| 1848.飯盛城 (肥前国) |
| 飯盛城(いいもりじょう)は、長崎県佐世保市(旧肥前国松浦郡)相浦の愛宕山(別称飯盛山)にかつてあった城である。 |
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| 1849.石田城 ・海城 |
| 石田城(いしだじょう)は長崎県五島市池田町にあった日本の城。城跡は長崎県指定史跡。城内に残る五島氏庭園は国の名勝に指定されている。福江城とも記される。続日本100名城の1つ。 |
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| 1850.梶谷城 ・山城 |
| 梶谷城(かじやじょう)は、かつて肥前国松浦郡今福(現長崎県松浦市今福町東免)にあった城である。 |
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| 1851.勝本城 ・山城 |
| 勝本城(かつもとじょう)は、安土桃山時代に壱岐国壱岐郡勝本(現在の長崎県壱岐市勝本町坂本触)[1] に築かれた城である。別称風本(かざもと)城・武末城・雨瀬包(あませかね)城。国の史跡に指定されている[2]。 |
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| 1852.金石城 ・平城 |
| 金石城(かねいしじょう)は、長崎県対馬市厳原町にあった城である。市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう[1]。 |
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| 1853.金田城 ・古代山城(朝鮮式山城) |
| 金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)は、対馬国下県郡の城山(じょうやま、現在の長崎県対馬市美津島町黒瀬)にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されている。 |
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| 1854.釜蓋城 ・平山城 |
| 釜蓋城(かまぶたじょう)は、長崎県雲仙市に所在する、有馬氏家臣・千々石淡路守直員(千々石ミゲルの実父)が城主を務めた日本の城。標高154メートルの山城である。雲仙市指定史跡[1]。 |
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| 1855.玖島城 ・連郭式平山城(海城[注釈 1]) |
| 玖島城(くしまじょう)は、日本の城。所在地は長崎県大村市玖島。 |
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| 1856.桟原城 ・平城 |
| 桟原城(さじきはらじょう)または桟原屋形(さじきばるやかた)は、長崎県対馬市厳原町桟原にあった城郭で、対馬府中藩3代藩主宗義真が金石城を拡張整備したのと同時期に新築された藩主の屋形。金石城からは市街をはさんで北東隣に位置する。 |
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| 1857.三城城 |
| 三城城(さんじょうじょう)は、戦国時代から江戸時代初期に肥前国彼杵郡大村武部郷(現長崎県大村市三城町)にあった日本の城。 |
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| 1858.島原城 ・連郭式平城 |
| 島原城(しまばらじょう)は、長崎県島原市城内にあった日本の城。別名は「森岳城」や「高来城」。城跡は長崎県指定史跡に指定されている。 |
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| 1859.清水山城 (対馬国) ・山城 |
| 清水山城(しみずやまじょう)は、安土桃山時代に現在の長崎県対馬市厳原町西里の清水山(標高206メートル)に築かれた城である。国の史跡に指定されている。 |
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| 1860.鶴亀城 ・山城 |
| 鶴亀城(つるかめじょう)は、長崎県雲仙市国見町にある東西350メートル×南北450メートルの大きな山城跡である。別名、神代城、蓑鶴城。 |
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| 1861.原城 ・梯郭式平山城(海城[注釈 1]) |
| 原城(はらじょう・はるのじょう[注釈 3])は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である[1][2]。 |
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| 1862.日野江城 ・連郭式平山城 |
| 日野江城(ひのえじょう)は、肥前国高来郡有間庄(長崎県南島原市北有馬町戊谷川名)にあった城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。 |
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| 1863.平戸城 ・梯郭式平山城 |
| 平戸城(ひらどじょう)は、肥前国松浦郡平戸[注釈 1](現・長崎県平戸市)にあった城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城。 |
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| 1864.本城 (肥前国) ・山城 |
| 本城(ほんじょう)は、長崎県北松浦郡小値賀町に存在した山城。 |
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| 1865.丸木館 ・居館 |
| 丸木館(まるきやかた)は現在の長崎県長崎市に存在した館。 |
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| 1866.愛藤寺城 ・山城 |
