1.日向之国七福神霊場 |
日向之国七福神(ひゅうがのくにしちふくじん)は、宮崎県内の7つの寺社によって1985年(昭和60年)に発足した七福神めぐりの霊場。 |
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2.庵川観音堂 |
庵川観音堂(いおりがわかんのんどう)は、宮崎県東臼杵郡門川町庵川地区に位置する観音菩薩を祀っているお堂。 |
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3.円福寺 (宮崎県高鍋町) ・宮崎県児湯郡高鍋町大字南高鍋6405番地 |
圓福寺(えんふくじ)は、宮崎県高鍋町南高鍋にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。 |
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4.極楽寺 (串間市) ・宮崎県串間市大字北方5472 |
極楽寺(ごくらくじ)は、宮崎県串間市にある高野山真言宗の寺院。山号は大田井山と称する。九州三十六不動霊場十四番札所。本尊は不動明王である。また、島津忠親が飫肥城の祈願寺と定めるなど島津家に深い関わりを持つ寺院であり、境内には島津家氏族の新納家一統の墓とされる五輪塔群がある。 |
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5.三福寺 (延岡市) ・宮崎県延岡市北町2丁目1番3号 |
三福寺(さんふくじ)は、宮崎県延岡市北町にある浄土宗寺院。山号は九品山。五ヶ瀬川の南方に所在する。所蔵の鍍銀蓮池文華鬘は宮崎県指定有形文化財。等級は15等。 |
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6.成願寺 (日向市) ・宮崎県日向市東郷町山陰辛12-1 |
成願寺(じょうがんじ)は宮崎県日向市にある曹洞宗の寺院[1]。山号は安禅山、本尊は阿弥陀如来[2]。 |
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7.上行寺 (宮崎市) ・宮崎県宮崎市本郷南方 |
上行寺(じょうぎょうじ)は、宮崎県宮崎市にある日蓮宗の寺院。山号は法華経山(ほけきょうざん)。興統法縁。松ケ迫池空襲の犠牲者を供養する法要が行われる。 |
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8.定善寺 ・宮崎県日向市財光寺7295 |
定善寺(じょうぜんじ)は、宮崎県日向市大字財光寺にある日蓮正宗の寺院。山号は日知屋山(ひちやざん)。日蓮正宗三本山のひとつで日向本山。元は郷門寺院。 |
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9.昌竜寺 ・宮崎県西臼杵郡日之影町七折舟ノ尾2369-1 |
昌竜寺(しょうりゅうじ)は、宮崎県西臼杵郡日之影町にある曹洞宗の寺院。山号を雲峰山(うんぽうざん)と称し、本尊は釈迦如来。他に薬師如来・観世音菩薩・不動明王を奉り、霊場として八戸観音滝を護持している。九州四十九院薬師霊場第番十九番札所[1]。 |
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10.日向妙国寺 ・宮崎県日向市細島373番地 |
日向妙国寺(ひゅうがみょうこくじ)は、宮崎県日向市細島にある日蓮宗の仏教寺院。山号は興福山。興統法縁。 |
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11.本永寺 ・宮崎県宮崎市高岡町内山2893 |
本永寺(ほんえいじ)は、宮崎県宮崎市にある日蓮宗の寺院。 |
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12.本照寺 (日南市) ・宮崎県日南市板敷2547 |
本照寺(ほんしょうじ)は、宮崎県日南市に所在する日蓮正宗の寺院であるが、正信会の僧侶が占有・居住している。山号は長宝山(ちょうほうさん)。 |
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13.本善寺 (日向市) ・宮崎県日向市日知屋1379-1 |
本善寺(ほんぜんじ)は、宮崎県日向市に所在する日蓮正宗の寺院。山号は日知屋山(ひちやさん)。日向定善寺の石塔より古い石塔が現存するため定善寺は本善寺が移転して建立されたものと思われる[要出典]。元は郷門寺院。大元は富士門流 |
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14.本東寺 ・宮崎県延岡市松山町1133 |
本東寺(ほんとうじ)は、宮崎県延岡市にある日蓮宗の寺院。山号は慧日山(えにちざん)。興統法縁。 |
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15.本蓮寺 (宮崎県新富町) ・宮崎県児湯郡新富町大字新田12743 |
本蓮寺(ほんれんじ)は、宮崎県児湯郡新富町新田に所在する日蓮正宗の寺院。山号は図子山(ずしさん)。開山は妙本寺(千葉県鋸南町)11世日要。元は郷門寺院。 |
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16.立正寺 (宮崎市) ・宮崎県宮崎市末広1-6-1 |
立正寺(りっしょうじ)は、宮崎県宮崎市末広にある日蓮宗の寺院。日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の別院であるため、独自の山号は持たず、身延山宮崎別院立正寺と称する。 |
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17.円岳寺 |
円岳寺(えんがくじ)は、かつて宮崎県小林市真方に存在した天台宗の寺院である。山号は「愛宕山十輪院円岳寺」。 |
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18.宝光院 (小林市) |
宝光院(ほうこういん)は、かつて宮崎県小林市細野に存在した天台宗の寺院である。山号は「鷹導山」[1]、後に「三峯山」。 |
