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全国の橋

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香川県の橋

1901.鞘橋  ・香川県仲多度郡琴平町
鞘橋(さやばし)は、香川県仲多度郡琴平町を流れる金倉川に架かる橋。銅ぶき、両妻唐破風(りょうづまからはふう)、上屋根千鳥破風の屋根付橋である。
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1902.三架橋  ・香川県観音寺市
三架橋(さんかばし)は、香川県観音寺市にある鉄骨コンクリート製の橋である。財田川の下流にかかっており、海から数えて三番目の橋。 橋には香川県道21号丸亀詫間豊浜線が通り、日本百名橋にも選ばれた観音寺市を代表する名橋。三連のアーチを描く欄干が特徴。延長93m、幅員7m、当時の金額で39000円と延べ人員7000人を要している。
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1903.常磐橋 (高松市)  ・香川県高松市
常磐橋(ときわばし)とは、香川県東部の高松市栗林町1丁目に架けられている短い橋である。国の特別名勝「栗林公園」の堀に架けられており、公園の主要な入口である東門として機能している。 本項目では、この橋の前身として、かつて玉藻城外堀(現在の高松市高松中央商店街片原町・兵庫町・丸亀町3町合同ドーム付近)に架けられていた、同名の橋についても解説する。
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1904.原田高架橋
原田高架橋(はらだこうかきょう)は、香川県丸亀市原田町の国道11号に架かる高架橋である。国土交通省の交差点立体化工事としては初めて急速施工立体交差工法を採用した[1][2]。 香川県丸亀市原田町
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1905.岩黒島高架橋  ・香川県坂出市
岩黒島高架橋(いわくろじまこうかきょう)は、香川県坂出市岩黒島内に架かる道路鉄道併用の高架橋。瀬戸大橋の一部を成す。 櫃石島橋 - 岩黒島高架橋 - 岩黒島橋
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1906.岩黒島橋  ・香川県坂出市岩黒 - 坂出市与島町
岩黒島橋(いわくろじまばし)は、瀬戸大橋海峡部の内、北から3番目にある橋。
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1907.北備讃瀬戸大橋  ・香川県坂出市与島町(与島-三つ子島)
北備讃瀬戸大橋(きたびさんせとおおはし)は、瀬戸大橋海峡部の南から2番目にある橋。
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1908.栄橋 (坂出市)  ・香川県坂出市
栄橋(さかえばし)は、香川県坂出市入船町の日清製粉坂出工場正門前運河に架設された跳上橋[1]である。可動橋の第一人者である山本卯太郎の設計である。
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1909.番の州高架橋  ・香川県坂出市
番の州高架橋(ばんのすこうかきょう)は、瀬戸大橋海峡部最南端の橋。南備讃瀬戸大橋と繋がり、四国側陸上部分へと続く約3kmの高架橋である。『大橋』とは付いていないが、全長は一番長い。
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1910.櫃石島橋  ・香川県坂出市櫃石 - 坂出市岩黒
櫃石島橋(ひついしじまばし)は、瀬戸大橋海峡部のうち、北から2番目にある橋。
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1911.櫃石島高架橋  ・香川県坂出市櫃石
櫃石島高架橋(ひついしじまこうかきょう)は、香川県坂出市櫃石島内に架かる道路鉄道併用の高架橋。瀬戸大橋の一部を成す。 下津井瀬戸大橋 - 櫃石島高架橋 - 櫃石島橋
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1912.南備讃瀬戸大橋  ・香川県坂出市与島町 - 坂出市番の州緑町
南備讃瀬戸大橋(みなみびさんせとおおはし)は、瀬戸大橋海峡部最南端の橋。
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1913.与島高架橋  ・香川県坂出市
与島高架橋(よしまこうかきょう)は、香川県坂出市与島内に架かる道路鉄道併用の高架橋。瀬戸大橋の一部を成す。
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1914.与島橋  ・香川県坂出市与島町(羽佐島 - 与島)
与島橋(よしまばし)は、瀬戸大橋海峡部の内、南から3番目にある橋。
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愛媛県の橋

1915.多々羅大橋  ・起点側:広島県尾道市瀬戸田町垂水終点側:愛媛県今治市上浦町井口[1]
多々羅大橋(たたらおおはし)は、広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島を繋ぐ道路橋。瀬戸内海の島々を結ぶ西瀬戸自動車道「しまなみ海道」を構成する。1998年全建賞道路部門受賞、同年土木学会田中賞作品部門受賞[1]。
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1916.岡村大橋  ・起点側:広島県呉市豊町大長 - 終点側:愛媛県今治市関前岡村[1]
岡村大橋(おかむらおおはし)は、広島県呉市の中ノ島と愛媛県今治市の岡村島を繋ぐ道路橋。
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1917.生名橋
生名橋(いきなはし)は、愛媛県上島町の生名島と佐島との間に架かる橋梁。上島架橋構想の一環で、2番目に着工、完成した。斜張橋。2011年7月開通。平成23年度土木学会田中賞を受賞した。
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1918.岩城橋  ・愛媛県越智郡上島町
岩城橋(いわぎばし)は、愛媛県越智郡上島町の瀬戸内海に架かり、生名島と岩城島を結ぶ愛媛県道338号岩城弓削線の橋長916 m(メートル)の斜張橋。
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1919.上島架橋
