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山梨県の橋

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山梨県の橋の登録件数:24

1.浅原橋  ・山梨県中央市臼井阿原-山梨県南アルプス市浅原
浅原橋(あさはらばし)は山梨県南アルプス市と中央市を結ぶ、富士川(但し、笛吹川と合流する前なので釜無川(かまなしがわ)と呼ばれる)に架かる橋である。
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2.飯富橋
飯富橋(いいとみばし)は、山梨県南巨摩郡身延町にある富士川に架かる橋である。 座標: 北緯35度26分24.96秒 東経138度26分18.12秒 / 北緯35.4402667度 東経138.4383667度 / 35.4402667; 138.4383667
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3.開国橋 (山梨県)  ・甲斐市-南アルプス市
開国橋(かいこくばし)は、山梨県甲斐市西八幡と南アルプス市上今諏訪を結ぶ釜無川(富士川)に架かる橋である。
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4.鏡中条橋
鏡中条橋(かがみなかじょうばし)は、山梨県南アルプス市と中央市を結ぶ、釜無川(富士川)に架かる橋である。 甲斐国志の中で「釜無川ニ沿フ渡場アリ、中郡筋ノ山神村に渡ル冬春仮橋ヲ架ス」とあり、この地域は渇水期は架橋、それ以外の時期は渡し船を使い渡河されたとある。 明治時代になるとこの地域に永久橋を架ける運動が活発になったが、日本三大急流の1つである富士川は増水するとたちまち氾濫することや予算の都合で架橋は先延ばしの状態であったが、開国橋が架け替えられた際使われていた古い木材を使用し1927年(昭和2年)にようやく架橋された。しかし間もなく富士川が氾濫すると流失、1937年(昭和12年)に再架橋されたがこちらも再び流失した。その後も流失しては修復されてきたが、1959年(昭和34年)に発生し、富士川河口に上陸した台風7号や同年9月に猛威を振るった伊勢湾台風により完全に流失した。1960年(昭和35年)に再建したがわずか5年後の1965年(昭和40年)に発生した台風第24号により再び流されるなど何度も流失を受けている。流失が頻発化した原因として当時富士川水系上流にある広瀬ダムや大門ダムといった治水ダムが未完成であったため戦後も増水・氾濫に悩まされたことに加え、これまで架けられた鏡中条橋はいずれも木造であり、強度に難があったことなどが挙げられる。
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5.鹿島橋 (富士川)
鹿島橋(かしまばし)は、山梨県南巨摩郡富士川町の箱原地区と鹿島地区を結ぶ、富士川に架かる橋である。 富士川町の鹿島地区は富士川沿いを除いた3方向を西八代郡市川三郷町に囲まれているが、険しい山に囲まれており、鹿島地区と市川三郷町を結ぶ車道は皆無である。そのため現時点ではこの橋を渡って国道52号が通る箱原地区へ出ることが地区外へ出る唯一の交通経路となっている。 鹿島橋のあった場所はかつて「砥坂の渡し」(とさかのわたし)と呼ばれる渡し船があり、駿州往還が整備された際は鰍沢河岸方面から箱原までは西側を通り、箱原からこの渡し船を使い鹿島へ渡り、鹿島から岩間宿までは東岸を通るルートとなっている。その理由として箱原から南は「砥坂」(とさか)と呼ばれる断崖絶壁の要所であり、江戸時代には「新道切通」(しんみちきりとおし)が整備されたものの道幅が非常に狭く馬による通行が困難であったため「砥坂の渡し」は明治以降に拡幅されるまで重要な交通路となっていた[1]。
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6.釜無川大橋  ・山梨県南アルプス市・中央市
釜無川大橋(かまなしがわおおはし)は、新山梨環状道路の若草ランプ - 田富西ランプ間に位置する橋梁である。
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7.釜無川橋
釜無川橋(かまなしがわばし)は、山梨県の釜無川(一級河川)に架かる橋梁である。同名の橋が3つ(現存するのは2つ)あるが、それぞれの節で説明する(上流側より)。
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8.河口湖大橋
河口湖大橋(かわぐちこおおはし)は、山梨県富士河口湖町から河口湖東側を渡り、同町の国道137号付近に至る橋である。
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9.峡南橋
