(箕田城、大間城と呼ばれる事もある)。平安時代中期に源経基が武蔵介として坂東に赴いた時に館としたと伝えられる。 埼玉県指定史跡・1941年(昭和16年)3月31日指定。
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441.難波田城  ・平城
難波田城(なんばたじょう)は、埼玉県富士見市南畑にあった日本の城。埼玉県旧跡。難波田城公園として整備されている。
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442.根古屋城  ・山城
根古屋城(ねごやじょう)は、埼玉県所沢市勝楽寺の山口貯水池(狭山湖)となっている人造湖の北岸にあった日本の城。埼玉県指定史跡[1]。
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443.鉢形城  ・連郭式平山城
鉢形城(はちがたじょう)は、埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にある戦国時代の日本の城跡である。構造は連郭式平山城。標高は最高点(三の曲輪)で122m。
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444.花崎遺跡
花崎遺跡(はなさきいせき)は、埼玉県加須市花崎にある遺跡。縄文時代や平安時代のものなどが出土している。1981年(昭和56年)8月11日に加須市指定文化財(史跡)に指定されている。
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445.羽生城  ・平城
羽生城(はにゅうじょう)は、埼玉県羽生市に存在した日本の城。16世紀初頭の築城とされ、永禄3年(1560年)の長尾景虎(後の上杉謙信)による関東出兵以降、上杉方の関東攻略の拠点となったが、後北条氏の度重なる攻撃を受け天正2年(1574年)閏11月に自落した。その後、城は後北条氏から成田氏に与えられ、天正18年(1590年)の徳川家康の関東入封後は大久保氏に与えられ、慶長19年(1614年)1月に廃城となった[1]。羽生市の指定文化財(史跡)に指定されている[2]。
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446.深谷城  ・平城
深谷城(ふかやじょう)は、現在の埼玉県深谷市本住町にあたる武蔵国榛沢郡深谷にあった日本の城である。形態は平城[4]。城跡は埼玉県指定旧跡[2]、また外堀(外濠)の一部が深谷市指定史跡[3]。
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447.本庄城 (武蔵国)
本庄城(ほんじょうじょう)とは、戦国時代の武蔵国児玉郡本庄(現在の埼玉県本庄市)に、武蔵七党の一角を占める武士団である児玉党を構成する本庄氏によって築かれた日本の城(平城)。後に本庄藩の居城となる。
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448.本田館
本田館(ほんでん やかた/ほんだ やかた)は、武蔵国児玉郡北堀村(現在の埼玉県本庄市、大字北堀の字本田)の地に築かれていた武家館。北堀堀の内234に堀・土塁などの跡が見られる(本庄台地上、自然堤防)。外堀の規模は不明だが、内堀は東西約80m、南北約100mほどの規模と考えられている。武蔵七党の一角を占める児玉党を構成していた本庄氏が築いたものと推定されている。
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449.松山城 (武蔵国)  ・梯郭式平山城
松山城(まつやまじょう)は、武蔵国横見郡松山(現在の埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山)にあった日本の城。別名「武州松山城」「武蔵松山城」。
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450.真鳥山城
真鳥山城(まとりやまじょう)は、埼玉県さいたま市桜区にある城址。真鳥日向守城・真鳥城とも呼ばれる。
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451.山口城 (武蔵国)  ・平山城
山口城(やまぐちじょう)は、埼玉県所沢市山口にあった日本の城。1962年(昭和37年)10月1日付で埼玉県指定旧跡[1]。狭山丘陵の標高79-90メートルの南斜面に所在し、南麓部は柳瀬川が流れている。
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452.領ヶ谷城  ・平城
領ヶ谷城(りょうがやじょう)は、埼玉県さいたま市南区太田窪にある城跡。
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453.蕨城  ・連郭式平城
蕨城(わらびじょう)は現在の埼玉県蕨市にあたる武蔵国足立郡にあった日本の城である。南北朝時代に室町幕府の渋川氏によって築城された。埼玉県指定旧跡[1]。
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千葉県の城

454.船橋市内に残る城館
船橋市内に残る城館(ふなばししないにのこるじょうかん)は、千葉県船橋市内にかつてあった城館をとりまとめたものである。
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455.我孫子城  ・平山城
我孫子城(あびこじょう)は、下総国相馬郡(現在の千葉県我孫子市我孫子)にあった日本の城である。
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456.有吉城  ・平山城
有吉城(ありよしじょう)は、千葉市緑区おゆみ野有吉にあった日本の城。
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457.飯野陣屋  ・陣屋
飯野陣屋(いいのじんや)は千葉県富津市にあった飯野藩の藩庁が置かれた 陣屋である。
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458.池和田城
池和田城(いけわだじょう)は、千葉県市原市池和田にあった日本の城。
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459.一宮城 (上総国)  ・平山城
一宮城(いちのみやじょう)は、千葉県(上総国)長生郡一宮町城ノ内に存在した日本の城。一宮町指定史跡[1]。通称「城山」。中世末期に一旦廃城となったが、江戸時代後期に一宮藩の陣屋として再建され、一宮陣屋(いちのみやじんや)と称した。
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460.稲村城  ・山城
稲村城(いなむらじょう)は、かつての安房国安房郡にあたる千葉県館山市稲(いな)に所在する日本の城跡である。2012年(平成24年)1月24日に岡本城(南房総市)とともに「里見氏城跡」として国の史跡に指定された。
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461.亥鼻城  ・平山城
亥鼻城(いのはなじょう)は、千葉県千葉市中央区亥鼻(旧:下総国)にあった日本の城(平山城)。通称は千葉城。周辺は亥鼻公園(歴史公園)として整備され、土塁、堀切などが現存する城跡は市の文化財に指定されている[1]。
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462.飯櫃城
飯櫃城(いびつじょう)は、千葉県山武郡芝山町飯櫃にあった日本の城。
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463.岩富城  ・平山城
岩富城(いわとみじょう)は、千葉県佐倉市岩富町にあった日本の城である。
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464.臼井城  ・連郭式平山城
臼井城(うすいじょう)は、現在の千葉県佐倉市臼井田付近にあった日本の城[1]。佐倉市指定史跡[2]。
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465.大網城  ・平山城
大網城(おおあみじょう)は、現在の千葉県大網白里市にあった戦国時代に存在した日本の城(平山城)。
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466.大椎城  ・連郭式平山城
大椎城(おおじじょう、おおじいじょう)は、千葉県千葉市緑区大椎町にあった日本の城。あすみが丘のワンハンドレッドヒルズに隣接する場所にあり、現在は私有地となっている。
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467.大多喜城  ・連郭式平山城
大多喜城(おおたきじょう)は、現在の千葉県夷隅郡大多喜町にあった戦国時代から江戸時代かけて存在した日本の城(平山城)。初めは小田喜城(おだきじょう)と呼ばれていた。江戸時代には大多喜藩が置かれていた。
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468.大戸城  ・山城
大戸城(おおとじょう)は、現在の千葉県君津市にあった日本の城。久留里城の支城であったとされる。
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469.大友城  ・平山城
大友城(おおともじょう)は、千葉県東庄町大友にあった日本の城。
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470.大野城 (下総国)  ・山城
大野城(おおのじょう)は下総国葛飾郡(現在の千葉県市川市大野町)に存在していた中世の日本の城。
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471.大柳館
大柳館(おおやぎやかた、だいりゅうかん)は、千葉県長生郡睦沢町北山田にあった日本の城。
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472.岡本城 (安房国)  ・山城
岡本城(おかもとじょう)は、千葉県南房総市富浦町豊岡にある日本の城。安房里見氏の居城。国の史跡に指定されている[1]。
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473.奥津城  ・山城
奥津城(おくつじょう)は、上総国夷隅郡興津(現在の千葉県勝浦市興津字要害)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。
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474.小弓城  ・平山城
小弓城(おゆみじょう)は、現在の千葉県千葉市中央区南生実町に存在した日本の城。南生実城(みなみおゆみじょう)とも呼ばれる。
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475.生実城  ・平山城
生実城(おゆみじょう)は、千葉市中央区生実町にあった日本の城。北生実城・北小弓城(きたおゆみじょう)とも言われる。近世以降は生実藩の陣屋(生実陣屋)がおかれた。
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476.勝浦城  ・海城
勝浦城(かつうらじょう)は、千葉県夷隅郡勝浦(現在の千葉県勝浦市浜勝浦)に存在した日本の城。勝浦市指定史跡[1]。
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477.金杉城  ・単郭式平山城
金杉城(かなすぎじょう)は現在の千葉県船橋市金杉にあった中世の日本の城である。
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478.金堀城  ・複郭式平山城
金堀城(かなぼりじょう)は千葉県船橋市金堀にあった中世の日本の城である。
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479.木出城
木出城(きでじょう)は、千葉県四街道市吉岡にあった日本の城。
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480.久寺家城  ・平山城
久寺家城(くじけじょう)は、下総国(現在の千葉県我孫子市久寺家)にあった日本の城である。同城についての記録は全くなく、詳細は不明である。
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481.久保田城 (上総国)  ・平山城
久保田城(くぼたじょう)は、上総国望陀郡(現在の千葉県袖ケ浦市久保田字浜宿)にあった日本の城。
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482.蔵波城  ・平山城
蔵波城(くらなみじょう)は、かつて千葉県袖ケ浦市蔵波にあった日本の城。
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483.栗ケ沢城  ・平山城
栗ケ沢城(くりがさわじょう)は、現在の千葉県松戸市栗ケ沢字北之内及び同市根木内字殿内、同市小金原にかけてあった日本の城。室町時代後期から、戦国・安土桃山時代にかけて存在したとされている。
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484.久留里城  ・連郭式山城
久留里城(くるりじょう)は、現在の千葉県君津市久留里付近にあった日本の城である。別名、雨城・霧降城・浦田城とも呼ばれる[1]。
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485.国府台城  ・連郭式平山城
国府台城(こうのだいじょう)は、現在の千葉県市川市国府台付近にあった日本の城である。城名は市河城・鴻之台城とも。ただし市河城(市川城)に関しては、国府台城東側の真間山(現在の市川市真間)上の弘法寺付近にあったともされ、別の城、あるいは存在時期からみて、元となった城とみる説もある。
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486.小金城  ・平山城
小金城(こがねじょう)は下総国葛飾郡(現在の千葉県松戸市大谷口付近)にあった日本の城である。
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487.小西城  ・平山城
小西城(こにしじょう)は、現在の千葉県大網白里市にあった戦国時代に存在した日本の城(平山城)。
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488.米ケ崎城  ・単郭式平山城
米ケ崎城(こめがさきじょう)は現在の千葉県船橋市米ケ崎にあった中世の日本の城である。
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489.坂田城  ・連郭式平山城
坂田城(さかたじょう)は、現在の千葉県山武郡横芝光町坂田付近にあった日本の城。
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490.鷺沼城  ・連郭式平山城
鷺沼城(さぎぬまじょう)は現在の千葉県習志野市鷺沼付近にあった日本の城。
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491.桜井城
桜井城(さくらいじょう)は、千葉県旭市櫻井にあった日本の城。
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492.佐倉城  ・連郭式平山城
佐倉城(さくらじょう)は、千葉県佐倉市城内町にあった近世の日本の城。江戸時代には佐倉藩の藩庁が置かれた。市指定史跡[1]および日本城郭協会選定の日本100名城(第20番)である。城跡は佐倉城址公園として整備されている。
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493.篠本城  ・連郭式平山城
篠本城(ささもとじょう)は、現在の千葉県山武郡横芝光町篠本付近にあった中世日本の城である。
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494.佐貫城  ・連郭式平山城
佐貫城(さぬきじょう)は、千葉県富津市佐貫にあった日本の城。江戸時代には佐貫藩の藩庁が置かれた。
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495.椎津城  ・平山城
椎津城(しいづじょう)は、千葉県市原市椎津にあった日本の城。千葉県指定史跡。
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496.椎名崎城
椎名崎城(しいなざきじょう)は、千葉県千葉市緑区椎名崎町にあった日本の城。
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497.柴崎城  ・不明
柴崎城(しばさきじょう)は、下総国相馬郡(現在の千葉県我孫子市柴崎台3丁目付近)にあった日本の城。現在敷地の一部が我孫子市立我孫子第三小学校となっている。
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498.芝崎城  ・不明
芝崎城(しばさきじょう)は、下総国(現在の千葉県匝瑳郡光町虫生字中城)にあった日本の城[1]。
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499.志摩城  ・平山城
志摩城(しまじょう)は、千葉県香取郡多古町島にあった日本の城。
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500.酒蔵城  ・平山城、居館
酒蔵城(しゅぞうじょう)または酒造城は、千葉県東金市酒蔵(しゅぞう)に所在する日本の城跡。布留川砦(ふるかわとりで)とも言う[1]。
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501.城城  ・平山城
城城(じょうじょう/しろのじょう)は現在の千葉県佐倉市城(じょう)に存在した日本の城(平山城)である。
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502.城ノ腰城 (下総国)  ・平山城
城ノ腰城(じょうのこしじょう)は、千葉市若葉区大宮町にあった日本の城である。
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503.城山城 (下総国)  ・平山城
城山城(しろやまじょう)は、千葉市若葉区大宮町にあった日本の城である。
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504.須賀山城
須賀山城(すがやまじょう、すかやまじょう)は、千葉県香取郡東庄町笹川にあった日本の城。
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505.助崎城
助崎城(すけざきじょう)は、千葉県成田市名古屋にあった日本の城。
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506.関宿城  ・平城
関宿城(せきやどじょう)は、千葉県野田市関宿三軒家にあった日本の城である。室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれたとされ、以降簗田氏嫡流の関宿簗田家の居城になったと伝わる。江戸時代には関宿藩の藩庁が置かれた。廃藩置県後は天皇家の物となった(大正宮内庁管轄)。
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507.千本城 (上総国)  ・山城
千本城(せんぼんじょう)は、千葉県君津市広岡にあった日本の城。
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508.平良文館
平良文館(たいらのよしふみやかた)は、千葉県香取市阿玉台にあった日本の城。
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509.高品城  ・平山城
高品城(たかしなじょう)は、現在の千葉県千葉市若葉区高品町にあった日本の城。
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510.高藤山城
高藤山城(たかとうやまじょう)は、千葉県長生郡一宮町一宮にあった日本の城。
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511.高根城  ・平山城
高根城(たかねじょう)は現在の千葉県船橋市高根町字城高山にあった中世の日本の城である。
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512.滝田城  ・山城
滝田城(たきだじょう)は、安房国平群郡(現在の千葉県南房総市上滝田・下滝田付近)にあった日本の城である。南房総市指定史跡[1]。
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513.武石館  ・平山城
武石館(たけいしやかた、たけしやかた)は、千葉市花見川区武石町にあった日本の城。
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514.多古城  ・平山城
多古城(たこじょう)は、千葉県香取郡多古町にあった日本の城。
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515.館山城  ・連郭式山城
館山城(たてやまじょう)は、千葉県館山市館山にあった日本の城。館山市指定史跡[1]。
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516.多部田城
多部田城(たべたじょう)は、千葉市若葉区多部田町にあった日本の城。
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517.千田城
千田城(ちだじょう)は、千葉県香取郡多古町千田に築かれていた日本の城。
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518.庁南城
庁南城(ちょうなんじょう)は、千葉県長生郡長南町長南にあった日本の城。
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519.造海城  ・連郭式山城
造海城(つくろうみじょう)は、千葉県富津市竹岡にあった日本の城。
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520.津辺城  ・平山城
津辺城(つべじょう)は千葉県山武市(旧成東町)にあった日本の城。
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521.手賀城  ・平山城
手賀城(てがじょう)は、下総国にあたる現在の千葉県柏市手賀字城内にあった日本の城[3]。
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522.東金城  ・平山城
東金城(とうがねじょう)は、千葉県東金市東金の八鶴湖畔の本漸寺後方の台地上にあった日本の城である。1521年(大永元年)に戦国武将である酒井定隆と酒井隆敏が土気城から田間城を経て東金へ移り、築いたといわれる。別名:鴇ケ根城(ときがねじょう)。東金市指定史跡[1]。
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523.土気城  ・連郭式平山城
土気城(とけじょう)は、千葉県千葉市緑区土気町にあった日本の城跡。
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524.長沼城 (下総国)  ・平山城
長沼城(ながぬまじょう)は、千葉県成田市長沼にあった日本の城。結城氏の一族長沼氏の居城であった。
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525.中野城 (下総国)  ・平城
中野城(なかのじょう)は下総国、現在の千葉県千葉市若葉区にあった日本の城。
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526.中峠城  ・平山城
中峠城(なかびょうじょう)は、現在の千葉県我孫子市中峠にあたる下総国相馬郡にあった日本の城である。芝原城(しばはらじょう)ともいう[2]。
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527.名古屋城 (下総国)  ・平山城
名古屋城(なごやじょう)は現在の千葉県成田市に存在した日本の城(平山城)。
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528.夏見城  ・平山城
夏見城(なつみじょう)は現在の千葉県船橋市夏見にあった中世の日本の城である。
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529.成東城  ・平山城
成東城(なるとうじょう)は、千葉県山武市成東町にあった日本の城。
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530.根木内城  ・平山城
根木内城(ねぎうちじょう)は、現在の千葉県松戸市根木内字城ノ内にあった日本の城。
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531.根戸城  ・山城[注 1]
根戸城(ねどじょう)は、下総国相馬郡(現在の千葉県我孫子市根戸字荒追付近)にあった日本の城[2]。我孫子市内で最も西に位置する[3]。現在は私有地になっている[3]。戦国時代の城と考えられているが、当時の資料が乏しく、同城について記載した最初の文献は1920年(大正9年)刊行の『富勢村史』であるため、はっきりと断定できることは何一つない[4][5][6]。
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532.花輪城
花輪城(はなわじょう)は、日本に複数ある城。
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533.平山城 (下総国)  ・連郭式平山城
平山城(ひらやまじょう)は、千葉市緑区平山町にあった日本の城である。
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534.福星寺館
福星寺館(ふくしょうじやかた)は、千葉県四街道市吉岡にあった日本の城。
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535.布佐城  ・平山城
布佐城(ふさじょう)は、下総国相馬郡にあたる現在の千葉県我孫子市布佐にあった日本の城。和田城という別名をもつ。
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536.布施殿台城
布施殿台城(ふせとのだいじょう)は、千葉県いすみ市下布施にあった日本の城。
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537.法華坊館  ・不明
法華坊館(ほうかぼうやかた、ほっけぼうやかた)は、過去に存在した日本の城館。現在の千葉県我孫子市根戸台田4丁目付近にあったと考えられている。約300 m南には根戸城が存在していたと考えられいる。
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538.本納城  ・山城(平山城)
本納城(ほんのうじょう)は千葉県茂原市本納字本城山付近にあった日本の城である。
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539.馬加城  ・連郭式平山城
馬加城(まくわりじょう)は日本の城。千葉県千葉市花見川区幕張町に所在していた。
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540.増尾城  ・連郭式平山城
増尾城(ますおじょう)は千葉県柏市増尾にあった日本の城。城跡は「増尾城址総合公園」となっている[1]。
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541.松尾城 (上総国)  ・稜堡式
松尾城(まつおじょう)は、現在の千葉県山武市松尾町にあった日本の城。明治維新期、柴山藩(松尾藩)によって築城に着手され藩庁も置かれたが、城は完成に至らぬまま廃藩置県を迎えた。「松尾」の名は、知藩事太田資美の旧領であった掛川城の別名に由来する。別名「太田城」。
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542.松子城
松子城(まつこじょう)は、千葉県成田市松子にあった日本の城。
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543.松戸城  ・平山城
松戸城(まつどじょう)は、戦国時代に現在の千葉県松戸市松戸に存在した日本の城(平山城)。
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544.真里谷城  ・丘城
真里谷城(まりやつじょう/まりがやつじょう)は、現在の千葉県木更津市真里谷にあった日本の城(山城)である。
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545.万喜城
万喜城(まんぎじょう)は、上総国夷隅郡(現在の千葉県いすみ市万木)にあった日本の城。万木城・満喜城・万騎城とも表記された。
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546.実籾城
実籾城(みもみじょう)は現在の千葉県習志野市実籾本郷付近にあった日本の城。
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547.本佐倉城  ・連郭式平山城
本佐倉城(もとさくらじょう)は、千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれた千葉氏後期の本拠地となった日本の城。文明年間(1469年-1486年)の築城で、国の史跡に指定されている[1]。2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(121番)に選定された。
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548.本矢作城
本矢作城(もとやはぎじょう)は、千葉県香取市本矢作にあった日本の城。香取市指定史跡[1]。
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549.森山城  ・平山城
森山城(もりやまじょう)は、下総国香取郡(現在の千葉県香取市岡飯田)にあった日本の城。
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550.矢作城
矢作城(やはぎじょう)、または大崎城(おおさきじょう)は、千葉県香取市大崎にあった日本の城。「大崎城跡」として香取市指定史跡[1]。
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551.山梨城
山梨城(やまなしじょう)は、千葉県四街道市山梨にあった日本の城。
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552.山之城  ・山城
山之城(やまのじょう)は、安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市主基西)にあった日本の城。
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553.吉橋城
吉橋城(よしはしじょう)は、千葉県八千代市吉橋にあった日本の城。
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554.米本城  ・平山城
米本城(よなもとじょう)は千葉県八千代市にあった日本の城である。米本城跡。地元では「龍牙城(りゅうげじょう)」などと呼ばれている。
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東京都の城

555.赤塚城  ・平山城
赤塚城(あかつかじょう)は、現在の東京都板橋区赤塚五丁目にあった日本の城。城跡は東京都立赤塚公園の一部として整備され、広場、梅林、桜並木などがある[3]。
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556.石浜城  ・不明
石浜城(いしはまじょう)は、中世の武蔵国に存在した日本の城。正確な所在地については意見が分かれているが、現在の東京都台東区浅草七丁目付近、あるいは荒川区南千住三丁目付近[2]が候補地となっている。
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557.今井城 (武蔵国)  ・山城
今井城(いまいじょう)とは、かつて東京都青梅市に存在した城である。青梅市指定史跡[1]。
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558.江戸城  ・輪郭式平城または平山城
江戸城(えどじょう)は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった日本の城である。現在は皇居となっている[3]。
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559.大丸城  ・山城
大丸城(おおまるじょう)は、かつて東京都稲城市大丸に存在した室町時代前半の城跡。大丸遺跡(多摩ニュータウンNo.513遺跡)の一つ。
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560.奥沢城  ・平城
奥沢城(おくさわじょう)は武蔵国荏原郡世田谷[1](現・東京都世田谷区奥沢)にあった日本の城。現在は九品仏浄真寺となっている。
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561.小野路城  ・平山城
小野路城(おのじじょう)は、東京都町田市小野路町にあった日本の城である。
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562.葛西城  ・平城
葛西城(かさいじょう)は、現在の東京都葛飾区青戸にあった中世の日本の城(平城)である[注釈 1]。「葛西城跡」として1998年(平成10年)3月13日に東京都指定史跡に指定されている[1]。
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563.勝沼城  ・平山城
勝沼城(かつぬまじょう)は、東京都青梅市にあった日本の城。別名は師岡城(もろおかじょう)。東京都指定史跡[1]。
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564.辛垣城  ・連郭式山城
辛垣城(からかいじょう)は、東京都青梅市にあった日本の城。青梅市指定史跡[1]。
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565.川辺堀之内城  ・不明
川辺堀之内城(かわべほりのうちじょう)は、現在の東京都日野市川辺堀之内にあった日本の城。
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566.皇居東御苑
皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)は、東京都千代田区の皇居の東側に付属している広さ約21ヘクタールの庭園。宮内庁の管轄。皇宮警察がある。
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567.渋谷城  ・平山城
渋谷城(しぶやじょう)は現在の東京都渋谷区に存在した日本の城(平山城)である。
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568.志村城  ・平山城
志村城(しむらじょう)は東京都板橋区志村2丁目にあった日本の城。
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569.石神井城  ・連郭式平山城
石神井城(しゃくじいじょう)は日本の城。所在地は東京都練馬区石神井台。東京都指定文化財史跡[2]。
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570.深大寺城  ・連郭式平城
深大寺城(じんだいじじょう)は、東京都調布市深大寺元町にあった日本の城。国の史跡。所在地は深大寺元町5丁目31-10。神代植物公園の附属施設である「水生植物園」内。
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571.世田谷城  ・平城
世田谷城(せたがやじょう)は、武蔵国荏原郡世田谷[1](現・東京都世田谷区豪徳寺)にあった日本の城。
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572.戸倉城 (武蔵国)  ・連郭式山城
戸倉城(とくらじょう)は、武蔵国多摩郡西戸倉城山(東京都あきる野市)にあった日本の城。都指定史跡。
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573.練馬城  ・平山城
練馬城(ねりまじょう)は、現在の東京都練馬区向山にあった室町時代の日本の城である。
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574.平塚城  ・平山城
平塚城(ひらつかじょう)は、武蔵国豊嶋郡(東京都北区)にあった日本の城。別名は豊島城。
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575.元木山城  ・平城
元木山城(もときやまじょう)は、東京都町田市能ヶ谷にあった日本の城である。
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神奈川県の城

576.青ヶ台城  ・山城
青ヶ台城(あおがだいじょう)、または青ヶ台城山(あおがだいしろやま)・青ヶ城(あおがじょう)[2]・金沢城(かねさわじょう)[3]は、神奈川県横浜市金沢区釜利谷東4丁目にあったと伝わる日本の城。伝承では鎌倉幕府執権・北条氏の一門金沢流北条氏の居城ではないかとされている。
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577.青木城 (武蔵国)  ・平山城
青木城(あおきじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区高島台にあった16世紀の日本の城。現在の本覚寺付近とされ、小田原の後北条氏被官・多米氏の居城とされる。
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578.足柄城  ・山城
足柄城(あしがらじょう)は、静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境の足柄峠付近にあった日本の城。別名、霞城ともいう。旧東海道の足柄古道に位置する山城(尾根城)。
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579.新井城  ・平山城
新井城(あらいじょう)は、神奈川県三浦市三崎町小網代(こあじろ)に所在する日本の城跡。荒井城・小網代城・三崎城とも。相模三浦氏の本拠地とされる。
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580.石垣山
石垣山(いしがきやま)は、神奈川県小田原市にある山。標高261.9メートル[1]。豊臣秀吉が石垣山一夜城を築城したことで知られる[1]。1959年に「石垣山」の名称で国の史跡に指定された。
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581.石垣山一夜城歴史公園
石垣山一夜城歴史公園(いしがきやまいちやじょうれきしこうえん)は、神奈川県小田原市早川にある、石垣山一夜城の跡地を整備した公園。
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582.石垣山城  ・梯郭式山城
石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にあった陣城跡である。石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれている。
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583.泉小次郎親衡館  ・平山城
泉小次郎親衡館(いずみこじろうちかひらやかた)、または中和田城(なかわだじょう)は神奈川県横浜市泉区和泉中央南の泉中央公園にある日本の城跡。1213年(建暦3年)に起きた北条義時打倒未遂事件(泉親衡の乱)の首謀者・泉親衡の居館とする伝承がある。横浜市地域史跡[1]。
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584.井田城 (武蔵国)  ・山城
井田城(いだじょう)は神奈川県川崎市高津区蟹ケ谷・中原区井田付近にあったとされる日本の山城。神奈川県立中原養護学校辺りだったと云い、近傍の神庭緑地の蟹ヶ谷古墳群を井田城土塁と誤認する言説がある(後述)。
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585.一升桝遺跡  ・山城
一升桝遺跡(いっしょうますいせき)、または一升桝の塁(いっしょうますのるい)[2]は、神奈川県鎌倉市極楽寺二丁目・四丁目にある中世の城郭跡。2007年(平成19年)2月6日に国の史跡に指定された[1]。
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586.今井城 (武蔵国都筑郡)  ・平山城(丘城)
今井城(いまいじょう)[1]、または今井砦(いまいとりで)[2]は、神奈川県横浜市保土ケ谷区今井町に存在した日本の城(砦)跡。木曽義仲の家人・今井兼平の居城とする伝承がある。
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587.浦賀城  ・山城
浦賀城(うらがじょう)は、神奈川県横須賀市東浦賀にあった、戦国時代末期の日本の城(山城)である。
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588.荏田城  ・丘城
荏田城(えだじょう)は、武蔵国都筑郡荏田郷(現在の神奈川県横浜市青葉区荏田町)にあった日本の城。城の東を古鎌倉街道が通り、南を矢倉沢往還(大山道)が通る[2]。現在は立入禁止になっている[3]。
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589.榎下城  ・連郭式平山城
榎下城(えのしたじょう)または久保城(くぼじょう)は神奈川県横浜市緑区三保町[6]にあった上杉氏の日本の城。現在は久保山舊城寺(旧城寺)の境内となっている[注 1]。
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590.大庭城  ・平山城
大庭城(おおばじょう)は、神奈川県藤沢市大庭にあった日本の城。城跡には現在も多くの遺構が残り、大庭城址公園として整備されている。2021年(令和3年)に「大庭城跡」として藤沢市指定史跡に指定された[1]。
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591.岡津城  ・平山城
岡津城(おかづじょう)は神奈川県横浜市泉区岡津町(相模国鎌倉郡)にあったとされる室町時代から戦国時代にかけての山城。
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592.小沢城  ・山城
小沢城(おざわじょう)は神奈川県川崎市多摩区菅仙谷にあった日本の城である。現在は小沢城跡を含めた周辺は小沢城址緑地保全地区に指定され小沢城址里山の会が緑地保全を行っている。小沢天神山城とも呼ばれる[2]。
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593.小田原城  ・平山城
小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての城(平山城)。北条氏の本拠地として有名である。江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。
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594.御幣山城  ・山城
御幣山城(おんべやまじょう)、または御幣山砦(おんべやまとりで)は、相模国鎌倉郡大鋸町、現在の神奈川県藤沢市藤が岡にあった日本の城(山城)。
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595.神奈川台場  ・台場
神奈川台場(かながわだいば)は、神奈川県横浜市神奈川区にある、江戸時代末期に勝海舟により設計され伊予松山藩が築造した台場。なお、マンション建築に伴う埋め立て工事が進められており、神奈川県と地域住民、歴史学者での話し合いが進められている。
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596.鎌倉城  ・城郭都市?異説あり
鎌倉城(かまくらじょう)とは、現在の神奈川県鎌倉市域にあたる中世鎌倉の地を示す呼称である。中世当時の史料に見える言葉だが、その解釈には諸説があり、鎌倉全域を軍事要塞=城郭都市と見なしたとする説のほか、そうではなく源頼朝=源氏の「本拠地」を意味する言葉とする説などがある。
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597.河村城  ・連郭式山城
河村城(かわむらじょう)は、神奈川県の足柄上郡山北町にあった日本の城。
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598.衣笠城  ・山城※異説あり[1]
衣笠城(きぬがさじょう)とは、相模国三浦郡、現在の神奈川県横須賀市衣笠町にあった日本の城(山城[2]※異説あり[1])。三浦半島中央部に立地する。横須賀市指定史跡[3]。
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599.小沢古城  ・山城
小沢古城(こさわこじょう)は神奈川県愛甲郡愛川町角田にあった日本の城である。
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600.小沢城 (相模国)  ・山城
小沢城(こさわじょう)は神奈川県愛甲郡愛川町小沢にあった日本の城である。現在は小沢城跡を含めた周辺は民有地となっている。
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601.小菅ヶ谷殿館  ・城館
小菅ヶ谷殿館(こすがやどのやかた)は、神奈川県横浜市栄区小菅ケ谷にあったと伝承される日本の城(中世城館)。鎌倉幕府第3代執権北条泰時の娘「小菅ヶ谷殿」の住まいであったとされる[1]。
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602.小杉御殿  ・御殿・御茶屋
小杉御殿(こすぎごてん)は、江戸時代初頭の慶長13年(1608年)に中原街道沿いに造営された、徳川将軍家の御殿(宿泊施設あるいは休憩所)である。中原街道がクランク状になった場所の西側、現在の西明寺の境内にあった。現在の行政区では神奈川県川崎市中原区小杉御殿町にあたる。
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603.小杉陣屋  ・陣屋
小杉陣屋(こすぎじんや)は、江戸時代初期の旗本・幕府領代官で、用水奉行だった小泉次大夫吉次の陣屋。武蔵国小杉、現在の神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町にあたり、小杉御殿の東隣にあった。
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604.小机城  ・連郭式平山城
小机城(こづくえじょう)は、武蔵国橘樹郡小机郷(現在の神奈川県横浜市港北区小机町)にあった日本の城(平山城)。現在は小机城址市民の森として、城の遺構が整備されている。
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605.権現山城  ・平山城
権現山城(ごんげんやまじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷にあった日本の城である。
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606.五合桝遺跡  ・山城?
五合桝遺跡(ごんごうますいせき[7])は、神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目にある中世の城郭とされる遺跡。この遺跡自体が指定物件ではないが、2006年(平成18年)7月28日に国の史跡に指定された「仏法寺跡」内に含まれている[1][4]。
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607.笹下城  ・山城
笹下城(ささげじょう)または佐々木城は、小田原北条家の家臣だった間宮氏の居城[1]。神奈川県横浜市港南区笹下に所在した[2]。玉縄城と青木城をつなぐ「伝えの城」としての役割を有していた[3]。
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608.佐原城  ・不明
佐原城(さわらじょう)は、神奈川県横須賀市佐原3丁目にあった中世山城。相模国の豪族三浦氏一門、三浦義明の子、佐原義連の居城と伝わる。
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609.獅子ヶ谷城  ・山城
獅子ヶ谷城(ししがやじょう)は、神奈川県横浜市鶴見区獅子ケ谷3丁目と港北区師岡町の境に所在する安土桃山時代から江戸時代初頭とされる日本の城(山城)。御薗城(みそのじょう)、獅子ヶ谷殿山(ししがやとのやま)ともいう[1]。
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610.篠原城 (横浜市)  ・連郭式平山城
篠原城(しのはらじょう)または金子城(かねこじょう)は、横浜市港北区篠原町2564番付近に所在する、中世山城の一つ。
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611.杉本城
杉本城(すぎもとじょう)とは、日本の城名の1つ。
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612.杉本城 (相模国)  ・山城
杉本城(すぎもとじょう)は、相模国鎌倉郡、現在の神奈川県鎌倉市二階堂の杉本寺裏山にあったとされる日本の城。
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613.鷹ノ巣城 (相模国)  ・山城
鷹ノ巣城(たかのすじょう)、または鷹巣城[2]・鷹の巣城[3]は、神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷字上鷹ノ巣にあった後北条氏の日本の城。なお類似の城名は全国にある(鷹巣城)。
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614.玉縄城  ・平山城
玉縄城(たまなわじょう)は、旧相模国鎌倉郡玉縄村、現在の神奈川県鎌倉市玉縄地域城廻にあった日本の城(平山城)。甘縄城ともいう。最寄の鉄道駅はJR大船駅。
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615.玉縄陣屋  ・陣屋
玉縄陣屋(たまなわじんや)は、旧相模国鎌倉郡植木村にあたる現在の神奈川県鎌倉市植木字相模陣に所在した陣屋。江戸時代前半期に当地に存在した玉縄藩の藩庁で、玉縄城(山城)の南山麓にあったと推定されている。
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616.田村館  ・城館
田村館(たむらやかた)、または田村城(たむらじょう)は神奈川県平塚市田村にあったとされる日本の城(城館)跡である。鎌倉幕府草創期の御家人・三浦義村の居館。田村山荘(庄)(たむらさんそう)ともいう。
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617.茅ヶ崎城  ・丘城
茅ヶ崎城(ちがさきじょう)は、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東2丁目25にあった日本の城である。港北ニュータウン遺跡群の1つ[1]。都会にありながら、中世の城郭としては比較的よく遺構が残っている。横浜市指定史跡[2]。現在は茅ヶ崎城址公園として公園化している。
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618.津久井城  ・山城
津久井城(つくいじょう)は神奈川県相模原市緑区にある日本の城。後北条氏の時には武田軍への最前線の城として重要視された。筑井城とも表記される。
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619.寺尾城 (川崎市)  ・山城
寺尾城(てらおじょう)または菅寺尾城(すげてらおじょう)は神奈川県川崎市多摩区菅馬場2丁目30付近にある中世山城。
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620.寺尾城 (横浜市)  ・山城
寺尾城(てらおじょう)は、神奈川県横浜市鶴見区馬場3丁目付近に所在する、中世の山城。横浜市登録地域文化財(地域史跡)に登録されている。
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621.長尾城  ・山城
長尾城(ながおじょう)、または長尾台の塁(ながおだいのるい)、長尾砦(ながおとりで)、長尾台城(ながおだいじょう)は、神奈川県横浜市栄区長尾台町(旧鎌倉郡長尾郷)にある日本の城跡(山城)。玉縄城の出城とされ、また関東管領上杉氏の家宰・長尾氏発祥の地と伝わる[1]。
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622.七沢城  ・山城
七沢城(ななさわじょう)、または七沢要害(ななさわようがい)は、神奈川県厚木市七沢に所在する室町時代の日本の城跡。
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623.野庭関城  ・山城
野庭関城(のばのせきじょう/のばのせきしろ)は、神奈川県横浜市港南区野庭町に存在したと伝わる中世の城郭である。
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624.早川城  ・山城
早川城(はやかわじょう)は、神奈川県綾瀬市早川城山3丁目にあった日本の城跡。神奈川県指定史跡。
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625.深見城  ・山城
深見城(ふかみじょう)は、神奈川県大和市深見字城ヶ岡にあった日本の城。
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626.淵野辺城  ・平城
淵野辺城(ふちのべじょう)は、現在の神奈川県相模原市中央区にあった日本の城。南北朝時代に淵野辺村の地頭だった淵辺義博の館である。
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627.蒔田城  ・山城
蒔田城(まいたじょう)は神奈川県横浜市南区蒔田町に存在したとされる日本の城。武蔵世田谷(東京都世田谷区)と共に蒔田を領有した吉良氏の居城とされる。
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628.枡形城  ・山城
枡形城(ますがたじょう)は神奈川県川崎市多摩区にあった日本の城。
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629.三崎城  ・平山城
三崎城(みさきじょう)は、現在の神奈川県三浦市城山町に存在した日本の城。または三浦城。相模三浦氏の本拠地で後に後北条氏が領する。
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630.矢上城  ・山城
矢上城(やがみじょう)、または中田加賀守館(なかたかがのかみやかた)は、神奈川県横浜市港北区日吉4丁目にあったとされる戦国時代の日本の城。
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631.矢部城  ・平城
矢部城(やべじょう または矢部氏館 やべしやかた とも言う)は、鎌倉時代に横山党の一員であった矢部義兼がつくったものとされる日本の城。現在の神奈川県相模原市中央区上矢部にあたる。
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新潟県の城