上島架橋(かみじまかきょう)は、愛媛県越智郡上島町の岩城島を起点とし生名島、佐島を経て弓削島へと至る、愛媛県道338号岩城弓削線(延長約6.1 km)に架けられる弓削大橋、生名橋、岩城橋の3橋の総称である。2014年に「ゆめしま海道」の愛称が制定された[1]。
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1920.九島大橋  ・宇和島市
九島大橋(くしまおおはし)は、愛媛県宇和島市にある九島に架かる橋。水深約30 mに設置されベルタイプ式橋脚基礎の設置水深として日本最大規模である[1]。
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1921.長浜大橋
長浜大橋(ながはまおおはし)は、愛媛県大洲市の肱川河口にある道路橋。全体が赤く塗られていることから、地元では「赤橋」の愛称で親しまれている。2009年に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された。2014年12月10日に国の重要文化財に指定された[1]。
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1922.弓削大橋
弓削大橋(ゆげおおはし)は、愛媛県の弓削島と佐島との間に架かる橋梁。上島架橋構想の一環で、最初に着工、完成した。斜張橋。1996年3月開通。 越智郡弓削町(現・同郡上島町)は、愛媛県の東北端に位置し、広島県境に接する、弓削島・佐島・他2つの島からなる。しかしながら、離島であることから、社会的にも経済的にも多くの課題を抱えていた。佐島(当時人口約900人)では、弓削町の中心地であり、役場もある弓削島と海峡を隔てていることから、受療、就学など生活、経済活動の面で大きな支障があった。このため、弓削島と佐島とを結ぶ架橋は、島民の長年の悲願であった。 この実現に向け、愛媛県と弓削町では1989年度(平成元年度)より「弓削大橋建設事業」を事業化し、詳細な調査や計画を進め、1990年度(平成2年度)から主橋梁の下部工事に着工し、1996年(平成8年)3月開通した。
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1923.大島大橋 (愛媛県)  ・愛媛今治市
大島大橋(おおしまおおはし)は、愛媛県の大島と見近島を結ぶ吊橋。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。伯方橋と一体になっていて、一般的には「伯方・大島大橋」と呼ばれる。単径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 座標: 北緯34度11分31.9秒 東経133度4分21.3秒 / 北緯34.192194度 東経133.072583度 / 34.192194; 133.072583
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1924.大三島橋
大三島橋(おおみしまばし、「おおみしまきょう」とも)は、瀬戸内海の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋である。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成し、伯方島と大三島を結ぶ。
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1925.来島海峡大橋  ・大島-四国間
来島海峡大橋(くるしまかいきょう おおはし)は、愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋で、来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋の総称である。本州四国連絡橋の尾道・今治ルートを構成する橋の1つ。 3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊橋であり[2]、全長は4105 mである。中央が西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で北側に自転車歩行者道、南側にバイク道を併設している。
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1926.来島海峡第一大橋
来島海峡第一大橋(くるしまかいきょうだいいちおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の1番目の橋として愛媛県今治市の大島と同市武志島を結び、しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。3径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 座標: 北緯34度7分31秒 東経133度0分40秒 / 北緯34.12528度 東経133.01111度 / 34.12528; 133.01111
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1927.来島海峡第二大橋
来島海峡第二大橋(くるしまかいきょうだいにおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の2番目の橋として、愛媛県今治市の下田水港沖にある海上アンカーブロック4Aと馬島を結び、しまなみ海道の一部を構成する。2径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 一般的に吊橋は、明石海峡大橋のように主塔間と両端部の桁をともにハンガーロープで吊す3径間のものか、下津井瀬戸大橋のように両端部の桁を吊さない単径間のものが多いが、来島海峡第二大橋は片端(馬島側)の桁のみを吊さない2径間となっているのが大きな特徴である。 座標: 北緯34度7分17秒 東経133度0分2秒 / 北緯34.12139度 東経133.00056度 / 34.12139; 133.00056
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1928.来島海峡第三大橋
来島海峡第三大橋(くるしまかいきょうだいさんおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の3つ目の橋で、愛媛県今治市と今治市馬島を結び、しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成している。自動車の他、自転車・歩行者も通行が可能。 構造は単径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋で、世界15位、日本3位の長大橋である。 座標: 北緯34度6分56秒 東経132度59分8秒 / 北緯34.11556度 東経132.98556度 / 34.11556; 132.98556