峡南橋(きょうなんばし)は、山梨県南巨摩郡身延町と西八代郡市川三郷町を結ぶ、富士川に架かる橋である。 身延町西嶋と市川三郷町岩間を結ぶ橋長278.1m、橋巾8.25mのトラス橋である。 この2町を結ぶ橋として上流側すぐの場所に月見橋があるが、1930年(昭和5年)と老朽化が進んでいたことから地域住民が同盟を結成し県に架橋を陳情した結果、かつて「岩崎の渡し」(やさきのわたし)と言われた渡し船があったところに架橋されることが決定し、5年の歳月を経て1979年(昭和54年)に竣工した[1]。建設促進に関する記念碑が六郷側にあるほか、西嶋地区側に当地区で製造されている西嶋和紙のマスコットキャラクターが飾られている。
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10.国玉の大橋
国玉の大橋(くだまのおおはし)または甲斐の大橋(かいのおおはし)は、山梨県に伝わる伝説(怪談)。 甲府市国玉町(くだまちょう)付近を流れる濁川に架かっていた小さな石橋(現存しない)にまつわる橋姫伝説で、江戸時代の甲府勤番士の日記である『裏見寒話』に記されている。
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11.猿橋  ・ 山梨県大月市猿橋町猿橋
猿橋(さるはし、えんきょう)は、山梨県大月市猿橋町猿橋にある桂川に架かる刎橋。国の名勝に指定されている。
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12.新桂川橋梁 (中央本線)
新桂川橋梁(しんかつらがわきょうりょう)は、山梨県大月市の中央本線(中央東線)鳥沢駅 - 猿橋駅間にある、桂川(相模川)に架かる鉄道橋であり、中央本線最長の橋梁である。 鉄道ファンには、中央本線の中でも屈指の有名な撮影地としても知られている。
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13.信玄橋
信玄橋(しんげんばし)は、山梨県南アルプス市と甲斐市を結ぶ、釜無川(富士川)に架かる橋である。 古くからこの地域は渡し船や仮橋によっての往来があったが、1930年(昭和5年)に「四間道路」(その後県道20号に改称)が整備されたことにより永久橋が架けられることになり、1932年(昭和7年)に最初の橋が架橋された。当初から鉄筋コンクリート構造で架けられたため、総工費が約12万円と当時としては膨大な金額となったが、このうち5万円を甲州系財閥である穴水要七が拠出している。親柱頭部には橋灯が設置され、夜間になると灯火されることで通行者の安全を保っていた。 1966年(昭和41年)に発生した台風4号により橋脚が沈下したが修復され、以降50年以上にわたり流失することなく甲府市と甲府盆地西部を結ぶ重要な生活路線として活用されていたが、次第に通行量や大型車の往来が増えたことによる老朽化や幅員が5.45mしかなく通行の安全性に問題が発生したことにより北側に新しい橋が架けられることになり、1992年(平成4年)に現在の橋に架け替えられた。旧橋はその後解体されたが、親柱は南アルプス市側の児童館敷地内に移転されている。
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14.双田橋
双田橋(そうだばし)は、山梨県甲斐市下今井と南アルプス市上高砂・野牛島を結ぶ釜無川(富士川)に架かる橋である。 橋名は両岸の旧自治体名であった、現甲斐市の旧双葉町の「双」と、現南アルプス市の旧八田村の「田」から名付けられた。 釜無川と御勅使川との合流地点すぐの場所にある橋であり、現在の橋は長さ359.5m、幅員15.3m、6径間の連続鋼製箱桁橋として2004年(平成16年)3月31日に開通した[1]。 旧橋は山梨県道118号線に指定されていたが、新橋開通後は一般国道に移管され、国道52号甲西道路に指定されている。 新橋開通からわずか3年後の2007年にひび割れが見つかり、現在対応と対策が行われている[1]。
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15.月見橋 (富士川)
月見橋(つきみはし)は、山梨県南巨摩郡身延町と西八代郡市川三郷町を結ぶ、富士川に架かる橋である。 身延町西嶋と市川三郷町を結ぶ橋長156.4m、橋巾7mのトラス橋である。 初代の橋は1930年(昭和5年)に架けられ、1937年(昭和12年)には橋畔に「観月橋碑」が建立されている。また、山梨県内の富士川沿いでは富士山が見える南限とされており、これより南の橋梁では天子山地に阻まれ見ることができない。 昭和50年代になると老朽化が進んだことから下流側に峡南橋が架橋されたが、その後月見橋も架け替えられ、1984年(昭和59年)に現在の橋に架け替えられた。 座標: 北緯35度29分46.7秒 東経138度26分58.0秒 / 北緯35.496306度 東経138.449444度 / 35.496306; 138.449444 (月見橋)
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16.富栄橋