632.蒲原津城  ・平山城
蒲原津城(かんばらのつじょう)は、現在の新潟県新潟市中央区万代島にあったと推定される日本の城。
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633.北条城  ・連郭式山城
北条城(きたじょうじょう)は、現在の新潟県柏崎市大字北条にかつて存在していた日本の城。北条高広が長尾景虎(上杉謙信)に乱を起こす際に拠点としたことで知られる。
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634.木場城  ・平城
木場城(きばじょう)は、現在の新潟県新潟市西区木場にあった日本の城。
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635.清崎城  ・平城
清崎城(きよさきじょう)は、越後国頚城郡(現・新潟県糸魚川市清崎)[1] に存在した日本の城(平城)。糸魚川城とも記される。桃山時代まで存続した勝山城(落水城)の東に位置する。のちの糸魚川陣屋はより海に近い。
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636.蔵王堂城  ・平城
蔵王堂城(ざおうどうじょう)は、現新潟県長岡市西蔵王の金峯神社及び安禅寺の位置にあった日本の城。長岡市指定史跡[1]。
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637.坂戸城  ・山城
坂戸城(さかどじょう)は、新潟県南魚沼市に存在した大規模な日本の城(山城)。坂戸山山頂(標高634メートル)に本丸、麓に平時の居館跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置する。1979年(昭和54年)6月11日、国の史跡に指定された[1]。
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638.鮫ヶ尾城  ・連郭式山城
鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、現新潟県妙高市にかつて存在した上杉家配下の日本の城。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された(鮫ヶ尾城跡)。
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639.猿毛城
猿毛城(さるげじょう)は、新潟県上越市柿崎区にあった日本の城。築城主や築城年は定かではない。
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640.雑太城  ・平山城
雑太城(さわだじょう)は、佐渡国雑太郡、現在の新潟県佐渡市佐和田大字竹田字内新川に存在した日本の城(平山城)。別名は檀風城・新川城。中世に佐渡を支配した本間氏の居城であった。跡地は妙宣寺となっている。
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641.新発田城  ・平城
新発田城(しばたじょう)は、越後国蒲原郡新発田[1](現在の新潟県新発田市大手町)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。
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642.島崎城 (越後国)  ・山城
島崎城(しまざきじょう)は、現在の新潟県長岡市島崎にあった日本の城。
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643.栖吉城  ・山城
栖吉城(すよしじょう)は、新潟県長岡市栖吉町にあった日本の城。 築城年ははっきりしないが、永正年間(1504年 - 1521年)に古志長尾家の長尾孝景が築城し、蔵王堂城から古志長尾家の本拠を移したとされる。 御館の乱では景勝の中心的な上田長尾家(通称、上田衆)との対抗上上杉景虎に与したが、居多浜の合戦に於いて城主上杉景信(通称、古志十郎)が討死。城も落城して古志長尾家の本流は滅亡した。 乱後は上杉謙信在命中に古志長尾家を継承(長尾姓の名乗りは辞退)していた河田長親が古志長尾家の遺臣たちを栖吉衆として再編。その長親が越中松倉城で急死すると最前線は無理との判断で嫡男の岩鶴丸が栖吉城に戻される形で城主となるが早世。親戚筋の河田親詮が河田家を継ぐも軍役を縮小されて栖吉衆の一武将に格下げとなった為に名実共に古志長尾家は滅亡となった。 上杉家の会津転封により廃城となったが、河田家の没落以後は景勝直参となった栖吉衆が番将として治めた。 また、上杉謙信の母である虎御前(青岩院)はこの城の城主であった長尾房景(長尾顕吉との説も有り)の娘である。このため謙信はこの城で誕生したと伝説されている。
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644.高田城  ・輪郭式平城
高田城(たかだじょう)は、現在の新潟県上越市本城(もとしろ)町にあった日本の城である。「鮫ヶ城」の別名が市民によく膾炙している。新潟県指定史跡[1]。2017年(平成29年)には続日本100名城に選定された。
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645.滝谷城  ・山城
滝谷城(たきやじょう)は、現在の新潟県刈羽郡刈羽村大字滝谷にあった日本の城。別名を勝山城(かつやまじょう)と云う。現在は曲輪・空堀・外堀などの遺稿が現存する。
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646.津川城  ・平山城
津川城(つがわじょう)は、新潟県東蒲原郡阿賀町(越後国蒲原郡)にあった日本の城。阿賀野川と常浪川に囲まれた麒麟山に築かれた。
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647.天神山城 (越後国)  ・山城
天神山城(てんじんやまじょう)は、新潟県新潟市西蒲区にあった城。標高234.5メートルの山頂に築かれた堅固な日本の城(山城)。新潟市指定史跡[1]。本丸には土塁・空堀・枡形虎口、二の丸には野面積みの石垣、水源と思われる池が存在した。
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648.栃尾城  ・山城
栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾地域に存在した日本の城。別名・舞鶴城、大野城とも。標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城である。新潟県指定史跡。
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649.鳥坂城  ・山城
鳥坂城(とっさかじょう)は、新潟県沼垂郡中条町鳥坂山(現在の新潟県胎内市奥山荘城館)にあった日本の城。別名「白鳥城」「奥山荘城」「中条城」など。頚城郡にあった上杉氏の支城は「鳥坂(とりさか)城」で読みが異なる。
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650.鳥坂城 (越後国頚城郡)  ・山城
鳥坂城(とりさかじょう)は、越後国頚城郡姫川原村鳥坂(現・新潟県妙高市新井区姫川原字鳥坂山)に存在した日本の城(山城)。下越にある北蒲原の鳥坂城(とっさかじょう)と異なり読みは「とりさか」。「高城」「鶏冠城」「新井鳥坂城」とも称される[1]。妙高市史跡。
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651.長岡城  ・平城
長岡城(ながおかじょう)は、越後国古志郡長岡[1] (現:新潟県長岡市)にあった日本の城である。
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652.長峰城
長峰城(ながみねじょう)は越後国頸城郡長峰(現・新潟県上越市吉川区長峰付近)に中世から近世初頭にかけて存在した日本の城(平山城)。城主は中世に那須氏、のち近世に牧野氏。
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653.新潟城  ・平城
新潟城(にいがたじょう)は、戦国時代の一時期に存在したとされる日本の城。現在の新潟県新潟市中央区にあったと比定される。
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654.新津城
新津城(にいつじょう)は、新潟県新潟市秋葉区(旧新津市)にあった日本の城。
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655.新穂城  ・平城
新穂城(にいぼじょう)は、佐渡国賀茂郡[2]新穂、のちの新潟県加茂郡下新穂村[3](現・新潟県佐渡市下新穂字郷内)に存在した日本の城(平城)。1973年(昭和48年)3月29日、新潟県指定史跡に指定された[4]。
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656.沼垂城
沼垂城(ぬたりじょう)は、日本の戦国時代に越後国にあった日本の城である。現在の新潟県新潟市中央区にあたる。
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657.渟足柵  ・古代城柵
渟足柵(ぬたりのき/ぬたりのさく)は、越国(高志国)にあった日本の古代城柵。「沼垂城」とも。
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658.根知城  ・山城
根知城(ねちじょう)は、新潟県糸魚川市根知谷区に位置する日本の城(複合型山城)である。新潟県指定史跡[1]。
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659.直峰城  ・山城
直峰城(のうみねじょう[1]、なおみねじょう[2][3])は、現在の新潟県上越市安塚区[1]にあった日本の城。城山(じょうやま)(標高344メートル)に築かれた山城[1][3][2]。三国街道を臨み、戦略上重要な位置にあった[2][1]。戦国時代には、春日山城の支城として重要な役割を果たした[2][3]。
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660.羽茂城  ・山城
羽茂城(はもちじょう)は、佐渡国羽茂郡(のち佐渡郡)[1]羽茂(現・新潟県佐渡市羽茂本郷)に存在した日本の城。羽茂川下流右岸の標高82メートルの城山に位置し、新潟県の史跡に指定されている[2]。
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661.薭生城
薭生城(ひうじょう)は、現在の新潟県小千谷市の城山の山頂にあった日本の城。
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662.平林城  ・山城
平林城(ひらばやしじょう)は、現在の新潟県村上市平林にあった日本の城。阿賀北地方の有力な領主であった色部氏の居城として知られる山城で、国の史跡に指定されている[1]。
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663.琵琶島城  ・平城
琵琶島城(びわじまじょう)は、新潟県柏崎市にあった日本の城。1973年(昭和48年)8月1日に柏崎市指定史跡に指定されている[1]。
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664.福島城 (越後国)  ・平城
福島城(ふくしまじょう)は越後国頸城郡にあった近世の日本の城(平城)。福嶋城とも記される。新潟県上越市港町二丁目の上越市立古城小学校付近が本丸跡と考えられている。北は日本海、東は当時の保倉川、南には堀(現在の保倉川)、西は関川をはさんで中世以来の都市府中と向き合う場所に立地している。
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665.松代城 (越後国)  ・山城
松代城(まつだいじょう)は、越後国頚城郡松代[注 1]、現在の新潟県十日町市松代字城ノ腰に存在した日本の城(山城)。長野県長野市の松代城(まつしろじょう)と異なり読みは「まつだい」。城跡は十日町市指定地域文化財(記念物)[1]に指定されている[2]。
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666.箕冠城  ・山城
箕冠城(みかぶりじょう)は、かつて越後国(現在の新潟県上越市板倉区)にあった日本の城。1974年8月1日に旧中頸城郡板倉町の史跡に指定された[1]。上越市に合併後は市の史跡に指定されている。
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667.村上城  ・平山城
村上城(むらかみじょう)は、かつて新潟県村上市に存在した日本の城(平山城)。別名・舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)。村上市街地東端にそびえる臥牛山(標高135メートル)の頂に築城され、歴代の村上藩主の居城であった。国の史跡に指定されている。
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668.村松城  ・平城
村松城(むらまつじょう)は、かつて新潟県五泉市村松にあった日本の城。村松藩の藩庁が置かれた。
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669.本与板城  ・山城
本与板城(もとよいたじょう)は、新潟県長岡市与板町本与板にあった日本の城。県指定史跡。
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670.安田城 (越後国刈羽郡)  ・平山城
安田城(やすだじょう)は、新潟県柏崎市(かつての越後国刈羽郡)にあった日本の城。
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671.安田城 (越後国蒲原郡)
安田城(やすだじょう)は、越後国蒲原郡(現在の新潟県阿賀野市)にあった日本の城。
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672.与板城 (戦国時代)  ・山城
与板城(よいたじょう)は、越後国古志郡(のち三島郡)[2]与板(現・新潟県長岡市与板町与板)にあった日本の城。県指定史跡。
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673.与板陣屋
与板(與板)陣屋(よいたじんや)はかつて越後国三島郡与板[1](現新潟県長岡市与板町与板甲)に所在した陣屋。与板藩の藩庁で後に与板藩が城主格となったため与板(與板)城(よいたじょう)とも呼ばれる。
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674.三条城  ・平城
三条城(さんじょうじょう)は、現在の新潟県三条市にあった日本の城。
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675.赤田城  ・山城
赤田城(あかたじょう)は、新潟県刈羽郡刈羽村大字赤田地域に存在した日本の城。戦国時代の山城で、上杉家の奉行人を務め、代々下野守を踏襲した越後斎藤氏の居城である[1]。
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676.赤谷城  ・山城
赤谷城(あかたにじょう)は、現在の新潟県新発田市にあった日本の城。
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677.荒戸城  ・山城
荒戸城(あらとじょう)は新潟県南魚沼郡湯沢町に存在した日本の城(山城)。城跡は新潟県の史跡に指定されている[2][1]。
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678.雷城 (越後国)
雷城(いかずちじょう)は、新潟県五泉市雷山に築かれた中世の山城。築城時期・築城主体ともに不明。
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679.五十公野城  ・平山城
五十公野城(いじみのじょう)は、現在の新潟県新発田市五十公野(越後国蒲原郡)にあった日本の城。
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680.今井城 (越後国)  ・山城
今井城(いまいじょう)は、新潟県中魚沼郡津南町上郷大井平字城に所在する日本の城跡。新潟県指定史跡[1]。
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681.磐舟柵  ・古代城柵
磐舟柵(いわふねのき/いわふねさく)は、現在の新潟県村上市岩船周辺に置かれたとされる日本の古代城柵。名称は「石船柵」とも。
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682.上杉館
上杉館(うえすぎやかた)は現在の新潟県上越市にあった日本の城(館)。現在のJR直江津駅周辺の府中(府内)と呼ばれた港湾都市域に位置する。主な遺跡として、越後守護上杉氏の館(至徳寺館)と、やや離れた位置に関東管領上杉憲政の館(御館〔おたて〕)があり、周辺にも比して小規模な屋敷跡がいくつかあったがいずれも開発によりめぼしい遺構は残っていない。
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683.小国沢城  ・山城
小国沢城(おぐにさわじょう)は、新潟県長岡市小国町楢沢字菅沼ほかに所在する日本の城(山城)跡。小松入城(こまついりじょう)・菅沼城(すがぬまじょう)ともいう。この山城単体を指して「小国城」(おぐにじょう)と呼ぶ事もあるが[4]、行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては西麓の小国氏居館推定地が小国城と呼ばれている[2]。なお、小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群をも一括して「小国城」とする意見がある[5]。
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684.小国城 (越後国)  ・平城
小国城(おぐにじょう)は、新潟県長岡市小国町小国沢・太郎丸に所在する日本の城(平城・居館)跡。越後国刈羽郡小国保を拠点とした小国氏発祥の地とされる。行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては同町太郎丸の小国氏居館推定地を指すが[2]、同町楢沢の小国沢城(小松入城・菅沼城)単体を「小国城」と呼ぶ場合や[4]、あるいは小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群を一括して「小国城」とする意見がある[5]。
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685.柿崎城
柿崎城(かきざきじょう)は、新潟県上越市柿崎区にあった日本の城。
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686.加地城  ・山城
加地城(かじじょう)は、現在の新潟県新発田市東宮内にあった日本の城。
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687.春日山城  ・連郭式山城
春日山城(かすがやまじょう)は、越後国頸城郡中屋敷春日山(現在の新潟県上越市春日山町)[1]にあった中世の山城(日本の城)。主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。春日山城跡は国の史跡に指定されている。日本五大山城の一つとされることもある[2]。
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688.勝山城 (越後国)  ・山城
勝山城(かつやまじょう)は、現在の新潟県糸魚川市大字市振にあった日本の城。戦国時代、越後国の戦国大名上杉謙信・上杉景勝の2代を通じて越後・越中の国境の要であった。安土桃山時代には上杉景勝が越中から侵攻する織田信長の軍からの防衛線の要として整備したことで知られる。当初の名を落水城(おちりみずじょう)という。
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689.雁金城 (越後国)  ・山城
雁金城(かりがねじょう)は、現在の新潟県上越市頸城区の雁金山にあった日本の城。別名を雁ヶ音城、花ヶ崎城ともいう。
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690.河原田城  ・平山城
河原田城(かわはらだじょう)は、佐渡国雑太郡石田[1](現在の新潟県佐渡市石田)にあった日本の城である。
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富山県の城

691.阿尾城  ・山城
阿尾城(あおじょう)は、富山県氷見市阿尾字島尾にある日本の城跡。富山県指定史跡[2]。とやま城郭カードNo.35[3][4]。
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692.赤井砦
赤井砦(あかいとりで)は、富山県射水市赤井(旧:富山県射水郡大島町赤井)に在った砦。赤井城とは別になるが、赤井城についてもこの項で扱う。
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693.赤丸城  ・山城
赤丸城(あかまるじょう)は、富山県高岡市福岡町舞谷にあった日本の城(山城)。高岡市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.32[2][3]。
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694.浅井城 (越中国礪波郡)  ・山城
浅井城(あさいじょう)は、富山県高岡市福岡町赤丸に在った日本の城(山城)。丸山城ともいう。同県射水市にあった浅井城とは別個。
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695.安養寺城  ・平城
安養寺城(あんようじじょう)、または安養寺御坊(あんようじごぼう)は、富山県小矢部市末友にあった日本の城および勝興寺旧伽藍跡。城跡としては史跡未指定だが、一向衆の拠点「勝興寺安養寺御坊跡」として小矢部市指定史跡となっている[1]。とやま城郭カードNo.46[2][3]。
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696.安楽寺城  ・山城
安楽寺城(あんらくじじょう)は、富山県小矢部市安楽寺にあった日本の城(山城)である。
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697.飯久保城  ・丘城
飯久保城(いいくぼじょう)は富山県氷見市飯久保に在った日本の城。飯窪城、伊窪村山城、伊久保城ともいう。とやま城郭カードNo.36[1][2]。
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698.井田主馬ヶ城  ・山城
井田主馬ヶ城(いだしゅめがじょう)は、富山県富山市八尾町井田に所在する戦国時代の日本の城(山城)。富山市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.23[2][3]。「とやま文化財百選」の1つにも選ばれている[4]。
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699.一乗寺城  ・山城
一乗寺城(いちじょうじじょう)は、富山県小矢部市八講田にあった日本の城(山城)。小矢部市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.45[2][3]。
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700.井波城  ・平山城
井波城(いなみじょう)は、富山県南砺市井波に在った日本の城。礪波城、瑞泉寺城ともいう。南砺市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.48[2][3]。
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701.井口城  ・平城
井口城(いのくちじょう)は、富山県南砺市池尻にあった日本の城(平城)。南砺市指定史跡[1]。なお同県下新川郡朝日町大家庄にあった井口城も同じく井口氏の居城である。
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702.今泉城 (越中国)  ・平城
今泉城(いまいずみじょう)は富山県富山市今泉に在った日本の城。
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703.今石動城  ・山城
今石動城(いまいするぎじょう)は、富山県小矢部市にあった日本の城。小矢部市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.43[2][3]。
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704.岩木城  ・山城
岩木城(いわきじょう)は、富山県富山市岩木に在った日本の城。岩木砦とも呼ばれる。
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705.魚津城  ・平城
魚津城(うおづじょう)は、富山県魚津市にあった日本の城(平城)。別名、小津城、または小戸城。松倉城の支城のひとつ。天正10年(1582年)6月の本能寺の変直前の魚津城の戦いの際、柴田勝家率いる織田軍が攻囲していた城として有名。魚津市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.4[2][3]。
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706.上見城  ・山城
上見城(うわみじょう)は、富山県南砺市上見に在った日本の城。南砺市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.47[2][3]。
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707.大峪城  ・平城
大峪城(おおがけじょう)は、越中国婦負郡五福[1](現在の富山県富山市五福)にあった日本の城。伊賀城、大掛城、大懸城ともいう。なお伊賀城の呼称はこの城の守将であった片山「伊賀守」延高にちなむ。
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708.太田本郷城  ・平城
太田本郷城(おおたほんごうじょう)は富山県富山市太田南町にあった日本の城。
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709.大村城 (越中国)  ・平城
大村城(おおむらじょう)は、富山県富山市海岸通に在った日本の城。
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710.小倉の土居跡  ・平城(方形居館)
小倉の土居跡(おぐらのどいあと)は、富山県砺波市鷹栖[注釈 1]に所在する中世の城館跡である。一向一揆に属し鷹栖館(小倉殿館跡)を拠点とした土豪・小倉六右衛門の子孫・小倉孫左衛門が、天正年間(1573年-1592年)に居住した館と伝わる。「小倉の土居」として砺波市の「ふるさと文化財」史跡登録地[1]。
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711.御峰城  ・山城
御峰城(おみねじょう)は、富山県南砺市土山にあった日本の城。土山城(どやまじょう)ともいう。城跡としては史跡未指定だが[1]、市指定史跡「土山御坊跡」と場所が重なる[2]。とやま城郭カードNo.49[3][4]。
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712.加越国境城跡群及び道
加越国境城跡群及び道(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)は、石川・富山県境、すなわち加賀・越中国境にある城跡を主体とした国指定史跡の名称。「松根城」と「切山城」および山岳道「小原越」(おはらごえ)で構成されている。小牧・長久手の戦いに連動して勃発した、前田利家と佐々成政の軍事衝突の状況を示す遺跡群である。
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713.鴨城  ・山城
鴨城(かもじょう)は、富山県高岡市福岡町加茂にあった日本の城。高岡市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.33[2][3]。
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714.願海寺城  ・平城
願海寺城(がんかいじじょう)は、富山県富山市願海寺に存在した日本の城。
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715.木舟城  ・平城
木舟城(きふねじょう)は、富山県高岡市福岡町木舟にあった日本の城(平城)。木船城、貴船城とも書く。富山県指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.31[2][3]。
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716.桑山城  ・山城
桑山城(くわやまじょう)は、富山県南砺市川西に所在する戦国時代の日本の城(山城)。とやま城郭カードNo.50[1][2]。また「とやま文化財百選」の1つに選ばれている[3]。
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717.源氏ヶ峰城  ・山城
源氏ヶ峰城(げんじがみねじょう)は富山県小矢部市道林寺に在った日本の城(山城)。
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718.小出城  ・平城
小出城(こいでじょう)は、越中国新川郡小出(現在の富山県富山市水橋小出[1])[2]にあった日本の城。(平城)。
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719.猿倉城  ・山城
猿倉城(さるくらじょう)は、富山県富山市舟倉にあった日本の城。舟倉城、船倉城、栂尾城、栂野城、戸加尾城、外川城、戸川城ともいう。
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720.寺家新屋敷館  ・平城
寺家新屋敷館(じけあらやしきやかた)は富山県南砺市やかたにあった城。田中氏第、寺家新屋敷城ともいう。市史跡。
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721.柴田屋館  ・平城
柴田屋館(しばたややかた)は、富山県南砺市柴田屋[1]にあった城館である。市史跡。
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722.城生城  ・山城
城生城(じょうのうじょう)は、富山県富山市八尾町城生字城鉄炮町にあった日本の城。富山市指定史跡[1]。蛇尾城ともいう。とやま城郭カードNo.19[2][3]。
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723.庄ノ城  ・山城
庄ノ城(しょうのじょう)、または壇城(だんのじょう)は、富山県砺波市庄川町庄にあった日本の城。庄城とも書く。「壇城跡」として砺波市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.40[2][3]。
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724.城端城  ・平城
城端城(じょうはなじょう)は、富山県南砺市にあった日本の城。荒木館、城ヶ鼻城とも呼ばれる。
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725.白鳥城  ・山城
白鳥城(しらとりじょう)は、越中国婦負郡白鳥[1]、現在の富山県富山市吉作に存在した中世の日本の城。とやま城郭カードNo.17[2][3]。
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726.新庄城 (越中国)
新庄城(しんじょうじょう)は、新庄城は、越中国新川郡新庄(現在の富山市新庄町)[1]にあった日本の城。富山市街地の東約4km、新庄町1丁目地内の新庄小学校の場所にあった[2]。城は、北陸街道沿いの富山と水橋の中間地点、北の東岩瀬や東の大岩、南の上滝・笹津など各方面へ向かう道筋が分岐する交通の要衝に位置した平城だった[3]。
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727.高岡城  ・梯郭式平城
高岡城(たかおかじょう)は、富山県高岡市古城(旧越中国射水郡関野)にあった日本の城(平城)。日本100名城のひとつである。現在、城跡は高岡古城公園(たかおかこじょうこうえん)として整備され、市民の憩いの場となっており、国の史跡に指定[1]されている。桜の名所としても有名で日本さくら名所100選に選定されている。とやま城郭カードNo.28[2][3]。
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728.鷹栖館  ・平城(方形居館)
鷹栖館(たかのすやかた/たかのすのたて[2])、または小倉殿館跡(おぐらどのやかたあと)・庄官屋敷(しょうかんやしき)は、富山県砺波市鷹栖[注釈 1]に所在する中世の城館跡である。一向一揆に属した土豪・小倉六右衛門が、明応年間(1492年-1501年)頃から居住したと伝える。 
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729.高山城 (越中国)  ・山城
高山城(たかやまじょう)は、富山県(旧越中国)富山市婦中町高山にあった日本の城(山城)。標高199.2m[2]、比高110m)で、三瀬城、三瀬山城の別名を持つ[1]。
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730.千代ヶ様城  ・山城
千代ヶ様城(ちよがためしじょう)は、富山県砺波市庄川町庄にあった日本の城。砺波市登録「ふるさと文化財」の史跡登録地[1]。とやま城郭カードNo.41[2][3]。
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731.天神山城 (越中国)  ・梯郭式山城
天神山城(てんじんやまじょう)は、富山県魚津市天神山(別名・松尾山、標高163m)にあった日本の城(山城)。別名・萩城。頂上付近には人工的な平坦地があり容易に城跡と判別できる。魚津市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.6[2][3]。周辺には、魚津歴史民俗博物館、天神山温泉、新川学びの森天神山交流館などがある。
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732.道坪野城  ・山城
道坪野城(どうつぼのじょう)は、富山県小矢部市道坪野に在った日本の城(山城)である。
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733.富崎城  ・山城
富崎城(とみさきじょう)は富山県富山市婦中町富崎にあった山城。1441年(嘉吉元年)に神保八郎左衛門が築いたという。戦国時代には「滝山城」と呼ばれていた。とやま城郭カードNo.21[1][2]。
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734.富山市郷土博物館
富山市郷土博物館(とやましきょうどはくぶつかん、TOYAMA MUNICIPAL FOLK MUSEUM)は、富山県富山市本丸の富山城址公園内に位置する公立博物館である。また同じ城址公園内に近接する「佐藤記念美術館」の運営も一体で行なっている。日本博物館協会、全国歴史民俗系博物館協議会、富山県博物館協会会員。
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735.富山城  ・梯郭式平城
富山城(とやまじょう)は、越中国新川郡富山、現在の富山県富山市丸の内にあった日本の城(平城)である。「浮城(うきしろ)」「安住城(あずみじょう)」ともいわれた。続日本100名城の一つである。とやま城郭カードNo.16[1][2]。
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736.とやま城郭カード
とやま城郭カード(とやまじょうかくカード)とは、富山県砺波市が発行する富山県内50ヶ所の城郭・城跡をテーマとしたトレーディングカードである。対象城郭を撮影した写真を砺波市埋蔵文化財センター「しるし」に持ち込むことで入手出来る。
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737.長沢西城  ・山城
長沢西城(ながさわにしじょう)は、富山県富山市婦中町長沢にあった日本の城。長沢城ともいう。
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738.長沢東城  ・山城
長沢東城(ながさわひがしじょう)は、富山県富山市婦中町長沢にあった日本の城。家老屋敷城(かろうやしきじょう)、菅谷砦(すげたにとりで)ともいう。
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739.中村山城 (越中国)  ・山城
中村山城(なかむらやまじょう)または中村城(なかむらじょう)は、富山県氷見市中村に存在する日本の城(山城)である。とやま城郭カードNo.37[1][2]。
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740.名畑城  ・平城
名畑城(なばたじょう)は富山県小矢部市東蟹谷(ひがしかんだ)地区の名畑地内に在った日本の城(平城)。
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741.布市城  ・平城
布市城(ぬのいちじょう)は、富山県富山市布市に在った日本の城。
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742.野尻城 (越中国)  ・平城
野尻城(のじりじょう)は、富山県南砺市野尻にあった日本の城(平城)。南砺市指定史跡[1]。
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743.蓮沼城  ・平城
蓮沼城(はすぬまじょう)は、越中国砺波郡蓮沼[1](現・富山県小矢部市蓮沼)に在った日本の城(平城)。
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744.日方江城  ・平城
日方江城(ひかたえじょう)は富山県富山市日方江に在った日本の城。
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745.日宮城  ・丘城
日宮城(ひのみやじょう)は、現在の富山県射水市にあった日本の城。火宮城、二上山城、橋下条城ともいう。射水市指定史跡[1]。とやま城郭カードNo.27[2][3]。
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746.福光城 (越中国)  ・平城
福光城(ふくみつじょう)、または福光館(ふくみつやかた)は、富山県南砺市福光に所在する平安時代末から戦国時代にかけての日本の城跡。「福満城」とも書く。後世城跡に造られた「福光城址栖霞園」は、南砺市指定史跡[1]。
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747.古国府城  ・平城
古国府城(ふるこくふじょう)は、富山県高岡市伏木古国府に在った日本の城。如意城(にょいじょう)とも言う。とやま城郭カードNo.30[1][2]。
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748.放生津城
放生津城(ほうじょうづじょう)は、越中国婦負郡放生津潟[1](現在の富山県射水市中新湊)の海岸部(現在の富山新港の西側[2])にあった日本の城(平城)。射水市指定史跡[3]。とやま城郭カードNo.26[4][5]。
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749.堀江城 (越中国)  ・平地城館
堀江城(ほりえじょう)は、富山県(旧越中国)滑川市堀江にあった日本の城(平地城館)[1]。
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750.増山城  ・連郭式山城
増山城(ますやまじょう)は、富山県砺波市、かつての越中国砺波郡・射水郡・婦負郡の三郡境付近にあった日本の城(山城)。旧名、和田城。国の史跡[1]。とやま城郭カードNo.38[2][3]。続日本100名城[4]。
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751.松倉城 (越中国)  ・山城
松倉城(まつくらじょう)は、越中新川郡松倉村(現在の富山県魚津市)にあった日本の城(山城)である。別名「金山城」または「鹿熊城」。富山県史跡[1]。越中三大山城の一つ。とやま城郭カードNo.3[2][3]。
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752.松根城  ・山城
松根城(まつねじょう)は、石川県金沢市と富山県小矢部市境にある戦国時代の日本の城(山城)。「加越国境城跡群及び道」(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)として切山城・小原越と共に国の史跡に指定されている[1]。富山県側はとやま城郭カードNo.44の城郭である[2][3]。
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753.宮崎城 (越中国)  ・山城
宮崎城(みやざきじょう)は、越中国新川郡[1]宮崎(現在の富山県下新川郡朝日町)に存在した日本の城(山城)である。富山県の史跡に指定されている[2]。とやま城郭カードNo.1[3][4]。別名・境城。日向国の宮崎城と区別するため越中宮崎城とも称される。
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754.宗守館  ・平城
宗守館(むねもりやかた)は、富山県南砺市宗守にあった城館(日本の城)。
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755.森寺城  ・山城
森寺城(もりでらじょう)または湯山城(ゆやまじょう)は、富山県氷見市森寺城山に存在する戦国時代の日本の城(山城)。氷見市指定史跡[1][2]。とやま城郭カードNo.34[3][4]。
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756.守山城 (越中国)  ・山城
守山城(もりやまじょう)は、越中国射水郡守山[1](現・富山県高岡市東海老坂)にあった日本の城(山城)。本丸跡は高岡市指定史跡[2]。とやま城郭カードNo.29[3][4]。
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757.安田城 (越中国)  ・連郭式平城
安田城(やすだじょう)は、越中国婦負郡安田(現在の富山県富山市婦中町安田)にあった戦国時代末の日本の城(平城)。存城期間が短かったため後世の改変がなく、当時の遺構をほぼそのまま残す全国的にも貴重な城跡である。1981年(昭和56年)に「安田城跡」の名称で国の史跡に指定された[1]。とやま城郭カードNo.24[2][3]。
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758.若栗城 (越中国)  ・平地城館
若栗城(わかぐりじょう)は、富山県(旧越中国)黒部市若栗3737[1]にあった日本の城(平地城館)[2]。
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石川県の城

759.朝日山城 (加賀国)  ・山城
朝日山城(あさひやまじょう)は、石川県金沢市北千石町にあった安土桃山時代の日本の城跡(山城)。一本木城(いっぽんぎじょう)ともいう。
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760.穴水城  ・山城
穴水城(あなみずじょう)は、能登国鳳至郡穴水村川島、現在の石川県鳳珠郡[1]穴水町川島に存在した日本の城。現在は町の史跡に指定され[2]、穴水城址公園として整備されている[3]。
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761.加越国境城跡群及び道
加越国境城跡群及び道(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)は、石川・富山県境、すなわち加賀・越中国境にある城跡を主体とした国指定史跡の名称。「松根城」と「切山城」および山岳道「小原越」(おはらごえ)で構成されている。小牧・長久手の戦いに連動して勃発した、前田利家と佐々成政の軍事衝突の状況を示す遺跡群である。
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762.金沢城  ・梯郭式平山城
金沢城(かなざわじょう)は、加賀国石川郡尾山[1](現・石川県金沢市丸の内)にあった日本の城である。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており[2]、城址を含む一帯は金沢城公園(かなざわじょうこうえん)として整備されている。前田利家が本格的に城として扱ったこともあってか、利家が建てたといわれることもある[3]。
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763.切山城  ・山城
切山城(きりやまじょう)は、石川県金沢市宮野町に所在する安土桃山時代の日本の城(山城)。「加越国境城跡群及び道」(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)として、2015年(平成27年)10月7日に松根城・小原越と共に国の史跡に指定されている[1]。
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764.小松城  ・梯郭式平城
小松城(こまつじょう)は、石川県小松市丸の内町にあった日本の城。小松市指定史跡[1]。
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765.小丸山城  ・平山城
小丸山城(こまるやまじょう)は、かつて能登国能登郡(のち鹿島郡)小丸山(現在の石川県七尾市馬出町子部)に存在した日本の城である。七尾城の北、七尾南湾に面した平山城。七尾港に近く、海城に分類される場合もある。
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766.崎山城 (能登国)  ・平山城
崎山城(さきやまじょう)は、石川県鳳珠郡能登町に存在した日本の城。
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767.末森城 (能登国)  ・連郭式山城
末森城(すえもりじょう)は、能登国羽咋郡末森村[1](現在の石川県羽咋郡宝達志水町竹生野)にあった日本の城である。県指定史跡。
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768.石動山城  ・山城
石動山城(せきどうさんじょう、いするぎやまじょう)は、能登国鹿島郡石動山(現・石川県鹿島郡中能登町[1]石動山)に存在した日本の城(山城)。七尾城の南、能越国境の荒山城の東に位置した。なお、石動山は国の史跡に指定されている。
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769.大聖寺城  ・連郭式平山城
大聖寺城(だいしょうじじょう)は、加賀国江沼郡大聖寺(現・石川県加賀市大聖寺錦町)に南北朝時代から江戸時代初期まで存在した日本の城(平山城)。別名は錦城。加賀国の南端、加越国境の大聖寺川付近に位置する。跡地は錦城山公園となっており、加賀市の市指定文化財(史跡)に指定されている[1]。
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770.高尾城 (加賀国)  ・山城
高尾城(たこじょう、たこうじょう[1])は、石川県金沢市に存在した日本の城。高尾城の築かれた高尾山一帯は、「ジョウヤマ」と呼ばれ付近住民から親しまれている。
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771.津幡城
津幡城(つばたじょう)は、加賀国加賀郡(のち河北郡[1])津幡(現・石川県河北郡津幡町清水)に残る、古代の日本の城(平城)。昔から交通の要衝であった。現在は石標のみが立てられている。
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772.天堂城  ・山城
天堂城(てんどうじょう)は、石川県輪島市別所谷町に存在した日本の城。輪島市の史跡に指定されている[1]。
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773.鳥越城  ・連郭式山城
鳥越城(とりごえじょう)は、石川県白山市三坂町(旧石川郡鳥越村)にある中世の日本の城(山城)跡。大日川を挟んだ対岸に位置する二曲城(ふとげじょう)とともに国の史跡に指定されている[1][2]。史跡指定名称は「鳥越城跡 附(つけたり) 二曲城跡」。
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774.七尾城  ・連郭式山城
七尾城(ななおじょう)は、能登国鹿島郡七尾(現・石川県七尾市古城町)にあった日本の城。室町時代から戦国時代にかけての山城跡で、国の史跡に指定されている[1]。能登畠山氏によって拡張され、最終的には南北2.5キロメートル、東西1キロメートルにも及ぶ巨大な城となった[2]。
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775.日谷城  ・山城
日谷城(ひのやじょう)は石川県加賀市に戦国時代に存在した日本の城(山城)。日屋城、檜屋城、檜ノ屋城などとも書かれる。
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776.二曲城  ・連郭式山城
二曲城(ふとげじょう)は石川県白山市出合町にある中世の日本の城(山城)跡。川の対岸にある鳥越城の附(つけたり)として国の史跡に指定されている。府峠城とも言う。
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777.松任城  ・平城
松任城(まっとうじょう)は、加賀国石川郡松任(現・石川県白山市(旧松任市)古城町)にあった日本の城。能美郡との境になる手取川の北、尾山御坊(金沢城)と川南の小松城の中間付近に位置する。
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778.松波城  ・平山城
松波城(まつなみじょう)は、能登国珠洲郡松波(現・石川県鳳珠郡[1]能登町)に存在した日本の城。
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779.松根城  ・山城
松根城(まつねじょう)は、石川県金沢市と富山県小矢部市境にある戦国時代の日本の城(山城)。「加越国境城跡群及び道」(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)として切山城・小原越と共に国の史跡に指定されている[1]。富山県側はとやま城郭カードNo.44の城郭である[2][3]。
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福井県の城

780.足羽七城
足羽七城(あすわななじょう)とは、南北朝時代に北朝方の越前守護・斯波高経が、南朝方との抗争の中で福井県福井市の九頭竜川・足羽川流域に構築した城塞群の総称。単に足羽城と呼ばれる場合もある。
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781.一乗谷朝倉氏遺跡  ・山城
一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の遺跡(日本の城)である。戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。
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782.越前府中城  ・平城
越前府中城(えちぜんふちゅうじょう)は、現在の福井県越前市にあたる越前国南仲条郡(後の南条郡)に所在する日本の城跡。別名は越府城(えつふじょう)。
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783.大野城 (越前国)  ・梯郭式平山城
大野城(おおのじょう)は、福井県大野市(旧越前国)にあった日本の城である。旧国名から越前大野城の別名を持つ[1][2][3][5]。明治までは大野藩の藩庁が置かれた。現在の天守は昭和に建てられたものである。2017年(平成29年)、「続日本100名城」(138番)に選定された[6]。
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784.小黒丸城  ・平城
小黒丸城(おくろまるじょう/おぐろまるじょう)は、福井県福井市黒丸町にあった南北朝時代の日本の城跡。足羽七城の一つで、別名郡黒丸城。本城にあたる北西の大黒丸城と合わせて「黒丸城」と総称される[1][3]。
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785.小浜城 (若狭国)  ・輪郭式平城・海城
小浜城(おばまじょう)は、若狭国遠敷郡[2]小浜(現・福井県小浜市城内)にあった城(海城)である。雲浜城(うんぴんじょう)の雅号をもつ。福井県指定史跡。
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786.小浜藩台場跡
小浜藩台場跡(おばまはんだいばあと)は、小浜藩領であった敦賀の杉津浦から高浜の内浦に至る約30か所に計画・築造された台場群である[1]。ここでは福井県大飯郡おおい町大島に作られた松ヶ瀬台場と鋸崎台場(いずれも国の史跡に指定[2])、小浜市小浜津島に作られた川崎台場について述べる。
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787.勝山城 (越前国)  ・梯郭式平城
勝山城(かつやまじょう)は、戦国時代に柴田勝家の一族である柴田勝安によって、現在の福井県勝山市に築かれた日本の城。江戸時代には勝山藩の藩庁が置かれた。
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788.金ヶ崎城  ・山城
金ヶ崎城(かながさきじょう・かねがさきじょう)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にあった日本の城。別名敦賀城(つるがじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。本項では支城である天筒山城についても併記する。
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789.国吉城  ・山城
国吉城(くによしじょう)は、現在の福井県美浜町佐柿にあった山城である。若狭国守護大名の武田氏重臣であった粟屋勝久が戦国時代に築き、越前国の朝倉氏の度重なる来襲に対して籠城戦などで守り抜いた[2][3]。のちに、織田信長が越前攻めで国吉城に駐軍した際、長年にわたる勝久の戦いぶりを賞賛したと伝わる[2][4]。
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790.玄蕃尾城  ・山城
玄蕃尾城(げんばおじょう)は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にあった山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。平成11年(1999年)7月13日に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている[1]。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。
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791.小丸城  ・平城
小丸城(こまるじょう)は、福井県越前市にあった日本の城である。城跡は県の史跡に指定されている[1]。
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792.新善光寺城  ・平城
新善光寺城(しんぜんこうじじょう)は福井県越前市京町に所在した南北朝時代の日本の城跡。現在は浄土宗寺院の正覚寺となっている。越前市指定史跡[2]。
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793.杣山城  ・山城
杣山城(そまやまじょう)は福井県南条郡南越前町大字瓜生にあった日本の城である。国の史跡に指定されている。
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794.大黒丸城  ・平山城
大黒丸城(だいくろまるじょう)は、福井県福井市三宅町・黒丸城町にあった日本の城跡。別名三宅黒丸城。南東の支城小黒丸城と合わせて「黒丸城」と総称される[2]。
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795.鷹巣城 (越前国)  ・山城
鷹巣城(たかすじょう)、別名・高須城または高栖城[2]は、福井県福井市高須町にあった南北朝時代の日本の城跡。北朝方の斯波高経と南朝方の脇屋義助らによる越前をめぐる争乱で、南朝方最後の拠点となった[3]。
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796.敦賀城  ・平城
敦賀城(つるがじょう)は、越前国敦賀郡天筒山(現・福井県敦賀市天筒町)にあった日本の城。
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797.後瀬山城  ・山城
後瀬山城(のちせやまじょう)は、福井県小浜市にあった日本の城(山城)。若狭最大級の城であったが、比較的標高の高い山上に築かれていたため、北山麓に水堀を廻らせた常時住まいする大規模な守護館(武田氏館)が設けられていた。東山麓の発心寺も城砦の一部と考える見方がある。城跡は国の史跡に指定されている[1]。
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798.疋壇城  ・山城
疋壇城(ひきだじょう)は、福井県敦賀市疋田にあった山城である。越前の戦国大名であった朝倉氏の近江・越前国境守備の役割を担っていた。疋田城と表記されることもある。福井県の史跡に指定されている[1]。
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799.福井城  ・輪郭式平城
福井城(ふくいじょう)は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井[2]にあった城。本丸の石垣と堀が残るが、二の丸、三の丸はほぼ消滅して市街地化している。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる[3]。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄える。なお、本項目では福井城が築城される以前に同地に存在した北ノ庄城についても合わせて記す。
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800.藤島城 (越前国)  ・平城
藤島城(ふじしまじょう)は、福井県福井市藤島町にあった南北朝時代の日本の城跡。足羽七城の一つ[2]。南朝方の武将・新田義貞がこの城に向かう途上に戦没したエピソードで知られる。
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801.槇山城  ・山城
槇山城(まきやまじょう)は、福井県福井市小路町・安原町・栃泉町にある日本の城跡。東郷城(とうごうじょう)・東郷槇山城(とうごうまきやまじょう)とも。福井市指定史跡[1]。
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802.松岡館
松岡館(まつおかやかた)は、福井県永平寺町の松岡葵の土地にあった松岡陣屋の別称である。越前松岡藩の藩庁が置かれていた。当時は御館(松岡御館)と呼ばれていた。
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803.丸岡城  ・連郭式平山城
丸岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の城である。別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現存12天守の一つ。
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804.丸岡藩砲台跡
丸岡藩砲台跡(まるおかはんほうだいあと)は、福井県坂井市三国町の梶にある砲台跡。梶台場(かじだいば)ともいう。国の史跡に指定[1][2]されている。
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805.三国湊城  ・平山城
三国湊城(みくにみなとじょう)は、越前国三国湊、現在の福井県坂井市三国町にあった日本の城。湊ノ城、千手寺城とも呼ばれる。
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806.村岡山城  ・山城
村岡山城(むろこやまじろ、むろこやまじょう)は、福井県勝山市村岡町寺尾にあった日本の城(山城)。同市の地名の由来に関わると言われている(後述)。
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山梨県の城

807.岩殿山城  ・連郭式山城
岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市賑岡町にあった日本の城。標高634メートルの岩殿山に築かれた山城。
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808.上野原城
上野原城(うえのはらじょう)は、甲斐国(現在の山梨県上野原市上野原)にかつてあった日本の城である。
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809.勝沼氏館  ・連郭式平城
勝沼氏館(かつぬましやかた)は、山梨県甲州市(旧東山梨郡勝沼町字御所)にあった戦国時代の館(日本の城)跡である。1981年(昭和56年)5月28日、国の史跡に指定されている[1]。
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810.勝山城 (甲斐国八代郡)  ・平山城
勝山城(かつやまじょう)は、山梨県甲府市上曾根に存在した日本の城。
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811.勝山城 (甲斐国都留郡)  ・山城
勝山城(かつやまじょう)は、山梨県都留市川棚に存在した日本の城。形式は山城。県指定史跡。戦国時代には郡内領主小山田氏の居館谷村館の詰城で、豊臣系大名時代に近世城郭として整備される。江戸時代には谷村藩庁である谷村城の属城で[2]、絵図に拠れば二本の内橋によって連結されていた。現在では城山公園として整備されており、都留市二十一秀峰にも選ばれている。
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812.甲府城  ・梯郭式平山城
甲府城(こうふじょう)は、山梨県甲府市にあった日本の城である。別名、舞鶴城(まいづる(ぶかく) じょう)。国の史跡に指定されている[1][2]。
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813.小山城 (甲斐国)  ・平城
小山城(こやまじょう)は甲斐国、現在の山梨県笛吹市八代町高家(こうか)にかつてあった日本の城である。笛吹市指定史跡[1]。高家小山城公園として整備されている[2]。
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814.島崎城 (甲斐国)  ・平城
島崎城(しまざきじょう、しまさきじょう)は、甲斐国北巨摩郡大豆生田村(山梨県北杜市須玉町大豆生田)にあった戦国時代の日本の城。城郭形式は平城。一般的には大豆生田砦(まみょうだとりで)という名で知られる。
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815.新府城  ・連郭式平山城
新府城(しんぷじょう)は、現在の山梨県韮崎市中田町にかつてあった日本の城である。1973年(昭和48年)には「新府城跡」として国の史跡に指定されており[1]、保存のため公有地化された。本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されている。
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816.躑躅ヶ崎館  ・連郭式平城
躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、山梨県甲府市古府中(甲斐国山梨郡古府中)にあった戦国期の居館(または日本の城)[注 1]。甲斐国守護武田氏の居館で、戦国大名武田氏の領国経営における中心地となる。
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817.富田城 (甲斐国)  ・平城?
富田城(とだじょう)は、山梨県南アルプス市戸田にあった日本の城(城郭)。正確な所在地は不明[1]。戦国時代に西郡の有力国衆大井氏が本拠にしていたと言われる。
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818.能見城  ・山城
能見城(のうけんじょう)は、甲斐国巨摩郡穴山(現在の山梨県韮崎市穴山町)にかつてあった日本の城である。
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819.白山城 (甲斐国)  ・山城
白山城(はくさんじょう)は、山梨県韮崎市神山町鍋山に所在した日本の城。形式は山城。築城者は不明。「白山城」の名は城山中腹に鎮座する白山権現に由来する[1]。別名に鍋山砦[1]、『甲斐国志』では「要害城」を伝える[1]。国の史跡[2]。
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820.真篠砦  ・山城
真篠砦(まじのとりで)、または真篠城(まじのじょう)は、山梨県南巨摩郡南部町福士真篠に所在する砦[1]。戦国時代末期の日本の城(山城)。「真篠」は字名。「真篠城跡」の名で山梨県指定史跡[2]。
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821.御坂城  ・山城
御坂城(みさかじょう)は甲斐国、現在の山梨県笛吹市と南都留郡富士河口湖町の境に所在する日本の城跡である。笛吹市側は市指定史跡に[2]、富士河口湖町側は町指定史跡に[1]、それぞれ指定されている。
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822.谷戸城  ・山城
谷戸城(やとじょう)は、山梨県北杜市大泉町谷戸にあった日本の城(城郭)。形式は山城。谷戸城跡の名称で国の史跡に指定されている[1]。
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823.谷村城  ・平城
谷村城(やむらじょう)は、山梨県都留市上谷一丁目にあった日本の城(城郭)。甲斐国東部の郡内地方を領した国衆である小山田氏の居館または近世の大名居館。谷村館。
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824.要害山城  ・山城
要害山城(ようがいやまじょう・ようがいざんじょう・ようがいさんじょう)は、山梨県甲府市上積翠寺町(かみせきすいじまち)にあった日本の城。躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城である。1991年(平成3年)に国の史跡に指定された[2]。要害城、積翠山城とも呼ばれる。なお、甲府名山にも選定されている。
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825.連方屋敷
連方屋敷(れんぽうやしき)は、山梨県山梨市三ヶ所新町に所在する屋敷跡。戦国時代に甲斐武田氏の蔵前衆であった古屋氏の屋敷跡である。
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826.若神子城  ・山城
若神子城(わかみこじょう)は、山梨県北杜市須玉町若神子にあった日本の城。中世の山城で、現在は城跡が残り(若神子城跡)、[1]北杜市指定史跡となっている[2]。
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長野県の城

