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盛岡市の城

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1.猪去館  ・城館
猪去館(いさりたて)は、岩手県盛岡市にかつて存在した日本の城。別称・猪去御所。
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2.嫗戸柵  ・城柵
嫗戸柵(うばとのさく/うばこのさく/おばこのさく)は、岩手県盛岡市内にあり蝦夷俘囚の長を名乗った安倍氏の勢力範囲最北の古代城柵である。厨川柵と連立した造りと考えられ、安倍氏の重要拠点であった。盛岡市安倍館町の「安倍館遺跡[2]」が擬定地とされていたが、現在残っている遺構は中世工藤氏の厨川城跡と考えられている[3][4]。
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3.乙部館  ・平城
乙部館(おとべだて)は、岩手県盛岡市乙部に所在した日本の城。現在は、宅地や畑地になっている。
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4.厨川城  ・平城
厨川城(くりやがわじょう)は、現在の岩手県盛岡市安倍館町にあたる陸奥国岩手郡厨川村字館にあった日本の城である。別名・栗谷川城(くりやがわじょう)。遺跡(埋蔵文化財包蔵地)名では「安倍館遺跡(あべたていせき)」と呼ばれる[1]。平泉滅亡から盛岡開府までのおよそ400年間、盛岡地域の行政拠点となった城館である。
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5.厨川柵  ・城柵
厨川柵(くりやがわのさく)は、岩手県盛岡市内にあったとされる、俘囚の豪族安倍氏の勢力範囲最北の居館(城柵)である。中世から近世には栗谷川・栗屋河とも記される。衣川柵・嫗戸柵と並び安倍氏の重要拠点であった。同市天昌寺町付近にあったとされるが、所在地は広範囲にわたるとも見られ確実な遺構は発見されていない[2]。
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6.下田館  ・城館
下田館(しもたたて)は、岩手県盛岡市下田生出袋に所在した日本の城。
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7.志波城  ・古代城柵
志波城(しわじょう/しわのき)は、現在の岩手県盛岡市中太田・下太田にあった日本の古代城柵。名称は「斯波城」とも。国の史跡に指定されている。現在は盛岡市によって「志波城古代公園」として整備され、外郭南門(がいかくなんもん)築地塀(ついじべい)、政庁の南・西・東それぞれの門、官衙建物などが復元されている。一時は鎮守府将軍が在する鎮守府が置かれていた可能性がある。
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8.中野館 (陸奥国)  ・城館
中野館(なかのたて)は、岩手県盛岡市茶畑に所在した日本の城。別称・飛鳥川館。
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9.見前館  ・平城
見前館(みるまえだて)は、岩手県盛岡市西見前8地割館にあった日本の城。別称は見前城、見舞館。
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10.盛岡城  ・連郭式平山城
盛岡城(もりおかじょう)は、岩手県盛岡市(陸奥国岩手郡)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方城(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり、両者は別の城郭である。
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