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富山県の島

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富山県の島の登録件数:6

1.虻ガ島  ・ 日本・富山県
虻ガ島[1][2][3][4][5][6](あぶがしま)は、富山県氷見市沖にある島。虻が島[7][8]、虻ヶ島、虻ケ島[9][10]とも。 富山県最大の島で、無人島である。氷見市姿の東の沖合い1.8kmに位置する[3]。2つの島から成り、北の島を男島またはタブノキ島、南の島を女島またはマツノキ島という[3][10]。かつては干潮時に2つの島が繋がることもあったが、現在は完全に分かれており、橋が架けられている。地質的には石灰質砂岩と砂質泥岩から成る。小さな島であるが、寒流と暖流の影響を受けるために、冷帯系植物であるエゾヒナノウスツボや温帯系植物であるハマウドなど[11]、南限・北限などを示すものが多く[3]、固有種も確認されていることから、1965年1月1日に「虻が島とその周辺」として県指定の名勝および天然記念物に指定された[8]。また、周辺部にも、海藻が204種類、ウミウシの仲間が155種類など、多様な生態系が確認されている。ただし、島および周辺半径200mの範囲では動植物の採取は禁じられている[12]。 江戸時代初期の慶長期には、高岡城の石垣の石切丁場(石材産地)となった[13]。2010年までは毎年夏に島へ渡る遊覧船が運行されていたが、2011年からは運行されていない。
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2.男岩  ・ 日本・富山県
男岩(おとこいわ、おいわ)は、富山県高岡市の雨晴海岸沖に位置する島。 面積約1,100m2、周囲約150mの小さな島である[1]。荒波に立ち向かうような雄々しい姿から「男岩」と呼ばれるようになったという[2]。約800m北西には女岩がある。 古い文献としては加賀藩の森田柿園が著した『越中志徴』の中に、1764年(宝暦14年)に編纂された『旧蹟調書』からの引用として「男岩、太田村領岩崎之内紅葉川尻浜ヨリ五、六町バカリ沖ニアリ岩ノ廻リ三十間バカリ也」と、男岩についての記述がある[2]。このことから、1764年より前から「男岩」と呼ばれていたと考えられる。『越中志徴』には女岩についても記述がある。
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3.女岩  ・ 日本・富山県
女岩(おんないわ、めいわ)は、富山県高岡市の雨晴海岸沖にある島。 面積約400 m2、周囲約80 mの小さな島である[1]。女岩と周囲の小さな岩が母親とたくさんの子供のように見えることから「女岩」と呼ばれるようになったという[2]。雨晴海岸から立山連峰を背景に望む風景が有名。約800 m南東には男岩がある。 古い文献としては加賀藩の森田柿園が著した『越中志徴』の中に、1764年(宝暦14年)に編纂された『旧蹟調書』からの引用として「女岩、太田村領岩崎之内渋谷尻浜ヨリ十間バカリ沖ニアリ岩ノ廻リ弐十間バカリ也」と、女岩についての記述がある[2]。このことから、1764年より前から「女岩」と呼ばれていたと考えられる。『越中志徴』には男岩についても記述がある。
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4.唐島  ・ 日本・富山県
唐島(からしま)は、富山湾に浮かぶ島。富山県氷見市に属し、氷見漁港の約500メートル沖にある。 無人島。全島が氷見市丸の内に所在する光禅寺の私有地(飛地境内)となっている。光禅寺では唐島を「鬼門鎮護の霊域」と定め、島内に弁天堂や観音堂を設けている[1]。 光禅寺を創建した明峰素哲が唐の大火を消し鎮め、その返礼に唐から島を贈られたという言い伝えから「唐島」と呼ばれる。島は氷見浦の人々の信仰の対象となってきた[1][2]。 地質的には石灰質砂岩から成る。1967年(昭和42年)3月25日に県指定の天然記念物とされた[3]。 上陸は毎年5月に執り行われる唐島大祭の参加者(光禅寺および各町総代)に限られており、一般の観光客が立ち入ることは出来ないが氷見漁港から出港する富山湾マリンの遊覧船が島の近くを通過する。
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5.辺ノ島・中ノ島・沖ノ島  ・ 日本・富山県
辺ノ島(へたのしま)・中ノ島(なかのしま)・沖ノ島(おきのしま)とは富山県下新川郡朝日町宮崎にある無人島である。最も陸地に近い位置にある辺ノ島、中間の位置にある中ノ島、最も沖合いにある沖ノ島の三島があり、付近に多くの岩礁が点在している。 朝日県立自然公園を構成する島でもある[1]。
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6.仏島  ・ 日本・富山県氷見市
仏島(ほとけじま)は、富山県氷見市と石川県七尾市の県境沖にある島。直線距離では七尾市の沿岸に近い位置にあるが、地籍は氷見市脇に属する[1]。 面積約400m2、周囲約80m。越中国と能登国の国境にある「能越国境の島」である[1]。越中国と能登国の間では島の領有を巡る争いがあったという。七尾市山崎町の阿良加志比古神社の神事に関わりをもつ島でもあった[1]。
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