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全国の橋

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熊本県の橋

2001.山崎橋 (宇城市)
山崎橋(やまざきはし)は、熊本県宇城市豊野町山崎にある橋である。緑川水系の小熊野川に架かる。 石橋で、長さ25.00m。市重要文化財。歩行者専用。 1831年(天保2年)に架橋された。 国道218号が通り、山崎橋に代わって主要交通路となっている。
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2002.霊台橋  ・熊本県下益城郡美里町清水・美里町豊富船津
霊台橋(れいだいきょう)は、熊本県下益城郡美里町を流れる緑川に架かる江戸時代末期の石橋。別名船津橋。国指定(昭和42年(1967年)6月15日)の重要文化財[2][3]。 明治以前に竣工した石橋として日本最大のアーチ径間を誇り、大正、昭和時代の石橋を含めても日本で三番目に大きい[4]。また、単一アーチ石橋として熊本県で最も大きい[1]。
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2003.子飼橋
子飼橋(こかいばし)は、熊本県熊本市の一級河川白川に架かる橋梁。都市計画道路である子飼新大江線の一部で、中央区東子飼町 - 同区大江1丁目の間に位置する。橋の名は北側一帯の地名「子飼」から。
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2004.斉藤橋
斉藤橋(さいとうばし)とは、熊本県熊本市の江津湖にかかる橋。橋の脇道から水前寺江津湖公園に入る事ができる。 地主で画図村村長だった斉藤清房が私財を投じて建築した。1929年(昭和4年)6月16日に渡り初めが行われている。当時は木の橋だった。現在は、江津斉藤橋として国道57号の一部となっている。
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2005.大甲橋
大甲橋(たいこうばし[1])は熊本県熊本市中央区の市街地の中心部、白川に架かる熊本県道28号熊本高森線と熊本市電水前寺線の路面電車の併用橋。名前は1924年(大正13年)、甲子(きのえね)の年に建設されたことに因む。同年7月竣工した[2]。鉄筋コンクリートT桁橋[3]。橋種:鋼橋、形式:鈑桁橋[4]熊本市内を流れる白川は天井川となっていてこの橋の部分が高いのが特徴的[5]。
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2006.長六橋  ・熊本県熊本市中央区
長六橋(ちょうろくばし)とは、熊本県中央の白川に架かる、国道3号の橋の一つである。最初に作られたのは1601年(慶長6年)で、加藤清正が熊本藩中部を流れる白川に唯一架けた橋で、この名がある[注 1]。当時は城下町南方面の防備の必要から、白川に架かる橋はこの橋しかなかった。その後、流失も多く、架け替えがあったが[注 2]、昭和2年に川尻電車の路面電車併用の鉄橋が完成した。この時は当時最新型のトラス・タイド・アーチ橋 (Truss tied arch bridge) であった。その後、平成2年にPC桁橋に建替えられた。
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2007.代継橋
代継橋(よつぎばし)は、熊本県熊本市中央区の白川に架かる、国道266号(重複国道445号)の橋。右岸部分にある代継橋交差点は国道266号の終点であり、国道3号と接続している。
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大分県の橋

2008.筏場眼鏡橋
筏場眼鏡橋(いかだばめがねばし)は、大分県日田市高井町の筑後川水系内河野川に架かる石造単アーチ橋である。大分県指定有形文化財に指定されていた。
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2009.イナコスの橋
イナコスの橋(イナコスのはし)は、大分県別府市荘園町にある歩道橋。境川に架かり、南立石公園と国立病院機構西別府病院とを結んでいる。設計は川口衞。イナコスの橋という名称は、ギリシア神話の川の女神であるイーナコスに因んで名付けられた[1]。
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2010.岩上橋  ・豊後大野市
岩上橋(いわがみばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。豊後大野市指定有形文化財[1]。
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2011.岩戸橋
岩戸橋(いわとばし[1])は、大分県竹田市荻町の大野川水系岩戸川に架かる石造単アーチ橋である。大分県の有形文化財に指定されている。通称、車橋。
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2012.院内町の石橋
本項では、大分県宇佐市院内町にある石橋について説明する。
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2013.唄げんか大橋
唄げんか大橋(うたげんかおおはし)は、大分県佐伯市宇目(旧宇目町)の北川ダムに架かる国道326号の湖面橋である。
