1.安土城 ・山城 | ||||||
安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)[1]にあった日本の城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。 | ||||||
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2.宇佐山城 ・山城 | ||||||
宇佐山城(うさやまじょう)は、滋賀県大津市南滋賀町に残る、中世の日本の城(山城)跡である。湖西周りで京都に向かうには避けては通れない位置にあった。 | ||||||
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3.大津城 ・平城 | ||||||
大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった日本の城。 | ||||||
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4.大溝城 ・平城・水城 | ||||||
大溝城(おおみぞじょう)は、滋賀県高島市にあった日本の城の1つである。別名は高島城[1]。鴻溝城(こうこうじょう〈こうこじょう[2]〉)[3]、鴻湖城(こうこじょう)とも称された[4]。大溝城跡は高島市の史跡に指定されている[5]。そのほか2015年(平成27年)に、国の重要文化的景観に選定された「大溝の水辺景観」の重要な構成要素として[6]、大溝城跡や旧城下地区などが含まれる[7]。「大溝の水辺景観」は、「日本遺産」に認定された「琵琶湖とその水辺景観 - 祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財に選定されている[8][9]。 | ||||||
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5.小谷城 ・梯郭式山城 | ||||||
小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市(旧東浅井郡湖北町伊部、かつての近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城(山城)。城跡は国の史跡に指定されている。 | ||||||
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6.鎌刃城 ・連郭式山城 | ||||||
鎌刃城(かまはじょう/かまのはじょう)は、滋賀県米原市にあった日本の城。城跡は2005年(平成17年)3月2日に国の史跡に指定されている[1][2]。また、2017年(平成29年)4月6日には続日本100名城に選定された。 | ||||||
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7.河瀬城 ・寺院一体型平城 | ||||||
河瀬城(かわせじょう)は、滋賀県彦根市にあった日本の城。 | ||||||
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8.観音寺城 ・山城 | ||||||
観音寺城(かんのんじじょう)は、滋賀県近江八幡市安土町にあった日本の城(山城)である。支城に和田山城、佐生城、箕作城、長光寺城などがある。城跡は国の史跡に指定されている。日本五大山城の一つ[2]。 | ||||||
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9.北近江城館跡群 | ||||||
北近江城館跡群(きたおうみじょうかんあとぐん)は、滋賀県長浜市にある城館跡。2006年1月26日に国史跡に指定され、2011年9月21日に追加指定が行われた。指定名称は「北近江城館跡群 下坂氏館跡 三田村氏館跡」である。 | ||||||
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10.久徳城 | ||||||
久徳城は日本の城。滋賀県 犬上郡 多賀町 久徳にあった。六角氏と浅井氏の係争の地として戦場となる。 | ||||||
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11.京極氏遺跡 | ||||||
座標: 北緯35度23分40秒 東経136度24分39秒 / 北緯35.39444度 東経136.41083度 / 35.39444; 136.41083 | ||||||
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12.坂本城 ・平城、水城 | ||||||
坂本城(さかもとじょう)は、近江国滋賀郡坂本(滋賀県大津市下阪本)にかつて存在した日本の城。明智光秀の居城として築かれ、琵琶湖に面する平城。遺構は市街地化によりほぼ消滅している。 | ||||||
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13.佐和山城 ・連郭式山城 | ||||||
佐和山城(さわやまじょう)は、中世中期から近世初期にかけて、近江国坂田郡(現・滋賀県彦根市)の佐和山に存在した日本の城(山城)である。現・佐和山城址。 | ||||||
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14.清水山城 (近江国) ・山城 | ||||||
清水山城(しみずやまじょう)は滋賀県高島市新旭町熊野本・同市新旭町安井川にあった日本の城。山城。城跡は2004年(平成16年)2月27日に「清水山城館跡」として、国の史跡に指定されている[1]。 | ||||||
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15.膳所城 ・梯郭式平城 | ||||||