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1929.伯方・大島大橋
伯方・大島大橋(はかたおおしまおおはし)は、西瀬戸自動車道(しまなみ海道、国道317号バイパス)を構成する10の橋のうちの、一体構造になっている伯方橋と大島大橋の総称である。
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1930.伯方橋  ・愛媛今治市
伯方橋(はかたばし)は、伯方島と見近島を結ぶ道路橋。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。大島大橋と一体になっていて、一般的に「伯方・大島大橋」と呼ばれる。3径間連続鋼箱桁橋。
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高知県の橋

1931.浦戸大橋
浦戸大橋(うらどおおはし)は、高知県高知市の浦戸湾にかかる延長1480 mの橋である。1972年に完成[1]。歩道も併設されている。1972年土木学会田中賞受賞[2]。
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1932.純信橋  ・高知県土佐市
純信橋(じゅんしんばし)は、国道56号に架かる橋である。なお、土佐市には同名の橋が当該橋と四国横断自動車道阿南四万十線[4]、土佐市道家俊馬越市野々線[5]の計3箇所ある。 この橋は、高知県土佐市市野々にある桁橋で[3]、橋名は純信の生家が架橋地点にあったことが由来である[3]。1960年(昭和35年)3月に完成した。また、歩行者用の純信橋側道橋も1994年度(平成6年度)に増設されており、はりまや橋風の欄干が設置されている。 この橋が設計された1959年(昭和34年)当時の日本では、斜桁橋は斜角を考慮した設計はされていなかった。そこで交差対象(波介川)に対して30度で交わる、かなり斜角のきつい当橋は、成岡昌夫らの提唱する直交異方性平行四辺形板の数値解析に基づく合成直格子斜桁橋として設計された[3]。完成後、載荷試験が行われ有意な結果を得られたとして、土木学会誌に「純信橋(合成直格子斜桁橋)の研究-直交異方性平行四辺形板理論の応用」が報告されている[3]。また、技術誌スタールバウでも発表された。
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1933.手結港可動橋
手結港可動橋(ていこうかどうきょう)は、高知県香南市夜須町手結の跳開式可動橋で正式には高知県手結港臨港道路可動橋。手結港のシンボルである[1]。
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1934.仁淀川河口大橋  ・高知市 - 土佐市間
仁淀川河口大橋(によどがわかこうおおはし)は、高知市と土佐市を結ぶ高知県道23号須崎仁ノ線(黒潮ライン)上に架かる橋である。
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1935.仁淀川橋 (国道33号)  ・高知県吾川郡いの町
仁淀川橋(によどがわばし)は、高知県吾川郡いの町の仁淀川に架かる、国道33号旧道の橋である。現在の橋は恒久的な橋としては2代目で、1930年(昭和5年)に架設された。
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1936.播磨屋橋  ・高知県高知市はりまや町一丁目
播磨屋橋(はりまやばし)は、高知県高知市はりまや町一丁目にある道路橋で、長さ約20mの桁橋である。通称は、ひらがなではりまや橋と表記される場合が多い[1][2][3][4]。
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福岡県の橋

1937.若戸大橋  ・福岡県北九州市(戸畑区 - 若松区間)
若戸大橋(わかとおおはし)は、福岡県北九州市洞海湾にかかる戸畑区と若松区を結ぶ橋[2]。かつては日本道路公団が建設し、北九州市道路公社が管理していた有料道路の名称でもあったが、2018年12月1日に無料化された。現在は全線が国道199号に属する。戦後日本の長大橋の始まりである西海橋の架橋技術を用い[3]、建設当時は東洋一の吊橋だった。ETCは北九州高速道路への乗継ぎの場合のみ利用可能であった。国の重要文化財に指定されている。
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1938.荒津大橋  ・福岡県福岡市中央区
荒津大橋(あらつおおはし)は、福岡北九州高速道路公社による、福岡市中央区の那の津三丁目と荒津一丁目の間の博多漁港の博多港に架かる斜張橋である。1987年(昭和62年)に完成し、1988年(昭和63年)10月に開通した[1][2]。
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1939.海の中道大橋  ・福岡県福岡市東区
海の中道大橋(うみのなかみちおおはし)は、博多湾に架かるアーチ橋である。
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1940.香椎かもめ大橋  ・ 福岡県福岡市
香椎かもめ大橋(かしいかもめおおはし、愛称:シーガルブリッジ)は、博多港・多々良川河口に架かる片側3車線の橋梁である。福岡市東区の箱崎ふ頭4丁目と香椎浜3丁目(香椎パークポート)とを結ぶ。福岡市内の橋梁では最も長い。
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1941.名島橋  ・福岡県福岡市東区
名島橋(なじまばし)は、福岡県福岡市東区の多々良川に架かる国道3号の道路橋梁。 名島水上飛行場設置に伴う道路整備の一環として多々良川に架橋された、7つのアーチを描く鉄筋コンクリート橋である。全長204m、全幅24m、片側3車線で通行量は1日約6万台。新潟県新潟市中央区の信濃川に架かる萬代橋と構造、架橋時期が近く、1994年(平成6年)に萬代橋架橋65周年、名島橋架橋60周年を記念して、両橋間で兄弟縁組が成立した。2004年(平成16年)10月には社団法人土木学会より土木学会選奨土木遺産に認定、2018年(平成30年)5月10日には国の登録有形文化財に登録された。
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1942.みなと大橋