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2014.オダニの車橋
オダニの車橋(オダニのくるまばし)は、大分県由布市庄内町櫟木の大分川水系間田川に架かる石造単アーチ橋である。大分県の有形文化財に指定されている。
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2015.呉橋
呉橋(くれはし)は、大分県宇佐市南宇佐の宇佐神宮西参道にある屋根付きの木造橋。日本百名橋の一つ。
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2016.虹澗橋
虹澗橋(こうかんきょう、こうかんばし[1])は、大分県豊後大野市三重町菅生と臼杵市野津町大字西畑の間の大野川水系三重川に架かる石造アーチ橋[2]。通称、柳井瀬橋[3]。国の重要文化財に指定されている[2]。また、日本百名橋にも選定されている。
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2017.九重"夢"大吊橋  ・大分県玖珠郡九重町
九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ”おおつりはし)は、大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊橋。日本一高い歩行者専用橋である[1]。
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2018.清水橋 (大分県)  ・豊後大野市
清水橋(しみずばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造2連アーチ橋である。
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2019.出會橋  ・豊後大野市
出會橋(であいばし、であいはし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。出会橋、出合橋と表記されることもある。
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2020.天然橋 (大分県)  ・豊後大野市
天然橋(てんねんばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。豊後大野市指定有形文化財。
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2021.とくしん橋
とくしん橋(とくしんばし)は、大分県宇佐市山本の駅館川水系社ヶ谷川に架かる石造桁橋である。大分県の有形文化財に指定されている。
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2022.轟橋 (大分県)  ・豊後大野市清川町左右知
轟橋(とどろばし)は、大分県豊後大野市の大野川水系奥岳川に架かる石造2連アーチ橋である。
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2023.馬渓橋
馬渓橋(ばけいばし)は、大分県中津市耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造アーチ橋である。
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2024.豊後津久見橋  ・ 大分県津久見市大字下青江地内 - 門前町地内
豊後津久見橋(ぶんごつくみばし)は、大分県津久見市大字下青江と門前町に架かる、東九州自動車道の橋である。
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2025.別府明礬橋  ・ 大分県別府市大字鶴見(明礬)地内
別府明礬橋(べっぷみょうばんきょう)は、大分県別府市大字鶴見(明礬)[注 1]にある東九州自動車道(建設当初は大分自動車道)のコンクリートアーチ橋。 1989年(平成元年)の竣工当時は、「東洋一」と謳われた日本最長のアーチ支間(235.0m)を有するコンクリートアーチ橋であった。
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2026.細長橋  ・右岸:大分県豊後大野市三重町宮野字細長左岸:大分県豊後大野市犬飼町田原
細長橋(ほそながはし[3]、ほそながばし[2])は、大分県豊後大野市の大野川に架かる橋である。
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2027.明治橋 (大分県)  ・大分県臼杵市野津町大字野津市
明治橋(めいじばし)は、大分県臼杵市野津町大字野津市の大野川水系野津川に架かる鋼橋。原位置(架橋当初の場所)にある現役の鋼橋としては日本最古の橋である[5]。2005年(平成17年)に土木学会選奨土木遺産に選定されている[6]。
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2028.明正井路一号幹線一号橋
明正井路一号幹線一号橋(めいせいいろいちごうかんせんいちごうきょう)は、大分県竹田市大字門田の大野川水系緒方川に架かる水路用石造アーチ橋。明正井路第一拱石橋(めいせいいろだいいちこうせききょう)とも呼ばれる。2002年に土木学会選奨土木遺産に選定されている[1][2]。
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2029.耶馬渓橋
