501.冠山 (松山市) ・ 日本愛媛県松山市 |
冠山(かんむりやま)は、愛媛県松山市の道後温泉にある小高い山。 道後温泉本館の南隣に位置し、一角には道後温泉を祭る「湯神社」や菓子の神様である「中嶋神社」がある。山頂は均され、道後温泉本館と椿の湯の利用者向けの市営有料駐車場となっている。冠山北側には車道があり、駐車場を利用する車はこちらから出入りする。このほか、道後温泉の湯を本館や近隣の旅館・ホテルに配分する分湯場兼市の温泉事務所がある。本館及び椿の湯の利用者は一時間まで無料(施設内及び冠山の事務所に刻印器が設置されている)。 南側は、湯神社への表口で石の階段がある。その下の道は伊佐爾波神社の参道となっている。 山腹は深い緑に覆われており、憩いの空間となっている。かつては冠山に温泉保養レジャー施設「温泉センター」があったが、坪内寿夫オーナーの奥道後温泉との競合などにより次第に振るわなくなり、閉鎖、取り壊された。 |
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502.行道山 ・愛媛県伊予市・砥部町 |
行道山(ぎょうどうさん)は、愛媛県伊予市と伊予郡砥部町にまたがる山で、松山平野(道後平野)の南端に位置する。標高は373m。一般に行道山と呼ばれる部分は後述のテレビ電波塔がある一帯であるがここは最高点ではなく、最高点はその南西にある標高403.11mの「水晶ケ森[1]」である。三等三角点もその峰に設置されている。 山頂には愛媛県中部(中予地方)をカバーする各社の放送送信設備があり、松山平野から目立ち、テレビ塔のある山として近隣住民にはよく知られている。 伊予市側の山腹は頂上近くまで果樹園が広がっており、砥部町側は雑木林に一部果樹園が混じっている。伊予市側の山すそにはため池が点在している。北西の山すそを松山自動車道が北東(松山IC方面)から南西(伊予IC方面)方向へと走り、伊予灘サービスエリア(SA)が設置されている。SAの標高はそれほど高くないものの、松山市街を望む位置になるため、夜景が美しい。また、西方の伊予灘(瀬戸内海)を眺望することもできる。 |
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503.霧立山 ・ 日本 高知県高岡郡檮原町・同郡四万十町・愛媛県北宇和郡鬼北町 |
霧立山(きりたてやま)とは、高知県高岡郡檮原町、同郡四万十町と愛媛県北宇和郡鬼北町の県境、そして3つの町に跨る山である。標高は1,096.3m。 登山者は愛媛県側のほうが多い。登山中に落石が発生することがあり、注意が必要である。 |
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504.亀老山 ・愛媛県今治市 |
亀老山(きろうさん[1]、きろうざん)は、瀬戸内海のほぼ中部にある大島 (愛媛県今治市)南部に位置する山である。別名として大亀山(おおきやま)、隅ヶ岳。標高307.8mで、島内で最も高い[1]。行政区画は今治市吉海町。山頂展望公園から望む来島海峡が四国八十八景57番に選定されている。 山頂には展望台が1994年に設置された[1]。当時の町役場から島のシンボルづくりを依頼された建築家の隈研吾が、景観を守る「負ける建築」として、削られて平地になっていた山を盛りなおして埋め込む形に設計した[1]。ここからは西及び北に来島海峡や芸予諸島の島々、東に燧灘、また南に今治港・今治市街を望むことができる。従来は山頂までの道路は幅員も狭かったが、1999年の瀬戸内しまなみ海道開通を控えた観光地整備により、道路が改良され、また山頂近くには駐車場も設置されるなど、アクセスは改善され、訪れる人も増えている。瀬戸内海国立公園の区域に含まれる。特に、来島海峡を眼下に望む瀬戸内の夕日の眺望は、観光PR写真等によく用いられる。 |
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505.源氏ヶ駄場 ・愛媛県西予市野村町大野ヶ原・高知県高岡郡檮原町 |
源氏ヶ駄場(げんじがだば)は、愛媛県西予市野村町大野ヶ原と高知県高岡郡檮原町にまたがる四国カルスト台地の西部にある標高1,402.9mの山である。駄場とは山頂や山腹の平坦地という意味から山頂の平坦部分を指す。全体としての山名は薊野峰(あぞうのみね)であるが、四国百名山の本には出てこないので、ここでは、源氏ヶ駄場の山名で扱う。なお、大野ヶ原は地区名であり山名ではない。 昔、この無数の白い石灰岩の姿を見た平家の残党が、白馬に乗った多勢の源氏が自分たちを取り囲んでいるものと見間違え慌ててこの地から退却したことが由来と云われている。山頂には大空海山幸福寺の奥之院の建物があり、奥四国カルスト大師石像が祀られている。一等三角点はその横にある。山の中腹には「一夜ヶ森」と云われる自然植生の部分があり、空海(弘法大師)が修行中に一夜を過ごしたという伝説がある[1]。山火事があってもここだけは燃えたことがない。 |
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506.御在所山 (西予市野村町) ・愛媛県大洲市・西予市 |
御在所山(ございしょやま)は、愛媛県大洲市肱川町と西予市野村町にまたがる標高668.9メートルの山である。 四国カルストの西への延長上にあり、山頂から尾根づたいの数百メートルは、古い大木の元に石灰岩の巨石奇石が連なり、鬱蒼と茂る木々とあいまって荘厳で幽玄である。石灰岩地の南側には地元では千丈ヶ崖と呼ばれる絶壁がある。山名は神仏がいますところの御在所からというより、平家の落人伝説にからむもののようである。[1] |
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507.五段高原 ・愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷・高知県高岡郡檮原町 |
五段高原(ごだんこうげん)は、愛媛県上浮穴郡久万高原町と高知県高岡郡檮原町と津野町にまたがる山。標高1,455.8m。四国カルスト台地の中心部にある。四国八十八景32番。 高さ・広さ・長さにおいて日本全国1位のカルスト台地である四国カルストの核心部であり、三角点のある頂上部分は五段城と呼ばれる。山頂部分は標高1000mを越える準平原で東西に道路が通っていて、両脇の牧草地には牛が放牧され無数の白いカレンフェルトが緑の中に点在する様は牧歌的でゆったり心和む風景である[1]。国道440号線で地芳峠に上がり姫鶴平(めずるだいら)へ、そこからゆっくりハイキングするも良し、東端の天狗高原までドライブするのも良しである。 |
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508.笹ヶ峰峠 ・愛媛県四国中央市・高知県大豊町 |
笹ヶ峰(ささがみね)は、四国山地西部に属する山である。また、古より旧土佐街道(北山越)の峠でもあり、笹ヶ峰峠(ささがみねとうげ)と呼ばれる。四国山地西部には他に日本二百名山に選定されている同名の笹ヶ峰が存在し、共に四国百名山に選定されている[1]。 |
