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全国の城

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北海道の城

1.大館跡
大館跡(おおだてあと)は、北海道松前郡松前町神明にある館跡であり、道南十二館の一つ。1977年4月5日、国史跡に指定された。
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2.勝山館  ・山城
勝山館(かつやまだて)は、北海道檜山郡上ノ国町にあった中世の日本の城(山城)。昭和52年(1977年)4月12日、「上之国館跡」のうちの一つ「勝山館跡」として国の史跡に指定された[1]。
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3.五稜郭  ・稜堡式
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に江戸幕府が蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に築造した稜堡式の城郭である[注釈 1]。
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4.志苔館  ・山城
志苔館(しのりたて)は、北海道函館市に所在する中世城館跡(日本の城)。小林氏によって築かれたとされる道南十二館のひとつ。国の史跡に指定されている。
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5.白老仙台藩陣屋跡
白老仙台藩陣屋跡(しらおいせんだいはんじんやあと)は、北海道白老郡白老町にある、幕末期に蝦夷地警備を命じられた仙台藩が置いた陣屋があった場所[2]。国指定の史跡[1]で、約6万6000平方メートルの史跡公園として整備されている[2]。この項目では、博物館の仙台藩白老元陣屋資料館(せんだいはんしらおいもとじんやしりょうかん)についても記述している。
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6.四稜郭  ・稜堡式
四稜郭(しりょうかく)は、箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が、1869年(明治2年)に現在の北海道函館市陣川町に築城した堡塁。新台場、神山台場、新五稜郭などとも呼ばれる。国の史跡[1]。
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7.館城
館城(たて じょう)は、明治元年(1868年)、箱館戦争の直前に松前藩により渡島国檜山郡の館(現在の厚沢部町)に建造された日本の城である。従来の本拠である松前城に対し、新城とも言う。完成直後に旧幕府軍の攻撃を受け、落城した。国の史跡に指定されている[1]。 
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8.千代ヶ岱陣屋
千代ヶ岱陣屋(ちよがだいじんや)は、幕末の亀田村(現・函館市)に築かれた陣屋である。「千代ヶ岡陣屋」「津軽陣屋」とも呼ばれた。明治2年(1869年)5月16日、中島三郎助が率いる旧幕府軍と新政府軍との間に、戊辰戦争・箱館戦争最後の戦闘が行われた場所である。
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9.道南十二館
道南十二館(どうなんじゅうにたて)は、蝦夷地(後の渡島国、現北海道)渡島半島にあった和人領主層の館の総称。松前藩の歴史を記した『新羅之記録』に十二の館が記されていることから、この名がついた。東は函館市に所在する志苔館から西の上ノ国町の花沢館まで、渡島半島南端の海岸線に分布する。安東氏の被官である館主はこれらの館をアイヌ民族や和人商人との交易や領域支配の重要拠点とした。
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10.南部陣屋  ・陣屋
南部陣屋(なんぶじんや)は北海道函館市元町に所在した南部藩の陣屋跡。函館山山麓の南部坂の名前は、南部陣屋が坂上の函館山ロープウェイ「山麓駅」専用駐車場の辺り[2]に置かれた事に由来している。
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11.根室半島チャシ跡群
根室半島チャシ跡群(ねむろはんとうチャシあとぐん)は、北海道根室市にある24か所のチャシ跡(チャシコツ)の総称。国の史跡に指定されている。
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12.戸切地陣屋
座標: 北緯41度51分15.2秒 東経140度37分9.8秒 / 北緯41.854222度 東経140.619389度 / 41.854222; 140.619389戸切地陣屋(へきりちじんや)は、北海道北斗市にあった陣屋。この項目では戸切地陣屋跡史跡公園についても記載している。
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13.弁天台場
弁天台場(べんてんだいば)は、江戸時代末期(幕末)に北海道函館市に設営された台場。弁天岬台場、弁天砲台とも。設計者は武田斐三郎。
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14.松前城  ・平山城
松前城(まつまえじょう)は、西蝦夷地(渡島国津軽郡、のち福島郡の一部を編入で松前郡[1])福山(現・北海道松前町松城)にあった日本の城(平山城)。江戸時代、公式には福山城(ふくやまじょう)と記されたが、当時から備後福山城との混同を避けるため松前城とも呼ばれていた[2]。
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15.茂別館跡
茂別館跡(もべつたてあと)は、北海道北斗市矢不来にある安東氏の館跡。茂別館は、道南十二館の1つである。1982年7月3日、国史跡に指定された。
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青森県の城

16.相内館  ・平城
相内館(あいないだて)は、青森県三戸郡南部町相内に所在した城館跡。別称・一夜堀館。南部町指定史跡[1]。
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17.赤石館  ・平城(居館)