827.鷲尾城
鷲尾城(わしおじょう)は信濃国埴科郡(長野県千曲市)にあった日本の城(山城)。
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828.割ヶ嶽城  ・山城
割ヶ嶽城(わりがたけじょう)は、長野県上水内郡信濃町大字富濃の「城山」に築かれた中世から戦国時代の日本の城(山城)。
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829.青柳城  ・山城、居館
青柳城(あおやぎじょう)は、長野県東筑摩郡筑北村坂北にあった日本の城。「青柳氏城館跡」として長野県指定史跡[1]。
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830.荒砥城  ・山城
荒砥城(あらとじょう)は、信濃国更級郡新砥[1](現・長野県千曲市上山田)にあった日本の城。山城。別名、新砥城。山城として復元されたのは全国2例目。千曲市指定史跡[2]となっている。
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831.有賀城  ・山城
有賀城(あるがじょう)は、長野県諏訪市豊田有賀にあった日本の城。承久年間に有賀氏(あるがし)によって築かれた[1]。別名、天狗山城。江音寺背後の裏山に築かれ、諏訪地方と上伊那地方を結ぶ有賀峠への街道を押さえる位置にある。現在も有賀城跡として残っている。
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832.飯田城 (信濃国)  ・平山城
飯田城(いいだじょう)は、長野県飯田市にあった日本の城。江戸時代には飯田藩の藩庁が置かれた。
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833.飯山城  ・平山城
飯山城(いいやまじょう)は、信濃国水内郡(のち下水内郡[2])飯山(現・長野県飯山市飯山)にあった日本の城。
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834.井川館  ・館
井川館(いがわやかた)、または井川城(いがわじょう)は、長野県松本市井川城(地名)にあった信濃国守護・小笠原氏の館(日本の城、平城)。「小笠原氏城跡」として林城と共に国の史跡に指定されている[2][3]。
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835.井上城 (信濃国)  ・城館、山城
井上城(いのうえじょう)は、長野県須坂市にある日本の城跡。この地方の豪族信濃源氏井上氏の城である。
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836.岩尾城 (信濃国)  ・平山城
岩尾城(いわおじょう)は、長野県佐久市鳴瀬岩尾にあった日本の城。長野県指定の史跡[1]。
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837.上田城  ・梯郭式平城
上田城(うえだじょう)は、長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった城。なお、現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建築城されたものである。
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838.上ノ平城  ・平山城
上ノ平城(うえのたいらじょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県上伊那郡箕輪町東箕輪)にあった日本の城。長野県指定史跡。
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839.上ノ山城  ・山城
上ノ山城(うえのやまじょう)は、長野県安曇野市豊科田沢にあった日本の城(山城)である。標高768メートルにある。安曇野市指定史跡。別名は殿山城。
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840.上原城  ・山城
上原城(うえはらじょう)は、信濃国諏訪郡(現在の長野県茅野市茅野上原)にあった中世の日本の城(山城)。長野県指定史跡。上原城の支城として桑原城がある。
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841.内池館  ・城館
内池館(うちいけやかた)は、長野県下水内郡栄村志久見にある日本の城。別名、市河氏館
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842.内山城  ・山城
内山城(うちやまじょう)は、長野県佐久市内山にあった日本の城。
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843.海ノ口城  ・山城
海ノ口城(うんのくちじょう、うみのくちじょう)は、長野県南佐久郡南牧村海ノ口に位置する日本の城跡。「海の口城」と表記されることもある。
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844.大井城  ・平山城
大井城(おおいじょう)は、長野県佐久市岩村田にあった日本の城。長野県指定史跡。信濃守護代も勤めた大井氏の居城。別名は岩村田館。
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845.大草城 (信濃国)  ・平山城
大草城(おおくさじょう)は、長野県上伊那郡中川村にあった日本の城。跡地は大草城址公園(おおくさじょうしこうえん)として整備されている。
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846.大島城  ・連郭式平山城
大島城(おおしまじょう)は信濃国伊奈郡、現在の長野県下伊那郡松川町元大島にあった日本の城である。別名台城 (だいじょう)・伊那大島城。松川町指定史跡[2]。なお、同じ下伊那郡の大鹿村にある大島城とはまったく別の城である。
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847.大島城 (大鹿村)  ・山城
大島城(おおしまじょう)は長野県下伊那郡大鹿村鹿塩にあった日本の城跡。別名・城山。なお、同じ下伊那郡の松川町にある大島城とはまったく別の山城である。
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848.岡城 (信濃国)
岡城(おかじょう)は信濃国小県郡(現在の長野県上田市大字岡)にかつてあった日本の城である。標高は478メートル。
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849.麻績城  ・山城、居館
麻績城(おみじょう)は、長野県東筑摩郡麻績村にあった日本の城。長野県指定史跡[1]。北国西街道麻績宿の背後にある標高940メートルの独峯にある。
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850.春日城 (信濃国伊那郡)  ・平山城
春日城(かすがじょう)は、長野県伊那市にあった日本の城。
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851.春日城 (信濃国佐久郡)  ・平山城
春日城(かすがじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。
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852.片切城
片切城(かたぎりじょう)は信濃国伊奈郡、現在の長野県上伊那郡中川村・下伊那郡松川町にあった日本の城である。別名舟山城、船山城。長野県指定史跡。
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853.葛尾城  ・山城
葛尾城(かつらおじょう)は、信濃国埴科郡葛尾[1](現・長野県埴科郡坂城町)にあった日本の城。山城。
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854.鴨ヶ嶽城  ・山城
鴨ヶ嶽城(かもがたけじょう)は、長野県中野市にあった日本の城。
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855.雁田城
雁田城(かりだじょう)は、現在の長野県高井郡小布施町雁田(かりだ)にあった日本の城である。
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856.神之峰城  ・平山城
神之峰城(かんのみねじょう)は、長野県飯田市上久堅あった日本の城。標高771メートルにある。飯田市指定史跡。
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857.桐原城  ・山城
桐原城(きりはらじょう)は長野県松本市にあった日本の城。県指定史跡「小笠原氏城跡」を構成する山城群(埴原城跡、山家城跡、桐原城跡、林小城跡[注釈 1])の一つ[1][2]。標高948メートル。
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858.黒岩山 (長野県)
黒岩山(くろいわやま)は、長野県飯山市・新潟県妙高市の県境に連なる関田山脈にあり、標高938.4mの山である。 隣山に鷹落山(たかおちやま)標高879.4mがある。山全体が国の天然記念物(天然保護区域)に指定されている[1]。日本初のロングトレイル[2]として知られる信越トレイルの第3セクションに位置する[3][4][5]。
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859.桑原城  ・山城
桑原城(くわばらじょう)は、信濃国諏訪郡(現在の長野県諏訪市四賀桑原)にあった中世の日本の城(山城)。別名を高鳥屋城(たかとやじょう)、水晶城(すいしょうじょう)など呼ばれる。長野県指定史跡。
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860.小岩嶽城  ・山城
小岩嶽城(こいわたけじょう)は、信濃国安曇郡(のち南安曇郡)小岩嶽[注 2]、現在の長野県安曇野市にあった日本の城。安曇野市指定史跡[3]。
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861.小諸城  ・平山城
小諸城(こもろじょう)は、 長野県小諸市(旧・信濃国佐久郡(のち北佐久郡)小諸[注 1])にある日本の城跡。別名、酔月城、穴城、白鶴城。
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862.真田氏館  ・平城
真田氏館(さなだしやかた)は、長野県上田市にあった日本の城(平城)もしくは居館。
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863.真田本城  ・山城
真田本城(さなだほんじょう)は、長野県小県郡真田町にあった日本の城(山城)。戦国期に活躍する真田一族発祥の地である真田の郷にあった。別名は松尾城。
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864.塩田城  ・山城
塩田城(しおだじょう)は、信濃国小県郡、現在の長野県上田市前山にあった日本の城である。長野県指定史跡[1]。
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865.志賀城  ・山城
志賀城(しがじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。
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866.鈴岡城  ・平山城
鈴岡城(すずおかじょう)は、長野県飯田市にあった日本の城。
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867.須田城  ・平城
須田城(すだじょう)は、長野県須坂市にあった日本の城。跡地は臥竜公園として整備されている。須坂市指定史跡。
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868.高島城  ・連郭式平城
高島城(たかしまじょう)は、信濃国諏訪郡高島[1] (現・長野県諏訪市高島)にあった日本の城。諏訪の浮城や島崎城、諏訪高島城とも呼ばれる。
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869.高遠城  ・平山城
高遠城(たかとおじょう)は、長野県伊那市高遠町(旧・信濃国伊那郡(のち上伊那郡)[1]高遠)にある日本の城跡。兜山城の別名をもつ。サクラの名所としても有名であり、特に珍しい品種であるタカトオコヒガン1,500本の樹林が名高い。国の史跡に指定されている。
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870.高梨氏館  ・平城
高梨氏館(たかなししやかた)は信濃国高井郡中野[1](現・長野県中野市)にあった高梨氏一族の居館(日本の城)。国の史跡。高梨城、高梨小館、中野小館、中野御館、中野城などと呼ばれることもある。
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871.田沢城 (信濃国)  ・山城
田沢城(たざわじょう)は、長野県安曇野市豊科田沢にあった日本の城。標高は724メートル。
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872.龍岡城  ・稜堡式
龍岡城(たつおかじょう)は、長野県佐久市田口にある日本の城跡。幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていた。龍岡藩は1万6千石の小藩で、城主の格式は認められていないため、厳密には城ではなく陣屋である。日本に二つある五芒星形の星形要塞のうちの一つである[1](もう一つの例は北海道函館市の五稜郭)。別名は龍岡五稜郭、あるいは桔梗の花にたとえて桔梗城。国指定の史跡。
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873.知久平城  ・平山城
知久平城(ちくだいらじょう)は、長野県飯田市下久堅知久平にあった日本の城。標高438メートルにある。飯田市指定史跡。
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874.妻籠城  ・山城
妻籠城(つまごじょう)は、長野県木曽郡南木曽町に存在した日本の城(山城)である。
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875.戸石城  ・山城
戸石城(といしじょう)は、信濃国小県郡(現在の長野県上田市上野)にあった日本の城(城郭)。形式は山城。別名は砥石城。長野県指定史跡[1]。
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876.塔原城  ・山城
塔原城(とうのはらじょう)は、長野県安曇野市明科中川手にあった日本の城。標高750メートルにある。安曇野市指定史跡。文献によっては塔ノ原城とも表記される。
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877.道本城
道本城(どうほんじょう)は、長野県佐久市にあった中世の日本の城(城郭)。湯川の蛇行が洗う断崖上にあり、郭や空堀が残っていたが、現在は耕作地化によって消滅している。
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878.長窪城  ・山城
長窪城(ながくぼじょう)は、長野県小県郡長和町長久保にあった日本の城。長和町指定史跡[1]。
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879.名子氏館跡  ・居館(根小屋)
名子氏館跡(なごしかんあと/なごしやかたあと)は長野県下伊那郡松川町元大島名子にある日本の城(居館)跡。松川町指定史跡[1]。
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880.名子城  ・山城
名子城(なごじょう)は長野県下伊那郡松川町元大島名子にある日本の城跡。松川町指定史跡[1][2]。
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881.生仁城  ・山城
生仁城(なまにじょう、唐崎山城とも藤崎山城とも)は信濃国埴科郡(現長野県千曲市生萱)にあった日本の城(山城)である。
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882.埴原城  ・山城
埴原城(はいばらじょう)は、長野県松本市にあった日本の城。県指定史跡「小笠原氏城跡」を構成する山城群(埴原城跡、山家城跡、桐原城跡、林小城跡[注釈 1])の一つ[4][5]。
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883.林城  ・山城
林城(はやしじょう)は、長野県松本市にあった信濃国守護・小笠原氏の館(日本の城、山城)。「小笠原氏城跡」として井川館(井川城)と共に国の史跡に指定されている[1][2]。
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884.光城  ・山城
光城(ひかるじょう)は、長野県安曇野市豊科光にあった日本の城。安曇野市指定史跡。別名は二場城。標高は911.7メートル。
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885.平瀬城  ・山城、居館
平瀬城(ひらせじょう)は、信濃国筑摩郡(長野県松本市)にあった日本の城。
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886.福島城 (信濃国)  ・山城
福島城(ふくしまじょう)は、信濃国筑摩郡(のち木曽郡)福島[1](現・長野県木曽郡木曽町)にあった日本の城(山城)。他の地域の同名の城との混同を避けるため、「木曾福島城」とも呼ばれる。
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887.福与城 (松川町)  ・城館?、代官所?
福与城(ふくよじょう)は、長野県下伊那郡松川町生田福与中の村にある日本の城跡。松川町指定史跡[1]。なおこれとは別に、同県には上伊那郡箕輪町の福与城(長野県指定史跡)も存在する[2]。
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888.福与城  ・平山城
福与城(ふくよじょう)は、長野県上伊那郡箕輪町にあった日本の城。県指定史跡[1]。別名、箕輪城。同町には別に箕輪城が存在するが、史料上の「箕輪城」は本項の城跡ではないかとする意見がある[2]。また同県下伊那郡松川町にも別の福与城(松川町指定史跡)が存在する[3]。
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889.古山城 (信濃国)  ・山城
古山城(ふるやまじょう)は、長野県上水内郡小川村にあった日本の城。布留山城、小川城とも。小川村指定史跡[1]。
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890.前山城 (信濃国)  ・山城、居館
前山城(まえやまじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。
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891.松岡城 (信濃国)  ・平山城
松岡城(まつおかじょう)は、信濃国(現在の長野県下伊那郡高森町)にあった日本の城。
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892.松尾城 (信濃国伊那郡)  ・平山城
松尾城(まつおじょう)は、長野県飯田市(信濃国伊那郡)にあった日本の城。小笠原氏の居城であった。
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893.松本城  ・梯郭式+輪郭式平城
松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市(旧・信濃国筑摩郡[注 1]筑摩野松本)にある日本の城である。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。
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894.丸子城 (信濃国)  ・山城
丸子城(まるこじょう)は信濃国(現在の長野県上田市上丸子)にかつてあった日本の城である。
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895.箕輪城 (信濃国)  ・平山城
箕輪城(みのわじょう)は、長野県上伊那郡箕輪町にあった日本の城。町指定史跡[1][2]。
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896.妙義山城  ・山城
妙義山城(みょうぎさんじょう)は、長野県塩尻市洗馬にあった日本の城。標高は890メートル。長野県指定史跡。
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897.村井城 (信濃国)  ・平城
村井城(むらいじょう)は、長野県松本市にあった日本の城。別名、小屋城。
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898.室賀城
室賀城(むろがじょう)は、戦国時代、信州に存在した日本の城。現在の長野県上田市に所在する。武田氏に仕えた室賀氏の本拠で、笹洞城、原畑城を総称した呼び方。別名「笹洞城」、「原畑城」とも呼ばれる。
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899.望月城  ・山城
望月城(もちづきじょう)は、長野県佐久市にあった日本の城。
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900.森城 (信濃国)  ・平城
森城(もりじょう)は、長野県大町市に存在した日本の城(平城)[1]。
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901.屋代城  ・山城
屋代城(やしろじょう)は、長野県千曲市屋代にあった日本の城。千曲市指定史跡[1]。
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902.矢筒城  ・山城
矢筒城(やづつじょう)は長野県飯綱町にあった日本の城。
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903.山家城 (信濃国)  ・山城
山家城(やまべじょう)は、長野県松本市にあった日本の城。別名・中入城。県指定史跡「小笠原氏城跡」を構成する山城群(埴原城跡、山家城跡、桐原城跡、林小城跡[注釈 1])の一つ[1][2]。
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904.吉岡城 (信濃国)  ・平山城
吉岡城(よしおかじょう)は長野県下伊那郡下條村にあった日本の城。
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岐阜県の城

905.相羽城  ・平城
相羽城(あいばじょう)は、中世の美濃国大野郡(現・岐阜県揖斐郡)に存在した日本の城(平城)。根尾川と三水川の間、旧・名鉄揖斐線相羽駅の近くに位置する。遺構はほとんどないが、本丸跡には神社があり、堀跡とみられる北東の池付近から遺物が出土している。
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906.赤谷山城  ・山城
赤谷山城(あかだにやまじょう)[1]あるいは東殿山城(とうどやまじょう)は、現在の岐阜県郡上市八幡町島谷に存在した戦国時代の山城である。東常慶らによって郡上郡支配の拠点として使用された。石垣などの遺構が残っている[2]。
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907.阿木城  ・山城
阿木城(あぎじょう)は、岐阜県中津川市阿木にあった砦(日本の城)。中津川市指定史跡。
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908.明智城 (美濃国可児郡)  ・連郭式山城
明智城(あけちじょう)は、美濃国可児郡にあった日本の城。長山城または明智長山城とも呼ばれている[1]。
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909.明知城  ・平山城
明知城(あけちじょう)は、美濃国明知、現在の岐阜県恵那市明智町にあった戦国時代の日本の城(山城)。別名白鷹城(しらたかじょう)。岐阜県指定史跡[1]。なお、美濃国には、可児郡明智荘にも明智城(長山城)が存在していたので、混同への注意が必要である。
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910.阿寺城  ・山城
阿寺城(明照城 / あでらじょう / あてらじょう)は、岐阜県中津川市手賀野にあった砦(日本の城)。
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911.飯羽間城
飯羽間城(いいばまじょう)とは、鎌倉時代から戦国時代末期にかけて美濃国恵那郡遠山荘(現在の岐阜県恵那市岩村町飯羽間)に存在した日本の城。天正2年(1574年)武田方によって攻撃され落城した。(飯羽間城の戦い)。現在は城跡のみが残っている。
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912.伊木山城  ・山城
伊木山城(いぎやまじょう)は、現在の岐阜県各務原市小伊木4丁目にある戦国・安土桃山時代の日本の城跡である。伊木山の山頂にある。
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913.池尻城  ・平城
座標: 北緯35度23分1.6秒 東経136度35分56.8秒 / 北緯35.383778度 東経136.599111度 / 35.383778; 136.599111
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914.祐向山城  ・山城
祐向山城(いこやまじょう)は岐阜県本巣市に存在した中世の日本の城(山城)。
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915.石河陣屋  ・陣屋
石河陣屋(いしかわじんや)は、江戸時代に美濃国に存在した陣屋。
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916.揖斐城  ・山城
揖斐城(いびじょう)は美濃国揖斐郡、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町にあった中世の日本の城(山城)。標高220メートル、比高180メートルの城台山頂上に本丸があり、土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした。敷地は南北に約54メートル、東西に約14メートル。現在は城台山公園として整備されている。
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917.今尾城  ・平城
今尾城(いまおじょう)は岐阜県海津市の中世の日本の城(平城)。揖斐川左岸に位置する。遺構はほとんど残っておらず、敷地の一部は海津市立今尾小学校になっている。
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918.今城 (美濃国)  ・山城
今城(いまじょう)は現在の岐阜県可児市に存在した日本の城(山城)である。
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919.岩村城  ・梯郭式山城
岩村城(いわむらじょう)は、岐阜県恵那市岩村町にある中世の日本の城(山城跡)で、鎌倉幕府御家人の遠山氏宗家の岩村遠山氏が鎌倉時代初期に築いたとされ、別名「霧ヶ城」とも呼ばれた。戦国時代末期には織田氏と武田氏の争奪戦に巻き込まれた。江戸時代には岩村藩の城となった。
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920.鵜沼城  ・連郭式山城
鵜沼城(うぬまじょう)は、室町時代から安土桃山時代にかけて現在の岐阜県各務原市鵜沼南町7-23にあった日本の城。木曽川の北岸にある天然の岩山・城山(じょうやま[2])に存在していた。尾張犬山城は木曽川の対岸にある。別名には宇溜間「ウルマ」という読みの漢字の他、志水山霧ヶ城[3]がある。
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921.江馬氏下館  ・平城
江馬氏下館(えまししもやかた)は、岐阜県飛騨市神岡町殿に所在する城館。国の史跡「江馬氏城館跡」を構成する城館群の1つ[1]。
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922.大井城 (美濃国)  ・平山城?
大井城(おおいじょう)は岐阜県恵那市大井町字内城にあった(日本の城)。なお、恵那市指定史跡となっている「大井城跡」は当城ではなく、北西の「鷹撃谷城(たかちがやじょう)」のことである[1][2]。
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923.大垣城  ・連郭輪郭複合式平城
大垣城(おおがきじょう)は、岐阜県大垣市郭町にあった日本の城(平城)。麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれる。
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924.大桑城  ・山城
大桑城(おおがじょう)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて現在の岐阜県山県市大桑・青波・富永地区の境にある日本の城(山城)跡である。標高408メートルの古城山(別名・金鶏山)の山頂付近に存在した。
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925.大森城 (美濃国)  ・山城
大森城(おおもりじょう)は現在の岐阜県可児市に存在した日本の城(平山城)である。城跡は可児市指定史跡となっている[1]。
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926.小倉山城 (美濃国)  ・平山城
小倉山城(おぐらやまじょう)は岐阜県美濃市泉町小倉山にある日本の城跡(平山城)。美濃市指定史跡。
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927.小島城  ・山城
小島城(おじまじょう)は岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合にかつて存在した日本の城(山城)。
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928.小野城 (美濃国)  ・山城
小野城(おのじょう)は、岐阜県関市小野と美濃市樋ヶ洞にある日本の城跡(山城)。別名、本城山城・栃洞山城。城主は美濃守護代斉藤氏である。築城年代は大永年間(1521年-1528年)前後と言われている。斎藤宗久、斎藤宗祐が城主と伝わっている。
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929.小里城  ・山城
小里城(おりじょう)は、岐阜県瑞浪市にかつて存在した日本の城(山城)。
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930.帰雲城  ・山城
帰雲城(かえりくもじょう、かえりぐもじょう、きうんじょう)は、現在の岐阜県大野郡白川村三方崩山の下、保木脇(ほきわき)にあった日本の城である[1]。内ヶ島氏の居城であったが、1586年(天正13年)の天正地震による山崩れで城と城下町が全て埋没した[1]。
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931.鏡島城
鏡島城(かがしまじょう)は、美濃国厚見郡鏡島村(岐阜県岐阜市鏡島)にあった、戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)。乙津寺の南門の前に位置した。
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932.加賀野井城
加賀野井城(かがのいじょう)は、岐阜県羽島市にかつて存在した日本の城。加賀井城とも書かれる。加賀井氏の居城として使われ、現在はわずかに城跡が残されているのみだが、県の史跡に指定されている[1]。地元の伝承では城の井戸が木曽川の中ほどにあるといい、1586年(天正14年)の洪水や1608年(慶長13年)の御囲堤築造に伴う治水工事で城郭・城地の大半を失ったと推定されている。
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933.加治田城  ・山城
加治田城(かじたじょう)は、戦国時代の美濃国加茂郡、現在の岐阜県加茂郡富加町加治田にあった日本の城。本名・却敵城(きゃくてきじょう)。別名・加治田山城。山の名前としては加治田山や古城山[1]、あるいは白華山と呼ばれた。現在は山全体を梨割山という。史跡未指定[2]。
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934.金山城 (美濃国)  ・梯郭式山城
金山城(かねやまじょう)は現在の岐阜県可児市にあたる美濃国可児郡兼山に存在した日本の城(山城)。城跡は「美濃金山城跡」(みのかねやまじょうあと)として、2013年(平成25年)に国の史跡に指定されている[1]。
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935.加納城  ・平城
加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった日本の城である。
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936.上茜部城
上茜部城(かみあかなべじょう)は、現在の岐阜市茜部本郷2丁目にある戦国時代の日本の城跡である。別名“茜部城”。
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937.神岡城  ・平山城
神岡城(かみおかじょう)または東町城(ひがしまちじょう)は、飛騨国吉城郡神岡[1](現・岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘1)に所在した日本の城(平山城)。「東町城跡」として飛騨市指定史跡[2]。歴史上の名称は「東町城」で、「神岡城」は通称である[3]。
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938.軽海西城  ・平城
軽海西城(かるみにしじょう)は岐阜県本巣市に存在した日本の城(平城)。城跡には円長寺が建立されている。1970年(昭和50年)4月15日付で本巣市指定史跡[1]。
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939.川田城
川田城(かわだじょう)は、現在の岐阜県各務原市川島河田町にあった、室町時代、戦国時代の日本の城である。
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940.川手城  ・平城
川手城(かわてじょう)は、現在の岐阜県岐阜市正法寺町にあった、南北朝時代から戦国時代の日本の城である。別名革手城。
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941.北方城  ・平城
北方城(きたがたじょう)は、岐阜県本巣郡北方町(美濃国席田郡)にあった戦国時代の日本の城(平城)である。岐阜県指定史跡[1]。現在の大井神社南東一帯に所在した。
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942.岐阜城  ・山城
岐阜城(ぎふじょう)は、美濃国井之口の山(稲葉山(現・岐阜県岐阜市の金華山))にあった城(山城跡)。もとは稲葉山城と言い、鎌倉時代以来の歴史があり[1]、本格的に整備されたのは戦国時代の斎藤道三の時期だと考えられ、織田信長が1567年の稲葉山城の戦いにより斎藤龍興から奪取し、本拠地を小牧山から当城へと移し、その縄張りを破却して新たに造営したものが岐阜城である。『信長公記』に「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されており、ここから天下布武、天下統一をおこなうという意味をこめて、信長が山頂にある城や麓にある町などを「井口」から「岐阜」へと改名したことにより「岐阜城」と呼ばれることになった。[2]
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943.久々利城  ・山城
久々利城(くくりじょう)とは現在の岐阜県可児市に存在した日本の城(山城)である。
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944.串原城  ・山城
串原城(くしはらじょう)は、岐阜県恵那市串原にあった城(日本の城)。
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945.郡上八幡城  ・平山城
郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は、岐阜県郡上市八幡町柳町にある城。城跡は岐阜県指定史跡。復元天守は郡上市指定有形文化財。また続日本100名城第141番に選ばれている。
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946.黒野城  ・平城
黒野城(くろのじょう)は、現在の日本の岐阜県岐阜市に、戦国時代から江戸時代にかけて存在した日本の城である。
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947.広恵寺城  ・山城
広恵寺城(廣恵寺城)(こうえじじょう)は岐阜県中津川市福岡町の植苗木の城ケ根山にあった福岡遠山氏の日本の城。市指定史跡。
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948.河渡城
河渡城(ごうどじょう)は、美濃国方県郡河渡村(岐阜県岐阜市河渡)にあった、戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)。
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949.小島城 (飛騨国)  ・山城
小島城(こじまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町・沼町にある、姉小路小島氏が本拠(本城)とした中世山城跡。1959年(昭和34年)11月16日付けで岐阜県指定史跡[1][2]。
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950.小鷹利城  ・山城
小鷹利城(こたかりじょう)は、岐阜県飛騨市河合町稲越に所在する姉小路家向氏の中世山城跡。別名・小鷹狩城。1959年(昭和34年)11月16日付けで岐阜県指定史跡[1][2]。持城に向小島城がある。
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951.駒野城  ・山城
駒野城(こまのじょう)は、岐阜県海津市にかつて存在した中世の日本の城(山城)。駒野集落の北西にある。標高30mほどの舟岡山と称されたこの小丘に本丸とみられる郭があり、東・西・南を土塁が囲んでいた。跡地は海津市立城山小学校となっている。
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952.鷺山城  ・山城
鷺山城(さぎやまじょう)は、現在の岐阜県岐阜市にあった平安時代末期または鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城である。標高68メートルの鷺山の山頂にある。麓には福光御構(蝉土手城館)が築かれていた。
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953.桜洞城  ・平山城
桜洞城(さくらぼらじょう)は、飛騨国益田郡下呂郷桜洞[1](現在の岐阜県下呂市萩原町)にかつて存在した日本の城である。下呂市指定史跡。
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954.猿啄城
猿啄城(さるばみじょう)は、現在の岐阜県加茂郡坂祝町勝山にある、室町・戦国時代の城である。別名猿ばみ城、猿飛城、勝山城。標高275.3mの勝山(城山)の山頂付近にある。猿啄城跡は、坂祝町指定史跡となっている[1]。
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955.篠脇城  ・山城
篠脇城(しのわきじょう)は、岐阜県郡上市大和町にかつて存在した日本の城(山城)。現在は岐阜県指定史跡になっている[1]。
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956.下切館  ・館
下切館(しもぎりかん)は現在の岐阜県可児市に存在した館である。
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957.十九条城  ・平山城
十九条城(じゅうくじょうじょう)は、現在の岐阜県瑞穂市にあった戦国時代の日本の城(平城)。
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958.十七条城  ・平山城
十七条城(じゅうしちじょうじょう)は岐阜県瑞穂市にかつて存在した日本の城(平山城)。瑞穂市指定史跡[1]。西浦の城山と呼ばれる低い丘にあった。
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959.墨俣城  ・平城
墨俣城(すのまたじょう)は、現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあった戦国時代の日本の城である。
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960.関城 (美濃国)  ・山城
関城(せきじょう)は、美濃国武儀郡(現在の岐阜県関市)に存在した日本の城(山城)。別名を安桜山城といった。
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961.千旦林城  ・山城
千旦林城(せんたんばやしじょう)は岐阜県中津川市千旦林にあった砦(日本の城)。
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962.曽根城  ・平城
曽根城(そねじょう)は、現在の岐阜県大垣市にあった戦国時代の日本の城である。大垣市指定史跡。
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963.高桑城
高桑城(たかくわじょう)は、岐阜県岐阜市柳津町高桑(旧羽島郡柳津町)にあった、鎌倉時代から戦国時代の日本の城である。
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964.鷹撃谷城  ・平山城?
鷹撃谷城(たかちがやじょう)は岐阜県恵那市大井町字野畑城の欠(しろのかけ)にあった(日本の城)。恵那市指定史跡(「大井城跡」)[1]。なお、史跡指定名称は「大井城跡」となっているが、南東の恵那市立大井小学校敷地にある別の城跡が一般には大井城とされている[2]。
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965.高堂城 (飛騨国)  ・山城
高堂城(たかどうじょう)は、飛騨国、現在の岐阜県高山市国府町瓜巣城山にあった日本の城(山城)。別名・タカウドの城。高山市北部に位置し、広瀬城から寺洞砦に続く東西方向の稜線の、更に奥にある詰城である。岐阜県指定史跡[1]。
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966.高原諏訪城  ・山城
高原諏訪城(たかはらすわじょう)は、岐阜県飛騨市神岡町殿に所在する日本の城。国の史跡「江馬氏城館跡」を構成する城館群の1つ[1]。
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967.高山城 (飛騨国)  ・平山城
高山城(たかやまじょう)は、飛騨国大野郡高山[1](現・岐阜県高山市)にあった戦国時代から江戸時代前期の日本の城である。岐阜県指定史跡。
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968.竹ヶ鼻城  ・平城
竹ヶ鼻城(たけがはなじょう)は、尾張国葉栗郡、のち美濃国羽栗郡、現在の岐阜県羽島市竹鼻町にあった日本の城(平城)。1586年(天正14年)の木曽川大氾濫によりその流路が南遷したことに伴い尾張国より美濃国に遷った。それ以前の流路は現在の境川筋を流れ墨俣付近で長良川と合流していたと考えられている。竹鼻城と表記されることもあり、竹鼻城跡として1955年(昭和30年)に羽島市の史跡に指定されている[1]。
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969.竹中氏陣屋  ・陣屋
竹中氏陣屋(たけなかしじんや)は、岐阜県不破郡垂井町(美濃国不破郡岩手)にあった江戸時代の陣屋。安土桃山時代には岩手城と呼ばれていたが、江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため、城は陣屋と呼ばれるようになった。別名、竹中陣屋、岩手陣屋。
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970.垂井城  ・平山城
垂井城(たるいじょう)は、美濃国不破郡(現・岐阜県不破郡垂井町)にあった日本の城。明確な遺構がないため正確な位置は不明だが、文献や地形などから専精寺境内が所在地に比定されており、案内板と石碑が建っている[1]。
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971.妻木城  ・屋敷
妻木城(つまぎじょう)は、現在の岐阜県土岐市に存在した日本の城(山城)である。岐阜県指定史跡[1][2]。
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972.鶴ヶ城 (美濃国)  ・山城
鶴ヶ城(つるがじょう)は、美濃国、現在の岐阜県瑞浪市土岐町鶴城にあった日本の城。別名は神篦城・国府城・高野城・神野城。岐阜県指定史跡[1]。
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973.田代城  ・平城
田代城(でんだいじょう)は、現在の岐阜県羽島郡笠松町田代にあった、戦国時代の日本の城である。この城がある地域は、当時尾張国葉栗郡である。
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974.堂洞城  ・平山城
堂洞城(どうほらじょう)は美濃国中濃、現在の岐阜県加茂郡富加町夕田にあった日本の城(平山城)。別名・堂洞山城、堂洞掻上城。濃尾平野の北で、加治田城から目と鼻の先にある。
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975.苗木城  ・山城
苗木城(なえぎじょう)は、岐阜県中津川市にあった日本の城。別名は霞ケ城。苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている。
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976.長森城  ・平城
長森城(ながもりじょう)は、美濃国長森庄、現在の岐阜県岐阜市切通6丁目付近にあった平安・鎌倉時代から戦国時代にかけての日本の城である。廃城後には同地に切通陣屋が築かれ、「切通陣屋跡」として岐阜市指定史跡となっている[1]。
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977.鉈尾山城  ・山城
鉈尾山城(なたおやまじょう)は、戦国時代の美濃国武儀郡上有知、現在の岐阜県美濃市に存在した日本の城(山城)。別名、上有知城(こうずちじょう)。
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978.鍋山城  ・山城
鍋山城(なべやまじょう)は、岐阜県高山市漆垣内町東ケ洞・神田・松之木町鍋山にある鍋山氏の山城跡。後に姉小路家・三木氏・金森氏の城となる。岐阜県指定史跡[1][2]。
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979.根本城 (美濃国)  ・山城
根本城(ねもとじょう)は現在の岐阜県多治見市に存在した日本の城(山城)である。
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980.萩原諏訪城  ・平城
萩原諏訪城(はぎわらすわじょう)は、岐阜県下呂市萩原町萩原にある日本の城(平城)。岐阜県指定史跡[1]。
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981.迫間城  ・山城
迫間城(はさまじょう)とは、岐阜県関市迫間の迫間山の山頂にあった、日本の城である。
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982.八幡山城 (美濃国)  ・山城
八幡山城(はちまんやまじょう)は、岐阜県各務原市蘇原の加佐美神社の裏山である、加佐美山にあった16世紀代の日本の城である。
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983.一柳城  ・山城
一柳城(ひとつやなぎじょう)、または大洞城(おおぼらじょう)は、現在の岐阜県関市にあたる旧美濃国武儀郡富之保一柳にあった日本の城(山城)。津保城(つぼじょう)とも言う。
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984.広瀬城 (飛騨国)  ・山城
広瀬城(ひろせじょう)、または田中城(たなかじょう)は岐阜県高山市国府町大字名張・大字瓜巣に所在する日本の城跡。城跡は1970年(昭和45年)8月11日付けで岐阜県指定史跡に指定されている[1]。
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985.福束城
座標: 北緯35度17分55.6秒 東経136度37分23.4秒 / 北緯35.298778度 東経136.623167度 / 35.298778; 136.623167
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986.藤橋城
藤橋城・西美濃プラネタリウム(ふじはしじょうにしみのぷらねたりうむ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町鶴見(旧藤橋村)にある町営のプラネタリウム。
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987.伏屋城
伏屋城(ふせやじょう)は、現在の岐阜県羽島郡岐南町伏屋3丁目にあった日本の城である。別名 一夜城・太閤城。
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988.古川城 (飛騨国)  ・平山城
古川城(ふるかわじょう)は、岐阜県飛騨市にかつて存在した城で、平山城であった。岐阜県指定史跡[1]。
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989.菩提山城  ・山城
菩提山城(ぼだいさんじょう)は、岐阜県不破郡垂井町の菩提山にあった山城である。竹中重元が岩手弾正を滅ぼした後、竹中氏の居城として新たに築城したものとされ、麓に竹中氏陣屋が築かれるまで使用された。西美濃では最大級の山城である[1][2]。
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990.本郷城
本郷城(ほんごうじょう)は、美濃國枝氏が15世紀後半以降美濃国池田郡本郷(現在の岐阜県揖斐郡池田町)に築いていた城。
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991.馬籠城  ・山城
馬籠城(まごめじょう)は、信濃国筑摩郡(現在の岐阜県中津川市馬籠)に存在した日本の城(山城)である。
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992.増島城  ・平城
増島城(ますしまじょう)は、岐阜県飛騨市古川町片原町にかつて存在した日本の城で、北飛騨唯一の平城。古川国府盆地の中央、荒城川沿いに位置する。岐阜県指定史跡[1]。
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993.松倉城 (尾張国)  ・平城
松倉城(まつくらじょう)は、尾張国葉栗郡→美濃国羽栗郡(現・岐阜県各務原市)にあった戦国時代の日本の城である。
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994.松倉城 (飛騨国)  ・山城
松倉城(まつくらじょう)は、戦国時代、現在の岐阜県高山市にあった山城である。県指定史跡。
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995.三井城  ・山城
三井山城(みいやまじょう)は、現在の岐阜県各務原市三井山町にある、室町・戦国時代の日本の城である。別名三井城。標高108.8mの三井山の山頂にある。
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996.向小島城  ・山城
向小島城(むかいこじまじょう)は、岐阜県飛騨市にある姉小路家向氏の本城山城跡。別名・信包城。岐阜県指定史跡[1][2]。
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997.百足城  ・平山城
百足城(むかでじょう)は、岐阜県飛騨市古川町高野に所在する日本の城跡(平山城)。姉小路家一門の城と考えられている。別名・垣内山城[1]。
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998.無動寺城
無動寺城(むどうじじょう)は、現在の岐阜県羽島郡笠松町無動寺にあった、戦国時代の日本の城である。城主は土岐氏の土岐八郎頼香。別名を光得寺砦とも言う。
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999.毛利山城  ・山城
毛利山城(もうりやまじょう)、または牛ヶ鼻砦(うしがはなとりで)[2]は、美濃国、現在の岐阜県美濃加茂市愛宕山[3]にあった日本の城(山城)跡。
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1000.八神城
八神城(やかみじょう)は、現在の岐阜県羽島市桑原町八神にあった日本の城である。岐阜県指定史跡[1]。
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1001.柳津城
柳津城(やないづじょう)は、岐阜県岐阜市柳津町本郷2丁目(旧羽島郡柳津町)にあった、戦国時代の日本の城である。
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1002.山口城 (美濃国)  ・山城
山口城(やまぐちじょう)は現在の岐阜県本巣市に存在した日本の城(山城)である。
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1003.亘利城 (尾張国)  ・不明
亘利城(わたりじょう)は、戦国時代、現在の岐阜県各務原市川島渡町にあった日本の城である。城というより、広大な城屋敷だったと推測される。
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静岡県の城

