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海津市の橋

1.今尾橋  ・岐阜県海津市今尾 - 養老郡養老町大巻 間
今尾橋(いまおばし)は、岐阜県海津市と岐阜県養老郡養老町の揖斐川に架かる岐阜県道213号養老平田線の橋である。左岸で岐阜県道220号安八海津線がその下部で交差する[1]。 現在の橋は2代目である。通称を新今尾橋ともいう。 かつては、大巻の渡し(今尾の渡し)が存在した。ここに恒久的な橋の建設が持ち上がった際は予算が取れず実現しないと思われたが、後藤氏が私財を投げうって当時のお金で五百円を寄付して、住民の長年の夢が叶った[2]。 1938年(昭和13年)1月、今尾橋(初代)開通。延長341m、幅員4mの橋であった。建設当時のお見合いは、この橋上を双方が交差する形で行われていた。 1948年(昭和23年)9月1日 - 海津郡吉里村、今尾町、海西村、養老郡池辺村で、学校組合立今尾中学校を結成する(平成の大合併で名称等を改正して海津市立平田中学校)。これには今尾橋の存在は欠かせない。
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2.海津橋  ・岐阜県海津市南濃町安江 - 海津町安田 間
海津橋(かいづばし)は、岐阜県海津市の揖斐川に架かる岐阜県道1号岐阜南濃線のワーレントラス橋である。 現在の橋は2代目である。 この地域は川と川に挟まれているため、交通は渡船によらざるをえず、明治以来、地元から架橋の陳情が数多く行われてきた。ただ費用面からなかなか実現されなかった。 1921年(大正10年)、架橋のための測量。ただ関東大震災の1923年(大正12年)の影響で架橋は中止となる。 1930年(昭和5年)9月に着工。総工費は21万円でそのうち地元負担金が4万7,720円。この負担金が地元の悩みであったが七十六銀行の頭取を務めた曽根太三郎が私財3万円を拠出着工となった。 1932年(昭和7年)、海津橋(初代)が開通。延長399.1m、幅4.5mのワーレン型の橋であり、中央付近の120.1mは吊り橋であった。
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3.東海大橋 (木曽川・長良川)  ・愛知県愛西市給父町 - 岐阜県海津市海津町秋江 間
東海大橋(とうかいおおはし)は、愛知県愛西市と岐阜県海津市の木曽川、長良川に架かる愛知県道・岐阜県道8号津島南濃線のワーレントラス橋である。 木曽川と長良川を跨ぐ。木曽川と長良川の境は締切堤になっている。 かつては日本道路公団が管理する有料道路であった。無料開放後、料金所があった場所が広くなっている。
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4.長良川大橋  ・愛知県愛西市立田町福原 - 岐阜県海津市油島間
長良川大橋(ながらがわおおはし)は、岐阜県海津市と愛知県愛西市を結ぶ、長良川にかかる愛知県道・岐阜県道・三重県道125号佐屋多度線の橋である。 木曽川の立田大橋、揖斐川の油島大橋とともに、愛知県、岐阜県、三重県の三県共同で同県道の一部として建設されたもので、3つの橋の中で最後に完成、これにより愛知県側の国道155号線から三重側の国道258号線間5.8 kmが接続された。 愛知県、三重県方面から木曽三川公園(木曽三川公園センター)へのアクセス道路である。
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5.南濃大橋  ・岐阜県羽島市桑原町大須 - 海津市平田町幡長
南濃大橋(なんのうおおはし)は、岐阜県羽島市と海津市の間の長良川にかかる岐阜県道1号岐阜南濃線の桁橋である。 岐阜市や愛知県方面からお千代保稲荷へのアクセス道路であり、縁日は渋滞が発生する。南濃大橋の名称の由来は「美濃国の南部」からで、南濃町(現在の海津市南濃町)とは関係ない。長良川の右岸で岐阜県道23号北方多度線がアンダーパスとなり、北西の近隣に道の駅クレール平田があり、橋の北側の右岸河川敷に平田リバーサイドプラザがある。 かつて、ここには“野寺の渡し”という渡船があった。
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6.福岡大橋 (揖斐川)  ・岐阜県海津市南濃町駒野 - 福岡 間
福岡大橋(ふくおかおおはし)は、岐阜県海津市の揖斐川に架かる県道(愛知県道・岐阜県道8号津島南濃線)の橋である。旧海津郡海津町と旧海津郡南濃町を結ぶ。 揖斐川の橋であるが、揖斐川と津屋川(揖斐川の支流)の2つの川にまたがっている。正確には揖斐川の橋が『福岡大橋』、津屋川の橋は『津屋川橋』という。揖斐川と津屋川は背割堤で分けられており、福岡大橋と津屋川橋とはこの背割堤が境となる。
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