オーサムサーチジャパン

長岡市の城

1.小国沢城  ・山城
小国沢城(おぐにさわじょう)は、新潟県長岡市小国町楢沢字菅沼ほかに所在する日本の城(山城)跡。小松入城(こまついりじょう)・菅沼城(すがぬまじょう)ともいう。この山城単体を指して「小国城」(おぐにじょう)と呼ぶ事もあるが[4]、行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては西麓の小国氏居館推定地が小国城と呼ばれている[2]。なお、小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群をも一括して「小国城」とする意見がある[5]。
Wikipedia    内容詳細  
2.小国城 (越後国)  ・平城
小国城(おぐにじょう)は、新潟県長岡市小国町小国沢・太郎丸に所在する日本の城(平城・居館)跡。越後国刈羽郡小国保を拠点とした小国氏発祥の地とされる。行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては同町太郎丸の小国氏居館推定地を指すが[2]、同町楢沢の小国沢城(小松入城・菅沼城)単体を「小国城」と呼ぶ場合や[4]、あるいは小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群を一括して「小国城」とする意見がある[5]。
Wikipedia    内容詳細  
3.蔵王堂城  ・平城
蔵王堂城(ざおうどうじょう)は、現新潟県長岡市西蔵王の金峯神社及び安禅寺の位置にあった日本の城。長岡市指定史跡[1]。
Wikipedia    内容詳細  
4.島崎城 (越後国)  ・山城
島崎城(しまざきじょう)は、現在の新潟県長岡市島崎にあった日本の城。
Wikipedia    内容詳細  
5.栖吉城  ・山城
栖吉城(すよしじょう)は、新潟県長岡市栖吉町にあった日本の城。 築城年ははっきりしないが、永正年間(1504年 - 1521年)に古志長尾家の長尾孝景が築城し、蔵王堂城から古志長尾家の本拠を移したとされる。 御館の乱では景勝の中心的な上田長尾家(通称、上田衆)との対抗上上杉景虎に与したが、居多浜の合戦に於いて城主上杉景信(通称、古志十郎)が討死。城も落城して古志長尾家の本流は滅亡した。 乱後は上杉謙信在命中に古志長尾家を継承(長尾姓の名乗りは辞退)していた河田長親が古志長尾家の遺臣たちを栖吉衆として再編。その長親が越中松倉城で急死すると最前線は無理との判断で嫡男の岩鶴丸が栖吉城に戻される形で城主となるが早世。親戚筋の河田親詮が河田家を継ぐも軍役を縮小されて栖吉衆の一武将に格下げとなった為に名実共に古志長尾家は滅亡となった。 上杉家の会津転封により廃城となったが、河田家の没落以後は景勝直参となった栖吉衆が番将として治めた。 また、上杉謙信の母である虎御前(青岩院)はこの城の城主であった長尾房景(長尾顕吉との説も有り)の娘である。このため謙信はこの城で誕生したと伝説されている。
Wikipedia    内容詳細  
6.栃尾城  ・山城
栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾地域に存在した日本の城。別名・舞鶴城、大野城とも。標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城である。新潟県指定史跡。
Wikipedia    内容詳細  
7.長岡城  ・平城
長岡城(ながおかじょう)は、越後国古志郡長岡[1] (現:新潟県長岡市)にあった日本の城である。
Wikipedia    内容詳細  
8.本与板城  ・山城
本与板城(もとよいたじょう)は、新潟県長岡市与板町本与板にあった日本の城。県指定史跡。
Wikipedia    内容詳細  
9.与板城 (戦国時代)  ・山城
与板城(よいたじょう)は、越後国古志郡(のち三島郡)[2]与板(現・新潟県長岡市与板町与板)にあった日本の城。県指定史跡。
Wikipedia    内容詳細  
10.与板陣屋
与板(與板)陣屋(よいたじんや)はかつて越後国三島郡与板[1](現新潟県長岡市与板町与板甲)に所在した陣屋。与板藩の藩庁で後に与板藩が城主格となったため与板(與板)城(よいたじょう)とも呼ばれる。
Wikipedia    内容詳細  


TOPへ戻る