みなと大橋は、福岡市の那珂川に架かる全長約180mの桁橋である。 北緯33度36分10秒 東経130度23分50秒 / 北緯33.60278度 東経130.39722度 / 33.60278; 130.39722座標: 北緯33度36分10秒 東経130度23分50秒 / 北緯33.60278度 東経130.39722度 / 33.60278; 130.39722に位置し、福岡市博多区築港本町と同市中央区那の津3丁目とを結ぶ。 中央の福岡高速1号線(4車線)と側道(一方通行の1車線と歩道が組み合わさった橋が2本)の計3本の橋で構成され、それらの橋脚は一体化している。
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1943.関門橋  ・山口県下関市福岡県北九州市門司区
関門橋(かんもんきょう)は、山口県下関市と福岡県北九州市門司区の間の関門海峡を跨ぐ道路橋である。全長は1068メートルで、本州と九州を結ぶ陸路の輸送力を拡張するため1973年(昭和48年)11月14日に開通した[1]。この橋梁を含む区間の高速道路(高速自動車国道)の通称でもあり、西日本高速道路(NEXCO西日本)が管理している[1]。 関門海峡には関門橋とは別に3本の海底トンネルも設けられている(国道2号の関門トンネルと、鉄道用に山陽本線の関門トンネルおよび山陽新幹線の新関門トンネル)。
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1944.秋月目鏡橋
秋月目鏡橋(あきづきめがねばし)とは福岡県朝倉市秋月の野鳥川に架かる石造アーチ橋である。花崗岩使用は国内でも珍しく、昭和31年4月県指定有形文化財(建造物)に指定されている。
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1945.内田三連橋梁
内田三連橋梁(うちださんれんきょうりょう)は、福岡県田川郡赤村大字内田にある平成筑豊鉄道田川線の鉄道橋である。内田川橋梁、地元では「みつあんきょ」とも呼ばれている。
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1946.朧大橋  ・福岡県八女市上陽町下横山
朧大橋(おぼろおおはし)は、福岡県八女市上陽町下横山に位置する八女市道の橋である[1]。福岡県内では最大のアーチ橋である[2]。
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1947.熊野神社の眼鏡橋
熊野神社の眼鏡橋(くまのじんじゃのめがねばし)は、福岡県筑後市熊野にある熊野神社の参道に架かっている石橋。1697年(元禄10年)に開通したと思われ、眼鏡橋としては、大牟田市の早鐘眼鏡橋に次いで福岡県内で2番目に古いとされる。長さ5.25m、幅3.01mの眼鏡橋としては小さな橋である。1982年(昭和57年)に福岡県指定有形文化財となっている。
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1948.新北九州空港連絡橋  ・福岡県北九州市小倉南区福岡県京都郡苅田町
新北九州空港連絡橋は、福岡県北九州市小倉南区と同県京都郡苅田町に跨る北九州空港(新門司沖土砂処分場・苅田沖土砂処分場)と、空港対岸部の苅田港新松山地区(新松山臨海工業団地)を結ぶ福岡県道245号新北九州空港線の道路橋(海上橋)。九州本土から北九州空港へアクセスする唯一の手段である。橋長は2,100mで、2006年の開通から2015年1月31日に沖縄県の伊良部大橋が開通するまで、通行料無料の橋として日本最長であった[3]。2006年度土木学会田中賞受賞。 設計はスピングラス・アーキテクツが担当し、アーチ部分は頂部に向かって六角形に変形していくという、ねじれたデザインが採用された。また、橋の本土側入口周辺部分は「人が訪れたくなる公共空間」として、公園として使えるように整備され、展望所として供用されている。現在、連絡橋は空港を利用する車やバスの往来だけでなく、散策やランニングが楽しめる人気コースとなっている[4]。
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1949.筑後ループ橋
筑後ループ橋(ちくごループきょう)は、福岡県筑後市の福岡県道706号筑後城島線に存在する橋である。 正式名称は筑後陸橋。1969年、国道442号の橋として完成。鹿児島本線羽犬塚駅のすぐ南側に位置し、同線を横断するループ橋であり、福岡県内では初めてのループ橋である。2011年現在はループ橋の真上を九州新幹線が通過している。開通当初は国道442号所属であったが、2013年5月25日に国道442号八女筑後バイパスが開通した際に道路区画の変更が施され、福岡県道706号に降格した。
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1950.長門石橋
長門石橋(ながといしばし)は、福岡県久留米市を流れる筑後川にかかる橋。久留米市長門石と同市京町を結んでおり、佐賀県道・福岡県道145号江口長門石江島線[1]、久留米市道長門石城南A1号線の路線の一部である[2]。 長門石橋は1974年(昭和49年)に架設された、橋長377.0m、幅員12.8mの橋である[2]。形式は5径間連続ラーメン箱桁[1]。 2車線で橋の両側に歩道を有する。橋の長門石側の長門石橋西交差点は、長門石橋の通りが優先となっているため、交差する道路は赤信号の時間がかなり長いために、交差する通りの渋滞が慢性化している。佐賀方面から都心方面へは右折する必要がある上に右折専用レーンがないため、1回の青信号で2、3台しか通行できないことが多い。
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1951.早鐘眼鏡橋
早鐘眼鏡橋(はやがねめがねばし)は福岡県大牟田市にある石造眼鏡橋である。 1674年(延宝2年)に灌漑用の水路橋として三池藩により作られた。高さ11.2m、幅3.15m。現存する最古の石造水路橋として、国指定の重要文化財になっている。 座標: 北緯33度01分11秒 東経130度27分36秒 / 北緯33.01981度 東経130.46006度 / 33.01981; 130.46006
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1952.船小屋観光橋
船小屋観光橋(ふなごやかんこうきょう)は福岡県の矢部川に架かる流れ橋。1963年(昭和38年)に船小屋温泉と対岸の中ノ島公園を結ぶ散策路として架けられた[1]。筑後市とみやま市にまたがる木製の橋で、歩くとガタガタと鳴ることから、「ガタガタ橋」「がたがた橋」と呼ばれている。橋は橋桁と鉄製のロープで結ばれ、大雨で浮くようになっている[1]。橋長59.5m、幅1.2m、水面からの高さ1.4m。 2007年(平成19年)の大雨で流され[1]、橋脚が残っている[2]。 座標: 北緯33度10分57.7秒 東経130度30分21.3秒 / 北緯33.182694度 東経130.505917度 / 33.182694; 130.505917
