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四日市市の橋

1.思案橋 (四日市市)
思案橋(しあんばし)は、三重県四日市市浜町および蔵町にある史跡。国道164号を挟んで両側の歩道に復元された橋が設置されている。古くは勧進橋とも呼ばれ、幅14間の水路を跨ぐ水門でもあり、水路は新丁不動寺前に至った[1]。 天正十年六月徳川家康は本能寺の変を避け泉州堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むか、を思案したとされる。結果、当地の廻船問屋の協力を得て、海路を採った。この伝承を元に、思案橋と呼ばれることとなった。家康は、この功を称えて、現在の四日市一帯を天領としたとされる。 都市計画による道路拡張などの結果、現在は川は流れていないものの、1987年に橋を模したモニュメントが復元設置された。
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2.末広橋梁
末広橋梁(すえひろきょうりょう)は、三重県四日市市の千歳運河にかかる跳開式可動橋である。橋梁技術史上貴重な存在で、高名な橋梁技術者である山本卯太郎の設計による。可動橋として初の重要文化財指定[1]。鉄道橋で、橋梁上には、構外側線[2](JR関西本線 四日市駅~四日市港)が通っている。西岸は四日市第一号埋立地であった四日市市末広町[3]、東岸は同第二号埋立地であった千歳町となっている。
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3.臨港橋  ・三重県四日市市末広町・千歳町
臨港橋(りんこうばし)は三重県四日市市にある橋梁。 四日市港の千歳運河に掛けられた四日市市道の道路橋で跳開式可動橋。1932年(昭和7年)8月に初代の橋が、1963年(昭和38年)に2代目の橋が掛けられ[1]、1991年(平成3年)11月に3代目となる現在の橋が竣工した[2] 初代の橋は山本卯太郎が興した山本工務所の設計・製作によるもので[1]、現在の橋に比べて幅員・可動部は半分ほどしかなく、橋の中央にトロッコのレールが敷設されていた[1]。現在の橋は全長:72.6メートル、幅員:11メートル、可動部の長さ:26.1メートル。通常は下ろされた状態で、船が通過する時のみ中央部分を油圧ジャッキによって約70度まで跳ね上げる[3]。上昇に要する時間は約2分30秒[3]。橋の親柱には四日市の名産でもある萬古焼のタイルが張り付けられている[3]。
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