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沖縄県の橋

1.池田矼  ・沖縄県宮古島市
池田矼(いけだばし)は、沖縄県宮古島市(旧下地町)の崎田川に架かるアーチ橋である。1977年7月1日に沖縄県の史跡に指定されており[1]、日本百名橋の番外のひとつでもある。池田橋とも表記される[2]。
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2.池間大橋
池間大橋(いけまおおはし)は、沖縄県宮古島市北西部に位置し宮古島と池間島とを結ぶ全長1,425mの橋である。1992年2月14日に開通した[1][2]。1995年3月に来間大橋が開通するまでは、沖縄県内最長の橋であった[3]。
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3.伊良部大橋  ・沖縄県宮古島市
伊良部大橋(いらぶおおはし)は、日本の沖縄県宮古島市の宮古島と伊良部島とを結ぶ橋である。 2006年(平成18年)3月18日に着工し、2015年(平成27年)1月31日16時に供用が開始された[2]。全長3,540メートル (m) で、新北九州空港連絡橋(福岡県道245号新北九州空港線)(全長2,100 m)を上回り、通行料金を徴収しない橋としては日本最長である[3][4][5]。総事業費は399億円[6]。
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4.来間大橋
来間大橋(くりまおおはし)は、沖縄県宮古島市南西部に位置し宮古島と来間島とを結ぶ全長1,690mの橋。1995年3月13日に開通した[1]。 もともとは農道の一部として整備された橋で、開通時には農道橋として日本最長であった[2][3]。その後、2001年に下地町の町道の一部となり、2005年の市町村合併に伴い宮古島市の市道来間大橋線の一部となっている[4]。 また、2005年に古宇利大橋に抜かれるまでは、1992年2月開通の池間大橋を抜いて沖縄県内最長の橋であった。現在では、宮古列島では伊良部大橋に次ぐ2番目の長さとなっている[5]。 宮古島側の宮古島市下地字与那覇と来間島側の宮古島市下地字来間とを結ぶ橋で、1988年7月に着工し、1995年3月に開通。構造は、航路部が3径間連続箱桁橋、一般部が3径間連結T桁橋および中空床版橋から成っている。全長1,690mで、50トン級の船舶が航行できるように、中央部が盛り上がった形状をしており、中央部の海面(既往最高潮位)から桁下までの高さは13.5mとされている[1]。
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5.サザンゲートブリッジ  ・石垣市
サザンゲートブリッジは、沖縄県石垣市の八島町と南ぬ浜町(新港地区)を結ぶ[5]石垣港に架かる橋である。
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6.瀬底大橋  ・沖縄県国頭郡本部町
瀬底大橋(せそこおおはし)は、沖縄県国頭郡本部町の沖縄本島と瀬底島とを結ぶ橋。1979年(昭和54年)11月に着手し、5年3ヶ月の月日を経て1985年(昭和60年)2月に開通した。橋長は762mあり総事業費は約57億円。
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7.長虹堤
長虹堤(ちょうこうてい)は、1451年、琉球王国によって建設された全長約1キロメートルの堤防と橋からなる道路であり、崇元寺付近(那覇市泊)と伊辺嘉麻(いべがま、那覇市松山付近)を結んでいた。
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8.天女橋  ・沖縄県那覇市
天女橋(てんにょばし)は、沖縄県那覇市の首里城公園北側の円鑑池に架かる石造アーチ橋。国の重要文化財に指定され、日本百名橋の1つである。観蓮橋とも呼ばれる。
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9.泊大橋
泊大橋(とまりおおはし)は沖縄県那覇市若狭と曙を結ぶ、那覇港泊ふ頭上にある全長1,118mの橋である。 1986年4月11日、那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭(安謝新港)を結ぶ那覇臨港道路の一部として開通した。橋の長さは開通当時は本部町の瀬底大橋 (762m) を抜いて沖縄県で最も長い橋だったが、現在は5番目に長い橋である。泊ふ頭を定期航路にしている船舶の航行の妨げにならないように、かなりの高さで起終点部は急勾配であり、概ね風速が20m以上になると通行止めの措置が取られる。 開通前は那覇港那覇ふ頭と新港ふ頭へ行くには国道58号や県道43号を通らねばならず、泊高橋交差点や泊ふ頭入口交差点を中心にかなり渋滞していたが、開通後はこれらの交差点や国道58号や県道43号の渋滞が幾分緩和された。
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10.泊高橋
泊高橋(とまりたかはし)は、沖縄県を流れる安里川河口に架かる橋であり、那覇市泊と前島に跨る。国道58号那覇市内の要所で、交差点やバス停の名称にもなっている。 泊村と兼久(前島)を結ぶ橋は古くは木製であったが、1699年(尚貞王31年)から翌年にかけて延べ2万5千人が動員され石橋に架け替えられた。船が往来できるように3段の階段を設けアーチ部分を高くしたことから高橋の名が付いた。特に夕日に映える橋の姿は名勝とされ、1854年(尚泰王7年)にロシア艦隊提督秘書官として沖縄を訪れた作家イワン・ゴンチャロフも賞賛している。 1909年(明治42年)、那覇と嘉手納を結ぶ客馬車を通すために両岸から盛り土をして傾斜を緩やかにする工事が行われ、1912年(明治45年)頃には河川改修に伴って前島側に木造橋が増設されている。1914年(大正3年)、橋の東側に沖縄電気軌道の電車を通すための鉄橋が増設された。1934年(昭和9年)には路面の石の一部を取り除いてコンクリート橋にする改装が行われたが、石組みが精緻であったため工事は困難を極めたといわれる。沖縄戦が始まると、敵方に利用されることを恐れた日本軍によって破壊された。戦後しばらくの間はアメリカ軍が設置した仮橋が使われていたが、1952年に新たに架け替えられた。