赤石館(あかいしだて)、または赤石城(あかいしじょう)は、青森県三戸郡南部町赤石字舘に所在する中世の城館跡。南部町指定史跡[1]。
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18.浅水城  ・平山城
浅水城(あさみずじょう)は、青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。四戸城の候補地。浅水川左岸の丘陵に位置し[3]、曲輪は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪からなる。浅水川を挟んだ対岸には浅水館、工藤屋敷と呼ばれる城館があった[2]。
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19.浅瀬石城  ・平山城
浅瀬石城(あせいしじょう)は、青森県黒石市大字浅瀬石字龍ノ口および大字浅瀬石字山辺[2]にあった日本の城(平山城)である。別名・汗石城。
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20.油川城  ・平山城
油川城(あぶらかわじょう)は、青森県青森市大字西田沢字浜田・字山辺(旧陸奥国)に所在した日本の城。
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21.新屋城  ・平城
新屋城(あらやじょう)は青森県平川市新屋にあった日本の城(平城)。
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22.飯詰城  ・平山城
飯詰城(いいづめじょう)は青森県五所川原市飯詰にあった日本の城(平山城)。
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23.石川城  ・山城
石川城(いしかわじょう)は、青森県弘前市に築かれていた日本の城。 別名、大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。
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24.石名坂館  ・単郭式平城
石名坂館(いしなざかだて)は青森県黒石市石名坂字舘にあった日本の城(山城)。
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25.大浦城  ・平城
大浦城(おおうらじょう)は、青森県弘前市賀田・五代にあった日本の城。平城。
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26.大向館  ・平城(居館)
大向館(おおむかいだて)は青森県三戸郡南部町大向字下比良に所在する、中世の南部氏に関連する城館群。別称・鎧神館(よろいがみだて)。南部町指定史跡[1]。
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27.沖館城  ・平山城
沖館城(おきだてじょう)は青森県平川市沖館宮崎[2]にあった日本の城(平山城)。
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28.奥瀬館  ・平山城
奥瀬館(おくせだて)は、青森県十和田市奥瀬に所在した日本の城。奥入瀬川の支流・片淵川右岸の台地を利用した東西50メートル、南北100メートル規模の平山城で、曲輪内には井戸跡・馬場跡が残されている。
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29.小国城 (陸奥国)  ・山城
小国城(おぐにじょう)は青森県平川市小国にあった日本の城(山城)。
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30.尾崎城  ・平城
尾崎城(おさきじょう)は青森県平川市尾崎[3]にあった日本の城(平城)。
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31.蠣崎城
座標: 北緯41度10分14秒 東経140度53分26秒 / 北緯41.170540026879度 東経140.89048883193度 / 41.170540026879; 140.89048883193
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32.上名久井館  ・平山城
上名久井館(かみなくいだて)は、青森県三戸郡南部町上名久井に所在した城館跡。別称「名久井館」。
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33.櫛引城  ・平城
櫛引城(くしびきじょう)は、日本の青森県八戸市に所在した日本の城。
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34.剣吉館  ・平山城
剣吉館(けんよしたて)は、青森県三戸郡南部町剣吉に所在した日本の城。
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35.小栗山館  ・平山城
小栗山館(こぐりやまやかた)は青森県弘前市小栗山にあった館(日本の城)。
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36.沢田館  ・平山城
沢田館(さわだだて)は、青森県十和田市沢田に所在した日本の城。
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37.三戸城  ・連郭式山城
三戸城(さんのへじょう)は日本の城の一つ。青森県三戸郡三戸町梅内にある。通称・留ヶ崎城。城跡は国の史跡に指定されている。
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38.七戸城
七戸城(しちのへじょう)は、青森県上北郡七戸町に所在した日本の城。別名・柏葉城。国の史跡[1]。中世から近世にかけての平山城で、七戸川支流の作田川左岸に位置し、標高40メートルの丘陵に置かれた。
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39.聖寿寺館  ・平城
聖寿寺館(しょうじゅじだて)は、青森県三戸郡南部町小向字聖寿寺に所在した日本の城。別称、本三戸城(もとさんのへじょう)。国の史跡[1]。
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40.大光寺城  ・平城