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509.篠山 (高知県・愛媛県) ・ 日本愛媛県愛南町・高知県宿毛市 |
篠山(ささやま)は、四国の西南部の愛媛県と高知県の県境にある山[1]。日本三百名山の1つ。独立した山系で足摺宇和海国立公園の一部[1]。山名はミヤコザサおよびアケボノツツジの大群落があることに由来する[2]。 |
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510.佐々連尾山 ・愛媛県四国中央市・高知県長岡郡本山町 |
佐々連尾山(さざれおやま)は、愛媛県四国中央市と高知県長岡郡本山町にまたがる山。標高1,404.2m。四国山地中部にある。 予土県境にあり、美しい笹原を持つ奥深い山で、西からは白髪トンネル脇から登り始め大森山を越え本峰に至る。東からは県境の中川峠に両県から駆け上がり、スズタケの中をかき分け、幾つものピークを越え本峰に至る、どこから登っても厳しい山行である。新居浜市の別子銅山に次ぐ産出量の佐々連鉱山が北側中腹にあったが、いずれも閉山し時が流れている。山名の由緒はこれより前か後かは定かでない[1]。 |
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511.皿ヶ嶺 ・愛媛県東温市・久万高原町 |
皿ヶ嶺(さらがみね)は愛媛県中予地方の東温市と上浮穴郡久万高原町とに跨る皿ヶ嶺連峰県立自然公園を擁する山。山頂は久万高原町に属し、標高1271m[1]。 |
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512.三本杭 ・ 日本愛媛県宇和島市 |
三本杭(さんぼんぐい)は、四国山地西部に属する山である。国土地理院では石鎚山と同じ四国山地西部に分類しているが、石鎚山からは隔てられた四国南西部に位置する。滑床渓谷のすぐ南側に聳え、滑床山(なめとこやま)とも呼ばれる。日本三百名山の一つに数えられる[2]。 |
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513.障子山 ・愛媛県伊予郡砥部町・伊予市 |
障子山(しょうじやま)は、愛媛県伊予郡砥部町と伊予市にまたがる皿ヶ嶺連峰の西部に座する標高885.0メートルの山である。 ひと際高く聳えた目立つ山で、松山市郊外のどこからでも同定できる。山名の由来は、障子を立てたように見えるからという説と、雪が降ると山のヒノキや杉の木が障子の桟で、雪が障子紙のように見えることからという説が地元に伝わる[1]。山頂は広く、昔は採草地だったが、今は植林されてから数十年経った杉林となっている。その中に一本の道が花道の様にあり上がった先が舞台のようで、その真ん中に一等三角点があるが、展望は利かない。 |
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514.城山 (松山市) ・愛媛県松山市 |
城山(しろやま)は、愛媛県松山市内中心部にある、国の史跡に指定されている山である。正式には、「勝山」(かつやま)であるが、山頂に松山城天守があることから、一般的には「城山」と呼ばれている。東側背稜にはテレビ塔が立っている。 |
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515.翠波峰 ・愛媛県四国中央市 |
翠波峰(すいはみね)は、愛媛県四国中央市にある山。標高900m。石鎚山脈の北東部に出た支脈である法皇山脈東部にある。 双耳状に東西2つの峰を持つ。東峰と西峰の間に三等三角点889.6mがある。西峰が少し高く、その下が広場になっていて、そこまで車道が通じ容易に山頂に立てる。徒歩登山道は北側の高速道路側道脇からあり、松尾城跡、アヤメ池、水波権現を経て東峰に至る。南側斜面には牧場跡を開発した翠波高原があり、春は菜の花、秋はコスモスが咲く。また、展望もよく南に金砂湖、西は二ッ岳まで見渡せる。[1] |
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516.積善山 ・ 日本 愛媛県越智郡上島町(旧岩城村)岩城島 |
積善山(せきぜんさん)は芸予諸島の岩城島にある標高369.8mの山[1][2][3]。その放物線を描くような山容から、岩城富士の異名をとっている[1]。 岩城島のほぼ中央に位置し、北西側の小漕港付近と南東側の岩城港付近からそれぞれ自動車道が整備されており、山頂手前まで車で登ることが出来る。山頂手前の駐車場付近から山道に沿ってソメイヨシノやオオシマザクラ、山桜などの桜が生み出す約3000本の並木道が続いている[4][5][6]。そして、その3000本の桜並木が、この山と海の景色に彩りを添えており、それが美しいということでつとに知られている[4][5][6]。その帯状に咲く桜の織り成す景観は「天女の羽衣」の様であると称されるほどのものであり[7][5][8]、「岩城の桜を一度観たら、一年長生きができる」という噂もあるほどである[9]。岩城島の玄関口である 岩城港から続くおよそ6kmの登山道はハイキングコースとして人気が高い[5][10][6]。さて、そのような桜並木の道を登り、山頂に至るとそこには360度全方位が見られる展望台が設けられており、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々の多島美やしまなみ海道の橋の数々はもちろんのこと、南には石鎚山などの四国山地の山々を、北には中国山地の山々をも一望することができ、絶景であると評判である[7][5][1][6]。 |
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517.世田山 ・愛媛県西条市 |
世田山(せたやま)は、愛媛県西条市に座する標高339mの山で、笠松山(かさまつやま 標高357m)は当山と同じ山塊の北西約1.5kmのところにあり、両山の稜線中間地点の標高327.8mに二等三角点笠松山がある。世田山の麓には栴檀寺(通称・世田薬師)があり、その寺の駐車場から奥之院(本堂)を経て1.4km約40分で世田山頂上に達し、さらに稜線を1.5kmで笠松山頂上に行ける。笠松山頂上には笠松観音堂(本尊千手観音)と無線中継所があり、同定が易しい。当山の山頂からは展望がひらけ、北に今治平野を臨み、その先に来島海峡大橋、南は石鎚山脈、東は瀬戸内海の燧灘を見下ろす風光絶佳の地である。 当山は中世の山城で、天然の要害であるだけでなく、古来、国府防衛上の要衝となっていたので幾度となく合戦が繰り返された。1342年(興国3年)の戦は特に激しく、北朝の勢力七千により南朝方の最後の砦となった世田・笠松城を七方から包囲し、熾烈な攻防四十有日、多勢に無勢になすすべもなく世田城は陥落、城主の大舘氏明ら十七士は自刃を遂げた。また、笠松城主の篠塚伊賀守は豪腕にて敵中を突破し魚島に逃れた[1]。大舘氏明ら十七士の墓所が栴檀寺奥の院にある。 |
