1.外城制 | ||||||
外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[注 1][注 2][注 3]。1784年(天明4年)、この呼称を郷と改めた[注 4]。 | ||||||
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2.伊東四十八城 | ||||||
伊東四十八城(いとうしじゅうはちじょう)は、現在の宮崎県にあたる日向国の戦国大名・伊東義祐およびその後継である伊東義益の、日向伊東氏最盛期における支配域内に存在した48の外城及び砦の名数。伊東氏48塁とも呼称される[1]。 | ||||||
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3.天ヶ城 ・山城 | ||||||
天ヶ城(あまがじょう)は宮崎県宮崎市高岡町内山に所在する日本の城(山城)跡。別名は高岡城(たかおかじょう)または麓城(ふもとじょう)。旧名は内山城(うちやまじょう)。伊東四十八城の一つ。宮崎市指定史跡[2]。現在は天ヶ城公園として整備され、城郭風建築物の「宮崎市天ケ城歴史民俗資料館」が開設されている[3][4]。 | ||||||
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4.綾城 ・山城 | ||||||
綾城(あやじょう)は現在の宮崎県綾町にあった山城。築城は1331年~1334年。足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われる。伊東四十八城の一つ。別名「竜尾城」。 | ||||||
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5.飯野城 ・山城 | ||||||
飯野城(いいのじょう)は現在の宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名を亀城、あるいは鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。 | ||||||
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6.石塚城 (日向国) ・山城 | ||||||
石塚城(いしづかじょう)は現在の宮崎県宮崎市にあったとされる山城。築城は1394年 - 1428年。石塚殿と呼ばれていた伊東祐武が築城し居城とした[1]。伊東四十八城の一つ。 | ||||||
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7.井上城 ・山城 | ||||||
井上城(いのうえじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった城郭。 | ||||||
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8.今城 (えびの市) ・山城 | ||||||
今城(いまじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平にあった山城。 | ||||||
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9.岩牟礼城 ・山城 | ||||||
岩牟礼城(いわむれじょう)は、現在の宮崎県小林市東方の城ヶ迫にあった城。築城年代、築城者などは一切不明。「城の岡」と呼ばれる標高365メートルの高所に位置し[3]、小林市にあった城の中では一番高地にあった城である。 | ||||||
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10.内木場城 ・山城 | ||||||
内木場城(うちこばじょう)は現在の宮崎県小林市東方にあった平山城。別名を木葉城(こばじょう[注釈 1])。 | ||||||
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11.梅北城 ・山城 | ||||||
梅北城(うめきたじょう)は、現在の宮崎県都城市梅北町にあった山城。城跡は都城市指定史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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12.浦城城 ・山城 | ||||||
浦城城(うらしろじょう)、または浦尻城(うらしりじょう)は、現在の宮崎県延岡市浦城町字市場・田ノ浦にある日本の城跡。 | ||||||
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13.小川城 (西米良村) ・居館 | ||||||
小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村(明治以前は肥後国球磨郡)小川字囲に所在する江戸時代の城(居館)である。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]。 | ||||||
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14.桶平城 ・平山城 | ||||||
桶平城(おけひらじょう/おけがひらじょう)、または田原陣(たばるじん)・桶平塁(おけひらるい)は、宮崎県えびの市大字原田字田原陣の丘陵「田原山」にあった砦・日本の城[3]。 | ||||||
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15.大河平城 ・山城 | ||||||
大河平城(おこびらじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平元屋敷にあった山城。 | ||||||
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16.飫肥城 ・群郭式平山城 | ||||||
飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。酒谷川北岸、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた[1]群郭式の平山城である。伊東四十八城の一つ。 | ||||||
