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柏原市の橋

1.川端橋
川端橋(かわばたばし)は、大阪府柏原市の大和川に架かる吊橋。「青谷吊り橋」とも呼ばれる。 右岸(北)の青谷青少年運動広場と左岸(南)の国分地区を最短で結ぶ橋であるが、歩行者専用である。自転車の通行もできるが青少年運動広場側は階段とスロープになっている。一度に通行できる人員が15名にまで制限されており、揺らさないようにとの注意書きがされている。主塔は赤色に塗装されている。南側のワイヤーアンカーはジェイテクトの工場敷地内に設置されている。 南詰に「夏目茶屋の渡し」跡の説明板が設置されている。かつては明治初期に大和川南岸に新しい街道(現・国道25号)が整備されるまではここで渡し船で対岸に渡り、亀の瀬経由で奈良方面に通じていた。かつて渡し場付近には茶屋があり、付近にナツメが植えられていたのが名の由来とされる。
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2.国豊橋
国豊橋(くにとよばし)は、大阪府柏原市の大和川に架かる国道25号線(国道165号線重複)の橋。 すぐ西(下流)側に近鉄大阪線の大和川橋梁が架かっている。 柏原市の高井田地区と国分地区を結ぶ交通上重要な橋である。竜田越奈良街道(北ルート)と長尾街道が交わる地点にあたり、昔も今も交通の要衝である。 江戸時代には渡し船で両岸を結んでいたが、当時の国分村の住民が幕府へ架橋を願い出て許可自体はされるものの、資金不足で架橋されることはなかった。 明治時代にはいると架橋の機運は一気に高まり、河内国の東高野街道沿線一帯から資金調達を行い、1870年(明治3年)に最初の橋が架けられた。最初の橋は木橋であり、維持をするのに苦労したと伝えられている。当初は「国分橋」と呼ばれ、国分と高井田の間に架かることから「くにたか(国高)」→転じて「国豊(くにたか)橋」と改めたが、いつしか「くにとよ」橋と呼ばれるようになった。
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3.第四大和川橋梁  ・大阪府柏原市
第四大和川橋梁(だいよんやまとがわきょうりょう)は、大阪府柏原市の大和川に架かる西日本旅客鉄道(JR西日本)関西本線(大和路線)の鉄道橋。
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