耶馬渓橋(やばけいばし)は、大分県中津市本耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造アーチ橋である。国の重要文化財に指定されている。
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2030.羅漢寺橋
羅漢寺橋(らかんじばし)は、大分県中津市本耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造3連アーチ橋である。
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2031.龍頭橋  ・大分県杵築市
龍頭橋(りゅうずばし)は、大分県杵築市の八坂川に架けられた橋で、1912年(明治45年)に竣工した現存する日本最古の石造沈下橋(沈み橋)である。
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2032.若宮井路笹無田石拱橋  ・大分県竹田市大字挟田
若宮井路笹無田石拱橋(わかみやいろ ささむたせっこうきょう[1])は、大分県竹田市挟田の笹無田川に架かる石造2連アーチ橋の水路橋である。1996年(平成8年)12月20日に国の登録有形文化財に登録されている。
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2033.明磧橋  ・大分市
明磧橋(あけがわらばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道442号の一部を構成する。大分市の中心部寄りの南大分地区と稙田地区とを結ぶ。
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2034.大在大橋  ・大分市
大在大橋(おおざいおおはし)は、大分県大分市の大野川をまたぐ橋梁である。かつては、この橋梁を含む延長1.1kmの区間は、大野川大橋有料道路という一般有料道路であったが、2010年12月1日に無料化された。
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2035.白滝橋  ・大分市
白滝橋(しらたきばし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道10号の一部を構成する。
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2036.宗麟大橋  ・大分市
宗麟大橋(そうりんおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる道路橋である。大分中央幹線道路およびその一部である都市計画道路庄の原佐野線(しょうのはるさのせん)の一部を構成する。2018年(平成30年)1月14日に開通した[4]。
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2037.大南大橋  ・大分市
大南大橋(だいなんおおはし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。大分県道622号弓立上戸次線の一部を構成する。 大野川右岸に沿って走る国道10号から大南大橋先交差点で分岐した大分県道622号弓立上戸次線は、すぐにこの橋に入り大野川を越える。県道622号は、この橋を越えた後、大野川左岸で大分県道631号中判田犬飼線と接続し、大野川支流の河原内川に沿って竹中地区、河原内地区へと続く。 この橋のたもとでは、天正14年(1587年)に大野川の戸次付近の川原で起きた戸次川の戦いを模した大野川合戦まつりが毎年行われる[1][2]。
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2038.滝尾橋  ・大分市
滝尾橋(たきおばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。主要地方道大分県道21号大分臼杵線の一部を構成し、大分市街地と市街地東側の明野団地、猪野、葛木、横尾地区を結んでいる[3]。 現在滝尾橋が架かる場所には、かつて坊ヶ小路の渡しと呼ばれる渡し船があった。上流の古国府の渡しには明治年間に広瀬橋が架けられたのに対して、坊ヶ小路の渡しにはなかなか架橋されなかったが、大正時代初めに木造の滝尾橋が架けられ、1930年(昭和5年)頃にコンクリート造に架け替えられた[4]。 1953年(昭和28年)に西日本水害で滝尾橋の下流に位置する舞鶴橋が流失し津留地区が孤立した際には、大分川の派川(分流)の裏川に木造の仮設橋である下津仮橋を架けて、滝尾橋経由で大分市内への交通を復旧した[5][6][7]。
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2039.鶴崎橋  ・大分市
鶴崎橋(つるさきばし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道197号及び国道217号(重複区間)の一部を構成する。
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2040.広瀬橋 (大分市)  ・大分市