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1953.矢部川大橋  ・福岡県みやま市 - 柳川市
矢部川大橋(やべがわおおはし)は、福岡県みやま市高田町と柳川市大和町の間を流れる矢部川にかかる有明海沿岸道路(国道208号高田大和バイパス)の橋である。 主塔間の距離(橋脚間の長さ)261mは、コンクリート製斜張橋としては日本一の長さである。
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1954.北九鞍手夢大橋  ・福岡県北九州市・鞍手町
北九鞍手夢大橋(きたきゅうくらてゆめおおはし)は、福岡県北九州市八幡西区と同県鞍手郡鞍手町の境界部の遠賀川に架かる道路橋である。
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1955.茶屋町橋梁
茶屋町橋梁(ちゃやまちきょうりょう)は、福岡県北九州市八幡東区茶屋町にある旧・鉄道院大蔵線の鉄道橋(廃橋)である。なお、正式名称は茶屋川橋梁である。
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1956.常盤橋 (紫川)  ・福岡県北九州市
常盤橋(ときわばし)は、福岡県北九州市小倉北区の紫川に架かる橋で、日本百名橋に選ばれた。長崎街道、唐津街道、中津街道、秋月街道、門司往還の起・終点でもあった。
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1957.中の橋
中の橋(なかのはし)は福岡県北九州市を流れる二級河川 紫川に架かる橋である。1992年5月に完成した。通称「太陽の橋」。長さ79.2m、幅員36.0 - 43.0m[1]。
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佐賀県の橋

1958.伊万里湾大橋  ・佐賀県伊万里市
伊万里湾大橋(いまりわんおおはし)は、佐賀県伊万里市の伊万里港内にあり、同市山代町楠久と瀬戸町を結ぶ橋(アーチ橋、一部鉄筋コンクリートラーメン橋)である。
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1959.外津橋  ・東岸:佐賀県唐津市鎮西町串西岸:佐賀県玄海町今村
外津橋(ほかわづばし)は、佐賀県唐津市鎮西町と玄海町を隔てる外津浦にかかる、国道204号の橋である。世界で初めてとなるトラス張出し工法によって造られたアーチ橋であり、橋長は252メートルである。1974年(昭和49年)全建賞および土木学会田中賞作品部門を受賞している。 同じ国道204号で東隣に名護屋大橋の建設が進む中で、同橋とは異なる新しい形式が提案された。前述工法の利点としては、従来のピロン工法が用いるピロン(仮設柱)仮設やバランスをとるための橋台側斜材の張力管理が不要になり、作業性も良く、斜材支持のための大規模な足場も不要なことなどが挙げられた。1972年(昭和47年)4月に着工。工事が進められるに従い、せり出したアーチリブを目にした住民の中には「崩れ落ちてしまうのではないか」と不安を抱く者もいたというが、1974年(昭和49年)5月1日無事竣工に至った[1][2]。
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1960.呼子大橋  ・佐賀県唐津市
呼子大橋(よぶこおおはし)は、佐賀県唐津市の離島である加部島と九州本土を結ぶ市道「呼子大橋線」[1]の道路橋。昭和63年度土木学会田中賞受賞[2]、プレストレストコンクリート技術協会作品賞受賞[2]。平成元年度農業土木学会上野賞受賞[2]。
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1961.大川橋 (福岡県)  ・福岡県大川市・佐賀県佐賀市
大川橋(おおかわばし)は、福岡県大川市・佐賀県佐賀市の筑後川に架かる国道208号の道路橋。1955年に完成。中州の大中島を挟んで架かる諸富橋(もろどみばし)とともに、県境を跨いで両市を結ぶ[1][2]。
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1962.筑後川昇開橋
筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、Chikugo River Lift bridge)は、日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町(廃線時・佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。佐賀線の廃線後も保存され、現在は歩道橋として活用されている。旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)として重要文化財および機械遺産に指定されている。
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1963.天建寺橋  ・右岸:佐賀県みやき町天建寺左岸:福岡県久留米市大善寺
天建寺橋(てんけんじばし)は、佐賀県三養基郡みやき町と福岡県久留米市との間を流れる筑後川にかかる、佐賀県道・福岡県道138号西島筑邦線のPC斜張橋である。
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1964.豆津橋  ・右岸:福岡県久留米市大石町左岸:佐賀県みやき町江口
豆津橋(まめづばし)とは、福岡県久留米市と佐賀県みやき町の間を流れる筑後川にかかる国道264号の橋である。
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長崎県の橋

1965.鷹島肥前大橋  ・西岸:長崎県松浦市鷹島町神崎免東岸:佐賀県唐津市肥前町星賀
鷹島肥前大橋(たかしまひぜんおおはし)は、日比水道をまたぎ、佐賀県唐津市肥前町星賀と長崎県松浦市鷹島町神崎免を結ぶ長崎県道・佐賀県道109号鷹島肥前線の橋である。
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1966.福島大橋 (佐賀県・長崎県)
