101.各務原大橋 ・岐阜県各務原市上中屋 - 川島小網町 間 | ||||||
各務原大橋(かかみがはらおおはし)は、岐阜県各務原市上中屋と、同市川島小網町の木曽川に架かる市道の橋である。2013年(平成25年)3月24日開通した。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
102.川島大橋 ・岐阜県各務原市川島松原町 - 岐阜県各務原市川島笠田町 間 | ||||||
川島大橋(かわしまおおはし)は、岐阜県各務原市川島松原町と、同市川島笠田町の木曽川本流に架かる岐阜県道180号松原芋島線の橋である。 2021年(令和3年)5月28日に橋脚(P4橋脚。川島笠田町側に該当。)の異常が見つかり通行止めとなる。橋脚の傾きにより橋全体の構造体に深刻な歪みが見つかり、修復が不可能なことから架け替えが決定。旧橋は解体され、新橋の建設が進められている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
103.木曽川本川橋 ・岐阜県各務原市川島笠田町 - 各務原市川島北山町 間 | ||||||
木曽川本川橋(きそがわほんせんきょう)は、岐阜県各務原市の木曽川に架かる、東海北陸自動車道の一宮木曽川IC - 川島PA間にかかる桁橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
104.新愛岐大橋 ・愛知県丹羽郡扶桑町小淵 - 岐阜県各務原市鵜沼大伊木町 間[1] | ||||||
新愛岐大橋(しんあいぎおおはし)は、愛知県丹羽郡扶桑町小淵と、岐阜県各務原市鵜沼大伊木町に架かる予定の県道の橋である。名称は仮のものである。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
105.平成川島橋 | ||||||
平成川島橋(へいせいかわしまはし)は、岐阜県各務原市川島笠田町と、同市川島渡町の木曽川本流に架かる岐阜県道93号川島三輪線の橋梁である。 河川環境楽園、138タワーパークへのアクセス道路を担う。 東海北陸自動車道の上流約200mにある。名前の由来は、岐阜県の計画した県道の橋で、平成になって初めて建設されたからという。 橋には鴨などの川の鳥の彫刻や像がある。また、車道の両側にある歩道にはベンチ(各1箇所)が設けられ、川の景色を眺めたり、野鳥観察ができる。ベンチおよび橋台の上には野鳥の説明板も設置されている。 供用日は平成8年8月8日は、末広がりの八が3つそろうということから、縁起を担いで決められた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
106.兼山橋 | ||||||
兼山橋(かねやまばし)は、岐阜県加茂郡八百津町と可児市(旧可児郡兼山町)の木曽川に架かる岐阜県道365号和知兼山停車場線の橋梁である。 現在の橋は4代目である。初代、2代目は有料であった。 1891年(明治24年)9月5日、兼山橋(初代)が開通する。延長265尺(約80m)、幅10尺(約3m)の全木製の吊り橋であった。開通当初の料金は、人が7厘、荷車人力車が2銭、牛馬が2銭5厘であった。位置は現在の兼山橋の約900m下流であった。 1907年(明治40年)、兼山橋(初代)の老朽化により、同じ位置に兼山橋(2代目)が開通する。 1923年(大正12年)6月11日、現在の兼山橋の下流約500mの位置に、兼山橋(3代目)が開通する。橋は岐阜県が築き、無料の橋となった。延長107.5m、幅3.5mの鉄骨製の吊り橋であった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
107.下渡橋 (木曽川) | ||||||
下渡橋(しもわたりばし)は、岐阜県可児市(旧可児郡兼山町)と加茂郡八百津町の木曽川に架かる岐阜県道351号御嵩川辺線の橋梁である。現在の橋は2代目である。 1925年(大正14年)9月、下渡橋(初代)が開通する。延長69m、幅2mの全木製の吊り橋であり、建設の際、1923年(大正12年)に兼山橋(3代目)の架橋により不要となった兼山橋(2代目)の資材を流用した。そのため耐久性に問題があり、人・二輪車専用の橋であった。 1976年(昭和51年)、現在の2代目の橋が開通する。 座標: 北緯35度27分21.7秒 東経137度05分19.3秒 / 北緯35.456028度 東経137.088694度 / 35.456028; 137.088694 (下渡橋) | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
108.藍川橋 ・岐阜県岐阜市芥見町屋 - 加野 | ||||||