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518.高月山 ・愛媛県宇和島市・北宇和郡鬼北町 |
高月山(たかつきさん)は、愛媛県宇和島市と北宇和郡鬼北町にまたがる山。標高1,229.2m。鬼ヶ城山系に属する。 鬼ヶ城山系はもとより四国西南地域の最高峰で、鷹が多く生息していて藩政時代に鷹狩をしていたことや、山頂から筑紫(九州)の見える高い山というのが山名の由来である[1]。 黒尊スーパー林道からすぐの梅ヶ成峠から1時間ほどで山頂に至る。山頂部分の山容が三角形で最後の登りはきついがそれまでは緩やかな道が続く。[要出典] |
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519.高縄山 ・ 日本愛媛県松山市 |
高縄山(たかなわさん)は、愛媛県松山市にある、県の北部にあって高縄山地を形成する標高985.9mの山である。 |
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520.高森山 (宇和島市・西予市) ・愛媛県西予市・宇和島市 |
高森山(たかもりやま)は、愛媛県西予市と宇和島市にまたがる山。標高635.0m。法華津山脈に属する。 高森山の西には国道56号線が南北に通っており、その上には旧道である法華津峠がある。地元では法華津の山々と呼ばれている。また、法華津富士の名をもつ。山頂には一等三角点がある。南面の宇和海側は展望が良いが、北側は展望が利かない[1]。 |
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521.近見山 ・ 日本 愛媛県今治市 |
近見山(ちかみやま)とは、愛媛県今治市の波止浜町に位置する標高243.5mの山である。瀬戸内海国立公園に指定されている。[1] |
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522.筒上山 ・愛媛県久万高原町・高知県いの町 |
筒上山(つつじょうざん/つつじょうやま)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。標高1,860m[1][2]。四国百名山に選定されている。 |
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523.壺神山 ・愛媛県大洲市・伊予市 |
壺神山(つぼがみやま)は、愛媛県大洲市と伊予市にまたがる出石山地に属する標高970.8mの山である。 北西は瀬戸内海に山裾を落とし、南西は肱川が流れる。この地方では一番高い山である。壺神様という天水の神を祀る地域信仰の山であり、山頂近くに壺神神社がある[1]。 山頂直下に電波塔があるので車道が山頂近くまで来ており、15分足らずで頂上に至る。しかし頂上は雑木林の中にあり、展望は利かない[1]。 |
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524.天狗ノ森 ・愛媛県上浮穴郡久万高原町・高知県高岡郡津野町・吾川郡仁淀川町 |
天狗ノ森(てんぐのもり)は、愛媛県上浮穴郡久万高原町と高知県高岡郡津野町と吾川郡仁淀川町にまたがる山。標高1,485.0m。四国カルスト台地の東部にある天狗高原の最高地点である。 天狗高原は、大野ヶ原から鳥形山まで東西25kmに及ぶ四国カルスト[1]の東部に位置し、西側はカレンやドリーネをちりばめた高原であるのに対し、東側は原生林を残した深山の様相を呈している。三角点のある最高地点の天狗ノ森への登山は天狗荘の駐車場から東へ登り始め、瀬戸見ノ森展望台を経て約50分もあれば立てる。さらに東へ姫百合平、黒滝山、大引割小引割[2]へ登山道は続いている[3]。 |
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525.堂ヶ森 ・愛媛県西条市・久万高原町 |
堂ヶ森(どうがもり)は、愛媛県西条市と久万高原町にまたがる、標高1689mの石鎚山系の西端の山である。 |
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526.冨士山 ・ 日本 愛媛県大洲市 |
冨士山(とみすやま)は、愛媛県大洲市柚木にある山である。別名「大洲富士」と呼ばれている[1]。 |
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527.豊受山 ・愛媛県四国中央市 |
豊受山(とようけやま)は、愛媛県四国中央市にある山。標高1,247.4m。石鎚山脈の北東部に出た支脈である法皇山脈に属する。山容は隣の赤星山がゆったりおだやかであるのに比べ、天を突く尖頂が凛とした姿である。 北側から林道が中腹まで通じていて、約1時間半ほどの登山で山頂に至る。登山道は赤星山へのルートと分岐しており、赤星山山頂からのルートでも登頂することができる[1]。 山頂直下には豊受姫命を祀った豊受神社があり、簡素ながら二つの社殿が並び建ち20年ごとの式年遷宮が行われている[2]。その境内の端には風穴があり、麓一帯を襲う強風が吹くやまじ風がここから発生するとの迷信から風を鎮める神事が行われる。境内から少し登ったところが頂上であるが、雑木林の中という感じで、三角点は頂上から少し北へ下ったところにある。 |
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528.中津明神山 ・愛媛県久万高原町・高知県仁淀川町 |
中津明神山(なかつみょうじんさん)は、四国山地西部に属する山である。中津山(なかつさん)あるいは明神山(みょうじんさん)とも呼ばれ、国土地理院の地形図には中津山(明神山)と表記されている。麓の中津の神様(明神)が山名の由来であるとされている[1]。 |
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529.楢原山 ・愛媛県今治市 |
楢原山(ならばらさん)は、愛媛県今治市にある山。標高1041m。高縄山系の中央部にあり、蒼社川本流とその支流の木地川に挟まれている[1]。 |
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530.西赤石山 ・愛媛県新居浜市 |
西赤石山(にしあかいしやま)は、愛媛県新居浜市にある標高1,625 mの山である。四国山地西部の石鎚山地に属する。山名は赤茶けた変色を示す橄欖岩質が由来の東赤石山の西側に位置することによる。新・花の百名山(別子銅山越)、四国百名山に選定されている。 |
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531.西黒森 ・愛媛県西条市・高知県いの町 |