福島大橋(ふくしまおおはし)は、佐賀県伊万里市から長崎県松浦市の福島までを結ぶ橋である。タツノ瀬戸(伊万里湾)に架かる橋である。 福島と九州本島を結ぶ唯一の道路である長崎県道・佐賀県道103号喜内瀬鍋串辻線の一部を構成している。通行料無料。 座標: 北緯33度22分23秒 東経129度51分27秒 / 北緯33.37314度 東経129.85758度 / 33.37314; 129.85758
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1967.伊王島大橋  ・長崎県長崎市香焼町 - 伊王島町(沖ノ島)間
伊王島大橋(いおうじまおおはし)は、長崎市伊王島町沖ノ島と長崎市香焼町を結ぶ道路橋である。2011年(平成23年)3月27日より供用を開始した[1]。
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1968.生月大橋  ・平戸市春日町-同市生月町南免間
生月大橋(いきつきおおはし)は、長崎県平戸市の平戸島と生月島を両島を隔てる辰の瀬戸を跨いで連絡する道路橋(トラス橋)である。この橋の開通で離島だった生月島は平戸島と平戸大橋を通じて九州本土とつながった。 全区間を生月大橋有料道路の一部として長崎県道路公社が管理していたが、2010年4月1日より無料開放された[1]。 総工費約46億円。2004年度の通行台数921,920台。
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1969.大島大橋 (長崎県)  ・長崎県西海市
大島大橋(おおしまおおはし)は、長崎県西海市にあり、西彼杵半島と同市大島町の寺島を結ぶ斜張橋である[1]。寺島からは寺島大橋を経て大島へいたる。 1999年11月に供用開始し長崎県道路公社が大島大橋有料道路として管理していたが、2011年4月に無料開放された。
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1970.観潮橋
観潮橋(かんちょうばし)とは、長崎県佐世保市早岐2丁目と、針尾島に位置する有福町を結ぶトラス橋である。 外洋との出入り口が2つしかない閉鎖性海域の大村湾。2つの出入り口のうち、早岐瀬戸の最も狭い場所に架けられている橋である(もうひとつの出入り口、針尾瀬戸にかかるのが、西海橋と新西海橋である)。 外洋との干満の差から、桁下の潮の流れは急であり、満ち潮、引き潮のたびに、右に左に潮の流れが変わる。そういった潮の流れを眺めることができることから「観潮橋」と名づけられた。近年では、この急流を楽しむカヌー愛好家の姿が見られる様になった。 奈良時代には、川でもないのに、水が流れるような急流が生じることから、『肥前国風土記』には「早来の瀬戸」と記された。後に「早来(はやき)」が転じ、周辺の地名が「早岐(はいき)」になったといわれている。また、江戸時代には当時の早岐を治めていた平戸藩主の松浦熈により平戸八景の1つ「潮目」として入れられている。
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1971.銕橋
銕橋(くろがねばし)は、長崎市の中島川に架かる橋。国道324号の一部。河口から数えて6番目の橋で、「てつばし」の愛称で親しまれている[1]。
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1972.西海橋  ・佐世保市-西海市間
西海橋(さいかいばし)は、長崎県佐世保市針尾島と西海市西彼町の間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)に架かるアーチ橋である。完成当時は固定アーチ橋としては世界で三番目の長さを誇り、東洋一と評された[1]。潮の流れが速く工事が困難な海峡での設計と使われた鋼橋製作・架設技術が卓越していたことから、戦後日本の長大橋建設の原点・日本の橋梁技術発展の起点と言われる[2][3]。2020年に国の重要文化財に指定[4][5]。
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1973.幸橋 (平戸市)
幸橋(さいわいばし)は、長崎県平戸市岩の上町の鏡川に架かるアーチ橋(石橋)。国の重要文化財に指定されている。別名、オランダ橋[1]。
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1974.佐世保橋
佐世保橋(させぼばし)は、長崎県佐世保市の佐世保川に架かる橋である。別称海軍橋(かいぐんばし)。
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1975.新西海橋
新西海橋(しんさいかいばし)は、長崎県佐世保市の針尾島と西海市との間にある伊ノ浦瀬戸(針尾瀬戸)にかかる橋梁である。後述するように、建設時の仮称は第二西海橋であったため[1]、地元ではそのまま「第二西海橋」と呼ばれることも多い。 鋼中路ブレースドリブアーチ橋の主橋部と、PC4径間連続ラーメン箱桁橋の入江部からなる。2006年3月5日に開通した。初代西海橋と並行しているため、西海橋からもその姿を見ることができる。橋下には潮の流れの速さで有名な針尾瀬戸が流れ、渦潮などを見ることが出来る。また、近くには真珠湾攻撃の指令を発信したとされる針尾送信所無線塔があり、桁下の歩行者専用道にある展望台から見ることが出来る。
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1976.第一江迎川橋梁
第一江迎川橋梁(だいいちえむかえがわきょうりょう)は、長崎県佐世保市江迎町上川内と同市鹿町町深江潟の境界(松浦鉄道西九州線すえたちばな駅 - 江迎鹿町駅間)となる江迎川に架かる単線鉄道橋である。 国鉄伊万里線(後の松浦線、現松浦鉄道西九州線)の延伸に伴い建設されたもので、1939年(昭和14年)1月25日の平戸口(現たびら平戸口) - 潜竜(現潜竜ヶ滝)間の開業時に供用開始された。 江迎駅(現江迎鹿町)と同線最長となる田代トンネル(延長1,370m)の間に位置する地形上の事情と江迎川の船舶航行を妨げないことが求められたため、全国でも例の少ない半径400mのカーブと25パーミルの下り勾配(江迎駅方向)を同時に有する特徴的な橋梁となった。
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1977.出島橋
出島橋(でじまばし)は、長崎県長崎市にある中島川に架かる橋。河口から数えて3番目の橋で、出島町と江戸町を結ぶ。現役の鉄製道路橋としては日本最古といわれている。国指定史跡である出島和蘭商館跡の東側にある。
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1978.日見夢大橋  ・長崎県長崎市芒塚町