広瀬橋(ひろせばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。大分市道古国府津守線の一部を構成する[1][2]。 滝尾方面から現在広瀬橋がある場所を通って富岡、曲を経て東稙田方面に至る道は、日向街道(戸次街道)と呼ばれた古くからの主要道で、かつては古国府の渡しと呼ばれる渡し船があった。明治に入ると国道36号に指定され、木造の橋が架けられたが小さな橋でたびたび流失したといい、明治時代末期になってようやく幅9尺(約2.7m)の橋が架けられた[3]。1931年(昭和6年)に新しい橋に架け替えられた時に、府内藩の財政の立て直しに貢献した日田の豪商広瀬久兵衛の業績を記念して、広瀬橋と名付けられた[4]。国道36号は、国道3号を経て、1952年(昭和27年)12月4日に新道路法に基づく路線指定で国道10号となり、1960年(昭和35年)5月12日にこの橋の上流に府内大橋が開通したため、広瀬橋を通る路線は国道10号の旧道となった。
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2041.府内大橋  ・大分市
府内大橋(ふないおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道10号および国道210号(重複区間)の一部を構成する。
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2042.弁天大橋 (大分市)  ・大分市
弁天大橋(べんてんおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。大分県道22号大在大分港線(臨海産業道路)の一部を構成する。
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2043.舞鶴橋 (大分市)  ・大分市
舞鶴橋(まいづるばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道197号の一部を構成する。橋の名称は、架橋地点の大分川左岸の地名から採られている。 現在の国道197号は、1876年(明治9年)に大分と佐賀関の間が愛媛街道として開通。この時、大分川には現在の舞鶴橋のやや上流に木造の津留橋が架けられた。この橋は地域の名所となり、舞鶴橋という愛称で呼ばれた[3]。 1953年(昭和28年)6月26日には、梅雨前線による西日本水害で舞鶴橋及び鶴羽橋が流失。右岸の大分市津留地区が孤立した。同地区には約500世帯の住家があり、また、高等学校2校、中学校1校もあったため、大分川の派川(分流)の裏川に木造の仮設橋である下津仮橋を架けて、滝尾橋経由で大分市内への交通を復旧した[4][5][6]。
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2044.松岡大橋 (大分市)  ・大野市
松岡大橋(まつおかおおはし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道197号大分南バイパスの一部を構成する。
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宮崎県の橋

2045.かりこぼうず大橋  ・宮崎県児湯郡西米良村大字村所字田無瀬
かりこぼうず大橋(かりこぼうずおおはし)は、宮崎県児湯郡西米良村大字村所字田無瀬に所在し一ツ瀬川に架かる、林道小山重(こざえ)線を通す全長140.0メートルの橋である。 木造のキングポストトラス橋3連と桁橋1連で構成され、日本国内では木造車道橋として全長および支間長が最大である[1]。
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2046.青雲橋  ・宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折
青雲橋(せいうんばし)は宮崎県西臼杵郡日之影町にある、五ヶ瀬川支流の日之影川に架かる国道218号の橋である。
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2047.第三五ヶ瀬川橋梁  ・宮崎県西臼杵郡日之影町
第三五ヶ瀬川橋梁(だいさんごかせがわきょうりょう[1])は、2008年12月に廃線となった高千穂鉄道高千穂線の日向八戸駅 - 吾味駅間(宮崎県西臼杵郡日之影町)にある鉄道橋で、五ヶ瀬川を跨いでいる。 コンクリートと鉄の複合構造の橋梁で、国の重要文化財[2]・土木学会の選奨土木遺産に指定されている[3]。 廃線後は、日之影町が森林セラピー基地のコースの1つ「TR鉄道跡地散策コース」の中に組み込まれ、遊歩道として開放されている。
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2048.高千穂橋梁  ・宮崎県西臼杵郡高千穂町
高千穂橋梁(たかちほきょうりょう)は、2008年12月に廃線となった高千穂鉄道高千穂線の深角駅 - 天岩戸駅間(宮崎県西臼杵郡高千穂町)にある全長353.76メートルの鉄道橋で、岩戸川の渓谷を跨いでいる[2][3]。 橋が跨いでいる岩戸川の河底から桁の上面までの高さは105.0メートルあり、供用されていた頃は日本でもっとも高い鉄道橋であった[1](鉄道に関する日本一の一覧#構造物も参照)。高千穂線が2005年の台風被害(平成17年台風第14号を参照)により廃線となったことで橋梁での営業列車運行は終了したが[4]、2013年より遊具施設としてトロッコ車両による走行が実施されている[5]。
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2049.橘橋
橘橋(たちばなばし)は、大淀川に架かる国道220号の橋であり宮崎県宮崎市の市街地を南北に結ぶ。