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17.加久藤城 ・平山城 | ||||||
加久藤城(かくとうじょう)は現在の宮崎県えびの市加久藤にあった平山城。伊東氏の史料には「覚頭城」と記されている。えびの市指定史跡。 | ||||||
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18.梶山城 ・山城 | ||||||
梶山城(かじやまじょう)は、現在の宮崎県北諸県郡三股町大字長田字城内にあった山城。「庄内十二外城」の1つ[2]。 | ||||||
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19.月山日和城 ・山城 | ||||||
月山日和城(がっさんひわじょう)は、宮崎県都城市高城町にあった日本の城である[1]。 | ||||||
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20.紙屋城 ・山城 | ||||||
紙屋城(かみやじょう)は現在の宮崎県小林市野尻町(旧西諸県郡野尻町)紙屋字城原にあった日本の城(山城)[2]。伊東四十八城の一つ。空堀の一部が市の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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21.亀頭山城 ・山城 | ||||||
亀頭山城(きとうさんじょう)、または亀頭城(きとうじょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内字染田に存在した安土桃山時代の日本の城跡。三田井氏勢力下の山城で「高千穂48塁」の1つ[2]。 | ||||||
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22.清武城 ・山城 | ||||||
清武城(きよたけじょう)は宮崎県宮崎市清武町加納甲776・777に所在する日本の城(山城)。宮崎市指定史跡[1]。南北朝時代に「清瀧城」と呼ばれていた城を、1379年(天授5年)に伊東(清武)祐行が増改築して「清武城」となった。伊東四十八城の一つ。 | ||||||
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23.櫛間城 ・平山城 | ||||||
櫛間城(くしまじょう)は日向国那珂郡櫛間院(現在の宮崎県串間市西方)にあった城。平山城。 | ||||||
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24.玄武城 ・山城 | ||||||
玄武城(くろたけじょう/げんぶじょう)[注釈 1]は、宮崎県西臼杵郡高千穂町田原に所在する安土桃山時代の日本の城跡(山城)。高千穂の豪族・三田井氏の築いた「高千穂48塁」の一つに数えられている[4]。 | ||||||
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25.小林城 ・平山城 | ||||||
小林城(こばやしじょう)は現在の宮崎県小林市真方にあった日本の城(平山城)。別名を三ツ山城、あるいは三ノ山城。現在は城山公園。 | ||||||
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26.佐土原城 ・山城 | ||||||
佐土原城(さどわらじょう)は、現在の宮崎県宮崎市佐土原町上田島にある城。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁となった。 | ||||||
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27.須木城 ・平山城 | ||||||
須木城(すきじょう)は現在の宮崎県小林市須木下田にあった平山城。別名を鶴丸城。伊東四十八城の一つ。現在は城山公園(「すきむらんど」の傍)。 | ||||||
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28.曽井城 ・山城 | ||||||
曽井城(そいじょう)は宮崎県宮崎市大字恒久(つねひさ)に所在する日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つ。 | ||||||
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29.園田城 ・平山城 | ||||||
園田城(そのだじょう)は現在の宮崎県えびの市榎田の園田にあった平山城。 | ||||||
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30.大明神城 ・平山城 | ||||||
大明神城(だいみょうじんじょう)は、宮崎県えびの市大明司にあった砦。別名は小城、或いは大明司塁で、『飯野古事記』には山城ともある。 | ||||||
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31.高城 (新納院) ・平山城 | ||||||
高城(たかじょう)は、現在の宮崎県児湯郡木城町にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城である。木城町指定文化財(史跡)[1]。 | ||||||
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32.高鍋城 ・梯郭式平山城 | ||||||
高鍋城(たかなべじょう)は宮崎県児湯郡高鍋町にあった平山城。別名を舞鶴城。旧名は財部城(たからべじょう)といった。伊東四十八城の一つ。江戸時代には高鍋藩の藩庁となった。城跡は1939年(昭和14年)に国の風致地区に指定、1977年(昭和52年)3月に高鍋町指定史跡に指定され、1983年(昭和58年)には「日向百景」に選ばれている[2]。現在は舞鶴公園として整備されている[3]。 | ||||||
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33.高原城 ・山城 | ||||||