日見夢大橋(ひみゆめおおはし)は、長崎県長崎市に架かる長崎自動車道の橋である。 1982年(昭和57年)11月17日に長崎多良見IC - 大村ICが開通、1990年(平成2年)1月26日には長崎多良見IC - 鳥栖JCT間が結ばれた長崎自動車道は、全線開通を目指し長崎多良見IC - 長崎IC間の建設が進められた。このうち長崎多良見IC - 長崎芒塚IC間の日見夢大橋は2000年(平成12年)12月に着工[1]。2004年(平成16年)3月27日に長崎多良見IC - 長崎IC間が暫定2車線で開通した。本橋の建設時の仮称は「日見橋」であったが[4]、長崎市立日見小学校3年生(当時)の女子児童により「日見夢大橋」と命名された[5]。本橋は2004年度に土木学会田中賞[6]およびプレストレストコンクリート技術協会作品賞[7]を受賞している。
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1979.平戸大橋  ・平戸市岩の上町-同市田平町小手田免間
平戸大橋(ひらどおおはし)は、長崎県平戸市にある平戸島と本土部を隔てる平戸瀬戸に架かる吊橋である。
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1980.福井川橋梁
福井川橋梁(ふくいがわきょうりょう)は、長崎県佐世保市吉井町直谷と同市江迎町田ノ元の境界(松浦鉄道西九州線の潜竜ヶ滝駅~吉井駅間)となる福井川(佐々川支流)に架かる単線鉄道橋である。2006年(平成18年)9月、同駅間にある他の2本の橋梁とともに国の登録有形文化財に登録され、また長崎県のまちづくり景観資産にも指定されている。
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1981.箕島大橋  ・長崎県大村市
箕島大橋は、長崎県大村市と大村湾の沖合にある箕島(長崎空港)を結ぶ、長崎県道38号長崎空港線の道路橋(海上橋)である。建設当時の仮称は「大村空港大橋」であった[1]。 周囲7キロほどの小島であった箕島を世界初の海上空港「長崎空港」として造成する中で同時並行で架けられ、箕島と本土が初めて結ばれた。全長970メートル、片側1車線で歩道もある[2]。 1990年9月、長崎市で開催された「'90長崎旅博覧会」に合わせ、エールフランスの超音速旅客機「コンコルド」が長崎空港に飛来した際、箕島大橋はコンコルドを一目見ようと歩いて渡る人や車であふれ、長崎空港の運営会社「長崎空港ビルディング」の職員によると「橋を渡りきるまで1時間以上かかった」という[2]。
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1982.眼鏡橋 (諫早市)
眼鏡橋(めがねばし)とは長崎県諫早市高城町の諫早公園内の池に架かる石造二連アーチ橋である。石橋としては日本で初めて国の重要文化財に指定された。
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1983.眼鏡橋 (長崎市)
眼鏡橋(めがねばし)は、長崎市の中島川に架かる石造二連アーチ橋である。架橋時、琉球王国だった天女橋を除くと、日本初の石造りアーチ橋である[1][2]。1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定された[3]。
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1984.女神大橋  ・長崎市
女神大橋(めがみおおはし)は、長崎県長崎市の長崎県道51号長崎南環状線および臨港道路女神大橋線[1]にある斜張橋。両側に歩道が設けられている(自転車通行と共用)。 長崎港の港口に架かる。ながさき女神大橋道路区間である。
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熊本県の橋

1985.種山石工
種山石工(たねやまいしく)とは、江戸後期、熊本藩八代郡種山手永(現熊本県八代市東陽町)に居住していたとされる石工の技術者集団。その末裔や弟子などが、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて、熊本県内はもとより県外にも、多数の目鑑橋を架けた。 種山石工の歴史や資料を展示する資料館として 石匠館が熊本県八代市にある。
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1986.阿蘇大橋  ・熊本県阿蘇郡南阿蘇村
阿蘇大橋(あそおおはし)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野と南阿蘇村河陽字黒川の国道325号の黒川をまたぐところに架橋されていた橋。通称・赤橋[8][9]。2016年(平成28年)の熊本地震で落橋したため2021年(令和3年)に新阿蘇大橋(しんあそおおはし)に架け替えられた。
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1987.阿蘇長陽大橋  ・熊本県阿蘇郡南阿蘇村
阿蘇長陽大橋(あそちょうようおおはし)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村に所在し黒川に架かる、村道栃木-立野線を通す全長276.0メートルの橋である。形式は、PC4径間連続ラーメン箱桁橋である。 4径間連続のラーメン橋で、深い谷間に3本の壁式中空橋脚を建てている。支間割は39.3メートル、91.0メートル、91.0メートル、53.3メートルである。もっとも高さの高い中央の橋脚(第2橋脚)は基礎から桁下まで73メートルの高さがある[2]。 白川に黒川が合流する地点のやや下流側に、白川による洪水被害を防ぐ治水目的のダムとして、立野ダムが計画された[3]。この際に、ダム本体工事に必要な資材や本体基礎掘削で発生した土砂を運ぶ道路として、立野ダム工事用道路の第2工区が建設され、その道路が黒川を跨ぐところに阿蘇長陽大橋が架設された[4]。開通は1997年(平成9年)3月21日である[1]。
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1988.天草五橋  ・熊本県天草市
天草五橋(あまくさごきょう)は、熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島までを5つの橋で結ぶ宇城市から上天草市にかけての連絡道路である[1]。1966年(昭和41年)9月24日に開通した。
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1989.天草瀬戸大橋  ・熊本県天草市
天草瀬戸大橋(あまくさせとおおはし)は、熊本県天草市にある本渡瀬戸に架かる道路橋である。本項では、並行している天草未来大橋(第2天草瀬戸大橋)および同じ本渡瀬戸にかかる本渡瀬戸歩道橋についても記述する。