膳所城(ぜぜじょう)は、現在の滋賀県大津市本丸町にあった日本の城である。 | ||||||
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16.寺村城 ・平城 | ||||||
寺村城(てらむらじょう)は寺村氏によって築かれた日本の城(平城)である。寺村館(てらむらやかた)ともいわれる。 | ||||||
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17.長浜城 (近江国) ・平城 | ||||||
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町の豊公園内にある羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した日本の城跡。 | ||||||
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18.長浜城下町 | ||||||
長浜城下町(ながはまじょうかまち)は、滋賀県長浜市にあった長浜城の東に形成された城下町。浅井氏滅亡後の北近江に所領を与えられた羽柴秀吉が、1574年(天正2年)に今浜に築城し、同時に城下町を建設し、町の名前を今浜から長浜に改めた[1]。城は1615年(元和元年)に廃城となったが[2]、長浜の町は琵琶湖の重要港として、北国街道の宿場として[3]、大通寺の門前町、さらに彦根藩の縮緬機業の中心地として、近世から近代に至るまで繁栄した[4]。 | ||||||
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19.鯰江城 ・平山城 | ||||||
鯰江城(なまずえじょう)は、近江国愛知郡鯰江荘(現・滋賀県東近江市鯰江町)にあった日本の城(平山城)。同地を本拠とした鯰江氏の居城であった。 | ||||||
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20.八幡山城 ・放射状式連郭山城と居館 | ||||||
八幡山城(はちまんやまじょう)は、滋賀県近江八幡市宮内町周辺(近江国蒲生郡)に存在した日本の城(山城)。羽柴秀次の居城として知られる。別名近江八幡城とも呼ばれている。 | ||||||
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21.彦根城 ・連郭式平山城 | ||||||
彦根城(ひこね じょう)は、近江国犬上郡彦根(現在の滋賀県彦根市金亀町)[1]にある城。江戸時代には彦根藩の政庁が置かれた。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。 | ||||||
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22.日野城 ・平山城 | ||||||
日野城(ひのじょう)は、滋賀県蒲生郡日野町にあった日本の城。 | ||||||
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23.三尾城 (近江国) | ||||||
三尾城(みおのき[1])は、近江国にあった古代日本の城。城跡の所在地は不明で、現在の滋賀県高島市付近に推定される。 | ||||||
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24.水茎岡山城 ・山城 | ||||||
水茎岡山城(みずぐきおかやまじょう)は、滋賀県近江八幡市牧町に築かれた日本の城。尾山城、岡山城、九里城とも呼ばれる。 | ||||||
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25.箕作城 ・山城 | ||||||
箕作城(みつくりじょう)は、現在の滋賀県東近江市五個荘山本町箕作山の山上に築かれた六角氏の城館(日本の城)。 | ||||||
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26.水口岡山城 ・連郭式山城 | ||||||
水口岡山城(みなくちおかやまじょう)は、滋賀県甲賀市水口町水口に築かれた日本の城。国の史跡に指定されている。 | ||||||
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27.水口城 ・梯郭式平城 | ||||||
水口城(みなくちじょう)は、近江国甲賀郡水口村(現・滋賀県甲賀市水口町水口)にあった日本の城。城跡は県指定史跡である。 | ||||||
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28.望月城 (近江国) ・望月城 | ||||||
望月城(もちづきじょう)は、滋賀県甲賀市にあった日本の城。 | ||||||
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29.矢守城 ・平城 | ||||||
矢守城(やもりじょう)は滋賀県愛知郡愛荘町矢守にあった日本の城である。矢守氏によって築かれた平城であるとされている。 | ||||||
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30.横山城 (近江国) ・山城 | ||||||
横山城(よこやまじょう)は近江国坂田郡(滋賀県長浜市堀部町・石田町)にあった日本の城。山城。元亀年間(1570年 - 1573年)の織田信長と浅井長政の激しい戦いの拠点であり、信長の部将であった木下秀吉(後の豊臣秀吉)が城番として守備していたことで知られる。 | ||||||
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