西黒森(にしくろもり)は、愛媛県西条市と高知県いの町にまたがる山。四国山地西部の石鎚山脈に属し、四国百名山に選定されている[1]。山頂近くの南側を瓶ヶ森林道が通り、容易に山頂に立つことが出来る。また、当山より東に向かって「神鳴池(かんならし)」「自念子ノ頭(じねんごのかしら)」「東黒森(ひがしくろもり)」も同林道により容易に行くことができるのでここで紹介する。 |
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532.二ノ森 ・愛媛県西条市・久万高原町 |
二ノ森(にのもり)は、石鎚山の南西側に位置し四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。愛媛県第二の高峰で山名もこれに由来し、四国でも剣山地の次郎笈(1,930.0m)に次いで4位、西日本でも同じく次郎笈に次いで5位となる。 |
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533.東赤石山 ・ 日本 愛媛県四国中央市、新居浜市 |
東赤石山(ひがしあかいしやま)は、四国に位置する標高1,710mの山である。愛媛県四国中央市(旧宇摩郡土居町)と新居浜市(旧宇摩郡別子山村)の境界に位置する。 |
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534.東三方ヶ森 ・愛媛県今治市・西条市・東温市 |
東三方ヶ森(ひがしさんぽうがもり)とは、愛媛県今治市、西条市、東温市にある標高1,232.7メートルの山である。高縄半島の南東部に位置し、同半島の最高峰である。 |
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535.二ッ岳 ・愛媛県四国中央市・新居浜市 |
二ッ岳(ふたつだけ)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。二ツ岳と表記される場合もあるが、国土地理院の地形図は「二ッ岳」と表記されている。四国百名山に選定されている。山名は二つの岩峰が相対して屹立していることによる[1]。四国において「岳」と付く山は少ない[2]。 |
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536.平家平 (高知県・愛媛県) ・愛媛県新居浜市・高知県吾川郡いの町・土佐郡大川村 |
平家平(へいけだいら)は、愛媛県新居浜市と高知県吾川郡いの町と土佐郡大川村にまたがる山。標高1,692.6m。石鎚山脈の核心から東へ離れた静寂峰である。 壇ノ浦の戦いで敗れた平家一行が祖谷から横倉山へ落ちのびる途中に滞在したといわれることが山名の由来である。全国には平家平という同じ名前は徳島県にもう一座(剣山の東方で、那賀郡那賀町にある1603.3mの山)ある。名前の通りなだらかな山容で際立った頂きはなく悠然と伏した形である[1]。 平家平への登山道は複数ある(別子山からは2つのルートがある)[2]。 新居浜市街から大永山トンネルを越えて別子山地区へ向かう途中の住友林業フォレスターハウスから登るのが一般的であるが、国道194号線の新寒風山トンネルを南に抜け本山トンネルの北側の足谷川をさかのぼる林道からの尾根筋を直登するコースが距離が短い。 |
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537.明神ヶ森 ・愛媛県松山市・東温市 |
明神ヶ森(みょうじんがもり)は、愛媛県松山市と東温市にまたがる山。標高1,217.0m。高縄山系に属し、その中部にある。 |
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538.譲ヶ葉森 ・愛媛県宇和島市 |
譲ヶ葉森(ゆずりがはもり)は、愛媛県宇和島市にあり、四国西南山地に座する標高1,016.0mの山である。 南に山頂部が平らな音無山を従え鞍部から一気に頂上へ迫り上がる山容は同定が易しい。山名由来は伝説ではあるが、後醍醐天皇の第8皇子・懐良親王が岩松に逗留されたおり庭にユズリハの木があり、その葉越しにこの山を仰がれたことからである[1]。広野峠から畜舎近くの車道脇に停め林道をカットするように登って行くと加塚越に至る。そこからは延々と斜面を駆け上がると山頂である。山頂は広く三角点から眺望の良い所に出ると南予の山々が見渡せる。 |
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539.鷲ヶ頭山 ・ 日本愛媛県今治市 |
鷲ヶ頭山(わしがとうざん、わしがとうさん)は、愛媛県今治市の大三島のほぼ中央に位置する標高436mの山である[1][2]。 |
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543.多々羅大橋 ・起点側:広島県尾道市瀬戸田町垂水終点側:愛媛県今治市上浦町井口[1] |
多々羅大橋(たたらおおはし)は、広島県尾道市の生口島と愛媛県今治市の大三島を繋ぐ道路橋。瀬戸内海の島々を結ぶ西瀬戸自動車道「しまなみ海道」を構成する。1998年全建賞道路部門受賞、同年土木学会田中賞作品部門受賞[1]。 |
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544.岡村大橋 ・起点側:広島県呉市豊町大長 - 終点側:愛媛県今治市関前岡村[1] |
岡村大橋(おかむらおおはし)は、広島県呉市の中ノ島と愛媛県今治市の岡村島を繋ぐ道路橋。 |
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545.生名橋 |
生名橋(いきなはし)は、愛媛県上島町の生名島と佐島との間に架かる橋梁。上島架橋構想の一環で、2番目に着工、完成した。斜張橋。2011年7月開通。平成23年度土木学会田中賞を受賞した。 |
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546.岩城橋 ・愛媛県越智郡上島町 |
岩城橋(いわぎばし)は、愛媛県越智郡上島町の瀬戸内海に架かり、生名島と岩城島を結ぶ愛媛県道338号岩城弓削線の橋長916 m(メートル)の斜張橋。 |
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547.上島架橋 |
上島架橋(かみじまかきょう)は、愛媛県越智郡上島町の岩城島を起点とし生名島、佐島を経て弓削島へと至る、愛媛県道338号岩城弓削線(延長約6.1 km)に架けられる弓削大橋、生名橋、岩城橋の3橋の総称である。2014年に「ゆめしま海道」の愛称が制定された[1]。 |
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548.九島大橋 ・宇和島市 |
九島大橋(くしまおおはし)は、愛媛県宇和島市にある九島に架かる橋。水深約30 mに設置されベルタイプ式橋脚基礎の設置水深として日本最大規模である[1]。 |