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19.長善寺 (えびの市) |
長善寺(ちょうぜんじ)は宮崎県えびの市にかつて存在した曹洞宗の寺。山号は「兜率山」。 |
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20.龍雲寺 (宮崎県高鍋町) ・宮崎県高鍋町上江松本 |
龍雲寺(りゅううんじ)は、江戸時代から明治4年(1871年)まで現在の宮崎県高鍋町上江松本にあった曹洞宗寺院。現在は廃寺。山号は瑞松山。本尊は釈迦文仏。表記により竜雲寺とも |
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21.日向国分寺跡 |
日向国分寺跡(ひゅうがこくぶんじあと)は、宮崎県西都市にある古代から近世の寺院跡。明治4年(1871年)に廃寺となった。廃寺当時の宗派は真言宗、山号は五智山、本尊は五智如来。現在は国の史跡に指定されている。 |
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22.椎葉厳島神社 ・宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1822 |
椎葉厳島神社(しいばいつくしまじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に鎮座する神社である。鎮座地は、源氏方の武将と平氏遺臣の娘との悲恋物語で有名な那須家住宅(鶴富屋敷)の近く、下福良集落の中央小丘上に位置する(旧上椎葉村)。旧社格は村社。 |
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23.白鳥神社 (えびの市) ・宮崎県えびの市大字末永1479 |
白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、宮崎県えびの市南部の白鳥山北中腹にある神社である。霧島六社権現の1社に数えられたとする文献もある古社だが、通説では、霧島六社権現のページにある通りである。旧社格は県社。 |
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24.住吉神社 (宮崎市) ・宮崎県宮崎市塩路3082 |
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、宮崎県宮崎市塩路にある神社。旧社格は村社。 |
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25.高千穂神社 ・宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037 |
高千穂神社(たかちほじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社である。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社であるが、近代社格制度上は村社にとどまった。現在は神社本庁の別表神社となっている。 |
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26.土持神社 ・宮崎県延岡市妙町 |
土持神社(つちもちじんじゃ)は宮崎県延岡市妙町にある中世の延岡地方を治めた土持氏の祖霊を祀った神社である。 |
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27.都農神社 ・宮崎県児湯郡都農町大字川北13294 |
都農神社(つのじんじゃ)は、宮崎県児湯郡都農町にある神社。式内社、日向国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。 |
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28.都萬神社 ・宮崎県西都市大字妻1 |
都萬神社(つまじんじゃ、都万神社)は、宮崎県西都市にある神社。式内社で、日向国総社論社、日向国二宮論社。旧社格は県社。 |
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29.速川神社 (西都市) ・宮崎県西都市南方鳥巣183-2 |
速川神社(はやかわじんじゃ)は、宮崎県西都市にある神社である。 |
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30.神門神社 ・宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門69-2 |
神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある神社。祭神は大山祇神、百済の禎嘉王、倉稲魂命、品陀和気命(応神天皇)ほか。本殿は国の重要文化財に指定されている。 |
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31.宮崎縣護國神社 ・宮崎県宮崎市神宮二丁目4−3 |
宮崎縣護國神社(みやざきけんごこくじんじゃ)は、宮崎県宮崎市にある神社(護国神社)である。祭神として本殿に戊辰の役以降の国家公共に尽くした人の神霊41,820柱、相殿に公務殉職者の御霊54柱を祀る(2016年3月現在)[1]。 |
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32.宮崎神宮 ・宮崎県宮崎市神宮二丁目4-1 |
宮﨑神宮(みやざきじんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 |
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33.宮水神社 ・宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折9246 |
