1.安部オール島 ・ 日本 沖縄県名護市安部 | ||||||
安部オール島(あぶオールしま)は沖縄本島東部、沖縄県名護市南東部の安部崎の南東約100メートルにあるサンゴ石灰岩でできた無人島。 住所は沖縄県名護市安部に所在する。 対岸の沖縄本島の一帯は「安部」という集落となっているが、これは勝連町の安部大主が移り住んでつくられたといわれ、安部大主はその後この島に葬られた。今でも、勝連から墓参りに訪れる人がいる[1]。 旧暦の4月には、害虫を捕らえ、バショウの葉で作った船に載せて、島へ流す行事(アブシバレー)の祭事が地元住民により行われている[1]。 戦後の一時期、アメリカ人の宣教師がヤギの放牧を試みた[1]。 オール島の「オー」は奥武島の「おう」と同じ意味とする味方がある。また、害虫などを払うための「オー」(扇ぐの意味)だという説もある[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
2.奥武島 | ||||||
奥武島(おうじま) いずれも沖縄県にある島である。かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められている。 かつての沖縄では、人が死ぬと海岸のすぐ沖の小さな島に船で遺体を運んで、洞窟へと安置する葬送の習慣があった。洞窟の中が黄色い光に満たされていたことから、この島を「青(オウ)の島」(黄色のことを「青」とよぶ場合があった)とよんでいたとされ、そこから「奥武(オウ)の島」と書かれるようになったとされる[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
3.奥武島 (沖縄県名護市) ・ 日本・沖縄県名護市 | ||||||
奥武島(おうじま)は、沖縄県名護市に属する無人島である。名護市街地から約8km北西にあり、沖縄本島と屋我地島の間に位置している。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
4.屋我地島 ・ 日本・沖縄県名護市 | ||||||
屋我地島(やがじしま)は、沖縄本島北部にある島。1946年から1970年には島一円で屋我地村という村だった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
5.黒岩恒 | ||||||
黒岩 恒(くろいわ ひさし、1858年8月8日 - 1930年5月25日)は、日本の教育者、博物学者。沖縄の生物研究で功績を残しており、尖閣諸島の命名者としても知られている。 高知県高岡郡佐川町に生まれた。1892年沖縄尋常師範学校に赴任した。沖縄の動植物を研究し、『琉球教育』誌に『沖縄の博物界』を連載した。クロイワランやクロイワザサ、クロイワトカゲモドキ、クロイワゼミなどの動植物を発見し、和名は黒岩に因んで命名された[1]。1897年に尖閣列島に渡り、『地学雑誌』に『尖閣諸島探検記』を発表した[1]。実業家の古賀辰四郎の依頼により、魚釣島など周辺の島々を調査し、「尖閣諸島」を命名したほか、山や渓流にも名前を付けていた。1902年から名護市の国頭農学校の校長を務めた。1915年に沖縄を離れ和歌山に移った[1]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 |