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549.長浜大橋 |
長浜大橋(ながはまおおはし)は、愛媛県大洲市の肱川河口にある道路橋。全体が赤く塗られていることから、地元では「赤橋」の愛称で親しまれている。2009年に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された。2014年12月10日に国の重要文化財に指定された[1]。 |
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550.弓削大橋 |
弓削大橋(ゆげおおはし)は、愛媛県の弓削島と佐島との間に架かる橋梁。上島架橋構想の一環で、最初に着工、完成した。斜張橋。1996年3月開通。 越智郡弓削町(現・同郡上島町)は、愛媛県の東北端に位置し、広島県境に接する、弓削島・佐島・他2つの島からなる。しかしながら、離島であることから、社会的にも経済的にも多くの課題を抱えていた。佐島(当時人口約900人)では、弓削町の中心地であり、役場もある弓削島と海峡を隔てていることから、受療、就学など生活、経済活動の面で大きな支障があった。このため、弓削島と佐島とを結ぶ架橋は、島民の長年の悲願であった。 この実現に向け、愛媛県と弓削町では1989年度(平成元年度)より「弓削大橋建設事業」を事業化し、詳細な調査や計画を進め、1990年度(平成2年度)から主橋梁の下部工事に着工し、1996年(平成8年)3月開通した。 |
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551.大島大橋 (愛媛県) ・愛媛今治市 |
大島大橋(おおしまおおはし)は、愛媛県の大島と見近島を結ぶ吊橋。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。伯方橋と一体になっていて、一般的には「伯方・大島大橋」と呼ばれる。単径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 座標: 北緯34度11分31.9秒 東経133度4分21.3秒 / 北緯34.192194度 東経133.072583度 / 34.192194; 133.072583 |
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552.大三島橋 |
大三島橋(おおみしまばし、「おおみしまきょう」とも)は、瀬戸内海の鼻栗瀬戸に架かるアーチ橋である。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成し、伯方島と大三島を結ぶ。 |
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553.来島海峡大橋 ・大島-四国間 |
来島海峡大橋(くるしまかいきょう おおはし)は、愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋で、来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋の総称である。本州四国連絡橋の尾道・今治ルートを構成する橋の1つ。 3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊橋であり[2]、全長は4105 mである。中央が西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で北側に自転車歩行者道、南側にバイク道を併設している。 |
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554.来島海峡第一大橋 |
来島海峡第一大橋(くるしまかいきょうだいいちおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の1番目の橋として愛媛県今治市の大島と同市武志島を結び、しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。3径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 座標: 北緯34度7分31秒 東経133度0分40秒 / 北緯34.12528度 東経133.01111度 / 34.12528; 133.01111 |
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555.来島海峡第二大橋 |
来島海峡第二大橋(くるしまかいきょうだいにおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の2番目の橋として、愛媛県今治市の下田水港沖にある海上アンカーブロック4Aと馬島を結び、しまなみ海道の一部を構成する。2径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋。 一般的に吊橋は、明石海峡大橋のように主塔間と両端部の桁をともにハンガーロープで吊す3径間のものか、下津井瀬戸大橋のように両端部の桁を吊さない単径間のものが多いが、来島海峡第二大橋は片端(馬島側)の桁のみを吊さない2径間となっているのが大きな特徴である。 座標: 北緯34度7分17秒 東経133度0分2秒 / 北緯34.12139度 東経133.00056度 / 34.12139; 133.00056 |
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556.来島海峡第三大橋 |
来島海峡第三大橋(くるしまかいきょうだいさんおおはし)は、瀬戸内海の来島海峡に架かる吊橋である。来島海峡大橋の3つ目の橋で、愛媛県今治市と今治市馬島を結び、しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成している。自動車の他、自転車・歩行者も通行が可能。 構造は単径間2ヒンジ補剛箱桁吊橋で、世界15位、日本3位の長大橋である。 座標: 北緯34度6分56秒 東経132度59分8秒 / 北緯34.11556度 東経132.98556度 / 34.11556; 132.98556 |
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557.伯方・大島大橋 |
伯方・大島大橋(はかたおおしまおおはし)は、西瀬戸自動車道(しまなみ海道、国道317号バイパス)を構成する10の橋のうちの、一体構造になっている伯方橋と大島大橋の総称である。 |
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558.伯方橋 ・愛媛今治市 |