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2050.寺迫ちょうちょ大橋  ・宮崎県日向市東郷町山陰字日平 - 山 陰字山ノ口
寺迫ちょうちょ大橋(てらさこちょうちょおおはし)は宮崎県日向市東郷町山陰字日平と山陰字山ノ口に架かる東九州自動車道の橋である。建設時の名称は田久保川橋(たくぼがわはし)。2013年土木学会田中賞[1]、プレストレストコンクリート工学会賞[2]。2018年国際コンクリート連合fib賞 土木構造物部門最優秀賞[3]。 ここでは建設において実用化された工法「バタフライウェブ橋」についても解説する。
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2051.照葉大吊橋
照葉大吊橋(てるはおおつりばし、綾の照葉大吊橋)は、宮崎県東諸県郡綾町の本庄川(綾南川、大淀川の支流)に架かる吊橋。土木学会デザイン賞 2004 優秀賞 受賞。
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2052.天翔大橋  ・ 宮崎県西臼杵郡日之影町岩井川
天翔大橋(てんしょうおおはし)は宮崎県西臼杵郡日之影町岩井川に所在し、五ヶ瀬川に架かる橋である[1]。建設時の名称は高松大橋(たかまつおおはし)。日本最大の鉄筋コンクリート固定アーチ橋であり[1]、アーチスパン260メートル (m)、水面から橋面までの高さ143 mはともに鉄筋コンクリート造橋の中で国内最大である[2]。 2000年土木学会田中賞[2]、プレストレストコンクリート技術協会賞[2]、農業土木学会賞[2]、2002年国際コンクリート連合fib賞 特別賞[3]。
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2053.速日峰橋
速日峰橋(はやひのみねきょう)は、宮崎県延岡市北方町に1976年に竣工した上路式吊床版橋である。 F = L/10(サグ量)にて張り渡された吊床版上に鉛直材を設け、上路桁を設置した(連続PC版)、日本初の車道用橋梁である。支間長約50メートル (m) である。 施工者はピーエスコンクリート社、主に荒川敏雄氏、藤元安宏氏ref(1)が関与し、久留米工場(PS社)にて、5分の1モデル試験にて構造挙動を確認後、実施工に移された。画期的橋梁であり、当時FIPロンドン大会にも出品、協会誌「プレストレストコンクリート」ref(1)「橋梁」「橋梁と基礎」に掲載された。 吊床版橋SpannBandはドイツD&W社のフィンスターバルダー博士によって考案された橋梁構造形式であり、トルコ、ボスポラス海峡横断橋に提案され、また本四連絡橋にも提案されたが架橋に至らなかった。大阪万博会場にL=15mが架橋された(鹿島建設、根本文夫氏関与)。ref(1):『速日峰橋の設計と施工(その1)』『”(その2)』プレストレスト・コンクリートVol.19,No.5,1977 Vol.21,No.5,1979また、宮崎の橋101選にも載っている[1]。
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2054.東方大丸太鼓橋  ・宮崎県小林市東方字大丸
東方大丸太鼓橋(ひがしかたおおまるたいこばし)は、宮崎県小林市東方にある宮崎県内に現存する最古の石橋[1]。宮崎県の有形文化財に指定されている[2]。 この橋は水路橋で元は木造樋で通水していたが、洪水が起こる度に補修が必要となり、また人馬は樋を渡ることが出来ないため、上流の吊り橋を通行しなければならずとても危険だったと言われている[1]。 江戸時代末期の弘化4年(1847年)に薩摩国加治木の豪商森山新蔵が私財を投じて東方大丸一帯の開田に尽力した時に竣工させ、この橋の開通によって大丸新田の用水と交通の便は画期的に良くなった[2]。 橋の完成後、森山新蔵は大丸開田や鹿児島藩の財政再建に貢献した功績によって武士に取り立てられ[2]、西郷隆盛、大久保利通など幕末に活躍した多くの鹿児島藩士を資金面で助けた。
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2055.日向大橋  ・宮崎県児湯郡新富町上富田 - 宮崎市佐土原町下田島
日向大橋(ひゅうがおおはし)は宮崎県児湯郡新富町上富田と宮崎市佐土原町下田島をつなぐ、一ツ瀬川に架かる国道10号の橋である。国道10号新富バイパスの一部であり、3本の橋で構成される。 ここでは として説明する。 長らく、一ツ瀬川には木造の橋が架かっていたが、ことあるごとに流失していたという。永代橋の建設が求められ、1954年、当時国内最大となるローゼアーチ橋の旧橋が建設された[1]。建設後は片側1車線通行であったが、交通量の増加により、渋滞が慢性的に発生していた。 2010年代に入り、新富バイパス建設の一環として、日向大橋の4車線化が行われた。まず、旧橋の上流部に連続鈑桁橋による新橋を建設[2]。片側1車線による新橋の暫定開通に切り替えて旧橋を閉鎖[2]。旧橋の補修・再舗装を実施して[2]旧橋・新橋の走行車線のみ通行可能に切り替えたのち、4車線供用に切り替えた[3]。これにより新橋は上り線専用、旧橋は下り線専用となった[1][3]。
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2056.龍天橋  ・宮崎県西臼杵郡日之影町
龍天橋(りゅうてんきょう)は、宮崎県西臼杵郡日之影町にある道路橋。五ヶ瀬川をまたぎ、国道218号が通る左岸の七折宮水地区と宮崎県道205号向山日之影線が通る右岸岩井川大人地区を結ぶ[1]。水面上の高さが100.2メートルあり、日本国内の林道橋としては一番高い。構造は上路式ローゼ橋、最大支間200メートル、橋長260メートル、幅員8メートル。架設事業費19億円[1]。1990年完成。名称は公募により決定された。橋の真下を宮崎県道237号北方高千穂線が通る。