| 愛藤寺城(あいとうじじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した城郭である。別名、矢部城ともいう。阿蘇氏は、阿蘇の南郷谷より浜町に居館「浜の館」を移し、川の対岸・小高い丘に詰めの城として岩尾城を築いた(現在の通潤橋が架かっている左岸側)が、地形的な制約から、防御力の更に強い城が別に必要であった。緑川と千滝川に挟まれ、津留の緑川海運とつながる白糸の道は、有明海の緑川河口近くにある重要な港湾「川尻」とつながるもので、当時は重要であった。この城は、津留と浜町と結ぶその延長線上にあり、南の守りと、北から攻められた時に逃げ込む城としての役目もあったと考えられる。近くには「津留が淵道」と呼ぶ「古道」があり、江戸時代には、河川を改修して、山間部で採れた米を川尻経由で大阪まで運んでいたという。 |
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| 1867.赤井城 ・平山城 |
| 赤井城(あかいじょう)は、熊本県上益城郡益城町赤井字本丸に存在した中世の平山城。 |
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| 1868.岩尾城 (肥後国) ・山城 |
| 岩尾城(いわおじょう)は、熊本県上益城郡山都町に存在した中世の日本の城(山城)。山都町指定史跡。 |
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| 1869.内牧城 ・平城 |
| 内牧城(うちのまきじょう)は熊本県に存在した中世・近世の平城。 |
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| 1870.宇土城 ・平山城 |
| 宇土城(うとじょう)は、熊本県宇土市に存在した城郭である。別名、城山、鶴城ともいう。同市神馬町にあった中世期の宇土城である、宇土古城についても併記する。 |
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| 1871.堅志田城 ・山城 |
| 堅志田城(かたしだじょう)は熊本県に存在した中世の山城。 |
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| 1872.菊池十八外城 |
| 菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)とは、肥後国菊池氏の居城であった菊池城(現在の菊池神社)を取り囲むように形成された城塞群[1]。 |
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| 1873.菊池城 ・梯郭式平山城 |
| 菊池城(きくちじょう)は、熊本県菊池市隈府にある中世の山城跡で、菊池氏の本拠であった。別名、隈府城。 |
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| 1874.木山城 (肥後国) ・平山城 |
| 木山城(きやまじょう)は、熊本県上益城郡益城町寺迫にある日本の城跡。阿蘇氏の一族である木山氏の拠った城として知られる。 |
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| 1875.木原城 (肥後国) |
| 木原城(きわらじょう)は、熊本県熊本市南区富合町に存在した城郭である。 |
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| 1876.鞠智城 ・古代山城 |
| 鞠智城(きくちじょう[1]/くくちのき[注 1])は、熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる[注 2]台地状の丘陵に築かれた[2]、日本の古代山城である。城跡は、2004年(平成16年)2月27日、国指定の史跡「鞠智城跡」に指定されている[1]。 |
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| 1877.隈庄城 ・平山城 |
| 隈庄城(くまのしょうじょう)は熊本県に存在した中世の丘城。 |
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| 1878.隈部館 ・居館 |
| 隈部館(くまべやかた)は、熊本県山鹿市菊鹿町上永野に所在する戦国時代の城館跡。永野城(ながのじょう)とも称される。肥後の有力国人・隈部氏の居館で、館跡は「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されている[1]。 |
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| 1879.熊本城 ・梯郭式平山城 |
| 熊本城(くまもとじょう)は、肥後国飽田郡熊本[1](現在の熊本県熊本市中央区)に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」[2]。 |
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| 1880.佐敷城 (肥後国) ・山城 |
| 佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。 |
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| 1881.城村城 ・平山城 |
| 城村城(じょうむらじょう)は熊本県山鹿市城字城に存在した中世の丘城。山鹿市指定史跡[1]。 |
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| 1882.竹迫城 ・連郭式平山城 |
| 竹迫城(たかばじょう)は、現在の熊本県合志市上庄にある日本の城跡。合志城とも呼ばれ、その他に蛇尾城・穴の城・上庄城の別名もある。合志市指定史跡[1]。また、城絵図が合志市指定有形文化財に指定されている[2]。 |