伯方橋(はかたばし)は、伯方島と見近島を結ぶ道路橋。しまなみ海道(西瀬戸自動車道、国道317号バイパス)の一部を構成する。大島大橋と一体になっていて、一般的に「伯方・大島大橋」と呼ばれる。3径間連続鋼箱桁橋。 |
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559.上島諸島 |
上島諸島(かみじましょとう)は、愛媛県の北部、広島県と向かい合った瀬戸内海に位置する島しょ群。弓削島、生名島、岩城島、佐島など6つの有人島と10の無人島からなる[1]。 魚島諸島とともに上島町を構成している[1]。行政区画は、かつては弓削町・生名村・岩城村に分かれていたが、平成の合併により愛媛県越智郡上島町として一体化した。 江戸時代には、今治藩や松山藩に属し、諸大名の参勤交代の要路でもあったことから商業や廻船業で賑わった[1]。 上島架橋の整備が進み、弓削島・佐島・生名島・岩城橋の各島は道路で結ばれているものの、他の島々の間の交通は高速船・フェリー等の海上交通に依存している。 造船関連産業により、その中心地である広島県因島のベッドタウン的な傾向をもつようになった[1]。 |
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560.安居島 ・ 日本 愛媛県 |
安居島(あいじま)とは、愛媛県松山市に属する有人島。2020年(令和2年)9月の住民基本台帳における人口は13人。 特産品として、ひじきをはじめとした海藻・魚介類がある。釣り客が時折訪れる程度の静かな島である。 |
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561.青島 (愛媛県) ・ 日本(愛媛県) |
青島(あおしま)は瀬戸内海(伊予灘)海上に位置する愛媛県大洲市(旧:喜多郡長浜町)の島。 |
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562.赤穂根島 ・ 日本 愛媛県越智郡上島町 |
赤穂根島(あかほねじま)とは、瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島のうち上島諸島に属する島[1]。岩城島の約300メートル南東の海上に位置する[1]。面積2.09km2[1]。 |
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563.生名島 ・ 日本 |
生名島(いきなじま)は、芸予諸島の中の上島諸島にある離島。愛媛県上島町に属する。 |
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564.岩城島 ・ 日本 愛媛県越智郡上島町 |
岩城島(いわぎじま)は、愛媛県北東部に位置する離島。芸予諸島のうち赤穂根島などとともに上島諸島に属する[1]。行政区画は愛媛県越智郡上島町。 島の中央にそびえる積善山は、三千本に及ぶ桜の名所としても知られている。これらの観光資源を活用した観光客誘致や、1985年からは「青いレモンの島」のキャッチフレーズで、島特産のレモンを利用した産業振興策に取り組み始め、今日では一定の評価を得ている。さらに、1990年代からはグリーンツーリズムなどにも取り組んでいる。 |
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565.魚島 ・愛媛県越智郡上島町 |
魚島(うおしま)は、芸予諸島にある魚島群島の主島。愛媛県越智郡上島町に属する離島及び有人島である。 |
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566.馬島 (愛媛県) ・ 日本・愛媛県 |
馬島(うましま)は、瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の島の1つ。愛媛県今治市に属する。 |
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567.大下島 ・日本(愛媛県) |
大下島(おおげしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島に位置する有人島。愛媛県今治市に属する。 |
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568.大島 (愛媛県今治市) ・日本(愛媛県) |
大島(おおしま)は、愛媛県に属する面積41.89km2(国土地理院による)の島。芸予諸島に属する。行政区分は越智郡吉海町と宮窪町の2町に分かれていたが、2005年1月16日に今治市などとの合併により同市の一部となった。旧町時代には伯方島、大三島とともに三島五町と総称されていた。 島の北東部の宮窪地域は、中世に瀬戸内海を舞台として縦横に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠をおき、水軍遺跡や言い伝えも多数ある。これにちなみ、宮窪港を会場に村上水軍にちなんだ水軍レースなどのイベントが毎年7月に開催され、多くの人でにぎわう。特産品には大島石等がある。 |
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569.大島 (愛媛県八幡浜市) ・ 日本(愛媛県) |
大島(おおしま)は、愛媛県八幡浜市の沖合に位置する群島の総称、もしくはその主島の名称。八幡浜市における唯一の有人島である。国内および県内の他の大島と区別するため八幡浜大島(やわたはまおおしま)とも称される。面積は1.82km2、人口は2015年現在、244人[1]。 |
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570.大三島 ・日本(愛媛県) |
大三島(おおみしま)は、愛媛県今治市に属する芸予諸島の中の1つの有人島。愛媛県の最北に位置し、同県に属する島の中では最大である。大山祇神社がある「神の島」として知られている。 伊予国風土記(逸文)には「御嶋」として現われる。一方、「大三島」の名は古くは鎌倉時代の文献に見えるが、これは島内にある大山祇神社(中世は三嶋大明神または三嶋社、大三島宮など)のことである。江戸期には島名と徐々に区別されなくなっていった。、 |
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571.岡村島 ・日本(愛媛県) |
岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島。行政的には愛媛県今治市に属している。 ミカンなどの果樹栽培と漁業が盛ん。本州の広島県呉市と安芸灘とびしま海道(陸路)でつながっており、その終端である[1]。2021年(令和3年)11月の時点の人口は約280人で過疎化が進んでいる[1]。2012年(平成24年)4月時点では409人[2]、240世帯だった。 |