大光寺城(だいこうじじょう)は、青森県平川市大光寺にあった日本の城(平城)。
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41.高田城 (陸奥国)  ・平城
高田城(たかだじょう)は青森県青森市大字高田字日野にあった日本の城(平城)。
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42.高畑城 (陸奥国)  ・平城
高畑城(たかばたけじょう)は、青森県平川市高畑・吹上にあった戦国時代の日本の城(平城)。
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43.田子館  ・平山城(居館)
田子館(たっこだて)は、青森県三戸郡田子町田子字風張・相米字相米向に所在する日本の城跡で、南部氏の田子前館(たっこまえたて、別名・牛尾館)と佐々木(笹木)氏の田子館(たっこたて、別名・佐々木館)の2館の総称。2館は別々に町の史跡に指定されているが[1]、埋蔵文化財包蔵地としては「田子館(たっこだて)」として同一遺跡となっている[2][注釈 1]。
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44.田名部館  ・平城(居館)
田名部館(たなぶだて)は、青森県むつ市小川町に所在した日本の城[1]。中世から近世の平城で、二重の空堀が遺構として残っている。館跡は代官山公園として整備されている[3]。
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45.種里城  ・山城
種里城(たねさとじょう)は、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町種里町にあった日本の城(山城)で、国の史跡に指定されている(史跡「津軽氏城跡」のうち)[1][2]。
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46.超城合体タメノブーンV
超城合体タメノブーンV(ちょうじょうがったいタメノブーンふぁいぶ)は、2016年(平成28年)に青森県弘前市が制作した城郭をコンセプトとする市民参加型プロジェクト。およびそれに登場する巨大ロボットキャラクターである。市内5ヶ所の城(城跡を含む)が合体して「タメノブーンV」となり、敵キャラクターの「冬将軍」と戦う。
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47.中市館  ・居館
中市館(なかいちだて)は、 青森県三戸郡五戸町に所在した日本の城。五戸町指定史跡[1]。
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48.浪岡城  ・平城
浪岡城(なみおかじょう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)にかつて存在した日本の城(平城)。1460年代に浪岡北畠氏によって築城され、1578年に大浦為信に攻められ落城した[1]。1940年(昭和15年)2月10日に青森県内で初めて国の史跡に指定された[2][3]。現在は跡地の北側を青森県道27号青森浪岡線が通る。北東へと続く丘陵の南端に位置し、城の南側の急峻な崖下には浪岡川と正平津川が流れていて天然の堀と水源を兼ねていた。
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49.新井田城  ・平城(居館)
新井田城(にいだじょう)は、青森県八戸市新井田にあった日本の城。別名・新田城(にいだじょう)。
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50.根城  ・連郭式平山城
根城(ねじょう)は、日本の城。所在地は青森県八戸市根城。国の史跡に指定。日本100名城の一つ。
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51.野辺地城  ・平山城
野辺地城(のへじじょう)は、青森県上北郡野辺地町字野辺地に所在した日本の城。別名・金鶏城(きんけいじょう)。城跡は「野辺地代官所跡」として野辺地川右岸沿いの同町中央公民館敷地内に位置し、「城内」の字名が残る[1][4]。
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52.八戸城  ・平城
八戸城(はちのへじょう)は、青森県八戸市にかつて存在した日本の城(平城)である。
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53.馬場館 (陸奥国糠部郡)  ・なし
馬場館(ばばだて)は青森県三戸郡南部町小向字馬場に所在した城館跡。南部町指定史跡[1]。
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54.原子城  ・平城
原子城(はらこじょう)は青森県五所川原市大字原子字山元にあった平城。
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55.平良ヶ崎館  ・平城
座標: 北緯40度24分46秒 東経141度16分38秒 / 北緯40.41282028164度 東経141.277155928度 / 40.41282028164; 141.277155928
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56.弘前城  ・梯郭式平山城
弘前城(ひろさきじょう)は、陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町)にあった日本の城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し国の重要文化財に指定されている。また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
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57.福島城 (陸奥国鼻和郡)  ・平城
福島城(ふくしまじょう)は、青森県五所川原市相内にあった日本の城である。平城。
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58.藤崎城  ・平城
藤崎城(ふじさきじょう)は、青森県南津軽郡藤崎町藤崎にあった日本の城(平城)。安東氏発祥の地と伝えられている[2]。
