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大分県の橋

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大分県の橋の登録件数:37

1.筏場眼鏡橋
筏場眼鏡橋(いかだばめがねばし)は、大分県日田市高井町の筑後川水系内河野川に架かる石造単アーチ橋である。大分県指定有形文化財に指定されていた。
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2.イナコスの橋
イナコスの橋(イナコスのはし)は、大分県別府市荘園町にある歩道橋。境川に架かり、南立石公園と国立病院機構西別府病院とを結んでいる。設計は川口衞。イナコスの橋という名称は、ギリシア神話の川の女神であるイーナコスに因んで名付けられた[1]。
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3.岩上橋  ・豊後大野市
岩上橋(いわがみばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。豊後大野市指定有形文化財[1]。
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4.岩戸橋
岩戸橋(いわとばし[1])は、大分県竹田市荻町の大野川水系岩戸川に架かる石造単アーチ橋である。大分県の有形文化財に指定されている。通称、車橋。
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5.院内町の石橋
本項では、大分県宇佐市院内町にある石橋について説明する。
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6.唄げんか大橋
唄げんか大橋(うたげんかおおはし)は、大分県佐伯市宇目(旧宇目町)の北川ダムに架かる国道326号の湖面橋である。
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7.オダニの車橋
オダニの車橋(オダニのくるまばし)は、大分県由布市庄内町櫟木の大分川水系間田川に架かる石造単アーチ橋である。大分県の有形文化財に指定されている。
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8.呉橋
呉橋(くれはし)は、大分県宇佐市南宇佐の宇佐神宮西参道にある屋根付きの木造橋。日本百名橋の一つ。
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9.虹澗橋
虹澗橋(こうかんきょう、こうかんばし[1])は、大分県豊後大野市三重町菅生と臼杵市野津町大字西畑の間の大野川水系三重川に架かる石造アーチ橋[2]。通称、柳井瀬橋[3]。国の重要文化財に指定されている[2]。また、日本百名橋にも選定されている。
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10.九重"夢"大吊橋  ・大分県玖珠郡九重町
九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ”おおつりはし)は、大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊橋。日本一高い歩行者専用橋である[1]。
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11.清水橋 (大分県)  ・豊後大野市
清水橋(しみずばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造2連アーチ橋である。
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12.出會橋  ・豊後大野市
出會橋(であいばし、であいはし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。出会橋、出合橋と表記されることもある。
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13.天然橋 (大分県)  ・豊後大野市
天然橋(てんねんばし)は、大分県豊後大野市清川町の大野川水系奥岳川に架かる石造単アーチ橋である。豊後大野市指定有形文化財。
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14.とくしん橋
とくしん橋(とくしんばし)は、大分県宇佐市山本の駅館川水系社ヶ谷川に架かる石造桁橋である。大分県の有形文化財に指定されている。
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15.轟橋 (大分県)  ・豊後大野市清川町左右知
轟橋(とどろばし)は、大分県豊後大野市の大野川水系奥岳川に架かる石造2連アーチ橋である。
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16.馬渓橋
馬渓橋(ばけいばし)は、大分県中津市耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造アーチ橋である。
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17.豊後津久見橋  ・ 大分県津久見市大字下青江地内 - 門前町地内
豊後津久見橋(ぶんごつくみばし)は、大分県津久見市大字下青江と門前町に架かる、東九州自動車道の橋である。
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18.別府明礬橋  ・ 大分県別府市大字鶴見(明礬)地内
別府明礬橋(べっぷみょうばんきょう)は、大分県別府市大字鶴見(明礬)[注 1]にある東九州自動車道(建設当初は大分自動車道)のコンクリートアーチ橋。 1989年(平成元年)の竣工当時は、「東洋一」と謳われた日本最長のアーチ支間(235.0m)を有するコンクリートアーチ橋であった。
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19.細長橋  ・右岸:大分県豊後大野市三重町宮野字細長左岸:大分県豊後大野市犬飼町田原
細長橋(ほそながはし[3]、ほそながばし[2])は、大分県豊後大野市の大野川に架かる橋である。
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20.明治橋 (大分県)  ・大分県臼杵市野津町大字野津市
明治橋(めいじばし)は、大分県臼杵市野津町大字野津市の大野川水系野津川に架かる鋼橋。原位置(架橋当初の場所)にある現役の鋼橋としては日本最古の橋である[5]。2005年(平成17年)に土木学会選奨土木遺産に選定されている[6]。
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21.明正井路一号幹線一号橋
明正井路一号幹線一号橋(めいせいいろいちごうかんせんいちごうきょう)は、大分県竹田市大字門田の大野川水系緒方川に架かる水路用石造アーチ橋。明正井路第一拱石橋(めいせいいろだいいちこうせききょう)とも呼ばれる。2002年に土木学会選奨土木遺産に選定されている[1][2]。
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22.耶馬渓橋
耶馬渓橋(やばけいばし)は、大分県中津市本耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造アーチ橋である。国の重要文化財に指定されている。
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23.羅漢寺橋