1004.秋葉城 (遠江国)  ・山城
秋葉城(あきばじょう)は現在の静岡県浜松市に存在した日本の城(山城)である。
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1005.朝比奈城  ・山城
朝比奈城(あさひなじょう)は、日本の静岡県藤枝市岡部町殿地区にある戦国時代の山城。この地域の豪族朝比奈氏の居城。藤枝市指定史跡[1] 。殿山城とも。
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1006.朝日山城 (駿河国)  ・山城
朝日山城(あさひやまじょう)は、静岡県藤枝市仮宿字堤ノ坪1に所在する、岡部氏の居城とされる中世の山城である。市の指定文化財(史跡)である[1]。
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1007.足柄城  ・山城
足柄城(あしがらじょう)は、静岡県駿東郡小山町と神奈川県南足柄市の境の足柄峠付近にあった日本の城。別名、霞城ともいう。旧東海道の足柄古道に位置する山城(尾根城)。
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1008.愛宕山城 (静岡市)  ・山城
愛宕山城(あたごさんじょう)は、静岡県静岡市葵区沓谷城山に所在する日本の城跡。長沼塁(ながぬまのるい)、茶臼山砦(ちゃうすやまとりで)ともいう。駿河今川氏の山城の一つ。
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1009.安倍城  ・山城
安倍城(あべじょう)は、静岡県静岡市葵区内牧・羽鳥にある日本の城跡。
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1010.天方城  ・山城
天方城(あまがたじょう)は、遠江国(現在の静岡県周智郡森町向天方)にあった日本の城。山城。「本城」と「新城」が存在し、新城は森町指定史跡[1]。
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1011.井伊谷城  ・山城
井伊谷城(いいのやじょう)は、遠江国の井伊谷(現在は静岡県浜松市北区引佐町)にあった日本の城である。浜松市指定史跡[1]。
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1012.石谷城 (遠江国)
石谷城(いしがやじょう)は、遠江国に在る戦国時代の日本の城(砦)跡。現在の掛川市にある掛川城北部4km程度の位置にある、山本神社(掛川市上西郷3918)の境内後方の山頂にあったと言われている砦跡である。正式な名称や城主も伝わっておらず、石谷城(石ヶ谷城)、美人谷(びじがや)城(美人ヶ谷城)、城の壇(しろのだん)、殿垣戸城、などと俗称されている。
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1013.石脇城  ・平山城
石脇城(いしわきじょう)は、現在の静岡県焼津市石脇下字山崎にあった日本の城。1476年(文明8年)頃から1487年(長享元年)にかけて伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が滞在した城とされる[1]。
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1014.潮城  ・山城
潮城(うしおじょう)は、静岡県藤枝市潮に所在する、中世の山城である。
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1015.宇津山城  ・山城
宇津山城(うつやまじょう、うづやまじょう[1])は、遠江国に在る戦国時代の日本の城跡。現在の湖西市入出の浜名湖に突き出した正太寺鼻に位置する宇津山(49.5m)にあり、郭や土塁、武者走り、舟隠し場[2]が残る。正太寺[3](遠州三十三観音25番札所)[4]の敷地内にある。
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1016.江尻城  ・輪郭式平城
江尻城(えじりじょう)は、駿河国庵原郡江尻(現・静岡県静岡市清水区江尻町)にかつてあった日本の城である。
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1017.大宮城 (駿河国)  ・連郭式
大宮城(おおみやじょう)は駿河国富士大宮(現在の静岡県富士宮市)に存在した日本の城である。別名富士城。
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1018.小笠山砦  ・山城
小笠山砦(おがさやまとりで、英語: Fort Ogasayama)は、現在の静岡県掛川市入山瀬にあたる遠江国城東郡入山瀬村の小笠山山頂付近にあった日本の城である。別名・笹ヶ峯御殿(ささがみねごてん、英語: Sasagamine Palace)[2][3]。現在は城跡が残る。掛川城を攻略するために築かれ[3]、のちに高天神城を包囲するための「高天神六砦」の一つとなった[2][3]。
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1019.掛川城  ・平山城
掛川城(かけがわじょう)は、遠江国佐野郡掛川(現在の静岡県掛川市掛川)にあった日本の城である。
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1020.笠井城
笠井城(かさいじょう)は、静岡県浜松市東区笠井町(遠江国)にあった日本の城。
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1021.方ノ上城  ・山城
方ノ上城(かたのかみじょう)は、静岡県焼津市策牛・方ノ上にある日本の城(山城)。戦国時代に起きた今川氏のお家騒動である花倉の乱の舞台となった。
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1022.勝間田城
勝間田城(かつまたじょう)は、静岡県牧之原市勝田にある日本の城跡。静岡県指定史跡[2]。
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1023.葛山城 (駿河国)
葛山城(かずらやまじょう)は静岡県裾野市にある日本の城跡。裾野市指定史跡[2]。
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1024.上山田付城  ・山城(比160m、標180m)
上山田付城(かみやまだつけじろ)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山金谷)にあった戦国時代の日本の城。城郭形式は山城。
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1025.蒲原城  ・山城
蒲原城(かんばらじょう)は、静岡県静岡市清水区蒲原城山(旧蒲原町)にある戦国時代の日本の城跡。静岡市指定史跡[1]。
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1026.菊川城館遺跡群
座標: 北緯34度43分22秒 東経138度04分36秒 / 北緯34.72278度 東経138.07667度 / 34.72278; 138.07667
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1027.久能城  ・山城
久能城(くのうじょう)または久能山城(くのうざんじょう)は、静岡県静岡市駿河区根古屋(ねごや)にある日本の城跡。現在は久能山東照宮となっている。
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1028.倉真城
倉真城(くらみじょう)は、遠江国にあった戦国時代の城砦(日本の城)。現在は遺構は残っておらず、付近に建つ石碑とは別で、現在の華嶽山世楽院(静岡県掛川市倉真2854)付近が同城跡であったと推定されている。最後の城主は松浦兵庫助。
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1029.興国寺城  ・連郭式平山城
興国寺城(こうこくじじょう、根古屋城とも)は、静岡県沼津市根古屋(駿河国駿東郡阿野荘)にあった日本の城(平山城)。城跡は国の史跡に指定されている。興国寺城敷地内には穂見神社が存在する。
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1030.小川城 (駿河国)  ・平城
小川城(こがわじょう)は、静岡県焼津市西小川5丁目付近にあった日本の城(平城)。駿河国志太郡小川に勢力を張り、法永長者と呼ばれた長谷川氏の居館。
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1031.小山城 (遠江国)  ・連郭式平山城
小山城(こやまじょう)は遠江国、現在の静岡県榛原郡吉田町にかつてあった日本の城である。吉田町指定史跡[1]。
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1032.相良城  ・平城
相良城(さがらじょう)は、遠江国榛原郡(現在:静岡県牧之原市)にあった日本の城。江戸時代の一時期には相良藩の藩庁が置かれた。
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1033.三枚橋城  ・梯郭式平山城
三枚橋城(さんまいばしじょう)は、駿河国沼津(現在の静岡県沼津市大手町)にかつてあった日本の城である。別名、観潮城[1]。
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1034.獅子ヶ鼻砦  ・平山城
獅子ヶ鼻砦(ししがはなとりで、英語: Fort Shishigahana)は、現在の静岡県菊川市大石にあたる遠江国城東郡大石村にあった日本の城である[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。
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1035.賤機山城  ・山城
賤機山城(しずはたやまじょう)は、静岡県静岡市葵区大岩・籠上・昭府町にある日本の城跡。
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1036.下田城 (伊豆国)  ・海城
下田城(しもだじょう)は静岡県に存在した日本の城(海城)。戦国時代末期の小田原・北条氏の水軍の拠点。1588年北条氏直築城。
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1037.鈴木氏館  ・山城
鈴木氏館(すずきしやかた/すずきしかん)は、伊豆国田方郡江梨村(現在の静岡県沼津市西浦江梨)にあった城郭。江梨城とも。後北条氏家臣・江梨鈴木氏歴代の居城で、現在跡地には海蔵寺が所在する。
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1038.頭陀寺城  ・不明
頭陀寺城(ずだじじょう)は、現在の静岡県浜松市南区頭陀寺町[1]にある高野山真言宗の古刹・靑林山頭陀寺(づだぢ)の門前にあった戦国時代の日本の城。
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1039.諏訪原城  ・山城
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の日本の城(山城)である。諏訪之原城とも書く。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名が付いたとされる。徳川氏時代の城名は牧野城。『家忠日記』には牧野城のほか牧野原城とも記載。東照宮御実紀(徳川実紀)に、牧野の城(諏訪原をいふ)と記載。
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1040.駿府城  ・輪郭式平城
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区にあった日本の城である。別名は、府中城(ふちゅうじょう)、駿河府中城(するがふちゅうじょう)、静岡城(しずおかじょう)など。江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。江戸初期には大御所政治(駿府政権)の中心地となった。
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1041.高天神城  ・連郭式山城
高天神城(たかてんじんじょう)は、遠江国城東郡土方(ひじかた)、現在の静岡県掛川市上土方・下土方にあった日本の城。小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。国の史跡に指定されている。また2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(147番)に選定された。
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1042.高根城 (浜松市)  ・山城
高根城(たかねじょう) は、静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方にあった山城である。
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1043.滝の谷城
滝の谷城(たきのやじょう)は、遠江国に在る戦国時代の日本の城(砦)跡。現在の掛川市にあった石谷城城北部800m程度の位置、多貴神社(掛川市上西郷4584)のやや北方にあった伝えられる。正式な名称も伝わっておらず、滝の谷城(滝ノ谷城)、城山(じょうやま)などと俗称されている。山腹に滝ノ谷城主中山祐斉と刻された碑が建っていると伝わるが、年代等を含めて立証できる史料は存在しない。
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1044.田中城  ・輪郭式平城
田中城(たなかじょう)は静岡県藤枝市田中にあった日本の城。形式は平城。江戸時代には田中藩の藩庁が置かれた。前身は徳一色城。藤枝市指定史跡。また関連する建造物4件(田中城本丸櫓、長楽寺村郷蔵、茶室、仲間部屋・厩)と城絵図2件が市指定有形文化財である[1]。
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1045.田中城 (伊豆国)  ・連郭式平山城
田中城(たなかじょう)は静岡県田方郡函南町桑原にあった日本の城。
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1046.徳願寺山城  ・山城
徳願寺山城(とくがんじやまじょう)は、静岡県静岡市駿河区丸子・向敷地にある徳願寺山に所在する日本の城跡(山城)。同城についての伝承や史料はほとんど無く、城主や年代などに不明な点が多い[1]。
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1047.戸倉城 (伊豆国)  ・山城
戸倉城(とくらじょう)は、駿河国駿東郡戸倉(現在の静岡県駿東郡清水町徳倉)にかつて存在した日本の城である。
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1048.長久保城  ・山城
長久保城(ながくぼじょう)は、静岡県駿東郡長泉町下長窪にあった日本の城。
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1049.長浜城 (伊豆国)  ・連郭式山城
長浜城(ながはまじょう)は、伊豆国田方郡西浦庄長浜・重須(静岡県沼津市内浦長浜・内浦重須)にあった日本の城。現在まで戦国時代の海賊城の遺構を多く残していることで知られる。国の史跡に指定されている[1]。
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1050.中村砦  ・平山城
中村砦(なかむらとりで、英語: Fort Nakamura)は、現在の静岡県掛川市中(なか)にあたる遠江国城東郡下方村にあった日本の城である。別名・中村城山砦(なかむらしろやまとりで、英語: Fort Nakamurashiroyama)[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。
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1051.韮山城  ・平山城
韮山城(にらやまじょう)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から戦国時代にかけての日本の城。平山城。
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1052.沼津城  ・梯郭式平山城
津城(ぬまづじょう)はかつて駿河国駿東郡(現在の静岡県沼津市大手町)にあった日本の城。別名観潮城。
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1053.能ヶ坂砦  ・平山城
能ヶ坂砦(のがさかとりで、英語: Fort Nogasaka)は、現在の静岡県掛川市小貫にあたる遠江国城東郡小貫村にあった日本の城である[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。
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1054.花倉城  ・山城
花倉城(はなくらじょう)、または葉梨城(はなしじょう)は、静岡県藤枝市花倉字勝谷(すぐりや)に所在する戦国時代の山城。花蔵城とも。1536年(天文5年)に勃発した花倉の乱において最終決戦の舞台となったことで知られる。藤枝市指定史跡[1]。
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1055.花沢城  ・山城
花沢城(はなざわじょう)は、静岡県焼津市高崎にある日本の城跡。駿河の守護・今川氏の西の守りとして造られた山城で、1568年(永禄11年)から始まった甲斐の武田信玄による駿河侵攻では、最終盤に激戦地となった[1]。
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1056.浜松城  ・梯郭式平山城[1]
浜松城(はままつじょう。旧字体表記は「濱松城」)は、静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわれた。
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1057.東浦城  ・山城
東浦城(ひがしうらじょう)は、静岡県藤枝市下藪田字東浦に所在する中世の城跡である。
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1058.火ヶ峰砦  ・平山城
火ヶ峰砦(ひがみねとりで、英語: Fort Higamine)は、現在の静岡県掛川市中方・下土方・岩滑・中地区付近にあたる遠江国城東郡毛森村にあった日本の城である[2]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2]。
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1059.深沢城
深沢城(ふかさわじょう)は静岡県御殿場市にかつて存在した日本の城。一部の遺構は現存する[2]。 馬伏川と抜川の合流地点の丘に配された、地形を生かした要害であった[1]。静岡県指定史跡。
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1060.二俣城  ・連郭式山城
二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城。山城。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「二俣城跡及び鳥羽山城跡」)[1][2]。
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1061.堀江城
堀江城(ほりえじょう)は、遠江国敷知郡(現在の静岡県浜松市西区舘山寺町堀江)にあった城。江戸時代には堀江陣屋(ほりえじんや)と称されて高家旗本大沢家の陣屋となった。
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1062.堀川城
堀川城(ほりかわじょう)は、静岡県浜松市北区細江町気賀(遠江国引佐郡)にあった日本の城。
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1063.丸子城 (駿河国)  ・山城
丸子城(まりこじょう)は駿河国(現在の静岡県静岡市駿河区丸子)にかつてあった日本の城(山城)である。北城と南城があり、北城を指すと見られる宇津谷城、鞠子城、南城を指すと見られる三角城(みかど - )、赤目ヶ谷砦の別名がある[1]。
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1064.三岳城  ・山城
三岳城(みたけじょう)、または三嶽城は、静岡県浜松市北区引佐町三岳にあった日本の城跡(山城)。標高467メートルの三岳山の山頂にあり、井伊氏の戦時における本城であった。城跡は1944年(昭和19年)3月7日に国の史跡に指定されている[1]。
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1065.三井山砦  ・平山城
三井山砦(みついさんとりで、英語: Fort Mitsuisan)は、現在の静岡県掛川市大坂にあたる遠江国城東郡西大坂村にあった日本の城である。別名・大坂砦(おおさかとりで、英語: Fort Ōsaka)[2][3]。現在は城跡が残る。高天神城を包囲するために築かれた「高天神六砦」の一つである[2][3]。
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1066.宮島城  ・山城
宮島城(みやじまじょう)、または宮島の城山(みやじまのしろやま)は、静岡県藤枝市岡部町宮島に所在する、中世の山城である。
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1067.持船城  ・山城
持船城(もちぶねじょう)は、現在の静岡県静岡市駿河区用宗城山町の、JR東海道本線用宗駅裏の標高70mほどの小高い丘陵(城山)にあった日本の城。眼下に駿河湾を見下ろし、駿府の町も一望できることもあり、東海道の山越え側丸子城と並んで、海側の街道の要衝であった。
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1068.八幡城 (駿河国)  ・平山城
八幡城(やはたじょう)、または八幡山城(やはたやまじょう)は、静岡県静岡市駿河区八幡山に所在する、今川氏に関わる戦国時代の日本の城跡。現在は八幡山公園となっている。
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1069.八幡山砦 (藤枝市)  ・砦
八幡山砦(やはたやまとりで)は、静岡県藤枝市八幡(やわた)[注釈 1]に所在する中世の砦である。
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1070.山中城  ・山城
山中城(やまなかじょう)は、静岡県三島市山中新田(伊豆国田方郡山中)にある中世の日本の城(山城跡)で、国の史跡に指定されている。
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1071.横須賀城  ・平城
横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市西大渕)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城。平城。国の史跡。
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1072.横地城
横地城(よこちじょう/よこじじょう)[1][注 1]は、静岡県菊川市東横地にある日本の城跡。別名金寿城。城跡は2004年(平成16年)9月30日に「菊川城館遺跡群」の一部として国の史跡に指定されている[2](菊川城館遺跡群は高田大屋敷遺跡と横地氏城館群で構成されており、横地城跡は後者に属する)。
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1073.横山城 (駿河国)  ・山城
横山城(よこやまじょう)は駿河国庵原郡(現在の静岡県静岡市清水区谷津町付近)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。
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1074.光明城
光明城(こうみょうじょう)は、遠江国にかつて存在した戦国時代の山城。
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愛知県の城

1075.平田城 (尾張国)
平田城(ひらたじょう)は尾張国春日井郡平田村、現在の愛知県名古屋市西区城町に所在した日本の城である。
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1076.深溝城
深溝城(ふこうずじょう)は、現在の愛知県額田郡幸田町深溝にあった、戦国時代から江戸時代初期の日本の城である。
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1077.武節城  ・山城
武節城(ぶせつじょう)は三河国設楽郡、現在の愛知県豊田市武節町にあった山城。別名・地伏城。豊田市指定史跡[1]。
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1078.古宮城  ・平山城
古宮城(ふるみやじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった戦国時代の日本の城。平山城。戦国時代の武田氏による城郭と考えられ、現在も同氏の築城術の多くが理解できる遺構が残っている。新城市指定史跡[1]。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(150番)に選定された。
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1079.本證寺 (安城市)
本證寺(ほんしょうじ)は、愛知県安城市野寺町にある真宗大谷派の寺院。山号は雲龍山。野寺御本坊とも呼ばれる。
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1080.本地城  ・平城
本地城(ほんじじょう)は、尾張国春日井郡、現在の愛知県瀬戸市西本地町に存在した日本の城(平城)。
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1081.牧野城 (三河国)  ・単郭式掻揚城
牧野城(まきのじょう)は、愛知県豊川市牧野町丁畑付近に15世紀頃に牧野氏により築城された中世の日本の城。四国から移り住んだと云われる田蔵系の牧野氏が最初に築いた城とされる。豊川市指定文化財。
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1082.真弓山城  ・山城
真弓山城(まゆみやまじょう)は三河国加茂郡足助庄(現・愛知県豊田市足助町)の真弓山(標高301メートル)にあった日本の城。現在では「城跡公園足助城」として整備・公開されている。
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1083.溝口城  ・平城
溝口城(みぞぐちじょう)は現在の愛知県豊山町に存在した日本の城(平城)である。
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1084.南山城 (尾張国)  ・山城
南山城(みなみやまじょう)は現在の愛知県瀬戸市に存在した日本の城(山城)である。
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1085.宮後城  ・平城
宮後城(みやうしろじょう)は、尾張国丹羽郡宮後村、現在の愛知県江南市にあった日本の城。「蜂須賀屋敷」、「小六屋敷」などとも呼ばれる。
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1086.矢合城  ・平城
矢合城(やわせじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。
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1087.横山城 (尾張国)  ・平城
横山城(よこやまじょう)は、現在の愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)。
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1088.吉川城  ・平城
吉川城(よしかわじょう)は尾張国知多郡(現・愛知県大府市吉川町1丁目)にあった日本の城。
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1089.吉田城 (三河国)  ・半輪郭式平城
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
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1090.吉田城 (尾張国)  ・平城
吉田城(よしだじょう)は現在の愛知県春日井市にあった室町時代に築城された日本の城(平城)。
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1091.吉野城 (尾張国)  ・平城
吉野城(よしのじょう)は現在の愛知県名古屋市に存在した日本の城(平城)である。
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1092.鷲塚城  ・平城
鷲塚城(わしづかじょう)は、三河国碧海郡鷲塚村(現在の愛知県碧南市)にあった日本の城。「三河鷲塚城」とも呼ばれる。
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1093.月ヶ谷城  ・山城
月ヶ谷城(わちがやじょう)とは、戦国時代、愛知県豊橋市嵩山町にあった日本の城(山城)である。五本松城へ移転するまで、三河西郷氏の本城であった。
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1094.赤目城  ・平城
赤目城(あかめじょう)は現在の愛知県愛西市赤目町に存在した日本の城(平城)。
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1095.安城古城
安城古城(あんじょうこじょう)は、現在の愛知県安城市安城町社口堂に所在した城。安祥古城の表記もある。
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1096.安祥城  ・平山城
安祥城(あんじょうじょう、あんしょうじょう)は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった日本の城。城跡は安祥城址公園として整備されており、安城市指定史跡[1]。跡地には安城市歴史博物館・安城市民ギャラリーなどがある。
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1097.一宮城 (尾張国)  ・平城
一宮城(いちのみやじょう)は、現在の愛知県一宮市本町3丁目・大江にかつて存在した戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)である。
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1098.伊奈城  ・平城
伊奈城(いなじょう)は、三河国宝飯郡伊奈町深田、現在の愛知県豊川市伊奈町にあった日本の城(平城)。豊川市指定史跡[1]。
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1099.犬山城  ・平山城
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」にあった日本の城である。現在の場所で言えば愛知県犬山市にあり、天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。
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1100.井上城 (尾張国)  ・平城
井上城(いのうえじょう)は現在の愛知県岩倉市井上町井出北に存在した日本の城(平城)である。岩倉市指定史跡[1]。
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1101.今村城 (尾張国)  ・平城
今村城(いまむらじょう)は尾張国春日井郡(現在の愛知県瀬戸市)に存在した日本の城(平城)。
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1102.入尾城  ・平城
入尾城(いりおじょう)は愛知県瀬戸市に存在した日本の城(平城)である。
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1103.岩倉城 (尾張国)  ・平城
岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉、現在の愛知県岩倉市下本町にあった日本の城。岩倉市指定史跡[1]。
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1104.岩崎城 (尾張国)  ・平山城
岩崎城(いわさきじょう)は、尾張国山田郡[注 1](のち愛知郡)岩崎(現在の愛知県日進市岩崎町)に存在した戦国時代の日本の城(平山城)である。
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1105.鯏浦城  ・平城
鯏浦城(うぐいうらじょう)は、現在の愛知県弥富市鯏浦町上六49(現在の薬師寺)に存在していた日本の城である。弥富市指定史跡[1]。
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1106.牛久保城
牛久保城(うしくぼじょう)は、三河国宝飯郡牛久保(はじめ牛窪、後に牛久保に改称)、現在の愛知県豊川市牛久保町にあった日本の城(平城)。
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1107.大赤見城  ・平城
大赤見城(おおあかみじょう)は現在の愛知県一宮市に存在した日本の城(平城)である。
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1108.大草城 (尾張国春日井郡)
大草城(おおくさじょう)は、愛知県小牧市にかつて存在した日本の城である。16世紀中頃に廃城となった。西尾式部道永と言う人物によって築城されたとされているため、「西尾城」とも呼ばれる。現在城のあった場所は竹藪となっており、曲輪や土塁の跡はあるが、建物はまったく残っていない。本丸跡に小さな神社がある他、大正時代に作られた石灯籠や、近年設置された城についての説明が記載された立て札などがある。
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1109.大草城 (尾張国知多郡)
大草城(おおくさじょう)は、尾張国知多郡大草(現在の愛知県知多市大草)にあった日本の城(未完)。
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1110.大津城 (三河国)
大津城(おおつじょう)とは、戦国時代、愛知県豊橋市老津町にあった日本の城である。高縄城(たかなわじょう)とも言う。現在の地名に合わせて「老津城」という表記もある。
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1111.大留城  ・平城
大留城 (おおどめじょう) は、愛知県春日井市に存在した室町時代の平城である。
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1112.大野城 (尾張国知多郡)  ・平山城
大野城(おおのじょう)は、尾張国知多郡矢田村金山(現在の愛知県常滑市金山)の伊勢湾を望む小高い丘陵(青海山)にあった日本の城。織田氏が新たに築いた大草城とは矢田川を挟んで南に位置する。 常滑市指定史跡[1]。「宮山城(みややまじょう)」とも呼称される。
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1113.大野城 (尾張国海部郡)  ・平城
大野城(おおのじょう)は、かつて尾張国海部郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城である。愛西市指定史跡。
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1114.大野城 (尾張国葉栗郡)  ・平城
大野城(おおのじょう)は、かつての尾張国葉栗郡(現在の愛知県一宮市浅井町)にあった日本の城である。
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1115.緒川城  ・平山城
緒川城(おがわじょう)は、現在の愛知県知多郡東浦町緒川にあたる尾張国知多郡小河に所在する城。城跡は「緒川城址」として東浦町指定の史跡となっている[1]。
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1116.大給城  ・山城
大給城(おぎゅうじょう)は、現在の愛知県豊田市大内町にあった日本の城(山城)。2000年(平成12年)2月4日付で「松平氏遺跡」の1つとして国の史跡に指定されている[1]。
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1117.奥城 (尾張国)  ・平城
奥城(おくじょう)は、現在の愛知県一宮市奥町字下口西に存在した日本の城(平城)である。別名は江並城(えなみじょう)・梶川屋敷(かじかわやしき)[1]。
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1118.小口城  ・平城
小口城(おぐちじょう)は尾張国丹羽郡小口、現在の愛知県丹羽郡大口町小口に存在した日本の城(平城)。
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1119.小田井城  ・平城
小田井城(おたいじょう)は、現在の愛知県清須市西枇杷島町の古城交差点にあった、室町時代中期の日本の城(平城)である。
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1120.下津城  ・平城
下津城(おりづじょう)は尾張国中島郡下津(現在の愛知県稲沢市下津高戸町)にあった日本の城。種類は平城。「下津城址」の碑がある。一部土塁も残る。
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1121.楽田城  ・平城
楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった日本の城である。
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1122.片原一色城  ・平城
片原一色城(かたはらいっしきじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。
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1123.形原城  ・平山城
形原城(かたはらじょう)は、三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町東古城・北古城・南古城)にあった日本の城。蒲郡市指定史跡[1]。
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1124.蟹江城  ・平城
蟹江城(かにえじょう)は、尾張国海部郡蟹江(現在の愛知県海部郡蟹江町)にあった中世の日本の城(平城)。
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1125.上末城
上末城(かみずえじょう)は、愛知県小牧市の上末(かみすえ)地区にかつて存在した日本の城である。16世紀末頃に廃城となった。現在は、竹藪の中に土塁と空堀跡などが残るのみである。隣接する国道155号沿いには城跡碑や、城の歴史などが記された説明板がある。
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1126.上ノ郷城
上ノ郷城(かみのごうじょう)は、かつて愛知県蒲郡市神ノ郷町にあった日本の城である。別名は西之郡之城・宇土城・鵜殿城・神ノ郷城。1957年(昭和32年)1月10日に蒲郡市指定史跡に指定されている[1]。
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1127.上菱野城  ・平城
上菱野城(かみひしのじょう)、または山口城(やまぐちじょう)は[2]、現在の愛知県瀬戸市矢形町に所在した日本の城(平城)である。屋形の城(やかたのしろ)とも呼ばれる。
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1128.亀山城 (三河国)  ・山城
亀山城(かめやまじょう)は、愛知県新城市作手清岳にあった日本の城。作手城と表記されることもある。
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1129.刈谷城  ・平城
刈谷城(かりやじょう)は、三河国碧海郡刈谷、現在の愛知県刈谷市にあった日本の城。正しくは「刈屋城」であるが、刈谷市が1950年(昭和25年)4月以降に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになった。
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1130.苅安賀城
苅安賀城(かりやすかじょう)は、現在の愛知県一宮市苅安賀にかつて存在した、戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)である。東西42間、南北32間の規模で内外二重堀の構えであった。
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1131.川口城 (三河国)  ・山城
川口城(かわぐちじょう)は現在の愛知県豊田市に存在した日本の城(山城)である。
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1132.北島城  ・平城
北島城(きたじまじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。
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1133.北外山城  ・平城
北外山城(きたとやまじょう)は現在の愛知県小牧市に存在した日本の城(平城)である。
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1134.儀長城  ・平城
儀長城(ぎちょうじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。
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1135.木ノ下城  ・平城
木ノ下城(きのしたじょう)は、現在の愛知県犬山市にあたる尾張国丹羽郡にあった日本の城である。犬山市指定史跡[1]。
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1136.清洲城  ・平城
 清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現在の愛知県清須市一場)にあった日本の城である。尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視された。 
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1137.沓掛城  ・平城
沓掛城(くつかけじょう)は、尾張国愛知郡沓掛、現在の愛知県豊明市沓掛町にあった日本の城。旧記には沓懸城とも書かれている。豊明市指定史跡[1]。
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1138.九之坪城  ・平城
九之坪城(くのつぼじょう)は現在の愛知県北名古屋市に存在した日本の城(平城)である。
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1139.黒田城 (尾張国)  ・平城
黒田城(くろだじょう)は、現在の愛知県一宮市木曽川町黒田字古城にあたる尾張国葉栗郡黒田に戦国時代から安土桃山時代にかけてあった日本の城。1973年(昭和48年)10月1日付け一宮市指定史跡[1]。
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1140.鶏足城  ・山城
鶏足城(けっそくじょう)は現在の愛知県豊田市に存在した日本の城(山城)である。
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1141.高田城 (尾張国)  ・平城
高田城(こうだじょう)は、現在の愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代の日本の城である。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である[2]。
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1142.光明寺城 (尾張国)
光明寺城(こうみょうじじょう)は、現在の愛知県一宮市光明寺字本郷屋敷にあった日本の城である。
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1143.小折城  ・平城
小折城(こおりじょう)は、現在の愛知県江南市に存在した日本の城(平城)。
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1144.古木江城  ・平城
古木江城(こきえじょう)は、尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)にあった日本の城(平城)[2][3]。小木江城とも書かれる。
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1145.小牧山  ・平山城
小牧山(こまきやま)は、愛知県小牧市にある標高86mの山。
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1146.坂部城  ・平城
坂部城(さかべじょう)は、尾張国知多郡阿久比(現在の愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字栗之木谷32番地)にあった城。現在は阿久比町指定文化財(史跡)[1]「坂部城跡」として残されている。
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1147.桜城  ・平城
桜城(さくらじょう)は、現在の愛知県豊田市元城町に存在した日本の城である。名称の由来は、周囲に桜が多かったことによる。正式には「佐久良城」。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(桜城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(七州城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡[1]。
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1148.七州城  ・平山城
七州城(しちしゅうじょう)は、現在の愛知県豊田市小坂本町付近にあった日本の城である。「七州城」の呼称は通称であり、正式には「挙母城」(ころもじょう)という。1782年(天明2年)に築城され、挙母藩の藩庁が置かれた。遺構の一部(隅櫓跡)が「挙母城(七州城)隅櫓跡」として1972年(昭和47年)2月24日付け(桜城の隅櫓跡と同日付け)で豊田市指定史跡に指定されている[1]。
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1149.下大留城  ・平城
下大留城(しもおおどめじょう)は愛知県春日井市に存在した日本の城(平城)である。
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1150.下奈良城  ・平城
下奈良城(しもならじょう)は現在の愛知県一宮市春明南本郷1丁目に存在した日本の城(平城)である。
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1151.上条城 (三河国)  ・平城
上条城(じょうじょうじょう)は、現在の愛知県安城市に存在した日本の城(平城)である。
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1152.上条城 (尾張国)  ・輪郭式平城
上条城(じょうじょうじょう)は、尾張国春日井郡上条、現在の愛知県春日井市上条町に存在した日本の城(平城)。
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1153.勝幡城  ・ 平城
勝幡城(しょばたじょう)は、尾張国の海東郡と中島郡に跨る地域にあった日本の城。
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1154.白山城 (尾張国)  ・平城
白山城(しらやまじょう)は、現在の愛知県春日井市にあった、室町時代後期の日本の城(平城)である。
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1155.新城城
新城城(しんしろじょう)または新城陣屋(しんしろじんや)は、戦国時代から江戸時代後期にかけて三河国(現在の愛知県新城市)に存在した日本の城および陣屋。新城藩の藩庁であった。
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1156.竹腰城  ・平城
竹腰城(たけのこしじょう)は現在の愛知県稲沢市竹腰西町に存在した日本の城(平城)である。
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1157.田原城 (三河国)  ・梯郭式平城
田原城(たはらじょう)は、三河国渥美郡田原(現在の愛知県田原市田原町巴江)にあった戦国期から江戸期の日本の城。江戸時代には田原藩1万2千石の藩庁であった[1]。
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1158.田峯城  ・山城
田峯城(だみねじょう)とは、かつて愛知県北設楽郡設楽町田峯にあった日本の城(山城)である。設楽町指定史跡[1]。
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1159.田楽砦
田楽砦(たらがとりで)または田楽城(たらがじょう)は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折り、家康方が築いたとされる砦の1つ。
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1160.寺部城  ・平城
寺部城(てらべじょう)は、現在の愛知県豊田市寺部町にあった日本の城(平城)。2008年(平成20年)6月2日付けで豊田市指定史跡[1]。
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1161.東条城  ・平山城
東条城(とうじょうじょう)は、三河国幡豆郡横須賀村東条[1](現・愛知県西尾市吉良町駮馬字城山)にあった、中世の日本の城(平山城)。東条吉良氏・東条松平氏の居城[2]。桜が植えられており、花見スポットになっている[3]。
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1162.長篠城  ・平城
長篠城(ながしのじょう)は、三河設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった日本の城。特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。
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1163.中島城 (尾張国)
中島城(なかしまじょう)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、尾張国中島郡中島村(現在:愛知県一宮市萩原町中島)にあった豪族中島氏(中嶋氏)の居城(日本の城)。
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1164.名古屋城  ・梯郭式(または輪郭式)平城
名古屋城(なごやじょう)は、日本の城のひとつ。尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区本丸・北区名城)[7]にある。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城に選定されており、国の特別史跡に指定されている。
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1165.西尾城  ・梯郭式平山城
西尾城(にしおじょう)は、三河国幡豆郡西尾(現在の愛知県西尾市錦城町)にあった日本の城。別名は、「鶴城」、「鶴ヶ城」、「錦丘城」など。また、「西条城」が旧称とされるが、その改名時期については諸説がある。
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1166.西溝口城  ・平城
西溝口城(にしみぞぐちじょう)は現在の愛知県稲沢市に存在した日本の城(平城)である。
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1167.二連木城  ・平山城
二連木城(にれんぎじょう)は、愛知県豊橋市仁連木町、かつての三河国渥美郡北端の朝倉川南岸に有った戦国時代の日本の城。「楡(にれ)の木」から名が付いたと言われ、仁連木城とも書く。
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1168.野田城 (三河国)  ・不明
野田城(のだじょう)は、愛知県新城市豊島にある日本の城。
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1169.野府城  ・平城
野府城(のぶじょう)は、室町時代から江戸時代初期にかけて、現在の愛知県一宮市開明にあたる尾張国中島郡野府村にあった日本の城。野武城とも書く。1975年(昭和50年)2月11日付けで一宮市指定史跡[1]。
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1170.羽黒城
羽黒城(はぐろじょう)は尾張国丹羽郡羽黒、現在の愛知県犬山市羽黒字城屋敷にあった日本の城(平城)。
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1171.蜂須賀城  ・平山城[1]
蜂須賀城(はちすかじょう)は、尾張国海東郡蜂須賀村、現在の愛知県あま市蜂須賀にあった日本の城。
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1172.早尾東城  ・平城
早尾東城(はやおひがしじょう)は現在の愛知県愛西市に存在した日本の城(平城)である。
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1173.半田城  ・平城
半田城(はんだじょう)は現在の愛知県半田市に存在した日本の城(平城)である。坂田城とも呼ばれる[1]。
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1174.日置城  ・平城
日置城(ひおきじょう)は、尾張国愛知郡日置村、現在の愛知県名古屋市中区松原にあった日本の城。
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1175.氷上砦
氷上砦(ひかみとりで)は、愛知県名古屋市緑区大高町にあったとされる砦である。織田信長によって築かれたとみなされるが、実在を裏づける史料や遺構はきわめて少ない。
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1176.日比野六大夫館  ・平城
日比野六大夫館(ひびのろくだゆうかん)は愛知県春日井市に存在した日本の城(平城)である。
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三重県の城

1177.赤木城  ・平山城
赤木城(あかぎじょう)は、三重県熊野市にあった日本の城である。城跡は1989年(平成元年)10月9日に「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」の名称で国の史跡に指定されている[3][4]。また、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定された[5]。
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1178.阿坂城  ・山城
阿坂城(あざかじょう)は、伊勢国一志郡阿坂(現在の三重県松阪市大阿坂町)にかつて存在した日本の城。白米城(はくまいじょう)・椎之木城(しいのきじょう)とも称する。1982年(昭和57年)に阿坂城跡 附 高城跡 枳城跡(あざかじょうあと つけたり たかんじょうあと からたちじょうあと)の名称で国の史跡に指定されている[1]。
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1179.安濃城  ・不明
安濃城(あのうじょう)は三重県津市安濃町安濃字城山に存在した日本の城(山城)である[1]。主郭跡にある阿由多神社に奉納された大般若経600巻は津市の指定有形文化財に指定されている[2]。
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1180.家城城  ・山城
家城城(いえきじょう)は現在の三重県津市に存在した日本の城(山城)である。
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1181.上野城  ・梯郭式平山城
上野城(うえのじょう)は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった日本の城(平山城)である。白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれる。
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1182.上野城 (伊勢国)  ・平山城
上野城(うえのじょう)は、現在の三重県津市河芸町上野に存在した日本の城(山城)である。
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1183.大河内城  ・山城
大河内城(おかわちじょう)は、三重県松阪市大河内町城山にあった日本の城(山城)。城は丘陵の北端に築造されており、東に阪内川、北に矢津川、西側と南側には深い谷が入り自然の要害であった。
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1184.鬼ヶ城
鬼ヶ城(おにがじょう)は三重県熊野市木本町にある海岸景勝地。国の名勝(「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」〈くまののおにがじょう つけたり ししいわ〉)の一部である。
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1185.柏原城 (伊賀国)  ・輪郭式平山城
柏原城(かしはらじょう)は、現在の三重県名張市赤目町柏原に所在した日本の城。滝野城とも呼ばれる。
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1186.亀山城 (伊勢国)  ・梯郭式平山城
亀山城(かめやまじょう)は、伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった日本の城。
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1187.萱生城  ・山城
萱生城(かようじょう)は、三重県四日市市萱生町字城山にあった戦国時代の日本の城(山城)。文治年間(1186年~1189年)に一帯を支配した北勢四十八家の一つ、春日部氏の春日部宗方が築城した。1568年(永禄11年)に織田信長の北勢侵攻で攻撃を受け、後に落城した[1]。現在城跡は学校法人暁学園の本部となり、わずかに「髪のびの井戸」などの遺構が残る。
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1188.神戸城  ・輪郭式平城
神戸城(かんべじょう)は、三重県鈴鹿市神戸本多町にあった日本の城である。江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれた。
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1189.霧山城  ・山城
霧山城(きりやまじょう)または多気城(たげじょう)は、伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気および美杉町下多気[1])にかつて存在した日本の城。城跡は国の史跡に指定されている(史跡「多気北畠氏城館跡」のうち)[2]。
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1190.桑名城  ・梯郭式平城
桑名城(くわなじょう)は、三重県桑名市にあった日本の城である。江戸時代は伊勢桑名藩の藩庁が置かれた。元禄14年(1701年)に焼失。
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1191.神山城 (伊勢国)  ・山城
神山城(こうやまじょう)は、伊勢国飯野郡(現在の三重県松阪市中万町)にかつて存在した日本の城。櫛田川と祓川の分岐点北西に位置する神山(こうやま)山頂にあった。
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1192.関山砦  ・平城
関山砦(せきやまとりで)は現在の三重県尾鷲市に存在した砦である。
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1193.曾根城  ・山城
曾根城(そねじょう)は志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)南輪内曽根(現在の三重県尾鷲市曽根町)に存在した日本の城(山城)である。曽根城とも表記される。別名「つつじ城」など。
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1194.高岡城 (伊勢国)
高岡城(たかおかじょう)は三重県鈴鹿市高岡町字茶山にあった日本の城。伊勢高岡城とも。築城年代は不明。神戸城主神戸友盛の家老山路弾正によって修繕されたとされる。歴代城主は山路弾正、小島兵部。現在は高岡城跡公園となっている。
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1195.田丸城  ・平山城
田丸城(たまるじょう)は中世から近世をとおして現在の三重県度会郡玉城町田丸字城郭にあった日本の城。南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である[1]。
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1196.千賀地氏城  ・平山城、丘城
千賀地氏城(ちがちしじょう)は、三重県伊賀市予野にあった日本の城(丘城)。別名、千賀地城とも呼ばれている。
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1197.津城  ・輪郭式平城
津城(つじょう)は、三重県津市にある日本の城。別名:安濃津城(あのつじょう)。三重県指定史跡。
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1198.鳥羽城  ・平山城・海城
鳥羽城(とばじょう)は、志摩国答志郡鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽三丁目)にあった日本の城。鳥羽藩の藩庁が置かれた。水軍の城で、大手門が海側へ突出して築かれたため、鳥羽の浮城、また、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、二色城、錦城とも呼ばれる。
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1199.富田城 (伊勢国)  ・平城
富田城(とみだじょう)は、かつて伊勢国北勢地方の朝明郡に存在した日本の城。現在の三重県四日市市富田1丁目24番地~26番地付近。北勢四十八家の1つ南部氏の居城。
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1200.長島城  ・平城
長島城(ながしまじょう)は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)にあった日本の城。長島藩の藩庁が置かれた。
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1201.長島城 (紀伊国)  ・山城
長島城(ながしまじょう)は、志摩国英虞郡(のち紀伊国牟婁郡)長島[1](現在の三重県北牟婁郡紀北町)に存在した日本の城(山城)である。
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1202.仲氏館  ・館
仲氏館(なかしやかた)は現在の三重県尾鷲市に存在した館である。
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1203.長野城 (伊勢国)  ・山城
長野城(ながのじょう)は、三重県に存在した中世の日本の城(山城)。現在の三重県津市美里町桂畑に所在した。
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1204.中村山城 (紀伊国)  ・平山城
中村山城(なかむらやまじょう)は紀伊国牟婁郡(現在の三重県尾鷲市)に存在した日本の城(平山城)。尾鷲市中心部に位置する標高約50m、比高差約40mの中村山丘陵全体に築かれた平山城。この地域一帯を治めていた仲氏の本拠の城である。
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1205.波切城  ・丘城
波切城(なきりじょう)は、三重県志摩市大王町波切にあった日本の城。
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1206.浜田城 (伊勢国)  ・平城
浜田城(はまだじょう)は、伊勢国三重郡(現三重県四日市市鵜の森一丁目)にあった日本の城(平城)。
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1207.久居陣屋  ・陣屋
久居陣屋(ひさいじんや)は、江戸時代前期から明治時代初期にかけて存在した久居藤堂氏歴代の陣屋。
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1208.福地城  ・丘城、城館
福地城(ふくちじょう)は、三重県伊賀市柘植字浦出にあった丘城・城館。
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1209.戸木城  ・平山城
戸木城(へきじょう)は、三重県津市戸木町にあった日本の城(平山城)。
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1210.松ヶ島城  ・平城
松ヶ島城(まつがしまじょう)は三重県松阪市にかつて存在した日本の城(平城)。1580年(天正8年)に付近の田丸城が焼失したため、織田信雄が新たに城を築き、松ヶ島城と命名した。県の指定文化財[1]。
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1211.松坂城  ・梯郭式平山城
松坂城(まつさかじょう)は、日本の城。現在は松阪城とも表記される[1]。所在地は三重県松阪市殿町。城跡は松坂城跡(まつさかじょうあと)として国の史跡に指定されている[2]。
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1212.丸山城 (伊賀国)  ・段状削平連郭式山城、丘城
丸山城(まるやまじょう)は、三重県伊賀市枅川(ひじきがわ)[1]周辺にあった日本の城。
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1213.三木城 (紀伊国)  ・平城
三木城(みきじょう)は志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)北輪内三木(現・三重県尾鷲市三木浦町)に存在した日本の城(平山城)である。別名「三鬼城」。
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1214.峯城  ・平山城
峯城(みねじょう)は、三重県亀山市川崎町森字殿町にあった日本の城(平山城)。
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1215.茂福城  ・平城
茂福城(もちぶくじょう[1])は、かつて伊勢国朝明郡(北勢地方)に存在した日本の城。北勢四十八家・朝倉氏の居城。三重県四日市市富田地区茂福町里ノ内所在。四日市市市指定史跡[2]。
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1216.山口城 (伊勢国)  ・平山城
山口城(やまぐちじょう)は現在の三重県いなべ市藤原町山口にあたる伊勢国員弁郡山口に存在した日本の城(平山城)である。玉垣城(たまがきじょう)とも呼ばれる。
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1217.山ノ神砦  ・山城
山ノ神砦(やまのかみとりで)は現在の三重県尾鷲市に存在した砦である。
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滋賀県の城

1218.安土城  ・山城
安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)[1]にあった日本の城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。
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1219.宇佐山城  ・山城
宇佐山城(うさやまじょう)は、滋賀県大津市南滋賀町に残る、中世の日本の城(山城)跡である。湖西周りで京都に向かうには避けては通れない位置にあった。
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1220.大津城  ・平城
大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった日本の城。
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1221.大溝城  ・平城・水城
大溝城(おおみぞじょう)は、滋賀県高島市にあった日本の城の1つである。別名は高島城[1]。鴻溝城(こうこうじょう〈こうこじょう[2]〉)[3]、鴻湖城(こうこじょう)とも称された[4]。大溝城跡は高島市の史跡に指定されている[5]。そのほか2015年(平成27年)に、国の重要文化的景観に選定された「大溝の水辺景観」の重要な構成要素として[6]、大溝城跡や旧城下地区などが含まれる[7]。「大溝の水辺景観」は、「日本遺産」に認定された「琵琶湖とその水辺景観 - 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財に選定されている[8][9]。
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1222.小谷城  ・梯郭式山城
小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市(旧東浅井郡湖北町伊部、かつての近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城(山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1223.鎌刃城  ・連郭式山城
鎌刃城(かまはじょう/かまのはじょう)は、滋賀県米原市にあった日本の城。城跡は2005年(平成17年)3月2日に国の史跡に指定されている[1][2]。また、2017年(平成29年)4月6日には続日本100名城に選定された。
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1224.河瀬城  ・寺院一体型平城
河瀬城(かわせじょう)は、滋賀県彦根市にあった日本の城。
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1225.観音寺城  ・山城
観音寺城(かんのんじじょう)は、滋賀県近江八幡市安土町にあった日本の城(山城)である。支城に和田山城、佐生城、箕作城、長光寺城などがある。城跡は国の史跡に指定されている。日本五大山城の一つ[2]。
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1226.北近江城館跡群
北近江城館跡群(きたおうみじょうかんあとぐん)は、滋賀県長浜市にある城館跡。2006年1月26日に国史跡に指定され、2011年9月21日に追加指定が行われた。指定名称は「北近江城館跡群 下坂氏館跡 三田村氏館跡」である。
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1227.久徳城
久徳城は日本の城。滋賀県 犬上郡 多賀町 久徳にあった。六角氏と浅井氏の係争の地として戦場となる。
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1228.京極氏遺跡
座標: 北緯35度23分40秒 東経136度24分39秒 / 北緯35.39444度 東経136.41083度 / 35.39444; 136.41083
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1229.玄蕃尾城  ・山城
玄蕃尾城(げんばおじょう)は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にあった山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。平成11年(1999年)7月13日に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている[1]。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。
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1230.坂本城  ・平城、水城
坂本城(さかもとじょう)は、近江国滋賀郡坂本(滋賀県大津市下阪本)にかつて存在した日本の城。明智光秀の居城として築かれ、琵琶湖に面する平城。遺構は市街地化によりほぼ消滅している。
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1231.佐和山城  ・連郭式山城
佐和山城(さわやまじょう)は、中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城(山城)である。現・佐和山城址。
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1232.清水山城 (近江国)  ・山城
清水山城(しみずやまじょう)は滋賀県高島市新旭町熊野本・同市新旭町安井川にあった日本の城。山城。城跡は2004年(平成16年)2月27日に「清水山城館跡」として、国の史跡に指定されている[1]。
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1233.膳所城  ・梯郭式平城
膳所城(ぜぜじょう)は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。
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1234.寺村城  ・平城
寺村城(てらむらじょう)は寺村氏によって築かれた日本の城(平城)である。寺村館(てらむらやかた)ともいわれる。
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1235.長浜城 (近江国)  ・平城
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町の豊公園内にある羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した日本の城跡。
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1236.長浜城下町
長浜城下町(ながはまじょうかまち)は、滋賀県長浜市にあった長浜城の東に形成された城下町。浅井氏滅亡後の北近江に所領を与えられた羽柴秀吉が、1574年(天正2年)に今浜に築城し、同時に城下町を建設し、町の名前を今浜から長浜に改めた[1]。城は1615年(元和元年)に廃城となったが[2]、長浜の町は琵琶湖の重要港として、北国街道の宿場として[3]、大通寺の門前町、さらに彦根藩の縮緬機業の中心地として、近世から近代に至るまで繁栄した[4]。
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1237.鯰江城  ・平山城
鯰江城(なまずえじょう)は、近江国愛知郡鯰江荘(現・滋賀県東近江市鯰江町)にあった日本の城(平山城)。同地を本拠とした鯰江氏の居城であった。
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1238.八幡山城  ・放射状式連郭山城と居館
八幡山城(はちまんやまじょう)は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した日本の城(山城)。羽柴秀次の居城として知られる。別名近江八幡城とも呼ばれている。
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1239.彦根城  ・連郭式平山城
彦根城(ひこね じょう)は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)[1]にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。
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1240.日野城  ・平山城
日野城(ひのじょう)は、滋賀県蒲生郡日野町にあった日本の城。
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1241.三尾城 (近江国)
三尾城(みおのき[1])は、近江国にあった古代日本の城。城跡の所在地は不明で、現在の滋賀県高島市付近に推定される。
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1242.水茎岡山城  ・山城
水茎岡山城(みずぐきおかやまじょう)は、滋賀県近江八幡市牧町に築かれた日本の城。尾山城、岡山城、九里城とも呼ばれる。
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1243.箕作城  ・山城
箕作城(みつくりじょう)は、現在の滋賀県東近江市五個荘山本町箕作山の山上に築かれた六角氏の城館(日本の城)。
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1244.水口岡山城  ・連郭式山城
水口岡山城(みなくちおかやまじょう)は、滋賀県甲賀市水口町水口に築かれた日本の城。国の史跡に指定されている。
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1245.水口城  ・梯郭式平城
水口城(みなくちじょう)は、近江国甲賀郡水口村(現・滋賀県甲賀市水口町水口)にあった日本の城。城跡は県指定史跡である。
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1246.望月城 (近江国)  ・望月城
望月城(もちづきじょう)は、滋賀県甲賀市にあった日本の城。
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1247.矢守城  ・平城
矢守城(やもりじょう)は滋賀県愛知郡愛荘町矢守にあった日本の城である。矢守氏によって築かれた平城であるとされている。
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1248.横山城 (近江国)  ・山城
横山城(よこやまじょう)は近江国坂田郡(滋賀県長浜市堀部町・石田町)にあった日本の城。山城。元亀年間(1570年 - 1573年)の織田信長と浅井長政の激しい戦いの拠点であり、信長の部将であった木下秀吉(後の豊臣秀吉)が城番として守備していたことで知られる。
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京都府の城