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59.法師岡館  ・平山城(居館)
法師岡館(ほうしおかだて)は青森県三戸郡南部町法師岡に所在した日本の日本の城。
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60.洞内城  ・平山城
洞内城(ほらないじょう)は、青森県十和田市洞内に所在した日本の城。
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61.堀越城  ・平城
堀越城(ほりこしじょう)は、青森県弘前市堀越字川合・柏田にかつてあった日本の城。国の史跡に指定されている。
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62.元城 (陸奥国)  ・山城
元城(もとじろ)は、青森県西津軽郡深浦町に存在した日本の城(山城)。深浦町指定史跡[1]。
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63.森山館
森山館(もりやまだて)は、青森県西津軽郡深浦町森山にあった日本の城である。
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64.横内城  ・平城
横内城(よこうちじょう)は、日本の城。現在は跡地に常福院が建てられている。所在地は青森県青森市横内字亀井。別名として鏡城、堤城とも言われる。
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65.横浜館  ・平城
横浜館(よこはまだて)は、青森県上北郡横浜町舘ノ後に所在した日本の城跡。
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66.蓬田城  ・平城
蓬田城(よもぎたじょう)は青森県東津軽郡蓬田村大字蓬田字汐越にあった日本の城(平城)。中世の豪族・蓬田氏等が拠った城館で、大きく大館(おおだて)と小館(こだて)に分けられる。
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67.和徳城  ・平山城
和徳城(わとくじょう)は、青森県弘前市和徳町(わとくまち/わっとくまち)にあったとされる日本の城である。郷土料理「けの汁」発祥の地とする伝承がある[4]。
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岩手県の城

68.仙台領内古城・館
『仙台領内古城・館』(せんだいりょうないこじょう・やかた)は、仙台藩領内の城館に関し、紫桃正隆が1972年から1974年にかけて著した研究書である。古代から近世まで知られる限りの城・館1350を実地調査に基づいて紹介し、考察を加えた。全4巻。
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69.姉帯城  ・山城
姉帯城(あねたいじょう)は、岩手県二戸郡一戸町姉帯字館に所在した日本の城。一戸町指定史跡[1]。
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70.猪去館  ・城館
猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にかつて存在した日本の城。別称・猪去御所。
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71.胆沢城  ・古代城柵
胆沢城(いさわじょう/いさわのき)は、陸奥国胆沢郡(現在の岩手県奥州市水沢)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されている。
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72.石峠館  ・山城
石峠館(いしとうげだて)は、岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割に所在した日本の城。
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73.板沢館  ・山城
板沢館(いたさわたて)は岩手県遠野市上郷町板沢に所在した城館跡(日本の城)。別称 大洞館。
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74.一戸城  ・山城
一戸城(いちのへじょう)は、岩手県二戸郡一戸町に所在した日本の城。
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75.一方井城  ・城館
一方井城(いっかたいじょう)は、岩手県岩手郡岩手町に所在した日本の城。古館と新館があり、古館は別名を一本杉館・イチョウ館、新館は輪台城ともいう[2]。また新館は南部信直の出生地と伝えられている。
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76.岩崎城 (陸奥国)  ・平山城
岩崎城(いわさきじょう)は、岩手県北上市和賀町岩崎にある日本の城。領主・和賀氏一族の居城。
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77.薄衣城  ・山城
薄衣城(うすぎぬじょう)は、現在の岩手県一関市川崎町(旧川崎村)薄衣にあたる陸奥国磐井郡薄衣荘に所在した中世の日本の城。別名・葛丸城。一関市指定史跡[1]。
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78.嫗戸柵  ・城柵
嫗戸柵(うばとのさく/うばこのさく/おばこのさく)は、岩手県盛岡市内にあり蝦夷俘囚の長を名乗った安倍氏の勢力範囲最北の古代城柵である。厨川柵と連立した造りと考えられ、安倍氏の重要拠点であった。盛岡市安倍館町の「安倍館遺跡[2]」が擬定地とされていたが、現在残っている遺構は中世工藤氏の厨川城跡と考えられている[3][4]。
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79.江釣子城  ・不明
江釣子城(えずりこじょう)は、岩手県北上市に所在した日本の城。
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80.大槌城  ・山城
大槌城(おおつちじょう)は、岩手県上閉伊郡大槌町大槌城山に所在する日本の城跡(山城)。室町時代に大槌次郎が築城して以後、代々大槌氏の居城と伝わる[2]。別名は浜崎館、または古館[3]。岩手県指定史跡[1]。
