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宮城県の城

1.伊治城  ・城柵
伊治城(いじじょう/これはりじょう/これはるじょう[1])は、宮城県栗原市にあった城柵。城跡は2003年(平成15年)8月27日に国の史跡に指定され、2005年(平成17年)7月14日に追加指定された[2]。
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2.今泉城 (陸奥国)  ・平城
今泉城(いまいずみじょう)は、南北朝時代から江戸時代の初めまで陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市若林区にあった城館(日本の城)である。仙台平野の低湿地にある平城で、水濠と土塁をめぐらせていた。弥生時代から続く集落に作られ、遺跡としては今泉遺跡[1]の一時代とされる。数次の発掘調査で外堀・内堀の一部と城内の建物多数が確認された。城主は須田玄蕃と伝えられる。現在では20世紀後半の急速な宅地化で、かつてあった地面の凹みはなくなり、地上に城の痕跡は残っていない。
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3.岩切城  ・山城
岩切城(いわきりじょう)は、宮城県仙台市宮城野区岩切にあった峻険な日本の城(山城)である。高森山にあることから、別名を高森城(たかもりじょう)という。
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4.岩出山城  ・山城
岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城(一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。
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5.大衡城  ・平山城
大衡城(おおひらじょう)は、宮城県黒川郡大衡村塩浪にある日本の城跡(平山城)。別名・越路舘。城跡は大衡城跡公園として整備されている[2]。
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6.沖野城  ・平城
沖野城(おきのじょう)は、陸奥国名取郡、現在の宮城県仙台市若林区沖野7丁目にあった中世の日本の城である。不明の点が多いが、16世紀末に廃止された。東西約400メートル、南北約300メートルの範囲で、二重の土塁と二重の水濠を巡らせていた。
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7.角田城  ・平山城
角田城(かくだじょう)は宮城県角田市角田(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、以後は角田要害と称した。金鶏館とも称した[2]。
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8.金山城 (陸奥国)  ・山城
金山城(かねやまじょう)、または寝牛城、臥牛城[3]は、かつての陸奥国伊具郡にあたる宮城県伊具郡丸森町金山にあった日本の城。仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、後に金山要害と称した。丸森町指定史跡[2]。
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9.郡山遺跡  ・古代城柵
郡山遺跡(こおりやまいせき)は、宮城県仙台市太白区郡山にある古代の官衙(役所)跡。国の史跡に指定されている(指定名称は「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺跡」)。
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10.坂元城  ・平山城
坂元城(さかもとじょう)、または蓑首城(みのくびじょう)は、宮城県亘理郡山元町(陸奥国亘理郡)にあった城。町指定史跡[1]。
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11.笹森城  ・山城
笹森城(ささもりじょう)は、16世紀に日本の陸奥国宮城郡にあった日本の城(山城)である。現在の宮城県仙台市宮城野区鶴ケ谷の丘陵上にあたる。戦国時代に宮城郡を争奪した留守氏・国分氏の家臣、鶴谷氏の居城であった。城跡からは縄文土器の欠片が多数と、弥生時代以降の遺物も見つかっている。
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12.佐沼城  ・平山城
佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市迫町佐沼字内町にあった日本の城。別名・鹿ヶ城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。登米市指定史跡[1]。
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13.城生柵跡  ・古代城柵
城生柵跡(じょうのさくあと)は、宮城県加美郡加美町城生にある奈良時代の城柵遺跡。「城生」は現在の地名によるもので、かつてのどの施設に比定するかについては諸説ある。国の史跡に指定されている[1]。
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14.白石城  ・梯郭式平山城
白石城(しろいしじょう)は、陸奥国刈田郡白石にあった日本の城である(平山城)。別名益岡城(枡岡とも)。この場所は現在の宮城県白石市に当たり、城は白石市指定史跡となっている[1]。中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だったと伝わる。戦国時代末期に城主が何度か変遷し、江戸時代には仙台藩家臣の片倉氏の城となった。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した[2][3]。現在ある三階櫓や門は1995年(平成7年)に復元されたものである[4]。続日本100名城(105番)に選ばれている[5]。
