1.瓶ヶ森 ・愛媛県西条市 | ||||||
瓶ヶ森(かめがもり)は、四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。標高1,897m[1][注釈 1]。日本三百名山および四国百名山の一つに数えられる[2][3]。愛媛県第三の高峰で、四国でも二ノ森 (1,929m) に次いで5位、西日本でも八経ヶ岳に次いで7位となる。瓶ヶ森の名称は山頂西側の湧水のたまる瓶壺(かめつぼ)に由来する[4]。 | ||||||
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2.世田山 ・愛媛県西条市 | ||||||
世田山(せたやま)は、愛媛県西条市に座する標高339mの山で、笠松山(かさまつやま 標高357m)は当山と同じ山塊の北西約1.5kmのところにあり、両山の稜線中間地点の標高327.8mに二等三角点笠松山がある。世田山の麓には栴檀寺(通称・世田薬師)があり、その寺の駐車場から奥之院(本堂)を経て1.4km約40分で世田山頂上に達し、さらに稜線を1.5kmで笠松山頂上に行ける。笠松山頂上には笠松観音堂(本尊千手観音)と無線中継所があり、同定が易しい。当山の山頂からは展望がひらけ、北に今治平野を臨み、その先に来島海峡大橋、南は石鎚山脈、東は瀬戸内海の燧灘を見下ろす風光絶佳の地である。 当山は中世の山城で、天然の要害であるだけでなく、古来、国府防衛上の要衝となっていたので幾度となく合戦が繰り返された。1342年(興国3年)の戦は特に激しく、北朝の勢力七千により南朝方の最後の砦となった世田・笠松城を七方から包囲し、熾烈な攻防四十有日、多勢に無勢になすすべもなく世田城は陥落、城主の大舘氏明ら十七士は自刃を遂げた。また、笠松城主の篠塚伊賀守は豪腕にて敵中を突破し魚島に逃れた[1]。大舘氏明ら十七士の墓所が栴檀寺奥の院にある。 | ||||||
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3.西黒森 ・愛媛県西条市・高知県いの町 | ||||||
西黒森(にしくろもり)は、愛媛県西条市と高知県いの町にまたがる山。四国山地西部の石鎚山脈に属し、四国百名山に選定されている[1]。山頂近くの南側を瓶ヶ森林道が通り、容易に山頂に立つことが出来る。また、当山より東に向かって「神鳴池(かんならし)」「自念子ノ頭(じねんごのかしら)」「東黒森(ひがしくろもり)」も同林道により容易に行くことができるのでここで紹介する。 | ||||||
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4.二ノ森 ・愛媛県西条市・久万高原町 | ||||||
二ノ森(にのもり)は、石鎚山の南西側に位置し四国山地西部の石鎚山脈に属する山である。愛媛県第二の高峰で山名もこれに由来し、四国でも剣山地の次郎笈(1,930.0m)に次いで4位、西日本でも同じく次郎笈に次いで5位となる。 | ||||||
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