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572.小島 (愛媛県) ・日本(愛媛県) |
小島(おしま)は、瀬戸内海のほぼ中央部、来島海峡の西部に位置する有人島。愛媛県今治市に属する。来島群島を構成する島のひとつ。離島指定。 明治30年代に日露戦争に備えて芸予要塞が築かれ、遺跡が島内に数多く残されている。 面積0.50 km2、周囲3 kmの「琵琶」の形をした小さい島。集落・船着場・港(漁港)は島の南側にあり、2007年1月31日現在、21世帯、人口33人で、漁業、農業、海運業で生計を立てている世帯が多い。 |
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573.嘉島 (宇和島市) ・日本(愛媛県) |
嘉島(かしま)とは、愛媛県宇和島市より西方約19キロにある有人島。人口は53世帯159人(平成19年9月)。藩政時代より隣接する戸島の属島として、1958年に周辺四村と宇和海村(1974年宇和島市に編入)として合併するまでは戸島村を形成していた。 |
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574.九島 ・日本(愛媛県) |
九島(くしま)は、愛媛県の宇和島港の西、沖合い約3キロメートル、湾の入り口にたちはだかる形となっている有人島である。宇和海諸島の一部をなし、行政区域としては宇和島市に属する。 |
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575.来島 ・ 日本 愛媛県今治市 |
来島(くるしま)は、愛媛県今治市の来島海峡の西側、波止浜湾の入り口、四国から沖合い240mに位置する有人島である。芸予諸島の一部(来島群島)をなし、面積0.04km2。島の中央に標高47mの小山があり、かつては来島城もあった。島の南東に来島漁港と集落がある。来島海峡は潮流が速く、潮向も複雑なことからきた「狂う潮」が訛り、「くるしま」となったといわれている。住所表記上は、近傍の小島(おしま)も含まれる。 |
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576.小大下島 ・日本(愛媛県) |
小大下島(こおげしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島に位置する有人島。愛媛県今治市に属する。地形図では、「こおおげしま」とふりがなが記載されているが、通常は「こおげしま」又は「こおげじま」と呼ぶ。 |
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577.興居島 ・ 日本 愛媛県松山市 |
興居島(ごごしま)は、愛媛県松山市の沖合いに所在する忽那諸島にある島[2]。瀬戸内海に浮かぶ有人指定離島である。 |
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578.佐島 (上島諸島) ・日本(愛媛県) |
佐島(さしま)とは瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の一つの有人島。弓削瀬戸をはさみ弓削島の南西に隣接し、弓削島との間に弓削大橋が架かっている。北は生名島と隣接し、生名島との間には生名橋が架かっている。西に岩城島、赤穂根島。これらの島々と上島諸島を形成している。愛媛県越智郡上島町に属する。 |
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579.関前諸島 |
関前諸島(せきぜんしょとう)は、岡村島、大下島、小大下島の3島からなる、瀬戸内海中部の諸島。芸予諸島の一部をなし、愛媛県今治市に属する。2005年1月の市町村合併までは3島で越智郡関前村を構成していた。 今治港の北西約17kmにある。北に広島県の大崎上島、西に大崎下島があり、地理的に広島県に近い。岡村島が中心的な島で、今治市関前支所(旧・関前村役場)がある。岡村島はクロツバメシジミの生息地が存在することで知られる。 岡村港、小大下港、大下港には、フェリー発着可能な乗り場が整備されている。岡村島は安芸灘とびしま海道にて、他の島を経由して本州と陸路でつながっている。愛媛県へは直接つながってないため、船舶が就航しない夜間や荒天時に四国に向かう場合は、実に17本もの海上架橋[注釈 3]を通過する必要がある。他の2島は離島である。広島県の大崎上島や、愛媛県の大三島への架橋構想がある。 |
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580.高井神島 ・ 日本 愛媛県 |
高井神島(たかいかみしま)は、愛媛県越智郡上島町に属する有人島・離島である。 芸予諸島に属し、瀬戸内海の魚島群島の一角を占めている。 |
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581.竹ヶ島 (宇和島市津島町) ・ 日本 愛媛県 |
竹ヶ島(たけがしま)は、愛媛県の津島港(宇和島市、旧津島町)の沖合い西方約5kmにある有人島。面積は0.5km2、周囲は3km。島の最高峰は172m、人口は20世帯、59人(平成19年9月)。 島の始まりとしては、元禄13年(1700年)に宇和島藩の庄屋赤松家の開墾によるという説のほか、淡路島から移り住んだという説もある。昭和30年代に真珠母貝の養殖が盛んになった。しかしながら、真珠の大量斃死により、厳しい状況に立たされている。 竹ヶ島の北東には陸繋島として高島がある。同じ宇和島市には同名の高島が存在するが別のものであるため注意が必要である。 |
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582.津島 (今治市) ・ 日本 愛媛県今治市 |
津島(つしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、来島海峡の北東入り口付近に位置する有人島。大島の属島の一つで、大突間島を挟んで大島の西に位置する。芸予諸島の一部をなし、愛媛県今治市に属する。 |
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583.釣島 ・日本 愛媛県松山市 |
釣島(つるしま)は、愛媛県松山市に属し、興居島の西に位置する有人島。 忽那諸島に含めることもある(忽那七島という場合、通常は含まない)。周辺は好漁場であり、松山市街からの遊漁(釣り)客も多い。 |
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584.津和地島 ・日本 愛媛県松山市 |
津和地島(つわじじま)は、愛媛県松山市に属する島。忽那諸島(くつなしょとう)の一部で、有人島の内では最も北西にあり、山口県、広島県に近い島である。情島・諸島(山口県周防大島諸島)との間は諸島水道で隔てられている。 |