藍川橋(あいかわばし)は、岐阜県岐阜市の長良川にかかる岐阜県道93号川島三輪線の橋である。 現在の橋は2代目である。初代は現在の橋の上流にあり、鋼製の吊り橋であったが、幅が4.5mと狭く老朽化も進んだため、架け替えられた。 藍川橋は1車線で右折車線が無く、特に橋の南側(長良川左岸側)にある長良川リバーサイドウェイ(長良川リバーサイド有料道路)が無料化された2012年(平成24年)4月以降は橋の西から藍川橋東交差点での元有料道路方面(南)への右折車両が増え、平日の朝夕のラッシュ時及び週末や連休(お盆、年末年始等)を中心に東行きの渋滞が恒常化している。 この為2013年(平成25年)11月より、藍川橋西交差点の橋から北への右折、藍川橋東交差点の橋から南への右折が平日7〜8時、17〜18時は右折禁止の規制が導入されたが渋滞の解消には至っておらず、渋滞対策として2020年(令和2年)11月から現在の橋の南側に新たに4車線(片側2車線)の橋架の新設工事が行われている。完成後は現在の2代目の橋は取り壊される予定。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
109.板屋大橋 | ||||||
板屋大橋(いたやおおはし)は、岐阜県岐阜市の板屋川(伊自良川支流)に架かる岐阜市道の橋である。 岐阜県道91号岐阜美山線「板屋大橋東」交差点の西にある。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
110.鵜飼い大橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
鵜飼い大橋(うかいおおはし)は、岐阜県道77号岐阜環状線の途中、岐阜県岐阜市の長良川上に架かる斜張橋および箱桁橋である。この橋の南側には井ノ口トンネルが接続されている。名称は一般公募の中から選考された。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
111.鶉大橋 | ||||||
鶉大橋(うずらおおはし)は、岐阜県岐阜市の境川に架かる岐阜県道1号岐阜南濃線の橋である。 南側(旧羽島郡柳津町)には道の駅柳津が隣接している。道の駅柳津の東側と西側は、鶉大橋の下をくぐる歩道で結ばれている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
112.大縄場大橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
大縄場大橋(おおなわばおおはし)は、岐阜県岐阜市の長良川に架かる主要地方道岐阜関ケ原線(岐阜県道53号岐阜関ケ原線)の橋である。岐阜市中心部から本巣郡北方町、本巣市、揖斐郡大野町、安八郡神戸町、揖斐郡池田町方面への主要道路を担う。 長良川左岸側は既設道路(都通り及び都市計画道路美江寺町西野町線)までの距離が短く、まっすぐに道と橋を結べないため、取付道路がループ構造の高架橋となっている。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
113.鏡島大橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
鏡島大橋(かがしまおおはし)は、岐阜県岐阜市の長良川にかかる岐阜県道77号岐阜環状線の桁橋である。 片側2車線の橋である。かつては江口の渡しという渡し船が存在したが、鏡島大橋開通により廃止された。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
114.記念大橋 | ||||||
記念大橋(きねんおおはし)は、岐阜県岐阜市の伊自良川に架かる岐阜市道(市道則武木田線)の橋である。 伊自良川とその支流(板屋川、新堀川、早田川など)、および岐阜市則武地区の排水路の改修工事の一環として架橋された橋であり、記念大橋の「記念」とは、改修工事完成を記念してという意味がこめられている。 (下流) 河渡橋 - 【長良川合流点】 - 寺田橋 - 竹橋 - 島大橋 - 尻毛橋 - 記念大橋 - 古川橋 - 繰舟橋 - 柳戸橋- 問屋橋 - 石谷橋 (上流) | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
115.金華橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
金華橋(きんかばし)は、岐阜県岐阜市の長良川に架かる市道(都市計画道路・本町打越線)の橋である[1]。 1965年(昭和40年)に岐阜県で開催された第20回国民体育大会(岐阜国体)の主会場である岐阜県総合運動場(現在の岐阜メモリアルセンター)へのアクセス道路とするため、同年8月完成予定の工期を1年繰り上げ、1964年(昭和39年)10月26日に竣功した[2]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
116.繰舟橋 (岐阜県) | ||||||
繰舟橋(くりふねばし)は、岐阜県岐阜市の伊自良川に架かる岐阜県道78号岐阜大野線の橋である。 県道78号の「正木北町南交差点」から繰舟橋、「折立稲場交差点」(岐阜県道91号岐阜美山線交点)までが、片側2車線区間である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
117.河渡橋 | ||||||
河渡橋(ごうどばし)は、岐阜県岐阜市の長良川にかかる岐阜県道92号岐阜巣南大野線・岐阜県道195号岐阜千本松原公園自転車道線の橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