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11.泊橋
泊橋(とまりばし)は沖縄県那覇市の泊と前島の間にある橋の名前。 泊の沖縄県道29号那覇北中城線から前島の国道58号方面のみの一方通行である。730以前は現在とは逆向きの一方通行だった。
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12.泊みなと橋
泊みなと橋(とまりみなとばし)は、沖縄県那覇市の泊ふ頭内にある橋である。 ほぼ平行して国道58号が通っており、泊高橋交差点の渋滞を回避するため、交通量が比較的多い道路である。しかし、深夜から早朝にかけては泊ふ頭の北岸ゲート(泊3丁目側)が閉鎖されるため通り抜けできない。 また泊みなと橋が正式名称だが「リュウ橋」と呼ばれることもある。
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13.名蔵橋
名蔵橋(なぐらばし)は、沖縄県石垣市の石垣島西部を流れる名蔵川の河口に架かる橋である。
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14.野甫大橋  ・沖縄県島尻郡伊平屋村字野尻 - 字野甫
野甫大橋(のほおおはし)は、沖縄県島尻郡伊平屋村の伊平屋島と野甫島の間に架かる沖縄県道179号田名野甫線の橋長320 m(メートル)の橋。
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15.辺野喜橋  ・沖縄県国頭郡国頭村
辺野喜橋(べのきばし)は、かつて沖縄県国頭郡国頭村の辺野喜川に架かっていた橋。 沖縄県により建設され、1981年に供用開始。後に国頭村に移管され、村道として使われていた[1]。 塗装不要の耐候性鋼[2]を採用していたが、海岸に近かったため、桁内部から塩害による腐食が進んだ[1]。 2004年11月、崩落の危険があるとして通行止めにした[3]が、撤去の予算がつかず[1]そのままになっていた。 2009年6月25日の集中豪雨で橋桁が傾くなどの変化が生じたため緊急に撤去の準備を進めていた[2]が、同年7月15日午後5時37分に左岸寄り[3]で橋桁が折れ曲がり崩落した。通行止めとなっていたため、人的被害は生じなかった。崩落当時は琉球大学と土木研究所構造物メンテナンス研究センターによるモニタリング調査が行われており、橋梁管理者への崩落過程の映像配信などが行われた[4]。
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16.真玉橋  ・沖縄県那覇市、豊見城市
真玉橋(まだんばし)は、沖縄県の那覇市と豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋の名称。また、豊見城市側の地名にもなっている。
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17.明治橋 (那覇市)  ・沖縄県那覇市
明治橋(めいじばし)は、沖縄県那覇市にある長さ128 m、片側3車線の橋で、北側に通堂町と東町、南側に奥武山町と垣花町がそれぞれ接している。那覇空港・沖縄本島南部と那覇市街地・沖縄本島中北部とを結ぶ沖縄県の大動脈といえる道路橋で、橋の南端部は国道58号と国道332号の終点(後者は国道331号と重複)、国道331号の起点(1993年3月までは終点)となっており、道路中央にはそれを示すモニュメントがある。明治時代の1883年(明治16年)に最初の橋が完成、現在の橋は4代目(戦後2代目)で1987年(昭和62年)3月に完成した。 また2003年には沖縄都市モノレール(ゆいレール)開通にあわせて、明治橋より東側に位置し壺川駅のある同市壺川の国道329号那覇東バイパスと奥武山町の奥武山公園との間に北明治橋(歩行者専用道路橋)が完成した。
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18.屋我地大橋
屋我地大橋(やがじおおはし)は、沖縄県名護市真喜屋の奥武島(無人島)と同市屋我地島とを結ぶ全長約300メートルの沖縄県道110号線の橋である。1993年3月に完成した。 初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波で橋の上部が流失。それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段を果たした。 しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、歩道がなくて交通安全上危険なことなどから、1990年代には3代目(現状)を建設、1993年に完成した。3代目の橋は幅員が12メートルで先代(2代目)の倍以上である歩道も設置されており、景観に合った現代的なデザインとなっている。
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19.ワルミ大橋
ワルミ大橋(ワルミおおはし)は、沖縄県の屋我地島(名護市我部)と本部半島(国頭郡今帰仁村天底)との間のワルミ海峡に架かる橋である[1]。 橋長315.0メートル、アーチ支間210.0メートルの上路式RC固定アーチ橋で、沖縄県道248号屋我地仲宗根線の一部を構成する[1]。2010年(平成22年)12月18日に開通した。合成鋼管アーチ巻立工法によるアーチ橋としては日本国内で最長、アーチ橋としても日本国内で5番目の長さの橋梁である[2]。 ワルミ海峡(ワルミ水路)は、屋我地島の西側で東シナ海と羽地内海とを隔てる海峡で、本部半島と屋我地島に挟まれている。この海峡は運天港の一部で、荒天時の避難泊地である羽地内海に出入りする船舶が通過する。ワルミ大橋の下に2,000トン級の船舶を通すために、橋の構造としては上路式アーチが採用された[3]。クリアランス高さは37.2メートルである[1]。
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