1249.阿弥陀ヶ峰城 (京都市)  ・山城
阿弥陀ヶ峰城(あみだがみねじょう)は、現在の京都市東山区今熊野阿弥陀ヶ峰町(当時は山城国愛宕郡)にある阿弥陀ヶ峰(標高196m)に築かれた戦国時代の日本の城(山城)である。
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1250.嵐山城  ・山城
嵐山城(あらしやまじょう)は、かつて山城国葛野郡(現在の京都府京都市西京区)の嵐山山頂を中心にして築かれた日本の城[1]。約500年前頃の戦国時代に造られた典型的かつ大規模な山城のひとつで、当時は嵯峨城とも呼ばれた。
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1251.宇治田原城
宇治田原城(うじたわらじょう、別名:山口城)は、山城国宇治田原(現・京都府綴喜郡宇治田原町)にあった土豪・山口甚助の館。
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1252.数掛山城  ・山城
数掛山城(かずけやまじょう[2])は、現在の京都府亀岡市本梅町西加舎(旧・丹波国桑田郡[3])にあった日本の城。
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1253.亀山城 (丹波国)  ・平山城
亀山城(かめやまじょう)は、京都府亀岡市荒塚町周辺(旧丹波国桑田郡亀岡)にあった日本の城。亀岡城とも。明智光秀によって丹波統治の拠点として機能した城郭である[1]。江戸時代初頭には近世城郭として整備された。大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが大本事件で日本政府により爆破・破却された。戦後再建され、大本の本部が置かれている。
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1254.神尾山城  ・連曲輪式山城
神尾山城(かんのおさんじょう)は、京都府亀岡市宮前町宮川にあった日本の城。柳本賢治の居城で、その後明智光秀の丹波攻めの拠点になったのではないかと思われる。
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1255.木津城 (山城国)  ・山城
木津城(きづじょう)は、京都府に存在した中世の日本の城(山城)。木津川市の木津川左岸の城山に位置する。
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1256.京都新城  ・平城
京都新城(きょうとしんじょう)は、太閤豊臣秀吉が関白豊臣秀次の聚楽第を破却した後、豊臣関白家の正式な邸宅として京都御所(禁裏)東南に構えた豊臣秀頼のための城郭風邸宅である。ただしその後は豊臣家から関白に任命された者はなく、秀頼が短期間利用した後は、秀吉の正室である高台院(北政所)が隠居屋敷として用いたのみであった。
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1257.指月城
指月城は、日本の城である。
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1258.周山城  ・山城
周山城(しゅうざんじょう)は、京都府京都市右京区京北周山町(かつての丹波国桑田郡)にあった日本の城。明智光秀の築城で、明智光忠が入ったとされる。
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1259.将軍山城  ・山城
将軍山城(しょうぐんやまじょう)は、現在の京都市左京区北白川清沢口町(当時は山城国愛宕郡)にある瓜生山(標高301メートル)に築かれた戦国時代の日本の城(山城)である。別名北白川城(きたしらかわじょう)、瓜生山城(うりょうさんじょう)、勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうやまじょう)とも呼ばれている。
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1260.勝竜寺城  ・梯郭式平城
勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市勝竜寺に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた近世城郭の原点として評価される[1]。
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1261.園部城  ・平山城
園部城(そのべじょう)・園部陣屋(そのべじんや)は、京都府南丹市園部町小桜町周辺にあった陣屋または日本の城である。園部城が日本の城郭史で最後の建築物となる。建造物群の一部は府の「暫定登録文化財」に登録されている[1]。
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1262.建部山城  ・山城
建部山城(たけべやまじょう)は丹後国加佐郡(現在の京都府舞鶴市下福井)に室町時代から戦国時代に存在していた日本の城。室町幕府の重鎮として栄えた有力守護大名・一色氏の根拠地である八田守護所の背後にあった詰城。八田城、田辺城ともいう。
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1263.田辺城 (丹後国)  ・輪郭式平城
田辺城(たなべじょう)は、京都府舞鶴市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城。別名は舞鶴城(ぶがくじょう)。鎌倉幕府・室町幕府の八田守護所(丹後守護所)の後身ともされる。舞鶴市指定史跡[1]。
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1264.二条城  ・輪郭式平城
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の平城であり近代においては離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である[1]。
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1265.東山霊山城  ・山城
東山霊山城(ひがしやまりょうぜんじょう)あるいは霊山城(りょうぜんじょう)とは、現在の京都市東山区清閑寺霊山町(当時は山城国愛宕郡)にある霊山(標高176m)に築かれた戦国時代の日本の城(山城)跡である。
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1266.福知山城  ・連郭式平山城
福知山城(ふくちやまじょう)は、丹波国天田郡福知山[1](現・京都府福知山市字内記内記一丁目周辺)にあった日本の城(平山城)跡。江戸時代には福知山藩の居城であった。1965年10月14日、市の史跡に指定[2]。2017年には、「続日本100名城」(158番)に選定された。
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1267.伏見城  ・梯郭式平山城
伏見城(ふしみじょう)は、現在の京都市伏見区の桃山丘陵にあった日本の城。
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1268.船岡山城  ・山城
船岡山城(ふなおかやまじょう)は京都市北区にある中世の日本の城(山城)跡。別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。
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1269.槇島城
槇島城(まきしまじょう)は、京都府宇治市槇島町にかつて存在した日本の城。「槙島城」とも表記される。
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1270.宮津城  ・平城
宮津城(みやづじょう)は、丹後国与謝郡[1]宮津(現・京都府宮津市鶴賀)にあった日本の城跡。現存していれば日本の海城を代表する城であった[2]。
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1271.八木城 (丹波国)  ・複合梯郭式山城
八木城(やぎじょう)は、京都府南丹市八木町八木および亀岡市宮前町神前周辺にあった日本の城。丹波国三大城郭のひとつで、黒井城、八上城とともに数えられている。キリシタン武将・内藤如安ゆかりの城としても知られる。
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1272.山崎城 (山城国)  ・山城
山崎城(やまざきじょう)は、京都府乙訓郡大山崎町字大山崎にあった日本の城(山城)。山崎の戦い後、大坂城を築城するまで豊臣秀吉が本拠地としていた。別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれている。
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1273.山科本願寺  ・平城
山科本願寺(やましなほんがんじ)は、京都市山科区にあった浄土真宗の寺院。本願寺第8世法主蓮如により、文明15年8月22日(1483年9月23日)に完成・建立。
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1274.弓木城  ・山城
弓木城(ゆみのきじょう)は、丹後国(現京都府与謝野町岩滝)にあった日本の城。
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1275.淀古城  ・平城
淀古城(よどこじょう)は、京都府京都市伏見区納所(のうそ)北城堀にあった日本の城。納所は木津・桂・宇治の三川が合流するポイントの北岸にあたりに築城され、3面を川に囲まれた天然の要害で、古くからの商業地「淀」の中核都市であった。
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1276.淀城  ・梯郭式平城
淀城(よどじょう)は、山城国久世郡淀(現・京都府京都市伏見区淀本町)にあった日本の城である。現在は本丸の石垣と堀の一部が残っている。江戸時代には久松松平家、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城した。
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1277.二条城  ・輪郭式平城
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の平城であり近代においては離宮の役割を担った。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)である[1]。
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1278.神泉苑
神泉苑(しんせんえん)は、京都市中京区門前町にある東寺真言宗の寺院。本尊は聖観音。そもそもは平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)。古代から中世にかけては東寺が管掌する雨乞いの道場となり、江戸時代に寺院となった。
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1279.仙洞御所
仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所。
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1280.聴秋閣
聴秋閣(ちょうしゅうかく)は、神奈川県横浜市中区の三渓園内にある建築物である。二層の楼閣風の軽妙な意匠によって、三渓園では臨春閣と並んで著名な建造物である。国の重要文化財。
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1281.二条御所
二条御所(にじょうごしょ)は、京都府京都市上京区武衛陣町に存在した御所。
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1282.二条城会見
二条城会見(にじょうじょうかいけん)は、1611年(慶長16年)3月28日に、山城国京都二条城において、徳川家康と豊臣秀頼が行った会見である。
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1283.二条城前駅
二条城前駅(にじょうじょうまええき)は、京都府京都市中京区二条城町にある、京都市営地下鉄東西線の駅。駅番号はT14。
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1284.二条新御所
二条新御所(にじょうしんごしょ)は、京都府京都市中京区二条殿町に存在した御所。
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大阪府の城

1285.安威城  ・山城、丘城
安威城(あいじょう)は、大阪府茨木市安威にあった日本の城。
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1286.安威砦  ・連郭式山城
安威砦(あいとりで)は、大阪府茨木市安威にあった砦。安威城の背後の丘陵上に位置し、安威城が平時の居館であったのに対して、安威砦は詰の砦ではなかったかと考えられている[1]。
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1287.芥川城  ・平城
芥川城(あくたがわじょう)は大阪府高槻市にある日本の城跡。同じ高槻市にある能勢頼則が築城した山城も芥川城と呼称されている。現在では便宜上、殿町周辺にあった城を「芥川城」、三好山にあった城を「芥川山城」と区別している。
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1288.芥川山城  ・連郭式山城
芥川山城(あくたがわやまじょう/あくたがわさんじょう)は、大阪府高槻市の三好山にあった日本の城。国の史跡に指定されている(指定名称は「芥川城」)[1][2]。
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1289.雨山城 (和泉国)  ・山城
雨山城(あめやまじょう)は、大阪府泉南郡熊取町野田の雨山に所在する南北朝時代の日本の城跡(山城)。泉州における南朝方の拠点として南朝・北朝間で激しい争奪の舞台となった。1996年(平成8年)3月13日に熊取町指定史跡となっていたが[1]、2013年(平成25年)10月17日、隣接する泉佐野市の土丸城と共に「土丸・雨山城」として国の史跡・日根荘遺跡の一部に加えられた[2]。
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1290.飯盛山城  ・山城
飯盛山城(いいもりやまじょう)は、河内国讃良郡[1]飯盛山(現・大阪府大東市及び四條畷市)にある日本の城跡。別名「飯盛城」[2]。標高315.9mの飯盛山に築かれた日本の城(山城)である。
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1291.池田城 (摂津国)  ・平山城、丘城
池田城(いけだじょう)は、大阪府池田市にあった日本の城。建武元年(1334年)前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた。現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されている。
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1292.茨木城  ・平城
茨木城(いばらきじょう)は大阪府茨木市にあった日本の城である。現在の城跡は宅地化され、茨木神社に移築されたと言われている搦手門と茨木小学校に復元された櫓門がある程度で、城をしのばせるものはほとんど残っていない。
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1293.江口城  ・平城
江口城(えぐちじょう)は大阪府大阪市東淀川区の旧江口村周辺にあったと言われている日本の城。
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1294.榎並城  ・平城
榎並城(えなみじょう)は、摂津国東生郡榎並荘、現在の大阪府大阪市城東区野江付近にあった日本の城。ここの東側に存在した室町幕府料所河内十七箇所に因み、別名を十七箇所城(じゅうななかしょじょう)とも言った。
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1295.烏帽子形城  ・山城
烏帽子形城(えぼしがたじょう)は、大阪府河内長野市喜多町の烏帽子形山にあった日本の城。別名「押子形城」。奥河内の名所である高野街道の沿線にあり、城跡は国の史跡に指定されている。また日本遺産『中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜』の構成文化財のひとつでもある。
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1296.大坂城  ・輪郭式平城または平山城
大坂城/大阪城(おおさかじょう[注釈 1])は、戦国時代に上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた。現在の大阪城は1930年代に再築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。「大阪城跡」として国の特別史跡に指定されている。なお、城址を含む一帯は大阪城公園(おおさかじょうこうえん)として整備されている。天守は博物館「大阪城天守閣」となっている。
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1297.太田城 (摂津国)  ・平城、館城
太田城(おおだじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城(平城)。
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1298.大塚城  ・平山城
大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われている。
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1299.大和田城  ・平城
大和田城(おおわだじょう)は、大阪市西淀川区大和田4丁目から5丁目付近にあった日本の城(平城)である。正確な位置や城郭、築城や廃城などの歴史については不明な点が多い。もともと戦国時代に砦があった場所に、石山合戦の時に織田信長の命に本格的な城郭として築城かれたのではないかと考えられている。
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1300.岡ミサンザイ古墳
岡ミサンザイ古墳(おかみさんざいこふん)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。
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1301.忍陵神社
忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)は、大阪府四條畷市岡山にある神社。式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。
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1302.貝吹山城  ・平山城、丘城
貝吹山城(かいぶきやまじょう)は、和泉南郡八木郷(現・大阪府岸和田市池尻町)にあった日本の城(平山城、丘城)。
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1303.交野城  ・連郭式平城
交野城(かたのじょう)は、河内国交野郡[注釈 1]交野庄私部[2](現在の大阪府交野市私部)に築かれた日本の城(平城)。別名を私部城(きさべじょう)。交野市指定史跡に指定されている[3]。
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1304.上赤坂城  ・山城
上赤坂城(かみあかさかじょう)は、日本の城。所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村上赤阪。「上赤阪城」と書くこともある。別名、楠木城。小根田城、桐山城とも言う。楠木七城の一つ。「楠木城跡(上赤阪城跡)」として国の史跡に指定されている。
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1305.岸和田城  ・輪郭式平城
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市岸城町にあった日本の城である。別名千亀利城(ちきりじょう)。江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた。本丸庭園は国の名勝[1][2]、城跡は大阪府の史跡に指定されている。本丸および二の丸一帯の4.9haは千亀利公園として岸和田市が管理している。
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1306.楠木七城
楠木七城(くすのきしちじょう)は、後醍醐天皇の呼び掛けに応じた楠木正成が鎌倉幕府への抵抗の拠点とするために築城した城砦群である。現在の大阪府南河内郡千早赤阪村・富田林市・河内長野市にかけて城跡が残る。
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1307.柴島城  ・平城
柴島城(くにじまじょう)は、大阪府大阪市東淀川区にあった日本の城。
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1308.郡山城 (摂津国)  ・平山城、丘城
郡山城(こおりやまじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城。
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1309.金胎寺城 (富田林市)  ・連郭式山城
金胎寺城(こんたいじじょう)は、大阪府富田林市に存在した中世城郭である。
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1310.佐保来栖山砦  ・山城
佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)は、大阪府茨木市大字佐保にあった砦、山城。史料に記載がなく、平成になり発掘調査で存在が確認できた城郭である。
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1311.三箇城  ・平城
三箇城(さんがじょう)は、大阪府大東市にあった城。
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1312.地黄城  ・平城、単郭式近世陣屋城
地黄城(じおうじょう)は、大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平城)。別名、地黄陣屋(じおうじんや)とも呼ばれている。
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1313.下赤坂城  ・山城
下赤坂城(しもあかさかじょう)は、日本の城。所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村森屋。国の史跡に指定されている。
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1314.積善寺城  ・平城
積善寺城(しゃくぜんじじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城(平城)。
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1315.吹田城  ・平山城、居城
吹田城(すいたじょう)は大阪府吹田市の吹田駅付近にあった日本の城。
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1316.千石堀城  ・山城
千石堀城(せんごくぼりじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城(山城)。
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1317.高槻城  ・平城
高槻城(たかつきじょう)は、摂津国島上郡[1]高槻村(現・大阪府高槻市城内町)にあった日本の城(明治7年(1874年)まで存在)。入江城(いりえじょう)とも呼ばれる。大阪府指定史跡[2]。
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1318.高屋城  ・連郭式平山城、台地城
高屋城(たかやじょう)は、大阪府羽曳野市古市にかつてあった日本の城。三管領の畠山氏の本拠地である。本丸は宮内庁によって安閑天皇陵に治定されている古墳(高屋築山古墳)があり、立ち入りが禁止されている。二の丸、三の丸は住宅地となっている。
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1319.高安城  ・古代山城
高安城(たかやすじょう/たかやすのき)は、奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市にまたがる、高安山[1]の山頂部に所在するとされる、日本の古代山城である。
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1320.嶽山城  ・山城
嶽山城(だけやまじょう)は、元弘2年(1332年)に楠木正成が築城した南河内の日本の城。大阪府富田林市彼方の嶽山山頂にあった。中腹に龍泉寺があることから龍泉寺城とも呼ばれる。楠木七城の一つ。
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1321.田原城 (河内国)  ・山城
田原城(たわらじょう)は河内国(現在の大阪府四條畷市上田原)の大和国との境界付近に建てられた戦国時代の日本の城(山城)である。
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1322.千早城  ・連郭式山城
千早城(ちはやじょう)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早にある日本の城。国の史跡に指定されている。鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成・築城の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城である。金剛山城。楠木七城の一つ。
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1323.津田城  ・山城
津田城(つだじょう)は、大阪府枚方市津田にあった日本の城である。別名・国見山城(くにみやまじょう)ともいう[2]。
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1324.土丸城  ・山城 
土丸城(つちまるじょう)、または槌丸城は、大阪府泉佐野市土丸の城ノ山(じょうのやま)に所在する。南北朝時代の日本の城跡(山城)。南朝・北朝間での激しい争奪の舞台となった。2013年(平成25年)10月17日、隣接する泉南郡熊取町の雨山城と共に「土丸・雨山城」として国の史跡・日根荘遺跡の一部に加えられた[1]。
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1325.天臨閣
天臨閣(てんりんかく)は、大坂城本丸にあった桃山様式の書院建築。紀州御殿(きしゅうごてん)の通称で知られた。
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1326.野崎城 (河内国)  ・山城
野崎城(のざきじょう)は、大阪府大東市にあった日本の城。
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1327.野田城 (河内国)  ・平城
野田城(のだじょう)とは、河内国丹比郡野田荘(現在の大阪府堺市東区)に存在していた城。
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1328.野田城 (摂津国)  ・平城
野田城 (のだじょう)は、戦国時代の城郭。今の大阪府大阪市福島区玉川付近にあった日本の城(平城)である。
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1329.野間城 (摂津国)  ・山城
野間城(のまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町野間中にあった日本の城(山城)。
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1330.畠中城
畠中城(はたけなかじょう)は、大阪府貝塚市畠中にかつてあった日本の城。
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1331.原田城  ・平山城、丘陵城郭
原田城(はらだじょう)は、大阪府豊中市曽根西町及び原田元町付近にあった日本の城(平山城、丘城)。豊中市指定史跡[1]。
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1332.深井城  ・丘城
深井城(ふかいじょう)は、大阪府堺市にあった日本の城。遺構などは存在せず、推定地として中区深井中町にあった観音山古墳が城跡として有力である。
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1333.福井城 (摂津国)  ・山城、丘城
福井城(ふくいじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城。
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1334.二田城
二田城(ふったじょう)は、和泉国二田(現・大阪府泉大津市二田町)にあった日本の城。
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1335.堀城  ・平城
堀城(ほりじょう)は、大阪市淀川区にあった日本の城で、別名は中嶋城(なかじまじょう)とも言われている。
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1336.丸山城 (摂津国能勢郡)  ・平山城
丸山城(まるやまじょう)は、大阪府豊能郡能勢町地黄にあった日本の城(平山城)。
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1337.三宅城  ・平城
三宅城(みやけじょう/みあけじょう)は、大阪府茨木市にあった日本の城である。宅地化、農地化がすすんで遺構などは地表上には存在せず、推定地として蔵垣内3丁目および丑寅2丁目が有力である[1]。
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1338.八尾城
八尾城(やおじょう)は、かつて河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあった日本の城。南北朝時代から安土桃山時代にかけて存在したが正確な所在はわかっていない(後述)。
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1339.若江城  ・平城
若江城(わかえじょう)は、南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)に所在した日本の城(平城)。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。
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1340.大坂城  ・輪郭式平城または平山城
大坂城/大阪城(おおさかじょう[注釈 1])は、戦国時代に上町台地の先端、摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれた。現在の大阪城は1930年代に再築された日本の城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。「大阪城跡」として国の特別史跡に指定されている。なお、城址を含む一帯は大阪城公園(おおさかじょうこうえん)として整備されている。天守は博物館「大阪城天守閣」となっている。
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1341.大阪城公園
大阪城公園(おおさかじょうこうえん)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある都市公園(歴史公園)である[1]。
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1342.石山本願寺
石山本願寺(いしやまほんがんじ)は、戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡生玉荘大坂[注釈 1]にあった浄土真宗の寺院である[1]。なお、名称に関しては、大坂本願寺、大坂城など、様々な説がある。
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1343.越中井
越中井(えっちゅうい)は、大阪市中央区森ノ宮中央2丁目12にある史跡。細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる場所で、細川ガラシャ最期の地として知られる。越中井戸(えっちゅういど)とも呼称される[1][2]。
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1344.真田丸
真田丸(さなだまる)は、1614年(慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城(北緯34度41分15.4秒 東経135度31分36.6秒 / 北緯34.687611度 東経135.526833度 / 34.687611; 135.526833 (豊臣時代の天主のおおよその所在地))平野口の南に構築した出城・曲輪(出丸)である。
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1345.三名城
三名城(さんめいじょう)とは、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、日本国内において名城とされる城の上位3つを挙げたものである。ただし、どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説がある。
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1346.新鴫野橋
新鴫野橋(しんしぎのばし)は、大阪府大阪市中央区大阪城と城見1丁目を結ぶ、第二寝屋川に架かる橋である。南詰に大阪城公園、北詰に大阪ビジネスパークが広がる[1][2]。
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1347.太閤下水
太閤下水(たいこうげすい)は大阪市に存在する下水溝である[1]。背割下水(せわりげすい)ともいう。築造時期は豊臣時代ではなく、江戸時代だと考えられている[2]。
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1348.手伝普請
手伝普請(てつだいふしん)は、豊臣政権や江戸幕府が諸大名に命じて行わせた大規模な土木建築工事のことである。近世の統一政権の成立が前提となる。
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1349.天下普請
天下普請(てんかぶしん)とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。なかでも城郭普請が有名であるが、道路整備や河川工事などインフラストラクチャー整備などの工事も含んでいる。
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1350.天臨閣
天臨閣(てんりんかく)は、大坂城本丸にあった桃山様式の書院建築。紀州御殿(きしゅうごてん)の通称で知られた。
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1351.徳川大坂城東六甲採石場
徳川大坂城東六甲採石場(とくがわおおさかじょうひがしろっこうさいせきば)は、兵庫県の六甲山地東部にある、徳川氏による大坂城築城時に使用された採石場の総称。西宮市・芦屋市・神戸市東灘区の山地や丘陵に分布している[1]。
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1352.豊臣秀吉
豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)は戦国時代~安土桃山時代の日本の武将、戦国大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人[3][4]。織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた[5]。
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1353.豊臣秀頼
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより / とよとみ の ひでより、旧字体: 豐臣秀賴)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。
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1354.豊國神社 (大阪市)
豊國神社(ほうこくじんじゃ、新字体:豊国神社、旧字体:豐國神社)は、大阪市中央区にある神社。大阪城二の丸南側に鎮座する。旧社格は府社。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊臣秀長も配祀する。
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1355.淀殿
淀殿(よどどの、永禄12年(1569年)?[注釈 1][注釈 2] - 慶長20年5月8日(1615年6月4日))は、戦国時代から江戸時代初頭の人物。豊臣秀吉の側室[注釈 3]。位階は従五位下とされるが、諸説あり。本名は 浅井 茶々(あざい ちゃちゃ)および浅井 菊子(あざい きくこ)。浅井三姉妹の一人。
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兵庫県の城

1356.上月城  ・連郭式山城
上月城(こうづきじょう)は、兵庫県佐用郡佐用町(旧上月町)にある日本の城(山城)跡である。
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1357.光明寺城 (播磨国)  ・山城
光明寺城(こうみょうじじょう)は、兵庫県加東市光明寺山内にあった日本の城(山城)。
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1358.越水城  ・平山城
越水城(こしみずじょう)は摂津武庫郡(兵庫県西宮市)にあった日本の城。現在は西宮市立大社小学校に案内看板・石碑が建っている。
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1359.小谷城 (播磨国)
小谷城(こだにじょう)は、兵庫県加西市北条町小谷にあった日本の城。
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1360.御着城  ・平城
御着城(ごちゃくじょう)は、播磨国飾磨郡(のち飾東郡)御着[1](現・兵庫県姫路市御国野町御着)にあった城郭である。茶臼山の上に築かれた城なので茶臼山城の別名を持ち、さらに、天川を堀の一部として利用していたことから天川城の別名も持つ。
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1361.此隅山城  ・山城
此隅山城(このすみやまじょう)は、兵庫県豊岡市の出石にある日本の城(山城)跡。別名は子盗城、此隅城。有子山城跡と合わせて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されている。
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1362.小堀城  ・平城・城館
小堀城(こぼりじょう)は、兵庫県小野市河合中町に所在する日本の城跡。河合城・堀井城と共に一体の城郭群を形成していたと考えられている[3]。
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1363.坂本城 (播磨国)  ・平城
坂本城(さかもとじょう)は、現在の兵庫県姫路市書写にあった日本の城である[3]。別名は堀之城、または御構御所[4]。土塁の遺構が「坂本城跡土塁」として姫路市の史跡に指定されている[1]。
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1364.篠ノ丸城  ・山城
篠ノ丸城(ささのまるじょう)、または広瀬城(ひろせじょう)は、兵庫県宍粟市山崎町横須・門前ほかに所在する日本の城(山城)跡。黒田氏の史料に見える、1580年(天正8年)に黒田孝高が入城した「山崎の城」をこの山城に比定する説もある[2]。
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1365.篠山城  ・輪郭式平山城
篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県丹波篠山市北新町にある日本の城跡(近世城郭)。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城で、篠山藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
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1366.佐用城  ・平山城
佐用城(さようじょう)、または福原城(ふくはらじょう)は現在の兵庫県佐用郡佐用町に存在した日本の城(平山城)である。
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1367.三田城  ・平山城、陣屋
三田城(さんだじょう)は、兵庫県三田市屋敷町・天神の周辺にあった日本の城。安土桃山時代以前の三田城については不明な点が多い。江戸時代以降は、領主となった九鬼家が無城主であったため、三田陣屋と称された。しかし、藩庁である三田陣屋は、それまでの旧三田城を取り込んで構築され、櫓や石垣などは築かれなかったものの、城郭に匹敵するほどの規模であった。
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1368.志方城  ・平城
志方城(しかたじょう)は播磨国印南郡(兵庫県加古川市)にあった日本の城(平城)である。現在、本丸跡は宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校になっている。また西の丸跡は旧志方町役場であった。
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1369.下田中城  ・平城、方形居館
下田中城(しものたなかじょう)は、兵庫県三田市下田中周辺にあった日本の城(平城)、方形居館。曲輪跡等の遺構が残っていたようだが河川改修に伴い消滅し、正確な城郭については不明である。
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1370.白旗城  ・連郭式山城
白旗城(しろはたじょう、しらはたじょう)は、播磨国赤穂郡白旗[1](現在の兵庫県赤穂郡上郡町赤松)に存在していた日本の城(山城)。「赤松氏城跡」の1つとして国の史跡に指定されている。室町時代に播磨国白旗山(標高440m)に築かれ、播磨守護赤松氏の居城となる。
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1371.新田城  ・平山城、丘陵城郭
新田城(しんでんじょう)は、兵庫県川西市新田3丁目付近にあった日本の城(平山城)。
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1372.洲本城  ・山城、平城
洲本城(すもとじょう)は、淡路国津名郡洲本[1](現在の兵庫県洲本市小路谷)にある日本の城跡。別名三熊城。国の史跡に指定されている。
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1373.善防山城
善防山城 (ぜんぼうさんじょう)は、室町時代に現在の兵庫県加西市三口町の善防山(標高251m)にあった日本の城(山城)。
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1374.鷹尾城  ・山城、平城
鷹尾城(たかおじょう)は、兵庫県芦屋市にある日本の城跡である。山城部分を「鷹尾城山城」平城部分を「芦屋城」と区別していうこともある。阿波の細川澄元の畿内進出の防衛最前線基地として、細川高国が瓦林正頼に築城を命じたと言われている。
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1375.滝山城 (摂津国)  ・連郭式山城
滝山城(瀧山城、たきやまじょう)は、兵庫県神戸市中央区の城山にあった日本の城。山陽新幹線の新神戸駅の裏山、「布引の滝」の西に位置する。
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1376.竹田城  ・梯郭式山城
竹田城(たけだじょう)は、現在の兵庫県朝来市和田山町竹田にあった日本の城(山城)。
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1377.龍野城  ・平山城
龍野城(たつのじょう)は、現在の兵庫県たつの市龍野町上霞城にあたる播磨国揖保郡(のち揖西郡)[2]龍野にあった日本の城である。別名、霞城。
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1378.茶臼山城 (摂津国)
茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、兵庫県神戸市北区にあった戦国時代の日本の城である。
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1379.茶臼山城 (播磨国)  ・山城
茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、播磨国赤穂郡宝珠山(現在の兵庫県赤穂市坂越宝珠山)にあった日本の城(山城)である[1][2][3][4][5]。別名は茶臼山砦(ちゃうすやまとりで)[1][3][4]。
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1380.長水山城  ・山城
長水山城(ちょうずいさんじょう)、または長水城(ちょうずいじょう)[2]は、兵庫県宍粟市山崎町片山・宇野の、標高584メートルの長水山山頂にあった山城[3]。広瀬城(ひろせじょう)とも呼ばれる[3]。
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1381.豊地城  ・平城、方形館
豊地城(といちじょう)は、兵庫県小野市中谷町にあった日本の城(平城)。小野市の北東部にあり、加東市に隣接している位置に中谷町がある。吉田新庄の中央に位置し、東条川沿いに街道があり豊地城は街道筋にあたり、三木城にも抜けることができる。豊地が拾市とも表記されるため、中世初期に十日市がたっていた要衝と考えられている。
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1382.富松城  ・平城、館城
富松城(とまつじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城。現在でも土塁、水堀の遺構が確認できる。
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1383.豊岡城  ・平山城
豊岡城(とよおかじょう)は、但馬国城崎郡[注 1]豊岡(現・兵庫県豊岡市京町)にあった日本の城。別名・亀城[2][1]。
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1384.波賀城史跡公園  ・山城
波賀城史跡公園 (はがじょうしせきこうえん)は、波賀城跡の兵庫県宍粟郡波賀(現・兵庫県宍粟市波賀町上野)にある公園(日本の城跡)。
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1385.花隈城  ・平山城
花隈城(はなくまじょう)は、摂津国八部郡花熊村(現・兵庫県神戸市中央区花隈町)の元町駅西方にあった日本の城。別名は花熊城。
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1386.聖山城  ・山城
聖山城(ひじりやまじょう)、または堅木城(かたぎじょう)・篳篥山城(ひちりきやまじょう)は、兵庫県宍粟市山崎町須賀沢字出石(いだいし)に所在する日本の城跡。羽柴秀吉が、1580年(天正8年)に宇野氏を攻撃した際に本陣とした山城とされる。
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1387.姫路城  ・渦郭式平山城[1]
姫路城(ひめじじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されている。また、主郭部を含む中堀の内側は「姫路城跡」として国の特別史跡に指定されている[8][9]。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)リストにも登録され[10][11]、日本100名城[12]などに選定されている。別名は白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう。詳細は名称の由来と別名を参照)。
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1388.兵庫城  ・平城、海城
兵庫城(ひょうごじょう)は、兵庫県神戸市兵庫区中之島(旧・摂津国八部郡兵庫津)[1]周辺にあった日本の城である。尼崎藩時代には兵庫陣屋と呼ばれ奉行が置かれ明治時代には兵庫県庁があった。
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1389.平野城  ・平山城
平野城(ひらのじょう)は神戸市東灘区の御影山手にあった日本の城。別名、御影村城。
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1390.船上城  ・平城、水城
船上城(ふなげじょう)は、播磨国明石郡(兵庫県明石市新明町)にあった日本の城で、明石川河口の西側、明石海峡に面した部分と明石川の湿地帯に築城された平城、水城である。
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1391.堀井城  ・平城
堀井城(ほりいじょう)は、兵庫県小野市河合西町字構46に所在する日本の城跡。城跡は、2020年(令和2年)4月1日に「堀井城跡ふれあい公園」として整備・公開されている[2]。
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1392.満久城
満久城(まくじょう)は、現在の兵庫県加西市満久町、別所町、和泉町の三町境界に位置する蛤山(標高196m)にあった日本の城(山城)。
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1393.松岡城 (摂津国)
松岡城(まつおかじょう)は、南北朝時代に摂津国(現在の神戸市須磨区大手町先)にあったと言われる日本の城(山城)である。しかし城郭のような構えはなく、丘の地形と自生していた笹を生かした砦に近い簡素なものであった。
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1394.丸山城 (摂津国有馬郡)  ・山城
丸山城(まるやまじょう)は、兵庫県西宮市山口町金仙寺にあった日本の城。
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1395.三木城  ・平山城、丘城
三木城(みきじょう)は、播磨国美嚢郡三木[2](現・兵庫県三木市上の丸町)にあった日本の城。平山城。釜山城や別所城とも呼ばれる。小寺氏の御着城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された。
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1396.妙見山城
妙見山城(みょうけんさんじょう)は、現在の兵庫県加西市谷口町と福居町の境にある妙見山(標高153.3m)にあった日本の城(山城)。築城年代、築城者、縄張り等は不明。現在、山麓の居館跡に城主の娘の石碑がある。
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1397.籾井城  ・山城
籾井城(もみいじょう)は、丹波国多紀郡東部(現在の兵庫県丹波篠山市福住)にあった日本の城(山城)。安田城[2][3]、福住城[3]、福住古城[4]とも呼ばれる。
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1398.八上城  ・連郭式山城
八上城(やかみじょう)は、兵庫県丹波篠山市にあった中世、室町時代から戦国時代にかけて丹波国の国人である波多野氏が本拠とした日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。別名は八上高城。
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1399.八木城 (但馬国)  ・山城
八木城(やぎじょう)は、兵庫県養父市八鹿町八木にあった日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。
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1400.養宜館  ・平城、平地単濠単郭方形館
養宜館(やぎやかた または やぎのやかた)は、兵庫県南あわじ市八木養宜中にあった居館、日本の城(平城)。
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1401.山崎城 (播磨国)  ・平城
山崎城(やまさきじょう)、または鹿沢城(しかさわじょう)は、現在の兵庫県宍粟市山崎町鹿沢にあたる播磨国宍粟郡山崎にあった日本の城(平城)。1679年(延宝7年)以降は山崎陣屋(やまさきじんや)となった。城跡は市街地化しているが、旧城門の「山崎藩陣屋門」(別名・紙屋門)が宍粟市指定有形文化財に指定されている[1][2]。
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1402.山下城 (摂津国)  ・山城
山下城(やましたじょう)は兵庫県川西市にある向山(標高:188.4メートル)と、谷を隔てて城山(標高:181.4メートル)にある2つの山からなる日本の城(山城)。城山の方は登山道も整備され、巨大な堀切跡など多数の遺構が確認できる。一庫城とも言う。
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1403.利神城  ・連郭式山城
利神城(りかんじょう)は、播磨国佐用郡平福(現在の兵庫県佐用郡佐用町平福)に存在した日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。平福は朝霧の名所であり、江戸時代初期には天守がありその姿が霧の上に浮かんだ偉容から雲突城とも呼ばれた[1][2]。
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1404.上津城
上津城(こうづじょう・うえつじょう)は、摂津国にあった城である。
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1405.明石城  ・連郭梯郭混合式平山城
明石城(あかしじょう)は日本の城。所在地は兵庫県明石市明石公園。旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれた。別名、喜春城(きはるじょう、きしゅん-)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。
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1406.英賀城  ・平城
英賀城(あがじょう)は、播磨国飾磨郡英賀[1](現・兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)にあった日本の城。別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と称された。
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1407.赤穂城  ・変形輪郭式海岸平城
赤穂城(あこうじょう)は、兵庫県赤穂市にある日本の城。江戸時代は赤穂藩(加里屋藩[6])の藩主が暮らした城。城郭は国の史跡[7]に、本丸庭園と二之丸庭園は名勝[8]に指定されている。別名・加里屋城(かりやじょう)、大鷹城(おおたかじょう)[要出典]。日本100名城、日本の歴史公園100選にも選定されている。
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1408.朝倉城 (但馬国)  ・山城
朝倉城(あさくらじょう)は、兵庫県養父市八鹿町にあった日本の城。1968年(昭和43年)7月31日付で養父市指定史跡[1]。
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1409.尼崎城  ・平城
尼崎城(あまがさきじょう)は、兵庫県尼崎市にあった日本の城である。江戸時代初期に築城された平城。
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1410.荒木城  ・山城
荒木城(あらきじょう)は、現在の兵庫県丹波篠山市細工所(旧・丹波国多紀郡)にあった日本の城(山城)[1]。細工所城とも呼ばれる[2]。
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1411.有子山城  ・連郭式山城
有子山城(ありこやまじょう)は、兵庫県豊岡市出石(但馬国)にある日本の城(山城)跡。此隅山城跡と合わせて「山名氏城跡」として国の史跡に指定されている[1]。
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1412.出石城  ・梯郭式平山城
出石城(いずしじょう)は、但馬国出石郡[1]出石、現在の兵庫県豊岡市出石町にあった城である。豊岡市指定史跡[2]。
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1413.伊丹城  ・平城
伊丹城(いたみじょう)は、摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)に存在した日本の城跡。有岡城(在岡城)(ありおかじょう)[1]とも言う。国の史跡に指定されている。
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1414.岩屋城 (淡路国)  ・山城
岩屋城(いわやじょう)は、淡路国津名郡(現在の兵庫県淡路市)にあった日本の城跡。別名・俎板山城。
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1415.魚住城  ・平城
魚住城(うおずみじょう)は、兵庫県明石市大久保町西島(西嶋)にあった日本の城。現在は小さな公園に城址の碑が建つのみとなっている。
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1416.宅原城  ・平山城
宅原城(えいばらじょう)は、摂津国有馬郡、現在の兵庫県神戸市北区長尾町宅原(鹿の子台北町)にあった日本の城である。
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1417.枝吉城  ・平山城、丘城
枝吉城(えだよしじょう または しきつじょう)は、兵庫県神戸市西区枝吉4丁目付近にあった、日本の城(平山城、丘城)。
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1418.淡河城  ・平山城
淡河城(おうごじょう)は、兵庫県神戸市北区にあった日本の城。現在は丘の上に田畑となっている本丸址と櫓があり公園になっている。
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1419.大沢城 (丹波国)  ・山城
大沢城(おおざわじょう)は、丹波国多紀郡西部(現在の兵庫県丹波篠山市大沢[注釈 1])にあった日本の城(山城)。丹波酒井氏の一族、初田酒井氏の詰城と伝わる[2]。
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1420.大嶋城
大嶋城(おおしまじょう)は、現在の兵庫県相生市那波町に位置する日本の城。現在は山頂に神社がある。
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1421.置塩城  ・連郭式山城
置塩城(おしおじょう、おじおじょう)は、兵庫県姫路市にある日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。置塩は小塩とも書かれ、おしお、おしほ、おじお、おじほと仮名使いされた。城が存在した時代に「おきしおじょう」と呼ばれたことはない。
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1422.小沢城 (播磨国)  ・山城
小沢城(おざわじょう)または依藤城(よりふじじょう)は、兵庫県加東市小沢にあった日本の城(山城)である。
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1423.小野陣屋  ・陣屋
小野陣屋(おのじんや)は、兵庫県小野市西本町に所在した、かつての播磨国加東郡・小野藩の藩庁である。
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1424.加古川城  ・平城
加古川城(かこがわじょう)は播磨国印南郡[2]加古川村、現在の兵庫県加古川市加古川町本町にあった日本の城(平城)である。城跡は称名寺となっている。
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1425.金鑵城  ・山城
金鑵城(かなつるべじょう)は兵庫県小野市昭和町字ウットウロに所在する日本の城跡[2]。城跡は1996年(平成8年)3月1日付で小野市指定史跡に指定されている[1]。また、1999年(平成11年)4月に開園した「夢の森公園」内の「金鑵城遺跡広場」として、2000年(平成12年)8月に整備されている[3][4]。
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1426.河合城  ・平城
河合城(かわいじょう)は兵庫県小野市新部町字構85-7に所在する日本の城跡。堀殿城・新部上月城とも言われる。
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1427.河合館  ・平城・城館
河合館(かわいやかた/かわいたて)または河合屋敷(かわいやしき)は、兵庫県小野市粟生町字鍵町に所在する日本の城跡(中世城館)。同市新部町の河合城とは別の遺跡である。
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1428.瓦林城  ・平城、館城
瓦林城(かわらばやしじょう)は兵庫県西宮市にある日本の城跡。現在は日野神社の境内に石碑があり、日野神社が瓦林城の跡地の可能性が高いが、遺構などは発見されておらず、また別の場所との指摘もある。
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1429.神吉城  ・環郭式平城
神吉城(かんきじょう)は播磨国印南郡(兵庫県加古川市)にあった日本の城。平城。別名、真名井城(まないじょう)、奈幸子城(なこしじょう)とも呼ばれる。一部遺構として土塁、空堀が残る。
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1430.感状山城
感状山城(かんじょうさんじょう)は現在の兵庫県相生市矢野町瓜生に存在していた日本の城。「赤松氏城跡」の一部として国の史跡に指定されている。
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1431.城山城 (播磨国)  ・<古代>神籠石式山城<中世>連郭式山城
城山城(きのやまじょう)は、播磨国にあたる兵庫県たつの市に所在する日本の城跡。同一の山の上に7世紀末の古代山城跡と、西暦1352年(正平7年/文和元年)に赤松則祐が築城した中世(南北朝時代)の山城跡が存在する。
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1432.金山城 (丹波国)  ・山城
金山城(きんざんじょう)は、現在の兵庫県丹波篠山市にあたる丹波国多紀郡と、同県丹波市にあたる氷上郡の境にあった日本の城(山城)[1]。明智光秀により築城された[3]。丹波篠山市指定史跡[2]。
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1433.栗栖野城  ・連郭式山城
栗栖野城(くりすのじょう)は、兵庫県丹波篠山市栗栖野落山に所在する日本の城。丹波酒井氏の一族、栗栖野酒井氏の居城。明智光秀の丹波攻めにおいて落城した。
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1434.黒井城  ・連郭式山城
黒井城(くろいじょう)は、兵庫県丹波市にある日本の城跡。別名を保月城(ほげつじょう)、保築城(ほづきじょう)ともいう。国の史跡。
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1435.高仙寺城  ・連郭式山城
高仙寺城(こうせんじじょう)は、兵庫県丹波篠山市に所在する日本の城。丹波酒井氏の居城。織田氏の丹波平定において落城した。
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奈良県の城