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鹿児島県の橋

2057.伊唐大橋  ・鹿児島県出水郡長島町鷹巣
伊唐大橋(いからおおはし)は、鹿児島県出水郡長島町にある、長島と伊唐島を結ぶ全長675メートルの橋である。形式は、主橋梁部が5径間連続プレストレストコンクリート斜張橋、両側の取り付け部が単径間プレストレストコンクリート桁橋である[3]。中央支間の260メートルは、開通時点でコンクリート橋として日本最長であった[5]。 伊唐大橋が開通した2年後の1998年(平成10年)4月1日に鹿児島県の離島振興対策地域の指定が伊唐島について解除された[6]。
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2058.黒之瀬戸大橋  ・鹿児島県阿久根市 - 出水郡長島町
黒之瀬戸大橋(くろのせとおおはし)は、鹿児島県阿久根市と出水郡長島町の間にある黒之瀬戸(日本三大急潮)に架かる自動車・バイク用道路と歩行者専用通路を設けた橋である。1974年4月9日、日本道路公団による一般有料道路として供用されたが[5]、1990年9月21日に無料開放された。
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2059.甲突川五石橋
甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)は、鹿児島県鹿児島市を流れる甲突川にかつて架かっていた石橋群。上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の順。1993年(平成5年)8月6日の鹿児島大水害により5石橋のうち新上橋と武之橋の2橋が流失し、玉江橋、西田橋、高麗橋の3橋が浜町の石橋記念公園に移設保存されている。
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2060.甑大橋  ・鹿児島県薩摩川内市
甑大橋(こしきおおはし)[4]は、鹿児島県薩摩川内市の甑島列島の鹿島町藺牟田(下甑島)と上甑町平良(中甑島)を結ぶ橋である。鹿児島県道351号鹿島上甑線の一部を構成する。全長は1,533 m[5]。 2020年(令和2年)8月29日に開通[6][7][4]。名称決定前の仮称は藺牟田瀬戸架橋(いむた せと かきょう)[2][3][8]。
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2061.甑大明神橋  ・鹿児島県薩摩川内市
甑大明神橋(こしきだいみょうじんばし)[3]は、鹿児島県薩摩川内市の甑島列島の上甑島と中島を結ぶ橋である。鹿児島県道351号鹿島上甑線の一部を構成する。全長は420 m[1]。
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2062.米ノ津橋
米ノ津橋(こめのつばし)とは、国道3号の鹿児島県出水市内に架かる自動車・バイク用道路と歩行者専用通路を設けた橋。
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2063.潮見橋  ・鹿児島県鹿児島市
潮見橋(しおみばし)は、鹿児島市の南部を流れる和田川に架かっている橋。2006年までは石橋であったが、和田川の河川改修工事に伴い撤去された。石橋の欄干には「志保みはし」と書かれていた。
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2064.太平橋  ・鹿児島県薩摩川内市
太平橋(たいへいばし)は、鹿児島県薩摩川内市の川内川に架かる国道3号の道路橋梁。
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沖縄県の橋

2065.池田矼  ・沖縄県宮古島市
池田矼(いけだばし)は、沖縄県宮古島市(旧下地町)の崎田川に架かるアーチ橋である。1977年7月1日に沖縄県の史跡に指定されており[1]、日本百名橋の番外のひとつでもある。池田橋とも表記される[2]。
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2066.池間大橋
池間大橋(いけまおおはし)は、沖縄県宮古島市北西部に位置し宮古島と池間島とを結ぶ全長1,425mの橋である。1992年2月14日に開通した[1][2]。1995年3月に来間大橋が開通するまでは、沖縄県内最長の橋であった[3]。
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2067.伊良部大橋  ・沖縄県宮古島市
伊良部大橋(いらぶおおはし)は、日本の沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ橋である。 2006年(平成18年)3月18日に着工し、2015年(平成27年)1月31日16時に供用が開始された[2]。全長3,540メートル (m) で、新北九州空港連絡橋(福岡県道245号新北九州空港線)(全長2,100 m)を上回り、通行料金を徴収しない橋としては日本最長である[3][4][5]。総事業費は399億円[6]。
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2068.来間大橋