118.島大橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
島大橋(しまおおはし)は、岐阜県岐阜市にある、長良川支流の伊自良川と根尾川(古根尾川)を跨ぐ橋である。主要地方道岐阜関ケ原線(岐阜県道53号岐阜関ケ原線)の一部を構成する。かつては、島大橋を含む岐阜市一日市場から同市曽我屋までの区間は、島大橋有料道路(しまおおはしゆうりょうどうろ)という有料道路であり、岐阜県道路公社が管理していた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
119.千鳥橋 (岐阜市) | ||||||
千鳥橋(ちどりばし)は、岐阜県岐阜市の長良川にかかる市道の橋である。右岸の取付け道路は半ループを描いて岐阜県道94号岐阜美濃線と接続する。 座標: 北緯35度26分46.8秒 東経136度49分28.4秒 / 北緯35.446333度 東経136.824556度 / 35.446333; 136.824556 (千鳥橋) | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
120.忠節橋 ・岐阜県岐阜市[1] | ||||||
忠節橋(ちゅうせつばし[13][14])は、岐阜県岐阜市の長良川に架かる[15]、国道157号(国道303号重複)の[16]、鋼製アーチ橋である[17]。補強工事や高欄の取替えなどが行われているが、その姿は1948年(昭和23年)の架設当時とほとんど変わっていない[17]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
121.長良橋 ・岐阜県岐阜市 | ||||||
長良橋(ながらばし)は、岐阜県岐阜市の長良川に架かる、国道256号の橋。金華山、長良川、長良川鵜飼とセットにされる岐阜市を代表するシンボル的な橋である。1874年(明治7年)に架けられた当時の名前は明七橋。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
122.西陸橋 | ||||||
西陸橋(にしりっきょう)は、かつて岐阜県岐阜市に架かっていた岐阜県道151号岐阜羽島線(開設時は岐阜柳津線)の跨線橋。JR東海道本線をまたいでいる橋梁であった。 岐阜駅の西に位置し、旧貨物駅(岐阜駅の一部の扱い、現在は岐阜貨物ターミナル駅に移転)の東に存在した。 岐阜市内中心部で東海道本線を跨ぐ跨線橋は、この西陸橋と東陸橋があり、かつては岐阜バスの行先表示幕にも経由地(バス停名ではない)として表示されるなど、岐阜市民の道路の目印となっていた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
123.東陸橋 | ||||||
東陸橋(ひがしりっきょう)は、かつて岐阜県岐阜市に架かっていた国道157号の跨線橋。JR東海道本線高山本線をまたいでいる橋梁であった。 名古屋鉄道名古屋本線の新岐阜駅手前にある線路橋(この区間が名古屋本線の単線区間である)の西に隣接していた。 岐阜市内中心部で東海道本線を跨ぐ跨線橋には、この東陸橋と西陸橋があり、かつては岐阜バスの行先表示幕にも経由地(バス停名ではない)として表示されるなど、岐阜市民の道路の目印となっていた。 全長120 m、車道は片側1車線で両側に歩道が設置されていた。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
124.柳津大橋 (岐阜県) | ||||||
柳津大橋(やないづおおはし)は、岐阜県岐阜市柳津町(旧羽島郡柳津町)の境川に架かる市道の橋である。 羽島郡柳津町が、境川の東側の柳津地区(旧・羽島郡柳津村)と、西側の佐波地区(旧・稲葉郡佐波村)を結ぶために架橋した町道の橋である。柳津地区と佐波地区を直接結ぶ境川の橋は、基本的には新境川橋(岐阜県道154号笠松墨俣線)しかなかったため、慢性的な渋滞であった。これを解消するために架橋された。 座標: 北緯35度21分32秒 東経136度43分38秒 / 北緯35.35875度 東経136.72717度 / 35.35875; 136.72717 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
125.雨乞石橋 | ||||||
雨乞石橋(あまごいいしはし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる橋(市道)である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
126.弥栄橋 | ||||||