宮水神社(みやみずじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡日之影町に鎮座する神社[1][2][3]。 |
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34.霧島六社権現 |
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)は、宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称である。霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)ともいう。 |
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35.日向之国七福神霊場 |
日向之国七福神(ひゅうがのくにしちふくじん)は、宮崎県内の7つの寺社によって1985年(昭和60年)に発足した七福神めぐりの霊場。 |
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36.青島神社 ・宮崎県宮崎市青島2丁目13-1 |
青島神社(あおしまじんじゃ)は、宮崎県宮崎市青島にある、青島のほぼ中央に鎮座する神社で、周囲1.5kmの青島全島を境内地とする。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。 |
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37.天岩戸神社 ・宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1 |
天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。旧社格は村社で、神社本庁の別表神社。 |
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38.荒立神社 ・宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井宮尾野 |
荒立神社(あらたてじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井に鎮座する神社である。 |
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39.生目神社 ・宮崎県宮崎市大字生目小字亀井山345 |
生目神社(いきめじんじゃ)は、宮崎県宮崎市大字生目にある神社。亀井山と称する丘上に東面して鎮座し、「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社との信仰を集める。旧社格は県社。 |
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40.鵜戸神宮 ・宮崎県日南市大字宮浦3232 |
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」となっている。境内地を含む付近の海岸は、波の浸食を受け形成された海食洞や波食棚が多くあり名勝に指定されている。 |
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41.江田神社 (宮崎市) ・宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母127 |
江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわぎがはらちょう)にある神社。式内社で、旧社格は県社。 |
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42.川南護国神社 ・宮崎県児湯郡川南町大字川南 |
川南護国神社(かわみなみごこくじんじゃ)は宮崎県児湯郡川南町にある神社である。境内は陸軍空挺落下傘部隊発祥の地としても知られる。 |
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43.神柱宮 ・宮崎県都城市前田町1417-1 |
神柱宮(かんばしらぐう)は、宮崎県都城市にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。神柱神社(かんばしらじんじゃ)ともいう。通称お神柱。 |
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44.木花神社 ・宮崎県宮崎市大字熊野9508[1] |
木花神社(きばなじんじゃ)は、宮崎県宮崎市にある神社。日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)と木花佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を祀る。木花佐久夜毘売が火の中で3皇子を出産したのち、産屋として使ったとされる「無戸室(うつむろ)の跡」が境内に残る。 |
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45.霧島神社 |
霧島神社(きりしまじんじゃ)は、かつて日向国にあった神社(式内社)である。また、霧島神宮の旧社名でもある。 |
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46.霧島岑神社 ・宮崎県小林市細野4937 |
霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)は、宮崎県小林市細野にある神社。延喜式内社の論社であり、旧社格は県社。 |
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47.槵觸神社 ・宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713 |
槵觸神社(くしふるじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する神社。国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の論社で[1]、旧社格は県社。 |