来間大橋(くりまおおはし)は、沖縄県宮古島市南西部に位置し宮古島と来間島とを結ぶ全長1,690mの橋。1995年3月13日に開通した[1]。 もともとは農道の一部として整備された橋で、開通時には農道橋として日本最長であった[2][3]。その後、2001年に下地町の町道の一部となり、2005年の市町村合併に伴い宮古島市の市道来間大橋線の一部となっている[4]。 また、2005年に古宇利大橋に抜かれるまでは、1992年2月開通の池間大橋を抜いて沖縄県内最長の橋であった。現在では、宮古列島では伊良部大橋に次ぐ2番目の長さとなっている[5]。 宮古島側の宮古島市下地字与那覇と来間島側の宮古島市下地字来間とを結ぶ橋で、1988年7月に着工し、1995年3月に開通。構造は、航路部が3径間連続箱桁橋、一般部が3径間連結T桁橋および中空床版橋から成っている。全長1,690mで、50トン級の船舶が航行できるように、中央部が盛り上がった形状をしており、中央部の海面(既往最高潮位)から桁下までの高さは13.5mとされている[1]。
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2069.サザンゲートブリッジ  ・石垣市
サザンゲートブリッジは、沖縄県石垣市の八島町と南ぬ浜町(新港地区)を結ぶ[5]石垣港に架かる橋である。
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2070.瀬底大橋  ・沖縄県国頭郡本部町
瀬底大橋(せそこおおはし)は、沖縄県国頭郡本部町の沖縄本島と瀬底島とを結ぶ橋。1979年(昭和54年)11月に着手し、5年3ヶ月の月日を経て1985年(昭和60年)2月に開通した。橋長は762mあり総事業費は約57億円。
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2071.長虹堤
長虹堤(ちょうこうてい)は、1451年、琉球王国によって建設された全長約1キロメートルの堤防と橋からなる道路であり、崇元寺付近(那覇市泊)と伊辺嘉麻(いべがま、那覇市松山付近)を結んでいた。
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2072.天女橋  ・沖縄県那覇市
天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市の首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。
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2073.泊大橋
泊大橋(とまりおおはし)は沖縄県那覇市若狭と曙を結ぶ、那覇港泊ふ頭上にある全長1,118mの橋である。 1986年4月11日、那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭(安謝新港)を結ぶ那覇臨港道路の一部として開通した。橋の長さは開通当時は本部町の瀬底大橋 (762m) を抜いて沖縄県で最も長い橋だったが、現在は5番目に長い橋である。泊ふ頭を定期航路にしている船舶の航行の妨げにならないように、かなりの高さで起終点部は急勾配であり、概ね風速が20m以上になると通行止めの措置が取られる。 開通前は那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭へ行くには国道58号や県道43号を通らねばならず、泊高橋交差点や泊ふ頭入口交差点を中心にかなり渋滞していたが、開通後はこれらの交差点や国道58号や県道43号の渋滞が幾分緩和された。
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2074.泊高橋
泊高橋(とまりたかはし)は、沖縄県を流れる安里川河口に架かる橋であり、那覇市泊と前島に跨る。国道58号那覇市内の要所で、交差点やバス停の名称にもなっている。 泊村と兼久(前島)を結ぶ橋は古くは木製であったが、1699年(尚貞王31年)から翌年にかけて延べ2万5千人が動員され石橋に架け替えられた。船が往来できるように3段の階段を設けアーチ部分を高くしたことから高橋の名が付いた。特に夕日に映える橋の姿は名勝とされ、1854年(尚泰王7年)にロシア艦隊提督秘書官として沖縄を訪れた作家イワン・ゴンチャロフも賞賛している。 1909年(明治42年)、那覇と嘉手納を結ぶ客馬車を通すために両岸から盛り土をして傾斜を緩やかにする工事が行われ、1912年(明治45年)頃には河川改修に伴って前島側に木造橋が増設されている。1914年(大正3年)、橋の東側に沖縄電気軌道の電車を通すための鉄橋が増設された。1934年(昭和9年)には路面の石の一部を取り除いてコンクリート橋にする改装が行われたが、石組みが精緻であったため工事は困難を極めたといわれる。沖縄戦が始まると、敵方に利用されることを恐れた日本軍によって破壊された。戦後しばらくの間はアメリカ軍が設置した仮橋が使われていたが、1952年に新たに架け替えられた。
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2075.泊橋
泊橋(とまりばし)は沖縄県那覇市の泊と前島の間にある橋の名前。 泊の沖縄県道29号那覇北中城線から前島の国道58号方面のみの一方通行である。730以前は現在とは逆向きの一方通行だった。
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2076.泊みなと橋