羅漢寺橋(らかんじばし)は、大分県中津市本耶馬渓町の山国川水系山国川に架かる石造3連アーチ橋である。
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24.龍頭橋  ・大分県杵築市
龍頭橋(りゅうずばし)は、大分県杵築市の八坂川に架けられた橋で、1912年(明治45年)に竣工した現存する日本最古の石造沈下橋(沈み橋)である。
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25.若宮井路笹無田石拱橋  ・大分県竹田市大字挟田
若宮井路笹無田石拱橋(わかみやいろ ささむたせっこうきょう[1])は、大分県竹田市挟田の笹無田川に架かる石造2連アーチ橋の水路橋である。1996年(平成8年)12月20日に国の登録有形文化財に登録されている。
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26.明磧橋  ・大分市
明磧橋(あけがわらばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道442号の一部を構成する。大分市の中心部寄りの南大分地区と稙田地区とを結ぶ。
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27.大在大橋  ・大分市
大在大橋(おおざいおおはし)は、大分県大分市の大野川をまたぐ橋梁である。かつては、この橋梁を含む延長1.1kmの区間は、大野川大橋有料道路という一般有料道路であったが、2010年12月1日に無料化された。
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28.白滝橋  ・大分市
白滝橋(しらたきばし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道10号の一部を構成する。
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29.宗麟大橋  ・大分市
宗麟大橋(そうりんおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる道路橋である。大分中央幹線道路およびその一部である都市計画道路庄の原佐野線(しょうのはるさのせん)の一部を構成する。2018年(平成30年)1月14日に開通した[4]。
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30.大南大橋  ・大分市
大南大橋(だいなんおおはし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。大分県道622号弓立上戸次線の一部を構成する。 大野川右岸に沿って走る国道10号から大南大橋先交差点で分岐した大分県道622号弓立上戸次線は、すぐにこの橋に入り大野川を越える。県道622号は、この橋を越えた後、大野川左岸で大分県道631号中判田犬飼線と接続し、大野川支流の河原内川に沿って竹中地区、河原内地区へと続く。 この橋のたもとでは、天正14年(1587年)に大野川の戸次付近の川原で起きた戸次川の戦いを模した大野川合戦まつりが毎年行われる[1][2]。
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31.滝尾橋  ・大分市
滝尾橋(たきおばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。主要地方道大分県道21号大分臼杵線の一部を構成し、大分市街地と市街地東側の明野団地、猪野、葛木、横尾地区を結んでいる[3]。 現在滝尾橋が架かる場所には、かつて坊ヶ小路の渡しと呼ばれる渡し船があった。上流の古国府の渡しには明治年間に広瀬橋が架けられたのに対して、坊ヶ小路の渡しにはなかなか架橋されなかったが、大正時代初めに木造の滝尾橋が架けられ、1930年(昭和5年)頃にコンクリート造に架け替えられた[4]。 1953年(昭和28年)に西日本水害で滝尾橋の下流に位置する舞鶴橋が流失し津留地区が孤立した際には、大分川の派川(分流)の裏川に木造の仮設橋である下津仮橋を架けて、滝尾橋経由で大分市内への交通を復旧した[5][6][7]。
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32.鶴崎橋  ・大分市
鶴崎橋(つるさきばし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道197号及び国道217号(重複区間)の一部を構成する。
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33.広瀬橋 (大分市)  ・大分市
広瀬橋(ひろせばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。大分市道古国府津守線の一部を構成する[1][2]。 滝尾方面から現在広瀬橋がある場所を通って富岡、曲を経て東稙田方面に至る道は、日向街道(戸次街道)と呼ばれた古くからの主要道で、かつては古国府の渡しと呼ばれる渡し船があった。明治に入ると国道36号に指定され、木造の橋が架けられたが小さな橋でたびたび流失したといい、明治時代末期になってようやく幅9尺(約2.7m)の橋が架けられた[3]。1931年(昭和6年)に新しい橋に架け替えられた時に、府内藩の財政の立て直しに貢献した日田の豪商広瀬久兵衛の業績を記念して、広瀬橋と名付けられた[4]。国道36号は、国道3号を経て、1952年(昭和27年)12月4日に新道路法に基づく路線指定で国道10号となり、1960年(昭和35年)5月12日にこの橋の上流に府内大橋が開通したため、広瀬橋を通る路線は国道10号の旧道となった。
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34.府内大橋  ・大分市
府内大橋(ふないおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道10号および国道210号(重複区間)の一部を構成する。
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35.弁天大橋 (大分市)  ・大分市
弁天大橋(べんてんおおはし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。大分県道22号大在大分港線(臨海産業道路)の一部を構成する。
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36.舞鶴橋 (大分市)  ・大分市
舞鶴橋(まいづるばし)は、大分県大分市の大分川に架かる橋である。国道197号の一部を構成する。橋の名称は、架橋地点の大分川左岸の地名から採られている。 現在の国道197号は、1876年(明治9年)に大分と佐賀関の間が愛媛街道として開通。この時、大分川には現在の舞鶴橋のやや上流に木造の津留橋が架けられた。この橋は地域の名所となり、舞鶴橋という愛称で呼ばれた[3]。 1953年(昭和28年)6月26日には、梅雨前線による西日本水害で舞鶴橋及び鶴羽橋が流失。右岸の大分市津留地区が孤立した。同地区には約500世帯の住家があり、また、高等学校2校、中学校1校もあったため、大分川の派川(分流)の裏川に木造の仮設橋である下津仮橋を架けて、滝尾橋経由で大分市内への交通を復旧した[4][5][6]。
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37.松岡大橋 (大分市)  ・大野市
松岡大橋(まつおかおおはし)は、大分県大分市の大野川に架かる橋である。国道197号大分南バイパスの一部を構成する。
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