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48.串間神社 ・宮崎県串間市大字串間1410番地 |
串間神社(くしまじんじゃ)は、宮崎県串間市に鎮座する神社。彦火火出見尊を主祭神とし、ほか12柱を配祀する。 |
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49.黒尾神社 ・宮崎県都城市梅北町4013-5 |
黒尾神社(くろおじんじゃ)は、宮崎県都城市梅北町にある神社である[1]。 |
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50.巨田神社 ・宮崎県宮崎市佐土原町上田島10732-1 |
巨田神社(こたじんじゃ)は、宮崎県宮崎市佐土原町にある神社。古名は巨田八幡宮で旧社格は郷社。本殿が国の重要文化財。 |
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51.狭上稲荷神社 |
狭上稲荷神社(さえいなりじんじゃ)は、宮崎県児湯郡西米良村にある神社。冬に大祭が行われ神楽が奉納される。 |
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52.狭野神社 ・宮崎県西諸県郡高原町大字浦牟田117 |
狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社。旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となった。現在は再び独立の神社となり、神社本庁の別表神社になっている。霧島六所権現の一社である。 |
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53.外城制 |
外城制(とじょうせい)とは薩摩藩(鹿児島藩)が行った地方支配の制度[注 1][注 2][注 3]。1784年(天明4年)、この呼称を郷と改めた[注 4]。 |
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54.伊東四十八城 |
伊東四十八城(いとうしじゅうはちじょう)は、現在の宮崎県にあたる日向国の戦国大名・伊東義祐およびその後継である伊東義益の、日向伊東氏最盛期における支配域内に存在した48の外城及び砦の名数。伊東氏48塁とも呼称される[1]。 |
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55.天ヶ城 ・山城 |
天ヶ城(あまがじょう)は宮崎県宮崎市高岡町内山に所在する日本の城(山城)跡。別名は高岡城(たかおかじょう)または麓城(ふもとじょう)。旧名は内山城(うちやまじょう)。伊東四十八城の一つ。宮崎市指定史跡[2]。現在は天ヶ城公園として整備され、城郭風建築物の「宮崎市天ケ城歴史民俗資料館」が開設されている[3][4]。 |
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56.綾城 ・山城 |
綾城(あやじょう)は現在の宮崎県綾町にあった山城。築城は1331年~1334年。足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われる。伊東四十八城の一つ。別名「竜尾城」。 |
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57.飯野城 ・山城 |
飯野城(いいのじょう)は現在の宮崎県えびの市飯野にあった日本の城(山城)。別名を亀城、あるいは鶴亀城。現在は亀城公園。えびの市指定史跡[1]。 |
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58.石塚城 (日向国) ・山城 |
石塚城(いしづかじょう)は現在の宮崎県宮崎市にあったとされる山城。築城は1394年 - 1428年。石塚殿と呼ばれていた伊東祐武が築城し居城とした[1]。伊東四十八城の一つ。 |
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59.井上城 ・山城 |
井上城(いのうえじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった城郭。 |
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60.今城 (えびの市) ・山城 |
今城(いまじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平にあった山城。 |
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61.岩牟礼城 ・山城 |
岩牟礼城(いわむれじょう)は、現在の宮崎県小林市東方の城ヶ迫にあった城。築城年代、築城者などは一切不明。「城の岡」と呼ばれる標高365メートルの高所に位置し[3]、小林市にあった城の中では一番高地にあった城である。 |
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62.内木場城 ・山城 |
内木場城(うちこばじょう)は現在の宮崎県小林市東方にあった平山城。別名を木葉城(こばじょう[注釈 1])。 |
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63.梅北城 ・山城 |
梅北城(うめきたじょう)は、現在の宮崎県都城市梅北町にあった山城。城跡は都城市指定史跡に指定されている[1]。 |
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64.浦城城 ・山城 |
浦城城(うらしろじょう)、または浦尻城(うらしりじょう)は、現在の宮崎県延岡市浦城町字市場・田ノ浦にある日本の城跡。 |
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65.小川城 (西米良村) ・居館 |
