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大阪府の橋

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大阪府の橋の登録件数:116

101.国津橋
国津橋(くにつばし)は、かつて大阪府大阪市西区に存在していた橋の名前である。 1684年(貞享元年)、淀川の治水工事として河村瑞賢により直線状の安治川が開削された。新しい河道が新川と呼ばれたのに対し、旧河道は古川と呼ばれるようになった。国津橋はこの古川に架かっていた橋である。 付近には1915年(大正4年)に建てられた河村瑞賢紀功碑がある。また、同年に大阪市電松島安治川線が敷設され、国津橋駅が置かれた。 1952年(昭和27年)に大阪府の高潮対策の一環として古川が埋め立てられたときに国津橋も廃止された。現在は大阪シティバスのバス停名と交差点名に国津橋の名が残っている。 座標: 北緯34度40分48秒 東経135度28分21秒 / 北緯34.67988度 東経135.47261度 / 34.67988; 135.47261 (国津橋)
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102.白髪橋
白髪橋(しらがばし)は、かつて存在した西長堀川に架かっていた橋。大阪府大阪市西区新町3丁目にある白髪橋交差点(あみだ池筋と長堀通の交点)にあった。 1622年(元和8年)の長堀川開削から1655年(明暦元年)までの間に架設された[1]。下白髪橋とも言った。1919年(大正8年)4月に大阪市電開通のため架換され、長さ約25間、幅10間の木橋であった[2]。 橋名の由来は、下記のように土佐藩が白髪山から木材を当地へ運んだ説と、新羅船が当地に着岸し、後世にそれが訛って白髪町・白髪橋となった説がある[3]。 土佐の白髪山から切り出した木材を得るため、ここに木材市場を設けたことによりこの名がつけられた[4]。白髪山は高知県長岡郡本山町にある標高1,470メートルの山であり、スギやヒノキの良材を産出する。白髪山の由来について、郷土史家の細川敏水は「白い光る岩からなっているため白峨の文字を使っていたが後に今も奥白髪に猿田彦神(白髪の老翁)という白峨山霊を祭ったから、白峨を白髪と改めた」とする説を主張している[5]。
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103.玉船橋
玉船橋(たまふねばし)とは、大阪市西区にかつて存在した境川運河に架かっていた橋。境川運河の埋め立てにより橋はなくなったが、現在も東側に交差点名として残っている。 大阪市電の終点としても知られていて、心斎橋方面や今里・難波方面とを結んでいた。心斎橋方面への路線は、のちに大阪市営トロリーバスの路線に置き換わり、玉船橋はトロリーバスの終点でもあった。玉船橋 - 難波 - 今里(5系統)は、阪急東口 - 守口(10系統)とともに大阪市電で最後まで残った路線である。 現在は、大阪シティバスのバス停が存在するのみである。すぐ近くにJR大阪環状線が通っているが、西九条駅と弁天町駅のほぼ中間に位置しており、他の鉄道駅からも離れている地域である。
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104.四ツ橋
四ツ橋(よつばし)は、大阪市内に唯一存在した「堀川の十字交差部」に架橋されていた4つの橋を一括して称した「四つ橋」[1]、およびその周辺の地域の通称である。道路、水路、その後の市電にとっての重要な交通の要所であった。その後、堀川の埋立に伴って4つの橋は撤去され、現在は交差点名や駅名としてその名を残している[2]。
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105.浪速の名橋50選
浪速の名橋50選(なにわのめいきょう50せん)とは、大阪市に架かる全橋梁を対象に社団法人 土木学会関西支部 が名橋として選定したものである。以下の50橋が選定されている。 50音順
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106.相合橋  ・大阪市中央区
相合橋(あいあうばし)は、大阪府大阪市中央区にある、道頓堀川に架かる玉屋町筋の橋。土木学会関西支部による「浪速の名橋50選」に選定されている。 江戸時代から明治にかけて、北に宗右衛門町、南に道頓堀の芝居町を挟んで坂町(元伏見坂町)といった花街が広がっていた。
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107.今橋 (大阪市)  ・大阪市中央区(北浜東-今橋)
今橋(いまばし)は、大阪府大阪市中央区にある東横堀川に架かる橋。また同橋西詰以西の町名。
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108.戎橋