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15.仙台城  ・連郭式平山城
仙台城(せんだいじょう)は、宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)。雅称は「青葉城」で「五城楼」の別名もある(→仙台参照)。国の史跡[1]。
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16.高清水城  ・平城
高清水城(たかしみずじょう)は、宮城県栗原市字東館(旧・高清水町)にある日本の城跡。戦国大名・大崎氏の居城。
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17.多賀城  ・古代城柵
多賀城(たがじょう/たかのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。
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18.築館城  ・丘城(比15m)
築館城(つきだてじょう)は、宮城県黒川郡大郷町羽生にあった日本の城(丘城)。別名葦が城。
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19.津久毛橋城  ・平山城
津久毛橋城(つくもはしじょう)または津久裳橋城[2]は、現在の宮城県栗原市金成津久毛にあたる陸奥国栗原郡内にあった南北朝時代の日本の城である。1341年(北朝:暦応4年/南朝:興国2年)に南朝方の北畠顕信が築いた。
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20.寺池城  ・山城
寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代は伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。
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21.根添城  ・山城
根添城(ねぞえじょう)、または根添館(ねぞえたて)は、宮城県仙台市太白区坪沼地区にある日本の城(山城)跡である。陸奥国の豪族安倍氏の支城として用いられた。
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22.船岡城  ・山城
船岡城(ふなおかじょう)、または四保館(しほたて)は、宮城県柴田郡柴田町大字船岡字舘山(四保山)にあった日本の城(山城)。「四保館跡(船岡城址)」として柴田町指定史跡[1]。別名を芝田(柴田)城、舟岡(船岡)要害ともいう。本丸にある二等三角点「船岡」(北緯38度03分12.9616秒 東経140度45分17.9958秒 / 北緯38.053600444度 東経140.754998833度 / 38.053600444; 140.754998833 (二等三角点「船岡」(標高135.86m)))の標高は135.86メートル[2]。
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23.松森城  ・山城
松森城(まつもりじょう)は宮城県仙台市泉区松森にあった日本の城(山城[1][2])。本丸と二の丸の位置が鶴翼の陣形に似ていることから別名、鶴ヶ城(つるがじょう)とも言う[2][3]。国分盛顕が移り住み、国分盛重が出奔した後は伊達家の所領となり、毎年、仙台藩の野初の舞台となった。
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24.丸森城  ・山城
丸森城(まるもりじょう)は、宮城県伊具郡丸森町渕ノ上(陸奥国伊具郡)にあった日本の城。現地の案内板などでは「丸山城」として紹介されているが、仙台藩の公式記録である『性山公治家記録』には「丸森城」とある。城は阿武隈川南岸の渕ノ上に在し、阿武隈川支流の五福谷川が城の西側を回り込む。
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25.桃生城  ・古代城柵
桃生城(ものうじょう)は、古代の朝廷が陸奥国桃生郡(現・宮城県石巻市)に築いた城柵。
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26.利府城  ・山城
利府城(りふじょう)は、現在の宮城県宮城郡利府町に存在した日本の城である。
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27.若林城  ・単郭式平城
若林城(わかばやしじょう)は、17世紀前半に日本の仙台藩領・陸奥国宮城郡若林城下町の小泉にあった日本の城(平城)である。西側に隣接する仙台城下町には本城である仙台城があったが、同城とは別に寛永5年(1628年)に伊達政宗のために造られ、寛永13年(1636年)に彼の死とともに廃された。江戸時代には若林薬園となり、薬草が栽培された。現在の仙台市若林区古城にあり、堀跡と土塁を残したまま、土塁の上に高い塀をめぐらせ宮城刑務所として用いられている。
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28.涌谷城  ・平山城
涌谷城(わくやじょう)は、宮城県遠田郡涌谷町にあった日本の城(平山城)。別名涌谷要害。
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29.亘理城  ・平山城
亘理城(わたりじょう)は、陸奥国亘理郡(宮城県亘理郡亘理町)にあった日本の城。地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた。
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