小川城(おがわじょう)は、宮崎県児湯郡西米良村(明治以前は肥後国球磨郡)小川字囲に所在する江戸時代の城(居館)である。肥後菊池氏の末裔を名乗る米良荘領主・米良氏の居城[1]。 |
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66.桶平城 ・平山城 |
桶平城(おけひらじょう/おけがひらじょう)、または田原陣(たばるじん)・桶平塁(おけひらるい)は、宮崎県えびの市大字原田字田原陣の丘陵「田原山」にあった砦・日本の城[3]。 |
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67.大河平城 ・山城 |
大河平城(おこびらじょう)は現在の宮崎県えびの市大河平元屋敷にあった山城。 |
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68.飫肥城 ・群郭式平山城 |
飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。酒谷川北岸、シラス台地の地形を利用して曲輪を幾つも並べた[1]群郭式の平山城である。伊東四十八城の一つ。 |
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69.加久藤城 ・平山城 |
加久藤城(かくとうじょう)は現在の宮崎県えびの市加久藤にあった平山城。伊東氏の史料には「覚頭城」と記されている。えびの市指定史跡。 |
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70.梶山城 ・山城 |
梶山城(かじやまじょう)は、現在の宮崎県北諸県郡三股町大字長田字城内にあった山城。「庄内十二外城」の1つ[2]。 |
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71.月山日和城 ・山城 |
月山日和城(がっさんひわじょう)は、宮崎県都城市高城町にあった日本の城である[1]。 |
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72.紙屋城 ・山城 |
紙屋城(かみやじょう)は現在の宮崎県小林市野尻町(旧西諸県郡野尻町)紙屋字城原にあった日本の城(山城)[2]。伊東四十八城の一つ。空堀の一部が市の史跡に指定されている[1]。 |
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73.亀頭山城 ・山城 |
亀頭山城(きとうさんじょう)、または亀頭城(きとうじょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内字染田に存在した安土桃山時代の日本の城跡。三田井氏勢力下の山城で「高千穂48塁」の1つ[2]。 |
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74.清武城 ・山城 |
清武城(きよたけじょう)は宮崎県宮崎市清武町加納甲776・777に所在する日本の城(山城)。宮崎市指定史跡[1]。南北朝時代に「清瀧城」と呼ばれていた城を、1379年(天授5年)に伊東(清武)祐行が増改築して「清武城」となった。伊東四十八城の一つ。 |
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75.櫛間城 ・平山城 |
櫛間城(くしまじょう)は日向国那珂郡櫛間院(現在の宮崎県串間市西方)にあった城。平山城。 |
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76.玄武城 ・山城 |
玄武城(くろたけじょう/げんぶじょう)[注釈 1]は、宮崎県西臼杵郡高千穂町田原に所在する安土桃山時代の日本の城跡(山城)。高千穂の豪族・三田井氏の築いた「高千穂48塁」の一つに数えられている[4]。 |
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77.小林城 ・平山城 |
小林城(こばやしじょう)は現在の宮崎県小林市真方にあった日本の城(平山城)。別名を三ツ山城、あるいは三ノ山城。現在は城山公園。 |
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78.佐土原城 ・山城 |
佐土原城(さどわらじょう)は、現在の宮崎県宮崎市佐土原町上田島にある城。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁となった。 |
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79.須木城 ・平山城 |
須木城(すきじょう)は現在の宮崎県小林市須木下田にあった平山城。別名を鶴丸城。伊東四十八城の一つ。現在は城山公園(「すきむらんど」の傍)。 |
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80.曽井城 ・山城 |
曽井城(そいじょう)は宮崎県宮崎市大字恒久(つねひさ)に所在する日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つ。 |
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81.園田城 ・平山城 |
園田城(そのだじょう)は現在の宮崎県えびの市榎田の園田にあった平山城。 |
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82.大明神城 ・平山城 |
大明神城(だいみょうじんじょう)は、宮崎県えびの市大明司にあった砦。別名は小城、或いは大明司塁で、『飯野古事記』には山城ともある。 |
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83.高城 (新納院) ・平山城 |
高城(たかじょう)は、現在の宮崎県児湯郡木城町にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城である。木城町指定文化財(史跡)[1]。 |