1436.雷丘
雷丘(いかづちのおか)は、奈良県高市郡明日香村大字雷にある標高110mほどの丘。「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも」という柿本人麻呂の句が残っている。
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1437.宇陀松山城  ・山城
宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、大和国宇陀郡(現在の奈良県宇陀市)にあった日本の城。平成18年(2006年)に国の史跡に指定されている。別名は秋山城(あきやまじょう)や神楽岡城(かぐらおかじょう)。城下町は重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も優美な町並みを残している。松山 (宇陀市)参照。
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1438.片岡城  ・丘城、平山城
片岡城(かたおかじょう)は奈良県北葛城郡上牧町に存在した日本の城。別名下牧城ともいう。
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1439.上庄北城  ・館城
上庄北城(かみのしょうきたじょう)は、奈良県生駒郡平群町上庄にある日本の城跡。
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1440.窪之庄城  ・平城
窪之庄城(くぼのしょうじょう)は、奈良県奈良市に存在した中世の日本の城(平城)。
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1441.小泉城 (大和国)  ・平城
小泉城(こいずみじょう)は、奈良県大和郡山市小泉町(大和国添下郡)にあった日本の城(平城)。別名、片桐城、小泉陣屋とも呼ばれている。小泉陣屋時代は小泉藩の藩庁でもあった。
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1442.郡山城 (大和国)  ・輪郭式平山城
郡山城(こおりやまじょう)は、奈良県大和郡山市にあった日本の城。国の史跡に指定されている。
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1443.信貴山城  ・山城
信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡平群町信貴畑にあった日本の城である[1]。木沢長政・松永久秀の居城となった[2]。
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1444.高取城  ・連郭式山城
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
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1445.高安城  ・古代山城
高安城(たかやすじょう/たかやすのき)は、奈良県生駒郡平群町と大阪府八尾市にまたがる、高安山[1]の山頂部に所在するとされる、日本の古代山城である。
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1446.高山城 (大和国)  ・山城
高山城(たかやまじょう)は、奈良県生駒市高山町(旧・大和国添下郡)にある日本の城跡。鷹山城とも書かれる[2]。
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1447.辰市城  ・平城
辰市城(たついちじょう)は、奈良県奈良市東九条町に存在していた日本の城(平城)で短期間で築城した。また、大和最大の合戦である辰市城の合戦の舞台となった城である。
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1448.多聞山城  ・平山城
多聞山城(たもんやまじょう)は、奈良県奈良市法蓮町の現・奈良市立若草中学校の敷地にあった松永久秀、松永久通、塙直政の居城となった日本の城(平山城)。多聞城とも呼ばれる。
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1449.筒井城  ・平城
筒井城(つついじょう)は奈良県大和郡山市筒井町にあった日本の城で、室町時代、戦国時代を通じて大和国の政治史の中心的存在であった興福寺衆徒筒井氏の居城であった。
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1450.椿井城  ・山城
椿井城(つばいじょう)は、奈良県生駒郡平群町椿井にあった日本の城(山城)。椿井山城とも呼ばれる。
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1451.豊田城 (大和国)  ・山城
豊田城(とよだじょう)は奈良県天理市に存在した中世の山城(日本の城)。
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1452.二上山城 (大和国)  ・山城
二上山城(にじょうざんじょう)は奈良県葛城市加守、染野及び大阪府南河内郡太子町大字山田周辺にあった日本の城(山城)。
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1453.福住中定城  ・平山城、丘城
福住中定城(ふくすみなかさだじょう)は、奈良県天理市福住町にあった日本の城(平山城、丘城)。
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1454.古市城  ・平山城
古市城(ふるいちじょう)は奈良県に存在した中世の日本の城(平山城)。
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1455.柳生城
柳生城(やぎゅうじょう)は奈良県奈良市柳生町にあった柳生氏の居城。後に隣接地に柳生宗矩により柳生陣屋が建設された[1]。
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1456.柳生陣屋
柳生陣屋(やぎゅうじんや)は奈良県奈良市柳生町にあった柳生藩の居館。かつての柳生氏の本城である柳生城に隣接している。
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1457.山田城 (大和国)  ・山城
山田城(やまだじょう)は奈良県天理市に存在した中世の日本の城(山城)。岩掛城(いわがけじょう)とも呼ばれる。
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1458.吉野城
吉野城(よしのじょう)は、吉野山一帯をさしていう中世山城(日本の城)のこと。鎌倉時代末期に大塔宮護良親王が、吉野山で挙兵し拠点とした。軍記物語『太平記』では金峯山城とも。所在地は奈良県吉野郡吉野町吉野山。本項では『太平記』に登場する吉野城攻防戦および正平3年(1348年)の高師直による吉野行宮への襲撃も述べる。
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1459.龍王山城  ・山城
龍王山城(りゅうおうざんじょう)は、奈良県天理市田町周辺にあった日本の城。大和国を代表する山城の一つ。
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和歌山県の城

1460.秋月城 (紀伊国)  ・平城
秋月城(あきづきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市にあった日本の城。
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1461.太田城 (紀伊国)  ・平城
太田城(おおたじょう)は、戦国時代に和歌山県和歌山市太田に存在した日本の城。来迎寺が太田城の本丸跡と伝えられる。
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1462.岡山城 (紀伊国)  ・山城
岡山城(おかやまじょう)は、紀伊国(和歌山県和歌山市岡山丁)にあった日本の城。岡城とも呼ばれる。
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1463.勝山城 (紀伊国)  ・山城
勝山城(かつやまじょう)は、現在の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮に所在した日本の城(山城)。
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1464.衣笠城 (紀伊国)  ・山城
衣笠城(きぬかさじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市中三栖)にあった日本の城。
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1465.木本城  ・山城
木本城(きもとじょう)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市木ノ本)にあった日本の城。
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1466.虎城山城  ・山城
虎城山城(こじょうやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県東牟婁郡串本町古座)にあった日本の城。別名は古座浦城。
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1467.雑賀崎城  ・山城
雑賀崎城(さいかざきじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市雑賀崎にあった日本の城。
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1468.雑賀崎台場  ・台場
雑賀崎台場(さいかざきだいば)は和歌山県和歌山市雑賀崎字長尾西原にある紀州藩が設置した砲台跡。和歌山県指定史跡[2]。
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1469.雑賀城  ・平山城、丘城
雑賀城(さいかじょう)は、戦国時代に現在の和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目付近に存在した日本の城(丘城)。妙見山城とも呼ばれた。
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1470.猿岡山城  ・山城
猿岡山城(さるおかやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県紀の川市粉河)にあった日本の城。別名、粉河城。
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1471.新宮城  ・平山城
新宮城(しんぐうじょう)は、和歌山県新宮市にあった日本の城である。別名は丹鶴城(たんかくじょう)。また、沖見城(おきみじょう)とも称された[1]。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されている[2]。
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1472.田辺城 (紀伊国)  ・平城
田辺城(たなべじょう)は、和歌山県田辺市にかつて存在した日本の城。別名は錦水城(きんすいじょう)、湊村城、湊城など。現在の田辺市街の西南端に位置し、会津川の河口左岸と海に隣接していた。遺構として石垣と水門が残る。水門は田辺市指定史跡[1]。
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1473.玉津島砦  ・山城
玉津島砦(たまつしまとりで)は、紀伊国(現・和歌山県和歌山市和歌浦)にあったとされる砦である。
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1474.鶴ヶ城 (紀伊国)  ・山城
鶴ヶ城(つるがじょう)は、紀伊国(現・和歌山県田辺市龍神村東)にあった日本の城。別名は増賀城。
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1475.手取城  ・山城
手取城(てどりじょう)は、紀伊国(現・和歌山県日高郡日高川町和佐)にあった日本の城。城は山城で、遺構としては石垣、堀の跡が残されている[1]。
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1476.中津城 (紀伊国)  ・平城
中津城(なかつじょう)は、紀伊国(現、和歌山県和歌山市)にあった日本の城である。
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1477.中野城 (紀伊国)  ・平城
中野城(なかのじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市中野にあった日本の城。
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1478.長藪城  ・一城別郭式山城
長藪城(ながやぶじょう)は、和歌山県橋本市細川と慶賀野にまたがる城跡。現在の城山台住宅地北側の「城山」に位置する[1]。
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1479.広保山城  ・山城
広保山城(ひろほやまじょう)は、紀伊国(現・和歌山県有田郡湯浅町)にあった日本の城。
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1480.湯浅城  ・山城
湯浅城(ゆあさじょう)は、紀伊国有田郡(現在の和歌山県有田郡湯浅町青木)にあった日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている[1]。
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1481.和歌山城  ・梯郭式平山城
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)である。徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。城跡は国の史跡に指定されている。
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1482.和佐山城  ・山城
和佐山城(わさやまじょう)は、紀伊国、現在の和歌山県和歌山市禰宜に所在する日本の城跡。別名は城ヶ峯。
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鳥取県の城

1483.石井垣城  ・複郭式平山城
石井垣城(いわいがきじょう)は鳥取県西伯郡大山町石井垣に存在した日本の城。この地方では珍しい複郭式の遺構が確認される。
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1484.市場城  ・連郭式山城
市場城(いちばじょう)は鳥取県八頭郡八頭町市場(旧・因幡国)に存在した日本の城。私部城(きさいちじょう)とも呼ばれる。
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1485.今倉城  ・平城
今倉城(いまくらじょう)はかつて鳥取県倉吉市福光に存在した日本の城。島田城ともいわれる。
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1486.岩倉城 (伯耆国)
岩倉城(いわくらじょう)は、鳥取県倉吉市岩倉にある中世の日本の城(山城跡)跡。標高247メートルの岩倉山に所在し、岩倉山城(いわくらやまじょう)とも記される。
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1487.羽衣石城  ・連郭式山城
羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にある中世の日本の城(山城)跡である。鳥取県指定史跡[1]。
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1488.打吹城  ・梯郭式山城
打吹城(うつぶきじょう)は、鳥取県倉吉市仲ノ町の打吹山(標高204メートル)に存在した日本の城。室町時代に伯耆国の守護・山名氏により守護所とされた。
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1489.江美城  ・山城
江美城(えびじょう)は、鳥取県日野郡江府町にあった戦国時代の日本の城。江尾城、江尾要害とも記される。江府町指定史跡[1]。
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1490.大崎城  ・連郭式山城
大崎城(おおさきじょう)は、鳥取県鳥取市気高町奥沢見に存在した日本の城。
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1491.尾高城  ・連郭式平山城
尾高城(おだかじょう)は、鳥取県米子市尾高にある中世の日本の城(平山城跡)で、泉山城(いずみやまじょう)とも呼ばれる。米子市指定史跡[1]。
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1492.鏡山城 (伯耆国)  ・山城、居館
鏡山城(かがみやまじょう)、または黒坂城(くろさかじょう)は、鳥取県日野郡日野町黒坂に存在した江戸時代初期の日本の城。旧日野産業高校校舎とその裏山が城跡である。
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1493.景石城  ・連郭式山城
景石城(かげいしじょう)は鳥取県鳥取市用瀬町用瀬にかつて存在した日本の城。鳥取市指定史跡[1]。
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1494.雁金山城  ・平山城
雁金山城(かりがねやまじょう)は、鳥取市湯所町に存在した日本の城である。久松山から尾根続きの丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。
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1495.河口城  ・山城
河口城(かわぐちじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町泊に存在した日本の城。湯梨浜町指定史跡[1]。JR山陰本線・泊駅のすぐそばの小山がそれである。
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1496.河原城  ・平山城
河原城(かわはらじょう)は、鳥取県鳥取市河原町谷一木にかつて存在した日本の城。この城の正式名称は「丸山城」であるが、鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて3つあり、旧邑美郡に限ってもこの城を含めて2つある。河原城は、後述する天守風建造物が建てられて以後の名称であるが、他2城との混同を避けるため、ここでは河原城と呼称する。
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1497.桐山城
桐山城(きりやまじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町浦富に存在した日本の城である。浦富海岸の背後にそびえる標高203mの木山に築城された。但馬から因幡にかけての海岸線に多く存在する海賊城の一つで、但馬・因幡の海上交通路を扼する要衝だった。
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1498.小浪城
小浪城(こなみじょう)は、南北朝時代の城館(日本の城)で、鎌倉幕府方と後醍醐天皇方の争乱の舞台となった。
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1499.鹿野城  ・平山城
鹿野城(しかのじょう)は、鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(旧・因幡国気多郡)にある日本の城(平山城跡)跡。鳥取市指定史跡[1]。
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1500.生山城  ・山城
生山城(しょうやまじょう)は、鳥取県日野郡日南町生山に存在した日本の城。日野川とその支流の石見川が合流する地点の東、標高470メートル、比高180メートル程の山上に存在していた。別名・亀井山城、日野本城。
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1501.白石城 (伯耆国)  ・連郭式山城
白石城(しらいしじょう)はかつて鳥取県東伯郡湯梨浜町白石・方地(ほうじ)に存在した日本の城。
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1502.船上山城
船上山城(せんじょうさんじょう)は鳥取県東伯郡琴浦町にあった日本の城。船上山の険しい断崖を利用した典型的な山城である。
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1503.太閤ヶ平  ・付城
太閤ヶ平(たいこうがなる)は、鳥取県鳥取市百谷字太閤ヶ平にある戦国時代の付城である(前線基地)。天正9年(1581年)に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による第二次鳥取城攻撃の際に造営された。秀吉の陣城跡は「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」として、1957年(昭和32年)に鳥取城と並び国の史跡に指定されている[1][2]。
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1504.田内城  ・山城
田内城(たうちじょう)は鳥取県倉吉市巌城にある仏石山(標高58メートル)に存在した日本の城。巌城(がんじょう)とも呼ぶ。南北朝時代の伯耆国の守護所だった。
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1505.高城城  ・連郭式山城
高城城(たかしろじょう)はかつて鳥取県倉吉市福積、沢谷に存在していた日本の城。
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1506.槻下豪族館  ・平城
槻下豪族館(つきのしたごうぞくかん)は鳥取県東伯郡琴浦町槻下にかつて存在した館跡。琴浦町指定史跡。
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1507.堤城
堤城(つつみじょう)は、鳥取県東伯郡北栄町に所在した日本の城。島(現・北条島)集落内に所在したと伝えられ、付近に「堤城」「城の内」などの地名が残る。
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1508.防己尾城
防己尾城(つづらおじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市金沢)にあった日本の城(平山城)。
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1509.手間要害  ・連郭式山城
手間要害(てま ようがい)は鳥取県西伯郡南部町寺内に存在した城郭。「天満山城」、「天万要害」などとも呼ばれる。
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1510.道竹城
道竹城(どうちくじょう)は、鳥取県岩美郡岩美町新井に存在した日本の城。JR岩美駅前の標高150mの山が城跡である。
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1511.鳥取城  ・梯郭式平山城および山城
鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡)に築かれた戦国時代から江戸時代の日本の城である。国の史跡に指定[1]され、別名は久松城(ひさまつのしろ)・久松山城(ひさまつやまのしろ)という。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ[2]。織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された[2]。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残っている。
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1512.鳥取藩台場跡
鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)は、鳥取藩が江戸時代の幕末期に領内8か所に築いた台場跡の総称である。1988年7月27日うち5か所が国によって史跡に指定[1]、2016年3月1日赤崎台場跡が追加指定[1]されている。
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1513.新山城 (因幡国)  ・平山城
新山城(にいやまじょう)は、かつて鳥取県鳥取市徳尾に存在した日本の城。国体道路交差点横の小山が城跡であるが、道路建設や開発などで破壊されており、保存状態は悪い。
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1514.橋本城 (因幡国)
橋本城(はしもとじょう)は、現在の鳥取県鳥取市橋本にあった城。橋本山に位置している。
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1515.番城  ・連郭式山城
番城(ばんじろ)は、かつて鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石(うえし)に存在した日本の城。羽衣石城の出城と言われる[3]。
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1516.鵯尾城  ・連郭式山城
鵯尾城(ひよどりおじょう)は鳥取県鳥取市玉津に存在した日本の城。因幡武田氏の拠点の城のひとつ。
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1517.布勢天神山城  ・連郭式平山城
布勢天神山城(ふせてんじんやまじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市湖山町南、布勢)にあった日本の城(丘城)で、戦国期の因幡国守護所とされる。布勢は布施とも表記される。鳥取県指定史跡(史跡名は「天神山城跡」)[1]。
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1518.二上山城  ・山城
二上山城(ふたがみやまじょう)は鳥取県岩美郡岩美町岩常に存在した日本の城。南北朝時代から室町時代中期にかけての因幡国の守護所だった。鳥取県指定史跡[1]。
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1519.不動ガ嶽城
不動ガ嶽城(ふどうがだけじょう)は、鳥取県日野郡日野町に所在した日本の城。黒坂から滝山神社に向かう途中、左手の山上、岩壁が露出する場所が城跡である。
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1520.蛇山城 (因幡国巨濃郡)  ・単郭式山城
蛇山城(へびやまじょう)は鳥取市福部町箭溪(やだに)にかつて存在した日本の城。
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1521.法勝寺城  ・山城
法勝寺城(ほっしょうじじょう)は鳥取県西伯郡南部町法勝寺に存在した日本の城。
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1522.俣野の土居城  ・平城
俣野の土居城(またののどいじょう)は、鳥取県日野郡江府町俣野に存在した館跡(日本の城)。標高348m、比高30m程の丘の上に存在していた。
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1523.丸山城 (因幡国邑美郡)  ・平山城
丸山城(まるやまじょう)は、鳥取市丸山に存在した日本の城。久松山の北西に位置する独立丘陵上に鳥取城の出城として築かれ、天正9年(1581年)の豊臣秀吉の鳥取城攻撃の際には毛利方の重要な拠点となった。
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1524.丸山城 (因幡国高草郡)  ・平山城
丸山城(まるやまじょう)は鳥取市六反田に存在した日本の城。現在では山林となっているが保存状態は良い。
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1525.八橋城  ・平山城
八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町大字八橋に所在した日本の城。琴浦町指定史跡[1]。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。
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1526.山崎城  ・連郭式山城
山崎城(やまさきじょう)は鳥取県鳥取市国府町山崎に存在した日本の城。
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1527.山名氏豊館  ・平城
山名氏豊館(やまなうじとよやかた)はかつて鳥取県倉吉市東町に存在していた城郭。
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1528.淀江城  ・平城
淀江城(よどえじょう)は、鳥取県米子市淀江町淀江に所在した日本の城。JR淀江駅前付近が城跡である。
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1529.米子城  ・梯郭式平山城(海城[1])
米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城。久米城、湊山城ともいう。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁であった。城跡は国の史跡に指定されている。
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1530.若桜鬼ヶ城  ・連郭式山城
若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)は鳥取県八頭郡若桜町若桜に存在した日本の城。城跡は国の史跡に指定[1]されている。
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島根県の城

1531.青杉城  ・階郭式山城
青杉城(あおすぎがじょう)は、石見国邑智郡佐波荘、現在の島根県邑智郡美郷町高山にあった日本の城(山城)。戦国期の佐波氏の居城。
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1532.赤穴城  ・連郭式山城
赤穴城(あかなじょう)、または瀬戸山城(せとやまじょう)は、島根県飯石郡飯南町下赤名にあった日本の城。赤穴瀬戸山城・衣掛城(きぬかけじょう)・藤釣城(ふじつるじょう)ともいう[1]。
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1533.荒隈城  ・連郭式山城
荒隈城(あらわいじょう)は、島根県松江市国屋町にあった日本の城。
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1534.牛尾城  ・連郭式山城
牛尾城(うしおじょう)は島根県雲南市大東町南村にあった日本の城。
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1535.月山富田城  ・複郭式山城
月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した日本の城。月山(標高183.9m[1][2][3])に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。
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1536.熊野城  ・連郭式山城
熊野城(くまのじょう)は島根県松江市八雲町にあった日本の城。
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1537.国府尾城  ・山城
国府尾城(こうのじょう)は、戦国時代に隠岐国島後周吉郡国府尾城山、現在の島根県隠岐郡隠岐の島町下西[1]に築かれた城である。別称甲尾城、甲ノ尾城。
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1538.郡山城 (石見国)
石見国にあった 郡山城(こおりやまじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町にあった日本の城。
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1539.佐世城  ・山城
佐世城(させじょう)は、島根県雲南市大東町佐世に所在する戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏による日本の城。
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1540.白鹿城  ・連郭式山城
白鹿城(しらがじょう)は島根県松江市法吉町にあった日本の城である。
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1541.神西城  ・山城
神西城(じんざいじょう)は、現在の島根県出雲市東神西町にあった日本の城。
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1542.新山城  ・連郭式山城
新山城(しんやまじょう)、または真山城は、島根県松江市法吉町にあった日本の城。
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1543.大西城  ・連郭式山城
大西城(だいさいじょう)は、島根県雲南市加茂町にあった日本の城。
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1544.高瀬城  ・連郭式山城
高瀬城(たかせじょう)は島根県出雲市斐川町神庭にあった日本の城。
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1545.玉造要害山城  ・山城
玉造要害山城(たまつくりようがいさんじょう)は、島根県松江市玉湯町にあった日本の城。湯秀貞によって築かれた山城で、尼子氏の重臣として活躍した湯氏の一族が拠った。
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1546.津和野城  ・連郭式山城
津和野城(つわのじょう)は、石見国鹿足郡[1]津和野霊亀山(現・島根県鹿足郡津和野町後田)[2]にある日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。
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1547.十神山城  ・連郭式山城
十神山城(とかみやまじょう)は島根県安来市新十神町にあった日本の城。
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1548.鳶ヶ巣城  ・連郭式山城
鳶ヶ巣城(とびがすじょう)は島根県出雲市西林木町にあった日本の城。出雲市指定史跡[1][2]。
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1549.七尾城 (石見国)  ・連郭式山城
七尾城(ななおじょう)は島根県益田市七尾町にあった日本の城。城跡は、同市三宅町にある三宅御土居跡とともに国の史跡「益田氏城館跡」に指定されている[1]。
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1550.温湯城  ・山城
温湯城(ぬくゆじょう)は、石見国邑智郡、現在の島根県邑智郡川本町にあった日本の城。石見小笠原氏の居城。
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1551.浜田城  ・梯郭式平山城
浜田城(はまだじょう)は、石見国浜田(現:島根県浜田市殿町)に存在した日本の城。江戸時代には浜田藩の藩庁が置かれていた。
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1552.檜ヶ山城  ・連郭式山城
檜ヶ山城(ひがせんじょう / ひのきがせんじょう)は、島根県出雲市多久町にあった日本の城。
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1553.平田城  ・連郭式山城
平田城(ひらたじょう)は、島根県出雲市平田町にあった日本の城。
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1554.日和城  ・階郭式山城
日和城(ひわじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町にあった日本の城。
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1555.二ツ山城  ・連郭式山城
二ツ山城(ふたつやまじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町鱒渕にあった日本の城。石見国の中では益田市の七尾城に次いで古い山城である。邑南町指定史跡[1]。
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1556.本城 (石見国)  ・山城
本城(ほんじょう)は、現在の島根県邑智郡邑南町下田所にあった日本の城。自治体による史跡指定は受けていない[1][2]。
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1557.松江城  ・輪郭連郭複合式平山城
松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。
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1558.丸山城 (石見国)  ・輪郭式山城
丸山城(まるやまじょう)は、石見国邑智郡(現・島根県邑智郡川本町三原)にあった日本の城。島根県指定史跡[1]。
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1559.満願寺城  ・連郭式平山城
満願寺城(まんがんじじょう)は、島根県松江市西浜佐陀町にあった日本の城。
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1560.三沢城  ・連郭式山城
三沢城(みざわじょう)は尼子十旗と呼ばれる戦国大名・尼子氏の家臣団が守る城塞群(日本の城)の1つで、島根県仁多郡奥出雲町三沢に位置する。島根県指定史跡[1]。
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1561.三刀屋城  ・連郭式山城
三刀屋城(みとやじょう)は、島根県雲南市三刀屋町にあった日本の城。1986年(昭和61年)、島根県の史跡に指定された[1]。
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1562.三宅御土居跡  ・平城
三宅御土居跡(みやけおどいあと)は、島根県益田市三宅町にある城館跡。同市七尾町・大谷町にある七尾城(益田城)とともに国の史跡「益田氏城館跡」に指定されている。
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1563.山吹城  ・階郭式山城
山吹城(やまぶきじょう)は、石見国(現:島根県大田市大森町)にあった日本の城(山城)。石見銀山防衛のため築城された。城跡は国の史跡「石見銀山遺跡」の範囲に含まれている。
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1564.丁城
丁城(よぼろじょう)は島根県邑智郡美郷町都賀西に存在した城。 標高 243メートル、 比高160メートル。別名、要路城、用路城、養老城、都賀西城。
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岡山県の城

1565.青佐山城  ・山城
青佐山城(あおさやまじょう)は日本の城。所在地は岡山県笠岡市大島中と浅口市寄島町の境に位置する。
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1566.飯盛山城 (備前国)  ・山城
飯盛山城(いいもりやまじょう)は、岡山県備前市加賀美(八塔寺ふるさと村)にある日本の城跡。
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1567.岩屋城 (美作国)  ・梯郭式山城
岩屋城(いわやじょう)は、岡山県津山市中北上(旧・久米町)にあった城郭。標高483メートルの山上に築かれた日本の城(山城)である。城跡は岡山県指定史跡となっている[2]。
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1568.大廻小廻山城  ・古代山城(神籠石系山城)
大廻小廻山城(おおめぐりこめぐりさんじょう[1]/おおめぐりこめぐりやまじょう[2]、築地山城<ついじさんじょう>[3][2])は、備前国上道郡の大廻・小廻山(現在の岡山県岡山市東区草ヶ部・瀬戸町観音寺・瀬戸町笹岡)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1569.岡山城  ・梯郭式平山城
岡山城(おかやまじょう)は、備前国御野郡岡山[1](現・岡山県岡山市北区)にあった日本の城。国指定の史跡。別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)[注釈 1]。
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1570.乙子城  ・連郭式山城
乙子城(おとごじょう)は岡山県岡山市東区乙子にあった日本の城。宇喜多直家出世の城と伝えられる。
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1571.鶴首城  ・連郭式山城
鶴首城(かくしゅじょう)は、備中国川上郡成羽(岡山県高梁市成羽町)にあった日本の城。別名・成羽城。
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1572.笠岡城
笠岡城(かさおかじょう)とは、現在の岡山県笠岡市に存在した日本の城(山城)である。
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1573.勝山城 (美作国)  ・連郭式山城
勝山城(かつやまじょう)は、美作国真島郡勝山(岡山県真庭市勝山)にあった日本の城。別名・高田城。
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1574.金川城  ・連郭式山城
金川城(かながわじょう)は、現在の岡山県岡山市北区御津金川にあたる備前国御野郡金川にあった日本の城。別名・玉松城。岡山市指定史跡[1]。
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1575.亀山城 (備前国)  ・平山城
亀山城(かめやまじょう)は、岡山県に存在した日本の城(平山城)。沼城とも呼ばれる。岡山市指定史跡[1]。
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1576.鴨山城  ・山城
鴨山城(かもやまじょう)は、日本の城。所在地は岡山県浅口市鴨方町鴨方。
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1577.冠山城  ・平城
冠山城(かんむりやまじょう)は、岡山県岡山市下足守にあった日本の城。
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1578.鬼ノ城  ・古代山城(神籠石式山城)
鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた[1]、日本の古代山城(神籠石式山城)である。城跡は国の史跡「鬼城山」(1986年(昭和61年)3月25日指定)の指定範囲に包含される[2]。
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1579.鬼邑山城  ・連郭式山城
鬼邑山城(きむらさんじょう)は、日本の城。岡山県総社市八代の木村山にあった日本の城(山城)である。別名、喜村山城、木村山城。
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1580.倉敷城  ・平城
倉敷城(くらしきじょう)は、かつて岡山県倉敷市本町(備中国窪屋郡倉敷村)にあった日本の城である。倉敷山城(くらしきやまじょう)、小野城(おのじょう)、小野ヶ城(おのがじょう)とも呼ばれる[1]。
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1581.幸山城  ・山城
幸山城(こうざんじょう)は岡山県総社市西郡に所在する日本の城跡。城は山頂に福山城のある福山の北にせり出した標高164メートルの尾根上にある。眼下に山陽道を見下ろす要衝である。総社市指定史跡[1]。
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1582.小菅城  ・連郭式山城
小菅城(こすがじょう)は備中国荏原郷、現在の岡山県井原市西江原町賀山にあった日本の城[1]。鎌倉時代に荏原那須氏(備中那須氏)が居城とした。
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1583.猿掛城  ・連郭式山城
猿掛城(さるかけじょう)は、備中国下道郡・小田郡境、現在の岡山県倉敷市真備町妹と小田郡矢掛町横谷の境に存在した日本の城(山城)。倉敷市側は市指定史跡[1]、矢掛町側は町指定史跡にそれぞれ指定されている[2]。
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1584.下津井城  ・連郭式平山城
下津井城(しもついじょう)は、岡山県倉敷市下津井に所在する日本の城跡(平山城)。岡山県指定史跡[1]。
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1585.高越城  ・階郭式山城
高越城(たかこしじょう)は、備中国荏原荘、現在の岡山県井原市に存在した日本の城。戦国時代には備中伊勢氏の城で、北条早雲こと伊勢盛時の出生地である。井原市指定史跡[1]。
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1586.鷹ノ巣城 (備中国)  ・山城
鷹ノ巣城(たかのすじょう)は岡山県岡山市北区新庄上・新庄下にあった日本の城跡。鷹巣城とも書く[1]。
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1587.鷹巣城 (美作国)  ・山城
鷹巣城(たかのすじょう)[1]、または鷹之巣城[2] は、美作国にあたる現在の岡山県美作市海田にあった日本の城。
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1588.鷹栖城  ・山城
鷹栖城(たかのすじょう)は、美作国、現在の岡山県岡山市北区建部町下神目にある戦国時代の日本の城跡(山城)。
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1589.高松城 (備中国)  ・梯郭式平城
備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)は、安土桃山時代、備中国賀陽郡中島村高松[1] (現・岡山県岡山市羽柴秀吉による水攻めで有名である(詳細は「備中高松城の戦い」参照)。
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1590.茶臼山城 (備中国)  ・平山城
茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、備中国(現代の岡山県小田郡矢掛町矢掛)にあった日本の城である。
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1591.茶臼山城 (備前国)  ・山城
茶臼山城(ちゃうすやまじょう)は、備前国(現代の岡山県赤磐市周匝)にあった日本の城である。
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1592.常山城  ・連郭式山城
常山城(つねやまじょう)は、岡山県岡山市南区迫川と玉野市宇藤木・用吉・木目にまたがる標高300メートルの常山山頂にあった日本の城(山城)跡である[3]。岡山市指定史跡および玉野市指定史跡[1][2]。
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1593.津山城  ・梯郭式平山城
津山城(つやまじょう)は、美作国 苫田郡(のち西北条郡)[1]津山(現在の岡山県津山市山下)にあった日本の城。別名・鶴山城(かくざんじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1594.天神山城 (備前国)  ・連郭式山城
天神山城(てんじんやまじょう)は、岡山県和気郡和気町田土にある日本の城跡、備前国和気郡にあった城郭である。岡山県指定史跡。
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1595.砥石城  ・連郭式山城
砥石城(といしじょう)は、現在の岡山県瀬戸内市邑久町豊原の千町平野に突き出た標高100mほどの砥石山山頂にあった日本の城。五連郭の本城と堀切を構えた四郭の出城で構成される中世の山城。「砥石山城」「砥石ケ城」等とも呼称された。
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1596.富山城 (備前国)  ・山城
富山城(とみやまじょう)は、岡山県岡山市北区にある戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の城跡。
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1597.撫川城  ・平城
撫川城(なつかわじょう)は、岡山県岡山市北区撫川に築かれた江戸時代の日本の城、または徳川政権下の旗本の知行所・旗本陣屋。別名・芝場城。県の指定史跡第1号である[1]。江戸時代に、戦国時代以前の庭瀬城跡に旗本戸川氏の知行所「撫川陣屋」が置かれた。
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1598.庭瀬城  ・平城
庭瀬城(にわせじょう)は、岡山県岡山市北区にある城跡である。戦国時代に築城されたが、江戸時代初頭に廃城となり、同地の二之丸に庭瀬藩庁を設け、庭瀬陣屋(にわせじんや)となった。別名芝場城(しばのじょう)。現在でも庭瀬地区には堀が張り巡らされており、城下町の名残りが色濃く残っている。
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1599.馬入堂山城  ・連郭式山城
馬入堂山城(ばにゅうどうざんじょう)は、日本の城。岡山県倉敷市真備町市場の馬入山にあった山城である。別名、馬場入道山城。
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1600.東山城 (備前国)
東山城(ひがしやまじょう)、別名巌門山城(いわとやまじょう)は、岡山県備前市吉永町にある日本の城跡。
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1601.福山城 (備中国)  ・連郭式山城
福山城(ふくやまじょう)は、日本の城。国の史跡[1]。所在地は岡山県総社市清音三因(きよねみより)。
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1602.保木城
保木城(ほぎじょう)は、かつて存在した日本の城。所在地は岡山県岡山市東区(旧瀬戸町)。
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1603.松山城 (備中国)  ・連郭式山城
松山城(まつやまじょう)は、岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)である。別名、高梁城(たかはしじょう)。愛媛県松山市にある松山城を初め、各地の同名の城との混同を避けるために、一般的には「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」と呼ぶことが多い。日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である[1]。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。
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1604.三石城  ・連郭式山城
三石城(みついしじょう)は、岡山県備前市三石に存在した日本の城(山城)。岡山県の史跡に指定されている[1]。
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1605.三星城  ・山城
三星城(みつぼしじょう)は、岡山県美作市明見にある日本の城跡(山城)。美作市市指定史跡[1]。
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1606.南山城 (備中国)  ・山城
南山城(みなみやまじょう)は、岡山県倉敷市の旧真備町から旧船穂町にかけて存在した山城[1][注 1]。
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1607.本太城
本太城(もとぶとじょう)は、現在の日本岡山県倉敷市児島本荘にある、戦国時代の日本の城跡である。
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1608.梁場山城
梁場山城(やなばやまじょう)は、備中国浅口郡(現岡山県倉敷市)船穂町柳井原殿坂に存在した日本の城(山城)。築城年数は不明である。
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1609.矢藤城  ・連郭式山城
矢ノ藤城(やのとうじょう)は、美作国勝田郡[1](現・岡山県久米郡美咲町連石)にあった日本の城、史跡。主な別名は連石矢藤城(れんじゃくやのとうじょう)、矢藤城(やとうじょう)。
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1610.竜王山城 (備中国)  ・山城
竜王山城(りゅうおうさんじょう)は日本の城。所在地は岡山県浅口市鴨方町六条院。
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広島県の城

1611.多治比猿掛城  ・山城
多治比猿掛城(たじひさるがけじょう)は、安芸国、現在の広島県安芸高田市にあった日本の城。「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として、吉田郡山城と共に国の史跡に指定されている[1]。
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1612.槌山城  ・連郭式山城
槌山城(つちやまじょう)は、広島県東広島市八本松町吉川にある日本の城跡(山城)。市指定史跡[1]。
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1613.常城  ・古代山城
常城(つねじょう/つねき)は、備後国芦田郡にあった日本の古代山城。城跡の所在地は不明。
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1614.鞆城  ・平山城
鞆城(ともじょう)は、備後国鞆(現在の広島県福山市鞆町後地)にあった日本の城。福山市指定史跡に指定されている[1]。
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1615.南天山城  ・山城
南天山城(なんてんざんじょう)は備後国三谿郡(現・広島県三次市吉舎町)にあった日本の城(山城)。吉舎の市街地と馬洗川を隔ててすぐ西のところに位置する、南天山に広がって残り、戦国時代のこの地方を代表する本格的なものである。
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1616.新高山城  ・山城
新高山城(にいたかやまじょう)は、現在の広島県三原市本郷町に建てられた日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(173番)に選定された。[1]
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1617.野稲城
野稲城(のいねじょう)は、広島県三次市向江田町字下山手[2]にあった日本の城。天良山の南側の丘に位置する[3]。
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1618.八条原城  ・陣屋
八条原城(はちじょうばらじょう)は、現在の東広島市志和町にあった、江戸時代末期から明治時代初期にかけて築かれた城。幕末の動乱に備えて築城されたものの、動乱の終息に伴い工事は中止された。
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1619.比叡尾山城  ・階郭式山城
比叡尾山城(ひえびやまじょう)は、備後国三吉郷、現在の広島県三次市畠敷町にあった日本の城である。備後国の国人領主三吉氏が拠点とした。
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1620.比熊山城  ・連郭式山城
比熊山城(ひぐまやまじょう)は、広島県三次市上里にあった日本の城。比叡尾山城より拠点を移した三吉氏の居城[1]。
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1621.日野山城  ・連郭式山城
日野山城(日山城、ひのやまじょう)は、広島県北広島町新庄にあった城(山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1622.福山城 (備後国)  ・輪郭式平山城
福山城(ふくやまじょう)は、広島県福山市丸之内1丁目にあった日本の城で、城跡は国の史跡に指定されている。久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年2月13日、日本100名城に選定された。2018年7月30日には福山城跡の天守閣部分に対し、広島県内では初の事例となる景観重要建造物の指定がされた[1]。2020年から2022年にかけ、築城400年を記念した大規模な改修工事が行われた[2]。
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1623.二ッ山城  ・平山城
二ッ山城(ふたつやまじょう)は、備後国、現在の広島県三次市和知町字尾越(おごえ)及び庄原市山内(やまのうち)町字尾引(おびき)の二ッ山(標高382メートル)にあった日本の城。
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1624.府中出張城
府中出張城(ふちゅうではりじょう)は、安芸国府中、現在の広島県府中町に存在した日本の城である。出張の名前は近世になって名付けられたもので、古文書等では府城・国府城・芸府城と記載されている。
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1625.御薗宇城  ・山城
御薗宇城(みそのうじょう)は、安芸国高屋保、現在の広島県東広島市高屋町に築かれた日本の城(山城)。史跡指定名称「平賀氏の遺跡」の1つとして、頭崎城・白山城と共に県の指定史跡[1][2]。
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1626.南山城 (備後国)  ・不明
南山城(みなみやまじょう)は、広島県三次市向江田町菅田と和知町との間にあった山城。構築年代,城主など不明な点が多い。
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1627.三原城  ・梯郭式平城
三原城(みはらじょう)は、備後国御調郡三原[1].(現在の広島県三原市)にあった日本の城。国の史跡[2]。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(172番)に選定された。
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1628.壬生城 (安芸国)  ・階郭式山城
壬生城(みぶじょう)は、安芸国山県郡壬生(現・広島県山県郡北広島町壬生)にあった日本の城(山城)。別名高峰城。
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1629.宮尾城  ・平山城
宮尾城(みやおじょう)は、広島県廿日市市宮島町(かつての安芸国佐西郡厳島)にあった日本の城。別名宮ノ尾城(みやのおじょう)とも呼ばれる。城を含む島全体が、国の特別史跡及び特別名勝に指定され[1]、瀬戸内海国立公園の一部でもある(詳細は厳島を参照)。
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1630.吉田郡山城  ・山城
吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)は、広島県安芸高田市吉田町吉田にあった日本の城。安芸国の戦国大名毛利氏の居城であった。城跡は「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として多治比猿掛城と共に国の史跡に指定されている[1]。
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1631.伊勢ヶ坪城  ・連郭式山城
伊勢ヶ坪城(いせがつぼじょう)、または伊勢が坪城・塩が坪城は、広島県広島市安佐北区大林にある日本の城(山城)跡。「熊谷氏の遺跡(伊勢が坪城跡・高松城跡・土居屋敷跡・菩提所観音寺跡)」として広島県指定史跡[1]。
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1632.草津城
草津城(くさつじょう)とは広島市西区草津地区にあった日本の城(山城)で、創建時ははっきりしていないが、戦国時代、安芸武田氏、大内氏、厳島神社神主家(佐伯氏→藤原氏)、陶氏、毛利氏が競って奪い合った城である。神武天皇期、草津の港を戦津(いくさつ)と呼んで、古代から水軍、水運などの重要拠点としたため、戦国時代になってさらに重要性が増した。
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1633.己斐城
己斐城(こいじょう)は、広島県広島市西区己斐上四丁目にある、鎌倉時代中期から戦国時代の日本の城(山城)。
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1634.佐東銀山城  ・連郭式山城
佐東銀山城(さとうかなやまじょう)、または銀山城は、安芸国佐東郡、現在の広島市安佐南区にあった城(山城)である。「銀山城跡」として広島県指定史跡[1]。
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1635.新宮城 (安芸国)  ・山城
新宮城(しんぐうじょう)は、安芸国三入庄、現在の広島県広島市安佐北区可部町下町屋に存在した日本の城。
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1636.水晶城 (安芸国)  ・連郭式山城
水晶城(すいしがじょう)は、安芸国佐西郡(佐伯郡)石内(現在の広島市佐伯区石内)にあった日本の城。
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1637.土居屋敷  ・城館
土居屋敷(どいやしき)は、広島県広島市安佐北区可部にある、戦国時代の熊谷氏の居館。「熊谷氏の遺跡(伊勢が坪城跡・高松城跡・土居屋敷跡・菩提所観音寺跡)」として広島県指定史跡[1]。
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1638.鳥籠山城  ・階郭式山城
鳥籠山城(とこのやまじょう)は、安芸国安南郡世能荒山荘(現・広島県広島市安芸区中野)にあった日本の城で阿曽沼親綱が築城したと言われてる。
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1639.仁保城  ・連結式山城(島城)
仁保城(にほじょう)もしくは仁保島城(にほじまじょう/にほしまじょう)は、現在の広島市南区の黄金山山頂近くに存在していた日本の城(山城)である。
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1640.広島城  ・輪郭式平城
広島城(ひろしまじょう)は、安芸国佐東郡広島(現在の広島県広島市中区基町)に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている。毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、1945年(昭和20年)まで天守を始めとする城郭建築が現存していたが[2]、太平洋戦争末期にアメリカ軍の原子爆弾投下によって倒壊し、現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものである[3]。
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1641.三入高松城  ・連郭式山城
三入高松城(みいりたかまつじょう)は、広島県広島市安佐北区可部にある日本の城(山城)跡。単に高松城とも言う[1]。「熊谷氏の遺跡(伊勢が坪城跡・高松城跡・土居屋敷跡・菩提所観音寺跡)」として広島県指定史跡[2]。
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1642.八木城 (安芸国)  ・連郭式山城[1]
八木城(やぎじょう)は、安芸国佐東郡(現在の広島県広島市安佐南区)八木にあった日本の城。
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1643.矢野城  ・山城
矢野城(やのじょう)は、広島県広島市安芸区矢野町にあった、南北朝時代から戦国時代の日本の城(山城)。
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1644.稲村山城  ・連郭式山城
稲村山城(いなむらやまじょう)は、広島県三原市小坂町にあった日本の城(山城)である。
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1645.茨城 (古代山城)  ・古代山城
茨城(いばらじょう/いばらき)は、備後国安那郡にあった日本の古代山城。城跡の所在地は不明。
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1646.恵下山城  ・山城・単郭
恵下山城(えげやまじょう)は広島県に存在した山城。出土物などから14世紀後半に存在したとみられる[1]。
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1647.小倉山城 (安芸国)  ・連郭式山城
小倉山城(おぐらやまじょう)は、広島県山県郡北広島町新庄字小倉山にあった吉川氏の居城(日本の城)である。別称で小蔵山城・紅葉山城・小倉城とも言われる。城跡は国の史跡に指定されている。
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1648.小梨城  ・山城
小梨城(おなしじょう)は、現在の広島県竹原市小梨町字北谷平にかつてあった日本の城。
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1649.鏡山城  ・連郭式山城
鏡山城(かがみやまじょう)は、広島県東広島市にあった日本の城(山城)である。城跡は国の史跡に指定されている[1]。
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1650.頭崎城  ・山城
頭崎城(かしらざきじょう)は、安芸国高屋保、現在の広島県東広島市高屋町貞重に築かれた日本の城(山城)。史跡指定名称「平賀氏の遺跡」の1つとして、御薗宇城・白山城と共に県の指定史跡[1][2]。
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1651.勝山城 (安芸国)
勝山城(かつやまじょう)は広島県三次市粟屋町に存在した城。 標高270メートル、 比高100メートル。ここでは、隣接して存在した加井妻城(かいづまじょう、かいづめじょう)についても述べる。
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1652.桂城 (安芸国)  ・連郭式山城
桂城(かつらじょう)とは、安芸国、現在の広島県安芸高田市吉田町桂にあった日本の城。安芸高田市指定史跡[1]。
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1653.亀居城  ・平山城
亀居城(かめいじょう)は広島県大竹市小方にある日本の城跡。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に安芸国に入った福島正則が、長門国・周防国の毛利氏への押さえとして築城した平山城である。大竹市指定史跡[1]。
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1654.亀山城 (備後国)  ・山城
亀山城(かめやまじょう)は、広島県庄原市東城町小奴可(おぬか)に存在した日本の城(山城)。庄原市指定史跡[1]。
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1655.神辺城  ・連郭式山城
神辺城(かんなべじょう)は、広島県福山市神辺町にある南北朝時代から江戸時代初期まであった日本の城(山城)である。別名として村尾城、神辺道上城、紅葉山城、楓山城などがある。
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1656.吉川元春館  ・城館
吉川元春館(きっかわもとはるやかた)は、広島県山県郡北広島町志路原字海応寺にある吉川氏の居館跡である。国の史跡。
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1657.木村城  ・山城
木村城(きむらじょう)は、安芸国竹原荘(現在の広島県竹原市)に存在した日本の城。広島県指定史跡。
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1658.銀山城 (備後国)  ・連郭式山城
銀山城(ぎんざんじょう)は、広島県福山市山手町にあった戦国時代の山城。備後地方南部一帯を支配した杉原氏の居城として知られる[1][2]。
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1659.国広山
国広山(くにひろやま)は、広島県三次市和知町に位置する山。標高316.8メートルである。
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1660.古城山城
古城山城(こじょうやまじょう)は、広島県三次市和知町にあった日本の城跡(山城)。国広山にある築城年代の異なる4つの城群の1つ。
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1661.五龍城  ・連郭式山城
五龍城(ごりゅうじょう)は広島県安芸高田市甲立にある日本の城跡(山城)。広島県指定史跡[1]。
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1662.相方城
相方城(さがたじょう)は、広島県福山市新市町にある日本の城跡(山城)。佐賀田城とも称する。
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1663.桜尾城  ・複郭式海城
桜尾城(さくらおじょう)は、安芸国佐西郡廿日市(現在の広島県廿日市市桜尾本町)にあった日本の城。厳島神社で有名な宮島の対岸にあり、瀬戸内海に面した海城。
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1664.志川滝山城
志川滝山城(しかわたきやまじょう)は、戦国時代に備後国(現在の広島県福山市)にあった日本の城(山城)。
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1665.白山城 (安芸国)  ・山城
白山城(しろやまじょう)は、安芸国白市、現在の広島県東広島市白市に築かれた戦国時代の日本の城(山城)。指定名称「平賀氏の遺跡」の1つとして、御薗宇城・頭崎城と共に県の指定史跡[1][2]。
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1666.陣山
陣山(じんやま)は、広島県三次市向江田町に座する山である。標高298m。
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1667.鈴尾城  ・連郭式山城
鈴尾城(すずおじょう)は、広島県安芸高田市福原にある日本の城跡(山城)。別名「福原城」。「毛利元就誕生伝説地(鈴尾城跡)」として1940年(昭和15年)11月10日付で広島県指定史跡[1]。
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1668.駿河丸城  ・丘城
駿河丸城(するがまるじょう)は広島県北広島町にある日本の城跡。
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1669.曽場ヶ城  ・連郭式山城
曽場ヶ城(そばがじょう)は、安芸国賀茂郡(現東広島市八本松町)にあった戦国時代後期の日本の城(山城)。
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1670.高杉城  ・居館
高杉城(たかすぎじょう)は、備後国三谿郡(現在の広島県三次市高杉町)にあった日本の城(平城)。広島県指定史跡に指定されている[1]。現在は知波夜比古神社が鎮座する。
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1671.高山城 (安芸国)  ・山城
高山城(たかやまじょう)は、現在の広島県三原市本郷町にあった日本の城である。城跡は国の史跡に指定されている。
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山口県の城