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81.大迫城  ・山城
大迫城(おおはさまじょう)は、岩手県花巻市大迫町内川目第48地割に所在した日本の城。
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82.乙部館  ・平城
乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した日本の城。現在は、宅地や畑地になっている。
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83.鹿島館  ・平山城
鹿島館(かしまだて)は、 岩手県北上市上鬼柳5地割に所在した日本の城。別称は鬼柳鹿島館[2]・鬼柳城。
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84.軽米城  ・平山城
軽米城(かるまいじょう)は、岩手県九戸郡軽米町に所在した日本の城。軽米町中心街を見下ろす丘陵上にあり、軽米町役場の敷地を含む一帯を城跡とした。
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85.金田一城  ・山城
金田一城(きんだいちじょう)は、岩手県二戸市に所在した日本の城。別称「四戸城」。
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86.久慈城  ・平城
久慈城(くじじょう)は、岩手県久慈市に所在した日本の城。別称、新町館・八日館。岩手県指定史跡[1]。
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87.くず館  ・山城
くず館(くずだて)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第1地割に所在した日本の城。
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88.葛巻城  ・山城
葛巻城(くずまきじょう)は、岩手県岩手郡葛巻町田子に所在した日本の城。
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89.九戸城  ・梯郭式平山城
九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内[2]にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である[注 2]。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている[注 1]。
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90.厨川城  ・平城
厨川城(くりやがわじょう)は、現在の岩手県盛岡市安倍館町にあたる陸奥国岩手郡厨川村字館にあった日本の城である。別名・栗谷川城(くりやがわじょう)。遺跡(埋蔵文化財包蔵地)名では「安倍館遺跡(あべたていせき)」と呼ばれる[1]。平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城館である。
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91.厨川柵  ・城柵
厨川柵(くりやがわのさく)は、岩手県盛岡市内にあったとされる、俘囚の豪族安倍氏の勢力範囲最北の居館(城柵)である。中世から近世には栗谷川・栗屋河とも記される。衣川柵・嫗戸柵と並び安倍氏の重要拠点であった。同市天昌寺町付近にあったとされるが、所在地は広範囲にわたるとも見られ確実な遺構は発見されていない[2]。
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92.郡山城 (陸奥国紫波郡)  ・平山城
郡山城(こおりやまじょう)は、岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城。別称 高水寺城(こうすいじじょう)。紫波町指定史跡[1]。
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93.小軽米城  ・山城
小軽米城(こがるまいじょう)は、陸奥国糠部郡古軽米村、現在の岩手県九戸郡軽米町小軽米第10地割に所在した日本の城。
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94.十八ヶ城  ・山城
十八ヶ城(さかりがじょう)は岩手県花巻市宮ノ目字本館に存在した日本の城。別称・本館[2]。
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95.雫石城  ・平山城
雫石城(しずくいしじょう)は、岩手県岩手郡雫石町字古館に所在した日本の城。別称・雫石御所、滴石城。
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96.下田館  ・城館
下田館(しもたたて)は、岩手県盛岡市下田生出袋に所在した日本の城。
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97.十二丁目城  ・平城
十二丁目城(じゅうにちょうめじょう)は、 岩手県花巻市十二丁目に所在する日本の城跡。別称 獅子ヶ鼻城。北上川中流域の獅子ヶ鼻の台上にあり古館、上館とも称し、台地の後背地(西側)に濠があったといわれるが、いまは水田のため確認はできない。
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98.浄法寺城  ・山城
浄法寺城(じょうほうじじょう)は、岩手県二戸市浄法寺町八幡館に所在した日本の城。別称・小幡館。
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99.白鳥舘遺跡  ・中世城館
白鳥舘遺跡(しろとりたていせき)は、岩手県奥州市前沢白鳥舘地内71にある城館跡の遺跡。国の史跡に指定されている[1]。
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100.志波城  ・古代城柵
志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。
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