弥栄橋(いやさかばし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる国道(国道256号)の橋である。 開通当時は、岐阜県恵那郡坂下町と長野県木曽郡山口村を結ぶ県境の橋であったが、2005年(平成17年)、坂下町と山口村が中津川市に編入されたことにより、現在は中津川市内の橋になっている。 現在の橋は2代目である。弥栄橋の命名は島崎藤村によるもので、初代の橋の銘板は島崎藤村直筆を使用していたという。現在の2代目の橋の銘板もその直筆の文字を銅板にしるした物である。 初代の弥栄橋は1931年(昭和6年)8月18日に起工し、突貫工事が行われ、1932年(昭和7年)5月8日に開通した。橋の命名は島崎藤村が行い、銘板の文字も藤村が行った。位置は現在の弥栄橋の上流300mであり、鉄橋であった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
127.恵那峡大橋 ・岐阜県中津川市蛭川 - 中津川市茄子川 間 | ||||||
恵那峡大橋(えなきょうおおはし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる橋である[1]。恵那峡県立自然公園内の景勝地である恵那峡にある。赤色の1連上路アーチ橋であり、大井ダムのダム湖に架かり、恵那市中心部と中津川市蛭川を結ぶ主要路の一つで[2]、恵那峡ワンダーランドなどへのアクセス道路である。 大井ダムと恵那峡大橋の間には、かつて恵那峡ロープウェイがあり恵那峡ランド(現在の恵那峡ワンダーランド)へのアクセスや、恵那峡大橋開通までの地元住民の生活の足として役割を担っていたが、廃止されている(恵那峡ワンダーランドの説明では休止)。橋の下流側の右岸に2011年(平成23年)3月にオープンした観光施設の「恵那峡天界苑」があり、上流側の右岸にはドライブインと恵那峡の展望台がある。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
128.乙姫大橋 | ||||||
乙姫大橋(おとひめおおはし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる農免農道の橋である。 開通当時は、岐阜県恵那郡坂下町と長野県木曽郡山口村を結ぶ県境の橋であったが、2005年(平成17年)、坂下町と山口村が中津川市に編入されたことにより、現在は中津川市内の橋になっている。 この地域に伝わる伝説により、欄干には乙姫のレリーフがある。 乙姫大橋の乙姫とは、竜宮城の乙姫に由来する。この近くには竜宮城があったという乙姫岩がある。 この地域の言い伝えでは、乙姫は乙姫岩の竜宮城に住んでいたという。ある日、寝覚の床(長野県木曽郡上松町)で釣りをしていた浦島太郎は鉄砲水で流され、この地に流れ着く。これに気づいた乙姫は浦島太郎を介抱し、やがて二人は恋仲となり、竜宮城で暮らすことになる。いつまでも乙姫に甘えてはいけないと考えた浦島太郎は、寝覚の床に帰ることにする。乙姫は再会を約束をし、お土産に玉手箱を手渡す。寝覚の床に戻った浦島太郎は、乙姫に「玉手箱は開けないように」と言われていた約束を破り、玉手箱を開けてしまう。そして白煙とともに老人となってしまったという。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
129.木曽川橋梁 (北恵那鉄道線) | ||||||
木曽川橋梁(きそがわきょうりょう)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる旧北恵那鉄道の橋梁である。現在は使用されていない。 北恵那鉄道線中津町駅と恵那峡口駅の間に架かる鉄道橋であった。北恵那鉄道線は1978年(昭和53年)9月に廃止されたが、本橋梁は取り壊されることなく、現在も当時の姿をとどめている。 座標: 北緯35度30分36.9秒 東経137度29分49秒 / 北緯35.510250度 東経137.49694度 / 35.510250; 137.49694 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
130.玉蔵大橋 ・岐阜県中津川市中津川 - 中津川市瀬戸 間 | ||||||
玉蔵大橋(ぎょくぞうおおはし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる岐阜県道6号中津川田立線の橋である。現在は玉蔵橋ともいい、通称はこちらになる。 城山大橋(中津川有料道路)が無料開放され国道指定されるまでは、この橋が国道257号であった。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
131.源済橋 ・岐阜県中津川市高山 - 中津川市千旦林 | ||||||
源済橋(げんさいばし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かるアーチ橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
132.城山大橋 (木曽川) ・岐阜県中津川市苗木- 岐阜県中津川市駒場 | ||||||
城山大橋(しろやまおおはし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
133.第一木曽川橋梁 | ||||||