戎橋(えびすばし)は、大阪市中央区の道頓堀川に架かる長さ26m[1]の橋。現在の橋の橋梁部は2007年(平成19年)に完成した[1]。鴻池組施工[2]。 大阪ミナミの繁華街の中心に位置する[3]。北詰は心斎橋筋の南端で心斎橋筋商店街が長堀通まで、南詰は戎橋筋の北端で戎橋筋商店街が南海難波駅前まで伸び、人通りが多い。とりわけ南西袂にあるグリコサインは有名で観光スポットにもなっている。
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109.大江橋
大江橋(おおえばし)は、大阪市北区の堂島川に架かる橋である。国の重要文化財に指定されており、浪速の名橋50選にも選定されている。
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110.川崎橋 (大阪市)
川崎橋(かわさきばし)は、大阪市北区天満と都島区網島町を結ぶ大川に架かる自転車・歩行者専用斜張橋。国土交通省が全国的に整備を進めている大規模自転車道の一つ、北大阪サイクルライン(大阪市北区中之島~大阪府吹田市万博記念公園)の大川を渡る地点に架かる。浪速の名橋50選選定橋。昭和53年度の土木学会田中賞を受賞。 架橋地点には江戸時代より渡船の川崎の渡しがあった。1877年(明治10年)に私設の有料橋として初代の川崎橋が架橋されたが、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。川崎の渡しは再開され、1945年(昭和20年)の大阪大空襲による焼失まで続いた。 橋名や渡船名は旧村名の西成郡川崎村に由来し、架橋と同年の1978年(昭和53年)まで北区側の町名は川崎町・新川崎町だった。
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111.高麗橋  ・大阪市中央区(高麗橋-東高麗橋)
高麗橋(こうらいばし)は、大阪府大阪市中央区の東横堀川に架かる橋。または、同橋西詰以西の町名。
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112.下大和橋
下大和橋(しもやまとばし)は、大阪市中央区の道頓堀川に架けられた橋(道路橋)。大阪市中央区道頓堀1丁目と中央区島之内2丁目を結んでいる。道頓堀川の最上流に架かる橋梁である[1]。 土木学会関西支部による「浪速の名橋50選」に選定されている[2]。 江戸時代、橋の周辺は舟宿街として賑わい、近松門左衛門の戯曲「生玉心中」の舞台ともなった[1]。 この辺りには、大和橋と中橋の二橋が架かっていたが、宝暦年間に大和橋が廃され、道頓堀川に注ぐ東横堀川に、上大和橋が架けられたことにより、中橋が下大和橋となった[3]。 架橋以来木橋であったが、1928年(昭和3年)に永久橋に置き換えられ、1987年(昭和62年)に現在の橋に架け替えられた[1]。
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113.新鴫野橋  ・大阪市中央区大阪城-城見1丁目間
新鴫野橋(しんしぎのばし)は、大阪府大阪市中央区大阪城と城見1丁目を結ぶ、第二寝屋川に架かる橋である。南詰に大阪城公園、北詰に大阪ビジネスパークが広がる[1][2]。 元の橋名は鴫野橋(しぎのばし)で、町衆が架橋を行うことが多かった大坂の街では珍しい公儀橋の一つであった[1][2]。 最初の架橋時期は不明であるが、豊臣政権下の大坂城絵図や大坂の陣を描いた古絵には描かれていないことから、1620年(元和6年)以降、徳川政権による大坂城の修築以降に架橋されたと考えられている[1][2]。1666年(寛文6年)に京橋口定番の下屋敷が置かれた弁天島と大坂城北外曲輪を結ぶ橋として、その役割を果たした[1][2]。
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114.水晶橋  ・大阪市西天満-中之島
水晶橋(すいしょうばし)は、大阪市の堂島川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋。 大阪市北区中之島1丁目と北区西天満2丁目の間を結んでいる。本来は河川浄化を目的として 1929年(昭和4年)に『堂島川可動堰』として建設された可動堰で、堂島川の水質改善に大きく貢献した。1982年(昭和57年)に橋面を改装、法律面でも橋としての手続きがとられ、名実ともに橋となった。
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115.栴檀木橋
栴檀木橋(せんだんのきばし)は、大阪市の土佐堀川に架かる、北区中之島と中央区北浜を結ぶ橋。浪速の名橋50選選定橋。
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116.大黒橋  ・大阪市
大黒橋(だいこくばし)は、大阪府大阪市を流れる道頓堀川に架かる橋。北岸の中央区西心斎橋2丁目と南岸の同区道頓堀2丁目および浪速区湊町1丁目とを結ぶ。かつては難波橋と称されたが橋の位置が若干異なる[1]。
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