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1990.鮎の瀬大橋
鮎の瀬大橋(あゆのせおおはし)は、熊本県上益城郡山都町にある緑川農免農道[1]の橋。
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1991.牛深ハイヤ大橋  ・熊本県天草市
牛深ハイヤ大橋(うしぶかハイヤおおはし)は、熊本県天草市牛深湾に架かる長さ883mの橋。
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1992.雄亀滝橋
雄亀滝橋(おけだけばし、おけだきばし)は熊本県美里町石野に架かる江戸時代後期のアーチ型水路橋[1]。県指定(昭和49年11月19日)の文化財。 開田のために作られた灌漑用水路「柏川井手[2]」の途中にあり、当惑谷と呼ばれる深い谷に架かる[1]。地元の惣庄屋・三隅丈八が種山石工の名工岩永三五郎に建設を依頼し、文政元年(1818年)に竣工した[1]。三五郎の初期の作で、最初の作品とも言われる。欄干もない質素な橋。橋を通る水路は石樋で、漏水を防ぐため塩を混ぜた漆喰を使用している。用水路とともに現役で利用されている[1]。 日本で2番目に古い水路橋とされる[1][3]。通潤橋(1854年竣工、国指定重要文化財)建設時の参考モデルといわれる[1]。
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1993.祇園橋  ・熊本県天草市
祇園橋(ぎおんばし)は、熊本県天草市の町山口川に架かる石橋。日本百名橋に選ばれた。
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1994.弘化橋
弘化橋(こうかばし)は、熊本県菊池郡大津町真木の菊池川水系矢護川に架かる道路橋である。名称より弘化年間に架橋されたと推測されている。 石造の単一アーチ橋(眼鏡橋)であるが上部道路面は後年アスファルト・コンクリート構造によって拡張され、これにより現在も生活道路として活用されている[1]。大津町の指定文化財[2]。 座標: 北緯32度54分47秒 東経130度55分02秒 / 北緯32.913度 東経130.91725度 / 32.913; 130.91725
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1995.第一白川橋梁  ・熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野・菊池郡大津町外牧
第一白川橋梁(だいいちしらかわきょうりょう)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野と菊池郡大津町外牧の間で白川に架かり、南阿蘇鉄道高森線立野駅 - 長陽駅間に位置する全長152.15メートル[注釈 1]の単線鉄道橋である。川からレール面までの高さは約60メートルあり[3]、後に高千穂橋梁が完成するまでは、当時の日本国有鉄道(国鉄)で最大の高さの鉄道橋であった[2]。 2016年(平成28年)4月に発生した熊本地震により、橋台や橋脚の移動、部材の破断や変形といった甚大な損傷を受け、早期復旧のためには架け替えざるを得ないとされて、概算費用約40億円を費やして架け替え工事が行われることになった[7]。再建工事を終えて、2023年(令和5年)7月15日に南阿蘇鉄道は全線での運転を再開した[8]。
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1996.通潤橋  ・熊本県上益城郡山都町
通潤橋(つうじゅんきょう[1])は、熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)にある石造単アーチ橋。2023年(令和5年)9月25日、橋などの土木構造物としては全国初の国宝に指定されている[2][3][4]。 江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手(うわいで)水路の通水管が通っている。完成当時は吹上台目鑑橋と呼ばれていたが[5]、肥後藩の藩校時習館の教導師であった真野源之助により易経(易損卦程伝)の一節、 から 採択し、通潤橋と命名された[5]。
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1997.天城橋  ・上天草市大矢野町登立 - 熊本県宇城市三角町三角浦
天城橋(てんじょうきょう)は、熊本県上天草市大矢野町登立と宇城市三角町三角浦を結び三角ノ瀬戸に架かる、地域高規格道路「熊本天草幹線道路」の道路橋である。全長463.0メートルあり、橋梁形式は鋼PC複合中路式アーチ橋である。
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1998.天門橋
天門橋(てんもんきょう)は、熊本県宇城市の宇土半島と同県上天草市の大矢野島との間の三角ノ瀬戸に架かる橋である。天草五橋の1号橋とされている。また、国道266号の一部となっている。
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1999.内大臣橋  ・熊本県下益城郡美里町と山都町
内大臣橋(ないだいじんばし)は、熊本県下益城郡美里町と山都町を結ぶ橋。
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2000.聖橋 (肥後国)
聖橋(ひじりばし)は熊本県山都町、緑川の一支流笹原川に架かる、江戸時代後期にできた石橋。 種山石工の一人、岩永三五郎の作。彼の作品の中では径間が最も大きく、代表作のひとつに数えられる。7か月の工期を得て天保3年(1832年)完成。はじめから欄干がなく質素だが、建設当時としては大きい橋だった。当初は男成川眼鏡橋という名だったが、下流にある聖滝に因み弘化4年(1847年)現在の名称になった。当時の街道、日向往還にあり、現在は国道218号沿いにある。昭和12年(1937年)、隣にある鉄筋コンクリート製の橋の拡張工事にあたって取り崩すこととなり一部が壊されたが、保存を求める声が上がり聖橋の撤去は中止され、一部取り崩された状態で50年以上放置された。復元の声に応える形で、平成3年(1991年)旧矢部町の文化財に指定され、平成11年(1999年)、総工費3,600万円で取り崩された部分の仮修復を行い建設当時の姿に戻った。ただし、一度は崩しかけた橋で修復も仮であるため使用するには強度が不十分である。そのため、現在は入り口をガードレールで遮り渡れないようになっている。
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