泊みなと橋(とまりみなとばし)は、沖縄県那覇市の泊ふ頭内にある橋である。 ほぼ平行して国道58号が通っており、泊高橋交差点の渋滞を回避するため、交通量が比較的多い道路である。しかし、深夜から早朝にかけては泊ふ頭の北岸ゲート(泊3丁目側)が閉鎖されるため通り抜けできない。 また泊みなと橋が正式名称だが「リュウ橋」と呼ばれることもある。
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2077.名蔵橋
名蔵橋(なぐらばし)は、沖縄県石垣市の石垣島西部を流れる名蔵川の河口に架かる橋である。
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2078.野甫大橋  ・沖縄県島尻郡伊平屋村字野尻 - 字野甫
野甫大橋(のほおおはし)は、沖縄県島尻郡伊平屋村の伊平屋島と野甫島の間に架かる沖縄県道179号田名野甫線の橋長320 m(メートル)の橋。
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2079.辺野喜橋  ・沖縄県国頭郡国頭村
辺野喜橋(べのきばし)は、かつて沖縄県国頭郡国頭村の辺野喜川に架かっていた橋。 沖縄県により建設され、1981年に供用開始。後に国頭村に移管され、村道として使われていた[1]。 塗装不要の耐候性鋼[2]を採用していたが、海岸に近かったため、桁内部から塩害による腐食が進んだ[1]。 2004年11月、崩落の危険があるとして通行止めにした[3]が、撤去の予算がつかず[1]そのままになっていた。 2009年6月25日の集中豪雨で橋桁が傾くなどの変化が生じたため緊急に撤去の準備を進めていた[2]が、同年7月15日午後5時37分に左岸寄り[3]で橋桁が折れ曲がり崩落した。通行止めとなっていたため、人的被害は生じなかった。崩落当時は琉球大学と土木研究所構造物メンテナンス研究センターによるモニタリング調査が行われており、橋梁管理者への崩落過程の映像配信などが行われた[4]。
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2080.真玉橋  ・沖縄県那覇市、豊見城市
真玉橋(まだんばし)は、沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋の名称。また、豊見城市側の地名にもなっている。
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2081.明治橋 (那覇市)  ・沖縄県那覇市
明治橋(めいじばし)は、沖縄県那覇市にある長さ128 m、片側3車線の橋で、北側に通堂町と東町、南側に奥武山町と垣花町がそれぞれ接している。那覇空港・沖縄本島南部と那覇市街地・沖縄本島中北部とを結ぶ沖縄県の大動脈といえる道路橋で、橋の南端部は国道58号と国道332号の終点(後者は国道331号と重複)、国道331号の起点(1993年3月までは終点)となっており、道路中央にはそれを示すモニュメントがある。明治時代の1883年(明治16年)に最初の橋が完成、現在の橋は4代目(戦後2代目)で1987年(昭和62年)3月に完成した。 また2003年には沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通にあわせて、明治橋より東側に位置し壺川駅のある同市壺川の国道329号那覇東バイパスと奥武山町の奥武山公園との間に北明治橋(歩行者専用道路橋)が完成した。
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2082.屋我地大橋
屋我地大橋(やがじおおはし)は、沖縄県名護市真喜屋の奥武島(無人島)と同市屋我地島とを結ぶ全長約300メートルの沖縄県道110号線の橋である。1993年3月に完成した。 初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波で橋の上部が流失。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段を果たした。 しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なことなどから、1990年代には3代目(現状)を建設、1993年に完成した。3代目の橋は幅員が12メートルで先代(2代目)の倍以上である歩道も設置されており、景観に合った現代的なデザインとなっている。
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2083.ワルミ大橋
ワルミ大橋(ワルミおおはし)は、沖縄県の屋我地島(名護市我部)と本部半島(国頭郡今帰仁村天底)との間のワルミ海峡に架かる橋である[1]。 橋長315.0メートル、アーチ支間210.0メートルの上路式RC固定アーチ橋で、沖縄県道248号屋我地仲宗根線の一部を構成する[1]。2010年(平成22年)12月18日に開通した。合成鋼管アーチ巻立工法によるアーチ橋としては日本国内で最長、アーチ橋としても日本国内で5番目の長さの橋梁である[2]。 ワルミ海峡(ワルミ水路)は、屋我地島の西側で東シナ海と羽地内海とを隔てる海峡で、本部半島と屋我地島に挟まれている。この海峡は運天港の一部で、荒天時の避難泊地である羽地内海に出入りする船舶が通過する。ワルミ大橋の下に2,000トン級の船舶を通すために、橋の構造としては上路式アーチが採用された[3]。クリアランス高さは37.2メートルである[1]。
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