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585.戸島 (愛媛県) ・日本(愛媛県) |
戸島(とじま)とは、宇和島港の沖合いの有人島である。三浦半島(蔣淵半島)の突端のすぐ先にある。日振島は戸島よりも、さらに西の九州側になる。1958年(昭和33年)に、周辺四村と宇和海村(現宇和島市)として合併するまでは属島の嘉島と共に戸島村を形成していた。 |
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586.中島 (愛媛県) ・日本(愛媛県) |
中島(なかじま)は、愛媛県松山市に属する離島。同県の北西沖合にある忽那諸島(くつなしょとう)にある一島で、その中では最も面積の広い有人指定離島である。 |
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587.新居大島 ・ 日本(愛媛県新居浜市) |
新居大島(にいおおしま)は、愛媛県新居浜市の北東約1.5キロメートルの沖にある周囲約9,8キロメートルの有人島である。島の住所は愛媛県新居浜市大島で、郵便番号は792-0891。村上水軍(伊予水軍)の統領であった村上義弘生誕の地とも伝えられる[1]。2013年3月31日現在の住民基本台帳に基づく人口は280人[2]。2017年6月現在では207人。その半数が70歳以上[3]。 |
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588.怒和島 ・日本(愛媛県) |
怒和島(ぬわじま)とは、愛媛県松山市の島。 松山市北西部、山口県・広島県に海をはさんで向かい合う忽那諸島の一部。忽那諸島で最も大きい中島の西にあり、およそ10キロメートル北に広島県の倉橋島がある。 |
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589.野忽那島 ・日本 愛媛県松山市 |
野忽那島(のぐつなじま)とは、瀬戸内海に位置する忽那諸島の一部で、有人島の内では一番東、四国本島側にある。愛媛県松山市に属する。面積は0.92km2、周囲5.7km。 |
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590.伯方島 ・日本(愛媛県) |
伯方島(はかたじま)は、愛媛県今治市にある島である。 |
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591.比岐島 ・ 日本 愛媛県今治市 |
比岐島(ひきじま)は、愛媛県今治市にある島。 |
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592.日振島 |
日振島(ひぶりしま)は、愛媛県宇和島市の宇和島港から西方約28km、愛媛県と大分県との間の宇和海にある有人島である。また宇和島市の住所表記に使われる大字でもあり、対応する郵便番号は798-0099。なお、属島の沖の島、竹ヶ島 、横島、御五神島も大字は日振島に属する。 |
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593.二神島 ・日本(愛媛県) |
二神島(ふたがみじま)とは、瀬戸内海の中部に位置する忽那諸島に属する島。島嶼群では南西に位置する。行政区画は愛媛県松山市に属する。(旧 温泉郡中島町) |
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594.北条鹿島 ・ 日本 愛媛県松山市 |
北条鹿島(ほうじょうかしま)は、愛媛県松山市北条地区(旧・北条市)の沖合いにある島。鹿島(かしま)とも呼ばれる。野生のキュウシュウジカが生息している[1][2]。北条港から渡船で渡ることができる[2][3]。 |
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595.睦月島 ・日本(愛媛県) |
睦月島(むづきじま)とは、瀬戸内海に位置する忽那諸島に含まれる島。忽那諸島の有人島の内では、中島本島の東の島である。愛媛県松山市に属する。 |
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596.弓削島 ・日本(愛媛県) |
弓削島(ゆげしま)は、愛媛県北東部上島町にある離島である。 |
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597.鵜島 (今治市) ・日本(愛媛県) |
鵜島(うしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、大島と伯方島との間の宮窪瀬戸にある小島。芸予諸島の一部をなし、愛媛県今治市に属する。 |
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598.江ノ島 (愛媛県) ・日本(愛媛県) |
江ノ島(えのしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、上島諸島の一つの無人島。愛媛県越智郡上島町に属する。 魚島の南東方向約0.4キロの海上に位置する。 江戸時代末期、上納米を積んだ薩摩藩の御用船「吉田丸」が江戸に向かう途中、この島の南にある岩礁で座礁し沈んだ米を目当てに鯛が集まってきたことから、この岩礁は吉田磯と命名された。[1]。鯛の好漁場として知られており、明治40年には大漁記念碑が建てられた[2]。 明治期に開墾され耕作されていたが、朝鮮出漁などで魚島村が好景気になったことにより昭和初期は荒れ地になった。その後、1946年に再開墾され麦や甘露が栽培された[3]。 龍宮城の入口と言い伝えられている洞窟があり、上陸体験プログラムが開かれている[4][リンク切れ][1]。 |
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599.御五神島 |
御五神島(おいつかみじま)とは、愛媛県宇和島市に属する日振島の南5kmに位置する無人島。周辺は好漁場として知られ、また磯釣りの名所としても知られ多くの釣り客が訪れる。藩政期には宇和島藩領の日振郷のイワシ漁場として開発される。中世には漁民が住んでいたとの古文書もある。1947年(昭和22年)、日振島から引揚者が入植したが、台風や野ネズミの被害に見舞われた。1960年には人口65人との国勢調査の記録もあるが、1965年(昭和40年)に全員離島し無人島となった。 |
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600.大突間島 ・日本(愛媛県) |
大突間島(おおづくまじま)は、瀬戸内海のほぼ中央、来島海峡の北東口に位置する小島。無人島。愛媛県今治市に属する。 |
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