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| 1883.高森城 (肥後国) ・中世館 |
| 高森城(たかもりじょう)は、熊本県阿蘇郡高森町に存在した中世の城。 |
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| 1884.田中城 (肥後国) ・輪郭式平山城 |
| 田中城(たなかじょう)は、別名を和仁城とも呼ばれ、中世に熊本県旧三加和町一帯を支配した肥後国の国人和仁氏が本拠とした城。現在の熊本県玉名郡和水町和仁に位置する。天正15年(1587年)に発生した肥後国人一揆において、最後まで抗戦を続けた城のひとつである。 |
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| 1885.津森城 |
| 津森城(つもりじょう)とは、阿蘇合戦で、島津勢に徹底抗戦した、光永宗甫の居城。一回は、島津に降伏するがその後、反旗を翻して再び抗った。しかし、島津の逆襲により、陥落してしまう。 |
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| 1886.富岡城 ・梯郭式平山城 |
| 富岡城(とみおかじょう)は、肥後国天草郡(熊本県天草郡苓北町富岡)にあった城。本丸跡に熊本県富岡ビジターセンターが整備され、櫓・高麗門なども復元整備されている[1]。 |
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| 1887.長野城 (肥後国) ・平山城 |
| 長野城(ながのじょう)は熊本県に存在した中世の平山城。現在の熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野にあった。 |
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| 1888.鍋城 ・山城 |
| 鍋城(なべじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 |
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| 1889.南郷城 (肥後国) ・山城 |
| 南郷城(なんごうじょう)は、熊本県に存在した日本の城(中世の山城)。 |
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| 1890.花の山城 |
| 花の山城(はなのやまじょう)は熊本県に存在した中世の山城。 |
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| 1891.浜の館 ・城館 |
| 浜の館(はまのやかた)は熊本県上益城郡山都町に存在した中世の城館で、阿蘇氏の最盛期の中心部である。 |
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| 1892.人吉城 ・梯郭式平山城 |
| 人吉城(ひとよしじょう)は、熊本県人吉市麓町(旧・肥後国球磨郡人吉村)[1]にある日本の城(平山城跡)。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。 |
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| 1893.日渡城 ・平山城 |
| 日渡城(ひわたしじょう)は、現在の熊本県山鹿市菊鹿町下内田日渡にあった築城年代不明の丘城。江戸時代の柳川藩士・内田氏の系図では、豊後の戦国大名・大友氏の下に亡命した相良氏庶流・内田氏の肥後国での居城とされているが、『肥後国誌』あるいは『日本歴史地名大系』では隈部館または猿返城である永野城と混同されている。 |
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| 1894.古麓城 ・山城 |
| 古麓城(ふるふもとじょう)は、熊本県八代市古麓町(旧 肥後国八代郡)にあった諸城の総称、近世に名付けられた城塞群である[2]。古麓町の東側の山中に7城(曲輪)が存在したと一般に言われている[3]。 |
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| 1895.本渡城 ・山城 |
| 本渡城(ほんどじょう)は、熊本県に存在した中世の山城。 |
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| 1896.水俣城 ・平山城 |
| 水俣城(みなまたじょう)は、熊本県水俣市古城に存在した中世の丘城。 |
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| 1897.御船城 ・平山城 |
| 御船城(みふねじょう)は、熊本県上益城郡御船町に存在した中世の平山城。現在の御船町立御船小学校の南側、東西40m・南北150mの丘陵に立地していた。 |
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| 1898.麦島城 ・輪郭式平城 |
| 麦島城(むぎしまじょう)は、熊本県八代市国郡にあった安土桃山時代から江戸時代の城。2014年(平成26年)3月18日、本城跡と古麓城跡・八代城跡とを併せ、「八代城跡群」の名称で国の史跡に指定された[1][2]。 |
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| 1899.八代城 ・輪郭式平城 |
| 八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)にある日本の城である。江戸時代初期に球磨川河口の松江[5]に幕府の許可を得て建築されたことから松江城(現八代城趾)とも言う。 |
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| 1900.山鹿城 (肥後国) ・平山城 |
| 山鹿城(やまがじょう)は肥後国山鹿郡(現・熊本県山鹿市)に存在した中世の丘城。 |
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