1672.荒滝山城  ・連郭式山城
荒滝山城(あらたきさんじょう[1]/あらたきやまじょう[2])は山口県宇部市の荒滝山にあった戦国時代の日本の城(連郭式山城)。荒滝城ともいう。城跡は山口県の史跡に指定されている[1][3]。
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1673.石城山神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
石城山神籠石(いわきさんこうごいし)は、山口県光市の石城山[1]に築かれた、日本の古代山城(神籠石系山城)である[2]。城跡は、1935年(昭和10年)6月7日、「石城山神籠石」の名称で国の史跡に指定されている[3]
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1674.岩国城  ・連郭式山城
岩国城(いわくにじょう)は、山口県岩国市横山に存在した日本の城(山城)。
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1675.大内氏館  ・城館
大内氏館(おおうちしやかた[1])は、山口県山口市大殿大路に建てられた城館で、周防国・長門国を本拠とした大内氏の居館(守護館)である。「大内氏遺跡 附(つけたり)凌雲寺跡」[2]として国の史跡に指定されている。
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1676.勝山城 (長門国)  ・山城
勝山城(かつやまじょう)は、現在の山口県下関市の勝山にあった日本の城(山城)。且山城とも表記される。幕末、長府藩が勝山山麓に築いた長府藩主居館は勝山御殿と呼ばれ、御殿と称しているが事実上の城郭として扱われる[1]。2019年(平成31年)2月26日付で国の史跡「勝山御殿跡」となった[2][3]。
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1677.賀年城  ・山城
賀年城(かねじょう)は、長門国阿武郡嘉年、現在の山口県山口市阿東嘉年下の勝山にあった日本の城(山城)。通称は勝山城[1]。
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1678.亀山城 (長門国)  ・平山城
亀山城(かめやまじょう)は、長門国大津郡(現在の山口県長門市)に存在した日本の城(平山城)。
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1679.櫛崎城  ・平山城
櫛崎城(くしざきじょう)は、山口県下関市長府宮崎町(長門国豊浦郡)にあった日本の城。串崎城とも表記され、雄山城(かつやまじょう[1])、長府城、長府陣屋とも称する。
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1680.鞍掛山城  ・連郭式山城
鞍掛山城(くらかけやまじょう)は、周防国玖珂郡(現在の山口県岩国市玖珂町鞍掛)にあった日本の城(山城)。
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1681.高嶺城  ・山城
高嶺城(こうのみねじょう)は、現在の山口県山口市上宇野令字高嶺にあった日本の城(山城)。鴻の峰城・鴻之峯城とも記される。国の史跡に指定されている[1]。
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1682.佐加利山城  ・平山城
佐加利山城(さかりやまじょう/さがりやまじょう[1]、盛山城・下山城)は、長門国豊浦郡(現在の山口県下関市長府江下町付近)にあった日本の城。
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1683.信田ノ丸城  ・山城
信田ノ丸城(しだのまるじょう)は、山口県宇部市奥万倉(おくまぐら)城南に所在する戦国時代の日本の城(山城)跡。宇部市指定史跡。
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1684.指月城
指月城は、日本の城である。
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1685.霜降城  ・連郭式山城
霜降城(しもふりじょう)は、山口県宇部市の中央に位置する霜降山にあった南北朝時代頃の日本の城(山城)。山口県の県指定文化財・史跡である[1]。
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1686.須々万沼城  ・輪郭式山城
須々万沼城 (すすまぬまじょう)は、周防国都濃郡、現在の山口県周南市須々万本郷にあった日本の城。
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1687.徳山城  ・城館
徳山城 (とくやまじょう)は、現在の山口県周南市にあった日本の城。実際の城の造りは陣屋である。城主は毛利氏。徳山藩の居城である。別名は「御舘」、後に「御城」。
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1688.長門城  ・古代山城
長門城(ながとじょう/ながとのき)は、長門国にあった日本の古代山城。城跡の所在地は不明。
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1689.萩城  ・梯郭式平山城(指月山)
萩城(はぎじょう)は、山口県萩市にあった日本の城である。別名・指月城(しづきじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1690.右田ヶ岳城  ・連郭式山城
右田ヶ岳城(みぎたがたけじょう)は、周防国佐波郡右田、現在の山口県防府市にあった日本の城(山城)。
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1691.山口城  ・平城
山口城(やまぐちじょう)は、現在の山口県山口市滝町にあたる周防国山口にあった日本の城である。山口屋形・山口政庁・山口政事堂などとも呼ばれていた[1][2]。表門(旧山口藩庁門)など一部が現存する。
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1692.蓮華山城  ・連郭式山城
蓮華山城(れんげやまじょう)は、周防国玖珂郡(現在の山口県岩国市周東町)にあった日本の城(山城)。
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1693.若山城  ・連郭式山城
若山城(わかやまじょう)は、周防国都濃郡富田(現山口県周南市)にあった日本の城(山城)。守護大名大内氏の親族であり歴代その重臣でもあった陶氏の本城である[注釈 1]。県指定文化財。
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徳島県の城

1694.秋月城 (阿波国)  ・平城
秋月城(あきづきじょう)は、室町時代の阿波国阿波郡秋月庄、現在の徳島県阿波市土成町秋月にあった日本の城。阿波市指定史跡[1]。
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1695.阿波九城
阿波九城(あわくじょう)は、阿波徳島藩(現在の徳島県)の藩祖である蜂須賀家政が設けた9つの支城の総称である。
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1696.一宮城 (阿波国)  ・山城
一宮城(いちのみやじょう)は、徳島県徳島市一宮町に位置する日本の城。徳島県指定史跡。東山渓県立自然公園指定。とくしま市民遺産選定。
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1697.今切城  ・平城
今切城(いまぎれじょう)は、徳島県徳島市春日にあった日本の城。
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1698.岩倉城 (阿波国)  ・山城
岩倉城(いわくらじょう)は、徳島県美馬市脇町田上にあった日本の城。
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1699.上桜城  ・山城
上桜城(うえざくらじょう)は、徳島県吉野川市川島町桑村にあった日本の城。徳島県指定史跡。
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1700.牛岐城  ・平山城
牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町にある日本の城跡。阿南駅から北西500メートル。周辺は牛岐城址公園として整備されている。別名は富岡城、浮亀城。海部郡牟岐町にある「牟岐城(むぎじょう)」とは異なる。
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1701.夷山城  ・平山城
夷山城(えびすやまじょう)は、徳島県徳島市八万町夷山にあった日本の城。
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1702.大西城 (阿波国)  ・平山城
大西城(おおにしじょう)は、徳島県三好市池田町ウエノにあった日本の城。この地域は阿波国の最西端に位置したため大西と呼ばれていた。別名は池田城。
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1703.岡山城 (阿波国)
岡山城(おかやまじょう)は、徳島県阿南市新野町入田にある城跡。岡山城址と称される。現在は室比賣神社(室姫神社)の境内となっている。
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1704.沖洲台場
沖洲台場(おきのすだいば)は、幕末に現在の徳島県徳島市南沖洲に設営された台場。現在は「沖洲公園」内に跡地が残る。
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1705.海部城  ・平山城
海部城(かいふじょう)は、徳島県海部郡海陽町にあった日本の城。別名は鞆城。海陽町指定史跡[1][2]。
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1706.川島城  ・平山城
川島城(かわしまじょう)は、日本の城。阿波九城の一つ。所在地は徳島県吉野川市川島町川島。吉野川市指定史跡。
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1707.木津城  ・平山城
木津城(きづじょう)は、徳島県鳴門市撫養町木津にあった日本の城。鳴門市指定史跡。
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1708.蔵本城  ・平城
蔵本城(くらもとじょう)は、徳島県徳島市蔵本元町にあった日本の城。
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1709.桑野城  ・平山城
桑野城(くわのじょう)は、徳島県阿南市桑野町船岡山にあった日本の城。現在の萬福寺にあった。
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1710.小仁宇城  ・平城
小仁宇城(こにうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町小仁宇字船津の上にあった日本の城跡。
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1711.西条城 (阿波国)  ・平城
西条城(さいじょうじょう)は、徳島県阿波市吉野町西条にあった日本の城。別名は西条東城、戎城、西城。
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1712.貞光城  ・平城
貞光城(さだみつじょう)は、徳島県美馬郡つるぎ町にあった日本の城。別名は野口城。
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1713.志岐城  ・土塁城
志岐城(しきじょう)は、熊本県天草郡苓北町にある日本の城跡。
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1714.重清城  ・平山城
重清城(しげきよじょう)は、徳島県美馬市美馬町にあった日本の城。
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1715.七条城  ・平城
七条城(しちじょうじょう)は、徳島県板野郡上板町七條にあった日本の城。
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1716.芝原城  ・平山城
芝原城(しばはらじょう)は、徳島県徳島市国府町芝原にあった日本の城。
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1717.芝生城  ・平山城
芝生城(しぼうじょう)は、徳島県三好市三野町芝生にある日本の城跡。
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1718.松鶴城  ・平城
松鶴城(しょうかくじょう)は、徳島県阿南市椿泊町にあった日本の城。別名は椿泊城。
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1719.勝瑞城  ・平城、複郭式館城
勝瑞城(しょうずいじょう)は、徳島県板野郡藍住町勝瑞(阿波国板野郡勝瑞)にあった日本の城(平城)。平城跡と居館跡が2001年(平成13年)に国の史跡に指定され、その後の発掘で新たに確認された部分が2007年(平成19年)に追加指定された[1][2][3]。阿波国の守護所であり、近年の発掘調査でその繁栄の一端をうかがうことができた。現在も断続的に発掘調査が行われている[4]。
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1720.田尾城  ・山城
田尾城(たおじょう)は、徳島県三好市山城町岩戸にある日本の城跡。別名は多尾城、白地山城。三好市指定史跡[1]。
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1721.立江城  ・平山城
立江城(たつえじょう)は、徳島県小松島市立江町清水にあった日本の城。
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1722.津田台場
津田台場(つだだいば)は、幕末に現在の徳島県徳島市津田町に設営された台場。現在は「津田砲台場公園」となっている。
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1723.徳島城  ・梯郭式平山城
徳島城(とくしまじょう)は、徳島県徳島市徳島町にあった日本の城。城跡は国指定の史跡、名勝(表御殿庭園)になっている。
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1724.土佐泊城  ・平山城
土佐泊城(とさどまりじょう)は、徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦、大毛島にあった日本の城。鳴門市指定史跡。
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1725.鳥坂城 (阿波国)  ・山城
鳥坂城(とっさかじょう)は、徳島県石井町にあった日本の城。別名は茶臼山城。
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1726.仁宇城  ・平城
仁宇城(にうじょう)は、徳島県那賀郡那賀町仁宇・和食(わじき)にあった日本の城。別名は和食城、仁宇山城。
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1727.西方城 (阿波国)  ・山城
西方城(にしがたじょう)は、徳島県阿南市長生町にあった日本の城。
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1728.野々島城
野々島城(ののしまじょう)は日本の城郭。現在の徳島県阿南市椿町の無人島である野々島にある[1]。築城されたのは平安時代末期とされている[2][3]。
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1729.白地城  ・山城
白地城(はくちじょう)は、阿波国三好郡白地(現在の徳島県三好市池田町白地)にあった日本の城。三好市指定史跡[1]。
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1730.板西城  ・平城
板西城(ばんざいじょう)は、現在の徳島県板野郡板野町古城にあった日本の城。板野町指定史跡。
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1731.姫田城  ・平山城
姫田城(ひめだじょう)は、徳島県鳴門市大麻町姫田にあった16世紀頃の日本の城。
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1732.平島館  ・居館
平島館(ひらしまやかた)は、阿波国平島庄古津村(現徳島県阿南市那賀川町古津字居)にあった日本の城(館)。別名は阿波公方館。
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1733.日和佐城  ・山城
日和佐城(ひわさじょう)は、徳島県海部郡美波町に位置する日本の城跡。別名は渭津城ともいう。
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1734.名東城  ・平山城
名東城(みょうどうじょう)は、徳島県徳島市名東町にあった日本の城。別名は経ヶ丸城・川越城。
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1735.牟岐城  ・山城
牟岐城(むぎじょう)は、徳島県海部郡牟岐町にあった日本の城。
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1736.撫養城  ・平山城
撫養城(むやじょう)は、徳島県鳴門市撫養町林崎にある日本の城跡。別名は岡崎城、林崎城。「岡崎城跡」として市指定史跡に指定されている。
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1737.森遠城  ・山城
森遠城(もりとおじょう)は、徳島県美馬市木屋平にあった日本の城。
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1738.八石城  ・山城
八石城(やついしじょう)は、徳島県三好市井川町井内西の八石山にあった城。三好市指定史跡。別名は八ツ石城、八ッ石城。
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1739.矢野城 (阿波国)  ・平山城
矢野城(やのじょう)は、徳島県徳島市国府町矢野にあった日本の城。
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1740.由岐城  ・山城
由岐城(ゆきじょう)は、徳島県海部郡美波町にあった日本の城。
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1741.脇城  ・山城
脇城(わきじょう)は、徳島県美馬市脇町大字脇町にあった日本の城。阿波九城の一つ。別名虎伏城。
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香川県の城

1742.麻城  ・山城
麻城(あさじょう)は、香川県三豊市高瀬町上麻にある日本の城跡。三豊市指定史跡[1]。
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1743.天霧城  ・山城
天霧城(あまぎりじょう)は讃岐国、現在の香川県善通寺市吉原町と三豊市三野町、仲多度郡多度津町の市町境にあった中世日本の城(山城)。国の史跡[1]。別名・雨霧城または尼斬城。讃岐香川氏累代の有事の際の詰城で、平時の居館は多度津町の本台山城東麓にあったとされる。
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1744.勝賀城  ・山城
勝賀城(かつがじょう)は、香川県高松市鬼無町佐料にあった日本の城である。高松市指定史跡。
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1745.城山城 (讃岐国)  ・古代山城(神籠石系山城)
城山城(きやまじょう、讃岐城山城)は、讃岐国阿野郡の城山(きやま、現在の香川県坂出市西庄町・川津町・府中町、丸亀市飯山町)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている(指定名称は「城山」)。
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1746.十河城  ・平城、城館
十河城(そごうじょう)は、讃岐国山田郡蘇甲郷[1]にあった日本の城(平城)。現在の城跡は称念寺という十河氏ゆかりの寺となっており、称念寺一帯が本丸と考えられている。市指定史跡[2]。
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1747.高松城 (讃岐国)  ・輪郭式平城
高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にあった日本の城である。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。
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1748.作山城  ・平城
作山城(つくりやまじょう)は、香川県高松市香西南町にあった日本の城である。
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1749.虎丸城  ・山城
虎丸城(とらまるじょう)は、香川県東かがわ市水主、与田山の虎丸山にあった日本の城。
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1750.仲村城  ・平城
仲村城(なかむらじょう)は、香川県善通寺市にある日本の城跡。
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1751.引田城  ・平山城
引田城(ひけたじょう)は香川県東かがわ市に所在する日本の城。国の史跡に指定されている[1]。
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1752.昼寝城  ・山城
昼寝城(ひるねじょう)は、香川県さぬき市前山に築かれていた日本の城(山城)。さぬき市指定史跡[1]。
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1753.藤目城  ・山城
藤目城(ふじめじょう)は讃岐国、現在の香川県観音寺市粟井町 竹成にあった中世日本の城(山城)。別名・藤ノ目城。
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1754.丸亀城  ・渦郭式平山城
丸亀城(まるがめじょう)は、讃岐国、現在の香川県丸亀市にある日本の城である。別名、亀山城(かめやまじょう)、蓬莱城(ほうらいじょう)ともいう。
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1755.本台山城  ・山城
本台山城(もとだいやまじょう)は香川県仲多度郡多度津町の現桃陵公園一帯に築かれていた日本の城(山城)。別名多度津城。東麓の西側(西方寺、観音堂、墓地、光厳寺周辺)に居館があったとされる。
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1756.屋嶋城  ・古代山城(朝鮮式山城)
屋嶋城(やしまじょう[注 1]/やしまのき、屋島城)は、香川県高松市の屋島に築かれた、日本の古代山城である。伊予総領(伊予など複数の国を管轄した軍政官)の管轄下で築かれたとされている[1]。
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愛媛県の城

1757.甘崎城  ・海城[1]
甘崎城(あまざきじょう)は、愛媛県今治市上浦町甘崎の古城島にあった日本の城(海城[1])。別名を、古城、岸の城、荒神城[2]。愛媛県指定史跡[3]。
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1758.一之森城  ・山城
一之森城(いちのもりじょう)は、愛媛県北宇和郡鬼北町に存在した日本の城(山城)。
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1759.犬尾城 (愛媛県)  ・山城
犬尾城(いぬびじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町立間尻に所在する日本の城。別名・犬日城。宇和島市指定史跡[1]。
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1760.今治城  ・輪郭式平城(海城)
今治城(いまばりじょう)は、伊予国越智郡今治(四国・愛媛県今治市通町三丁目)にあった日本の城。昭和28年(1953年)10月9日に愛媛県史跡に指定された。別称「吹揚城(吹上城)」。
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1761.宇和島城  ・梯郭式平山城
宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている(1937年〈昭和12年〉指定)。別名は鶴島城。
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1762.永納山城  ・古代山城(神籠石系山城)
永納山城(えいのうさんじょう)は、伊予国桑村郡の永納山・医王山(現在の愛媛県西条市河原津・楠、今治市孫兵衛作(まごべえさく))[1]にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1763.大洲城  ・梯郭式平山城
大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城である。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
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1764.大森城 (伊予国)  ・山城
大森城(おおもりじょう)は、愛媛県宇和島市三間町に存在した日本の城(山城)。
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1765.大森城 (伊予国南宇和郡)  ・山城
大森城(おおもりじょう)は、愛媛県南宇和郡愛南町城辺町にある日本の城跡。町の史跡[1]。
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1766.岡崎城 (伊予国)  ・山城
岡崎城(おかざきじょう)は、愛媛県新居浜市にあった日本の城。新居浜市指定史跡[1]。
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1767.河後森城  ・山城
河後森城(かごもりじょう)は、愛媛県北宇和郡松野町松丸に存在した日本の城(山城)。国の史跡[2]。
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1768.金山城 (伊予国)
金山城(かなやまじょう)は、愛媛県宇和島市三間町戸雁・成家に所在する日本の城(山城)跡。
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1769.金子城  ・山城
金子城(かねこじょう)、または金子山城(かねこやまじょう)は、現在の愛媛県新居浜市にあたる伊予国新居郡金子山に存在した戦国時代の日本の城である。別名・橘江城。新居浜市指定史跡[1]。
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1770.甲之森城
甲之森城(かぶとのもりじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)。標高451mの山頂にあり、周囲は平地となっている。
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1771.川之江城  ・山城
川之江城(かわのえじょう)は、愛媛県四国中央市川之江町の鷲尾山(城山)にある日本の城である。別名の仏殿城の名でも著名である。
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1772.来島城  ・島城
来島城(くるしまじょう)は、愛媛県今治市波止浜沖の来島にある日本の城(島城)である。村上水軍の根拠地の一つ。2016年(平成28年)4月、日本遺産「日本最大の海賊の本拠地」の構成文化財に認定された[1][2]。
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1773.黒瀬城  ・山城
黒瀬城(くろせじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)。
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1774.鷺ノ森城  ・平城
鷺ノ森城(さぎのもりじょう)は、愛媛県西条市壬生川(にゅうがわ)にかつて存在した日本の城である。鷺森城・鷺の森城とも書く。
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1775.生子山城  ・山城
生子山城(しょうじやまじょう)は、愛媛県新居浜市立川町にあった日本の城。
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1776.白木城  ・山城
白木城(しらきじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。
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1777.石城 (伊予国)
石城(せきじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町にあった日本の城。宇和島市指定史跡[1]。
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1778.高森城 (伊予国喜多郡)  ・山城
高森城(たかもりじょう)は、愛媛県大洲市に存在した日本の城(山城)。
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1779.高森城 (伊予国宇和郡)  ・山城
高森城(たかもりじょう)は、愛媛県宇和島市三間町と北宇和郡鬼北町の境に存在した日本の城(山城)。
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1780.天ヶ森城  ・山城
天ヶ森城(てんがもりじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。
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1781.常盤城  ・山城
常盤城(ときわじょう)は、愛媛県南宇和郡愛南町に存在した日本の城(山城)。町の史跡[1]。
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1782.能島  ・水軍城
能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。愛媛県今治市(旧:越智郡宮窪町)に属する。属島として鯛崎島が南にある。
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1783.萩森城
萩森城(はぎもりじょう)は、愛媛県八幡浜市に存在した日本の城(山城)。
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1784.法華津本城
法華津本城(ほけづほんじょう)は、愛媛県宇和島市に存在した日本の城(山城)。宇和島市指定史跡[1]。
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1785.松前城 (伊予国)  ・平城
松前城(まさきじょう)は伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町)にあった日本の城。
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1786.松山城 (伊予国)  ・連郭式平山城
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名 金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地に松山城と呼ばれる城が多数存在するため「伊予松山城」と呼ばれることもあるが、一般的に「松山城」は本城を指すことが多い。同じ現存12天守の一つ、岡山県高梁市にある備中松山城と比較すると、本城が優勢となっている。
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1787.三滝城  ・山城
三滝城(みたきじょう)は、愛媛県西予市に存在した日本の城(山城)である。
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1788.港山城  ・階郭式山城
港山城(みなとやまじょう)は、伊予国(現在の愛媛県松山市港山)の、海に面する西側の小丘陵に築かれた河野氏の河野水軍が拠点にした日本の城(山城)。湊山城とも書かれた。
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1789.元城 (伊予国)  ・丘城
元城(もとじょう)は、愛媛県八幡浜市に存在した日本の城(丘城)。
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1790.湯築城  ・梯郭式平山城
湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後公園にある城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。
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1791.竜ヶ森城  ・山城
竜ヶ森城(りゅうがもりじょう)、または龍ヶ森城、隆ヶ森城は、愛媛県西予市城川町魚成に存在した日本の城(山城)。
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高知県の城

1792.安芸城  ・梯郭式平山城
安芸城(あきじょう)は、高知県安芸市土居に存在した日本の城(平山城)。江戸時代には土佐藩山内家家老の五藤家が居住し、安芸(安喜)土居として存続した。安芸市指定史跡[1]。
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1793.朝倉城 (土佐国)  ・山城
朝倉城(あさくらじょう)は、高知県高知市朝倉にあった日本の城。高知県指定史跡[1]。
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1794.浦戸城  ・平山城
浦戸城(うらどじょう、Urado Castle, Urado-jo)は、高知県高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった日本の城。
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1795.大津城 (土佐国)  ・平山城
大津城(おおつじょう)は、高知県高知市大津にある中世から近世にかけての日本の城(平山城)。天竺城や大津御所の別名を持つ。
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1796.岡豊城  ・連郭式山城
岡豊城(おこうじょう)は、高知県南国市にある中世の日本の城(山城)跡。戦国時代に四国の覇者となった長宗我部氏の居城であった。城跡は国の史跡に指定されている[1]。
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1797.柏井城 (土佐国)  ・山城
柏井城(かしわいじょう)は現在の高知県高岡郡日高村に存在した日本の城(山城)である。
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1798.吉良城  ・平山城
吉良城(きらじょう)は、土佐国(現高知県高知市春野町弘岡上)にあった中世の日本の城。 別名・吉良峰城。高知市指定史跡[1]。
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1799.楠目城  ・平山城
楠目城(くずめじょう)は、土佐国、現在の高知県香美市土佐山田町楠目字楠目にあった中世の日本の城。別名・山田城。「楠目城跡」として香美市指定史跡[1]。
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1800.介良城  ・(平)山城
介良城(けらじょう)は、高知県高知市介良(けら)にあった日本の城である。
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1801.高知城  ・梯郭式平山城
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市にある日本の城。瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)とも呼ばれる[1]。
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1802.下田城 (土佐国)  ・平城
下田城(しもだじょう)は高知県に存在した中世の日本の城(平城)。
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1803.宿毛城  ・平山城
宿毛城(すくもじょう)は、現在の高知県宿毛市にあった日本の城(平山城)。「松田城」とも。城跡は宿毛市指定史跡に指定されている。
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1804.中村城 (土佐国)  ・連郭式平山城
中村城(なかむらじょう)は、高知県四万十市(旧中村市)丸の内に、中世から近世にかけて存在した日本の城(平山城跡)である。為松城の別名を持つ。四万十市指定史跡[1]。
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1805.蓮池城 (土佐国)  ・平山城
蓮池城(はすいけじょう)は、高知県土佐市にある日本の城。土佐市指定史跡[1]。嘉応2年(1170年)に成立し、鎌倉時代-戦国時代は大平氏の支配となり、山内氏入国の頃には廃城となった。
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1806.姫野々城  ・山城
姫野々城(ひめののじょう)は、高知県高岡郡津野町姫野々にあった日本の城。別名、半月城。津野氏代々の居城。津野町指定史跡[1]。
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1807.本山城 (土佐国)  ・山城
本山城(もとやまじょう)は、高知県長岡郡本山町本山にあった日本の城。本山氏の居城。現在、町の史跡に指定されている[1]。
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1808.森城 (土佐国)  ・山城
森城(もりじょう)は、高知県土佐郡土佐町にあった日本の城(山城)である。
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福岡県の城

1809.秋月城  ・平城
秋月城(あきづきじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった江戸時代の日本の城(平城・陣屋)である。秋月陣屋(あきづきじんや)ともいう[3]。城跡は福岡県指定史跡に指定され[1]、本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定されている[2]。
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1810.怡土城  ・古代山城(中国式山城)
怡土城(いとじょう / いとのき)は、筑前国怡土郡の高祖山(現在の福岡県糸島市高来寺・大門・高祖)にあった日本の古代山城(分類は中国式山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1811.犬尾城  ・山城
犬尾城(いぬおじょう)は、福岡県八女市にかつて存在した日本の城(山城)。
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1812.犬鳴御別館
犬鳴御別館(いぬなきごべっかん)とは、現在の福岡県宮若市犬鳴に所在した城(館)である。建築当時の地名は犬鳴谷村。
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1813.岩門城  ・山城
岩門城(いわとじょう)は、福岡県那珂川市山田にあった城。
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1814.岩屋城  ・山城
岩屋城(いわやじょう)は筑前国御笠郡(福岡県太宰府市浦城)にあった日本の城(山城)。戦国時代末期の天正14年(1586年)、島津忠長率いる島津軍と大友軍の高橋紹運との壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)で知られる。
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1815.有智山城  ・山城
有智山城(うちやまじょう)は、現在の福岡県大宰府市内山にあった日本の城。
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1816.馬ヶ岳城  ・連郭式山城
馬ヶ岳城(うまがだけじょう)は、豊前国京都(みやこ)郡(現・福岡県行橋市津積馬ヶ岳)にあった日本の城。行橋市指定史跡。
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1817.浦ノ城  ・不明
浦ノ城(うらのじょう)は、現在の福岡県大宰府市大宰府にあった日本の城。
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1818.大野城 (筑前国)  ・古代山城
大野城(おおのじょう/おおののき)は、福岡県の太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる大城山(おおきやま)[1]に築かれた、日本の古代山城である。城跡は、1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡「大野城跡」に指定されている[2]。
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1819.鹿毛馬神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
鹿毛馬神籠石(かけのうまこうごいし[1][2][3]、かけのうまこうごういし[4][5]、かげのうまこうごいし[6])は、福岡県飯塚市鹿毛馬にある鹿毛馬川沿いの馬蹄型丘陵地に築かれた日本の古代山城(神籠石系山城)である[3][7]。1945年(昭和20年)2月22日付で国の史跡に指定され、2002年(平成14年)3月19日に追加指定されている[6]。
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1820.蒲池城
蒲池城(かまちじょう)は、筑後国三潴郡蒲池村(現在の福岡県柳川市)にあった日本の城。
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1821.香春岳城  ・山城
香春岳城(かわらだけじょう)とは、福岡県田川郡香春町大字香春にあった山城である。香春岳にあり、天然の要害に守られ、難攻不落の城として知られていた。交通の要衝でもあり、度々争奪戦の的となっていたが、江戸時代に一国一城令により取り壊され廃城となった。
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1822.岩石城  ・山城
岩石城(がんじゃくじょう)とは、福岡県田川郡添田町添田1788番地の2にあった日本の城である。標高454mの岩石山山頂を主郭とした山城であった。
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1823.城井谷城  ・山城
城井谷城(きいだにじょう)は、現在の福岡県築上郡築上町寒田にある城跡。萱切城などの別名がある。
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1824.基肄城  ・古代山城
基肄城(きいじょう / きいのき、椽城)は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた[1]、日本の古代山城である。城跡は、1954年(昭和29年)3月20日、国の特別史跡「基肄(椽)城跡」に指定されている[2]。
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1825.久留米城  ・連郭式平山城
久留米城(くるめじょう)は、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市篠山町)にあった日本の城である[2]。
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1826.高良山神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
高良山神籠石(こうらさんこうごいし)は、筑後国御井郡の高良山(現在の福岡県久留米市御井町)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1827.小倉城  ・輪郭式平城(海城)
小倉城(こくらじょう)は、福岡県北九州市小倉北区にある日本の城である。勝山城[3]、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城など[要出典]の別名がある。
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1828.御所ヶ谷神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)は、福岡県行橋市・京都郡みやこ町にまたがる御所ヶ岳(ホトギ山)[1]に築かれた、日本の古代山城(神籠石系山城)である。城跡は1953年(昭和28年)11月14日、「御所ヶ谷神籠石」の名称で国の史跡に指定されている[2]。
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1829.古処山城  ・山城
古処山城(こしょさんじょう)は、福岡県朝倉市野鳥にあった日本の城(山城)である。秋月氏の本拠地であった。
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1830.城島城  ・平城
城島城(じょうじまじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(平城)。
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1831.杉本城
杉本城(すぎもとじょう)とは、日本の城名の1つ。
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1832.住厭城  ・山城
住厭城(すみあきじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。
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1833.女山神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
女山神籠石(ぞやまこうごいし)は、筑後国山門郡(現在の福岡県みやま市瀬高町大草)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1834.鷹尾城 (筑後国)  ・平城
鷹尾城(たかおじょう)は福岡県柳川市大和町鷹ノ尾に存在した日本の城(平城)。柳川市指定史跡[1]。矢部川と塩塚川によって形成された平野の西方、矢部川右岸の自然堤防上に位置する。城の範囲は東西100メートル、南北80メートルほどであったという。
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1835.高祖城  ・山城
高祖城(たかすじょう)は、筑前国怡土郡の高祖山(現在の福岡県糸島市高祖)にあった日本の城。
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1836.鷹取城  ・連郭式山城
鷹取城(たかとりじょう)は、福岡県直方市永満寺に所在する日本の城。別名、鷹取山城。
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1837.田尻城  ・山城
田尻城(たじりじょう)は福岡県みやま市に存在した日本の城(山城)。
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1838.立花山城  ・平山城
立花山城(たちばなやまじょう、りっかさんじょう)は、現在の福岡市東区、糟屋郡新宮町および久山町にまたがる標高367mの立花山の山頂に存在した日本の城。立花城(たちばなじょう、りっかじょう)と呼称される場合もある。
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1839.蔦ヶ嶽城  ・山城
蔦ヶ嶽城(つたがたけじょう)は、福岡県宗像市と遠賀郡岡垣町との境にある日本の城跡。宗像氏の居城。別名・蔦ヶ岳城、赤間山城、岳山城。
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1840.東光寺城  ・山城
東光寺城(とうこうじじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。
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1841.長岩城 (筑後国)  ・山城
長岩城(ながいわじょう)は福岡県うきは市に存在した日本の城(山城)。
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1842.長野城 (豊前国)  ・山城
長野城(ながのじょう)は福岡県に存在した中世の日本の城(山城)。
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1843.名島城  ・連郭式平山城(海城)
名島城(なじまじょう)は、筑前国名島(現:福岡県福岡市東区名島)にあった日本の城。
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1844.生津城
生津城(なまつじょう)は福岡県久留米市三潴町生岩に存在した日本の城(平城)。
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1845.西牟田城  ・平城
西牟田城(にしむたじょう)は、福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。鹿児島県薩摩川内市の西牟田にも西牟田城があったが、これは別のもの。
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1846.猫尾城
猫尾城(ねこおじょう)は、福岡県八女市に存在した山城。福岡県指定史跡[1]。
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1847.猫城  ・山城
猫城(ねこじょう)は、福岡県中間市に存在した城である。
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1848.白山城 (筑前国)  ・山城
白山城(はくざんじょう)は、福岡県宗像市山田にある日本の城跡。宗像氏の居城。山田白山城とも。
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1849.花尾城  ・連郭式山城
花尾城(はなおじょう)は、福岡県北九州市八幡西区にあった日本の城である。本丸は標高351メートルの花尾山山頂に位置する。
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1850.福岡城  ・梯郭式平山城
福岡城(ふくおかじょう)は、筑前国那珂郡[1]警固村福崎のち福岡[2](現在の福岡県福岡市中央区城内)に築かれた江戸時代の日本の城。別名、舞鶴城、石城。国の史跡に指定されている。現在、城跡は舞鶴公園と大濠公園となっている。
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1851.別所城  ・山城
別所城(べっしょじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。
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1852.房州堀
房州堀(ぼうしゅうぼり)とは、近世博多(筑前国・那珂郡)の南縁を画していた堀の名称として最もよく知られるものである。なお、「房州」とは「安房国」の意で、臼杵鑑続(後述)の受領名「安房守」にちなむとされる。
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1853.発心城  ・山城
発心城(ほっしんじょう)は、福岡県の久留米市から八女市、うきは市にまたがり存在した日本の城(山城)。福岡県指定史跡。
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1854.益富城  ・山城
益富城(ますとみじょう)とは、福岡県嘉麻市中益にあった日本の城である。
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1855.松崎陣屋  ・陣屋
松崎陣屋(まつざきじんや)は、福岡県小郡市松崎(筑後国御原郡松崎)に存在した陣屋。江戸時代前期、久留米藩の支藩・松崎藩が藩庁として建設した。
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1856.松山城 (豊前国)
松山城(まつやまじょう)は、豊前国京都郡松山(現・福岡県京都郡苅田町)にあった日本の城(山城)。苅田町指定史跡[1]。
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1857.水城  ・古代の城
水城(みずき)は、福岡県太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた日本の古代の城である。城跡は、1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡「水城跡」に指定されている[1]。
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1858.溝口城 (筑後国)  ・平城
溝口城(みぞぐちじょう)は福岡県筑後市に存在した日本の城(平城)。
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1859.妙見城  ・山城
妙見城(みょうけんじょう)は福岡県うきは市に存在した日本の城(山城)。
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1860.門司城  ・山城
門司城(もじじょう)は、豊前国企救郡門司(現福岡県北九州市門司区大字門司字古城山)に存在した日本の城(山城)。城跡は和布刈公園として整備されている。
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1861.柳川城  ・平城
柳川城(柳河城とも。やながわじょう)は福岡県柳川市本城町にあった日本の城。江戸時代には柳川藩の藩庁が置かれた。別名、舞鶴城(まいづるじょう)。本丸は国の史跡に指定されている。
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1862.矢部山城  ・山城
矢部山城(やべやまじょう)は、福岡県八女市に存在した日本の城(山城)。
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1863.山鹿城 (筑前国)  ・山城
山鹿城(やまがじょう)は福岡県に存在した日本の城(山城)。
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1864.山下城 (筑後国)
山下城(やましたじょう)は、福岡県八女市に存在した日本の城(山城)。
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1865.吉見岳城
吉見岳城(よしみだけじょう)は福岡県久留米市に存在した日本の城(山城)。
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1866.雷山神籠石  ・古代山城(神籠石系山城)
雷山神籠石(らいざんこうごいし)は、筑前国怡土郡の雷山中腹(現在の福岡県糸島市雷山・飯原)にあった日本の古代山城(分類は神籠石系山城)。城跡は国の史跡に指定されている。
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1867.若松城 (筑前国)  ・不明
若松城(わかまつじょう)は、日本の城。別名、中ノ島城。所在地は福岡県北九州市戸畑区で、洞海湾の入口にかつて存在した中ノ島に築かれた日本の城である[1]。現在の若戸大橋中央部のほぼ真下あたりに相当する。
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佐賀県の城