富栄橋(とみえいばし)は、山梨県南巨摩郡南部町にある富士川に架かる橋である。 橋の名前は富河村と栄村に由来する。主に旧富河村の住人が対岸にある井出駅を利用するために利用されている。なお、下流側にある万栄橋も同じ由来で名づけられている。 最初の橋は1955年(昭和30年)に架けられたが木造の橋であり、翌1956年(昭和31年)に流失。その後も4回にわたり富士川の増水で流失した。現在の橋は1968年(昭和43年)に架けられたものである[1]。当時山梨県内の富士川に架けられていた橋はすべてトラス橋であり、桁橋で架けられた富栄橋は非常に珍しかった[2]。 1982年(昭和57年)に発生した台風10号により橋脚が陥没する被害を受けたが、万栄橋も流失したことから架け替えは行われず早急に修復されている[1]。
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17.富山橋 (富士川)
富山橋(とみやまばし)は、山梨県南巨摩郡身延町にある富士川に架かる橋である。 国道300号(通称:本栖みち)では最長の橋である。名前の由来は両岸にあった富里村の富と下山村の山からきているとされるが、定かではない[1]。古くから下山地区の住民が対岸にある身延線波高島駅を利用するのに重要な役割を担っている。 架橋の始まりは1928年(昭和3年)で、渡し船の経営者に有料橋建設の許可が出て着手されたが、工事中に流失。1936年(昭和11年)に県費負担で架橋が再開され、木橋のほかに吊り橋も試されたが増水のたびに流失していた模様である[1]。1955年(昭和30年)から1967年(昭和42年)にかけて木橋から全長457m、幅7.0mの歩車分離式のトラス橋に順次架け替えられ、以降その橋は流されることなく使用されていた[1]。架橋後40年以上が経過し老朽化が進行したことと、波高島付近に中部横断自動車道身延インターチェンジが設けられることとなり、車道部の幅員が5.5mしかない状況では工事車両の通行に支障をきたすことから波高島地区の道路改良工事と併せて旧橋の北側に桁橋への架け替えが行われ、2008年(平成20年)に開通。同時に行われていたトンネル工事(波高島トンネル、全長742m)とあわせ波高島バイパスとして供用を開始した[2]。その後旧橋は閉鎖され、順次撤去されている。
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18.南部橋 (富士川)  ・山梨県南巨摩郡南部町南部-同町内船
南部橋(なんぶはし)は、山梨県南巨摩郡南部町 にある富士川に架かる橋である。
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19.笛吹橋
笛吹橋(ふえふきばし)は、山梨県の笛吹川に架かる橋。 笛吹橋は、国道411号及び県道314号に重複指定されている。国道411号は旧甲州街道であるが、明治40年(1907年)の大洪水までは、現在の笛吹橋を経由しないルートであった。[1]両岸に交差点があり、当橋梁上に両交差点の右折車線が設置されている。[2]
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20.富士川大橋  ・山梨県南巨摩郡富士川町-西八代郡市川三郷町
富士川大橋(ふじかわおおはし)は、山梨県南巨摩郡富士川町と西八代郡市川三郷町を結ぶ、富士川に架かる橋である。
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21.富士川橋  ・静岡県富士市
富士川橋(ふじかわばし)は富士川(一級河川)に架かる橋梁である。 同名の橋が複数あるため、本項目では以下の橋梁について解説する(上流側より)。5から9については両岸とも静岡県富士市。
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22.富士橋 (富士川)
富士橋(ふじばし)は、山梨県南巨摩郡富士川町の明神町と駅前通を結ぶ富士川に架かる橋である。 1927年(昭和2年)、西八代郡豊和村(現・市川三郷町)に身延線鰍沢口駅が開業すると南巨摩郡鰍沢町(現・富士川町)の住民は黒沢の渡し等の渡し船を利用して鰍沢口駅を利用していた。しかし渡し船では自動車での往来ができず、また豪雨などにより川が増水した時は往来できなかったことから架橋に踏み切り、 1950年(昭和25年)に橋長270m、橋巾5.5mのトラス橋(一部桁橋)が架橋された。架橋後は鰍沢町のみでなく北隣の南巨摩郡増穂町(現・富士川町)の住人も富士橋を渡って鰍沢口駅を利用していた[1]。その後1976年(昭和51年)に三郡西橋が、1997年(平成9年)に富士川大橋が開通したため増穂町の住人はそれらを使って市川大門駅を利用するようになったが、鰍沢町の住人は現在でも富士橋を渡って鰍沢口駅を利用している。
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23.万栄橋
万栄橋(まんえいばし)は、山梨県南巨摩郡南部町 にある富士川に架かる橋である。
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24.身延橋
身延橋(みのぶばし)は山梨県南巨摩郡身延町にある富士川に架かる橋である。
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