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84.高鍋城 ・梯郭式平山城 |
高鍋城(たかなべじょう)は宮崎県児湯郡高鍋町にあった平山城。別名を舞鶴城。旧名は財部城(たからべじょう)といった。伊東四十八城の一つ。江戸時代には高鍋藩の藩庁となった。城跡は1939年(昭和14年)に国の風致地区に指定、1977年(昭和52年)3月に高鍋町指定史跡に指定され、1983年(昭和58年)には「日向百景」に選ばれている[2]。現在は舞鶴公園として整備されている[3]。 |
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85.高原城 ・山城 |
高原城(たかはるじょう)は、現在の宮崎県西諸県郡高原町にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を松ヶ城。 |
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86.徳満城 ・山城 |
徳満城(とくみつじょう)は現在の宮崎県えびの市東川北にあった山城。 |
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87.都於郡城 ・平山城 |
都於郡城(とのこおりじょう)は現在の宮崎県西都市にある山城。国の史跡[1]。建武4年(1337年)に伊東祐持によって築城された。伊東四十八城の一つ。別名、浮船城。 |
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88.中山城 (日向国) ・丘城 |
中山城(なかやまじょう)、または仲山城は、現在の宮崎県西臼杵郡高千穂町にあたる日向国臼杵郡中山に築かれた日本の城である。三田井氏宅跡(みたいしたくあと)とも呼ばれる[2][3]。築城年は不明だが、高千穂氏の末裔、大神姓三田井氏の居城で、文禄3年(1594年)に高橋元種によって攻め落とされた。 |
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89.新納石城 ・山城 |
新納石城(にいろいしのじょう)または石城(いしのじょう)[2]は、宮崎県児湯郡木城町石河内にある南北朝時代から戦国時代中頃の日本の城跡(山城)。伊東四十八城の1つであり石城合戦の舞台となった[3]。亀城とも呼ぶ[要出典]。 |
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90.西階城 ・山城 |
西階城(にししなじょう)は、現在の宮崎県延岡市にあった日本の城跡。別名、宝坂城・中の城。 |
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91.野首城 |
野首城(のくびじょう)は現在の宮崎県小林市東方・野首にあった城。伊東四十八城の一つ。『日向記』では野久尾城と表記。野頸城とも書く[2][3]。 |
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92.野尻城 (日向国) ・山城 |
野尻城(のじりじょう)は現在の宮崎県小林市(旧野尻町)東麓にあった山城。伊東四十八城の一つ。城内の井戸遺構が市の史跡に指定されている[3]。 |
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93.延岡城 ・平山城 |
延岡城(のべおかじょう)は、宮崎県延岡市本小路に築かれた城である。もとは縣城(あがたじょう)といい、別名に亀井城(かめいじょう)という。 |
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94.松尾城 (日向国) ・山城 |
松尾城(まつおじょう)は、日向国縣(あがた、現在の宮崎県延岡市松山町)にあった城。別名「縣城(あがたじょう)」。 |
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95.丸野城 ・山城 |
丸野城(まるのじょう)は宮崎県宮崎市大字鏡洲(かがみず)小字丸野に位置する築城者・築城年代不明の城郭。形態は山城。双石山(ぼろいしやま)から派生した山にあり、古くから「じょうやま」と呼ばれていたという以外、城についての記録がない。 |
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96.馬関田城 ・平山城 |
馬関田城(まんがたじょう)は現在の宮崎県えびの市西川北の宮ノ馬場にあった平山城。別名を東福城(とうふくじょう)。築城年は不明ながら、真幸院の領主・北原氏の庶流馬関田氏の居城であった。 |
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97.三ツ山城 ・平山城 |
三ツ山城(みつやまじょう)は、現在の宮崎県小林市細野にあった平山城。伊東四十八城の一つ。別名を三ノ山城(みのやまじょう、さんのやまじょう)、あるいは吉富城。現在は城山団地。 |
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98.都之城 ・山城 |
都之城(みやこのじょう)は、宮崎県都城市都島町にあった日本の城である。都城市指定史跡[2]。都城とも表記する[1]。別名を鶴丸城。形式は山城。 |
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99.宮崎城 |
宮崎城(みやざきじょう)は、現在の宮崎県宮崎市池内町にあったと言われる日本の城(山城)である。1335年(建武2年)もしくは1336年(延元元年)築城。 南朝方勢力だった図師六郎入道隋円・慈円父子が築いた。伊東四十八城の一つ。別名「池内城」。 |
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100.穆佐城 ・平山城 |
穆佐城(むかさじょう)は、現在の宮崎県宮崎市高岡町小山田にあった平山城。伊東四十八城の一つ。 |
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