高原城(たかはるじょう)は、現在の宮崎県西諸県郡高原町にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を松ヶ城。 | ||||||
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34.徳満城 ・山城 | ||||||
徳満城(とくみつじょう)は現在の宮崎県えびの市東川北にあった山城。 | ||||||
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35.都於郡城 ・平山城 | ||||||
都於郡城(とのこおりじょう)は現在の宮崎県西都市にある山城。国の史跡[1]。建武4年(1337年)に伊東祐持によって築城された。伊東四十八城の一つ。別名、浮船城。 | ||||||
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36.中山城 (日向国) ・丘城 | ||||||
中山城(なかやまじょう)、または仲山城は、現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町にあたる日向国臼杵郡中山に築かれた日本の城である。三田井氏宅跡(みたいしたくあと)とも呼ばれる[2][3]。築城年は不明だが、高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城で、文禄3年(1594年)に高橋元種によって攻め落とされた。 | ||||||
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37.新納石城 ・山城 | ||||||
新納石城(にいろいしのじょう)または石城(いしのじょう)[2]は、宮崎県児湯郡木城町石河内にある南北朝時代から戦国時代中頃の日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つであり石城合戦の舞台となった[3]。亀城とも呼ぶ[要出典]。 | ||||||
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38.西階城 ・山城 | ||||||
西階城(にししなじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった日本の城跡。別名、宝坂城・中の城。 | ||||||
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39.野首城 | ||||||
野首城(のくびじょう)は現在の宮崎県小林市東方・野首にあった城。伊東四十八城の一つ。『日向記』では野久尾城と表記。野頸城とも書く[2][3]。 | ||||||
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40.野尻城 (日向国) ・山城 | ||||||
野尻城(のじりじょう)は現在の宮崎県小林市(旧野尻町)東麓にあった山城。伊東四十八城の一つ。城内の井戸遺構が市の史跡に指定されている[3]。 | ||||||
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41.延岡城 ・平山城 | ||||||
延岡城(のべおかじょう)は、宮崎県延岡市本小路に築かれた城である。もとは縣城(あがたじょう)といい、別名に亀井城(かめいじょう)という。 | ||||||
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42.松尾城 (日向国) ・山城 | ||||||
松尾城(まつおじょう)は、日向国縣(あがた、現在の宮崎県延岡市松山町)にあった城。別名「縣城(あがたじょう)」。 | ||||||
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43.丸野城 ・山城 | ||||||
丸野城(まるのじょう)は宮崎県宮崎市大字鏡洲(かがみず)小字丸野に位置する築城者・築城年代不明の城郭。形態は山城。双石山(ぼろいしやま)から派生した山にあり、古くから「じょうやま」と呼ばれていたという以外、城についての記録がない。 | ||||||
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44.馬関田城 ・平山城 | ||||||
馬関田城(まんがたじょう)は現在の宮崎県えびの市西川北の宮ノ馬場にあった平山城。別名を東福城(とうふくじょう)。築城年は不明ながら、真幸院の領主・北原氏の庶流馬関田氏の居城であった。 | ||||||
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45.三ツ山城 ・平山城 | ||||||
三ツ山城(みつやまじょう)は、現在の宮崎県小林市細野にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を三ノ山城(みのやまじょう、さんのやまじょう)、あるいは吉富城。現在は城山団地。 | ||||||
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46.都之城 ・山城 | ||||||
都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城市指定史跡[2]。都城とも表記する[1]。別名を鶴丸城。形式は山城。 | ||||||
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47.宮崎城 | ||||||
宮崎城(みやざきじょう)は、現在の宮崎県宮崎市池内町にあったと言われる日本の城(山城)である。1335年(建武2年)もしくは1336年(延元元年)築城。 南朝方勢力だった図師六郎入道隋円・慈円父子が築いた。伊東四十八城の一つ。別名「池内城」。 | ||||||
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48.穆佐城 ・平山城 | ||||||
穆佐城(むかさじょう)は、現在の宮崎県宮崎市高岡町小山田にあった平山城。伊東四十八城の一つ。 | ||||||
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