1868.島村城  ・平山城
島村城(しまむらじょう)または田中城(たなかじょう)は、佐賀県唐津市北波多田中字島に存在した平山城。上松浦党の一族・波多氏の城。
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1869.陣の森城  ・平城
陣の森城(じんのもりじょう)は佐賀県に存在した平城。
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1870.須古城  ・平山城
須古城(すこじょう)は、戦国時代における佐賀県杵島郡白石町にある城跡。平井氏の須古城、杵島城、男島城の3城での連携した防衛体制により難攻不落を誇り、佐賀県下でも最大規模の城郭群を成している。高城、隆城とも。
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1871.勢福寺城  ・山城
勢福寺城(せいふくじじょう)は、現在の佐賀県神埼市神埼町城原字北外[1]にあった城である。
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1872.高木城  ・平城
高木城(たかぎじょう)は、佐賀県に存在した平城。佐賀市の佐賀平野に位置する。
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1873.高田城 (肥前国)  ・平城
高田城(たかだじょう)は佐賀県に存在した平城。小城市三日月町金田遠江の佐賀平野に位置する。
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1874.常広城  ・平城
常広城(つねひろじょう)は佐賀県鹿島市常広に存在した平城。
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1875.直鳥城  ・不明
直鳥城(なおとりじょう)は、戦国時代に佐賀県神埼市に存在した日本の城(平城)。中世にこの地方で独自に発展を遂げた低平地城の典型である。
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1876.名護屋城  ・梯郭式平山城
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。現在、国の特別史跡に指定されている。平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定された。
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1877.仁比山城  ・連郭式山城
仁比山城(にいやまじょう)は佐賀県神埼市に存在した山城。
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1878.西島城 (肥前国)  ・平城、
西島城(にしじまじょう、旧字体:西嶋城)は佐賀県三養基郡みやき町西島にかつて存在した城。
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1879.蓮池城 (肥前国)
蓮池城(はすいけじょう)は、日本の城。現在の佐賀県佐賀市蓮池町に所在した。応永年間に完成し、肥前国の国人領主小田氏、戦国時代後期は龍造寺氏・江上氏の支配となり、近世は鍋島氏、石井氏の在城を経て、佐賀藩の支藩・蓮池藩の陣屋が置かれた。
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1880.松岡城 (肥前国)  ・山城
松岡城(まつおかじょう)は佐賀県鹿島市浜町付近に存在した山城。
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1881.水ヶ江城
水ヶ江城(みずがえじょう)は、肥前国に存在した城郭。
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1882.三瀬城  ・山城
三瀬城(みつせじょう)は佐賀県佐賀市三瀬村に存在した日本の城(山城)。
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1883.牟田城  ・平城
牟田城(むたじょう)、または本告城(もとおいじょう)は佐賀県神埼市本告牟田に存在した平城。本折城とも。
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1884.湯野田城  ・山城
湯野田城(ゆのだじょう)は佐賀県嬉野市嬉野町に存在した山城。
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1885.与賀城  ・平城
与賀城(よかじょう)は、現在の佐賀県佐賀市与賀町にあった日本の城。
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1886.横造城  ・平城
横造城(よこぞうじょう)は佐賀県鹿島市に存在した平城。
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1887.鷲巣城  ・山城
鷲巣城(わしのすじょう)、または鷲ノ巣城は佐賀県鹿島市高津原字鷲ノ巣に存在した山城。
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1888.青山城 (肥前国)  ・山城
青山城(あおやまじょう)は佐賀県唐津市山本に存在した中世の山城。
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1889.朝日山城 (肥前国)  ・山城
朝日山城(あさひやまじょう)は佐賀県鳥栖市村田町に存在した中世の山城。
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1890.姉川城  ・平城
姉川城(あねがわじょう)は佐賀県神埼市に存在した平城。国の史跡。
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1891.綾部城 (肥前国)  ・山城
綾部城(あやべじょう)は佐賀県三養基郡みやき町原古賀に存在した山城。足利一門の渋川氏が、九州探題府兼肥前守護所の拠点としていた。
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1892.池田城 (肥前国)  ・山城
池田城(いけだじょう)は佐賀県唐津市相知町字横枕に存在した山城。
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1893.小城城  ・平城
小城城(おぎじょう)は佐賀県小城市に存在した平城。
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1894.男島城  ・丘城
男島城(小島城、おじまじょう)は東側役400メートルの位置にある丘陵を活かした須古城の支城。杵島城と並び、須古城の東西を監視する機能があった。
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1895.白虎山城  ・山城
白虎山城(びゃっこざんじょう)は佐賀県三養基郡みやき町に存在した山城。
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1896.臥牛城 (肥前国)  ・山城
臥牛城(がぎゅうじょう)は佐賀県三養基郡みやき町原古賀に存在した山城。
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1897.鹿島城 (肥前国)  ・平城
鹿島城(かしまじょう)は、佐賀県鹿島市高津原城内に存在した平城。
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1898.梶峰城  ・山城
梶峰城(かじみねじょう)は佐賀県に存在した山城。別名、多久城(たくのじょう)[1]。
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1899.勝尾城  ・山城
勝尾城(かつのおじょう)は、佐賀県鳥栖市河内町に存在した山城。本城の勝尾城、鬼ヶ城、高取城、葛籠城、鏡城、若山砦等の支城群と当主の居館跡、家臣団屋敷跡、寺社跡、町屋跡で構成されたエリアは「勝尾城筑紫氏遺跡」として国の史跡に指定されている[1]。
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1900.蒲田江城  ・平城
蒲田江城(かまたえじょう)は佐賀県に存在した平城。佐賀平野に築かれ、現在の佐賀市に位置する。
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1901.唐津城  ・連郭式平山城(海城[1])
唐津城(からつじょう)は、佐賀県唐津市東城内にあった日本の城である。別名は、舞鶴城(まいづるじょう)。
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1902.基肄城  ・古代山城
基肄城(きいじょう / きいのき、椽城)は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた[1]、日本の古代山城である。城跡は、1954年(昭和29年)3月20日、国の特別史跡「基肄(椽)城跡」に指定されている[2]。
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1903.岸岳城  ・連郭式山城
岸岳城(きしたけじょう)は、肥前国、現在の佐賀県唐津市相知町佐里・北波多岸山に存在した日本の城(山城)。もともとは鬼子岳城と書いた。佐賀県指定史跡[1]。
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1904.杵島城  ・丘城
杵島城(きしまじょう)は須古城の西にある独立丘陵にある支城。男島城と並び、須古城の東西を監視する機能があった。現存する杵島神社は、須古三代邑主・鍋島茂周が始祖を祀り建立したという。
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1905.熊ノ川城  ・山城
熊ノ川城(くまのかわじょう)は佐賀県に存在した山城。
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1906.佐嘉飯盛城  ・連郭式平城
佐嘉飯盛城(さがいさがいじょう)は佐賀県に存在した日本の城(平城)。
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1907.佐賀城  ・輪郭梯郭複合式平城
佐賀城(さがじょう)は、肥前国佐賀郡佐賀(現在の佐賀県佐賀市城内)にあった日本の城。佐賀城の前身は肥前の戦国大名の龍造寺隆信をはじめ龍造寺宗家代々の居城佐賀龍造寺城であり、慶長期に鍋島氏による改修により、現在の佐賀城の姿になった。古名は佐嘉城[1]。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し以降、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。
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1908.崎村城  ・平城
崎村城(さきむらじょう)は佐賀県に存在した平城。
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1909.塩吹城  ・山城
塩吹城(しおふきじょう)は佐賀県嬉野市塩田町に存在した山城。
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1910.獅子ケ城  ・山城
獅子ケ城(ししがじょう)、または鹿家城・獅子城は、佐賀県唐津市厳木町岩屋・浪瀬に存在した日本の城(山城)。佐賀県指定史跡[1]。
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長崎県の城

1911.飯盛城 (肥前国)
飯盛城(いいもりじょう)は、長崎県佐世保市(旧肥前国松浦郡)相浦の愛宕山(別称飯盛山)にかつてあった城である。
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1912.石田城  ・海城
石田城(いしだじょう)は長崎県五島市池田町にあった日本の城。城跡は長崎県指定史跡。城内に残る五島氏庭園は国の名勝に指定されている。福江城とも記される。続日本100名城の1つ。
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1913.梶谷城  ・山城
梶谷城(かじやじょう)は、かつて肥前国松浦郡今福(現長崎県松浦市今福町東免)にあった城である。
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1914.勝本城  ・山城
勝本城(かつもとじょう)は、安土桃山時代に壱岐国壱岐郡勝本(現在の長崎県壱岐市勝本町坂本触)[1] に築かれた城である。別称風本(かざもと)城・武末城・雨瀬包(あませかね)城。国の史跡に指定されている[2]。
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1915.金石城  ・平城
金石城(かねいしじょう)は、長崎県対馬市厳原町にあった城である。市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう[1]。
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1916.金田城  ・古代山城(朝鮮式山城)
金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)は、対馬国下県郡の城山(じょうやま、現在の長崎県対馬市美津島町黒瀬)にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されている。
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1917.釜蓋城  ・平山城
釜蓋城(かまぶたじょう)は、長崎県雲仙市に所在する、有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた日本の城。標高154メートルの山城である。雲仙市指定史跡[1]。
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1918.玖島城  ・連郭式平山城(海城[注釈 1])
玖島城(くしまじょう)は、日本の城。所在地は長崎県大村市玖島。
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1919.桟原城  ・平城
桟原城(さじきはらじょう)または桟原屋形(さじきばるやかた)は、長崎県対馬市厳原町桟原にあった城郭で、対馬府中藩3代藩主宗義真が金石城を拡張整備したのと同時期に新築された藩主の屋形。金石城からは市街をはさんで北東隣に位置する。
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1920.三城城
三城城(さんじょうじょう)は、戦国時代から江戸時代初期に肥前国彼杵郡大村武部郷(現長崎県大村市三城町)にあった日本の城。
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1921.島原城  ・連郭式平城
島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市城内にあった日本の城。別名は「森岳城」や「高来城」。城跡は長崎県指定史跡に指定されている。
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1922.清水山城 (対馬国)  ・山城
清水山城(しみずやまじょう)は、安土桃山時代に現在の長崎県対馬市厳原町西里の清水山(標高206メートル)に築かれた城である。国の史跡に指定されている。
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1923.鶴亀城  ・山城
鶴亀城(つるかめじょう)は、長崎県雲仙市国見町にある東西350メートル×南北450メートルの大きな山城跡である。別名、神代城、蓑鶴城。
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1924.原城  ・梯郭式平山城(海城[注釈 1])
原城(はらじょう・はるのじょう[注釈 3])は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である[1][2]。
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1925.日野江城  ・連郭式平山城
日野江城(ひのえじょう)は、肥前国高来郡有間庄(長崎県南島原市北有馬町戊谷川名)にあった城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。
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1926.平戸城  ・梯郭式平山城
平戸城(ひらどじょう)は、肥前国松浦郡平戸[注釈 1](現・長崎県平戸市)にあった城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城。
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1927.本城 (肥前国)  ・山城
本城(ほんじょう)は、長崎県北松浦郡小値賀町に存在した山城。
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1928.丸木館  ・居館
丸木館(まるきやかた)は現在の長崎県長崎市に存在した館。
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熊本県の城

1929.愛藤寺城  ・山城
愛藤寺城(あいとうじじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した城郭である。別名、矢部城ともいう。阿蘇氏は、阿蘇の南郷谷より浜町に居館「浜の館」を移し、川の対岸・小高い丘に詰めの城として岩尾城を築いた(現在の通潤橋が架かっている左岸側)が、地形的な制約から、防御力の更に強い城が別に必要であった。緑川と千滝川に挟まれ、津留の緑川海運とつながる白糸の道は、有明海の緑川河口近くにある重要な港湾「川尻」とつながるもので、当時は重要であった。この城は、津留と浜町と結ぶその延長線上にあり、南の守りと、北から攻められた時に逃げ込む城としての役目もあったと考えられる。近くには「津留が淵道」と呼ぶ「古道」があり、江戸時代には、河川を改修して、山間部で採れた米を川尻経由で大阪まで運んでいたという。
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1930.赤井城  ・平山城
赤井城(あかいじょう)は、熊本県上益城郡益城町赤井字本丸に存在した中世の平山城。
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1931.岩尾城 (肥後国)  ・山城
岩尾城(いわおじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した中世の日本の城(山城)。山都町指定史跡。
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1932.内牧城  ・平城
内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。
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1933.宇土城  ・平山城
宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市に存在した城郭である。別名、城山、鶴城ともいう。同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城についても併記する。
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1934.堅志田城  ・山城
堅志田城(かたしだじょう)は熊本県に存在した中世の山城。
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1935.菊池十八外城
菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)とは、肥後国菊池氏の居城であった菊池城(現在の菊池神社)を取り囲むように形成された城塞群[1]。
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1936.菊池城  ・梯郭式平山城
菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。別名、隈府城。
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1937.木山城 (肥後国)  ・平山城
木山城(きやまじょう)は、熊本県上益城郡益城町寺迫にある日本の城跡。阿蘇氏の一族である木山氏の拠った城として知られる。
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1938.木原城 (肥後国)
木原城(きわらじょう)は、熊本県熊本市南区富合町に存在した城郭である。
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1939.鞠智城  ・古代山城
鞠智城(きくちじょう[1]/くくちのき[注 1])は、熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる[注 2]台地状の丘陵に築かれた[2]、日本の古代山城である。城跡は、2004年(平成16年)2月27日、国指定の史跡「鞠智城跡」に指定されている[1]。
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1940.隈庄城  ・平山城
隈庄城(くまのしょうじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。
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1941.隈部館  ・居館
隈部館(くまべやかた)は、熊本県山鹿市菊鹿町上永野に所在する戦国時代の城館跡。永野城(ながのじょう)とも称される。肥後の有力国人・隈部氏の居館で、館跡は「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されている[1]。
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1942.熊本城  ・梯郭式平山城
熊本城(くまもとじょう)は、肥後国飽田郡熊本[1](現在の熊本県熊本市中央区)に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」[2]。
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1943.佐敷城 (肥後国)  ・山城
佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。
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1944.城村城  ・平山城
城村城(じょうむらじょう)は熊本県山鹿市城字城に存在した中世の丘城。山鹿市指定史跡[1]。
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1945.竹迫城  ・連郭式平山城
竹迫城(たかばじょう)は、現在の熊本県合志市上庄にある日本の城跡。合志城とも呼ばれ、その他に蛇尾城・穴の城・上庄城の別名もある。合志市指定史跡[1]。また、城絵図が合志市指定有形文化財に指定されている[2]。
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1946.高森城 (肥後国)  ・中世館
高森城(たかもりじょう)は、熊本県阿蘇郡高森町に存在した中世の城。
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1947.田中城 (肥後国)  ・輪郭式平山城
田中城(たなかじょう)は、別名を和仁城とも呼ばれ、中世に熊本県旧三加和町一帯を支配した肥後国の国人和仁氏が本拠とした城。現在の熊本県玉名郡和水町和仁に位置する。天正15年(1587年)に発生した肥後国人一揆において、最後まで抗戦を続けた城のひとつである。
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1948.津森城
津森城(つもりじょう)とは、阿蘇合戦で、島津勢に徹底抗戦した、光永宗甫の居城。一回は、島津に降伏するがその後、反旗を翻して再び抗った。しかし、島津の逆襲により、陥落してしまう。
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1949.富岡城  ・梯郭式平山城
富岡城(とみおかじょう)は、肥後国天草郡(熊本県天草郡苓北町富岡)にあった城。本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターが整備され、櫓・高麗門なども復元整備されている[1]。
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1950.長野城 (肥後国)  ・平山城
長野城(ながのじょう)は熊本県に存在した中世の平山城。現在の熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野にあった。
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1951.鍋城  ・山城
鍋城(なべじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。
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1952.南郷城 (肥後国)  ・山城
南郷城(なんごうじょう)は、熊本県に存在した日本の城(中世の山城)。
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1953.花の山城
花の山城(はなのやまじょう)は熊本県に存在した中世の山城。
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1954.浜の館  ・城館
浜の館(はまのやかた)は熊本県上益城郡山都町に存在した中世の城館で、阿蘇氏の最盛期の中心部である。
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1955.人吉城  ・梯郭式平山城
人吉城(ひとよしじょう)は、熊本県人吉市麓町(旧・肥後国球磨郡人吉村)[1]にある日本の城(平山城跡)。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
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1956.日渡城  ・平山城
日渡城(ひわたしじょう)は、現在の熊本県山鹿市菊鹿町下内田日渡にあった築城年代不明の丘城。江戸時代の柳川藩士・内田氏の系図では、豊後の戦国大名・大友氏の下に亡命した相良氏庶流・内田氏の肥後国での居城とされているが、『肥後国誌』あるいは『日本歴史地名大系』では隈部館または猿返城である永野城と混同されている。
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1957.古麓城  ・山城
古麓城(ふるふもとじょう)は、熊本県八代市古麓町(旧 肥後国八代郡)にあった諸城の総称、近世に名付けられた城塞群である[2]。古麓町の東側の山中に7城(曲輪)が存在したと一般に言われている[3]。
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1958.本渡城  ・山城
本渡城(ほんどじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。
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1959.水俣城  ・平山城
水俣城(みなまたじょう)は、熊本県水俣市古城に存在した中世の丘城。
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1960.御船城  ・平山城
御船城(みふねじょう)は、熊本県上益城郡御船町に存在した中世の平山城。現在の御船町立御船小学校の南側、東西40m・南北150mの丘陵に立地していた。
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1961.麦島城  ・輪郭式平城
麦島城(むぎしまじょう)は、熊本県八代市国郡にあった安土桃山時代から江戸時代の城。2014年(平成26年)3月18日、本城跡と古麓城跡・八代城跡とを併せ、「八代城跡群」の名称で国の史跡に指定された[1][2]。
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1962.八代城  ・輪郭式平城
八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)にある日本の城である。江戸時代初期に球磨川河口の松江[5]に幕府の許可を得て建築されたことから松江城(現八代城趾)とも言う。
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1963.山鹿城 (肥後国)  ・平山城
山鹿城(やまがじょう)は肥後国山鹿郡(現・熊本県山鹿市)に存在した中世の丘城。
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大分県の城

1964.朝日嶽城
朝日嶽城(あさひだけじょう)は、豊後国海部郡(現・大分県佐伯市宇目大字塩見園)にあった戦国末期の山城。
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1965.上原館  ・守護館
上原館(うえのはるやかた)は、中世に豊後国府内(現在の大分県大分市)の上野丘陵にあった大友氏の館。大分市顕徳町付近にあった館とは別の館である[1]。別名、西山城。2014年(平成26年)10月6日に一部が史跡大友氏遺跡に追加指定されている[2][3]。
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1966.臼杵城  ・連郭式平山城(海城[1])
臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にあった日本の城。城跡は大分県の史跡に指定されている。戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる「丹生島城(にうじまじょう)」が築かれ、大友氏の拠点となった。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。
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1967.大友氏遺跡  ・守護館
大友氏遺跡(おおともしいせき)は、大分県大分市顕徳町一帯にある大友氏館(大友館)跡を中心とする中世の遺跡。2001年(平成13年)8月13日に「大友氏館跡」(おおともしやかたあと)として国の指定史跡に指定された後、累次追加指定が行われており、2005年(平成17年)3月2日に旧万寿寺跡地区が追加された際に名称が「大友氏遺跡」に改められた。2014年(平成26年)10月6日には上原館跡の一画が、また、2015年(平成27年)10月7日には推定御蔵場跡が追加指定されている[2]。
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1968.岡城 (豊後国)  ・梯郭式山城
岡城(おかじょう)は、豊後国直入郡竹田(現在の大分県竹田市大字竹田)にあった日本の城(山城)である。「臥牛城(がぎゅうじょう)」、「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれる。
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1969.杵築城  ・連郭式平山城
杵築城(きつきじょう)は、かつて大分県杵築市杵築にあった城郭である。城跡のうち麓の藩主御殿跡は大分県の史跡に指定されている[2][3][4]。また、城郭があった台山地区と藩主御殿地区は、国の史跡に指定されている[1][5][6][7]。
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1970.佐伯城  ・山城
佐伯城(さいきじょう)は、大分県佐伯市にあった日本の城。江戸時代には佐伯藩の藩庁が置かれた。「さえき」と読むのは誤り[1]。国の史跡への指定が答申され(官報告示を経て正式指定となる)[2]、大分百景・ 続日本100名城(194番)に選定されている。
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1971.高崎山城  ・山城
高崎山城(たかさきさんじょう)は、大分県大分市の高崎山にあった日本の城である。高崎城とも呼ばれる。
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1972.高田城 (豊後国)
高田城(たかだじょう)は、現在の大分県豊後高田市玉津字本丸(旧国豊後国)にあった城である。豊後高田城、柴崎城とも呼ばれる。
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1973.角牟礼城  ・山城
角牟礼城(つのむれじょう)は、大分県玖珠郡玖珠町の角埋山(つのむれやま)にあった山城。弘安年間(1278年 - 1288年)に森朝通により築かれたとされる。国の史跡[2]。
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1974.鶴ヶ城 (豊後国)
鶴ヶ城(つるがじょう)は、大分県大分市上戸次にあった日本の城である[1][信頼性要検証]。鶴賀城とも。
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1975.鶴崎城
鶴崎城(つるさきじょう)は、大分県大分市鶴崎にあった日本の城である。大友氏家臣の吉岡氏の居城であった。
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1976.栂牟礼城
栂牟礼城(とがむれじょう)は、大分県佐伯市弥生(旧南海部郡弥生町)大字井崎上小倉にあった山城。大永年間(1521年-1528年)に佐伯惟治によって栂牟礼山に築かれたとされる。
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1977.時枝城  ・平城
時枝城(ときえだじょう)は、かつて大分県宇佐市下時枝に存在した城。宇佐神宮弥勒寺の寺務方であった時枝氏の居城。
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1978.長岩城 (豊前国)  ・山城
長岩城(ながいわじょう)は、大分県中津市耶馬溪町にあった城。大分県指定史跡。
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1979.中津城  ・梯郭式平城(海城)
中津城(なかつじょう)/中津川城(なかつがわ(の)じょう)[1]は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。 大分県指定史跡。享保2年(1717年)からは、奥平家が居城としていた(中津藩も参照)。
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1980.永山城  ・梯郭式平山城・陣屋
永山城(ながやまじょう)は、大分県日田市丸山町にあった城である。通称、月隈城(つきくまじょう)ともいうが誤りとされる。旧称は丸山城(まるやまじょう)。以下は、日田陣屋を併記する。
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1981.日出城  ・平山城(海城[注釈 1])
日出城(ひじじょう)は、現在の大分県速見郡日出町にあった城。江戸時代を通して、木下氏が居城した。明治初期の府藩県三治制下において日出藩の藩庁が置かれた。
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1982.日田城  ・山城
日田城(ひたじょう)は、豊後国日田郡在田郷城内村(現在の大分県日田市北豆田慈眼山公園とその一帯)にあった日本の城である。大蔵城、鷹城、高城ともいう。
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1983.日隈城  ・梯郭式平山城
日隈城(ひのくまじょう)は、豊後国日田郡竹田村大分県日田市亀山町(きざんまち)にあった城である。
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1984.府内城  ・梯郭式平城(海城[注釈 1])
府内城(ふないじょう)は、豊後国府内(現在の大分県大分市)にあった日本の城である。大分城(おおいたじょう)、荷揚城(にあげじょう)、白雉城(はくちじょう)とも呼ばれる。
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1985.真玉城
真玉城(またまじょう)は、現在の大分県豊後高田市大村(旧国豊後国)にあった城である。
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1986.妙見嶽城  ・山城
妙見嶽城(みょうけんだけじょう)は、豊前国宇佐郡(現在の大分県宇佐市院内町香下)の妙見岳山頂にあった日本の城。
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1987.鎧岳城
鎧岳城(よろいだけじょう)は、大分県豊後大野市大野町の鎧ヶ岳山に存在した日本の城である。
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宮崎県の城

1988.外城制
外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[注 1][注 2][注 3]。1784年(天明4年)、この呼称を郷と改めた[注 4]。
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1989.伊東四十八城
伊東四十八城(いとうしじゅうはちじょう)は、現在の宮崎県にあたる日向国の戦国大名・伊東義祐およびその後継である伊東義益の、日向伊東氏最盛期における支配域内に存在した48の外城及び砦の名数。伊東氏48塁とも呼称される[1]。
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1990.天ヶ城  ・山城
天ヶ城(あまがじょう)は宮崎県宮崎市高岡町内山に所在する日本の城(山城)跡。別名は高岡城(たかおかじょう)または麓城(ふもとじょう)。旧名は内山城(うちやまじょう)。伊東四十八城の一つ。宮崎市指定史跡[2]。現在は天ヶ城公園として整備され、城郭風建築物の「宮崎市天ケ城歴史民俗資料館」が開設されている[3][4]。
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1991.綾城  ・山城
綾城(あやじょう)は現在の宮崎県綾町にあった山城。築城は1331年~1334年。足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われる。伊東四十八城の一つ。別名「竜尾城」。
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1992.飯野城  ・山城
飯野城(いいのじょう)は現在の宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名を亀城、あるいは鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。
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1993.石塚城 (日向国)  ・山城
石塚城(いしづかじょう)は現在の宮崎県宮崎市にあったとされる山城。築城は1394年 - 1428年。石塚殿と呼ばれていた伊東祐武が築城し居城とした[1]。伊東四十八城の一つ。
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1994.井上城  ・山城
井上城(いのうえじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった城郭。
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1995.今城 (えびの市)  ・山城
今城(いまじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平にあった山城。
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1996.岩牟礼城  ・山城
岩牟礼城(いわむれじょう)は、現在の宮崎県小林市東方の城ヶ迫にあった城。築城年代、築城者などは一切不明。「城の岡」と呼ばれる標高365メートルの高所に位置し[3]、小林市にあった城の中では一番高地にあった城である。
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1997.内木場城  ・山城
内木場城(うちこばじょう)は現在の宮崎県小林市東方にあった平山城。別名を木葉城(こばじょう[注釈 1])。
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1998.梅北城  ・山城
梅北城(うめきたじょう)は、現在の宮崎県都城市梅北町にあった山城。城跡は都城市指定史跡に指定されている[1]。
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1999.浦城城  ・山城
浦城城(うらしろじょう)、または浦尻城(うらしりじょう)は、現在の宮崎県延岡市浦城町字市場・田ノ浦にある日本の城跡。
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2000.小川城 (西米良村)  ・居館
小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村(明治以前は肥後国球磨郡)小川字囲に所在する江戸時代の城(居館)である。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]。
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2001.桶平城  ・平山城
桶平城(おけひらじょう/おけがひらじょう)、または田原陣(たばるじん)・桶平塁(おけひらるい)は、宮崎県えびの市大字原田字田原陣の丘陵「田原山」にあった砦・日本の城[3]。
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2002.大河平城  ・山城
大河平城(おこびらじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平元屋敷にあった山城。
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2003.飫肥城  ・群郭式平山城
飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。酒谷川北岸、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた[1]群郭式の平山城である。伊東四十八城の一つ。
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2004.加久藤城  ・平山城
加久藤城(かくとうじょう)は現在の宮崎県えびの市加久藤にあった平山城。伊東氏の史料には「覚頭城」と記されている。えびの市指定史跡。
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2005.梶山城  ・山城
梶山城(かじやまじょう)は、現在の宮崎県北諸県郡三股町大字長田字城内にあった山城。「庄内十二外城」の1つ[2]。
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2006.月山日和城  ・山城
月山日和城(がっさんひわじょう)は、宮崎県都城市高城町にあった日本の城である[1]。
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2007.紙屋城  ・山城
紙屋城(かみやじょう)は現在の宮崎県小林市野尻町(旧西諸県郡野尻町)紙屋字城原にあった日本の城(山城)[2]。伊東四十八城の一つ。空堀の一部が市の史跡に指定されている[1]。
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2008.亀頭山城  ・山城
亀頭山城(きとうさんじょう)、または亀頭城(きとうじょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内字染田に存在した安土桃山時代の日本の城跡。三田井氏勢力下の山城で「高千穂48塁」の1つ[2]。
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2009.清武城  ・山城
清武城(きよたけじょう)は宮崎県宮崎市清武町加納甲776・777に所在する日本の城(山城)。宮崎市指定史跡[1]。南北朝時代に「清瀧城」と呼ばれていた城を、1379年(天授5年)に伊東(清武)祐行が増改築して「清武城」となった。伊東四十八城の一つ。
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2010.櫛間城  ・平山城
櫛間城(くしまじょう)は日向国那珂郡櫛間院(現在の宮崎県串間市西方)にあった城。平山城。
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2011.玄武城  ・山城
玄武城(くろたけじょう/げんぶじょう)[注釈 1]は、宮崎県西臼杵郡高千穂町田原に所在する安土桃山時代の日本の城跡(山城)。高千穂の豪族・三田井氏の築いた「高千穂48塁」の一つに数えられている[4]。
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2012.小林城  ・平山城
小林城(こばやしじょう)は現在の宮崎県小林市真方にあった日本の城(平山城)。別名を三ツ山城、あるいは三ノ山城。現在は城山公園。
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2013.佐土原城  ・山城
佐土原城(さどわらじょう)は、現在の宮崎県宮崎市佐土原町上田島にある城。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁となった。
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2014.須木城  ・平山城
須木城(すきじょう)は現在の宮崎県小林市須木下田にあった平山城。別名を鶴丸城。伊東四十八城の一つ。現在は城山公園(「すきむらんど」の傍)。
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2015.曽井城  ・山城
曽井城(そいじょう)は宮崎県宮崎市大字恒久(つねひさ)に所在する日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つ。
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2016.園田城  ・平山城
園田城(そのだじょう)は現在の宮崎県えびの市榎田の園田にあった平山城。
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2017.大明神城  ・平山城
大明神城(だいみょうじんじょう)は、宮崎県えびの市大明司にあった砦。別名は小城、或いは大明司塁で、『飯野古事記』には山城ともある。
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2018.高城 (新納院)  ・平山城
高城(たかじょう)は、現在の宮崎県児湯郡木城町にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城である。木城町指定文化財(史跡)[1]。
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2019.高鍋城  ・梯郭式平山城
高鍋城(たかなべじょう)は宮崎県児湯郡高鍋町にあった平山城。別名を舞鶴城。旧名は財部城(たからべじょう)といった。伊東四十八城の一つ。江戸時代には高鍋藩の藩庁となった。城跡は1939年(昭和14年)に国の風致地区に指定、1977年(昭和52年)3月に高鍋町指定史跡に指定され、1983年(昭和58年)には「日向百景」に選ばれている[2]。現在は舞鶴公園として整備されている[3]。
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2020.高原城  ・山城
高原城(たかはるじょう)は、現在の宮崎県西諸県郡高原町にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を松ヶ城。
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2021.徳満城  ・山城
徳満城(とくみつじょう)は現在の宮崎県えびの市東川北にあった山城。
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2022.都於郡城  ・平山城
都於郡城(とのこおりじょう)は現在の宮崎県西都市にある山城。国の史跡[1]。建武4年(1337年)に伊東祐持によって築城された。伊東四十八城の一つ。別名、浮船城。
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2023.中山城 (日向国)  ・丘城
中山城(なかやまじょう)、または仲山城は、現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町にあたる日向国臼杵郡中山に築かれた日本の城である。三田井氏宅跡(みたいしたくあと)とも呼ばれる[2][3]。築城年は不明だが、高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城で、文禄3年(1594年)に高橋元種によって攻め落とされた。
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2024.新納石城  ・山城
新納石城(にいろいしのじょう)または石城(いしのじょう)[2]は、宮崎県児湯郡木城町石河内にある南北朝時代から戦国時代中頃の日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つであり石城合戦の舞台となった[3]。亀城とも呼ぶ[要出典]。
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2025.西階城  ・山城
西階城(にししなじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった日本の城跡。別名、宝坂城・中の城。
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2026.野首城
野首城(のくびじょう)は現在の宮崎県小林市東方・野首にあった城。伊東四十八城の一つ。『日向記』では野久尾城と表記。野頸城とも書く[2][3]。
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2027.野尻城 (日向国)  ・山城
野尻城(のじりじょう)は現在の宮崎県小林市(旧野尻町)東麓にあった山城。伊東四十八城の一つ。城内の井戸遺構が市の史跡に指定されている[3]。
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2028.延岡城  ・平山城
延岡城(のべおかじょう)は、宮崎県延岡市本小路に築かれた城である。もとは縣城(あがたじょう)といい、別名に亀井城(かめいじょう)という。
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2029.松尾城 (日向国)  ・山城
松尾城(まつおじょう)は、日向国縣(あがた、現在の宮崎県延岡市松山町)にあった城。別名「縣城(あがたじょう)」。
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2030.丸野城  ・山城
丸野城(まるのじょう)は宮崎県宮崎市大字鏡洲(かがみず)小字丸野に位置する築城者・築城年代不明の城郭。形態は山城。双石山(ぼろいしやま)から派生した山にあり、古くから「じょうやま」と呼ばれていたという以外、城についての記録がない。
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2031.馬関田城  ・平山城
馬関田城(まんがたじょう)は現在の宮崎県えびの市西川北の宮ノ馬場にあった平山城。別名を東福城(とうふくじょう)。築城年は不明ながら、真幸院の領主・北原氏の庶流馬関田氏の居城であった。
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2032.三ツ山城  ・平山城
三ツ山城(みつやまじょう)は、現在の宮崎県小林市細野にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を三ノ山城(みのやまじょう、さんのやまじょう)、あるいは吉富城。現在は城山団地。
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2033.都之城  ・山城
都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城市指定史跡[2]。都城とも表記する[1]。別名を鶴丸城。形式は山城。
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2034.宮崎城
宮崎城(みやざきじょう)は、現在の宮崎県宮崎市池内町にあったと言われる日本の城(山城)である。1335年(建武2年)もしくは1336年(延元元年)築城。 南朝方勢力だった図師六郎入道隋円・慈円父子が築いた。伊東四十八城の一つ。別名「池内城」。
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2035.穆佐城  ・平山城
穆佐城(むかさじょう)は、現在の宮崎県宮崎市高岡町小山田にあった平山城。伊東四十八城の一つ。
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鹿児島県の城

2036.外城制
外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[注 1][注 2][注 3]。1784年(天明4年)、この呼称を郷と改めた[注 4]。
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2037.赤木名城
赤木名城(あかきなじょう)は、鹿児島県奄美市笠利町(奄美群島奄美大島)にある城跡。12世紀に築かれ、17世紀まで使用が確認された。国の史跡に指定されている。
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2038.伊作城  ・山城
伊作城(いざくじょう)は、鹿児島県日置市吹上町中原に残る中世山城跡。鹿児島県指定史跡[1]。伊作城はいくつかの廓から成り立つ城で、本丸は特に亀丸城と称した。
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2039.石原ヨシハラウエノ遺跡  ・山城(グスク)
石原ヨシハラウエノ遺跡(いしはらヨシハラウエノいせき)は、鹿児島県奄美市住用町大字役勝にあるグスク(山城)。
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2040.一宇治城
一宇治城(いちうじじょう)は、薩摩国伊集院(現鹿児島県日置市伊集院町大田)に存在していた中世山城(日本の城)。
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2041.岩剣城  ・山城
岩剣城(いわつるぎじょう)は鹿児島県姶良市平松にある中世城郭。標高210メートルの岩剣山頂にあり、山は剣の平(けんのひら)とも呼ばれている。姶良市指定史跡[1]。
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2042.内城  ・平城
内城(うちじょう)は、鹿児島県鹿児島市大竜町にあった島津氏の日本の城。
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2043.頴娃城  ・山城
頴娃城(えいじょう)とは、鹿児島県南九州市頴娃町郡字城内に存在する城郭。鹿児島県の指定史跡文化財に指定されている。
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2044.大口城  ・山城
大口城(おおくちじょう)は、鹿児島県伊佐市大口里字上ノ馬場にあった島津氏の外城である。別名、牛山城または牟田口城。古典的な山城形式だった。江戸時代の間に取り壊されてしまい、2016年(平成28年)11月時点では空堀や土塁が多少見受けられるのみとなっている。
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2045.鹿児島城  ・平山城
鹿児島城(かごしまじょう)は、薩摩国鹿児島郡城山麓[1](現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた江戸時代の日本の城である。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」。鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。
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2046.加治木城  ・平城
加治木城(かじきじょう)は鹿児島県姶良市加治木町反土にあった日本の城(中世城郭)。1607年(慶長12年)、島津義弘がこの地に移ったときに麓に加治木館を作り、加治木城はその「後詰めの城」となった。
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2047.清色城  ・山城
清色城(きよしきじょう)は、鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名にある中世山城。国の史跡。
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2048.建昌城  ・山城
建昌城(けんしょうじょう/たてまさじょう)は、鹿児島県姶良市に存在していた日本の城である。瓜生野城(うりうのじょう)とも呼ばれる。鹿児島県指定史跡[1]。
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2049.高山城 (大隅国)  ・山城
高山城(こうやまじょう)は、鹿児島県肝属郡肝付町新富本城(にいとみほんじょう)にある城。形式は山城に属する。別名「肝付城」。国の史跡。
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2050.国分城 (大隅国)  ・中世屋形
国分城(こくぶじょう)は鹿児島県霧島市国分中央にあった城。別名を「国分新城」・「国分御屋形」・「舞鶴城」。
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2051.志布志城
志布志城(しぶしじょう)は、日向国諸県郡救仁院志布志(現在の鹿児島県志布志市志布志町)[1]にあった中世山城。国の史跡。
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2052.清水城 (薩摩国)  ・居館, 山城
清水城(しみずじょう)は、鹿児島県鹿児島市清水町にあった中世の城郭である。
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2053.橘木城  ・山城
橘木城(たちばなきじょう)は、鹿児島県霧島市の国分平野北部にあった山城である。橘城、橘之城、曽於郡城、剣之宇都城(けんのうとじょう)、神山城とも呼ばれる。
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2054.知覧城  ・山城
知覧城(ちらんじょう)は、鹿児島県南九州市知覧町永里にある日本の城(中世山城)。国の史跡に指定されている。
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2055.堂崎城
堂崎城(どうざきじょう)は、現在の鹿児島県長島町城川内(じょうかわうち)にあった日本の城。
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2056.東福寺城  ・山城
東福寺城(とうふくじじょう)は、薩摩国鹿児島郡清水馬場町(現在の鹿児島県鹿児島市清水町)にあった山城。平安時代に築城され江戸時代の初期に廃城となった。
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2057.富隈城  ・山城
富隈城(とみくまじょう、とみのくまじょう)は、安土桃山時代末期に現在の鹿児島県霧島市隼人町住吉の浜之市地区に存在した日本の城。霧島市指定史跡[1]。
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2058.姫木城  ・山城
姫木城(ひめきじょう)は、鹿児島県霧島市の国分平野北部にあった山城。比売之城(ひめのき)、比売奴城、比売妓城、熊襲城とも呼ばれる。
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2059.平山城 (大隅国)
平山城(ひらやまじょう)は、鹿児島県姶良市に存在していた日本の城である。平安城(へいあんじょう)、帖佐本城、内城とも呼ばれる。
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2060.峰ヶ城
峰ヶ城(みねがじょう)は、鹿児島県薩摩川内市高江町にあった日本の城である。別名峰山城、高江城。
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2061.与論城  ・山城
与論城(よろんじょう/よろんぐすく)は、南西諸島与論島の鹿児島県大島郡与論町大字立長にある北山王国の城跡。与論町指定史跡[1]。
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沖縄県の城

2062.グスク
グスク(御城)もしくはスク(城)とは、南西諸島の内、沖縄地方領域である奄美群島(鹿児島県)から八重山諸島(沖縄県)の沖縄弧とも呼ばれる地域にかけて、多数存在するグスク時代の遺跡。本土の戦国時代の城とは異なり、戦いに備えた建築物とは限らず、館や拝所であったと考えられるものもあり、地域、時期、により形態や呼び方に違いがある。三山時代には王や按司の居城となっていた。
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2063.安慶名城  ・輪郭式山城
安慶名城(あげなじょう、琉球語: あげなグスク、あげなグシク)は、沖縄県うるま市安慶名にあったグスク(御城)の城趾である。
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2064.伊是名城  ・山城
伊是名城(いぜなぐすく)は、伊是名島(沖縄県伊是名村)の東南にそびえるグスクである。沖縄県指定史跡[1]。
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2065.糸数城
糸数城(いとかずぐすく・いとかずじょう)は、沖縄県島尻郡南城市糸数にあったグスク(御城)の城趾である。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定。
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2066.伊波城  ・単郭式山城
伊波城(伊覇城、いはぐすく、いはじょう)は、沖縄県うるま市石川にあったグスク(御城)の趾である。
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2067.宇江城城
宇江城城(うえぐすくじょう、うえぐすくぐすく)は、沖縄県島尻郡久米島町仲里宇江城にあるグスク(御城)である。城跡は2009年(平成21年)7月23日に国の史跡に指定されている。
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2068.浦添城
浦添城(うらそえじょう、浦添城跡)は、沖縄県浦添市にある城(グスク)跡。1989年(平成元年)8月11日、国の史跡に指定されている(浦添大公園)。
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2069.垣花城  ・不明
垣花城(かきのはなぐすく・かきのはなじょう)は、沖縄県島尻郡南城市玉城垣花にあったグスク(御城)である。
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2070.勝連城  ・山城
勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあったグスク(御城)の城趾である。阿麻和利の城として有名。
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2071.喜屋武城  ・山城
喜屋武城(きゃんぐすく)は、沖縄県うるま市喜仲四丁目にある琉球王国時代の城跡(グスク)である。
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2072.具志川城 (久米島町)
具志川城(ぐしかわじょう)は、沖縄県久米島にかつて存在した城(グスク)。現在は具志川城跡(ぐしかわじょうせき)となっている。所在地は久米島町仲村渠432および477-1[1][4]。久米島北西の仲村渠集落の北方、東シナ海へ飛び出した丘の上にあり、三方が崖となっている[1]。1975年(昭和50年)に国の史跡に指定された[1][4]。1999年(平成11年)度から2007年(平成19年)度にかけて、史跡具志川城保存修理事業に伴い、遺構確認の発掘調査が行われた[5][6][7]。
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2073.具志川城 (糸満市)
具志川城(ぐしかわぐすく、ぐしかわじょう)は、沖縄県糸満市喜屋武具志川原[5]にあった城(グスク)。城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定された[4]。
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2074.越来城  ・山城
越来城(ごえくじょう、琉球語: ごえくグスク、ごえくグシク)は、沖縄県沖縄市城前町周辺の丘陵地にあった城(グスク)。沖縄戦などで破壊され、遺跡はほとんど残されていない[1]。
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2075.座喜味城  ・山城
座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあったグスク(御城)の城趾。日本軍が高射砲陣地を構築していたため、十・十空襲と沖縄戦で壊滅的な被害をうけ、瓦礫の丘陵地となり、また1974年まで米軍基地ボーローポイント内のナイキミサイル通信基地となっていた。沖縄返還を機に返還の機運が高まり、1974年に米軍から返還された。調査と復旧が進められ、通信基地に駐屯していた退役軍人も驚嘆するほどの美しいグスクとしてよみがえった。2000年、世界遺産に登録された。
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2076.佐敷城 (琉球国)
佐敷城(さしきぐすく)は沖縄本島南部のグスク。国の史跡に指定されている[1]。
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2077.島添大里城
島添大里城(しましーうふざとぐすく)、史跡名:島添大里城跡(しましーおおざとじょうせき)は、現在の沖縄県南部にあった城(グスク)である。別名を大里城。
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2078.下田原城
下田原城(しもたばるじょう)は、八重 山諸島の波照間島(沖縄県八重山郡竹富町)にある城(グスク)。2003年(平成15年)3月25日に国の史跡に指定されている。琉球王国統一の歴史を示す重要な遺跡[1]。沖縄の日本復帰直後「ぶりぶち公園」として、地元老人会により寄付で整備されたが、現在は公園としては荒れ、亜熱帯の自然の侵食のままとなっている[2]。
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2079.首里城  ・山城
首里城(しゅりじょう、沖縄方言: スイグシク[1])は、琉球王国中山首里(現:沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。
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2080.玉城城  ・山城
玉城城(たまぐすくぐすく、たまぐすくじょう)は、沖縄県南城市(旧玉城村)にある城(グスク)跡。1987年(昭和62年)8月21日に、国の史跡に指定された。
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2081.知念城  ・連郭式山城
知念城(ちねんじょう、琉球語: ちねんグスク)は、沖縄県南城市知念にある12世紀末から13世紀にかけて築城されたグスク(御城)の城趾である。代々同地の領主である知念按司が統治し、城跡は1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に指定されている。
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2082.北谷城
北谷城(ちゃたんじょう)あるいは 北谷グスク(ちゃたんグスク)は沖縄県北谷町にあるグスク。13世紀後半から16世紀前半にかけて中山の拠点になった。1945年の沖縄戦から米軍基地キャンプ瑞慶覧の敷地内にあったが、2013年の合意後、沖縄戦から75年目の2020年3月31日に日本に返還された。北側にはキャンプ桑江、南側にキャンプ瑞慶覧がある細長い区域に位置する。国の史跡に指定されている[1]。
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2083.天願城  ・不明
天願城(てんがんじょう、琉球語: ティングヮングスク)は、沖縄県うるま市天願にあったグスク(御城)の城趾。15世紀に安慶名城を拠点に中部一帯を支配した安慶名大川按司一世の三男・後天願按司一世などが貿易の拠点であった具志川城と共に統治した。
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2084.中城城  ・山城
中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。築城された時期は不明。ユネスコ世界遺産。
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2085.今帰仁城  ・山城
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。
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2086.名護城
名護城(なんぐすく)は、沖縄県名護市字城にある城跡(グスク)である。城跡一帯は「名護中央公園」として整備されており、日本さくら名所100選の1つとして「名護城公園」が選ばれている[1]。名護按司の居城だったと伝えられる。
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2087.南山城 (琉球国)  ・山城
南山城(なんざんじょう)は、現沖縄県糸満市大里にあったグスク。同市の文化財。
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2088.フルスト原遺跡
フルスト原遺跡(フルストばるいせき)は、沖縄県石垣市大浜にある遺跡。1978年(昭和53年)3月3日に国の史跡に指定されている[1]。
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2089.三重城  ・平城
三重城(みえぐすく、沖縄語:みーぐしく)は、沖縄県那覇市にある琉球のグスクである。那覇港の国場川北側の河口に位置している。
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2090.山田城 (琉球国)
山田城(やまだグスク)は、沖縄県国頭郡恩納村字山田小字城原にあった14世紀から15世紀頃のグスク(御城)[1]。
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2091.屋良座森城
屋良座森城(やらざもりぐすく、沖縄語:やらざむいぐしく)は、沖縄県那覇市にあった琉球のグスクである。那覇港の国場川河口南にあった。
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