第一木曽川橋梁(だいいちきそがわきょうりょう)は、岐阜県中津川市をむすぶ、木曽川に架かるJR中央本線の橋梁である。 坂下駅と落合川駅の間に架かる鉄道橋である。上り線用と下り線用が別々にある。 座標: 北緯35度31分41秒 東経137度31分53秒 / 北緯35.52806度 東経137.53139度 / 35.52806; 137.53139 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
134.対鶴橋 | ||||||
対鶴橋(たいかくばし、扁額には對鶴橋とある)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かっていた橋(吊橋)である。 賤母発電所(しずもはつでんしょ)の建設資材を中央本線坂下駅から運搬するために、木曽電気興業(後の大同電力)により架橋された。解体時も木曽電気興業の後身である関西電力が所有していた。賤母発電所より徒歩5分。 かつては岐阜県恵那郡坂下町と長野県木曽郡山口村を結ぶ県境の橋であったが、2005年(平成13年)、坂下町と山口村が中津川市に編入されたことにより、以降は中津川市内の橋になっていた。 賤母発電所の建設のさい、当時大規模なダムの建設技術がなかったため、堰堤を木曽川に築き、発電所に導水することになったため、1916年(大正5年)に周辺の町村で大規模な騒動が発生している。景観や漁業権、木材を筏にして木曽川を利用していたことによる問題である。金銭補償と木材運搬用の森林鉄道(木曽森林鉄道野尻線、蘭線、与川線、田立線)により一応の解決がされたという。賤母発電所は1920年(大正9年)に完成している。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
135.弁天橋 (木曽川) | ||||||
弁天橋(べんてんばし)は、岐阜県中津川市の木曽川に架かる橋である。 落合ダムのダム湖にかかる橋である。現在の橋は2代目である。 1926年(大正15年)、落合ダムの完成と同時に初代の弁天橋が架橋される。歩行者専用の吊り橋であった。 初代の弁天橋は老朽化が進み、橋を渡る人数が制限されたり、強風などの通行止めが行われるなど支障をきたすようになる。緊急時は落合ダムの堰堤を通行していたという。 老朽化の架け替えとして、現在の橋が完成する。 座標: 北緯35度31分38.1秒 東経137度31分47.4秒 / 北緯35.527250度 東経137.529833度 / 35.527250; 137.529833 (弁天橋) | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
136.美恵橋 ・岐阜県中津川市駒場 - 苗木 | ||||||
美恵橋(みえばし)は、岐阜県中津川市苗木字津戸 - 駒場字西山の木曽川に架かる岐阜県道410号苗木恵那線の橋長212 m(メートル)のローゼ橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
137.稲葉橋 | ||||||
稲葉橋(いなばばし)は、岐阜県加茂郡八百津町の木曽川に架かる広域農道の橋である。 兼山ダムのダム湖に架かる橋である。 座標: 北緯35度28分13秒 東経137度7分7秒 / 北緯35.47028度 東経137.11861度 / 35.47028; 137.11861 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
138.新旅足橋 ・岐阜県加茂郡八百津町[1] | ||||||
新旅足橋(しんたびそこばし)は、岐阜県加茂郡八百津町にある[1]、一般国道418号丸山バイパスの橋である[7]。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
139.蘇水峡橋 ・岐阜県加茂郡八百津町錦織 - 八百津 | ||||||
蘇水峡橋(そすいきょうばし)は、岐阜県加茂郡八百津町の木曽川に架かる岐阜県道358号井尻八百津線の橋梁である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
140.旅足橋 ・岐阜県八百津町 | ||||||
旅足橋(たびそこばし)は、岐阜県加茂郡八百津町にある橋である。日本で唯一の構造を持つ。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
141.八百津大橋 ・岐阜県加茂郡八百津町錦織 - 八百津 | ||||||
八百津大橋(やおつおおはし)は、岐阜県加茂郡八百津町錦織 - 八百津の木曽川に架かる岐阜県道358号井尻八百津線の橋である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 | ||||||
142.八百津橋 ・岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志 - 八百津 | ||||||
八百津橋(やおつばし)は、岐阜県加茂郡八百津町の木曽川に架かる岐阜県道83号多治見白川線の橋梁である。 | ||||||
Wikipedia 内容詳細 |